はてなキーワード: 風物詩とは
エクストリーム選挙とは、選挙を利用したエクストリームスポーツの一種である。
過去の開催
横浜市長2021 https://anond.hatelabo.jp/20210720210047
東京都知事2020 https://anond.hatelabo.jp/20200612200441
例年は多くの候補者が集まる東京都知事選挙で競技を実施するが、今回の衆院議員補欠選挙東京15区は都知事選挙並の熱戦となったため特別開催となった。
当選した候補、または供託金返還となった候補が以下の理由により特別賞受賞となった場合は、逆転優勝とする。但し、選挙期間中の逮捕はこれまでどおり失格扱いとなる。該当者が複数いた場合は、当選した候補が優勝として扱われる。
東京15区は2021年当選の柿沢未途(江東区挑戦選挙違反)、2017年当選の秋元司(IR汚職)が連続で逮捕されており、2回連続特別ルールによる逆転優勝となっている。
東京都知事選挙以外は競技としての面白さがないためこれまで行われてこなかったが、前職と前々職の相次ぐ逮捕ということにより、衆議院小選挙区の補選としては異例の開催となった。
順番は届け出順
もはや選挙の風物詩となったNHK党。しょっちゅう政党名が変わるため正式な政党名を調べるのもバカバカしい。いまはみんなでつくる党というらしい。オーナーの立花が有罪判決を受けたり東谷義和が逮捕されたり党が破産したりしている。民主主義への挑戦とも言える政党で、こんなのに投票するような人はもう選挙に行かないでほしいとすら思う。
色物としての存在感以外はもはや無いので、供託金は戻ってこないだろう。
当初は自民党からの擁立も取りざたせれていたが、過去の不倫の影響で無所属での立候補となる。意外なことにリベラル的な主張(九条改憲反対、夫婦別姓賛成)にもかかわらず、度々自民党からの擁立が取り沙汰されるのは、単なる権力指向と客寄せパンダ的ねらいだろうか。当選したらおそらく自民入りするだろうが、2022年の参院選の結果を考えると当選は微妙か。小野泰輔ポジション。
近年勢力を拡大しつつある極右政党、参政党。ただし日本の極右的民族主義者の多くは自民党(特に旧清和会)や維新の会に投票するため、影響力は限定的。供託金も戻ってこないだろう。
2019年に逮捕された元職。全てはここから始まった。現在も裁判中で何かが間違って当選しても高い確率で失職して公民権停止となるだろう。そもそも当選どころか供託金が戻ってきた時点で東京15区の選挙民の恥である。ただしエクストリーム競技の優勝候補ではある。
日本維新の会の公認候補。近年参院選の東京選挙区で議席を確保したり、衆院選でも比例区東京ブロックで議席を確保している維新の会だが、近畿ブロック以外での衆議院小選挙区での議席獲得には至っていない。今回の選挙も万博で逆風が吹いており当選は微妙。馬場伸幸は威勢の良いことを言っているが、選挙への影響はないだろう。小野泰輔ポジションその2。
選挙序盤からいきなり他の候補への選挙妨害を行うというS難度演技を披露し、特別賞による優勝候補となる。供託金は戻ってこないだろうし選挙違反による公民権停止もあり得る。へずまりゅう以来の逸材かもしれない。
立憲民主党所属の前江東区議。看護師。対抗馬らしい対抗馬もいないため本来は本命候補として扱うべきなのだが、立憲民主党も存在感はなく選挙自体世紀の凡戦感が漂う。エクストリーム競技とは無縁。
麗澤大学客員教授。日本保守党は百田尚樹により設立された極右政党。党幹部に河村たかし・有本香・北村晴男・竹田恒泰がなお連ねる銀河系軍団(褒めてません)。参政党が反ワクチン反グローバリズムで右翼版れいわ新選組の趣なのに対し、日本保守党は安倍晋三名誉大宰相を御本尊とするカルト宗教と言った趣。当たり前だが供託金は戻ってこないだろう。
前参院議員(立憲民主党)。須藤は参院比例区のため辞職により、当選者の元モー娘。の市井紗耶香が繰り上げ当選となったが辞退したためRAG FAIR奥村が繰り上げ当選となる。この名前の並びだけで非拘束式名簿の悪いところが全部出ている。
主張といいキャラクターといい、れいわ新選組にぴったりな人物だが何故か今回は無所属での立候補。知名度の割に集票は厳しそうで家入一真枠となりそう。エクストリーム競技優勝最有力候補。
