はてなキーワード: アイディアとは
多くの人が同じことを思っているけど言語化しきれずにモヤモヤしてそう
この漫画を読んだ時にきっと多くの人が「どこかで読んだことがあるなあ」と感じたと思う。
それについて特定の作品のパクリだ!と吹き上がっている人がいて、正直この人に対しても「レベルが低いなあ」と私は感じてしまった。
「敵と味方が反転した」というのは物語の起承転結としては基礎の基礎すぎて、もはや何かのパクリとは言えないレベルだと思う。
そしてこの話はそれ一本で勝負しており、複数の基本テクニックを掛け合わせるということさえ行われていない。
こういうギミックの作品が世の中にクソほど溢れていてアイディアとしての価値が0円レベルで、それでいてこの作品において他に褒められる所はほとんどない。
強いて言うなら唐突なエロ描写ぐらいだけど、こんなのはエロ漫画で読めばいいだけだし、エロとしてのクオリティやフェチズムが特にあるというほどじゃない。
尿にしろ逆レイプにしろストーカー女にしろ、もっとイカれたコンテンツが無数にあるこの世の中においてこのレベルを出されて「これはマジで凄いぞ!」とはとてもなれないんだよな。
構成に巧みさがあるわけでもなく全てが唐突で伏線回収と言えるものもなく、読後感において残るのも「え?これで大賞?」というモヤモヤぐらい。
まあ結局の所、今回の賞に応募した作品のレベルが全体的に高くなかっただけという気がしてならない。
そもそもこの企画自体が存在したことを私は昨日まで知らなかったし。
多分審査員としては毒にも薬にもならない作品だらけなら少しでもインパクトのある作品を選んだほうがそれっぽくなると思ってこれが大賞になったんだと思う。
でもそれって悪手じゃないのかなと。
全体としていまいちコレはと思えるものがないなら、インパクトがあるものよりも「なんとなくいい話だった感が残る」タイプの作品を持ち上げたほうが「なんか中身をちゃんと評価してそうな賞レースだったね」となる気がするんだよ。
とりあえず雑にエロ入れとけば雑に伸びるみたいなのは編集者としての技量に疑問を持たれるだけに思ったね。
これがいっそのことエロ一本勝負でヤバすぎてヤバいからマジでヤバイってレベルなら「パンツを脱いで尻の穴まで捲れば勝てると割り切れた奴が勝つなら仕方ないか・・・」となったかも知れんけど。
世の中には立ちションに情熱をかける女の漫画(全年齢)とか、ガードのゆるい巨乳女がパイズリしてるシーンが毎回描かれる漫画(全年齢)とかもあるなかで、ちょっとオシッコ飲ませただけで「ヤバイ!度肝抜かれた!」は流石に編集者としての経験値を疑うしかねーよなと
ChatGPT(課金◯)→たまに自信満々に間違えたことを言うしソースも明示しない。雑談のネタや料理のアイディアを探すくらいならいいけどちょっと専門的な分野の裏付けは自分で取る必要がある。UIは一番使いやすい。デザインの提案もしてくれる。Youtubeの動画用のサムネのラフ案くれみたいな雑な質問にも対応してくれる。ただしノリは「閃光爆発炎上大崩壊!」みたいなB級映画が好みのようで、隙あらば光らせて爆発させたがる。ある意味人間臭い。
Perplexity(課金◯)→質問に対してまず検索し、その情報を元に返答する。参照先はある程度絞っているようで「Xでこんなことがあったような気がするけどどっかでまとめられてない?」みたいなことには答えてくれない。良くも悪くもお役人的・ロボット的なお仕事。ただそも参照先は本当に信用できるの?と言うのは一抹の不安はある(参照先が大抵日本のマスコミだし)。UIがちょっと問題で、チャット欄に直接画像を放り込めない(コピペはできる)、画像とテキストでの質問を同時に送ると、先にテキストの質問だけが送られてしまう?ようで、画像の内容を加味しないで返答をはじめたり、変なタイミングで過去の画像を参照した返答をはじめてやり取りがグダグダになることがよくある。
Gemini(無課金)→文体は一番カジュアルでフレンドリー。ただちょっと突っ込むとすぐに英語を喋りだす。あきらかに前者2つに比べて調整不足を感じる。
お気軽なネタ収集代理として使うならChatGPT、ソースがないと安心できない人はPerplexityがあうかなと言う感想。
