はてなキーワード: アフリカ系アメリカ人とは
そういう次元の問題じゃあないんだね。ただひたすらに頭がおかしいとしか言えない
自認・自己決定で全てを決めるべきを押し通すなら、
トランスエイジ(本人の自認する年齢と実年齢が違う)もトランスレイシャル(本人の自認する人種・国籍と実際の国籍やルーツが異なる)を認める他ないよね
『個人のアイデンティティ形成は、個人の自己決定に基づいて形成されるべき』は支持するよ
建前とかじゃなくて本気でね
『今日から僕はおばあちゃんでーーーす』『17歳でーーーす』『アフリカ系アメリカ人でーーーーす』とか言われても社会は困っちゃうのよね
社会のロールで人を縛らない世の中にしていこうには賛同するけど、
戸籍法や厚生労働省履歴書様式例のテンプレートとの整合性はつけて欲しい
でもこれ国公立大学内でミスコンやってたりするの許容してるのと根っこは同じだと思う
この時代にあえて「男らしさ」「女らしさ」
ほんとジャップランドはなるべくしてこうなったって感じですわ
ネイティブアメリカンをアニメにもっと登場させるのが筋なんだけどなあ。
それが償いにもなる。
なぜ日本のアニメにはアフリカ系アメリカ人やネイティブアメリカンの登場人物がとても少ないのだろうか。
昨日ホーンテッドマンションの映画を観たのだが、昨今のディズニー映画と同じく黒人が多用されていた。
ただ、リトル・マーメイドとは違い、今回は違和感は全くなかった。
ニューオーリンズの人種的な構成は以下の通り。(Wikipediaから引用)
アフリカ系アメリカ人67.25%
アジア系2.26%
その他の人種0.93%
混血1.28%
そして、大事なのはニューオーリンズはオバケで街興しをしていること。
つまり、ホーンテッドマンションの舞台としても相応しいので「黒人を使うためにニューオーリンズを舞台にしたんだ!」ともならない。
逆にホーンテッドマンションにいるオバケはほとんど白人だった。
昔アメリカにいた富豪や有力者がオバケになっている設定なのでこれも違和感がない。
内容は昔あった学校の怪談シリーズのような仲間と協力して悪いオバケを退治する系の映画で良い意味で子供向け、悪く言えば今どきそんなに売れなさそうなジャンルなので興行成績は悪いかもしれない。
ただ、無闇矢鱈に多民族を使うのではなく、主人公が黒人である必然性があり、敵のオバケが白人である必然性もあり、昨今の執拗な黒人上げ白人下げ作品と違い胸焼けするようなポリコレの押し付け感はなかった。
80年代に「ラッツ&スター」というソウル・ファンクバンドが人気だったのを知ってますか?(憶えてますか?)
7人のメンバーのうち4人のボーカルが顔をアフリカ系アメリカ人風に黒く塗り、白い手袋をして歌うというスタイルのバンドです。
当時小学生くらいだった世代には『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』と
同時期にヒットしてた『め組の人』を歌ってたグループと言った方がはやいかもしれない。
今だったら説明するまでもなく
「顔を黒く塗って、白い手袋して、黒人音楽やるってミンストレルじゃん」
ってなると思いますが、当時はインターネットがなくて、ミンストレルがどういう歴史的意味を持つのか誰も知らかったのと、
欧米コンプレックスがバリバリの現役で、洋楽=エライ、日本の歌謡曲=ダサい(J-POPという言葉もない)
という構図が確固としてたこともあって、洋楽風の「オシャレな音楽」として普通に受け入れられてました。
まぁ、本当にオシャレな人は元ネタの洋楽聴いてたかもしれないけど、日本の歌謡曲にチューニングされた耳でもわかる
昭和大衆向けにアレンジされた「洋楽風」歌謡曲って感じですね。今思えば。
で、鳥山明ですけど、『Dr.スランプ アラレちゃん』というギャグマンガでデビューた当時は、
「アメコミ風」のテイストを取り入れたちょっとオシャレな画風のマンガ家ってイメージがありました。
「アメコミ風」といっても、80年代というまだまだ欧米コンプレックス、特に米国コンプレックスが強かった時代に、
西洋っぽい絵柄を雑に「アメコミ」と括っていただけで、必ずしも「アメコミ」を参照してるわけではないです。
(大友克洋の元ネタがメビウスだと知ってるような人でも、メビウスをアメコミと言ってしまうような時代だったので…)
とにかく、当時の鳥山明の絵は、同時代の、昭和臭のつよい、あか抜けない絵柄のギャグ漫画家の表現とは
一線を画す新しいものとして受け入れられていたのは間違いないと思います。
そういう位置付けの(そぅいう作風の)作家ですから、当時のハリウッド映画やドラマからも、
キャラクター造形に限らず色んなカタチで「進んだアメリカ風の」表象を取り入れていて、
それを見た当時の小学生は「最先端のハリウッドっぽい感じが入っててカッコイイ!」と感じていた筈です。
(都合の悪い部分だけ選択的に記憶喪失になってる人も多いみたいですが…)
そんな風に無邪気なあこがれから輸入したイメージの中には、当時アメリカではすでに問題視されつつあった
黒人ステレオタイプも混じっていて、その具体例がDr.スランプのサンデー・ブラザーズだったり、
ドラゴンボールのブラック補佐だったり、ミスター・ポポだったりするは事実として認めざるを得ないと思います。
似たような例として、FFVII Remake の開発主要メンバー(野村哲也だったと記憶している)が
「バレットのキャラクター造形(見た目に限らず)には、80年代に見てたハリウッド映画の影響を受けた
黒人ステレオタイプが多分に入っていて、アップデートが必要な部分が多かったが、
古参のファンから日和った、ポリコレだ、と言われるのも嫌なのでバランスに苦労した」
つまり何が言いたいかというと、80年代から90年代前半くらいには欧米への憧れとか、
昭和的な貧乏臭さを回避するための手法として、無邪気に海外メディアから表面的な「イメージ」を
頂いてくることがよくあって、そうやって大量に輸入された表象の中には、
ネットが普及して、リアルタイムに(微妙な文脈やニュアンス込みで)情報が入ってくる今なら
決して肯定的な引用をしないようなものが混じってることがあるよ、ということです。
「無知ゆえにウッカリやっちまいました。でも、アメリカとか黒人音楽への憧れが大きかったことを分かってください」
みたいな感じで間違いを認められるのに、アニメ・漫画の事となると
「ポリコレによって表現の自由が侵害されている!」と噴き上がってしまうのは何でなんだろうか?という疑問…
ジョー・バイデンは政治的な信念を持っていないことは確かだ。少なくとも、故ステファン・ソラーズ民主党下院議員の首席立法補佐官だったスティーブン・シルビガーは、元全米州郡市職員連盟のロビイストで、現在はワシントンDCで弁護士をやっているが、このように告発している。
Power Lineに掲載された記事の中で、シルビガーは当時のバイデン上院議員との個人的な交流を語っており、その中でバイデンが自分の真実の色を現したある出来事について述べている。
バイデンは、バランス予算憲法修正案への支持を撤回するよう最終的に説得した後、シルビガー氏に面会を求め、そこで彼はこう言い放った。「あなたはこの問題を失うことになる。なぜなら、財政均衡修正案は聞こえがよく、アメリカ国民は愚かで、聞こえがよければ何でも支持してしまうからだ」。
シルビガーは、最も印象的だったのは、アメリカ人は「愚か」であり、それゆえ「聞こえの良いものなら何でも」支持するように簡単に操られるというバイデンの見方だったと指摘する。つまり、バイデンはエリートの典型的な傲慢さを示していたのである。彼はまた、1988年の民主党大統領候補指名選挙に失敗したときのバイデンの発言も紹介している。ジョージ・ウォレスから賞をもらったことを自慢し、"南北戦争ではデラウェア人は南部の味方だった "と主張する南部戦略を持っていた」。それならまあいい。
しかし、シルビガー氏の最も示唆に富む見識は、バラク・オバマ氏がバイデン氏を伴走者に選んだ理由についての説明である。
バラク・オバマは、最も高性能のMRIでさえ、バイデンの体内から正直さや信念を持った骨を見いだすことはできないことを知っていた。バラク・オバマは、ジョー・バイデンがいれば、彼の政策に対して正直な意見の相違や原則的な反対をすることはないだろうと考えていた。彼の傲慢な権利意識に餌をやるだけで、どんな立場でも支持させることができるのだ。実際、ジョージ・ウォレスから表彰されたことを自慢し、彼の州では黒人を奴隷にした人たちの味方をした人が、アフリカ系アメリカ人の聴衆に、ミット・ロムニーは彼らを鎖につなぐだろう、と言うことができたのだ。
頭が悪く、良識がなく、アメリカ人を馬鹿にしている人は、何でも言える。
バイデンは馬鹿げた発言を繰り返していると批判されて当然だが、トランプとの間には大きな違いがある。バイデンは政治家のインサイダーとして傲慢なエリートの態度で発言し、トランプはワシントンのアウトサイダーとして誇り高いアメリカ人の態度で発言している。トランプは、あなたが馬鹿だとは思っていない。彼はBeltwayのエリートをそう思っているのである。
結局その「政治的」か否かを判断するのは誰なんだって話なんじゃないかね。
「何事も政治と無縁ではない」は政治厨の偉そうなお題目だがことFIFA関係では一蹴できるものでもないと思うわ。
正直なところ今のタイミングの「スポーツに政治を持ち込むな」は「FIFAが許さない政治的パフォーマンスがダメだ」にしかならんのよ。
2020年アフリカ系アメリカ人のフロイドが警察に殺された事件に対してドイツのブンデスリーガで抗議パフォーマンスが行われた時、
FIFA President Gianni Infantino adds: "For the avoidance of doubt, in a FIFA competition the recent demonstrations of players in Bundesliga matches would deserve an applause and not a punishment.
(訳)FIFA会長のジャンニ・インファンティーノはこう付け加えた。「疑義を避けるために言えば、FIFAの大会においては、ブンデスリーガの試合での選手による最近のデモンストレーションは罰ではなく賞賛に値するでしょう」
全文を見るとこの直前に競技規則の適用は競技主催者に委ねられていると言った上でこう付け加えているので、つまるところ規則の罰則を与えないようにとFIFAが直々に示唆したわけね。
それでこれは「政治的」ではないんですかね?この会長、賞賛(applause)に値するとか言っちゃってますけど。
FIFAはSTATUESで人権の尊重(第3条)を掲げ、あらゆる種類の差別は固く禁じられ(strictly prohibited)る(第4条1項)としている一方で、
FIFAの目的に影響を与えるものを除い(matters affected by FIFA’s statutory objectives)て政治や宗教には中立を維持する(第4条2項)としている(FIFA STATUES 2022)。
これ自体は2020年時点でも存在しているのでフロイド事件の抗議についても政治的中立性を守らなければならないはずで、
適用除外に言う目的(statutory objectives)とは同第2条に制定されている目的が具体例だと思うが基本的にはサッカー関係の運用についてでありこの件で関係あるとも思えない。
これをFIFAが「政治的/非政治的」または「許される/許されない政治性」だと判断できるというなら何と傲慢な価値観だろう。
そもそもFIFAという組織が公式サイトに"SOCIAL IMPACT"という項目を作って、そこで政治団体のように"Sustainability"(持続可能性)"Safeguarding and Child Protection"(児童保護)"Human Rights & Anti-Discrimination"(人権と反差別)などと高邁な政治的理念を掲げている有様である。
あくまでサッカー競技の運営上必要だからだと言うならそれ以外の「政治をスポーツに持ち込むな」という理屈も分からんでもない。
「加盟団体や試合上の差別は競技の発展という目的上許さない。しかしそれに関係ない差別には何も言わない」のならそれはそれで一貫してもいる。
しかしFIFAときたら"SOCIAL IMPACT"などと言い出すのだからその理屈は罷り通らんってわけ。
会長は「西欧はカタールに道徳を説く前に3000年を反省しろ」と言うがよくもまあこんな状態のFIFAの人間がこんなことを言えるものだと感心したよね。
フロイド事件への抗議が許されるのはFIFAが大会中に行っている反差別デーとかいう政治的キャンペーンに合ってるからなんかね?
FIFAが掲げている政治的な綺麗ごとは正しくてFIFAに都合の悪い話は大会の場で排除されるべき「政治」なのか?
政治がそんなに嫌なら一々そんな高尚な政治的理念を掲げるなよ。なーにが"SAY NO TO RACISM"、"SHOW RACISM THE RED CARD"だよ。
それともこの明らかな西欧由来の「アタラシイカチカン」は非政治的で正しく中立的で普遍的な価値観なんですか?そりゃポリコレ超えてんな。
普段リベラルのダブスタや傲慢性を糾弾する人までもが、FIFAの欺瞞を無視して「FIFAも正しい」ってブコメに賛同してる様はあまりに滑稽だわ。
俺は在日朝鮮人(戦前移民)だが戦前移民もしくはカムバック組の集団である総連系在日と統一教会はマジで無関係です
普通の日本人と抱いている感想は全く同じと考えて差し支えないです
民団系在日のことは知らんがそもそもがクソ少ないし在日と言えばこっちなので基本的に完全無関係でいいんじゃないすかね
そもそも朝鮮民主主義人民共和国も大韓民国もないころにこっちに来てますしそれらの国と我々は本質的な結びつきはないです
最近の在日朝鮮人は日本にいる移民集団としての自覚が強く帰化人も多いくらいですしそれらの国の話を我々に絡めるのはやめてほしいというのが正直なところです
特に40代以下の若い在日朝鮮人はすでに混血化も日本人化も進み若手にとって移民コミュニティは全く機能していないので集約化された意見もなんてありません
アメリカの黒人はバカばっかりで本当に面倒くさい。これは黒人達よりも白人達が悪いんだけどもそれにしても面倒くさい。一昔前は黒人を黒人と呼ぶとキレる黒人がいた。アフリカ系アメリカ人と呼べと。黒人言うなと。アフリカ系アメリカ人がポリコレな呼び方だった。でも先祖が無理やり連れてこられてアフリカのどこから来たのかもよくわからないからアフリカ系と呼ぶなという勢力が力を付けてきてアフリカと関連させるな我々はアフリカ人とは違うと喚きだしてアフリカ関係なく黒人と呼べと言い出した。なので今はむしろアフリカ系アメリカ人はポリコレではなく黒人と呼ぶ方が本人達の希望する呼び方であってポリコレであるということになった。本当に面倒くさい。黒人がポリコレな呼び方になって本人たちも自分は黒だと思っているので今度は黒を悪い意味に使うのが腹立つと言い出している。ブラックリストという言葉があるがこれは黒が悪い意味で使われているから差別だなどと最近騒がれている。同じ論理で日本にいる黒人過激ポリコレ活動家はブラック企業ホワイト企業という言葉を使うなと騒いでいる。こいつらはだいたいアメリカから来たクソ面倒くさい偉そうな偽善者達だ。本当に面倒くさい。
アフリカ系アメリカ人による暴動は民主主義と民主主義への挑戦のどちらの扱いになるんだろ。
厳格すぎるようにも見えるかもしれないけど誰もが、気持ちよくすごすための理論。
みんなで守っていきたい。
見知らぬ人はすべて「不審者」、行き過ぎた通報も…平日昼間に出歩く中年男性の僕が困惑した理由(赤木 智弘) @gendai_biz
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/91882
疑われる一般男性よりも、万が一のときに被害を受ける子どもが弱者。
男性は通報されたとしても、子どもたちのことを考えて受忍したい。
kouei🍔 on Twitter: "女性専用車両に乗ってしまった自閉症の子供にここまで言わなくていいような... https://t.co/ch0pfxgPAg"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kouei52/status/1488726976110030848
一般成人男性と比べれば一般成人女性は弱者だけど、一般成人女性と比べても自閉症の男子高校生は弱者。
また、女性専用車両は障害のある男性が乗れるルールになっている。
ウーピー・ゴールドバーグさん ホロコースト発言で出演停止に | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220203/k10013464161000.html
ゴールドバーグさん、確かに黒人の権利向上に貢献してきたかもしれない。
けれども、アフリカ系アメリカ人の方が唯一無二の歴史を歩んできたことと同じく、比較できないほどの唯一無二の歴史をユダヤ人の方は歩んできた。
ゴールドバーグさん、ここは素直に謝っておきたい。
二週間の出演停止はやや妥当。
アムネスティ、イスラエルを「アパルトヘイト」と非難、パレスチナ人の処遇めぐり
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cnn.co.jp/world/35182966.html
ユダヤ人の方、悲劇の歴史を歩んできたが、パレスチナ人の方も被害者であり、考慮すべき弱さ。
アムネスティの主張するアパルトヘイトは南アフリカの黒人の方が歩んだ負の歴史を比喩に用いる軽率な側面を否定できないが、分離政策は行きすぎか。