「着眼点」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 着眼点とは

2018-02-17

anond:20180217093508

女性専用車両に男が乗り込んでくる問題だけどさ、そもそも電車に乗るような社畜どもは負け組なの!

満員電車で儲かるのは、鉄道会社だけ。

奴隷は、着眼点が近視眼的で根本的な問題から目を逸らしているよね?(だから奴隷のままなんだろうけど)

弱い者イジメしかできなくなった日本人

昔の日本男児なら、こんな恥ずかしいことはしなかった。

女子供は守るべき対象であっても、いじめ対象ではない。

女に嫌がらせをして悦に浸っている男は、日本男児の風上にも置けない馬鹿どもであることには間違いない。(断定)

もしも、今の日本が侍社会だったら、問答無用で斬り捨て御免~ぶっ殺されているだろうw

 

女性専用車両に乗り込んでくる馬鹿男に言いたいことは、在日米軍横田基地に乗り込んでみろよ?と。

自分よりも強い奴と喧嘩できない奴はただの屁垂れ。

自分よりも弱い奴と喧嘩して「俺は喧嘩が強い」と言っても説得力ゼロゼロどころかマイナス自分馬鹿であることを自ら証明してる。

どうして日本の男は、こんな馬鹿ばかりになってしまったのか?残念でならない。

2018-01-30

偽物しかいない

低脳先生もっと

世間から隔絶した不穏さと

暇を持て余したどうでもいい着眼点を持ってるんだよ!

2018-01-13

anond:20180112215951

人間って、自分に指摘出来るレベルの過ちしか指摘出来ない。

その人の着眼点から理解度の低さが浮き彫りになってしまうという好例。

2018-01-03

感じたこ

■TL;DR

 供給する側から需要を生み出す側に回らないとキツい

■経緯

 ・もろもろの事情があり、最近、「人が面白いことをやっているのに乗っかる」職業の人(営業編集等々)に携わることが何回かあった

 ・素人目には「面白いこと」に近い人間なのだから面白い人なんだろうと思ったが、考えてみたら乗っかることしか出来ない人間なんだからむしろつまらない人で当然だった

■思ったこ

 ・たとえばウェブサイト記事ひとつとっても、最終的な記事ライティングを経て生み出されるので記事を作る人は「ライター」という職業にはなってしまうのだが、文章自体は平易であればなんでも良い(技巧を凝らした文章需要はない)わけで、記事を作る上で「書く」という営みは最も下位レイヤー属人性が低い。さら供給活動に近い、「編集をする」「流通させる」はもっと下位

 ・下位レイヤーの人がいないと消費者に行き渡らない時代は、その街道に寝そべって通行料徴収するようなビジネスモデルでよかったのかもしれないけど、今は消費者に向かう道がありすぎるので、迂回をされて終わる。道の途中にいる人なんて邪魔者しかない

 ・「モノを運んでお金を掠め取る」のではなく「誰もが運びたくなるようなモノを作る」サイドに回らないとキツいっぽい。

 ・人気の「ライター」の記事だって別にライティング」の質が際立って高いわけではなくて、むしろそこは標準化されていることにこそ価値があって、需要がなかったところに需要を生み出すような着眼点を持っている。インタビューをするだとか、記事を書くだとかは手段しかないのでこだわりは薄いっぽい。当然で、供給に近いほど誰でもできるようになる

 ・システム屋さんも構図は同じだと思った

 ・今までは、求められる要件通りにキレイサーバーを設定できるという仕事価値があった(上で言う供給行為

 ・しかしそんなの簡単にできるようになっていくし、そこで技巧を凝らして欲しいなんて誰も思っていない

 ・「言われた通りのシステムを正確に作る戦争から抜け出して、「システム要らねえと思ってたところにシステム入れたら良いんじゃねって言う」サイドに立ち位置を変えることで、上記でいう「モノを運んでお金を掠め取る」から「誰もが運びたくなるようなモノを作る」に移れる。「システムを作る」=「モノを運ぶ」とこなんて仕事減って困ってる奴らに競争させてタダ同然でやらせればいい

2017-12-27

人生物語不要だとしても、結末はやがて訪れる。

人々が惹かれるのは、何がその結末を導き出したのか、という点だ。そこには共感があり、自分とは異なる主観がある。

いくつもの分岐点があり、大体それは渦中の人物には見定める事が出来ない。

そんな凡百な人間日常を切り取った物に興味がある。

だってその人は、少し感覚が違えば自分と同じ道を歩んでいたかも知れないのだ。

何を後悔して、何に重きを置くのか。その価値観は何処で形成されたのか。人というものはそれぞれ着眼点が違うから面白い

2017-12-09

anond:20171209105107

面白い着眼点だと思う

一方で、明文化されているかいないかというのは、それだけでとても大きな差異だとも思う

2017-12-08

anond:20171208183915

結論は置いといて着眼点は正しい。

「分かってるようで分かってない奴が一番分かってない部分」をよく分かってるじゃん。

2017-11-14

プリパラVRを見てきた感想

12日に神奈川県横浜プリパラVRを見に行きました。

土曜夜10時頃に友達の車で3人で宮城から横浜へ出発。溜め込んでいたアイドルタイムプリパラを視聴しながらの移動。これは正解だった。

これから見るVRライブへの期待を膨らませるのと、しゅうか様という魅力的なアイドルを見る事が出来たからだ。

アイドルタイムイズマネーは今からでも十二分に流行語大賞を取れるポテンシャルを持っている。

ちなみにファララライブをする直前辺りから記憶が無い。運転手をした友人に感謝

神奈川県に着くまでに9時間程かかった。

車で仮眠などを取りながら友人の当日券はないのか、という言葉を聞いてチケットサイトを調べた。当日券があった。

私達は午後19時からのC公演のチケットしか持っていなかったのだ。

そこからは激しい論戦があったが最終的にB公演のチケットだけを取ることにした。これは正解であり、失敗だった。私達はA公演も見るべきだったのだ。

あの素晴らしいライブスペシャルゲストトリコロール、そして配布のコーデ。

運転手をしてくれた友人には悪いがあれは和を乱してまでも見るべきものだったと今なら言える。

コーデに関しては私のお気に入りであるガーネットアラブ色違いだと家に帰ってから気づいたのだった。

私達はA公演を諦め、仮眠を取ってからB公演に臨んだ。

B公演の席は半分ほど空いていた。

ライブという文化を避けてきたためペンライトは持っていなかったし、最初は買う必要は無いと思った。しかし、ライブが始まるとあれ程の手持ち無沙汰感は無い。終わってからペンライトを購入した。

入場前にコラボドリンク缶バッジを購入。

おまけのステッカーシオン缶バッジシオンだった。

これからライブ感想に入るが曲目については誰も触れていないので私も触れないようにしておく。

番手は夢川ゆいからだ。アイドルタイムが溜まりライブが始まる。

実は私はVRについて半信半疑だった。後述するマイキャラちゃんが登場するマイキャラランウェイをメインにここまで来たからだ。

曲が始まるとキャラクターが現れる。ステージの上でキャラクターが、夢川ゆいが踊っていた。あまりの感動に友達が隣にいなかったら泣いていたかもしれない。ゲームでもアニメでも無く、キャラクターが確かにそこにいると感じた。

歌って踊るゆいを目の前にした私は語彙力を失ってただただ「すごい」というしかなかった。

この感動は他の何物にも例えることが出来ないだろう。

歌が終わるとキャラクターによるMCが入る。アニメで見たままのゆいが話している。ユメっている。そしてらぁらもまたVRで登場する。

喋っていないキャラクターも棒立ちなのではなく、そのキャラクター個性が現れていたと思う。

みれぃは客席を意識しているように見えたし、ドロシーとシオン暴走したときレオナの焦りはまさにそのステージ上にキャラクター存在していると感じさせられた。シオンがピシッと立っていて微動だにしなかったのはシオンらしさを感じたし、少し笑った。

振り付けアニメゲームでは見えない部分が見れてとてもよかった。それにそれぞれのキャラクター振り付けが少しズレていたりするところでリアルさと存在感が増したと思う。

これ程までにルールを破って撮影したいと思ったことはない。ステージ上で踊るキャラを全て追うのは私には不可能だった。

この後C公演を見るのだがそれでも足りなかったと先に書いておく。

らぁらとゆいはアンコールにも応えてくれた。それが録音された予定調和だったとしてもキャラクターを目の前にした私にはとても嬉しいことだった。

曲目は書かないがその曲をそのコーデで演るかという唸るような演出もあった。

キャラクター達のライブが終わると次は観客達のマイキャラちゃんが登場するマイキャラランウェイだ。

これは入場時に預けたトモチから抽選で30人が選ばれるというもので、当たればスクリーンにマイキャラちゃんが現れる。

結果から言えば私のマイキャラはいねちゃんがスクリーンに登場した。しかし私は焦りすぎて写真を取ることが出来なかった。

VRが期待外れだったら立ち直れないほどショックを受けていただろうがVRライブは予想を大きく上回るとても素晴らしいものだったためそこまで大きなダメージを受けずに済んだ。

ライブの全てが終了し、退場すると出口でステッカーを配っていた。聞くと映像に乱れがあったお詫びらしい。ステッカーシオンだった。何故なのか。

ライブシアターを出て近くにあった鶏料理専門店居酒屋っぽいところで夕食。

頼んだのはあじみ先生大好物であるチキンライスだ。私はあじみ先生推しである

休み経てC公演へ。

入場時に今度はらぁらのドリンクとまた缶バッジを購入。ステッカーはドロシーで缶バッジシオンだった。何故なのか。

B公演と違い、C公演は満席だった。

プリパラガールズのあいみぃさんやそらみスマイル声優さんが来るスペシャル公演だったから当然だろう。

友達の真横を声優さんが通ったり、友達違反チケットを貰っていたりしたが声優さんについては詳しくないので割愛させて頂く。

さっき見たばかりのライブでも少しも飽きを感じることはなかった。

好きなキャラに食らいつくのも着眼点を変えるのもいい。

C公演のスペシャルゲストはファルルとジュリィ。私はジュリィも好きで食い入るように見ていたがランウェイが無いのが残念だった。まあこれは仕方のないことなのだが。

以上がVRライブ感想だ。

私はこのライブの内容を正確に伝える自信はないし、正確に伝えられなくていいと思う。

この感覚ライブを直接見人間特権だ。なので感想を誰かに言うときアサヒに倣って、「ヤベー」「チョーヤベー」「マジヤベー」で済ます

そして帰り道ですでに、今現在もまだVRロスに襲われている。

このライブブルーレイが出ますように。

2017-11-04

わたモテファンオンリーイベントとかあったら行きたいわ。そんで各自解釈とか着眼点を聞きたい。

間違いはないので、なにを言われてもそれも一理あるなってなると思う。

あんま好きな言葉じゃなかったけど、「尊い」ってこういう作品に対して使われるならよくわかるわ。

2017-11-03

[]

今回はガンガンオンライン

僕達の魔王普通 20

まあ最終話なのもあって上手いこと話を収めたなあという感じ。

魔王人間世界普通に活動することの正当性説得力を持たせるなら、そういうオチにしたほうが収まりが確かに良いよね。

あっくん父親が絵に描いたような胸糞発言を繰り返して、徐々に魔族や人間すら危ない方向に意見が一致する展開は、問題の重さに反してコメディであることをちゃんと忘れていない。

最終話からといってメインキャラばかりではなく、相変わらずモブ出張らせるのも安定感があるし、得心したあっくん母親が身も蓋もない罵倒で一蹴するくだりからの、魔族的な解決法は一種の爽快感がある。

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 喪124

友達関係の妙さを上手いこと描写しているなあ、と。

自分の知らない友達の一面を、自分の知らない相手によって知り、そのことをどう解釈するかっていう着眼点に感心する。

で、その中心人物であるはずの主人公が、これまた全く違う解釈をしている。

この流れを小難しい理屈を並べず、サラっとやってしまうって作家にとっては中々勇気がいることだと思う。

そのことが理解できるか、或いは共感できなかったら、今回の話を把握できないからね。

ただ、これはこれで面白いんだけれども、やっぱりちょっと物足りないかなあ。

わたモテ最近こういった人間関係の妙さを描写する作風は嫌いじゃない。

けれども最初期の主人公がこじらせながらバカやってた頃のほうが、露悪的で低俗ではあってもエンターテイメント性という意味では優れてたよなあ、とは思う。

2017-10-25

anond:20171024201031

マンガアニメゲームあたりに関しては興味の着眼点性別(正確には育ってきた周囲環境)で違うから

一般的男性ルート一般的女性ルートではやはりベースとなる見方が違う

「俺たちはそういう風には考えねーよクソまんこ」という露見と反発は起きうる

あなたが「男性的な露出だ」と思ってるものはじつは単に中性的な振舞いであって、あなた認識が丸ごと女性側にズレてるだけという可能性もあるけどな

2017-09-06

無能から見た有能

某所で行われていた若手研究者向けの発表会に参加してきた。

自分の発表を終えて同年代の発表を見て回ったのだけれど、もう、はっきり言って、レベルが違っていて。

数理もセンス着眼点知識も何もかもが圧倒的に自分より優れているのを見せつけられた。

別に今までも自分より優れた人間を見る機会ってたくさんあったと思うんだけど、

こうもまじまじと自分無能であると見せつけられると、立ち直れる気がしない。

かといって、このレベルまで行こうという気にもなれない。

なんだか分からないけど、車輪の再発明を思い出した。

無能が有能になろうとしたところで、それは有能が既に通った道であるから

何をやっても無駄しかならない、どうせあの人にはかなわない、

私が何かをするよりも、あの人が何かしたほうが、もっとすごいことができるんだと思ってしまう。

なんだか、アホらしくなってきた。少し休みたい。

2017-09-02

刺青について

刺青嗜好品だ。

好きなやつはすればいい。

でも見せびらかすのは苦手だ。

それは僕の個人的体験

めちゃめちゃパワハラしてきた人が刺青入れていたのが

理由刺青はその象徴になっている。

から刺青を見ると逃避モードになる。

電車で化粧してたり

マンションなのに夜中騒いでるやつと同じくらい

刺青見せる奴は苦手である

刺青は色やデザインには寄るけども

基本的にはムカデみたいな色のやつは

攻撃色だと思ってる。

うんこマークとかだったら見えててもいいけど

ドラゴンとか阿修羅とか見えてるのは嫌だなあ

ドラえもん刺青入れた外国人電車でみたことあったけど

うわあというのが正直な気持ちだった。

とりあえず僕の中では刺青を入れている人は

とりあえず見た目においては

毒を持った生命体として見つめている。

仲良くなれば刺青関係ないのかもしれないが

着眼点が人と違ったり、いきなりわけのわからないとこで切れたり

知り合いにヤクザがいるんだと自慢してきたり。

迷惑な面が多い。刺青を入れている人で僕の周りにいる人はである

まあイギリスジョージ5世も横浜刺青を入れて帰った

ということで日本芸術的価値として刺青は高いのは

一応持ち上げておくけど。

とりあえず刺青は僕は第一印象として

引いてしまう。

むかし飲食店で働いていた時も

クビに般若刺青が入った女が客としてやってきて

驚いた。

その般若女があろうことが車やら家の鍵を机に忘れて行ったので

けど届けようとしたが、正直話しかけづらかった。

刺青を入れている人は話しかけづらいのである

とにかく刺青の人は僕にとっては注意信号意味する。

刺青入れたい人はどんどん入れてむしろどんどん町で見せてほしい。

そしたら俺はそこを避けて通る事が出来るからラッキーだ。

2017-07-24

https://anond.hatelabo.jp/20170724131832

意外と面白い着眼点かも。

以下俺が思ったことを。

特定の人を「パートナー」と呼ぶときには、その「パートナー」のパートナーたる主体があるわけだよな。

共同経営者を「パートナー」と呼ぶのはわかりやすい。もう一人の共同経営者がそれに当たる。

では、パートアルバイトを「パートナー」と呼ぶ主体は?

おそらく経営者を含めた正社員全体が主体となっている。

まり正社員は「俺ら」だけど、パートアルバイトは「お前ら」であって他人

自他の線引きが正社員か否かにあるので、パートアルバイトを「パートナー」と呼ぶのだとしたら、

この「パートナー」という呼び方も、非正規雇用に対する差別感情の発露なのではないかと思ったり。

2017-06-01

グラビティデイズはVRだか3Dだかにすることで面白さがすごくupするゲームだと思う

2次元平面の液晶モニタでもそこそこ楽しくはあるけど、3D的な動きを平面で見せるってところでどうしようもないプラットフォーム着眼点のよさとのギャップがある

もっと没入して目の周りが全部景色みたいな状態重力操作したら迷わないしもっと楽しいはう

2017-05-30

人の彼女を寝取ろうとした人間の戯言 2

まず彼女とKの関係は大きく改善され、彼女もKを好きだとはっきり言えるようになった。「今までで一番好き」だと。そしてKが彼女のことを一番に思ってくれることを感じるから本当に今幸せだと。今までKに対して抱いていたモヤモヤを僕のおかげで形にすることができ、そして本当の意味で互いに好きだと言い合えるようになったと。

それと同時にKは僕が彼女に手を出したことを知ってもう二度と関わりたくない、顔も見たくないと言っていることも知った。もう長い長い、本当に長い付き合いだった大切な友人が消えた。覚悟はしていたけれど、本当に心が痛んだ。ズキズキと痛んだ。そして僕がKの彼女に手を出したと言う情報は一部の間で広まっていて、僕は同期数人の信頼を失い、また友人を失った。

僕は彼女に対し、今でも好きだということを伝えた。伝えなかったら絶対に後悔しただろうから。それに対して返って来た答えは、「それは嬉しいけど、今はもう自分のKを好きだという感情がゆるぎなくなっていて、今まで見たいな不誠実なことはできないから、君の感情を受け止めることはできない」との答えだった。だから、「受け取っておく」と言う表現で終わった。

全てが終わったんだと僕は思った。僕は最大限の努力をもって、そして最大限の自己犠牲によって、当初達成する予定だったKと彼女関係改善を見事達成し、それどころか彼女の中の「好きという感情は何なのか」という疑問に対する大きなヒントを与えることに成功した。そして二人は真実の愛で結ばれたんだ。めでたしめでたし

僕は当初達成する予定だった目標を達成したに過ぎない。そう、そうなんだ。僕は立派に任務を果たした。

僕は彼女のことが本当に好きだったし、どんな話題に関しても面白い着眼点を与えてくれ、聡明な彼女のことを一種尊敬の念も含めて本当に心から愛していたし、彼女も僕のことをほぼほぼ好きになりかけていた気がしたけど、そんなもの幻想だったんだ。

彼女大学受験に関しても心から応援していたし彼女の夢を語る横顔も、彼女自分の状況に苦しむあの涙も、楽しそうに笑うあの笑顔も、そして時に僕を強い言葉で注意するあの強い眼差しも、何もかも僕は受け止める努力をしたけれど、そんなものは全部最初からあくまで添え物の一つでしかなかったんだ。

あくまで僕は主役じゃない。主役級の脇役に過ぎなかった。

もう終わったんだよ、僕と彼女は。

だってそうじゃないか。どんなに幸せイチャイチャしてても、喘ぎ声の中にKの名前がなんども混じってたじゃないか彼女は僕とKのことを何度も間違えたじゃないか。結局僕は永遠の二番手に過ぎなかったんだよ。なんでそれに気づかないふりをしてたんだ、僕は。結局代用品だったんだよ。そこにツッコミを入れると虚しくなるから、結局僕が代用品に過ぎないことを思い知るだけだから、見て見ぬ振りをしただけじゃないか。ヒントは最初から出てたんだ。

僕はやるべきことをやって、その結果いろんなものを失った。僕と彼女関係は友人関係に戻ったに過ぎないけれど、思い出までリセットされるわけじゃない。複雑な感情を抱えたまま元に戻れと言われて、仕方なく引っ込んだに過ぎない。

僕はカッコつけて、「君が幸せならそれでいいよ」とか言って、「君が僕に身を引けというのなら素直に身を引くよ」なんて言って。本当はそんなはずないのに。一歩たりとも引きたくなんかないのに。本当に好きで好きで仕方ないのにな。なんでそんなこと言ったんだろうな。多分嫌われたくなかったんだよな。優しさなんて糞食らえだ。なんでそんな状況に至ってもまだ僕は彼女に優しくしようとするんだ。

「今も僕は君のことが好きだ」って、なんだそれ。未練タラタラのしょうもない男じゃねえか。本当に本当に大好きなんだよ。どうすればいいんだよ、この感情は。

彼女との思い出は僕の中でずっと色褪せないし、忙しくて本当につらかった時も長期休暇で帰省してまた彼女と会えると思ったらどんな苦労も乗り越えられたし、僕はそのために必死になって頑張っていたのに。大学を辞めたいと思っていた僕は必死勉強する彼女を見て大学卒業するために努力したし、仕事だって残業休日出勤も耐え忍んだのに。彼女と見たい映画もあったし、彼女仕事愚痴だって話したかったし、彼女学校の話や思い出話を聞きたかった。

僕は遊びなんかじゃなかった。本気だった。でも同時に、彼女を落とす直前まで行ったのにそこであともう一押しができなかった。最後最後日和った。イチャイチャしてる時も、「早く私を落としてよ」って言われてたのに、最後の一手が指せなかった。

世界に女が何人いるかなんて考えても仕方ない。ここまで僕が好きになった人はいないし、一つ一つ、日常のつまらないことすらも共有し合って心から面白いと思えたのも彼女だけだ。他の女性とそんなことしたって、ただ退屈なだけなんだ。

でも僕は変なところで真面目と言うか、まあヘタレから、Kと彼女関係を引き裂くために努力することは絶対にできなかった。そんなことは僕の良心が許さなかった。その中途半端さ、中途半端な優しさが、結果として全てを失う結果を招いたんだ。

人の彼女に手を出しておいて何言ってるんだという話もあるだろうけれど、そんなこと言えるのは同じ状況に陥ったことがない人だ。ただのイマドキのJK興味本位で会ってみたら、そのJKが本当に僕と気があう人だったんだ。そんな状況で、しか彼氏との関係は冷え込んでいる。そこでそれでも手を出さずに努力できる人は尊敬するし、聖人だとも思うけれど、同時に僕は信頼できない人だとも思う。

女子高生だったから、可愛かったからじゃない。彼女彼女だったから、僕は好きになったんだ。

好きになってしまったことが悪い。でも好きになる以外選択肢がないと言う状況だったんだ。

ももう、全ては終わった。

もう僕はい彼女とまた恋人関係になっても構わないように、僕は自分人生を生きることにした。虚しい希望かもしれないけれど、今の僕にはその虚しい希望にすがりつくしかないんだ。彼女との関係が切れたわけでもない。僕はただ彼女に相応しい人間になることだけを目指そう。そうして生きていく中でいつかまたいい出会いがあるだろう。そう思うことにした。あの時の占いは正しかったのかなと思う。

こんなことになるぐらいならあの時連絡が来た時に無視していれば良かったとも思う。でもそうしたら僕は大学卒業することもないままフラフラしていただろうし、こんなにも自分が成長することはできなかった。父から「お前はこの数ヶ月でずいぶん成長した」なんて言われたけども、それだって結局は彼女出会たからだ。彼女にとって相応しい男になろうと必死努力した結果だ。

運命出会いなんて信じていなかったし、運命出会いなんて僕は一生使うことがない単語だと思っていたけれど、確かに彼女との出会い運命出会いだった。そして彼女出会えたことで僕は大きく変わることができた。

から僕は彼女出会ったこと、そして彼女に恋に落ちたことについて全く後悔はない。手を出したことについても何一つ後悔の念はない。

今はまだ全く諦めがつかないし、毎日LINEで「ただいま」って言う相手がいないというのは非常に寂しい。でもいずれこの寂しさにも慣れて諦めがつく。そうやって人は生きていくんだって。そうやってみんな少しずつ日常に戻っていくんだって。でもそうやって寂しさに慣れて諦めるということは、僕はそれをとても悲しいことだとも思ってしまうんだ。

それでも僕は、悪いですか?

2017-04-09

承認欲求

はいちおう写真趣味としている。腕前は自己評価ではアマチュアの中で中の上ぐらいかな。いちおうスクールに基礎的なことは習いにいったけど、飛びぬけたセンスや人と違う着眼点を持ち合わせているわけではないので、プロになるのはまぁ無理だろうなという感じ。

あと、アマチュアでも写真で小遣い稼ぎやコンテスト賞金稼ぎができるレベルの人って、だいたい凝り性で、自分の望みの絵が撮れるまで何度も同じ場所に通ったり、レタッチもとことんイメージを追求して気のすむ仕上がりになるまで頑張る。あと、撮るときにまめにレンズ交換したりフィルター付けたり、それはそれはいろいろな工夫をしてイメージに合った作品を撮るのである。私には正直いってそこまでやる根性はない。

ということでいちおう自己表現手段写真だけど、中途半端な腕前だと、あまり他人様に相手にしてもらえない。定番スポットありがちな写真を撮ってSNSにアップしても義理リアクションしてくれる人がある程度いるぐらいで、特に今のシーズンだと似たような桜の写真ばっかりアップしても「もういいよ」ってなってしまう。

あと、写真の腕が大したことなくても、書いてることがどうでもいいことでも、人気のある人にはリアクションが集まる。明らかに写真の腕前でかなわないと思う人に負けるのは仕方ないけど、人気さえあればいいって何?明らかにスマホで撮ったへたくそセルフィーとか、「今日は○○ちゃんと△△に行ったの~♡」ぐらいの文章でやたらとアクセスが来る連中(主に女)には殺意すら覚える。

何なんだよ~、何とかしてうまくセルフィーを撮って、レタッチしまくって可愛い子っぽくして、それでぶりっ子な感じの文章書けばいいのか?たぶん私の歳でそれやったらかえって引かれるのがオチだと思うんだけど。オバさんは承認欲求を持ってはいけないんだろうか。それとも写真の腕を磨く努力をすれば許されるのか?たぶんリアル承認してもらえる機会が少ないから余計ネットにしがみついちゃうんだと思うけど、どうも悪循環に陥っている気がする今日この頃

2017-04-04

父親アスペでつらい

親戚の集まり

たまたま誰かが「なんでも過ぎるのは良くない」

って言ったんだ(禁酒とか禁煙とかの話の流れで)

まぁ普通ならそこで適当同調したりするじゃん?

しかしうちの父親アスペなので

「そもそも『過ぎる』という言葉自体が良くない範囲から外れることだから

 その発言には何の意味もない」とか言い出す

いや、言ってることはわかるけど、わざわざ言うほどのことか?

なんつーか、言葉の語義そのものにこだわりすぎでしょ もう完全に着眼点アスペのそれ

案の定、変な間ができてたよ。。。世知辛〜。

2017-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20170305060937

説がいろいろ出てて面白い

自分からも別提案を。

「み」は「味」であり、そのものらしい味わい、趣きを表すことができる。

外連味、現実味など。

酸味、雑味、渋味など、形容詞から派生もある。

酸っぱさがその「程度」を表現できるのに対して、

酸味はその味わいそのもの着眼点がある。

やっぱり別物だね。

けっこう違う機能じゃないかなと思いました。

2017-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20170304221255

から、あれを「型どおりの反抗、型どおりの和解、型どおりの成長」としか見れていない人は、

あれをそう捉えなかった人の目に映っていた高解像度の微細な捉え方をすべて無下にしている、そういう傲慢さがあるわけだよ。

あなたがそう思ったことは勝手だし、ファンの人が受けた衝撃や感動の「種」になっていたさまざまなウンチクには永遠に辿り着かないし、そんな「種」の存在があることも想像すら及ばないだろう。

そういう人がいることはそれでいいけれども、だからと言って作品矮小化するなと言いたい。

自分より心から楽しんでいる人がいて、ついでに世間的にもヒットしているのなら、「自分には合わなかった」と思うだけでよい。

「見たけど下らなかった」みたいな事をあえて言う下劣感性の人が、ネットには多すぎるから辟易しているんだよ。

特にアイドルものなんかはジャンル自体への偏見もある上に、一部のファン気持ちさゆイジメられやすい。

からそういうキモオタなんかを揶揄したい人間が、作品にその矛先を向けることも多々あるように感じる。

まるで「自分はまともだぞ」「自分もっといい趣味してるぞ」「自分はそんなチャチなものどうかと思う」と言って、

自己肯定のために作品を貶めているように。

けれども、どんな作品ファンにも必ず、自分より優れた知性を備えた人がいる。いい歳のいい肩書もった人がファンだったりもする。

例えばあなた海外ドラマを高く評価していて、アニメヌルいと思っていたとしても、その両方にあなたより精通していて、そのどちらも高いレベルで楽しみ評価している人がいる。

あなたに無い着眼点でみる人、例えばまどマギ仏教文脈で語る僧侶や、ラブライブマネジメント文法で語る人などもいる。

とてつもない熱量で、自分では気づきもしなかった考察ブログで重ねている人がいる。

鳥肌を立てながら、そこまで考えて作られていたんだと気づき敬意を表する、そんな純粋さが馬鹿にされてはいけない。

そういう人の存在無視して、一括りにファン自分より感性下劣であり、作品も見下してしまってもいいだろうというような傲慢判断をする人は、

自己顕示欲支配されている以外になんと表せばいいか

そういう視点でつけるケチは、結局いつも表面的な部分しか捉えていないことを銘記してほしい。

ロックバンドオマージュをするのが陳腐からと言って、別に作品としてはその部分でいかに新しい表現をするかを競っているわけではない。

あの回の迷走の仕方はなんでもよく、あれを通して何を伝えたかったのか、そこに注目してみてあげるのが作品に寄り添う普通見方だろう。

ネットには、瑣末な描写言動や辻褄に「あーハイハイ」「なんでやねん」となって気を取られてしまい、総体的評価をフェアに出来なくなっている人が多く見受けられる。

妙な「事情通」ぶった自負があるせいか、へんなところに神経質になって気を取られ続けているため、素直にみていれば感動に繋がるはずの布石を取りこぼしている。

あるいは、元から上から目線で鑑賞していて素直に楽しむ気が元からないせいで、些末なツッコミに躍起になるのかもしれない。

ともあれ、物事が「いかに深いか」を十分に言語化して語ることはものすごく難しいんだよ。前提知識が多く多岐に渡るし途方もなく長文になる。

対照的に、物事が「いかに浅いか」を語って揶揄するのは簡単だし、そういうネガティブ情報感染力も高い。

から自分が良いと思えなかったものにも、自分には捉えられなかった「深さ」があるのだろうなと斟酌して、静かに離れていく美徳を身に着けて欲しい。

それは結局、デフォルト他人尊敬するという良き人格に繋がっていく。

逆にそれができないで、何かをこき下ろすことに快感を感じる性質卒業できないままだと、いずれ何にも感動できなくなって脳が凝り固まってしまうだろう。

間違っても、今後はそんな「『○○でござい』なんて言ってて本当にいいの?」みたいに他人を冷笑する考え方に陥らないでほしい。

ネットを見ているとそういう不遜な思考回路にあふれているから、ネットを離れない限り難しいかもしれないけれども。

2017-03-02

スターを貰ったぞ!

ありがたいことに今年になってからはてぶコメントで星をもらい、数度人気のコメントにしていただいた。ありがとうございます

だけど何で自分が、というのもあって自己分析を試みてみた。

共感出来るコメントを早くにつけた

これは理由がとてもわかりやすい。

ブコメを書こうとしたらすでに似たコメントを書いている人がいたらば頭を唸らせて気の利いたコメントを書くよりスターを付ける方が手っ取り早い。

自分もよくやるスターの付ける動機です。

コメント着眼点が違っていた。

これはすでに100ブクマついていた記事に対してだったけれど、自分と同じ視点コメントがなかった。

例えば『ここ数日寒い』という内容に対して「わかる」「今年の寒さは異常」のようなコメントが並ぶ中、『だからこたつ最高!』という箇所を引用して「こたついいよね」とコメントを付けた。

みんな確かにそうだ、と思ったようで一気にスターが付いた。

大喜利

すべらなかった。

けれど先日たくさん星を貰ったコメントは上記のどれにも当てはまらなくて頭を唸らせている。

そこまで早くブクマした訳でもなく、似たコメントがすでに付いており、大喜利もしていない。

まあでもよくわからないけれどスターを貰えることはとてもありがたく、嬉しいことです。

これから自分ももっともっと他の人のコメントスターをつけていこうと思います

2016-12-20

マスダとマスダ

オスプレイ

オスプレイってことは、メスプレイもあるの?」

「まあ、あるんじゃないかな」

「歯切れが悪いね

LGBTセクマイ最近まで混同していた人間に、大した答えを求められても困る」

「そっかあ」

宿題

「お前の宿題自由研究か」

「うん、最初は『なぜ虫はオスが鳴くことが多いのか』っていう研究だったんだ」

「ほお、いい着眼点なのにやめたのか」

先生コンプライアンス的な理由却下されちゃった」

世知辛いなあ」

「仕方ないので、『一寸の虫にも五分の魂があるというが、本当なのか』の自由研究にした」

「それは却下されないのか……というかどうやって研究したんだ」

記号

「何か、とある絵が性的興奮を誘発させるとかで」

ポルノな。わざわざ遠まわしな言い方をしなくてもいいだろうに」

「定期的に話題になるテーマだよね」

「こういう記号のどこに性的興奮を覚えるかってのは、個人感性だったり背景が色濃く出るから泥沼になりやすいんだがな」

「WXYみたいに?」

「そのまんま記号を例に出してくるとは」

2016-10-16

[]

今回は裏サンデー

グッド・ナイトワールド 39話

やり取りのズレ具合がいいね

シリアスなのに、そうさせる気がないって按配。

特にヅラ卑怯だ。

ノリといい、そんな雰囲気じゃないだろうに、完全に不意打ちだった。

不覚にもやられた身としては評価せざるを得ないが、客観的にみるなら雰囲気を一貫するべき場面だったよなあとは思う。

気持ちの持っていき方に困る。

ましてやラストあんな展開を持ってくるなら尚更。

家族スクランブル 3話

今回、テーマといい分かりやすくてよかったね。

なまじっかキリのいいオチにしていないのはエピソード単品としてはカタルシスが薄いが、テーマを踏まえると教訓めいていてこれでいいんじゃないかな。

他者を許容できないような人間が、自分分身と対面したときその分身人格を許容できるのか、っていう着眼点面白い

できれば、それを最後の語りで説明するのではなく、ストーリー構成表現しきることができればよかったが。

市場クロガネは稼ぎたい 94時限目(最終話)

まあ、エピローグみたいなものから、今回の本編に対してさして語ることはない。

描写することは纏める範疇になりやすいからな。

総括。

紡がれる理屈の是非というものは、作中でも語られたように側面的な話であって、是非はとやかく語らない。

空想舞台を用意してフィクションという逃げ道を残しつつも、それでも「稼ぐ」というテーマに対して真摯に描き続けた作品かと。

ヘビのたまご 12

デュランも中々に青くさい人間で、「ヘビのたまご」ってのはこいつのことも指していたのか。

当事者に許されたくないってのは、自分自身が許せないってことの裏返しってことね。

それに対してのむまにの回答はシンプルだが、本質的ではある。

それにしても、12話という区切りもあってか、今回はいわば第一部完くらいのノリだったな。

サツリクルート 43話

筆記テストの内容はアンケートのような簡素もの

普通学力テストのようなことはせずとも、この会社面接にくる時点でそういう部分での能力が高いことは分かりきっているので、見るべきは別の所っていう理屈なのは分かる。

しかし、それは分かっても筆記テスト問題文の意図は分からないまま。

カンニングしている奴を過激制裁したのは、まあタブーってことなのだろうけれども、テストの正解は何なのだろうか。

正直、いくらでもモノは言いような感じにできそうだが、できれば納得のいく「これがベストだ」と思えるような解答を期待したい所。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん