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はてなキーワード: キリスト教とは

2018-08-14

anond:20180814151925

友達しか助けずそれ以外には冷淡ってのは昔から日本の文化だろ

ボランティア美徳とされるキリスト教圏とは違う

なんで”豚”って罵倒語なの?

○○は豚だ! →人格全否定

○○は牛だ! →デブ

○○は羊だ! →侮蔑語ではないが、キリスト教では『無力な存在』の比喩としてよく使われるイメージ

○○は鶏だ! →物忘れの激しいヤツ or 朝を告げる存在

○○は犬だ! →普通は”△△の犬”的に所有格をつけて『忠実な存在』って意味で使うよね。

○○は猫だ! →かつて東大文Ⅱ学生は『猫のように暇してる』という意味を込めて『猫文Ⅱ』と言われたらしいが侮蔑語として使われた例はそれくらいしか知らない。

この差は何なんだろうか。

そういや、イスラム教聖職者呼称って何だ?

仏教なら僧侶とか坊さん、神道なら神主?(よく知らない)、キリスト教なら牧師さんとか神父さんとか。つまり地域宗教施設に常駐してる聖職者呼称ことなんだけど、イスラム教ではなんて呼ぶんだろう?ユダヤ教のも知らない。

大昔のマンガ拳児』の中で、中国回族の間でそのような人を「阿洪(アホン)」と呼んでた記憶があるけど、日本じゃそんな言葉聴かないし。

師かな?ホメイニ師とかの師。でも、~師って呼ばれてるのってホメイニ師とかハメネイ師とか、イラクのムクタダ・サドルサドル師とか呼ばれてるし、仏教でいうならお寺のお坊さんとか言うより大僧正とかそんな感じの使われ方だよね。

う~ん。

2018-08-12

全く違う考えを持ってるから書いておく

ゲイキモいとは特に思ってない。

しかし、同性愛者って、異性愛をできないんでしょ。もしくはできるのに思想的に思い込んでサベツダーサベツダーと叫んで利権を得る。

はっきり言って、自分にとっての唯一絶対パートナーなんてありえないよ。キリスト教思想中途半端に取り込んでサベツダー言うのはキモイ

神に作られた自分人間Aで、神に作られたイブとしてのBが絶対的に存在する!なんてキモイに決まってる。

人間C~もいるし、Zで終わるわけでもない。

人間に対して不誠実だからキモイ

他者を好き/パートナーにしたい差でランク付けして上から何人が同性でも、何人か目で異性が現れる。っていうか異性が出ないならそいつ差別主義者でキモイ

人間はその中で、異性と家庭を作ってきただけ。

同性と性的交渉を持つ必要性はない。その必要性で思い詰めている人間キモイ

童貞処女魔法使いになるとかと同程度にキモイ

当事者は、性的交渉恋愛関係神聖化しすぎなんじゃない?

んで、利権ほしいゴミ人間どもにカモられる。

感情支配されすぎ。思い込み強すぎ。

世界一愛してる同性との子供はできないけど、孫は(もちろん周囲の同意があってだけど)出来うるんだよ?

理性を持て。理性的なLGBTQは全然キモくないよ。


追記】もしくは恋愛スポーツか何かと勘違いしているか。「銀メダルでは意味がない」とパートナーに言いたい/言われたいってのは思想の自由に含まれるのか。含まれるとして、保護されるべきなのか?でもまあスポーツ庁とかである意味アスリート保護してるから税金投入はアリなのか?アリだとしたら人気次第だな。オリンピックワールドカップ視聴率経済効果と同等のものがLGBTQにあればいいのかもね。

スポーツ庁の目的適当にググって引用

スポーツ庁新設の背景には、スポーツ国策として捉えようという政府の考えがある。スポーツ国民の体力維持・向上を図るとともに、人々に豊かな生活をもたらし、健全青少年の育成や高齢化社会における社会保障費削減、障害者尊厳ある暮らしにつながる。またトップアスリートの国際舞台での活躍国民に大いに活力をもたらす。さらスポーツは今や、多様化する国際社会において友好、平和相互理解などに貢献するため、20年東京オリンピックパラリンピックホストである日本世界の中でリーダーシップを発揮し、存在感を示していかなくてはならない。

こんな理由スポーツ税金投入がありなら、LGBTQに税金投入もありだと思う。

結局人気次第なのか?異性恋愛ネタとして大人気だからな。


個人的には、銀メダルも、銅メダルも、というか日本代表の時点で、ものすごく価値があると思うよ。でも、そういうものに選ばれなくても価値は変わらないと思うよ。選ばれた/勝ったか価値が出るわけでもないと思うよ。人気は出るかもしれないけどね。

あ、もしかしてサベツダーと叫んでる人って、非差別者(およびその保護者)としての人気が欲しいのか?

だとしたら、理性的で、思い詰めておらず、静かな暮らしが欲しい人たちは、ものすごく不幸だな。

実家を継ぐ、ということ

こんにちは、悩める大学生です。

私の実家とある田舎にあります

この核家族化が進む世の中にあって、いまだに「家を継ぐ」という概念存在する、そんなおうちの長男に私は生まれました。

江戸時代徳川御三家の威光を受けて参勤交代だの江戸詰めだのでそれなりの栄華を極めましたが、明治維新によってすっかり没落してしまった武家がうちの本家であり、私の実家はその分家にあたります

一時は地域一帯を治めていたこともあり、今では誰も使っていない土地わずかではありますが残っています

そしてそんな一族歴史とは別に私の家にはもうひとつ別の顔、家業があります。それが宗教です。

キリスト教教会仏教の寺にあたるもの実家家業なのです。

さなから両親をはじめ、周囲から後継者、跡取りとして期待され、私も幼いながら「大きくなったら家を継ぐのだろう」となんとなく感じて育ってきました。

しかし、今この歳になり、それでいいのだろうかと感じるようになりました。

周りは就職活動を始め、自分人生自分の足で歩いています社会と関わり、社会の真ん中へ飛び込んでいく。しかし私は、学業を終えれば家を継ぐための準備に入ります

いわゆる神職ですから、それを継ぐためのさまざまな勉強修行に身を投じるわけです。社会との関わりはほとんどありません。信じがたいことですが、俗世とかけはなれた世界というのはこの平成の世にも存在するのです。

そして今、それを「なんだか嫌だ」と思うようになったのです。私もみんなと同じように社会に出て、普通生活がしたい、と。

しかしこの気持ちを周りに伝えることはできません。今まで「この子が跡取りだ」と育ててくれ、多大なる期待をかけて見守ってくれた人を裏切るということが、やはり自分にはできないのです。そして、今でこそ嫌だと感じていてもそれまでの自分は「跡を継ぐんだ」と思って生きてきたのです。だからこそ、継ぐことを否定することは今までの自分人生裏切り否定することにもつながるのです。

普通の家に生まれていればこんな風に悩まなかったのだろうかと何度も思いました。もっと自由自分の将来について思いを巡らすことができたのだろうか、と。

もし「継ぎたくない」と言えば父や母はどんな顔をするのか、悲しむだろうか怒るだろうか。そう考えると話を切り出すこともできません。

将来や人生に対して展望が抱くことができず、長く暗いトンネルの中を彷徨っているような毎日を過ごしています。一体これから先、どのような気持ち人生に取り組めばいいのでしょうか...

答えは未だ出ないままです。

2018-08-11

anond:20180811102128

宗教ならば戒律があるべきだ」っていう発想がすでにキリスト教に毒されたものなんだよなあ

神なき国の倫理

 ヨーロッパの町の中心には必ず教会がある。教会の鐘の聞こえる範囲教区と言い、キリスト教における統治の最少単位だったからだ。

 朝な夕なに聞こえる鐘の音、そして町のどこからでも見える教会尖塔、それこそがコミュニティ象徴だった。

 かつてのキリスト教会は行政機関であり、司法機関であり、軍隊であり、教育機関であり、医療機関であり、福祉機関であった。

 そして何よりも思想の中心であった。

 人々は己の知的能力を超える判断を迫られた時には、「神の御心に沿うかどうか」と己に問いかければ良かった。あるいは聖書を開き、あるいは聖職者に問うた。

 とにかく、聖書という明文化した規律があった。

 神の御心にさえ沿っていれば、理不尽要求を突っぱねようが、相手を怒らようが、死後に天国に迎えられるのは自分である

 現代ではどうだろうか。街が発展して行く中で、中心にあるのは行政機関か、高層ビルディングかか、大規模なショッピングセンターか、資本主義社会にふさわしい姿に変容しているだろう。

