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はてなキーワード: 近現代史とは

2022-04-16

本当にロシアけが悪いのか?

凡人はみんな内心トロッコ問題のどちらかが悪いかを感じてるんだ,5人を犠牲にする方だと

ロシア兵は一般人も殺していると言われているが兵士でもないウクライナ人ロシア人を殺している.

ロシア兵は残虐だなんだと言われているが,もし命に重さも軽さもないのだとしたら1つの命を落としたことに変わりはない.

幼い子供を持つウクライナ兵やウクライナの子供が亡くなったという御涙頂戴な話もあるが,ロシア兵にも当然のように家族がいる.

ロシア情報規制されているというが,私たちが今入ってくる情報ロシアに敵意が向くようになっている.

そもそも戦下において残虐になるのは当たり前のことで,理性なんて猿にとってつけたブリキのようものはすぐに剥がれ落ちるのである

徴兵をしていない日本人はそういったことの想像もできず,世界平和という最もらしい大義名分を背負って近現代史や背景も知らずに口を揃えて軽々しくセンソウハンタイと叫ぶ.

ネットでは両国関係下品に例えたものがわかりやすい・腑に落ちたと持て囃される.

キエフキーウ,チェルノブイリをチョルノービリと言い換えることに何の意味があるのか誰も理解していない.

なぜロシア世界を敵に回しているか,それは相対的に多くの命を落としたからで,そこで天秤をかけた時に5人のいる方へレバーを倒したロシアが悪いということになっているだけなのだ.そう報道した方が大衆扇動やすく金にもなる.

ただ問題はそこではなく,本質は別のところにある.短絡的な内容で煽られ感情的になるより先に,我々が目を逸らしてきたことに向き合わなければならないことは多いだろう.

2022-03-19

ゼレンスキー日本向け演説で何を言うか予測

実現してから後で見るように記録

https://twitter.com/kanenooto7248/status/1504054547786137603

「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」あたりを引用してくるのではないだろうか。

ttps://twitter.com/ahoaho1313/status/1504787311317303298

”「上手いこと言うも日本ならでは感が無く肩透かし」と予想”

ttps://twitter.com/DJ_AsadaAkira/status/1504094775858790403

”「諦めたらそこで試合終了ですよ」しかなくね?”

tps://twitter.com/nekonoizumi/status/1504093106848772096

”「みなさん、プーチンに対しては月にかわってお仕置きをしなければなりません。」”

ttps://twitter.com/daisycutter7/status/1504468965656915968

北方領土くやしいだろ

2・原爆を落とされ怖かったはずだ。俺たちの気持ちもわかって

3・ガダルカナルで飢えた日本兵、今我々も物資が足りないんだ!

4・お前らドイツと一緒でダメな奴らだ

5・月に代わっておしおきよ!”

ttps://twitter.com/igpman/status/1504470214850740227

”・シベリア抑留、あれキエフ復興にも役に立ったわ。あんがとな。”

ttps://twitter.com/LFNiso699/status/1504483330771013635

日露戦争で予想に反して日本勝ったよね。それは日英同盟とか他の国から支援があったからよね?

わかってるよね?”

ttps://twitter.com/F_no_kami/status/1504417794653270018

演説させてもらうと言っても批判するところは批判するようだから日本でも何か批判されるかもしれない。みずほ銀行とか。”

ttps://twitter.com/Tz_akgt/status/1504430921684242434

”「金融制裁いかに強力な武器になるかは、みずほ銀行営業を許されている日本の皆さんはご存知でしょう」”

ttps://twitter.com/JosephFouche521/status/1504435574652178434

”「私も大統領就任してからクリミア問題についてロシア交渉を重ねてきましたが、結果はこの戦争です。プーチンと同じ未来を見るのは不可能なのです」くらいのことは言いそう”

ttps://twitter.com/kaolu4s/status/1504288556767883267

日本近現代史に、世界に誇れる正義の戦いの神話がないことを雄弁に示しておりますね。”

