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はてなキーワード: 侮辱とは

2018-02-22

anond:20180222131745

お前の発言コウノトリに失礼だ、コウノトリに謝れ。

コウノトリはな、お前が見えないところで一生懸命頑張ってきたんだよ。

一日にどれだけの人間妊娠に繋がるセックスしてると思う?わからないよな。

コウノトリはそれをワールドワイドに把握し、赤ちゃん輸送効率最適化に向けて涙ぐましい努力を重ねて結果を出してきたんだよ。

それをお前は踏みにじった。何が尻の穴からまれる、だ。侮辱にも程がある。

お気持ちフェミニズム」と「リベラル」の葛藤

自分観測範囲だと、女性専用車への抗議を非難したり女性専用車必要性を訴えている人の多くはいわゆるお気持ちフェミニストだし、お気持ちフェミニストの多くが女性専用車への抗議を非難して女性専用車必要性を訴えている。

(フェミニストなら女性専用車には反対するのが筋では?という議論は置いておく。また、女性専用車両存在自体は法的にはグレー、ただし差別的であることは明らか、ということは前提としておく)

お気持ちフェミニストリベラルと非常に相性が良くて、彼女ら/彼らは基本的差別に反対していて、デモやストは民主主義重要な道具だと理解している。

ここ数日の議論を見ていると、どうもお気持ちフェミニストの心のなかでリベラルであることとお気持ち矛盾による葛藤が生じていて、多くがお気持ちを優先してしまっているようにみえる。もしくは、お気持ちフェミニズムのために都合よくリベラル仕草をしているだけであることを露呈してしまっている。

--

女性専用車両への抗議は、ごく平和的なものだった。暴力侮辱はなされなかった。要は平和的なデモのものだった。しかも主張しているのは「差別反対」であった。

まりあの抗議は、お気持ちフェミニスト達が日頃賛同している、リベラルによる平和デモだったはずだ。

お気持ちフェミニストの「お気持ち」は、「痴漢に怯える女性のために専用車両必要だ」「キモい野郎どもだ」「これだから専用車両必要なのだ」と声高に訴えている。

お気持ちフェミニストの「リベラル」は、「平和的な抗議活動は認められるべきだ」「差別ダメ」とか細い声で訴えている。

彼女ら/彼らの中のリベラルは、お気持ちに到底太刀打ちできていない。

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リベラルであること、例えば差別反対を貫くことは、けっこう大変なのだ他人差別的言動や、自分自身に対する差別的言動には誰だって敏感だが、自分無意識差別をしていることには、自分客観視しないと気付けない。

差別反対を唱えている人だって、同じアパートに髭モジャのアラブ人引っ越してきたら不安になるし、筋骨隆々黒人男と話すときと童顔のアジア女と話すときでは態度が変わってしまうのだ。

お気持ちフェミニストに限らず、誰だってそう。お気持ち第一で生きていく、リベラルだの保守だのはどうでもいい、という態度なら別に良いのだが、リベラル保守だと自認するのであれば、その思想で(意識的に)自らの言動を律していかないと、即座に自己矛盾を生じてしまう。

2018-02-18

女性専用車両ってアパルトヘイトかなんかなんか

単に必要性があってそうなるってんじゃなくて肯定派の主張はたいがい侮辱やあざけりとセット

実態として差別車両だし違法じゃないからって何でもやっていいわけじゃないと思う

強引に乗り込む人の気持ち理解できる

2018-02-15

原作を読んでると二次創作は見るのもダメ

原作を読んでおらず二次創作面白いってなったら原作が読めない

そんな自分が面倒だ

二次創作は必ずしも宣伝勧誘になるわけではない

中学から好きな本の女主人公恋人となる男の性対象が男となってるとおもわれる検索候補が出てしまい、大ダメージを食らってる

信条性格や性対象を変えるほどの二次創作は大嫌いだ。もうそれは彼ら彼女らではなくただの記号である。彼ら彼女らを侮辱しないでくれ

2018-02-12

anond:20180206004025

これは増田のみならずはてな全体で繰り返し話されてきたストーリーですが。

何度トライしても口で説明できないので、人の心は(本能よりの部分ほど)不思議なのでとしか言いようがないです。

今までにブクマしてある説得材料になりそうなのもあるけど「これは俺とは絶対に違う」とか「じゃあどうすればいい」とか言って結局納得しないと思う。

ただ、世の中はブレが大きい。

たとえばあなたの気にかけている「容姿」の個性(=平均からのブレ)が、

ご本人は意識にのぼってないほど些細なものみえていて、

逆に「どうしてみんなは〇〇〇にうろこが生えてない男とエッチできるの?

わたしにとってはまずフェイクでもうろこつけてデートに来てくれる程度の器がなきゃそもそも恋愛対象外なんだけど」くらいのぶっとんだ好みの人がいます

そんなの正気じゃないあり得ないと思うでしょうけど、

テレビに映し出されるような「平均的」なものけが他人内面ではないです。

今はずっと内面自由だしそれをこっそりSNSで表に出す人もいる時代なんです。

 

それがあなた幸せかはわからないですし、むしろ侮辱と取られたりすることもありますから

あなた個性を生かす道があるかもしれない場所をわざわざ探して貼り付けたりするのはやめておきます

ただ、あなたの気にかけている容姿という個性場合によっては無視される程度のものに過ぎないだろうと思います

お父様のおっしゃりたいのは、

容姿でなく健康問題遺伝することや経済的包容力甲斐性)などの点のほうが伴侶を探す上での悩みとして深くなる可能性が一般的に高いという点にあるのかもしれません。

 

 

頑張れとしかいえません。

2018-02-11

anond:20180211175104

ありがたみがないのと、

国旗国歌への侮辱は別問題だよ、

ウンコマーク国旗ウンコ国があったとして、

その旗でトイレットペーパーを作って、

便所で使用する様子を

他国YouTuber拡散したら、

聖戦が始まるかもしれないよ?

anond:20180211155653

言われても言われても、言い返し続けて下さい。あるいは、ムカついた顔で侮辱の内容をメモし始めてもいいかもしれません。やめてくれと言わない限り絶対にやめてくれないと思います

