「長崎」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 長崎とは

2024-11-14

anond:20241114125706

長崎原爆の日に行われる平和祈念式典に殺戮国家イスラエルを呼ばないだけで

欧米諸国一致団結して日本責めてたのを忘れたか

反知性主義集団政治家やってて、当然日本外交力は下の下だし

加害者側に世界賛同するって流れも想像に難しくないだろ

2024-11-13

なかなか注目されない知事

長崎県知事2022年就任した。当時、39歳という若さで最年少知事となり、少し注目を集めた。

しかし、それ以降、目立った良いニュースも悪いニュースほとんどなかったように思う。

いや、実際には悪い話題は少なからずあり、今もなお疑惑が続いているというが、ニュースとして大きく取り上げられることはない。

県議会地方新聞では話題になることが多く、新聞を読んでいると知事があたか極悪人のように見える。

しかし、不思議なことに、テレビネットでの報道は限られており、ほとんど盛り上がっていない。

長崎に住んでいるのに、なぜか他県の知事市長ニュースばかりが耳に入ってくる。

知事を巡る政治資金に関する疑惑は、通常なら注目を集めそうな内容だが、それでも世間は静かなままだ。

これは「大した疑惑ではない」と世間が冷静に判断しているのだろうか。

それとも、長崎のもの世間から注目されていないからなのか——いったいどちらなのだろうか。

2024-11-09

anond:20241109145003

北海道 旭川いのちの電話 0166-23-4343

北海道 北海道いのちの電話 011-231-4343

青森県 あおもりいのちの電話 0172-33-7830

秋田県 秋田いのちの電話 018-865-4343

岩手県 盛岡いのちの電話 019-654-7575

宮城県 仙台いのちの電話 022-718-4343

山形県 山形いのちの電話 023-645-4343

福島県 福島いのちの電話 024-536-4343

新潟県 新潟いのちの電話 025-288-4343

福井県 坂井西警察署(東尋坊) 0776-82-0110

富山県 こころ電話 076-428-0606

石川県 こころ相談ダイヤル 076-237ー2700

長野県 長野いのちの電話 026-223-4343

長野県 松本いのちの電話 0263-88-8776

群馬県 群馬いのちの電話 027-221-0783

栃木県 栃木いのちの電話 028-643-7830

栃木県 足利いのちの電話 0284-44-0783

茨城県 茨城いのちの電話 029-855-1000

茨城県 水戸いのちの電話 029-350-1000

埼玉県 埼玉いのちの電話 048-645-4343

千葉県 千葉いのちの電話 043-227-3900

東京都 東京いのちの電話 03-3264-4343

東京都 多摩いのちの電話 042-327-4343

東京都 英語いのちの電話 03-5774-0992

神奈川県 川崎いのちの電話 044-733-4343

神奈川県 横浜いのちの電話 045-335-4343

山梨県 山梨いのちの電話 055-221-4343

静岡県 静岡いのちの電話 054-272-4343

静岡県 浜松いのちの電話 053-473-6222

岐阜県 岐阜いのちの電話 058-277-4343

愛知県 名古屋いのちの電話 052-931-4343

三重県 三重いのちの電話 059-221-2525

滋賀県 滋賀いのちの電話 077-553-7387

京都府 京都いのちの電話 075-864-4343

奈良県 奈良いのちの電話 0742-35-1000

大阪府 関西いのちの電話 06-6309-1121

兵庫県 神戸いのちの電話 078-371-4343

兵庫県 はりまいのちの電話 079-222-4343

和歌山県 和歌山いのちの電話 073-424-5000

鳥取県 鳥取いのちの電話 0857-21-4343

島根県 島根いのちの電話 0852-26-7575

岡山県 岡山いのちの電話 086-245-4343

広島県 広島いのちの電話 082-221-4343

山口県 山口いのちの電話 0836-22-4343

香川県 香川いのちの電話 087-833-7830

愛媛県 愛媛いのちの電話 089-958-1111

徳島県 いのち希望 088-623-0444

高知県 高知いのちの電話 088-824-6300

福岡県 北九州いのちの電話 093-653-4343

福岡県 福岡いのちの電話 092-741-4343

佐賀県 佐賀いのちの電話 0952-34-4343

長崎県 長崎いのちの電話 095-842-4343

熊本県 熊本いのちの電話 096-353-4343

大分県 大分いのちの電話 097-536-4343

宮崎県 宮崎いのちの電話 0570-783-556

鹿児島県 鹿児島いのちの電話 099-250-7000

沖縄県 沖縄いのちの電話 098-888-4343

2024-11-08

anond:20241108115321

どのみちすでにあるものは使わざるを得なくなる

広島長崎に落としたみたいに、その存在価値を確かめるために使う

次は本当に相互確証破壊存在するのか確かめるために使われるだろう

2024-11-07

佐賀駅から博多駅までの直通の電車を減らす取り決めにハンコを押すバイトいか

長崎を優先だ

佐賀佐世保特急新鳥栖終点新幹線へ乗り換え

長崎特急新幹線から乗り換えて佐賀ノンストップで通り抜けて博多駅へ至る(武雄駅からの乗車不可)

2024-11-03

anond:20241102210039

とにかく気に食わない男のことをチー牛、弱者男性扱いするからヤリ捨てする男や堕胎強要してくる男もそれらになる

まあ珍しくもない江戸の仇を長崎で討つ仕草

2024-11-01

海に眠るダイヤモンド1話考察

日曜劇場「海に眠るダイヤモンド1話を見た時点での考察

2話以降も書けたら書きたい。

まず、1話を見た多くの視聴者が抱いた疑問は「いづみ=誰?」

というものだと思われる。

初見では「いづみ=リナ」では無いかと思っただろう。

だがわたしは「いづみ=朝子」では無いかと思っている。

これには幾つか理由がある。

まず、いづみは玲央の店の原価率を調べるシーンが出てくる。

これはおそらく飲食店経営した経験がある人にしか出来ない発想だろう。

朝子は端島で「銀座食堂」の看板娘をしていたため、おそらく飲食店経営ノウハウが多かれ少なかれあるのだろうと思われる。

次に、朝子は鉄平片思いしていたが、おそらく最後まで鉄平とは結ばれる事は無かっただろうと予測している。

鉄平はリナの事をこの先想って行くシーンが描かれるのではないかと予想している。

鉄平と結ばれなかった朝子は端島の閉鎖と共にかその前に、

どこか割と金持ちの相手見合い結婚でもさせられるのでは無いかと考えている。

もしくは、鉄平とリナが結婚したことによって鉄平を忘れるため、

何れにせよ本作にまだ登場していない、それほど重要ではない男性人物結婚するのではと思われる。

完全なる妄想になってしまうが、その金持ち旦那に心から愛情を抱けなかった朝子は、

子供達を育てながら何かしらの事業、おそらく飲食関連の事業を立ち上げるのではないかと読んでいる。

その事業成功し、現在地位があり、おそらく旦那とは死別たか何かで現在は独り身、という状況ではないのだろうか。

そして、その飲食事業の関連かなにかで、玲央の働くホストクラブを突き止め、

鉄平そっくりの玲央に声をかけた・・・のでは無いかと思われる。

いづみは玲央を長崎に連れて行き、ちゃんぽんを食べるのだが、ここにヒントが1つ隠されている。

そう、ちゃんぽんの器に書かれた「銀座食堂」の文字だ。

おそらく朝子は飲食事業の出発点として長崎本土銀座食堂を出店し、今は別の人物経営しているのではなかろうか。

しか銀座食堂の味は端島創業時の味を受け継いでいるため、

うまいうまい」とちゃんぽんを食べる玲央の横でいづみは「普通よ、普通」と言っていたのでは無いか

もし、朝子=いづみでなければ、いづみも玲央と一緒に「美味しいわね〜」などという感想を語るはずである

さて、では鉄平と玲央の関係はどうであろう。

おそらく鉄平とリナの孫にあたる人物が玲央ではないか、と予想している。

ただし、リナと結婚し子を授かった鉄平炭鉱事故で死んでしまうのでは無いかと予想している。

独り残されたリナは幼子を抱え、端島を出たのでは無いかと思われる。

そう、冒頭の海で赤子を抱いたリナが夜小舟で独り島を出るシーンだ。

リナの子供はその後家庭を築き、そこで生まれたのが玲央、つまり鉄平の孫だ。

鉄平の血を引く玲央に端島歴史を伝えたい、もしくは何かしらの理由でいづみ自身財産鉄平の孫に渡すため、

いづみは玲央に「結婚」を持ちかけたのではなかろうか。

さて、最後に大きな疑問が残る。

鉄平の兄進平の存在とリナの関係だ。

2話の予告最後の嵐のシーンで、暗くてはっきりとは確認できなかったが、

進平とリナと思わしき人物が見つめ合うシーンが映っている。

配役的にも、斎藤工という大御所を単なる主人公の兄という脇役だけに留めておく訳がない。

いづみが語り出した「あれは何角関係だったかしら・・・」という「X角関係」の中におそらく進平が絡んでくると思われる。

だとしたら、リナが結ばれた相手鉄平なのか進平なのか、謎である

以上、稚拙考察ではあるがどこかに書き残して置きたいと思い書いてみた。

11月3日日曜日夜9時〜が大変楽しみである

そして、個人的端島へただならぬ思いを抱えている筆者としてはおそらく一生涯忘れられないドラマとなるだろう。

まだ「海に眠るダイヤモンド」未視聴の方は是非Tverかなにかで見て欲しいと思う。

端島のことを、軍艦島のことを、我々は後世に語り継がないとならないのである

2024-10-28

anond:20241028181233

北海道 旭川いのちの電話 0166-23-4343

北海道 北海道いのちの電話 011-231-4343

青森県 あおもりいのちの電話 0172-33-7830

秋田県 秋田いのちの電話 018-865-4343

岩手県 盛岡いのちの電話 019-654-7575

宮城県 仙台いのちの電話 022-718-4343

山形県 山形いのちの電話 023-645-4343

福島県 福島いのちの電話 024-536-4343

新潟県 新潟いのちの電話 025-288-4343

福井県 坂井西警察署(東尋坊) 0776-82-0110

富山県 こころ電話 076-428-0606

石川県 こころ相談ダイヤル 076-237ー2700

長野県 長野いのちの電話 026-223-4343

長野県 松本いのちの電話 0263-88-8776

群馬県 群馬いのちの電話 027-221-0783

栃木県 栃木いのちの電話 028-643-7830

栃木県 足利いのちの電話 0284-44-0783

茨城県 茨城いのちの電話 029-855-1000

茨城県 水戸いのちの電話 029-350-1000

埼玉県 埼玉いのちの電話 048-645-4343

千葉県 千葉いのちの電話 043-227-3900