番外

https://twitter.com/OKB1917/status/1504954261490507776

”みんなが「ゼレンスキー日本に向けた演説では何を言うのだろうか。ヨーロッパ向けみたいに修辞を駆使しすぎると滑るぞ…」とか心配してるとき全裸で出てきたら本当に「わかってる」となると思う”

2022-03-07

いい悪いは別にして、2020年から数年の近現代史ってメチャクチャ面白いかもな

コロナトンガの海底火山ロシア戦争とか、こんなにもどでかい規模の事件がここまで起こってるの普通に凄いよね

香港弾圧されるしイギリスEU離脱するしさ

2021-12-05

anond:20211205213621

https://www.youtube.com/watch?v=l14nOnFz9iU

上皇上皇后両陛下御大婚の御盛義の奉祝曲として奉製された品のある曲であると思い新たに致します。

今上天皇陛下の御即位御列の儀の秋空晴れやかに渡るあの日。御道筋で奉奏されておりましたのを記憶しております


https://movie.netabare-kousatsu.com/%E3%80%90%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%80%91%E7%AA%81%E7%84%B6%E7%99%BA%E8%A1%A8-2021%E5%B9%B409%E6%9C%8827%E6%97%A5/

2021年 9月 29日

返信 引用

こんなのは幾ら釈明しようが、KK側の身内の不審死

KKが皇室ごとに関わるなら当然ここの親族も連なる

そして一連の事件に関わった佳代ババもやってくるから

皇室尊厳保持には多大な毀損を生じる。

どんな事をKKが言おうと、もはや許されないレベル

そのあとも労災保険不正受給(佳代ババ)や

一時金恫喝(佳代ババ)内定時報道において海外では

彼は(KK)韓国人であるとも流れている(香港)。

渡米した時の皇室利用。経歴疑惑(KK)。

これで内親王殿下との結婚が許されるか。

これらの事が重なり納菜の儀や告期の儀宮中三殿天皇皇后

陛下への奉告がされないとあればこの結婚は許さないと

理解できる。これで皇籍離脱無効

結婚の強行も無効

背景が背景だけにNHKは慎重な姿勢を採るべきだが

一種政治思惑を押し付け強制結婚マスコミ

やらせる事をどう理解するか。

かつて弓削道鏡皇位簒奪せんとした非望を令和の御代に

実現しようとでもいうのか。

KKのこれまでの経緯からするとまさに危険人物といえる。

皇室をして地獄通一丁目にたたきこむようなものではないか

今回のKKの件は、小室道鏡皇位簒奪(さんだつ)と

もとれる。

許されてはならない。

以上



https://www.awinsider.com/watch?id=YXdWaWRZWGRXYVdSeFlVeFRhRXMwUzFoS01HRjNWbWxr

魂を喚び起こす 素晴らしき歌 何度聴いても 何度歌っても 本当に素晴らしい


https://kzsection.info/green/d-b-n-y-ng-f-bi-osaipan-d-o-y-su-noizu-ch-q-b-n/3H93gLBudJiWaoE.html

敵に蹂躙させまいと 忠魂あらん限り出された御英霊の 敢闘は敵の肝を寒からしめたのみならず 今もなお現地民の慰霊は途絶えることが ありません。 香取の鎮もる御社も 再建されております


https://kzfaq.info/get/shokorasan-w-n-j-gaarunara-s-etekudasai/rcqGe5SXrN_cdYE.html

韓国から言いがかり吹っかけられた 東京オリンピック日本選手の方のツイート侮辱してたのが例のショコラですね。 名前ショコラと仲のよい第三者が証して いるのに、個人情報保護違反と喚きたてる ショコラ矛盾押し付けひどすぎ。

裁判ショコラ請求棄却とならねば 日本司法は終わりです。 へんてこな判決訴訟指揮をやらかす これが日本裁判官かと疑いたく なるやつが大阪にいます


https://kzpost.info/ex/iJSa1bNxmolmas0/t-di-n-y-ng-xi-ngari-zh-ti-n-h-ng-t-iga-ji-oeru-j-ng-gu-sh-n-sh-y-u-ji-gu-n-orugan-b-n-sh-ng-t-hu

