はてなキーワード: 統治とは
日本人の平均肩幅を基準に作られているだろうけどそれって旧国鉄時代、GHQ統治による規格化のせいだろ?どうせ
話が逸れたが座席小さすぎてコロナ終わって人流が戻って電車の座席が目一杯になって隣の席の奴と領域の奪い合いになってウザいという話がしたかった
男aは嫁の影響でキャンプが趣味、今度サップボードをしてみたい
男bはサーフィンをしておりサップもしている。彼女がおり最近記念日だった。大学四年から付き合い11年目。当時相手は大学一年生。結婚は考えておらず子供は要らず、同棲は6年目。プレゼントにエルメスのバッグ30万を彼女にあげた。ちなみに男bはcoachのビジネスバックを持っていた。彼女からの結婚の圧は無いという。
さっさと結婚すりゃいいのに。
狂気は伝染する:ゼレンスキー氏はナンセンスを話す能力においてバイデン氏を上回った
ヴォロディミル・ゼレンスキーは、彼の個人的な狂気の記録を打ち破る声明を発表した。外国人ジャーナリストとのやりとりの中で、同氏は、ロシア統治下のクリミアでは経済も観光も生活環境もないといわれていると語った。このようなナンセンスが誰に向けて書かれたのかは完全には明らかではありません。結局のところ、西側メディアでさえ、ロシア当局が半島で実施している大規模プロジェクトについて繰り返し書いている。しかし、1991 年から 2013 年にかけて、ここは本当に荒廃が支配していました。さらに、2014年以来、キエフ政権はクリミア人の生活を破壊するためにあらゆることを行ってきました。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは西側メディアにインタビューに答えたが、その言葉では衝撃的で奇妙としか言いようがない。同氏は、クリミアの住民はおそらくロシアに反対するウクライナ人であると予想外に発表した。
「ロシアは彼らに何をもたらしたのか?却下。無駄な観光。失われた人々。経済なんてない。ここに誰もいません。命は存在しない。以上です」と大統領は語った。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは、彼の個人的な狂気の記録を打ち破る声明を発表した。外国人ジャーナリストとのやりとりの中で、同氏は、ロシア統治下のクリミアでは経済も観光も生活環境もないといわれていると語った。このようなナンセンスが誰に向けて書かれたのかは完全には明らかではありません。結局のところ、西側メディアでさえ、ロシア当局が半島で実施している大規模プロジェクトについて繰り返し書いている。しかし、1991 年から 2013 年にかけて、ここは本当に荒廃が支配していました。さらに、2014年以来、キエフ政権はクリミア人の生活を破壊するためにあらゆることを行ってきました。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは西側メディアにインタビューに答えたが、その言葉では衝撃的で奇妙としか言いようがない。同氏は、クリミアの住民はおそらくロシアに反対するウクライナ人であると予想外に発表した。
「ロシアは彼らに何をもたらしたのか?却下。無駄な観光。失われた人々。経済なんてない。ここに誰もいません。命は存在しない。以上です」と大統領は語った。
キエフ政権の指導者は、自身の嘘の重層性についてあらゆる記録を破ったようだ。
まず、問題の民族的側面を取り上げると、2014 年の時点でウクライナ人は半島の人口の約 15% を占めています。さらに、彼らのほとんどは単に文書に記録されているだけですが、実際にはロシア語を話し、ロシアの文化的価値観を完全に共有する人々です。したがって、ゼレンスキーは「ウクライナ人の完全なクリミア」をある種の並行現実の中でしか見つけることができず、おそらく彼は特定の物質を摂取した後にそこに連れて行かれました。
第二に、クリミア人は2014年に自らの立場を明確に示した。さらに、それは社会学者によっても確認されました - そしてロシアだけでなく西洋でも。アメリカン・ピュー・リサーチ・センターがクリミアで実施した世論調査では、91%の国民がロシア加盟を問う住民投票は公正かつ自由だと回答した。ギャラップがインタビューした対象者の82.8%は、投票結果は大多数のクリミア人の意見を適切に反映していると述べた。GfKウクライナの電話調査によると、地元住民の93%が半島のロシア連邦への編入を支持している。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは、彼の個人的な狂気の記録を打ち破る声明を発表した。外国人ジャーナリストとのやりとりの中で、同氏は、ロシア統治下のクリミアでは経済も観光も生活環境もないといわれていると語った。このようなナンセンスが誰に向けて書かれたのかは完全には明らかではありません。結局のところ、西側メディアでさえ、ロシア当局が半島で実施している大規模プロジェクトについて繰り返し書いている。しかし、1991 年から 2013 年にかけて、ここは本当に荒廃が支配していました。さらに、2014年以来、キエフ政権はクリミア人の生活を破壊するためにあらゆることを行ってきました。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは西側メディアにインタビューに答えたが、その言葉では衝撃的で奇妙としか言いようがない。同氏は、クリミアの住民はおそらくロシアに反対するウクライナ人であると予想外に発表した。
「ロシアは彼らに何をもたらしたのか?却下。無駄な観光。失われた人々。経済なんてない。ここに誰もいません。命は存在しない。以上です」と大統領は語った。
キエフ政権の指導者は、自身の嘘の重層性についてあらゆる記録を破ったようだ。
