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はてなキーワード: 近現代史とは

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2018-12-18

anond:20181218170117

暗記物は頭のリソースを使うから逐次休憩しながらじゃないと頭はいらんよ。

ちょっと疲れたなと思ったら、深呼吸と、頭のほうに行く脈動に意識を集中して。

それとは別に歴史は「流れ」を頭に入れるのが大事だ。だから、全20巻ぐらいの日本の歴史みたいなのはやっぱりいい。

それとはまた別に歴史面白さなんだけど、歴史上の人物というのも所詮人間なので、人間としての弱さ、強さをもとに行動している。それを翻して、今自分の行動を治すのが必要

ま、今生きてるやつがいてうるさい分野はうるさい奴に引っかき回されるから、初級者の教訓になるのは19世紀以前だな。

ある程度教訓としての歴史の学び方を学んだあとは近現代史のほうに行ってもいいけど、ある程度うるさい奴がいないやつで学ぶ前に近現代史に行っちゃうと、ネットで真実ネトウヨ君や中韓謝罪左翼になったりとろくなものが生まれないし。

一昔前、近現代史は授業で全然やらん!という批判があったりするが、ネトウヨ左翼でうるさい連中を見ると、高校以下の授業で飛ばすのは正解だったのかもねぇと最近思うようになった。

2018-12-01

西郷菊次郎に関する新研究

佐野静代「西郷菊次郎の来歴に関する再検討 : 横浜米国台湾京都 」(『人文学』202号、2018年11月)

以下のURLに全文ファイルあり

https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/26402/?lang=0&mode=1&opkey=R154355153624094&idx=6&chk_schema=10000&cate_schema=10000

西郷菊次郎に関する史料の発掘と基礎的な分析を行い、その前半生における経歴の空白部分の解明を試みた。特に海外所蔵の新史料検討により、横浜居留地での生活実態や、ジョンズ・ホプキンス大学での留学時代恋愛、新納家との養子縁組台湾淡水・基隆での近代水道事業実施など、これまで知られていなかった彼の来歴の一端をうかがうことができた。さらに、京都市長時代邸宅が、聖護院門跡内の「北殿」であったことを史料から裏付けた。 】

人文地理学や地誌学で業績ある同志社大学佐野静代教授による新報告。

西郷菊次郎に関する新資料や知見を分析されている。

新渡戸稲造西郷菊次郎との関係など、今まで知られていなかった事実史料から明らかにされている。

昨今、大河ドラマ西郷どん」でも、西郷菊次郎は注目の的である

西郷菊次郎の子ども時代は、注目の役者今井悠貴が演じ、またナレーション西田敏行市長時代の菊次郎を演じる演出でも話題になった。

今までその来歴の詳細が不明な部分の多かった西郷菊次郎であるが、この研究西郷菊次郎について知る第一歩となるだろう。

近現代史明治維新西郷隆盛について興味がある皆様には必読であると思われる。

2018-09-26

日本人破滅はすべて「ちゃんと謝れない」に集約されるのではないか

 子どものころ大人から叱られたときにいつも思うのは、


申し訳ないな」、「自分が悪かったな」


 ではなかった。


「めんどくさいな」、「いやだな」、「理不尽だな」、「早く終わらないかな」


 だった。


 怒られている最中、泣きもした。泣くのは罪悪感の表明ではなかった。

 むしろ相手に罪悪感をなすりつけ、叱られを早めに打ち切るためのテクニックであり、

 効果の如何にかかわらずよく使った。頭ではっきりそこまで打算してはいなかったが、意識化ではぬけめなく計算していたはずだ。

 ずるかった。ずるい子どもだった。でも当時はずるいのは高所大所から反撃の余地なく子どもを詰められる大人のほうだと感じていた。


 今となってはもはや怒りを買った理由も忘れてしまったけれど、

 現在の己をかんがみるに、最低でも九割くらいは自分に非があったのではないかと思う。



 そんなこんなで、大人になった。大人になって、何年かたった。

 上は政治家から下は会社の同僚に至るまで、やらかし事例をそれなりに見聞きした。日本近現代史特に旧日本軍の「失敗」をつまみ読んだりもした。

 それでなんとなく感得したことがある。


 日本人はちゃんと謝らない。

 謝っているときも謝っていない。

 謝り方を知らない。


 ネットとかでよく見かける文言だ。ネットでよく見かける主語の大きい言葉うそだったり不正確だったりするものが大半だけれど、これに関してだけは肌で真実だとわかる。なぜなら自分もそうだから。おそらく、人生を通じて本当に心底相手に対してお詫び申し上げたことがないから。謝るにしろ謝らないにしろ、我が身のかわいさしか考えたことがないから。


 

 日本人は、という主語を使いたい。

 日本人は、謝れないとして、責任を取りたがらないとして、なぜそうなのか。


 あらゆる面倒ごとを「天災」として捉えているからだ。

 因果律直視しないせいだからだ。


 人災には因果があり、理由がある、ということをしんじ認識できていない。

 百万歩ゆずって因果があったとしても、それは前世の業めいたもので、自分の手では届かないどうしようもないことであり、どうしようもなかったのだから、私個人は悪くない。そういう責任逃れの前提があらかじめ内面化されている。


 私は関係ない。

 私は意図していない。


 機序は知らないがその面倒ごととしての「結果」は私とは関係ないところで発生した災害なのだから、私を怒らないでくれ、叱らないでくれ。


 そういう意識がある。

 そういう意識が怒られの前触れを察知したときに怒られ者にどういう感情を引き起こすか。


「めんどくさい」だ。


 自分には関係からめんどくさく感じる。理不尽に思う。

 だから避けようとするし、早く打ち切ろうとする。それが空虚謝罪姑息謝罪逃れにつながる。

 そうすることで失敗を原因を直視しないままうやむやに過ぎ、次なる大災害の種を育んでしまう。人災だったもの天災に変えてしまう。

 第二次世界大戦敗戦とはまさにそれだった。

 福島原発事故もまさにそれだった。


 

 新潮45の件もそれなんだろうな、と思う。

 最悪なのは、謝られる側も「ちゃんと謝れなさ」に最適化されてしまっている風土だ。

 原因やプロセスに向き合わないままうやむやに終わらせることに慣れてしまっている。

 口では「原因究明を」「まだ終わっていない」「説明責任」などと欧米から輸入したような言葉を吐くが、結局一歩も進めず忘れてしまう。

 ちゃんと謝れないでいい空気を保存しておいたほうが後々自分も謝る立場になったときに都合がいいのだ。

 そうやって多分、日本人はこれからも同じ小規模な失敗を積み重ねていき、いくらか貯まったところで大惨事を引き起こすのだろう。

 そういうことをえんえんと繰り返すのだろう。

 僕が言いたかったのは永遠。 

 