もっと馬鹿にされてへらへらしてる方が幸せなのかもしれません。

女になりたくなかった

幼少期に女嫌いをこじらせすぎた。

原因は母親ヒステリー

毎日夫婦喧嘩は絶えず、家ん中じゃ麦茶が飛んで皿が割れた。

喧嘩の発端は、毎回、母親が突然に不機嫌になる事だ。

母は人付き合いが壊滅的に苦手だったが、父の仕事関係で、妻として表に出る事が多かった。

その中で生まれネガティブ感情が、大体二週間ぐらいかけて『そもそも結婚なんかしなけりゃ』という不満に発酵し、その後は『超不機嫌モード』に移行する。

そんな母の態度に、生来短気な父の堪忍袋の緒が切れると、家の中で怪獣大戦争が勃発するという仕組みだった。



──と気付いたのは大人になってからで、幼い私は兄と抱き合って震えながら、『うちのおかあさんは何故急に怒ったり不機嫌になったりするのだろう』と考えていた。

喧嘩が終わった後、私たちはよくベソをかきながら父に聞いた。『なんで母さん、ああなの』と。『気に入らないことがあるなら、言葉で言えばいいのに』と。すると父はこう返した。

『母さんは女だから。女の人は男の人と違って理論的じゃないから、よくわからないところで感情的になるんだ』と。

私は兄と一緒にふんふんと聞きながら思った。

『そうか、女だからか。女ってクソだな。』

健全な性の道を踏み外し出す、記念すべき第一歩だった。



第二ステージ

母親を疎み、兄や父と主に過ごしてきた私の読書習慣が、歪んだ固定観念をより強固なものとするに至った。

少年マンガの購読である

(先に断っておくが、私は少年マンガ糾弾する気は一切ない。ただ事実ありのままに書き記していくだけである。そして私はありとあらゆるジャンル漫画が大好きだ。)



兄弟と育った私は、コロコロを読み、ジャンプを読んで育った。父のコレクションである少年漫画に手を伸ばし、特にドラゴンボールを好んで読んだ。

しかし私はドラゴンボールブルマちゃんが嫌いだった。天才科学者とかそういう長所は、曇りきった私の目には見えておらず、『何も出来ない癖にすぐ泣いてすぐ叫び、恋や欲求にすぐ目がくらむ、ヒーローの足を引っ張る存在』とそんな風に見えていた。『ああ、父を煩わせる母と同じだ。やはり女というものはこういうものなのだ』と。



同時に、私の性の芽生えの切っ掛けもブルマちゃんであった。

詳しくは割愛するが、あのマンガって結構えっちだよね。

とにかく女体に興味を覚えてしまった私は、こっそり父の読んでいる青年漫画に手を出した。前に一度ちらりと見えた時、なんだか非常にえっちっぽいページが見えたかである

親の目を盗み、どきどきしながらページを開いた。そこには大人世界が広がっていた。

どろどろとした愛憎入り乱れる大人世界だった。女はひどく誇張された化粧と共に描かれ、男相手に股を開いていた。

べっとりとした口紅と真っ黒な性器が、多大なる忌避感を私に与えた。



『おヴぁああああああああああああ』と私は心の中で叫んだ。

ブルマちゃんの可愛らしいお胸とは正反対のものがそこにはあった。

だがリアル調のその漫画の方が真に迫っているような気がした。

なるほどこちらが真実だったのか、と小学三年生の私は納得した。

『女はクソだ、内面だけでなく外面も。』

齢九、私は何処へも辿り着かぬ道へと順調に足を踏み外していった。

ついでに化粧が嫌いになった。



さて私はある時期より、重大な気付きに直面する事になる。

それは『自分も女である』という事実であった。

私は自分母親のようになる事を極端に恐れた。ゆえに『感情的にならない事、理論である事』を信条に掲げて日々を過ごしてきた。

また、既に女という性を軽んじていた私は、『女子なんか』と遊べば『女』になってしまうと思い込んでいた。

ここでの『女』というのは、しばしば侮蔑的な響きを含むあの『女』のニュアンスだ。『まったく女ってのは』というあの感じだ。



女子ままごと菓子を好み、恋の話に興じるもの男子は外で体を動かし、虫やボールを追いかけるもの。前者は幼稚かつ非建設的で、後者建設的なもの──。

私は男子に混じって遊んだ。虫をつつき、ボールを追いかけ、カードゲームに興じては『女子にはわかんねーだろ』と男子と一緒に男ぶった。

てめーも女子だろ。

ともあれ男女問わずパンを履きまくっていた時期にそれを咎められる事は一切なく、私はこのままずっと『男』に混じって生きていくものだと思っていた。



しかし年齢が上がるにつれ状況は変わっていった。



中学時代より、『女子』としての振る舞いをするよう諸所で注意を受けるようになった。

足を開くな、スカートを履け、髪を整えて身綺麗にしろ

私はその度に反発を覚えた。それが身に染み付いた女嫌いゆえであるというのには、未だ気付いていなかった。ただ女らしくしろと言われる度、いいようのない嫌悪が体を駆け巡り、肉体を引き裂きたいような衝動に駆られた。

父や母も男勝りな娘の教育ほとほと手を焼き、私を『反抗期』と称した。私もそうであると思っていた。

──『反抗期』という言葉に、ひどく感情的な、理論の欠如の時期、という印象を見出した私は、すぐに『反抗期』を終え、男らしく振る舞うのをやめた。

女らしく振る舞う事もしなかったが、それで周りは満足したようだった。



さて年月が過ぎ、こうして高校までをしのいで来た私であったが、大学へ出るに当たり、いよいよ『社会』という漠とした強敵対峙する事になる。

家族は言った。『お前もそろそろ化粧を覚えないと』。

Wait, what?