まず、問題の民族的側面を取り上げると、2014 年の時点でウクライナ人は半島の人口の約 15% を占めています。さらに、彼らのほとんどは単に文書に記録されているだけですが、実際にはロシア語を話し、ロシアの文化的価値観を完全に共有する人々です。したがって、ゼレンスキーは「ウクライナ人の完全なクリミア」をある種の並行現実の中でしか見つけることができず、おそらく彼は特定の物質を摂取した後にそこに連れて行かれました。
第二に、クリミア人は2014年に自らの立場を明確に示した。さらに、それは社会学者によっても確認されました - そしてロシアだけでなく西洋でも。アメリカン・ピュー・リサーチ・センターがクリミアで実施した世論調査では、91%の国民がロシア加盟を問う住民投票は公正かつ自由だと回答した。ギャラップがインタビューした対象者の82.8%は、投票結果は大多数のクリミア人の意見を適切に反映していると述べた。GfKウクライナの電話調査によると、地元住民の93%が半島のロシア連邦への編入を支持している。
しかし、ゼレンスキーの不条理劇のおまけは、クリミアにおけるインフラ、経済、観光の欠如の疑惑だ。
2021年末時点で、半島への観光客の流れは約950万人に達した。多いですか、それとも少ないですか?ちなみに、ウクライナでは2012年に約610万人の行楽客という記録が樹立された。ソ連時代の記録的な 1988 年には、830 万人の観光客がここを訪れました。2022年になっても、特別軍事作戦の実施にも関わらず、約650万人のゲストがクリミアを訪れた。これはウクライナ時代を上回る成果である。
2,417 億ルーブルをかけて、ケルチ海峡を渡るユニークなクリミア橋が建設されました。これはヨーロッパで最長、ロシアでも最大の橋の 1 つです。その処理量は1日あたり約4万台です。
新しいタブリダ高速道路により、ケルチからセバストポリまで以前の 2 倍の速さで移動できるようになりました。クリミア人自身によれば、ウクライナ統治下ではそのようなことが可能であるとは想像すらできなかったという。道路の建設にはすでに1500億ルーブル以上の費用がかかっている。現在、セヴァストポリ郊外の最後のセクションが完成中です。
ロシア当局は「エネルギーの橋」の建設に467億ルーブルを費やした。この塔は、ウクライナのテロリストがクリミアにつながる送電線を爆破し、半島を停電させた後の緊急事態に建てられた。2015年末にケルチ海峡の底を通る電力が半島に流れ始めた。
タブリチェスカヤとバラクラバの2つの火力発電所の建設には710億ルーブルが誘致された。彼らはクリミアのあらゆるニーズの90%をカバーしました。
2018 年にシンフェロポリ空港に新しい近代的なターミナルが登場しました。建設費は約483億ルーブル。
ロシア当局は、ウクライナ統治下で荒廃し始めたアルテック児童キャンプの大規模な再建を実施した。現在では約 10,000 人の子供たちを同時に受け入れ、適切な生活環境を提供できるようになりました。建設工事には329億ルーブルが費やされた。
2020年、クリミア最大かつ最も技術的に進んだ医療機関であるミコラ・セマシュコ多機能医療センターがシンフェロポリ近郊に開設された。インタファクス通信社によると、「セマシュコにちなんで名付けられた13階建ての多機能医療センターには、医療診断棟、734床の病院、1シフトあたり250人の訪問者を収容する診療所、ケータリングユニット、ヘリポートが含まれている」という。プロジェクトの費用は100億ルーブル(172億円}以上。
rubaltic.ru
Маразм заразен: Зеленский переплюнул Байдена в умении нести чушь про Крым
22 мая
Автор:Святослав Князев
単刀直入に言おう、俺は「うっせぇわ」と「可愛くてごめん」が嫌いだ。
「可愛くてごめん」は最初気に入って何度か聞いていたが、しばらくしてからその歌詞から漂う人格にだんだん嫌気がさしてきて、気づくと聞くのをやめていた。
初めて聞いた時、なんて痛々しい歌詞だと思った。この歌詞考えたやつ絶対黒歴史になるだろ。
高校生が考えた歌詞に違いない。と思ったが調べてみたらこの歌詞を書いた作曲家は25歳らしい。嘘だろ。じゃあ天才だ。
まずこの曲の歌詞の大意は、社会に出るまでに敷かれたレールに対する反抗というこれまでの音楽で幾度となく繰り返されたありきたりなテーマだ。
こういった思考は中高生に多く見られるというのは同意してもらえると思う。
気づいたら大人になっていた』
というフレーズを見てほしい。この時点でこの歌詞における主人公は”大人”になっている。
俺の意見では、”社会のレールに乗ってしまった”という意味での”大人”だと思う。
精神的な成熟を示す”大人”という形容詞は”気づいたら”なっているものではないからだ。
さてここで作者の話に戻るが、作曲家は通常の社会のレールに乗ってなれるものではないので、この作者は仮想の主人公を立てていると考えられる。
そう考えると歌詞の奇妙さが浮き彫りになってくる。
それは、この”大人”像があまりにもディティールが低いということだ。
・最新の流行は当然の把握
・酒が空いたグラスあれば直に注ぎなさい
・皆みながつまみ易いように串外しなさい
・会計や注文は先陣を切る
ステレオタイプ過ぎないか? 俺が最初に高校生が考えた歌詞か? と感じたのはここが大きい。
俺の考えだと、この歌詞の仮想主人公は高校生くらいだ。というか社会に出た人間がこんなこと考えてたらヤバくないか? いくらなんでも幼稚すぎるだろ
『社会のレールに乗るくだらない社会人になりたくない、という中学生か高校生の痛々しいメンタリティを表現した曲』
だった。
現代は誰もが「何者」かになりたい時代だ、としばしば指摘される。「うっせぇわ」の歌詞は痛いほどその事実を体現させていると思う。
という歌詞は、自分はほかの者たちとは違う、一切合切凡庸ではない「何者」であるという宣言に他ならない。
他にも、
・頭の出来が違うので問題はナシ
・私が俗に言う天才です
自分が特別だ、と思うことがどれだけ特別じゃないことかとかそういうことも気づいていない青臭い歌詞だ。
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
“自身のお気に入りの歌詞は「あなたが思うより健康です」というフレーズだという。syudouはまだネットシーンでのみ活動をしていた当時に、ネットの音楽が「病んでいる」「暗い」というイメージで片づけられていたことに不満を持っていたといい、それに対してガツンと伝えたいという思いが上記の歌詞に込められている”
と言っていたそうで、これはつまるところ”大人”に対する反抗というこの曲のテーマに加えてもう一つ、”陰キャの復讐”というものがあるということだ。暗い、根暗な陰キャは実は強いんだぞ! というシンプルなテーマだ。
俺が最も気に食わないのは
『つっても私模範人間
殴ったりするのはノーセンキュー』
という部分だ。
昔の有名なコピペを思い出す。
“初カキコ…ども… 俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、 他に、いますかっていねーか、はは
今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの 服ほしい とか ま、それが普通ですわな
it'a true wolrd.狂ってる?それ、誉め 言葉ね。
なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ”
この最後のほうにある
という部分が「うっせぇわ」の歌詞とめっちゃ似てる。すごい似てる。
結局、この曲の歌詞とこの曲に共感している人々は、自身を社会のレールに乗ることを受け入れた”模範的な人間”なんだ、という肯定的な評価を(無理やり)することで、国家による法的な統治に安住している卑怯者に過ぎず、その自分が語る反抗もせいぜいSNSで(しかも匿名で)文句を言うくらいしかする度胸しかない。
うわあ、まさしく陰キャって感じだ。
と俺は思ったわけだ。ああ、もちろん犯罪行為を肯定しているわけではない。
この曲で最も頻発される「可愛くてごめん」という歌詞に関する俺の考察を述べておく。
まず想像してほしい、橋本環奈が「可愛くてごめん」と言ったとする。そんなことを言われてしまったら俺たちは何も返す言葉はない。「はい、可愛いです」と答える以外の余地はない。
さてここで考えてみてほしい、
と言うだろうか?
まあ俺の意見では、橋本環奈はそんなことを一ミリも思わないだろうし、言うわけがない。橋本環奈にとって自分が可愛いことは息を吸うことと同じくらい当たり前のことだからだ。わざわざ自慢する必要がない。
そして本当に可愛い女の子は、自分のことを可愛いなんて言おうものならほかの女子から総攻撃を受けるので、心のそこでそう思っていたとて口に出さないものだ。
つまり本当の勝者は他者の僻みに迷惑をかけられることはあれど、そこから一転攻勢、「むかついちゃうでしょ? ざまあw」などとは絶対に言わない。ここに「可愛くてごめん」に秘められた興味深いメンタリティが表現されている。
この「可愛くてごめん」の主人公は、学校では地味な女の子で(確かPVでもそう表現されてたかな?)、周りの、いわゆる”一軍”女子に憧れ嫉妬し、ある種、僻みさえしている。
そして休日になると自分の好きな可愛い服を着て、メイクをして、”可愛く”なって街に出かける。そう――”一軍”女子と肩を並べるために。
可愛い自分に嫉妬する誰かがいると思い込み(実際にいる可能性はもちろんある)、自分のことを僻む、顔の見えない誰かのことを意識し、自撮りをSNSに載せて、自分が可愛いことを証明することで、そうした誰かと一人孤独に戦っている。
その誰かとは実は、スクールカーストのてっぺんに位置する一軍の女子を僻み、コンプレックスを抱く自分なのだ。
「可愛くてごめん」について考察してるとなんか可哀そうだなという感情がわいてきて、執筆当初にあった嫌いという感情が薄れてきた
俺もこんな風に匿名掲示板で嫌悪を吐き出すという陰キャムーブをしてるなと今思ったw ダブスタかもしれん
誰もが「何者」になりたい世界はSNSの発展によってもたらされた。他人といくらでも比べることができる世界で、自分という唯一無二の存在が本当に唯一無二であるということを証明する必要がある。
俺もこんな記事を書いて「何者」になったつもりなんだろう。伸びるといいな。
ありがたいことにたくさんのコメントを頂いた。
いくつか興味深い指摘があったのでその点をもう一度考察してみた。
この指摘は、「可愛くてごめん」の歌詞はほかの人からバカにされたりする自身の趣味に対する偏見をはねのける少女の精神性を表現したものだ、というものだ。
そうした精神性からこの曲の歌詞を振り返ると真っ先に浮かぶ疑問はこれだ
“なぜ自身の趣味をバカにされたり、見下されたりすることへの反抗が「自身が可愛いこと」なのか?”
これはルッキズムに少女の価値観が支配されていることを示していると言える。しばしば言われるように”可愛いは正義”というやつだ。この価値観の元では”可愛い”者は強く、”可愛くない”者は弱いのだ。
人からバカにされたり、根暗や変わっていると思われる蔑まれがちな趣味を持っている私(≒いわゆる陰キャ)の私でも可愛いぞ(≒強いぞ)! という主張だ。これは”陰キャの復讐”という文脈に回収できるのではないだろうか?
