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はてなキーワード: 悲鳴とは

2024-07-26

バンザメ壁に貼り付けてたら怒られた

ひゃあ!って悲鳴あげなくてもいいのに

バンザメが壁に張り付いてただけ

2024-07-25

お前ら鈴木宗男に謝っといた方がいいんじゃない

2022/03/11 鈴木宗男氏「ウクライナ大事だが日本国益はどうなのかも最重要」ロ報道官発言引用デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

2022/04/07 鈴木宗男氏「いくら制裁しても闘い終わらない」NATO要望武器供与より話し合いを」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

2022/06/16 鈴木宗男氏、ウクライナ側に「物価高で世界中悲鳴を上げていることを考えるべき」「勇気ある決断を」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

2022/10/05 鈴木宗男氏「ウクライナ停戦を」 欧米武器供与停止も訴え:時事ドットコム

2022/10/16 鈴木宗男氏 米英によるロシア劣勢情報「本当に正しいのか」「後2カ月もすれば…」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

2023/10/06 鈴木宗男氏「ロシア勝利信じる」と現地で発言 国営通信動画配信朝日新聞デジタル

2023/08/11 維新鈴木宗男氏「何があっても露は負けない」 侵攻長期化巡り | 毎日新聞

2024-07-19

anond:20240629031010

私はこの時をずっと待っていた。

 

船内は明らかに混乱していた。その証左に、私たち囚われ人の前に今朝から一度も奴らは現れていない。いつもは日が昇ると同時に私たちは奴らに鞭で追われて甲板に上がるのだが、今日はもう日が暮れようとしている。

もちろん、昨日から船がどこかの港に停泊しているということもあるのだろう。奴らの人数も、いつもが十だとしたら二か三くらいしかいない、そのような気配が感じられる。

折り重なるようにして寝ている私たちを、常に狙っていた火を吹く黒い筒も、据えられた台座の横にいるはずの者がいない。

 

私たちはあの黒い筒のと交換で、この船に押し込まれ、囚われの身となった。私たちとの争いに勝った部族の王は、降伏した私たちを奴らに引き渡して、あの人殺しの筒を買ったのだ。

私たちはずっと鎖で繋がれ、太陽の出ている間はろくな食い物も水も与えられず労務を課せられた。怪我人や病人は放っておかれ、その程度が重ければ海に捨てられた。そして日暮とともに船の底のほうの暗い場所に押し込まれ、繋がれたままほとんど眠れない夜を過ごした。

 

私も例外ではなかったが、一つだけ違うのは、足首に繋がれた鉄の輪が開くようになっていたことだ。最初に鍵をかけ忘れたらしい。

しかし私はそれに気づかないふりをし続けた。いつでも自由に走り出せると知っていながら、走り出しても撃ち殺されない時を待った。

目の前で何人も仲間が死んだ。病で。空腹で。極度の渇きで。奴らによる無意味虐待で。犯された後に殺された男児もいた。

しかし私は足首の輪を外さなかった。歯を食いしばりながら、そこにある自由を見過ごし続けて時を待った。

 

そしてようやく、その時が訪れた。

奴らが「セントクリストファーネビス」と呼ぶ、この港に着いて一昼夜が経ち、明らかに奴らは何か別のことに気を取られていた。今日一日を日の当たらない船底で過ごした私は、漏れくる陽光の傾きと弱まりから日暮が近いのを知る。

完全に暗くなっては行動ができない。

奴らよりは夜目が利く私は、黄昏を待ってついに足輪を外す。まずは私と二人一組として繋がれていた男に、声を出さないように促しながら、行動開始を合図する。

そこから今日一日かけて事前に打ち合わせしたとおりに事が運んだ。大きな物音を立てて番人をおびき寄せ、待ち構えた私たち二人で声が出ないように縊り殺し、鍵を奪って皆を自由にする。

甲板に登ったところで金網と棘の張り巡らされた壁があり、黒い筒を持った奴らが待ち構えているだけなので、私たちは船体の横腹に穴を開けて海へと直接逃げ込んだ。私たち部族は幼い頃から泳ぎを学んでいることもあり、八十と六人全員が、雲を通す薄い月明かりの下、岸までたどり着くことができた。

その後は走った。街を離れ、ひたすら高い場所を目指して、首まである草地の中を走り続けた。船の方を振り返っても幸い気づかれた様子はなかったが、私たち皆は喜びに満ちた疾走をしばらくは止めなかった。止めたくなかった。

 

満月が雲から顔を出し、この島を照らし出す。私たちは島の全てが見渡せる高みにいた。遠く、忌まわしい船が見える。月が港の水面に映っている。

私たちはこの島で生きていくことになる。勝手のわからない新天地での暮らしは、簡単には安定しないだろう。しかし今私たちが成し遂げたことに比べたら大したことはないはずだ。もし奴らが私たちをもう一度捉えようと襲ってきても、今度は闘い、退けよう。

興奮が高揚に変わり、やがて静かに幸福感を噛み締め始めた頃には、私たち自分がひどく疲れていることに気づいた。

 

老いた者、幼き者から順に眠りにつく中、私はまだ立ったまま船のほうを見下ろしていた。

突然の轟音。大きな岩同士がぶつかるような音。

のしたほうを見ても、何もない。正確には月の映った港の水面しかない。

音は一度止んだが、今度は岩と岩を擦り合わせる、悲鳴のような音が鳴り出す。大きく硬いもの同士が押し合ってお互いを破壊しようとしているような、破局的な音。

目を凝らすと、港の水面の端っこに映っている月が、岸を少しずつ削るようにして水面を拡げているように見える。ただの水面に映った影がそんなことができるはずがないのだが、そうとしか見えない。

