はてなキーワード: アラブの春とは
100分で名著 ジーン・シャープ「独裁体制から民主主義へ」録画しておいたものを観はじめた。メモ書き
初っ端から「アラブの春にも影響を与えた、あの…」と来た。アラブの春って大混乱の幕開けではないか。
この本はお花畑的なアレではなく独裁体制を非暴力的な政治闘争により打倒する実践的な戦略と戦術を教えてくれるものなのだという。カレン族の歴戦のゲリラがもっと早く知りたかったみたいなことを叫んだという。嘘くせえ&上から目線くせえ。
さて昨今プーチン体制とそのウクライナ侵攻を看ていてつくづく思ったのは
ということだ。
もともと吹き込まれていたのは(そして素朴に信じていたのは)、ことフットワークの軽さにおいてこちとらは権威主義体制にはかなわないんだよということである。あっちはどんな決断でも迅速に行えるのだからと。ぜんぜんそんなことはなかった。むしろ自ら選択肢を潰し、残された貧相な可能な手段を、くるくる変わる目的が追いかける間抜けさこそは権威主義体制の生理であるようなのだった。
そして独裁者の権威と権力には法の裏付けがないので民衆の歓心を買い続けるために不合理な決断・行動を余儀無くされるのが実像なのであった。
解説の学者に言わせると「独裁体制の権力の供給源は民衆であり、だからこそ民衆の非暴力闘争によって体制転覆できるというのがシャープ理論のキモ」なのだという。
前半はそのとおりだ。後半は、支配者より被支配者のほうが頭数は大なのだという当たり前のことを言ってるに過ぎない。「にもかかわらず」支配が成り立つのが人間社会の厄介なところではないか。
戦争にしろ独裁にしろ「みんな心底嫌なのに、なんで…」というのが我々の関心の核である。この本はそこにわずかでも答えるのだろうか?
そして体制転覆のための非暴力的な政治闘争の198の具体的手段というのが示される。まあ予想通りサボタージュのすすめとかで、ふつうだ。
おいちょっと待て。そもそも独裁体制を存続させているキーファクターはそれぞれ違うだろう。しかもそれは往々にして国の外にある。北朝鮮が存続しているのは北京がそれを望むからだ。北朝鮮民衆が勇敢にも非暴力闘争に乗り出そうが乗り出すまいが関係ないのである。
また現在のプーチン体制はひとえに核の脅しでもっている。それがなかったら一瞬で消し飛んでいるだろう。やはり外国との関係が決定的に重要な要素である。
一国内だけの非暴力政治闘争メソッドなんて、頭がお花畑と言われたくないお花畑サヨクのためのポルノでしかないではないか。
盛者必衰の世の中。独裁者の栄華は続かない。ただし滅びる原因は様々だ。数々の例の中から非暴力的な民衆の抵抗が奏功したように見える例をピックアップすればシャープ理論の実証になるというつもりか? そんなのはとんだ事後孔明というものだし、プラハの春や天安門みたいに戦車に一蹴された例はどう解釈するのか。
2夜分を観て、今んとこ全く得るものなし。
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id:donovantree 日本が存続しているのはアメリカがそれを望むからだ。日本の民衆が勇敢にも非暴力闘争に乗り出そうが乗り出すまいが関係ないのである。そんな日本で愛国保守を標榜するのは滑稽である
と思ったら「オレ釣られちゃった?」の馬鹿じゃん。お前ほんと気持ち悪いよな。馬鹿すぎて。
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id:soramimi_cake 後半も読んだが、増田の中でだけ神になった気分に浸る人っているよねーとしか。
同じ日本語使ってるのになんでこう皆目意味不明なこと言いだすのかね。俺のことかこれ?俺マスダノナカデダケカミニナタキブンニヒタテんの?なにがどうなってどのように?