 しかし、欧米人の心の中心にはいまだにキリスト教がそびえ立っている。町中のどこからでも見え、目を背けていても鐘の音存在を知らせる、教会尖塔のように。

 これは欧米人の全てがキリスト教教義に従って生きている、と言う意味ではない。生きて行く上でキリスト教という存在対峙しなければならないのだ。

 Christian=キリスト者としてキリスト教教義に沿って生きるか、他の宗教信仰するか、無神論あるいは他の思想信条信仰するか、あるいは無視するか。

 おのれの精神立ち位置を決定することを強いられるのだ。そして彼らは自分選択した思想に沿って生きて行く。

 さて、翻って本邦ではどうだろうか。信仰教育が分離されて久しい現代日本では自分はナニナニ教を信仰している、と明言できる人はかなり少数派なのではなかろうか。

 むしろ明言できる人はおかし思想押し付けてくる人、と言うイメージさえあり、何かしら信仰していたとしても、自分から言いにくい空気すらある。

 中には「無神論です」などと知った顔で言う御仁もおられるが、無神論というのはある種の信仰であり、理論武装必要な類である

 では、そんな曖昧な、信仰を持たないものをなんというか。「無信仰者」である。ちなみにこれはキリスト教圏であれ、イスラム教圏であれ、信仰の篤い社会では最大級軽蔑を受ける。

 さて、そんな「無信仰者」が多数派となった本邦において、己の能力を超えた判断を迫られた時には、何を基準にすればいいのだろうか。

 もうおわかりだろう。

「みんなと同じ」

 である。とりあえず周りと合わせておけばいい。周り、と言ってもごく狭い範囲、顔見知りのレベルである

 みんなが万引きするから自分万引きする。

 みんながいじめから自分いじめる。

 みんなが残業するから自分残業する。

 みんながキックバックを受け取っているか自分キックバックを受け取る。

 ……

 倫理法律もあったものではない。

 そしてもう一つ。

「怒られたくない」

 である。とにかく怒られるのが怖い。否、怒られた時に思想、あるいは倫理といった、精神背骨がない。だから声の大きなものが押し通ってしまう。

 日本を滅ぼすのは、この思想のなさかもしれない。

2018-08-09

anond:20180809132215

そらもう神道キリスト教のズブズブ具合を表してるのよ。

まだ仏教解釈で消耗してるの?

あのね、きょうび仏教やらキリスト教やらイスラム教やら、何世紀も前からあったような宗教時代遅れなの。

だって我々はインターネットを手にしたんだよ。

そこで畏敬すべき、思想体現しながら生きてきた人々を目撃している。

バイブルにすべき、書物ならぬ創作コンテンツ群を目撃している。

それらの『宗教』に帰依すればいい。

それぞれの都合のいい部分だけ仰げばいい。

というか、すでに君たちはそれを実践している。

みんなで一つの宗教にすがる時代は終わった。

から、なにかの宗教のうち理解できない部分に直面したとて、

そんなことは日常茶飯事であって、いちいち批難して回る必要はない。

"not for me"と唱えて避けていくだけだ。

それはレガシー宗教であっても、インターネット時代の『宗教』であっても同じことだ。

2018-08-08

anond:20180808132640

質問を工夫しないとなかなか難しいだろうね。

あなたは神を信じますか?」も「あなた仏教徒ですか?」「あなたキリスト教信仰者ですか?」とかにした方がより正確だろうし。

2018-08-07

anond:20180807170957

その思想の基に「他者キリスト教日本など)」への攻撃があるのは受け入れられないでしょ

2018-08-06

図書館戦争」って」作品、今考えると大して表現の自由に挑戦してないよな

原作もひたすら主人公岡田とのヘテロで慎ましい恋愛じゃん

 

主人公(しか原作者は当初想定して無かったと言う)

くらいしか新規性無いしさ

しかもその恋愛も「王子様と私~」みたいな手あかのついた

語句標準的日本漫画恋愛パターンじゃん

同性愛ペドケモホモユニコーンドラカーセックスならともかく、どこに表現の自由に挑戦してんだ?