ここは近代日本の真の歴史を学べるところ。 一日だけでは足りないくらいです。

地方公共団体がやる「平和」記念事業なぞ見れたものではない。 予算の使い切りと切り逃げするつもりか。 奴らの言うところの「平和」とは戦前日本冒涜することと 言わんばかりの悪辣さで、教育委員会が仕切っているようであります。 萬世太平ために勲功ままに記されているのが靖國神社、各護國神社ですし 御祭神の遺された遺産も敗れたりといえども大東亜各地でも受け継がれているところも少なくない。インドネシア台湾軍隊日本帝國陸海軍の 典範の系統いわゆる血を繋いでいる。  国賊的な反日プロパになっている地方行政がやる平和記念事業、あれは なんだ? 反日自己批判ごっこは「ふざけるな!」と言わねばなりません。 住民血税湯水のごとく使って、何様か!!? 毎年8月が近くなると恒例の反日展示。悪辣自虐教科書を叩き落とすべく偽装平和事業に歯止めをかけてやりましょう。 遊就館こそ日本の鑑で萬世太平すなはち平和の鑑です。

零戦のように帝国陸軍の最新鋭の隼が あがっていないのは寂しいし残念です。 大東亜パレンバン降下を成功に導いたのも  この隼でありました。 確か六十四戦隊でしたか。 隼だけで占められていたのは。  大日本帝国世界人類に貢献した勲功を 識ることができるのも 遊就館ですね。

嘉永六年以降、欧米列強支配されることな神代よりのすめろぎしろめしたまひし日の本の國を保たれますところ、國安かれ民安かれとの大御心まにまに、寄せくる仇波を鎮め来る人の勲あらばこそです。 思いも今更ながら語り継がれるべきこと実感いたします。  当時の日本列強政治的思惑のもと厳しい国際環境を耐え抜き また労るべきを労り、歩んだ歴史でもあります遊就館兵器類は多いです。そこでもまた、技術改良がどの点なされたか なんとしても父祖よりの國、保たすべき意気も伝わってきます竹田先生のもと、しっかり学校では学べないことを吸収してあげてください。


抗日華僑原住民への圧迫を長年やらかしていた。 そればかりか英国の下で巨万の富をえていたとも。 必然的に、抗日活動便衣兵ゲリラを鎮めるのは 軍政の1歩。 こちらも南京同様、不自然さもかなりある。加えて数字暴走連合軍裁判判決の出鱈目さを禁じ得ない。 あんたの方は連合軍リンチ理由書におもねている。その延長線で 言ってる事、まるで戦勝国亡霊の広告宣伝塔並み。 敗戦利得者の共産党空気入れられたか知りませんが、 戦勝国におもねだる醜さは例えようもないくらい醜いですね。 敗戦症候群から一日もはやく開放されますこと、ご祈念申し上げます


シンガポール世界三大要塞の一つ(マルタ真珠湾)に加えて英国の分割支配華僑というスパイが群れをなしてやがった。つまり便衣兵がいたと言うわけだ。ところがシンガポールを陥落させたときインド兵が次々投降藤原岩市によって自由印度政府ができる。ちょうどビルマ作戦ラングーンへ進撃。5月には同地を占領。 後のインパールもそこで構想があったといって良いところ。 チャンドラボースは描いていたと思われる。 英国東洋侵略の牙城が有色民族の手に落ちているか英国傲慢不遜を砕かれたと思いこんだ英国復讐プロパガンダで 仕組まれたことを挙げねばならない。 となると、終戦日本軍への処刑国際法にてらしても違法不当であるといえる。 チャンギ収容所であったこと、まさにプロパガンダまるだし。 翻って、我が軍は 國の為 仇なす敵は 砕くとも  慈しむるの ことな忘れそ 畏くも明治天皇の御製である皇軍の御戦に住民虐待捕虜虐待なぞありえん。 脈々と御製の大御心が嗣がれている。 でなければその翌年に早くも大亜細亜サミットといえる 大東亜会議が行われようはずもない。 歴史精華を果たした大日本帝國陸海軍には大英帝国にとっては 怨み骨髄の的であったことが歴史的推移からみてとれる。  律儀に国際法を遵守していた日本軍は砕くべき敵を捕虜として丁寧に 扱いすぎたかな。