世界の果てに東出昌大とひろゆき置いてきた、というabemaでやってる番組を見ている。
普段日本で東出は山で生活していてなんか動物を狩猟しているらしいというのを知る。
ひろゆきは普段フランスに住んでいてなんかIT関係の仕事をしているらしい。
番組では南米の貧しい国々を旅しており、リャマを買うところから解体して食すというところを前回やっていた。
現地の人が手伝うのかと思いきや、どういう話になったのかひろゆきがリャマを固定し東出がリャマを失神させるという構図からスタートした。
東出は普段シカとかを撃ったり食べたりしているそうだが、なぜか豚やモルモットのとさつにはかなり抵抗を持っている印象を受ける。
もしかしたらそういう演出が編集で施されているだけかもしれないが。
今回はリャマなのでシカよりでかい大きな動物だ。東出は覚悟を決めた様にひろゆきに指示を出していた。
リャマをさばいて食べようというアイディアを話し合っているシーンで、ひろゆきは自分も携わることをしぶっていた。
ひろゆきはサイコパスだが、そういう猟奇的な面とか、暴力性は全然ないんだなと知った。
東出はいわゆるちょっとめんどうくさい考えというかポリシーみたいなのがある人で、普段肉を食べているのは誰かが動物を殺しているからだ、そのとさつの負担を知らずに普段肉を食べるのはどうなのか…ということを真面目に考えていたりする。
ひろゆきなら冷笑しそうなところだが、そうでもないのか、シーズン2にも入り寝食を共にしてきているからか、その考えを理解してとさつに参加することになったようだ。
ネット番組とはいえさすがにきつい映像なのでリャマを失神させる瞬間以降はリャマは映らず、とさつを行う二人だけが映像には映っていた。
何かをよけて何かを刺すとか何かを切る切れないとかそういう生々しい会話が二人でなされ、主に東出がひろゆきに指示していた。
ひろゆきは普通にきつそうな表情をしており、やっぱり大型動物をとさつするともなるとサイコパスひろゆきでもきついよなぁと思った。
一方東出は慣れていることが分かる落ち着いた態度だった。
最終的には食料としての肉となった状態から映像に肉が映るのだが、その頃には色々慣れというか麻痺しているようで普通に肉として切り分けたり食べたりしていた。
リャマのような大型動物をとさつともなると大量の血が出てきて骨格も内臓もそれなりに大きく、ネズミやウサギとは訳が違う。
普段フランスに住んでいてパソコン画面ばかり見ている人間をその行為に加担させる東出って結構えぐいなと思った。
東出は、とさつした実感は後になってから出てくると話していて、自らの経験で普段そういう行為をしない人間が行為をした後どうなるかを知っていることも、えぐいなと思った。
実際は犯罪行為でもなんでもないのだが大型動物の命を奪い解体して食す経験を共有するって、悪いことを共犯している感じがする。
日常とは離れすぎていて原始的というか動物的な部分に近すぎて、とんでもない経験を共有してしまっているのではないかと思った。
私なら、一生忘れられない経験だ。というとキラキラした思い出みたいな表現だが、忘れたくても忘れられないし、おそらく死ぬまで繰り返し思い出す。
何者にもなれないことを心に刻みつつ感想を述べる。
過去に自分はOculus GoとMeta Quest2を持っていた。
より具体的に言えば、まずOculus Goを買って失望した。
そして「次でダメだったらVRは見限ろう」と思って買ったQuest2にも失望した。
なのでQuest3は買っていないし、メタの目指す方向性にも賛同しない。
(最近のメタが路線転換して恥も外聞もなくVision Proをパクっているのは良いことだと思う)
まず前提を確認しておく。
Vision Proは「VR」ではなく「AR」がメインである。
現実の光景をビデオパススルーでVision Pro内のディスプレイに表示し、そこにデジタルのオブジェクトを重ねる。
ブラウザのウィンドウをいくつも空中に浮かべたり、巨大なウィンドウを広げて動画を観たりできる。
机の上でマスコットキャラクターを動かしたり、遠く離れた友人の3D映像を傍らに表示して会話したりできる。
