はてなキーワード: アニメオタクとは
漫画アニメオタクでしかないから人と関わる時の引き出しがオタク会話しかない
薄らとオタクを恥じらう気持ちがあって、オタク会話しかできないならいっそオタクであることを恥じない、オタクだけど悪いか?というスタンスで生きようとしたが無理だった それができるほどメンタル強者じゃなかった
俺のTwitterのホームに流れてくるツイート群には、どんな恥ずかしい人格や性癖でも肯定して、それをお互いに受け入れようとする風潮があるように感じている それを曲解して自分を出してもいい、出した上で認めない奴は非難されて然るべきと思い込んだ
自分を肯定するのは悪いことじゃないけど、それを周りに押し付けるのは違うという前提まで汲み取ることが俺にはできなかった
オタクを肯定できないのは視野が狭い!器が小さい!というのはあくまで肯定する側のスタンスであって、肯定される側がそれをやると盲目なオタク肯定の化け物になってしまい、ヤバいオタクほど偉いみたいな価値観になる 必ずしも悪いことじゃないが普通に生きる分にはその価値観だと大分生きづらい
自分のオタクを受け入れない奴は全員敵!みたいな極端な考え方だとあまりに敵が増えすぎる 身内で励まし合うだけならそれでいいし、表に出さず上手く時と場合を選べるならそれでいい
俺はやらかした オタクを所構わず全開にして自分の意見を押し付けた結果誰も幸せにならなかったと思う
俺の中にオタクしかなかったから、オタクの価値観を絶対肯定しないといけないし受け入れない奴は敵という間違った考えを持ってしまった
以下引用
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SF好きはこういうところがよくないと思いながら読んだが、書かれている内容を見る限り、この増田もあんまりSF詳しそうじゃないよね。実はそんなに読んでなさそう。単なるアニオタかエロゲオタ崩れっぽい。
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引用終わり
エロゲオタクやアニメオタクはSFオタクより格下だから臭い口を閉じてくださいですってーーーーー????
マジーーーーー????
自分らが散々「SFは子供っぽいよね。たいむまちん!ぱらどっくす!ろぼっと!うちーじん!だってさ(笑)ばーか。ちゃんと純文学読まないから頭がガキのママなんだよ」って言われて弄られてきたことに傷ついたアピールしてたくせにいざそこそこ古参になったら同じことするんだ?
そういう所が一番ダメな所だよ。
「俺らこういうところマジヤバイよなー」で身内キャッキャッしてる場合じゃなくてちゃんと自分を省みて。
お前らのせいで衰退するのよ。
他のコンテンツから流入した人をニワカとバカにしたり、他に行ったのを裏切り者扱いしたり、身内のパクリに甘く外のパクリに厳しかったり、他のコンテンツを見下したり、そういうのいい加減やめんさい。
こいつはマジで死んだ方が良いよ。
…というのが大前提ね。
こういう事件で弁護士が批判されるのはやむを得ないものだと思う。
ひとたび受任すれば弁護士は被告人の最後の味方として法廷に立つ義務がある。
その極悪非道な被告人の味方をせざるを得ないんだから叩かれるのも仕事のうちだと思う。
弁護士のこうした必死な活動をすることで、裁判官は何が真実かをしっかり考える必要が出てくるわけで。
10人の真犯人を逃すとも人の無辜を罰するなかれという大原則を守るために弁護士は身を粉にして働いてるってわけ。
世間の人がひとつ勘違いをしてるのは弁護士は被告人の主張を変えることは出来ないということ。
弁護士がやるのは被告人が言ってる事を裁判官裁判員に伝わりやすくして法律の言語に置き換える事ぐらいなのよ。
よく嘘をつかせるとか主張を変えさせるとか思われてるけど、嘘を貫くことってめちゃくちゃ難しい。
それも、弁護士が思いついた嘘を被告人に矛盾なく話させるってどう考えても無理でしょ。
あくまで出来るギリギリのラインが被告人に不利な事を話させないことぐらいかな。
だから京アニの件で弁護士が色々言ってるけど、全て被告人が言ってることを分かりやすく伝えることぐらいだと思う。
あと国選みたいだから弁護士が受け取るお金なんて微々たるもので、マジでこれを受けた先生は偉いよ。
事務所に嫌がらせの電話がかかってきてそれどころじゃないだろうし。
こういう事件は、大ベテランじゃないと精神的に潰れてしまうから結果的にある程度実績がある人に配転されるわけだけど。
マスコミは弁護士のことも色々騒ぎ立ててるけど、大体死刑囚の弁護したらどんな利益があるのか教えて欲しい。
初めてここに文章を残してみる。
改行がどうだとか、段落の後は1マス空けるとか、そういう文章上のルールは一旦無視する。
俺はもう30になる。
人並みの一軒家を購入した。
クセのない、みんなが頭の中で思い描くような。
仕事についてもなんだかんだで
しかし、俺は満たされているのかと問われれば
素直にYESと言えなかった。
少し生い立ちを振り返る。
自分で言うのも憚られるが、
俺はきっと優秀な子だったはずだ。
進学して部活を始めた。
バレーボール部に入部した。
バレー部に入ったのは、
やることになったからだ。
サッカー部には入らない子が多かった。
籍がクラブチームにある子は
全国ベスト8まで行ったし
それと同時に、片手間のバレー部では
ジュニアオリンピックの県選抜に選ばれた。
それは当然驕りであり、
でも、そんなことが15歳の中学3年生に
出来るわけがなかった。
スカウトが来ていた。
当時は漠然と思っていた。
そうはならなかった。
怪我でも何でもなく、
チームとしてではなく、個人として。
アニメオタクとして3年間を過ごした。
器用貧乏だった。
器用貧乏というには、少し器用すぎた。
まともにできないレベルだったら?
もっと早くに諦めがついて、新しい道を探せていたんじゃないのか。
先にも述べた通り、俺は今それなりの生活を送っている。
それでも、後悔や過去への想いが絶えない。
ここまで読んでくれた人たちが言いたいことはわかる。
きっと俺は何者にもなれない凡人だ。
何回繰り返してもそれは同じなんだ。
俺と同じような思いをしてる人もいるだろう。
これから俺と同じような思いをする人もいるだろう。
それは、「お前たちは凡人だ。早めに見切りをつけて、優れた凡人になれ。」ということじゃない。
お前たちが仮に凡人だったとしても、
やれるところまで突き詰めて、
本気で何者かを目指してくれ。
そうじゃないと過去に思いを馳せるだけの凡人になる。
何者にもなれない。
ということだ。
俺は幸せな凡人を目指していく。
日本だと最近は髪をピンクとかオレンジとかカラフルにしてる若い女性が結構いるが、アメリカでは派手なカラーにしてる人は少ない。多様性に髪色は含まれないからだ
美容師のカラーの技術が微妙(アメリカの美容師は不人気職だし技術力もない)なのもあるんだけど、そもそも髪色への偏見が強すぎるから、色を入れること自体がリスキーなのだ
色でパブリックイメージがついているというか、日本の金髪は不良だ!っていうのは金髪に染めるって行為への印象だけど、生まれつきだろうと特定の髪の色自体への抵抗感とかがアメリカ人には結構あって、髪が赤いだけでガリ勉とかブスとか言われたりする
肌の色の違いばかり取り上げられる中で、人種が同じでも目の色とか髪の色での差別もこの国には多い
実は地毛はかなり焦茶や黒髪の人が多いんだけど、圧倒的に白人男性に人気なのはブロンドだから女子はみんな髪をセルフブリーチしたがる
白人系の女性がテンプレのアメリカ人の美しさを目指して垢抜けるにはブリーチが必須みたいなところがあるのだ
暮らしてみるとわかるけど、アメリカの白人系の若い子はとにかくいつの時代も無茶なダイエットと豊胸とヘアブリーチで金髪ボンキュボンのテンプレ美女を目指していて、多様性とは正反対にいたりする。結局それが一番アメリカでモテるっていうのが現実なんだと思う
ちなみに男は髪を染めるとゲイ扱いされる
そんな中で派手髪にするのはモテに興味がなく、アニメな音楽に影響を受けた子が多いので、青とか緑の髪色はアニメオタクかロック好きだと思われてる
ピンクとか可愛い系の色だと、アーティストセレブに憧れてるのかよウケるー!みたいな扱い
あと前髪は幼さの象徴だし、ショートカットも若い人だとほぼいない。
これも前髪とかショートカットを綺麗に作れる美容師が少ないとか、アメリカ人はショートカットを維持できる回数美容院に行かないとか色々あるんだけど、結局はモテない
最近はパリ風の髪型として前髪ありのショートカットがオシャレみたいになっててセレブなんかはショートも増えてるが、セレブのオシャレと庶民のモテは違うのだ
アメリカ人がブロンド白人女性のことをずっとバカだと揶揄ってたり、ボディポジティブ!ってデブへの許容を広めようとしてても、結局モテの基準はたぶん100年単位で変わってない
田舎から都会まで住んできたけど、都会でも田舎でも髪色事情は意外と違いがないので、時代も場所も問わずにずっと同じ価値観が根付いてるの面白いなと思ったって話
子役の子が現場で分数のプリントやってて、わかんないと言うのでやれやれ姉ちゃんが教えちゃるわいと覗くと、ひとつも意味がわからなくて、本当にひとつも意味がわからなかったので「意味わからんからやらんでええ」とプリント奪ってシャボン玉した
https://twitter.com/hiccorohee0016/status/1692015251007701085
おーほほえましい話だなーって思ったらアニメオタクがブチ切れてて引いた
「奪った」って泣き叫ぶ子どもの手から無理やり掴んで引っ張ってぐしゃぐしゃにして自分の鞄の中にしまいこんだとでも思ってるの?
なんというか「奪った」と書いてあるんだから絶対に「奪った」としか言いようのない不快な動作をしたに違いない!と思い込んで文字表現に固執するのっていかにもオタク的だよなあ
オタクというか発達障害やアスペルガーの特性なのかもしれないけど
ドラマかバラエティか知らないけど子どもがテレビの仕事してて、台本も覚えなきゃいけないのに学校の宿題まで楽屋やロケバスでやってるとか
そんな子がいたら何か助けになってやりたいっていうのが大人としての人情だろ
勉強を教えてあげるのは自分には無理そうだから変に見栄張っておかしな解法を吹き込むより息抜きさせてやろうっていうことのなにがおかしいんだ
子どもを芸能界に出すような親なら「良い経験をさせてあげてありがとうございます、きっと芸の肥やしになります」「あの子には忙しくさせてしまっているので休息を与えてくれてありがとうございます」くらい言って感謝するんじゃないの?
もし自分の子だったら絶対に嫌!!ってさあ、お前の子は子役じゃないんだから関係ないだろ
なに?自分ちに昼夜を問わず知らん女が入ってきて勉強を日常的に妨害してるみたいな意味分からんシチュエーションでも想像してるの?
仮にこれが一般家庭で起きた出来事だったとしても、自分が子どもを見ていない間に親戚のおばちゃんがしゃぼん玉遊びに誘ってやったとかいいだろそのくらい
夏休みだぞ?8月31日にサボりのツケを払ってる時ならともかく8月半ばじゃん、相手の人格を否定するような言葉でブチ切れるようなことでもないだろ
自分だったら!自分だったら!ってお前はお前のやりたいようにやればいいだろ
他人の子どもは助けない、自分の子どもには息抜き一切させない、娯楽を奪って缶詰にさせる、お前はどうぞ好きなだけ完璧で隙のない人生を歩めばいい
先日の、韓流アーティストへのセクハラ事件、X(Twitter)でもずいぶん話題になっていますね。
しかし、その話題の広まり方が、明らかにずいぶん不自然なことに気付いた人も多いと思います。
というのも、話題性の大きな事件が起きると、普通事件を起こした人が属する界隈への攻撃が始まるんですよね。
アニメオタクが事件を起こせばアニメオタクに、腐女子なら腐女子に、撮り鉄が起こせば撮り鉄に、非難が集中するんですよ。
Twitterを長く使ってればよく分かる流れですね。
だから今回の事件も、韓流アーティストがフェスで被害に遭ったわけなので、韓流ファンとかフェス民とかが色々言われるんだろうなーと思うわけです。
しかし実際には、なぜか事件直後から、日本人男性全体への攻撃が始まっていました。
この流れはかなり不自然です。外国人が事件を起こすとその国の人に非難が集中することはありますが、日本人が日本人そのものを非難の対象とすることは普通ありません。
そもそも韓流アーティストのフェスで最前列にいた人を、何の根拠もなく日本人男性だと言ってる人が、大量に現れている地点で奇妙です。(ちなみに事件からしばらくの間「日本のオス」がトレンドに入っていたくらいです)
攻撃の中身も日本人に向けられた差別用語満載で、日本人が書いてるにしてはかなり敵意が強め。
なんかあらかじめ作られた流れなのか?と思えるほどです。
以前から、Xでの日本人男性に向けられているヘイトは不自然なほど敵意が強いものが多いと感じていたのですが、もしかすると、見えている書き込みとその実態は、だいぶ違うのかもしれないですね。
オタクに批判的で露骨に忌避してんのはいわゆる高齢アニメオタクとかではなくて
40~50代の90年代にサブカル的なもの消費したり関わってきた人たちだと思うんだがなぁ
表現規制と騒ぐ(旧来の)オタクは世間の目なんて知らないって態度を取りつつ、実際は自分たちが少数派になることを極端に恐れてるんだよな。だから自分たちは(今や意味が変質している)オタクというものすごく大きな枠組みの一員だと主張するし、自分たちを表現の自由戦士っていうマイノリティのカテゴリに入れられるのは嫌がる(まあ蔑称でもあるから当然だが)し、その一方で相手のことは表現規制オタクと定義することであいつらは少数派だと主張する。TPOや男女平等に配慮しつつ、お互いの価値観を認め合う今時のゲームアニメオタクの子たちを巻き込まないためにはまず言葉の定義から見直さないといけないんだけど、どっちサイドも今の市民権を得た「オタク」呼称を捨てたくないだろうから若者側がオタクに変わる自己呼称を生み出すまで待つしかないのかもしれないね
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
切除以外は結構昔から居たろうと思うのだが、切除してる個体は居なかったのでは。
たぶん使い途の無いそれを無くしたら下心を誤魔化して免罪減罪擁護が得られるっていうライフハックができて、自分もトランス!って便乗する馬鹿野郎のHENNTAIが後に続いているよな。
性欲由来の欲望を、他人を巻き込んで満たす犯罪的行為を誤魔化す助けになるなら身体の改造も辞さない執念が怖い。
アニメオタク?なのか?
アニメオタクへの偏見助長だしトランス女性への偏見とそのバリエーションを増やしている。
女性に性犯罪するトランス女性というのは、犯罪行為をする為にトランス女性と自称する馬鹿野郎が少なく見積もったって半分はいるんじゃないか?
アニメオタクなら、アメリカ人がアニメの女性の胸の大きさに文句言ってるイメージあると思うんだけど
それは実際そうで、なんでってアメリカではお尻ってわりと許容されてるんだよね
twerkなんていうあからさまに性を前面に出した踊りまであったりしてさ、それがSNSで容認されてシェアされたりする
それが良いとか悪いとか言いたいわけじゃなくてさ
アメリカ人がアメリカ人の都合と価値観で、あれは良いこれは悪いって決めて基準を決めて押し付けてるって話
それが日本は表現規制で遅れてますねって話になって、SNSでレスバトルが始まる
つねに向こうが決めてるんだから、つねに日本が間違ってるって話になる
ゴルフの頂点と言えばアメリカのPGAツアーだけど、これが脅かされるんじゃないかって動きがあって
オイルマネーをつかってPGA以上のギャラを払って世界中から一流のゴルフ選手を集めて、
アメリカからスポーツウォッシュだってバッシング受けてたんだよね
ソフトパワーで問題を覆い隠して国をいいように見せるって、アメリカがやってることじゃねーかって思いながら成り行きを見てたら
なんとPGAとLIVが事業統合するとかいう話になってまじで笑ってしまったんだよねw
スポーツウォッシングとか言ってたのは何だったの?結局、世界トップを守るための言い訳?
まさにアメリカ人って感じだよね
60-70年代ウーマンリブ、女性の権利獲得運動に黒人は想定されてなかったみたいな話でさ
バービーの映画って白人女性のエンパワーメント映画だからなおさらそう思うよね
近年のハリウッドの多様性、LGBTQなんてものは同性愛者とかになるとクィアベイティングって言われるように、それがビジネスに都合がいいからやってるだけ
最近のアジア推しも、アメリカにアジア人が多くなったからアジアで金稼ごうってだけで大した意味はない
だからビジネスで有利なら、原爆とバービーの組み合わせなんかもやるし、中国への媚びもやる
原爆だからっていうより、アメリカのこういう自分たちの価値観だけで物事によしあし決めてることに対する不満があるよなって思った