はてなキーワード: 統治とは
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
有名人がロケで地方行くとYouTubeのコメントで「我らが〇〇へようこそ」みたいな上から目線のコメントしてる奴何様だよ。
お前がその町を統治してる王様みたいな立場から語るな、一介の住民風情が。
そもそも匿名だし本当にその地域に住んでいるかも怪しいしな。全地域に同じようなコメントして暖かく迎える住人ヅラしていいね貰おうとしているかもしれんし。
いずれにしろ、良い気になるなってことだ。
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
どう考えたって、満州事変~太平洋戦争~GHQ統治の過程以上に面白いコンテンツなんか無いんだよな。
・ 貨幣経済の導入により貧窮化していく農村出身者が、素朴な農本主義を抱いたまま陸軍に入って、テロリズムに走っていくのが面白い。
・ 陸軍士官学校を次席で卒業した超エリートでありながら、日蓮主義に傾倒して満州事変を起こした石原莞爾(著書のタイトルは『世界最終戦論』 !)なんかは個性的過ぎて面白い。
・ 満州国なんか政府の予算が付かなければ一巻の終わりなのに、手練手管を尽くして最終的に予算を付けさせてしまうのは、政治が上手すぎて面白い。
・ よせばいいのに欧米列強の利権が渦巻く中国国内で、じりじり勢力を拡大し、一触即発状態になりながら、陸軍内の勢力争いから拡大路線を止められず、結局太平洋戦争に繋がってしまうのが面白い。
・ 陸軍の中でごちゃごちゃやってたところに松岡洋右が現れて、日独伊三国同盟、日ソ中立条約をぱんぱんと決めてきてしまうのがすごくて面白い。
・ 戦後、統治に来たGHQのメンバーにごりごりのマルクス主義者が多く、マルクス主義の影響を受けた政策ががんがん実施されたというのも面白い。
https://anond.hatelabo.jp/20240712184211 続き
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。民主政は有権者に向かって「いまあるあなたとは違う人間になってくれ」と懇請するのである。「よけいなお世話だ」と腹を立てる有権者がいても不思議はない。そして、実際に多数の有権者が「大人になってくれ」という制度からの懇請に腹を立てて「オレはオレのままでいいんだよ。オレはオレが大好きなんだ」と口を突き出すようになったことで民主政は終わりに近づいている。
(17)
nippon.com版
帝政も王政も貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体」である。だから、これらの政体は市民に向かって「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事は私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。中国の歴史書・十八史略に登場する、「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分が支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民の理想である。
帝政も王政も貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体」である。だから、これらの政体は市民に向かってさまざまな機会に「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事は私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分が支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民の理想である。
(18)
nippon.com版
その中にあって、民主政だけが、市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事を押し付ける。だから、民主政は嫌われるのである。