ガチのカルト極右候補✗2、N国、収賄事件で裁判中の元職、反ワク、極めつけは他の候補への選挙妨害を撮影して自慢気にSNSに流す輩。思えば又吉イエスや羽柴誠三秀吉やマック赤坂がいた頃のほうがよっぽど平和だった。乙武洋匡がまともに見えるという惨状は本邦の民主主義の末路なのだろうか。東京都知事選や大阪市長選ではこういう光景はよく見られたが、補選とはいえ衆院小選挙区でこの内容は非常に珍しい。外れしかないガチャ感強いが、東京15区の選挙民の皆様は是非懸命な選択をしていただきたい。
ブランドイメージが高ければそれだけその企業に対する顧客の信頼は厚くなり売り上げに貢献する。
では企業にとってブランドイメージは高ければ高いほどいいのか?といえばそういうものでもない。
あくまでその企業の製品や実態にマッチしたものでなければいけない。
なぜなら、あまりに高すぎるブランドイメージはその化けの皮が剥がれたとき、
そのブランドが受けるダメージは尋常ならざるものとなるからだ。
そういった意味でAppleのブランドイメージは少し高くなりすぎているような気がする。
もしもAppleが作るものが純粋なファッションアイテムならば、
そのブランドイメージは高ければ高いほどいいのかもしれない。
しかし、違う。
その実像というものが現実的で醒めた視点でもって評価されるときが必ずやってくる。
だから、決してブランドイメージという虚像だけでは勝負できない企業なのだ。
ただ決してすごい製品ではない。
しかし、ネットを徘徊していると時折りiPhoneの提灯記事を読むことがある。
信じちゃあいけない。
Appleの莫大な広告費のおこぼれのおこぼれのおこぼれくらいがああいうところに回ってきて、
でもさ、ああいうのって、どこまで信じてる?
なんかさ、いるじゃない。
多分ね、そういうのはみんな信じないと思う。
Appleの新しい製品が出るたびの風物詩みたいにして楽しみにしている人もいると思う。
と思うじゃない?
提灯記事には騙されないぞ、と思ってるじゃない。
でもね、それは本当なのかよ?って思ったりする時ない?
その他の記事が客観的な評価に基づいたものだと思い込ませるための布石になってるんじゃないか?とか。
まあ、私は知らないよ本当のところは。
ここまで書いてきてなんだけど、全然わからないもの技術的なことなんて。
だからさあくまでこれはブランドイメージを構築する手法としての話なんだ。
って思う人はそれは何を根拠に言ってるの?
それとも誰かが主張していることを鵜呑みにしてるだけ?
このへんのね自分の気持ちを疑ってみる態度というのは割と大事だよねって話。
ただそれだけ。
なんでこんなことを思ったかというと
私が持ってるApple製品ってiPhoneはいいんだけどさ、
その他はあんま長持ちしないんだよね。
何かしらうまく動かなくなって製品として重要なある部分の使命を果たせなくなる。
いや正確にはiPhoneも大概だ。
ヘタったバッテリーの交換をしに行ったら、
バッテリーだけじゃなくて、
これも壊れてます、
それも壊れてますって診断されてさ、
それらがぜんぶ交換になってさ、
と、ふと疑問に感じたんだ。
で、いろいろと考えるにAppleって割と虚像の方が大きくなりすぎてるんじゃないかな?と感じだんだ。
少なくとも私の中では。
大好きな企業だし、
大好きな製品群だし、
でもねそれとは別の話で、
それはAppleだけに限らず。
そういうことを書きました。
・少なくとも15歳までは身の回りの主要な大人達の「良い子」評価をトップクラスで勝ち抜いてきたという自負
・親は「娘を都道府県でトップの公立高校にいれた」という達成感だけで満足してしまうので大学にはさほどこだわらない
・当人もチヤホヤされるのに満足しているので、同じくらいか滑り止めの私立高校のようにガツガツ勉強する雰囲気はない
・文化祭とか死ぬほど盛り上がるので、もはやその市とか区の風物詩的イベントになってる
・高校生活は楽しいがそこで満足して受験には燃えない子が多く指定校マーチとか関関同立とか東女・ポン女とかで満足しちゃうパターンが多い
・子供の頃に大人に気に入られる事を無意識にやり過ぎて、逆に大人になってからそれを恥じるように感じて組織に馴染まないタイプの大人になるケースがチラホラ
そろそろ今年も卒論の発表とか口頭試問が始まる時期だけど、大学の教員ってなんであんなに性格終わってる奴ばかりなんだろうと毎年思う
小中の教師みたいに体罰とかはないかもしれないけど、パワハラすごくない?
なんか皆の前でボロカス言って貶すのが風物詩みたいな感じで許されてるじゃん
博士課程まで行ってる学生にそういうことするならまだ分かるけど、学部生にわざわざ難癖つけていびる意味が分からない
でもまともな大人ならいちいちそれに噛みついてキレないじゃん?
内心キレてたとしても露骨に棘のある言い方はしないじゃん、普通
あいつら、結局ハンコ押すくせにめちゃくちゃネチネチ文句言うじゃん
なんだろう、腐女子みたいなキレ方
ニコニコ笑いながら「ふーん(笑)」みたいなこと言ってボロカスに貶すの
こうやって笑顔で怒っちゃってる僕、逆にめっちゃ怖いでしょ?(笑)みたいな
マジでキモいわ というか、なんでそんなことするのか理解できないから怖い
対面でそんなカスのコミュニケーションしといてXで待遇向上とか訴えてんのもうギャグにしか思えないよ
お前の給料上げるぐらいならその辺のマックの給料上げたほうが遥かに良いよ
優しいというか普通の先生もいるけどさ、大多数はヤバい奴だと思う ずっと大学に残ってるとああなるのかな 早めに抜けてよかった〜
凍る凍るよアカウント凍る
別れと出会いを繰り返し
生まれ変わってまた凍るよ
という現状である。
具体的には10日、冬コミの当落発表の直後から猛烈な勢いで絵師アカウントたちが凍結され始めた。一説には、当落発表当日の風物詩ともなっている「あなたのサークルは〜」(当選速報メールの引用)の一斉投稿や絵師どうしの相互RTがスパム判定されているのではないかとも言われている。
が、やはりこういう凍結はエロ絵師、特にロリ絵師が多い傾向にある…はずなのだが、自分のいるジャンルでは「何故この人が!?」という(比較的)健全寄りの絵師まで次々と処され、もはやNKVDが唐突に踏み込んできて連行していったとしか思えない惨状を呈している。
かく言う自分も10日以来軽く15回以上玉砕と転進を重ねており、東部ニューギニアの日本軍もかくやという心境で今この手記をしたためている。がち追い込み、サゴヤシくいてー。
すでに自ジャンルでも少なからぬ絵師たちがXに見切りをつけ、misskeyへの亡命や、少なくとも避難アカウントの開設を進めており、彼の地は難民キャンプと化している。それでなくてもロリ絵師の楽園であったところがますます賑わいを見せているが、やはりノリがXとは一味違い、また拡散力においては比べるべくもない。神絵師が万単位でリポスト・いいねされる世界ではないのだ。
それにつけてもXに住み難きはロリ絵師である。10日以降だけでなく、それ以前からアカウント流転を繰り返してきた者は珍しくない。炉に働けば棒が勃つ。女児に棹させば流される。
かくて冬コミの告知もままならぬ現在、一体どうしたものかと少なからぬ絵師たちが頭を抱えている現状をお伝えした次第である。ちなみに自分は今日も目覚めたら身元を伏せた鍵垢が凍結していた。何故だ!?
