はてなキーワード: 実像とは
先日、
オッペンハイマーという話題の映画が日本に帰る機内の新作映画にラインナップされていたので早速みてみた。
日本で賛否両論が起こりうるということで、昨年、日本での公開が見送られていた映画だ。
もっとも来週あたりようやく公開されるようだけど。
当初、配給会社が忖度して日本人向けには見せてくれなかった、となると、一体どんだけ鬼畜な内容なのか?などと、
妄想が先行していた分だけ、みた印象としては、拍子抜けとなった。
オッペンハイマー個人のパーソナリティを軸に、冷戦など彼をとりまく社会が興味深く描かれていた。
政府や社会が科学者一個人を利用し、偶像化してゆく構造的な背景をのぞかせるような映画だった。
ネタばれになるので、詳しくは書かないけど、水爆開発の反対と公職追放、このあたりの描写が映画としてはクライマックスだ。
ステレオタイプにオッペンハイマーをみれば、彼の道義心と公職追放がセットになって語られがちであるが、実際にはいろいろな経緯が絡まり合っていた。
原爆投下という途方もない人道的な問題に対して、誰かに代表させてそれらしい答えを出させようとする世間(みている観客も含めて)の空気が鏡のように反射してみえる映画だった。
この映画では終始、オッペンハイマーのパーソナリティを軸に展開していたので、その摩擦が却って浮彫にされた形だ。
そもそも歴史上の人物は、未来のことなどわかるはずないのだから、後世の人権感覚など何も知らないで生きている。
しかし、後世の進歩的な歴史観は、歴史上の人物の善意悪意をそれぞれ振り分けてして断罪・総括してしまう。ヒットラーを絶対悪にするみたいにね。
しかし、特定の個人の悪人面しかみたがらないような歴史観では、非人道的な行為の実像はみえるはずもない。
その点、本映画では、本人をよそに、後世の歴史観にとって都合の良いレッテルやらロールモデルが押し付けられてゆく、
という構造が見え隠れするという意味ではよい出来映えだったと思う。
しかし、結局のところ、一体何が日本で賛否両論を巻き起こしそうな映画なのか、分からなかった。
プロットが複雑なこともあって、一度見て全部を理解できるような映画でもない。
ただ、映画を見終わったあと、そういえばトルーマンがそれほど登場しなかったな、と自分の不満ともいえる感情がくすぶり、ふと、
でもそれって、ヒール役の邪悪なトルーマンをみてカタルシスを得たいだけだよな、と我にかえって気が付いた。
日本で賛否両論を巻き起こしそうだという忖度って、まさにこういうことだろうと思った。
忖度そのものが、原爆投下が非人道的でありその野蛮さが強調されるべきだとする歴史観に知らず知らずのうちに飲み込まれていることが想像できた。
原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーが主人公の映画なら、ぜひ彼に原爆開発を後悔させたい、苦悩させたい、とする心情、そういう懺悔がなければカタルシスが得られないとする心情ー
そういう道徳的な片鱗を少しでも見出したいとするのは、結局のところ未来がどこに向かっているか知る由もない歴史上の人物の顔を無理やり後世の人が考える正しい方向へ振り向かせようとする努力のようなものだ。映画のなかで彼に反省させてステレオタイプなオッペンハイマー像に満足したい、というのが日本で起こりうる「賛否両論」の実像だとすれば、それこそ、オッペンハイマーに何かの役割を担わせようとする自分を反省する意味でもこの映画をみるべきだ。
映画に描かれなかった広島や長崎を強調させたいとする空気があるとすれば、皮肉にも、それこそが本映画で見てとれる構図、
歴史上の人物を自分の持っている史観に都合のいいようにヒール役にしてみたり、ヒーローにしてみたりする空気の元凶だということを再認識した。
100分で名著 ジーン・シャープ「独裁体制から民主主義へ」録画しておいたものを観はじめた。メモ書き
初っ端から「アラブの春にも影響を与えた、あの…」と来た。アラブの春って大混乱の幕開けではないか。
この本はお花畑的なアレではなく独裁体制を非暴力的な政治闘争により打倒する実践的な戦略と戦術を教えてくれるものなのだという。カレン族の歴戦のゲリラがもっと早く知りたかったみたいなことを叫んだという。嘘くせえ&上から目線くせえ。
さて昨今プーチン体制とそのウクライナ侵攻を看ていてつくづく思ったのは
ということだ。
もともと吹き込まれていたのは(そして素朴に信じていたのは)、ことフットワークの軽さにおいてこちとらは権威主義体制にはかなわないんだよということである。あっちはどんな決断でも迅速に行えるのだからと。ぜんぜんそんなことはなかった。むしろ自ら選択肢を潰し、残された貧相な可能な手段を、くるくる変わる目的が追いかける間抜けさこそは権威主義体制の生理であるようなのだった。
そして独裁者の権威と権力には法の裏付けがないので民衆の歓心を買い続けるために不合理な決断・行動を余儀無くされるのが実像なのであった。
解説の学者に言わせると「独裁体制の権力の供給源は民衆であり、だからこそ民衆の非暴力闘争によって体制転覆できるというのがシャープ理論のキモ」なのだという。
前半はそのとおりだ。後半は、支配者より被支配者のほうが頭数は大なのだという当たり前のことを言ってるに過ぎない。「にもかかわらず」支配が成り立つのが人間社会の厄介なところではないか。
戦争にしろ独裁にしろ「みんな心底嫌なのに、なんで…」というのが我々の関心の核である。この本はそこにわずかでも答えるのだろうか?
そして体制転覆のための非暴力的な政治闘争の198の具体的手段というのが示される。まあ予想通りサボタージュのすすめとかで、ふつうだ。
おいちょっと待て。そもそも独裁体制を存続させているキーファクターはそれぞれ違うだろう。しかもそれは往々にして国の外にある。北朝鮮が存続しているのは北京がそれを望むからだ。北朝鮮民衆が勇敢にも非暴力闘争に乗り出そうが乗り出すまいが関係ないのである。
また現在のプーチン体制はひとえに核の脅しでもっている。それがなかったら一瞬で消し飛んでいるだろう。やはり外国との関係が決定的に重要な要素である。
一国内だけの非暴力政治闘争メソッドなんて、頭がお花畑と言われたくないお花畑サヨクのためのポルノでしかないではないか。
盛者必衰の世の中。独裁者の栄華は続かない。ただし滅びる原因は様々だ。数々の例の中から非暴力的な民衆の抵抗が奏功したように見える例をピックアップすればシャープ理論の実証になるというつもりか? そんなのはとんだ事後孔明というものだし、プラハの春や天安門みたいに戦車に一蹴された例はどう解釈するのか。
2夜分を観て、今んとこ全く得るものなし。
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id:donovantree 日本が存続しているのはアメリカがそれを望むからだ。日本の民衆が勇敢にも非暴力闘争に乗り出そうが乗り出すまいが関係ないのである。そんな日本で愛国保守を標榜するのは滑稽である
と思ったら「オレ釣られちゃった?」の馬鹿じゃん。お前ほんと気持ち悪いよな。馬鹿すぎて。
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id:soramimi_cake 後半も読んだが、増田の中でだけ神になった気分に浸る人っているよねーとしか。
同じ日本語使ってるのになんでこう皆目意味不明なこと言いだすのかね。俺のことかこれ?俺マスダノナカデダケカミニナタキブンニヒタテんの?なにがどうなってどのように?
ちょっと何が言いたいのかトラバなりで説明しろよ。自分の発言の意味を説明するのに何の不都合もないだろう。
でも絶対に自分の言葉に責任とらないんだよな、お前のようなものは。頬かむりか囃し立ててごまかすだけ。
本当、一回リアルで会ってみたい。こいつらみたいなネットでしか見ないレベルのゴミに。真っ直ぐ目を見てじっくり優しく訊ねてやりたい。お前は何が言いたいの?って
ブランドイメージが高ければそれだけその企業に対する顧客の信頼は厚くなり売り上げに貢献する。
では企業にとってブランドイメージは高ければ高いほどいいのか?といえばそういうものでもない。
あくまでその企業の製品や実態にマッチしたものでなければいけない。
なぜなら、あまりに高すぎるブランドイメージはその化けの皮が剥がれたとき、
そのブランドが受けるダメージは尋常ならざるものとなるからだ。
そういった意味でAppleのブランドイメージは少し高くなりすぎているような気がする。
もしもAppleが作るものが純粋なファッションアイテムならば、
そのブランドイメージは高ければ高いほどいいのかもしれない。
しかし、違う。
その実像というものが現実的で醒めた視点でもって評価されるときが必ずやってくる。
だから、決してブランドイメージという虚像だけでは勝負できない企業なのだ。
ただ決してすごい製品ではない。
しかし、ネットを徘徊していると時折りiPhoneの提灯記事を読むことがある。
信じちゃあいけない。
Appleの莫大な広告費のおこぼれのおこぼれのおこぼれくらいがああいうところに回ってきて、
でもさ、ああいうのって、どこまで信じてる?