 

そんなら別にガチガチキリスト教圏だろうと

から異性愛小説の類は山ほどあるし

上記少女漫画っぽいウブな恋愛なら、

わざわざ「表現の自由のために!」と啖呵切って

盾突かんでも、お上は許してくれるだろ

 

洋ドラのようなアチアチセックスシーンもグロシーンもない

天皇宗教権威側を茶化すような表現さえないのに

表現の自由の為に闘ってますぅ!って設定 

 

異性愛者が自由とか理念の為に

どうにかしてLGBT擁護するような、そういう無理くり感がある

マイノリティ主役にした方がずっと説得力あったのに

2018-08-03

anond:20170918160708

書いたやつが市民ではないのがわかる

平和公園観光客団体ファミリーもいろんな人種春夏秋冬で見るし修学旅行生も通年いる

8月だけ特別に人が増えてカオスになっているなどという書き方を見ると政治的に思惑がある人なのだなと率直に思う

ネトウヨみたいな中国憎しのビラを配るバーさんも見るしキリスト教文句を掲げた看板持ってる白人も見る

8月だけ特別にどうとかいうことはない

2018-08-02

anond:20180802053401

「好き勝手こねくり回してる」にせよ、明文化されてるものがあるのは楽だよなぁと思っただけ。

キリスト教では否定されてた。けど、否定するのは止めよう。って言えるじゃない。

日本だったら、明文化されたものがないから、杉田のように寛容だったとか、じぶんのかんがえたさいきょうのふつうを平気で言えちゃう訳で。そして、その反論は骨のいる作業になる。

anond:20180802052422

そう

実際にどの程度の厳しさで適用されるかは別として、とりあえず現状の経典では否定されてる

からよく神格化されてる「欧米リベラル」なんてのも、要はキリスト教系の新興宗教みたいなもんで

既存ルール自分の都合や好き嫌い勝手にこねくり回しているのは変わらないわけでしょ

それがたまたま自分感性に合っていたから持ち上げてるだけでさ

あるいは彼らのやることならなんでも肯定するだけなのかもしれないけど

anond:20180802035122

欧米のほうがマシだと思うのはキリスト教にせよイスラム教にせよ「こうあるべき」という経典があって、解釈の違いがあるにせよ、依拠するところがあることなんだよなあ。

日本場合の「こうあるべき」は、すべて「ぼくがかんがえたさいきょうの、ふつう」になってしまうこと。

良くも悪くもなのだろうが、依拠するところが合意できてることは強い。

杉田氏の文章を全文読んだ上で批評する

要約を最下部に載せています。全文読んでない方は要約も見て下さい。

反論

彼女エッセイの主張はシンプルだ。

A)そもそも日本は古来から同性愛に寛容だが、欧米同性愛者が迫害されてきた。社会構造が違うのに、欧米的な多様性容認していく流れを見習うべきという論調が目立つ。

B)多様性に寛容になり様々な性的指向を認めていくと際限がなくなる。「常識」や「普通であること」を見失うと秩序が保てない。

C)多様性肯定的報道はそれを助長することになりかねない。

以上が主な主張だ。反論は下記。

a)日本LGBTに寛容という点は、男色文化があるし同意できる部分もあるが、杉田自身が示した朝日新聞記事( https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html )に「『周りの人の多くは性的少数者偏見を持っていると思う』と回答したのは、性的少数者層の当事者の48%に上った。」「性的指向性自認に関する言葉嫌がらせを受けたことがあるのは、非当事者の10%に対し当事者は29%。」とある。これで、寛容といえるのだろうか。

b)際限がなくなる危惧理解するが、現状では際限をなくしたい訳ではない。いままで「常識」や「普通であること」の外にいる人も包摂した社会にしたい。それまで中にいた人にとっては苦痛だろうが、心の中まで犯そうとは思っていない。男と男が手をつないでいて違和感を感じたとしても、その違和感自体否定しない(違和感がないことは理想だが)。ただ、その人たちも同じ日本に暮らす仲間として受け入れ、そういうパートナーシップがあることを理解し、異性愛者と同様の社会制度を作って欲しい。

c)肯定的報道が際限のない多様性拍車をかけているという因果関係を具体的に示していないので、報道云々の箇所は論拠を示して下さいとしか言えない。(そもそも多様性は既に現に「ある」のに、どう広げるというのだ)

以上。

感想

枝葉に目をこらすと、看過できない表現もあった。

1、『LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がないのです。』

この文章が置かれている文脈では、議論右往左往しているので掴みにくいが、概ね下記の主張だろう。

日本では実際LGBT差別されているか疑問だ

  →LGBTの「生きづらさ」は親の無理解が大きい

    →親は自分の子供が同性愛者だと孫ができないのでショックを受ける

    →親の無理解クリアできれば、だいぶ「生きづらさ」は解決する

      →しかしそれは制度を変えることでは解決しない

  →そもそも社会は「生きづらい」のにリベラルメディア社会制度のせいにする

    →「生きづらさ」を自分で乗り越える力をつけさせるのが教育

    →「生きづらさ」を行政解決することには賛成する

      →しかし、行政が動くということは税金を使うということだ

        →子育て支援などは少子化対策という大義名分がある

          →しかし、LGBT子供をつくらないのに税金を投入すべきか疑問だ

しかに、少子化対策の枠でLGBT支援をするのは難がある。だが、全ての予算は「子供をつくる」ためにある訳ではない。「生産性」を広い意味で捉えたとしても、すべての税金の使いみちが「生産性」を追い求めるべきなのか。であるなら、クールジャパンファンド赤字を、ぜひとも批判してほしい。

なお、エッセイ後半の多様性容認のくだりをみるに、彼女が指す「LGBT支援とは、カップルに関することだけではなく、学校においてトランスセクシャル向けのトイレ制服を作ることも含まれていると思わる。性的マイノリティ暮らしやすく、「自分らしい」生き方ができる社会を整備することは充分に税金効果はあると思うが、そうした整備にも税金を使うことが躊躇われるようだ。

 

 

2、『「多様性時代から女性男性)が女性男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。』

それは同性愛者だったということであり、「これでいいんだ」と思えたなら、素晴らしいことではないか

同性愛になるか異性愛になるかは、人にどうこう言われて変わるものではない。

 

 

3、『LGBTからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。』

杉田氏は『成長するにつれ男性恋愛して、普通結婚していった』と述べてる。つまり、異性と恋愛せず結婚しない同性愛者は「普通ではない」というのだ。

一方、エッセイ最後で『「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく』とも書いてある。

『「普通であること」を見失っていく』の主語社会と捉えるにせよ、その発端は「普通でない」同性愛である

杉田氏は、同性愛者に対して「あなた存在は秩序を崩壊させる」と言っているのだ。

これが差別以外のなんなのか。

 

 

4、『自分の好きな性別トイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。』

藁人形である

文科省は通知を出していて「好きな性別トイレを使っていい」という指針にはなっていない。

トイレ多目的トイレ職員トイレ更衣保健室多目的トイレを利用することを推奨している。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/28/04/__icsFiles/afieldfile/2016/04/01/1369211_01.pdf


さいごに

私はLGBT当事者ではない。同性とセックスすることはあるが、あくまで性欲に紐づくものであって、愛に紐づくものではない。なので、基本的にはストレートだと自認している。

そして、前提として、日本無秩序にしたい訳でもない。

従来の「ふつう」以外も認めて欲しい。そして、「ふつう」以外の人も包摂する社会制度を再設計したい。

もちろん、いままでの「ふつう」を崩すとどこまで崩すのか、と不安になる気持ち理解できる。

私は、他人に深刻な不利益をもたらさない限りで、かつ、従来の根本的枠組(人の定義etc.)の延長で、最大限の多様性を許容する社会制度

また、「同性を好きになったり、同性とセックスするヤツは気持ち悪い」と思うのを止めたい訳ではない。思うのは無意識化だから仕方がないことだ。

それを個人的感情にも関わらず「ふつう」という、さも一般化した言葉に置き換えるのをやめて欲しい。

杉田氏や反LGBTの人も含めた、すべての人が最大限の幸福を得られる社会になってほしいと心から願っている。

参考:杉田エッセイの要約

LGBTで各新聞キーワード検索したところ、朝日新聞毎日新聞記事数が多い傾向があった。この2紙はリベラル系でありLGBT権利を認めて支援する動きを報道することが好きなようだが、違和感がある。背後には権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方が伺える。

しかし、LGBTからといって実際に差別されているか疑問だ。私は自分の友人が同性愛者でも気にしないし、職場でも仕事さえできれば問題ない。多くの日本人も同様ではないか

キリスト教イスラム教社会は、教義によって迫害されたり命に関わる問題にもなっていた。一方で、日本には同性愛者を「非国民だ!」という風潮はないし、迫害歴史もない。むしろ寛容な社会だった。欧米日本では社会構造が違うのに、日本マスメディア欧米を見習うべきという論調が目立つ。

LGBT当事者から聞くと、親に理解してもらえないことの方が社会的な差別よりつらいという。親は自分の子供が自分と同じように結婚して、子供をもうけてくれると信じているから、それができない同性愛者だと分かるとショックを受ける。LGBTの両親が受け入れてくれれば、日本はかなり生きやす社会になるのではないかしかし、これは制度を変えれば解決できるものではない。

リベラルメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにする。しかし、そもそも世の中は生きづらく、理不尽である。これを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育目的のはずだ。「生きづらさ」を行政解決するのが悪いことではないが、動くには税金必要である

・例えば、子育て支援子供ができなカップルへの不妊治療税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分がある。しかし、LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものなのか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がない。そこに税金を投入することが果たしていいことなのか。にもかかわらず、行政LGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

・ここまでLGBTという表現を使ってきたがLGBと、Tは分けるべきだ。トランスジェンダーは「性同一性障害」とい障害であり、自分の脳が認識している性と自分の体が一致しないというのは辛いだろう。政治家として、医療行為を充実させることは考えていいことかもしれない。

・私は中高一貫女子校出身だ。女子校では、同性の同級生や先輩が疑似恋愛対象となるが、それは一過性で、成長するにつれ男性恋愛して、普通結婚していった。しかし、マスメディアが「多様性時代から同性を好きになってもいい」と報道したら、普通恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねない。

朝日新聞調査LGBTが281人、自分が男女いずれでもないと感じるXジェンダーが508人、性自認性的指向が定まっていないQ(uestioning)が、214人いた。合わせて1003人にもなる。LGBT世間が騒ぐから「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。また、思春期から社会の枠組みへの抵抗もあるだろう。(記事https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html

・多様な性に対応するために、自分認識している性にあわせて自由制服選択できることに肯定的報道をよく目にする。例えば朝日記事で「多様性、選べる制服」。また、オバマ政権下では公立学校において、自分認識した性に応じて更衣室を使えるように通達を出した。果たして、それはいことなのか。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能だってある。自分の好きな性別トイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱する。(記事https://withnews.jp/article/f0180330006qq000000000000000G00110601qq000017068A

最近LGBTに加えて、QやIやPなど訳が分からない。なぜ、男と女の2つではいけないのか。パスポート性別欄に男でも女でもない「X」と記載できる国がある。タイでは18種類の性別があるというし、Facebookでは58種類の性別が用意されている。冗談のようなことが本当に起きているのだ。

・様々な性的指向も認めたら、同性婚容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚や親子婚、はたまた、ペット婚、機械結婚させろという声が出てくるかもしれない。どんどん例外を認めると、歯止めが効かなくなる。

・「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねない。朝日新聞が「LGBT」は、冷静に批判してしかるべきではないかと思う。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく。私は日本をそうした社会にしたくない。

記事リンクは、筆者が探した。杉田氏が示した大阪版とリード部などが異なるが、本文はほぼ同一。

2018-07-30

芸術は制約の中にこそ美がある」という表現の自由主義者にとって不都合な真実

エログロや胸糞、ペドフィリア レイプ ホモフォビア レイシズム

こういう表現の自由の全てを詰め込んだところで

その作品美的に優れてるかっつったら全くそうではない

 

しろ芸術として今日まで語り継がれているのは

キリスト教の抑圧がバリバリあった昔の作品ばかりだ

画材も今よりずっと少ない

PCもない、表現の自由もない それでも我々は西洋絵画を見て感動を覚える

 