やがて削られた岸は暗い淵のように開いていき、ある瞬間に突如港の水を飲み込み出した。

水は滑り落ちるように「淵」に落ちていき、引きずられるように港にあった船も吸い込まれていく。私たちを運んできたあの船も。

全ての水と船を飲み込むと、淵はいつの間にか消え、水面が無くなったことで月も空にしか存在しなくなった。

やがて月に変わるように太陽が空に現れた。

私たち自由を得た。もう追われる心配もない。

私たちは出口を見つけられたのだ。

絵描きだったが最近は長いこと絵を描いてなかった、でもAIのおかげでオタ趣味に復帰できた気がするのでAIにはちょっと感謝している。

<誰?>
<なぜ描かなくなった>
そもそもオタ趣味とは?>
AIに手を出してどう変わった>
  • 単純に「俺はこういうの好き!」が非常にやりやすくなった。英語打ち込むだけで簡単に出したいキャラエロ絵が出てくるもんね、AI様々。急にドラえもんひみつ道具が実現した未来にきたみたい。
  • 休み中にも次はどういう要素を入れようか…こういうポーズは作れるのか…と昔好きだったキャラたちのことを思い浮かべて構図を練ってたりする。忘れてたこういう感覚
  • 自分が参加している界隈はかなりおっさんだらけで古いキャラでも結構反応がある。なんあらすでに鬼籍に入られている作家さんの作品を作り続けてる人もいてある種の執念を感じる。
  • 一応自分で描いた落書きスマホに指で描いたようなやつ)を元にしたAI絵も作ってみるけど、貼るときは「自分は絵も描けるんだ」みたいな態度は絶対に匂わせないようにしている。トラブルしか生むまい、身バレ怖い。隠さない人もいるけど。
  • というわけでこれまでずっと見る専だったのが、最近は絵を貼る側として参加できるようになった。のめり込みすぎて家族最近スマホいじりすぎだと怒られてるので少し冷静にならなければと思うくらい。でも楽しい
著作権侵害とか>
絵師特権とは>
  • 正直絵を描くことを趣味としていたおかげでネット上でちょっと特別扱いされてたとは感じる。
  • 「これが好き!」というのを言葉表現すると普通に警察呼ばれそうな嗜好でも、それを絵で表現すると「神!」「素晴らしい作品です!」「ずっとその作品ファンでいて!」と反応が違うからね。こっちは実益(ズリネタ)を与えてるので対価をもらっているようなもんではある。
  • AIでそれがなくなったか?と言われると、まだまだ手書きの方がずっと強いと感じる。自分の絵に関して言うと昔々の本当につたない初期の絵ですらごくごくまれネット掲示板で見かけたりするが、AI絵はこっちがどんなに傑作だと思ってたものでも転載されてるのは見たことない。
  • 現在AI界隈はみんな表現者になれることに夢中で、実は他人の絵なんて流し見して保存してないのだろう。AI絵は絵の価値が非常に軽い。
ネットの思い出>

2024-07-16

誰にでも強姦魔の才能がある

と思ってる

多かれ少なかれ

個人的には倫理観抜きにしてもレイプって嫌いなんだけど(エッチが成立しないから)

ただ、女性気持ちよくなってる様と、レイプで嫌がってる様や悲鳴ってよく似てるなとは思う

から創作AVのそう言うシーン、もしくはホラーなんかで、怯えている女性がたまーに色気があるように見えることがある(1割くらい?)

こういうのって何ていうジャンルフェチズムなのかわからんけど(なんか言葉ありそう)

加虐趣味ドSな人ってそういうところがフックになってるんだろうなというのは感覚にわかるし

誰しも多かれ少なかれそのフック自体はあるんじゃないかと思ってる

 

関係ないけど、怯えてる様もそうだけど笑ってる様も喘ぎ声に似ててエロいよね

これに10年早く気づいてたらお笑い目指してたかもしれない

でも不思議と「笑ってる女子性癖」みたいな人って見かけないんだよね

 

もう一個、甘えた声もちょっと近い

デート中に◯◯ほしい〜〜って甘えられた時に勃起したことがあるくらいには似てる

なお買いたくはない

ザムザさん

ザムザです。

今朝目覚めたら、なんと私の体が巨大な虫に変わっていました。

驚いて声を上げようとしましたが、口から出てきたのは奇妙なキーキー音だけ。

家族に助けを求めようと必死に動きましたが、新しい体では思うように動けません。

そんな中、妹のグレーテが部屋のドアをノックしてきました。

「お兄ちゃん、起きて!会社遅刻ちゃうわよ!」

私はどうすればいいのでしょうか……

さて次回は

「衝撃!ザムザの姿に家族悲鳴

「壁にはりつくザムザ、父のりんご直撃」

ゴキブリホイホイ、意外な使い道」

の3本です。お楽しみに。

2024-07-08

強気な嫁は虫が苦手

一回トイレ模型トンボ置いたら

すごい悲鳴あげられた

キラキラした作品を片っ端から蛸壺屋に穢して欲しい

オタク悲鳴を俺は聞きたいんだ

キラキラしたもの冒涜されてほしい

2024-07-04

百年の孤独」読まんで逆張りしたい人に薦めるラテンアメリカ文学10

https://anond.hatelabo.jp/20240703191053

ワイ、昨日書いた増田が250以上ブクマされ、ビビり散らかす。まあ逆張り背伸びしたい勢は想像以上にいるってことなんだろうか。それにしても「百年の孤独文庫マジで見つからんな、4件本屋行ったが見つからん。だからまあアレだ、今度は“「百年の孤独文庫版売ってないのでもういっそ「百年の孤独」は読まないで逆張りしたい人に薦めるラテンアメリカ文学”というテイでお薦めするわ。逆張りしてる/したいやつ、そもそも百年の孤独」読まんよな。

アウグスト・ロア=バストス/吉田秀太郎「汝、人の子よ」(パラグアイ)

まず名前カッコよすぎだろ、アウグスト・ロア=バストスって。ラテンアメリカ小説家で一番カッコええよ。まあそれは措いといて、これはパラグアイ現代史とかそういうの描いてんだけど、語り方がめちゃ混乱してる。1人称で進んでたと思ったら3人称語りになったり、日記文章出てきたり。時間軸もめっちゃ変わる。何かググったらロア=バストス、映画脚本家でもあったらしいけど、脚本っぽさが違和感理由かもしんない。こういうわけで読んでて何回もは?とかなるけど、その錯綜っぷりがパラグアイ現代史なのかもね、知らんけど。

オスカール・ナカザト/武田千春「ニホンジン」(ブラジル)

そう、日系ブラジル人ナカザトさんが書いた日系移民についての小説月並みなんだが日本の知られざる歴史ってやつを、ある移民家族史を通じて教えてくれてめっちゃ面白いよ。これ読んでたら、戦前かにブラジルだけじゃなくパラグアイとかペルーとか、あと他の地域の国とかに行って生きたり死んだりしてた日系移民めっちゃ多かったんだろうなとかしみじみしてしまったわ。水声社から出てる現代ブラジル文学コレクションで一番好きやね、これが。

マリオ・レブレーロ/寺尾隆吉「場所」(ウルグアイ)

ある時起きたら見知らぬ部屋にいて、ドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて、その部屋のドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて……こういう悪夢みたいな状況を描いた作品がこれなんだけども、こっからまた別の意味で変なことが起こっていって、変なことのバーゲンセールが開催されながらも文章結構淡々としてて、この素っ頓狂さをどこまでも真顔で書いてる作者の顔面自然と浮かんでくる。訳者によるとウルグアイは“奇人の国”らしい。これ読むと、まあ納得や。

ソル・ケー・モオ/吉田栄人「穢れなき太陽」(マヤ/メキシコ)

これはラテンアメリカ先住民の1つ、マヤ人の小説家が書いた小説集。マヤ語とスペイン語の2か国語で、先住民社会とか女性差別とかそういうのを描いてる。マヤ人の社会やら文化やらについて当事者が書いた本は少ないし、そういう意味でもかなりオススメ。ていうか俺は、ラテンアメリカ文学の入門としてこの人の作品も出てる「新しいマヤ文学」がマジでうってつけだと思ってる。フェミニズムやら、ファンタジーやら、魔術的リアリズムやら色々てんこもりで、薄めでしかも字もデカいから読みやすい。図書館とかじゃスペイン語文学の棚じゃなくて、海外文学最後のその他の文学の枠に置いてある時多いから注意な。

 

エリコ・ヴェリッシモ/澤木忠男「大使閣下」(ブラジル)

ラテンアメリカ文学好きは“三大独裁者小説”って聞いたことあるかもな。カルペンティエールの「方法異説」とロア=バストスの「至高の我」とガルシア=マルケスの「族長の秋」ね。この本はそこに並んでもいいようなブラジル小説だけど、またクソ分厚いわ、出した出版社がそこまで有名じゃないわで。日本じゃ全然知名度がない。てか翻訳過程オモロイ。訳者、実は三菱UFJ銀行の元理事で、若い頃にこの本読んで感銘を受けて、50年越しに翻訳したらしい。すげえ執念だ。まあこれは俺の文章より、ラテンアメリカ協会書評読んだ方がええ。https://latin-america.jp/archives/55186

ソル・フアナイネス・デ・ラ・クルス/中井博康「抒情詩集」(メキシコ)

前にスペイン語勉強してた時、メキシコの人に「スペイン語話者モテたいなら、この詩人を読んでスペイン語での口説き方を学べ」って言われてこの人を教えられた。で、図書館行ってとりあえず見つけたこ日本語版の詩集読んでみたんだが……いや全然そういうのじゃなくね!?一体全体何を以てこれ読んで口説き方を学べと言ったんか、それともジョークで言ったんか、マジ分からんが、詩を諳んじられればメキシコひいてはスペイン語圏でモテるってことかね?日本じゃ現代短歌読めればモテる、みたいな。

マヌエル・プイグ/木村栄一「このページを読む者に永遠呪いあれ」(アルゼンチン)

ブコメマヌエル・プイグの話が出てたが、プイグたらこれやろ。「このページを読む者に永遠呪いあれ」やろ、これくらい印象に残る本のタイトルないやろ。この本の表紙の写真と、何か一言だけつけてXで呟けば一発でバズるやろ。というか多分、もうバズってるやつはいるやろ。内容に関しては、忘れた。前の「ポーランドボクサーパターンのやつや。今回はタイトルだけ異常に際立って覚えてるやつ。だって「このページを読む者に永遠呪いあれ」やん、忘れられんやろ、これは。

サルバドールプラセンシア/藤井光「紙の民」(メキシコ/アメリカ)

これ、ラテンアメリカ文学として紹介されてるの見たことなくて不思議だわ。英語で書かれてるけども、著者がメキシコ出身主人公たちもメキシコから移住してきた家族だし、土星戦争みたいに常軌を逸した出来事の数々が起こってる感じ、ラテンアメリカ文学求めてる人に面白がられそう。だがこれが曲者なのが、内容や文章実験的なら、文字レイアウトでまで実験しまくりなことで、本引っくり返したりしないと読めない部分すらある。だから本のフリをした現代美術を楽しむノリで読むというか、体験すべきというか。

エリザベス・アセヴェド/田中亜希子詩人になりたいわたしX」(ドミニカ共和国/アメリカ)

これも英語作品だけども、作者がドミニカ共和国出身主人公も同じ境遇少女や。で題名通りに主人公詩人になろうと色々と頑張るんやが、それが詩の形式でめちゃ改行しまくって書かれてるんだよ。これ読んだ時、マジでビックリしたわ。そんな風に小説書いちゃっていいの?みたいな。内容と合ってるのはもちろん、ドミニカ共和国伝統音楽も出てきて、そういうリズムも感じられんだよな。もち読みやすいし、こん中じゃ一番気軽に薦められるやつ。みんな、児童文学も読めよ。それが周りの読書好きに対する逆張りや。

フェルナンドデル・パソ/寺尾隆吉「帝国の動向」(メキシコ)

すまんが、1冊まだ読み切ってない本を薦めるわ。ラテンアメリカ文学のクソデカ本の頂点はロベルトボラーニョの「2666」だけど、それには全然劣りながらもページ数880でしかも字がめっちゃ小さい。メキシコ第二帝政時代皇帝マクシミリアンとその妃シャルロッテのクソデカ悲劇を描いたクソデカ歴史小説で、マジで何度も読むの挫折してる。「百年の孤独」関連じゃ“読むの挫折した”って悲鳴をXで何度も見てきたが、俺にとってのそういう本だ。俺の代わりに読み切ってくれ、ホンマに。

あと友田とんの「『百年の孤独』を代わりに読む」もちろん知ってるで。でもいきなり早川再販されて、何かサンダンス映画祭でやりそうな面白いインディー映画作ってた監督が、いきなりMarvel作品監督に抜擢された感じで、嬉しいけど寂しい感じやな。その後にMarvel映画作んなくてもずっとハリウッドで大作作り続ける監督とかザラだし、今後はずっとそういう感じで新作も大手から出し続けんのかね?

2024-06-30

anond:20240630114536

これで消したら「間違ったことを書いて相手攻撃したのに、自分攻撃された途端にキャンと悲鳴を上げた奴」って扱いになるのは目に見えてるから賢い人な通報しないと思うけどね。

俺はバカだって自己紹介がしたいならともかく。

2024-06-29

現場怪我してオフィス業務に移ったんだけど、給料低い事務職の奴らが生意気すぎる

いやマジでさ、こっちは現場経験20年のプロフェッショナルよ?

それがちょいと事故っただけで仕方なく事務員仕事をやってるわけよ。

職長手当とか資格手当とか全部取られて給料めっちゃ減って気持ちダダ下がりだよ。

ゆーていつまでも落ち込んでてもしょうがいか仕事やってんだけどさ、まあこれが意味不明自家製マクロオンパレード

なにかあるとすぐに「数式壊すな」とか偉そうに言うんだけどさ、じゃあ最初から入力禁止処理しとけって話でしょ。

お前の無能を棚に上げて入ってきたばかりのベテランをなじってんじゃねーよシャバ僧が、と。

んでまあその事務職にもベテラン連中がいて、コイツらがマジでキモいんだよね。

単にマクロポチポチ数字打ち込んで、何かあったら「取引先さん!トラブルです!助けてください!」って悲鳴を上げるしか出来んくせにエラソーなんだわ。

ゆーてコイツらの給料って今の俺と同じなんだよねw

お前らベテラン面してるのに手当とか一切出てないのかよっていうw

俺なんて給料めっちゃ下がってるから転職考えたけど、コイツらはずっとこの職場で働いてもなんも思わんのな

まり労働者としてのレベル給料相当ってこと。

ずーっと低い賃金でしょっぺー仕事やってきただけの無能なくせして、こっちがちょっと質問すると「前にも教えませんでしたっけ?」だとよ。

いやいやお前らの作ってるマクロ意味不明からちょっと状況変わるだけで全然グチャグチャになるのが悪いんだっつ―の。

ほんまコイツら人のこと舐めてるよね。

つーかね、同い年ぐらいのベテランだとしても、会社実業を支えてきた現場ベテランの元職長と、ずーっとオフィスキーボード叩いて見積もり書類手入力してきただけのお前らとじゃ人間レベルが違うのよ。

それを分かってないっつーかさ、コイツ普通に同い年だからって俺にほぼタメ口なのよ。

俺がお前らにタメ口使っているのはお前らが俺より下だからであってさ、別に対等だからタメ口でいいですよってアピールじゃねえからな?

まあそれ言ってへそ曲げられたら仕事教えなーいとか平気でしそうじゃんこの雑魚ども?

から必死我慢してるんだけど、やっぱ雰囲気悪いんだよなー。

なんか臭い奴とか、動きがキモい奴とか、やたら太ってるやつとかいてさ、流石にちょっと職場空気たるんでるんだよね。

からちょくちょく新入り捕まえて「ああいう人になったらあかんでー」と聞こえるような声で言ってるんだけど、半年経っても全然アイツら改善する傾向なし。

マジで終わってるわ。

怪我した所もなんか慣れてきたからそろそろ現場に戻してくださーいって頼んでるんだけど、戻しても前と同じポストじゃなくてご意見番みたいな感じになるらしいって聞いて少し悩んでる。

いやいや俺バリバリ元通り働けるし。

つーかご意見番って自分で大したことせーへんくせに偉そうに目線だけ飛ばし老害ポジとか絶対なんやけど。

給料も前と比べると全然下がるし。

いやマジで転職しようかな。

この会社マジで終わっとるわ。

2024-06-28

陰キャ腐女子人達からすると「人生をかけて走りに打ち込む女子」というのは男性というカテゴリに当てはめたくなるほどかけ離れた存在なんだろうけど、シンプル想像力が無さすぎる

映画以降タキオンポッケが完全に男性じゃんみたいな扱いする人達がでてくるようになって

からタキオンポッケ推してた人達悲鳴上げてた

2024-06-26

弱者男性を一番追い詰めてるのは弱者男性自称して本当に追い詰められてる人々の悲鳴から世間の目を逸らさせるクズども

2024-06-21

大岡裁き2.0

大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である

白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まこと母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親最後まで子供悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。

この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。

これが大岡裁きの極限競技エクストリームスポーツ〉化である




大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである

競技化してから大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である

その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢たっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。

枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なもの彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。

もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合逸話に基づくものである彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである

当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審からくり手の技能を持ってしても勝敗判別不可能であった。

土煙が判決邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つの江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児釣り上げた。ちよが右手、お松が左手越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。

後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。




次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為のもの競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間必要であった。

最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手稚児身体押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。

この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である

その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。

裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。

お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。

双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。

2024-06-19

コンビニバイト日記

旭川女子高生殺人事件で、犯人グループ被害者が立ち寄ったコンビニ店員が、被害者が助けを求めているのに警察通報せず見殺しにした。なんてことがネットで言われ批難されている。



私は北海道じゃないところのコンビニバイトしている、しがないコンビニ店員なんだけれども、結果人ひとりの人命が喪われてしまった事件にいたましさは感じるものの、いやコンビニ当事者じゃないんだから関係なくね? とも思わなくもない。