2018-09-21

anond:20180920162622

あ、でも20年以上前少しだけ面識あったウヨ1970年生)は大学院出てたな

ただし理系近現代史切り貼り知識っぽかった

タイミングが違えばオウム信者になってたタイプの人じゃないかな…。自分の母校の高校OBオウム信者選挙出た人がいたと当時の担任先生からいたことがある。

賢い生徒で東大理Ⅰ狙ってたけど浪人して、浪人して、連絡が途絶えてその後どうしたかな…と思ってたらある日地元から立候補してたって。

2018-09-20

anond:20180920113731

>中高リベラル風土進学校大学就職先も割と自由度高いところ

超絶うらやましいなあ

俺なんか1970年まれ地方在住オタ友達高卒)2人がウヨ

関東近県在住の友人(1965年生)は奥さんウヨ

東京在住の友人で俺より学歴の高い奴はウヨ化してない

やっぱ偏差値階層問題なのか……orz

あ、でも20年以上前少しだけ面識あったウヨ1970年生)は大学院出てたな

ただし理系近現代史切り貼り知識っぽかった

2018-03-12

歴史学において最も重要なのは近現代史

しかし授業で最も駆け足になりろくずっぽ理解されないのもまた近現代史平安時代とかヘンリー八世の浮気事情時間かけすぎやねん

2017-12-30

anond:20171230133443

逆に、近現代史のどんなところが面白いと感じるのか、聞いてみたいな

自分はどうもそこらが苦手なので楽しむツボが知りたい

2017-09-29

博多高校の内尾実副校長は29日のJ-CASTニュース取材に対し、問題動画28日夕の1年生クラスの「日本史B」の授業中に撮影されたものだと説明暴行を受けたのは23歳の新任教師だという。

詳しいトラブルの経緯については、次のように説明した。

まず、問題の生徒が授業中にタブレット端末で動画を見ていたことを、教師が「授業に集中しなさい」などと何度か注意した。それでも生徒は動画を見ることを止めなかったため、教師が授業中にタブレットを取り上げた。これに生徒が激高し、動画のような暴行を振るったという。

なお、内田副校長によれば、暴行を受けた教師本人の意向もあり、警察被害届は出さず、学校側で問題の生徒を指導することに決めた。教師に大きなけがはなかったが、

 日本史Aでは、大体どの時代勉強すると思いますが、教科書構成上「近現代史」に特化した取扱になっています。また、日本史Bでは、古代からスタートするので日本史Aの教科書より内容的に若干難しい内容も取り扱います

http://news.livedoor.com/article/detail/13680681/

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1480381.html

これは半分古事記日本書紀が悪い

2017-09-23

70年代日本って本当に日本なの?

wikipediaで調べ物をしてるうちに何故か70年代事件のページに迷い込んでしまい、幾つか読んでしまったんだけど怖すぎる。

あさま山荘とかよど号ぐらいは知ってたけど、中隊規模の武装テロ集団機動隊がぶつかり合ったり爆破したりって西部警察じゃねーんだぞ。

朝霞自衛官殺害事件(1971)

幹部自衛官制服着ただけで侵入されたのもアホかと思うが、そもそも自衛官を襲って武器を奪うって発想がヤバい

連続企業爆破事件(1974)

神社本庁爆破事件(1977)

三菱三井帝人鹿島といった企業を爆破とかこれ本当にドラマじゃないの?と思ったが神社本庁まで標的とか本気すぎでしょ。

八鹿高校事件(1974)

政治的には社会党共産党対立があるようだけど、むしろ怖いのはこれだけの大事件を警察は見て見ぬ振り、マスコミは(すぐに)報じず。闇が深すぎる。

東京高裁長官乱入事件(1974)

東京高裁判事襲撃事件(1976)

いずれも狭山事件絡み。気に入らない判決が出たら襲撃って法治国家を何だと思ってるんだ。

東峰十字路事件(1971)

芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件(1977)

成田空港管制塔占拠事件(1978)

成田関係東峰十字路事件とか完全に戦争だし、派出所襲撃とか文字通りテロだし、管制塔占拠とかなろう小説じゃねーんだぞ。



こんなのが終戦直後のドサクサでもなく、当時産まれた人がまだ生きてるぐらいに近い時代出来事って信じられる?

毎年のようにこんな事件が当たり前のように起きてたらそりゃ感覚は鈍ると思うが、当時の人はよく明日死ぬ不安を抱かずにいられたな。

こういうの、ちゃんと教科書に書いて近現代史として教えなきゃ駄目じゃないの?

右とか左とか興味なかったけど右傾化してるって言ってる人達が正しいのはよく分かった。

左寄り過ぎてこんな世紀末な状況なら、せめて中央寄りにしなきゃダメでしょ。

2017-09-16

おそ松さんクラスタ間での検索よけについて。 (自己保存用)

追記:Twitterでの話です。色々な人を混乱させて申し訳ない。


結論から述べる。四男の検索よけに「市松」を使うのはやめてくれ!!!頼む!!

もう、おそ松さん流行りだしてからずっと我慢してきたが、言わせてもらう。勘弁してくれ!

私は歴史が好きだ。それはもう幼稚園児の頃に歴史にハマり、今では近現代史を中心に学んでいる大学生である。それぐらいに歴史が好きだ。その中でもハマったのが、戦国時代福島正則という人物である。功績や人物像は本件とは関係ないので置いておくが、福島正則の幼名は「市松」である

そして私は、おそ松さん及びBLが大の苦手であるおそ松さん自体には悪いことはないので私怨だ。これは申し訳ない。ただ苦手なだけである。ただ、「市松」と検索かけてBLツイートが引っかかるのは我慢ならない。BLパンピの目に入らないのが前提だと思う。好きなものを調べて、ファンアートの域を大幅に超えたものが飛び込んでくる現状には誠に遺憾である。なにより、私が今まで積み上げてきた福島正則、「市松」像にヒビが入った。

検索よけの精神は大切だと思う。思うが、自己グループ内でのモラルを守る反面、無関係な人が巻き込まれているのはどうだろうか。検索よけをしたがために、無関係な人が迷惑している。私だけだとは思うけど。私怨なのは承知している。でも、もっと他の検索よけの仕方はなかったのだろうか。私はおそ松さんのことをよく知らないが、四男でもよかったじゃないか普通に壱松とかにしてほしかった(壱松ってワード既存場合はすいません)。何故、わざわざ「市松」とか凝った検索よけにしたんだ。今回はおそ松さんを取り上げたが、結構検索よけって無関係な人を巻き込んでるよ。

ここまで言うと、「まーた歴史クラスタが喚いてるよ」となるかもしれないけど、これは私1人の意見である。おまけにほぼ私怨みたいなものだ。歴史クラスタ関係ない。戦国クラスタ福島正則クラスタ関係ない。私個人が抱えている大問題だ。「これだから歴史クラスタは…」ってなることだけは避けたい。それこそ無関係な人を巻き込んでしまう。

話を戻すが、腐女子の方の文化というより、検索よけの時に、誤変換をして発言するという文化があるのは知ってる。ただやり方を考えてほしい。「市松」は福島正則の幼名だけじゃない。市松模様、市松人形、割と使われている。これらを検索する人は、大体がおそ松さんとは関係ない。

おそ松さんクラスタの中でも、「市松」って検索よけの仕方はダメなのでは?と言っている人も何人か見かけた。ありがたいことだ。甘えていいならもっともっと言ってほしい。

Twitterは鍵垢しか持っていないので、匿名ブログになるが、二期が始まる前になんとかしてほしいのが本音だ。

私は純粋に、「市松」と検索かけたら、福島正則関連のツイートが見れる平穏生活に戻りたい。

偉大なる元増田様 https://anond.hatelabo.jp/20170914234459

魚拓 http://archive.is/fIl5Q

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170807020413

「三回殺してもあきたりない」と言われるほど財務省に恨まれている江田憲司の本を読んでみるとざっくりわかるよ。

江田憲司,2012,『財務省マインドコントロール幻冬舎https://www.amazon.co.jp/dp/4344021584

江田の本は若干漫画的で財務官僚を分かりやす悪者化しているので、そうではなくもう少し穏当な論調のものの方がよいならこっちをおすすめするよ。

倉山満,2012,『検証 財務省近現代史 政治との闘い150年を読む』光文社https://www.amazon.co.jp/dp/4334036740

2017-07-28

ちょっと思い出した

お亡くなりになった元自衛官今井雅之さん脚本のthe Winds of Godっていう舞台高校演劇教室であって見たのだけど(演じていたのがどこの劇団なのか調べてなかったし、数年後同じ舞台を見た時に内容がちょっと変わっていた)、

結構うちの高校の人たち感動してて(他の学校高校生に聞いたらそうでもなかったって言ってた)、

自分もめちゃくちゃ感動(複雑な感情を呼び起こされた)して、

いやー良かった、って一番お世話になってた世界史先生に軽く言ったんだけど、

ちょっと微妙な顔しててあれあれって思ったのよ。

その後だったと思うんだけど、経緯はよくわからないのだけど、小林よしのり戦争論が教室内で流行って、勧められたんだけど、

自分はどんなもんかと思ってちょっと読んでぎょっとした。

最初の数ページ読んでこれはやめた方がいいって思ってすぐ閉じた。

世界史先生微妙な顔をしていたのはどういう理由からなんだろうとも思った。

その後大学歴史学を学ぶことになったのだけど、

お国のためにって言う人(学生)なんかとも出会ったりして、

うーん、教師政治的中立性とか言わないで、最初から自分にはバイアスがあるって表明した状態で、授業した方がいいんじゃないかと思った。

あと、戦争の話をマンガで知るのはストレートに入ってきすぎるし、疑問を差し挟む暇がないし、インパクト強すぎると個人的には思っているが。

無意識な部分に入り込むし。

少なくとも、戦争には色んな局面があるし、一冊の本で十把一絡げにして語るのは難しい。

関係者がいなくなることで語りやすくなる部分もあるのかもしれないけど、

関係者がいなくなる前に語るべきことはたくさんあるとも思う。

高校までの歴史学って倫理学が絡む部分があって、大学でやる歴史学とは全然違うよ、とは言っとく。

過去の教訓とかそういうのを歴史学でやるは高校までな感じ。あれは歴史研究ではないと思う。研究動機にはなり得るが。

日本高校までの歴史教育は長らく国内国民被害に終始していたし、市民視点(主に被害)が大きかったと思う。

海外被害日本軍の話(攻め受け)はあまりやんなかった。

あくま市民の悲しみ悲惨さがメイン。

そのことが日本人のいい人感を生み出すという功を奏した部分があったという印象を受ける。

なので、近現代史拡充が日本の人の精神性をどう変えるかちょっと気になっている。

人口減少と国家存在希薄化はどういう形で起こるかとか。

頻繁に海外を行き来する国家という単位についての感覚は違うなって。

でもネットでよくわからない情報を元に勝手思考形成されるよりはいいかなと。

現実的には、恨みを継承させてもしょうがないし、どこかで許し合うポイント必要だとは思うけどね。

個人的考えだし、感情論に基づく。

2017-01-23

政治近現代史なんか興味持っても何も得しないし無駄

幸せになれないしストレスためるだけ

ネットに何か政治的なこと書き込んでも反論がきたりイライラするだけ

今まで全て自公以外に投票したけど何も変わらなかった

一票の格差+小選挙区制死票 がひたすら虚しい

もう選挙なんか二度といかない

自分趣味に熱中した方が生きるのが楽

歴史に関しても

昔オメグルって一対一のチャット中国の人と当たってどこの国か聞かれて答えたらいきなり「お前らの国の歴史は最悪だ」みたいなこと言われてびっくりした

そりゃあ自分だって日本なんか嫌いだが 日本背負ってるわけでもないのに何でチャットなんかで相手の国の歴史の話なんか始めんだか

政治オタと歴史オタってホントめんどくさい

周りに不快感を与え続ける嫌な生き物

2015-12-12

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福沢諭吉について5 | 雁屋哲の今日もまた

ご無沙汰しました | 雁屋哲の今日もまた

さようなら! 福沢諭吉 日本の「近代」と「戦後民主主義」の問い直し : 安川 寿之輔, 雁屋 哲, 杉田 聡 : 本 : Amazon

福沢諭吉が日本の近代化誤らせた? 8日に名古屋で集い:朝日新聞デジタル

【愛知】2015.12.8 不戦のつどい 「福沢諭吉の正体 アジア蔑視と侵略戦争で果たした役割 ~日本の近現代史を問い直そう~」講演・安川寿之輔氏、雁屋哲氏、杉田聡氏(動画)

blog

其業たる最も賤しむ可く最も悪(にく)む可くして、然かも人倫の大義に背きたる人非人の振舞なりと云ふの外なし

窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。

「福沢諭吉の正体」-⑮

福沢諭吉の正体

朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す

最も恐るべきは貧にして智ある者なり

「“さようなら、福沢諭吉さん あなたに学ぶものはありません“ 」本誌編集委員・編集者・黒田 貴史 | コラム/深層

馬鹿と片輪に宗教、ちょうど良い取り合わせ

Twitter

福沢諭吉:独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は、必ず人を恐る、人を恐るる者は、必ず人にへつらうものなり。 | 芸能人や有名人の感動と共感する英語名言・格言集kyoucando

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2015-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20151119200651

イスラム国の奴らはイスラム近現代史が、欧米エゴ欺瞞蹂躙されたがゆえに

ズタズタにされたことに憤っており、

それでいて、現在は「人権」だのなんだのとお題目を振り回して

正義ヅラしていると思っているのだろう。

からといってテロ正当化されるべきではないが。

2015-09-06

中学高校って一般的に何を教わるんだろう?

鹿児島県知事発言から始まる一連の流れを眺めてて思うんだけど、中高では一般的にどんな科目を教わるんだろう?

私はずっと公立育ちだけど中高一貫だったからたまに認識のずれを感じる。

高校二年までに最終的に私文に行った人も全員数Ⅲまでやってたし、私(理系)も地理日本史世界史倫理政治経済全部やった。

まあ日本史江戸時代まで、世界史19世紀くらいまでで終わっちゃったんだけど。

(どっちかっていうと近現代史をやった方が良いと思うんだけどね)

私は(理系にもかかわらずw)数学物理苦手で国語英語社会が得意で得点源だったな。

一番好きな科目は倫理だった。

倫理だけ定期考査が150点満点で、100点分は普通テスト、50点分は800字小論文。この小論文のお題がいつも面白くて好きだった。

物理化学生物も全員必修だったはず。

物理化学は終わらなかったけど生物は高二までで範囲完了たから、高三のとき生物選択者はフィールドワークしたりマジックフルーツを食べる実験をしたりしてみんなの怒りを買っていた。

(できれば地学も習いたかった…!)

というか文理分けが遅かった。他校の友達は二年からで私は三年から

国語の授業は高三でも文理一緒だった。正確に言うと文理一緒に4コマ文系だけプラスで2コマ取れる、みたいな感じ。

理系必要ないと思う人は自習可だった。でもなんだかんだ言ってみんな授業受けてたな。

私は二次試験漢文までばっちり出たか普通にリガリやってたけど。国語好きだし。

私は勉強って好きでいろんな科目教われるの楽しかったなーって思うから科目減らすのには反対だな。

今でも将来的な専攻に関わる科目と同じくらい哲学とか英文学講義が楽しくてしょうがないし、

私と逆パターン数学好きすぎて経済に行くつもりだったけど理転して数学やることにした人も知ってるし、

可能性は狭めない方が良いと思うんだよね。

追記:私は現在大学一年生です。脱ゆとり最初世代

2015-08-12

第二次世界大戦におけるソ連所業

おもしろtogetterまとめがはてブにあがっていた。

http://togetter.com/li/859344

ふむ。まあ対日については言いたいように言わせておけばいいと思う。我々の祖先はかつて枢軸国として世界大戦引き起こしたのはまぎれもない事実だし、ソ連宣戦布告をしないままに攻め込んできたなど極めてどうでもいい。パールハーバーの方が100倍酷い。

 

だがしかしヨーロッパ戦線においてソ連があの当時何をしたのか、それだけはみんな正確に知っておいてもらいたいので増田に書く事にした。

ポーランド人はいまだにロシアを恨んでいる

第二次世界大戦において最も甚大な被害を受けた国の一つがポーランドだ。

まり近現代史に興味が無い人はよくソ連がWW2当初より連合国側だったと誤解してるが誤りだ。アメリカイギリスフランスのようにナチス毅然と立ち向かった「純・連合国」と比べるとソ連の狡猾さ、言い換えれば卑怯さが際立つ。

 

ポーランド世界大戦勃発直後にソ連ドイツ分割占領され、その一年後には有名なカティンの森事件が起こる。ソ連ポーランド兵士将校を1万人も虐殺して埋めた悪名高い事件である。WW2で各国がやらかした「残虐さ」でいえばドイツが独走で1位確定であり、2位は原爆落したアメリカ(落したこと自体批判する意図は無い。ただ残虐さは否定できまい)、3位はソ連じゃねーかって俺は思ってる。「悪い順」ならナチスドイツ日本のワンツーでもいいし我が国侵略正当化するつもは一切無いが、しかし残虐さで言えばこいつらがトップ3である。それは譲れない。捕虜1万人も殺して埋めるとか旧日本軍も真っ青ですわ。南京?ねーよ。寝言は寝て言え。

 

ようするにWW2初期はドイツソ連はタッグを組んで欧州荒らしていたわけ。何が戦勝国側だよって話。ただ、すぐに仲違いしてソ連もvsドイツを宣告する。

 

で、その後ソ連ポーランドに対して決定的に非道いことをやらかす。

ワルシャワ蜂起だ。

 

1944年夏にソ連ドイツが治めるワルシャワ(ポーランド首都)へと侵攻する。そしてワルシャワ市民レジスタンス(ドイツに反抗していたポーランド亡命政府を支持する市民ゲリラみたいなもの)へ向けて、ナチスドイツへの反抗を促したのだ。「我々が外から攻めるから君達は中から攻めろ」とね。それを信じたワルシャワ市民は全力を挙げて蜂起する。

 

しかソ連ドイツの反撃を食らってあっさりと侵攻を諦めた挙げ句自分達はもうワルシャワに攻めこまないという情報すらも中のポーランドレジスタンス側に伝えなかった。装備で圧倒的に劣る市民兵士落ち目であったとはいナチス正規軍単独太刀打ちできるはずもなく、ワルシャワ都市ごと完全に崩壊。実に20万人もの市民が装備の整ったナチスドイツ虐殺され、炎で真っ赤に染まるワルシャワの空ををソ連赤軍ワルシャワ郊外傍観していたという。ひでえ。

 

その後、ナチスドイツイギリス等の連合国側に押され瓦解したタイミングを見計らって、ソ連赤軍はがら空きのワルシャワに侵攻し無血占拠。火事場泥棒挙げ句ポーランドレジスタンスを静粛し、当時イギリス亡命していたポーランド亡命政府無視し、ソ連の息のかかった傀儡政権を立ち上げる始末。ひでえ。

 

ポーランド国民ソ連への悪感情をよそ目にまんまと東ヨーロッパ陣営に引き入れる事に成功したのだ。

 

何なのこの鬼畜っぷり。ひどいでしょ?終わってるでしょ?あんだけポーランドにひどいことしておいて、戦後子分にするなんて凄過ぎますわ。

 

WW2を学ぼうとすると、どうしても日本当事者だし、さら極悪非道代名詞ナチスに目がいきがちだけど、ソ連も相当糞なんです。こんだけひどい立ち回りしておきながら、戦後戦勝国としてアメリカとため張るぐらいの大国として君臨したソ連ある意味凄い。感心する。

 

そしてそんなソ連を頑張って何十年も押さえ込んできたアメリカはやっぱり偉い。

アメリカ地球警察を気取っていなかったら、今頃世界地図全然違ってたはず。

からみんなもっと感謝の意をこめてお盆マックハンバーガー食べよう。

2015-08-11

日本会議安倍コア支持層)が条件付きで「侵略」も「謝罪」も認めて

これで安倍ちゃんは「侵略」を「謝罪」しても安心

[歴史] 終戦七十年にあたって日本会議見解

http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/7580

中韓両国は、わが国の近現代史を、両国への一方的侵略歴史であったとしてわが国に謝罪要求する外交圧力をかけてきている。

歴史には光と影があり、わが国近現代史の歩みのすべてを肯定するつもりはない。

まり一方的にではないが、日本の行動に侵略の側面があったことは認めている

歴史的事実に基づかない謝罪は、英霊名誉を傷つけるものであるからだ。

歴史的事実(上記の日本侵略行為)に基づく謝罪なら構わないということ

2015-04-18

少なくともお前のできる範囲内で最大の授業しろ

なんだその教材

お前なめてんのか

そんなんで東大前期まで間に合うと思ってんのか?

どうせセンター試験前になっても世界史近現代史がおわってねえとかいう話だろ

ふざけるなよ

お前の能力限界があろうが少なくともなんだその教材は

学年トップ様をなめてんのか

Z会冊子か東大模試解説で授業しろ

2014-03-14

歴史の授業は恐ろしい

登場人物が既に全員死んでいるという事実が恐ろしい

近現代史に及んでようやく人心地がつく

彼らが生きているという事実に安堵する

2013-12-04

特定秘密保護法案を議論するための二つのお願い

前もって書いておくと、「特定秘密保護法案」については、新聞報道ネットで流れていることなどを見聞きしている程度で、条文は子細に読んでいません。なぜなら、

・このような国家機密に関する法令は極めてデリケートであって、素人の手には負えない

・単なる法律家ではなく、本来は国家機密や公文書に関する法制度に通じた専門家が真面目に論ずるべき問題だ

と思うので、素人法律のことをよく知らない人間があれこれ言うべきではないと考えているからです。

しかしながら、このような重要な法令に関して、単なるウヨサヨネタになってしまっていることは極めて残念でなりません。衆議院を通過してしまった法案でもあり、今更大きくどうこうなることはないかもしれませんが、同様の事例は今後も起こりうると思います。したがってここに、個人的な考えを書いても決して無駄ではない、と信じます

特定秘密保護法案に反対する人は、おかし反対論をきちんと批判してください。

特定秘密保護法案に反対するのは結構ですが、あまりにも無茶苦茶妄想に基づく批判が目につきすぎます

国家の好きなように秘密が指定できるんだ、原発の設置計画が秘密になるならどうなるか、その果ては「近現代史研究は全て秘密指定」だという人まで出てきています

先に書いたように、私は子細に検討したわけではありませんし、その能力もありませんが、さすがにこんなことは無茶苦茶妄想だと思います

このような妄想に基づく批判は、

政治的党派を問わず、単なる扇動デマゴギーであって、許されるものではありません。

・また、なにより、このような妄想に基づく批判は、反対派の信頼性をはなはだ毀損します。

そこでお願いです。

特定秘密保護法案を本当に理解したうえで反対している人は、このような愚劣な反対論を唱える人をちゃんと批判してください」

根拠のないおかし反対論を的確に批判することによって、反対論がより全うに、強固になるものです。

仮に「同じ反対派」であるから批判しないということであるならば、その人は政治運動をしたいだけであって、批判の中身はどうでもいいのだ、ということにならざるをえません。

専門家専門家らしく論じてください

次に、法律専門家の方々に対するお願いです。

個人に対する批判ではなく、例示として出しますが、

特定秘密保護法案」の危険性について

http://togetter.com/li/595227

http://twitter.com/Juris_tan/status/405261750590660608

国家はそんな濫用はしないだろう」というのは、歴史的経験無視した、ユートピア的発想よ。国家は、法で拘束しない限り、自らの権力を濫用するわ。

このような危機感は否定しませんし、むしろ共有する者ですが、「憲法学専攻」の方がこう書いたとあってはいささかもの申したくなる部分があります

この法案に関して「日本裁判所は信頼できない」云々という意見が出ていることは承知しています。このような意見は、ごく一般の人が言うなら、理解できます

しかしながら、法律専門家が語るのであれば、いささか話は違ってきます

国家は、法で拘束しない限り、自らの権力を濫用する」

というのは先刻承知の話なので、だからこそ、司法独立していて、最後には最高裁判所が控えている、という点は、一体どうなっているのでしょうか。

もちろん、議会における議論を軽視するわけではありません。

しかしながら、「歴史的経験無視した、ユートピア的発想」とまでおっしゃるからには、次のようなことが前提とされていなければなりません。

日本おいて、司法はただ今現在、あるいは将来、まともに機能しない。

この場合、一義的には問題は特定秘密保護法案ではなくて、司法のものです。司法のものの信頼、あるいはそのような信頼できない司法を前提にしている法制度全体が問題です。

したがって、そのような信頼できない司法改革するか、法制度全体を見直して信頼できない司法でも耐えうる制度にするか、どちらかしかありません。。。そうとは言わなくとも単純に言えば、「法律家の皆さん、司法健全性を維持するためにがんばってください」というほかありません。

しかしもちろん、憲法学を専攻なさっておられる方ですから日本司法について、現在おいても、また近い将来においても、それなりに安定的機能すると想像されているものと思います。その場合、この「歴史的経験無視した、ユートピア的発想」という文言は、

「単に危機感煽りたいがための誇張」

意味しか持ちません。

このような誇張に一体どういう意味があるのでしょうか。

私は、法律専門家の方々に、このような誇張を期待しません。法学法学らしく論じていただきたいと期待します。

・・・

特定秘密保護法案は確かに大事法律だと思います。にもかかわらず、ウヨサヨネタになってしまったことで、少なくとも私は、「これほど重要な法案なのにウヨサヨネタになってプロレスをやっているということは、騒がれているほどの『危険性』なるものはないのではないか」と逆説的に強く疑うようになっています

こんなことであっていいわけが、本当はないんです。ウヨサヨネタにせずに、真面目な、きちんとした専門家の議論を経るべきだと、私は信じます。その上で、本来ならば、与野党一致して合意すべき法律でした。

そうならなかった、ならないであろうことは極めて残念です。このレベル法律が、ウヨサヨネタに堕することがないように、特に法律専門家の方々に、強く、強く、希望します。

2013-07-01

地域差主義者id:gudachan(グダチャン@gudahcan)のツイート

はじめに

id:gudachanイメージに基づく偏見だらけの地方論(http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/06/28/133844)(http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/06/28/232556)を読み

少し疑問に思ったので彼のツイッター(https://twitter.com/gudachan)を眺めてみたところ、ヘイトスピーチの嵐でした。

非常に差別主義的なツイートが多く、それを本人が自覚していないようです。あきれます。ちなみにこれはほんの一部です。

掲載しきれないほどたくさんの差別的な書き込みがありました。興味がある方は直接彼のタイムラインを覗いてみるといいと思います

ツイートを眺めたところ、北関東北日本裏日本へのヘイトが多く、それらの地域に住んでいる方々は怒っていいと思います

完全にネトウヨ在日コリアンに向けているのと同じ性質の言葉暴力ヘイトスピーチですから

北関東北日本(定義不明)・裏日本に関する差別ツイート

大学にはいろんな地方出身者がいるが、北関東人や福島県民はだいたい程度が低かった。そのくせ「関東に近いから」人数は多いし、東京コンプレックス人一倍だ。ただただ不愉快に尽きる。さっさと村に帰ってふるさとの衰退に歯止めをかけてほしかったね

2013-06-24 16:51:44 webから

http://twittaku.info/view.php?id=349072333752905729

「冷たい東京人」って絶対北日本人だろ。東京ターミナル大学なんていけばおらが村が北関東よりも上の地域にあるような人間うようよいるじゃん。信越東北北海道かなあと。「東京の人は冷たい」っていってるのはむしろ、「東へと向う列車」で旅立つ太平洋側の西日本の人じゃないかと思うんだが?

2013-06-18 11:57:07 webから

http://twittaku.info/view.php?id=346823865604919297

コミュ力っつうか・・・北日本人間は基本的に何考えてるかわからないよな。こちらから直球投げたつもりが変なカーブしまくったりして、かと思いきや思いもよらない方向からボールが返ってきて後頭部直撃するような感じ。ひねくれた人間が多いんだろうか

2013-06-18 11:31:10 webから

http://twittaku.info/view.php?id=346817331915264000

千葉茨城の僻地の日常風景ってこんなイメージ 「タイマン」でかなわず…5人がかりで傷害容疑、逮捕 千葉山武 #ldnews http://t.co/nCQ27RURk6 @livedoornewsさんから

2013-06-14 13:26:08 Tweet Buttonから

http://twittaku.info/view.php?id=345396712707338243

にしても、ツイッターにはいまだに長州を恨む会津ならびに東北裏日本(系)の人間が多すぎて引くわ。いやならみなきゃいいんだけど、これは一種の国内にあるエスニシティ問題だと思う。福島県学校教育はどうなってるんだよ。ちゃんと「過去過去」と未来型の教育をしこんでやれよ

2013-06-09 22:42:40 webから

http://twittaku.info/view.php?id=343724833126875136

明るい東北人もそりゃいるよ。まず親戚がみんなお喋りだし。だけどほんとに全体に見ると少ないよね。待ち合わせする時はすぐにわかるよ。どんな人ごみでも声でわかるから

2013-06-09 22:08:25 webから

http://twittaku.info/view.php?id=343716213400158208

韓国人コミュニケーションするとノリよくて楽しいよw一見すると明るいんだよ。実際おもろい人多いけど、でも、どっかに本質的に恨があって、それを障るとケンカになるからやめたほうがいいw 「どう接すればいいかからない」人は東北裏日本出身者の方が圧倒的だよ。大学時代はそうでしたw

2013-06-09 22:07:06 webから

http://twittaku.info/view.php?id=343715880854773761

ちなみに、北日本人間韓国人間ってそんなに差は無いと思う。緯度も同じだし、恨とかは不遇な歴史のせいだけじゃなく日照時間の影響もあるだろうし、会津同様に朝鮮はかなりのタテの封建社会だった名残で、いまも「上下関係」「家柄」「地域の優劣」などが煩い。その性質は極めて酷似している

2013-06-09 22:01:07 webから

http://twittaku.info/view.php?id=343714375581974530

地方の人間はみな「田舎」の負い目を感じている、ということは、大学には入り地方出身者と戯れたりネットなりでよく学んだが、北日本の場合は、日照時間のなさに起因する思考の消極性近現代史悲惨さのせいで誇りを余計に持ち辛いところがある。それでも地の利を生かすしか未来の術はないはずだけど

2013-06-08 19:36:30 webから

http://twittaku.info/view.php?id=343315591672766464

東北なんかやばいよな。仙台越えたら大自然がそこら中にあるのに、イオンという外界から遮蔽密閉された建物の中にあるコンビニみたいにチッコイHMVとかに若者殺到し、皆が皆中央(東京)で生産されたマス向けのコモディティ文化選んでは喜ぶその感じは感性や想像力の超劣化のものすぎてやばい

2013-03-17 21:58:27 webから

http://twittaku.info/view.php?id=313273120993705984

俺が東北地方精神的な問題だと思うのは、「半端に発展した都市」の抱えるヒエラルキー的な発想だ。さっきの記事でふれていた自殺してしまった避難者のいた福島市は、たしかに一目を気にする地域性があると思う。湘南ナンバーが走ると浮くし、俺が歩道歩いてると通行人がじろじろ見てきて気味が悪い