なんかさ、いるじゃない。
多分ね、そういうのはみんな信じないと思う。
Appleの新しい製品が出るたびの風物詩みたいにして楽しみにしている人もいると思う。
と思うじゃない?
提灯記事には騙されないぞ、と思ってるじゃない。
でもね、それは本当なのかよ?って思ったりする時ない?
その他の記事が客観的な評価に基づいたものだと思い込ませるための布石になってるんじゃないか?とか。
まあ、私は知らないよ本当のところは。
ここまで書いてきてなんだけど、全然わからないもの技術的なことなんて。
だからさあくまでこれはブランドイメージを構築する手法としての話なんだ。
って思う人はそれは何を根拠に言ってるの?
それとも誰かが主張していることを鵜呑みにしてるだけ?
このへんのね自分の気持ちを疑ってみる態度というのは割と大事だよねって話。
ただそれだけ。
なんでこんなことを思ったかというと
私が持ってるApple製品ってiPhoneはいいんだけどさ、
その他はあんま長持ちしないんだよね。
何かしらうまく動かなくなって製品として重要なある部分の使命を果たせなくなる。
いや正確にはiPhoneも大概だ。
ヘタったバッテリーの交換をしに行ったら、
バッテリーだけじゃなくて、
これも壊れてます、
それも壊れてますって診断されてさ、
それらがぜんぶ交換になってさ、
と、ふと疑問に感じたんだ。
で、いろいろと考えるにAppleって割と虚像の方が大きくなりすぎてるんじゃないかな?と感じだんだ。
少なくとも私の中では。
大好きな企業だし、
大好きな製品群だし、
でもねそれとは別の話で、
それはAppleだけに限らず。
そういうことを書きました。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」
「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」
宮下遼『物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語 カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後の火星人」
成美堂出版編集部「いちばんわかりやすい 家事のきほん大事典」
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」☆
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。
第一章スバル編(ヒナ編)は非常に面白い名作だったし、(現在公式サイトで第一章全話無料公開中https://comic-zenon.com/episode/10834108156770278846)
第二章コスモ編(琴乃編)は個人的にメインのコスモと琴乃にかなり不快感があったものの、琴乃と対立する思想を持つサブキャラのアルタ・ゆっこ・はるみの活躍が面白く、サブキャラ達の影響を受けて変化していく琴乃とコスモを最終的には応援できて、第一章とはまた違った面白さを楽しめた作品だった。(ちなみに、コスモと琴乃の読者人気は高いように見える。)
そして第三章ギンガ編だが…有料先読みをしている読者の評価は、賛否両論激しく分かれているようだ。
第三章のテーマや結末を概ね好評価している層には、自分の推しに炎上された経験だとか同担害悪厨に迷惑した経験などを持つ人々が多いのか、読者自身のオタ活経験を想起しながら作品を咀嚼している傾向がみられる気がする。
逆に、自分自身のオタ活を振り返られない人々や、自分とは別世界で繰り広げられている娯楽夢物語として作品を楽しみたかった人々には、第三章は酷評される傾向がある気がする。
このように評価が別れる要因となったのは、おそらく、第三章で『ほんとうのさいわい』を手にしていると読み取れる存在が、作品内で活躍する描写のなかった『すべての善良なモブオタク』だったからだろうなと思う。
物語世界における『正しさ』『勝者』『強者』に該当する概念は、読者が作品を読み解き咀嚼していく際の軸となる非常に重要なものであり、特に近年の日本のエンタメ消費層の思考は『自分は間違っていない』と感じられる事物に好意を寄せたり執着する傾向が強いようにみえる。『強キャラ』『真相を理解している正しいキャラ』などが好かれるのだ。
それなのに、第三章では『作中に描かれてこなかったモブオタクこそがこの物語の勝者』なのだと、物語終盤になって打ち出されてしまった。顔出しキャラクター全員がどんどん不幸になっていく姿を単行本5、6冊分ほど散々描き続けてきた後に、突然別の『正解』を後出しされたようなものだから…そりゃあ『自分は間違っていない』と感じれる事物に執着する性格の読者ほどキレるだろう。
とはいえ、作品内で実像を受肉して活躍することがなかっただけで『モブオタク』の存在はあったし、『チャンネル登録者数100万人以上の配信者のファン』が数人の顔出しキャラクターだけな訳がない・未登場のファンにだって心や人生が存在しているということは、意識せずとも想定できる常識だとも思う。
この『善良なモブオタク』の概念を解像度高く持てるか持てないかの違いが、作品に対する評価を大きく違えさせ、同じ漫画を読んでいるとは思えないほど両者の第三章に対する論点・着眼点を違えさせたのだろう。
(そういうこと以前に、登場人物がずーっとひたすら苦しみ不幸になり続ける様子を見続けなければいけないことが、単純にしんどくて連載を追い続けられなかったという人も散見した。まぁこの点は、好きなキャラが不幸になったり痛めつけられたりする描写に興奮できる人々には大好評だったようではあるが。)
斯く言う私の第三章ギンガ編への評価だが…
描かれたテーマもメッセージも良かったし面白かったものの、『面白いマンガ』にはまとまりきれなかった実に惜しい作品だと思う。
例えるなら、盛り付け方やサーブが杜撰でモヤモヤするけども味や栄養は最高に良質なコース料理、という感じだ。
同じテーマ・エピソード・結論・メッセージのまま、読者がもっと面白く感じられる構成編集は可能だったと思う。
そう惜しんでしまうくらい、最終回の85話は物語を畳むには弱過ぎたし、これまでに回収されなかった伏線と前振り無く唐突に後付けされたような描写があり過ぎた。
「正直、物語は変えないまま再構築して最初から描き直された第三章を読みたい」という感情を抑えられないくらい、不完全燃焼だ。面白い内容だっただけに、面白いマンガではなかったことが本当に悔しい。
しかも、作品や作者を侮辱しながら酷評する反転アンチがネット上で暴れているせいで、SNSでは私のこの素直な感想を言い辛いのもストレスだ。少しでも作品に対して惜しむ発言をすると、反転アンチ共は自分達に都合の良いように発言の主旨を捻じ曲げて、作品と作者を侮辱する材料にしてくる。不快極まりない。
なので、私が感じた第三章ギンガ編の惜しい部分をこの増田にまとめていく。
そういう主旨なので、私は第三章の内容を面白く思っているが、面白かった話はここにおそらく書かない。
回収されていない伏線と、意味がわからない描写についてが主になると思う。
マンガの描写に対して「わからない」「わかりにくい」と評することは、「自分の読解力の無さを作品に責任転嫁しているだけではないか?」と妥当性が問われる部分であるが、今回は私の主観で書く。
別作品のネタバレ含む例を挙げて恐縮だが、『ちいかわ』島編を普通に読んでいけば「人魚を食べると永遠のいのちが手に入るという噂がある」「人魚を食べると尻に何かができる」「人魚の鱗が落ちていた家の住人の尻に電池ソケットがあった」という、開示されてきた情報を繋ぎ合わせて、「ちいかわの世界では人魚を食べるとロボ化して永遠のいのちを得られるのでは」と、3つ目の情報が出た時点で誰でも想定できると思っていた。
https://x.com/mo2p_seira/status/1717191097229996544
漫画の内容を読者に正しく理解してもらうためには、犯人の過去回想という事実として「ちいかわの世界では人魚を食べるとロボ化して永遠のいのちを得られる」のだと描写する必要があるんだなと、ショックだった。
第三章ギンガ編は完結とのことだが、『ガチ恋粘着獣』自体は短編エピソードの掲載でまだまだ続いてくれるそうなので、新規エピソードも勿論楽しみではあるが、第三章で回収されなかった伏線の回収や、読者に伝わっていない難解表現部分の補完などもあると良いなと期待している。
第一章スバル編(ヒナ編)の名作という評価は、後半ラスト4話の盛り上がりと決着の素晴らしさに依るところが大きいと思うので、第三章ギンガ編も補完次第で評価は向上すると思うのだ。
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アイドルのこと、映像や写真やテキストで、いろんな角度で知っていくと、だんだんその人の人格が、立体になって立ち上がったように感じられる瞬間ってある。独立した一つの個人だ!と。まるでその人の本当の人となりを知ったような気分になるんだけど、それって本当に怖い。
我々が見ているものは常に鏡に映された虚像です。人が放つ光の反射光がまるで立体のように見えても、それは蜃気楼なのです。掴もうとしないで、突然消えても悲しまないで。自分の生活を、リアルを、実像を諦めない。
どうかそれをわかった上で、アイドルという文化を愛してたい。その光が感じられている時、自分の瞳も輝いててい、そんな瞬間があるということが、奇跡で素敵なことだと思う。
http://web.archive.org/web/20231020133350/https://anond.hatelabo.jp/20231019233054
1 完全な嘘で創作
2 虚言壁の女の虚言
のどれか以外ない。これが日本のフェミニストです。フェミニストはウソしか言わない。間違っても政治の場やマスコミや大学にいてはいけない連中なわけです。
しかしまあ、男に身も心も売り渡して寄りかかってエキスパートですか。AV女優よりもゲスすぎるのではないでしょうか。どんだけ男に甘やかされて依存して生きているのか。これで性被害とか言われても困るんですよね。
まあこんな頭のおかしい態度はフェミニストに共通しているので、フェミニストが万国共通に虚言癖の異常な馬鹿であり、一切聞く耳を持つ必要がないことが証明されましたね。
白人の夫を持ちながら白人批判するAOCとかと同じインチキな馬鹿しかいない。上野千鶴子からして頭のおかしい馬鹿じゃないですか。
あと堀口英利と同じ文章を書くのも頭悪い。倫理観があるならColaboを許すなしか言いようがないんですわ。道徳とかくだらない。お前らみたいなゲスどもが使うからね。
https://www.youtube.com/live/DFMu1IC8MZI?si=rzkj-hxKzrj7o7lW
自称ジャーリストレベルで御用聞きでしかないというわけです。しかしColaboは寄付金や税金をこんなアホに使っていたわけで、完全にColaboを解散させるべきでしょう。
仁藤夢乃さん、全く否定してないんですが、あなた和解と称して金を巻き上げていましたよね。あなたはそういう金に汚いクズじゃないですか。否定できないのは事実だからでしょ。今までこういうクズなことを平然とやってきたわけです。
とんなクズだわ。これを税金で養っていたのだからばかばかしい。
@hinabe_ch
特定の立場から第三者風にインタビュー取るの流行ってるんですか?
小川たまかさんは、ヤフーニュース担当者の配偶者なのに、第三者のエキスパートとして装って特定の立場から暇空茜記事書くのはどうなんですか|山本一郎(やまもといちろう) #note https://note.com/kirik/n/n2e03b
小川たまかさんは、ヤフーニュース担当者の配偶者なのに、第三者を装ってエキスパートとして特定の立場から暇空茜記事書くのはどうなんですか
https://note.com/kirik/n/n2e03bed511b3
m_t_a_k_ k_b_y_s__
@toakiyashi
タイトルに「暇アノン」とあるから、第三者を装うどころかはっきり自分の立場を表明してると思うの…
小川たまかさんはヤフーニュース担当者の配偶者なのに第三者を装ってエキスパートとして特定の立場から暇空茜記事書くのはどうなんですか山本一郎やまもといちろう #note
https://twitter.com/toakiyashi/status/1714400191745511460
そうはならんやろ。
「エキスパート」と書いてますが、何のエキスパートなんですか?
この人はヤフーニュースで権限を持っている人の配偶者さんです。中の人の、奥さんですよね。
性暴力に関する著書も拝読してますが、非常に筋の通った論考は重ねておられながらも、これでどういうエキスパートと判断されているのかは理解に苦しみます。
週刊金曜日ともども訴えられて今度こそ会社を解散するレベルでしかない。
フェミってそんな狂った嘘つきで金に汚いババア以外いないわけです。
@otakulawyer
20~30万円は仲間/お友達価格。暇空弁護団が「傭兵」だとすると、タイムチャージで弁護士一人頭1時間毎3~5万円くらい貰ってもおかしくはない。書面作成時間、会議、資料集めや調査、訴訟の数が多ければ、1億は溶ける。
Sonota
@yuandundun
·
「そこで前々から疑問に思っていたのが暇空茜のカンパ金です。1億何千万円も集めて、7000万円近くすでに使ったと。あり得ない。訴訟の着手金ってせいぜい20〜30万円でしょう? 100件やっても2,000〜3000万円じゃないですか。7,000万円って、どこから出た金額なんだっていう」
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4ff719fe962ea8038d818b6f074b9bad82bf24a1
これだから頭の悪い左翼は死ぬしかないわけです。経済が全く理解できない。ガキ以下。
@otakulawyer
小川たまかさんは、ヤフーニュース担当者の配偶者なのに、第三者を装ってエキスパートとして特定の立場から暇空茜記事書くのはどうなんですか|山本一郎(やまもといちろう) #note
正直言うとこの人は暇空茜は支持していないし、どっちかというと敵対していますね。
@otakulawyer
本人の弁護士が同席せず、colabo側の弁護士が同席する状態でインタビューを受けて正直に話せるんでしょうか?外形的に任意性が疑われる環境と安田氏は考えなかったのか?
https://twitter.com/otakulawyer/status/1714854531446853844
@echonewsjp
小川たまか記事の小見出して「元「暇アノン」がインタビューに応じる理由」ってあるんだけど「Colabo側は和解の条件に、指名したライターによるA氏へのインタビューを盛り込んだ。」ってそのまま書いてるじゃん!
あと「取材には、Colabo弁護団の弁護士2名が同席した。」って半分もう取り調べだろ?
のはな
@n0hanha
大トリに相応しい内容。全体を通して素晴らしい記事でした。写実画家の筆のような、40代ネトウヨ暇アノン男性の実像。
【暇アノン懺悔録】「暇アノンの姫」だった40代男性(4)(小川たまか)
けど、
のはな
@n0hanha
#気分変調症(#気分変調性障害)。#緑内障。自律神経がよくおかしい。
こんな駄文を読むとマジで神経をやられると思うのでやめたほうがいいと思います。
ちなみにまともな取材ではなく内容がでたらめすぎ。
完全に訴えられる内容にしかなっておらず、なぜこんなバカなことをやるのかが謎。
だから女はダメなんだろうな。安田浩一郎は男だからやってないでしょ。
さて、このように頭のおかしくでたらめなうそしか書かない馬鹿をのさばらせることをジェンダー平等とか言います。
これは社会を進歩させるどころか、不良品をはびこらせて社会を崩壊させるだけです。フェミニストや進歩的文化人は全く理解できません。頭が悪いしくるっているから仕方ないね。
このように、小川たまかをみれば、いかにジェンダー平等がばかばかしく異常な概念であるか理解できるでしょう。みなインチキなのです。
1 完全な嘘で創作
2 虚言壁の女の虚言
のどれか以外ない。これが日本のフェミニストです。フェミニストはウソしか言わない。間違っても政治の場やマスコミや大学にいてはいけない連中なわけです。
しかしまあ、男に身も心も売り渡して寄りかかってエキスパートですか。AV女優よりもゲスすぎるのではないでしょうか。どんだけ男に甘やかされて依存して生きているのか。これで性被害とか言われても困るんですよね。
まあこんな頭のおかしい態度はフェミニストに共通しているので、フェミニストが万国共通に虚言癖の異常な馬鹿であり、一切聞く耳を持つ必要がないことが証明されましたね。
白人の夫を持ちながら白人批判するAOCとかと同じインチキな馬鹿しかいない。上野千鶴子からして頭のおかしい馬鹿じゃないですか。
あと堀口英利と同じ文章を書くのも頭悪い。倫理観があるならColaboを許すなしか言いようがないんですわ。道徳とかくだらない。お前らみたいなゲスどもが使うからね。
https://www.youtube.com/live/DFMu1IC8MZI?si=rzkj-hxKzrj7o7lW
自称ジャーリストレベルで御用聞きでしかないというわけです。しかしColaboは寄付金や税金をこんなアホに使っていたわけで、完全にColaboを解散させるべきでしょう。
仁藤夢乃さん、全く否定してないんですが、あなた和解と称して金を巻き上げていましたよね。あなたはそういう金に汚いクズじゃないですか。否定できないのは事実だからでしょ。今までこういうクズなことを平然とやってきたわけです。
とんなクズだわ。これを税金で養っていたのだからばかばかしい。
@hinabe_ch
特定の立場から第三者風にインタビュー取るの流行ってるんですか?
