「50年代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 50年代とは

2019-02-09

anond:20190208235403

たぶんこの人は自分子どもだったころの世界観のまま生きてるんだ

昭和40~50年代ぐらいのパパが会社行ってて偉くてママはずっとおうちにいて

ご飯作って洗濯して掃除して僕をヨチヨチしてくれるっていう妄想の中に今も生きている

心が幼稚園児~小学生ぐらいの人なんだ

それで肉体だけが年を取ってキモくて低収入おっさんになってしま

友だちも彼女もいなくて童貞妄想上のむかつく女を叩くしかないんだ

70過ぎたママとはセックスできないし子どもも作れないもんね

悲しいね

2018-11-09

Amazonプライムで見られるアメリカドラママーベラス・ミセス・メイゼル」が面白いです。

50年代NYで、若い主婦漫談家を目指すというコメディですが、衣装とセットがすごくいいし、当時の文化映画好きにはたまりません。

それでいて「女が漫談家になる」というテーマはとても今日的。

おすすめです。

2018-04-30

50年代ぐらいは、朝鮮戦争が始まったのか。

東京オリンピックって70年代頃?

ほんで、カラーテレビ

  

景気回復戦略が、なんだか昭和初期と変わらないって感じだな

テクノロジーITをイットと呼んでしまう人が行政の上の方に君臨するあたりに、問題がありそう。。。

2018-04-17

世代早見表

まれ大雑把な世代世代の近い総理大臣1945年
終戦
1954年
(高度成長開始)
1973年
(安定成長開始)
1986年
バブル開始)
1991年
バブル崩壊)
2018年
現在
1925年戦中派(20年代まれ
徴兵経験あり
竹下登(1924)
宇野宗佑(1922)
村山富市(1924)
20歳29歳48歳61歳66歳93歳
1935年昭和一桁世代(1927-1934年まれ
焼け跡世代(1935-45年生まれ
徴兵経験なし
海部俊樹(1931
細川護熙(1938)
羽田孜(1935)
橋本龍太郎(1937)
小渕恵三(1937)
森喜朗(1937)
福田康夫(1936)
1019歳38歳51歳56歳83歳
1945年全共闘世代40年代まれ
団塊世代40年代後半生まれ
小泉純一郎(1942)
麻生太郎(1940)
鳩山由紀夫(1947)
菅直人(1946)
小沢一郎・1942)
谷垣禎一・1945)
9歳2841歳46歳73歳
1955年しらけ世代50年代まれ
ポスト団塊50年代前半生まれ
安倍晋三(1954)
野田佳彦(1957)
小池百合子・1952)
岡田克也・1953)
石破茂・1957)
岸田文雄・1957)
18歳3136歳63歳
1965年バブル世代60年代後半生まれ
新人類60年代まれ
オタク第一世代60年代まれ
前原誠司・1962)
河野太郎・1963)
枝野幸男・1964)
蓮舫・1967)
8歳21歳26歳53歳
1975年氷河期世代(1970-83年生まれ
団塊ジュニア(70年代前半生まれ
1116歳43歳
1985年氷河期世代ゆとり世代のちょうど隙間小泉進次郎・1981)1歳6歳33
1995年ゆとり世代(1987-2003年まれ
さとり世代90年代まれ
デジタルネイティブ
23

下半分が寂しかったので民進党代表や次期首相候補と言われるような人も括弧書きで追加。

就職氷河期に関する補足→https://anond.hatelabo.jp/20180417161628

1985年ゆとり世代としていたのを修正https://anond.hatelabo.jp/20180417163706

関連→https://anond.hatelabo.jp/20180105170201

2018-04-03

anond:20180403110236

まったくその通りなんだが、

介護や保育で50年代60年代医療運動をやろうとするとはたして賛同者が集まるのかな、という気がする。

世間から人の命を盾にするのかと言われないだろうか。

もちろん、スウェーデンのように介護を担う労働者のために入所者を放置しまくるという手もあるが。

2018-02-17

養育費親権

https://anond.hatelabo.jp/20180217105829

親権母親に有利な現状は変えるべきだと思う。

性別判断せず、子どもにとって経済的かつ精神的に一番良い親権判断及び養育費設定がなされるといいよね。

ただし、親権司法で決められるものであるのに対して、養育費徴収制度政治行政の論ずるべきもの

両者は独立した問題

ちなみに、戦前50年代までは父親親権を取るパターンが多かった。

母親親権取る割合が増加するのは60年代以降。

親の経済的機能ではなく精神機能ケア機能が重視されるようになった結果。

今では父親お金母親ケアという考えは時代錯誤

繰り返しになるけど、親のジェンダーではなく子ども福祉を中心に据えて離婚に伴う取り決めがされるようになってほしい。

2017-12-25

anond:20171225034726

書いてることは概ね間違ってないけど、結論は間違ってる。

 大衆シンプルキャッチー音楽を求めるという見方は全く間違っていないし、実際にその理屈のもとで大成功を収めたベリー・ゴーディJrという人物がいる。彼はもともとジャズが好きで、ジャズ中心のレコードショップを開いていたのだけれど、売れるのはより音楽的に簡素演奏技術も高度でないドゥー・ワップやダンス向きのジャンプブルースロックンロールで、自分が売りたいものが全く売れなかったという苦い経験があり、そこからリズムが豊かでわかりやす楽しい音楽を作る会社であるモータウン・レコードを創設し、ミラクルズ、スプリームスジャクソン・ファイヴといったミュージシャンを輩出していったという経歴がある。

 音楽理論的に高度であるということが音楽的に優れている、という見方は極めて安直で、音楽理論的に高度な音楽音楽理論的に高度な音楽なのであって、優れた音楽であることとは直結しない。

 アメリカ、及び現代の音楽史を語る上で、アメリカ黒人奴隷(強制労働者)が生み出したブルースは欠かせないけれど、ブルース自体はごく僅かなコード進行からなる、元増田言葉を借りて言うなら“音楽理論的に低レベルな”音楽だ。けれども、ブルースが持つ音楽価値というのは極めて大きなもので、黒人がより高度な音楽教育習得するようになった1950年代以降においてもシンプルギター演奏だけで音楽を作り続けるレッドベリーライトニン・ホプキンスといった黒人ブルースシンガー評価は続いていたし、更には彼らの直系の影響下にはウディ・ガスリー、ボブ・ディランといったビッグネームがいて、彼らについてはもはや言うまでもない。

 それに、理論的高度さを追求する人間シンプル音楽を“低レベルであると見做している、というのも違う。

 例えば増田の言う現代音楽の分野で成果を残しているフランク・ザッパキャリアはドゥー・ワップやリズムブルースといったシンプル黒人音楽内面化から始まっているし、生涯に渡ってこうした音楽に興味を持ち続けていた。ロック文脈ではアヴァンギャルドノイズシューゲイザー先駆者であるルー・リードボビールイスアイズレー・ブラザーズファッツ・ドミノ、フレディ・キングといった50年代黒人ポップスの愛聴者だったし、日本でも山下達郎ジェームズ・ブラウンはじめ60年代ソウルミュージックの愛好ぶりはよく知られているところ。

 というように、わざわざ結論を書き直すまでもないけど「音楽理論的に高度な音楽けが優れた音楽であるというわけではない」ってこと。

 あと最後蛇足だけど

アーティストでも、若いころは電子音バリバリの歌を歌っていたのが、歳を取るにつれアコースティックな静かめの曲ばかり歌うようになったとか

 これのわかりやすい例にロッド・ステュアートがいて、彼も年齢を重ねるに連れてビバップ以前、あるいはポップス寄りのジャズスタンダード(わかりやす音楽)を積極的に採り上げてカヴァーしてます

 

2017-08-05

うるせーよ奴隷商人

S40 S50年代と比べてもどんどん劣化してってるだろ。

昔はよかったになるのは当たり前

2017-07-07

すごい店を見た

最初見た目は普通おもちゃ屋さんで、(今の時代珍しいな)

って思って見てたらswitchがなんか細長い箱に入って売ってて、

(何か凄い箱に入ってる!しかも50ドルセールとか書いてあるし何だこれ?)

って思って店内見てたら上の方に穴みたいな空間があるところ見つけて、

(これボルダリングで登るの?おもちゃ屋で?)

って思って店員

「ここなんです?」

って聞いたら

ギャラリーなんですよ。'50年代販売してた商品とか展示してます

とか言われて興味持つじゃない?

クライミングしか行けないとこにギャラリーだよ?

イミワカンナ

とか思いながらえっちら登っていったら店員

オニーチャン彼女はいるの?」

とか言い出して

「いやーいないですね」

とかへらへらして応えたら

「そうなのかもったいない!私なんてそのくらいの歳ならいたよ!」

みたいな話をこっちはボルダリング真っ最中で片手片脚宙ぶらりんでヒーヒー言ってるのに。

そんな訳で「ハハ」って言いながら話を無理やり切り上げて登って行きましたよ。

そしたら上の方にはしごが見えるのね。

(ああ、これに捕まればやっと上まで登れる)

って思ったら

「私が下から押して上げる)

っておばちゃん店員が言い出して。

(あれ?もう一人おじさん店員いなかったっけ?)

って思ったんだけど、まぁ不思議な店だからいかなってスルーして下から押してもらうのをお願いしたんだよね。

そして上の方まで下からスマタみたいなので押してもらってチラとはしごに目をやったら紙製で、

(これに掴まったら折れそうな?何でここにあるんだ?)

って思いながらその狭い天井に空けられた穴から身を乗り出して、はーはー言いながら周りを見渡したら、一角に古そうな洗濯石鹸が棚に並べられてて、

(ああ、こういう感じに展示されてるのかー)

って思って周りを見渡したら、そこに制服着た女子がいて、中学生くらいの。

の子ソファで寝そべってスマホいじってるのね。

俺それ見た瞬間ドキッとしてここはギャラリー兼家なのかも?とか思いながら目をそらして、色々妄想したんだけど

(あの店員家族になるのは勘弁じゃないか

って思ってそのまま辺りを逃げるように歩いていたら、家具が展示してるところがあって、ふとその商品に値段が貼ってあるのを見つけて、さらにその家具コーナーの周りを見渡すと外につながってるエリアで、そのギャラリーは外のショッピングモールみたいな所と繋がっていて、さっき必死に登ったあの体験は一体何だったんだ。














って思ったところで目が覚めた。

ともて、不思議な夢だった。

あん不思議な店があったらぜひ行きたいと思いましたまる

誰か作って。

2016-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20161224215725

だがそこで考えてほしい。

もし昭和40年台後半~50年代序盤の団塊ジュニア世代自分たちのことを「他の世代よりもつまらない世代だった。不幸ジェネレーションだ」と言い出しそれに賛同する人が増えたとしたらどうだろう。

そやつらが定年を迎え社会保障必要になったとき自分をほかの人より不幸と思い込むやつらのクレクレ攻撃はいかようなものになろうか!

自分が周囲よりも恵まれてないと思い込まれることほど面倒な老害はない。

自分たち幸せだと思っているならいいじゃないか

しかしたら「ま、子供の時幸せだった俺らなんだし。かわいそうな他の世代にはちっとは遠慮してやるぜ」くらいに思ってくれるかもしれないぞ!

2016-12-10

結局皆、お見合い結婚に憧れている。

 『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマ流行っている。

 要約すると最初便宜上契約結婚を交わして夫婦だんだんお近づきになり「本物の夫婦」になる話だ。

 こういう話は昔から日本人が大好きだ。男向け女向け問わず

 好きでもない相手同棲状態になったり、なかば無理やりお近づきになり、付き合っていくうちに本物の恋仲になる。

 そういうお話バリエーション含め、あなたはいくつも知っている。どれも人気作だ。

 少女向けコミックのそれ系統最近じゃ一月に一作は実写映画化されてるし、

 男性向けの場合は落ちものだとか、ハーレムものだとか呼ばれている(まあただハーレム場合、「好きでもない相手と〜」は一昔前の流行になってるかもしれない)。


 こういう系の恋愛物語がいったいなんで受け入れられやすいかというと、

 それは我々にとって(少なくとも概念的には)馴染みぶかい恋愛形態でもあるからです。

 見合い結婚メタファーからです。


 親や仲人から引き合わされて、ほとんど初対面の相手となんだかよくわからん結婚し、最初は家と家との結婚という感じだったのが、

 寝食を共にしていくうちに個人個人の「夫婦」になっていく。

この世界の片隅に』なんかもそうでしたね。

 あれが理想の「見合い結婚」、日本人の好きな「恋愛物語」のパターンです。


 日本人現在に至るまで実はアメリカ的な意味での恋愛結婚をよく理解していないのじゃないか、と思う。

 いやね、アメリカ人だってから自由恋愛バンザーイ!みたいによろしくやってたわけじゃないんです。

 50年代60年代あたりまでは、結婚相手なんて「ご近所さん」が普通だった。

 特に都市部では出稼ぎにきた移民労働者が、やはり移民であるお隣の娘さんをなんとなく良いな、と思って、デートを申し込んだり、

 あるいはいきなり「娘さんを僕にください」とやってきてそのまま結婚することも多かった(後新聞結婚相手募集広告出したりなんかしてた)。

 「結婚したあとで好きになっていく」パターンは実はわりと最近までアメリカにもあったんです。

 それが変わっていくのが60年代後半から70年代にかけて。

 カウンターカルチャーフリーセックス時代です。

 フリーセックスの方はエイズやらキリスト教保守派バックラッシュやらで廃れていくんだけど、

 自由恋愛のほうは残った。

 なぜなら自由恋愛が「技術的に」可能になったから。

 そう、電話の普及ですね。といっても、

 今みたいに個人につき一つってわけにはいかなかったけれど、約束を取り付けるのは楽になった。

 娯楽も増えたし、公民権運動余録女性地位も向上して女性選択肢もちょびっとながら増えた。

 なんたって50年代までは女性が単身で社会にでる手段なんて絶無に近かったわけですからね。

 やたら女性結婚を急いだのも実家という家庭から逃げ出したいところが大きかったんです。もっとも、結婚実家脱出したところで新しい「家庭」に囚われるわけですが。


 恋愛自由市場化が何をもたらしたかといえば、相手を「事前に」品定めできることでした。

 やはり恋人楽しい人じゃないといや。自分と合う人じゃないと。たとえば、音楽趣味映画趣味。本の趣味が合う人。

 食べ物の好みも重要服装センスも忘れちゃいけない。それに犬派か猫派かも……そうそう、絶対ウンコはもらさない人じゃないとね。


 こうして相手要求するリスト無限に増えていく。このうち一つでも「アウト」だとたとえその他の条件を満たしていてもバイバイさよなら、となりやすくなる。

 要求リストの細分化に貢献したのもやはり技術です。

 特にインターネット以後。フェイスブック以後。

 あなたは見知らぬ他人いくらでも知り合えるようになったし、その他人情報を一切会うことなしにいくらでも知れるようになった。

 メールSNSの発展は新しい人とのつながりを容易にもしたけれど、同時に既存のつながりの切断も容易になった。

 ネットで知り合ったあなたのカレの音楽趣味が最悪だと一分前にわかった? よっしゃ、ならメールを送るんだ。

あなたがそんな人だとは思わなかった。別れましょう」

 それで着拒すれば万事解決あなたは晴れてフリーだ。

 そういう人はまだやさしいほうだ。なかには、別れのメールすらおくらずに元恋人一方的ブロックする人間もいっぱいいる。


 アメリカではカジュアル出会えるマッチングサイトが普及しているけれど、

 日本ではまだ「出会い系」には抵抗がある人が多い。

 でも、なぜかアメリカ式自由恋愛マインドだけは心得ていて、相手への要求レベルは格段に細かく、高くなっている。

 知り合う手段は相変わらずインターネット以前のもの限定されているのに、意識だけはポストフェイスブックと化している。

 この齟齬は、なんだろう。

 といえば、おそらく日本人には「運命の人信仰があるからだと思う。

 「運命の人信仰とは、趣味が全部合うとか食べ物の好みが一緒だから好きなんだとか、そんなんじゃなくて、

 理屈抜きで前前前世から結ばれるべき運命だった人がいるんだよ、という幻想のことだ。


 そう、『君の名は。』だ。


 あの映画現代日本人の恋愛観が非常によく出ている。

 なんだか理屈はよくわからないが唐突に異性と結ばれて、

 わけのわからないまま同居生活を続けるうちに相手のことがなんとなく好きになって

 いつのまにかそれが運命だったということになっていく。

 実は構造的には『逃げ恥』と同じ話なのだ

 お見合いを引きずった現代日本人の恋愛観において重要なのは

 自分の好みと相手の好みが一致することではない。

 自分の好みを相手が事後的に受け入れ、相手の好みを自分が事後的に受け入れることだ。

 それは家父長的な家庭であれば、夫の好むを妻が一方的に受け入れなければならず、逆はないという非対称な関係であったけれど、

 現代恋愛物語ではそれがアップデートされて「お互い様だよね」ということになっている。

 理想論ではあるだろうが、まあ、理屈としてはそういうことだ。


 日本恋愛では、まず運命が先にあり、個人人格はあとからついていく。

 それはおそらく個人人格を認め合う自由恋愛の本義からは外れた思想なのだろう。

 でもまあ、なぜか日本人はそういうのが好きだ。

 結局、皆、自由恋愛最高!を謳いながらも、心の奥底ではお見合い結婚に憧れ、理想化しているのだ。

 

 

2016-11-02

邦画の90%はクズである

ただしすべてものの90%はクズである。ご存知スタージョンの法則である

さて、今回は次のブログエントリー反論していきたい。

邦画はクソ!」というあなたに見て欲しい日本映画黄金期の名作 - シロッコ手習鑑

http://sirocco.hatenablog.com/entry/Japanese-Movie

1行で要約すると

邦画はクソ、つまらない」という人は日本映画黄金期の名作見てないんじゃないの?「七人の侍おすすめ

通常であれば、うんうん「七人の侍」いいよね。黒澤映画の基本だよね。で済ませていたところだが、

面白いという保証のない現代映画をみるなら映画黄金期の名作を見るのをオススメします。

という一文がどうにもひっかかったのでここにキーボードを執った次第。

1.「邦画はクソ」とは基本的現代の新作邦画への評価なのでは

邦画について検索すると「邦画はクソ」という結果が出てくるらしく、その一例として示されたまとめサイト

記事過去の名作邦画も含めて批判する主張。

でも現代人が「邦画クソ」という場合、この前見に行った邦画がつまらなかった、ハリウッド大作と比べると

どうしても全米が泣けない、原作改変しすぎて新規ファン流入もないし原作ファン激おこだし誰得なの?

マンガ実写化文句言うのはカッコ悪いってカッコつけるために言ってるんじゃねえよこちとらカッコ気に

してられないほど必死なんだよ。

みたいな文脈だと思うんだよね。もっと良い新作邦画を作ってくれよ、の裏返しの邦画クソ。

もちろん全ての新作邦画ダメだとは増田も思わないけど。

まずいものを食べてまずかった、という生の声味噌汁がしょっぱいので盛り上がらなかった、とかね。

そこへ評価が確定している過去の名作を見ればいいのに、とアントワネットばりにケーキを薦められても違くない?

オールタイムベストランクインしている名作を見るランキング型消費では、「君の名は。」「シン・ゴジラ」が

ブームからと見に行くのと大差ない、いやむしろ悪いんじゃないか

新作を見て評価するのは、きさんがやらねば誰がやる?

面白いという保証のない現代映画をみるなら映画黄金期の名作を見るのをオススメします。

新作映画は見てみるまで面白いかどうかわからない。評判はあっても時間の審級を経てはいない。

それでも、新作を見る人がいるからこそ映画は作り続けられる。回転資金がなくなれば味噌汁さえも作れなくなり作品数は減る。

最初スタージョンの法則に戻る。名作は幾多の駄作の屍の山の上にわずかに咲く花だ。

山が小さくなれば名作のド壌も枯れてしまう。

新作見るより過去の名作を見ればいいのには、映画興行否定だ。

邦画の良さを紹介するために邦画を殺したら本末転倒ではないか

2.映画黄金期について

1.で大体言いたいことは終わった。あとは重箱の隅です。

当時の娯楽の王様である映画作品が数多く作られていた50年代60年代日本映画黄金期なのには異論はない。

しかし、その後テレビの隆盛、レンタルビデオの登場など、作品数・入場者数が減っていくには理由があり

単に数が下だから今は暗黒期、だから黄金期のを見ようという論は雑である

物価の上昇はあるが、観客動員数映画館の数は最盛期より減っているにもかかわらず興行収入上位には

現代作品ばかり並んでいる。現代だって捨てたもんじゃないよ。上位=名作とは言わない。

では黄金期に多く作られた中でどれほどの作品が今に伝えられているのか。直木三十五作品は読み継がれているだろうか。

名作とされるものしか今に至るまで残らないか黄金期はより素晴らしく見え、洋画もヒットが見込める

ものしか伝わってこないから大作・名作の粒揃いに思える。

現代邦画は、ダメものも全部さらけだされているか相対的に90%クズ感が増してしまう。

上澄みと生データを比べたら勝ち目無いよね。観る側向けにはこの点クギをさしたい。

だが、過去の名作を踏まえた上で今映画を作っている方々には、なんで見えてる地雷そびえ立つクソを作りあげてしまうのか。

味噌汁のミソとクソを間違えてはいいか映画評論してきた経験製作現場には役立てられないのか。

各自点検をおねがいしたい。

3.「七人の侍」(1954)

名画が今もスクリーンで上映されるのはいいことだと思う。

金と時間が許せば名画座毎日入り浸って映画漬けの日々を送り何百本のノルマ果たして蓮見ゼミに潜り込むんだ。

という夢の前提条件も今ではhuluなりNetflixなりで自宅に居ながらにして叶えられる。

しかし大スクリーンで一時停止も巻き戻しもなく集中して見る体験映画館しか味わえない。

七人の侍」が公開された1954年、「ゴジラ」と「君の名は」も公開されていた。

奇しくも今年、その系譜を継ぐ「シン・ゴジラ」「君の名は。」が、それぞれ好評を得ながらヒットしている。

過去の名作は逃げない、銀幕にまたかかることもあるだろう。

シン・ゴジラ」「君の名は。」が新作としてかかるのは今しかない。

面白いという保証がなくても現代映画を見ていこうよ。

4.シネフィルアマゾンプライムで見られる映画おすすめ

ドリーマーズ」(2004)R-18 

ラストエンペラー」のベルトルッチ監督作品

1968年五月革命パリ舞台パリ留学中のアメリカ人青年マシュー

シネマテーク抗議デモを通じて知り合ったテオとイザベルの家に転がり込み……。

エヴァ・グリーンおっぱいがきれい。

邦画でなくてすまんね。

2016-07-31

なんで国鉄分割民営化をしたのかっていう

 JR北海道ヤバいということで、分割民営化おかしかったのではみたいな議論が出ているから、分割民営化の経緯の要点を書くぜ。

 まず「民営化」の方。

 そもそも国鉄独立採算制であり、要するに税金運営されていたわけではない(ここ勘違いしてる人がとても多い)。しかし、それでありながら経営の最終決定権は国にあったので、だいたい以下のような具合になった(数字はてきとう)。

 自民党「これを作るように」

 国鉄「これ2兆円かかるけど、うち1兆円しかないんですが」

 自民党「いいから作れ」

 社会党運賃の値上げや人員整理は許さないぞ」

 国鉄「仕方ないので足りない分は借金します」

(数年後)

 国鉄借金の利子が利子を呼んで手がつけられなくなりました」

 「政府が金は出さないが口は出す」というどう考えてもヤバい体制であり、これなら「金は出されないが口も出されない」民営の方がマシやんけ、というわけである。これは国鉄できた当初から予見されてたことであり、産業能率会議(昔そういうシンクタンクがあった)なんかは、50年代60年代に2度にわたって「これ将来絶対破綻するから、分割民営化しないとヤバいって! せめて、公社のままだとしても口を出されないシステム改革しなきゃ!」と政府提言していたのだが、まあガン無視された。

 要するに国鉄民営化は、50~70年代政権与党の無策の尻拭いであり、「中曽根ちんが国労つぶしのためにやった」なんていうのはそれを糊塗するためのおためごかしに過ぎない(早川タダノリとかフジヤマガイチとかの有名なリベラルアルファツイッタラーがこの見解にガン乗りしてるのは謎だが。君ら本当はネトサポなのでは?)。中曽根ちんは確かに国労嫌いマンだけど、第二次中曽根内閣運輸大臣に分割民営化反対派の細田吉蔵を据えるなど、民営化に関して途中まで党内風見鶏に徹してた人でしかないし、国労80年代には主流派社会党右派)・非主流派社会党左派)・反主流派日共)の内部対立がひどくて(その結果が86修善寺大会よ)往年の力なかったから、民営化なくても崩壊しそうだったやないか。分割民営化のせいで国労崩壊したというのは、原爆投下のせいで日本は負けたと言ってるようなもんで、最後のひと押しを過大評価している。スト権ストの大敗北がミッドウェー、マル生粉砕が南部仏印進駐とみるべきじゃないですかね。マル生粉砕の成功が致命的な失敗やでほんと。

 で、もう一つの点、「分割」である

 これは、当時の国鉄が極端な東京中心地方軽視主義だったことへの対策である。いやほんと、国鉄時代時刻表JR後の時刻表と比べてみれば分かるんだけど、国鉄時代地方ダイヤってスッカスカだぞ。あと東北地方とかが本当にスピード遅くてさあ……(国鉄ローカル線用に、うんこみたいな性能でスピード出ない上に排ガスがひどく、排熱管のオーバーヒートが原因で発火しやすいので安全性もクソという、褒めるところのない内製エンジン積んだ車両しか入れなかった。地方民の利便性より内部の論理が優先されていたんであるJRになったら海外メーカーの高性能エンジン積んだ新車積極的に導入したのでめっちゃスピード上がった)。別に今のJRだってそこまで地方大事にしているわけではないが、国鉄との相対評価でいえばめっちゃ大事にしてる(各社でバラつきはあるが)。組織デカくなると、何をやるにも本社の顔色をうかがうようなことにどうしてもなるという話ね。

 というわけで、各JRはある程度小さめに分割しようという話になっており、実際当初は本州を5分割(東北上越東海道山陽の各新幹線沿線関西北陸)した8分割案が有力だったのだが、線路を共有する東北上越分割の難しさなんかがあって、予定よりも会社の規模が大きすぎる本州3分割になったのだった。東海については、名古屋大阪の下につける本州2分割案には名古屋政財界からの非常に強い反発があったため、当初の予定に近い形で割った。

 で、こうしてできたJR各社の経営状態には差があるわけだが、別にここを何も考えていなかったわけではない。本州3社には国鉄債務を渡して利子で苦しんでもらい、3島会社には債務どころか逆に「経営安定化基金」という補助金的なものを渡すことでバランスを取ろうとしたわけである。よく「JR北海道赤字になると分からなかったのか」ということを言う人がいるが、「赤字になることが分かっていたのでその対策もしたのだが、それでもダメになってきた」が正解である

 諸々の詳細については、今では『戦後史の中の国鉄労使』『国鉄最後ダイヤ改正』などいろいろといい参考文献が出ているので、気になる人はそういうのを読んでね。

 ちなみに今後のJR北だが、まあ厳しい。再国有化上下分離を言う人もいるが、国も道も沿線自治体沿線住民も、そこまでしてローカル線を残したいとは思ってないだろうしなあ。交通弱者の話にしたって、「バリアフリーとかにまでは手が回らないローカル鉄道に金を投じることが、その金をバス福祉タクシーなどの補助に全額ベットするよりも交通弱者に優しいと、お前心の底から断言できるの?」という話になる。鉄道交通弱者にも十分優しいのは都会の話であり、みなバスの強さを過小評価している。インフラ税金で維持されるべきだが、いつでも鉄道ベストかは本気で考えなきゃいけないところだぞ。中標津や音更、中札内など、鉄道廃止されてからの方が街が栄えてる例というのも道内にあるしな。

2016-05-05

たまの「さよなら人類」の未来において本当に人類が初めて木星に到達したときテレビで流れてそうな感じは異常

人類が初めて木星に到達するのはいつになるだろうか。

私は今年30歳になるが、私の生涯でそれは実現しないだろう。

未だ人類火星にも行けていない。

恐らく、西暦2250年ころなんじゃないだろうか。なんとなくそう思う。

2250年ころには日本と言う国家日本人という民族は、私たち想像できないほどに、今と異なっているだろう。

江戸中期の人間私たち想像できないこととおんなじだ。

けれども予感のすることは、予感のすることはこうだ。

バンドたまはどこか文化社会のどこかできっと、きっと生き伸びるのではないかと言うことだ。

そして現在私たちでいう、ワイドショー的なものの2250年的なもので、木星への初の人類到達を報道する時、かならずたまのさよなら人類が流れることになると思う。

これは私にとって確信していることだ。私が死んだあと、2250年ころにそうなる。

なぜなら木星に到達したことで、ピテカントロプスジャワ原人)になる日が近づいたとたまが歌うからだ。

巨視的に見れば、ピテカントロプスになることも木星人類が着くことも同じだ。

達成する、ある場所にヒトが進む。評価は措いておいて、ある場所に歩みを進める。

それが時空間の中で木星に着いたかピテカントロプスになったかの違いでしかない。

見事な循環的な発想だ。

から想像もつかないけれど、私も未来のことを考えてもいいし、江戸時代の人だって250年くらい後のことを想像したっていい。

2250年代の人々だって、たまの「さよなら人類」が歌われたバブルのころに思いを馳せてもいい。

こういう理由を以て、2250年代にたまの「さよなら人類」が木星に着いたことを言祝ぐ歌曲で登場するし、私がそれを想像する余地をたまの「さよなら人類」は生んでいる。

2016-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20160210000938

昭和30年代~50年代工業化が進む中で多くの人々が残した警告。この警告通りに人は生きるという行為から切り離されてただ貨幣経済歯車になってしまったが、歯車自分幸せだと考える。

そう、虫に刺され、雨に打たれ、寒さにこごえる生活よりは、人工環境の中で化学物質に囲まれて、地球規模の問題からは眼をそらして生きることのほうが幸せから

でも、この幸せは、「文明子育て反比例する」という言葉が示すように、もはや生きものとしての幸せではなくなっているのだ。

2016-01-07

日本における世論誘導のための外国から資金提供の可能性

最近立て続けにスパイ関係ニュースがあったので。

外務省が機密解除に反対」 CIAの自民政治家資金 米元諮問委員証言 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/s/216609

50年代60年代CIA自民党政治家に資金提供をしていたことを裏付け米国機密資料の公開に外務省が反対したというニュース

拘束の日本人2人逮捕 中国当局、「スパイ行為」容疑 http://www.asahi.com/articles/ASHDS6SNWHDSUHBI01X.html

外国政治家はもとより世論操作意図してマスコミ幹部学者資金提供を行ったり、そもそも特定マスコミ上層部自身外国スパイです、という話は今でも普通にありうると思うのだが、日本ではそれがあまり疑われないのが不思議だ。読売正力松太郎氏もCIAから資金提供を受けていたことは機密文書裏付けられている。

昨今で言うと、沖縄県民ほとんど支持しておらずそもそも考えてもいない沖縄独立論がメディア執拗に取り上げられたり、それを盛んに主張する県民からは支持されていないグループがあるようだが、背景はどうなんでしょうね。

2015-12-14

熱出して一人で留守番なんて日常茶飯事だったわ(兼業主婦家庭)

虫歯は乳歯なら歯医者連れて行かないしな

昭和育児マジ荒っぽい

昭和っつっても平成に近い50年代後半のことだよ。この辺りでもまだまだ野蛮だった

この辺の反省から今の手厚い育児があるのだったらそれはとても良いことだと思うんだ

2015-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20150715014005

(づつきです)

通常のネット当局から禁ぜられ程なく使えなくなったが、「もう一つのネット」は問題なく作用した。

珠洲子は住まいのある東京都北区赤羽(Akabane東京都地名。濁音化せずに日本語で書くとAkahane。ハネhaneは元来ハニhaniであり、ハニは「土」を意味する。すなわち赤いハニ(red soil)が地名の由来となっている)から脱出するまで1度だけ襲撃を受けた。都内から離れた後は襲撃はなく、追手はひとまず撒けたことになる。襲撃した相手はハーバード大学3刀流の使い手だった。この流派2050年代にネットが身体の操縦に役立つ技術になった際、ヨーヨー・マビルマーク・ザッカーバーゲイツアダムシニアジュニア3世を名乗る、ハーバード大学を後に退学になる男によって創始された。3つの刀を間違った日本の文化に即して扱うもので、その内の一つは特に電子的に管理し中空に浮かせておくのが特徴だと師匠から教わった。『名探偵ホームズ』には「バリツ」という武術が登場する。シャーロキアンのこれでもかって程の執拗かつ綿密な研究のおかげで、「バリツ」が19世紀ロンドンで実際に教示されたことは21世紀後半の現代ではよく知られている。日本作法伝言ゲーム面白意味を持つ。ハーバード大学3刀流はこの時代の「バリツなのだ


珠洲子はこうした刺客(Shikakuここでは珠洲子を追捕するために派遣されたエージェント)を2秒半ほどで退けた。刀が落ちて金属音を立てるのを尻目(Shirime)に聴きながら、珠洲子は師匠(Sishou)の事を思い出した(remember)。珠洲子の師匠の一人は陳老師(Chen-raoshi、チンさん)という名前で、昔幕府があった場所の名の付いた優秀な弟子を手掛けたことで知られる。珠洲子もそのまた優秀な弟子だ。

「教えの歴史的な古さが強さをもたらすのでない。当然新しいからと言って勝つわけではない。よかったのう!」

チンさんの教えはよく分からないこともあったけれど、この言葉は間違っていない。歴史の重みはある種、不必要だ。必要なのは揃っている道具で今考えることだ。

2時間42分後、珠洲子は岐阜県関市に到着した。明治昭和平成さらにその次と次の元号の時に行政区の変遷があり関市も随分様相を変えた。人も変わった。ここには鷲見(すみ)太郎という政治家がいる。彼女は彼に会いに来た。事前に「もう一つのネット体系」を経由し短報を送っておいた。鷲見はネットが身体を操作し始めた50年代に先鋭的に反対を唱えた男で、のち中央政界で1期務め、現在岐阜県議の職にある。珠洲子の主人は、鷲見にアポイントを取るよう手筈を整えていた。珠洲子は鷲見の邸宅に予告通り忍びこんだ。鷲見は報せを受けてから警備を敢えて「普通」にして待っていた。政治家邸宅における警備を縫うことは「普通」は不可能しかし21時4分現在書斎にいる鷲見の眼前に可愛らしい女性が難なく現れ、彼に簡単なブリーフィングを伝えていた。当然、ブリーフィングよりも忍びこんだ事実の方が、より雄弁に「もう一つのネット」の機能彼女任務とを物語っていた。


「私の反ネット勢力のツテを頼りたいのだろう」「左様です」「あまり役に立たないと思う」「何故です…」「かつてネットが身体の制御に使用されようとしたとき、多くの人が危険だと唱えた。その内に先鋭化して回線切ってネットを捨てるべきと考える者が現れた。」「…」「スイッチのようにオンとオフだけで考えてはならなかったのだ」「?」「ネットを捨てるべきと言った連中はその内コンピュータ不用と言い、テレビ暇つぶし携帯ゲーム害悪だと訴え、車も複写機も信号機も要らない、電子的なデバイスをあれこれと捨てようとした」「…」「そしてついに眼鏡がいらない、とかスリッパが要らない、もっと自然に過ごそう! とか言い始めた」「…」「そうなると火薬羅針盤もいらないし、文字もいらないし衣服もいらないし石器も言語も要らなくなる…ということに多くの人間は、どこかの段階で、気づいた」「??」「人間は道具を使う。ネットに異を唱えたはいいが、どこまで自分が道具を持ち、使っていたのか。そこに無自覚に、ネットだけをつついていたんだ」「反ネット勢力の名簿はいただけないのですか?」「勿論差し上げよう。だが今話したごときの懊悩、えっと悩みね。…悩み。道具に関する悩みを私や私と同じような人間は共有している。だから私の同胞では…ネットストップしようと考えただけの時代人間ではダメだ。おわかりいただけたかな?」「…わかりました」


鷲見の邸宅から去り、関市吾妻町の、関市が幾度も合併する前からあるホテルに赴く。「もう一つのネット」でホテルチェックインし、「もう一つのネット」で架空銀行口座から架空資金ホテルに支払う。自分の部屋でモルツビールを空けながら10時のニュースを見つつ、鷲見からもらったリスト網膜で走査する。

2缶目がもう少しで飲み干せるぐらいの時に、関係者の中に元カレMoto-kare昔の男性の交際相手)の名前を見付けた。「???

2015-02-16

ジャズで食ってる俺がジャズ聴き始めたい人にオススメするTOP 10

http://anond.hatelabo.jp/20150214223556

これ読んでちょっと偏ってるなーって思ったから書いてみた。

これからジャズ聴きたいっていう人に俺がオススメできるアーティスト10人選ぶならこんな感じ。

10マイルス・デイヴィストランペット

マイルスジャズ歴史の中心にいたことは間違いないのだが、彼のサウンドは案外ジャズ初心者にはとっつきにくい。マイルスジャズ最先端を切り開いて、偉大なフォロワーたちがそれをうまく消化&昇華してスタイルを定式化させていったのであって、そうして洗練されていったものを聞いたほうが入りやすいと思う。俺は今プロでやってるが、若いマイルスを聞いてもピンとこなかった。「マイルス理解できなきゃ本物じゃない」という雰囲気があったから、マイルス分かってるフリしてたけどな。リズムセクション凄さだけは強烈だった。さんざんジャズをやってきた今マイルスを聞いて初めて彼の音楽時代性が分かり、当時いかにインパクトがあったのか、そして彼がどれだけ偉大なバンドリーダーだったのかが分かる。まあ、こういうリストマイルスを入れるのはお決まりなので、10位に入れておく。

50年代 https://www.youtube.com/watch?v=OcIiu1kQMx0

60年代 https://www.youtube.com/watch?v=x_whk6m67VE

70年代 https://www.youtube.com/watch?v=ryiPO1jQdaw

80年代 https://www.youtube.com/watch?v=4qoNZnWcb7M

9位 セロニアス・モンクピアノ

風変わりなアーティストだが、その独特なサウンドは好きな人もいると思う。不協和音のようでもあり、全体としては調性に収まっている絶妙バランス感覚。変てこりんな曲もあれば、ものすごく美しい曲もあって、頭の中を見てみたいと思う一方、まあ感覚が爆発してるアーティストってのはこんな感じだよなとも思う。挙動不審系のパフォーマンスを見ているような面白さもあり、演技なのか本気なのか分からないところがある。モンクはそれを形のある一つのスタイルとして定義できたところがすごい。ジャズミュージシャンの間では別格扱いというか、特別地位を占めている。

https://www.youtube.com/watch?v=KshrtLXBdl8

8位 キース・ジャレットピアノ

この人はすごいよ。メロディーを紡ぎ出す感覚、その一瞬にしかまれないサウンドを追求する即興へのこだわり、小節をまたがってフレーズ自由自在に展開させるオープンタイム感、これらを曲の枠組みが明確なスタンダード曲上で展開することで分かりやすさを担保するバランス感覚、それらの全てを可能にする素晴らしいゲイリー・ピーコックベース)とジャック・ディジョネットドラム)の存在。ただ、彼のもう一つの特徴である「うめき声」には最初戸惑う人も多いと思われるので8位としてみた。ちなみに慣れるとそのうめき声が彼の粘っこい右手メロディ絶妙に絡み合って彼の音楽の一部に聞こえてくる。マイルスから天才であるってのはどんな気分だ?」とからかわれたってエピソードがある。すげーレベルの話だ。

https://www.youtube.com/watch?v=io1o1Hwpo8Y

7位 ウィントン・マルサリストランペット

ジャズエレクトリック系やフリー系に進化していった中で、「ジャズルーツであるニューオリンズ音楽に立ち返り、それをベースモダンハーモニーや複雑なポリリズムを取り入れて新たなジャンルを切り拓いた人。ジャズクラシックの両方でグラミー賞を取ったというとんでもないトランペットの名手でもある。美しい音色と安定したテクニックは卓越している。彼が確立した、「トランペットが張り詰めたソロを吹く背後でピアノドラムが複雑なポリリズムで組んずほぐれつのインタープレイを展開する」というスタイル初心者にも迫力があるはず。ちょっと難解な印象も受けるかも知れないが、その場合は彼の率いているリンカーンセンタージャズオーケストラニューオリンズ風サウンドを楽しむと良いよ。

https://www.youtube.com/watch?v=poZWg-pVboE

https://www.youtube.com/watch?v=ZBJ-MmTA-eU

6位 パット・メセニーギター

ギターが入ってねえなと思ったので、メセニーを入れておく。怒るジャズファンもいるだろう。入れるならウェス・モンゴメリーだ、ジョー・パスだ、ジム・ホールだ、と。まあ確かに、メセニーはフュージョンっぽいサウンドだし、ジャズ構成する重要な要素のうち「ビバップ」や「ブルース」があまり感じられないとも言える。しかし彼の音楽には、聞いていて映画のワンシーンあるいは夢でみたどこかの草原が思い浮かぶような、ビジュアルな美しさがある。その辺は彼の音楽を支えてきたキーボードライル・メイズ空間的サウンドによるところが大きいが、それがメセニー自身音楽観、独特なソロフレージング音色と相まって、ジャズを次のステージ進化させたクレジットはあげていいと思う。音楽理論的には結構複雑なこともやっているのだが、あまり感じさせない。特に変拍子へのアプローチは素晴らしく、「口ずさめる変拍子」「心地よい変拍子」を確立している。その辺の聞きやすさでオススメしておく。

https://www.youtube.com/watch?v=ApI-zA6suXE

https://www.youtube.com/watch?v=gDLcttSAVS0

5位 ジャコ・パストリアスベース

エレクトリックベースの弾き方に革命を起こした人。管楽器並みのソロフレージングハーモニクスを使ったカラフルコード演奏などでベース役割を大きく変えた。細かい音符を自在に刻む指弾きのグルーヴ感は圧倒的。作曲家としても素晴らしい名曲を多く残している。途中からクスリ漬けになってしまって最期悪態をついていたところを警備員に殴られて死ぬという劇的な人生だったが、ジャコ好きな人はそういう破滅的な「危ない」ところも愛していると思う。俺はそうなる前にシンガーソングライタージョニ・ミッチェルと共演している頃の演奏が一番好きだが。

https://www.youtube.com/watch?v=Hbr0hXkArWg

https://www.youtube.com/watch?v=TgntkGc5iBo

4位 カウント・ベイシーピアノ

ディーク・エリントンでもいい。ビッグバンドを一つ入れておこうと思ってな。本当はサド&メル(現在ヴァンガードジャズオーケストラ)と言いたいところだが、やっぱり若い頃にサド&メルのビッグバンドを聞いて最初はピンとこなかったから、初心者には勧めないでおこう。ベイシーとか、まあ当時のビッグバンドは、やっぱりグルーヴ感がすごい。当時のダンスミュージックからね。彼らは四六時中ああい音楽に専念できてギャラもがっぽり稼いでたから、現代の我々が付け焼刃ビッグバンドやってもそうそう敵わないのが辛い。アレンジ良し、テクニック良し、アンサンブル良し。逆にいうと、そういう時代性もあるから、少し古臭く感じるところはある。俺は好きだけどね。

https://www.youtube.com/watch?v=TYLbrZAko7E

https://www.youtube.com/watch?v=4ZLvqXFddu0

3位 ビル・エヴァンスピアノ

現代ピアノジャズのサウンドを確立したと言っていい人。彼がコードを弾くとき和音の積み上げ方はマジで音楽大学教科書に載ってるんじゃないかと思う。そういう理論の部分以外でも、彼のやや哀愁を帯びた内省的な音楽性や、ピアノベースドラム対話するように自由に展開する演奏スタイルはとても理知的面白く、それで多くのファンを惹きつけてると思う。まあ、小説とかにも登場するし、あまり多くを語る必要もない。聞け。

https://www.youtube.com/watch?v=GQwhHdXGFwA

https://www.youtube.com/watch?v=Jl5GDXb2fwQ

https://www.youtube.com/watch?v=FTlKzkdtW9I

2位 ダイアナ・クラールヴォーカルピアノ

やはりジャズに入りやすいところとして一番無難なのは女性ヴォーカルだが、問題は誰を入れるかだ。本当はカーメン・マクレエサラ・ヴォーンエラ・フィッツジェラルドといった鉄板定番を入れたい気もするが、今日現在聞くジャズヴォーカルとしては、ちょっと粋でオシャレな、それでいて正統派スウィング感をもっていて、テクニック表現力もあり、ルックスも良く、きっちりセールスも出しているダイアナ・クラールを押す。ただ、このリストの中ではやや異色と言えるかも知れないので、サラ・ヴォーンなどのリンクも貼っておこう。こう言っておきながら、俺は「ダイアナ・クラールが好き」と言うジャズファンには警戒の念を持って、本当に彼女の実力を分かっているのか、うわべだけのシャレオツさで聞いているのかを探ることにしている。

https://www.youtube.com/watch?v=dJHXQAs9vlk

https://www.youtube.com/watch?v=5cZG2WnXPgk

https://www.youtube.com/watch?v=4VHWw9G6_UU

1位 ジョン・コルトレーンサックス

現代テナーサックスのサウンドを確立した人。コードの細分化再構成、次から次へと繰り出される音の洪水が特徴の一つで、マイルスからは「お前、全部の音をいっぺんには吹けないぞ」とからかわれたとか。まあ、俺としてはそういう音の洪水の部分よりも、ややかすれたような彼のサックス音色が特徴的で、ひたすら高みを目指す修行者のような人柄を連想させて、聞く人の心に引っかかるんじゃないかと思ってる。「コードの細分化を究極まで突き詰めた先にあったのはコードの制約を取っ払うことだった」という彼のサウンドの進化悟りの境地に達した聖者を思わせるというところもある。マッコイ・タイナーピアノ)とエルヴィン・ジョーンズドラム)もコルトレーンのサウンドをともに作り出す中で新たなスタイル確立した。この全体のサウンドが俺は大好きなので1位押し。

https://www.youtube.com/watch?v=Lr1r9_9VxQA

https://www.youtube.com/watch?v=xr0Tfng9SP0

https://www.youtube.com/watch?v=YHVarQbNAwU

https://www.youtube.com/watch?v=-mZ54FJ6h-k

以上。

「あれが入ってねーぞボケ」「やり直し」コメント大歓迎。今後人にオススメする時に参考にさせてもらう。

2015-02-14

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして・続

承前

http://anond.hatelabo.jp/20150214223556

9. スティーヴ・レイシーソプラノサックス

Steve Lacy (1934-2004)

――スティーヴ・レイシー独立独歩ソプラノサックス奏者です。サックスといえばアルトテナーだった50年代からソプラノを吹いていました。

Evidence (1961) http://youtu.be/X9SBzQw2IJY?t=5m42s

( ・3・) 面白いテーマの曲だな。真面目な顔で冗談を言っているような。

――セロニアス・モンクが書いた曲です。レイシーはモンクの曲をたくさん演奏しています。一方、ハリウッドブロードウェイの曲はとりあげない。レパートリーに関しては人文系古本屋の主人みたいなところがあります

( ・3・) みすず書房とか白水社とか、そういう本ばかり並んでいるわけだ。

――白水社といえば、レイシーはサミュエルベケットと面識があって、ベケットテクストに基づいた作品も発表しています

( ・3・) 「真夜中だ。雨が窓に打ちつけている」

――「真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」――と、ベケットごっこはともかく、演奏どうでしょう

( ・3・) まっすぐな音だな。あまりヴィブラートをかけない。アタックの瞬間から音程の中心を目指している。必ずしも正確な音程というわけではないけれど。ソロのとり方としては、テーマとの関連性を保って、構成を考えながら吹いているように聴こえる。言うべきことだけを言って余計なことはしゃべらない。

――そういう点では、プレイヤー資質としてはマイルス・デイヴィスに近いのかもしれません。マイルスとも少しだけ共演したことがあるのですが、もし正式バンドに加わっていたら歴史が変わったかも。 [6]

Reincarnation of a Lovebird (1987) http://youtu.be/FbaKNB4cIlc

――こちらは後年の録音。ギル・エヴァンスという編曲仕事で有名な人がエレピを弾いています。この人も指だけ達者に動くのとは対極にいるタイプで、柔らかい音色中和されていますが、ずいぶん込み入った和声です。

( ・3・) そこらじゅうで半音がぶつかってるな。

――でも美しい。

10. ビル・エヴァンスピアノ

Bill Evans (1929-80)

――昔、レコードを扱う仕事をしていたので確信をもって言えるのですが、日本いちばん人気のあるジャズミュージシャンビル・エヴァンスです。マイルス・デイヴィスよりもリスナー裾野は広いかもしれません。

( ・3・) 俺でも『ワルツフォー・デビー』を持ってるくらいだからな。でもどうして「とりあえずエヴァンスを聴け」みたいな風潮になってるんだ?

――まず、彼がピアニストだということ。もしベース奏者だったらここまでの人気は得られません。それからロマン派印象派に慣れた耳で聴いても違和感がないこと。ジャズに関心がなくてもエヴァンス聴く、というケースは大いにありうるでしょう。最後に、みもふたもない言い方ですが、彼が白人で、細身で、眼鏡をかけていたこと。

( ・3・) 知的で繊細に見えるのな。

――知的で繊細なジャンキーでした。もっとも、最後の要素はなかったことにされがちなのですが……。

( ・3・) ダウナーな面も併せもった音楽だと。

――はいエヴァンスチェット・ベイカーに深く共感してしまう人は、モルヒネ代用として聴いているのではないかと思います。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」という有名な曲をとりあげたいのですが、エヴァンスの前に、まず歌の入ったものからフランク・シナトラヴァージョンです。

My Funny Valentine (Sinatra, 1953) http://youtu.be/z9lXbgD01e4

( ・3・) 金の力に満ちた声だな。His voice is full of money.

――マフィアを怒らせるようなことを言わないでください。折り目の正しい編曲で、ポップスとしては非の打ちどころがありません。ボブ・ディラン新譜シナトラカヴァー集らしいのですが、ディラン子供のころにラジオで流れていたのはこういう音楽です。当時のアメリカ人にとっては、ほとんど無意識に刷り込まれた声と言っていいでしょう。

My Funny Valentine (Baker, 1954) http://youtu.be/jvXywhJpOKs

( ・3・) 出た、いけすかないイケメン

――チェット・ベイカー。午前三時の音楽です。もう夜が明けることはないんじゃないかという気がしてくる。どんな曲か覚えたところで、エヴァンスを聴いてみましょう。

My Funny Valentine (Evans and Hall, 1962) http://youtu.be/ReOms_FY7EU

( ・3・) 速い。

――速い。そしてちょっと信じられないクオリティ演奏です。ジャズはいつでも誰でもこれくらいできて当然かというと、そんなことはないので安心してください

( ・3・) 別に心配はしていないが。やっぱり即興なのか?

――別のテイクではちがうことをしているので、ほとんど即興だと思います。決まっているのはコード進行だけ。

( ・3・) コード構成音をぱらぱら弾いてもこうはならんわな。自分の頭の中にあるモチーフを発展させるのと、相手の音を聴いて反応するのと――そういう意味ではチェスに似ている。

――この演奏は一対一ですからね。集中力は同じくらい必要かもしれません。しかも持ち時間ゼロという。互いに相手の出方を読んでいるうちに一種テレパシーが起こって、3分50秒あたりにはふたりの脳がつながっているような瞬間があります

( ・3・) このギターを弾いてるのは?

――ああ、忘れていました。ジム・ホール。偉大なギタリストです。悪魔に魂を売って人並み外れた演奏技術を手に入れるというブルース伝説がありますが、ジム・ホール場合は魂ではなく頭髪を犠牲しました。

( ・3・) また好き勝手な話をつくって……。

――いえ、本人がそう語っています。ジミー・ジューフリーバンドいたころ、どう演奏すればいいのか悩んで髪が薄くなったと。 [7] でも、髪なんていくらでもくれてやればいいんですよ。肉体は滅びます芸術永遠です。

( ・3・) ジミー・ジューフリーって、あのドラムのいない現代音楽みたいなジャズをやってた人か。そりゃ大変だったろうな。

おいとま

持参したCDを一通りかけて、そろそろ日が傾いてきた。彼はライナーノーツをめくりながら「はーん」「ふーん」などとつぶやいていたが、夕食の邪魔にならないうちにおいとましたほうがよさそうだ。

「もう帰るのか?」

はい。きょうはもうおしまいです」

「そうか。わざわざ悪かったな。よし、ちーちゃんお客様にご挨拶だ」

彼はそう言って猫を抱き上げたが、ちーちゃんは腕をまっすぐにつっぱって、できるだけ彼から離れたがっているようだった。

「きょう持ってきてくれたCDは、うちに置いていっていいからな」

「置いていっていい?」

だってほら、いちど聴いただけじゃよく分からんだろ。そのかわりと言ってはなんだが、シュニトケ弦楽四重奏曲集を貸してやろう。何番が優れていると思うか感想を聞かせてくれ」

それから

まだCDは返ってこない。「返してほしけりゃ取りに来い」と彼は笑うが、その目はハシビロコウのように鋭い。ただ来いというだけではなくて、また別のCDを持って来させる魂胆なのだわたしはどうすればいいのだろう? ただひとつの慰めは、彼の娘さん――父親との血のつながりが疑われるかわいらしさの娘さん――の耳に、エリック・ドルフィーオーネット・コールマンが届いているかもしれないということだ。サックスを始めた彼女の頭にたくさんのはてなが浮かばんことを。

Further listening

http://www.nicovideo.jp/mylist/34787975

[1] http://www.redbullmusicacademy.com/lectures/steve-reich-the-music-maker?template=RBMA_Lecture%2Ftranscript

[2] http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/excerpt-thelonious-monk.html

[3] http://nprmusic.tumblr.com/post/80268731045/

[4] Frederick J. Spencer. Jazz and Death: Medical Profiles of Jazz Greats. University Press of Mississippi, 2002. p. 36. "A diet of honey is not recommended for anyone, and especially not for a diabetic, or prediabetic, patient."

[5] http://www.furious.com/perfect/ericdolphy2.html "'Eric Dolphy died from an overdose of honey,' arranger/band leader Gil Evans believed. 'Everybody thinks that he died from an overdose of dope but he was on a health kick. He got instant diabetes. He didn't know he had it.'"

[6] http://www.pointofdeparture.org/archives/PoD-17/PoD17WhatsNew.html

[7] http://downbeat.com/default.asp?sect=stories&subsect=story_detail&sid=1111

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして

はじめに

わたしの職場に、自他ともに認めるクラシックマニアがいる。近・現代の作曲家は一通り聴いているというが、中でもお気に入りスクリャービンで、携帯の着信音とアラームには「神秘和音」が設定してあるくらいだ。

その彼が、最近、急にジャズに興味を持つようになった。なんでも娘さんが部活でサックスを始めたのがきっかけらしい。彼の机には娘さんの小さいころの写真が立てかけてあるが、父親と血がつながっているとは思えないかわいらしさだ。パパだってジャズくらい分かるんだぞ、ということにしたいのかもしれない。

彼はわたしジャズ・ギターを弾くことを知っている。音楽に関して(だけ)は寛容なので、各種イヴェントの際には有給を消化しても嫌な顔ひとつしない。

ある昼休みの会話

ちょっと私用なんだが」と彼は言った。「こんどの休みは空いてるか? お前の好きなジャズのCDを10枚くらい持ってきてくれ。うちのオーディオで聴こう」

「CDならお貸ししますよ」とわたしは答えた。特に予定はないが、できれば休日はゆっくり寝ていたい。

「まあそう言うなよ」と彼はつづけた。「プレゼンの訓練だと思えばいい。ジャズの聴きどころを存分に語ってくれ。昼はうなぎを食わせてやるぞ。それとも――」

「それとも?」

「もう有給は当分いらないということか?」

事の次第

こうして、わたしは休日をつぶして彼の家を訪ねることになった。どのCDを持っていくかはなかなか決められなかったが、一日でジャズの百年の歴史を追いかけるのは無理だと割り切って、わたし自身がジャズを聴き始めた高校生のころ――もう15年も前の話だ――に感銘を受けたものを選ぶことにした。マイルス・デイヴィスカインド・オブ・ブルー』、ビル・エヴァンスワルツフォー・デビー』、ジョン・コルトレーンジャイアントステップス』はもうコレクション済みだということだったので、それら以外で。

駅に到着

手土産の菓子と20枚ほどのCDを抱えて最寄駅に着くと――結局10枚には絞り込めなかった――彼の車が目に留まった。

「きょうは夕方まで家に誰もいないからな。気兼ねしなくていい」

「そうでしたか」

「いるのは猫だけだ」

「猫? 以前お邪魔したときには見かけませんでしたが」

「公園で拾ってきたんだ」

「娘さんが?」

「いや俺が。子供のころに飼っていた猫とよく似ていたものだから」

ノラ猫を拾う人間と、ショスタコーヴィチ交響曲全集を部下に聴かせて感想を求める人間が、ひとりの男の中に同居している。この世界は分からないことだらけだ。

家に到着

ちーちゃんお客様にご挨拶だ」と彼は居間の扉を開けながら言った。ちーちゃんと呼ばれた白い猫は、こちらを一瞬だけ見るとソファのかげに隠れてしまった。そそくさと。

「ご機嫌ななめだな。まあいい。そっちに掛けてくれ。座ったままでディスクを交換できるから。いまコーヒーを淹れてくる」

ようやく本題へ

――これ以降は対話形式で進めていきます。

( ・3・) さっそく始めよう。

1. マイルス・デイヴィストランペットバンドリーダー

Miles Davis (1926-91)

――マイルスについてはご存じだと思いますが、次々に作風を変化させながらジャズを牽引していった、アメリカ文化的ヒーローです。デューク・エリントンマイルスについて「ジャズピカソだ」と述べました。

( ・3・) 『カインド・オブ・ブルー』の人だな。

――はい。その作品の後に注目したいんですが、60年代の半ばに、ウェイン・ショーターというサックス奏者がマイルスバンドに加わります。この時期の録音はひときわ優れた内容で、ジャズリスナープレイヤーからはヒマラヤ山脈のように見なされています。

Prince of Darkness (1967) http://youtu.be/-wckZlb-KYY

( ・3・) ヒマラヤ山脈か。空気が薄いというか、調性の感覚が希薄だな。テーマの部分だけでも不思議なところに臨時記号フラットがついている。

――主音を軸にして、ひとつフレーズごとに旋法を変えています。コードが「進行」するというよりは、コードが「変化」するといったほうが近いかもしれません。

( ・3・) ピアノコードを弾かないから、なおさら調性が見えにくいのかもしれないな。

――はい。余計な音をそぎ落とした、ストイックな演奏です。

( ・3・) 体脂肪率ゼロ。

――マイルスバンドには一流のプレイヤーでなければ居られませんから、各々が緊張の張りつめた演奏をしています。

Nefertiti (1967) http://youtu.be/JtQLolwNByw

――これはとても有名な曲。ウェイン・ショーターの作曲です。

( ・3・) テーマで12音をぜんぶ使ってるな。

――覚めそうで覚めない夢のような旋律です。このテーマがずっと反復される。

( ・3・) それってラヴェルボレロじゃないのか?

――ボレロではスネアドラムが単一のリズムを繰り返しますが、こちらはもっと自由奔放ですよ。ドラムが主役に躍り出ます。

( ・3・) おお、加速していく。

――テンポ自体は速くなるわけではありません。ドラムは元のテンポを体で保ったまま、「そこだけ時間の流れ方がちがう」ような叩き方をしています。

( ・3・) ドラムが暴れている間も管楽器は淡々としたものだな。

――はい。超然とした態度で、高度なことを難なくやってみせるのが、このクインテットの魅力ではないかと思います。

2. ジミー・ジューフリークラリネット

Jimmy Giuffre (1921-2008)

Emphasis (1961) http://youtu.be/QRyNUxMJ18s

( ・3・) また調性があるような無いような曲を持って来よって。

――はい。この曲は基本的にはブルースだと思うのですが、テーマでは12音が使われています。ジミー・ジューフリーというクラリネット奏者のバンドです。アメリカルーツ音楽と、クラシックとの両方が背景にあって、実際に演奏するのはジャズという一風変わった人です。

( ・3・) ドラムがいないと室内楽みたいだな。

――ドラム抜きの三人のアンサンブルというアイディアは、ドビュッシーの「フルートヴィオラとハープのためのソナタ」に由来するそうです。

( ・3・) いいのかそれで。ジャズといえば「スウィングしなけりゃ意味がない」んじゃなかったのか?

――スウィングしたくない人だっているんですよ。といっても、ベースフォービートで弾いていますが。

( ・3・) これが録音されたのは……ええと、1961年か。ジャズもずいぶん進んでいたんだな。

――いえ、この人たちが異常なだけで、当時の主流というわけではありません。さっぱり売れませんでした。表現自体は抑制・洗練されていて、いかにも前衛というわけではないのに。同じ年のライヴ録音も聴いてみましょうか。

Stretching Out (1961) http://youtu.be/2bZy3amAZkE

( ・3・) おい、ピアノの中に手を突っ込んでるぞ。(3分16秒にて)

――まあ、それくらいはするでしょう。

( ・3・) おい、トーン・クラスターが出てきたぞ。(4分16秒にて)

――それでも全体としては熱くならない、ひんやりした演奏です。

3. エリック・ドルフィーアルトサックスフルート、バス・クラリネット

Eric Dolphy (1928-64)

――さて、次はエリック・ドルフィー。作曲の才能だったり、バンドを統率する才能だったり、音楽の才能にもいろいろありますが、この人はひとりの即興プレイヤーとして群を抜いていました。同じコード進行を与えられても、ほかのプレイヤーとは出てくる音の幅がちがう。さらに楽器の持ち替えもできるという万能ぶり。順番に聴いていきましょう。まずアルトサックスから。

( ・3・) おお、うちの子もアルトサックスだ。

Miss Ann (1960) http://youtu.be/7adgnSKgZ7Q

( ・3・) なんだか迷子になりそうな曲だな。

――14小節で1コーラスだと思います。きちんとしたフォームはあるのですが、ドルフィーフォームに収まらないようなフレーズの区切り方でソロをとっています。1小節ずつ意識して数えながらソロを追ってみてください。ああ、いま一巡してコーラスの最初に戻ったな、とついていけたら、耳の良さを誇ってもいいと思いますよ。

Left Alone (1960) http://youtu.be/S1JIcn5W_9o

――次はフルート

( ・3・) ソロに入ると、コード進行に対して付かず離れず、絶妙なラインを狙っていくな。鳥の鳴き声というか、メシアンの「クロウタドリ」に似ている。

――鳥の歌に合わせて練習していたといいますから、まさにメシアンです。あるいはアッシジのフランチェスコか。ほかにもヴァレーズの「密度21.5」を演奏したり、イタリアフルートの名手であるガッゼローニの名前を自作曲のタイトルにしたり、意外なところで現代音楽とのつながりがあります。

参考 Le Merle Noir (Messiaen, 1952) https://youtu.be/IhEHsGrRfyY



It’s Magic (1960) http://youtu.be/QxKVa8kTYPI

――最後にバスクラ吹奏楽バスクラ担当だったけど、主旋律で活躍する場面がなくて泣いてばかりいた方々に朗報です。

( ・3・) バスクラってジャズではよく使われるのか?

――いえ、当時、長いソロを吹いた人はあまりいませんでした。

( ・3・) バスクラ自体がめずらしいという点を措いても、独特な音色だな。

――村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にこんなくだりがあります。「死の床にあるダライ・ラマに向かって、エリック・ドルフィーがバス・クラリネットの音色の変化によって、自動車エンジン・オイルの選択の重要性を説いている……」

( ・3・) どういう意味?

――楽器の音が肉声のようにきこえる。でも何をしゃべっているのかはよく分からないという意味だと思います。あと、ミニマリズム作曲家スティーヴ・ライヒバスクラを効果的に使いますが……

( ・3・) 「18人の音楽家のための音楽」とか、「ニューヨークカウンターポイント」とか。

――はい。彼はドルフィーの演奏を聴いてバスクラに開眼したと語っています。 [1]

( ・3・) ジャズ現代音楽との相互作用だな。

4. オーネット・コールマンアルトサックス

Ornette Coleman (1930-)

――真打登場です。サックス奏者のオーネット・コールマン50年代の末に現れて、前衛ジャズの象徴的な存在になった人です。といっても、難しい音楽ではありません。子供が笑いだすような音楽です。ちょっと変化球で、70年代の録音から聴いてみましょう。

Theme from Captain Black (1978) http://youtu.be/0P39dklV76o

――ギターのリフで始まります。

( ・3・) あれ、ベースおかしなことやってるな。キーがずれていくぞ。

――はい、各パートが同時に異なるキーで演奏してもいいというアイディアです。イントロのギターが床に立っている状態だとすると、ベースは重力を無視して、ふらふらと壁や天井を歩きだす。

( ・3・) 複調を即興でやるのか?

――どのていど即興なのかはわかりません。コンサートに行ったことがあるのですが、譜面を立てて演奏していましたよ。でも、別にダリウス・ミヨーに作曲を教わったというわけではなくて、アイディアを得たきっかけは些細なことだったんじゃないでしょうか。たとえばサックスが移調楽器であることを知らなかったとか。「なんかずれてるな、でもまあいいか」みたいな。

( ・3・) それはいくらなんでも。もし本当だったら天才だな。

Peace (1959) http://youtu.be/bJULMOw69EI

――これは初期の歴史的名盤から。当時、レナード・バーンスタインオーネットを絶賛して、自分がいちばんでなければ気のすまないマイルス・デイヴィスがたいそう機嫌を損ねました。

( ・3・) さっきのに比べると普通にきこえるが……

――1分40秒あたりからサックスのソロが始まります。集中してください。

( ・3・) (4分12秒にて)ん? いま、俺の辞書には載っていないことが起きた気がするな。

――ここはいつ聴いても笑ってしまいます。そのタイミングで転調するのか、脈絡なさすぎだろうって。ソロをとりながら、いつでも自分の好きな調に転調していいというアイディアです。

( ・3・) 言うは易しだが、真似できそうにはないな。

――どの調に跳んだら気持ちよく響くか、という個人的な経験則はあるはずです。突飛な転調でも、「これでいいのだ」といわれれば、たしかにその通り、すばらしい歌ですと認めざるを得ません。

昼食のため小休止

――お昼はうなぎだと聞いておりましたが。

( ・3・) そのつもりだったんだが、いつの間にか値段が高騰していてな。「梅」のうなぎよりも、うまい天ぷら蕎麦のほうがいいじゃないか。

5. セシル・テイラーピアノ

Cecil Taylor (1929-)

――この人も、オーネット・コールマンと同じくらい重要なミュージシャンです。テキサス出身のオーネットに対して、セシル・テイラーニューヨーク出身。都市と芸術の世界の住人です。ピアノを弾くだけではなくて、舞踊や詩の朗読もします。これは1973年に来日したときの録音。

Cecil Taylor Solo (1973) http://youtu.be/X7evuMwqjQQ

( ・3・) バルトークシュトックハウゼンの楽譜を細かく切って、よくかき混ぜて、コンタスキーが弾きましたという感じだな。70年代にはずいぶん手ごわいジャズも出てきたんだ。

――いえ、テイラー50年代から活動しています。チャック・ベリーやリトル・リチャードと同じ世代。この人が異常なだけで、当時の主流ではありませんが。さっきも似たようなことを言いましたね。

( ・3・) このスタイルでよく続けてこられたな。

――継続は力なり。2013年には京都賞を受賞して、東京でもコンサートがありました。

( ・3・) どうだった?

――会場で野菜を売っていたので、買って切って食った。

( ・3・) ちょっと意味が分からんな。

――文字通りの意味なのですが、それについては別の機会にしましょう。演奏の話に戻ると、混沌と一定の秩序とがせめぎあって、台風のさなかに家を建てている大工のような趣があります。「壊す人」というよりは「組み立てる人」です。また、あるフレーズを弾いて、復唱するようにもういちど同じフレーズを弾く箇所が多いのも特徴です。

( ・3・) いちどしか起こらないことは偶然に過ぎないが、もういちど起こるなら、そこには何らかの構造が見えてくるということか。

参考 Klavierstücke (Stockhausen, rec. 1965) http://youtu.be/mmimSOOry7s



6. デレク・ベイリー(ギター)

Derek Bailey (1930-2005)

――きょう紹介するのは北米の人ばかりなのですが、デレク・ベイリーは唯一の例外で、イギリス人です。さっそく聴いてみましょう。これも日本に来たときの録音。

New Sights, Old Sounds (1978) http://youtu.be/nQEGQT5VPFE

( ・3・) とりつくしまがない……。

――そうですか? クラシック好きな方には思い当たる文脈があるはずですが。

( ・3・) 無調で点描的なところはヴェーベルン。でも対位法的に作曲されたものではないみたいだ。あと、初期の電子音楽ミルトン・バビットとか……。

――模範解答です。

( ・3・) でも即興でヴェーベルンをやるというのは正気の沙汰とは思えんな

――即興の12音技法ではありません。それは千年後の人類に任せましょう。ベイリーがやっているのは、調性的な旋律や和音を避けながら演奏することです。最初に聴いたマイルス・デイヴィスも緊張の張りつめた音楽でしたが、こちらも負けず劣らずです。文法に則った言葉を発してはいけないわけですから。

( ・3・) 「どてどてとてたてててたてた/たてとて/てれてれたとことこと/ららんぴぴぴぴ ぴ/とつてんととのぷ/ん/んんんん ん」

――ちょっと意味が分かりませんが。

( ・3・) 尾形亀之助の詩だ。お前も少しは本を読んだらどうだ。それはともかく、こういう人が観念的な作曲に向かわずに、即興の道に進んだのは不思議な気がするな。

――いちプレイヤーとして生涯を全うしたというのは重要で、ベイリーの音楽はベイリーの体から切り離せないと思います。彼の遺作は、病気で手が動かなくなってからのリハビリを記録したものでした。

( ・3・) プレイヤーとしての凄みが音楽の凄みに直結しているということか?

――はい。技術的にも高い水準のギタリストでした。無駄な動きのない、きれいなフォームで弾いています。気が向いたら動画を探してみてください。

( ・3・) まあ、ギター弾きのお前がそう言うなら上手いんだろうな。

――楽器の経験の有無で受け止め方は変わってくるかもしれません。ジャズ一般について言えることですが、鑑賞者としてではなく、その演奏に参加するような気持ちで聴くと楽しみも増すと思いますよ。

ベイリー即興演奏(動画) http://youtu.be/H5EMuO5P174

参考 Ensembles for Synthesizer (Babbitt, 1964) http://youtu.be/W5n1pZn4izI



7. セロニアス・モンクピアノ

Thelonious Monk (1917-82)

――セロニアス・モンクは、存在自体が貴重なピアニストです。生まれてきてくれてありがとう、とお母さんみたいなことを言いたくなる。

( ・3・) 初めて聴く者にとっては何のこっちゃの説明だな。

――とてもユニークスタイルで、代わりになる人が思いつかない、くらいの意味です。まあ聴いてみましょう。

Everything Happens to Me (Monk, 1959) http://youtu.be/YW4gTg3MrrQ

( ・3・) これは彼の代表曲

――いえ、そういうわけではありません。モンクの場合、どの演奏にも見逃しようのない「モンクの署名」が刻まれているようなものなので、わたしの好きな曲を選びました。有名なスタンダードです。最初に歌ったのは若いころのフランク・シナトラ

Everything Happens to Me (Sinatra, 1941) http://youtu.be/ZWw-b6peFAU

――1941年の録音ですが、信じがたい音質の良さ。さすがスター。さすが大資本。これがヒットして、多くのジャズミュージシャンレパートリーになりました。ちなみに曲名は「僕には悪いことばかり降りかかる」というニュアンスです。恋人に手紙を送ったらさよならの返事が返ってきた。しかも郵便料金はこちらもちで、みたいな。もうひとつだけ聴いてみましょう。

Everything Happens to Me (Baker, 1955) http://youtu.be/UI61fb4C9Sw

( ・3・) このいけすかないイケメンは?

――チェット・ベイカー50年代西海岸を代表するジャンキーです。シナトラに比べると、ショウビズっぽさがなくなって、一気に退廃の世界に引きずりこまれる。で、モンクの話に戻りますが――

( ・3・) ショウビズではないし、退廃でもない。

――もっと抽象的な次元で音楽を考えている人だと思います。

( ・3・) 素材はポピュラー・チューンなのに、ずいぶん鋭い和音が出てくるな。

――調性の枠内で本来なら聴こえないはずの音が聴こえてくると、デレク・ベイリーのような無重力の音楽とはまた別種の怖さがあります。幻聴の怖さとでもいうべきか。さいごにぽつんと置かれる減5度の音には、「聴いてはいけないものを聴いてしまった」という感じがよく出ています。

( ・3・) 減5度はジャズでは珍しくないんじゃないのか?

――はい。でも、その音をどう響かせるか、その音にどういう意味を持たせるかというのは全く別の問題です。そういう音の配置に関してモンクは天才的でした。

( ・3・) カキーン、コキーンと石に楔を打ちこむようなタッチで、ピアノの先生が卒倒しそうだが。

――意図的に選択されたスタイルだと思います。プライヴェートではショパンを弾いたりもしていたそうですよ。 [2]

( ・3・) 見かけによらないものだな。

――小さいころから必死に練習すれば、いつかはマウリツィオ・ポリーニの水準に達するかもしれません。しかし、ピアニストとしてモンクを超えるというのは、端的に不可能です。それがどういう事態を意味するのか想像できませんから。

( ・3・) 四角い三角形を想像できないように、か。

ちーちゃんトイレ掃除のため小休止


8. アンドリュー・ヒル(ピアノ

Andrew Hill (1931-2007)

――アンドリュー・ヒルは作曲・編曲に秀でたピアニストです。『ポイント・オブ・ディパーチャー』というアルバムが有名ですが、録音から半世紀を経たいまでも新鮮にきこえます。ペンギンブックスのジャズガイド(なぜか翻訳されない)では、初版からずっと王冠の印が与えられていました。

( ・3・) 英語圏では別格扱いということか。

――ヒルは若いころ、ヒンデミットの下で学んだという話もあるのですが……

( ・3・) ヒンデミットアメリカに亡命していたからな。

――誇張も混ざっているかもしれません。ヒルの経歴は、生年や出身地も事実とは異なる情報が流れていたので。

Refuge (1964) http://youtu.be/zquk2Tb-D6I

( ・3・) 何かひっかかるような弾き方のピアノだな。

――ヒルには吃音がありました。 [3] 言いたいことの手前でつっかえて、解決を先延ばしにするような演奏は、しばしばそのことに結びつけられます。

( ・3・) 否定神学ジャズだな。

――ヒテーシンガク?

( ・3・) ほら、メルヴィルの『モービー・ディック』で、神秘的な白鯨の本質については語れないから、迂回してクジラにまつわる雑学的な記述が延々とつづくだろ?

――どうでしょうアナロジーとしては分からなくもないですが。

( ・3・) 形而下の世界に戻るか。あれ、このサックス奏者、さっきも出てきたんじゃないか? (2分58秒にて)

――エリック・ドルフィー共演者共演者を辿っていくと、きょう紹介する人たちはみんなつながっています。

( ・3・) デレク・ベイリーも?

――はい。セシル・テイラーと共演していますし、この次に紹介する人ともアルバムを出しています。

( ・3・) なんだかドルフィーに耳を持っていかれてしまうな。

――圧倒的です。ねずみ花火のような軌道と瞬発力。数か月後に死ぬ人間の演奏とは思えません。

( ・3・) すぐ死んでしまうん?

――はい。ドラッグでもアルコールでもなく、ハチミツオーバードーズで。正式な診断ではありませんが、糖尿病だったといいます。 [4][5]

( ・3・) ハチミツって、くまのプーさんみたいなやつだな。――ん? いまミスしなかったか? (6分36秒にて)

――ドルフィーアンサンブルの入るところを間違えています。

( ・3・) やり直しになるんじゃないの?

――ジャズは減点方式ではなく加点方式ですから。ミスがあっても、総合的にはこのテイクが最良という判断だと思います。

続く

http://anond.hatelabo.jp/20150214224440

2015-01-17

あるあるシークエンス  ガンマンの決闘 タイプ (ネタバレあり)

http://anond.hatelabo.jp/20150117153405

次元大介の墓標 の再訂正を兼ねて

ガンマンの決闘

 クライマックスで向かい合う主人公と敵役。

 ほとんど同時に銃を抜く二人。

 主人公が血を流し、膝をつく。勝ち誇る敵役。ヒロインの悲嘆。

 。。。

 ほどなく敵役が崩れ落ち、主人公警句じみたセリフを喋ったり、生きていることが明らかになる。

あるある

 クライマックスにおける主人公偽装された死と復活の一種の典型である

余談

 余談だが、チャンバラ時代劇で侍や忍者同士の決闘でこれと同様のシークエンスがみられるのは

 1940-50年代西部劇の影響ではないかと思う。

 次元大介の墓標 

 前述の「偽装された死」を書いていたときイメージしていたのはダークナイトノーラン2作目)のアレっぽいアレによる偽装だったが、

 アレはクライマックスではなかったので、増田日記の流れ上はまちがっていた。

 この作品偽装された死(に近い最大のピンチ)はやはりクライマックスにあった。

 実は生きていた次元大介と凄腕暗殺者対峙

 怪我をおった状態の次元次元の銃が重く抜き打ち勝負にはむかないかという情報視聴者提示される。

 凄腕暗殺者の銃がいかに有利かという情報提示される。

 (略)勝利する次元大介(ここネタバレ

 直前の要人狙撃シーンからこの間のHOWはやや複雑だが、説明付き準奇跡として視聴者を満足させるものとなっていたと思う。

 荒野はつらいよアリゾナより愛をこめて~

 2014の西部劇コメディ。2014なのでジャンルメタ化した作品であることが宿命づけられている。

 クライマックスはひ弱で射撃の上手くない主人公対リーアムニーソン演ずる凄腕悪者ガンマンである

 前半に「三つ数えたら撃つ、と言っておきながら待たずに撃つリーアムニーソン。なんて卑怯悪者」という伏線がある。

 その情報ヒロインからこっそり教えてもらった主人公も「三つ数える前に撃つ」作戦に出る。

 しかし、真似された悪漢リーアムニーソンは発砲された直後から激怒である

 だまし討ちにかけていたであろう主人公にこの後打つ手はない。ヒロインもまとめてひどい目にあうだろう。

 最大のピンチ!と視聴者が思う。

 だが…(

 ここで奇跡がおき、主人公は死なず、理由が説明される。>フィナーレへ

 銃撃による死の偽装

 銃撃による死の偽装はなかなか難しいように思える。

とにかく

 とにかく生きていたんだよ!(仮面ライダーS)方式昭和も終わって、なかなか通用しないだろう。

 (え? ガーディアンブギャラクシー?)

 だが、銃撃に限らず(ザ・松田男塾)とにかく生きていたんだ、が巷間に跋扈しているおかげで、前述の

 綾波の偽りの死に見えて偽装でなかったという妙なミスリーディングが成立したといえる。

ジッポあるある

 胸ポケットのジッポのライター保安官バッジが、銃弾を受けとめたから…撃たれて死んだように見えたが死んでいなかった。

 というのも、説明付き奇跡の例ではあるが、今ではギャグしか存在を許されないだろう。 



 

 

2014-10-18

日本格差の特徴および生活保護バッシングが止まらない理由について

戦前に拡大していた経済格差敗戦直後にインフラ破壊によって縮小要するにみんな貧乏という状態

50年代経済復興にともない格差が拡大

60年代高度経済成長の中で徐々に縮小、

70年代に入ると格差の指標は全て最小となり「一億総中流」時代が始まる

が、

80年代に入ってほぼ全体的に格差は小さい中、所得格差を示すジニ係数が上昇傾向に転じ、格差拡大へと進み始める。

90年代バブルが弾けると、格差に関するほぼ全ての指標が上昇傾向

2000年代所得格差戦前の水準へと突入するだけでなく様々な格差固定化していく傾向。




日本における格差の特徴は世代間格差と、正規労働者非正規労働者の間の格差の2つ。つまり資本家階級労働者階級の差ではなく、労働者階級内部での格差が大きい。

非正規労働者は著しく、収入が低いため、結婚出産という家族形成再生産が困難であるという点から労働者階級の最下層であるというにとどまらず、伝統的な意味での「労働者階級」以下の存在と言える

日本は一時期「ニート」が問題とされていたが、実際に起きているのは「アンダークラス」の増大である。つまり生活保護を受けるのと、労働することでほとんど給料が変わらず、労働をがんばっても結婚出世など未来希望が持てない状況である労働者階級以下」の状態で労働継続している人たちだ。 これらはい生活保護に転落してもおかしくなく、社会福祉に対する潜在的脅威になっている。

生活保護バッシングは、資本家階級新自由主義者ではなく、むしろアンダークラス」に隣接している労働者階級によって行われている。

理由は3つある。

まず彼らにとって、増大するアンダークラス層が生活保護状態に落ちることは自らの負担が増えることにつながるからだ。たとえ厳しい労働環境だろうが、とりあえず働いて納税し、自分たち負担を減らしてほしい。

もう一つは、やましさからである。望んでそうしているわけではないが、構造としては正規労働者非正規雇用労働者から搾取しているという構造になっており、彼らの苦境を認めると、決して楽でない自分たちがより多くを負担することを余儀なくされる。自らの身を守るためにも「働かないあいつらはけしからん」と言い切るしかない。

正規雇用労働者以上の階級収入が微減で止まっているのは、非正規雇用を大幅に拡大し、かつ彼らの収入を「健康で文化的な最低限度の生活」が不可能な水準である貧困線以下まで大きく抑えた結果である。言いかえると、望むと望まざるとに関らず正規雇用者地位非正規雇用者を「搾取」した結果として維持されている

最後に、成果主義能力主義メリトクラシー幻想という社会ぐるみ正当化が行われていることも大きい。「学生時代からがんばっていい大学に入り、就職活動をがんばらねば食っていけない」と教育されるということは、「食っていけない奴は自業自得であり、私たちが身銭を切って助ける義務はない」という意識が強化されている。実際正規雇用労働者は、なんだかんだいって努力して就職活動を乗り越えているケースが多く、そういう人からすると「諸事情によって働けない人」は、単に努力不足で同情に値しない存在に見えてしまうようだ。

しかし実際のデータでは、学費等の値上がりにより階級固定化が急速に進んでおり、特に貧困層が己の努力だけでは能力主義社会エントリーすることすら困難になりつつある状況であり、こうした理屈正当性を欠いている。


だが、今は「総中流社会」や、その残滓としての「働かざる者は社会の一員にあらず」幻想崩壊の最終段階であり、今までの常識が最も揺さぶられている状況であるが故に、

常識にしがみつきたがる、今までのレールが存在していると信じたがっている人たちによって、生活保護バッシングという魔女狩りは今後も加熱していくことになると思われる。



以上Kousyoublogを読んだ感想

2014-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20140826222756

さらに遡ると、1890~の小説否定も挙げられる。

問題」視されたのは、50年代は主に暴力表現で、80年代は成人表現

2010年代も成人表現だと思われがちだが、よく調べると「画風」が槍玉に上げられていることが分かる。

から二次絵は性的表現でなくて~」では、対応にならない上に成人漫画界を敵に回すし、ゾーニングで切り抜けられるというのも若干的外れだ。

これに似た事態は120年前の小説否定と見るのが近いであろう。

1890年代を調べると、「小説という安易表現が普及することにより、漢文への興味が薄れる」ことを懸念したもののようだ。

2010年代二次元規制論は、この120年ぶりに起こった「媒体」や「内容」ではなく「表現哲学」の復興運動への反動かもしれない。

2014-02-06

ラノベ読書に入りますか?


子どものころから読書は好きだ。
決して人より読書量が多いとは言えないが、自分なりに読書の楽しみ方を体得はしてると思ってる。
現在好んで読むのは1920年代50年代位のアメリカ文学日本文学が中心、ミステリSFはいまいち不得手。
で、ラノベである
ラノベなんて読書といえない」のだろうか? それはどこまで真なのだろう?

なんでこんな事を聞くのかというと、子どもの頃の自分にとって、ライトノベル普通小説の差はなかったよな、と思うからだ。
現状のラノベ自分はよく知らない。
自分の知っているラノベは、小学生から中学生のころに読んでいたスレイヤーズくらいなものである

スレイヤーズの新刊が出たらそれを読み、リナが食べる宿屋ごはんの描写がおいしそうだとうっとりし、戦いの描写を頭で一生懸命思い描き、ほの暗い世界観が解き明かされるのに心を躍らせる。
読み終わったら図書館に行ってライ麦畑でつかまえてを借り、「苔の生えたような歯」の同室者に怖気をふるい、くるくるまわるフィービーの真っ青なコートを瞼の裏に描き、子ども時代が失われゆく感傷に、少し背伸びして浸ったりする。

少なくとも、本を読む楽しみにおいて、そこに差異はなかった。
から、今「ラノベ読書と呼ぶなんて」と盛大に眉を顰める人に出会うと、「別にいいんじゃないの?」と疑問を抱かざるを得ない。
それともラノベはそこまで変質したのだろうか?

「いい年してラノベなんて…」って年齢的な要素はなくもないんだろうが、「若い人に照準を合わせた本」を大人が読んではいけない法はないだろうと。
自分がこの歳になってもサリンジャーサガンを愛読してるのだって人によっちゃあ恥ずかしい奴! ってなるだろうしな。
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん