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2020-10-31

anond:20201031171039

👧💻カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタチーンというタイプライターごっこでしょうか?良くわかりませんね。はい次ー

2020-10-08

ホロコーストのある資料について意見が欲しい

こんなところで質問してもほぼ意味はないような気がするんだけど、他でも誰も答えてくれず困っている。協力があればなと。

これはパズルなのです。

 

簡単説明

ホロコースト否認者たちは、ガス室だけは絶対に認めません。ガス室を認めると大量虐殺肯定してしまうからです。ですから、一番目立つアウシュヴィッツを狙ってきます問題は、アウシュビッツには正確にいうと、ソ連が近づいてきたのでナチス親衛隊撤退するのですが、証拠隠滅のために、ガス室だったところをダイナマイト破壊してしまます

ナチス親衛隊は、全国指導者ハインリヒ・ヒムラー1942年暗殺されてしまったヒムラーの側近中の側近ラインハルトハイドリヒSD長官指導により、徹底的にユダヤ人殺害隠蔽したので、文書資料にすらほとんど「ガス室」や「処刑」などの用語もなく、ユダヤ人虐殺を「再定住」、処刑を「特別処理」などと言い換えたりしていましたので、これが戦後ずっと続くホロコースト否認者の格好の餌のようなものになってしまい、奴らは平然と「証拠はない!」とほざくわけです。確かに、ガス殺死体アウシュビッツには一体もありませんでした。なぜなら焼却して骨は砕いて川に捨ててしまたからです。

 

ガス室証拠

実は結構あるのです。文書資料として残ってしま図面にこそ「ガス室」とは書きませんでしたが、報告文書にうっかり書いてしまった記録などはあるのです。それ以外にも沢山あります。当然ですけど、証言記録は滅茶苦茶ありますアウシュビッツ司令官ですら戦後裁判証言し、死刑になって処刑されるまでに詳しい殺害方法を書いた自伝まで残しています

ところが、当然といえば当然ですが、否認者たちは証拠資料解釈で捻じ曲げて歪曲しまくり、証拠ではないと言い張り、流石に否定できない文書資料などがあると捏造だと一切認めず、当たり前のごとくに膨大な証言適当に難癖的にあそこがおかしいここがおかしいと文句をつけて全否定するのです。証言者が言ってることが多少誇張が入っていたり変だったりすることはよくある話なのに、一切認めません。ガス室の周りの地面に当時のユダヤ人作業員メモ証拠として埋めたのが戦後発見されていますが、戦後捏造だと言って絶対に認めようとしません。頭おかしいと思うレベルですが、これマジなのです。

 

認めざるを得ない証拠があったのに・・・

しかし、いくら否認論者でも、当時の文書記録として、加害者側の親衛隊人物業務内容として残した資料の中に、ユダヤ人のガス殺の様子を記録した文書があれば、流石に否定しようがないはずです。実はあったのです。

1970年代後半に、グリクシュ報告というのが見つかります。グリクシュ少佐というのは親衛隊人事本庁の職員で、1943年5月アウシュビッツの視察に訪れ、司令官ヘス同行の上、ガス室を見回って報告書を書いたのです。言葉は選びながらも、どう読んでもユダヤ人をガス殺する手順としか読めない内容がきっちり書いてあるのです。流石にこれは否定できないだろうということになったのでしょうか、10年以上、否認論者はこれを「まぁ偽造だろう」とほったらかしました。何故ならば、その報告書原本ではなく、戦後裁判資料を整理していた米軍将校タイプライターで打ち直したものだったからです。おそらく原本保管のためでしょう。だから原本じゃないので証拠にならず、米軍により偽造されたものだと言い張ったのです。

で、1991年に、アメリカ人リビジョニストのある人が、このタイプコピー版を徹底的に内容批判して、偽造だと断定します(実際には根拠は薄弱であり、捏造それ自体事実は一切証明しておらず、断定は無理です)。それがこちらです→フランケ・グリクシュ「再定住報告」:偽造の分析(レンク)

で、一旦これで否認論者もほくそ笑んだでしょう。原本などないんだから嘘に決まってる、と。ところが・・・

 