また、Vision Proは、iPhoneと同じカテゴリの製品ではない。
Vision Proを付けたまま外出するどころか、家の中で動き回ることすら想定されていない。
さんざん言われている重さについては、そこまで重くは感じなかった。
というか良くも悪くもQuest2なんかと同じ装着感だ。
思うに、そもそもヘッドセットをバンドで頭に巻き付けるという方式が間違っている気がする。
帽子のつばにぶら下げるとか、ネックバンドで下から支えるとか、何か別の方式を模索して欲しい。
iPhoneの画面にドット感が無くなったのをAppleは「Retinaディスプレイ」と呼んでいたが、そのレベルに達していると思う。
Vision Proの中だけでウィンドウをたくさん浮かべ、動画を視聴し、Macをミラーリングして作業をするぶんには、まったく何の問題もない。
もちろん最低限の実用性は備えている、というか業界最高レベルではあるのだろう。
Apple Watchの通知の細かい文字でも読めるくらいだ。
たとえばVision Proを被ったままパススルーでテレビを観るとちょっと美しくない。
となると「テレビの映像をVision Proにミラーリングしたい」と思ってしまうのだが、そういうアプリがまだないのがストレスである。
パススルーが完璧だったなら、アプリがVision Proに対応していなくても、現実にあるものをそのままパススルーで見ればいい、ということになる。
しかし現状はそうではないので、とにかくVision Proの中ですべてやりたい、現実のさまざまなものをVision Proの中に入れていってほしい、という気持ちになる。
つまり、何と言うべきだろう、Vision Proから覗いた現実空間は劣化していて、現実空間とVision空間が繋がりきれていないのだ。
もちろん、さらに将来的にはテレビやらの「目で見て使うような家電」は現実に置く必要はなく、Vision Proの中に置けばいい、という話にはなっていくだろうが…。
ともあれ今後、パススルーの性能は「本当に現実とまったく同じ」になるくらいまでめちゃくちゃ上がってほしい。
と同時に、Vision Pro対応アプリもどんどん増やしていかねばならないだろう。
Appleによれば、iOSアプリのVision Pro対応は追加作業がほとんど必要ないらしい。
開発者が「このアプリをVision Pro向けに配信する」というチェックを入れるだけでいいという。
それが本当かどうかは知らないが、アプリ開発者の皆さんには是非ともお願いしたいところである。
現状、Vision Proを仕事に使うならMacに接続することになり、そうすればキーボードを使えるので実用的には問題ない。
逆に言うと、Macに接続しないといけないのはキーボードを使うためだ、ということではある。
ただ、仮想キーボードに触れて文字を入力する感覚は、思ったよりも良い。
無理やり喩えるなら、トラックパッドでゲームをしたり、マウスでお絵描きをしたりするような感じか。
視線入力は、最初の頃はだいぶ暴れていたが、リアルタイムで最適化が働くのか、それともこちらが慣れたのか、しばらくすれば落ち着いた。
とはいえ、一つ下のリンクを選択してしまうとか、指でのタップが誤反応するとか、そういうことがちょいちょいある。
Webページのリンクがいちいちハイライトされるのも鬱陶しい。
このあたりのUIは今後どんどん改善されていくだろうし、改善されていって欲しい。
Appleが公式に用意しているもので、Quest2で観たものよりはさすがに綺麗だが、しかしそれでもまだ映像が粗い。
今後、たとえばVRアダルトビデオが観れるようになったとしても、Vision Proの解像度を満たすのは難しいのではないか。
というか、180度360度である必要がないと思うので、空間ビデオみたいな感じでやって欲しい。
ざっとこんなところだろうか。
Vision Proのハードウェア的なスペックはかなり要求を満たしていると思う。
あとはOSのアップデートだとか、アプリの対応だとか、ビデオの解像度だとか、そういうソフトウェアの問題になるだろう。
いや、ヘッドバンドの構造はまだまだ改良の余地ありだが…なんか革新的なアイディアはないんかね?
