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はてなキーワード: ランボーとは

2020-05-20

Youtubeでの著作権について

Youtube収益化について思ったんだけど、

テレビ番組とか映画の無断アップロードはもちろん削除されるし、それで全然いいんだけど、

動画の一部にテレビ番組映画のワンシーンの映像や音声を使っている広告付き動画があるんだけど(有名所ではスポンジボブの「few moment later」とか、ランボーの叫ぶシーンとか)

あれは収益取られたりしないの?ワンシーンだけなら問題ないのかな。

音楽場合は、動画の下に著作権者情報が付記されて、収益が曲の著作権者に行くんだよね。

あと、カーボン鳥っていうネット上の事故動画をまとめて変な音声つけてるやつも収益化してるんだけど、

こういうのは問題にならないの?

2020-04-17

anond:20200417230304

西部戦線異状なしとかランボーを知らんのか

軍人に敬意を払う国ってどこだよ

架空の国じゃないのか

2020-02-19

anond:20200219171822

ランボーって木に化けたときは凄いと思いました!

ランボー史上最高の頭脳戦が今、はじまる!!!』

誰もそういうの求めてないから…120分ワンカット頭の悪い乱暴者の狼藉が見たいのに…なんで頭脳戦をしてしまうのか…

2020-01-09

実は男も性的に見られることが嫌で露出が少なくなった時期ってあるわけで

っつうのはさ、80年代ハリウッドとか洋ゲーとかさ

あれっていわゆる「ブロックバスター枠」のコンテンツだと大抵裸の男が主役だったし

大衆にもマッチョで裸(に近い)の男を描きがちな時代があったんねん

 

アメコミはもちろん、ランボーとかコマンドーとかベセスダゲーのパッケージでも

女は当然、男もマッチョピッチピチスーツが当たり前だった時期があったんだよ

SWのベーシックフィギュアなんてルークまでマッチョに造形されたりさ

男だろうとケツの割れ目まで描写してたんだわ

  

でも同時期にHIVやら、ヴィレッジピープルみたいなゲイカルチャー話題になって

「キャー!ゲイマッチョな男を見て興奮してるの!アイツらもマッチョになってるの!」

っていう性的消費がだんだん明らかになっていくと

なんかわざわざマッチョになるの嫌じゃね?ってことで

ピチピチのマッチョ=カッコいい男のイメージって消えてったんだよな

2020-01-06

anond:20200106143550

おじさんたちの時代は怒りのランボーだっけ?という映画があったんだけど

 

怒りの生協のおばちゃんってかんじやな。

2019-12-02

映画会社「助けて!ターミネーター新作が大コケしちゃった!何で!?」僕「はぁ…」

ターミネーターって1と2が直撃世代付近で見た人にとっては特別面白かったっただけで、シリーズとしてのブランドはとっくに失墜しているんだよな。

T2成功に味をしめて面白くない続編やスピンオフを乱発してきた結果「ターミネーターは3以降面白くない」という認識世界共通にまで貶めた自業自得の結末

ターミネーターの新作と聞いて心躍る人間より「どうせ今回もつまらないんだろ?」と思う方が圧倒的に多かったことが興行収入に現れている。

そもそも見る側をバカにしすぎだろ。ジェームズ・キャメロンリンダ・ハミルトンに泣きついて「今までのは嘘。今回が正統続編!だから見て」ってなんだよ。仏の顔も三度までと言うがT3,T4,新起動とは何だったのかってなるわ。

実際に見て評価しろという意見は御尤だけど、新作ターミネーターのためにわざわざ映画館に行ってチケット代払って120分座って見てやるかって気分に全くならない。せいぜいテレビ放送してたら見てやるかって程度。直撃世代T2が大好きな自分ですらとっくに興味を失っている。

そして非直撃世代ならなおさら興味を持てないだろう。無骨サイボーグ自我を持つのも、体が液状化するCGも、美しさと強さを兼ね備えた女性ヒロイン像も、AI暴走して人類に反抗してくるからタイムトラベルして阻止しようって展開も散々他のフィクションで見たわってなる。

AKIRA今見てもすごさが分からない現象(そのAKIRAも新作やるって…)

思い入れのない非直撃世代から見たらT1もT2も「古典的名作」「当時の水準で見たら凄かった映画」「そもそも名前は知ってるけど見たこと無い」で、さらにT3以降の悪印象も重なりわざわざ見に行かない。

直撃世代からは見放され、非直撃世代からは見向きもされない。このワード個人的に嫌いだけど「オワコン」という表現が適切だわ。

そのオワコンにしがみついて成功を夢見てる20世紀フォックスも、過去のヒットが忘れられないシュワルツネッガーも醜い。ロッキーランボーを復活させたスタローンライバル心を感じてるのかもしれないけど、シュワはとっくに旬が過ぎた過去の人って印象しかない。ラストスタンドを見た限りではまだまだ現役気取ってるようだけど。

もう戻ってこなくていいから。ターミネーターしか無い人なのにそのターミネーターすらコケてるんだから世話ない。ターミネーターを演じるのは今回が最後らしいけど(本当か?)

2019-11-19

anond:20191119165226

シュワはともかく、スタローン大根はない。

絶対に有り得ない。

役柄を毎回変える器用な役者ではないが、マッチョイメージってだけでラズベリーに選ばれたり、アクション俳優という「キャラクター」で不当に蔑まれてきた人だ。

スタローン演技力証明としては何より、「スタローンと競演した役者が輝く」という逸話がある。

エクスペンダブルズ』のステイサムはわかりやすいが、『ロッキー』のエイドリアンにしても『ランボー』のトラウトマン大佐にしても、あんまり面白くない『暗殺者』で共演したバンデラスにしても、スタローンと絡んだ役者活躍記憶に残る。

共演者に花を持たせるのは「脇役役者」が持つ特性で、なんだ、主演の癖に脇役レベルじゃねえかと馬鹿にしたくなるかもしれないが、逆に脇役のように「他人を輝かせる」演技はうまくなければできないことなである

アイドルタレントの主演作品で脇役を大御所俳優で固めるのと同じ事だ。

もちろんいくつも記憶に残るキャラクターを演じていることを考えれば、共演相手に食われているわけでは決してない。

あんゴリゴリの見た目に濃い顔のアクション俳優なのに、自分が目立つのと同時に相手に合わせた「受け」の演技ができる柔軟さを持っている事に、みんなもっと驚くべきだ。

これはスタローン演出家脚本家としても優れているからこそできる芸当だろう。

(『ロッキーファイナル』において、ロッキーの続編なんてと世間馬鹿にする中、結果的に実力だけでその年の映画界の話題をかっさらった手腕を見よ)

ただの「筋肉バカ」「脳筋っぽい」と思っている人は、こういった彼の特徴に気づきもしないのだ。

伊達に、デニーロから馬鹿にされながらも彼と共演して真正からデニーロスタイルの演技対決を挑み、そして20年後にW主演で再共演を果たした男ではない。

世間からずっと馬鹿にされながらも、ファンはずっとスタローンの演技のうまさを唱え続けてきた。

そのたびにラズベリー賞なんていう何の権威批評性もないただのお祭り騒ぎ根拠に、周囲から馬鹿にされた。

だがファンスタローンの演技に感動し勇気をもらい続けた。

その結果、「全盛期を過ぎてから評価する」でお馴染みのノロマアカデミーでも、2015年、ついに『クリード』でアカデミー助演男優賞ノミネートされた。

世間はもう誰も文句を言わなかった。

2019-07-15

anond:20190715175451

ランボー(シルベスタスタローン)が木に化けてるかも知れないじゃん!!

2019-06-30

ランボー、もう80近いわけだろ

今度また映画やるみたいだけどあいつの人生けっきょくずっと戦争だったな

2019-05-13

anond:20190513110815

戦争は終わったのにナム悪夢が忘れられず、郊外の山で警官住民を殺しまくったランボーみたいな感じなのか

そう考えるとフェミニスト同情できるような気が........しないわ。やっぱり迷惑

2019-05-11

器用貧乏

今までのキャリアで、あらゆる状況に対応すべく、いろいろな知識経験を積んできたわけだが、

それゆえに自分がわからなくなった。

結局自分は何がしたかったのか。

でも、今になってこれしかないんだ!というもの自分の中にない。

逆にいうと、あらゆる可能性が見えてしまい、絞り込めないと言ったほうが正しいのか。

周りでうまくいった人たちはそういう部分だけはしっかりあった気がする。

選択と集中というやつだろう。

無論、道義的道徳的に正しいとか関係なくて、各々のエゴの元に動いているだけで、客観的に見たら、ウワーってなるものもあったし、

大きな波に一度は乗ったとしても、栄枯盛衰で消えてった人もたくさんいる。

同時に、そういう単細胞な発想で、周りを潰してでも自分エゴを貫く人に辟易していたくらいだ。

でも、それが人類歴史だということもよくわかっている。

いろいろあって自分が新しいステップ自分自身で切り開いて行かないとならない段になって急に腰が引けてる。

自分課題を設定し、伸ばしていくということより、誰かのやらかしフォロー

誰かが勝手に設定したアホみたいなハードルばっかりこなしちゃったことで、自分課題設定する能力が身につかなかったのかもしれない。

簡単にいうと課題ジャンキーだったんだろうな。

メタルギアソリッドで言えば、スネークを目指していたし、あらゆる場面であらゆるミッションを完遂できる人間になりたかった。

でも、それが目的になってしまって、その先が突然見えなくなった感じだ。

まるで、ランボー1の様だ。しかばねの中を歩き続けたのに報われるものは何もない。そんな中でどうやって生きたらいいのか。

令和の切り替わりのタイミングで、奇しくも、こういう状況におかれ、こんな感じでチラシの裏を書き散らかしている。

全くどうしたものか。人生は本当に面倒な仕様だなと思う。

ただ、こう書いている中で、やりたいことが全くないわけではなかった。

自分に関わる人が全て幸せであってほしい。

当然幸せベクトルはそれぞれ違う。そのなかで、最大公約数的な仕組みを作って小さいながら、関わる人が全て笑って生きていれたらいいと思った。

このルールを破ってまで、収益を追求するような生き方はしたくなかった。

当然稼ぐ楽しみっていうのはあるけれど、拡大する中で必ず歪むしその歪にアサインされる悲しい人が現れる。

そのプロセスでこれ以上辛い思いをする人を増やしたくなかったのかもしれない。

そうならない様みんな頑張った分正しい評価をもらえればいいと思っていた。

これはやっぱり綺麗事なのか。それとも、今の社会ではこういう普通の人なら願いそうな事柄構造上無理なのだろうか。

いや、自分がこういう課題を設定した以上、弱音を吐かずに今言った様な理想を実現できるものを作るべきなのだろうな。

書き出した時は器用貧乏すぎて自分がよく見えてないという風な話を書きたかったのだが、

よく考えたら抽象的なレイヤーではあるが、基本ポリシーは持っていた。

もう少し、これからのことを考えてみよう。

生きることは悩むことばっかだし、苦しいばっかりだから楽して生きたかったのに、結局こうして悩んで堂々巡りになってしまう。

でもこれが、ちゃん人間やれてるってことなのか。

2019-05-05

anond:20190503203707

脱サラして何かする漫画小説なら死ぬほどあるじゃない。

 

結局ね、自分社畜である責任って、わりと自分にあるんで。その責任会社にだけ持たせるストーリーじゃあ、うまいことドラマにならないんだよね。

ランボーが完全にアメリカ軍に勝って大統領殺すストーリーとか嫌だろ。

2019-04-11

[]キャプテン・マーベル

キャプテン・マーベル』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

ほどよく100点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。ふむふむ満足であるぞ、と思いつつ帰路についた。とは言え、帰路において考察が止まらないとかはなく、色んな部分が程よく狙ったように及第点ではある。

