はてなキーワード: 通り魔とは
あと知らないドアンのファンボーイ
見に行くか迷った挙げ句電車のりすごして、もういいかなぁってなったけど結局電車乗り継いで見に行ったのね
初代もオリジンもちゃんと見てないけど、安彦氏のとぼけた感じのノリは好きだったし
たまたまちょうどいい時間に上映開始のがライブビューイングだったので、行きずりでLV童貞を捨てることに。
安彦さんおじいちゃん可愛かった。富野がいたらリップサービスで色々言って盛り上げるんだろうなと考えたり。
予告編がスキップできたのは良かったけど、映画泥棒は流すんやね。
カイは最初違和感あったけど最後は馴染んでた。シンエヴァの冬月みたいな感じ
動くジョブ・ジョンを見たのは初めてかもしれない。
御両親出んの!?母親はクズとか言われてるけどテムとアムロもあれだよな
前後するけど、後半の生身の人間踏み潰しにも掛かってる感じ。相手がザクなら人間じゃないんだ!ってのも意識してそう
シャアザクどうやって出すんだと思ったらここかよ!画面外でクラウン死んでるんだよぬ
ありがとうククルスドアンで個人崇拝やんけ~!ってなったけど自発的にやってるならセーフか
食事結構豪華やな…と思ったが、重要拠点だからそれなりに備蓄もあったんだろうか
エルラン初めて見た…裏切ってた人ですよね
ウワーッマ・クベだー!オリジン時空だと善人と聞いたけどこっちは悪っぽい
ウラガン、ゴットンゴーが先にでてくるしシャアの部下ともキャラ被ってる気がする
てかこれもザクなんすね
原作見てないから元々いたやつなのが劇場版オリジナルなのかわからない
ミサイル発射基地がドアン島ってのはもともとの設定なんだろうか?でも狙われる理由付けになってていい感じ
つか、この時点ではあぁ水爆斬りやるんだな、ってなってたしドアンの仕事もパーティのために発電機直してんのかな?くらいに考えてた
軍法会議作戦、スレッガーの首が飛ぶのがギャグなのかよくわからなかったり
ガンダムの戦法えげつなくない?と思ったが核爆防ぐためなら仕方ないか
ミサイルが普通に発射されたの?あれ、これどうすんの?と思ったらあれで、いい意味で裏切られた。南十字星に見立ててんのかなと思ったが関係ないかも
ゴップはいいけどマさんの方空気ヤバいでしょ…と思ったらそう来るんかい!パリは燃えているかって映像の世紀のBGMでしか知らなかったけどそういうことね
ザク遺棄は色々言われてるけど言いたいことはわかる。腕やられてて使い物にならんだろうし…って話でもないけど
意識して感動するような作りにはしてないみたいなこと言ってた気はするけど、最後のほうなんかウルッとしてたような気もする
疲れ目かも知れんが
つーか全体的に満足。マ・クベとミサイルには完全に騙されたし…つか、ククルスドアンの島でどんでん返し食らわせられるとは…
ドアンは普通にナイスガイでした。初めて見るけど違和感なかった?
安彦さんが客席で見てて失敗したなと思うシーンもあるみたいに言ってて、確かに完璧ではないしちょっと冗長かなってとこもあったけど、基本的には飽きずに楽しめた。 110分も何やるんだよ、って見る前は思ってたけど。
いや増田なんて見るわけねーか
こういうやつらって、要するに自分が気に入らないってことを死んでも口に出して言わない奴らだよね。
まず直感で気に入らないって思ったら、その後気に入らない理由を世の中とか価値観のせいにしたがる。
なんでかっていうと、自分が気に入らないって言って人を叩くと周りから叩かれることを知っているから。
つまりこいつらは、人のことを殴りたくてしょうがないっていう気持ちが最初にあって、街なかそこら中で気に入らないものを探して歩いているようなやつらってこと。
場合によっては都合の悪い当事者の意見を当たり前のように封殺する。
そもそも被害者を見ていないんだよ。だって、都合よく殴れる相手を探しているだけだから。
こういう騒動散々見てきたでしょ?
たわわとかAV新法とかさ、最前線でバチバチやってるやつらは誰でもいいから人を殴りたいだけのやつらなんだよ。
もちろん通り魔と一緒で狙いやすいやつら(案件)狙ってるけどね。
殴りたい衝動ありきで、殴りやすい相手探して、殴り返されないために価値観のアプデとかを人に押し付けてるだけ。
これで世の中が平和になんてなるわけないじゃん。戦争なくなるわけないじゃん。
いつから自分が平和に暮らしていれば自分の大切なものは守られると誤解してた?
自分の大切なものは自分で守る。そんな物他人が守ってくれるわけないじゃない。
それは完全に支配する側に飼いならされてる人の考え方。
ただ、その価値観とやらにいつ牙をむかれるかわからないのは事実なので、そういう意味ではアップデートしておいたほうが自衛になるのは確か。
おそらくははてなの構造上の問題で、他のSNSに比べて殴りやすい構造なのだと予想してる。(もしくは他で殴りづらくなった結果にはてなに来た人間がたくさんいる。)
なにかのきっかけでそんな通り魔的な性分が丸くなり、周囲の人間に害意を撒き散らすことをしなくなってくれればまだマシだけど、
タチが悪いのはその溢れんばかりの逆恨みエネルギーを原動力に何か大きなことを成し遂げてしまった場合だ。
「大志を抱き続け遂に敵に打ち勝った私」
と総括し、
成功後に新たに出会った人々の前で、自分が過去に関わりあってきた人間を(事実無根で)口撃し、勘違いの被害体験を饒舌に披露する。
そんな有害な奴っているよね。
それはまさにかつての私のことだ。
「全ては若気の被害妄想だった」と憑き物が落ちたかのように客観視できるようになった頃には30をとうに過ぎていた。
ひとたび内面的に落ち着くと、あれだけ嫌っていたはずの仮想敵だった人々を懐かしむようになり、彼らと再び関わり合いを持ちたいと望むようになった。
つい先日、そんな彼らの1人と10年振りに会う機会があった。
かつて私が攻撃的だった頃の非礼や、逆恨みで敵視するようになったことをその場で詫びるつもりだった。
「夢が叶ってよかったね。テレビでもやってたね」
そして私が過去の振る舞いを詫びると
「いや、いいよいいよ。昔のことだから」
となんでもないことかのように謝罪を受け止めてくれた。
だが、会話の終わりに私が連絡先の交換を申し出ると彼は
「ごめん、それは遠慮しとくよ。じゃあこれからも頑張ってください」
と去っていった。
かなりショックを受けながらそれまでのやり取りを反芻すると、彼が最初から最後まで一度も笑顔を見せなかったことに気づいた。
私は全く許されてなかったのだ。
私と同じような人がいたら今すぐ心を入れ替えることをオススメする。
今さらルックバックの話なんだけど、ファンの人が感動しているポイントに自分はまったく感動できなくて、逆になんで感動するの?と思ったので、教えてほしい
藤野と京本が小学校の卒業式で出会い一緒に漫画を描くことになった世界(世界A)では、二人は数年一緒に活動したのち道を違えることになり、美大に進学した京本はキャンパスに侵入してきた通り魔に襲われて死ぬ
藤野は、京本が自分と出会っていなければ美大に進学することもなく、ひいては通り魔によって命を落とすこともなかったと思って自分を責める
一方卒業式で出会わなかったほうの世界(世界B)でも京本は世界Aと同じ美大に進学し、同じように通り魔に襲われるが、たまたま藤野に助けられる
藤野は小学校ぶりに漫画を描くのを再開したと京本に話し、雑誌に連載することができたらアシスタントになってくれと彼女に頼む 二人の友情がここから始まることを示唆して世界Bのほうのエピソードは終わる
藤野と京本が卒業式で出会っていようといまいと、いずれ京本は引きこもりを自発的にやめて美大に進学して通り魔に襲われていたのだから、藤野が自責の念を抱く必要はない、という結論はわかる
しかし、それと同時に、卒業式で出会っていようといまいといずれ藤野は漫画を描いていたし、二人は出会って友情を育んでいた
「藤野は漫画を描くことになった」「二人は友達になった」はどっちも藤野の人生にとってトップクラスに重要な出来事
世界Aと世界Bのどちらでもその二つの出来事は起こる ただし世界Aでは京本が死ぬ
だったら世界Bの方がよくない?
なので「じゃあ藤野ちゃんはなんで(漫画を)描いてるの?」という京本の問いかけから始まる一連のエモいシークエンス(はっきりと言葉にされるわけではないが、「京本に読んでほしかったから」という藤野の気持ちが表現されている)も萎えでしかなくない?
世界Bでは「京本に読んでほしい」というモチベーションがなくとも漫画を描いているのだから、世界Bの話を挿入することは、世界Aにおける「京本に読んでほしかったから漫画を描いてきたし、これからもそうする」という決意を感動的なものにするどころか「え、じゃあ出会ってなくてもいずれは漫画描いてたし、京本が通り魔に襲われた時点で藤野が漫画家になってなかったら京本は死んでなかったんじゃん、後味悪〜」と思わせるだけなのでは
少なくとも自分はそうだった
みんなあれの何に感動したの?
たわわの広告を最初に見た時に思ったことは、ああまた難癖つけられて放火されるんだろうなということだった。
が、仮にも"国連"の名前を語ってやることがオタク叩きとは想像も意していなかった。
ウクライナ戦争から難民として国を抜けた若いウクライナ女性をマッチングアプリで捕まえようしている中国人
と実際に被害が出ているのに、やることは"国連"の名前を使ったオタクの広告叩き。
正直狂気を感じる。
"国連"の名前を出された時に、目の前に刃物を持った通り魔に遭遇した気分になった。
ナチスドイツが攻めてきた時のユダヤ人、今回のウクライナ戦争でロシアが攻めてきた時のウクライナ人の方の心境ってこういうことなのかなとぼんやり思った。
もはや対話は不可能。とにかくお前が悪い。私は正しい。だから死ね。消えろ。そう言われているように感じる。
活動家として"女性のため"に活動をしているとアピールをするためにオタクを叩く。
イデオロギー的に"女性は弱くないといけない"から、その生贄としてオタクを叩く。
それにのっかり自分の価値観からみてオタクが不快だからと"女性のため"という建前でオタクが悪いと叩く。
実際にTwitterを眺めてもキモいオタクは死ね。だがBL・ジャニーズは問題ないとミサンドリーをこじらせたフェミニストが今日も元気に放火をしている。
次はなんだろうな。オタクは電車に乗っていて不快だから乗るなとか?不快だから死ねとか?
”見たくない表現に触れない権利”なんてめちゃくちゃな権利を持ち出した以上、不快だから死ねということなんだろう。
前に放火した時にスカートの皺がどうとかそういう理屈をあげていた割に、今回の放火はなんの理屈もない。ただ不快だからという一点のみ。
そんな前提がある以上、今後"不快だから死んで欲しい"権利とかも出てきそうだな。
フェミニストが怖い。リベラルが怖い。おそろしい。頼むから俺たちに関わらないでくれ。俺たちの権利を奪おうとしたり、言葉による暴力を振るうのをやめてくれ。頼むから世直しごっこなら別のところでやってくれ。
正確には、出してもいいけど女とセットにしろ。
パーソルテンプスタッフ株式会社は以前、Hey! Say! JUMPの中島裕翔の写真を使った全面広告を日本経済新聞に出している(2021年3月23日)。
ttps://www.tempstaff.co.jp/corporate/release/2020/20210315_5025.html
また、ジャニーズから城島茂・国分太一・松岡昌宏が独立して株式会社TOKIOを作ったとき、同じく日経新聞に全面広告を出した(2021年4月1日)。
ttps://sirabee.com/2021/04/01/20162546415/
これらの広告には、日本人の男性しか写っていない。したがって、これは、日経新聞が創設メンバーであるアンステレオタイプアライアンスの掲げる「3つのP」の1項目「Presence」に反しているし、2項目目の「Perspective」も怪しい(後者にはTOKIOの視点しかないし、前者には、イケメン男性を愛好する女性ファンの目線で描かれている)。
だいたい、パーソルテンプスタッフ株式会社の業務と中島裕翔に何の関係があるというのか。中島とテンプスタッフの業務との関係は、巨乳女性が出てくる漫画と献血事業との関係くらい薄いだろう。事業の広告に無関係なイケメンを出すのはルッキズムを強化するので有害である。
えっ? TOKIOの広告にはTOKIOしか出てなくてTOKIOの視点しかなくても問題ない? 商品そのものの広告だった『月曜日のたわわ』は男目線だと叩かれたよね? ということは、商品そのものの広告にも「3つのP」は適用されるべき、ってことになるよな。OK?
