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はてなキーワード: 共生とは

2019-05-17

anond:20190517173732

子有りが苦しんでるなんて笑わせる

性交する相手共生するパートナーも育てる金もある恵まれ人種

2019-05-16

anond:20190516152228

排他的な人ほど弱者権利を主張するのはなんでなんだろ。

共生という言葉とどんどんかけ離れてきているような。

2019-05-05

地域猫批判してる層って何で保健所に持って行かないの?

駆除するか,存在を認めて共生するかの2択しかないのに何故連れて行かないのか

2019-04-11

4月から仕事が変わって、広島に来た。

関西の生まれなので、広島風お好み焼きとは言わないように、と散々言われてこちらに来たが、どちらかというと今は違う脅威に怯えている。

広島東洋カープである

カープ選手に罪はないことを最初に断っておく。

住んだことのない人はわからないだろうが、広島テレビチャンネル数が少ないのに、ほぼすべての局でカープ情報提供し、カープ番組も多く、街ブラ番組でも歩けばすなわちカープになるし、NHKだってプロ野球の結果です」ではなく、「現在カープ情報です」と言って試合の経過を報告する。昼はほとんどカープの話しかしないので、テレビを見ることがめっきり減った。他のチームの応援は断固許さな雰囲気である

職場の人も、ほぼ全員がカープを熱心に応援していて、ある人はチケットを買うために仕事休み、またある人は、オープン戦チケットが取れなかったので、雰囲気だけでも味わいに球場の外で過ごした、と言っている。有給取得が非常に嫌がられる職場だけに、信じられない。カープファンであれば何をしても許されるのだろうか?おそらく、こんな職場広島中にたくさんあるのだろう。

とにかくカープファンでなければ人でない、とでも言わんばかりの雰囲気に、毎日びびっている。そうやってカープファン以外を村八分にして、カープファンになれたものけが残っていく。カープで成り立ってきた広島が、心底怖い。

関西の生まれ阪神ファンに揉まれて育ったが、こんなことはなかった。しがないおっちゃん達が弱い阪神応援することで、日々活力をもらっていた。阪神ファンではないけど巨人が嫌いなんや、という人もいた。私は小さい頃巨人ファンであったけど、共生していた。関東圏でスタジアムのある地域にも住んでいたが、球場帰りの汗臭いファンが騒ぐだけで、大人しいものであった。

広島カープファンのみが住める街である。何かの手違いで広島に住むことになったぜひ知っておいてほしい。

2019-03-14

anond:20190313234701

ドラッグの「役割」について補足したい。

ナチュラルケミカル

ドラッグには「ナチュラル」と「ケミカル」がある。

ナチュラル植物とかキノコとか自然のものでぶっ飛べるやつ、ケミカルLSDMDMA覚醒剤など科学的に合成されたり精製されたもの

一般的ケミカルの方が効果は強烈。そもそもぶっ飛ぶために人が作り出しものから当然。クラブとかレイブでよく使われる。

一方、ナチュラル精神的な方向に進みやすい。スピリチュアル系。これにハマると「ケミカル」を敵視し始める。ドラッグ界のヴィーガン

高木沙耶を見ればわかると思う。へんぴな場所自然共生しようみたいなことをやり始める。そしてインドに行く。

かいの、冷たいの

ナチュラルケミカルの別の呼び方ナチュラル=温かいケミカル=冷たい

値段

脱法ドラッグ大麻MDMALSD <= 覚醒剤コカイン

メインユーザ

大麻

世界的に合法化の流れ。ただの雑草なので栽培が容易。農作物と一緒なので品種改良が盛んに行われている。

世界では大麻の「品評会」がある。生産者が自慢の大麻を持ち寄って評論家ランク付けします。米(コメ)と同じ。

アメリカ大麻ビジネス流行っているのはこの流れ。質を向上させてブランド化して販売しようとしてます

コシヒカリとかササニシキみたいなもん。中には芸能人自分ロゴ入れてブランド化してたり。アパレルみたいな感じ。

音楽ドラッグ

音楽的なつながりがあるもの

ビートルズ大麻LSDなどからインスピレーションを受けてるのでCDは回収すべき。

芸能人逮捕された時の印象

2019-02-08

anond:20190208035333

こういうのも守破離なんだろうなぁ

子どものころは自分で何でもできるように、他人迷惑をかけないようにを教えられる。実際、成人してしばらくしたらそれは完成する。

そこからは、逆に自分の不得意なこと・できないことについて、人に頼ることを覚えないといけない。

端的に言えば、助けを求める能力自分の弱みを見せる能力を身に着けるということだろうか。

これは、自己完結するという自分の殻を破るということでもある。

自分の弱みを見せることを覚えたら、他人の弱みを受け入れることを覚える。

言うなれば他人の不得意なことやできないことを引き受けて、共生することを覚える。

そうして、自己完結世界から離れていく。

親でもいいし、職場でもいいから、助けを求めてみな。そうすることは恥ずかしいことではなく、大人としての能力を身に着けるってことなんだよ。

2019-01-25

メディア猫と現実の猫について

ふと気付いたのだが、現実で猫を見かけるよりもネットで見かけるほうが多くなった。こういう逆転は、実は珍しいのではないか?と思い始めた。もちろん、パンダを目で見たことがある人よりも、テレビで見たと言う人のほうが多いだろう。希少な動物だし、日本にいるパンダは数えられるほど少ない。雀はどうだろう?あれだけの個体数で朝チュンチュン言ってるので、当然直接見る機会の方が多いだろう。じゃあ猫はどうなのかというと、確実にネットの方が沢山いる。氾濫していると言ってもいい。昔は、たまにどこかの飼い猫が鈴をつけて歩いている姿を見る機会が多かったはずだ。野良猫にあったら、とりあえずモノで釣って近寄ったりしたはずだ。そういった経験価値は、今はメディア猫に比べて相対的に上がっている。メディア猫の振りまく喜劇的な可愛さに僕らの胃はもたれ気味で、どうしたってあのツンケンした現実の猫とふれあいたくなる。そうしてまた「猫を飼いたい」という偽物の気持ちを植え付けられた人々は今日も猫の居ない生活首をかしげることになる。おかしいな、メディア猫はあんなにも居るのに、現実では全然見かけないじゃないか。。

ここから先は完璧想像なのだが、日本高度経済成長時代、裕福な家庭の象徴として「ペットを飼う」が掲げられた。立派な一戸建て、最新の家電、頑丈な車、広い庭、そして片隅には犬小屋があり、ゴールデン・レトリバーいびきかいている。ペットを飼う余裕すらないのは、中流とは言えない。彼らはこぞって同調し、しかし「なにを飼うか」で個性を競っていた。下らない流行りに付き合わされたのが猫たちである。様々な品種改良が進み、もはや家の中でしか快適に暮らせないまで進化させられてしまった彼らには高い値段が付き、飛ぶように売れた。一方で、捨てられる猫が増えた。もともと繁殖力の強い生き物だから全国的に猫だらけになった。しか10年も経てば、野生の猫は力尽きる。彼らの相手はいつの間にか、戸建ての一軒家からコンクリート階層ビルに変わっていた。人間のご相伴に預かれなくなった猫たちは、やがて数を減らしていった。

そんな猫たちに分け隔てなく優しさを振りまいて、ご飯を食べさせるついでにうちの子にしてしまう男がいた。僕の叔父だ。彼は長い間祖母と二人暮らしで、ふたりとも猫が大好きだった。いつの間にか祖母の家は猫屋敷になっていた。祖母叔父も、自分の家に何匹猫が上がり込んでいるか把握していなかった。そんな中の一匹に、チイがいた。チイは猫らしい猫だった。小さな僕がよちよち階段を登って必死で追いかけるのに、彼女はするりと脇を抜けて逃げてしまう。とても人見知りな猫だった。僕は彼女を一度くらい撫でたかった。毛並みに触らせてほしかった。ついぞ彼女が姿を消すまで、僕は撫でることができなかった。

いま猫が好きなのは、そういう原体験のおかげかもしれない。居なくなった猫の毛並みを想像して、ずっと別の猫のことを可愛がり続けるのかもしれない。そんな気持ちは猫にとっては知ったこっちゃない。我が物顔でご飯をねだり、好きなときに遊んで寝るだけだ。僕にも猫の気持ちなんて分からない。この世の誰が猫の気持ちを知っているだろう。ただ、そうした中でもなんとか上手くやっていくことができる。お互いの勝手を暗黙に認めて、自分だけのことを考えて共生する。そういうのが生活というのだろう、となんとなく思う。

祖母がもし居なくなったら、あの元猫屋敷には叔父しかいなくなってしまう。僕は叔父クラシック・ギターを弾くのが好きだった。その昔、禁じられた遊びを弾く叔父がとてもかっこよくて、僕もギターを弾き始めた。またあの家にいつか、もうちょっとしっかりしたら、遊びに行きたい。縁の下に、光る眼。

2019-01-24

動物愛護法イコール差別法論

日本動物愛護法動物の愛護及び管理に関する法律)は

動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ること」

立法目的としている(第1条)

そして、「愛護動物」への虐待禁止し、罰則を設けている。

しかし、動物愛護法で「愛護動物」に指定される動物はごく限られている。

動物愛護法十四条

「4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの

要約すると、動物愛護法において動物の命の価値は三等級ランク付けされていることになる。

仮に保護される度合いが高い順に「Aランク」「Bランク」「Cランク」と呼ぶとすれば、

以下のようになる。

(※鳥獣保護法特定外来生物法についてはこの際考えない)

****************************************

【Aランク動物】(人の管理下にない野良でも愛護しなければならない動物

・「牛」「馬」「豚」「めん羊」「山羊「犬」「猫」「いえうさぎ」「いえばと」「あひる」の12種

【Bランク動物】(人の管理下にあれば愛護しなければない動物野良対象外

哺乳類

鳥類

爬虫類

【Cランク動物】(愛護動物ではない動物

魚類

両生類

・すべての無脊椎動物

****************************************

この時点で「おや?」と首を傾げる人も多いことだろう。

法律上では金魚カエルカブトムシといったペット愛護しなくてもよいことになっている。

何故なら【Cランク動物】だから

一方で、犬や猫、ウサギといったペットはたとえ野良であろうが虐待してはいけないことになっている。

何故なら【Aランク動物】だから

しかし、現実には「金魚カエルカブトムシは好きだけど犬猫は嫌い」という人もいる。

そして、金魚カエルカブトムシと犬や猫の命を区別する理由は、

単なる好き嫌い以外に存在しないのではないだろうか。

もっと言うなら、ゴキブリペットとして愛している人もいるだろう。

だが、愛護法ではゴキブリは人の管理下にあろうが野良だろうが、

平然と殺されてよい生き物とされている。(ペットゴキブリ場合は、器物損壊にはなるだろうが)

にもかかわらず、猫は人の管理下にあろうがなかろうが、

「全国民」が愛護しなければならない動物とされている。

別に犬猫ウサギなんて好きでも何でもない、むしろ嫌いな人だって多くいるだろう。

それなのに、個人自由であるべき嗜好を、法律罰則まで付けて強制している。

【Aランク動物】を傷つけた人は問答無用で百万円以下の罰金を受けることになるのに、

【Cランク動物】を傷つけた人は無罪放免

【Cランク動物】を嫌って殺す人は無罪放免なのに

【Aランク動物】を嫌って殺す人は罰金を払うことになる。

さて、この構造差別以外の何と呼べばいいのだろう?

「どの動物が好きか」「どの動物が嫌いか」という個人属性によって、

大幅に不利益を被ることになる被差別者層が生まれる。

その上、この愛護法上の差別正当化する理由噴飯物で、

曰く「犬猫虐待する人間殺人犯になりやすい」だの「昆虫愛する人間は異常者」だの、

差別常套句が並ぶ。

これは「黒人犯罪率が高いか黒人犯罪者予備軍だ」というヘイトスピーチとまったく同じ構文だ。

ニューヨークなどの都市黒人犯罪率が高いのは統計的事実だが、

から「肌の黒い人間規制せよ!」などというのはバカバカしい。

相関関係因果関係ではない。

黒人犯罪率が高いのは、「黒人貧困層が多いから」「黒人教育を受けてない層が多いから」かもしれない。

肌の色が犯罪を誘発する原因とは断定できないし、無根拠に断定したとすればそれは差別だ。

犬猫動物虐待者は犯罪者予備軍」というのも、当然例外ではない。

動物愛護法44条はこの「命のランク制」を廃止して、

「すべての動物例外なく愛護する」ことにするか、

さもなくば動物愛護法自体廃止した方がよかろう。

そもそもこの法律自体が「動物に優しい人はいい人である」という無根拠選民思想に基づいている。

動物好きであろうが悪人はいるし、動物嫌いの善人もいる。

動物が好きかどうかで人間の良し悪しを区別する」という立法趣旨自体差別的と言わざるを得ない。

2019-01-18

anond:20190118105350

裁判官類似する人はおるけど最高裁空気嫁やって言われてたで

あらゆることは明文化する必要があるのやも知れん

共生のために

2019-01-12

女が自身生き方自身で決めるとかイキってるがそんなことは不可能である小学生でもわかる

女と男がお互いに足りに部分を補い合い共生を築いて生きていくのが人間社会から

彼女らがやっていることは女性の自立ではなく女性孤立だ。あん言葉に騙されるな

2019-01-11

北欧では、シス女性LGBTどころかムスリム移民も同じ弱者として共生しているらしいぞ

シス女性トランス女性を受け入れ、ムスリム異性愛男性女性同性愛者も自分と同じ権利を持った存在理解し、女性LGBTフェミニズム思想やクイア理論と並びイスラーム思想尊重する

どうやってるんだろうな

まあ北欧ではどうであれ解決できてるらしいと聞くと、トランスジェンダーの銭湯問題って、本質日本社会の後進性が悪いってだけでは

2019-01-10

ブスはフェミニズムに関わるなと何度言えば・・・

ブスはフェミ思想の中から自分の男憎しの視点から都合のいいところを切り取って主張するミサンドリストに過ぎない。

本来は男女共生思想のはずなのに、いつの間にかミサンドリストフェミの構図になってしまった。

フェミ思想の礎をつくった先人が聞いたら泣いてしまうぞ。

anond:20190110042207

そう。大切にしてくださいね

あなた社会生活をしている1人の人間ですし、「社会ルール」を守ることは多くの人と共生していくのに必要不可欠ですからね。

分かって頂けて安心しましたよ v(^_^)v

2019-01-07

はてなーが大好きな北欧の子どもたち anond:20190107163638

子どもじゃなくて親のミスから

フィンランドの静かな子供たち

保育士は、多少の歓声はそのままにしておくが、耳をつんざくような大声は、「叫ばないで!Älä kilju(アラキリユ)」と言って止めさせている。長男保育園に通い始めた時、初めてこう光景を見て驚いていたら、「ああいう声は嫌よねぇ、耳がキーンとなるもの」と保育士が眉をしかめて寄ってきた。近所迷惑配慮してというより、一緒にいる保育士の耳に耐えない声を出すのはやめさせているらしい。

子供はうるさいもの」という既成概念共生邪魔する?

日本保育園建設反対運動は、「子供はうるさいもの」という既成概念ベースになっているようだが、この問題を巡って、日本は今改めて子供達を取り巻く周囲の環境や、大人子供共存のありかたを考え直すチャンスを得たのではないだろうか。

子供は、その子らしく育っていくのが一番だ。ただ、子供はうるさくなくてはならないのか? うるさくしなくても、子供が楽しくできることは何だろうか? 保育園だけに限らず家庭でも、大人子供も快適に暮らすために、ライフスタイル見直してみることも有効かもしれない。

2019-01-02

年末ログインボーナス爆竹だった

年も越してしまったが、暮れの話を一つ。


暮れ明けに親戚参りをするため実家に帰ると、玄関先に爆竹があった。

そこそこ束で置かれていたので「あれは何なん?」と聞くと「市役所から配られたもんで置いてある」と。

父曰く、一昨日あたりに市の職員が来て、うちの集落の全世帯に一軒一軒配って回ったとのこと。

まあ職員の人も大変だったろうなと思うと同時に、ついにここまで来たかと思った。

塩害ならぬ猿害である


うちの集落は市の中でも山側、道路こそ発達しているものバス鉄道も掠りもしない所に存在している。

過疎気味ではあるし、まだ屋号文化も続いている由緒正しき田舎ではある(まあ日本各地に似たとこは多いと思うけど)

もっとも、若い衆の集まり子供会もまだ続いている程度には人が暮らす地域であり。

そんなところなので、向かいの山から鹿なり猿が下りてくることもそこそこあった。

実際自分が住んでいた十余年くらいでも、猿が植木場の柿をとって食べたり、西瓜を抱えて持って行ったりくらいは経験している。

庭先に見かけない猿の置物があると思ったら、生きていた猿だったなんて話が出てくるくらいだ。

まあそんなもんだから警戒こそすれ、猿による人への被害はあまりなかったのでこのまま維持できればいいかくらいに自分は思っていた。

たまにニュースで『噛みつきザル発生』なんてあったけれど、大抵は渡り若い猿とかだったし。

農作物に関しても、猿より鹿の方が深刻だったのでそちら側に若い衆やら猟友会対策していたくらいだった。


ところがこの十年くらいで猿たちは更に活発に……というより賢くなっているらしい。

はいっても農作物への被害がひどくなったり、危害を加えられたとかでは(まだ)ない。

家宅に侵入して炬燵に入って暖をとったり、台所の机の上にあった甘味果物を食べてたりするくらい。

問題は、鍵の位置や開いてるかどうかまで認識できるようになったらしく、鍵をかけていても入ってくることもあるらしい。

幸い、人を見るとどの個体も逃げていくらしいのだが……それでも家の中に猿がいたら気が気でない。

特に小さい子供のいる世帯はなおさらだろう。

そういうわけで、事態を重く見た市の担当課が爆竹を各家庭に配布したのである。実際出たときに使えるかはともかく。


長々書いたけど、所詮爆竹なんて一時しのぎ(=ログインボーナスの配布石程度)だし。

うちの集落が将来猿に負けるのも時間問題だなぁと思ってここで吐き出している。今は辛うじて『共生』といえる範疇に入ってるけど、多分。

そして、そこそこ人口の多いうちの市ですらこんな有様なのだから人口だけで言えば立川とかより多い)

他の市町村ではもっと大変なのかなぁと感じた年末でした。

2019-01-01

2019年元旦

オールザッツ漫才見てるんだが品庄ふたりとも20代の頃とビジュアル変わらないなあ。

それにしても、この二人の漫才って全然印象無い。

ひたすら仲が悪くて品川世間から嫌われてて庄司は嫁の名前を叫ぶ筋肉キャライメージしか無い。

でも二人共生き残っている謎。

つーか霜降り明星せいやas仁鶴師匠毒舌www

2018-12-20

anond:20181220005045

そういう運動被害者性の文化というらしいが、その被害者性というのは永久不変なのか、そして次の時代共生にその被害者宣言果たして真に資するのか…

2018-12-05

動物虐待者に対する『差別』の存在

差別をする側は、「自分差別をしている」という事実認識しにくい。

肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、

それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。


出身土地職業差別することが当然の時代で生きてきた人間は、

部落差別差別であると知ることができない。


同性愛悪徳だと教えられて生きてきた人間は、

同性愛差別を当たり前のこととして受け入れてしまう。



「それは差別ではなくて当然の常識だ」

区別をつけるのは当たり前のことだ」

そんな風に自己認識を歪め、差別正当化してしまう。

しろ一部のグループ迫害することを「正義」だと考えてしまう。

人種差別や、部落差別も、同性愛差別も、

今の我々は「それが差別である」という認識社会で生きているか

差別として認識できている。

だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしま

見えなくなっている差別もあるのではないか



私は、その一つが「動物虐待者への差別」だと考えている。




恐らく、この記事タイトルを見たとき多くの人が


動物虐待者は悪人なのだから非難されるのは当然だ」

「そんなもの差別じゃない」


と思ったことだろう。

実際に日本では動物愛護法が制定され、

愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という

罰則が定められている。





>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。

2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物死体放置された施設であつて自己管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。

3 愛護動物を遺棄した者は、百万円以下の罰金に処する。

4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの








現在日本では愛護動物に対する虐待法律的にも倫理的にも「悪」とされ、

非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。


だが、ここであえて問いたい。

「何故?」

と。

動物虐待がなぜわざわざ社会全体で法律を制定してまで、

排除しなければならない「悪」なのか。


動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。

それでは、理由もなく人種差別部落差別同性愛差別をしてきた人々と

同じ間違いをしていることになる。



では、手始めに動物愛護法第一条を見てみることにしよう。

基本的には、法律第一条にはその法律が作られた目的が記されている。





第一条 この法律は、動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ることを目的とする。





なるほど、「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」。

かに生命友愛平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。

少なくともその目的自体は間違ってはいない。

だが、ここで当然の疑問が生じる。


動物愛護すれば」

生命尊重友愛及び平和の情操が涵養される」


という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。


結論から先に言うとこれは完全に間違いで、

現実には多くの動物好きが凶悪犯罪を行っている。

2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件

2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパート大家サバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件

2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件

ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。

したがって、「動物愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。


恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に動物愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、

科学的・統計的根拠があったわけではないのだろう。

そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは

哺乳類鳥類爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。





命の大切さを謳うこの法律では、魚類両生類無脊椎動物については何一つ保護対象になっていないのである

何故なら愛護動物ではないから。



イヌネコウサギを殺すと「生命尊重友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、

金魚カエルカブトムシ別に殺してもいいので無問題という、

この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。




さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、

動物虐待行為「悪」として迫害することの正当性担保するものは何も無いことがわかった。




からといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、

なかなか受け入れられる人はいないだろう。



その理由の一つが、広く社会に流布している以下の言説だ。



動物虐待はやがて人間への攻撃エスカレートする」

冷静に考えると「○○というグループ犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想典型なのだが……



実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。




聞くところによると、FBI専門家が、虐待精神に悪影響を与えると言っていたらしい。

FBIといえば犯罪捜査プロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、

きっと「動物虐待はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。




自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。



さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である





犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリング技術確立したFBI捜査官だ。




その手法については彼の著書であるFBI心理分析官』に詳しい。



私は以前、その『FBI心理分析官』を読んだ。

そして、愕然とした。

実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待殺人エスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。

彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、

動物虐待癖についてはシリアルキラー発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。



別に動物虐待殺人暴行因果関係については一言言及していない。

(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人過去に○○しているパターンが多い」と、

犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)

恐らく、このわずかな記述が誇張され、曲解され、

FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待人間への暴力エスカレートする』と言っていた」

というフェイクニュースを作り出したのだろう。




実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。




そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。


FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、

一度もそれを確かめようとはしなかった。




もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前出版された本であり、

今では犯罪学や心理学の研究状況は変わっているかもしれない。


だが、軽く調べただけでも

暴力段階説(動物への暴力人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。



ここに来て、私は動物虐待行為「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。

結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。


それも、かなり悪質な差別だ。


しろ法律まで制定して、公然動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから

そして、「動物虐待はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの

言説も、ヘイトスピーチしか言いようがない。



何の根拠もなく(ヘイトスピーチそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定グループへの誹謗中傷を行っているのだから

もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。


動物好きな人可憐な犬や猫を殺す行為社会であると思いたがってしまう。

何故ならその方が自分たちの感情にとって、都合がいいから。




自分の好きな犬や猫を攻撃するものが悪ではないと認めるのは、都合が悪いから。




だが、そのこだわりこそが差別の源であることを、人間は肝に銘じなければならない。

2018-12-03

キュアアンフィニとキュアゴリラと俺

繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達自分語り増田に聞いてほしい。

そうだな、俺はプリキュアになりたかった。

性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。

ただ、プリキュアになりたかった。

両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。

クリスマス誕生日プレゼントバンダイおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマお菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。

勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。

休日家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。

休み時間の過ごし方というと、同年代女の子プリキュアごっこ彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子プリキュアごっこに興じるのが常だった。

当然、小学校の高学年にもなると酷いいじめが始まる。

プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。

美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。

酷いいじめ、外見と理想ギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。

熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。

中学校は、行くのをやめた。

行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。

学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立Fラン大に自己推薦で入った。

今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。

地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。

HUGプリは面白い。間違いなく。

若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。

契機は19話だ。

池の平ホテルの「男の子仮面ライダー女の子プリキュア」というCM放送後に炎上したのも記憶に新しいが……

その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。

らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。

人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。

自分の心に制限をかけるのは人生のムダ?

そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。

僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?

分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!

俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!

彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。

翻って、俺はどうだ。

プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。

ひどい人生だ。

俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。


そして昨日の42話だ。

増田プリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。

お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組殆ど見た。

「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」

そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児なす列に並び、プリパラED差し替えでニチャニチャ笑い、ネット陰湿に笑いを共有しようとする徒であるまとめサイトコメント欄とかでね。

原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴収入類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。

彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。

そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望けが残った。

そのキュアゴリラが、若宮アンリプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。

男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?

ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?

プリキュアシリーズ共通するテーマである個性志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ

しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。

そうだな、俺はプリキュアになりたかったんだ。

なあ、増田FUJIWARA原西、若宮アンリ、教えてくれ。

俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?

誰か教えてくれ。

2018-12-01

anond:20181201085241

現代元寇が起きても共生しようって唱えるいい子ちゃんが多いだろうしね

2018-11-28

anond:20181128171749

いや、これ出来てりゃゴミ先生痴漢増田とも形上は共生できるじゃん

低能先生は防げなさそうだけど

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