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はてなキーワード: 一億総とは

2021-05-07

弱者強者って言うけど、中間はいないの?

階級を指して上流・中流下流って言うし、一億総中流とか言ってた。

なら、真ん中辺り、中間の人ってどんな人だと思われてるんだろう。

から見ての中間なのかで変わりそうだけど、気になる。

例えば、

A:強者友達がいる、恋人がいる、既婚、両親・親族との関係が良好、衣食住が満たされている、貧困ではない、健康である幸福感を感じる事が多い

B:弱者友達がいない、恋人が居ない、未婚、親族との関係が良好ではない、衣食住が満たされていない、貧困である健康体ではない、不幸だと感じる事が多い

C:中間→AとBが混じり合っている状態?

※「例えば」であって、Aが揃っている事が幸福の条件とは思ってないよ

Aの条件に1つでも当てはまる/当てはまった過去があれば強者? Aの条件に過去1つも当てはまった事がなければ弱者?

現時点でBの条件に1つでも当てはまったら弱者?

AとBを行ったり来たりする人が中間?

2021-05-06

弱者男性は「強いパパ」を直視すべき

フェミニズムにそうやってラベリングして憂さを晴らしても、弱者男性当事者のおかれてる立場や抱えてる課題は何も良くならないでしょ。

個人もつ色々な属性の複合的効果によって社会的な強さ/弱さの立場スタンドポイント)が決まるというインターセクショナリティ論は、フェミニズムの内側から出てきたものだよ。そもそもフェミの内部にも人種問題とか経済階級問題とかがあって、フェミニズム自身もそれと向き合う理論必要性があった。さまざまな権力関係のなかで相対的に他の男性女性より弱い立場にいる男性は当然いるし、そのことを否定するフェミニストはほぼいない。いるとしたら、それは背景となる理論裏付けを持たずに男性への憎悪を募らせたミサンドリストで、そういう人はフェミではないし、フェミ代表として語ってほしくもない。

多くのフェミニストは「弱者男性なんかいない」なんて思っていない。でも「男性は(学歴所得コミュニケーション能力身体属性容姿ではなく)『男性であること』自体によって、女性よりも相対的弱者だ」ということに同意するフェミニストもほとんどいないだろう。

構造的にみれば、我々が暮らしている社会はまだまだ男性優位だけど、とはいえ男女雇用均等法とか他のさまざまな社会的前進によって、過去に比べれば、平均的男性像を超える所得や実績を得るような女性も出てきやすくなった。

そのいっぽうで、1980年代後半から格差社会化の進行によって「一億総中流階層」という幻想は崩れ去り、男性内部の格差は広がっている。正規/非正規という雇用形態の違いは以前はきれい性別ごとに割り当てられていたけど、今は男性非正規雇用層、男性低所得者層が以前よりずっと拡大している。

そういう男性のなかで社会に対する被収奪感、「誰かに何かを奪われているか幸せになれない」という感情が生まれるのは当たり前のことだと思うけど、それを女性に向けるのは間違っている。それは女性非正規就労者の減小数男性非正規就労者の増加数を比べてみればわかる。「何か」を奪ったのは女性ではなくて資本主義だ。正規雇用人件費法定福利費社会保険料など労働コストの重さに耐えられない企業非正規雇用化を進めていったからだ。

そういう弱者男性がいること自体認識していても、それを救うことまでが自分のやるべき役目だと思ってるフェミニストは少数だ。フェミニストは何よりも男性-女性という軸における不均衡・不公正を是正することを意識してる。所得という観点弱者立場にある男性が、同様に経済弱者である女性連帯して社会福祉制度の拡充や最低賃金のアップを求めるなら、それを歓迎するフェミニスト達はいるだろうけど、それは女性境遇改善することに繋がる限りにおいてだ。フェミニストは弱者男性ママではない。みんな自分のことで忙しいのだ。

弱者男性論者は自分たちよりも相対的に強い立場にある「強者男性」との対立関係ちゃんと見据えるべきだ。自分が貧しいか弱者だと思ってる人の敵は労働から収奪してる高額所得者ほとんどは男性)だろうし、自分モテいか弱者だと思ってる人の敵は、自分に振り向かない女性じゃなくてモテてる男性だろう(女性に認められたいならまず自分女性を認めるべきで、女性を叩いたらどんどんモテから遠ざかるに決まってる)。強者男性と直接戦えないやつが、その恨みを女性にぶつけるのは虚しい。ママに泣きごとを言う前に、弱者男性は「強いパパ」を直視すべきだ。

anond:20210506081207

2021-05-03

anond:20210503213033

まり一億総自営業社会になれば解決やな。

リスクを負う経営者利益を総取りしてリスクを嫌う労働者低賃金を受け入れる構造根本にあるのだからこれを打破するためには労働者自分リスクを負う生き方ができるようにならなければならない。

2021-05-01

anond:20210430175732

今更使ってる人が一人いたからって流行してることにすんな

もう全然流行ってねえよ

そもそもあれは政府一億総活躍というスローガンを唱えているのに保育園落ちて私活躍できないじゃないか、というやつなんだよ

政府国民全員コロナワクチンというような政策を唱えて、なおかつ私はコロナワクチン打てなかった、そういう状況でないなら日本死ねは成立しない

元増批判するならそういうふうにやれ

2021-04-30

anond:20210430163359

ニートに決まってんだろ

5chも増田ブコメネットニートばっかりなんだよ

働いたら負け一億総ニート時代なんだよ

わかったら、さっさとお前も働くのやめろ

ニート王に俺はなる(ドンッ!!

2021-04-15

能力主義否定してるわけじゃなくて、学力学歴という単純な物差しだけで人間を測るのをやめてくれ、学力的敗者にももっと敬意と収入を、って話なんだけど、なんか誤魔化したがる人多いよね。

一億総中流時代にはある程度実現してたんだけどね。

2021-04-10

三大英語化した日本語、KAMIKAZE(神風特攻隊)、1,000,000 MONSTERS ATTACK(一億総玉砕)

あと一つは?

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-03-20

anond:20210317154428

学生のころ、TAをしていた授業の先生就職の話になって、某大手企業に行くということを話したら、「最初は大きいところがいいわね...」と言われたのを今でも覚えている。

就活ではリクルーターの人から、「学位を持っているから将来どうとでもできるよね...」みたいなことを言われたりもした。

その会社は辞めて、今は外資で働いているが、もしかして上記の人たちは自分が辞めることを薄々感じていたのだろうかと今になると思う。

最初から外資スタートだとまったく体験できなかったであろう日本会社での働き方を某大手では体験できたので、今の会社を辞めて日本企業で働くとき外資スタートだった人たちよりその点はスムーズにいくだろうなーと思っている。

元増田もそういう発想のもとキモイ大企業に行ってみるのも手かもしれない。

あと、男女共同参画だとか一億総活躍だとかいうとさ、男も女もどこかにやとわれて働くの当然みたいになるのも今一つだと思っている。

家に現金収入を得る人がいないといけないけれど、別に家のことを集中してやる大人がいてもいいんじゃないの?とも思っている。

2021-03-13

一億総陰謀論

知り合いが尽く陰謀論にハマってて途方に暮れている

糖質みたいになってて手の程のしようがない

死ぬまでこんな感じなのか?

山奥とかで陰謀論者は集まって暮らしてくれよ

2021-03-03

anond:20210303140850

地毛証明書のあれ、ほかの道府県だったら「やっぱり○○は〜」みたいな偏見や恨み言の開陳で溢れてたと思うんだよな 東京オリンピックや新型コロナ蔓延代表格だが、なぜか東京やらかし日本全体のやらかしと見做されて一億総懺悔になり、地方のどこかのやらかしはその地方特有の原因があるに違いないという発想になる。はてなーはそういう生き物

はてなーがそういう生き物なのではなく、2021年日本人はそういう思考を躊躇なくするようになったということ。

かつては大学院留学というコースは、よっぽどの奇特人間選択するように思われていた。当時の大学院の進学率が2.7くらいだった。

いまは5.5くらいにまで膨らんだ。

たった33年ほどで、いとも簡単に倍になるというのは想像を絶している。

海外旅行をする人も、1970年代ほとんど富裕層がやるもので、普通の人は全くできない。

2020年代はどうだろう。コロナ禍が終われば、全世界はいきなり海外旅行特需になるだろうし、日本もそれに近くなる。

経済水準が上がれば、人は高等であろうと誰しもが思うはずである

紋別であろうが網走であろうが秩父別であろうが登別であろうが甲賀であろうが奄美であろうが、どこの人間だろうが同じことを志向する。

1980年代低学歴が幅を利かした地方があったといっても、もう2030年代ではだれも信用しない。

人間はただの動物なので、他人の後進性を笑うように遺伝子に組み込まれているのである

馬鹿にされても机に向かい続けた1割の1970年代まれ日本人は、そう簡単には倒れないだろう。

残り9割は倒れる。ただそれだけのこと。

しかし、これを認めることのできない日本人は多いんだろうね。

日本は、いつかどこかで反知性主義低学歴国家の二つのレッテルをはがす。

anond:20210302222233

地毛証明書のあれ、ほかの道府県だったら「やっぱり○○は〜」みたいな偏見や恨み言の開陳で溢れてたと思うんだよな

東京オリンピックや新型コロナ蔓延代表格だが、なぜか東京やらかし日本全体のやらかしと見做されて一億総懺悔になり、地方のどこかのやらかしはその地方特有の原因があるに違いないという発想になる。はてなーはそういう生き物

2021-02-27

ヴィーガンって肉食のやつに不寛容だよね

普通のやつは隣のやつが何喰おうと興味ないし、何か言うモチベーションはないよ

でもヴィーガンは違うでしょ。隣で動物死体食われたら黙ってられないんじゃないの?沈黙同意とかなんとか考えてさ。何か言うモチベーションは高いよね

からケンタッキーとかの企業に抗議するんじゃん。本当に肉食に寛容なら抗議しないよね?

まりヴィーガンから喧嘩売ってんだよ。ニワトリか卵かじゃない。ヴィーガンが先だ。

で、ヴィーガンの言う事って動物さんかわいそうみたいな感情論しかないよね?別に人権のない畜生が殺されようとかわいそうとは思わないが?

五体不満足かつ池沼だろうと人間まんこから這い出てきたんだったら人間だし我々と同種だし人間が作り出した法の下に置いて保護されるべき存在ではあるが、我々と別種の意思疎通も当然できない畜生なんてどう扱われてもいいんだが?

豚を殺して犬をかわいがることも矛盾しないよね。畜生をどう扱おうと人間様の気分次第なんだから

畜産は非効率だしそこに回す食料を人類にいきわたらせれば食糧難は解決する?

それは畜産の話であって、魚やイノシシシカを食べない理由にはならないよね?

ヴィーガンから喧嘩売ってる割に理屈ボロボロなんよ。まじで。

せめて喧嘩を売るな。肉食のやつに寛容になれ。

なーにが一億総ヴィーガンじゃ。

anond:20210226184344

農業はお天道様に左右されるから計画経済にしても廃棄は出るだろ

それと一億総ヴィーガンかいうのはどこの誰の理想だよ。知らんわそんなもん

2021-02-26

SDGs農業資本主義って全部両立するの無理じゃねえ?

最近コロナ関連のニュースを見ていると、どうもそのように思えてしま

  • まず店舗需要が減って、農家ピンチになっている
  • 一般家庭に向けて売っても、今までの売り上げを確保するのは難しい
  • そして店舗ではどうしても廃棄が出る

まり一定量の廃棄の発生と、廃棄する分まで込みで売ることを前提としなければ、そもそも農家経営自体が成り立たなくなるということだ

これへの対策ブタにでも食わせるか、フードなんちゃらと称して困窮した家庭に配るかの二択だろう

「それでいいじゃないか」と思うかもしれないが、話はそう単純ではない

前者はブタ飼育継続を前提とするため、一億総ヴィーガン理想を捨てなければならない

そして後者後者で、配布するための貧乏人の存在を前提としてしま

こうやって突き詰めれば突き詰めるほど、SDGsとやらの向かう先は計画経済しかないように思えてならない

2021-02-18

anond:20210218181653

憲法9条変えたくないっていう人らも大概でしょう

要するに概ね一億総保守なのだ

2021-02-17

ぶっちゃけ日本投資しようなんて思えねえだろ

自動運転にしても何にしても、何か新しいことをしようとすればすぐゼロリスク押し付けようとする奴ばかり

危険性をあげつらっているうちにドローンみたいに出遅れてもう追い付けなくなる

左も右も一億総保守イノベーションなんて起こるわけがねえじゃんそりゃ

新しいものなんて誰も欲しがってねえんだよ

2021-02-12

私の夫の年収は、父の年収の3倍です

という訳で、上昇婚しました。豊かな生活を送っていますが、時々どんよりします。

まず、私がどんな環境からこの生活を手に入れたのかをお話しましょう。

私の実家年収が400万ないくらいの家でした。兄弟は3人、田舎マイホームを持ち、母は専業主婦でした。この時点で顔をしかめられる方、多いと思います。そうです、ご想像の通り、この年収でこの生活は非常にカツカツだったと思います

それでも、時々お金がなくて友達とのレクリエーション小学校卒業記念で遊園地に行くとか)に参加できなかったこと以外はあまり不自由のない生活を送らせてもらっていたと思います

しかしながら、大学進学についてはそうも行きませんでした。国立大学学費すら出せない環境だったからです。私も年間の学費を調べて、年収の1/7を出してくれと言うのは狂気だなと思い、結果、自分学費を稼ぎながら大学に通う道を選びました。なので、ある国立大学夜間部に進学したのです。夜間部なら年間の学費が30万程度で済むので、仕送りなしで一人暮らしをしても、昼間にバイトをしながらひと月3万ずつ貯金をすれば良かったのです。家賃は4万、食費1万、水光熱費1万、携帯代だけは親に出してもらって、月10万ほど稼げれば無理なく大学に通える計算でした。月10万だと、時給850円で1日6時間週5日働けば届くので、夜間部で昼間働けるのなら無理のない数字だと思いました。実際はもうちょっと時給が高い仕事にありつけたので、もう少し余裕がありましたが。

そして、大学出会った昼間部の先輩と卒業後に縁があり結婚して、この生活を手に入れました。

今の生活はとても豊かです。例えば、スーパー食材を買い物する時に買いたいものの値段を見る必要がありません。大学時代は1食の予算100円ほど、学食すらめったに使えない有様だったのにです。

周りの人々も豊かです。例えば夫の仕事関係の知り合いは、ほとんどの人が年収1000万は超えているでしょう。今住んでいる区も、平均世帯年収は900万ほどらしいです。

きっとこの先も私は豊かな人々に囲まれて生きていくのだと思います

そして時々どんよりします。

の子もも、周りの人々の子もも大学学費を親に出してもらうのは当たり前だと思って生きることでしょう。それがどれほど豊かなことなのか、きっと疑問にも思わずに。

私が入った国立大学夜間部でも、自分学費を払うような人は稀でした。ほとんどの人は学費一人暮らし家賃仕送りをしてもらって勉強していました。

から、この国には本当に階級があったんだ、一億総中流なんて嘘だったんだ、と、時々思い出しては実感してどんよりしてしまうのです。

実家には、定年後も働く両親が残っています兄弟ブルーカラーとして工場で働いていて、多分両親と同じような人生を送るでしょう。けれど、実家のある田舎ではそれが普通暮らしです。きっと私がこんなことを思ってることを知ったら、ものすごく怒ると思います

から、もう実家にはあまり笑って帰れないのです。だけど、この豊かな世界自分の居場所だとも思えないままです。

せめて自分の子どもにはこの気持ちをわかって欲しいと思ってしまますが、無理でしょう。

私だけ、この違和感を抱えて生きていく。でも、この罰も今の暮らしと比べるとあまりにもささやかすぎて、やっぱり時々どんよりします。

2021-02-11

森は辞めることないだろ

あの程度の発言一億総出で袋叩きは異常

森より叩いてる奴らの方がよっぽど狂ってる

2021-02-05

はっきり言って最低だ

この国の人間は法や倫理というよりも他者を参照して自分立ち位置を決めるばっかりであるから

一度過半数熱狂的になると全員が熱狂的になり,また半分が冷静になったときには「自分もそうだ」と言って一億総懺悔する.

すなわち根本的にこの国には二大政党制不可能であり,対立を嫌うから連立政党制も不可能であり,

本質的国民の中には全体主義を渇望するマゾヒストしかいないといっていい.

安全を軽視するし,記録も軽視するし,その場で記録されなかったこ物事事物が動く.

戦争ときだって合理的目的よりも思想的意義を説いて戦力の逐次投入するし兵站も軽視する.

このような性質を培ってしまった原因というのはおそらく,

そもそも島国であるが故に他の文化圏人間との論理的対話による合意形成の機会が根本的に少なく,

「我々は同一種である単一民族である」というふざけた幻想で,価値観は口にせずとも共有して当たり前だと

遺伝子レベルで刻みこまれしまっているからであろう.

2021-01-23

才能がなければ胴元になるしかない

一億総胴元社会

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