はてなキーワード: 台所とは
忘れそうだからどっかに残しておきたかったんだけど、どこもしっくり来なくてここに書き散らす。
震災の話を書くので苦手な人は読まないでね。
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家には父(無職)と犬(デカいけどビビり)と自分(高3。卒業式も終わって春休み中)
そもそも宮城は地震が多くて、震度5〜6も数えるくらいだけど体験してた。最初はいつもの感じかなーと思ってたんだけどなんか長くて、ヤバさを感じたからとりあえず犬を抱えた。犬は震えながらテーブルの下にいた(避難訓練やってたんか?)。ちなみに父はテレビ押さえてた。
そしたら揺れが大きくなって台所の食器棚が倒れて皿が割れるデカい音と砂煙が舞って(マジかよ〜)って気持ちになった。多分正常性バイアス。
家にいるのも危ないのか?と思い犬を抱えたまま外に出ると大人がたくさんいた。近くの一軒家のブロック塀が崩れてて(本当に崩れるんだ)と思う。
母は出勤してたので出迎えも兼ねてたんだけど、場所が悪くてすれ違いになり「どこいるの?」とメールが来る。空にはガァガァ鳴いて飛んでる白鳥の群れと雪がチラついててなんだか絶望的な気持ちになった。
(家の近くで白鳥は飛ばないので、普段と違う様子の怖さと寒さのせいだと思う。それと人間が大変なことになっても変わらず雪は降るのか…っていう無力感)
家に戻ると母が割れた食器を片付けてた。割れた食器の中に神戸旅行で買ったレトロなお皿もあった。勿体無いから使わずに取っておいてたんだけど使わないまま割れてしまった。
確かその時は電気が通っててテレビが付いてた気がする。緊急事態の時の縁が青い画面で、右下に被災地域の地図と沿岸に赤いライン。確か津波来るから逃げてくださいって言ってた気がする。
こんな地震でも電気来るなら大丈夫かなって思ったけど夕方?くらい?には電気も止まった。
家にいるのも危ない気がしたので近所の中学校の体育館に避難する。父は犬と家に残った。
体育館には結構人がいて、ストーブが炊いてあった。ストーブ囲って近くの知らない大人とちょっと話した。携帯でニュースを見るけどイマイチ状況がわからない。充電もなくなるので寝た。
朝、体育館の入り口に河北新報だか朝日新聞の号外が貼ってて、デカデカと気仙沼?石巻?松島?の火事の写真が載ってた。
えーここに住んでる人どうしたんだろう…と思う。
家にいても学校にいても同じなので、次の日からは家で寝ることにした。
この後の記憶はなんとなく時系列順に箇条書きするけど順番間違ってるかもしれん。
・こういう時ってご飯どうするんだろうって思ってたけど、うちはお歳暮のお菓子(マドレーヌとか)があったのでそれで食い繋いでた。元々少食だけど不思議な事にお腹はそこまで減らなかった。
・ライフライン全部止まってるのでトイレは2回したらちょっと流す でやりくりした。ご飯も水も最小限だったのでトイレ自体あんまり行かなくならなかった気がする。
・近所の集会場の水道が出るって話を誰かから聞いて、バケツとかペットボトル持って並んだ。並んでたら夜になって星がめちゃくちゃ綺麗で、こんなに星見えるんだ と思った。
・タバコ屋のじいちゃんがやってる自販機も開けて飲み物売ってくれてたらしいけどコーヒーしかなかった、と父が言ってた。(買って来てたかは覚えてない)
・コンビニはロープ張って立ち入り禁止になってた(スナック菓子とか売って欲しいなと思ったけど従業員も被災者だからな…と諦める)
・ヨークベニマルが食品を売ってくれるらしいという噂を親が仕入れて来たので行ってみる。駐車場一帯を大きく円を描くように人が並んでた。(こんな時でもちゃんと並んでてエラい と思う)店舗の前で長机に電卓でお会計してる店員さん、カート運んで並んでる人に商品選ばせてくれる店員さん、みんな家族がいて自分も被災者なのにありがたいなぁと思う。
・なんか父親ががっくりしてる日があった。何かと思ったら津波で被害を受けた地域が祖母宅がある場所だったらしい。具体的にいうと陸前高田。祖母と連絡が取れない日が続く。ラジオではずっと同じニュース。
・とうとう電気が復旧してくる気配を感じる。マンションから夜外を見てると市役所がある方が明るい。数日に1度?電気が付いてる区画が広がる。母と明日かな?明日かな?と言い合う。電気が戻ったときは歓声がわいた。ガスと水はまだなので2,3週間くらいお風呂に入ってない。
・大学の入学式は予定通りやると連絡が来た(進学先はあまり被害がなかったらしい)。この3週間風呂に入ってない、しっとりツヤツヤヘアで入学式出ろと!??と驚いた。っていうかそもそも出席できなくね?2,3日後、式は1ヶ月後にやると連絡が来た。電気も戻るまで3週間かかったのに1ヶ月後に入学式出れるのか???と思う。(結局出れた)
・ガスか水道が戻る前に高速バスが復旧した。進学先の他県にアパートは借りてるので食料調達兼入浴に出かけた。びっくりドンキーでほぼ1ヶ月ぶりくらいにちゃんとしたご飯を食べる。食べたら秒で腹壊してトイレに駆け込む。固形物ほとんど食べてなかったから胃がビックリしたんだと思う。勿体ない…。そのままアパートか温泉かに入り、まだ電気開通前の部屋で凍えながら寝た。(引越し前なので布団もないからフローリングにそのまま)
これ以降は更に時系列があやふや。入学式は普通に出れた。また父がグッタリしてる日があって母に聞くと震災で亡くなった方の特集を見てたら高校の後輩?が出てたらしい。
震災1ヶ月後くらいやっと落ち着いた時にまた5強?とか来て片付けたものがまた落ちたり倒れたりして地球氏ねって思った。
余震は死ぬほど来てたので震度4くらいじゃビックリしなくなった。
祖母とも連絡取れたらしい。家にそこまで被害はなかったけど壁が壊れたとかでGWに父と高田に行く。
車に乗っててそろそろ近くまで来たな〜と思ってるとなんか訳わからない丘に漁業船が乗ってる。
こんなんあったっけ?と思ってると瓦礫まみれになって行く。
でも場所がわからないので元々瓦礫まみれの土地なのか、津波でこうなったのかわからない。道も当たり前に変わってるので検討がつかない。
えーどこなんだろうここ、そろそろ祖母宅着いてもいい頃なんだけどって思ってたら見覚えのあるアパートが建ってた。
そこで今瓦礫まみれの場所が帰省の時使ってた道だった事に気づく。
コメリは?隣にあったスーパー(名前なんだっけ わかる人いたら教えて欲しい)は?お食事処のキリンの看板は?過去にあそこですれ違ったはずの人たちは?
突然の事でボーッとしてしまう。唯一残ってたアパートもよく見たら窓が割れてて、勿論誰も住んでなかった。
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とりあえずここまで。読んでくれた人ありがとう。その後の話はまた別で書きます。
【追加】
一昨日に体調を崩して、昨日は少し持ち直した。
今朝、母に抱かれて外の空気を吸い、多分そのまま旅立ったのだと思う。
家に戻ってきて様子を見たらもう呼吸も心臓も止まっていたらしい。
私は実家から1時間弱の場所で暮らしていて、弟から死んじゃったみたい、と連絡を受けた。
本当は昨晩実家に帰るつもりだった。大雨で帰るのは今日に延期した。
犬と最後にふれあったのはゴールデンウィークが明ける前の土曜日だった。
犬は1年前くらいから歩くのが下手になり、半年はひとりで立ち上がることもできない状態だった。
でも噛む力だけは衰えず、老衰で力加減を忘れた分、若いときよりずっと危険だと家族と笑いあった。
いつだかシルバーのバングルに不意に噛み付いて、傷を付けていた。
外につれていくと歩こうと前脚を動かすので、四足歩行の体制になるように支えて歩かせた。
人間の方がよほど疲れると母と笑いあった。
それでも老犬なりに動けないなりに、それなりに元気な老後だったと思う。
とにかく牛乳が好きな犬だった。
犬に牛乳はあまりよくないというのを知った頃には牛乳が大好きな犬になっていた。
老いてからは犬用の粉ミルクに切り替えていたけれど、それまで我が家の冷蔵庫の牛乳を消費しているのはほぼ犬だった。
煮干しの頭が嫌いだった。
頭だけ器用に残して食べていたので、一時期我が家のリビングには煮干しの頭が転がっていた。
鮎を貰って大喜びしていた。
近所のおじさんに冷凍した小さな鮎をよく貰って、人間より良いものを食べているなと笑った。
さつま芋が好きだった。
人間の食べ物にあまり興味を示さなかったが、焼き芋と干し芋だけは盛んにアピールをして食べていた。
抱っこが嫌いだった。
抱き上げると器用に身をよじり、脱出する様子はうなぎのようだった。
個人主義者だった、と思う。
我が家の人間はそれぞれ好きなことを自分のスペースでやるタイプで、犬もそんな感じだった。
好きにしていて、人間が集まったタイミングで犬も参加してきた。
甘噛が直らなかった。
直さなかった。塩対応の犬だったが、人間が帰宅した時は甘噛で出迎えた。それがうれしかった。
お手とおかわりと両手タッチと待てはできた。伏せはおぼえなかった。
目がよく見えなくなったときは家中の隙間や椅子に挟まって助けを呼んでいた。
夏の暑い日は、縁側の下に潜り込んで寝ていた。
よく額の毛に指を突っ込まれて穴模様を作られていた。
換毛期に顔に謎の模様が浮き上がることがあった。
はっきり模様が出たときは、近所の住民にこどものイタズラでペンで書いたものだと思われていたらしい。
キツネみたいな顔だった。
たまに顔がまんまるになっていた。
濃茶色の毛並みなのに、背中は焦げたみたいに毛の先端が黒かった。
しっぽの先端も黒かった。
額と耳の、濃茶色の短い毛がいちばんやわらかくてふわふわの毛並みだった。
犬に会うと尻の匂いを嗅ぎに行くのに嗅がれるのは嫌がって飛び退いていた。
犬よりも人間のほうが好きみたいだった。
亀に恐る恐るちょっかいを出し、猫には負けていたがよく猫を探していた。
そういえば散歩中、我が家の犬と同名の犬に会ったのを思い出した。
散歩で遠くまで歩けなくなっても、家の周りのパトロールは入念に行っていた。
近所の仲の良かった犬たちの中では最も長生きをした。
しばらく前に亡くなったボクサー犬の飼い主が、お供えと言っておやつを持ってきてくれた。
今日は犬の思い出を探して、家族みんな写真をグループラインで共有していた。
古いカメラや携帯を引っ張り出してデータをサルベージしては、思い出を語り合った。
家族は、午前のうちに気持ちを整理したようだった。さっぱりと涙を流して、
写真を見て笑い合って、腐敗を遅らせるために保冷剤を添えた犬に声を掛け、やっぱりたまに泣いた。
今、リビングに安置されている犬のそばにいるのではなく、日記を書いているのは、
犬がまだこの家にいるうちに自分の記憶を書き出さないと駄目な気がしたからだ。
犬は明日には灰なって、もうこの家には帰ってこない。
冷たい犬の額を撫でるたび、その事実が脳に布を掛けるような涙になる。
私は犬のいる家が好きだった。
母と父がリビングで寛いでいて、二人の弟はそれぞれの部屋で遊んでいて、たまに降りてきて会話を交わす。
そして犬は定位置か母の近くで寝ていて、起きたときには、チャカチャカとフローリングを爪ではじく軽快な音を響かせる。
この光景が永遠になれと願った。この家族の揃った家が私の永遠だった。
もう犬の魂はこの家を離れて、明日には身体も無くなってしまう。
今朝、犬は母に連れられて雨上がりの空気を吸い、少し地面に触れて、再び母に抱えられた。
そうして自分の足が動くことに気が付いて、母の腕を離れ、軽快に力いっぱい走って、虹の橋を渡っていったのだと夢想する。
自由に走ることができて大喜びだっただろう。遊びに誘うような笑顔で振り向いてくれただろうか。
犬の友達は向こうにいるし、もとよりひとりでいても困らない性格だから心配はいらない。
私も、この別れは限りなく良いかたちだと思っている。
それでも私は、もっとこの家にいてほしかった。ずっといてほしかった。
家族はもう気持ちを整理できたようだった。水をさしたくないので、
この日記を書きながらひとり部屋で泣いている。私の永遠が終わってしまった。
別れたくないのに引き留められる場所にはもういない。いたって私には手段がない。
納得しているのに受け入れがたい。
去らないでほしい。ずっとリビングにいて、家族みんなに呼びかけられていてほしい。
犬が夜鳴きして、私ひとりが起きてきた夜のことを思い出す。
ずっと記憶にある思い出。
あの月を見たときは、犬と会話ができていたような気がしている。
意思の疎通ではなくて、おもいをひとつにするとか、そういう感じの。
もういない。
パーキンーッス
本日は世界禁煙デー、日本においては青峰忌、藻岩山の日となっております。
タバコは怖いですね、身体も悪くするし吸い方で人を傷付けたり家を燃やしたりする
まぁそんなことを言い出したら料理も家を燃やしますし、道具の使い方で人を傷付けますからね、食べるものの成分次第では身体も悪くなります
つまり、向き合い方次第ということですね。
どこでも何度でもタバコを吸っていたし処分も下手だったから吸う場所が規制された訳で
料理は主に台所や調理用に整えられた場所でしか行いませんからね、まさか突然歩き料理なんてし始めるのか、なんてのもなかなか手間ですし、すんなり食べちゃいけないものを食べさせるのも小細工が必要ですからね。
やっぱりタバコって扱いが難しいですね。
まぁ自分がタバコをストレス発散の用途に選んでないからタラタラ書いてるのかもしれません。
だからお嗜みの際は周りに気を付けて、ちゃんと消火がしやすいように水などを置くなどして、対策していきましょう。
ということで本日は【消火道具の用意はよいか】でいきたいと思います。
消火道具の用意はよいか!消火道具の用意ヨシ!
結局昭和の三大電器メーカーではないニトリだのツインバードだの中国製だので立派に補いがつくのに調べてない人も多いよね。お疲れ様です。
あと台所調理台の高さとかシンクの使い勝手はハウスメーカーから内装メーカーに行くべき話だよね。うちも是非といってたんだけど無理だった
建具メーカーより電機メーカーの方が要望聞いてくれる態度はあるとおもう。
うちんちはそうだなー……
・スチームオーブンがスチーム調理のあと水浸しになるの拭くのがめんどくさい(パッキンに水がたまる向きの溝がある
・友達が一升だきの炊飯器かったんだけどすごく内蓋が平らで洗いやすそうでうらやましい。ああいう素朴なのでいいんじゃないか
・IH炊飯器を2台、1つのコンセントでつかいまわしてた(理由:玄米食べたい人と白米食べたい人がいる)とよく基盤がこわれた。華奢なのでは?
・IH炊飯器の内釜が「プラスチックしゃもじについたかたまったご飯粒」によってすぐ傷が入る。
・着衣肘で物理ボタンをタッチしてあけられる冷蔵庫を今つかってるが、そろそろ特許切れのはずなのに次代機がない。鍋抱えたまま指でタッチパネルとかできないから肘は譲れない
・製氷皿メンテとかスチームオーブンの水タンクメンテはまずメンテ予防のため説明書通り塩素入りの水道水つかって氷が溶けきる前に飲みきるようにしてるけど、実家が井戸水なので怖い。塩素入り水道水前提の水回り設計やめてほしい。
・ガスコンロの魚焼きグリル。ニトリでプレート買うまで10年くらい全然活用できてなかったんだけど、なんでこんなに狭いの、魚焼きうちのグリル。適当な市販プレートを買ってきたら狭くて入らないを繰り返してとうとうサイズをはかったらDVDの縦長ケースの広さしかない。厚みもDVDケース3枚分くらいのサイズだった。どうやら台が高いらしいんだけど低い台のオプションなんかもなくてほぼ無用の長物だとおもってた。プレートを買ったらトースターがわりにつかえてとてもよいのに。
メンテ性もよくなくて、グリルの上の炎がいつも一周まわってなくて途中から着火できずに途切れてるの。「C」になる予定が「こ」みたいな。初期不良なのかはずしてみることもできない。
・カラリット床が今のトリートメント主流のヘアケアに対応できてない。ぬるぬるになる
間取りがどう言う形か不明だが、気になった個所があるので言ってみる。
子供から目を離せないってことだと思ったけど、火から目を離すほうが危ないよ。
ちなみに自分の周りでよく見かける対策は棚とかを壁代わりに配置して近寄る方向を制限してるよ。
多分、包丁の場所は上のほうにあると落下したときに危ないから下のほうにあるんじゃない?
例えば上に置く場所があったとして、万が一置くのをミスって包丁を離したら自分に向かって落下するんだよ。危ないよね?
ダイソーのロックってそこにこだわらなくて良いじゃない。もしくは複数使えばマシにはなるでしょう。
子供のことを考えるならコーナンとかの数百円の頑丈な奴使いなよ。
余程狭いか逆にやたら広い家でなければ
(狭い場合はリビングの片隅にコンロと流し設置してるだけとかになるけど狭いからしょうがないし
逆に広いとキッチン&ダイニングが他の部屋から独立してたりするけどそれだとそもそもその部屋に子供を入れなきゃいいだけになるが)
リビングダイニングの横に区切られた台所があって入り口が狭くなっていてそこにゲート設置すればいい間取りになってると思うけど
昨日電車乗ってるときに150センチないくらい背が低めの男性をおみかけしたけど
子供も男性も背が低いとあぶない電車って公共交通機関としてどうなんだとおもった
まあとにかく台所は高さ可変が一番いいとおもう
もともと昭和に建てた一軒家に家族で住んでて、今度平成初期に建てた一軒家に一人引っ越したわけよ
そして気づいたのが玄関から電気のスイッチに手が届かんという問題。
つまり夜に家帰ると真っ暗の中玄関で靴脱いで上がった先のスイッチを押して電気つけなきゃあかん。
なんでこんな設計なんだ、入って直ぐのとこにスイッチつけろやと思ったんだが
これって暗くなる前に人が家に居る。つまり専業主婦前提の設計なんだよね。
夜出ていくときも電気消してから暗い玄関で靴を履かないとアカンという…
150センチでももう少し高くていいと思ってる。イギリスで暮らしてた家のは15センチくらい高かったけど高いな、って以外に特に不便はなかった。何を考えて台所が設計されてるのか分からん。奴隷を作る為の空間?
父親が身の回りのことができないので認知症の母に家事をやらせてる
実家に帰ると台所からは下水の臭いがし、常温の食器棚にゆで卵が入っているわ閉まってある皿は油でベトベトだわ、風呂も便所もカビと垢だらけ
母親に指摘するとキレるし、父親は家中ボロボロでも気にせず酒を飲み続けるだけ
ここから更に病気や怪我などに見舞われたらもう金の工面はできない
時々実家帰って様子は見ているし、認知症のケアマネージャーもつけてやったが、俺にはこれ以上面倒を見る余力はない
本人らは気にするほどの理性はなくなっているが、健常な生活をしている人から見たら悲惨な底辺の暮らしぶりは隠しようもない
もうなるようにしかならない
愚痴多めです。
つらつらと書いていく。
父
・やりたくないことは絶対にやらない
日頃家族がやっている家事を何一つ見ていない。(そのあいだ、自分だけゲームしたりYou Tube見たりしてる)
だから、やってもらおうと思ったら1から10+αくらいまで教えないといけない。教えても、自らやることはない。やってと言わない限り。
挙句、三日で忘れる。この前教えたでしょ?何で覚えてないの?と聞いたら、「やる気がないから覚えられないへへへ」だと。
水分取らずに熱中症になる。重い物を片手で持って、落として怪我をする。
言わんこっちゃないってことばかり。
・食べ方が汚い。クチャラー
最初は黙り込む。黙ってればやり過ごせると思っている様子。
母
・人の物を勝手に捨てる
時々使ってた水筒を捨てられた。台所に置いとくのが悪いと言われた。自分の物は自分の部屋で管理しろってさ(笑)
・謝れない
「わざとじゃないの」が口癖。なぜごめんが出てこないのか不思議。本当に不思議。
・なんでも人に聞く
スマホで調べてって言うと、調べ方がわからないと必ず言われる。「なんて調べたらいいの~?」毎度これ。
挙句、キレる。
・とにかく意見を聞かない
意見するとどうなるかというと、
「うるさい」「黙れ」「口ごたえするな」「かわいくない」
のどれかしか返ってこない。ゲームのコントローラのボタン押してるみたい。
今朝、喧嘩しない夫婦もいるんだよ(友人夫婦とその両親)と言ったら、「ロボットなの?www」と言われた。
相手の話もちゃんと聞くし、自分の意見もちゃんと言う。話し合って、双方が納得するようにすれば喧嘩にならないよ。
と言ったら、「じゃあ、結婚してみればぁー?」と母にブチギレられた。
別に喧嘩したくて結婚したんじゃないって言うけど、付き合ってた時から喧嘩ばっかりしてたって言ってたじゃん……。
自分が見た事がある「ヤベー男尊女卑クソ田舎者無自覚発言」の中では
「(九州だと男が宴会中に女は台所仕事させられる的な話で)でも九州の男は刺身の一番良い所を女に残したりするから優しい」
ってのがぶっちぎりトップだったんだけど
(当然他の人に「女は男が食い散らかした残りの刺身を食べさせられるの?」「普通なら予め取り分けておくよね?九州じゃ女は男の残飯しか食わせて貰えないの?」とドン引きされていた)
それに次ぐくらいのヤベー女(自称)だよなこれ
上司(絵に描いた様な真面目な女性)から「まぢわら」とだけラインが来た。
これがスラングなのか仕事の文面を間違えて送ってしまったのかわからなくて、台所に立ち尽くし5分程息を殺して次のラインを待ったが、何も来ない。
https://anond.hatelabo.jp/20230505181001
https://anond.hatelabo.jp/20230508002353
毎晩使い終わったシンクを全部洗い、熱湯かけて朝まで自然乾燥させる「キッチン〆」をしていた。
私自身はまったく専門外なので、最初めちゃくちゃびっくりしたし、同じルールを強制されたのは苦痛だったし、台所仕事はほぼ全部やってもらってた。
シンク周りがきれいだと、なんか遠慮なく使えて気楽?なので、一人になっても習慣化している。
やってみようという人は以下、ご参考まで。
・ナマモノをシンク周りで扱わないこと。肉や魚は切ってあるものを買い、包丁や箸でも触れないよう徹底(ラップ越しに触るとか)
・トレイのなかで下味して直接フライパン等に入れる(トレイは洗わず、そのまま燃えるゴミにしてましたゴメンナサイ)
・使った皿や調理器具も、まず汚れや油を紙でぬぐって、すぐ洗えばきれい。これらも50℃〜のお湯で流す。熱いけど手袋してたら意外と平気。
・カレーなど特に汚れる物は、ペーパータオルや小さく切ったスポンジで洗う。カレーの日々が終わったらお役御免。
・洗い物が全部終わったら、シンクもゴミ受けもぜんぶ同じ洗剤で洗ってしまう。そのうちぜんぶ同じスポンジで洗えるようになる。
・スポンジ、シンク用台拭きもまとめてシンクに入れて、ヤカンいっぱいに沸騰させたお湯をまんべんなくかける(※やけど注意)
・湯をかけたあとのスポンジは、水が切れて乾くよう立てて置いておく(※やけど注意、少し冷ましてからでよい)
・乾燥する時間が大事なので、〆作業のあとは数時間水を流さないこと。日中家にいないなら、朝〆て、昼間に乾燥させてもいいと思う。
・洗いものやゴミをためないこと。三角コーナーは置かず、ゴミはビニール袋や新聞等で処理してそのまま捨てる。
・シンクを使った日は、必ず〆ること。
・ちなみに排水口のゴムの蓋は熱に弱いのかな?洗うのも面倒なので、外して不使用。
これを続けるとシンク=「カミ」になる。
一人分の炊事ならそこまで洗い物も出ないし、慣れると実質の作業はほぼ湯をかけるだけなでそんな苦でもない。
元パートナー曰く、調理というのは相手の命を預かること(食中毒的な意味で)
どんなに酔っ払っててもキッチンを〆てた。
それでも家庭の衛生管理は甘いようで、自身は動物も捌けるけど家ではハンバーグとかぜったい作らなかったし(お店でタネを買ってきて焼く)、肉の筋切りとか叩いたりは基本せずにぶっ込んでた。
デメリットとしては熱湯や紙類を使いまくるので全然エコではないこと。
一緒に暮らす人数が増えたら管理の徹底、洗い物の量とかタイミングの兼ね合いとか大変かなと思う。
コロナでも思ったけど、衛生感覚って日々の行動に根深く影響してるし、その割には気分次第で変わるもんだな〜と。
元パートナーはその他の水周りにも潔癖だった。
みなさんよく言語化してくれてるけど、衛生感覚が合致すると共同生活がラクだよね。(なお、別れた理由は他にあります)
あとお金持ちの知人宅キッチンには、シンクが2つあり「カミ」と「シモ」で使い分けてた(n=1)
お金がある人は案外そうしてるのかな〜??
DVみたいな家庭だと気づいたのは、二十歳を超えてからだった。
両親は、ふたりとも高校の教員で、小学生の頃から厳しい教育だった。勉強についてはことさらだった。
私は九九の七の段が苦手だった。学校の宿題で出された百ます計算で、七の段があると一度は間違えてしまっていた。目ざとくそれに気づいた数学の教員だった父親は、椅子に座ると私をその前に立たせて、九九を一の段から暗唱させた。
一度間違うと、目の前の父は明らかに機嫌を悪くした。
「違う。もう一回やりなさい」
二度目に間違うと、どうしてわからないのか、というイラつきを見せ始める。
「違うだろ」
三度目に間違うと、いよいよ張り手か拳が飛んでくる。加減は一切存在しない。叩かれた顔が痛み、脳が揺れる感覚で意識がぐらっとする。
「何回間違えるんだ!?」
痛さと恐怖でそのつもりがないのに涙が溢れる。そうすると、父はますます不機嫌になる。
「なんで泣く?お前が悪いんだろう」
台所で洗い物をしている母は助けてはくれなかった。後になって、叩かれた顔を心配するそぶりも、私の記憶の限りではなかった。
母は、私の勉強の内容もそうだが、態度や姿勢についても常に口を出してきていた。
自己啓発本や教育本を私に与えて、私が自分でやる気を出すように”仕向けて”いた。私の娯楽も全て監視して、私がなにか趣味を見つけるとそれを排除しようとした。
※ここで言う「趣味」は、母親が気に食わないあるいは不適切で頭が悪くなる、と思っている趣味のこと。ゲームやアニメ、テレビ、友人と遊びに行くことも制限されていた。
貯めたお小遣いで少しずつ買い揃えた好きだったアーティストのCDを、階段の上から下に投げ落として壊されたこともあった。
両親はどちらも「自分の不機嫌さをアピールして周囲をコントロールしようとする」人間であった。
父は機嫌を悪くすると、まず物音を大げさに立てるようになる。冷蔵庫や扉をバン!と閉め、机に物をドン!ガチャン!と投げるように置き、そして気に障ることがあると机の脚を蹴ったり天板を叩いたりする。
また、大きな声で怒鳴るように威圧する。酷いときは手近なものを壊したり、人に手を上げたりする。そうやって周りの人間に威嚇して、思い通りに動かそうとする。
母の機嫌が悪くなると、まず聞かせるようにため息をつく。家の中を大きな足音を立てて早足で歩き、ため息の頻度も音量も上がる。父よりも危険性は少ないが、より陰湿だな、と思う。
今年1月にこのラランドさんの動画を見て、身に覚えしかなくてしんどくなったのを覚えている。
母は、この動画内で紹介されている5つの型のうち、ほぼすべての構文を使いこなしていた。
特にひどかったのは「論理飛躍型」・「自己否定型」のふたつで、今までこれを言われるたびに、昔の私は必死で母親の機嫌をとっていた。(今になって考えるとバカバカしい)
紹介したように、両親はよく暴言(やそれに近い類の言葉)をよく私に浴びせた。私には兄弟がおらず、また言われたことを相談できるような相手もいなかったため、ただ自分の内に溜め込むしか手立てがなかった。
過去に言われて、未だにフラッシュバックしてはどうしようもない気持ちになる言葉を以下に列挙する。
・お前はどうしてこうも馬鹿なんだ
・どうせお前にはできるわけがない(馬鹿にするように笑いながら)
・早く出て行け
・もう帰ってくるな
・お前なんて死んでしまえ
・育て方を間違えた
・お前はどうなってもいい
書きながら若干辛くて涙が出そうになった。
おそらく本人たちはそれを知らないだろうし、言ったことを覚えてもいないと思う。言われた私だけが、ずっとこの先もこの言葉たちに苦しんで生きていくのかと思うと、やりきれない。
中学や高校で先生に「悩んでることはないか」と聞かれることがある。特にありません、と私は答えた。
親の言うことを聞かないと暴言や暴力が飛んできます、とは言えなかったし、どういうわけかみんなそうなのだと思っているフシがあった。
高校生の時に今でも一番信頼している二人の先生に出会った。おふたりとも、私の父と一緒に働いた経験があって、父と私のことをよく気にかけてくださっていた。はっきりと明言はしなかったが、父のやや高圧的な態度をよく知っていたのだと思う。
ちょうど受験期に入ってますますエスカレートしていく両親の過干渉具合の相談は、この二人の先生にしか話すことができなかった。
(3年生のときはこのお二人とは別の先生が担任だったが、その先生は母とタイプが近く、正直あまり信頼していなかった)
学びたいこととか将来の夢とかでなく、ただ両親から離れて逃げるために都会の大学に行きたいのだという正直な理由も、お二人は納得して聞いてくれた。
出身地を離れた大学に進学して一人暮らしを始めてから、明らかにストレスが減ったのがわかって、いままでどれだけの脅威にさらされていたのかと実感した。自由に出かけて、自由に勉強して、自由に休んで自由に活動した。そのどれもがとてつもなく楽しくて有意義なものだと思った。
趣味が合う友達もできて、修学旅行以外で初めて飛行機に乗って遠征したりした。趣味で本を書いたり、デザインをしてみたりした。合わなかったりできなかったことももちろんあったけど、やってみよう、というチャレンジを端から否定する人はいなかった。それがとても幸せなことだと思った。
昔母が私に言った、「産まなきゃよかったね」という言葉をたまに思い出す。冷静に考えれば勝手に産み落としたのはそちらだろう、という感じなのだけど、言われたときの私は相当にショックを受けた。
だとしたら、親がこんなに自分に対して当たりが強いのも、なぜだかすとんと納得できてしまった。
しつけのような形で父が首を締めてきたこともあった。近くにいた母は父がふざけているだけだと思ったのか、止めようともせず見ているだけだった。
苦しむ私が必死にやめて、離してと叫ぶように言っても離してくれなかった父の手の感触を、今でも思い出せる。
多分きっと、全部忘れているだろうけど。
住宅街の一軒家である実家では当たり前に見かけたのに、築40年超のアパートを転々としつつ朝晩自炊する男がGに出会わないのは、そこそこ対策がうまくいっているのではないかと思う。
n=1だからこそ知見を共有して、今後の参考にしたい。
# 気にしていること
北海道以外では、2F以下に住んだことはない。
原則として、飲食物は、買ってきた後はDK以外の部屋に持ち出さない。(ただし、同棲していた間は彼女が自室で色々食べていたが、それでもGは出なかった。)
料理と食事の後は、机を拭き、床にモップをかけるが、それ以外の場所の掃除は適当。
暑い期間、自宅にいる間はほぼ24時間冷房をつけっぱなしにしている。
押し入れや戸棚の戸は隙間を開け、中まで冷やすようにしている。
家の出入口と排水口のある場所(玄関とベランダへの出入口、台所と洗面室と風呂)に撒いてる。
# 経験してきた悪条件
1Fに飲食店の入るビル。隙間だらけの古いマンション。玄関から2mのところにゴミ収集場所。駐輪場や廊下ではGを見かける。
台所の中での食べ物の保存場所はわりと適当で、野菜なんかは床の上の段ボール箱に放り込んである。
……というわけで、たいしたことはしていないのだが、買ったGジェットプロをまだ一度も使わずに済んでいる。
他方、実家では、母は毎日4,5回は掃除機をかけるという少々病的なくらいの潔癖症なのだが、Gとはお別れできていない。
自分の経験を一般化できるなら、自宅外のGの巣と自宅内の餌場との間をGの嫌いな冷気と匂いで遮断することが重要そうに思える。