Appleには頑張ってもらいたい。
◎:序論
結論を先に述べると、そろそろ彼自身、みずからの戦略がリベラル側に受け止められ模倣される時期になったのではと推察する。
筆者は暇空茜がWBPCという攻撃目標に、攻勢の利を取れる限界が迫っており、彼がこれ以上の法廷闘争は泥沼化することを、内心で実感しているのではないだろうかと感じる。
東京都知事選挙というスポットライトはある意味で、彼がカリスマ性を維持できる最後の挑戦であり、体制に対する王手をかける最も効果的な一手なのだ。
確かに彼はナポレオンであるが、東京都知事選挙はライプツィヒの戦いである。
つまり、彼の手法が陳腐化する前の最後の灯といって差し替えない。
事実、彼は窮地に立たされている。
だが、その窮地に立つこと含めて、彼の戦略であると筆者は考えている。
ついては、今が政治におきようとしているパラダイムシフトを理解するために、彼がとった戦略をここに考察したい。
いうなれば、これは手品の種明かしであり、十分彼の行動が必ずしも属人性によるものではない、ポピュリズムのもとに流用可能な「手段」であることの証明である。
本論は、彼の手法を流用する「攻勢策」と、彼の手法に対抗する「防衛策」に分かれている。
防衛策に関しては、以降、noteでの有料販売を予定しているので論外とさせていただく。
悪しからず。
◎:本論:暇空茜の攻勢策について
一つは「攻勢の利を活用し、組織の不平な脆弱性を積極的に攻撃すること」
WBPCへの攻撃が第一の手法、石丸候補への訴追や都知事選に第二の手法が用いられている。
これら二つの柱を併用する「勇者の戦略」を活用することで、彼は都知事選という一見無謀なステージに足を踏み入れることができている。
2024年現在のポリティクスに対しては、どちらも有効な戦略であることを認めたうえで、これらの手法を解説をしていこう。
第一の手法である「攻勢の利を活用し、組織の不平な脆弱性を積極的に攻撃すること」は、本来ポリティクス側の基本的なドクトリンである。
彼は取った手法も、古典的なジャーナリズムの手管に端を発するものであり、特段解説することはない。
本来議会やマスメディアという単位で行う追求を、個人として行っているに過ぎない。
その例外的な非対称性が、攻勢策として極めて有効な効果を発揮していることは事実である。
彼は交渉を行わず業績を絶え間なくアピールすることで、SNSという構造に対する優位性と属人性によらない一定の支持層を両立している。
既存の政治組織やマスメディアにとって、これは幾分困難が付きまとう手法であり、戦略的手法としては斬新なアイディアであることを認めるべきである。
だが、戦術レベルで見ると、むしろ常識的なレベルを外れることは何一つ行っていないことも補記しておきたい。
▼:第二の手法
第二の手法である「積極的なゲリラ戦略の活用」 は、第一の手法と合わせて最大の効果を発揮している。
自らのステージに相手を乗せ、攻勢の利を生かしたゲリラ戦略的な対応をとることで、彼は防御側である現体制に痛撃を与えている。
2024年現在、多くの個人や政治組織は、積極的なゲリラ戦略への対策を有効に取れているとは言えず、悪く言えば、大分いいようにされている。
これは、日本における政治分野へのゲリラ戦略の適用というテーマにおいて、暇空茜はパイオニアであるゆえに、致し方ないことであるともいえるだろう。
ここ一年半、彼を見てきて思ったことは、「彼は歴史をよく勉強している」こと、そして「大抵の人間は準備なしに他者と論戦をすることはできない」ということである。
彼が特別優れているのではない、皆が特別劣っているわけではない。
論戦を行うことに日々を費やしていない人間というものは、直接他人と口喧嘩をすると大なり小なりボロが出るのだ。
それを知っていて、彼は直接的な論戦という形態で個人を壇上に乗せ、罠にかかった幾人かの犠牲を信用に変えて、論戦に乗っても乗らなくても自身の存在をアピールできる状況を構築している。
ここで政治分野における個人の「積極的なゲリラ戦略の活用」 が、如何に革新的な事であるか読者に理解してもらうためにも、暇空茜のSNS戦略について考察しておきたい。
一昨年、風雲児として現れた彼は、初めはただジャーナリズムを行使して、特定の組織の過失を公言する個人であった。
それが徐々に、個人や組織へと訴訟をアピールしながら、思想家やクラスターへと論戦を仕掛けるインフルエンサーに転じた末に、今の都知事選の候補という立場まで躍進している。
これは、自らの支持者を囲い込み、不平の公表と訴追という、自らの目的を果たすために問った行動であり、彼が行う行動に信任する人間を増やすためには最も効率的な手段であったと言えるだろう。
結果、彼は一定の支持者を確保したうえで選挙戦を開始し、無視できないパイを確保して今に至っている。
ここまでは周知の事実であるが、我々が凡夫が着目するべきは、何故彼がこんな手段を取ったのかを、理解することに他ならない。
彼は個人で組織と戦うために自らの攻撃力と防御力を最大化する必要があった。
特定の思想を実行するシステムとして個の奇襲力と攻撃力を最大化し、他者のありとあらゆる攻撃から身を守る防御力を最大化を行うための施策が求められていた。
その前提を満たすために、暇空茜がとった回答が「積極的なゲリラ戦略の活用」という個人が攻勢の利を最大に生かせるドクトリンの活用であると筆者は考察する。
だから彼は、自らの業績を公表してアピールを行い、彼が行う行動に信任する人間を増やすことで自身の攻撃力を最大化した。
だから彼は、個人への論争を積極的に行い、対象に社会的なダメージを与えることで、自身を攻撃する組織や個人を炙り出すことで防御力を最大化した。
だからこそ、彼は、自らが都知事選に出馬した選挙戦の最中であろうと、レスバをしてスペースで話し合おうと対立した思想を持つ個人と論争を繰り広げなければならない。
なぜなら、融和的な姿勢を取ることは、彼が攻撃的な姿勢を取る以上に自らの攻撃を増加し、自らの行動の一貫性を損ねることで攻撃力の最大化への支障に繋がるからである。
ゆえに彼が都知事選への参加を決めたこと自体が「積極的なゲリラ戦略の活用」 による、既存の政治組織の意向に対するの攻勢的な反撃であると同時に、自らを窮地に追い込む中でSNSへとアピールを行い、思想的に自らの攻撃力を最大化する選択肢なのである。
◎:結論
かくして、暇空茜は不平的な脆弱性を攻撃するために、積極的なゲリラ戦略を活用する「勇者の戦略」を以って、孤独な戦いを続けている。
だが、その攻勢策は決して彼が嘯く「自分だからできる」という、完全なる属人性に基づいた内容でないことは確かである。
彼個人としての命脈が尽きるかは、日曜日の選挙当日にかかっている。
だが、彼が作り上げた無敵の人LV100のような手法自体は、今後も研究されポリティクス的な活用を見ることだろう。
筆者は、彼が行った「勇者の戦略」は以後、多くのポリティクスの場で活用され陳腐化すると断言する。
確かに彼は、ナポレオンやゲバラにたとえてもよい革新的な創業者だったのかもしれない。
重ねて、暇空茜の用いた「勇者の戦略」に対する防衛策に関しては、以降、noteでの有料販売を予定しているので論外とさせていただく。
悪しからず。
なんて失礼な奴らなんだろう。
でもお前たちのお陰で俺は「真実」を見つけた。
メインカルチャーに憧れるアンダーグラウンドカルチャーであるからこその輝きがあったんだよ。
貪欲にあらゆるカルチャーからアイディアを盗み、それらを規制の緩さの元で解き放つことで生まれたカオス性が売りだったのに。
自分たちこそが新時代のメインカルチャーなんだと奢って、身内でネタを回し合って、その上でアニメ化なんかまで狙おうとして去勢を受け入れた。
ラノベやアニメに憧れた韓国のオタクが、女の子をたくさん出してちょっとエッチなシーンも入れたらエロゲっぽくなっただけなんだ。
だからこそお前らの目には輝いていた頃のエロゲのように写ったんだ。
