はてなキーワード: 自明とは
エビデンスなんて何も無くても「本物の銃を規制すれば銃乱射事件は減る」のは自明です。
「暴力ゲームを規制するな」と言っているのではなく、「暴力ゲームを規制する前に、まずは本物の銃を規制するところから始めるのが筋」と言ってるんですよ。
「仮に安全でなかったら」って話をしてるのに、現在の科学では安全であることは自明、って返すのどうなんだろう
元増田が疑問に思ってるのは、「仮に安全でなかった場合、そのことを捕捉するプロセスを我々は備えているのか」ってことでしょ?
つまり、何らかの健康被害が群発したとき、それをキャッチする科学的・社会的な手段を備えていますか、ってことでしょ?
「備えてますよ」って返せばいいだけじゃない?
「仮に安全でなかったら」って話をしているんだから、その異世界がどういうものか想像した上で「その場合、こういう対応が行われますよ」って返答した方がいいと思うよ
黄金律(おうごんりつ、Golden Rule)は、多くの宗教、道徳や哲学で見出される「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容の倫理学的言明である。
また、黄金律の派生として、白銀律(Silver Rule。「自分がされたくないことを人にしてはいけない」)や白金律(Platinum Rule。「人があなたからしてもらいたいと思っていることを人にしなさい」。気配り、気遣い)といったものがある。
黄金律以外の派生系の方は、マゾヒストや自爆犯、人による感覚の違いなどを想定して、黄金律が行き詰まる場合の先手を打って考えられたものである。
人間はAIと違って曖昧な対象でも扱えるので、黄金律が言いたいことは分かるけど、同時に黄金律が使えない理由も自明。
上記の内容が具体的に何か?という完全な定義をしてないから使えない考え方になっている。
同値性=何が同じか?何が違うか?という記述を、個々の事例を列挙してやる方法は、要素が無限に存在できる場合、そのままでは扱えない。
集合論や圏論の考え方を援用することで、形式上は無限の対象も扱えるようになる。
何が好きで何が嫌いか?=自分が欲するものと欲しないものの基準は人によって違う。全く同じ人は存在していない。(もし存在するなら個体差が全くない状態の人間=全てが同じコピー人間を連れてくる必要があるが、DNA発現の仕組み上同じ人間は作れない)
「好き/嫌い」は、フロイトの快楽原則、現実原則を言い換えたものと見る場合、ここで圏論を使えば、無限に存在する要素に対して、同値性を考察できるようになる。
google:ソーカル事件 から得られる教訓は、曖昧な定義では、正しい理路の展開はできないってこと。
哲学や宗教、心理学などで使われている曖昧な言葉は、数学の言葉(論理学や圏論など)で書き換える必要があるね。
この黄金律の定義と同様に、曖昧なお気持ち表現で書かれた文章がこれ。
https://anond.hatelabo.jp/20230913083845
これらは、知的な困難のある子どもを育てる意識の高い親が意識していることだ。
人から好かれる子どもは、自分の意見や気持ちを伝えやすくなり、自分で決める力が育まれやすくなるし、人と仲良く過ごせることで、ストレスが減り、心穏やかに過ごせる。
そのため、意識の高い親は子どもの性格よりも、人から好かれるスキルを重視して教える。
これは、知的な困難のある子どもの可能性と自由を広げるためのサポートになっている。
じゃあ、高学歴や高収入だったり、少なくとも特別な支援を必要としていなくて行動に制限を受けていない自分たちの場合はどうだろう?
とりあえず、『礼儀正しさ』について考えてみよう。どう考えても、礼儀正しさに対するプレッシャーはそれほど高くはないよね?