そもそも敷地内で客が起こしたトラブルへの責任は負いかねると、駐車場の立て看板に書いてあるんですが。

駐車場と店内では話が違うのかもしれないが、事件加害者が店や従業員自体に何かしたんでもない限りは第三者しかないので、通報する義務がないし、通報するという判断個人善意しか根拠がないと思う。


個人経験を言うと、店に全く責任がないのに警察通報して軽く嫌がられたということはある。どんな案件だったのかというと、夜間に店舗のすぐ近所で自損事故があって、それをたまたま目撃した客が自分通報せずに「事故があったか通報しといて」と言い捨てて自分はとっとと帰ってしまった、ということだった。自損事故を起こした当の本人は、壊したのがせいぜい車をつっこませた敷地にあった古い立て看板で、ひょっとしたら電柱にかすり傷を負わせたくらいのことなので、黙っていれば問題ないと思っていたらしい。あとで当店に「レッカー呼ぶから電話貸しつくれ」と言いに来たくらいだ。

そんなあらましの事故通報をしたら、警察には「それってあなたには関係ないことですよね?」ってチクリと刺された。普通にパトカーを寄越してくれたけど。


コンビニには色んな人が来るし、人や車の出入りが激しいので事件事故がしばしば起こる。だからコンビニ従業員経営者も良くも悪くも事件事故には慣れている。なので旭川事件みたいな事に遭遇した場合判断は、オーナー店長などその時にいた責任者か、それがいなかったら各従業員がこれまでの経験に沿ってするかなと思う。


正直言って、私は前述のように当事者でもないのに通報したこと顰蹙を買ったことがあるので(オーナー通報自体は良いことだと言ったけど、警察からチクリと言われた他にバイト仲間から余計な事してんじゃねえよと言われている)、旭川のようなことが自分仕事中にあったら通報しようかどうかかなり迷うし、店長がほっときゃいいよと言ったら通報しない気がする。そもそも自分判断したくないか店長判断を投げているわけで、それででもでもやっぱりと勝手通報するのはそれはそれでどうなのかと思う。


余計な通報をしたとして顰蹙を買ったことがある一方、助けを求めてコンビニに駆け込んで来た人に対応した事もある。といっても、助けを求めて来た人は店に入ってくるなり脇目もふらずにバイト仲間のAさんに助け求めたので、事情を聞いたり警察通報したりということはAさん自らが担当し、私はちょうどピー時間帯だったので、一人で接客対応を全部やるという役割分担。私はその件にほぼ関わっていないことになる。

Aさんに助けを求めて来たのは小学校高学年か中学生男の子で、駆け込んで来た当初は親とはぐれて帰り道がわからなくなってしまったと言っていたのだけど、Aさんが詳しいいきさつを聞いたところ、近くの行楽地に母親兄弟姉妹と遊びに来ていたが、色々あって自分一人だけ置き去りにされてしまったということが判明した。母親としては躾のつもりだったのかもしれないが行きすぎており、虐待と言われても仕方ないことだ。男の子がAさんだけを頼り私の方は一切見ようともしない点、母親くらいの年齢感の女を信用していないのかもとも思えた。

助けを求めて来たのが明らかに子供だし、ひょっとすると虐待児相案件かもしれないので、大人義務として通報しなきゃいけないからその件は話が速かった。ちなみに警察から呼び出されて当店に子供を迎えに来た母親は、旦那子供複数を連れてやってきたのだが、夫婦供に一見普通に見えて癖の強い人達だった。

その件の事を思うと、被害者とみられる人が未成年である場合は迷いなく通報しても問題にならないような気がする。コンビニによっては地域の「こども110番の家」の掲示も出しているところもあるし、この通報は出すぎた真似ではありません。当然の事をしたまでです! と断言してもいいのかなあ。

まあ、コンビニ店員人間である以上、個々の判断個人経験や置かれた人間関係に左右されるんじゃないかと思う。私個人としては、プライベートで何か外から悲鳴が聞こえてきたとかだったら迷わず通報ちゃうと思うけど、被害者にも加害者にも顔が見えている状況だとすると、あとでするにしても報復が怖くて通報を躊躇いそうだ。家族まで巻き込まれたら嫌だし。まあ、顔見られてる時点で、通報しようとしまいと犯人グループが捕まったあとでその仲間たちからの御礼参りは受ける可能性はあるけども。旭川の件の店員さんも今頃怯え暮らしいるかもしれないよね。

弱者男性三人組

第1章:奇妙な三人の出会い

あるところに三人のモテない独身男性がいました。田中一郎山田二郎鈴木三郎。彼らは高校時代からの友人で、それぞれ違った背景を持っていますが、女性との交際歴がない点で共通していました。

一郎は内閣総理大臣長男であり、エリート官僚として働いていますが、女性との交際歴はゼロ二郎東大卒天才プログラマーで、年収は高いものの社交的ではなく恋愛経験は皆無。三郎は成功した投資家で億万長者ですが、女性とは縁遠い生活を送っていました。

第2章:元気な退魔師との出会い

ある日、三人がいつものようにカフェで集まっていると、元気な小学生女の子、舞響(まいきょう)美月が駆け寄ってきました。彼女は退魔師の家系に生まれ、舞響大天という神様信仰していると話しました。美月は町で起こっている奇妙な現象に困っており、三人に助けを求めたのです。

「おじさんたち、助けて!最近、町で変なことがいっぱい起こってるの。おじいちゃんもお父さんも忙しくて、私だけじゃどうにもできないの」と美月真剣眼差しで言いました。

三人は驚きながらも、美月の熱意に押されて、彼女の頼みを聞くことにしました。こうして、三人と美月の奇妙な冒険が始まったのです。

第3章:調査発見

美月の案内で、三人は町のあちこち調査しました。奇妙な現象の一つは、古い廃墟での怪しい光や音でした。美月祖父から聞いた話によれば、そこには悪霊が封じられている可能性が高いとのことでした。

