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2018-07-07

頭脳派が他人と生きる映画

イミテーションゲームとかドリームとかビューティフルマインドのような頭脳共生を描いてる映画があったら教えてほしい

2018-07-03

anond:20180703161416

美しい四季折々の風景がある。水道水がそのまま飲める。電車が時刻通りにくる。国民の大半が勤勉で真面目。治安がよくて女性が真夜中に出歩いても安全サッカーワールドカップ日本人サポーターが見せたように、ゴミ拾いなどのマナーがいい。もちろん電車バスなどでのお年寄り妊婦さん、ベビーカーに対しての席譲りや気遣い共生精神がしっかり根付いてる。何より最高なのが和食。ヘルシーな食事世界中エグゼクティブから評価も高く、ミシュランガイドでは調査員がベタ誉め。アニメ漫画ゲームといったエンターテイメント世界中評価されてる。

何これ世界最高じゃん日本

2018-06-25

まるで「共生虫」みたいな展開だな

2018-06-14

[][] 人類共存可能か?

 

anond:20180614082849

2018-06-12

ペット共生老人ホームと言うのを見た

これ老人が死んだらペットはどうなるんだと思ったら、引受人を指定するか、居ないなら老人ホームが引き取って最後まで面倒を見るらしい。

一人でわりと沢山飼えるみたいなのに、老人の死が重なる頃にパンクしないのだろうか。

2018-06-02

anond:20180602170738

こういう問題センシティブで、下手に指摘すると健常児と障害児の分断教育につながりかねないね

色んな子が混じってこそ共生教育ができる(と親御さんも先生も思っている人がたくさんいる)。

生きづらさを感じさせてしまう、教室環境の方を変えていこうって話になるかも。

2018-05-20

子ども特に女児)が絡む場面での親の差別意識について

・あまり容姿は整っている方ではない男性保育士

アフリカ系やポリネシア系の屈強な外国人男性

・重度自閉症を抱えた施設入所中の大柄な男性

上記のような人物子ども交流することについて、親の持つ差別意識が不問となるケースが少なくない

しかし、被害を受けるかもしれないマイノリティと、加害者扱いをされるかもしれないマイノリティ、両方を尊重する必要がある

一見ストレステストのようにはなってしまうが、我が子と触れ合うことを彼(女)らに認めることこそが真の共生平等への道ではないか

2018-05-19

絵師と我らと寄生虫

※これはあくまで私が思ったことを垂れ流しているだけです。

だれか特定の人を誹謗中傷したりするものではありません。何かを強制させるものでもありません。

 

さっき某ツイッテアで、『作品以外載せないでください不快(超訳)』って絵師様に堂々と物申す方がいた。

ヒェッ・・・・・・恐ろしい…

もしかして絵師様を『自分好みの絵をあげてくれるAI』と思っていたのだろうか。(いやさすがにそれはないか

 

オタクであれ腐女子であれ、だれか好きな絵師様がいる方は多いだろう。

私は文も絵も描けなくて、そのくせ妄想力だけ妙に強いクソみたいな腐女子だ。

から、某ペクシベや某ツイッテアなんかで自分ドストライクの絵を見つけて「うっわ尊い…無理好き……」ってなることしかできない。

私は自分では何も生み出せないから、ほかの方がその人それぞれの魂の数瞬を削って生み出した、その作品を貪ることでしか生きていけない。絵でも文でも。

 

相手にただ一方的に絵を求め続けて、ああしろこうしろ絵だけをもっと上げろそれは地雷だやめろエロをくれと、ひたすらわめき続けるのはただの寄生だ。

いやリクエストすることは悪くない。ただ、やっぱり相手人間からそんなことを続けたら心が死んでしまう。

RTするなり感想を送るなり、自分からもなにかできることを返していけばいいのではと思う。

いわゆる共生。お互いに支えあい誉めあう関係というか。

だってそのほうが何倍もましじゃないすか。

私もクソなりになんとか共生しようと、絵をRTしたり感想をおくってみたりとできることを続けている。

 

この世のオタク全員そう!とかそういいたいわけじゃない。そういう人もいるっていう話です。

でも、寄生よりは共生のほうがお互い気持ちいいじゃないですか。

 

10分かけて送る不満よりも、2秒でできちゃうRTのほうが簡単生産的だと私は思うのです。

2018-05-17

取引を盾に批判を封じる」

フミンバイン先生のことやけど、アレはちゃんメディアコントロールした上で神輿を担がなきゃ成立しない作品だってことを神輿を担ぐ人が理解して仕事しなきゃいけないところ、漏らすべきではない本音を撒いて他の人に迷惑かけようとしたから「怒られろ」って話なんやで。

そりゃミッキー中の人はいるし冷静に考えたらグーフィとプルート共生している世界おかしいが、それをウォルト・ディズニー本人が口にしたらアカンとかそういうやっちゃ。

おまえらも、仕事するうえでは出しちゃいけん本音があることは気を付けておかなあかんで。

2018-05-02

今って、どこにでもスタバがあるから

スタバ日本中侵食されてる感がある。。

無論、日本資本本屋さんと共生しているお店があるのだろうが。

2018-04-22

老人VS若者 男VS女 キャッシュVSカード

なぜ争う必要がある?

共生していこうぜ

2018-03-27

anond:20180327100644

 まず、「なぜ人を殺してはいけないのか」を考えるにあたって、「いけない」の意味を明らかにしましょう。「いけない」という言葉には、法律禁止されている、道徳的に許されないという2つのパターンがあります。なぜこのように分けるのかというと、法律道徳は、重なり合う部分はあれど、基本的に別のものからです。ある行為法律禁止されていることと、道徳的に許されないことは異なる問題です。

 法律の話であれば話は比較簡単にすみます

 刑法禁止される行為を定め、よりよい社会を実現しようとしています刑法に定められた犯罪には、それぞれ保護すべき法益というものがあります殺人罪であれば人の生命です。殺人禁止されない社会では、人は安心して暮らすことができません。そこで、「自己生命が脅かされない社会は、よい社会である」という思想のもと、刑法殺人禁止しています

 ただし、これも絶対的ものではありません。責任能力の欠如、正当防衛、錯誤など、様々な要因で殺人の罪が問われないことがあります。たとえば、自分が殺されそうなとき相手に反撃せず黙って殺されなければならないとすれば、それはよい社会とは言えません。そのため、よりよい社会の実現という目的のもと、殺人禁止には例外が認められています

 次に、道徳について考えてみましょう。道徳とは、人間無意識存在すると認識している善悪規範のことです。

 これは法律と違い、明確に定められたものではありません。実態存在しない、ある種のフィクションです。道徳は、無意識のものなので、法律のようにこのような理由がこれは悪だと説明できるものではありません。そのため、「なぜ道徳的に悪なのか」という問では答えを導くことができません。そこで、「なぜ殺人を悪だと認識するのか」という風に問を変えてみてください。

 人間という種が発展していくのにあたり、お互いを殺し合う行為は、その発展を妨げる行為です。そのため、「殺人は悪である」という認識が生まれたと考えられます増田の指摘する、「種の保存」です。

 ただし、これも絶対的ものではありません。たとえば、前述した正当防衛であれば、道徳的にも悪ではないと認識する人が多いのではないでしょうか。これは、「種の保存」よりも「自己の保存」を優先する人間無意識から生み出される考えだと思われます

 「人を殺してはいけない理由があるのに、動物を殺してよい理由はあるのか」という問を、上記つの観点から考えてみましょう。

 法律観点からすれば、動物を一切殺してはいけないとすれば、食料等様々な問題が発生し、よりよい社会とは言えません。そこで動物殺害全ては禁止されていません。

 ただし、動物愛護法等、一定行為動物に対するものであっても禁止されています。この法律は、「人間動物共生する社会は、よい社会である」という思想のもと定められています。ただし、あくまで「よい社会」とは人間にとってよい社会であり、この法律動物権利保護するためのものではありません。法律は、あくま人間自己社会のために定めるものなのです。

 次に、道徳観点から考えてみましょう。ただし、これは非常に複雑な問題です。なぜなら、「動物を殺すこと」については、どの範囲を悪と感じるのか人によって全く異なっているからです。

 「なぜ動物を殺してよいと認識するのか」という問であれば、人間が生きていくためには食事必要であり、そのことを正当化する必要があるからと答えることができますしかし、社会が発展するにつれ、動物を殺さなくても人は生きていくことが可能になった結果、この理由説明することはできなくなりました。

 「動物を殺すことは許されるのか」という問題は、「なぜ人を殺してはならないのか」以上に難しい問題です。興味があれば、ピーター・シンガー等、動物権利について論じた本を読んでみてください。

2018-03-22

昨日初めてブラインドサッカー見たんですけど

めっちゃ面白かったんですけど?

今日本でブラインドサッカー世界大会やってて、応援してるアイドル開会式ハーフタイムショーにちょろっと出るっていうから見に行ったのよ。

試合見る前は正直あんまり期待してなかったというか目が見えない中でやるサッカーってグダグダなんじゃないのと思ってた。

実際試合見たら全然想像してたのと違った。めっちゃうまいドリブルシュートも。私が見たのは日本イングランド試合で、2-1で日本の勝ちだった。

日本勝ち越しゴールの時は思わず声を出して喜んじゃった。youtubeハイライトあるから見てすごいから。

https://www.youtube.com/watch?v=OxBH3Ts4scw

「IBSA ブラインドサッカーワールドグランプリ 2018」っていう大会で3/25までやってるよ。観戦無料試合もあるから気になった人は見に行けばいいと思うよ。

開会式で偉い人が「ブラインドサッカーを通じて健常者と障がい者共生を~」なんてことを言っていて、私はそれをフーンと思いながら聞いてたのね。

なんかキレイとっぽいなと思って。

でも、実際に試合を見て、家に帰ってからもらったパンフレットを眺めたりしてスポーツを通じて障がい者暮らしやす社会になるって本当にあるのかもって思った。

パンフレットの中に選手言葉として「ピッチの中が障がいを忘れるとき」という言葉が紹介されていて、なんでピッチの中だと障がいを忘れられるんだろうって自分なりに考えてみた。

スポーツに熱中することで障がいを忘れるという意味もあると思うけど、ブラインドサッカールールがすごくよくできてるんじゃないかって思った。

ブラインドサッカーは目が見える人も試合に参加する。キーパーガイドコーラー)と呼ばれるゴール裏から指示を出す人がそうだ。

目が見える人と見えない人が一緒にピッチに立って試合をする。でも、その役割ははっきりと違う。この状況では目が見える、見えないというのは優劣ではなく役割の違いに過ぎない。

ブラインドサッカーにおける目が見える、見えないっていうのは、キーパーは手が使えるがその他のプレイヤーは手を使えないっていうくらいの意味になるのかなと思った。

サッカー試合キーパー以外も手が使えたらって思うことは少ないと思う。同様にブラインドサッカー最中には目が見えたらって思うことも少ないんじゃないかと考えた。

そのあたりが「ピッチの中が障がいを忘れるとき」という言葉につながるんじゃないかな。普通社会でも障がい者の方が障がいを忘れられるような社会になればいいな。

まぁ自分の周りには視覚障がいを持った人はいないし、ブラインドサッカー自体も昨日初めて見たばかりで的外れかもしれないけど...

昨日はとても寒かったけど、いい試合を見れたしいろいろ考えるきっかけにもなって見に行ってよかった!

2018-03-13

anond:20180313142425

カザフスタン首都アスタナ計画

http://www.kisho.co.jp/page/120.html

 旧ソ連フルシチョフ時代計画された、小麦農業の集散基地としての都市クモラ(人口約27万人)を歴史的都市として保全しつつ、その南側(イシム川左岸)に新都市をつくり共生させる構想。  イシム川の両岸を新しい住宅地として開発し、川(自然)と共生する都市をつくる。冬季南西部より秒速平均7mの風が吹くため、それを防ぐためにイシム川の南西部人口森林をつくる。既存都市鉄道駅から南へ伸びる都心軸は、イシム川を越えて南へ延伸される。  政府建物大統領官邸大統領府、国会議事堂等を配置するためのガバメントティーは、南側へ伸びる都心軸と直交する形で区域形成する。  道路既存都市の放射状のパターンを改良するため、都心環状、中央環状、外管状の各環状道路計画される。  リニア都心軸と、細胞型の住宅地クラスターは、2010年2020年2030年と生長する(メタボリズム)都市として機能するよう計画されている。  公園計画は、これまでの近隣住区計画とは異なり、主として河川を中心にリニアネットワーク形成するよう計画し、それが生態回廊として種の多様性保全し、人と自然(他の生物)の共生可能とする。



に書いてあるよ。

2018-03-09

まれ持ったものを好きになれなかった話

ッあぁ~~~これ書いたら大人の人にめっちゃ怒られるかもしれない。でももういいや。もういい。もう嫌だ。だから書きます。
口調とかもあまりれいじゃないかも、ごめんなさい。
私は自分絶対に正しいとは思わないし自分と違う考え方の人に対してどうこう言うつもりもないのでそこだけご承知願います

書き手は21歳大学生女。

人間って生まれからたくさんのものを獲得して生きていくものだと思ってる。
たくさん選んでたくさん捨てて積み重ねてきた時間がその人を作る、よく聞く話。そんな中で生まれた瞬間から決まっていてどうしても覆せないものって一つだけある。

 

 

って言われているもの。誰からまれるか、どこで生まれるかなんて誰も選べない。
逆に親も子を選べないのもまた事実で、これを皮肉って『ガチャで出てきたはずれが自分だ』みたいなこと言う人もたまに見かける。
そういうわけで『親を好きになれなかった』話について。

どっからかけばいいかな、

9月実家から引越しをした。


その引っ越し、自立とかきれいごと抜かしてるけど親との同居に限界を感じて決行したものだった。
実家がどういうところだったか、少しだけ書くと
2017年夏(当時20歳)の時点で

 
•住んでいるのは私、母親祖母

自分の部屋がない


•昼間は机が置いてある2.5畳の仕切りのないスペースで生活


•就寝は祖母と一緒の布団


•就寝と起床は母親の定めた時間までに


•鍵はかからないが唯一一人でいられる場所トイレ風呂


•窓を開けてはいけない


•カーテンも閉め切る


•私がつけていい照明は机のスタンドライトだけ


•キッチン勝手に使ってはいけない


オーブントースター温度設定は使い終わったら母親の使う温度に戻さなければならない

などなど。

母親祖母も私がいうことを聞かないとすぐに怒鳴り散らすのでとにかく怒らせないように生活するのに必死だった。それで今でも大声で人を怒鳴りつける人が苦手。
 

これでも成人してよくなったほうで小学生頃なんか今思えば地獄度段違い。

母親が19の頃にデキ婚で私が生まれ小学生のころに離婚していて、次の男が一時期実家に住んでいたこともあった。いわゆる『ママ彼氏』。

今でも覚えているのは母親から

「これから私たち生活を支えてくれる人」って紹介されたこと。

誰だったんだろうあいつ。


見た目的にはホストっぽかったけど今となっては素性はよくわからない。
私が8歳当時なら母親はちょうど30手前くらいで離婚もしてまだまだ遊べる年だったんだろうな、と。

最初のほうは仲良くしてたと思う。私の目の前でいちゃついてて、それ見てたら男が母親いじめてるみたいに見えて止めに入ったら怒られてのけ者にされたりした。懐かしいなぁ。
そんな生活も長くは続かず1年経たないうちに仲が悪くなって男は出て行った。

そっから家に男が入ってくることはなかったので本当に父親という存在を知らずに育ってきた。
だから好きになった人や付き合った人に父親みたいな安心感を求めがちなんだって最近になって気づいた。

祖母も同居することになったのはそのあとで働く母親の代わりに家事全般をやってくれた。
それだけでも本当は感謝しなきゃいけないというか、感謝はしてるんだ。それは本当。
働いて私を育ててくれたのは母親で、そのことも理解しているつもり。

祖母祖母で私が拒食症になって口に入れたもの目の前で全部吐き出してしまった時はブチ切れて木の棒で全身あざだらけになるまで殴ってきたけど書くとさらに長くなるから割愛。(重視すべきは体調不良よりも作ってくれた親への敬意 という考え方)

そういうわけで『産み育てた恩があっても殺す権利はない』というのが持論で、言ってしまえばこの世に生まれた瞬間から、
へその緒を切られたその瞬間から私は母親の体の一部ではない一人の人間になったはずなんだ。
その事実を『感謝』とか『育ててくれた恩』とかとごちゃまぜにして見えないところに押し込むことは私にはできなかった。


そして労働に費やした分子供と親が触れ合う時間が減ることで親子という関係不具合が生じるのもまた事実だ。


私は本当に親がわからない。

親もしばしば私のことを「わからない」と怒鳴りつける。


今歩み寄れないのは間違いなく幼少期に信頼の基盤がつくられていないからなのにまるで私が親を突き放しているかのような物言いで、
そこに「親不孝者」という便利な言葉を着せてことあるごとに罵られてきた。

母親の中には親子とはかくあるべし、という理想像があって、何もしなくてもそこに収束するのが普通だと思っているようだった。
だから自分普通で私が異常なんだと言って私を矯正したがった。

まれて何年たっても私はまるで親の一部かのように扱われていた。
いい学校に入っていい会社に入っていい大人になるための第一歩として幼稚園のころから通信教育の教材をやらされた。
幼稚園の頃病弱で、入院している私のベッドのそば

「こんなに頭の悪い奴なんか見たことない!」と叫んで帰っていく母親の姿はなぜか今も鮮明に思い出せる。

小学生のころは学校のすぐそば煙草を買いに行かされて、同級生に見つかって噂されて、勇気出してそれが嫌だと親に伝えたら
「身勝手な奴だ」と怒られ、「親のためにこんなこともできないなんて」と貶されたことがあった。

服は短くても1週間同じものを着せられてた。長いと1〜2ヶ月くらい同じものを着てたと思う。当時皮肉抜きで「その服本当に好きなんだね」って言ってくれた友達のことをたまに思い出す。大人になっても1度着た服を洗おうとするとめちゃくちゃ怒鳴られた。


私はとにかく母親の思い通りにならないと怒られてた。当時はよく泣く子供で泣くとさらに怒られた。
私が大きな声を聴く自然と涙が出てくるなんてことを親は知らないみたいで、もうそのころからまともに意思疎通をはかろうなんて気持ちすら持てなかった。

中学生になるとひたすら成績を気にしだした。テストの成績はクラス順位5位以内でないと怒られた。「他の人はできるのにお前は何でできないんだ」が常套句だった。


幸いそのころは勉強が楽しかったので学校の成績は良かった。
しか受験勉強が始まると私は親ではなく私のために勉強しなければならなくなった。過去問学校テストよりはるかに難しくて思うように点数が取れなかった。
もう手一杯で親のご機嫌取りのために数字を気にしている暇なんてなかった。数字が下がると怒鳴る頻度は上がって以前みたいに勉強楽しいと思えなくなった。

結局中学の好成績を生かして公立高校に推薦で入学した。
ひざ下まであったスカートをひざ丈まで上げたら烈火のごとく怒られた

「そんな恰好をするな!不良め!誰とつるんでいる!」
挙句の果てに「そんなに妊娠がしたいか!」と。
スカートの丈をひざまで上げただけで。
意味がわからなくて怖くてたまらなかった。

親のなかでは


ひざ丈のスカート


=男にもてたい


恋人ができる


=セックス

妊娠

という式があるらしい。

一番成績がいいのは1組、悪いのが7組だと信じて疑わなかったので3組になったとき説教された。いくら違うといっても聞く耳は持たなかった。

大学は必ず行け、しか国立以外許さないと言われた。自分でも裕福じゃないのはわかっているか学費負担を少しでも減らしたくて志望を国立に絞った。
しかしここでも親の謎理論は炸裂、大学に行ったこともないのに「私大は頭の悪い人間が行くところ。落ちこぼれが金で大卒資格を買っている。」とご高説を垂れる。
この辺まで来るともう物事判断がつく年齢になってしまった私には親のめちゃくちゃな説教気持ち悪くて仕方なかった。
知らないものをぼろくそこき下ろすのも、進路の悩む私に寄り添うどころか選択肢を狭めて重圧をかけるのも鬱陶しい。

結局興味のある分野に近いコース国立大に入学して3年が経とうとしている。
実家から離れた大学に通うことも気に入らなかったらしい。
「もっと近くにあるだろうが」


帰りが終電になればまた怒られ、


美術なんかやって何になるんだ」


「お前みたいなダメ人間教育学部」


といった風な小言も絶えなかった。

掘り返せばきりがないくらいこの手の嫌な思い出は出てくるのでこの辺にしておこう。積もり積もって今の私を形作っている思い出たちだ。

場所もない、理解もない、朝は母親祖母による自分悪口で目が覚める。
ストレスばかりが溜まって心も体も限界だった。


2年次の後半はほとんど学校に行けなかった。
家にいると親に対する嫌悪感頭痛吐き気が止まらなかったので出来るだけ外にいた。

学校終わりはバイト、予定のない日は大きい本屋をうろついてたまに本を買って近くの喫茶店で読んだ。


もうどうしようもないと思って3年次は休学手続きを取って1年間フリーターみたいに働きながら家を出た。


講評の当日深夜につらくて泣きながら教授に「授業を休ませてください」という旨のメールを送った日からもう1年が経ったらしい。

実家を出ることに関しては強行突破でかまわないくらいの心意気だった。
どのみち自分には帰る場所なんかないのだから場所を作るしかないと思ってのことだった。


親には一言も伝えずに休学、

お金を貯めて部屋まで決めて、

もう後に引けない状態で家を出ることを伝えた。

自分判断能力精神的の限界、苦しみ続けた20年間を鑑みてもうこれが自分に残された最後の、そして最善の手段だと思った。

「自立したくて家出た」なんていうと「行動力があるね」と言われることがあるけれどその実
ただ「実家にいたらいつ精神崩壊するかわからいから生きるために逃げ出してきた」くらいが正しいんだろう。

3月18日実家を出て半年になるらしい。


少なくともこの半年

「家に帰りたくない」なんて1度も思わなかった。

時間潰すために夜の公園電池なくなるまでスマホいじることもなかった。


自分悪口で目が覚める朝は来なかった。


自分けがいる部屋で誰の目も気にすることなく笑ったり泣いたりできた。


窓を開けて部屋の換気ができた。

たったそれだけの事だ。


私はたったそれだけのことをするのに21年苦しんだ。


春の暖かい風が部屋の中に吹き込んできたとき「生きててよかった」と心から思った。
ようやく自由になれた気がした。

家を出たら出たで大変なことはあるけど、少なくとも今のところは後悔なんかしていないと言い切れる。
誰かが掲げてた『苦労はできるだけ少ないほうがいい』という主張はまったくその通りだと思う。
部屋の窓を開けるのに21年かかるなんてばかばかしくてやってられない。

ただ、21年かけて開けた窓からは確かに未来が見えた気がした。
自分人生はこの1度きりしかないのだから自分幸せになるために生きなければもったいない

 

4月から大学に戻る。仕送り0で学びながら働きながら「家賃を払わず整形手術のローンを組む同居人」と共生、というか矯正それから休んだ1年分の学費を貯めなければならないのでやることは山ほどある。大好きなお絵描きができないかもしれないがそういうフラストレーション学校課題へのモチベーションに変えよう。

体はそんなに強くないか健康管理しっかりしないと。

レールを外れて生きていくっていうのはそれ相応の覚悟必要で、残念ながら社会はそういう人間には優しくない。

こんな文章垂れ流したら知らない人に「この程度で甘えんな」「自分なんかもっと大変だ」「大学まで行かせてもらってるくせに」って言われそうだけどそれでもいいや。

ようやく自分で作れた居場所何度でも帰ってこれるように必死に生きます

ここまで読んでくれた人みんな幸せになれますように。

2018-03-04

https://anond.hatelabo.jp/20180303182631

もとより難関の受験突破して卒業までに規律のある生活をするということはだれかの指示にどれだけだまって従えるかの基準

一流であれば難関であればそれだけ抑圧に耐えられるという靭性テストなので学歴裁定する基準はある

ただそれが自立した社会的共生性と関係あるかは別問題で、むしろない方が理不尽会社欲求を外に漏らさずにすむのでよい

大卒問題なのはつぶしがきく耐性の数値を大卒という基準で持っているにも拘らずすぐに根を上げて一般以下に落ちてもかまわないという人生大事という求められていない人材が混じることだ

要するに大卒というのは、上流になればなるほど奴隷制度に適しているということで企業や団体の保有する財産を背負って歩く蟻が何匹つくれるかというところにある

寄付をしたり分与したり社会貢献の度がすぎたりフェアトレードを本気でフェアにしたりする人間が混じってはいけない

ひたすら残業させ自殺しても本人がわるかったねと言えるエリート奴隷必要

一般人がいう社会的倫理観道徳観、社会性というものがそこに必要かといわれたらむしろ必要ではある


人間らしい生活努力が満足に報われる生活をしたければ地元商店雑居ビル群、高架下で自営をしている生活などのほうが適している

かい金だけでできている巨大企業という生き物が上から下まで様々な奴隷をその金の使い道だけにしたがって生かす構造

大企業一流企業といったところへの就職に関する進学については、そういう相関とかはむしろ関係がないといっている人間にこそ目を光らせ排除していく必要がるだろう

2018-02-25

[]サイボーグ宣言(A Cyborg Manifesto)

理解していないから知ったと言いきれない。グッチの新作のコンセプトに関係あるらしい。

ダナ・ハラウェイが1984年に発表したエッセー発祥言葉魚拓 https://web.archive.org/web/20120214194015/http://www.stanford.edu/dept/HPS/Haraway/CyborgManifesto.html

現代の我々人類のことを「言語をもったサイボーグ」とみなす。道具や機械(例えばメガネ、靴、ピアノ数字など)と共生するハイブリッドキマイラサイボーグらしい。

訳がわからないが腑に落ちたら書き直す。

2018-02-22

anond:20180221195103

逆にいうけど、あなたあなたナウシカに肩入れしすぎている。

しろ神の視点からこそ読者として客観的評価するべきだ。

読者なんて結局のところ神の視点以外の視点なんて持てない。

それは感想評価に対する批判になってない。

墓所側の言い分はどうなんだ。

人類の行きつく先として巨神兵王蟲を作るほどの高度な科学技術を手に入れたが

ヴ王ナウシカの好む人間としての闇が強すぎた結果、滅びの道に進んでしまったのが旧人類ではないか

滅びに進むにつれて旧人類はナウシカたちが想像するよりもずっと大きな絶望と失敗を繰り返した。

ナウシカのいうような「血反吐を吐いてまで」という経験旧人類側はもう既に十分すぎるほど経験している。

今を生きる、今だけしか生きてこなかったナウシカからこそ、

墓所側の歩いてきた歴史を信じられないし、同情もできなかった。

反吐を吐いて進んだ道の答えが新人類であり、現生人類たちが例え環境適応し生き残ったとしても、

最後には旧人類の歩んだ道をなぞるだけだ。

まったく徒労でしかない。

人間性の闇を捨てる計画を立て、自分たち破壊した環境を取り戻すために尽力した行動と選択は、全部旧人類の流れた血によってつくられている。

神の視点に立たずともナウシカには墓所側の行動と動機推し測るだけの情報は十分すぎるほど得ている。

ナウシカエゴが贔屓されたのは、それは自分たちに向いていたからだ。

ナウシカ庇護を受けているからこそ心酔するのだ。

ナウシカ自己犠牲や時には反知性的犠牲行動を、「良い」と思ってやっている。

からこそ危険まりない。

やりたいから、やっているだけであり、その行動の結果がどうなるか推し測る能力にたけているわけではない。

トルメキアの兵士を怒りに任せて殺した場面でも仲間をより危険さらすだけだ。

しかナウシカはやった、やりたいから。

彼女ヒトラーと同じことをしている。

 

墓所側が攻撃してきたか交渉決裂。

墓所側が攻撃するのは当たり前のことだ。

旧人類の悲願は人間性の闇を捨てることだ。

現生人類死滅させたいのも当たり前だ。

それが残っていては計画が水の泡になる。

交渉する余地など最初からない。

旧人類は徹頭徹尾新人類を次の星の覇者にしたいのであって、現生人類はずっと捨て駒としてしか見てない。

からこそ武力で負かして交渉テーブルに無理やり着かせる必要がある。

あの時点で武力衝突するのは当たり前のことだし、それで和平が成立しないというのも早計すぎる。

交渉の主導権は武力で勝っている側にしかない。

交渉戦争が終わってからしかできない、墓所現生人類戦争はあの時点では何も終わっていない。

しろ墓所からしてみれば現生人類約束を守ってくれるなんて信じられるわけがないんだから

真実を話せば殺される、なら戦うまでだろう。

実際その予想は当たっていてナウシカという現生人類に殺されたわけだ。

 

王蟲は変わったけど、新人類が変わるわけがない。

それもまた思い込みにすぎない。

旧人類の計画では新人類現生人類死滅した浄化された世界ではじめて活動を再開する生き物であって、

現生人類共生しながら生きる環境など想定していない。

それが一体新人類にどういった影響を与えるかはそれこそ神ですら分からないことだ。

完全に未知の領域であり、王蟲のようによりよい変化が起きる可能性もあるし、

現生人類に対しても変化をもたらす可能性がある。

そういった可能性のある未来を確かにナウシカはあの場で殺したのだ。

ナウシカ道化との問答で自然に生きて自然死ぬべきだといっていたが、

それはナウシカが産まれるよりずっと前から存在し何百年も経過した後の結果である

王蟲の心という、それこそ旧人類の計画で産まれた上澄みだけを掬い取って悟ったつもりになっているだけだ。

新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。

はるかかなたの未来に生きる人類たちだ。

ナウシカエゴ自己犠牲狂信者範疇を超えている。

人々はナウシカを見て心動かされるかもしれないし、ナウシカのおかげで助かった人間もいる、

墓所までたどり着いたのも事実

だがそれは、そこまでは正しかっただけであり、この先もナウシカという暴力カリスマが正しくあり続ける保証などない。

ナウシカ聖人性の反証として最後新人類虐殺があったわけだ。

どれだけ偉業を成し遂げたとしても虐殺虐殺

人間性の闇に疲れて果てた旧人類側からしてみれば成し遂げられそうだった計画台無しにして、

生みの親どころか抵抗すらできない子どもを殺す悪魔しかない。

あの世で彼らは環境変化を生き延びた現生人類が再び科学技術を再興し、二度目の火の七日間に進むまでじっと見てるだろう。

ナウシカ行為正当性を産むことができるとしたら

現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。

しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。

誰もが森の賢者のようにはなれない、それを実現しようとしたのが墓所の願いだった。

ナウシカを読んだからこそ、愚かな人類と決別しようとした旧人類の思考理解できるし、

現生人類側で誰もそれに歩み寄ろうとしなかったのは単にお互い戦争だったからだ。

ナウシカは決着がついたのに戦争をやめなかった。

現生人類のみんながナウシカに心酔してたわけではないように、

人間凶悪さを誰もが喜んで従っているわけではない。

2018-02-19

anond:20180218173209

・付き合う前に見抜けてるじゃん。これで見抜けてないならいつ見抜けたら合格なの?

・この程度の地雷なんて誰しもなにかしら持ってるんじゃない?どこでどう出るかという差しかないような気がする。

・これくらいのやつらなら制御できたり、共生できる女性はいくらでもいる。

・しょぼいやつらだなとは思うよ。

しかし、現代社会で生きてて遭遇しないというのは無理な話。話す前に見抜きたいという話してる?どうかんがえてもそれは無理。

2018-02-03

エウレカレントン その後

エウレカレントン その後

以下、判明している事実


ニルヴァーシュのわかれのことばによれば

ふたり人類コーラリアン共生可能性を世界に啓く使命を帯びる。


住民票によれば、

エウレカレントン入籍している。

そして除籍されいない。


夜の森なかに光るシルエットを見ると、

森のなかにふたりがいる。スカブコーラルに覆われた地表ではなく、その下の約束の地、つまり地球の上。


アクセル発言によれば、

レントンエウレカGreat Wallから戻ってきた、あるいはいはいないが確実に戻ってくる。


上記から類推できること。

レントンエウレカ実体があり生きている。

エウレカはサーストン家に入籍している、またモーリス・メーテルリンクとは養子縁組を行なっている。

これらは本人確認必要行政手続きで、すくなくとも一度くらいはベルフォレストアクセルの元にきている。

レントンエウレカニルヴァーシュとの約束をはたすため、約束の地と地表を往還している。

以上。


https://matsurd.deviantart.com/art/Eureka-7-Back-in-Bellforest-31920196

2018-01-15

男という正しくない生き物になんか生まれたくなかった

男性の特徴は、政治的に正しくない、現代社会的生活に相応しくない要素を大いに含むので、男性各位はそれを自覚し、己の心身の挙動に綿密な注意を払って調和平和を乱さぬよう生きるべし。


みたいなことを、公的にも私的にもそこらじゅうから言われてるような気になる。

ヒトのオスって、そこまで不快危険で、罪悪感で縛り上げなきゃとても共生したくないタイプの間違った生物なんすかね。


この思考で厄介なのは、ヒトのオスである私にとっても、他のヒトのオスはできる限り近くにいてほしくない不快な生き物だってことだ。

いや、私自身も私の体のゴツゴツした感じ、がさつさ、デカさ、体臭、体毛、声質、闘争性、暴力性、共感性の低さ、性欲、助平心、などが不快しかたない。

から迷惑がられるのが分かる。

どれも厄介な特徴だし、どれだけ大変でもコントロールすべきかもしれない。


私の頭の中の物知りマンもこう言っている。

「君が男性なのが問題なんじゃないし、男性なことを責めているのでもない。だって男性でもエレガントで社会性の高い人は沢山いるのだから

問題は君が社会生活にそぐわないこと。君の社会性が低いこと。性差ではなく個人差として君が駄目なのだ

そうかもしれない

でもこれら悪しき特徴の中に、私が男性に生まれたが故にテストステロンだかなんだかの影響を受けて、半ば先天的に強められたものもあったんじゃないですか。

それを個人差だと、個人責任を負うべき個人的特徴だとするのは、自己責任論みたいなもんじゃないですか。

つーか、男に生まれたせいでも、私が私であるせいでもいいけど、こうなろうとしてこうなったわけじゃないのに、もっとちゃんとしろって言われても不条理を感じる。

男性差別か、迷惑なやつ差別か、どっちかを受けてるみたい。


ところで、男がやたら恋愛相手をほしがるのは、性欲の強さのせいだけでなく承認を求めてるからだっていう話を見たことがある。

それに対して「承認だったら仕事か友人関係で得ればいいだろ、女に求めるな」みたいな批判が来ていたのも覚えている。

でも私はこう思う。

男が仕事や友人だけではなく恋愛相手から承認も強く求めるのは、しばしば暴力的攻撃的で非道徳的で不快社会生活に相応しくないとされる男の性欲を受け入れてくれる人がいる、むしろ歓迎してくれる人がいるということが、男であることの恐怖と罪悪感に許しを与えてくれるからではないか

仕事や友人関係で得られるのは、得意分野への承認だ。

一方、恋愛で得られるのは、己の有害さというコンプレックス部分への許しだ。

この二つは代替可能ではないと思う。

私は童貞で職歴もないから、仕事で得られる承認恋愛で得られる承認が本当に違うかわからないけどねー。


はーーーーきれいな女の子になって女の子と付き合って暮らしたいよーーーーーーーーーー

って書いたのに全然ブクマこないから再投稿する

2018-01-14

男という正しくない生き物になんか生まれたくなかった

男性の特徴は、政治的に正しくない、現代社会的生活に相応しくない要素を大いに含むので、男性各位はそれを自覚し、己の心身の挙動に綿密な注意を払って調和平和を乱さぬよう生きるべし。


みたいなことを、公的にも私的にもそこらじゅうから言われてるような気になる。

ヒトのオスって、そこまで不快危険で、罪悪感で縛り上げなきゃとても共生したくないタイプの間違った生物なんすかね。


この思考で厄介なのは、ヒトのオスである私にとっても、他のヒトのオスはできる限り近くにいてほしくない不快な生き物だってことだ。

いや、私自身も私の体のゴツゴツした感じ、がさつさ、デカさ、体臭、体毛、声質、闘争性、暴力性、共感性の低さ、性欲、助平心、などが不快しかたない。

から迷惑がられるのが分かる。

どれも厄介な特徴だし、どれだけ大変でもコントロールすべきかもしれない。


私の頭の中の物知りマンもこう言っている。

「君が男性なのが問題なんじゃないし、男性なことを責めているのでもない。だって男性でもエレガントで社会性の高い人は沢山いるのだから

問題は君が社会生活にそぐわないこと。君の社会性が低いこと。性差ではなく個人差として君が駄目なのだ

そうかもしれない

でもこれら悪しき特徴の中に、私が男性に生まれたが故にテストステロンだかなんだかの影響を受けて、半ば先天的に強められたものもあったんじゃないですか。

それを個人差だと、個人責任を負うべき個人的特徴だとするのは、自己責任論みたいなもんじゃないですか。

つーか、男に生まれたせいでも、私が私であるせいでもいいけど、こうなろうとしてこうなったわけじゃないのに、もっとちゃんとしろって言われても不条理を感じる。

男性差別か、迷惑なやつ差別か、どっちかを受けてるみたい。


ところで、男がやたら恋愛相手をほしがるのは、性欲の強さのせいだけでなく承認を求めてるからだっていう話を見たことがある。

それに対して「承認だったら仕事か友人関係で得ればいいだろ、女に求めるな」みたいな批判が来ていたのも覚えている。

でも私はこう思う。

男が仕事や友人だけではなく恋愛相手から承認も強く求めるのは、しばしば暴力的攻撃的で非道徳的で不快社会生活に相応しくないとされる男の性欲を受け入れてくれる人がいる、むしろ歓迎してくれる人がいるということが、男であることの恐怖と罪悪感に許しを与えてくれるからではないか

仕事や友人関係で得られるのは、得意分野への承認だ。

一方、恋愛で得られるのは、己の有害さというコンプレックス部分への許しだ。

この二つは代替可能ではないと思う。

私は童貞で職歴もないから、仕事で得られる承認恋愛で得られる承認が本当に違うかわからないけどねー。


はーーーーきれいな女の子になって女の子と付き合って暮らしたいよーーーーーーーーーー

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