表現を制約されることでむしろ美が強調される」

これを感じるには

今すぐペンと色鉛筆を用意すればいい

いくつもの画材をごちゃ混ぜにして描いた絵より

つの画材統一した作品の方が遥に美しい

2018-07-29

必ず潤沢な予算のつく研究分野

沖縄平和学習デジタルアーカイブ

http://battle-of-okinawa.hatenablog.com/entry/2018/07/28/200540

中身は特に価値のない、既存資料バズワードでまとめただけの「ウェブサイト

記事にもあるように、原爆資料東日本大震災でも同様に予算が付けられる。

海外だと、ホロコーストユダヤ人虐殺に関する事業がこれに相当する。

中身は、本当に新規性のない、ありがちなバズワード(今だとビッグデータVR)で

加工するだけの「ウェブサイト」 に何億円も予算がつく。

実はもっと予算潤沢な分野があって、それはキリスト教イエスが訪れた場所

当時の道路を掘り起こす研究とか、イエス遺体を包んだ布を化学的に分析する

研究とか、「はっ?」というあり得ない額の予算が投じられている。

僕もキリスト教徒になりたかった人生だった。

anond:20180729052740

でも、人間ってそんなもんだよ。

神を信じている人に、「神がいるなら、目の前に連れて来て」と言っても、誰も連れてくることができない。

はいないのに、神はいるって妄信している人が2人に1人の割合でいる。(ユダヤ教1500万人、キリスト教20億人、イスラム教10億人=30億人超)

神の不在をごまかすために、神学屁理屈進化している。「理神論」という屁理屈発明された。妄信してる連中は言い訳うまい

天皇を崇拝する日本人がいても、別に不思議ではない。天皇国民の結び付き=共依存安心できる人が多いのだろう。

2018-07-28

難行から易行への分派活動

ほとんどの宗教で、難行から易行への分派活動は見られるよ。

出家して俗世を捨てて厳しい修行をしたり、たくさんある戒律律法を守ったりすれば天国に行ける」という思想には納得感があるけど、古代中世の日々の生活で精一杯の厳しい世界でそうした生き方ができるのは、お金持ちや高位聖職者だけというのが現実だった。

まり難行系の教義だと、お金持ちと高位聖職者しか天国に行けないということになりがち。ということで、「○○するだけで天国に行ける」という教義分派活動生まれる。

キリスト教が「○○しろ、○○してはいけない」という定めがほとんどなくて、神を信じさえすれば救われるという教義なのは、当時のユダヤ教律法重視のファリサイ派が主流派で、それへの改革運動イエス・キリスト活動だったから。

もっとも、カトリックがあれこれ定めを勝手に付け加えたので、ルターがまた軌道修正せざるを得なかったけど。

以下の浄土真宗コピペも似たような感じ。

比叡山修行した法然。→浄土宗

ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人謙遜

働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちしか役立つ可能性がない。

でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら

おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。

はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」

親鸞浄土真宗

法然さまはおおむね正しいけど、阿弥陀様なめすぎ。

念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)

心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。

から俺なんか結婚だってちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」

おまけ 一遍時宗

「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。

まり俺たちは阿弥陀様のおかげで勝ち組。もう決まってんの。(←日本人暴走

から感謝の踊りを踊ろうぜ、let's dance!」

https://anond.hatelabo.jp/20180728124959

神がいるということを信じても、宗教を信じることには全くたどり着か

神を信じるということは、例えば以下のような事実を信じるということだろう。

ある程度のバリエーションはあるだろう。例えば、ある人は髪の存在を信じながら、神は人類にはなんの関心もないと思っているかもしれない。

いずれにせよ、そのような信仰を持つことは可能だ。

しかし、このような信仰だけでは、既存いかなる宗教信仰とも結びつかない。例え話をするので、とりあえず自分上記のような神の存在を信じていると仮定してほしい。信じているという思い込みの元、例として、キリスト教の神のことを考えてみる。

キリスト教では、神は我々の主であり、世界創造主であり、絶対唯一の全知全能の存在で、人を導き、愛し、また裁く存在であるとしている。あなたは、この神を信じているだろうか? 否、あなたが神を信じていようとも、このようなストーリーを信じる理由は全くない。これは全く別の話なのだ

同じことは、キリスト教以外のあらゆる宗教にも言える。神を信じることは、宗教を信じることと全く別なのだ

ところで、今まで便宜上「神」という言葉を使ってきたが、そもそもこの言葉宗教用語として使うのが支配的な用法だ。だから、たとえ宗教とは全く関係のない文脈で、上記のような仮定の「神」を、どんなに心の底から信じていたとしても、それは世間一般では神とは言わない。

まり、「神を信じますか」という問いは、実質上、「私の宗教を信じますか」と問うているのに等しい。

また、「神」が世間一般において、またなんらかの宗教信者にとって、なんらかの宗教文脈に支えられた意味での「神」を指しているので、仮にあなたが、宗教とは関係のない文脈で神を信じていたとしても、彼ら、ないしは世間一般用語に合わせれば、「神は信じていません」と言わなければならなくなってしまう。

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