私は心の中で叫んだ。脳裏に浮かんだのは、幼少期に見た、あのべったりとした口紅と醜い性器映像だ。

あの醜悪気持ちの悪い化学製品を、醜い女の象徴を、私に塗りたくれと言うのか。

女は醜いものだと教え込んだお前達が、今度は私に女になれというのか。そりゃないぜworld。



齢十八。私は化粧から逃げ回った。

言わずもがな、最たる要因は、家庭環境の最悪だったあの時期に読んだ例の青年漫画だ。

あの裸の女が身につけていた口紅だ。自業自得はいえ、最早トラウマだった。

親はありとあらゆる手で私を説得しようとした。

『最低限のマナーから』『そんなんじゃ社会でやっていけない』『化粧は有害じゃない』

『今はただの練習でいいから』『ええい駄々をこねるのをやめろ!』。



さて、呆れた事に私は自分がなぜこんなにも化粧品嫌悪を抱くのかを、未だ理解していなかった。

いくら醜悪描写漫画で見たからといって、なぜそれが全てだと思い込む?テレビを見ろ、タレント達は男女問わず化粧をして美しいじゃないか。──』

その裏に繋がる根深い『”女性性”への嫌悪』に気付けなかったのは、外面的な事に関して言えば、私の嫌悪がごく限定的である為であった。

化粧、ヒール、裸体を連想させるような肌の露出。装いに関して嫌だったのは、この三点に尽きた。

別に女の肉体を持っている事について、不満はない。

男の肉体が欲しいとも思わない。

着物であれば女性のものを好んで着たし、ミニスカートヒールでなければ、多少はフェミニンな装いも吝かでない。

非常にややこしく凝り固まった嗜好がどこから来たのかと、私は大いに悩んだ。

こうして書き出せば理路整然としているが、書いていない様々な事ゆえに気付きは遅く、私は自分が一体何故こうも屈折しているのかと懊悩した。



齢十八と半分。ようやく気付いた切っ掛けは恋だった。

幼馴染に、太陽のような男がいた。

高い背とおおらかな心が皆を惹き付け、彼の周りには男女問わず人が集まった。

私と男は気安い仲だった。ある時、抱えきれなくなった想いを彼に吐露した。

彼は赤面していた。想いが伝わったのだと浮かれ、私は何度も愛を告げた。間違いなく、あれがそれまでの生涯で一番幸せな時だった。

やがて彼は真っ赤な顔をして、はにかみながら、人を惹きつけるあの笑顔でこう言った。



『お前も可愛いよ』



大抵の女性であればここで舞い上がったのだろうか。しかし私は違った。

『おヴぁああああああああああああああ』と心の中で叫んだ。待て、お前、可愛いよってなんだ。可愛いよってなんだ。

かにも、私はその瞬間まで気付いていなかった。男に慕情吐露する事がどういう事なのかを。人として心から愛していたから、それを告げたい。ただそれだけだった。無責任な事だったと今なら思う。

いや、私は付き合いたいとは思っていたのだ。だがそれが必然的に『女扱い』に繋がるという事に気付いていなかった。彼は私に化粧やお洒落を望むだろう。まだ若く健全な男として、『可愛い彼女』を会得する事を望むだろう。

私は絶望した。

私はこの男を愛してはいるが、彼の女にはなれない。自分の中で育ててきた固定観念が、私に盛大に牙を剥いた瞬間だった。

ようやく私は自身に深く根をはる『”女性性”への嫌悪』に気が付いた。



私と幼馴染はどうともならなかった。

幼馴染も馬鹿ではない。彼は『可愛い』という形容詞がおよそ私には合わない事にすぐ気付いた。



暫く友人以上恋人未満のような関係を続けたある日、彼は言った。

『やっぱ俺、お前を女としては見れない。』

私は返した。

『然もありなん。』



さて、ようやく氷山の全容を眺める事が出来るようになった私だったが、ぎちぎちに凝り固まった偏見を見つめ直し、途方に暮れた。どれだけ難儀な奴だと。

いっそ潔く『俺は男だ!』と思えたら楽だった。

いっそ『女は等しくクソだ!』と思えたら楽だったかもしれない。

だが私は男でないし、女はクソではないし、女友達普通にいたし、大好きだった。

『””』を使って『”女性性”への嫌悪』と書いたのは、この『”女性性”』が、『世間一般蔓延してはいるが真ではない、女性に関する漠然として、かつ悪意を孕んだ偏見』に過ぎぬ為だ。

ネット漫画で嫌という程に見る”醜い女像”など、現実人間関係では見た事がない。

強いて言えば母親ヒステリーぐらいだが、それもも母親を一個の人間として見られるようになってからは、『母は女だからそうなのだ』という訳でない事を知った。



全てが根拠なき偏見ゆえと気付けたのなら、何も気にせず、ただ己として人生を歩めるだろうと思っていた。

だが、最早これは理論ではなかった。『女』として社会に出る事を考える度、『女らしい』格好をする度、どこからともなく嫌悪と惨めたらしさが迫り上がった。

『女の格好をすれば、きっと皆私を”女”と見るに違いない。甘ったるい菓子を好み、ぺちゃくちゃと甲高い声で噂をし、感情的に泣き叫ぶ、あの生き物と同類に思うに違いない。──』

『あの生き物ってどの生き物だ。お前の女の友人に、そんな奴が一人でもいるか。あと誰もお前の事は気にしねえよこの自意識過剰野郎。』

絶え間ない反駁でどうにかその考えを埋葬しようとするが、気が緩むと、それは何度でも蘇っては私の前に立ちはだかった。

また、たちが悪いのは、偏見が純然たる嘘でもない事であった。

私が私の中に根付かせた偏見は、何も初めから私が生み出したものではない。

漫画文学ネット、口さがない噂。

母親の姿。

買い物に少々時間をかけて良いかと問いかけ『女の子ってほんと買い物好きだよね』と返された事。

転んで涙を滲ませた私に『女って何ですぐ泣くの?』と問い掛けたクラスメイト──。



世間”が私を『女』と見る。女として生きたくない。いやそれは偏見に過ぎない。お前は女の友人達侮辱するのか。だがこの先、私が囚われてきた偏見と何度直面する事になる?

いっそ男になりたい。いやそれは逃げで甘えだ。男達をも侮辱する考えだ。だが少なくとも、私が嫌悪してきた女性性を押し付けられる事はなくなるだろう?



一つ、確かな事がある。私に恋愛が出来る気はしない。

私は幼馴染を心より愛していたが、『女』として扱われるのは耐え難かった。いっそ最初から男であったなら、私は彼を友人として愛せていただろうか。

近頃、新たに気付いた事がある。寝台で、男に抱かれる女としての自覚を得た途端、私は完全に不能になる。



必ずしも恋愛がしたいわけではない。

ただ目の前の人々を愛し、尊重し、あとは流れるままに生きていければいいと思う。

反面、やはり人と愛し合ってみたいという願いも漠然と持ち続けている。



こうなりたくてなったのではない。だが後ろ向きでもない。

『女はこうだ』『男はこうだ』と括る前に、目の前の人間を、一個の人間として見る事、

己と違う、十余年、数十年の生を歩んできた人間を、ただ一人の、別個の人間として尊重する事を信条に、

取り敢えず前を向いて生きている。

2018-02-05

経済政策重視で選んだら「札束で顔を叩かれた」って…

お前どんだけ人を侮辱したら気が済むんだよ

そりゃ嫌われて支持無くすよ…

2018-02-01

anond:20180131224827

理屈より侮辱の方が効果的なんだな

リアルでもそう階級上なら相手の話に反論せず突っぱねたり無視る方が相手を切らせるのに効果

anond:20180201181619

から感想文は自由じゃん

ターミネーター警察署に車で突っ込むシーンがあるけど乗用車でぶつかった程度であんコントみたいな壊れかたする警察署はない

でもアメリカ警察は怒らない

自衛隊関係者は起こるんだよ

創作作品スレ創作作品の中にのみいる架空の隊員に率直に思うこと書いただけで「おいそれ侮辱か」だよ

自衛隊協力映画政治的な思惑が強い上に自由な考えを認める風土がなくて気持ち悪い

韓国特殊部隊員が先生れいぷする映画シルミドを作れるしキョンシー映画に出て来る軍人無能を絵に描いたよう

でも中韓役人は怒らない

フルメタルジャケットとかジャーヘッドとか28日・週間後とかは軍人の描かれ方がひどいけど映画はちゃんと作られて大々的に放映されてる

28は面白くないのに世界中で放映されてる

アバターでは海兵隊の偉い人が怒っていたけど上映を止めそうな雰囲気監督個人的にどうとかはない

自衛隊を悪く書く映画存在はするにはするけど大きな映画館では全くないな

右向け左みたいな人間ドラマ国内で作れない

多少の批判ジョークすら許さな自衛隊を聖域化する空気がある

自分より評価されている他人馬鹿にせずにはいられない物書きの話

 最初に前提として私の性格を言っておこう。

 まず、プライドが高い。文才も地の頭の良さも無いのに、どうしてか自分は頭が良いと思いがちである

 そして、他人との比較による評価判断の重きを置く。

 極め付けには、「プライドが高く才能も無いのに相対評価にいつもびくびくと怖気付いている私は馬鹿なのだ」と分かりきっているようなことを考えて、まるで自分のことを本当に理解しているからこそ卑下するのだという態度を取る。

 こんな人間の戯言でも良ければ見ていってほしい。

 私は二次創作小説を書いている。ペースは1〜2週間に8千〜1万字程度の短編を一本。生活を圧迫しない程度に小話を書いて満足している、趣味には飢えていない物書きごっこ大好き遅筆人間である

 小説を書くのは楽しい。また理解出来ないようなキャラクタの心情をどうにか知ることは出来ないか考察に走ってみることも楽しい。但しその考察目的が「キャラクタを知りたい」というものである以上、その楽しみが「考察をすること」に留まってはいけないと思うし、考察によって自分が得た「キャラクタの心情」が一次のキャラクタが持つそれと同一である盲目的に信じることもいけないと思う。

 話が逸れてしまったのですぐ上で述べたことを繰り返すと、私は文章を書くことに対して喜びを感じている。元々勉強でも現代文が一番得意で、本も同年代の平均的な読書量と比べれば読んでいる方だろう。文章に対して苦手という意識は無く、文を読むこともこねくり回すことも大好きな部類の人間だ。

 だから好きなキャラクタについて文章を書くことも楽しいし、それ自体目的であり手段であるのなら「○○について話書くのたのしいな!」で思考ストップしても別に構わない。それが当然の帰結であろう。

 けれど、そこで終われないのだ。

 書き終わった後作品コミュニティサイトにアップし、どれくらいの人から良い評価を得られるかが気になってしまう。数時間おきにページを開き、通知を確認してしまう。

 その上、他人が書いた作品に付けられた評価自分作品に与えられた評価とを見比べ、一概に言えるわけもないのに「自分の方が上手い文章であるのにどうしてこの人の方が褒められるのか」と苛立ってしまう。“一概に言えるわけもないのに”という表現からも、私のプライドの高さが伺えるとは思う。

 pixivを例に挙げると(実際私が今小説投稿しているサイトpixivではないが)、pixivには閲覧者があなた作品が好きですという感想マウスをワンクリックするだけで伝えることの出来る「すき!」という評価システムがある。

 勿論閲覧してもらうこと自体嬉しいのだが、好きだと言ってもらえることはもっと嬉しい。嬉しくてたまらない。しかしその嬉しいという純粋感情は、次第に「私はこれだけ評価されている」という目を背けたくなるような慢心へと姿を変える。

 そして評価されているのは私ではなく私が書いた小説であるということにも気が付かずに、「私はこれだけ評価されている」という偉ぶった思いが、いつのまにか「他人があれだけ評価されている」という妬ましい思いにすり替わっているのである

 実際pixivではランキングという一つの評価指標のようなものがあり、そのランキングがその時の利用者の間の流行に左右されて一つのジャンルで埋まることがあるとしても、競争心のようなものが煽られているような気はしなくはない(利用者が気軽に「評価の高い≒高確率でハズレではない」作品を閲覧出来るようにという意図によって作られたのだろうけれど)。

 しかし私の利用しているサイトではランキングシステムはなく(世間様の目に触れてはいけないようなジャンルを扱う人々が作品をアップするサイトであるからかもしれない)、皆恐らくのんびりと創作に勤しんでいるはずだ。競争心を煽るようなものはどこにも見つからない。

 にも拘らず、だ。私は人様に寄せられた好意と私の作品に寄せて下さった好意とを失礼なことに比較して、剰え自分の方が優秀であるだろうなんてことを考えている。好意を寄せる人々とその“人様”とを侮辱しているようなものではないか

 まあ多分、きっと、私の文章面白くないのだ。それに今熱中しているジャンルは、本編の放送が終了してしまっている。だから離れていってしまった人も多いのだ、というのは言い訳として言わせてほしい。実際閲覧数も落ち着いてきている。

 でも、本当に面白くないのだとは心の底では思ってなどいない。そんなの認められない。認めたくないのだ。だって、私にはプライドがある。私の文章面白くないわけないじゃないか、という捨てられない最後の砦がある。

 どうしてそんなクソみたいなプライドを持ち合わせてしまたかというと、それは中高時代経験が多分にある。

 私は中学受験をして、世間からお嬢様学校と呼ばれるような学校に入った。御三家第一志望とする受験生が第二・三志望で出願するような学校で(当時の話だ。今がどうかは知らない)、毎年数人が東大に行き、学年の半数以上が早慶上智、少なくとも皆GMARCHには行くくらいのレベルのそこそこ進学校である。めちゃくちゃバレバレだが。

 小学校では中学受験をする子が周りにおらず、親も褒めて伸ばすタイプだったのが逆に悪かったのか何なのかは知らないが、いつのまにか私の中には「自分は頭が良い」という意識が生まれていった。

 しか中学に入って、私はだんだん勉強に追いついていけなくなる。100点のテストで70点しか取れなくて悔しがっていたのが、いつしか苦手科目や5教科以外の試験なら平均点や満点の半分の点数を取れればまあ良いやというようになってくる。

 初めは真面目に通っていた鉄緑会も辞めてしまい、鉄壁はその厚さにギブアップしてターゲット1900に切り替えるなど楽な方を選択して勉強もまともにしなかった為、高3では地獄を見る羽目となった。

 それは元々の私の性格である怠惰さや勉強があまり好きではないという思いから来るものであり、また自分よりも学にも芸にも秀でている友人を見ていくうちに漸く得た「なんだ、自分って大したこと無いんじゃん」という諦念の感によることだったのかもしれない。

 けれど、私は「自分は出来る子だ」というプライドを捨て切れなかった。

 夏休み課題で提出する小説で賞を貰ったこと、授業で誰一人理解することの出来なかった『こころ』の友人Kの感情自分だけ読み解けたこと、センター志望校過去問絶対現代文だけは間違えなかったこと、そういう取るに足りない誰もがきっと忘れていくような些細な物事の欠片を、歩いてきた道を振り返ってしゃがみこんで目を凝らして拾い集めた。

 誰にも自慢出来ることがなく、性格が良いわけでもなく、美人でもなければ気が利くわけでもない。友人と呼びたくとも向こうがこちらを好いていなかったらどうしようと怖くなって友達もあまり作れなかったし、部活で一緒だった数人の友達と呼べる人たちが皆国立理系コースに進む中私だけ私立文系という道を選んだ(算数嫌いが祟って数学も駄目だった)し、夢もなく何かに向かって努力たかと言えば泣きながら日本史熟語を頭に詰め込んだ時くらいだ(暗記科目が苦手なくせに受験で使った)。

 要するに救いようのないくらい臆病な馬鹿だ。出来ないことが多すぎて、常に劣等感に苛まれている。しかし臆病であるからこそ本当に自分は駄目なんだと諦めたくなくて、「自分馬鹿じゃない」と思い続けている。

 結果として大学受験センター滑り止め他志望校で躓き続け、奇跡的に第一志望だけ合格したのだから始末に負えない。世間様に馬鹿にはされない学校に入ったことで、人生設計の全く捗らない行先に少しは安心出来る要素がプラスされたくらいのくせに、私の「自分は出来るんだプライド」は強化されてしまった。

 「どうしてどうせまともに勉強もしていないようなあなた文章が、W大文学部の私が書いた文章よりも評価されるの?」

「どうしてあなたがテキトーに書いた3千文字も無い文章が私の1万字よりも評価されるの?」

「どうしてまともに『てにをは』を使えないあなた文章が私の文章より評価されるの?」

 というような泣きたいくらいの進化が遂げられてしまった。いやもう泣いてる。見ず知らずの人を絶対自分よりも下流努力していない人間と決めつけて、自分付加価値で殴ろうとしている。文章は長ければ長いほど良いと思い込んでいる。三番目は許してほしいが、信じられない愚行だ。

 まず第一勉強が出来る(=成績が良い)ことと文章面白く書けることとは全くもって関係がない。ウィット文章を書けることと教養があることとは関係があるだろうが、そちらは関係がない。

 第二に学歴文章判断するのは間違っている。学歴が無くても面白い文章は書けるし、一般大衆にウケたり賞も獲れたりする。

 まったく評価基準が間違っているとしか言いようがない。視野が狭い人間なので他にも叩ける部分はあると思うのだが、溜息しか出ない。しかもわかっているのに直せない(と思い込んでいる?)のだからどうしようもない。どうしたら良いのだろう。どうすれば良いのかわからなくて、途方に暮れている。

 嫌な人間になってしまったものだと思う。でもこの世の中は競争社会で、相対評価が当たり前で、何かしら人と比べなければ気が済まない人々に囲まれ環境に置かれればそうなってしまうのも致し方ないのではないか、と自分を庇ってしまいたくもなる。

 誤解の無いように言っておくと、他人様の文章に感動しない人間ではない。寒い部屋で鼻水垂らして泣きながら読んだ大好きな小説もあるし、してやられたと最後最後でのどんでん返しにニヤついてしまうこともある。

 しかし「人に馬鹿にされたくない」という思いと「人に評価されたい」という思いが混ざると、こんな面倒なことになってしまう。でもどちらも当たり前の感情だとも思うから、返って対処の仕方が解らない。

 作品に関しては宣伝もっと上手く出来れば閲覧数が伸びるのではないか、という指摘もあるかもしれないが、表立って書いてますとは言えないジャンル創作なので、そこの辺りは難しいのではないかと思う(一応ツイッターにそのジャンル専用の鍵アカウントを作ってあるが、相互が40人程度の小規模なアカウントだ)。

 人に賞賛される喜びが捻じ曲がって醜い嫉妬に変わり果てるのは、今私や私の小説を好きだと言って下さっている方々の思いの否定にもなりかねず心苦しい。

 今回はそういう気持ちをどこかに吐き出したいと思いチラシの裏感覚文章を書いたのだけれど、割合すっきりしたのと同時に恐らくこれからもそのような自己矛盾と付き合っていかなくてはならないのだろうな、という実感が湧いてきている。

 何があっても筆は止まらないし、折るつもりもない。文章を書く喜び、キャラクタに向き合う喜び、そして人に賞賛されるという喜び。それらの何物にも代え難い快感を知ってしまったら、もう当分心大人になりきれるまでは、ずっと苦しみ続けなければならないのだ。

どうして炎上している人に限って「私はいいけど家族中傷するのは辞

少し考えれば誰でもわかる様な事だけども後の自分は忘れてそうな気がするので書いておく

これは炎上している人が実名であったり社会的地位がそれなりにあったりする時によく起こり得る事である

バカッター揶揄される様な未成年喫煙飲酒などのやらかしについてなどは本人が一番被害を被るし、会社勤めの人ならばその内容があちこちに広まると困るので謝罪したり逃亡したりして沈静化を図ろうとする。

しかし、実名活動している事業主社会的地位にあたる人間、そして人から注目を集める事によって商売が成り立つ人達にはそれが効かない。だからこの手の人はある意味で無敵というか炎上に強い立場にいるのだ。

そう言った人が不本意発言を繰り返しても当人の評判には影響しないと考えている。そこで炎上させたい側はそう言った人の家族に目をつけるのである家族に対して脅迫的な事を言ったりその発言家族に対してどう思いますかなどと気持ちを測ったようなふりをしたリプをつけたりする。

すると炎上していた人は「私はいいけど家族に対して何かを言うのは辞めてください」と言うようになる。

これは炎上していた人が「何を言っても自分発言なんだし、自分が悪く言われようとも関係ない」という考えをしている所につけこんで「本人にあれこれ言ってもラチがあかないので家族をダシにして脅してみよう」という発想に至ったのである

炎上させる側がこのような脅しに出て、炎上する側が「はい、そうですか。すみませんでした」などと殊勝な事を言って発言を控えるようになった例は聞いたことがない。

「俺はいくら言ってもいいが家族侮辱するのは許せない」というのは炎上する人にとっては剣を抜いた合図のようなものなのだ。あるプロ野球投手匿名掲示板家族侮辱されたとして慰謝料請求したというニュースも舞い込んできている。

炎上させる場合当人に限り、炎上に際して無関係人物の事を当て擦るのは控えた方がいいだろう。

https://anond.hatelabo.jp/20180131155044

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180131155044

人間動物は違うし、白人黒人も違うし、男と女も違うだろ!

もちろん、人間動物は違うし、白人黒人は違うし、男と女は違うし、わたしあなたは別人です。では、わたしあなた差別してもいいのでしょうか? もちろんよくないですね。違っていることは差別理由にはなりません……という話です。

1)他でもいっているが人間中心主義的なフェミニズムは十分にありえる 2)倫理的ヴィーガニズムは、「苦しみを感じる能力」を基盤とした能力差別主義といいえる 3)利己遺伝子論の取扱 あたりをどう考えるか

人間中心的なフェミニズムはありえない」って誰も言ってなくないです? 「人間には動物支配搾取する権利がある、なぜなら人間動物は違うからだ」と「男には女を支配搾取する権利がある、なぜなら男と女は違うからだ」って論理的にまるっきり同じですよね? その理屈を無邪気に肯定していいんですか? っていうのが大元の問いでは。

人間動物も同じであるというのは「生物学的正しさ」ではあるが「政治的正しさ」ではないだろう。この2つの正しさを直結するのは危険な気がする。

生物学的に男女は同種だけど女は政治に向かないか選挙権は男だけでいいよね」っていうのが政治的正しさだった時代もあったんですよ……

それでもいきなりマンコ呼ばわりされる日常を生きてる(生きてた)人間にはただの混ぜっかえしに見える。

権利を持つべ存在が日々虐待され殺され店に並び、多くの人が喜びながらそれを消費し、彼らの権利を守ろうとする主張が反差別運動をやっている人からも冷笑・嘲笑される状況って、そりゃ実際の性暴力性差別被害とは比べ物にならないとは思いますが、「混ぜっ返し」といわれるほど軽いものじゃないと思いますよ。それを軽いといわれたら、性暴力被害とは縁遠いけど性暴力被害者の話を聞いてなんて酷いんだって憤ってる人の義憤には立つ瀬がないです。

他人価値観に寛容なら、そいつ価値観には寛容でありたい。それだけ。正しさなんてクソ食らえだよ。

どこに線を引くかなんて個々人が勝手にやればいいのだ。信心自由

「僕は人種差別に反対だから黒人奴隷は使わないけど、君が黒人奴隷を使ってる分には構わないよ」なんてニコニコしながら言う「寛容な」人がいたら頭おかしいと思うでしょ? 「おれが肉を食うのは自由だろ?」って言われた時のヴィーガン気持ちがそれだと思うんですよ。

その対象とわかり合えるかどうかでしょ。知性と対話をもって。動物は結局何考えてるかわからいからな。

その理屈だと重度の知的障害者差別してもいいってことになっちゃうのでは……? あと、「アフリカ人奴隷は何考えてるかわからん」って言ってる南部人たくさんいましたよね。

面白いし似たようなことを考えてもいた。でもね、どんな崇高な思想であっても、他人との差異を認められない人や思想他人押し付ける人が主張してるかぎりはどうでもいいもんなんですよ。

黒人奴隷にしていい」「女は好きに犯していい」という思想って、考え方の違いで認められるんですか? 「僕は女性に性暴力をふるうのは反対だけど、君がふるうのを尊重するよ。個人自由からね。僕の思想押し付けることはしない」って言ってるやつかなりサイコパスみがありません? 賛同しろって言ってるんじゃなくて、ヴィーガンにとってはそれくらい切実な問題だって理解したらどうだ、って話です。

どうしてそうすぐに正しいだの敵だの言い切ってしまうのだろう。グレーでいいじゃないの、心に留めて無言でいてもいいじゃないの、日和見主義でいいじゃないの。

こんなのヴィーガニズムへの最大の侮辱ですよ。奴隷にされている黒人奴隷主のあいだに立って、戦闘奴隷解放論者は極端だなあ、日和見主義でいいじゃない、なんて言うのは奴隷制肯定にほかならないでしょう。ヴィーガン問題意識ちょっとでも想像たらこんな無神経なこと言えないですよ。正々堂々と、あなたたちはわれわれの敵だ、と言明するべきなんですよ。

その理屈に乗ると男性優位社会の信奉者が女性差別するのもOKって話なわけで、まあ事実その主張って根絶できないわけだが、ええんかいなではある。

せめて「おれは男性優位主義者であり女は男と対等ではないと信じているので確信を持って女性差別する。この差別は正しい」と堂々といえよっていう話ですね。そっちのほうが、別に差別じゃないしwwwwwとか苦しい言い訳をして差別とそれによる敵対隠蔽しようとするより遥かに誠実な態度でしょう。

ブコメに応答

権利社会を形作るもので、その社会という人間が無法から身を守るツールと、その外と内をどう分けるのかが、等価に思えてしまう人がこんなに多いのはなんでだろうか。そんなに引っかかることか?

その「人間社会」の内外をどう区分するか、って、自明じゃないですよね。アボリジニ人間以下だから追い散らしてハンティングしてやるぜ! アフリカ人貨物から船に詰め込むし伝染病流行りそうになったら生きたまま海に放り込むぜ! っていう時代があって、その頃は「人間キリスト教徒白人」だったわけで、そういう時代には「あいつら『人間』じゃないか差別して搾取してよくね?」っていうのが「社会」を維持することだったんですよ。「社会構成員」の権利を守るためにアボリジニ虐殺インディアン強制移住させアフリカ人誘拐してきた歴史があるわけですよ。で、「ホモ・サピエンスのみに権利を与え、他の種は差別搾取対象としてもよい」というのはあくま現在社会におけるコンセンサスであって、自明でも自然でもないですよね? 未来にはその内外の線引きが動く可能性があって、ヴィーガンはそれを積極的に外に動かそうとしてるわけです。……これ、そんな引っかかることですかね。わたしには極めて明瞭な論理だと思うんですが。

2018-01-31

さようなら時天空

時天空をご存知だろうか。時天空モンゴル出身力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたし時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。

土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。

時天空は裾払いが得意だ。蹴手繰りだって飛び出す。

時天空相撲は、わたし相撲だと漠然と思い描いているもの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたし時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかたらこんな感じなのかもしれない。時天空相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。

そこまで言うなら時天空相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空引退してしまって間垣親方になってしまたからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空間垣親方は亡くなってしまたからだ。時天空2017年1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。

から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。

力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。

それに時天空は、四股名SFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。

同僚と国技館相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。

「この人は足技がすごくて!」

などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これから応援しよう!と思った。

でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。

肋骨骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館チケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。

わたしは、時天空手紙を書こう!と思った。もしかしてまり読めなかったりして?と思ったが、時天空日本語ペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退間垣襲名会見のニュースがあった。

引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しか仕事からそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。

お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたし安心してはしゃいでいた。

その後すぐ元時天空間垣親方大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。

時天空という力士幕内からいなくなってしまたことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。

わたしそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。

時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴル平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったもの柔道東農大スポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。

朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論テーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国人口動態に関する研究」、興味深い。

わたしはにわファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばベテラン力士幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。

亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所トゥクトゥクに乗っている写真赤ちゃんをだっこしている写真後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク

解説動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。

一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手バランスを崩して勝っていたと思う。

時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。

日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。

時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。

追記:ニュース相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現特定力士侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。

2018-01-30

anond:20180130123047

https://anond.hatelabo.jp/20180130125855 から突っ込んでた横田だけどさ、今更になって元増田を読んでみたよ。

でさ、その気持ちだけはわかる、とは思った。

愚痴を言える場所があるのが救いだった、というのもわかるし、道徳にとらわれない議論というか、本音を話せることや立場にとらわれない会話が心地よかった、というのもわかる。

ただ、インターネット最初からロバ耳の井戸じゃない。むしろ世界中に開かれていて、日本では問題ない発言でも他国の人からは叩かれうる場所だ。

それに、決定的に勘違いしているのは、そういう愚痴本音吐露することと個人に対する誹謗中傷を吐きかけることの間には境界線があるってことだ。

リアル知人には言えない自分の辛い気持ち吐露することは法的に問題はない。

ミソジニー的な価値観ミサンドリー的な価値観を表明することも法的に問題はない。

ただ、個人に対する誹謗中傷を吐きかけることは名誉毀損侮辱罪でどちらも刑法に引っかかる。民事にも引っかかるけど。

まぁ法で線引きしなくても、前者ふたつと後者では具体的な個人に対する害意があるかどうかという決定的な違いがある。

でさ、あんたが本当に求めるのは前者ふたつの自由であって、個人に対する誹謗中傷をする自由じゃないんだろ?

その前者ふたつの自由はまだあるよ。

かに、昔と比べて言い逃げみたいなことはできなくなった。単純にネット人口が増えた分、自分発言が人の目に触れることも多くなり、それに対する否定的な反応が返ってくることが多くなった。

それを空気が変わったとか新しい暗黙のルールができたとか思うことで恐れる気持ちもわかるが、でもそれは自由がなくなったことを意味しない。単にあんたの今の時代に見合った勇気が足りないだけだ。

それに、その気持ち価値観共感されるものなら、肯定的な反応が返ってくることも同時に多くなったんだよ。

でも、それと個人に対する害意を表明することは全く別の話。それは今も昔も許されることじゃない。ネットがない時代から許されることではないんだ。

どうしてそこを履き違えてるかな、とは思うが、あんたが本当に必要としているはずの自由はまだある。あるんだよ。

https://anond.hatelabo.jp/20180130123047

別に、そんなの今始まった話じゃなくて昔からずっとあった。

今回、額が大きいか話題になっただけで、そこまでの支払いが裁判で認められるかは謎だけど

有能な弁護士つけたら謝罪文の公開ぐらいでカタつくんじゃないの?(費用はかかるが)

まあ、便所の落書きだって、内容や場所によっては特定されて捕まることがある犯罪からね。

訴えられるから書きたいこと書けないってのは甘い。訴えられても勝つつもりで書いていくべき。

罵倒侮辱を含めないと言いたいことが言えないのであれば、ちゃんと勉強したほうがいいと思う)

2018-01-28

ポプテピピック神聖なクソアニメを穢した

クソアニメハンターの一人として、最近ポプテピピックブームについて言っておきたいことがある。

まず、ポプテピピックはクソアニメではない。クソアニメとは、決して意図的に作り出されるものではないからだ。

人工的に成分を合成したウンコウンコと呼べるだろうか? 呼べはしない。ウンコとは、それが生じる過程によって定義されるものからだ。

ポプテピピックは『クソアニメであることを目標として、見事にそれを描いたように見える。だが、クソアニメとは目標としたところを全く描けなかったアニメのことだ。描こうとした目標を達成しているのなら、それは普通アニメだ。

クソアニメハンターにとって、クソアニメを鑑賞することは自然を愛でることに近い。稚拙さと混乱が生み出した偶然の美を堪能することこそが、クソアニメ鑑賞の醍醐味だ。

普通アニメは人の手によって作られるが、クソアニメは偶然と不作為産物であり、言ってみれば神の手によって生み出される。

まり、クソアニメ意図的に作り出したと主張することは、冒涜である。それは神を騙る暴挙にほかならないからだ。

ポプテピピックはこう言っているように見える。「これはクソアニメです。だからいくらでもバカにしていいですよ」と。

だが、彼らはその「自虐」の対象が、自分たちだけに留まらないことに気付いているだろうか? これはクソアニメと、その製作者に対する侮辱である

クソアニメ製作者たちは保護されなければならない。彼らは神に捧げられる生け贄 神の声を聞く巫女であり、彼ら無くしてクソアニメは成立しないからだ。

ポプテピピックはクソアニメ侮辱した。クソアニメ製作者たちを侮辱した。これは神聖なクソアニメに対する冒涜である

ポプテピピックはクソアニメを騙った。ウンコでないものが、ウンコではないにも関わらずウンコを騙った。これは神に対する冒涜である

クソアニメを愛する一人として、私はポプテピピックに警告する。

クソアニメを穢すな、ポプテピピック

ウンコでないものウンコを騙るな、ポプテピピック

この、普通アニメ

差別区別したい

いかげん不毛な言い争い見てるのも飽き飽き

アメリカなんかは差別区別してないのかね?

 

個人的に分けたい差別概念

 

1.社会的差別

就職に影響するとか、人によって法解釈が変わっちゃうとか

そういう一番重いやつ

 

2.ステレオタイプによる差別

男だからこうだ、女だからこうだ、みたいなレッテル貼り

「へいジャップ、お前◯◯してみろよ」とか

 

3.侮辱差別

相手が嫌がるとか、一部の人が嫌がる行為など

端的に言えば悪口とか

黒塗りとかがこれ

 

4.えこひいき的差別

男性女性特別視したり

ある人種にだけ重い仕事を与えたりとか

女性だけの街がこれ

 

えこひいき的差別もっと分化されて

スタートによるえこひいき

・ゴールによるえこひいき

 →ゴールの不平等

 →ゴールの過度な平等

になると思う

ダイバージェンスあたりはここの議論

 

ここまで分割してから話せれば大してすれ違わないと思うんだが

こういうのを全部「差別」に押し込めてるから、もう10年以上前から同じ話がループしてる

糞くだらない

ひょっとしたら日本が単に意識低いだけかもしれないけど

先進国アメリカ()フランスあたりから伝え来る話を聞いても、どうもあちらが進んでいるとも思えない

なに、そんなに難しいの?感情しか話ができない人たちが揉めてるの?

 

あと「平等」って言葉も同じような感じだと思う

2018-01-27

非対称性に対する見解は様々だが最低限確認しておきたいこと

非対称性他人侮辱したり名誉棄損したりましてや暴力や略奪をするための免罪符ではないと思われる。

2018-01-25

杉田水脈議員待機児童発言について

今日twitterタイムラインに以下のツイートが流れてきました。

  

以下、杉田水脈議員ツイート引用

待機児童待機児童っていうけど世の中に「待機児童」なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの保育所なんか待ってない。待機してるのは預けたい親でしょ。」

引用終わり。

  

この方を知らなかったので調べてみると、現在自民党衆議院議員だそうです。

上のツイート、ただの言葉遊びとも思えますが、ツイートした人の立場タイミングが良くない。

  

まずタイミング

地域にもよりますが、今は認可保育園・無認可保育園共にもっと入園数が多い4月入園の結果が出始めている時期です。

保育園へ預けることを希望している親は、まだ結果がわからなくて毎日不安でそわそわしていたり、期待していた保育園に入ることができず不安気持ちになっているところかと思います

待機児童問題についてはセンシティブになっている時期です。この時期に特に必要がないのに親たちを刺激する意図がわかりません。

炎上目的にしても、センスが感じられません(個人の感想です

  

次に、立場

この方、一億総活躍社会を掲げる自民党衆議院議員です。

その方が、女性仕事復帰に罪悪感を抱かせ呪いをかけるような発言をするのはいかがなものでしょうか。

  

彼女は下のようなツイートもしています。以下引用です。

「私も子供を預けて働いてきた親ですけど。苦労は人一倍知っています拙著を読んでくださいね。」

引用終わりです。

  

驚くべきことに、自身ゼロ歳児クラスから子供を預けて働いていたようです。

それでいてなぜ、同じように働こうとする母親の罪悪感を感じさせるような発言をするのでしょうか。

保育園に預けて働いた親たちが払った税金自分賃金活動費用を構築していると想像ができないのでしょうか。

個人的にはtwitterという閲覧フリーSNSでの発言に異議を唱えられて、拙著を読めという態度もどうかと思いますが、本筋ではないのでこれ以上言及しません)

  

以下の記事では、次のような発言をしています

杉田水脈なでしこリポート(8)】

保育園落ちた、日本死ね」論争は前提が間違っています 日本を貶めたい勢力の真の狙いとは…

http://www.sankei.com/premium/news/160702/prm1607020006-n1.html

以下、引用です。

「ですから保育園落ちた」ということは「あなたよりも必要度の高い人がいた」というだけのこと。言い換えれば「あなた必要度が低いので自分で何とかしなさい」ということなのです。

 たぶん、このブログに書かれている保育園とは「認可保育所」のことかと察します。保育所には認可保育所のほかに、無認可(認可外)保育所もありますし、待機児童問題となっている大都市には「認証保育園」なる制度も登場しています。また、民間ベビーシッターも多く存在します。

 自分で何とかできる部分は自分でやらないことには社会は成り立ちません。何でも税金おんぶと抱っこでは、日本は潰れてしまます。「自助・共助・公助」の順番を間違えてはならないのです。」

「前述の「朝まで生テレビ」において、多くの女性論客は「保育所義務化すべきだ」と主張しました。残念ながらこの主張は多くの日本人女性に支持されています。その背後に潜む大きな危険に誰も気づいていないからです。

 子供を家庭から引き離し、保育所などの施設洗脳教育をする。旧ソ連共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本実践しようとしているわけです。

 労働組合に牛耳られたごく一部の特殊学童保育所などでそういった保育が行われていることを公務員時代に目の当たりにして問題意識を強く持っていましたが、それが数年でここまで一般的思想に変わってしまうとは本当に驚きです。

 旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲット日本なのです。」

以上、引用終わり。

  

まず、前段の発言です。

東京都などの保育園戦地域では、無認可保育所にも入れない人が多くいるのが現状です。

現在保育園激戦区では、いくらお金を払っても預ける保育所がない、という事態が発生しているのです。

ベビーシッター保育所環境機能ことなると考えますので、同列としません)

衆議院議員の方がこのような現状もわからずに発言をしているのでしょうか。

  

後段の発言については、自身保育園子供を預けていたからの発言とは思えません。

朝まで生テレビ彼女の出演回については拝見していないのでわかりませんが、個人的には「保育所を充実させるべきだ」という意見は多くあっても「保育所義務化すべきだ」という意見が多いという印象は受けません。

日本には三歳神話も根強く残っている印象もありますし、自分の手で子どもを育てたいという親も多いです。

保育所洗脳施設と称するこの記事は、保育園で働く保育士さんたちを侮辱しているようにも感じます

世の中色々な意見がありますし、思想や主張は自由です。しかし、現職の衆議院議員の方の発言としては配慮に欠けるように思います

  

好きに発言して選挙に挑めばよいと思いますが、比例でも出馬しているのであれば、党の意見に合わせた発言をされた方がよいのではないでしょうか。

anond:20180125162736

駆け込み寺のちょっと規模が大きいやつかな。あったら良さそうだよね。

それにしても血液型性格には関連性は無いから、それを理由根拠のない侮辱をされたら貴方は怒っていいのよ…。

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