東京都 東京いのちの電話 03-3264-4343

東京都 多摩いのちの電話 042-327-4343

東京都 英語いのちの電話 03-5774-0992

神奈川県 川崎いのちの電話 044-733-4343

神奈川県 横浜いのちの電話 045-335-4343

山梨県 山梨いのちの電話 055-221-4343

静岡県 静岡いのちの電話 054-272-4343

静岡県 浜松いのちの電話 053-473-6222

岐阜県 岐阜いのちの電話 058-277-4343

愛知県 名古屋いのちの電話 052-931-4343

三重県 三重いのちの電話 059-221-2525

滋賀県 滋賀いのちの電話 077-553-7387

京都府 京都いのちの電話 075-864-4343

奈良県 奈良いのちの電話 0742-35-1000

大阪府 関西いのちの電話 06-6309-1121

兵庫県 神戸いのちの電話 078-371-4343

兵庫県 はりまいのちの電話 079-222-4343

和歌山県 和歌山いのちの電話 073-424-5000

鳥取県 鳥取いのちの電話 0857-21-4343

島根県 島根いのちの電話 0852-26-7575

岡山県 岡山いのちの電話 086-245-4343

広島県 広島いのちの電話 082-221-4343

山口県 山口いのちの電話 0836-22-4343

香川県 香川いのちの電話 087-833-7830

愛媛県 愛媛いのちの電話 089-958-1111

徳島県 いのち希望 088-623-0444

高知県 高知いのちの電話 088-824-6300

福岡県 北九州いのちの電話 093-653-4343

福岡県 福岡いのちの電話 092-741-4343

佐賀県 佐賀いのちの電話 0952-34-4343

長崎県 長崎いのちの電話 095-842-4343

熊本県 熊本いのちの電話 096-353-4343

大分県 大分いのちの電話 097-536-4343

宮崎県 宮崎いのちの電話 0570-783-556

鹿児島県 鹿児島いのちの電話 099-250-7000

沖縄県 沖縄いのちの電話 098-888-4343

近代ラーメン史上最も重要店舗6選

ご当地ラーメンはたくさんあり、それらの発祥を書き出すとさすがにきりがないので、ここでは全国的に見掛ける、ないし影響を与えたと思われるラーメンに絞りました。

需要がありそうなら現代でも書いてみます

→書きました。現代ラーメン史上最も重要な店舗10選

来々軒東京

1910年創業醤油味のスープ小麦粉かん水使用した麺、具は支那竹焼き豚ネギと、いわゆる「昔ながらのラーメン」を提供し、日本最古のラーメン店とされる。1976年に閉店。

南京千両福岡

1937年創業創業者の出身地である長崎ちゃんぽんからヒントを得て、スープ豚骨使用したラーメン提供。ただし、このスープは乳化させたものではなかった。屋台からまり現在店舗を構えて営業を続けている。

三九(福岡

1947年創業。仕込み中に意図せず煮込み過ぎてしまった豚骨スープを試しに飲んでみたところ、予期せぬ濃厚な味に驚いたという。「白濁した豚骨スープ」という特徴を持つ豚骨ラーメンの源流と言われる。こちらも発祥屋台で、今は店舗営業中。

味の三平北海道

1950年創業味噌汁を元に工夫を重ねた末、味噌ラーメンを生み出す。ちなみに「客から要望があり、豚汁(ぶたじる・北海道なので)に麺を入れたのが最初」なる俗説は、二代目店主曰く「都市伝説」とのこと。現在営業中。

大勝軒東京

1951年創業。「ラーメン神様」こと山岸一雄が、中野店の店長時代、賄いとして食していたメニューブラッシュアップし、麺とスープが分かれた「特製もりそば」を提供する。これがつけ麺元祖とされる。

山岸一雄は、後に暖簾分けで東池袋に「大勝軒」を創業晩年は多くの弟子を取り、暖簾分け・出身店も多数輩出。「東池袋大勝軒系」と呼ばれる系譜を築く。

珍々亭(東京

1954年創業スープがなく、丼の底に溜まったタレと油を麺と絡めて食べる、油そば発祥店と言われる。ただし発祥は、国立市の「三幸」説もある(創業1952年と二年早い)。現在営業中。


追記

大勝軒は偉大だけど、それなら丸長じゃないか? 丸信、栄楽、大勝軒、栄龍軒はどれも丸長のれん会だぞ

大勝軒近代ではなく現代の方に入れるべきではないかと。近代の方としてはそこまで重要性が高いわけでもないでしょ。

そうですね。「丸長」をこちらへ入れて、「大勝軒」を現代に入れた方が良かったかも。

2024-10-26

anond:20241026191727

野菜を炒めて水を加えて煮立たせたところに溶き卵を加え

チキンラーメンを4つくらいに割ってそのまま皿に置き

から野菜+卵を煮汁ごとかけた、長崎皿うどんもどき

anond:20241026162612 衆議院公金チューチュースキー選択選挙長崎

衆院選投票日迫る!終盤の情勢調査長崎2区と3区」与野党激しく競り合い一歩も譲らず《長崎

https://news.yahoo.co.jp/articles/74ee3416e58621d301bbf5889ee8bdaf71dc2e62

# 長崎1区民民主党・前職の西岡 秀子

自民党公明党の支持を受けており、却下

# 長崎2区 立憲民主山田 勝彦

自民党公明党の支持を受けており、却下

# 長崎3区 自民・前職の金子 容三

立憲がヤバいのでそら金子だ。

2024-10-18

anond:20241018121842

それ、広島長崎原爆被害に対しても同じ事を言える?

過去に実際被害事実があったんだから何も間違ってはいないだろ。

2024-10-16

anond:20241015165830

中学までは記憶ないが、高校では長崎に行って長崎の街がとても良かったのを覚えている。陰キャだったか集団行動はあんまり上手くできなかったと思うが。

長崎は本当に良かったので大人になってから個人的旅行にも行った。

anond:20241015205456

福島鹿児島とでソフトボールで対決をしたらよいですね

高知長崎ソフトボールが盛んです

山口長門ラグビーが盛んのようです

2024-10-13

日本経済復活へやるべきこと

というのを考えたので駄文投下。

~~ 政治家に足きりの学力試験を設けろ


公務員試験法律行政経済くらいは課せ。

点数の公表は要らない。

点を公表すると、その点数だけで評価する有権者が出過ぎる懸念がある。

大学レベル勉強が仮に満点で出来ても、それほど大きな意味はない。

足きりで良い。

ともかく、政治家政治経済に関する最低限の知識と知能を保証しろ


~~ 政治専門家による評価しろ。それを放送しろ



国民投票で信任を問うな。

審査専門家しろ

国民素人だ。ほとんどの人は、ほとんどの争点を知ったこっちゃない。

M1だって初期は投票があったが糞だったか廃止しただろ。

お笑いじゃ無ければジョブチューンなんかでも良い。

素人評価なんて糞だ。

「良い人そうか」、「真面目そうか」くらいでしか素人評価できない。

からニュース政治と金ばかり話題になるんだ。

それよりも100兆を超える国家予算を適正に運用することの方がよほど重要だ。

例えば「今期、行ったこと」や「来期以降、やるべき課題」を閣僚野党党首等の重要責任を担う議員が45~60分程度でプレゼンし、それを財界トップ学者シンクタンクメディア出身者などの専門家批評して、どこか放送しろ

合計2時間。毎週でも良い。

国営放送でもいい。

現状でも政治討論番組は多いが、「プレゼン⇒指摘、批判提案⇒それに対する返答、再批判」という形式はない。

討論はその場の思い付きの話ばかりで、話が発散する。

討論なんて自己満だ。なんらの建設性もない。

プレゼン形式で、プレゼン話者にその場の責任を持たせろ。

話題責任所在を明らかにしろ

そして、批判、指摘にどれだけ返答できたか審査までしろ


万が一にでも、うまくこの過程が熟すれば、

審査員を審査するメディア一般人

・それを通じて、政治さら評価できる土壌

ができてくる。

そうでなくとも、プレゼン批判⇒返答のプロセスエンタメとしても政治評価としても意味があるからやってみろ。

~~ 都市再生計画シャッター商店街対策空き家問題対策



更地にするにも金がかかるし」で放置されてる商店空き家が増えすぎ。

そんな放置状態物件都市郊外駅前にザラにある。

商店街なんて、数件そういう空き商店が出始めたら、客足が遠のき、さらに空き商店が増加する。

この負のループによってシャッター商店街化してる場所日本全国で多すぎる。

しかも、子育て世代が住みたいと思える駅前土地が、そういう形態放置されている。

商店に定額の税金をかけて、「やってない商店物件として保持し続けるくらいなら、売却しよう」という動きを促せ。

それか補助金をだして、立ち退きを促せ。

また相続不明になって、空き家として放置されている物件も多い。

今後も増えるだろう。

最近、ようやく相続登記義務化があったが、刑罰10万円以下の罰金となってるが、土地公有地にしてもっと早急に競売にかけることまで制度化したほうがいい。

一般論として、土地有効活用とか都市再生計画もっとマニフェストの前に押し出せ。

そろそろ手遅れだぞ。

~~ 財政金融政策に期待しすぎるな


もう財政金融政策は十分やっただろ。

この20年間、ゼロ金利

財政負債が積みあがった。

その結果がこれだ。

しろ、既に書いたような都市再生のための規制改革の方が大事だ。


~~ 子づくり支援子供一人当たりの住宅ローン補助金の導入



子供が増えると必要な家の大きさも変わる。

高校無償化」等、教育費ばかりが政治的争点になってるが、家も子づくりと重要関係を持つ。

都市部だと、一部屋増やすと、家の価格が数千万上がることだってある。

「3人を上限に、子供一人当たり、住宅ローン0.5%減」くらいが当たり前にならないと、子供を持つ余裕なんてない。


財源は、消費税しろ

労働をしてない高齢者から税金をとる方法消費税だ。

もしくは今の高齢者から年金下げろ。

この世代は詰みあがった国債享受してきた世代だ。

年金も、今後の若い世代よりは多く受け取ってる。

世代間格差を是正して、消費税を上げて取れ。

健康保険料等で現役世代から取るな。

それと、不妊治療もっと安くしろ

不妊治療無料でもいい。

わざわざ子供を作りたいと考えてる世帯のことを全力で支援しろ

~~ 子育て支援



もはや、夫婦共働きが当たり前だ。

保育園もようやく待機児童がなくなってきたが、次の問題小学校以降だ。

夏休み等の長期休暇はどうするんだ。

教員は反対するだろうが、託児所的な役割を担ってもらわないと社会が回らなくなっている。

長時間労働理由部活動を無くすのは構わんが、長期休暇中といえど平日は通常業務しろ

~~ 地方創生をある程度あきらめろ



完全な過疎地域は諦めろ。

人口減少社会過疎地域地方創生机上の空論というのは爺婆しかいない地方人間が分かり切ってる。

もう手遅れだ。

都市圏の郊外ベッドタウンでさえ、上述のように、シャッター商店街問題が続出してる。

地方都市に関しては、長崎スタジアムティだとか、北海道エスコンフィールドみたいに、エンタメ商業施設等で再生するのが昨今の成功事例か?

特にバスケバレーで使うアリーナは、他のイベントにも使えるから上手く有効活用しろ

どちらも今、成長産業だ。

サッカースタジアムは正直商業的に微妙

芝がサッカー以外で使えない。

過疎地域で起きた大規模災害被災地の復旧とか夢を見すぎるな。

現実的には、大規模な被災をしたら若い世帯はさっさと転居して、余計にその地域過疎化は進む。

完全復旧なんて夢物語だ。

どうせ無理だから被災していない近隣都市部の郊外公営住宅を準備する方がコスパ良いだろ。

文句は出るだろうが、大規模な災害がある時点で不満が出るのは仕方ないと腹をくくった対応しろ


~~ 超高齢者投票権取り上げ、または、未成年者の投票付与



判断力が無い未成年者に投票権がないなら、判断力が低下してる超高齢者投票権があるのもおかしいだろう。

とりあえず、穏便に100歳以上の投票権を撤廃から、徐々に切り下げていけ。

90歳や85歳くらいまで、引き下げられたら、上述の地方切り捨てをしても、選挙に影響もなくなるはず。

まあ、これを実施するのが実質不可能なのは分かり切ってるから未成年の子供に投票権を付与するのが代替案だ。

そして、実質的保護者世代がその投票を担えば、高齢者の影響を薄めることが出来る。

18歳ではなく、15歳、12歳と引き下げていけ。

ついでに、運転免許は当然に高齢者から取り上げろ。

85歳以上は更新停止だ。

子供の命を何人犠牲にしたら気が済むんだ。

~~ 付加価値創造型とか夢物語を語るな



コストカット型も日本経済重要アイデンティティだ。

そういう日本の強みを忘れて、無謀な勝負を仕掛けるな。

そもそもそうやって、自分たちの良さを自覚できなかったから、例えばガラケー市場を取れなかったのではないか

上手くマーケティングすれば、日本品質改善型・コストカットビジネス世界に出れる余地はないのか。

経済の在り方を政治で主導できる時代は終わった。

市場の在り方は市場に任せろ。

~~ 大学受験を大きく変えろ



受験の難問を解けるようになることに、若くて頭の良い人間が労力を割きすぎだ。

ある程度の成績が良い人間は、大学科目の勉強に進めるような形態に変化しろ

ともかく、難問を解かせるよりも、さっさと受験勉強より上位の科学等に取り組ませろ。

そして、それを評価するような体制にしないといけない。

かなり大きな教育改革となるが、受験勉強に割かれている若年層の多大な労力を、より生産的な努力に転換することは重要だ。

アメリカ型のエッセイ共通テスト+成績でも良いかもしれない。

それと数学無しの大学受験をやめろ。

いわゆる、私立文系受験方式やばい

いまどき、文系でも統計データサイエンス知識は最低限必要

そもそもだが、任意とか存在とか、必要条件と十分条件みたいな数学の基礎概念理解してないと、論理的な会話は不可能

~~ トップ人材教育支援



ギフテッドみたいなトップ人材教育支援に力を入れろ。

結局、国を引っ張るのはそういうトップ人材だ。

本人や保護者希望場合飛び級できる制度を導入しろ

それと、東大生等の留学支援もっとしろ

日本で頭良いやつを育てられるような教育制度を作るより、頭良いやつを海外に送って教育してもらう方が安上がりかもしれん。

企業も、マイナー競技スポンサーとかするよりも、ハーバードスタンフォード留学する学生支援するスポンサーがあってもいいんじゃないか。


こんな感じだがどう思う?

2024-10-12

ノーベル平和賞を与えるべきは「はだしのゲン」の方だと思ってしま

が、それをやると作者と集英社が手柄を総取りした感じになっちゃうから被団協にしたんだろうなあ。

でもやっぱ影響力や訴求力という点では「はだしのゲン」が圧倒的に感じる。

連載開始から50年の間、戦争原爆についての市民目線でのエピソード子どもたちに与え続けてきたのは本当に凄い。

戦争エピソードをお祖父ちゃんに聞こう」みたいなのはさ、結局その人達体験したことしか言わないから都会なら田舎疎開した話だし、田舎なら都会から疎開なだれまれた話だけになっちゃうんだよね。

本当に原爆のことを実体験を持って伝えられる人は広島長崎の極一部にいた人だけで、あまりにも数が少ない。

でもジャンプ漫画だったら日本全国の子どもたちが読むし、学校公立図書館単行本も置かれているから皆いつの間にか読んで学ぶことが出来てる。

ゲンの良い所って「戦争を持ち上げたり批判したりで手の平クルクルしてる奴らはカス」ってエピソードはあっても「天皇かい詐欺師に騙されてアジア搾取した日本民族はカスから滅んだほうがいい」ってエピソードはないこと。

戦争に対して後ろ向きな作品によくあるただただ悲観的な内容じゃなくて、トラウマエピソードがクソほど山盛りなはずなのにやたら前向きなノリなんだよね。

当時の出版業界の多少の無茶ならセーフなノリのおかげで、米軍に「オウ、ナイスデザイン」な骸骨を売りつける今なら通らなそうなエピソードとかもあるし。

戦争によって普通暮らしを取り上げられた子ども等身大の戦いを描いて、その中で原爆による悲惨な影響が現れているって所が、読み手に対して原爆人間距離感を考えさせると思うんだよ。

ぶっちゃけさ、被爆体験者のエピソードってどっかで他人事じゃん?

だっていきなり現れて1時間だけ好き放題言って帰っていくだけの被爆前は学校通ってたっぽいこと以外は何の情報もない老人でしかないもの

でもゲン被爆する前から戦争と戦ってきた数々のエピソードがあって、被爆の影響が人によってバラバラタイミングでいつ現れるとも知れない中でどこまでも付きまとってくることの恐怖を語ってくれるわけだよ。

この生々しさはさ、いきなりやってきたよく分からんジジババの「辛かったねえ・・・戦争はクソだねえ・・・天皇はいい人なのに不思議だねえ・・・」な思い出話からだけじゃ伝わらねえわけよ。

やっぱ「はだしのゲン」は凄いと思うよ。

ノーベル平和賞もらって良かったと思う。

anond:20241012143459

平和式典でイスラエル呼ばなかった長崎はかっこよかったぞ

欧米の醜さが際立ってた

2024-10-11

来年にはやっとJリーグが東は関東から西は広島までのセントラルリーグになるな

横浜FC清水長崎が昇格した来年新潟福岡長崎が降格

来年までに千葉岡山水戸磐田などはJ1へ昇格だ

2024-10-02

 三四郎は、その不思議な事を、すぐ話せばいいと思うのに、与次郎は平気なもので、一人でのみこんで、一人で不思議がっている。三四郎はしばらく我慢していたが、とうとう焦れったくなって、与次郎に、美禰子に関するすべての事実を隠さずに話してくれと請求した。与次郎は笑いだした。そうして慰謝のためかなんだか、とんだところへ話頭を持っていってしまった。 「ばかだなあ、あんな女を思って。思ったってしかたがないよ。第一、君と同年ぐらいじゃないか。同年ぐらいの男にほれるのは昔の事だ。八百屋お七時代の恋だ」  三四郎は黙っていた。けれども与次郎意味はよくわからなかった。 「なぜというに。二十前後の同じ年の男女を二人並べてみろ。女のほうが万事上手だあね。男は馬鹿にされるばかりだ。女だって自分軽蔑する男の所へ嫁へ行く気は出ないやね。もっと自分世界いちばん偉いと思ってる女は例外だ。軽蔑する所へ行かなければ独身で暮らすよりほかに方法はないんだから。よく金持ちの娘や何かにそんなのがあるじゃないか、望んで嫁に来ておきながら、亭主を軽蔑しているのが。美禰子さんはそれよりずっと偉い。その代り、夫として尊敬のできない人の所へははじめから行く気はないんだから相手になるものはその気でいなくっちゃいけない。そういう点で君だのぼくだのは、あの女の夫になる資格はないんだよ」  三四郎はとうとう与次郎といっしょにされてしまった。しかし依然として黙っていた。 「そりゃ君だって、ぼくだって、あの女よりはるかに偉いさ。お互いにこれでも、なあ。けれども、もう五、六年たたなくっちゃ、その偉さ加減がかの女の目に映ってこない。しかして、かの女は五、六年じっとしている気づかいはない。したがって、君があの女と結婚する事は風馬牛だ」  与次郎は風馬牛という熟字を妙なところへ使った。そうして一人で笑っている。 「なに、もう五、六年もすると、あれより、ずっと上等なのが、あらわれて来るよ。日本じゃ今女のほうが余っているんだから風邪なんか引いて熱を出したってはじまらない。――なに世の中は広いから、心配するがものはない。じつはぼくにもいろいろあるんだが、ぼくのほうであんまりうるさいから、御用で長崎出張すると言ってね」 「なんだ、それは」 「なんだって、ぼくの関係した女さ」  三四郎は驚いた。 「なに、女だって、君なんぞのかつて近寄ったことのない種類の女だよ。それをね、長崎へ黴菌の試験出張するから当分だめだってわっちまった。ところがその女が林檎を持って停車場まで送りに行くと言いだしたんで、ぼくは弱ったね」  三四郎ますます驚いた。驚きながら聞いた。 「それで、どうした」 「どうしたか知らない。林檎を持って、停車場に待っていたんだろう」 「ひどい男だ。よく、そんな悪い事ができるね」 「悪い事で、かあいそうな事だとは知ってるけれども、しかたがない。はじめから次第次第に、そこまで運命に持っていかれるんだから。じつはとうのさきからぼくが医科の学生になっていたんだからなあ」 「なんで、そんなよけいな嘘をつくんだ」 「そりゃ、またそれぞれの事情のあることなのさ。それで、女が病気の時に、診断を頼まれて困ったこともある」  三四郎おかしくなった。 「その時は舌を見て、胸をたたいて、いいかげんにごまかしたが、その次に病院へ行って、見てもらいたいがいいかと聞かれたには閉口した」  三四郎はとうとう笑いだした。与次郎は、 「そういうこともたくさんあるから、まあ安心するがよかろう」と言った。なんの事だかわからない。しかし愉快になった。  与次郎はその時はじめて、美禰子に関する不思議説明した。与次郎の言うところによると、よし子にも結婚の話がある。それから美禰子にもある。それだけならばいいが、よし子の行く所と、美禰子の行く所が、同じ人らしい。だから不思議なのだそうだ。  三四郎も少しばかにされたような気がした。しかしよし子の結婚だけはたしかである。現に自分がその話をそばで聞いていた。ことによるとその話を美禰子のと取り違えたのかもしれない。けれども美禰子の結婚も、まったく嘘ではないらしい。三四郎ははっきりしたところが知りたくなった。ついでだから与次郎に教えてくれと頼んだ。与次郎はわけなく承知した。よし子を見舞いに来るようにしてやるから、じかに聞いてみろという。うまい事を考えた。 「だから、薬を飲んで、待っていなくってはいけない」 「病気が直っても、寝て待っている」  二人は笑って別れた。帰りがけに与次郎が、近所の医者に来てもらう手続きをした。  晩になって、医者が来た。三四郎自分医者を迎えた覚えがないんだから、はじめは少し狼狽した。そのうち脈を取られたのでようやく気がついた。年の若い丁寧な男である三四郎は代診と鑑定した。五分ののち病症はインフルエンザときまった。今夜頓服を飲んで、なるべく風にあたらないようにしろという注意である。  翌日目がさめると、頭がだいぶ軽くなっている。寝ていれば、ほとんど常体に近い。ただ枕を離れると、ふらふらする下女が来て、だいぶ部屋の中が熱臭いと言った。三四郎は飯も食わずに、仰向けに天井をながめていた。時々うとうと眠くなる。明らかに熱と疲れとにとらわれたありさである三四郎は、とらわれたまま、逆らわずに、寝たりさめたりするあいだに、自然に従う一種快感を得た。病症が軽いからだと思った。  四時間、五時間とたつうちに、そろそろ退屈を感じだした。しきりに寝返りを打つ。外はいい天気である。障子にあたる日が、次第に影を移してゆく。雀が鳴く。三四郎はきょうも与次郎が遊びに来てくれればいいと思った。  ところへ下女が障子をあけて、女のお客様だと言う。よし子が、そう早く来ようとは待ち設けなかった。与次郎だけに敏捷な働きをした。寝たまま、あけ放しの入口に目をつけていると、やがて高い姿が敷居の上へ現われた。きょうは紫の袴をはいている。足は両方とも廊下にある。ちょっとはいるのを躊躇した様子が見える。三四郎は肩を床から上げて、「いらっしゃい」と言った。  よし子は障子をたてて、枕元へすわった。六畳の座敷が、取り乱してあるうえに、けさは掃除をしないから、なお狭苦しい。女は、三四郎に、 「寝ていらっしゃい」と言った。三四郎はまた頭を枕へつけた。自分だけは穏やかである。 「臭くはないですか」と聞いた。 「ええ、少し」と言ったが、べつだん臭い顔もしなかった。「熱がおありなの。なんなんでしょう、御病気は。お医者はいらしって」 「医者はゆうべ来ました。インフルエンザだそうです」 「けさ早く佐々木さんがおいでになって、小川病気から見舞いに行ってやってください。何病だかわからないが、なんでも軽くはないようだっておっしゃるものから、私も美禰子さんもびっくりしたの」  与次郎がまた少しほらを吹いた。悪く言えば、よし子を釣り出したようなものである三四郎は人がいいから、気の毒でならない。「どうもありがとう」と言って寝ている。よし子は風呂敷包みの中から蜜柑の籠を出した。 「美禰子さんの御注意があったから買ってきました」と正直な事を言う。どっちのお見舞だかわからない。三四郎はよし子に対して礼を述べておいた。 「美禰子さんもあがるはずですが、このごろ少し忙しいものですから――どうぞよろしくって……」 「何か特別に忙しいことができたのですか」 「ええ。できたの」と言った。大きな黒い目が、枕についた三四郎の顔の上に落ちている。三四郎は下から、よし子の青白い額を見上げた。はじめてこの女に病院で会った昔を思い出した。今でもものうげに見える。同時に快活である。頼りになるべきすべての慰謝を三四郎の枕の上にもたらしてきた。 「蜜柑をむいてあげましょうか」  女は青い葉の間から果物を取り出した。渇いた人は、香にほとばしる甘い露を、したたかに飲んだ。 「おいしいでしょう。美禰子さんのお見舞よ」 「もうたくさん」  女は袂から白いハンケチを出して手をふいた。 「野々宮さん、あなたの御縁談はどうなりました」 「あれぎりです」 「美禰子さんにも縁談の口があるそうじゃありませんか」 「ええ、もうまとまりました」 「だれですか、さきは」 「私をもらうと言ったかたなの。ほほほおかしいでしょう。美禰子さんのお兄いさんのお友だちよ。私近いうちにまた兄といっしょに家を持ちますの。美禰子さんが行ってしまうと、もうご厄介になってるわけにゆかないから」 「あなたはお嫁には行かないんですか」 「行きたい所がありさえすれば行きますわ」  女はこう言い捨てて心持ちよく笑った。まだ行きたい所がないにきまっている。  三四郎はその日から四日ほど床を離れなかった。五日目にこわごわながら湯にはいって、鏡を見た。亡者の相がある。思い切って床屋へ行った。そのあくる日は日曜である。  朝飯後、シャツを重ねて、外套を着て、寒くないようにして美禰子の家へ行った。玄関によし子が立って、今沓脱へ降りようとしている。今兄の所へ行くところだと言う。美禰子はいない。三四郎はいっしょに表へ出た。 「もうすっかりいいんですか」 「ありがとう。もう直りました。――里見さんはどこへ行ったんですか」 「にいさん?」 「いいえ、美禰子さんです」 「美禰子さんは会堂」  美禰子の会堂へ行くことは、はじめて聞いた。どこの会堂か教えてもらって、三四郎はよし子に別れた。横町を三つほど曲がると、すぐ前へ出た。三四郎はまったく耶蘇教に縁のない男である。会堂の中はのぞいて見たこともない。前へ立って、建物をながめた。説教掲示を読んだ。鉄柵の所を行ったり来たりした。ある時は寄りかかってみた。三四郎はともかくもして、美禰子の出てくるのを待つつもりである。  やがて唱歌の声が聞こえた。賛美歌というものだろうと考えた。締め切った高い窓のうちのでき事である。音量から察するとよほどの人数らしい。美禰子の声もそのうちにある。三四郎は耳を傾けた。歌はやんだ。風が吹く。三四郎外套の襟を立てた。空に美禰子の好きな雲が出た。  かつて美禰子といっしょに秋の空を見たこともあった。所は広田先生の二階であった。田端小川の縁にすわったこともあった。その時も一人ではなかった。迷羊。迷羊。雲が羊の形をしている。  忽然として会堂の戸が開いた。中から人が出る。人は天国から浮世へ帰る。美禰子は終りから四番目であった。縞の吾妻コートを着て、うつ向いて、上り口の階段を降りて来た。寒いみえて、肩をすぼめて、両手を前で重ねて、できるだけ外界との交渉を少なくしている。美禰子はこのすべてにあがらざる態度を門ぎわまで持続した。その時、往来の忙しさに、はじめて気がついたように顔を上げた。三四郎の脱いだ帽子の影が、女の目に映った。二人は説教掲示のある所で、互いに近寄った。 「どうなすって」 「今お宅までちょっと出たところです」 「そう、じゃいらっしゃい」  女はなかば歩をめぐらしかけた。相変らず低い下駄はいている。男はわざと会堂の垣に身を寄せた。 「ここでお目にかかればそれでよい。さっきからあなたの出て来るのを待っていた」 「おはいりになればよいのに。寒かったでしょう」 「寒かった」 「お風邪はもうよいの。大事になさらないと、ぶり返しますよ。まだ顔色がよくないようね」  男は返事をしずに、外套の隠袋から半紙に包んだものを出した。 「拝借した金です。ながながありがとう。返そう返そうと思って、ついおそくなった」  美禰子はちょっと三四郎の顔を見たが、そのまま逆らわずに、紙包みを受け取った。しかし手に持ったなり、しまわずにながめている。三四郎もそれをながめている。言葉が少しのあいだ切れた。やがて、美禰子が言った。 「あなた、御不自由じゃなくって」 「いいえ、このあいからそのつもりで国から取り寄せておいたのだから、どうか取ってください」 「そう。じゃいただいておきましょう」  女は紙包みを懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白いハンケチを持っていた。鼻のところへあてて、三四郎を見ている。ハンケチをかぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチ三四郎の顔の前へ来た。鋭い香がぷんとする。 「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。三四郎は思わず顔をあとへ引いた。ヘリオトロープの罎。四丁目の夕暮。迷羊。迷羊。空には高い日が明らかにかかる。 「結婚なさるそうですね」  美禰子は白いハンケチを袂へ落とした。 「御存じなの」と言いながら、二重瞼を細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、かえって遠くにいるのを気づかいすぎた目つきである。そのくせ眉だけははっきりおちついている。三四郎の舌が上顎へひっついてしまった。  女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。 「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」  聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして別れた。下宿へ帰ったら母から電報が来ていた。あけて見ると、いつ立つとある

anond:20241002010446

東海道新幹線開業60周年

私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線開業して30年以上経った90年代

母方の実家があるため静岡病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。

そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶

当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。

全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピード新幹線新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。

こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系ホームに滑り込んでくる。

これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。

そんなわけでしばらく新横浜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。

ある時、静岡祖父旅行企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさ九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父神奈川まで来てくれた)

500系運用は決まってのぞみ静岡は停車しない。

フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。

空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。

何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜ホームに降り立っていた。

そこから中学修学旅行京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女京都に行ったり。

そして現在に至る。

三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったもの電車マスコンハンドルを握って仕事をしている。

JR東海新卒普通に落ちた。

恨むこともないし、社会人になり親友名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。

飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。

車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母距離は遠くなっていた。

そして、今年の正月祖父が亡くなった。

仕事中に訃報を伝えられ、品川から東海道新幹線に乗り込んだ。

予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。

流れる車窓を眺めながら、祖父との思い出が駆け巡る。

新幹線に乗り愛知万博家族みんなで行ったこと。

静岡ホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。

社会人になった後に神奈川祖父母が来た時、帰りの切符グリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。

祖父との思い出の節々に東海道新幹線が出てくる。

母は、修学旅行では寝台特急長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。

現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆ど目的地へ行くことが出来る。

私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。

会いに行こう、をテーマ曲に。これから日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。

そう思って文を締めます

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん