はてなキーワード: 純文学とは
わかるか?これが令和の純文学だよ
ライトノベルの作者が文学者として語られないのが腑に落ちない。
ライトノベル滅多斬りのようなそれに特化した書籍ならともかく、国語辞典や百科事典に載ってる人が全然いないわけだ。
特化した本では語られていてそうでない本では他のジャンルと同じ割合だけでもなく全然言及されないというこの状況は世間にとってラノベの価値は井の蛙的なものであるということを物語っているのではないだろうか。
後にも述べるがいまやラノベは純文学以上に熱烈な支持者は多いように思う。
が、そもそも本に対する愛着やこだわり自体あまりなく暇だったり必要に応じて読んでいるという人が、蝸牛の争いのような両者に比して圧倒的多数だと仮定するなら、権威ある事典などにラノベではなく純文学の作者について語られていれば浮動票のようにそちらの方が優れていると考えるだろう。あるいは世間一般の人がそれがなんとなくであるにすれラノベより純文学の方が優れているという考えを持っていることの現われなのかもしれない。
このような単にラノベが純文学より劣っているという考えは何の普遍性もない(無根拠な)価値判断が来ているのだろうか。
正直私にはたとえば恋愛を扱ったものに関してラノベと純文学で読後感という点で違いを見出せなかった。
ラノベ、魅力的な都合のいい異性を描いて娯楽に供させる。
一方で純文学、シェイクスピアのハムレットなんか見てみるわけだが、異性が魅力的でないこと以外読み物としては両者ともそれぞれ違った(優劣ではなく)面白さがあるだけで差を感じられなかった。
ブリタニカ百科事典先生によると、文学は芸術の一つで、芸術には美の要素があることが要件らしい。
逆に言えばより美しく、芸術性が高い作品が文学としてより優れたものなのだということになりそうだ。
でもそれじゃあ美ってなんだよって話になる。ラノベに書かれてることは美しくなくてシェイクスピアは美しいと頭ごなしに言われてにわかに納得できるか?ラノベ好きなら教条主義的な人以外そんなことを思考停止して受け入れるのは無理な話だろう。
文学といえばよくそのメッセージ性が問題にされているとは思う。
文学作品の物語、プロット、筋というのは何か崇高なことを訴えていることが期待されるものだ。
その点ラノベにとって物語というのは登場人物すなわち読者にとっての異性をより魅力的に見せるための小道具、オタク的に言えばシチュとしての役目しか持たされていないのかもしれない。
あるいは訴えることがあるにしても評価されている純文学のそれに比べれば余りにも素朴で浅はかなものなのかもしれない。
しかしそれがなんだと言うのだろう。
そのラノベを開くとマッチ売りの少女のように脳内に魅力的な異性が立ち現れてくる、そこに価値を見出している人が確かにいるのだからそれもまた確かに「価値」じゃないか。
むしろ紙の本が売れなくなっているこのご時世には電子出版と相性がいい漫画と同じくラノベのほうがそれ以外の小説よりよく読まれているのではなかろうか。
価値に対して人間が万物の尺度であってかつ尺度の多数決によってその度合いが最終的に定まるものなら純文学よりもラノベのほうが価値が高く優れているということになりそうなものである。
またどれだけ異性を魅力的に描けているかということならまだ美という観念にも通じるものがあるように思え、その作品の美しさを論じる余地があるように思える。
他方、ガリバー旅行記は人間社会の不条理さや醜悪さをこれでもかと抉り取った大人の読み物らしい。
そういうメッセージ、風刺、アンチテーゼの質が文学作品の重要な評価軸になっているようには思う。シェイクスピアも漏れなくその点で評価されているのだろう。
こうしたメッセージ等の価値というのはそれが真理を示しているか、生きる指針として役立つか、ということ等にあるのであって、これは美しさという尺度でどうこう論じれるものではないと思う。
たとえていうなら匂いについて判読性が高いかどうか論じようとするようなものだ。嗅覚上の情報に視覚に関係する尺度をあてがってもどうにもならない。
あるいは文学には描写そのものの美しさというものも見出すことが当然できよう。
その最たるものが詩だろう。
それは単純に視覚的に美的なものを描く、あるいはレトリックの巧みさという形で体現されるはずだ。
そういう詩的要素が散文においても存在するなら、その散文すなわち小説などは美しさを帯びていることになり文学の要件を満たしうるはずだ。
しかし文学からそういった詩的な要素に対してメッセージ性というものは論理の次元にあるものなのだから、そういう詩的フリンジを取り去ってもメッセージ性は保存されるはずである。
その文学作品が何を訴えているかということがノーベル賞においてすら重要な評価軸になっているのだから、詩的フリンジの有無はその文学的価値にとってさしたる要素ではない考えられるのだ。
文学の価値は何を訴えているかにあるはずなのにそこには文学の要件たる美がないとしか思われないのだから訳が分からない。
結局辞書の言っていることを手がかりに形而上的に考えても埒が明かないのかもしれない。
とはいえ主観のおもむくままに考えてみてもおそらく月並みな見解しか沸いてこないだろう。
それを承知で述べてみるなら、まず文学作品と呼ばれるようなものは限られた人しか楽しめない。少なくとも文盲や知的障がい者には荷が重い。
だからその価値判断というのはその限られた人の価値観に偏ったものになるはずだ。
知的エリートはそうでない人に比べ収入が高い傾向にあること言うまでも無い。
ただの女たらしが「紀州のドンファン」と一目置かれた称号を得るのも然り、財力があれば世間に対する存在感ひいては発言力も増すという俗物的な構造はまだまだ根強いと思われる。そうでなくても知的エリートは社会的地位が高い傾向がある。
そういうわけで彼らの考えは権威を帯びる。
ただそれだけなら楽しめる作品が多いというだけの話なのである傾向を持った作品ばかりが知的エリートに推されるということの説明にはなっていないはずだ。
彼らはより知的でなければ読めない作品に、自分を飾る嗜みとして、価値を見出すのだ。
なのでラノベではなくてそういう作品が、そういう作品の作者のほうが優れているという考えや言論が幅を利かせることになるのではないか。
教養とか皆無でもさっくり気楽に楽しめるようなものを尊んでいるのでは格好がつかない。それでは凡百と同じなのだ。
以上をひっくるめれば、彼らは美しい作品ではなく、強靭な教養や知性という顎でもってはじめて噛むことができるスルメ的な面白さがあるかどうかで価値を判断している。
そしてそれが権威ある辞書や事典の記述を通して本に対してさほどこだわりのない圧倒的多数の一般大衆に浸透し、そうしてラノベは純文学に対して劣ったものという既成観念が形成される。
月並みなばかりでなくいかにもルサンチマンに満ちた見解になっているとは思うが、そういうことなのではないか。
似たような話でアニメはドラマや実写映画より劣ったもの扱いされているということがあるだろう。
昔の大衆の娯楽だったものは今は高尚なものとして扱われるというパターンがあるけれど映画は割りと初めのほうから芸術的に価値あるものたりうると認識されていたような印象がある。
逆にアニメはジブリが(ガンダムなんかも?)例外なだけで今日まで芸術性が認められてないゆえにどこまでも映画に劣った娯楽作としか見られていないように思う。
さらに時間が経てば歌舞伎や浮世絵のように芸術として見られるようになるとはにわかに考えにくいのだ。
実はこの文章の原稿はいっぺんに書いているのではなく日をまたいで書いてるので、その間に得た知識によっては文章に反映されていくものもある。
その一つとして先ほど偶然知ったのは、大衆文学には少年少女小説、つまりほぼラノベと同義と捉えても差し支えない概念も含まれるということだ。
ただし付け加えていうなら大衆文学には純文学に対して価値が劣ったという含意がある。となるとこれはむしろラノベは劣ったものであるとう認識が存在する傍証になってしまったようだ。
本当のところはうだうだ言う前に早い話がもっとラノベと純文学をバランスよく読めば自ずと両者の面白さ以外の違いも分かって疑問も解決に向かうかもしれない。
しかし私はラノベもそれ以外も小説というもの自体平等にあまり読んでないので、今更自ずと分かるまで両者を読みまくって分析する気までは起こらない。
好きでもないジャンルの本を読むのは受験勉強に等しく苦痛だ。私はただなぜラノベ作者が純文学作者と比べ評価されたり公の場で対等に紹介されたりしないのか知りたいだけだから、私自身が苦痛を味わうまでもなく両者を愛読していて答えを知っている人に教えてもらう方が合理的に決まっている。
知恵袋にも質問の体をしているがその実は女がしがちな「どうしていっちゃうの?」式の不満に対する詰問でしか内容の投稿が多くあるが、結局風潮への反感が、反感は反問を生むという素朴な力学が私にその理由を知りたがらせているわけだろう。当然ここにも答えを知っているものがいるならばその提示を望むものである。
また私は私でただの判官贔屓かもしれないけれども、メーンカルチャーに属するコンテンツに対する感想が溢れるなかでブログや増田に埋もれたラノベやアニメの感想記事があったら、その飾らない感性とのその一期一会に感謝し、その価値観を慈しむことでこの世間の風潮に対抗しているつもりなのだが、それをこれからも続けていくつもりだ。
dorawiiより
鷺沢のもうひとつの側面は「負け犬」である。酒井順子のエッセイ『負け犬の遠吠え』にも鷺沢が登場する。ここからも多少の引用をしてみたい。
先日も、負け犬物書き仲間(失礼)である鷺沢萌さんと、「ウィーンには、老いた音楽家達の家、というものがあるそうだ、老いた負け犬物書きの家、というものを作るのはどうだ?」という話になりました。(中略)ああだこうだと理想の老人郷を考えていると妙に精神が高揚し「負け犬で良かった」とすら思えてくるのです。
この『負け犬の遠吠え』は、その後「負け犬」を流行語たらしめたエッセイである。そこで鷺沢は「負け犬仲間」と名指しされてしまった。また、酒井との対談では
鷺沢 すいません、子供も産まずに。社会のお荷物になって生きていきます(笑)。
と発言している。クズ人間の時点ですでに社会のお荷物だが、なんだかんだで鷺沢本人も負け犬であることも認めていたようだ。
ちなみに、のちに若手女性純文学作家として注目された綿矢りさは、インタビューに対して
私は、20歳ぐらいのときは結婚なんてまったく考えず、だいぶ遅くてもいいと思っていましたが、酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』を読んだり(笑)、婚活とか、アラサー、アラフォーとか、世の中の言説の影響を受けるから、そろそろ考えなきゃあかんのかな、自分の意識ではないけど、ほかの人がそう言ってるからそうなんかな、という感じのところにいますね。
と答えている。はぐらかしてはいるが、鷺沢のようにはならないぞというニュアンスを嗅ぎ取った者は少なくないだろう。
さて、2003年に出版された『負け犬の遠吠え』のせいで、鷺沢は酒井と並ぶ代表的な「負け犬」と見られるようになってしまった。しかし鷺沢自身は、酒井のようにあっけらかんと「負け犬」になりきれなかった。2003年後半の日記には、作り笑いのような「負け犬」の話がしばしば登場する。
五本指全部を駆使して必死でしがみつくとすぐに疲れてしまう。だから、親指と小指は外しておく。Hang looseだ。…と、書いておきながら、自分は、
わたくしどもは殺されてもなかなか死なない、という稀有種ですので何かが起きても生き延びていると思いますが(2004/01/14)
などと書いているが、
ルルをひと瓶あけました。ヤク中。ルル中。(2004/04/07)
と、やはりどこかおかしくなり、同年4月11日にあっけなく首吊り自殺を遂げてしまった。死後、生前の鷺沢に対して批判的だった者からは、厳しい言葉が投げかけられた。
現実の世界に耐え切れなくなり自ら命を絶つのは、一番の負け犬のすることである。死にきれない私たちの弱々しい遠吠えが、いつまでもインターネットにこだまする。
https://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%B7%BA%E6%B2%A2%E8%90%A0
若い人に対し、若いうちに読書をしておけと勧めるツイートとそれに賛同する意見が沢山あったけれど
でも自分は中高大学生の頃に沢山読書をしていて、その時は楽しかったけれど大人になった今は正直それを後悔してるんだよな
特に高校の時は進学校の女子校で、学校の図書室が充実していたから、国内外の推理小説やSF、純文学やノンフィクションなど片っ端から読んでたし
ラノベも色んなレーベルが充実していたのでめちゃくちゃ読んでた
大学も近くに古本屋街があったから、そこで色々買ったりして本を豊富に読んでた
娯楽のための読書って、プロになれるなら別だけど、そうでないなら単に楽しいだけで後には何も残らないんだよね。
それならば受験に役立つ本だけ読んでいればよかった。
自分は国語の成績だけは殆ど勉強しなくともトップクラスだっから、娯楽のための読書って確かに幼稚園保育園くらいのごく幼い頃は学力の底上げという点で効果があると思う。
でもそれ以上の年齢になってからの読書って、寧ろ本来その年齢ならば経験すべき男女交際の時間を阻害したりして有害だと思うんだ…
フィクションや、それに限らずノンフィクションや歴史ものの中の登場人物って中高生は勿論成人になってからでもいとも容易く他人と出会って恋愛してたりするんだよね。
自分はそういう話によって刷り込まれて、恋愛や結婚は大人になってからでも出来るものと思い込んでた
でも現実はそうじゃないんだね。現実には結婚相手はほぼ学生時代のうちに見付けるしかなくて、卒業してからは余程の容姿と運に恵まれたハイスペックじゃないとほぼ無理らしい
こんな事なら読書なんてしてないで、その時間でメイクやファッションを磨いて合コンにでも出て男を見付けておくべきだったと後悔している
山月記を
「頭脳明晰で大企業勤めをしてた友人がいきなり作家になると言って仕事をやめたが、一作も書き上げられずに失踪した。数年後、たまたま見かけた底辺Vtuberが友人だと気づいた」
と例えたツイートhttps://twitter.com/u68854731/status/1593781437031157761が流行ってるみたいだけど
全然違うでしょう
しかし所詮は保身しか考えない閣僚や政治家たちの小間使いであることに萎えてきた、って感じ
「下吏となって長く膝ひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺のこそうとした」と書かれている通り、
政治家に尽くしても空しいだけなので、それよりも自分自身の名を残せる生き方をしたかった、ってこと
今の時代は詩人になっても名は多分残らないので、例えるならば純文学作家になるかもしれない
作家と言っても決してベストセラー作家になって一発当てて大金ゲット!とか思っていたわけではない
「一作も書き上げられず」
これは全然違って、例えるなれば「芥川賞にノミネートされたけど受賞を逃した」くらい
いまそこそこに評価されるくらいなら十分だけど、歴史に名を残すレベルからは程遠かった、ってこと
ここが一番ダメ
ところが前は国家のエリート官僚だったのが、今度は現地採用職員とか、地方公務員で戻っている感じ
その状況にプライドが耐えきれなくなって、こじらせて人じゃないものになってしまった、ということ
その人じゃないものというのが今で言えばvtuberとかじゃなくて、ネット論客とか、駅でぶつかりおじさんとか、悪質クレーマーとか、その手の類かと思う
歴史に名を残すだけの能力が自分にあったわけではないことに気付いたのに、少しでも今より良い作品を生み出せるよう努力するでもなく、今活躍している商業作家を俗物と批判し、エリート官僚や政治家を犬畜生と呼び、今の自分の状況を認められず社会を恨んで大暴れしている、こじらせたやばい人になってしまったんだ
で、今日も駅で上等なスーツ着てるおっさんにジュースでもかけてやろうと思って近づいたら、それがかつての親友だった
一瞬、我に返って自分語りをしたあと、最後に書いた小説の原稿(文芸誌に載せれるか載せれないかレベル)を友に託し、俺はもう戻れないんだと言って雑踏に消えていった
そんな話なんだよ
簡潔にまとめるなら、
「エリート官僚だった友人が文学史に名を刻みたいと言って仕事をやめたが、芥川賞を取れずに断筆し、その後は地元の駅やネットでの過激な言動でヤバイ人として有名になってしまった」
あたりかな
勝手に期待しといて勝手にガッカリするのおかしいけどう〜〜ん・・・
語彙力・リズム感・構成力がめちゃ高だが、常識に分類される知識をすべてパージするギャングスタラッパーもといネットラッパーは以前も書いたが、
今回は別の方
語彙力・リズム感・表現力がめちゃ高で随所に本が好きなんだなぁ感があり純文学アピールもするが、
・・・い〜や・・・どうしたって、そ〜はならんやろ、みたいな・・・
おそらく、この方は文体模写もめちゃくちゃ得意なはずで、萌えオタクなら必ず一度は目にする某作家とぶっちゃけ少し似ている
ただ軽快さは遥かにこの方の方が上で、クリアボイスの歌手が唄うようにスムーズに言葉が入ってくる
『え?今なんて言った?』と全くならない
おそらく、相当、幅広い分野の本を読まれていると思うのだが・・・・まぁ殆どのお話には大抵お約束があるよね?
だいたいログラインで興味を引くような展開になっているわけなのだけど・・・何故それを・・・全無視・・・なのか?
これが、読者に好かれる人物にする法則さえもブン投げていれば、逆に、『そうなんだ』って腹落ちするが、何故かそこだけはぶん投げていない
合わない人は合わない川端康成(ワイは好き)みたいな淡々とした話でも、欧州の監督が撮りそうな何も起きないノンフィクション風の体裁の映画みたいな話でも、
プログレみたいな実験的な話では無いのだわ・・・いや・・・強いて言えば、ボカロの曲でありそうか・・・?
でもよくよく考えるまでもなく、ワイくんもそこそこさまざまなコンテンツに触れておきながら、比喩ではないガチうんこばかり捻り出しているので、
判定が明確ではないからと、小説のネタパクは流されがちだよなあ。
読み専の立場ではありますが、一次創作や二次創作を読みながら「Aさんのこの作品、タイムラインで流れてきたエロ漫画の広告と同じ展開だな」「Aさんのこの作品、流行り漫画と全く同じ設定だな」「Aさんのこの作品、エロシーンの展開がBさんの前回の新刊と全く同じだな」と思うことが度々あり、最近ではAさんが今後の執筆の予定を呟く度に元ネタがどれなのかを当てるのを楽しみにしています。
ご本人は「インプットを増やそう!」と言ってよく映画の感想や漫画の感想をツイートされているのですが、彼女の言う「インプット」はシコれる設定・展開を探すことなのだろうなという印象です。当然、キャラクターの掘り下げから生まれる作品では無いため、展開やキャラクターの言動に違和感が残ります。
一次創作・二次創作、あくまで趣味の世界なので気になるなら読まなければいい話ですが、前述の通り元ネタを探して読み合わせる遊びをしているためついつい読んでしまいます。
私は一読者なのでまあダメージは無いし笑い話なのですが、これ、ぱくられている側のBさんは気づいていないのか?と気になるところ。とはいえ揉め事の元凶を作る気もないのでこうして増田に書きに来ています。
そして恐ろしいのは、このAさんと読んだ方、1人ではないのです。同じような方が散見される。そして総じてそういった方達は
を自負しており、度々そういった事を匂わせるツイートをしています。
私はこのとおり、増田にいる腐女子なので高校生の頃漱石や川端にハマり読み込んだ黒歴史持ちなので、彼女達の小説が、小説と呼ぶにはあまりにお粗末である事に気づいています。
例えば、主語の入れ替わりなどの文法的な問題、熟語の誤用……自分が取引先なら絶対に嫌だなと思う間違いが多いのですが、彼女達は気づきません。
そして、新作が発表される度にその人の周囲にいる人のネタパクだと、ラレ元さんは読んだ時にきっと気付くのに、どう気持ちを整理しているのだろうと思います。読者側ももちろん気付くとは思いますが、冒頭の通りトレパクのような明確な判定が難しいため、「〇〇さんのその作品を私は読んでいません」「よくあるネタなので被ることはあると思います」「気分を害してしまい申し訳ありません」と言われてしまえばこれで収束してしまう。
こういう人に限って自分のネタが先、後から同じネタ(展開は全く違う)で近しい人が本を書くとモヤモヤツイートをするので始末が悪い。
ちなみに俺自身お金かからない趣味しかないためサブスクと最低生活費くらいしか金使わないし
浪費家でなければ子なし専業主婦とかでも全然OKだよってしてる
イケメン総取りの完全な負け戦だと思って始めたがなんと200いいねくらい集められた(入会時貰えるブースト1回だけ使った)
いいね返しはなるべくするんだけど趣味が全くカスッてないとかはまず会話続けられないしドライブ好き!って書いてる人は
まあ向こうからNG食らうだろうなみたいな思って俺の広く浅い趣味やら職種やらと何かしら引っかかる人にアプローチをかけていく。
一つ年下のアニメ・漫画好きのIT関係の派遣業者の事務の女の子。人生初デートで正直上がりまくる。
世代が近いのでデジモンとかおジャ魔女の話とか、トリビアの泉の話とか家族はどんな人か、今までどんな仕事をしてきたか、好きな食べ物は何かとかそんな話をした。
2回目是非誘ってください!とデート後に送られてきて「初挑戦で2回目繋げられたやったー!」とはしゃぎまくるも2回目の予定を聞いたタイミングでブロックされる。軽く泣く。
小売り系のバイトやってるかなりぽっちゃり目でレゲエとかヒップホップとかオシャレ洋画とか好きな2歳上のサブカル女子。
趣味はあんまりかぶってなかったけど洋画知識で頑張って食いついた。
なんか趣味一覧がめっちゃセンスありますねー、あー、あの映画のあのセリフ好きですよーとか、小売ってコロナでめっちゃ大変だったんですねー、とかそんな話をした。
後半は互いになんかマッチングアプリあるあると愚痴合戦になった。
「増田さん顔はそんな悪くないからもうちょっと短髪にした方がいいじゃない」「IT系なら仕事してる風景の写真とか女の子惹かれますよ!」「2回目のデートは安居酒屋とかじゃない方がいいですよ!(2回目行けねえんだよ)」とかいろいろアドバイスもらった。
なんか2回目のデート誘うような雰囲気でもなかったから今日はありがとう!だけ言って終わった。唯一傷つかない終わり方だったかも。
結構ゴリゴリの洋ゲー好きの歯科衛生士で同い年の子。会った瞬間「え、何でこんな可愛い子が俺とマッチングしたの!?」って思った。プロフの写真が雑すぎて絶対損してるやんと思った。
FalloutとかApexとか仁王とかの話したりとか仕事の話とかしたり。
あと家族の話したら思ったより複雑な家庭環境でなんかいろいろと会話の選択肢間違えた気がする。
俺デートでは基本全額奢ることにしてるんだけど帰り際に自分の分払ってくれた。
「また会いたいです」って言ったら「結婚感がちょっと会わないかーって思ったごめんなさい」みたいに言われて、
絶対それ以外の部分が良くなかったんだろうけど傷つけないためにそう言ってくれたんだろうなーとかもう絶対二度と会わないのにざわざ自分の代金払ってくれたのかーとか
なんかすげー良い子だなーっていうのとこんな良い子に振られたのかーっていうので2重で凹んだ。
純文学好きで結構ええとこの大学出てる3個下の理系職の女の子。仕事内容はよくわからんかった。
三島由紀夫とか好きな一覧に書いてて珍しかったのと、どうやら転勤多いっぽくて自分フルリモートでどこでもついていけるしなんなら専業主婦でも全然OKな俺ならちょっと強みになるかもなと思ってアプローチする。
オモコロとヘビフロッグが好きみたいで、恐山のポンコツエピソード発言とか好きなハリガネムシ実験の話で盛り上がる。
時間配分とか意識して自分的には今までで一番よかったかもなー、ただまあコミュ障っぽいのは伝わっただろうしどうかなーって思ってたら
やっぱりまた会いたいと言うと梨の礫でジ・エンド。もう振られ慣れしてるしてきたけどやっぱまだまだ凹む。
女性で男向け萌えアニメが好きという珍しい感じの調理師の同い年の子。ただ今は精神病んで無職みたい。
会う前にLINE交換誘われて通話した上で出会うから流石に行けるか?って一番期待値は高かった。
ただ会ったらバツ2とか中絶何回かしたとかカミングアウトされてビビる。
隠してたとかじゃなくてそういうのって最初に言わなきゃだよねみたいなのが本当に悪意なく理解できてない感じっぽくてめちゃくちゃナチュラルに元旦那の話が出てきた。
デートは取り付けるも最近元彼に誘われるようになったから何週間か後になるかもー、とか言われる(雰囲気的にごまかしとかじゃなくて多分事実)。
「いえいえ、また気が向いたときでも相手してください!」とか言ってやり取りは終わる。
2歳下の読書と仮面ライダーと女性アイドル好きな結構いかにもオタクっぽい喋り方の広告代理店の事務の女の子。
私見た目本当地味なんですよねー、とか言ってたけど正直俺には雰囲気とか一番タイプだった。
「見た目めっちゃ若いですね」とか「年下の私に緊張しすぎですよー」とか言われた。文ストに紐づけて文豪エピソードトークとかするも会話はそんなに盛り上がらなかった気がする。
「あんまりデートで自虐とか言わない方がいいですよ」って言われて無自覚だったから泣きそうになった
帰り際「もうすぐ私アプリやめるんですよねー」って言われてあーこれブロックの前フリだなって思った。
脈なしって相手の反応でいい加減読み取れるようになってきたからデート後今日は楽しかったですだけ送ったらありがとうが返ってきてその後やっぱりその日のうちにブロック。
他も何人かいるけど省略。
200いいねくらいついて割りと週1~3人とデートできてて、写真とか全然盛ってない適当な自撮りで見た目審査通過してて専業主婦とかでも全然OKって言った上で
それでも振られまくるって本当純粋な人間性な部分が否定されてんだろうなって感じでダメージの蓄積が大きすぎる…多分根本的挙動とか喋り方とかが悪いんだろうなあって。
周りに聞いてもこれだけ連続で初回デートNGは流石にやべえよって言われる。
正直、10いいねくらいしかつかなくてチャットでの話題も続かなくてデートまでこぎつけられないとかの方がまだダメージは少なかったかもしれない…
「見た目良くないけど年収多い人は結婚相談所使った方がいいよ!」みたいに聞くけどこのフェーズでアウト判定貰う人間って多分どのツールでもダメじゃないかなっていう……
あとアプリ始めてから3週間目くらいでコロナになった。直近会った人に連絡しようにもブロックされてて何も言えなかった。頼むCOCOA。
得たもの