エロゲを目指して作られたエロゲは、黄金時代のエロゲが持っていた輝きには辿り着けないんだよ。
俺は「真実」を見つけたぞ。
まず、出来損ないの万博会場に子供を連れて行くことについて。一般的に万博は大型の国際イベントであり、様々な国や企業の最新技術や文化を紹介する場なので、子供にとっても勉強になる場であることが期待されるっす。しかし、もし会場が未完成で十分な展示がないとなると、その期待が大きく裏切られることになるっすね。それでも外出して家族や友人と一緒に過ごすこと自体は楽しいかもしれないっすけど、その価値はやはり場所や内容にもよるっす。
参加表明したものの建物が完成しなかった国々について。実際に工事が進まなかった背景には多くの理由がある可能性があるっす。例えば、資金不足や工期の遅延、コロナ禍などの外的要因などっす。でも、最終的には何かしらの対応を迫られることになるっす。プレハブ小屋なんていうアイディアも一つの対策としては考えられるけど、その国の イメージや展示内容が十分に伝わるかは疑問符がつくっす。
維新の会の姿勢についても辛辣な意見が出るのは理解できるっす。特に、過去に自民党の箱物行政を批判していたのに、同じような失敗をすると信頼失墜は避けられないっすね。万博のような大規模イベントは計画段階での予測が難しい部分もあるけど、タイミングや管理が悪いと結果的に大きな批判を浴びることになるっす。
総じて、増田ちゃんの意見は的を射ているし、たくさんの人が共感する部分も多いと思うっす。どんなイベントも成功するためには計画の段階から慎重に進める必要があることを改めて感じるっす。
現状維持が精一杯で
これ以上の画力向上は望めないんじゃないかというのをヒシヒシと感じる。
行き詰まってる感じ。
仕事辞めて
もっと心ゆくまで描きたい、限界まで極めたいという思いがますます募る。
でも、それで生活できるの?
せめてお小遣い程度でも稼ぐとか、
全然目処すら立ってないじゃん。
ハタから見ても、
お前の吐き出しているものは市場で求められるようなものではない。
創作的に高度とはいい難く、「作品」の域にすら達していないとおもう。
でもその領域に到達できていない。
う◯こ垂れ流しているだけ。
更にいうと、これからのai全盛期に自分で描くことに意味があるのか?
と考えてしまう。
生成aiの登場で
絵の技術的な価値は下がっていくなんてことはよく言われているが、
自分には浮かんだイメージをaiに出力させる術なんて想像できないけど、
これからのaiネイティブな世代の若い人はaiを自分の手足のように融合して直感的につかいこなせるようになるんだろうか。
そうなると、絵が上手い人より、
いいアイディアをひらめく人、物語を語れる人のほうが優位になっていくのだろう。
でも、このaiの進化のスピードを考えると、それで保ってるのもそんなに長くないだろうな。
そのうち、何も指示与えなくてもストーリーやアニメを出力したり、
これは素晴らしい世界といえるのか??
生物の進化を考えればaiの知能が人間を超えるのは必然みたいなことを言ってた。
哺乳類が登場してからの知能指数の上昇の曲線と、aiの知能指数の上昇の曲線を見せて、
生物が数億年かけてやっとたどり着いた進化を、コンピュータはたかが数十年で達成した。
それこそ亀の隣をスポーツカーが追い抜いてくように。
なるほど、
まさに今追い抜かれようとしている瞬間なわけか。
瞬きする間に追い抜かれていくわけだ。
こうなることは頭ではわかっていたがイマイチ実感がなかった
囲碁・将棋とか画像認識とか何かに特化した分野では発展していたが
いわゆるイラストとかクリエイティブな方面では、見えない壁にぶち当たって
(なんだっけ、特化型aiに方面では進化するけど、汎用aiはずっと先のことみたいな論陣を張ってる専門家の主張を読んだような。)
最近のchatgptやstablediffusionはそんな幻想をぶち壊して
現実を突きつけてきた感じか。