MCU(マーベルヒーロー映画シリーズ程度のことだと思いねえ)ファン的にはくすりとわらえたり、ほろりと出来たりする要素はありつつ、全体としてのアクションCGバトルの派手さも有りつつ、脚本もウザくならないように欠点塞ぎつつ、いい感じというのが個人評価。大傑作じゃないけど程よく佳作。

ゆえに以上で感想終了である

ヒーロー内面資格

というわけで、ここからさきは感想じゃなくて感想風になる。

キャプテン・マーベル』は良かった。しかし、実はその良かった部分が自明じゃない。様々な要素が程よく及第点から全体合計で佳作なんだけど、何か突出した、訴えかけてくる部分が見つけづらい。

でもそれって無いわけじゃない。無かったら上映後もっと気持ちが尻すぼみになったと思う。だから良かった部分をちゃん言語化しておくほうが良いと思ってのメモだ。

いろいろ考えてたのだけど、『キャプテン・マーベル』は空っぽなところが良かった。その内面というか、背景が、他のヒーローに比べてポジティブに空白だ。そこが素晴らしく良かった。

ヒーローというのは超越的な存在で、それは能力的なものもそうなのだけど、内面的にもそうである必要がある。「信じられないほどの苦境や絶望に対して敢然と立ち向かう断固たる決意」みたいな部分だ。しかし一方で、ただ超越的であるだけではなく視聴者である凡人の僕らと地続きである必要もある。そうじゃないと視聴者ヒーロー感情移入することが出来なくて、彼らの苦悩や活躍他人事の白けた話だとしか思えなくなってしまうからだ。

アイアンマンキャプテン・アメリカというスーパーヒーローであっても、彼らの抱えた周囲から無理解へのいらだちや、内面孤独や、大切な人を失ってしま絶望という様々な苦難は、もちろん具体的な状況は違うのだけど、僕ら一般人生活を営む上で出会うそれらと変わりがない。ヒーローヒーローでありつつ僕らと同レベル人間存在であって、その同類が困難に向かって立ち上がるから胸が熱くなる。

マーベルというアメコミ企業は、扱ってる商品性質上、ヒーロー専門家であって、ヒーローについて多分毎日毎日めちゃくちゃ真剣に考えているから、そういうドラマの基本を十分に研究していてヒーローを生み出している。

その結果、例えば肉親を悪の襲撃や事故で失ったり、自分の将来の希望を奪われたり、社会からの拒絶で友を失ったり、両親との関係コンプレックスがあって取り戻せなかったり、愛を交わしたパートナーに去られたりする。……よくあるなー。

そういう内面的な危機を乗り越えた「から精神的に強いヒーローなのだー! ばりばりばりー! みたいなシナリオは本当に多い。でも、それってなんかこう……やりすぎて陳腐になったり、これみよがしな悲劇ドラマになったりもする。

言い方は悪いが「こんなにひどい目にあったんだから超絶能力を手に入れてもええやん?」みたいなエクスキューズにも見えてしまうのだ。ドクター・ストレンジお前の映画のことだゾ。

この「1)なんだかんだで凡人→2)内面的な困難や絶望の超克→3)不思議出来事が起きてヒーローパワー入手!(2と3は順不同)→4)乗り越えた主人公の爽快なアクション!→5)解決!」というドラマ構造はすごく強力なテンプレなのであらゆるメディアで見ることが出来る。

この構造において、ヒーロー内面的な資格は「不幸とその超克」だ。

でもたぶん、『キャプテン・マーベル』はそこに対して距離を取った。

ドラマを支えるために一応取ってつけたようにその構造はあるのだが、その部分には明らかに重心をおいていない。

主人公キャロルダンヴァース(キャプテン・マーベル)は、たしかにクリー人に洗脳されて傭兵扱いされてたわけで、そういう意味で裏切られていた(っていうか洗脳されてたって相当ひどい過去だよな。エリア88風間シンよりやべーだろ)わけだけど、じゃあそれが彼女内面悲劇であり彼女の中心か? というと別にそんなことはない。

リー指導者である超AIにたいしても自分を騙していた直接的な上官にたいしても、別段そこまで復讐意思はなさそうだ。現に上官のヨン・ロッグは叩きのめしたけれど宇宙船にわざわざ乗せてクリー星へ送り返している。

映画を見終わったあとに振り返ってみたけれど、彼女内面的な意味ヒーローになったきっかけというか契機となるイベントは実は本作のメインな時間軸中に存在しない。そのイベントの欠如は、従来の判断によればドラマ設計の失敗を意味するはずだ。でも、設計失敗の割にこの映画破綻してないしちゃんドライブされている。

これってどういうことなのか? 内面葛藤を経ていないキャロルは前述のヒーロー資格においては失格であるはずだ。しかし画面の中の彼女はさっそうとしてて格好いいし、見ていて気持ちいいし、応援も出来るしヒーローに見える。これってどういう設計なのだろう?

結論から言うと、その資格論にたいする本作の返答は「主人公キャロルダンヴァースは最初からヒーローだった」だったいうものだ。

この「最初から」というのは、文字通り子供の頃からという意味で。

作中でインサートされるように、キャロルは、子供時代記憶としてカートレース事故にあう。子供野球三振する。軍の教練において体力勝負で負けて周囲から笑われる。つまり、僕ら凡人がするような挫折を一通り普通にやっている。

そして彼女はなんだかんだ人生につきもの紆余曲折を経て、当時まだまだ女性に対しては門戸を閉ざしていた空軍パイロットエリート象徴でもある!)に実験部隊ということで潜り込んでテストパイロットになる。

その実験部隊トラブルが起きて、キャロルは恩師ウェンディローソン博士を助けるために飛行任務立候補し、その騒動の中であわや命を失うというところまで行くのだが、それはさておき。

その実験部隊で同僚でもありキャロル親友黒人女性パイロットマリアランボーセリフに「その時(恩師を助けるためにパイロット立候補したときの)のあんたはまさにヒーロー登場! って感じだったよ」というものがある。過去を回想する形で親友主人公を思い返した言葉だ。

この立候補ときキャロルスーパーヒーロー能力を持たない普通地球人だったわけだけど、にもかかわらず、「まさにヒーロー」だったわけである

能力のみならず、内面危機においても主人公キャロルはこの時点で、ヒーローにつきもの特別悲劇経験していない。恋人を謎の組織に殺されたりしてないし、四肢を切断されて生きる力を失ったりしてないし、故郷帝国に焼き尽くされたりしていない。

この作品は「それでもいいんだ」と言っている。そこが良かった。

まりカートレース事故から負けん気で立ち上がったとき子供野球三振したけど凹まずに再挑戦したとき、軍の訓練の綱登りで落下してもへこたれなかったとき、そのときキャロルダンヴァースはすでにしてヒーローであった。あらゆる困難に「なにくそ!」と立ち向かったとき、「すでにしてヒーロー資格を得ていた」わけだ。もちろんアクションバトル映画であるので、主人公キャロルヒーロー能力を得たあとにも虐げられたスクラル人を助けようとして銀河規模の争いに身を投じる訳だが、それはなにも特別なことではなくて、「眼の前の困難に対して意地や義侠心で立ち上がる」ことそのもの子供時代と変わらない。

あらゆる人のあらゆる人生につきものの、しかし本人にとっては重要な、日常の無数の挫折や失意から立ち上がること、諦めずにチャレンジするその姿勢、それこそがヒーローであると『キャプテン・マーベル』という作品は主張している。

それはつまり主人公キャロルだけではなく、広く開かれた一般凡人である視聴者への無言のメッセージでもあるのだ。「ヒーローになるにあたって特別巨大な悲劇喪失必要ない」。「この映画を見ている圧倒的多数普通の人々も十分ヒーロー足りうるよ!」と言っている。

これは脚本家が、従来のヒーロードラマに対してまだまだ満足せずに、ドラマ構造として一歩先に進もうとした野心の結実のように思える。

そのチャレンジがとても良かった。

ハリウッドアメリカロールモデル

アメリカ映画において、とくにハリウッド映画において、さら子供ターゲットに含めたヒーロー映画において、ロールモデルっていうのはすごく重要ポイントだ。ロールモデルっていうのはざっくり「目指すべき人物像」とでも言えると思う。「こういうのが良い人間です」という制作側の提案、という側面がハリウッド映画には確かにある。

日本ではちょっと馴染みのない考え方かもしれないけれど、要するに子供の頃に課題図書で読む偉人伝と同じような役割文化装置だ。二宮欣二とか野口英世とか夏目漱石とか聖徳太子とか。あのような人々の物語と同じようなジャンルとしてキャプテン・アメリカアイアンマンがいる。

人々は彼らに憧れるとともに、彼らを通して、正義や公や仁愛や克己を学ぶ。どういうモデルが「目指すべき人物像」になるかっていうのは、当然制作側/脚本側の提案によるんだけれど、その背景には当然制作当時の(主にアメリカの)世相が反映されている。

近場で言えば『アクアマン』では主人公アーサー・カリー が抱えた苦悩は、まさに「移民二世が抱えるアイデンティティ問題」「おれはどっちの子供なのよ?」であって、すごく現代的だった。

アントマン』においては「娘に愛されたい父親としての俺と、金を稼ぐ社会の中での俺のどっちを選べばいいの?」というこれまた現代的でヴェットな問題が提起されている。『インクレディブル・ファミリー』においては「あっれー。なんか嫁さんのほうが稼ぎ多くて俺ってばヒモみたいな生活になりつつあって、家庭内での俺の地位とか、俺のオトコとしてのプライドとか、どうすればええん?」という現代的な――なんか世知辛くてしょっぱい話になってきたなあ。

MCUにおける二大ヒーローキャプテン・アメリカアイアンマンは「能力を持つもの社会貢献」をめぐる物語対立する。世界を救う能力を持つヒーローは、なんで救う義務があるの? というわりと古典的で、でも正義をめぐる物語としては避けて通れぬ踏み絵のようなテーマだ。

その問答に『キャプテン・マーベル』は踏み込まない。主人公キャロルは行動するが、行動に前だつ問答はない。それこそが彼女提示したヒーロー像で「アメリカ人の目指すべきロールモデル」だ。

困難を前にしてくじけない。不撓不屈。弱者に対して自然に寄り添う慈愛と、押さえつけてくる不当な力に対する反発。しかしそれらは、そういう問題がなにか特別大きな悲劇から、滅すべき悪だから立ち上がるというわけではなく、ごく自然に「それが私だから」というスタンスで、重く扱われない。そこで重要なのがくだらないユーモアと友人と日常であって、災厄を目の前にしてもひょうひょうと立ち向かう。ただ、絶対にくじけない。破れても失敗しても「もう一度」チャレンジする。

主人公キャロルはその戦闘能力においてMCUのなかでもかなり最高峰位置すると思うのだけど、政府超人兵士計画で生まれキャプテン・アメリカよりも、悲劇を背負った社長発明家大富豪ちょいワルモテ親父のトニー・スタークよりも、その内面姿勢において一般的な視聴者に近い。「顔を上げて誇り高く自分らしく生きる」だけでヒーローとして立っている。

その軽さ、明るさ、が心地よい映画であったと思う。

2019-03-15

anond:20190315171049

今回の判決文読むと「正当性が無いけど、その後吉牛に入ろうとしたりキティガイムーブで逃げ去ろうとしたのは流石に不審者やろ」って書かれてる。

少なから定型発達マンならそこで警察経由で「別の方呼んでくださいオナシャス!」とかするしなんだったら身の潔白を証明してバイバイできるだろ、っていういたって普通判断だと思われる。

更に江添自身が「自分予備自衛官だと身分証明している」みたいなことを強弁してるけど、フルメタル・ジャケットとかランボーとか見たことある人ならそう言う奴の方がヤバイって分かるじゃん…

現実についこの間同族事件起こしてるじゃん…

予備自衛官はヤバくないことの証明にはならないってのを理解してないのもヤバいと思った。

総じて常識に欠けてるって印象。常識に欠けているからって職務質問していいのかどうかはまた別の問題だけど。

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