納得してもらえたところで次いこうか。
Yoshikiのワインブランドの全面広告が日経新聞に掲載されたこともある(2021年12月15日)。もちろんYoshikiしか写っていないので、上述のジャニーズと同じ問題が発生する。日経新聞は今後このような多様性に欠けた広告はやめるように。
『月曜日のたわわ』の広告は有害なジェンダーステレオタイプを強化するのだそうだ。なるほど、有害なジェンダーステレオタイプを強化する表現が広告として世に広く掲示されるべきではない。
ところで、日経新聞は『鬼滅の刃』の登場人物である煉獄杏寿郎を使った全面広告を載せている(2020年12月4日)。
ttps://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1293062.html
ものの見事に日本人のキャラクターしかいない、多様性の欠如した広告キャンペーンだ。当然、「3つのP」に抵触する。
しかしそれだけではない。『鬼滅の刃』は、主人公に対して「弱い 未熟 そんなものは男ではない」「どんな苦しみにも黙って耐えろ お前が男なら」といったセリフを投げかけるキャラクターが存在し、主人公はその指導に従う。これは、弱さを否認するウィークネスフォビアや、弱音を吐かず耐え忍ぶという有害な男らしさ(トキシックマスキュリニティ)を助長する描写であり、男性にとって有害なステレオタイプである。このようなジェンダーステレオタイプを強化する広告を載せるべきではない。
また、主人公が刀を振るって戦うことは、刃物による攻撃に怯える人たちをさらに脅かすものであり、「刃物で人を虐殺して構わない」というメッセージを社会に発している。
なに? 『鬼滅の刃』をちゃんと読め、『鬼滅の刃』は主人公が虐殺を肯定するシーンなんて一度もない、だって? 『月曜日のたわわ』にも主人公が痴漢を肯定するシーンはひとつもないが、痴漢を連想する、痴漢を助長するとして叩かれた。ということは、『鬼滅の刃』も、刃物を振り回すキャラクターのイラストを以て、通り魔などの恐怖を連想する、通り魔を助長するとして叩かれなければ筋が通らない。
さて、ここまでは、実際に日経新聞に掲載された広告に基づく話だ。次からは、「アンステレオタイプアライアンスの創設メンバーとして、このような広告を載せないように注意してほしい」という警告を発しておきたい。もし将来このような広告が載せられたら、みんなは存分に批判してほしい。
プリキュアは短い髪のキャラクターであっても変身後は長髪になり、スポーティなキャラクターであっても変身後はヒールを履くなど、「女性は髪を伸ばしヒールを履くものだ」というジェンダーステレオタイプを強化している。「女性はヒールを履くべき」という固定観念がいかに時代遅れかは#KuTooの運動で明らかになった通りだ。さらに、なんと前作ではメイクがテーマとして扱われていた。「女性は化粧をするべき」というのが家父長制による押し付けであることは韓国のフェミニストたちによる脱コルセット運動が示している。プリキュアは女性のエンパワメントを阻害する。これ以上このような有害なステレオタイプ表現を公共の場に掲示すべきではない。暖簾の向こうにしまって子供に見せないようにすべきだ。
さらに、歴代プリキュアには男性メンバーがいない。これはもちろん、ジェンダー平等であるべき広告にはあるまじき多様性の欠如である。仮面ライダーに女性ライダーがいるべきであるように、プリキュアにも男性プリキュアがいてしかるべきだ。それが本当のジェンダー平等だろう。
したがって、プリキュアという多様性に欠け有害なジェンダーステレオタイプを撒き散らす作品の広告を、アンステレオタイプアライアンスの創設メンバーである日経新聞が出すべきではない。今後、プリキュアの広告を載せてほしいという依頼が来ても断るように。
『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』という漫画がドラマ化されてヒットを記録した。しかしこれは、男性に性経験がないと馬鹿にされ軽んじられるという有害な男らしさに基づく性規範を下敷きにしたタイトルであり、有害なジェンダーステレオタイプを助長している。日経新聞はこのような作品から広告を持ちかけられても毅然と断るべきだ。