ちょっと何が言いたいのかトラバなりで説明しろよ。自分の発言の意味を説明するのに何の不都合もないだろう。
でも絶対に自分の言葉に責任とらないんだよな、お前のようなものは。頬かむりか囃し立ててごまかすだけ。
本当、一回リアルで会ってみたい。こいつらみたいなネットでしか見ないレベルのゴミに。真っ直ぐ目を見てじっくり優しく訊ねてやりたい。お前は何が言いたいの?って
1990年代→新興宗教が毒ガスを地下鉄の駅に撒く。中学生が小学生を殺して生首を学校に置く。金融機関がバタバタと潰れて自殺者が年間3万人を超える。不景気が終わらない。これからどうなるのか。徐々に窒息していくような不安。躁鬱的な雰囲気。病的なヤバさ。
2000年代→アメリカ同時多発テロ事件。イラク戦争。リーマンショック。冷戦が終わったはずの世界がどこかおかしくなっていく。インターネットの普及が融和よりもむしろ分断を招く。小泉構造改革。民主党政権。なんとかしようとして余計に悪化した。永遠に続く不景気。
2010年代→東日本大震災。反原発。安倍政権。フェミニズム。インターネットが「ファクト」を分裂させ、いずれを信じるかで社会の分断が決定的なものになる。アラブの春。イスラム国。ロシアのクリミア占領。トランプ旋風。ブレグジット。世界が壊れてしまった感覚。
冷戦を終結させ核戦争の恐怖から逃れた人類が祝砲とともに迎えた21世紀が、よもや侵略戦争とそれに伴う核戦争の懸念に飲み込まれるとは誰が予想したであろうか。ここに至る経緯は長く複雑であって一冊の書物にさえ収まりきらないものではあるが、それが世に出るころには世間の関心は賞味期限切れを起こしていると思われるので、ここにその一部を記そうと思う。
そもそも、ウラジーミル・プーチンがウクライナの併合をもくろむようになったのはいつのことだろうか。すなわち、民族的ロシア人の保護というロシア社会における要求に甘んじず、かつてのロシア帝国的な全スラブ民族の庇護者というアイデンティティを確立し、ウクライナをロシアの範疇とするべく模索を始めたのはいつのことだろうか。これは遅くとも2019年にはその転換は生まれていると考えられる。冷戦の勝者であったはずのアメリカはトランプ政権の下で国際的な威信を低下させ、アラブの春以降に生まれた膨大な中東難民はヨーロッパ社会を疲弊させた。東に目を向ければ2008年の中露国境問題の解決をもって後顧の憂いを絶ち、和平条約こそ結べないもののクリミア危機をもってしてもなお対露宥和政策を維持する日本を見る限り不安要因とはなりえない状況であった。そして、ウクライナにおいてさえ、2019年の大統領選挙では対露強硬派のポロシェンコが敗退し、政治的には素人のコメディアン出身でウクライナ語さえ満足に話せないゼレンスキーが対露宥和政策を掲げて当選するに至ったのである。むしろこの時にこそ、プーチンがミンスク合意を超えたウクライナの併合という天啓を得たとしてもおかしくはない。彼の帝国に、およそ実現不可能な侵略戦争の妄執を諫める官衙が無かったことが、世界の悲劇であった。
ロシア軍の当初の作戦は様々な面で事前の調査検討が不十分なものであった。もとより実現可能性も実効性もない目標を大真面目に検討しろと言う方が無理であろう。とはいえ、杜撰な侵略作戦はいかにして作られたのだろうか。これにはおよそ二つの側面がある。一つは、計画立案の手間を惜しんで集団安全保障条約(CSTO)加盟国内で政変が起きた際の介入計画を下敷きにしている面。もう一つは、プーチン個人が気に入るであろう要素を加えることで、彼個人が満足するように作られている面である。このため、作戦計画はもとより無理のある要求に非現実的な企画で回答するという悪循環の産物と化しており、2022年2月の史上稀に見る大失敗に至るのは当然のことであった。
プーチンはこれまでに2回、親露派内閣の救援に失敗している。ブルドーザー革命で当時ユーゴスラヴィア大統領であったミロシェビッチを保護できず、またマイダン革命でもヤヌコヴィッチ内閣を支え切れなかった。これを踏まえ、CSTO加盟国内で政変が起きた際の対応計画は、かなり真面目に練られていた。そのうちの一つが開戦劈頭のアントノフ空港攻略作戦の原型になっている。原型となった計画では、クーデターなどによって親露派政府が打倒されそうになった場合、ロシア空挺軍部隊が首都近郊の空港を制圧して先行する特殊部隊とともに政府首脳部を保護し、これを空挺堡として首都や周辺の主要都市と軍事拠点を順次制圧していくという展開を想定している。
実際、ウクライナ侵攻の直前に起きたカザフスタン政変ではトカエフの要請を受けてロシア空挺軍によるアルマトイ国際空港を中心とした展開が行われており、一方の権力を奪われたナザルバエフは隣国キルギスに脱出し、カント空軍基地でプーチンが政権奪還を支援してくれるものと待ちわびていた。権力闘争の結果は周知のとおりだが、仮にトカエフがより反露的な人物であれば結果は違っていたかもしれない。
ウクライナ侵攻計画においても、親露派大統領に対するNATO とりわけアメリカ主導のクーデターが発生した際の対応計画を元に、少数の特殊部隊と大規模な空挺軍を利用したアントノフ空港の制圧とこれを拠点としたキエフ制圧計画が立案されていた。この作戦の致命的な欠陥として、クーデターであれば存在していたはずのウクライナ国内の親露派有力者、とりわけウクライナ軍部隊やウクライナ保安庁内の協力者からの援護が十分に期待できない点が挙げられる。計画上は確かに彼らが侵攻開始と同時に蜂起する想定になっていたのだが、ウクライナ国内の親露派の多くはロシア軍の本格侵攻を信じてはおらず、投下された膨大な準備資金は個人的な利益に帰してしまった。さらに、開戦直前に至るまでアメリカによる情報公開攻勢が行われたため、ウクライナ国内の親露派との連絡調整を職掌に収めていたロシアFSB第五局は情報漏洩を恐れて正確な開戦日時を伝達せず、結果的に2月24日は(開戦日は教えてもらえると思い込んでいた)親露派に対する奇襲となってしまった。この、事前連絡のない開戦とロシアによる一方的な協力への期待は、数字としては出ていないが、民族的ロシア人あるいは経済的恩恵といったものを背景とした親露派の翻意を大いに促し、以後のロシア軍を大いに苦しめることとなる。
また、本来であれば、制空権の確保と空挺堡の構築、地上部隊の侵攻は十分に連携の取れたものでなければならない。しかし、ロシア政府内では侵攻作戦がプーチンの「お戯れ」であるとみなされていたため、作戦計画の内プーチンが喜びそうな内容、具体的には前述のアントノフ空港への奇襲といった派手な作戦やウクライナ全土制圧後のロシアへの併合宣言といったハイライトのみが詳細に検討され、それ以外の点については何ら考えられてこなかった。例えば、アントノフ空港を制圧した空挺軍部隊と合流するためにベラルーシから地上侵攻を行う必要があるが、チェルノブイリ原発周辺の森林地帯を通過する際の計画は東部軍管区のある若手士官に図上演習の課題として丸投げされ、提出された素案を元に別の将校が大規模演習の名目で具体的な計画に起こしていたことがわかっている。想定された場所以外では戦闘や妨害が起こらず、また演習名目であったために部隊の移動は迅速に進むという前提で計画が確定してしまったことが、キエフの戦いにおいて裏目に出てしまった。同様にロシア海空軍も、地上軍との連携が乏しく長期の作戦計画が立案されていないなど、全面戦争を想定したものとは到底言いがたい状況であったのには、このような背景があったのだと見られている。
開戦前年にもロシア軍はクリミア半島などにおいて大規模な動員訓練を行っていたが、プーチンが本気であると知らない者には、これら人員物資の集積はあくまでウクライナおよびNATO に対する威嚇として理解されていた。事情を知る者は当初計画があまりに楽観的であることに懸念を示していたものの、FSB第5局の人員の多くは親露派ウクライナ人の協力が当然あるとして疑わなかったし、またある者はプーチンが本気でウクライナ侵攻を計画していると認識していなかった。何より、プーチン本人が自分に気に入られるべく作られた即興の作戦計画を「狙い通りに」気に入ってしまった。平たく言うと、ロシア軍としては侵攻計画の前提となる環境整備は対外諜報活動を所管するFSB が行うことが大前提であり、しかしFSBはその軍事侵攻に十全な準備をできていなかったのである。本来なされるべき長期的な見通しの欠如は、未だにロシア軍を苦しめている。
もう一方のウクライナ側の防衛計画についてはどのようなものだったろうか。戦前、ウクライナ政府および軍が想定していたロシア軍の侵攻計画は以下のようなものであった。まず、ドネツク・ルガンスク両人民共和国(D/LNR)との停戦ラインにおいて大規模な衝突を起こす。これを受けてロシア政府はウクライナ政府に即時の停戦と撤退を要求する。ウクライナ政府が拒否した場合「ウクライナ軍による民族浄化作戦からのロシア系住民の保護」を名目にロシア軍による大規模な空爆を行う。空爆によってウクライナ政府が降伏しない場合、地上軍による侵攻を行い、かつてノヴォロシアと呼ばれていた民族的ロシア人の多い地域を制圧する。これらの地域はD/LNR と同様にウクライナ国内の(EU やNATOへの加盟を拒否できる)自治州として温存し、長期的にはこれらを通じてウクライナを間接的に支配する。このプロットは明らかにコソボ紛争における欧米の介入の経過をなぞったものだが、ウクライナ軍はプーチンの個人的な欲求からNATOに対する当てつけとしてこのような展開を望むと考えていた。ロシアが率先してウクライナに侵攻するのではなくD/LNR が優位な戦況を作り支配地域を広げる体裁をとることが国際的な批判を回避する方策であるため、国際社会による仲裁を拒否し民族浄化を続けるウクライナへの懲罰的攻撃という方便を生み出すよう布石を打っていくのである。前提として、ウクライナ国内でクーデターのような政変が無く、ロシア側からエスカレートを仕掛ける場合を想定すると、このような順で進むと想定するのは合理的である。
問題はこれがどの程度のスピードで進むかであるが、ウクライナ軍の想定ではコソボ空爆と同様に開戦から地上侵攻まで最大3か月程度の時間的猶予があると考えていたようである。今を思えばのんびりした想定であるが、ロシア陸軍の各部隊は徴集兵を少なからず含んでおり、これらは法律上ウクライナへ派兵できないため、全面的な戦争を始めるには予備役の招集と訓練が必要であると見られていた。したがって部隊の充足率を高めるのに必要な時間がある程度は期待できたのである。このタイムラグの間は空爆とドネツク・ルガンスク両州が主な戦場となる。そこで、ウクライナ軍としては東部に陸軍の主力を集中させてD/LNRとの停戦ラインを堅持することで大きな損害を与え、ロシア軍本体が参戦するまでに東部戦線を安定化、あわよくば地上侵攻を思いとどまらせるという方針が定まっていた。また、この時、クリミア半島やベルゴロド州からロシア軍が侵攻してくることが考えられたが、ここは動員した予備役や領土防衛隊で国境線を維持することとされた。長期的な見通しはさておき、ウクライナ軍にとって主眼はあくまで東部戦線であり、停戦ラインから20km の範囲で多数の陣地構築を行っている。隣接するヘルソン、ザポリージャ、ハリコフの各州での陣地構築は開戦後住民の避難と並行して行う予定であったと考えられる。
もし、開戦に先立ちウクライナ軍が上述の想定の元東部戦線への戦力の集中を行っていた場合、図らずもがら空きのキエフへロシア空挺軍が殺到していたことになる。では、ウクライナ軍はどこで引き返したのか。最も有力な説は2月21日のロシアによるD/LNRの独立承認の直後であろうというものである。前述のような経過をたどるには、D/LNR がウクライナの一部という立場のままロシアがミンスク合意の履行を強制する状況になければならない。両地域の独立を承認してしまった場合、D/LNR や民族的ロシア人が優位な支配地域を中心とした間接的なウクライナ支配という筋書きと整合しなくなる。また、東部戦線におけるD/LNR の攻勢が想定よりもだいぶ弱く、ロシア軍が両地域へ展開している部隊数も想定をかなり下回っていることから、ウクライナ軍では当初想定とは異なる侵攻計画がある可能性を認めざるを得なくなった。この時、米国からの情報によればロシア軍の侵攻計画は長大な国境線での一斉攻撃であった。残念ながら、ロシア軍が主体的に全面侵攻を仕掛けるという情報をウクライナ軍は信じることができず、さりとて東部戦線へ部隊を急派する必要もない状況を踏まえ、ウクライナ軍は部隊移動を取りやめ、部隊位置を秘匿したうえで数日待機、すなわち様子見することとした模様である。結果的に、キエフ周辺には開戦直後のホストメリ空港を一時的にせよ防衛するのに十分な戦力が残っており、第一機甲旅団はチェルニゴフ州でドニエプル川左岸を防衛することができた。一方で、南部においては部隊移動が混乱をきたしてしまい、クリミア半島との境界に当たるペレコープ地峡からメリトポリ付近に至る広い範囲で守備部隊のいない状況となってしまった。もしこの地域を担任する部隊が移動前であったならば、事前準備の不徹底なロシア軍の南部からの攻勢すら頓挫していた可能性がある。
センセーショナルだったり扇動的な文を書いてみても社会的な反響などあった試しなどないので、アラブの春やミートー運動のきっかけになったツイートした人とか羨ましく思う。
何百何千回とそういうことしてきて数日のあいだしばらく待ってみるが、テレビや新聞が俺の書いたことで騒ぎ立てることはない。それを確認するたびにやるせなさというか無力感みたいなものを痛感する。
ネット記事になる程度じゃ何も嬉しくねーよ。テレビや新聞は詳しくないが一面から二面?に載って初めて俺の書き込みは社会的反響をもたらしてるんだと納得できるわけよね。
そういう意味で保育園落ちたもまあまあ羨ましい。でも増田発でマスコミで取り上げられたネタがあの一回切りだったことを思えば、その人ですら狙って社会を動かす発言を量産できるわけふぇはないんだなと思う。
国内産小麦では量(りょう)や質(しつ)が満(み)たせない需要分(じゅようぶん)を政府(せいふ)が国家貿易(こっかぼうえき)により外国産小麦を計画的に輸入しています。
輸入小麦 488万トン
うち、アメリカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オーストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんどを占(し)めています。
世界の穀物貿易でロシアは小麦と大麦の主要輸出国になっている。
小麦は3600万t(2018~21年度平均)で世界第1位となっている。生産量の4割以上を輸出へ振り向けている。大麦も512万tで世界2位となっている。
最大の輸出先は中東・北アフリカ。2020/21年度の小麦の総輸出量は3800万tとロシア史上2位でそのうち中東・北アフリカ向けが1900万tと52%を占める。サブサハラ・アフリカへの輸出は600万tで、バングラデシュ、インドネシア、ベトナムなどアジアにも500万t輸出されている。
2010年にロシアは大干ばつで小麦をはじめ穀物は凶作となった。世界全体では米国産、豪州産など安定生産で在庫量は安全水準だったが、ロシア産小麦の不足で中東や北アフリカで食料不足が起きた。2010年から11年初頭にかけてのチュニジアから始まった市民の抗議活動からアラブの春に至った要因の一つとなった。
アラブの春を見なかったのか。