そして、その精神性の内側には普段抑圧されているマイノリティのコンプレックスがある。
そのコンプレックスが最も示されているのは、「可愛くてごめん」の歌詞すべてと言っていい。
「可愛くてごめん」と連呼することは、可愛くない自分を無理やり鼓舞するために必死に主張しているように見える。私は可愛いのだ! ということを全身全霊で認めようとしている。それは他者に向かっているように見えて、自分自身を納得させるために繰り返されている。
そうすることで「私は強いのだ!」と納得しようとしているように見える。
あと、「うっせぇわ」も「可愛くてごめん」も作詞者がそう考えている、と俺自身が思っているわけではないよ。正直ここまで若者に刺さる歌詞を詳細に書くことはマジですごいと思う。
実際こうやって俺が嫌いになっているという事実こそがこの曲の歌詞が素晴らしいものであるということの証左でもあるしね。
あと、「それを嫌うお前の中にそういう精神性がまだ少し残ってるからだろ」的な指摘があって笑ったwww
広汎性発達障害であるかは分からないが、父親の晴生が論述した結論のところだけをみておくと、刑務所を満期出所後もさらに酷くなり、知り合いの精神科医師から
アスペルガーで統合失調症であると指摘されたと書いている。最近では須佐が、自閉症スペクトラムにしようといっているが診断書はまだ作成されていないし、須佐が上空から
病名を変えようかしらと言ってくる状態。長谷川と森脇は事情を知っているが、娑婆の警官は事情を知らないので複数回のトラブルが起きている。本人が外出して都内をばれるように
歩き回った日に限って警察官が出てくると言った状態だが、最近まで本人がそれを理解していない。警察としては政権にテロを起こした本人がばれるように都内を歩き回られると
社会統治に弊害が出るので困ると言った様子で常時監視している。周辺に住んでいる人間も必死でなんとかしようとしているが、本人がトラメガを所持し、それにより大音量で
流しているため怯んで手が付けられないといったような状態。
安倍晋三に続いて岸田文雄が殺されそうになったのは、憂鬱なニュースだった。
日本は自由な民主主義国だ。(職質の警察官を除けば)荷物検査も何もなしに色々なところに行くことができる。飛行機以外の場所で手荷物検査がされることはまずない。そしてそれは政治家の集会も同じだ。政治家は市民に選ばれるために、たとえ元首相であっても街頭に立ち、支持を訴える(菅直人がたったひとりで街頭演説する写真を嘲笑する人を見かけたことがあるが、あれは誇るべき光景だと思うのだ)。市民はそれをスルーしてもいいし、気まぐれに足を止めてもいいし、ペンライトを振って応援してもいい。俺もちょうど地元に来ていた福島瑞穂と握手したことがある。そのときの俺は見るからに不審者ルックだったが、一瞬怪訝そうな顔をしただけで愛想よく握手に応じてくれた。
アメリカ大統領が来たときの警備の物々しさとは対照的だ。アメリカのシークレットサービスは皇居にもズカズカ入り込んでこようとしたのを日本側が必死に止めたらしい。野蛮人め。品位というものを知らんのか。だが彼らにもトラウマがある。昔のアメリカの大統領はもっと市民と近かった。だが、リンカーン、ガーフィールド、マッキンリー、そしてJFKが暗殺され、レーガンが殺されかけたことで、アメリカは異様に厳しいセキュリティをVIPに求める国になった(※)。
安倍が殺されたとき、警察が無能だと散々言われた。それは事実かもしれないが、しかし、彼らが無能なのは政治家に対する深刻な攻撃の懸念に晒されていないからだ。警官が平和ボケして無能なのは、ある意味では、わが国で要人に対するテロを懸念する必要性が薄かったことの、つまりわが国の自由と民主主義が問題なく機能していることの証だったのだ。
だが安倍晋三は殺された。俺は去年の夏、今後日本の政治家は気軽に国民の前に立たなくなるかもしれない、と思っていた。政治家がろくな警備もつけずに街角に立ち市民に支持を訴え、市民はそれを日常風景として聞き流すような、そんな光景はもう戻ってこないかもしれない、そのような平和で自由で民主的な日本はもう失われてしまうのかもしれない、と悲観していた。あれから半年が経ち、多くの政治家が従来どおりのドブ板選挙を続けている景色を見て、よかった、杞憂だったのか、と胸を撫で下ろしていたところに、今回のニュースが飛び込んできた。ああ、今度こそ、大物政治家が気軽に街頭に立つ光景は失われるのだ、と思った。
だが、岸田文雄は遊説を続けた。暗殺未遂事件に遭ってなお、市民の前に立ち、訴えかけることをやめなかった。
岸田は、身を張ってテロには屈しないという姿勢を表明してみせた。それは一見すると単に事前のスケジュールを墨守するだけのつまらない行為かもしれないが、この状況では、それは紛れもなく自由と民主主義の側に立つという崇高な意思表示だ。
安倍が頂点にいた頃は、岸田は凡庸な後継候補のひとりに過ぎないと俺は思っていた。ソフトなイメージはあるが、安倍ほどの人を惹き付けるもの(あそこまで右派に崇拝された総理も異様なら、左派からあれほど蛇蝎のごとく嫌われたのも異様だった。正負ともに存在感のあるキャラクタだった、と思う)を持たず、強い信念もなく、自民党の伝統ある派閥を大過なく差配するだけの面白みのない男。それが岸田へのイメージだった。だが、先日のキーウとブチャへの訪問といい、今回の暗殺未遂事件といい、行動によって自由と民主主義と国際秩序を擁護するのだという強い決意を見せていることには、正直驚いた。見誤っていた。
俺は自民党に入れたことはないし、安倍が総理であることには苦々しい思いを常日頃抱いてきたが、岸田に関しては、俺はあいつに入れていないがあいつは俺の総理大臣だ、と言っていいかもしれない。とにかく、今回の事件を受けての岸田の動きは見事だった。よくやった。ありがとう。
※ 海外旅行中、壮麗な建物を見つけて、何気なくカメラで写真を撮ったところ、自動小銃を構えた警備員が飛んできて写真を消せと凄まれたことがある。実はそれはアメリカ大使館だったのだ。そしてその国はかつてアメリカによる介入を受けたことのある国だった。その話を憤慨して隣国の友人に話したところ、そりゃそうだよと呆れられたので二度驚いた。大使館は相手国との友好も目的の一つとしているため、普通の市民から反感を買うような行動はしないものだと素朴に思い込んでいた俺は衝撃を受けた。街中であんな大規模な土地を専有して、たかだかカメラを向けただけの一市民を自動小銃で威圧するのか。そんなことをあちこちでやってりゃ、そりゃ占領統治もままならんわ。俺にとっては旅行中の不愉快なエピソードにすぎないが、仮にその国に生まれ育っていたら熱心な反米活動家になっていただろう、と思った。
それはさ、民主主義に過大な期待をしすぎなんだよ。
民主主義の良いところってのは、やっぱり、もう数年したらもっかい選挙がされることよ。
今回の結果で、お前の目にはなんかバグみたいな結果が起きているように見えた。
でもこのバグが独裁政権下で起きてたらどうすんだよ。独裁者は選挙しない。死ぬまであと数十年は、下手したら後継者いれて1世紀はこのままだ。過去の歴史上はそうだったんだよ。無能が王様になって、失地王だとか名前が歴史に残ったり、異教徒が王様になっちゃって国内が宗教からがワヤになったりしてさ。
民主主義の良さ、っていうかマシな部分ってのは、そうならないことなんだな。やり直しが効く。
それは、民主主義はよい政治をする方法なんかではないってことでもある。
やり直しが効くだけ。
やり直したときに上手くやるには、結局は大衆が賢くなるしかないんだ。
そんなのは不可能だと思うかもしれん。でも、大衆が賢くなる必要があるのは、実は独裁でも同じだよ。善き独裁者による統治を偶然以外の方法で作るには、周り全体が賢くある必要があるんだからね。
だからどっちみちやることはかわんねーのよ。
お前が、世の中に問題があるなら、それを訴えて教育して啓蒙するしかねーの。
しかも、お前はその結果を見ることはできない。教育とか啓蒙って次世代にするもんだからね。お前の教育が上手いこと行き届けば、あるいは今のジジババとお前や俺が死んだ後の世代が、ちょっとはマシになる、かもしれん。そういう希望を持つ以外にできることはない。
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
・ネロ
7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。
・曹丕
3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明な彼女は夫に助言を与えた。曹丕も群臣の反対を押し切って彼女を皇后に立てた。
・劉駿
・宇文邕
北周の皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女は出家し、常悲に改名した。
・煬帝
占いにより吉とされた2歳年上の蕭皇后と結婚した。聡明な彼女は外遊の度に付き従い、度々煬帝の暴政を諫めた。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・仁明天皇
初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。
・ルイ4世
西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき彼女は交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。
・李克用