また、チェリまほの原作者の豊田悠は女性である。男性同性愛者というマイノリティの性愛を、非当事者である女性が創作のネタにすることは、文化の盗用であるだけでなく当事者から機会を奪っているし(たとえばアメリカでは、白人女性がメキシコ移民を主人公にした小説を書いたことで簒奪だと批判された)、マイノリティを自らに都合のいい存在であるかのように扱うという性的客体化である。チェリまほに限らず、女性によって書かれた男性同性愛もの(あるいはその逆)を日経新聞は肯定的に取り上げるべきではない。なぜならそれは簒奪であり文化の盗用であり性的客体化であり、つまりはポリティカルコレクトネスに反しているからだ。
映画が大絶賛公開中の『ファンタスティックビースト』シリーズは『ハリー・ポッター』シリーズのスピンオフである。ところで、同シリーズの原作者J・K・ローリングがトランス女性への差別発言を度々行っているのは有名な話だろう。「温泉むすめ」のコラボが叩かれた件では過去にR-18コンテンツを描いていた作家がいたことが批判されたように、「誰がそのコンテンツを作ったか?」は重要な問題である。日経新聞は、間違ってもTERFによって作られた『ファンタビ』を肯定的に宣伝すべきではないし、広告に手を貸してもいけない。多様性を尊重すべき世の中なのだから当然だろう。
『月曜日のたわわ』全面広告批判の急先鋒となった『ハフィントンポストハフポスト』は、もちろん、日経新聞並かそれ以上に厳しい倫理観を問われる立場であるはずだ。であれば、まさか児童性虐待を恒常的に行っていたジャニー喜多川に対して肯定的な記事を書いてはいないだろうし、同性愛への偏見が根強く残る日本において同性愛者を面白おかしく扱ったステレオタイプ強化ドラマ『おっさんずラブ』の記事も同様であるはずだろうし、TERFが原作者である『ファンタビ』の知名度向上に寄与していたりはしないはずである。「ジェンダー、女性の生き方、人権、ハラスメントの問題、ルッキズム(ボディポジティブ)などに関心が」あるライターなら、なおさらそうでないとおかしい、の、だが……あれ?
正直、作品を叩くことでその本人が安心して暮らせるようになるならそういう活動(作品・広告叩き)やってもいいと思うんだよね、それも表現の自由の範疇だと思うから
受け入れられるかは別としてね
男性は別に女子高生を性的に扱った漫画を見て「女子高生を性的に見てもいいんだ!」と気づいてロリコンに進化するわけでもないし
交通事故をなくすためにおもちゃのミニカーを販売させないようにしよう!って言ってるやつがいたら「なんで?」って思うじゃん
ミニカーがなくなっても車に乗る機会は減らないじゃん
でもそこに
「子供の頃からミニカーに親しんでいる人は車好きになって大人になってから本物の車に乗る可能性が高い。つまりミニカーを減らせば自動車ドライバーが減って、結果的に交通事故をへらすことができる!」
って言う人が出てくると、普段車に乗らない人は
「もしかしたらそうかも?」
って思ってミニカーを減らしたいと思う人が増えて騒ぎ出すかもしれない
でもこんなの詭弁だろ、仮にいくらか効果があるとしても実証実験するにも数十年かかる
一連の騒ぎって男からするとこれと同じ現象にしか見えないんだよな、根拠が貧弱すぎて
別に男オタもエロ漫画に市民権を!なんて思ってないしたわわにも興味ない人、消えても困らない人も多い
けどあきらかにおかしな理屈で叩かれてるの見たら「それはおかしいだろ」って反論しちゃう人が多いんだと思う
ちなみに俺も女児の父だけど、やっぱり自衛させるしかないと思ってる
あとは頑張って稼いで治安の良い地域に住み、治安のいい学校に通わせるくらいかな
ただそうしても防げない性犯罪はあり得ると思う、それこそ交通事故や通り魔殺人と同じでね
それでも少しでも確率を減らすためにできることはないか?って考えて、
お守りを買ったり祈祷師に依頼する親もいるだろうし
そういう時間を子供とコミュニケーションとるのにあてる親もいると思う
何が正解かは俺にはわからん
女性だけが性犯罪に対して自衛しなければならないことに対する不公平感とか、性的表現に触れてしまった気持ち悪さなどが根底にあって
時々死にたくて死にたくてたまらなくなる時がある。
まぁそれは置いておいて、いちばん辛いのは幸せそうな人を見た時だ。
わたしは周囲の人に比べて、他人に愛されたという経験が少ない自覚がある。
わたし自身にも悪いところがあるのだろうが、なぜわたしだけこんなに愛されないのかがわからない。
誰かを無条件に愛し、愛される事ができない自分がたまらなく嫌になる。
自分は欠陥品なんだと感じ、劣等感に苛まれ、死にたくてたまらなくなる。
このままこんな辛い気持ちを抱えながら生きるぐらいなら今すぐにでも死にたい。
大きな病気になってもいい、通り魔に刺されるでも交通事故にあうでもなんでもいいから死にたい。