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はてなキーワード: 太平記とは

2019-12-13

朝起きたら胸の真ん中らへん、急に心臓のあたりが急に痛くなった。

うんこが出ないときの腹痛に似た痛みで、一時すごく痛まったのだが、本当にうんこしたり朝ごはん食べている間におさまってきた。うんこは食前と食後の2回出した。

痛みの感覚わずかに残っているだけで痛くない、という感じ。この時起きて痛くなってから30分ほど経っている。

昨日久しぶりに古文を読んだ。

太平記をつらつらと読んでいるのだが、長い文章の途中で主語が変わるアレを数年ぶりに読んで何だかとっても懐かしくなっちゃった

古文は本当に外国語みたいだなと思いつつ、意味を汲み取れるようページを右往左往しながら読み進める。

2019-11-11

最近学習漫画仕事してる大物作家いないよね

新聞で、中央公論社漫画日本古典」の広告を見た。古事記源氏物語雨月物語太平記などの古典漫画化したシリーズ作品である。その漫画を描いた漫画家がどれもビッグネームでスゴイ。石ノ森章太郎水木しげるいがらしゆみこさいとうたかを横山光輝安彦良和里中満智子竹宮恵子矢口高雄つのだじろう。みんなヒットした代表作を持つ大物漫画である。そこらの無名絵描きを起用した漫画ではないのだ。

今思うと、単に仕事として依頼されたからというだけでなく、こういう学習漫画を描くことで社会貢献して箔をつけようとしていたのかな。単に雑誌大衆向けとして描くだけでは社会人評価が得られにくかったから。あと、こういう漫画執筆を通じて、漫画自身勉強になり、学がつくというのもあるだろう。最初から立派な監修がついてくれてるから安心できるだろうし。

活躍してる漫画家たちも人気漫画家ほど、こういう学習漫画仕事をしていくべきだと思う。子供漫画離れで雑誌販売部数が激減してると言われて久しいけど、そんな時代からこそ漫画離れを防ぐために学習漫画仕事をしてほしい。

2019-01-13

[]以津真天

「いつまで」と読む。

太平記に書かれた怪鳥で、紫宸殿屋根の上で「いつまでもいつまでも」と鳴いていた。

射落としてみると、頭は人間のよう、体は蛇のようで、翼長は5mもあったという。

それを江戸時代絵師鳥山石燕が「以津真天」と名付けて描いたことで広まった。

疫病が流行したときに出現したと書かれているため、疫病で死んだ人間が鳥に変じて「いつまで私の死体を放っておくのか」と鳴いていたのだ、と説明されることもある。

2019-01-06

百田尚樹バカにするのはたやすい、しかし、

百田尚樹というブランド」を作り上げるのにかかった年月と、そのための努力、これは悔しいが素人では太刀打ちできないのだ、悔しいが

じつは俺は、歴史系の底辺ライターである

よく書店ではなくコンビニで売ってる、古代史や戦国時代に関する紙質の悪い雑学本の仕事をしている

その程度の本でも、Wikipedia最後の裏取り程度にしか使わず吉川弘文館だの中公公論社だの岩波書店だのから刊行されてる、それなりの実績がある大学教授が書いた専門書を参考に書いてる

だが、これは自己満足プライド問題しかない

実際、現代ではまともな歴史学者の資料に当たると「日本書紀のこの記述ウソ、当時の政治的作為がうんぬん」「平家物語のこの記述は~」「太平記のこの記述は~」という調子で、いわゆる面白そうな話はほとんど全否定になる

逆に、マニア的に「じつはそうだったのか!」的な面白さもあるのだが、これはある程度の前提を理解したマニアでないと通じにくい

通俗歴史本の執筆という点では、誇張抜きに、俺の方が百田尚樹より真面目に仕事してると本気で思ってる

しかし、それでは売れないのだ

あのくだらん日本国紀は、「百田尚樹というブランド」の勝利なのである

そして実際、無名歴史系の底辺ライターである俺は、『海賊と呼ばれた男』だの『永遠の0』ほどの小説は書けないし書いたこともない、負けなのは仕方ないと認める

が、たか書店ではなくよくコンビニで売ってる雑学本でも、俺はWikipediaに頼らず、一定の実績ある歴史学者が書いた文献を参考に書くことを辞める気はない

読者に正確な事実を伝えたいなんてご大層なことではない

単に職業人としてのプライド問題

2018-09-19

現存しないがレビューサイトで点(星)がついている映画

公開が古くてフィルム現存しない映画でも、映画サイトでは点(星)が付けられているものがいくつもあります

殆どはイタズラ投稿だと思いますが、中には公開当時実際に鑑賞した人による評価もあるのかもしれません。

あったとしても見抜くことは出来ませんが。

はてなリンク制限があるため直リンクを行っていません。「h__ttps」「h_ttp」の「__」を削除してください。。

現存しないとはウィキペディア記述によるもの

結婚学入門 1930年昭和5年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80

現在脚本現存するも、ネガプリント散逸している。

製作国:日本

4.1

h__ttps://filmarks.com/movies/18734

大学よいとこ1936年昭和11年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%88%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%93

脚本のみ現存プリントはない。

製作国:日本 / 上映時間:114分

3.8

h__ttps://filmarks.com/movies/20802

美人哀愁 1931年昭和6年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E5%93%80%E6%84%81

現存するのは脚本のみで、ネガおよびプリントは失われている。

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=63840

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 5

レビューの数 0

春は御婦人から 1932年昭和7年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AF%E5%BE%A1%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E3%81%8B%E3%82%89

現存するのは脚本のみで、ネガおよびプリントは失われている。

h__ttps://filmarks.com/movies/17416

製作国:日本

3.6

箱入娘 1935年昭和10年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E5%85%A5%E5%A8%98

現存するのは脚本のみで、ネガフィルムおよび上映用プリントは失われている。

h__ttps://movies.yahoo.co.jp/movie/%E7%AE%B1%E5%85%A5%E5%A8%98/131208/

監督小津安二郎

2.50 点 / 評価:2件

天下太平記 1928年昭和3年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E8%A8%98

本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[6]、マツダ映画社も同様である[7]。大阪藝術大学玩具映画プロジェクトフィルム断片を所蔵していない[8]。現状では、いずれも鑑賞の不可能作品である

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62239

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 1

レビューの 数0

都会交響楽 1929年昭和4年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E4%BC%9A%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD

本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[9]、マツダ映画社も所蔵していない[10]。現状、観賞することの不可能作品である

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=63113

平均評点 0.0点(0人)

観たひと 1

観たいひと 1

レビューの数 0

女房紛失 1928年昭和3年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%88%BF%E7%B4%9B%E5%A4%B1

現在脚本ネガ原版・上映用プリントのいずれも散逸している。

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62241

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 3

レビューの数 0

足にさはった女1926年大正15年)

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E3%81%AB%E3%81%95%E3%81%AF%E3%81%A4%E3%81%9F%E5%A5%B3

本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[5]、マツダ映画社も所蔵していない[6]。現状、観賞することの不可能作品である

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=41814

平均評点 0.0点(0人)

観たひと 1

観たいひと 5

レビューの数 0

足に触った幸運 1930年昭和5年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E3%81%AB%E8%A7%A6%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%B9%B8%E9%81%8B

シナリオ現存しており、1993年平成5年刊行の『小津安二郎作品集 1』(井上和男編、立風書房)および、2003年平成15年刊行の『小津安二郎全集 上』(井上和男編、新書館)に収録されている[3][4]が、ネガ原版・上映用フィルム現存されていない。

h__ttps://filmarks.com/movies/38460

足に触った幸運1930年製作映画

製作国:日本

3.6

春は御婦人から1932年昭和7年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AF%E5%BE%A1%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E3%81%8B%E3%82%89

現存するのは脚本のみで、ネガおよびプリントは失われている。

h__ttps://filmarks.com/movies/17416

春は御婦人から1932年製作映画

製作国:日本

3.6

懺悔の刃 1927年昭和2年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%BA%E6%82%94%E3%81%AE%E5%88%83

現在脚本ネガ原版・上映用プリントのいずれも散逸しており[4]、観賞することの不可能作品となっている。

h__ttps://filmarks.com/movies/15024

懺悔の刃(1927年製作映画

製作国:日本

3.9

会社員生活 1929年昭和4年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E5%93%A1%E7%94%9F%E6%B4%BB

初回興行帝国館。現在脚本ネガ原版・上映用プリントのいずれも散逸している。

h__ttps://filmarks.com/movies/29206

会社員生活1929年製作映画

製作国:日本

3.8

若人の夢 1928年昭和3年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%A2

現在脚本ネガ原版・上映用プリントのいずれも現存していない。

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62179

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 3

レビューの数 0

また逢ふ日まで 1932年昭和7年

h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%9F%E9%80%A2%E3%81%B5%E6%97%A5%E3%81%BE%E3%81%A7

現存するのは脚本のみであり、ネガフィルムおよび上映用プリントは失われている。

h__ttps://filmarks.com/movies/16783

また逢ふ日まで(1932年製作映画

製作国:日本 / 上映時間103分

3.7

h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=64450

平均評点 70.0点(1人)

観たひと 2

観たいひと 4

レビューの数 0

2018-05-29

anond:20180529134817

もともとは単に「1 条件に満足する=同意する・和解する」という意味だったのだろう。

日本書紀にもそう書いてある。

そこからの変化は、

「2 本来は満足すべきではないかもしれないが、自分は本当に満足している」(例・清貧に甘んじる)

「3 本来は満足すべきでないのに、満足してしまっている」(例・下位に甘んじる)

「4 本来は満足すべきではないが、やむをえず同意する」(例・薄給に甘んじる)

といったところだろうか。

「1」の用法消滅したが、「2」「3」「4」はそれぞれ今でも使われていると思う。

ちなみにいつごろから使われているのか。

以下の用例は14世紀成立の太平記が出典だが、

却て悲しむらくは、公のただ古人の糟粕を甘なつて、空しく一生を区々の中に誤る事を

(むしろ悲しむべきは、昔の人が残した言葉を知るだけで満足し、細かいことにこだわって人生を誤ることだ)

この「甘なつて=甘んじて」は「3」の用法であろう。

歴史の早い段階でネガティブ意味合いを含んでいたことが窺える。

さて、日大の回答については「2」の用法と思われる。

から「やむをえず受け入れるという意味ではない」という擁護は正しい。

ただし「厳しい批判本来は受け入れられないもの」と受け取られかねないとは思う。

違和感はむしろこちらにあるのだろう。

2018-04-20

anond:20180420123414

花の乱とか琉球の風とか炎立つとか太平記とか見たいんだよなあ。見たいんだよなあってまあレンタルすればいいんだけど。返却期限気にしてみるのイヤだから再放送しないかな。

2017-08-24

Hatena Keyword の「スペシャリテ」のページを見ると、

関連キーワードに「太平記」がある。

…何が関連?何の関連??

どういうアルゴリズムなのか、まったくわからん

2017-07-30

何で古典古典化したのか

理由の一つに、高度経済成長期に「モーレツ」に働き過ぎた点があるように思う。

あの時代の直前までは、芸者遊びみたいなのが、どこの都市にもあった。

私の暮らす地方都市にすら、かつてちゃんと見番があって芸妓がいて、料亭があった。


あなたは、「長唄」と「謡」の違いについて、いきなり説明を求められて答えられるか?

代表的演目や、例えば常磐津との関係とかを答えられるか?

これらの芸能が、あなたの住む町のどこで習うことができるか知っているか

調子こいたけど、俺も詳しく知らん。


当時は、市役所上層部会社社長銀行幹部や、金持ち農家なんかが長唄や謡いなんかを習っていて、そして夜は料亭遊んだわけだ。

そこでは古典に題材を獲った芸が行なわれていて、それを見て聴いてわかるリテラシーがあったわけだ。

金持ちたちは、何かを習ったり、そのリテラシーを楽しむ時間的余裕を持っていたし、そういうのに金を費やす心意気を持っていた。

彼らは「旦那衆」と呼ばれた。


経済成長の結果かなりの人間が、昔より金銭的に余裕ができたし生活の質は向上した。

だけれどその代償か、遊びは、どこかで失われてしまった。

芸者から女給の時代になった

現今ネットでは、短い間に特定ミーム流行ってそしてすぐに消えていく。

2chで「ぬるぽ」というとどうなるか?

ニコニコ動画車などが追突した場合、何と書かれるか?

航空事故に関連する話題で「はい」と書き込まれ場合、どうリアクションするのが正しいか

人間はある種のパターンミームみたいなのが大好きなのだ


昔はそれが、源氏物語だったり平家物語だったり太平記だったりしたのだ。原文を読まずとも、なにかそれへのきっかけになる芸能があった。

私たちは、高度経済成長期以降、着物を着なくなって伝統的な日本家屋に住まなくなって井戸を止めて上下水道になってテレビのせいで方言差異が減って……。んで伝統芸能へのアクセス手段も減ってしまった。みんな余裕ができたんだから、みんなが長唄や謡や、踊りや三味線リテラシーがある社会になってもおかしくなかったのに。


こうした断絶を経て、今ネット社会はある。

SFみたいな世界に生きているんだな、と思うことがある。

2016-07-23

日本起源説(2chで見つけたコピペ)

日本起源説

石川県・・・石川県の"モーゼの墓"は税金管理されている』

青森県・・・梵天山の釈迦堂山には"釈迦の墓"がある』

広島県庁・・・広島県庁社団法人広島県観光連盟は葦嶽山を"世界最古のピラミッド"と発表している』

青森県新郷村・・・新郷村役場は"キリストの墓""キリスト遺書"の存在公式に認めている』

出口王仁三郎・・・日本人シュメール起源説』 『世界最古の文明を作ったのは日本人

日本画家鳥谷幡山】・・・ピラミッド日本起源説』 『日本ピラミッド発見

漢方医学中山忠直】・・・日本ユダヤ共同起源説

国学者大石凝真素美・・・神代文字論』

牧師勲五等酒井勝軍・・・日本ユダヤ共同起源説』『ピラミッド日本起源説』 『日本ピラミッド発見』『古代イスラエルオニックスを日本発見

アイヌ研究家小谷部全一郎・・・源義経ジンギスカン説』 『日本ユダヤ共同起源説

【皇祖皇太神宮神主竹内巨麿・・・竹内文書』 『神代文字』 『日本人類発祥の地』 『モーセキリストムハンマド釈迦来日天皇に仕えた』 『青森で"釈迦キリストの墓"を発見

政治家考古学地質学山根キク】・・・キリスト日本渡来説』『青森キリストの子孫を発見

日本探検協会事務局長幸沙代子】・・・漢字発明したのは日本人

東大経済学部探検協会会長高橋良典・・・『太古、日本の王は全世界を治めた』

【帝大(東大)卒歴史学者木村太郎・・・世界文明起源日本だとする"新史学"を提唱』 『世界中古代遺跡日本人によるもの』 『邪馬台国古代エジプトにあった』

ホメロスの「オデュッセイア」は「平家物語」や「太平記」を元に書かれた』『ムハンマド日本神話の本牟知別命であり桃太郎。この伝説英国に伝わり「ハムレット」になった』

ソクラテス日蓮プラトンは日昭』 『西郷隆盛自刃せずベトナム脱出した。"サイゴン"は"西郷"の名からつけられた』 『イタリアシシリアン江戸の町奴だった』

2016-02-28

死霊術師井上

死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。

大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。

ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。

テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭意志21世紀でも保っている。

死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。

腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。

祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史辞典』にかぶりついた。

その頃の近江一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。

私は大学研究室院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室国文学研究室に行って、室町時代言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母アドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてもの時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母明治4年に死んだ男の死体蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。


春休み近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだオリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。

山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから

ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代言語常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成研究をしに理学部農学部へ行きたかった。

洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚近江出陣の際には公家近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。

これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ

精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。

太平記』の文法で私は語りかける。

「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉あなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ国文学研究室富田先輩ありがとう

…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージ五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家女性が見える。平安時代のオカメ十二単イメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生素体になってくれるよう語りかけよう。

「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しまたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。

「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなた時代言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日あなたお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。

あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなた精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」

「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。

「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルール現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。

「私は京都六角富小路邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから武家奉公人生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」

彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。

「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家生活。今まで見知った知識や噂話全てからひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女21世紀平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。

好奇心イマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽マンションにやってきた。

2015-06-26

[]馬鹿阿呆語源

語源についてはいくつか説があるが、決定的なものはない。ただし、文献による初出が太平記における「馬鹿者」であり、「馬鹿」という用法はそれより後世であるから、当初は「馬鹿者」という熟語としてのみ使われたと思われ、それを前提とした説のほうが若干優勢であると言える。

史記の「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」の故事語源とする説

 最も普及している説。(中略)しかし「馬鹿」のうち鹿の「か」は訓読みであり、中国風の音読みで馬鹿を「ばか」と読むことはできないなどの問題がある。

語源の一説として

などがあるが、ともに信憑性は乏しい。

2007-02-08

恋愛太平記

http://anond.hatelabo.jp/20070205022834

朴念仁侍の日記より始まったとされる猪口戦国時代

世間をいろんな意味勝ち組負け組に分けた

ばれんたいん天下割れ分け目の合戦をもって終結するが

太平の世も一月と続かず、新たな動乱の時代を迎えるのであった。

「たった三倍で夜も寝られず」

 
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