2013-03-17 21:34:22 webから

http://twittaku.info/view.php?id=313267061327548417

北関東は目に見える低俗さには失望したくなるものの、北日本の根拠のない見栄を張る人間に比べれば気質は幾分ましかなあと思う。北海道生まれにその傾向が顕著な気がする。もっとも、閉鎖性や偏狭さはだいたいどこも同一だが・・・

2013-03-12 10:14:25 webから

http://twittaku.info/view.php?id=311284008287883265

神奈川県の方言に「~じゃんか」っていうのがあるが、これは関西弁の「~やんか」と同じ意味。ところが北日本の方言にはこういう言い回し自体が存在しない。神奈川県土着の文化西日本よりだと思うんだよね

2013-01-02 20:36:03 webから

http://twittaku.info/view.php?id=286435685920038912

東京文化の正体は、北関東人や東北人や裏日本人が「脱村入京」の発想によって形作る幻想なんではないかというのが俺の発想。「けばけばしい東京人」とか「冷たい東京人」も実は本当は煌びやかなものが殆どなく冬はものすごく冷たい北日本人間なんじゃないか、ってね。思うわけよ

2012-12-29 11:02:23 webから

http://twittaku.info/view.php?id=284841766149050368

おそらく、「北関東的な概念」が北日本を覆いすぎなんだろうなあ。新潟にせよ岩手にせよ、「緑の新幹線」の沿線は余りに北関東化が著しいと思う。「東京になんてなれっこないから、せめて群玉千葉城にでも」という安っぽい近代化願望でもあるんだろうなあ

2012-12-27 19:53:23 webから

http://twittaku.info/view.php?id=284250619953442816

残念なことに、北日本の片田舎都市出身の若者って、あの屑みたいな北関東人抜きに、どことなあく無愛想というか、とっつきにくく、コワいような人が少なくない。「ズレ」てるのはいいんだけど、あれらは本当に悩む。中国人オーストラリア人よりも仲良くするのが難しそう

2012-12-26 02:13:24 webから

http://twittaku.info/view.php?id=283621479801827328

そんな俺も両親は東北人にあたるが、北日本地域性というのはもっと広く知れ渡った方が良いと思うんだよなあ。包み隠さないリアル地域の姿を。北日本は広い日本の中でも沖縄並に独特な民族性のある土地だとは思うが、「内なる異文化」への理解は全然進んでない気がする

2012-12-26 02:04:29 webから

http://twittaku.info/view.php?id=283619234297298944

「やってきたもの」が多すぎるがゆえに浅ましく、いやらしくなっているところはあると思う。ただ、この記事に少しふれたような、高校生が呆れるような「大人」のような精神性の人間は、北日本出身者の幾人かには心当たりがある。そして、こういう人間ほど上辺だけを都会被れ、東京寄生したがるもんだ

2012-12-26 01:43:26 webから

http://twittaku.info/view.php?id=283613937906360320

マジな話、北海道から東北裏日本北関東にかけてらへんのルサンチマンにかりたてられた若者理想郷東京ではなくソウルだと思うぞ。いまは地方空港から直行便出てる時代首都圏大学通うくらいならいっそソウル留学すりゃいいよwアジアが伸び盛りの時代だし得るものも多いでしょw

2012-12-10 00:39:52 webから

http://twittaku.info/view.php?id=277799735958593536

いろんな人と接して思ったけど、北日本人間は、韓国人中国人よりも難解だね。青森とか新潟とか、福島茨木らへんの人間は想定の範囲外の「恨」発想っぽいところはあるけど、基本は普通。本気で謎なのはもっとディープ極寒地帯の人。どう接すればいいのか困ってるうちにそこそこの仲になってる感じw

2012-11-30 01:10:30 webから

http://twittaku.info/view.php?id=274183564625584128

こないだ関西人の友人と割と盛り上がった話だが、北日本人間は根拠の無い自信を持ちたがる傾向があると思う。裏に限らず、北関東信越東北北海道あたり。人によるけど、心底どうでもいいことを自慢げに語ったり、どこかつんけんしたようなヤセガマンが好きな人割合、いる気がする

2012-10-05 14:21:42 webから

http://twittaku.info/view.php?id=254088956902268928

これはグンマー茨木辺りの人にもいえるが、北日本人間の、忍耐力の強さや団結力は彼らの長所だとは思うが、理に対する認識がずいぶんとお粗末というか、「それ、こうやった方が遥かに都合いいじゃん」っていうのに聴く耳持たずに誰でも想像つきそうな手間や失敗をしちゃうあたりは超ダサイと思うぞ

2012-09-03 19:54:58 webから

http://twittaku.info/view.php?id=242576413692149760

都市社会に適応できているか、それとも地方のルールに未だに強く影響されているのか、さらには裏日本北日本のような直接的な自己表現言語を用いたコミュニケーションを嫌悪する「恨」文化圏のある地方もあれば、沖縄の人のように明るく穏やかでケセラセラ考える人もいるように個々の地域差もある

2012-08-28 12:44:25 webから

http://twittaku.info/view.php?id=240293734644854784

ところどころで韓国に言及していて、韓国北日本は似ていると発言しています

北日本のことを悪く言っているのは自明ですから韓国についてもよいイメージは持っていないことが読み取れます

田舎者差別

首都圏に居ても鬱陶しいだけだからさっさと村に帰って中学ときの大してすごくもない武勇伝の自慢でもしながら酒盛りして同級生とヤッてろってかんじw

2013-06-15 17:16:48 webから

http://twittaku.info/view.php?id=345817151346724865

田舎者のね、ヤンキーでもなければヲタでもない、「もっさりした一般若者」の同調圧力マジで半端ねーぞ。東京神奈川千葉生まれの人間とは別すぎる。そりゃあ日本人は「恥の文化」「世間意識」の国ではあるが、あの過度な牽制はただただ鬱陶しいしキモいだけ

2013-06-08 13:49:47 webから

http://twittaku.info/view.php?id=343228339466682368

@・・・・・・・・・ 実際、地方出身東京住まいって狭い人が多いですよね。田舎上がりの人ほど何かと見栄を張ったりしたがる印象があります。うっかり方言が出て故郷を悟られるとやましいことのように赤面したり。彼らが外国人差別に走りたがるのもなんとなくわかります