その中にあって、民主政だけが、市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事を押し付ける。だから、民主政は嫌われるのである。
(19)
nippon.com版
(無し)
たぶんこれからも民主政は嫌われ続けるだろう。有権者たちが「あなたがたは今あるがままでよいのです。成熟する必要も、自己刷新する必要もありません」という甘ったるいメッセージを言い交わしているうちに民主政は終わるのである。
(20)
nippon.com版
今回の選挙の混乱の再発防止のために、一部からは立候補時の供託金を高額に引き上げることや推薦人を一定数確保することを立候補の条件とする案も出ている。だが、私は立候補を困難にする条件をつけることには原則的には反対である。一部の「性善説制度をハックする人たち」を何とかするために、今私たちが享受している政治的自由を規制すべきではない。
というのは、性悪説に基づいても、違法行為も完全にシャットアウトできるシステムを作ることは可能だし、それに類するものを作ってみても、システムの設計と維持に膨大なコストがかかり、かつ効果は大してない。「ハッカー」というのは「穴を見つける専門家」なのである。性悪説にシフトすることが民主政にプラスをもたらすことはない。
規制を設けるなら、法律で網をかけ監視や取り締まりをしなければならず、システム構築に膨大なコストが必要になる。だが規制を設けても、相手は新たな穴を探してくる。おそらく終わりなきいたちごっこになるが、これによって民主主義に関する新たな価値を生み出すことは無い。
(無し)
(21) 最終部分
nippon.com版
私たちがなすべきなのは、「市民社会の常識」を再生させることである。「君がやっていること、それは非常識だよ」という言明が、現実に強い規制力を持っていれば、法律を作る必要はない。
米国では2016年の大統領選挙の時、ワシントンポスト紙が候補者たちのステートメントにファクトチェックをかけて、「ピノキオ」という単位でその真実含有量を表示したことがあった。「一部誤認や事実のつまみ食い」が1ピノキオ、重大な言い落としや誇張は2ピノキオ、重大な事実誤認や明白な矛盾は3ピノキオ、大うそが4ピノキオ。前大統領のドナルド・トランプ氏は「底なしピノキオ」の称号を贈られた。信頼できるファクト・チェッカーがその威信をかけて「誰が真実を語っているのか」を査定するならば、法的規制は要らない。
今回の都知事選が改めて示したのは、「常識あるまともな大人」が一定数存在しなければ、民主政は持たないということである。今は「大人になれ」も「礼儀正しくあれ」も「非常識であるのは恥だ」も、どれも強い指南力を持つメッセージではなくなってしまったが、それでも私はこれからも忍耐強くそう言い続けるつもりである。
(無し)
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42
あらすじ
西暦20XX年、かつてY県と呼ばれていた地域は、"笑顔都市"という新たな名称で統治されていた。この都市では、市民に1日2分間、笑顔を義務付ける条例が施行されていた。
主人公は、幼い頃からこの制度に疑問を抱き、密かに反抗していた青年、アキラ。彼は、笑顔の裏に隠された真実を探るべく、調査を始める。
調査を進める過程で、アキラは、笑顔都市の暗部を目の当たりにする。政府による思想統制、強制労働、そして笑顔の裏に潜む深い絶望。
そんな状況に絶望しながらも、アキラは諦めずに真実を暴こうと決意する。彼は、仲間と共に、笑顔都市の秘密を解き明かし、市民を支配する体制に立ち向かう。
第一章
陽炎の如き夏の日、西暦二千有余年。かつてY県と呼ばれていた地域は、"笑顔都市"なる新たな名称のもと、統治されていた。
この都市には、奇妙な条例が存在した。市民は、一日二刻の間、笑顔を浮かべねばならぬというのだ。
主人公は、アキラと申す青年。幼い頃からこの制度に疑問を抱き、密かに反抗していた。
第二章
調査を進める過程で、アキラは、笑顔都市の暗部を目の当たりにする。
政府による思想統制、強制労働、そして笑顔の裏に潜む深い絶望。
そんな状況に絶望しながらも、アキラは諦めずに真実を暴こうと決意する。
彼は、仲間と共に、笑顔都市の秘密を解き明かし、市民を支配する体制に立ち向かう。
第三章
果たして、アキラは笑顔都市の真実を暴き、市民を解放することができるのか?
