はてなキーワード: 台所とは
三次元の人間とセックスしようとする人間が持つ「性欲を満たすことへの情熱」がないんだよなあ……。
二次元は肉体がないから三次元の方に興味を感じることはあるけど、魅力の総合値では絶対的に二次元が勝ってる。
たとえ日々のオナニーであっても三次元の女で射精するのに精力を使うこと自体が人生における損失だとさえ思っている。
でも今の二次元にはセックスという概念がなく、風俗という概念さえない。
ここでいう二次元ってのは絵や物語を指していると思って欲しい。
VRにおいてアバターを身にまとった三次元の人間はどこまでいっても三次元の残り香があって気持ち悪い。
Vは生身の人間が吐きだした臓物の臭いがついた息を二次元のモノへと浄化する処理を怠っているフシがあるからだ。
ゲームやアニメでも三次元の臭いが処理しきれてない声が聞こえると途端に気持ち悪くなって海綿体から血の気が引いてしまう。
ソレが怖いのでASMRを買うときは絶対にサンプルボイスを全部聞いて演技のパターンが変わった途端に生身の声帯を感じる羽目にならないかを要チェックだ。
三次元に対して嫌悪感があるというより、オナニーをするのに非常に邪魔なのだ。
台所でつまみ食いをする時に出し忘れた生ゴミの臭いが漂っていたら食欲が失せるのと同じことである。
だが世の中には三次元の生臭さにこそ興奮する人種の方が多いらしい。
そして彼らは自分たちの欲望を満たすために必死にモテるための努力をする。
広くて寒いディカプリオのおうち
「家政婦さん!あ、奥さんか。ごめんね」
家事の傍らで英語を勉強しているが、あたまが良くないので、まだ完璧には英語は聞き取れない
しかし、どことなく蔑むような、バカにするようなイントネーションであることはかんじられる
自分の家庭内の立場や、発音や語彙に不慣れなせいで、日本人の典型的な反応である「曖昧な微笑み」しか返すことができない
しばらくすると、催したのでディカプリオに向かって挙手をする
「おトイレに行ってもいいでしょうか?」
ディカプリオは遠くでめんどくさそうに頷いた
私は暗いトイレにかけこむと、用を足しながら泣いた
もう消えてしまいたい
喧嘩別れというわけでは無いが心底嫌いになって別れたので今となってはなんで好きだったのか分からない。
とにかく元彼の全てが気持ち悪いと感じて仕方がないので吐き出させてほしい。
(吐き出しの羅列なので見づらいと思う。ごめん。)
嫌なところ
・30代中盤のわりに幼い。若いんじゃなくて学生っぽく見える幼さ。
・163cm、腹出ててとにかく毛深い。指先まで毛深い。
・一重まぶたで目がちっさい。唇が分厚くて最終的にキスしてて気持ち悪いなって思ってた。というかキスする時白目剥いてて冷めた途端無理だなってなった。
・肌荒れすごい。その割に肌のこととか気にしたこと無いと豪語してた。
・いびきがすごい。眠れなくて困った。
・都心部で年収330万円。500万と嘘をつかれていた。結婚前の同棲の話し合いで気づいた。好きだったから言えなかったと泣きつかれて冷めた。
・ゲーム、漫画のオタク趣味。課金しすぎ、時間の浪費しすぎで引いた。
・母親が専業で、家事は女がするべきものだと思ってた。自分は多少なりとも手伝えるから凄い優しい男性だと思ってるらしい。
・年収と住んでいる場所と趣味の差し引きでほぼ貯金は出来ていない模様。
・違和感あったけどやっぱ臭かった。生乾き臭というか、カードゲームショップの臭いをちょっと薄めた感じ。
・肌着にカビの点々が残ってるもの干してて気持ち悪いなってなった。
・家がかび臭かった。聞くと2年近く風呂トイレの掃除してなかったっぽい。トイレの下カビてて気持ち悪くて泣きそうだった。
・掃除機の埃がやばい。私ちゃん来るから昨日掃除したんだ〜って言ってたけど掃除機の掃除までが掃除だと分かってない。
・家事もできなくて年収も低いというか嘘ついてたのかよと冷めて無理だった。自分は子供大切に育てるタイプだと思うとか言ってたがやったことも無いくせに何を言っているのかと思った。
・食事代もホテル代もきっちり割り勘タイプ。当時は大好きで自分も気にしていなかったが嫌いになった今は無性にイライラする。
・これでも彼女は今まで多かったようで、自分から振ったことはあるが振られた事はなく、私に振られてショックだったらしい。
良いところ
・誕生日はしっかりお祝いしてくれた。
・私の事をとにかく大好きだと感じられたところは好きだった。
・私の話をたくさん聞いてくれた。
・これからを共に生きたいと思えるくらいには好きだった。
なんて書いたけれど、生きたいわけでもない。
吐き出すところもないので匿名でつらつら書きなぐってみる。
人生とても不幸だった、と言えるほどどん底に落ちたことはないし、これからもないと思う。普通に平凡に生きてきた。
今思えば酷いことをしたと分かるけれど、あの時からずっと本気で考えている。
思春期特有の熱病みたいなものだったらもっとずっとマシだったかもしれない。たらればだけど。
漠然と今年は死ぬだろうな、と毎年思ってはこの年齢になるまで生きてしまった。
とにかく色んな持ち物が増えたことも一つだが、何よりも死んだ後の手続きだとか余計な知識が増えたことが一番の原因だった。
わたしは確かにいいやつではないが、とても悪いやつとも言いきれない中途半端な人間なので、残された家族のことを考えるといま一歩踏み出せずにいるのだ。
と、こういうことを言っていると
おまえが死にたがったきょうは、誰かが人の生きたかったあしただ
みたいなありがたいお言葉を頂く。
だからなんだよって話で、仮にわたしがきょう死んだところでその誰かがあした元気になるわけでもあるまいに。
なんて、そういう話でもないのも分かっている。
けれども、生きたいという気持ちは尊重されるべきなのに、死にたいという気持ちは尊重してもらえない。
生きていたらいいことあるよって、そんなこと誰だって百も承知だと思うよ。
それよりも嫌なことの方がずっと多くて、そのいいことを抱き締めて抱き締めて、すがって生きていくにはいいことが少し足らないから楽になりたいんじゃないの?
わたしだけかもしれないけれど。
大抵は刃物で自分を刺している。想像なので痛くも痒くない。何も得られない。
首吊りは自分の美学に反するのでいずれ機会があっても実行しないと思う。
実際にお腹を刺そうか、最近は少し迷っている。だから台所には極力近付かないし、刃物はしばらく触っていない。
賃貸なので部屋で刺すわけにはいかないな、と近場でいいところがないか探している。
見付けた誰かが不幸になるのも可哀想なので出来レース的にどこかへ連絡してから実行すべきか、実行してから連絡する余裕があるのか、それがもっぱらの悩みだ。
ところで、これだけ死にたいって言うなら実行すればいいじゃないかと思われるに違いない。
実行しないのは上記した内容と、死ねなかった時が一番怖いからだ。人間は意外と頑丈だな、と思っているので誰か介錯してくれないだろうか。
なんて、他人を巻き込むわけにもいかないのできょうも保留にしている。
それでも、もしも、自分の手で他人に迷惑をかけず必ず死ぬ方法をわたしが見付けたとき、きっと待ち望んでいた気持ちを抑えることは出来ないんだろうな。
お恥ずかしながら、これだけ言いながらOD もリスカの類いもしたことがない。
他人のそれを否定するつもりはないけれど、この先もわたしはしないだろうな。
痛い思いしたり、ODでのたうち回ったり、そこまでして死ねないなら、わたしはこのままへらへらと生きていく。
あまり苦しみたくない。
初日は大津の和食屋さんで一万円のコースを食べて、2人ともとても美味しいと喜んでくれた。
2日目は朝琵琶湖の湖畔を散歩した(お母さんが木の実をひろって嬉しそうにしていた)後、三井寺を見た。三井寺は緑が綺麗だった。力餅と開運蕎麦を食べた。その後お父さんの思いつきで歴史博物館に行き、お母さんの思いつきで高島まで電車で行って道の駅でシフォンケーキを食べてまた帰ってきた。湖西の方に行くと琵琶湖が海みたいに大きくみえた。大津で琵琶湖は大きいな〜なんて言っていたのが馬鹿みたいだね、とお母さんがくりかえし言っていた。夜はイタリアンでピザを食べた。3人ともデザートまで食べた。
3日目は朝高島でお父さんが買った餅菓子(美味しい)を食べた。その後お父さんはすぐ帰り、お母さんがうちに来て料理を作ってくれた。台所の使い方が私と違くてちょっと言い争ったりもしたけど、ご飯美味しかった。昼過ぎにはお母さんも帰った。
私達にとって15年ぶりの家族旅行だった。仲が悪いわけじゃないけど、お互い人に合わせることをあまりしないタイプなので、一緒に出かけるのが何となく億劫になっていた。お父さんもお母さんも70なので、これが最後の家族旅行かもしれない。すごく楽しいという感じでもないけど、気疲れしない、穏やかでいい旅行だった。お父さんとお母さんがいつまでも元気でいてくれますように。
母親が幼少期に台所に立たせてもらえず、そればかりか果物の皮をほぼ全て親(私の祖母)に剥いてもらってたことを知り、「いやマジか…そらまともに料理できん無能になる訳だな」と思ってたけど、ネット上でもたまに同じような人間の存在が語られたりするので、さらにびっくりする。
料理を自作することに一切興味を持てない人ってこういうケースが多いのかな?
あと、母は食べたことのない料理に対して異常な恐怖心があるんだよね。
私は割と自発的に「お洒落で美味しそうなこれが食べたい。でも親は作ってくれそうにないし、自分で作ってみるか。」と思ってたから、よく分からないけど。
理系Fラン大卒、男、40歳、部下無し管理職、3人家族、TOEIC4年前に850点ぐらい、今受けても変わってないかも。
上場製造業で買収企業のインテグレーションと事業企画と管理、製品はハイテク世界最先端だと思う。事業規模はまだまだ小さい。
収入の部
月給:6万/月、手取り:3万/月
年金の標準月額は65万で、最高額設定
月給:手取り:$9,000/月
手当
支出の部
家賃 $2800、お宝物件、同じレベルの物件に引っ越しすると $4000越え、子供のいる家庭は学区が命
食費 $1200、日本食は割高
水道光熱費 $300
車のリース $190
交際費など $500
$250,000
900万円
最初、洗面所の天井に張り付いてるのを見かけた時は小さいてんとう虫かと思った。
数日経ち、やたら見かける数が多いことに気付く。
家中を見て回ると、食品庫の天面に数匹張り付いてる。ここが発生源か。
食品庫内の物を外に出しつつ、瓢虫(ではない虫)を見つけ次第に掃除機で吸わせる。
ついに発生源の大元に辿り着く。
食品庫の奥のほうに放置された古くなった田作(たつくり、カタクチイワシの幼魚の乾燥品)だった。
ビニール袋が破れ、半分粉になった田作が大量に零れてる。その周囲に無数の紅娘(ではない虫)。
調べたところ、テントウムシではなくヒメマルカツオブシムシらしい。
先の日曜日、(もう怒られる表現なのだろうが)妻の家の掃除を手伝っていた。
妻は大層しっかりものの人物できっかりかっちり物事をこなしてくれてとても助かっている。
私はどちらかというと陰キャオタクでぐーたらだから。妻は明るくもある。
本題。
何回しゅこしゅこしてもらめぇもうでないよぉな状態になったのでプラスチックゴミの袋に捨てた。
妻曰く「洗剤の容器を洗ってから捨てなさい」と。
私もゴミ捨てのルールは記憶していた。確かにプラスチックゴミは「汚れを軽く洗い流して捨ててください」と書かれている。ひどい汚れ付きは燃えるゴミだ。
このスプレーボトルの内部に付着しているのは洗剤だ。洗剤は"汚れ"ではない。仮に汚れだとしたら汚れで汚れを落とすことになるよね。と反論した。ついでに口が滑って「それは血で血を洗うような不毛なことだよね」ともにやけながら言ってしまった。書いていてもわかるがこれはとても余計な発言だった。思いついたら言ってしまった。
それに対しては妻曰く「捨てる段階での付着物は汚れである」。"食べ物"が"汚れ"になる瞬間と"洗剤"が"汚れ"になる瞬間は等しく同じなのかな?と私は理解したし、少し得心もした。
ではと「仮に洗剤が汚れであったとしても、それは許容範囲の汚れである。ゴミのルールも完璧な洗浄を求めていない」と。これも振り返ると争点を下げると言うかずらすというか。とにかく日常、トレーの油感などは完璧に拭わないし、さっと水で流す程度の洗浄をよしとするならば"洗剤"は"汚れ"であっても"許容できる汚れ"ではないかと。
私だってボトルに満杯の洗剤が入った状態でプラスチックゴミに出すようなことはしない。捨てるなら排水溝に中身を捨てるか今回のように使い切ってから中を洗わずに捨てる。きっとそうする。軽く振って垂れきらない水分はOKだろう。
だがこれも却下された。
「洗った結果の残留物は許容できるが、君はすすぐことすらしていない」
汚れは結果だったのだ。妻が汚れを受け入れるためには水で流すという努力が必要なのであった。そう、妻は洗剤が汚れかどうかのレベルを争ってはいなかった。私が容器を洗うという作業を手抜いたことが違反だと言っていたのである!
はっきり申し上げれば私は無駄な作業が嫌いなのです。地域でゴミの分別が甘いご家庭があることも汚れたプラスチックゴミを出すご家庭があることも存じています。そういった中でプラスチックのリサイクルにはおそらく洗浄のプロセスもあるでしょう。その中でボトル一本の表面についた中性洗剤の存在感たるや…。ひとりひとりが頑張らなければならないけれど、ひとりが完璧にこなしても全体は絶対に完璧にならない。そういった世の中のいろんなことに頑張ったり妥協したり生きていくわけです。
今回で言えば洗剤のボトルを洗うことは私にとっては無駄でした。無駄なことはしたくない。ああしたくない。徒労な口論をしてでも無駄な作業はしたくない。
ただただ妻とはOKライン、妥協ラインが異なる、いえ私が妻よりずぼらなだけなのですけれど。そういったことが今回の問題なのでした。
結末としましては私が折れて容器を水ですすいで捨てました。
私もとっても頑固な男です。自分の領分では自説を絶対に曲げないでしょう。それがわかっているから。ここは妻の領分であるから。私が折れました。
わかったことは今回の点では妻とはいろんな面で考えが合わなかったということ。妥協点が見出せなかった点が残念。嘘。本心はまあ論破できなくて自論を通せず残念とかでしょう。しかたない。私はそういう人間だもの。
あーだけど多少の洗剤ぐらい洗いたくないよー!洗濯用の洗剤ボトルも洗ってるのかよー!だるーい!
追伸
世間でいう麦茶やトイレットペーパー少し残す人間みたいに私も「洗剤ボトル少し残す人間」になるかもしれない。
たぶんならないと思う。
ならないんじゃないかな。
台所のシンクが老朽化で水漏れしそうだから、管理会社に連絡して修理の手配をした。
現地調査の後に総取っ替えってことになって、日程を調整した。
工事の様子を見ていると、業者の持ってきたシンクの位置がおかしい。
台所は左勝手なのに、箱から出てきたのは右勝手用のものだった。
どうして逆なのか聞いたところ
「開けてみたら逆なのでおかしいなと思ったけど、担当は右を注文しているし、
自分たちは任せていたし、今は在庫がないから右にしたのかと思って」と言う。
管理会社に電話、さらに業者にももう一度自分の会社に確認をとるように伝えた。
「どうも間違えたらしいんですよね」
正しいものを取り寄せて、後日再設置することになった。
変だと思ったのに確認しないで設置しようとするの、どうかしている。
やや時期を逸してしまったけれど、この季節は引っ越しなどで新生活をスタートする学生や新社会人も多いことと思う。それほど多くの引っ越しをこなしたわけではないけれど、新居で生活を始めるにあたって「買ってよかった、次も必ず買う」と決めているものを紹介してみようと思う。
新居の照明器具は自前だったりするし、今時新調するならLED照明が普通だろう。
しかしながら、賃貸にせよ新築にせよ、据え付け済みだったり台所や洗面に組み込みの非インバーター蛍光灯照明器具がしばしばあると思う。そういう場合、ほぼほぼ点灯管はグロー球が装備済みであるが、これはぜひとも電子点灯管へ交換することをおすすめする。
既に装着されている蛍光管の寿命が来て交換するタイミングでもよいが、いっそのこと入居すぐに点灯管だけでも電子点灯管に変えてしまおう。
メリットはとにかく「点灯が速くなる」「蛍光管の寿命が延びる」この二点に尽きる。何といっても蛍光管の交換を減らせることによるQOL向上は替えが効かない。
なお電子点灯管はグロー球より値は張るが、グロー球が蛍光管と同時交換ほぼ必須であることに対して、電子点灯管は数倍以上持つ。お値段以上の価値があるのでぜひ探してみて欲しい。
すでに白熱電球は根絶されていると思うが、トイレや浴室照明は電球ソケット型がまだ多いと思われる。
(以前の生活では白熱電球がトイレや浴室での標準だったので、いざ入浴というタイミングでの球切れは地味にショックが大きかった)
最近は電球型LEDが普及しているが、(つい数年前までは)おススメは電球型蛍光灯(特にカバー無しのソフトクリームみたいな形状の奴)である。
寿命やコストはLED電球とそれほど変わらないのだが、特にカバー無し型の蛍光灯は浴室のような密閉型照明やダウンライトに対応できるし、光束の広がりの自然さもLEDより勝る。
実のところ、マストバイは「東芝ネオボールZ」だったのだが、何と2015年で廃盤である。激安ブランドの蛍光灯製品だと、点灯時に暗く徐々に明るくなるなどのレビューが散見されるが、東芝ネオボールを使う限りそのような不満を感じたことは無かった。
代替はPanasonic製品なのだが、手元の東芝製品が交換時期が来ていないため残念ながらPanasonicは未評価である。次回更新時は電球型LEDを含めて評価することとなると思う。
ドライヤーは性能が高いものを買おう。とにかく入浴後のもろもろにまつわるQOLが爆上がりする。筆者は男性だが、タオルドライをサボってもあっという間に乾燥終了する。
実のところ他人の勧めで「高いドライヤーだな」と思いつつ入手することになったしそれまで自然乾燥派だったのだが、あまりの使い勝手の良さにすっかりドライヤーを使う習慣ができてしまった。そして入浴施設でしょぼいドライヤーを使ってしまってこんなに違うのかと改めて驚愕した(とにかく乾かない)。思い返すに、ドライヤーの乾かなさ加減に嫌気がさして自然乾燥派になっていた気がする。
入浴に気を遣う新社会人や学生であれば入浴後の5分10分を短縮できるリターンは十分に投資に見合うと思う。電気店の店頭で試してみて、風量など使い勝手を試してみて出せる限り高風量高熱量の上級機種(の型落ち品)を狙ってみて欲しい。