「パラドックス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: パラドックスとは

2024-04-21

anond:20240421223159

差別パラドックスを知らないバカとかもう百万回見てて飽きてるんだよ

サイゼリアデート論争と同じくらい見飽きた

うるせえ

2024-04-18

anond:20240418191720

差別パラドックスを知らない無能人権言及するのヤバすぎて草

こんなIQ60の低脳本当に存在するんだね

差別者に言論の自由はないよ

2024-04-13

4月上旬の掛け布団は、薄い羽毛布団を使うべきか、タオルケットを重ねて使うべきか」

この問題は数十年の間、科学界における未解決の難問として多くの科学者を悩ませている。

薄い羽毛布団は軽く熱がこもりやすいため、入眠段階では有効だが、夜中に暑さを感じて目を覚ます原因になり得る。

タオルケット重ねは気温の調整がしやすいが、夜中や明け方に肌寒さで目を覚ます可能性がある。

このパラドックスを解消する、真に驚くべき解法を思いついたが、ここに書くには余白が狭すぎる。

2024-04-07

anond:20240407072556

?????

差別を知らない?差別パラドックスとかも知らない?差別を何も知らないくせに語る知能の低さすげえ

anond:20240407064014

教養人権感覚のない人間はこの現代地球では人間とは見做されないんだよ…

差別パラドックスを知らんのかな?

人権を守るためには反人権人間言論の自由一部の人権を認めてはならないの。

実際、侮辱罪や名誉毀損罪表現の自由を侵しているが許されるだろう?

平成生まれゆとりなのにこんなに知的水準の低いやつがいるなんて驚いた。

真剣に聞きたいけど、大卒偏差値はどのくらい?海外での生活経験はある?

外れ値だと思いたいがな…

ゆとりでこれなら日本復興は200年後になっちまう

2024-04-06

都会になればなるどトイレが減る現象

都会になればなるほどウンチする人間(以下、ウンチマン呼称)が増えるのに、なぜかトイレの数が反比例(以下、ウンチ逓減の法則呼称)が減るの謎すぎる(以下、ウンチパラドックス呼称)だろ

2024-03-29

矛盾っておもしろいよな

矛盾・逆説/パラドックスっておもしろい。

学説的に語られる矛盾もあれば、何気ない日常に見える矛盾

笑える矛盾もあれば、理不尽矛盾も、、、

そう、私たち矛盾から逃れることができないのであーる。

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

2024-03-15

[] 賃上げ生産性を低下させる

物価対策として賃上げ必要だというのは頭が悪い証拠

賃上げをしても、企業労働コスト価格転嫁して物価は上がる。

賃金を5%上げて、消費者物価が5%上がれば、実質賃金の変化率は0。

経済学合成の誤謬と言われるパラドックスである

賃上げ意味はあるのか。

賃金は一度上がると下がりにくいという下方硬直性があるとされ、景気が悪くなったとき実質賃金が上昇しやすくなるかもしれない。

しか本来労働価格を決定するのは市場である

労働者は、自分給料が気に入らないとき転職すれば良い。

そのようにして、労働受給市場競争されて、スキルのある人材は良い待遇にありつける。

したがって「転職時に、前職の賃金によって採用するかどうかを決める」という差別法律で禁じれば、労働市場流動性が高まり市場効率化させることが可能である

市場効率化させることが、個人単位での賃金最適化する方法であり、政府による賃上げ圧力企業コストを増加させて利潤(生産性)を低下させるだけだろう。

2024-03-07

パスタは卵、ラーメンかん水素麺は油(?)、冷や麦はただの超極細うどん。ここまでは納得出来るけど、蕎麦って微妙だなと思う。

十割蕎麦文句なし蕎麦だ。七割蕎麦もまあ蕎麦だなって思う。五割だと、それはもはやうどん蕎麦キメラではなかろうかって思う。三割とかになってくるともうそば粉混じりのうどんじゃんって思う。

まあ1%でもそば粉が入ってればもう蕎麦なんだろうけど、砂山のパラドックスを感じる。

小麦割合が上がれば上がるほどにモヤつきが湧いてくるけど、それはそれとしておれは十割蕎麦ボソボソしてて嫌い。良いとか悪いとか、本物とか偽物とかの問題ではなくて根本的な性質としてそういうもんなんだろうと思う。

そこを差し引いても蕎麦粉の風味を存分に感じたいとか、あるいは食感含めて好きな人は好きなんだろうけど、好きでもないのに「通」を意識して食うのはアホちゃうって思う。

2024-02-23

anond:20240218224848

スタート地点に立ててない、とは?それこそ比喩的解釈余地ありまくりだが…

形式が一致するか

ということについては規則パラドックスあたりで一致性の判定自体が不確かであることが示唆的に示されてるよ

2024-02-17

anond:20240216210851

これは本質的な問で、哲学では「規則問題」あるいは「規則パラドックス」として知られる古典的問題意識です。「規則問題」の議論では足し算などが例として良く用いられますが、ここでは形式的証明を例に説明します。

形式的証明体系において、「推論規則」あるいは「公理」は無限種類あるため一覧表を作ることができません。そのため通常は「推論規則型(rule schema)」や「公理型(axiom schema)」と呼ばれる、無限個の論理式をひとつの式で代表したものを使って有限っぽく表示します。例えば、ツリーにある「 A と A → B が証明可能なら B が証明可能」というのは規則スキーマです。これは A と B がどのような論理式でも使える規則型であり、(A と B を具体的な論理式に置換して得られる)無限種類の規則の集まりを有限で表現したものです。例えば「x=0 と x=0 → x^2=0 が証明可能なら x^2=0 が証明可能」は規則の例です。

そして問は、まさに規則型や公理から規則を得る方法はどうして合意できるのか、ということだと思います。例えば「x=0→x^2=0 と x=0→x^2=0→-x=0 が証明可能なら -x=0 が証明可能」はさきほどの規則型の形に当てはまらないものなのですが、この "事実" を全員が了解しているのがどういう理屈によるのか、というのが問です。そしてこれは正しく「規則問題」です。

ここから私見ですが、「規則から規則を得る方法について全員が一致する見解に到れる」というのは幻想でしょう。ただ、現実数学を営む上では「規則から規則を得る方法について数学者の見解は一致している」と思い込んでもこれまで大きな問題を生じてはいないので、問題が生じるまでは別に気にしなくていいのではないか、という感じではないかと思います。元々の問であった教師と生徒の例についていえば、数学コミュニティに近しい立場である教師コミュニティ流儀を教えている、ということになるのではないでしょうか。

大谷のいないチームは無数にある

大谷がいるチームは一つしかない

チームに大谷がいるのか

大谷がチームにいるのか

これが大谷パラドックス

2024-02-11

生成AIパラドックスもしくはジレンマ

生成AI作成した文章が適切か、正しいか事実に即しているかといったことを人間検証しなければならない。

自然言語契約書でもプログラムでも同様に。


生成AI作成したコンテンツ真正性担保してくれるサービスは登場するのだろうか。

2024-02-07

anond:20240206221342

2本以上でまとめて括っていれば束

ここにパラドックス存在しない

2024-01-27

人生で一番最初他人比較することは九九の覚える速さ

なにしてもいい怒らないから 太陽キメるか なぜそうなったかを追えばいい クモは糸の作り方を知っている

気持ち 感情 感覚 そんなほしいか? 60歳清掃員でいいだろ 60歳清掃員と悠々自適金持ちそんな変わらん 気持ち感情感覚そんなほしいか

障碍者きらい 洗濯物をすべてとりこむ 時間の正体 死ぬまで待っている 自分のことを悪く言うと 最近疲れたってなるべく言わないようにしてる

頑張ったって言ってる いい思いをしたいかしたくないかでいえばしたい けど 5年後10年後いまのままでいいかと言われたら 別にいかなって思う

かわいい子と出会わないほうがいいんじゃないか どうせ自分のものにならないから パラドックス

たられば ロイヤルブレッド 石の話 ツボに石は入る 

なにしてもいい怒らないか

60歳清掃員はやだ

60歳清掃員でいい 

2024-01-23

anond:20240123163648

シナリオペパーに救いがなさすぎるのが減点だけど全体的に良かったとは思う。

賛否あるけどパラドックスポケモンデザイン特に古代)は個人的には好み。

DLCも剣盾のときみたいにストーリー軽視していないのは良かった(テラゴスのことはもっと掘り下げてくれてもよかったとは思うけれど)。

システム面でいうとオープンワールドとしての粗さが目立ったのでそこを叩かれるのは仕方ない、オートセーブなしで遊んでいて突然のフリーズに何度泣きを見たことか…

ストーリーで見れば良作と言えるし、システム面で見るとバグの多さが大きな減点要素になるし、ポケモンデザインは毎回賛否あるからいつも通りという感じで総合するといつもどおりのポケモンということだな。

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