敢闘精神には感服致します。 米軍戦争責任問われてしかるべき。 それ以上に世界人類を悩ませ圧殺し 今の支那にも見れるように超戦犯國はソ連でありまして これを援助した国際金融資本ロックフェラー中国毛沢東 各国の共産党政治思想宣伝による政府転覆を計っていました。 翻り、日本にもアカと言われる連中が取り巻いていました。 これらはソビエト指導のもと、各国の共産党員と一緒に国家弱体化 政府転覆非合法テロを敢えてしておりました。 現在日本共産党は罪科罪業を覆い隠し、福祉云々といった主張を しておりますが、アカい毛布に本音を隠し国内錯乱にせっせと いそしんでいることは今更言うまでもありません。 透明行政看板に挙げ、実態行政密室共産党サヨクそして劣化パヨク闘争抗争に明け暮れた奴らの元祖 共産党こそ最大の戦争犯罪人政治責任を問われねばならない 連中であります。 やつらの政治生命を止めない限りは 日本明日はありません。


京都なら御所そして平安神宮奈良はさきに参らねばならないところ、 橿原神宮。 そして東京皇居明治神宮靖國神社訪問ではなく学徒としてお祓いを受け参拝する事。 これであって修学旅行。 更に伊勢。昔から伊勢修学旅行として神宮参拝。 学校教育では歴史共にある日本の民として敬神を教えられねば なりますまい。


かつて大阪にも国防記念館があったそうな。 大阪城のほうだったか郷土の誉れの武勲耀く護国神社が こうした記念館を小さいながらでも保たれてをられるのは 幸いであます。 五十二社のうち数社ではございます遊就館共に日本近現代史のみならず、絶ゆることな日本歴史が連綿と伝わっていることを実感できる。 マスコミたちと行政日本の将来を意識したとき 現状の連合軍史観プロパガンダで靖國神社護國神社忘却の彼方に押し追る敗戦利得者の意向を真に受けた偏向的態度を 改めるべきであリます



https://kzhead.info/sun/p7tthZmjsHSDo30/t-bi-y-ng-xi-ng-ru-zh-mo-zh-ranaidehasumasarenai-hu-ng-w-i-j-ch-ng-w-n-t-orugan-b-n-sh-ng-t-hu.html

直系長子継承議論NHKが「紀子さま妊娠6週」をスクープして、つぶれたのですよね。紀子さま妊娠検査薬で陽性になり、愛育病院から先生に7日の午前中にきてもらい、その情報NHKがつかみ宮内庁確認して、妊娠6週を速報で流したんですよね。NHKの早業はすごいですね。どうやって情報を掴んだのでしょうか?NHKスクープの力は、すごいですね。

いや!それは違う!!! 媛みかどは確かにおられたが男系で保たれた 古よりの國體権威泉源を保たれたままに わしは申し上げてるんです!!! 皇嗣秋篠宮皇太弟殿下悠仁親王殿下もいらっしゃる。 なにゆえ正田、川嶋、小和田と出てくるか!? 旧皇族方の御子孫もおられる。なぜそちらに お戻り願わないか。これまた理解に苦しむ。 皇男系あられればこそ皇威挽回なるのであります連合軍によって臣籍降下余儀なくされた御方々、皇室の 向こうべきところは誰よりよく御存知でいらっしゃる

私もそう思います愛子殿下旧皇族の人とお見合いしていいと思う方がいられたら結婚していただきたいです。旧皇族の方なら結婚しても金銭面でも苦労することがないと思うからです。愛子殿下幸せになってもらいたいので💕

韓国内は自国矛盾反日転嫁する事多々あり。 反日封じの為には、親日韓国人への人権侵害をも訴えること。 これを明るみにしなければ日本国内左翼分子の跳梁は止まりません。 マスコミ共は韓国内のこうした矛盾報道しないですから反日パヨマスコミによる知る権利妨害として、 NHKなどに反撃の必要があります。  いけすかない左翼共のドグマ人権云々、奴らこそ 反憲、反人権、不平等差別。これらの固まりといえます典型例;原水協と対極的に立つ広島被爆者の子孫への迫害こちらはもう少し聞いとけばよかったと後悔してますね。

2021-10-03

anond:20211003202133

近現代史教科書の終盤に書いてあるだけで

授業ではやらなかったとのこと

2021-08-28

anond:20210828174632

軍隊派遣して外交官を守ることが前提とか、漫画みたいな世界観のやつがいくらでもいるんだな。

やっぱり近現代史をろくに教えない教育は間違っているのか。

2021-05-28

anond:20210528113520

ちゃん相談するようなら安心。一応学校との連携大事からね……

自分高校の時は反抗期みたいな感じで科目選んだりしてたか気持ちはわかるけど、周りからサポート受けられる科目を選ぶのはある程度大事だと思う。もちろん本人のモチベが高い科目を選ぶのはもっと大事だけどね。ただそれは一時的モチベじゃなかったら、の話になるかな。

近現代史かー……。世界史の中ではそこまで比重が大きくないのは留意近代はわりと出るけど現代はかなりスルーされがちなので気を付けて。あんまりアドバンテージにはならないかも。

あとは教科書もいいけど「神余のパノラマ世界史」はかなりオススメなので併せて読んでみてほしい。

増田増田のお子さんの幸運を祈る。

anond:20210528110353

賭けですか・・・そうですよね・・・

近々三者面談があるので先生にはそこで相談するつもりです。

世界史AとBとで範囲が違うのは承知しています歴史好きは恐らくHoIの影響が大きいと思います近現代史特に好きなので。

世界史Bは範囲がまんべんなくなりますから、確かに少し気がかりですね。

とりあえず世界史Bの教科書を買って見てもらって改めてどうするか聞いてみたいと思います

2021-02-13

anond:20210212204335

消えてしまったが、これを必死ネトウヨ戯言と叩いているのが涙ぐましかった。

おそらく増田個人についてはフィクションだろうが、中国市場に関しては、全く増田の言う通りだよ。

中共ナチスより厄介なのはここだ。

14億の市場商売させてやんねーぞ、は人口3億の米国が同じことをやるより遥かに効く。

これは、中国自由市場に参加していればこそだ。

共産党独裁国家ジェノサイド隠蔽のために、自由貿易を逆手に取るといった妙手に、どの国も対処に手を焼くことになっている。

ちなみに日本保守政権米国どころではなく、この点完全にヘタレているのだが。

先のプレジデント記事では、中国の「暗い近代史観」に触れられていたが、アヘン戦争このかた中国市場の抗いがたい魅力がその近現代史の背景にあった。確か清朝時代で3億くらいではなかったか

その意味では中国市場出遅れ米国こそそれに最も自覚的であったはずで、日本満州国市場開放について米国に更なる便宜をはかっていれば、その成立を認めることもやぶさかではなかっただろう。実際GMGEといった民間企業満州国活動をしていた。

その後の、日本華北侵略南方進出といった愚策によりそれどころではなくなっていくが、

大日本帝国評価としては今後、米国疲弊させ国共内戦に介入する体力を奪ったことで、結果的中華人民共和国の成立を手助けしたという辺りに落ち着くのではないか

2020-12-20

パンデミック前イジめられてた奴ら

人間が憎いか

というのは冗談で、コロナのおかげで学校行かなくなって良かったと思ってるいじめられっ子のみんな。

はてな界隈にはちびっ子なんていないか…)