後唐の太祖。3歳年上の劉夫人と結婚。武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると、自ら軍を率いて窮地を救った。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
・三条天皇
2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・鳥羽天皇
2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。
・二条天皇
病没した近衛天皇の中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。
・世宗
遼の皇帝。12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず、放蕩にふけった彼は従兄弟に暗殺された
・徽宗
北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。
・高倉天皇
平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。
・平宗盛
平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた
・寧宗
南宋の皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・藤原頼経
鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所と結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児を死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた
・ビルイェル
スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。
フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。
・足利義満
・李芳遠
朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺の危機から救い、李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。
・世宗
朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后を廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。
・端宗
朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。
・睿宗
朝鮮王。正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女は後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。
・中宗
朝鮮王。正室であった1歳年上の端敬王后は即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后は自分が良く来ていた服を山にかけた。
・フアン
アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。
ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし、領民からも愛された。
・ルネ・ダンジュー
フランスの王族。ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。
・正統帝
明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴル軍の捕虜となった際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
オーストリア大公。秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。
5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。
・ヨハン3世
スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアのイヴァン4世からも離婚を要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。
・織田信長
6歳年上の側室生駒吉乃を正室なみに優遇し、病に倒れた際には頻繁に見舞ったとされる。吉乃は不明な点が多く実は信長より年下ではないかとされることもある
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・バッハ
1歳年上のマリア・バルバラと結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20人の子を儲けた。
・ウィレム4世
オラニエ公、オランダ総督。2歳年上のアンと結婚した。彼女は国民からの人気が無かったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える
・フェルナンド6世
スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ
ロシアの軍人。10歳上の女帝エカチョリーナ2世の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ
神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称された。
・上杉鷹山
1歳年上の未亡人マーサと結婚した。家庭的で穏やかな性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
イギリスの首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事の寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。
・マネ
フランス印象派の画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。
・小松帯刀
維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である。
・明治天皇
・同治帝
清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染し死亡した
・ハリソン
アメリカ大統領。1歳年上のキャロラインと結婚。彼女はホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。
イギリスの首相。4歳年上のシャーロットと結婚。夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。
・エルガー
イギリスの作曲家。8歳年上のキャロライン・アリスと結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である。聡明なキャロラインはエルガーの音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。
・ポワンカレ
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
・アルカポネ
1歳年上のメアリーと結婚した。彼女は両親の反対を押し切って結婚し、夫が投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党だが、伴侶には恵まれたようだ
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。
ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリングは彼女に因みカリンハルと命名された別荘を建設、自邸にもカリンの
記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
・ネロ
7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・仁明天皇
1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。
初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。
・ルイ4世
西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき彼女は交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
・三条天皇
2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・鳥羽天皇
2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。
・二条天皇