原本発見される

2019年、つまり去年です。ある反否認論者がふと、「もしかしたら?」と思ってドイツ連邦公文書館検索したのです。すると、その原本報告書製作時に同時にタイプされたカーボンコピーだった一枚)があったのです。ニュルンベルク裁判戦後裁判関係資料は膨大な量があり、昔は探すのが大変だったのですが、インターネット文書デジタル化が進んで、いつの間にか外部から検索をかければ見つかる状態になっていたのです。まさか探せるとは誰も気づいていなかったわけです。

発見者は、様々な検証を行い(と言ってもデジタル化された写真なので物理的には調べられない)、当時の他の文書とのタイプフォントの照合まで行い、フォントの一部に欠けがあった文字を数文字発見し、他の文書とそれが一致することから、おそらくは原本で間違いないだろうと。他にも色々特徴を調べていますが、疑問点は今の所ありません。

それがこちらです→Holocaust Controversies: Nazi Document on Mass Extermination of Jews in Auschwitz-Birkenau: The Franke-Gricksch Report

詳しく詳細な解説もされていますが、ともかく間違いないだろうと。内容も、否認論者は批判していましたが、それらおかしいと思われる箇所も十分問題なく解釈できる範囲です。何れにせよ、原本です。

 

捏造」とすると辻褄が合わない

否認論者としては、絶対に認められない資料証拠ですからこれを「捏造」と言わなければならないはずです。しかし、「捏造」と仮定した途端に辻褄があわなくなるのです。捏造でなければすんなり理解できます普通に原本はあった、そしてドイツ連邦公文書館で整理保管・デジタル化されていた、それだけです。

 

しかし、「捏造」だとおかしなことになります。先ず時期が問題です。

 

戦後のその米軍将校タイピングした時点で原本捏造されていたと仮定すると、ではどうして裁判に提出されなかったのでしょう? タイプ版も結局は裁判に出ていません。それは別に良いのです、証言証拠は沢山あり、グリクシュ報告は特に必要ありません。しかし、捏造だとすると、他の文書タイプフォントが合っているということから、それらの他のタイプフォント形式を間違いなく再現するためには、例えば同じタイプライターを探し出してこなければなりません。そんなめんどくさいことするでしょうか? しかもです、そうやって非常に面倒な精巧な偽造をするのであれば、何故タイプコピー版が存在するのでしょうか? カーボンコピー用紙を使えば、カーボンコピー三枚分用意できます。その一枚を裁判で使えるように回せばいいだけです。「捏造」と仮定すると極めて不自然なのです。かなり精巧なのに(調べてもわからいくらい)、裁判に使われていない事自体が不自然です。なおかつ、そんな手間隙かけた捏造証明された文書資料などただの一つとして存在しません(そもそも戦後裁判資料捏造が疑われたヴァンゼー会議議事録ですらも、リビジョニスト捏造だと言い張っていただけです)。

 

あと、この原本1980年代イギリスの著名な歴史家デヴィッド・アーヴィング連邦公文書館で見たことがあると言っており(アーヴィングは異常なほどの資料収集家です)、2005年くらいのこの資料議論する会でそのインデックスを述べていて、そのインデックスナンバー原本発見時にほぼ合っていたのです。とすると、1980年代原本存在したことになります。では、タイプコピー版が1976年発見されて以降、アーヴィング連邦公文書館で見るまでの間に、何者かがグリクシュ報告の原本捏造し、連邦公文書館に潜ませた、なんてことはあり得るのでしょうか?

今の時代ならばPhotoshopもありデジタル化された資料など簡単捏造できるのかもしれませんが、1980年頃にそれが出来たとは到底考えられません。ネットすらないので、ハッキングファイルを混入させることも出来ません(1980年代頃にデジタル化があったとも思えない)。いろいろ考えても、1980年代頃の捏造というのはあまりにも荒唐無稽です。タイプ文字の形を合わせるために、その他の文書すらも探し出してくる必要すらあります。すると、どうやったって当時ならば、連邦公文書館物理的に侵入しなければなりません。あまりにもハイレベル過ぎます

はっきり言って、グリクシュ報告の価値は「否認論者が困る」だけのものであり、偽造された「ヒトラー日記」のように1円の価値があるわけでもなく、書かれた内容についてはなんら未発見内容はないので、通常の歴史家特に反応を示すわけではない資料です。普通歴史家ホロコーストガス室があったことなど一ミリだって疑いやしません。

 

というわけで、グリクシュ報告原本を「捏造」と仮定することは、どう考えても辻褄が合いません。というわけで、非常にグリクシュ報告原本発見否認論者にとって困ったものであるはずなのですが・・・

 

ところがアホな否認信者たち

ネット上の一般否認論者は、どうも意味が全くわかっていないようなのです。「そんなもん捏造だろ」と頭から決めつけてかかっているだけで、捏造仮定するとおかしなことになるとまで考えが及ばないようなのです。ていうか、そもそも証拠絶対にない」とすら思い込んでいるようです。信じ切っていると言っていい。ですからこちらがいくら言っても、否認論者は「捏造とすると辻褄が合わなくなる」ことまで考えは全く及びません。

 

聞きたいのは、私が変なのでしょうか? 私自身は「ホロコースト否認信者はアホばっかり」と思うようにはしてはいるのですが、だーれも理解しません。一体どうなっているのでしょうか?

 

追記

id:anmin7相手の人がどうなったら増田は満足なの? 賢さを讃えてほしいの? ただ考えを改めたらいいの? 土下座して許しを乞うならいいの? 愚かさを恥じて以後増田奴隷になるべきなの?

違う違うそうじゃないのです。私一人で考えているだけなので、単に自信がないだけなのです。日本人ホロコースト否認論に反論しようなんて物好きな人はなかなかいません。これで合ってるかどうか、感想でもいいから聞きたいのです。日本人否認論の集まるところへ行くとほとんど孤軍奮闘になってしまうのです。私以外の反否認論側の人がいてもただ、「ホロコースト否認するなんておかしい」みたいにいう人がいる程度です。ほとんどの人は知識がないのです。

 

id:rmntc55211精巧捏造したけど使わなかった、その後、捏造したそれが何かの手違いで文書保管されてしまったなんてありそうだけどね。何もかもが自然にはできていない

そんなこと言い始めたら、あらゆる文書資料は全て捏造になりますよ。本当にそう言ったホロ否認はいましたが、あまりに非現実的です。グリクシュ報告の一致性は、タイプライターフォントの欠損が4文字も当時の同時期の文書と一致する、という時点で、捏造なら度を超えて精巧すぎます。むしろ、この欠損フォント捏造が発覚すべきです。それを捏造でやろうとすると、当時ならば虫眼鏡必須です。今の時代なら、パソコン画像拡大すれば簡単かもですが(というか、単に画像から同じフォントを使えばいい)、当時はそういうわけにはいきません。また仮に同一のタイプライターを探し当ててきたとしても、戦後ですから、同時期の文書とは2年も差があります。すると、その2年間にタイプライターの他のフォントまで劣化している可能性があります。あるいはその比較された他の文書資料も含めて偽造した、……などと言い出したら結局、ナチスから押収された文書は全て偽造とまで言いええしまい、暴論としか言えなくなるでしょう。何れにせよ、捏造証明された文書など一枚たりとて存在しませんので、妄想という他はないでしょう。

2020-09-25

ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見たことが無い人へ

最初テレビシリーズ放送ときスルーしてた。それは主役のヴァイオレットちゃんの格好にある。

メイド服のような(のちに違うと理解するが)衣装で、丁寧語。忠誠的なキャラクター(これも大きな勘違い)。

そして「ドール」という単語

宣伝時点でオタク人形のような、そんなイメージを持っていた。

評判を聞き京アニとも知り(絵柄でピンとこなかった)実際見てみると、これが違ったのだ。

まず世界観ファンタジーだった。どこかにあるかもしれない国。

でも魔法もないし、宇宙人未来人、異世界人、超能力者も出てこない。

単に作りこまれた、イメージとしては中世ヨーロッパ世界舞台だ。

ドールというのも、文字が普及しきっていない世界タイプライターを打つ人を、自動手記人形と呼んだ…という設定のもとでの単語だった。

主人公元少女兵だ。この辺が本当にファンタジーなのだが、元ってところがポイントだ。今は、ただの郵便局の人。刺客も居ない。

ビジュアルハガレン並みの義手が出てくるのでこれで戦うのかと思いきや、タイプライターを打つだけだ。

話は1話完結で、入っていきやすい。もちろん、順にみていくと味わい深い主人公の成長が感じられる。

お涙頂戴ともいえる内容かもしれない。人の恋愛や、家族愛、生死がなにかを知り、戦地自分が何をしたか理解していく。

戦争孤児のような少女が人の感情の揺れを知っていく。

そして愛を知っていき、戦地死闘の中別れ、愛をくれていた「少佐」を思う。

ラブストーリーというと、シリーズ全体を通して言う言葉ではないかもしれない。愛の話だ。

テレビ版で、その話は綺麗に締まって満足感を得ることができるだろう。

しかし、その後の劇場版テレビシリーズではほんのわずかな短い時間しか見てこなかったのだと、衝撃を受けた。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版を持って完結する。

劇場版こそがこのタイトルにふさわしい。つまり映画を見ないとこの作品は語れない。

そんな映画になっている。このクオリティシリーズもの劇場版したこと自体が本当に希少だと感じているし、

今後この映画基準になるとすれば相当な覚悟を持って、アニメ映画を作らなくてはならなくなる…かもしれない。

たことが無い人、そしてテレビ版だけを見ていた人。もしくは劇場版初見になる人。

きっとこの映画あなたに何かを残すはずだと、確信している。

要するに、見なきゃ損ってことだ。

2019-12-14

anond:20191214172651

日本語専用機はもう無理だろうなあ

ちなみにヨーロッパ言語だと液晶画面付きの電子タイプライターみたいなのがあるけど…

2019-11-21

タイプができない。

パソコンキーボードなら打てるけど、タイプライターは無理。

指に力がないので。

2019-10-15

人生をどん詰まりから抜け出させる方法が思いつかない

「酒を飲んで逃げるしか無いんだ」

サードマンまでもがそう語りかけてくる。

「お前の人生好転させる方法があるとしたら過去に戻ることぐらいだが、どんな人生を手にした所でお前はそれに幸せを感じないんじゃないのか?」

そうなのだろうな。

俺はきっと高望みをしているんだ。

ただ、普通に生きている中で、皆が普通に生きていることに感謝しあえる人生を望んでいただけなんだ。

それなのにどうして、良くわからない減点をいつまでもネチネチと責め合って「完璧じゃないね」とケチを付け合うようなことをどこでもやり続けているんだろう。

安易完璧を目指すのは仕方ない。点数軸というものを一切用意しなくていいから楽なんだ」

まったくもってそのとおりだ。

自分もつい油断すると完璧を目指すのは、どれぐらいまでいったら及第点で、どれぐらいなら100点で、それを越えたらそっからは120点150点のボーナスステージなのだと決めればいいだけなのだ

それが難しい。

その難しさから逃げて、ついつい目につく欠点をあげつらっては「完璧じゃないね。合計点はいくらか知らないけど、とりあえず100点ではないね」と言ってなんだか評価をつけた気になってしまうんだ。

「そうやって楽をすることを許せばいいのに、そこでも満点じゃないから駄目だとケチをつける。結局は楽をしようとして苦労しているのさ」

なるほど、そのとおりだ。

どうやら俺にも考える頭はあるらしいが、それは脳みそ全体の1割程度らしい。

そして9割の考えなしな部分が暴走して、結果として自分自分を不幸にしているんだ。

それを何とか抑えて人並みに見せているだけで上等なのに、それを評価する勇気がない。

タイプライターを叩く猿と大差は無いくせに、シェイクスピアを書きあげられないことに嘆き続けている。

一見するよりこの世界はずっとカオスなんだ。それがここまでまともになっていることが奇跡なのに。それを認められないのはお前に評価軸がないからだよ」

そうなんだろうな。

でもそれを解決する方法論が思いつかない。

別に難しく考えなくていい。自分の潜在能力自分妄想の半分ぐらいだってことに気づくだけでいい。そして今自分は十分ソレを発揮できていると認めるだけだ」

それをした瞬間に、自分の目指していた自分に届く確率の低さを直視することになる。

「それなら、お前にとってそうして夢を見れているということが、随分と人生に夢を溢れ冴えてくれて大層幸せだと言い張ればいいのさ。酔生夢死何が悪い

なるほど、なるほど、なるほど。

2019-10-01

ゲームという娯楽の中で他者意識比較してしまうのが辛い

一人で遊んでいても、そこには「難易度」という形で他者が介入してくる。

難しいステージに躓いて何度もクソゲーと叫ぶとき、それぐらいのステージを丁度いい歯応えと認識して楽しく遊ぶ人間の姿が浮かぶ

解けっこないと決めつけた謎解きを解くために攻略サイトを見るとき、その攻略サイト最初に書き込んだ人間はその謎を自力で解いたのだと突きつけられる。

ゲームとは、与えられた課題をこなす能力自動的に計測してくれる装置だ。大部分のゲームはある種パンチングマシーンのような性質を持ちあわせている。

ただボタンポチポチ押すだけのノベルゲームの中にさえ、ゲーム中に使われた比喩引用理解する教養物語を読み解く理解力、キャラクター世界観を覚える記憶力、心を動かされるための感受性、あらゆる能力が求められてしまう。

ランキングPvP存在せずとも、ゲームは否応なしにその人間の力を映し出す。

そうして暴かれる能力の中でも、最も残酷ものが、学習能力である

同じ局面で同じようなミスを何度も繰り返す自分の姿を前にすれば、誰だって自分限界に気付かされる。

目の前に与えられた課題本質を知る努力を投げ出し、総当りの運任せを繰り返しては、同じような所でいつも失敗する。

試しにとポーズボタンを押してよくよく画面を見つめてみれば、成功するための道筋論理的に炙り出せたことに気づいては、自分が闇雲にただボタンを押していただけだと突きつけられる。

タイプライターモンキーズ無限の猿が存在すればシェイクスピアを書き上げることが可能だという言葉の裏にあるのは、猿とシェイクスピアを分けるのはその打鍵一つ一つが確かな方向性を持って行われているかどうかであるという事実だ。

バガチャによって難局を乗り切ろうとするものは、シェイクスピアと猿のどちらに近いのか、答えは明白だ。

ろくにPDCAも組まない純粋な総当りによって答えを探すのは人間がやることではない。

そうしてゲームというもの容赦なく突きつけてくる、お前には人間と名乗るに値するだけの知性がなく、お前はその無知性の繰り返しの中でほとんど成長することも出来ず同じように失敗し続けるのだ、と。

その間に、きちんと答えを模索し、意味を持ってボタンを教えている誰かはずっと早く遠くにたどり着く、人生のすべての局面において、きっと一事が万事そうなのだ

『ソレ』を突きつけられることがとても辛い。人生のすべてを否定され続けているような気分になる。

いつからかは分からないが私にとって「ゲームを遊ぶ」という行為は「『ソレ』を突きつけられにいく」行為になっていた。

その気付きは日に日に強くなり、もはや『ソレ』を意識することはやめらず、目の前の課題光景に没頭することは不可能になっていた。

私は、ゲームの魅力とは没頭できることにあると思っている。

そして、それが失われた。

とても苦しい。

いつからだろう。

ゲームが私にとって苦痛を生み出す装置へとなっていったのは。

気づくべきでないもの人生にあると教えてくれた、偉大な存在だ。

2019-02-26

PDF文字はなぜ小さいのか

調べてみるとPDF文字サイズ論文からきているらしい。論文はなぜそんな文字を使うのか。どう考えても見づらいし手書きで12ptの文字をかける人間もいない。PCiPadPDFをみるたびにストレスを感じる。

補足

PDF文字サイズについてさらに調べてみるとそのルーツタイプライターだとわかった。欧米人タイプライター文書を作っていたためそのサイズ基準となり現在採用されているようだ。

2018-11-30

anond:20181130091352

昔、ワープロが普及しだしたころ、タイプライタータイプ仕事をしてる人が自分らにもワープロを与えろって会社に抗議してワープロにさせたって話を聞いたことある

エンジニアもそのくらい団結してやってもいいよな。

2018-03-18

anond:20180318211121

キーの配置もタイプライターから変わってないらしいし、すっごい雑に打ってても壊れないよね

2017-09-25

誰が作ったか

今日、興味深い話を聞いたので共有したいと思う。

若い人は物を見て、若くない人は生産者会社を見るという話。

自分はそんなに若い方だと思ってないが、たしかに私はその製品を誰が作ったかにこだわらない。

ズレを感じた事にファイトリーグというモンストを作ったXflagの新ゲームがある。

彼らの宣伝の仕方は「あのモンストを作ったXflagの新作ゲーム!」だ。

全然魅力に感じない。社内にタイプライターいないのか?ってぐらい。と、いうかそんな売り方で売れると思ってるのかすら感じる。

他のスマホゲームもそう。まず最初情報量が全くないサイトができた時、キャラの声が誰か、制作スタッフはだれか、BGMはだれが監修か。そのような程度のことしか乗っていない。

今思えばシノアリスもそうだ。なんで「ニーアの人が作ったゲーム」って他の人がいってるのかが理解できなかった。ニーアの人が作ったからなんなの?とすら感じた。

でも、わかったのは「誰が作ったか」をこだわっている人が大勢いたようだ。(ステマかもしれないけど。)

まり広告自分に合ってないと薄々感じていたのだが、この話を聞いて明確にターゲットがずれているのだと感じた。

ネットの声をみてみると「キャラ名よりCVが大きいPVクソゲー」とかいわれているの考えても、もしかしたら今の広告は誰が作ったかにとにかくこだわっているのではないかと感じた。

2017-07-09

仕事パソコンを使うのはもうやめにしよう

全国の介護士のみなさん、今日資料作りに残業していませんか?

もう、やめましょう。

仕事で「Word」や「Excel」を使うのは、もうやめにしましょう。

パソコンで行うから効率がいいという勘違いにはもううんざりです。

パソコンでやるから効率が悪いんです。

いやいや、正確に言うと、正しい使い方も知らないのにパソコン魔法の道具だと思ってしまっているのがダメなんです。

その資料、本当にパソコンじゃないとだめなんですか?

Word」や「Excel」を使わないとだめなんですか?

パソコンを使うからこそ効率よく管理ができる?そもそも管理する必要があるようなことをやっているんですか?

いっそ、全部手書きにして、アナログ管理した方が早いんじゃないですか?

手書きじゃ綺麗に作れない、時間もかかるし手も疲れるというんなら、それこそタイプライターでも使ってみてはどうですか?

タイプライターなら、「Word」もないし「Excel」もない。

まり余計な機能がない。

確かにパソコンを使えば様々な機能があり、それらの機能はとても便利そうに見えるし、使いこなすことによって効率よく仕事ができるような気がするでしょう。

でもそれが勘違いなんですよ。

より便利に、より効率的に、なんて考えてる暇があるならさっさと文字入力したらいいんですよ。

より完璧ファイル管理方法模索している暇があるんなら、タイプライターででも文字入力して、印刷された紙を所定のファイルにでも綴じておいてください。

修正必要

それなら、その紙に直接修正書きしてください。

修正箇所が多すぎる?

それならその紙は別のファイルにでも綴じて、新しい紙を作ってください。

それでもまだ多少の修正があるなら、それはやっぱり手書きで書きこんでおけばいいんです。

そうしておけば、より便利な「Excel」の機能を調べたり設定したりする必要もなくなります

そうしておけば、より便利になった「Excel」のワークシートを見て、どのセルがどのシートのどのセルを参照していて今どうしてエラーが出ているのかを考える手間もなくなりますよ。

文字を書くにしても、「Excel」で作られた下品な枠組みが必要ですか?

そんなもん自作してる暇があるならね、市販の用紙を買ってくださいね

とにかくね、介護士のみなさん、いや、そのボスのみなさん、パソコン魔法の道具じゃないんです。

遊びで使うんならともかくね、仕事パソコン使うには、あなた方ではノウハウが足りなさすぎるんですよ。

きっぱり諦めて、アナログ世界に戻りましょうよ。

どうしてもパソコン使いたいっていうならね、もう「Word」も「Excel」も手放してください。

それでね、信頼できるソフトウェア会社なんかを探してね、こういう資料をこういう人たちが作るためのアプリケーションをこれくらいの値段で作ってもらって定期的に使用感についてのフィードバックも得てバージョンアップしていってほしいんですけど的なことを頼んで、しっかりと制作環境を整えていかないといけないわけ。

そこまでしたくない?

それならさ、ほんと、もっとアナログにいこうよ。

めんどくさいからさ。

2016-11-22

なぜかPCで筆が進まない

紙で書く場合は腕が疲れてしまうので、PCでガッと書きたくなるのだが

いかんせんPC場合文章を書くのが非常につらい。

どうにもわからない。

自分自身まだ20代だし、SEでもあるし、老害でもないのに紙のほうが…とはいいたくない

原因を考えてみると、なんとなく手元と書いてる文章マッチがうまくいかいからだろうか?

紙の場合は考えてること、手を動かすこと、出力結果が完全に一致しているが

PC場合、うーん、なんだか気が進まない。書くという意欲がなぜか40%くらいの気持ち萎えしまう。

エディタプログラムを書いてるときは、もうバリバリ、ガー!っと気持ちよく悩んでかけるのだが

学校教育で作文を書かされたり、テストで穴埋めをしたり…とにかくPCに触れて考えるという機会が少なかったからだろうか?

自分にとって文章を書くということは、自分思考の整理をつけたい気持ちもあるので、ストレスなく書きたいものだが…

なんとなく英語場合はこうならないのかもしれない。タイプライターとかは割と素直そうなイメージがある。

とすれば日本語独特のPC存在する変換というのが、無意識に非常に気持ち悪く感じてしまっているのかもしれない、

こうなるともはやお手上げだなあ…

なにか工夫してることとか、違うんじゃない?という意見が頂けたら幸いです

2016-03-28

10年後に半分の仕事が無くなる予想にこの先生きのこるには…知能労働?

この記事とかで

http://diamond.jp/articles/-/88551

三行にまとめると

こういう話なんだが、これ全く逆じゃね?

こう言われる人々が真っ先に淘汰されるだろうってのが今の流れだろ。実際には

大量に集められた情報をつなぎ合わせて、意味を推察する分析は、コンピュータが得意とするところだ。ここ4年ぐらいで爆発的に進化してきている。そう考えると、ここで挙げられている「微妙に高給取りの、中途半端頭脳労働者」、つまり上の下ぐらいが一番淘汰される可能性が高いんじゃないか。

中途半端な知能労働者不要になるのが最初じゃね?

例えば販売員不要になって、コンサルティングが残るという話があるけども、すでにネット通販では「あなたおすすめ」「これを買った人はこれも買ってる」「この作家好きな人はこの作家も好きだけどいかが?」とかおすすめするのが当たり前になってる。

これがリアルに持ち込まれなかったのは情報の集約と、顧客識別問題があったわけだが、これはすでに技術はできた。

あと数年以内にTカード当たりがカード不要顔パスサービスなどと言い始め、顔認識コンビニレジに搭載されて、店員側のレジ端末にその客に対する対応の仕方や、よく買うタバコ銘柄、●×の商品を勧めろ、と言った情報が表示されるようになるんじゃないかと思う。

こうなると、昔は研修研修を重ねて経験によって案内していたような上級販売員の様なことを、一山いくらパート従業員ができる様になる。同じようなことは、経営方針分析などもそうだし、製造業などの方針決定や、製品設計の初期段階における実現性妥当分析などもそうなるだろう。

高給取りの専門家がまずは消える

それから、この手の記事で一番抜けているのは、経営改善コストが高いところから削減されると言うことじゃないのかと思う。そして「代替可能になる」と言うことと「実際に代替される」という所は大きく違うのだが、その読みが足りないような気がする。

改善活動で使われる手法に「パレート分析」って言う物がある。要求度を分析して、要求度の高い順番に並べる。これの目的は影響が大きいところから手をつける対象になる。ここだけみると、コストが高い部門がまず真っ先に改善対象になるはずなんだが、なんで今まで対象じゃなかったか、と言うと代替不能だったからだ。それが代替可能になったとなれば、まずそこから片付ける事を考えるのでは。

と言うわけで、こういう所で「考える力を身につけて創造的な「職種」になる事ができれば生き残れる」というのは全く間違いなのでは。

結局は金の問題なのだと思う。

昔、最先端花形職業として「タイピスト」というのが合った。活字を直接指定するような特殊日本語タイプライターを操り、漢字混じりの文書を直接作成する仕事だった。タイピストはみんなのあこがれで、専門技能者として給与も高かったそうだが、電子ワープロの開発できれいさっぱり消えてしまった。

彼らは創造的な仕事かどうかという話ではなく、彼らが高給取りだったからこそ、そこを改善する為の装置は高く売れるだろう考えられ、資本投資されて開発されたという面があると思われる。

そう言う面では、安全だと言われる筆頭格の医者なども技術さえ開発されたら危ない。高給取りなので、1人の医者に3人分の仕事をさせる装置を1人分の医者給料で売れよく、医師一人分の給料が高ければ高いほど開発に投入できるリソースが増えるわけだから

資本家にもなりきれず、給与所得者という「使われる」立場から抜け出すことができず、一方で単純労働者よりもコストが高い、こういう所が真っ先に狙われるのではないか。

そしてどうなるか? 結局貧者最強?

そしてその結果どうなるかというと、職がなくなる、んじゃなくて、給料が安くなると言うことなんじゃないかと。

高価なセミナーを受講して、苦労して身につける必要があったスキルが、今後はコンピュータ支援を受ければ低賃金バイトでもできる様になる。このとき低賃金バイト給料+コンピュータによる支援システム総合計とコストを比べられることになると言うことになる。

同じ事は、末端の製造業製造ラインでおきている。

だって製造ラインのかなりの部分はコンピュータロボット代替だ。最先端映像認識技術と、ロボットアームを扱えば一瞬で魚の大きさを判別して分別することもできるし、大きさと形状を認識して三枚に下ろすことも可能だし、そう言う装置販売されている。でもそれが現実に使われないのは、そんなものを頑張って入れるよりも、おばちゃんたちを最低賃金で雇った方が安いからだ。

あるいはあらゆる物を数値制御で作り出すマシニングセンタや、立派な研究開発施設をもって一品物ならばあらゆる物が作れる設備がある大企業が、町工場おっちゃんたちを職人職人と持ち上げるのは、お金をかければラインに入れられるが、それよりも彼らは安く挙げるからだ。職人さんたちは頭を下げて依頼しに来る大企業担当者よりもずっと給料は安い。

と言うわけで、中途半端な知能労働者、それこそダイアモンドとか東洋経済とかプレジデントとかそう言う経済ポルノ雑誌をありがたがって読んでいるような層が一番危なくて、彼らは実家住まいでないと生きていけないような薄給で働かされている中の下以下の貧困層競争を強いられる時代になるのでは。

貧者最強…でもなかった。

しかしその貧困層途上国労働力と戦うことを迫られるわけだが、10年後にはまだあるだろうと思う。その頃には政治体制がいろいろな変革を迫られる状況になるとは思うが、その後も、今から20年後、30年後というスパンでみたときも、今と同じく社会に最低限の人権が残る程度だと仮定すると、それでも貧困ビジネスのような物は残るかなと思う。

そのとき(30年後ぐらい?)上流階級になるには、普遍的価値を独占する資本家になるか、時たまおきる新商売の中で先行者利益を独占できるような「強運」(実力ではない)に賭けるか、そんな金持ちの彼らにかわいがられる芸術家宗教家になるかぐらしか方法がなくなってくる、ような気がする。

結論  社会構造の変革待ったなし

結局、に中間層が消え去って貧富の格差が増大するが、今の流れだと自分高所得者層に入れるだろうと思っている人々の多くが脱落してくるんじゃね、と言うありきたりな結論なっちゃうわけだけど、ただそんな社会はいろいろと持たなくなって、経済的な面でも持続的成長は止まるだろうと思うので、額面通りインダストリアル4.0が来るとしてたらここらの前提になる部分はどこかでひっくり返るんじゃないだろうか。

2015-10-05

哲学

猫がオモチャを蹴り転がして遊んでいたら、床に放置してあったビニール袋の中へ、偶然オモチャが綺麗に入り込んだ

猫でこれなら、猿がタイプライターシェークスピアを完成させるのも、細胞未満の原始生物人間になるのも、十分な時間があれば本当に可能だろうと思った

 
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