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2018-08-30

anond:20180830200445

増田申し訳ないけど、

なんでもいいって言ったって、福音書、エレミヤ、イザヤ、詩篇、を読んだけど、小者の救済話なんて見たことがない。

どの聖書を読めばいいか具体的に教えてくれ。

2018-04-10

anond:20180409235346

夏目漱石明暗)「何を今さら

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟)「そんなん100年以上前からじゃ」

モーセ旧約聖書って、紀元前から数百年かかって現在知られてる内容に定まったんだよな。わしが生きとった頃には列王紀も詩篇もなかったなあ」

2016-11-22

[]

◇ 『仁義なき戦い』の脚本家笠原和夫の本がなぜか図書館にあって、面白くて読みふけってしまった。

曰く、『仁義なき戦い』のテーマの1つは、日本戦争に負け、経済戦争にも負けたのに、またカネを巡って同じことをやっている。アホばっかりだ。ばーかばーか。ということだと。

時代は違うが内村鑑三も似たようなことを言っていて、曰く、日本戦争向きの国ではないし、文化モノマネしかできない。経済もそんな強くない。と。

じゃあどうすればいいかというと、内村は「日本の目指す道は宗教しかない」と言う。

ぜったい無理だけど、そうなったらいいなぁとは思う。


キリスト教関連のエッセイに「フォイエルバッハはいいぞ」みたいなことが書いてあったので入門書を買ってきた。

めっちゃむずかしい。なんだこれ。

入門書の筆者曰く「フォイエルバッハはその主張から無神論者だと思われがちだけど、実はそうでもないよ」とのことなのだが、完全にキリスト教徒を殺しにかかってて笑える。痛いところ突かれまくりだがそれがいい

てかマルクス思想元ネタの1つがフォイエルバッハらしく、時折マルクスっぽいことを言うのでおおっ!てなる。

これ理解出来たらキリスト教マルクス主義が頭の中できれいに整理されるんだけどなぁ。なんかもう1冊買うか。


聖書詩篇(の注釈)が意外とつまらない。

内村鑑三注釈聖書の部分によって明らかに筆のノリが違っていて、自身の実生活で慰めを得たところだと熱くなる。

具体的には、貧乏生活を慰める規定や、人を裁くことを諫める規定は熱い。熱すぎる。

その点詩篇はなんだかまったりしていて精彩を欠く。

まらずコレヘトの言葉に移ると、地上の快楽を追及するのは虚しいだけだよ、みたいな話なので熱気がすごい。おもしろい。

作者がソロモン(と言われているが実際には違う)ってのもロマンを感じる。


とりとめないが以上

2016-11-12

[] ※ブコメ返信

今回は思いつきばっか書くので、あんまり本気にしないでください。

1. 「信」について

日本語の「信じる」「信仰する」という言葉は重いと思っている。

自分の神に対するスタンスは、(本当はいるかどうか良く分からないが)①いてくれたら良いな、②いる方に賭ける、③いてくれなければ困る、という幅で気持ちが揺れ動いている状態だ(その理由は以前書いた)。

こうした気持ちを表すのに「信」という言葉は重い。

「信」という漢字は「人」+「辛」+「口」の組み合わせから成るという説があるらしい。

ここで、「辛」は入れ墨に用いる針の象形で、入れ墨による刑罰を示す。「口」は誓いの文書を表す。

この説によれば、「信」という言葉「その発言に嘘があれば、受刑することを前提に誓う様」意味するとのこと。

自分はこの意味では神を信じることはできない。

他方、英語の"believe"は、allow(受け入れる)を意味する"be"と、to hold dear(愛しく思う)を意味する"li"から成るとのこと。

この説によれば、"believe"の意味対象を受け入れて愛しく思う」というところか。

これらの説が本当なのか文献を当たってないので分からないが、もし本当ならば英語の方がしっくりくる。

聖書解釈について

聖書文言というのは非常に抽象的で、中には矛盾するように読める個所もある。

そのため、人生で直面する問題に対して聖書規定適用しようとする際、人によって全く違う結論が導き出されることがある。

このことが顕著に顕れるのが同性愛問題で、①同性愛全面的に罪だよ説、②欲求を持つのはOKだけど行為に及ぶのは罪だよ説、③ノンケの人が男色に走るのが罪なだけで生まれながらの同性愛者は罪ではないよ説、等々、バリエーション豊かな議論が展開されている。

(ちなみに自分は、どの説に立つにせよ、自説をもって他人同性愛者〕を裁くことは「人を裁くな」〔ルカ伝6-37〕に抵触するのでイカンと思っています

上記の説は解釈としてはいずれも成り立つ。

また実際にも、(a)同性愛を罪と考えて信仰に励む同性愛者、(b)同性愛を罪と考えず積極的差別偏見と闘う同性愛者、のどちらも間違いとは言えないだろう。

そうなると聖書解釈というのは単なる主観の表明じゃないのか、客観的に正しい解釈というのはないのか、という疑問が湧いてくる。

この問題を考える際に参考になる議論として、法律学で似たような議論がある。

議論状況は泥沼に陥っている上に難解なのでとても要約なんてできないのだが、論者で議論が一致している点として「裁判官法律家としての直感結論を決めており、法解釈はそれを検証正当化するために用いられる」ということが挙げられる。

自分も2名の裁判官から同様のことを聞いたことがある)

このことから法律家はこの法律家としての直感を育てることが肝要であるとよく言われる。

これって聖書解釈にも当てはまるんじゃないか

大事なのはキリスト者としての直感を、信仰聖書研究を通じて育てることであり、聖書解釈はその直感検証正当化するために用いるものなのではないか

上述した同性愛問題でいえば、①同性愛者が直面する問題点、苦悩などをよく勉強したうえで、②キリスト教的な価値観に照らして直感結論を出し、③それを聖書規定に照らして検証正当化する、というプロセスになる。このプロセスを経た結論は、いずれの立場にせよ、聖書的と言える(と勝手に思っている)。

なお、「法律家としての直感」の土台には、無神論と(マルクス主義的な理解における)資本主義がある。

キリスト者としての直感」の土台には、キリスト教的な価値観人間堕落しているという人間観、成功より正義を重んじる姿勢、死後の世界肯定、愛)がある。

3. 関係規定

勉強しないと聖書は正しく読めないよ>

「〔パウロ〕の手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています」(ペテロ後書3-16)

あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」(テモテ後書2-15)

信仰してないと聖書は正しく読めないよ>

自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです」(コリント前書2-14)

恣意的解釈は許されないよ>

「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手解釈すべきではないということです」(ペテロ後書1-20



ブコメ返信

・いつもありがとうございます教理問答買って読んでみます。今は詩篇を読んでいるのですが、終わったらコリント前書も読もうと思います

2016-11-05

[]

最近考えてること。

ロマ書とその注釈を読んでたら、キリスト教ってのは禁欲宗教ではないとのこと。

どういうことかと言うと、キリスト者信仰を持ち、聖化していく過程で、自然風俗タバコ不要になる(といいなぁ)ということらしい。

まり禁止されているからやらないのではなく、必要いからやらないのだと。

薬物規制に関して、大麻使用処罰するのはどうなのかなぁと思っていたのだが、上記解釈によればキリスト教見地に立っても一応大麻解禁は可能ということになりそう。

友達聖書科学矛盾(しているように見えるところ)の話をしてゲラゲラ笑っていたら、「なんでそこまで分かっていて信仰するの?」と聞かれた。

ここで気づいたのだけど、自分場合、神の存在を信じる ⇒ 聖書の教えを受け入れる、のではないのよね。

自分の今の閉塞的な状況からすると聖書の教えを受け入れるしか幸せになる途がない ⇒ 神の存在を信じざるを得ない、なのよね。

そんなことを考えていたら、内村鑑三も似たようなこと言ってて感動した。

我妻栄の『近代法における債権の優越的地位』を読んでる。

資本の回転プロセス権利義務関係がどう展開するかを描いた論文で、これのせいで未だに現代弁護士法学部生がマル経用語を(知らず知らずのうちに)使っていたりするというもの

ちょっと前に買って一読したのだけど、手形法理解全然ないためにななめ読みして放置してた。

これのせいでマルクス熱が再燃しつつある。

この前増田で勧められた『バガヴァッド・ギーター』を解説書と一緒に読んでる。

読んでていちいち聖書比較してしまって考え込むので全然進まない。

先日親戚の子供が訪ねてきて、あれは何で、あれは何、としきりに問うてきた。

聖書詩篇かなんかに、自然を知ることは神を知ること、みたいな教えがあって、そのことからすると、この子らの何でも知りたいという態度はきわめて聖書的なんじゃないかと思って考え込んでしまった。

おわり

※そういや先日書いた増田に、ブログ作って解釈まとめてくれみたいなコメントが付いてたんですが、僕は内村鑑三全集マルクス読んで思いついたことを書いてるだけなんで、そっち読んだほうがいいですよ。

ブコメでのフォローありがとうございます勉強になります

#やっとカテゴリしました。前からカテゴリしろと言ってくださってた方、遅れてすいません。

#さかのぼって読んだらアホみたいなこと書いてて草

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130901213316

「色々見てみると、これがただの改変だというのもあれば、紀元3,4世紀辺りに作られた話であるという話もあって、」

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1148246596

こことか。

新世界訳聖書とか「洞察」の本第二巻1130P?とかに言及があるみたいですが、そのような物はご存じないのですか?

下でいろいろ全部読んでこい、と言ってるからにはこの辺りの物も全て読んだことはあるのだと思いますが。

それとも、ここの書かれている様な事は嘘なのでしょうか?

他にもいくつかつらつら見ていく中で、その様に後から付け加えられたものだ、という物はいくつか見ました。

これ自体が「偽」であるとは解釈されているようですが、そのような物が出回ったのは事実なのでは?

単なるイエスキャラを知った上でのジョークに過ぎない、という話がありましたが、

最近出来たジョーク、では無いようなんですが?

それとも、この時代に既にできていた「ジョーク」だという意味だったんでしょうか?

※この話を続けたいならひとつ条件を出します。

旧約聖書旧約聖書続編、新約聖書、全部読んで来なさい。

最低でも四福音書詩篇を全部読んできなさい。

なんでそんな上から目線なのか分からないけど、別にそこまでしてわざわざ話をしてくれなくても結構です。

単に、ちょっと疑問に思ったことを気軽に聞いただけです。

間違いなら間違いを訂正してくれれば認めます。単に知らなかっただけなので。

またggrksならそれでいいので。

この辺りについてはちょっとググった程度ですが、そういうものなのかということは分かりましたので。

信徒じゃない人の疑問は「もし…なら」で始まることがほんっとーに多いからさ

これは当たり前のことだと思いますが?

特に宗教なんかは途中で論理が飛んでる所があるわけで、そこは解釈の問題でしかありません。

その解釈が人によって全く違うことも有ります

キリスト教自体もそれだけ分裂してることがそれを表していますし、お互いの主張が明らかに矛盾していることもあるかと思います

逆に、矛盾してたり確かでないものを無理やり信心によって解釈しなおし、自分を落ち着かせるのもまた宗教だと思います

それは別に悪いことと言ってるわけではなくて、宗教じゃなくても自分を無理やり納得させることはありますので。

そのような状況を、外から見て、「こういう時はどう解釈してる?」「もしこうならそれはどう解釈してる?」と聞くのは間違ってないと思いますが。単純な疑問として。

 
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