小川たまかさんは、ヤフーニュース担当者の配偶者なのに、第三者のエキスパートとして装って特定の立場から暇空茜記事書くのはどうなんですか|山本一郎(やまもといちろう) #note https://note.com/kirik/n/n2e03b
小川たまかさんは、ヤフーニュース担当者の配偶者なのに、第三者を装ってエキスパートとして特定の立場から暇空茜記事書くのはどうなんですか
https://note.com/kirik/n/n2e03bed511b3
m_t_a_k_ k_b_y_s__
@toakiyashi
タイトルに「暇アノン」とあるから、第三者を装うどころかはっきり自分の立場を表明してると思うの…
小川たまかさんはヤフーニュース担当者の配偶者なのに第三者を装ってエキスパートとして特定の立場から暇空茜記事書くのはどうなんですか山本一郎やまもといちろう #note
そうはならんやろ。
「エキスパート」と書いてますが、何のエキスパートなんですか?
この人はヤフーニュースで権限を持っている人の配偶者さんです。中の人の、奥さんですよね。
性暴力に関する著書も拝読してますが、非常に筋の通った論考は重ねておられながらも、これでどういうエキスパートと判断されているのかは理解に苦しみます。
週刊金曜日ともども訴えられて今度こそ会社を解散するレベルでしかない。
フェミってそんな狂った嘘つきで金に汚いババア以外いないわけです。
@otakulawyer
20~30万円は仲間/お友達価格。暇空弁護団が「傭兵」だとすると、タイムチャージで弁護士一人頭1時間毎3~5万円くらい貰ってもおかしくはない。書面作成時間、会議、資料集めや調査、訴訟の数が多ければ、1億は溶ける。
Sonota
@yuandundun
·
「そこで前々から疑問に思っていたのが暇空茜のカンパ金です。1億何千万円も集めて、7000万円近くすでに使ったと。あり得ない。訴訟の着手金ってせいぜい20〜30万円でしょう? 100件やっても2,000〜3000万円じゃないですか。7,000万円って、どこから出た金額なんだっていう」
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4ff719fe962ea8038d818b6f074b9bad82bf24a1
これだから頭の悪い左翼は死ぬしかないわけです。経済が全く理解できない。ガキ以下。
@otakulawyer
小川たまかさんは、ヤフーニュース担当者の配偶者なのに、第三者を装ってエキスパートとして特定の立場から暇空茜記事書くのはどうなんですか|山本一郎(やまもといちろう) #note
正直言うとこの人は暇空茜は支持していないし、どっちかというと敵対していますね。
@otakulawyer
本人の弁護士が同席せず、colabo側の弁護士が同席する状態でインタビューを受けて正直に話せるんでしょうか?外形的に任意性が疑われる環境と安田氏は考えなかったのか?
@echonewsjp
小川たまか記事の小見出して「元「暇アノン」がインタビューに応じる理由」ってあるんだけど「Colabo側は和解の条件に、指名したライターによるA氏へのインタビューを盛り込んだ。」ってそのまま書いてるじゃん!
あと「取材には、Colabo弁護団の弁護士2名が同席した。」って半分もう取り調べだろ?
のはな
@n0hanha
大トリに相応しい内容。全体を通して素晴らしい記事でした。写実画家の筆のような、40代ネトウヨ暇アノン男性の実像。
けど、
のはな
@n0hanha
こんな駄文を読むとマジで神経をやられると思うのでやめたほうがいいと思います。
ちなみにまともな取材ではなく内容がでたらめすぎ。
完全に訴えられる内容にしかなっておらず、なぜこんなバカなことをやるのかが謎。
だから女はダメなんだろうな。安田浩一郎は男だからやってないでしょ。
さて、このように頭のおかしくでたらめなうそしか書かない馬鹿をのさばらせることをジェンダー平等とか言います。
これは社会を進歩させるどころか、不良品をはびこらせて社会を崩壊させるだけです。フェミニストや進歩的文化人は全く理解できません。頭が悪いしくるっているから仕方ないね。
このように、小川たまかをみれば、いかにジェンダー平等がばかばかしく異常な概念であるか理解できるでしょう。みなインチキなのです。
ここ最近ネットで「俺はVPN入れてるから絶対に安全だよ~んwww」
なんて品性と知性が低そうな宣言をして実際に荒らし・嫌がらせをしている輩が散見される。
勿論わざわざ自分からVPN使用を宣言している時点で頭が悪いにも程があるのだが(後述)
では実際にVPNを使っていると本当に安全なのか?という点について、幾つかフェイクも交えて解説していく。
①本当に安全か?
勿論ノーガードよりはリスクは少なくなるが、確実に安全とは言えない。
その理由をこれからつらつらと説明していくからまあちょっと覚悟しておけ。
ノーログポリシーを自称している有料VPNと違って接続ログ保管を宣言しているからだ。
https://www.vpngate.net/ja/about_abuse.aspx
増田(と弁護士)→サイト(5ch・はてな・Xなど)→プロバイダ→発信者(💩)
勿論時間稼ぎとしてはある程度有効ではあるものの、誹謗中傷を受けて即座に弁護士に相談して動けば
無料VPNでイキってる荒らしは、単に運が良いか、被害者の泣き寝入りによって助けられているだけの愚かなクズである。
③有料VPNについて
一般的に月額いくらで利用出来る有料VPNはノーログポリシーを自称している所が多いが、
実際にログは保管していないのか?という問いには残念ながらケース・バイ・ケースとしか言い様が無い。
全ての有料VPNを知っている訳では無いが、実際の所は無料VPNと同じく接続記録は一定期間残している所もある。
◯害予告などの即刑事案件は対応する必要性があるからなのだが、民事の誹謗中傷も手間はかかるが開示は可能である。
もっとも有名所の有料VPNを扱う企業は海外なので専門の弁護士を雇う必要はあるが。
だが少なくとも「決してたどり着けない」訳では無いのでこれも確実に安全とは言えないだろう。
また有料VPNにはクレカ等の支払い情報の登録を要求される所が殆どなので、勿論このルートからも一発特定が可能である。
いくら接続記録をVPNかまして開示の手間を増やした所で、SNS登録に使用したメールアドレス・電話番号が開示されれば
その時点で身元に辿り着けられる可能性は非常に高くなる。
メルアドは捨てアドを使えば何とかなるだろうが、電話番号はそうはいかない。
荒らし用の回線を用意出来れば一見問題無いのだが、それはそれで専門業者の方から足がつく可能性もあるので個人的にはオススメ出来ない。
そして荒らしの大半は実はそこまで頭が良くないので、個人情報に紐づく情報を持ったメールアドレスで普通に登録していたりするのがオチだ。
VPN使ってるのに特定された!という原因にはこういったケースが少なくない。
なお飛ばし携帯は普通に違法なので民事から刑事にステップアップする可能性も高い。
そうなればいくら
⑤VPNは「外れる」
これは実際に利用してみたら分かる。
単純な操作ミス、アップデートのタイミングを見逃す、回線の繋ぎ変え時などにVPNとの接続が解除されている事が度々ある。
この際、気づかずにアウトな書き込みをしていたとしたら……結果はお察しである。
ネットの荒らしはおしなべて自己顕示欲・自己承認欲求が肥大化した異常者が多いのだが、そういう奴らは荒らし書き込み以外でも
構って貰ったり俺スゲー私サイコーをする為に聞いても無い望まれてもいない事をペラペラ語りがちだ。
全く架空の人物像を想定して書けば良いものの、荒らしをやる様な人間に完璧に装える知能は無い為、
多少フェイクを入れようが荒らしの身元を推測・特定可能な情報を自ら語り自白している事が多い。
そうなると仮にVPNを使用して接続記録を誤魔化していようが無駄である。
これで身バレして、社会的評価が下がったり、最終的に訴訟される人間も意外と少なくないのが現状である。
そもそもがワザワザVPNを利用して荒らしをしている事を公言してしまう程度には頭が悪く隙も多く自己顕示欲が高すぎるので
ついつい口が滑ってリアルの実像を漏らしてしまう類の人間なので仕方無いのだが。
はてなでもクイックなんちゃらやzy◯◯、某fuckさんなど、単純に被害者が泣き寝入りしているから
好き勝手しているだけの名誉毀損犯罪者(若しくは被告予備軍)のブクマカが散見されるが
彼ら・彼女らの中には「自分はVPN使ってるからwww(またはメルアドは捨てアド使ってるからwww)」という事だけで
勝手に安心してネットで好き勝手書き散らかしているアホもいるだろう。
だが仕事で色々対応している身からするとVPN=必ずしも安全では無いので、無敵のツールだと勘違いしない方が賢明である。
https://twitter.com/nijisanji_app/status/1670657686667661312
酷いやらかしをしておいて、卒業配信すら出来るのは、えにからの温情だと推察出来る。
そこそこに稼いでくれていたんだろう。
それはともかく、このライバー、マジでやらかししかやってない印象が強くて、割と初期の方からロールプレイを放棄していた。
自分はその頃から、マジで嫌になったんだけれど、なんで嫌になったのか、これをきっかけに思い出してみた。
結論としては、端的に言えば嘘のつき方が下手くそすぎた、に尽きる。
VTuberというのは多かれ少なかれ、嘘で塗り固めた存在であり、それに関してはある程度許容して見ていた。
年齢や容姿などなど、色々と設定という名前の嘘をベースにキャラを演じるというのが、現状のVTuberのスタイルだし、それに関していちいち噛みつくつもりはない。
彼/彼女らの配信を見ている層や、切り抜きしか見ない層(俺はここ)、動画のみ視聴勢など視聴者は色々なスタイルで彼/彼女らの活動を眺めている。
ロールプレイに関しては、初期の方では結構頑張ってやっているが、途中からだんだんと、あるいは配信から数日でやらなくなるというのが定番のスタイルであり、その点は視聴者はまあ、そりゃそうだろとして眺めるのが通常だ。
この点で、郡道はかなりの期間ロールプレイをしていた。そっちの方が注目が集めやすかったというのがあるかもしれない。
しかし、色々な所でボロを出していたのと、ロールプレイ中に作成した動画が倫理的にどうなんだと疑問視される物に加え、その扱い方が雑だったのが。嫌いになる決定打となった。
やるなら、もっと徹底的にやって欲しかったし、やらないなら、最初からやらないで欲しかった。
何にせよ、何をやらせても”中途半端で雑”というのが、彼女に対する偽らざる俺の評価だ。
こんな奴が、問題を起こさない訳がなく、定期的に炎上していた。本人的には話題になってオッケーとか思ってたのかもしれないけれど、世間はその点に関して厳しい見方をずっとしていたと思う。
ファンの方はともかく、それ以外の人は、中途半端さと雑さにイライラしていた人が多かったという印象だ。
そして、2023年3月のWBCでの問題発言で、完全にライン超えしてしまい、今回の卒業という話になったのだろう。
何にせよ、ライバーとしての質が低い人が外されるのは時間の問題だったと思っている。
ここ数年、VTuber界隈では色々なキャラクターの引退(と転生)が激しく行われているが、ここに来てVTuberとして生き残れるのがどういう路線なのかというのがだんだんと浮き彫りになってきた。
自分なりにまとめると
・信念
・根性
・コンプラ
この3つを兼ね備えていないと中々生き残れないというのが実情だと思う。
あまりにも多すぎる才能持ちの中でどうにかして輝こうとすると、コンプライアンスギリギリのところを攻めて目立とうとするバカがいるけれど、そういう奴は短命だし、契約が切られることも多い。
コンプラのマージンを理解してタップダンスを踊れるくらいクレバーでないと、目の肥えた視聴者たちを楽しませることが出来なくなっているというのが現状だ。
他にも、以前は極東の島国のタレントが世界に届くというのは、難しいことだったが、現在は箱の力や目新しさ、そして幾らでも偽装できる外枠(すなわち、2Dイラストレーター/3Dモデラー/エンジニアたちの技術力)で、世界に簡単にリーチ出来るようになった。
そうなると、島国限定でしか通用しないネタよりも、世界標準で通用するネタキャラの方が響くようになっている。
この辺を理解して演じられる人は立派な才能だし、それこそ信念、根性、コンプラという3本柱が無いと必ずどこかでコケてしまう。仮に、それらを兼ね揃えていたとしても、何かしらと文句が付けられる世界線に突入しているので、今後VTuberを目指そうとしている人たちにとっては非常に厳しい世界になってきたなと感じている。
結局のところ、人間力という言葉に集約されるかもしれない。それを伸ばしていく以外に、この世界では戦えないと思う。
人間力を鍛える上で、学校における疑似社会活動はある程度役立つが、それ以前の倫理観など学校教育ではカバーしきれない所は、各家庭でなんとかしなきゃならないんだけれど、そこをしっかりやってる人たちしか生き残れない、そんな気がしている。
いわゆる「いい子」ほど生き残りやすいというか、いい子以外は生き残りをさせてくれないヤバい世界だから、それを職業に選ぶ時点で狂ってると個人的には思っている。
コンサートの前、しぬほどお洒落なカフェでしぬほどお洒落なコーヒーとケーキをアクスタと共に撮影し一息ついたところで、アイドルのブログについて話題が及ぶ。
「そう!この前のブログあったじゃん?その件で検索してて私見つけちゃったんだけど」そうして彼女が話し始めたのは、いわゆる「アンチ」の話題だった。
こういうツイートをしてる人がいて、こんなこと書いてて、こんなスクショ貼って、ばーって長文でこんな主張をしていて……、彼女が知らせてくれたその内容はまあ、酷いものだった。
一億総評論家時代、芸能人に醜い悪意をぶつける人が一定数いることは分かっていた。分かったうえで視界に入れないようにするしかないと思っていたものをまさか同じファンから差し出されるとはと面食らったものの、しばらくは当たり障りのないコメントをしていたと思う。
しかしアンチの存在について話しているうちに、そもそもなぜそのアイドルにアンチが着き始めたのかなんてことを話しているうちに、なんと私は泣いたのである。驚いた。相手はもっと驚いていた。
彼女いわく私はわりと冷めていてメンタルも強いと思っていたから、とのことだった。実は私もそう思っていた。彼女にとっては世間話で、そんな重く受け止められるとは思っていなかった、とのことだった。私もたしかに最初は軽く返そうと思っていた。
しかし話しながら湧き上がる感情を止めることが出来なかった。ヘラヘラしやがってこちとらオタクだぞ。冷静でなんかいられるか、というお気持ちである。
時代だから仕方ない?多かれ少なかれアンチなんてほとんどのアイドルにいる?そんなやつもいるよねーって流すのが大人?
いや、好きなアイドルに向かう悪意、嘲り、自分勝手な憶測、切り取り、捏造、全部普通に許せない。
世間話になんてできない。こんな言葉を見て悲しかったという話なら一緒に悲しめた、こんな言葉を見てムカついたという話なら一緒にキレた。
ただ世間話として気軽に話すことは出来なかった。
昨今、脱退やら退所やら仕事内容やらに対する不平不満をグループ内の特定のメンバーをサンドバッグにすることで憂さ晴らしするのが一部で流行ってるようだが、誠にクソ喰らえである。
そのグループに思い入れのない人間まで私もサンドバッグ殴りた〜い!のテンションで一緒になって叩き始めたりするのがさらにタチ悪い。キモい。
叩かれているアイドル…被害者のファンがまあこんな事情だし仕方ないよねと理由をつけて自分を納得させるのは、その人の心を守るために必要なことなのだとは思う。
しかし大前提として、被害者側に原因があるとしてしまうのは被害の矮小化であって決して許されることではない。
そういえば以前友人に、私が好きなアイドルは急にセンターに立ったから叩かれるのも仕方ないし…と言われていや仕方なくないよ!と反論したことがある。どう考えても仕方なくない。叩かれて仕方ないアイドルなどいない。
角膜にミュート機能を搭載し代わりに頭に花を咲かせることを生業にオタクをしているので普段は気づいていなかったが、あのお洒落なカフェで久々にアンチの実像を掴まされて分かったことがある。
私はできるなら自担にアンチ行為をしている人間なんて全員(自主規制)んでほしいと思っている。だから、そんな存在を何の気無しに世間話として話し始めた相手との会話の中で感情の齟齬に脳がバグり、涙となって溢れ出した。
そして数日を経て冷静に思う。アンチに対する湧き上がる怒りはファンとして正当なものである。
私に、私の好きな人に対する悪意について話すなというわけではない。ただ、話す時は両腕いっぱいに憎悪と殺意を抱えて話しかけてほしい。
当時こんなブログを書いている人も居た。
(このブロガーが加藤を神と言っていたわけではない、念のために。)
6月8日(日)に起きた「秋葉原通り魔事件」については、不可解な要素が多いと書いた(08年6月11の項)が、ネット上ではすさまじい議論(?)が行なわれているということだ。
かの「2チャンネル」については、私も知っている。
まあ、かくも多様な、と思わせられるタイトルのスレッドの林立する大掲示板である。森羅万象自分の関心のあることは殆んどスレッドが立てられているのではないか、という感じである。
余りに豊富なスレッド過ぎて、煩わしい感じがして、最近は覗いてみることもなかった。
「週刊新潮」の記事を見て、久しぶりに「2チャンネル」にアクセスして「加藤智大」で検索してみた。
「週刊新潮080626号」に『ネットで「神」と崇められる「アキバ通り魔」』という記事が載っている。
そして、「週刊新潮」の指摘するように、「加藤礼賛」の字句が多いのも事実だ。
1 :ななし:2008/06/20(金) 16:15:21 ID:Yf7rHKcM0
「超越性」・・行動が、一般人を超越・逸脱しているから。一般人は思っていても実行しない。 良くも悪くも人間の仕業ではない。それができるのは神に違いない。
「啓示力」・・社会問題を広く世間に啓示(=神が人に教え示す)した。当事者に自分自身が抱いている社会に対する不満や怒り、絶望への気付きを与えた。さらに、自分たちにも反撃力があること、我慢や泣き寝入り以外の道があることを気づかせた。
「象徴性」・・今回の事件で様々なことについて加藤智大を象徴(シンボル)として議論がなされている。
加藤智大という象徴を媒介として、人と人あるいは自分自身の内部で対話が生まれている。 すでに人間・加藤智大の実像からかなり離れて象徴が語られていると思われる。
「救済性」・・社会的に不利益な扱いを受け尊厳を踏みにじられた人たちの声なき声、思いを行動で代弁した。 ざまー見ろといった一部の人たちが持つ、社会に対する報復欲求や攻撃欲求が充足された。情緒的な面での救済性の強さが、加藤智大が崇拝されている大きな理由でしょう。 一方で、事件の被害者など救われない人たちが新たに生じたのも事実である。
加藤智大は、神業ともいえる超越的行動で、 一部の虐げられた人びとを情緒面で救済するとともに気付きと勇気を与え、自らが非難や賞賛の対象すなわち象徴となることにより対話を促進し、結果的に社会に対して問題提起を行い、社会改善の機会を与えた。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/haken/1213946121/801-900
この投稿者も、ネット上の匿名性を利用して、彼の本心(?)を吐露してみせたのだろう。
しかし、リアルの社会では、この投稿者も同じ内容を発言できるとは思えない。
投稿者が、加藤擁護発言をしたとしても、加藤と同じことを実際に行なう可能性はほとんどゼロと考えるべきだろう。
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_41f0.html
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
(1) 大学受験で良いところに受かって、浪人組を公然とバカにしていた男
受験お疲れさま会みたいな場で浪人組をねちねち罵倒し始めたから、はたから見ててひやひやした。
もともと「自分はすごい」発言が多かったから鬱陶しいと思われていたが、受験でそれが爆発した感じ。
後日、当然陰口を叩かれることになった。
異動のたびに若い女にちょっかいを出して、相手にされないと分かると陰湿な嫌がらせを繰り返すようになった。
(3) とにかくイタい男
自身が運営するブログで「自分はいかにすごいか」ということを熱弁する癖があって、実像とのギャップが凄まじくて嘲笑されていた。
Wikipediaに自分の記事を作ってアカウントを凍結されていた。
メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ、世界史の教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い。
東アジア史が中心。
価値観が現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。
旧約聖書を読み始める。
旧約聖書を読了。学生時代に新約聖書を通読したから一応全部読んだことになる。
生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白い。ネタが尽きない。
ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。
十三機兵防衛圏については友人に薦められたからクリア後のノリで買った。
今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。
「シン・ウルトラマン」★★
「プラットフォーム」★
「12モンキーズ」★★★
(長くなったのでブコメ)
なんかおススメしたいものがあるかなと考えて、思いついたのがなんだかちょっと怖い下記のふたつの記事だった
万人におススメできるものではないけど、どうせならこんなところでしか人におススメできないものを書いとく
http://teamkokudo.org/haikyo/miwaku/ero/ero.htm
廃墟好きが山中で見つけたボロボロの小屋にエロ本が敷き詰められているのを見つけた話
容赦のない冷たい短文と写真の生々しさがエロ本小屋の管理人の実像を読者に想像させていく
もはやネットの古典だし、そこそこ有名だから読んだことがある人は多いかも
昔読んだ時は怖いし、人間の異常性って面白いなって感想だったけど、今読んだら観察する側と観察される側の間の線を強く意識させられた
観察する側を批判したくなるけど、エロ本小屋の記事と顛末を楽しんで読んでいる自分は観察者を無下に批判できるような立場ではないよなとも思う
https://note.com/nyun/n/n06b43d893294
本当にただそれだけの内容で、水槽に鶏皮を入れたところで目立った変化が起こるわけでもなく、ただ淡々と日々が過ぎていく
読んだところでたいして面白いわけでもないが、やたらめったら長く、意図の不明さが不気味で、わかりやすく日常と地続きの異常を感じられると思う
日本のどっかのアパートの一室でこんなことをやっている人がいると想像するとなんだかそわそわした気持ちになる
リアルタイムで読んでいたときは、誰が何の目的で?と考えたり、試行回数の多い朝顔の飼育日記よりは意味不明でも誰もやっていない飼育日記の方が存在意義があるのか?と考えたりするのが面白かった
最近、はてな内でインターネット老人会やおい腐女子部の方が過去を振り返っていたので、それに関連して無断リンク禁止からリンクフリーへ至った足跡を記憶を振り返りながら記そうと思う。
ただし、当該エントリのリアクションでも触れられている通り、まだまだ規模が小さかったとは言え個人視点で見れば広大なインターネットの全てを捕捉するのは難しく微妙に個人間で差異があるものと思われる。
違いがあれば私はこうだったと教えてもらえると更におもしろくなるかも知れない。
さて、若者の皆さんはインターネットのオンラインコミュニティではその当初「実名文化」であったことをご存知だろうか?
実名文化となった要因は様々あると考えられるけど、大きく影響を示した要因の1つは「JUNET」であると言われれば、まぁ納得はするのではないだろうか。少なくとも影響ゼロではないだろうなと。
JUNETは学術系ネットワークで、その主要コンテンツは今日における電子掲示板群と非常に似通ったものがあり、つまりは話題カテゴリごとに整理されたページが存在したのだ。
建前上、JUNETはごく真面目な学術系ネットワークだったので書き込みの責任は個々人にあり、書き込みへ責任持ってもらうため実名制が取られていたとされる。
電子掲示板群で「である」調の文体もJUNETで使われていた文体であり、由来は論文に使われていた文体なのだ。
まぁ実名であっても責任?なにそれ?みたいな感じで至るところへ噛み付いたり、唐突にまったく脈絡なく関係のない話をはじめ、それを指摘され叱られたら逆ギレして大暴れする抜き身のナイフみたいな方が居たんだが・・・そのことについては別の機会に。
えっソイツどうなったかって?今でもTwitterで元気に至るところへ噛み付いてレスバしてるけど?
私の年甲斐もなく落ち着かない性分はなかなかだと自覚してるが彼女には負ける。私はそろそろ落ち着かないとと思ってるがキミはそのままで良いと思うよ。
まぁそんなこんなで日本のインターネットはその当初実名文化であり、TCP/IPやWWWがデファクトスタンダードとなりWindows 95が社会現象になるほど売れた時代、ホームページ開設ブームなんてものがあった。
まぁブームと言っても現在に比べればまだまだ小規模のものではあったが、個人が自宅からウェブへアクセスし、何ならウェブサイトを公開するというのは中々に特別感があったのだ。
そのホームページ開設ブーム期のホームページは実名文化の影響下にあり、住所から氏名、電話番号、家族構成、勤め先などなどを載せているホームページが数多く存在した。現代の個人情報保護の感覚からすると実におおらかと言える。
言ってみれば、その当時のホームページは後の時代に登場する「前略プロフィール」みたいなものだったのである。
書いてある内容も個人の日記帳、しかも実像へかなり近い個人の日記帳のようなものであった。実名で交友関係がわかったし、ホームページの管理者が学生であれば甘酸っぱい恋の悩みとかを隠すこともなく実名で書いていた。
この当時のホームページはあまりにもリアルすぎる個人情報の塊であり「ホームページの管理者が広く公開していないURLを無断で他所に転載することはネチケットに反していた」という古の文言を現代で記すこととなる。
現代の感覚からしてみると「広く公開していないURLって何なんだよ」と言いたくなるし、情報技術者から見れば「ローカルにDNSサーバでも立てたのかな?プライベートIPアドレスならば個人利用だと事実上無限みたいなもんだ」と広く公開していないプライベートなURLの可能性を探り始めるが、当時の人の感覚からするとインターネットなんてドマイナーなのでインターネットを使ってる時点で隠しているつもりだったのだ。
実にバカバカしいと現代人は感じるかも知れないが当時の大半のインターネットユーザは至って真面目に本気でそう考えていた。
例えば過去の時代、NTTはハローページという個人の電話番号を膨大に載せていた冊子を発行していた。
この個人情報は公開情報であるが、電話番号所有者に無断で何ら関係しない他所へ公開した場合、倫理的に問題ないか?と言われれば現代人でも問題と感じるはずだ。現代では特殊詐欺とかあるしね。
じゃあ何でNTTはそんなもん発行していたのか?と言えば、当時の電話番号を取得するには加入権というものが必要であり、加入権は金融商品としての側面を持っていたことから、ハローページへ記載されているということはNTTがその個人の信用をある意味で担保しているという判定が得られることがあったのだ。
まぁつまり電話番号すら持ってないヤツは信用ならんから取引しないという考え方がマジで存在したんだ。
現代の、それこそ若者の感覚からするとNVNOで気軽に電話番号を入手できてしまう今では考えられない価値観だ。
ちなみに加入権の反動からか約20年前に契約書すら必要のないプリペイド携帯電話で詐欺が横行するっていう失敗があったので約20年前が最も電話番号の価値は低かった。
まぁそんなこんなで、URLは公開情報であっても勝手に使うのはダメなんだ、URL無断転載禁止なんだ、無断リンク禁止なんだという価値観の時代は存在したが、それが急速に失われて「リンクフリー」が台頭する時代が来る。
リンクフリーが何故一気に広まったのか?と言えば「Yahoo!」が日本国内で営業開始したからであった。
当時のYahoo!はディレクトリ型と呼ばれるウェブ検索エンジン方式で、これはハローページなどと同様に人力でURL情報を収集して掲載するという形のウェブ検索エンジンだった。
掲載されるには審査が必要で、Yahoo!に掲載されるということはウェブサイトへ一定の価値と信用を与えてくれるものだった。まるで本当にハローページみたいだ。
この価値が失われるのは「Google」がロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンを開発したからであったが、リンクフリーはGoogleが登場する前から使われ始めている。
リンクフリーはYahoo!が登場したからだけでは実は説明しきれず、Yahoo!が人気サイトをランキング形式で掲載するようになったからというのが実際の答えである。
人気ランキングが存在するようになると競争が生まれる、当時のウェブサイトにおいてはアクセス数(≠ユニークユーザ数)こそが人気の指標であり、URL無断転載禁止・無断リンク禁止のスローガンはこの人気争いの中で邪魔になっていった。
そして同時にインターネット芸人みたいな人たちも続々と登場するようになり、個人の赤裸々な情報が詰まった日記帳のようなホームページは段々と廃れていき、匿名のインターネット芸人が笑い話やお涙話で人気を集めるようになった。
そうつまり「テキストサイトブーム」の到来である。
テキストサイトの思い出についてはこのエントリを読むインターネットユニークユーザ諸氏の方が詳しいしバラエイティに富んでいると思われるので任せた。
ディレクトリ型ウェブ検索Yahoo!の登場は別にテキストサイトだけへ影響を及ぼしたわけでなく、2ちゃんねるの元になった電子掲示板群「あめぞう」の前身である「あめぞうリンク」は「リンクサイト」と呼ばれる種別のウェブサイトであった。
そのほか後年にはリンクサイトの発展型である「ランキングサイト」も登場しており、ここまで来るともはや牧歌的なインターネットなど想像も付かないような喧騒が起きるようになり、更に現代では当時を喧騒と表現しても良いのか迷う程度に現代インターネットは闘争本能が強すぎる人たちが多く生息している。
アーマードコアの新作発表されたしそっちでやれよ。
URL無断転載禁止・無断リンク禁止派の最後の抵抗はやはりGoogleによるクローリングだろう。
前述したロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンはウェブページからウェブページへのページリンクを自動的に収集するというもので、人力で登録していたYahoo!よりも収集効率が物凄く高かった。
しかし自動で収集するからこそウェブサイト管理者からすると謎のアクセスが急激に増え、何なら当時「Google」という単語など知る由もなかったので特にリンクを多く持っていたウェブサイト管理者からするとDDoSアタックか?と疑念を抱かせる程度には迷惑千万だった。
もちろん静かに仲間内だけで楽しんでいるようなウェブサイト管理者としても急にアクセスが増えることは不快感でしかなく、Googleの人気が増えていくに連れてリンクされない権利を求めるユーザもまた増えていったのだ。
この件であまりにも叩かれすぎたGoogleはウェブ検索エンジンの検索結果に記載されない「noindex」という施策を取ることとなり現代でも運用されている。
ただしこのnoindex、性善説で運用されておりウェブクローリングする側がnoindexを無視すりゃ普通にクローリングできるので完璧な解決手段ではない。
まぁこんな感じでテキストサイトあたりから日本のインターネットは匿名文化へ傾倒するようになりリンクフリーが一般的になっていったのだ。何ならリンクフリーって言葉すら見なくなる程度にはリンクフリーが当たり前の価値観であるインターネットになった。
そう言えば、はてなブックマークでも無断リンク禁止、勝手にウェブブックマークするなという意見が取り沙汰されたこともあったが、その辺の思い出話はブクマカのほうがよく記憶しているだろうし任せた。
(1)anond:20221023223518からの続き
いくら視覚的な識別手段が機能しない状況下で重要な働きをするとはいっても、これらの三感覚によって人間は、本当に相手のことを知ること、理解することが果たして出来るであろうか? 例えば、聴覚によってパートナーの本性を知ることが、人間に出来るであろうか? 正直に言えば、私はそうは思えない。
例えば、和漢朗詠集などに収められている和歌に次のようなものがある。
「いつはりの 無き世なりせば 如何ばかり 人の言の葉 嬉しからまし(もしも、この世界に嘘[ウソ]というものが存在しなかったならば、どれほど素直に、想い人の口にした言葉を喜ぶことが出来ることか)」
二人きりの閨(ねや)で同衾して、耳元で甘い愛の言葉を囁かれても、それでもなお。これは、そういう歌ではないかと、私には思える。あるいは逆に、愛の言葉を幾ら紡いでも、想い人がこの歌のようなことを言って信じてくれない。そういう人の役割を演じて詠まれたとも考えられる。
このように、視覚が働こうが働くまいが、嗅覚・聴覚・触覚が働こうが働くまいが、それらの感覚によって得た情報から築き上げるパートナー像は、畢竟、想像の産物であって、実像とは異なるところがある。したがって、引用した箇所に示した小松和彦の言葉「想像力による夢幻の世界における営み」という記述は、現実を的確に表現した、極めて正しいものであると言える。
ただし、そのような現実を突きつけられた時に抱く感慨が、男と女との間で大きく異なるのではないだろうか。
視覚的な情報を強く志向する男という種族は、その視覚の働かない状況下で、代替手段として精一杯に駆使した嗅覚・聴覚・触覚によって得た情報を元に、必死で作り上げたパートナー像という理解が、単なる想像の産物に過ぎないと言われたら、大きな心理的ショックを受ける人が大多数なのではないだろうか。
それとは対照的に(と言っても私は女性ではないから、あくまでも私の[それこそ]想像に過ぎないのであるが)、女性の多くは、昔の人でも現代人でも、仮に「視覚によってであろうと、嗅覚・聴覚・触覚によってであろうと、あなたの得たパートナー像とは、あなたの想像の産物に過ぎませんよ」と言われたとしても、案外あっさりと「そうでしょうね」と言って受け止めることが出来る人も少なくないのではないか。そのように私には思える。
もし仮にそうなのだとしたらの話ではあるが、それは「覗き見の禁忌」の本質として小松和彦も指摘した、あの「『本来の女性の姿』を晒すことの禁忌」によって、多くの女性が日常的に、好むと好まざるとにかかわらず、化粧その他の余所行き用の装いを強いられる経験、すなわち「今現在(明かりの存在する状況下≒現世)の我々が互いに見ている/見せている姿は、そもそも仮の姿である」という経験を積んでいるからではないだろうか。だから、上で述べたような「想像力による夢幻の世界における営み」と言われても、女性の心の中では男性のようには齟齬や混乱を生じ難いのではないだろうか。
もしかしたら「虫愛づる姫君」の中で言われる「鬼と女とは人に見えぬぞよき」という言葉は「本当の自分を他人に見せること/知らせることが許されないのは、辛いことである」という抑圧の面と同時に「本当の自分を他人に見せずに/知られずに済むのは良いことである」という解放の面をも併せ持つ、アンビバレントな言葉なのではないだろうか。
『鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴は、女性作家であると推測されている。だから、ここで私が言うような「嗅覚・聴覚・触覚により相手(人間)の本性を看破・把握する[できる]というのは、畢竟、幻想に過ぎない」ということも「女は本当の自分を隠さざるを得ないように強いられている」という現実も、先刻承知の上で作品を執筆したものと思われる。
『鬼滅の刃』の主要な女性キャラクターには、胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ、甘露寺蜜璃のような「本当の自分を他人に見せられない/見せられなかった」という女性たちが登場する。その中でも、胡蝶しのぶの印象深い場面として、竈門炭治郎の鋭敏な嗅覚によって「何か怒ってます?」という言葉を掛けられ、彼女の心の裡に秘めていた鬼に対する強い怒りと、その元となった深い哀しみの感情が察知されるという場面がある。この描写には「虫愛づる姫君」の「人に見えぬぞよき」という言葉に類似する、女性のアンビバレンスが込められているように私には思われる。亡き姉の生前の笑顔溢れる姿を理想像として、それを模倣して演じているとはいえ、胡蝶しのぶには、甘露寺蜜璃や栗花落カナヲとは異なり「本当の自分」を隠すべき強い理由は、さほどないようにも思えるが、しかし、それでも何らかの理由で思いを隠したかったのであろう。その上で、他人から隠したいという思いと他人に知って欲しいという二つのアンビバレントな思いを、胡蝶しのぶは抱いていたのではないだろうか。炭治郎に本当の感情を察知された時の胡蝶しのぶの表情には、そのアンビバレンスが顕れているように見えたと言ったら言い過ぎだろうか。そんな胡蝶しのぶに似た女性は、現実の世界にも多数存在するように思われる。
そのような思いを抱いて生きざるを得ない女性たちに対する、救済の思いを込めて、嗅覚により心の本音を察知するという描写を『鬼滅の刃』の作者・吾峠呼世晴は生み出したのではないだろうか。
それは虚構に過ぎないかもしれないが、それでも「この世界と人よ、斯くあれよかし」という、慈しみを込めた虚構である。
そして、そのような虚構には捨て得ない価値があると、私は思う。何故なら「過酷な現実を知っても、それでもなお」という、表現者としての覚悟のようなものを感じるからである。
(了)
(2022/10/25追記)香り・嗅覚による本性の察知・看破または偽装について論じるならば、珠世様の血鬼術にも言及するべきであった。完全に失念しており、これは初歩的なミスである。お恥ずかしい限りである。
https://anond.hatelabo.jp/20220930230732
こっちの続き。主に旧統一教会に関すること書くよ。反応がきっついので多分最後。
旧統一教会が過去に「霊感商法」を行っており、過去問題があった団体というのは周知のとおりだと思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/61d40e2e670a91125101a0d09b87544e51e0d6b7?page=1
との内容。
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20220712-00305301
冷戦時代の負の遺産。ただ、現役の議員らが積極的に彼らにかかわっていたかは微妙。
http://www.the-journal.jp/contents/arita/2006/06/post_10.html
国会議員の地元事務所が依頼を受けたならば、祝電を送るかどうかはそこで判断するのが通例だ。結婚式や葬式への電報とほとんど同じ水準の判断だろう。
祝電を送った安岡興治元法相の事務所が「出席依頼があったので電報を送った」というレベルのことだ。
[略]
私も少し勘違いをしている時期がありました。
宗教団体が特定の政党を支援すること自体は、合法。これが認められないと信者の方が選挙で投票することができないので、よく考えると当たり前。
問題になっているのは「過去に問題を起こしていた宗教団体とつながりがあるのは如何なものか?」程度で法律違反ではない。
https://www.sankei.com/article/20220930-KNJU7E6VGNLZBI3QRWTR3ZGB2A/
自民党以外からもつながりは見つかっている。もちろんこれらも合法。
テロを起こしたオウム真理教に対する解散指定の請求が棄却された時点で、旧統一教会にそれを適応するのは難しい。
オウム真理教(以下「教団」という。)は、教団に対する一連の取締り、宗教法人法に基づく解散命令、破産法に基づく破産宣告等により打撃を受け、破壊活動防止法(以下「破防法」という。)に基づく解散指定に係る手続の進行中は活動を自粛していたが、解散指定の請求が棄却された後は、世論の動向等を見極めつつ再び活動を活発化させ、財政的基盤の充実、強化に努めるなど懸命に組織の生き残りを図っている。
[略]
7年12月14日、政府は、オウム真理教に対する破防法に基づく解散指定に係る適用手続の開始を表明したが、極左暴力集団は、中核派、革マル派等がそれぞれ反対集会を開催するなど、強い危機感を示した。特に、革労協狭間派は、8年2月21日に公安審査委員会委員長宅等に対する2件の発射弾ゲリラ事件(東京)、9月24日に「中国公安調査局調査第一部首席調査官宅放火事件」(島根)を引き起こしたほか、公安調査庁、公安審査委員会等に対する「抗議はがき運動」、公安審査委員会委員宅周辺での抗議街宣等にも取り組んだ。
中核派は国葬反対デモで目立っていた団体で、テロ活動も行っている。
共産党も同時期にデモを行っていた。極左暴力集団とのかかわりはないとは言うものの、同時期にデモするのは「連携してない?」という疑念を持たれてしまうので良くはないと思う。
旧統一教会に問題があることはあり、それに対する批判は問題ないと思っている。ただ信者であるという理由だけで、「関わりを断つ」というのは差別。
これ、一時期の嫌韓と同じで、対象が「在日」から「旧統一教会」にすり替わっただけ。リベラルからするとこういった差別行為は認められないはず。特に報道の過熱にはかなり危機感をもってる。
https://www.jijitsu.net/entry/miyaneya-touitsu-kateirengou-teiso
「宗教2世」「犯罪行為にかかわっていない信者」がこれらの風潮で被害を受けることは目に見えている。魔女狩りの様相を呈していて、本当に良くない。
前回の記事と違って、全然ブクマつかないな。コメントも落ち着いているというか。この記事の内容は国葬の話からも少しずれちゃったしね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/949191226041810944
みんなこっちにコメントしてるのか。ただ...なんだかな...悲しいな。
まあ、これだよね。
もう誰も見てないから、ここからは完全にチラシ裏の落書きの独り言。
全盛期の2010年前後のはてなブックマークに比べると、随分とドロドロした所になっちゃったな。「ウェブ進化論」で提唱されていたバーチャル研究室なんて概念はもう見る影もないというか。
あるのは党派性で歪んでしまった認知と、建設的な議論でなく罵詈雑言を浴びせるコメント群。昔もリベラル寄りのコメント多かったけど、まだマシな感じだったし、ブログのエントリーも面白い記事がたくさんあったな。