嫌われても生活に大きな支障がない幸運な状況にいるから、多くの人は無礼な態度を取りがちだ。
常に礼儀正しく振る舞うことができない人は、人から好かれることをさほど重要視していない可能性が非常に高いと思うので、
本当に自分が人に嫌われないことを気にしているのか、もう一度考えてみる必要があると思うよ。
(もちろん、『礼儀正しさ』は社会的なつながりや共感を築くのに役立つ重要な要素だし、他人に敬意を払うことは社会の一員として不可欠なことではある。
自分が多くの人と共に生きていることを忘れないようにしたいね)
次に、誠実さと素直さについて考えてみよう。世の中の多くの人は、誠実で素直な人には悪感情を持たない。好感を持つまでには至らなくても、誠実で素直な人に対しては親切だ。
そのため、ポンコツで礼儀正しさが足りなくても、誠実で素直なだけで、だいぶ生きやすくなる。
誠実さは、思いやりを持ったり、嘘をつかなかったり、約束を守ったりすることで示せる。
一方、素直な態度を取るのは、人に親切にされ、親切にした経験が必要なので、めちゃくちゃ難しい。明日から『はい、素直になります』と簡単にはいかない。
人に対する信頼度が低かったり、ストレスなどで心の健康状態が悪いと、素直な態度にはなりにくい。
また攻撃されそうだと感じたり、自分を守ろうとして攻撃的になったりするかも知れない。
環境が大事だけど、どうしたら安全な場所へ確実に行けるかは誰にもわからない。
理想的には、生まれ育った実家が安全であることが望ましいが、現実はそうでない人も多い。
とりあえず、安全な場所がわからずとも、ストレスフルな環境や、礼儀正しい人が少ない人が環境からは、離れた方が良さそう。
ただ、どんな環境でも意地悪な人しかいないということはないので、今すぐ素直になれないなら、素直な演技をするだけでも状況は変わるかも知れない。
素直な演技だけではなく、誠実、礼儀正しさもセットだとなお良いけど、まぁフツーに疲れると思うよ。
同じ事を書くけど、本当に自分が人に嫌われないことを重視しているのか、もう一度考えてみる必要があると思うよ。
ちなみに、素直な人は、自分自身を受け入れることができる人ということになっていて、自分自身を受け入れることができる人は、他人を受け入れる人ということに、一般的にはなっている。
したがって、素直な態度になれない場合、人間関係を築く上で難しさが増す可能性が高まる。
素直の課題をクリアすることは、処世術や人間関係の基盤を築く上で非常に重要・・・・・・ではあるけど、ご存知の通り、素直じゃない人は世の中にいっぱいいてフツーに生きている。
「礼儀正しく」
「誠実」
「素直」
これらの言葉の内容を厳密に(一意に)定義しないと、黄金律と同じ過ちに陥る。(単なるお気持ち表現)
これだと日めくりカレンダーに書いてある処世訓程度の内容でしかない。
増田にいる連中の知性がどの程度のものなのか?を知る上では参考になるが、自分が期待していたレベルと比べるとやや下という印象だった。
心理学やカウンセリングなどの知識がありそうなので本職がいるのか?とも思ったけど、論文のURLとか論拠を補完するようなエビデンスの提示(アカデミアの習性)がなかったので残念。それが欲しい情報だったので。
煽りは「暖簾に腕押しタイプ」の相手を土俵に引きずり出すための手法であり、マクドナルド理論の実践と。
無料で引き出せる内容は、まあこれぐらいというわけですね。コンサルタントや専門家に相談したければ有料=金を出せという話。
この程度の知性で客から金が取れるなら、バカを相手にする商売は楽だね?(日本限定?)
まあ俺もそうなんだけど…😇
何かおかしいか?子供一人月30万支給にすれば、子供が増えるのは自明。すなわち子持ち優遇を進めていけばどこかの段階で子供は増える。増えないのは優遇が足りないせいに過ぎない。
ジャニーからジュリーに変わって叩きやすくなったのは女とか関係ない。
単にジャニーが持ってたコネクションやジャニーに痛みを握られてた人たちが死んで解放されただけ。
やっと柵なく叩いたり仕事を減らしたり出来るようになったのに、以前と同じように大きな顔してるから困ってた。
事が表に出しやすくなったから、この流れが出来ただけだよ。この点についてはジュリーが息子だったとしても変わらない。
ジュリーが姪だったせいで、聴かせられない事とかはあったかもしれない。
じゃあジャニーに痛みを握られてた人たちはどんな人たちであったか?なぜメディアを動かせたのか?という事を考えると、どのレイヤーの人達か自明でしょ。
マクロ的視点で見ると、君が普遍的だと思っている全ての物は石油で採掘され石油で運搬され石油で精製され石油で製造され石油で販売され石油で手元に届き、エネルギーを必要とするなら石油で動いている。
食料や水、電気、家、服、ベッド、食器、家電、スマホ、一つの例外もない。
エネルギーが3倍の価格になれば、これらは全て値段が上がる。そもそ全員を生かす分だけ届かないかもしれない。そして、石油を普通に使える諸外国に対して競争不利となり、日本全体が貧しくなる。そうすると日本円が暴落し3倍の価格にして集めた税金も無価値になる。
結果、何も生まずに生活は貧しくなっただけで終わる。
延岡市民がクズというのは定理で証明は自明ですが花火大会というのは1年の一日の3時間だけ出てくればいいイベントなので延岡人がそれ以外の時間に違うところでやっている
仕事が阻害されないのでその範囲内でやるわけづすが、特段これといってこのイベントの説明はないし非常にバカというか紋切型のイベントなのでないよりはマシだけどそこに何が出ているのか
ということを説明するのは困難だし、私は6歳だかに利幸が生きていた頃に利幸の知り合いの家からみたが全然興味がなかったという経験しかないものですからそれ以来わざわざ花火大会
というものを見たことはない。地方創生や延岡市役所に切られた人がいるというさなかに人が出るわけだすが、首謀者がそんなものがあるのかというか観光協会主催で開催される中で警察のゴミの
井本あきらが延岡署で寝ているときに、弱そうな警備員や花火師が中心になって開催するのでその際に出てくる人もこうなんか日常的に見たことがないような弱者なんだけど多分ただの
バカだと思いますね。凄いよわそうでバカで普段どこに住んでるのか分からないようなのも出てくるのでけっこうなおんなこどもみたいなのがいぶりだされてくるというか、ちゃんとお前いるじゃねえかってのが
善悪と好き嫌いの区別が出来てない!って言う人がいるけど、どっちも快不快の問題じゃないのって思う。
人を殺しちゃだめ。
なんで?
で?
だから人を殺しちゃいけない。
で?それは理屈になってないよね。そうなるには大前提として幸せにならなければならないだとか個人主義だとかいった考えを必要とするけど、それは自明の道理じゃない。なら人を殺しちゃいけないという所にも一元的には繋がらない。
まあでも大抵の人は幸せになりたいだろうから、多くの人が共感するかもしれない。実際人権思想というものがあるくらいだし。でもそれは理屈じゃなく快不快の問題であって、それに共感するかどうかの多数決ですよね。
人間という言葉で括れてしまうくらいだし、9割9分くらいは同じ構造の生き物なんだろうと思う。だから大多数が共感出来る事だってあるんじゃないかと思う。
まあ合意とか言うけれど実際は産まれた瞬間に「この国ではこういう考えがあるのですが、同意頂けますか?」「なるほど、納得しました」なんて言って誓約書にサインする訳ではないし、人権は大切ですと教育を受けている訳だし。プリミティブな感じ方だけで決まっているかと言ったらそんな事もなくて、積み上げられてきた世の中の構造とかも多分に関わっているのだろうけど。
一方で全員が全員同じものを食べて同じものを着て同じ生き方をしている訳じゃなくて、その差異は個性と呼ばれて尊重されるものだと思うし、それが故にぱっくり考えが割れる事だってあると思う。
好き放題殺し合える世の中が良いという人はあまりいないかもしれないけれど、資産が再分配される世の中が良いかどうかは考えが割れる。実際割れてると思う。
善悪というのはその大部分の共感と個人の差違の境界を見定める事なんではないかと思う。
いくら理屈を並べて正当性を主張した所で、少なくとも一個人レベルでは「人を無差別に殺したいです」と言ったらけんもほろろに突っぱねられるのがオチだろうと思う。
社会の取り決めは善意や共感頼りではいけない。理屈だったルールこそが必要だ。
なんていう事を言う人もいるけれど、その理屈だったルールを定めるのに共感抜きでは一生話が進まないと思う。規範というのは、リンゴは上から下へと落ちるみたいな個人の感性を挟む余地のない自然法則の話とは違うから。
別にそれでええやんと思うのだけど、頑なに「いや道徳や善悪とは論理的理性的なもので〜」って言う人がいるから不思議に思う。
自分の快不快と世の中の多数決を混同していて、「自分がこう思うのだから世間一般もそう考えているに違いない」みたいな事を言う人を指してそういう区別がついてないと言うのならまあ分かるのだけど。