2013-04-03 23:55:51 webから

http://twittaku.info/view.php?id=319463263194718212

俺、湘南の人間から、できるだけ東京神奈川埼玉の人と接していきたいなあと思うのは、やっぱリスクの問題なわけよ。外国人ともなれば相手がよほどの偏狭の人間でなきゃ「国が違うんだからしょうがない」という良い意味での文化的な諦めがお互いにできるが仮にも同じ国民田舎者はそうはいかん訳

2013-03-31 00:19:26 webから

http://twittaku.info/view.php?id=318019643879092225

おらがの村社会のヨコの付き合いの流儀しか知らず、それが通じない都市部に疑問はあるくせに都市マナーに従えない。定職ついて、家庭もってやっと都市部に適応するんだろうけど、それはあまりに遅すぎるし。それならさっさとクニに帰って斜陽化の歯止めになったほうが絶対にいいんだよね

2013-01-17 14:56:33 webから

http://twittaku.info/view.php?id=291786066317410304

東京の息苦しさに負けて帰郷したくなる東北若者も、いかにもオッシャレーな「TOKYO人」を気取って、クラブナンパしたりされたりして、やれ下北だの代官山にいき、ミニシアターだのアンティークショップ見て、ホイチョイ的なレストランデートしてダサい・地味を見下すよな人も地方出身者な訳

2012-12-05 00:15:40 webから

http://twittaku.info/view.php?id=275981706459234305

田舎者首都圏から出て行った方がいいそうです

おらがの村社会のヨコの付き合いの流儀しか知らず、それが通じない都市部に疑問はあるくせに都市マナーに従えない。定職ついて、家庭もってやっと都市部に適応するんだろうけど、それはあまりに遅すぎるし。それならさっさとクニに帰って斜陽化の歯止めになったほうが絶対にいいんだよね

2013-01-17 14:56:33 webから

http://twittaku.info/view.php?id=291786066317410304

地元いかにダメかとかそういう自虐話はわかったけど、もう関東は人でいっぱいなんだから村に帰っておくれって感じだよね。日本中の若者がここに集まれば、都市部の就職難もより険しくなるわけじゃん

2012-11-20 02:24:35 webから

http://twittaku.info/view.php?id=270578327851520000

都市部で行われる「クリエイティブ地域を元気に!」に参加する多くの「エセ都会人」(特に渋谷近隣の都心学生街に多そう)たちは、とっととお国に帰って郷土を豊かにすることに尽くさんとダメダベ、と思う所

2012-06-28 23:39:43 webから

http://twittaku.info/view.php?id=218352987385495553

そんな彼が外国人差別排外主義について語ります

そんあ田舎生活している外国人労働者ヤバいと思うよ。不法滞在犯罪もあるんだろうけど、けなげに働いて母国家族に送金してるんだろ。ただ、生まれつき「おらがの土地」に縛りついてるだけのカッペと比べると遥かに優秀だと思う。社会が後れてて民度や文化程度が低いのは田舎アジアも同じだし

2013-06-26 23:35:35 webから

http://twittaku.info/view.php?id=349898743090384897

でも田舎人間外国人蔑視するけど、田舎に住んでいる外国人ヤバいと思うよ。「地元の地縁つながりがあって当たり前」で社会が動いている田舎で、肩身は物凄い狭い。不便もある。たとえば知り合いに名士がいたら仕事斡旋してくれるし百姓がいたら野菜はただで貰えるけどそうではないよね

2013-06-26 23:26:10 webから

http://twittaku.info/view.php?id=349896372452990979

差別主義者って外国人生活保護受給者や障がい者に対しても不寛容で、自分自身は貧乏人で田舎者ナード系の非リア全開というケースが多いよな。まあなんだ、下を向いて生きているんだろうなあ。かわいそ

2013-06-22 16:12:37 webから

http://twittaku.info/view.php?id=348337713843421184

何人も個人なんだよ。自分がそうであるように相手も十人十色だ。それが分からずに子ども外国人障害者やお年寄りや異性などに、そのレッテル属性に基づいて解釈する人間ははっきりいってダサい想像力のない田舎者

2013-05-23 02:32:33 Keitai Webから

http://twittaku.info/view.php?id=337259702247387137

まあネトウヨ外国人差別ないし排除の発想って、田舎者村八分論理と何も変わらないしそうかもなあ

2013-03-20 09:06:03 webから

http://twittaku.info/view.php?id=314165907276574720

悪意なしに行うナチュラル排外主義ほど醜いものはないわけよ。そこで思ったんだが、案外、外国人差別問題も似ているようなところあるかもな。露骨なヘイトを出す人間は問題だが、それより怖いのは外国人を許容しない空気だったり

2013-04-17 12:36:21 webから

http://twittaku.info/view.php?id=324365690435936256

どういった了見で外国人差別を語れるのか到底私にはわかりません。

まとめ

id:gudachanは地方民を差別する排外主義者に私には思えます.

こういったツイートをする人が先の地方論を書いていたわけです。

これらのツイートを読んでからもう一度彼の地方論を読み直してみてほしいです。

差別主義者は偏見を撒き散らし、差別されている人々の誇りを奪うので放置してはならないと思います

おまけ

そんな多様性ベースにあった湘南育ちだからこそ、神奈川県に住みついて「長州人間は○○にくるな」という福島県民に対してちょっと取り乱してしまった。あれをみて不愉快に思った北日本人がいたら申し訳ない。俺も先祖は東北人だし、戊辰を戦った武士だったし、東北には親しみがあるよw

2013-06-09 22:48:58 webから

http://twittaku.info/view.php?id=343726414652125184

どの面をさげて東北には親しみがあるというのでしょうか。

ネトウヨ自分には韓国人の友人がいるか自分差別主義者ではないと主張することと何が違うのでしょうか。

追記

twitterのgudachanはその後中川淳一郎さんのツイートをだしに田舎者へのヘイトを吐き出したあと、はてなダイアリータイムラインを非公開にし、現在ではIDをグダチャン@gudahcanに変更したようです。

よって、本記事のタイトルも修正させていただきます

2013-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20130107211101

しか近現代史において、日本が「最も多くの人間を(直接、間接に)殺した国家ランキングの上位に位置していること、

殺害の対象を「他国民」に限定すればドイツと首位を争う国家であることは、もっと自覚されるべきことではないでしょうか。

特別な激戦区だったわけでもないのに

なんでWW2の中で日本が首位なんだよ

今度50万人になるという南京レコード数字だろどーせ

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