・いざとなればカーシェアを使えばいいよ
・車の維持費で別のことをした方が幸せだよ
と考えてるかは知らないが、東京都区内で4人の子持ちのママがお友達にいらっしゃるよ
車の有無は、たぶん旦那さんだけ営業用?自家用車じゃないものをもってるんじゃないかな
まあワンボックスの3列シートで5歳以下が常に2人しかいないのならなんとか家族全員乗れるかどうかだな
常識的に考えるとじいさんばあさんと同居してもう一台出してもらうところだ
逆に超車社会の名古屋で車もたないで暮らすのはバカ扱いされるよ
安いうまい回転寿司が300mくらいの行列左車線につくったりもしてるけど
それだけのバリューがあるんだ
なので新居選びとおなじというか本当に居住地次第、あと家族の運転者の人数次第なんだよ
タクシーだって深夜はバカ高いし、妊婦や病児を乗せないポリシーのタクシーもあるけどどうかな
比較検討の上で車があったほうが便利そうならまず免許をとってレンタカーでも試すところからだが、
眼鏡矯正できないほどのド近眼やてんかん、免許返納すべき高齢者など
夏になるとテレビで見かけない日がないほど風物詩だと思います。
なにが嫌いかって、公序良俗に触れない程度に未成年の女子高生の性的な部分を全面に出して、さも10代の青春を全力応援してますみたいな押し付けがましいコピーとか、男子も申し訳程度に入れておいてこれならコンプライアンス問題ないでしょ?と言いたげな品のなさが透けて見える構成とか。
見れば見るほど分かるけど、女子高生は制服以外は認めんばかりにこの組み合わせを押してきます。多様性からかけ離れたステレオタイプかつ刷り込みが本当に不愉快です。勉強も恋愛も部活もキラキラ頑張るのがいまどきの10代像を見せたがる割には、「ただし制服きた女子高生に限る」っていう注釈を恥ずかしげもなく主張している様子がいちばん気持ち悪い。
最近のは何かと水に濡れる場面を作ってるけどなんでリボンかネクタイ・制服・ブラウスとセットでないといけないの?
2021年版は同性愛を匂わせる演出を無遠慮に使って今どきの高校生に寄せているよ、という傲慢ささえ垣間見えます。
冬〜春先には吉田羊と鈴木梨央バージョンがあるのも知っています。でも、CM露出度は女子高生版ほど多くないように思いますし、けどそこは男性が存在しない世界。そこまで女性にこだわる理由はわかりません。広告主の意向なのかCMプランナーのアイデアなのか。どちらともだと思うけど。
制服着ない女子高生や女子高生じゃない10代にはそんなに価値がない?
ポカリスエットって大塚製薬の商品なんですよね。たいした薬は売ってないけど製薬会社を名乗る古い日本企業の印象で、その体質がCMに出てるのかなーとか思っちゃいます。
朝起きた時の、湿度計の値が徐々に上がってきた。もうすぐ梅雨がやってくる。毎年のこととはいえ、よくまぁこんなにジメジメするものだと驚き呆れる、日本の風物詩。本棚の本がいつもよりうねっているのが気に入らない。
本棚の漫画を見てふと思ったのは、ジョジョの奇妙な冒険第四部は、なんとも梅雨にぴったりだということ。
第四部はじめての敵は、水分を操るスタンド使いアンジェロ。こいつは主人公の家を狙い、雨と共に襲ってくる。家の中で水気と湿気を活用して、主人公を追い詰める。
そもそも第四部は、第三部からのコントラストで発想されている。宿敵を倒すため、エジプトの砂漠での闘いが繰り広げられる第三部と、愛する町を守るため、襲いくる敵と闘う第四部。カラッとした海外の風景から、湿り気のある日常の風景へ。
アンジェロの能力が水分なのも、当然の帰着だ。それは日本の家の中に潜む、感情的な湿度、抑圧された攻撃性の暗示でもある。これを発展させた敵が、吉良吉影だった。
バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。
そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。
増田ですまん。
もしここで
・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく
・老甲斐〇ね
という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。
見ないのも権利だ。
上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」
・ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、
他のバンドは音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、
色々していた。彼らは何もしなかった。
いや、影で曲を作っていたのはわかる。
けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない
自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものだから仕方のないことだ。
・ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。
だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別・差別をしない人なのだと思っていた。
何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。
自分の意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。
マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラを玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、
・さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。
オリジナルのイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営にファン層の遊び心を許されている範囲。
ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。
ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。
・ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。
それはどのアーティストでも同じこと。
ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。
蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界。最低。
・一方で80%はまともなファン。問題はのこり20%くらいの人たち。
・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。
だからこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。
こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。
80%はまともなファンだ。
・上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだが
・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)
(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)
・グッズ。もういうことない。
・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想を最後に感じた。
何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。
課金制あるんですかそうですか。
アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。
あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。
みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、
もうそれでいいんだと思った。
・ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)
・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、
メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、
この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。
・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。
じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。
それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。
それでも非常に感謝している。
勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。
今ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。
矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。
ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。
もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。
楽しそうで羨ましかった。
自分も楽しんでいる中の一人だった。
さいたま新都心駅を降りた時、ピアノの演奏をしている人がいて、
「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。
けやき広場は久々だ。
彼らで言えば〇年ぶりか。
コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場。
あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。
綺麗な想い出は綺麗なままだ。
今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。
人は変わる。
彼らも変わる。
想いも変わるし、ルールも変わる。
知らないうちにいろいろ変わっている。
この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。
アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。
全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔なものだと感じていたことに気付き、
「普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、
大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営がうまいことやってるんだろうし、
でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。
もう大人だから大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。
まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。
今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。
今では全くやる気にならない。
ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。
冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。
だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、
自分の知っている限りで物凄く沢山いる。
そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。
色々思うことはあった。
はっきり言って、マナーは悪かった。
「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。
あとは個人的な意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか、
ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間に拍手するのは
そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、
でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。
ああ、いや、違うか。
彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。
自分は重要なソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか。
ライブの詳細は伏せる。
今更ネタバレも何もないが。
彼に最後に言われた。
「また絶対会おうな」
曲にもたくさん言われた。
でもな。
タオルすら持ってなかったのは失敗だった。
凄く好きだった。
xx年間、大好きだった。
〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。
怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。
言われた言葉も暗記している。
こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや
本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋なものなのかどうか信じられなくなっていたし、
もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。
好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら
現時点ではないと言い切れるが、
大地震がおこるかもしれない。
噴火がおきるかもしれない。
誰かがなくなるかもしれない。
その時にまたあの音が、自分を幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、
自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、
あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。
もっと言いたいことは沢山ある。
おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。
あれは何を思って。
彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。
さよなら。
ずっと、ありがとう。
転勤してはや数年、思ったことをまとめた。
どちらも使う路線や上り下りで差があるが、基本的には通勤時間帯は混雑している
東京のクソみたいな乗車率に比べれば、大阪はかなりマシである。
乗車率か幾分か低い分、ちょっとアレな人との遭遇率も幾分か下がる。
ただ、大阪は奥に詰める習慣がなく、ドア周りだけ異様に乗車率か高くなる傾向がある。
最悪なのが、降りるときに通路を空けたり、一時的に降りて譲ることをしない。
座席をみんな詰めて座らないのでゆったり座れる。
大阪の方が(東京住まいだった身からすれば)観光地へ行きやすく楽しい。
比べるまでもなく、圧倒的に大阪の方が安い。むしろ東京が高すぎる。
一等地であればその差はないだろうが、
普通のサラリーマンや学生が住むようなところであれば大阪の方が安い。
個人でやってそうなところは6個で300〜400円くらいで、しかもデカい。
串カツ屋には稀にオレオ串揚げが置いてるが、クソうまいので食べて欲しい。
こちらも東京よりはマシといった程度だが、郊外になると人混みは少なくなっていく。
東京はどこいっても人が多いのでうんざりだが、大阪では同じ距離離れるだけでもマシになる。
東京では人が多すぎで流れに身を任せなければまともに先に進めない。
なんとなく阿吽の呼吸で、それぞれが人を避けつつ人混みを抜けていく。
もちろん一定数、肩をぶつけながら歩く輩もいる。
人混みでは皆が皆猪突猛進であり、避けるそぶりは見せない。
大阪はコミュニケーションを取ってくるため話しやすく気さくな人が多い印象。
でも本当に他人に関心があるのならば、電車で奥に詰めたりすると思うがそうではない。
そういう意味では、東京の方が他人に対してまだ情があるようにも思える。
発車の瞬間の前後にビール缶をぷしゅっと開ける音が車内に響く、夕方以降の新幹線の風物詩。学生の時分および会社勤めになって間もない時分の私にとってあの音は唾棄すべき対象であり、せっかくのまとまった時間をなぜ読書に充てないのか論文乱読に充てないのか知識拡充に充てないのか、許容すべからざる怠惰だと大変憤っていたというかそれを優越感ゲームの材料としてほくほく顔で文庫本に噛りついていたのであったが、そんな私も四十路を迎えて今はすっかり大宮に戻る新幹線の車内でビールを呷りながらはてブとスマホゲーを真顔で往復する虚無に堕しているのだけれど、私は現状をそれなりに許容していて、では10年前の私に見えていなかったのは何なのだろうね、という話。