廃墟に到着した三人と美月は、不気味な雰囲気に圧倒されながらも中に入る決意をしました。中に入ると、そこには古びた祭壇と奇妙な模様が刻まれた床がありました。美月は持ってきた退魔道具を取り出し、準備を始めました。

第4章:退魔の儀式

美月の指示に従い、三人は祭壇の周りに配置されました。美月が舞響大天に祈りを捧げ、呪文を唱え始めると、祭壇が輝き始め、部屋全体が震えました。三人は恐怖に怯えながらも、美月を信じて立ち続けました。

突然、祭壇の上に黒い影が現れ、悪霊が姿を現しました。美月は退魔の剣を振りかざし、悪霊に立ち向かいました。一郎、二郎、三郎は美月を守るため、力を合わせて悪霊に立ち向かいました。

第5章:決着と悲劇

激しい戦いの末、美月は退魔の剣を悪霊に突き立て、封印を施しました。悪霊悲鳴を上げながら消え去り、廃墟は静けさを取り戻しました。三人は疲れ果てましたが、美月笑顔で言いました。「ありがとう、おじさんたち。これで町は安全だよ!」

しかし、その後、町では別の不幸が訪れました。美月悪霊との戦いで力を使い果たしたため、彼女の体には大きな負担がかかっていました。彼女は徐々に体調を崩し、入院することになりました。医師の診断によれば、美月回復は難しいというものでした。

第6章:三人の未来

三人の弱者男性は、美月を救うことができたものの、彼女健康犠牲にしてしまたことに心を痛めました。彼らは美月の見舞いに通い続けましたが、彼女の体調は改善せず、次第に意識も失われていきました。

ある日、美月の病室で、彼女家族が集まりました。三人はその場に立ち尽くし、何もできない自分たちに無力さを感じました。美月父親は三人に感謝言葉を述べましたが、その瞳には深い悲しみが宿っていました。

第7章:永遠の別れ

美月が息を引き取ったその日、三人は静かに病室を後にしました。彼らはそれぞれの生活に戻りましたが、心の中には美月との思い出が深く刻まれていました。

三人は友情を深めながらも、再び同じようなことが起こらないようにと誓いました。彼らは定期的に美月の墓を訪れ、彼女冥福祈りました。美月との永遠の別れを受け入れながらも、彼女勇気と優しさを忘れないように心に刻んでいました。

しかし、美月の両親は三人に対して深い恨みを抱いていました。彼らは三人が美月を無理に危険な状況に巻き込んだと信じ、娘の死の責任を追及しました。三人は町の人々からも冷たい視線を受け、孤立していきました。

2024-06-18

NHK-FMに起こっている異常事態

ちょっと大袈裟タイトルだが、FMで毎週番組担当している(していた)司会者から番組中で番組編成に対して苦言呈されるほどなので、結構な異常事態だと思う。

【前提】NHK-FM音楽番組が中心である(あった)。音楽を主に聴かせる朝昼のクラシック番組、正午のニュース後は同じく音楽中心の歌謡曲番組夕方若者向けの番組赤い公園津野米咲さんも週イチで担当されていた…)。

夜はクラシック演奏会ライブ録音番組放送後、若者向けの音楽番組ミュージシャンインタビューパーソナリティの語り多め。

ねこの編成であったが、NHK-AMの1波廃止決定以降大幅に変わった。ちなみにまだ廃止はされていない。

まず語学番組FMでも同時放送されることになった。朝6時からニュースを挟んで朝の8時までが語学番組枠に。

FM放送開始して間もなくの1963年から60年以上、朝6時の枠で放送されていたお馴染みのクラシック古楽番組が朝5時に追いやられた。

(ちなみにNHKFMの本開局は1969年だが、1957年より実験局として放送開始している。)

夕方若者向け番組廃止。およそ2時間の枠がレギュラー番組再放送枠になった。

AM廃止で枠を失う芸人アナウンサーバラエティ番組を押し込むために空けたんじゃないか邪推している)

長年親しまれている古楽番組の移動はリスナーから悲鳴が上がった。かなりマニアックな盤もかける番組なのでネットの聴き逃しの権利が取れず一部の週を除き聞き逃し配信が不可、聞きたければ5時に起きるしかなかったのだ。

抗議がかなりあったようで、今年ようやく6時に戻された。

そして昨年あたりから顕著になったのがレギュラー番組再放送の激増と、季節ごとの特別番組の激減である

元々は、5週ある月の5週目は再放送であることが多かったが、それ以外の週も「反響が大きかった回を特別に選んで再びお送りします」という体裁での再放送が増え始めた。週1で1ヶ月に4回しかないレギュラー番組なのに、月に1〜2回は再放送になる。

ピーター・バラカン番組中で苦言を呈していたようだ。

一番酷かったのは今年3月に終了した「洋楽グロリアスデイズ」である。これも前身番組含めて長く続いていた洋楽懐メロ番組だったのだが、終了の告知が2月で、2月3月最終回を除き全て再放送番組司会者もX(Twitter)で戸惑われていた。

そして、国民の祝日、夏のお盆休み年末には特別編成の番組放送される事が多かったのだがそれらもほとんど無くなった。

祝日には「今日は一日◯◯三昧」という生放送特集番組を朝から夜まで放送することが多かったが、昼からになり、そのうち番組自体ほとんど放送されることがなくなった。

夏や冬には昔の人気番組クロスオーバーイレブン」「夜の停車駅」が1週だけ復活、ということもあったがそれも無くなり、レギュラー番組再放送で埋められることになった。

さらに今年3月から先行放送された新番組「マイ・フェイバリットアルバム」、週替わりのゲストパーソナリティお気に入りアルバムを5枚紹介する番組だが、のっけから再放送だらけである

3月19日〜ヒャダイン

4月1日中川晃教

4月8日DJヤングスキニー

4月15日武田真治

4月22日鬼龍院翔

ここから1ヶ月間、5月20日分まではヒャダさんから放送やり直しの再放送が続く

5月20日秀島史香

5月27日七海ひろき

6月4日からまた鬼龍院翔〜で再放送である

6月11日〜栗本斉

6月18日からはまた七海ひろき再放送

4月から新番組でこれ。

からさまに予算を減らされている。それでテレビではプロジェクトXみたいな偏向回顧番組作ってるんだから文句の一つも言いたくなる。

おそらくはてな民ラジオANNくらいしか聞いていないだろうし、NHKFMなんて金の無駄から無くしてしまえくらいにしか思ってないだろう。俺らのお眼鏡に適わない、金にならない文化なんか消えても困らない、という空気は感じる。しかクラシック日本に紹介し続けたり現代の音楽を記録し続けたりとその意義は大きい。

しかNHKでも予算無限ではないし、近年は特に大きな話題にならないものは消していこうという姿勢のようだ。

儲かる儲からない関係なく、文化の記録を残していけるのはNHKしか出来ないと思っているのだが、NHKはもうそうはしたくないように見える。音楽がじっくり聴ける番組は今後更に減っていくし、レギュラー番組も年間に制作されるのは全週の三分の一ほどで、後はずっと再放送、になるのかもしれない。

世知辛さを感じている。



ちなみにNHK番組編成に関して意見を書く場合は、番組サイトから送るよりもNHKトップページのご意見から送る方が良いそうだ。

番組宛てだと番組スタッフしか見ないが、NHKへのご意見ならえらい人の目に入る可能性もあるそうで。これ3月に(NHKAMから引っ越し組だった)番組が終わったヤバTが最終回で言っていたので、間違いないと思われる。

2024-06-17

自分の膣の内側の話

処女膜は膜じゃないとはわかっていたが、「膜破れる」→「破れたらもう普通に気持ちいい」だったらよかったのにな……と思う。

処女を失う、ということがあった後も、基本的にはずっと「内部を擦られる痛み」との戦いだ。

濡れると確かに楽ではあるが、すべての痛みが軽減されるわけではない。あと体調によって内側がすごくヒリヒリする日とそうでもない日がある。生理前にたまにすごくキツい日がある。痛い日はものすごく濡れていても痛い。ローションなどを使っても痛い。

粘膜で同じだからか、膣の内側が痛みに敏感なとき乳首も少し触られるだけですぐに痛くなってしまう。

ちんちんで奥を突かれると、なるほどこれが中での気持ちいか、ということは最近わかるようになった。

しか彼氏が長いこと動いていると、さすがに膣が痛みで悲鳴をあげ始める。とにかく早く終わってくれ、と祈るしかない。

時々彼氏がイキにくく、こっちが少し気持ちよくなってくると「締めて!」と無理を言うんだけど、締めるとより摩擦が多くなってすごく辛い。

ゴムも色々試したけどいまいち効果がない。ポリウレタン痛い。グラマラスバタフライ個人的には良かったけど彼氏が薄いのがいいと言って嫌がる。

とにかく膣に物が入って摩擦、というのがダメだ。指もバイブも気持ち良くなかった。自分でしてもよくわからない。

婦人科には行ったものの「あ〜その辺は彼氏と良く話し合ってうまくできるといいですね、ローションがいいですよ笑」という感じで全然取り合ってもらえなかった。

奥だけいい感じに気持ち良くなることはできないんだろうか。

もう少し気持ち良くセックスが終わるといいなと思うけれど、とにかくこの摩擦のしんどさがどうにもならない。

2024-06-16

ぎゃゃゃゃゃゃゃ

悲鳴を「ぎゃああああああ」でも「ぎゃ――――」でもなく「ぎゃゃゃゃゃゃゃ」と書く作者がいて気になる

と友人に言われ、いやそんな書き方する人さすがにおらんやろと思ったら

今まさになろうのランキングに居てビックリした

2024-06-09

映画関心領域」観たよ。

関心領域(The zone of interest)というのは、ナチス統治下のアウシュビッツ収容所の周り40kmを指していた言葉だそうだ。

その言葉とは裏腹に、収容所の長として働くナチス高官とその家族暮らしが、いかアウシュビッツ出来事に無関心だったかということが描かれているよ。

無関心というよりは、虐殺スムーズ日常に溶け込み過ぎている様子の不気味さというべきかもね。

妻は収容されたユダヤ人衣服が届けられると、家族使用人にそれを分配したり、プールのある庭のお手入れに夢中だったり、子どもたちはおそらく川に流されたユダヤ人の遺灰から拾った歯を眺め比べていたり、父親は熱心にユダヤ人を焼却する最新型焼却炉の計画を進めたりするよ。

それらが日常系とも言える淡々としたスピード感で描かれていくよ。

一見、大きな犬が尻尾を振りながら家中を遊び回る平和光景に、壁の向こうの収容所での悲鳴や怒号が紛れ込んだり、美しい調度品とシンプル家具が美しい家の窓からは、焼却炉の煙が常に見えていたりするんだ。

彼らはナチス仕事を熱心にこなし、支援する模範的国民であり、その中でも成功した上流の暮らしをしているけど、それが未来にどんな意味を持っているか、まったく想像しないんだね。

想像をしてしまうと、正常に生きてはいられないから。

から廊下の向こうの暗闇に未来を予見するとき、彼は病んでいるんだね。

2024-06-07

手術したら尻の穴が2つになった

タイトル通りなんだが、肛門周囲膿瘍で手術して、出血多量で運ばれて尻の穴が一つ増えた。

もともと下痢気味体質なのが災いして、肛門の中に膿が溜まった。ここまでは仕方ない。問題はここから

まず排便が難しくなった。排便時にも当然痛みがやってくる。そして座る、歩くという普通動作すらできなくなってきた。

会社に這っていったのは良かったが、午前中で体力が尽きて帰宅。駆け込んだ駅前肛門科で初老医者に尻の穴をほじくられてついた診断名は「肛門周囲膿瘍」だった。しかもその病院では処置ができないから別の医者に紹介するという。