良かったね。

これでもう鬱陶しい人間関係ともおさらばだよ。

無意味学校行事やクソみたいな学校規則に頭を悩ます事もなくなったよ。

何ら興味の無い科目の授業中にモニター越しにゲームしたり薄い本読んでてもバレなくなったよ。

逆に興味のある事を好きなだけ学べるようになったよ。ゲームを作ったり、プログラミングをしてみたり。

普段お世話になってるママンのためにお料理勉強だっていいんじゃないかな。

近現代史を一切教えようとしないクソみたいな世界史の授業よりはるか有意義だよ。

ソーシャルディスタンスのおかげで声のデカスクールカースト上位ゴリラドッヂボール中剛速球を顔面に喰らう事もなくなったよ。

イジメゼロを目指すが故に、臭いものには蓋をするようなクソ教師毎日顔を合わせる事がなくなったよ。

みんなコロナ毎日まらないとか言ってるけど、おじさんはこの時代学生生活送りたかったよ。

2020-12-12

anond:20201212161720

そもそもウイグル問題って近現代史超えた範囲からなあ

もちろん中共宗教を嫌ってるというのはあるけど、そもそもウイグル人は漢民族から見れば匈奴突厥・回紇等々として侵略してきた部族なわけで敵意がないわけがないのよ。だから平気でジェノサイドする

ウイグルとしても同じで清朝(は漢民族ではないけど)以後は中国支配下にあって鬱屈してきた人たちだからこれもまた反感がないわけがないのよね、だからイスラム教からとか関係なく潜在的反乱分子として粛清されるわけ

2020-09-08

秋田県出身者が総理大臣になること

今回の総裁選では菅さん勝利ほぼほぼ確定しているけど、皆菅さん総理大臣になることの大きな意味をまだわかっていない。

菅さん秋田県雄勝郡雄勝町まれである

雄勝郡とは秋田県南側奥羽山脈のふもとに広がっている農村地帯であり、まあ一言で言えば陸の孤島である

鉄道ファンにとっては、山形新幹線新庄秋田新幹線大曲の間に取り残された在来線区間沿い、と言えば分かりやすいだろうか。

日本近現代史を調べてみると、秋田県という場所は常に貧乏クジを引かされ続けてきた経緯がある。

戊辰戦争時には新政府に寝返ったにもかかわらず、明治時代以降は太平洋側の宮城岩手と比べて冷遇され続けた。

そして未だに仙台から裏切り者」呼ばわりされている。

国道4号線や東北自動車道JR東北本線東北新幹線は全部、福島宮城岩手太平洋側を通っていて、秋田山形は「裏東北」として無視され続けてきた。

つの間にか秋田県自殺者数日本ワースト高齢化日本ワーストネットでも秋田人の陰湿さは常に批判され続けている。

同じ東北地方なのに、仙台駅前の大都会風景と比べると、秋田駅前はシャッター商店街になっているんだよね。

このように衰退一直線の秋田県だけど、ここにきてまさか秋田県出身者の総理大臣誕生である

東北地方出身者の総理大臣は今まで2名いたけど、どちらも岩手出身者だった。

原敬平民宰相と呼ばれ、鈴木善幸東北地方のインフラ整備に尽力したが、菅さんはどんな実績を残すのだろうか。

はっきり言って、今回の菅さんは本当に幸運だったと思う。

岸田さんでは選挙の顔になれないし、石破さんはチー牛顔で総理に向いてないし、敵失の面もあるが菅さんにとっては7年間頑張って来たおかげで「東北地方の日本海側」初の首相になれることを喜びたい。

2020-07-02

日本近現代史を知ることができる本

高校では2年から世界史選択し、日本史はせいぜい鎌倉時代あたりまでしかやらなくて、中学では時間が無くて昭和史は一切触れなかった。おかげで日本近現代史に関する知識ほとんどない。まぁ江戸時代知識だって大してないんだけど。ただ最近政治的な話に関心を寄せることが多くなってきてそのあたりの知識をとりあえず一通り攫っておきたいのだが、いい本はないだろうか。あまり高くないと助かる

2020-04-17

anond:20200417083625

近現代史ウヨサヨ双方めんどくさい陣取り合戦に巻き込まれるのが嫌だからじゃないかと思ってる。

anond:20200417082401

いや、いま現在でさえ、

学校近現代史は授業で時間なくって

スルーされてるから・・・

(『ええーっ?!ニホンってアメリカと戦ってたの?!』やぞ)

2020-01-27

anond:20200127070012

ワイが習ったくらいだからだいぶ昔だぞ

近現代史さらっと流すからテストに出なくて記憶にないだけだと思うで

2019-09-20

近現代史なんていらない

同じ時代を生きているのにその時の認識100%ひっくり返ってる人間がいる

何故そうなったのか分からないけど、確実にいる

その認識の違いで争ったりしてる

その歴史は双方政治にまみれてて、とてもじゃないけど事実を得るのは雲をつかむようなもの

正直めんどくさい

火種しかならないんだから、もう近現代史なんて放ってて良いんじゃないか

過去史も同様

100年だか200年だか、今を生きる人たちの政治に誑かされなくなった頃、未来人達適当に確定してくれるだろう

それで良いんじゃないか

あるんだかないんだかも分からないような話で、現代を生きてる人間が争ってるのが本当にアホらしい

聖徳太子はいなくなった

ティラノサウルスは羽毛に覆われた

歴史なんて、観測出来ない限りひっくり返り続ける不安定学問だし、それでお前の方が悪いと争ってるのは、呆れるほど不毛

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2018-12-18

anond:20181218170117

暗記物は頭のリソースを使うから逐次休憩しながらじゃないと頭はいらんよ。

ちょっと疲れたなと思ったら、深呼吸と、頭のほうに行く脈動に意識を集中して。

それとは別に歴史は「流れ」を頭に入れるのが大事だ。だから、全20巻ぐらいの日本の歴史みたいなのはやっぱりいい。

それとはまた別に歴史面白さなんだけど、歴史上の人物というのも所詮人間なので、人間としての弱さ、強さをもとに行動している。それを翻して、今自分の行動を治すのが必要

ま、今生きてるやつがいてうるさい分野はうるさい奴に引っかき回されるから、初級者の教訓になるのは19世紀以前だな。

ある程度教訓としての歴史の学び方を学んだあとは近現代史のほうに行ってもいいけど、ある程度うるさい奴がいないやつで学ぶ前に近現代史に行っちゃうと、ネットで真実ネトウヨ君や中韓謝罪左翼になったりとろくなものが生まれないし。

一昔前、近現代史は授業で全然やらん!という批判があったりするが、ネトウヨ左翼でうるさい連中を見ると、高校以下の授業で飛ばすのは正解だったのかもねぇと最近思うようになった。

2018-12-01

西郷菊次郎に関する新研究

佐野静代「西郷菊次郎の来歴に関する再検討 : 横浜米国台湾京都 」(『人文学』202号、2018年11月)

以下のURLに全文ファイルあり

https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/26402/?lang=0&mode=1&opkey=R154355153624094&idx=6&chk_schema=10000&cate_schema=10000

西郷菊次郎に関する史料の発掘と基礎的な分析を行い、その前半生における経歴の空白部分の解明を試みた。特に海外所蔵の新史料検討により、横浜居留地での生活実態や、ジョンズ・ホプキンス大学での留学時代恋愛、新納家との養子縁組台湾淡水・基隆での近代水道事業実施など、これまで知られていなかった彼の来歴の一端をうかがうことができた。さらに、京都市長時代邸宅が、聖護院門跡内の「北殿」であったことを史料から裏付けた。 】

人文地理学や地誌学で業績ある同志社大学佐野静代教授による新報告。

西郷菊次郎に関する新資料や知見を分析されている。

新渡戸稲造西郷菊次郎との関係など、今まで知られていなかった事実史料から明らかにされている。

昨今、大河ドラマ西郷どん」でも、西郷菊次郎は注目の的である

西郷菊次郎の子ども時代は、注目の役者今井悠貴が演じ、またナレーション西田敏行市長時代の菊次郎を演じる演出でも話題になった。

今までその来歴の詳細が不明な部分の多かった西郷菊次郎であるが、この研究西郷菊次郎について知る第一歩となるだろう。

近現代史明治維新西郷隆盛について興味がある皆様には必読であると思われる。

2018-09-26

日本人破滅はすべて「ちゃんと謝れない」に集約されるのではないか

 子どものころ大人から叱られたときにいつも思うのは、


申し訳ないな」、「自分が悪かったな」


 ではなかった。


「めんどくさいな」、「いやだな」、「理不尽だな」、「早く終わらないかな」


 だった。


 怒られている最中、泣きもした。泣くのは罪悪感の表明ではなかった。

 むしろ相手に罪悪感をなすりつけ、叱られを早めに打ち切るためのテクニックであり、

 効果の如何にかかわらずよく使った。頭ではっきりそこまで打算してはいなかったが、意識化ではぬけめなく計算していたはずだ。

 ずるかった。ずるい子どもだった。でも当時はずるいのは高所大所から反撃の余地なく子どもを詰められる大人のほうだと感じていた。


 今となってはもはや怒りを買った理由も忘れてしまったけれど、

 現在の己をかんがみるに、最低でも九割くらいは自分に非があったのではないかと思う。



 そんなこんなで、大人になった。大人になって、何年かたった。

 上は政治家から下は会社の同僚に至るまで、やらかし事例をそれなりに見聞きした。日本近現代史特に旧日本軍の「失敗」をつまみ読んだりもした。

 それでなんとなく感得したことがある。


 日本人はちゃんと謝らない。

 謝っているときも謝っていない。

 謝り方を知らない。


 ネットとかでよく見かける文言だ。ネットでよく見かける主語の大きい言葉うそだったり不正確だったりするものが大半だけれど、これに関してだけは肌で真実だとわかる。なぜなら自分もそうだから。おそらく、人生を通じて本当に心底相手に対してお詫び申し上げたことがないから。謝るにしろ謝らないにしろ、我が身のかわいさしか考えたことがないから。


 

 日本人は、という主語を使いたい。

 日本人は、謝れないとして、責任を取りたがらないとして、なぜそうなのか。


 あらゆる面倒ごとを「天災」として捉えているからだ。

 因果律直視しないせいだからだ。


 人災には因果があり、理由がある、ということをしんじ認識できていない。

 百万歩ゆずって因果があったとしても、それは前世の業めいたもので、自分の手では届かないどうしようもないことであり、どうしようもなかったのだから、私個人は悪くない。そういう責任逃れの前提があらかじめ内面化されている。


 私は関係ない。

 私は意図していない。


 機序は知らないがその面倒ごととしての「結果」は私とは関係ないところで発生した災害なのだから、私を怒らないでくれ、叱らないでくれ。


 そういう意識がある。

 そういう意識が怒られの前触れを察知したときに怒られ者にどういう感情を引き起こすか。


「めんどくさい」だ。


 自分には関係からめんどくさく感じる。理不尽に思う。

 だから避けようとするし、早く打ち切ろうとする。それが空虚謝罪姑息謝罪逃れにつながる。

 そうすることで失敗を原因を直視しないままうやむやに過ぎ、次なる大災害の種を育んでしまう。人災だったもの天災に変えてしまう。

 第二次世界大戦敗戦とはまさにそれだった。

 福島原発事故もまさにそれだった。


 

 新潮45の件もそれなんだろうな、と思う。

 最悪なのは、謝られる側も「ちゃんと謝れなさ」に最適化されてしまっている風土だ。

 原因やプロセスに向き合わないままうやむやに終わらせることに慣れてしまっている。

 口では「原因究明を」「まだ終わっていない」「説明責任」などと欧米から輸入したような言葉を吐くが、結局一歩も進めず忘れてしまう。

 ちゃんと謝れないでいい空気を保存しておいたほうが後々自分も謝る立場になったときに都合がいいのだ。

 そうやって多分、日本人はこれからも同じ小規模な失敗を積み重ねていき、いくらか貯まったところで大惨事を引き起こすのだろう。

 そういうことをえんえんと繰り返すのだろう。

 僕が言いたかったのは永遠。 

 

2018-09-21

anond:20180920162622

あ、でも20年以上前少しだけ面識あったウヨ1970年生)は大学院出てたな

ただし理系近現代史切り貼り知識っぽかった

タイミングが違えばオウム信者になってたタイプの人じゃないかな…。自分の母校の高校OBオウム信者選挙出た人がいたと当時の担任先生からいたことがある。

賢い生徒で東大理Ⅰ狙ってたけど浪人して、浪人して、連絡が途絶えてその後どうしたかな…と思ってたらある日地元から立候補してたって。

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