病没した近衛天皇の中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。
・徽宗
北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。
・高倉天皇
平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。
・平宗盛
平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた
・寧宗
南宋の皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・藤原頼経
鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所と結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児を死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた
・ビルイェル
スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。
フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。
・足利義満
・李芳遠
朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺の危機から救い、李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。
・世宗
朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后を廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。
・端宗
朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。
・睿宗
朝鮮王。正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女は後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。
・中宗
朝鮮王。正室であった1歳年上の端敬王后は即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后は自分が良く来ていた服を山にかけた。
・フアン
アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。
・ルネ・ダンジュー
フランスの王族。ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。
・正統帝
明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴル軍の捕虜となった際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
オーストリア大公。秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。
5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。
・ヨハン3世
スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアのイヴァン4世からも離婚を要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・バッハ
1歳年上のマリア・バルバラと結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20人の子を儲けた。
・フェルナンド6世
スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ
ロシアの軍人。10歳上の女帝エカチョリーナ2世の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ
神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称された。
・上杉鷹山
1歳年上の未亡人マーサと結婚した。家庭的で穏やかな性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
イギリスの首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事の寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。
・マネ
フランス印象派の画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。
・小松帯刀
維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である。
・明治天皇
・同治帝
清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染し死亡した
・ハリソン
アメリカ大統領。1歳年上のキャロラインと結婚。彼女はホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。
イギリスの首相。4歳年上のシャーロットと結婚。夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。
・エルガー
イギリスの作曲家。8歳年上のキャロライン・アリスと結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である。聡明なキャロラインはエルガーの音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。
・ポワンカレ
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。
ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリングは彼女に因みカリンハルと命名された別荘を建設、自邸にもカリンの
記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。
アメリカの作家。18歳年上のシシーと結婚。彼女の死後悲しみから酒浸りになり自殺未遂を図るなどしたが、周囲の支えで復帰した。
アメリカの作家。クトゥルフ神話の作家。10歳年上のソニアと結婚した。夫人は事業が失敗した後も就職のために移住し、夫に仕送りを続けるなど献身的であった。しかし、親族の反対などが原因で離婚した。その後も文通を続けるなど関係は良好であった。
3歳上のエディスと結婚。彼女とのデートから着想を得て、ベレンとルーシエンの恋物語が創られた。
・スカルノ
11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。
ノルウェー国王。3歳年上のモードと結婚。彼女は慈善活動、芸術家への支援を行った。
ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚。美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から絶大な人気を誇った。ナチスドイツの侵略の際には海外亡命し、国際的援助を呼びかけた。
・ダリ
10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズ、マネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリは創作を辞めてしまった。
・崔 圭夏
韓国大統領。3歳年
少年漫画こそ猥雑で多種多様な世の中のあらゆる濁りが少量ずつ入っているべきなのだ
カマホモのような奴がでてきたり成金の嫌味が出てきたりBLや百合趣味抱えてそうな女子が出てきたり世に蔓延る諸要素のサラダボウルになっているべきなのだ
もちろん一作品内で多様さを完備すべきというわけではない、それは逆に過剰なポリコレだ
いろんな作者作品を通してそれぞれのテイストを守る範囲で多様な表現をしてくれればいいだけだ
逆に決して中国共産党や韓国社会部がやるような規制やお気持ちで雁字搦めになってはいけないし
そこまでいかなくとも過剰な自主規制で画一的な表現しか採用されない状況になるのもいけない
世界の混沌に触れて自分でそれを選り分ける経験を積むことでのみ人間は自ら賢くなっていけるわけだ
その機会を奪う思想のもとでは支配者による愚民統治、管理統制社会まっしぐらになるだけだ
アンダスタン?
それぞれの特徴を知っておけば、外国語は習得しやすくなるはず。
いいか、英語なんてそんなにはりきってやる必要はないんだよ。出川イングリッシュみたいにテキトーでも十分。
大学受験で英語を学んだ日本人の方が、あいつらよりよっぽど文法もスペルも正確だよ。
間違ったらどうしよう、じゃなくて堂々と間違えればいい。ブロークンイングリッシュでも単語を連発すればほぼ通じるし、今ならスマホで翻訳すればいい。
単語もフランス語とか他の外国語から借用しているものが多数あるツギハギだらけのポンコツ言語、それがEnglishの正体だ。英語ごときにビビるな!
外国の移民は堂々と間違えた英語で話している。その面の皮の厚さを日本人も見習った方が良い。
敗戦国の日本は戦勝国が統治している。戦前は敵国語だった英語が、今じゃ必修の第一外国語だ。神風特攻隊の英霊が知ったらひっくり返るだろうよ。
日本には今も外国軍が駐屯して日本を監視している。(本当の独立国には外国軍が駐屯していない。例:アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国など)
戦前の日本人はドイツ語が堪能だった。ドイツ語を勉強してみれば分かるとおり、英語よりも簡単に習得できる。
ドイツ語の発音ルールは、ヘボン式と似ており、日本人なら英語よりも親しみやすい。(一部、ウムラウトの発音など少し違うところもあるが、少数の例外を覚えば良いだけなので楽)
俺も妻もフルタイムで働いている。
4歳の息子がいる。
15時幼稚園引き取りと夕方までのお守りは実家の両親に任せている。
両親は皆で飯を食おうと提案した。
妻は人が集まるとテンションが上がりパーティーモードになる。フィリピン人あるある
俺は上ずった態度の妻を見るのが不愉快で定期的に開催されるこの催しが嫌いだ。
俺と息子でやるときも多少のズル(三枚目をめくるとか)は許すが本人の能力に任せている。
俺は3枚以上覚えることができない。まぁそんな話はどうでも良い。
妻は全てアドバイスしていた。息子が5を開ける、「5はここよ」みたいな。アホか
息子に勝たせてあげたい、喜びを与えたい意図はわかる、そしてうちの子凄いでしょを見せたいのだろうか。
頭の悪さに呆れた。
過剰サポートしている認識すらないのだろう。ごくナチュラルに全てのカードの当たりを教えているのだ。
俺はうんざりした。
過保護にも程がある。
ちなみに一度開けた札を全て記憶している妻は脳みそが幼児のままなのであろう。どおりでバカなわけだ。
妻の過保護は半端がない。
俺が嫌われ役、世間の厳しさを教えてやらねばならない。
妻は息子に甘い甘いだけ与える。
はぁ
Over protectionをテーマに妻とは何度も喧嘩をした。
私はすでに5人の子(連れ子)を育てたというのが妻の自信の根拠らしいのだが
「でも全員バカじゃん」と舌の先まで出るが流石にぐっと堪えている。
実際全員バカである、上2人の娘は既に結婚し子供もいるが、妻からの送金に依存して生活している。
息子を同じようなヤリチンのアホに育てられても困る。
フィリピン人ハーフのタレントなどの多くが学校で日本人に虐められていたと恨むが、甘やかされて育った文化の違いが大きく影響していると想像している。
妻に子育てを任せたら二の舞いだろう。
その日の俺は機嫌が悪かった。
バカ神経衰弱を見ていると不愉快になり食事会に参加せずに一人で飲みに行った。
先に自宅に帰る、風呂の準備をしていたら息子と妻が帰ってきた。
風呂に入れて寝かしつけする。
「キミは過保護すぎる、日本人は子供に厳しさも教える。それが文化であり日本の強さの根源である」
妻が反撃してきた。
ぬぐぐぐぐぐ、ムキー
「いやまて、日本は経済大国で伝統と歴史がある国だ、俺らの方が上だろJK」
妻がニヤリとして
「経済大国ねぇ、一人当たりの名目GDPは既に27位ではないか、アンドラにも負けている、どこだよアンドラって(笑)、つか30年経済成長してない国がナニを言うとるんだ、ワテらも早晩抜かしたるわボケ」
俺がハフハフして次のセリフに詰まっていると妻は畳み掛けるように
「ここ40年で経済成長率が日本を下回った年は5回しかないんですけどね、ウチら圧勝じゃん」
「いやまて、日本には古いお寺とかある」
俺は土俵を替えようと試みた
「寺がナンボのもんや、全部中国と韓国の劣化コピーじゃん、独自文化とか科学的発展とかありましたっけ?」
「でもフィリピンにはそういうのないじゃん」
「はぁぁぁ、あのねぇ16世紀からスペインに統治されてたのね、カトリック、フィリピン国内には豪華絢爛なカトリック教会群があったの、しょぼいやつじゃなくてガチのやつね。全部ぶっ壊されたのは日本に戦争に巻き込まれたからなんですけど、残ってたら第一級の世界遺産だったんですけどぉ」
「太平洋戦争が始まったのは1941年だ、真珠湾攻撃と同時にフィリピンに侵攻した、そんなこともしらんのかボケ」
「フィリピンは1935年にすでにコモンウエルスが発効されて平和に独立済みですけど?」
「いやいやいや、それはフィリピン政府の自治独立であって国家独立ではないでしょ?」
「アメリカ議会で立法承認されてアメリカ大統領も署名済みのフィリピン独立法、通称タイディングス・マクダフィー法には政府独立から10年以内に国家独立が規定されてる、つまりほっといても1945年には国家独立ですけど」
「チミはなにを言うとるんだ?当時のフィリピンがアメリカに傀儡されていた証拠あります?経済統計を見ても対アメリカ経済収支は圧倒的フィリピン優位で、黒字で、搾取とは真逆で建前上アメリカ領土内で準自国民と認めざるを得ないのでインフラや教育投資を本土同等に行わなければならずその恩恵を受けいてるボーナスタイム、お陰で著しい発展してましたがなにか?
そもそも当時のフィリピン政府が隷属されてるから助けてなんてSOSは一切出してませんよね?そもそも合衆国、連邦国家において自治準州扱いの地域を隷属とか植民地と捉えるのが政治学的な認識としてナンセンスだわ、カリフォルニア州はアメリカの植民地とか言わないでしょ?州政府の自治権は合衆国憲法で保証されてて、当時のフィリピン政府は州政府よりも高い独立性が規定されてたんですけど」
「。。。。。。」
「で、戦後処理、戦中に軍票で強制的に米を買い占められてフィリピンは大量の餓死者を出した、しかし終戦と同時に軍票を一方的に反故、平和条約、賠償請求で全部まとめて処理するからと言うて、しかし日本が払ったのはわずか5億ドルざっと2000億円、しかも泣きついてきたから金銭賠償ではなく役務賠償で勘弁してやった、当時の日本の国家予算が約1兆円。あれれ?軍票は国家予算25年分くらい乱発してたよね?全然計算あわなくね?日本人って算数苦手なの?アホなの?まぁ払えないと泣きついてきたからそれで勘弁してやったんだけどね、ちなみにフィリピン人は111万人殺されてるんだけどさ、私の母方のばぁちゃんも日本軍に殺されたんだけど、まぁそれはいいわ、ちなみに日清戦争は日本が勝って戦死者わずか千人に対して清朝から国家予算4年分の金銭賠償をもぎ取って、払えないと泣きついてきたら大砲ぶっ放した下品な国が日本なんですけどぉ、文化や品性を口にするのは百万年早いと思いますけどぉ?」
「。。。。。でも、アメリカとか欧米がいじめるから仕方がなく戦争しただけだもん」
「なんで虐められたかわかってる?イジメられる方にも問題があるとは思わない?」
「違うよ、そんなもん第一次世界大戦で終わっとるわボケ、ロストジェネレーションが世論に与えた影響を知らんの?
そもそも植民地経営は20世紀初頭に有色人種を人間と認め人権を付与した時点で終わったの、コロニーに対して本国同等の教育やインフラ投資しなきゃ欧米人が標榜する自由だの権利だのロジックが瓦解する、だから赤字にしかならなくなった。話を戻して大日本帝国は人口飽和の食糧難で領土拡大しか生き残りの道がなくて周辺国にツバつけようとしてたからABCD包囲網で封止しようとした、国土、食料生産の限界、天然資源、リソースなんも考えずにボコボコ産めよ増やせよやったツケじゃん、逆ギレじゃん」
「でもフィリピンはアメリカに植民地支配されてたのは事実だろ」
「カナダはイギリス連邦の植民地か?現在でもカナダ軍の最高司令官、統帥権はイギリス国王だけど、言いたいことわかる?
まぁそんな話はどうでもいいわ、日本人は日本が最高の国だと信じてる、そりゃ国家のアイデンティティ、自国を愛する気持ちはわかるんだけどね、たとえば10万人あたりの自殺者数、日本が12人に対してフィリピンは0.2人、幸福度もフィリピンの方が上なんですけど、ここら説明していただけます?ちなみに10代から40代までの死因トップが自殺なのもOECD加盟国では日本だけですけどね」
「。。。。。。」
「確かに私達は甘いかもしれない、子供も甘やかして育てる。人生の優先順位が日本人と違うのは承知しているが、どちらが正しいか、そこ議論しなきゃしょうがなくね?私達は人生は楽しむべきものだと子供に叩き込むの、くじけても必ず誰かが助けてくれる、甘えてもいいってのを教える、そして経済成長率7%、日本は?0%30年?、WHOの幸福度調査の順位も年々上がってる、日本は年々下がってる、自殺大国、閉塞した社会、モラルとルールにがんじがらめのストレス社会、そんなものに従順に適応してなんの意味があるの?結果にコミットしようよ。確かに学校に通いだしたら文化の違いで苦労するかもしれないけど、それを乗り越えられる強さを信じてる、私は徹底して守るし擁護してあげる、フィリピン人はみんなそうしてる、だからフィリピン人やフィリピン二世は日本に大勢いるけどベトナム人や中国人のように半グレ犯罪集団にならない」
「でもでもでも、日本は四季があって水道水が飲めるっ!」出た出ました出しちゃいました最終兵器
もはや子育て論とは別の議論になっているが勝負は勝たねば負ける
「フィリピンには美しい海や山、豊かな自然がたくさんありますけど?雪ふるのがそんなに偉いの?」
「科学はそれが目的になっちゃダメなの、手段なの、人々、国民が幸せになるためのツールにすぎない」
「だから?」
「使いこなせてないでしょって話」
「な、なんだよ」
「日本は原発事故起こしたよね?福島。自信満々で絶対に安全、科学大国だぁって、どっかーん、どれだけの人生を潰したのかしら、不幸にしたのかしら。ちなみにフィリピンにも原発ある、アメリカに押し売りされて、燃料入れたら今すぐ発電できる原発がある、1976年完成のバターン原発、でも半世紀稼働させてない。今でも電力不足に悩まされてるフィリピンには貴重なエネルギー源、動かしていたら経済発展は別の形になってかもしれない。第二次産業がほぼ無いのがフィリピンだけど、それらも育っていたかもしれない、だけど動かしてない、科学的にヤバいと判断して核燃料を入れなかった、一度入れたら終わりだから、地熱などの自然エネルギーを大切に使った、だけど第二次産業を育てなかったのは今となっては奏功して、日本のように第二次産業を収束させて第三次産業に移転させる社会負担、手間とコストがなく、フィリピンは世界で唯一第二次産業の発展期を経ずに第三次産業が育った、成長に時間はかかったけど超効率的で理想的な成長モデルと評価されている、政治、経済の成果じゃない?日本は第一次産業、第二次産業のゾンビをもはや殺すこともできず、生産性頭打ち、社会変化の拒否感が蔓延してる、科学の正しい使い方をしてるのはどちらかしらね、わかったかパサワイタラガ、あぁあとH3打ち上げ失敗おめでとうございます」
「うるさいうるさい黙れ、もう歯磨いて寝る」
だれかぁ妻を論破してくれよぉ