結末
永遠の笑み
設定:
ユートピアのような社会が現れた、幸福と感情の健康に対するコミットメントを特徴とするY県。しかし、その表面下には市民の生活のあらゆる面を支配する政府が潜んでいる。「笑みの法」が新たに制定され、すべての市民は毎日少なくとも2分間微笑むことを義務づけられている。これは先進的な監視技術によって監視されている。
主人公:
若き女性史学者のアヤは、「笑みの法」の暗い起源を探る中で、過去の県の歴史を研究し始める。彼女はこの法が市民の幸福のためではなく、異議を抑え込み、人口を支配するために制定されたことを知る。
プロット:
序章:
アヤは他の人々と同じように「笑みの法」に従いながら、一見満ち足りた生活を送っている。しかし、彼女はこの強制的な微笑に対して潜在的な不安を感じている。
発見:
歴史記録を調査しているうちに、アヤは「笑みの法」以前の時代、人々が様々な感情を自由に表現できた時代の証拠を見つける。彼女はこの法が政治的不安の時期の後に導入され、政府が統制を維持するための道具として利用されたことを知る。
抵抗:
アヤは秘密裏に「真の顔」という抵抗グループに参加し、この法の真実を暴露し、感情の自由を取り戻すことを目指す。彼らは暗号化されたメッセージや秘密の会合を通じてコミュニケーションをとる。
蒲生(後の苻生)は幼い頃から無法な行いを繰り返しており、祖父の蒲洪(後の苻洪)からは強く忌み嫌われていた。
生まれた頃から隻眼であり、彼が幼少の頃に蒲洪はふざけて侍者へ「片目の子は片方からしか涙を流さないと聞いているが、まことかね?」と問うと、
苻生は隻眼であったので『不足、不具、少、無、缺、傷、残、毀、偏、隻』と言う文字の使用を禁じ、これを犯した者は左右の側近でも処刑され、その数は記録出来ないほどであった。
苻生が即位して幾ばくもしない内に、殺された人間は后妃・公卿以下僕隷に至るまでゆうに500人を越え、
截脛(膝から下を斬り落とす)・拉脅(わき腹を圧し潰す)・鋸頸(頸を鋸で斬り落とす)・刳胎(胎児を抉り取る)の刑に処される者が相次いだ。
治世の末年には、その数は千をはるかに越えたという。
苻生は群臣と共に太極殿において宴会を開き、右司馬の辛牢が酒監となった。
宴もたけなわとなると、音楽が奏でられ、苻生自ら歌を詠み、場を楽しませた。
だが、苻生は辛牢が酒を飲んでいないのを見ると「酒が進んでいない者がどうしてこの席に座っているか!」と怒り、辛牢を射殺した。
苻生は夜に棗を多く食し、朝になると体調を崩したので、太医令の程延を呼び寄せて診断させた。
苻生は左右の側近へ「我が天下に臨んでいることについて、汝は外からどのようにきいているかね」と問うと、
側近は「聖明なる陛下が世を治めるおかげで、賞罰は明確となり、天下は太平を謳歌しております」と言うと、
苻生は激怒して「汝は我に媚びを売るか!」と言い、斬り殺した。
コロンブスがアメリカを「発見」した当時のスペインの植民地政策を「エンコミエンダ制」という。
「エンコミエンダ制」は、対イスラム戦争であるレコンキスタのなかで生まれた。
指揮官は占領した土地のムスリムを働かせ、そこから利益を得ることができるが、かわりにムスリムを守り、きちんと教育しなければならない、というものだった。
前線で戦う指揮官が、現地の異教徒を皆殺しにするとか、略奪だけして放置するとか、そういうことをすると困る。
責任を持って異教徒たちを統治して、秩序を保つようにしろよ、という話である。
「教育」というのは、スペイン語やキリスト教の教育のことで、キリスト教の布教活動であり、一種の同化政策でもあった。
この「エンコミエンダ制」下における異教徒は、過酷な労働を強いられたが、法的な扱いとしては「奴隷」ではなかった。
「奴隷」なら、生まれた土地から引き離されて、売り飛ばされ、個人の所有になったりするものである。
戦争の結果として捕虜になった異教徒が「奴隷」として売られるのと、戦争によって支配された土地の「先住民」を働かせるのは、異なることだったのである。
「イベリア半島をムスリムから取り返したのと同じやり方で世界中をキリスト教国にしていこうね」という流れである。
コロンブスもそういうノリで、西インド諸島に植民地を築き、先住民たちを働かせながら、キリスト教を広めていこうとしていた。
ちなみに、コロンブスの宗教的情熱は、建前ではなくかなりマジだったらしい。
つまり、少なくとも「原住民たちの信仰を尊重しつつ仲良く住み分けていきましょう」なんてことは最初から想定されていなかったわけだ。
このとき、スペインは「先住民はスペイン国民として扱う」「スペイン国民なので奴隷にしてはいけない」と言っていた。
一方で、コロンブスは「反乱を起こした先住民なら奴隷にしていいだろう」と思っていた。
コロンブスはもともと商人だったので奴隷貿易にも携わっていただろうし、「異教徒の捕虜を奴隷として売る」というのが当たり前の選択肢としてあったのだろう。
コロンブスが、先住民の捕虜を奴隷としてスペイン本国に送り、イザベル女王を怒らせた、というのはそういう話だった。
そうした出来事があり、またスペイン人植民者たちの不満の声が届いたことで、スペインはコロンブスのもとへ査察官を派遣した。
査察官のボバディージャは、スペイン人植民者たちの証言を集めた。
「トウモロコシを盗んだ男が耳鼻を削ぎ落とされて奴隷として売られた」「コロンブスの悪口を言った女が舌を切られて裸で引き回された」といった暴政が報告された。
コロンブスが残酷な統治をしていたかどうかは、この査察官ボバディージャの報告を信じるかどうかが大きい。
現在、コロンブス批判派は「ボバディージャの報告こそコロンブスの残虐さの動かぬ証拠だ」と主張し、コロンブス擁護派は「ボバディージャが捏造したのだ」と主張している。
申し添えておくと、ボバディージャはコロンブスの後釜として植民地の総督になっているので、コロンブスを追い落とす動機はあった。
スペイン人植民者たちがコロンブスに不利な証言をする動機もあっただろう。
当時、エンコミエンダ制のもとで先住民の労働を管理していたのはコロンブスだけだった。
スペイン人植民者たちは「私たちにも先住民労働者を渡せ」と要求して反乱を起こしていた。
ボバディージャはスペイン人植民者たちに味方したので、スペイン人植民者たちは彼の統治を歓迎した。
実際に、ボバディージャの統治以降、エンコミエンダ制は有力な植民者たちにも適用されるようになり、いっそう拡大していったのである。
スペイン植民地政策の批判者として有名なラス・カサスは、コロンブスの息子と親しかったので、コロンブスに対しても非常に同情的だった。
1484年:コロンブス「ポルトガル王! 西に進めばインドに行けるんや! ワイの計算では可能なはずなんや!」
→ポルトガル王「うちはアフリカ探索が順調に進んどるし、東から行ったほうが有望そうやから却下やね」
1486年:コロンブス「スペイン王! 西回りでインドに行って香辛料貿易でがっぽがっぽ! どないでっか!?」
→スペイン王「ちょっと待っててな、いまイスラム教徒と戦うので忙しいんや」
1492年 スペイン王「イベリア半島からイスラム勢力を駆逐したった! 異教徒から金も奪ったからコロンブスに出資したろ!」
→コロンブス「サンキュー! ワイもスペイン王みたいにインドから異教徒を駆逐してキリスト教を布教したるで! 出航や!」
→コロンブス「苦しい航海の末にインドの島々に到達したで! サン・サルバドル島やイスパニョーラ島と名付けたで!」
ちなみに、当時の「インド」はインダス川以東のすべて、つまり南アジアだけでなく東南アジアや東アジアも含む概念だった。
コロンブスを含め当時のヨーロッパ人は、コロンブスが「南アジア」に到達したと思ったわけではなく、「東アジアのどこかに到達した」と考えていたのである。
1493年:コロンブス「スペインに帰ってきたで! ワイは英雄や!」
→スペイン王「おまえが見つけた土地はおまえに統治を任せるで! エンコミエンダ(委託)やで!」
→コロンブス「ほならすぐに出航するで! 今度はイスパニョーラ島に植民地を建設するために農民や職人も連れて行くで!」
→コロンブス「イスパニョーラ島に帰ってきたで! 原住民も働かせて街を作るで! 金や真珠もどんどん見つけたるで!」
1494年:スペイン王「西回りでアジアに到達した私らと、東回りでインド到達を目指すポルトガルが衝突したら困るなあ……」
→スペイン王「西経46度から東側の新領土はポルトガルのもの、西側の新領土はスペインのものっちゅうことでどや?」
→トルデシリャス条約締結
1495年:コロンブス「反乱を起こした原住民を奴隷としてスペインに送るで! 思うように金を採掘できてへんけど、それでなんとか補填できんか?」
→スペイン王「いきなり奴隷を送りつけてくるし、イスパニョーラ島から戻ってきた連中も文句言っとるし、向こうはどないなっとるんや」
1496年:コロンブス「スペイン本国でワイの悪評が広まっとるらしいで……いったん帰るわ……」
1497年:ジョン・カボット「伝説の島ハイ・ブラジルを目指して、イギリスから大西洋横断したら、新しい島に着いたで!」
1497年:ポルトガル王「西のほうでどんどん成果が上がっとる……俺らも早くインド目指さんと……!」
→ヴァスコ・ダ・ガマ「ほい、アフリカ周回してインドに到達したで!」
1498年:コロンブス「今回で航海も三度目やし、ちょっと探検したろ! おっ、植民地の南のほうになんや大陸があったで!」
1499年:スペイン王「なんかコロンブスが新しい大陸を発見したとか報告しとるけど……ちょっと見てきてくれへん?」
→オヘダ「私にお任せください」 アメリゴ・ヴェスプッチ「ワイもお供します」
→オヘダ「ブランコ岬くらいまで南下したけどこれ以上は無理やわ……いったん帰るで!」
1500年:ボバディージャ「コロンブスさん、ちーっす! スペイン王の命令で査察に来たで! うーん、残虐な統治をしとるなあ……アウトーっ!」
→コロンブス失脚
1500年:カブラル「ヴァスコ・ダ・ガマに続いて、ワイもインドに行くよう命じられたで〜!」
→カブラル「大西洋を西に流されて変な土地に着いたで〜! 未知の島っぽいからポルトガルの領土宣言するで〜!」
1501年:ポルトガル王「なんかカブラルが新しい島を発見したとか報告しとるけど……ちょっと見てきてくれへん?」
→ゴンサロ・コエリョ「私にお任せください」 アメリゴ・ヴェスプッチ「ワイもお供します」
→ゴンサロ・コエリョ「パタゴニアくらいまで南下したけどまだ陸地が続いとるわ……いったん帰るで!」
1502年:コロンブス「最後の出航やで! きっとパナマに海峡があるはずやから、そこを通って(南アジアの)インドを目指すで!」
1503年:アメリゴ・ヴェスプッチ「南の大陸を何度か航海したワイが考えるに、あれはアジアやないで! 新大陸や!」
1507年:ヴァルトゼーミュラー「うおおアメリゴさんすっげえ! アメリゴさんが言ってる新大陸を『アメリカ』と名付けたるで!」
→ヴァルトゼーミュラー地図に「四方を海に囲まれた南北アメリカ大陸」が描かれ、そのうち南アメリカ大陸が「アメリカ」と命名される。
アメリゴの説は広く受け入れられたが、南アメリカがアジアとは別の大陸だったとしても、まだ「北アメリカはアジアの東端である」という主張が完全に否定されたわけではなかった。
たとえば、同じく1507年に、コロンブスが発見したイスパニョーラ島と、東方見聞録に書かれた日本とを同一視するルイシュ地図が作成され、こちらもベストセラーになっている。
1511年:アルブケルケ「インドのゴアとマレーシアのマラッカ占領したった! 香辛料貿易はポルトガルの独占や!」
1513年:バルボア「パナマのあたりまで進出して植民地を作ったで! パナマを横断したら海があったで! この大陸は海に挟まれてるんや!」
1519年:スペイン王「ポルトガルが着々とアジアに進出してるやんけ! 私らも早よ西回りでインドに行かな!」
→マゼラン「ワイはポルトガルのマラッカ遠征にも参加した歴戦の船長やで! スペイン王のために世界一周を目指すで!」
1522年:マゼラン「ワイはフィリピンで殺されてもうたけど、部下が代わりに世界一周を達成してくれたで……ほな……」
→世界一周の達成
これによりアジアとアメリカが遠く隔たった別の地域であることが実証され、あらためてアメリカ大陸は「新大陸」と認められた。
南アジアや東南アジアといった本来のインドは「東インド」、南北アメリカは「西インド」として呼び分けられた。
「東インド諸島 / 西インド諸島」や「東インド会社 / 西インド会社」などの呼称はそれに由来する。
さらに200年後、ベーリング海峡が発見され、ようやくユーラシアとアメリカが完全に別の大陸であることが証明されたのだった……。