その日のうちに別の医者に行ったら、また尻の穴をほじられた。1日2回もほじられて、さらに痛みは増した。

言われたのは「ウチで手術できるかどうかはわからないけどとりあえず座薬抗生剤痛み止め出しておくわ」。

尻を抱えながら家に帰った。横になっても痛い。更に痛みが増した。痛みで眠れなかった。

翌朝、病院に駆け込んだらすぐ呼ばれて、尻の穴に麻酔を突き刺された。悲鳴を上げた。そして膿を破いて取り出してくれた。ついでにチューブもつけてくれた。

これでよくなる…と思ったら、今度は排尿ができなくなった。

力を入れても尿が出ない。

病院医者が顔色を変えて「夕方まで様子を見ましょう」とのたまう。そうこうしてるうちに尻から血を噴き出した。ケツから火ではなく血をふいた。

医者が再診したが時すでに遅し。止血剤も効果はなかった。再び激痛にのたうちまわる。

医者はとうとう治療を諦め、救急車を呼んだ。町医者から大学病院に運ばれた。

肛門出血という診断名で、緊急手術となった。

全身麻酔で切開され、排膿+チューブの除去が終わった。

翌日には退院することができた。

自分おしっこができた時は涙が出た。

そして数日後、尻の穴がもう一つ、側壁といえば良いのか空いていることに気付いた。

私の尻には二つの穴がある。

つの穴は排泄のため。

もう一つは膿をひたすら垂れ流す魔物となっている。

今日も私は二つの尻の穴を隠しながら会社に通っている。

終わりだよこの人生

2024-06-06

インターネットポルノを断って1ヶ月の感想

40歳にもなって毎日オナニーするのもまずいだろってことと

リモートワークの恩恵もあり無意識ポルノを見てしま生活を変えたくて始めた。

数年前から何度か読んでいた「インターネットポルノ中毒 やめられない脳と中毒科学」の影響もある。

何度も読んでいることからかるとおり自分インターネットポルノ中毒である

あなたポルノ中毒でなくとも依存や脳に関するトピックに興味がある人は楽しく読めるはず)

このチャレンジの一番の目的ポルノ視聴をやめること。二番目が頻繁なオナニーをやめること。

始めてから1ヶ月でポルノの視聴は1回、オナニーは1回、セックスが2回だった。

以下感想

初日はなんてことなかった。2日目から徐々にムラムラしてくる。

3〜4日目は気を抜くと常にエロいことを考えていた。頭の中は妄想でいっぱい。仕事全然手に付かない。

ここで身体にも変化が出始める。股間肛門の間の筋肉射精時と同じようにビクンビクン動くようになる。これがけっこうキツイ身体的な依存

4日目以降は完全に狂っていて、なんとかオナニーする理由を探し始める。疲れてるとか、仕事で嫌なことがあったとか、集中力が落ちたとか。

ここをなんとかして乗り越える強靱な精神力必要身体悲鳴を上げていて妄想で疑似射精しているのか連続してビクンビクン動いている。

7日目以降も同様の症状が続くが、ここまでくると我慢できている自分が少し誇らしくて徐々に楽しくなってくる。

10日ぐらい我慢すると達成感がありここまで来たらご褒美オナニーしてもいいかなと清々しい気持ちになってくる。

だがこれはただ単にオナニーするための形を変えた言い訳なので意志を強く持って我慢する。

12日目ぐらいで我慢できなくなったのでセックスした。一度射精してしまうと快感が蘇り我慢が難しくなる。

16日目でポルノを見ながらオナニーをした。達成感と後悔が半々ぐらい。だがここで断念する理由はないので翌日から再挑戦する。

継続するコツは罪悪感を持たずに「初回の挑戦は16日継続できた。次は20日継続しよう」と考えることだと思う。

翌日からの2周目の挑戦は初回よりも簡単だった。3〜4日目のキツさは無い。10日目ぐらいのメンタルで再開できる。

また2週間弱で1回セックスした。初回同様、翌日以降にオナニーしたくなったがこうなるのは理解していたので回避は容易。

そのまま継続していま1ヶ月目ぐらい。

精神的に何かが変わったかと聞かれるとあまり実感はない。

ただ時間が増えたように感じるのと、集中力が増した気がする。

ポルノを漁っていた時間が完全にフリーになったので新しい事に取り組めているし

集中力に関しては個人的仕事生産性を数値化しているんだけど明らかに向上している。

いまはポルノを見ていないがXでたまに流れてくるエロ動画を見てしまうと脳が怖いぐらい素早く反応してしまう。

もう涎が出るほど官能的でいますパンツを脱いでオナニーしたくなる。しばらくそのシーンを反芻してしまう。

自分ソフトドラッグ経験があるのでこういった中毒性、依存性のあるもの比較理解しているつもりだが

ポルノ依存性の強さはソフトドラッグの比ではなかった。(この辺りの話は本にも詳しく書いてある)

脳内スイッチが入ると女の子の口や舌、身体の柔らかさや肌が触れあう感覚フラッシュバックして落ち着くまで時間がかかる。

オナニーが習慣になっていたときはなかったが、いまはこのフラッシュバックが習慣を元に戻してしまう一番の危険性になっている。

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書き忘れたこと。

自分の楽しみを手放してしまった寂しさみたいな気持ちがある。好きだったおもちゃが壊れたときのような寂しさ。

エッチ動画を見つけてオナニーする行為自体純粋に好きだったんじゃないかな。

Xで好きな動画を見つけて今夜はこれ観よう!みたいなわくわく感を楽しみを手放してしまった。

ここまで書いて気付いたけどこれは完全にドーパミンが脳に見せる幻覚だった(笑)

2024-06-03

anond:20240531083213

おはよー!

この時期って暖房なのか冷房なのか微妙な時期よね

それでもって冷房が入ってるとキンキン上着持ってくればよかったと後悔する事がとても多い

特に電車の中はキンキンヒエヒエ

わずお腹ヒエーっと悲鳴を上げてゴロゴロ

お天気も微妙な感じですけどまったり月曜日乗り越えるわよ!!!

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