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2023-11-13

キリストの幕屋ファンダメンタルとか言わないで欲しい

http://dailycult.blogspot.com/2023/11/blog-post.html

id:nomitori アメリカでもそうだけとファンダメンタルキリスト教団体イスラエルにとても親和的なんやなぁ…。宗教からのその辺りの理屈を聞いてみたい…

ちょっと長くなるのでこちらで。要点はこんな感じ

について書く。なお書いている増田はいわゆる宗教二世ではあるが成人後も自身意思教会に行き続けているクリスチャン

キリストの幕屋について

これは「カルト新聞」に載っている記事、なのでその文脈で捉えて欲しい。ググれば主流派から異端視されていることがすぐわかる。

なお異端カルト社会的な悪性を持つ集団)ではなく、その教えには(宗教的にはともかく一般論として)一定妥当性を持つケースもある。プロテスタントから見た異端とは、「使徒信条から外れた教えを唱える人たち」と言える。

使徒信条

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E4%BF%A1%E6%9D%A1

キリスト教団体イスラエルについて

これは一言で語るのが非常に難しい。

だが最近世代間の差と共和党支持母体についてのNHK記事は読んでおいてもいいか

https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/489097.html

ポイントロビイスト存在と、共和党支持母体である福音派ががっつり噛み合ってしまっているところかと。それに対して若い世代には反発やしらけがあることがわかる。

福音派年寄りは何も考えずにイスラエル政権を支持しがちだが、クリスチャンであったとしてもそこは一枚岩じゃない。だが多数派であり声の大きいところでそういう風に言われがち。実際礼拝の中でも言及されたりしてるみたい。

宗教面での理屈について

これも難しいが無理矢理まとめると

ということだ。

聖書には「エルサレム平和のために祈れ(詩篇)」と書いてある。闘うための武器資金供与せよ、ではない。

もっというとここで用いられる平和という言葉は「シャローム」といい、神の平安の総称となっている。つまり単に他者との争いの状態を避けるとか、そういうものではなく「全能の神とともにいる祝福を享受する状態である

一方でユダヤ歴史イエス・キリスト否定排除してしまったのも事実であり、新約聖書には次のようにも書かれている

エルサレムエルサレム預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。

‭‭マタイによる福音書‬ ‭23‬:‭37‬-‭39‬ 新共同訳‬

https://bible.com/bible/1819/mat.23.37-39.新共同訳

これはイエス自身言葉であるクリスチャンにとっては前述の使徒信条イエスキリストによる裁きのときがくる、ということを信奉しているわけだけれども、そのときがくる前提条件が、エルサレム象徴的に都市名であらわされるがユダヤ人をさす)が、キリストに立ち返ることであると示されている。



NHKとかのメディアでも「イエスユダヤ人だから」とか言ってイスラエルを支持する人を切り取って放映しているけれど、聖書の教えにたつならば、平和を求めるのは当然であるし、それ以上にその平和は「神は愛なり」と説かれているその教えのうちでないといけない、というのが聖書をそれなりに読んでいるつもりの自分なりの姿勢

スパゲッティモンスターだなんだと揶揄されがちではあるが、全知全能の存在自分は信じているし、その介入だけがパレスチナ問題解決しうると思い、戦況のニュースに悲しい気持ちになりつつも今夜も平和祈ります🕊️

2023-01-04

2022年に読んだ本

1月

琉球から歴史の原文へ。太平記史記を並行して読み始める。

現代語訳とはいえ長くてしんどい

2月

メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ世界史教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い

3月

ウェブ小説を読む。

4月

東アジア史が中心。

5月

詩集芥川賞に手を出す。

シン・ウルトラマンを見たせいか特撮関係の本が後半に増える。

6月

後半には自分学生時代ベストセラーだった本を手に取った。

価値観現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。

7月

暴力団言語学、法学テーマの月だった。

8月

旧約聖書を読み始める。

9月

ちょくちょくSFを挟んで旧約聖書を読み進める。

10

旧約聖書読了学生時代新約聖書通読たから一応全部読んだことになる。

カズオ・イシグロ邦訳が出ているのはたぶん読み終えた。

11月

生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白いネタが尽きない。

12月

土偶埴輪についても読む。

漫画

ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。

十三機兵防衛圏については友人に薦められたかクリア後のノリで買った。

美術展など

今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。

映画

「シン・ウルトラマン」★★

プラットフォーム」★

エクストリームジョブ

12モンキーズ」★★★

雑感

(長くなったのでブコメ

2021年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2021-01-06

anond:20210105211123

与謝野晶子 晶子詩篇全集拾遺】

君知るや、若き男よ、

日は晴れて静かなる海のかなしさ。

あはれまた君知るや、

三十路みそぢを越えしをみなにも

しづかに流るゝを。

🥺

石川啄木 一握の砂】

時ありて

猫のまねなどして笑ふ

三十路みそぢの友のひとり住ずみかな

🐈フフッ



https://www.benricho.org/koyomi/nenrei_isyo_soji.html#30

2020-04-11

anond:20200411154012

ミシェルノストラダムス師の予言集には、

詩篇第1巻48番

月の支配20年が過ぎた。

7000年、別のものがその体制を保つだろう。

太陽が残された日々を受け取るであろう時に、

私の予言成就し、終わる。

とあり、要は1999年から20年、2019年までは月の支配によって守られていたが、

太陽、つまりコロナ蔓延によって師の予言成就するということ。

からやってくる恐怖の大王は、旧型コロナウイルス

1999年7月中国軍は、ウイルス兵器にできそうな旧型コロナウイルスを偶然発見

研究を始めるも2003年には最初流出事故が起きる。(SARS)

その致死率から兵器としての可能性を確信し、さら研究継続

2019年秋に再び流出事故が起きてしまう。

この時、流出した新型コロナウイルスこそが、アンゴルモワの大王である


アンゴルモワには、アジアから侵略者解釈する者もおり、

ヨーロッパの人からみたら、まさに新型コロナアジアから侵略者のものである


軍神マルスのくだりは、新型コロナ軍事研究に基づくものであることを暗示する。

武漢P4研究所は科学誌Nature に改変コロナウイルス論文を出しており、

真の目的はさておきウイルス改変の研究が行われていたのは事実である

私は長い間、どうして、恐怖の大王が直接滅ぼさずに、アンゴルモワの大王を蘇らせるのだろう、

なぜ、どちらも同じ大王なのだろう?

7月にやってきた恐怖の大王は、アンゴルモアを蘇らせるのに何カ月掛かるのだろう?

とずっと思ってきたが、20年掛かったということなのだと今確信した。

2020-02-09

anond:20200209214005

海辺都市の疫病は

死が復讐されることでしかまらないだろう

罪なくして咎められた公正な血を代償に

偉大な婦人は偽りによって辱められる”

ノストラダムス予言集・百詩篇の第2巻・第53番 より。

海辺都市」は「華南海鮮市場」を、

そして「偉大な婦人」は、中国副首相の「呉儀(ウー・イー)女史」を指している、

と推測されている。

呉儀女史はSARS問題中国衛生部の隠蔽工作を公にした人物であり、奇遇にも震源地である武漢市の出身である

2018-08-30

anond:20180830200445

増田申し訳ないけど、

なんでもいいって言ったって、福音書、エレミヤ、イザヤ、詩篇、を読んだけど、小者の救済話なんて見たことがない。

どの聖書を読めばいいか具体的に教えてくれ。

2018-04-10

anond:20180409235346

夏目漱石明暗)「何を今さら

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟)「そんなん100年以上前からじゃ」

モーセ旧約聖書って、紀元前から数百年かかって現在知られてる内容に定まったんだよな。わしが生きとった頃には列王紀も詩篇もなかったなあ」

2016-11-22

[]

◇ 『仁義なき戦い』の脚本家笠原和夫の本がなぜか図書館にあって、面白くて読みふけってしまった。

曰く、『仁義なき戦い』のテーマの1つは、日本戦争に負け、経済戦争にも負けたのに、またカネを巡って同じことをやっている。アホばっかりだ。ばーかばーか。ということだと。

時代は違うが内村鑑三も似たようなことを言っていて、曰く、日本戦争向きの国ではないし、文化モノマネしかできない。経済もそんな強くない。と。

じゃあどうすればいいかというと、内村は「日本の目指す道は宗教しかない」と言う。

ぜったい無理だけど、そうなったらいいなぁとは思う。


キリスト教関連のエッセイに「フォイエルバッハはいいぞ」みたいなことが書いてあったので入門書を買ってきた。

めっちゃむずかしい。なんだこれ。

入門書の筆者曰く「フォイエルバッハはその主張から無神論者だと思われがちだけど、実はそうでもないよ」とのことなのだが、完全にキリスト教徒を殺しにかかってて笑える。痛いところ突かれまくりだがそれがいい

てかマルクス思想元ネタの1つがフォイエルバッハらしく、時折マルクスっぽいことを言うのでおおっ!てなる。

これ理解出来たらキリスト教マルクス主義が頭の中できれいに整理されるんだけどなぁ。なんかもう1冊買うか。


聖書詩篇(の注釈)が意外とつまらない。

内村鑑三注釈聖書の部分によって明らかに筆のノリが違っていて、自身の実生活で慰めを得たところだと熱くなる。

具体的には、貧乏生活を慰める規定や、人を裁くことを諫める規定は熱い。熱すぎる。

その点詩篇はなんだかまったりしていて精彩を欠く。

まらずコレヘトの言葉に移ると、地上の快楽を追及するのは虚しいだけだよ、みたいな話なので熱気がすごい。おもしろい。

作者がソロモン(と言われているが実際には違う)ってのもロマンを感じる。


とりとめないが以上

2016-11-12

[] ※ブコメ返信

今回は思いつきばっか書くので、あんまり本気にしないでください。

1. 「信」について

日本語の「信じる」「信仰する」という言葉は重いと思っている。

自分の神に対するスタンスは、(本当はいるかどうか良く分からないが)①いてくれたら良いな、②いる方に賭ける、③いてくれなければ困る、という幅で気持ちが揺れ動いている状態だ(その理由は以前書いた)。

こうした気持ちを表すのに「信」という言葉は重い。

「信」という漢字は「人」+「辛」+「口」の組み合わせから成るという説があるらしい。

ここで、「辛」は入れ墨に用いる針の象形で、入れ墨による刑罰を示す。「口」は誓いの文書を表す。

この説によれば、「信」という言葉「その発言に嘘があれば、受刑することを前提に誓う様」意味するとのこと。

自分はこの意味では神を信じることはできない。

他方、英語の"believe"は、allow(受け入れる)を意味する"be"と、to hold dear(愛しく思う)を意味する"li"から成るとのこと。

この説によれば、"believe"の意味対象を受け入れて愛しく思う」というところか。

これらの説が本当なのか文献を当たってないので分からないが、もし本当ならば英語の方がしっくりくる。

聖書解釈について

聖書文言というのは非常に抽象的で、中には矛盾するように読める個所もある。

そのため、人生で直面する問題に対して聖書規定適用しようとする際、人によって全く違う結論が導き出されることがある。

このことが顕著に顕れるのが同性愛問題で、①同性愛全面的に罪だよ説、②欲求を持つのはOKだけど行為に及ぶのは罪だよ説、③ノンケの人が男色に走るのが罪なだけで生まれながらの同性愛者は罪ではないよ説、等々、バリエーション豊かな議論が展開されている。

(ちなみに自分は、どの説に立つにせよ、自説をもって他人同性愛者〕を裁くことは「人を裁くな」〔ルカ伝6-37〕に抵触するのでイカンと思っています

上記の説は解釈としてはいずれも成り立つ。

また実際にも、(a)同性愛を罪と考えて信仰に励む同性愛者、(b)同性愛を罪と考えず積極的差別偏見と闘う同性愛者、のどちらも間違いとは言えないだろう。

そうなると聖書解釈というのは単なる主観の表明じゃないのか、客観的に正しい解釈というのはないのか、という疑問が湧いてくる。

この問題を考える際に参考になる議論として、法律学で似たような議論がある。

議論状況は泥沼に陥っている上に難解なのでとても要約なんてできないのだが、論者で議論が一致している点として「裁判官法律家としての直感結論を決めており、法解釈はそれを検証正当化するために用いられる」ということが挙げられる。

自分も2名の裁判官から同様のことを聞いたことがある)

このことから法律家はこの法律家としての直感を育てることが肝要であるとよく言われる。

これって聖書解釈にも当てはまるんじゃないか

大事なのはキリスト者としての直感を、信仰聖書研究を通じて育てることであり、聖書解釈はその直感検証正当化するために用いるものなのではないか

上述した同性愛問題でいえば、①同性愛者が直面する問題点、苦悩などをよく勉強したうえで、②キリスト教的な価値観に照らして直感結論を出し、③それを聖書規定に照らして検証正当化する、というプロセスになる。このプロセスを経た結論は、いずれの立場にせよ、聖書的と言える(と勝手に思っている)。

なお、「法律家としての直感」の土台には、無神論と(マルクス主義的な理解における)資本主義がある。

キリスト者としての直感」の土台には、キリスト教的な価値観人間堕落しているという人間観、成功より正義を重んじる姿勢、死後の世界肯定、愛)がある。

3. 関係規定

勉強しないと聖書は正しく読めないよ>

「〔パウロ〕の手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています」(ペテロ後書3-16)

あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」(テモテ後書2-15)

信仰してないと聖書は正しく読めないよ>

自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです」(コリント前書2-14)

恣意的解釈は許されないよ>

「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手解釈すべきではないということです」(ペテロ後書1-20



ブコメ返信

・いつもありがとうございます教理問答買って読んでみます。今は詩篇を読んでいるのですが、終わったらコリント前書も読もうと思います

2016-11-05

[]

最近考えてること。

ロマ書とその注釈を読んでたら、キリスト教ってのは禁欲宗教ではないとのこと。

どういうことかと言うと、キリスト者信仰を持ち、聖化していく過程で、自然風俗タバコ不要になる(といいなぁ)ということらしい。

まり禁止されているからやらないのではなく、必要いからやらないのだと。

薬物規制に関して、大麻使用処罰するのはどうなのかなぁと思っていたのだが、上記解釈によればキリスト教見地に立っても一応大麻解禁は可能ということになりそう。

友達聖書科学矛盾(しているように見えるところ)の話をしてゲラゲラ笑っていたら、「なんでそこまで分かっていて信仰するの?」と聞かれた。

ここで気づいたのだけど、自分場合、神の存在を信じる ⇒ 聖書の教えを受け入れる、のではないのよね。

自分の今の閉塞的な状況からすると聖書の教えを受け入れるしか幸せになる途がない ⇒ 神の存在を信じざるを得ない、なのよね。

そんなことを考えていたら、内村鑑三も似たようなこと言ってて感動した。

我妻栄の『近代法における債権の優越的地位』を読んでる。

資本の回転プロセス権利義務関係がどう展開するかを描いた論文で、これのせいで未だに現代弁護士法学部生がマル経用語を(知らず知らずのうちに)使っていたりするというもの

ちょっと前に買って一読したのだけど、手形法理解全然ないためにななめ読みして放置してた。

これのせいでマルクス熱が再燃しつつある。

この前増田で勧められた『バガヴァッド・ギーター』を解説書と一緒に読んでる。

読んでていちいち聖書比較してしまって考え込むので全然進まない。

先日親戚の子供が訪ねてきて、あれは何で、あれは何、としきりに問うてきた。

聖書詩篇かなんかに、自然を知ることは神を知ること、みたいな教えがあって、そのことからすると、この子らの何でも知りたいという態度はきわめて聖書的なんじゃないかと思って考え込んでしまった。

おわり

※そういや先日書いた増田に、ブログ作って解釈まとめてくれみたいなコメントが付いてたんですが、僕は内村鑑三全集マルクス読んで思いついたことを書いてるだけなんで、そっち読んだほうがいいですよ。

ブコメでのフォローありがとうございます勉強になります

#やっとカテゴリしました。前からカテゴリしろと言ってくださってた方、遅れてすいません。

#さかのぼって読んだらアホみたいなこと書いてて草

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130901213316

「色々見てみると、これがただの改変だというのもあれば、紀元3,4世紀辺りに作られた話であるという話もあって、」

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1148246596

こことか。

新世界訳聖書とか「洞察」の本第二巻1130P?とかに言及があるみたいですが、そのような物はご存じないのですか?

下でいろいろ全部読んでこい、と言ってるからにはこの辺りの物も全て読んだことはあるのだと思いますが。

それとも、ここの書かれている様な事は嘘なのでしょうか?

他にもいくつかつらつら見ていく中で、その様に後から付け加えられたものだ、という物はいくつか見ました。

これ自体が「偽」であるとは解釈されているようですが、そのような物が出回ったのは事実なのでは?

単なるイエスキャラを知った上でのジョークに過ぎない、という話がありましたが、

最近出来たジョーク、では無いようなんですが?

それとも、この時代に既にできていた「ジョーク」だという意味だったんでしょうか?

※この話を続けたいならひとつ条件を出します。

旧約聖書旧約聖書続編、新約聖書、全部読んで来なさい。

最低でも四福音書詩篇を全部読んできなさい。

なんでそんな上から目線なのか分からないけど、別にそこまでしてわざわざ話をしてくれなくても結構です。

単に、ちょっと疑問に思ったことを気軽に聞いただけです。

間違いなら間違いを訂正してくれれば認めます。単に知らなかっただけなので。

またggrksならそれでいいので。

この辺りについてはちょっとググった程度ですが、そういうものなのかということは分かりましたので。

信徒じゃない人の疑問は「もし…なら」で始まることがほんっとーに多いからさ

これは当たり前のことだと思いますが?

特に宗教なんかは途中で論理が飛んでる所があるわけで、そこは解釈の問題でしかありません。

その解釈が人によって全く違うことも有ります

キリスト教自体もそれだけ分裂してることがそれを表していますし、お互いの主張が明らかに矛盾していることもあるかと思います

逆に、矛盾してたり確かでないものを無理やり信心によって解釈しなおし、自分を落ち着かせるのもまた宗教だと思います

それは別に悪いことと言ってるわけではなくて、宗教じゃなくても自分を無理やり納得させることはありますので。

そのような状況を、外から見て、「こういう時はどう解釈してる?」「もしこうならそれはどう解釈してる?」と聞くのは間違ってないと思いますが。単純な疑問として。

 
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