はてなキーワード: 階層とは
・年収2000万円を超えてくると、そこら辺で働いてる人がどうしてもケア対象に見えてしまう。謙虚で控えめだった俺でも数年間年収2000万円を超えて収入が増え続けると、時給2000円以下だったり月収40万以下みたいな人と自分の感覚がかなり違うことは毎日意識させられる。どういうことかと言うと、普段行ってる店や旅行先のホテルや趣味の話をするときにかなり遠慮して話をしなければならなくなる。この遠慮をして話すというのが数年続くと、次第に話し相手と自分が互いに異なる階層で生きてる人間なんだということが嫌でも意識させられる。これが続くと、相手のことを介護や特別なケアが必要な層の人と無意識に認識してしまうようになる。格の違いと言うか、生きてる層の違いというのか。年収2000万程度で、と思うかもしれないが、それでも年収600万とか800万の人と話すときは「絶対謙虚さを意識して会話しないといけない」と決意してから会話しないと油断して場に変な空気が生まれるリスクが出始める。この感覚は年収5000万増田が想像してみるのは若干難しいところかと思う。
声に出して読みたい日本語
この遠慮をして話すというのが数年続くと、次第に話し相手と自分が互いに異なる階層で生きてる人間なんだということが嫌でも意識させられる。これが続くと、相手のことを介護や特別なケアが必要な層の人と無意識に認識してしまうようになる。
年収5000万円で弱者男性って書いてる人いたけど、設定が雑すぎてせいぜい年収1300万円以下程度の人が想像で書いた感じがしたな
・まず年収2000万円にもなると移動が格段に楽になる。この差は貧乏人にも簡単に想像できると思う。つまり、移動にストレスいっぱいの電車を使う必要がなくなる。近距離なら全部タクシー、遠距離なら新幹線グリーン車、飛行機もプレミアムエコノミーと、格段に楽な移動手段を毎回選択できる
・年収2000万円に達すると、金が大きく余り始める。年収5000万円弱者男性増田が想像で補完できてないと感じたのはここらへん。確かに年収5000万円でプライベートジェットを購入したりブリガリホテルのスイートに一か月宿泊するみたいな金の使い方は難しいだろう。それを持ってレストランやホテルのグレードを上げられるだけで一般人と同じ生活をしてる、と考えるのは若干想像力が貧困だ。まず、年収2000万円程度の収入でも毎月一泊10万円のリゾートホテルやディナー8万円のステーキハウスに通える。通える、というのはこのような金の使い方をしても使い道に困るお金がまだまだ手元に残っているのだ。俺は年収600万円の生活も経験してるからこのお金が残るという感覚はデカいことを認識できてる。これは年収5000万の生活を想像だけで組立てると抜けがちな視点だと思う
・年収2000万円でも、赤の他人を雇える。年収5000万増田に抜けてる想像力のもう一つがこれ。クラウドワークスでもツイッターでも何でも、このくらいの稼ぎから他人を使用できるようになる。年収2000万円の俺も、月収8万円で女の子を副業バイトで雇っている。年収2000万円を超えて来ると、人を雇う余裕が生まれる。この感覚は年収800万円や1000万円を単純に数字だけ延長しても生まれない想像だと思う。
・年収2000万円を超えてくると、そこら辺で働いてる人がどうしてもケア対象に見えてしまう。謙虚で控えめだった俺でも数年間年収2000万円を超えて収入が増え続けると、時給2000円以下だったり月収40万以下みたいな人と自分の感覚がかなり違うことは毎日意識させられる。どういうことかと言うと、普段行ってる店や旅行先のホテルや趣味の話をするときにかなり遠慮して話をしなければならなくなる。この遠慮をして話すというのが数年続くと、次第に話し相手と自分が互いに異なる階層で生きてる人間なんだということが嫌でも意識させられる。これが続くと、相手のことを介護や特別なケアが必要な層の人と無意識に認識してしまうようになる。格の違いと言うか、生きてる層の違いというのか。年収2000万程度で、と思うかもしれないが、それでも年収600万とか800万の人と話すときは「絶対謙虚さを意識して会話しないといけない」と決意してから会話しないと油断して場に変な空気が生まれるリスクが出始める。この感覚は年収5000万増田が想像してみるのは若干難しいところかと思う。
とはいえ年収5000万円というのが単年しか実現できてないんだったら年収5000万弱者男性増田の貧しい想像力も擁護できるので、年収5000万を3年くらいキープし続けてみるといい。俺も年収2000万円を超えて3年くらいだが、やはり稼ぎがある程度続くと金の使い方の考え方が大きく変わるから、継続してみるといいよ。
私もミュージカルオタクである以上は悪質セクハラババア予備軍であることに変わりないだろうが、自戒として、また標的となっている演者たちと同世代の人間として、ババアたちにはひとこと言っておきたい。
まあオタクなんて万国共通でキモいが、ミュージカルオタクは多少異なる事情がある。
ミュージカルは作品中でそういう問題を扱うケースが多いこともあって、フェミニズム・ジェンダー、人種問題、ミュージカル界に関わる人々の待遇まで、社会問題に関心がある人間が多いのだ。
例えば、宝塚のハラスメント問題に言及したのと同じ口で、若い男性の演者たちに対して抱きつきたくなっちゃった♡とか、別にそういうシーンじゃなくてもここがエロかったとか平気で言う。(接触機会がほぼないので物理攻撃が少ないのは幸いだが)
ポリコレはゴミだと思ってる人間がセクハラするのはわかる。キモいけど、むしろ一貫性がある。
セクハラババアがわりと一般的なのも知ってる。純烈のメンバーも、ばーちゃんたちにケツを触るなと言ってたし。
でも普段はいかにも意識高い系でございという顔をしておいてセクハラは、ないだろ。属性からイメージされる人間性との落差がひどすぎる。
男→女のセクハラは、いかにもセクハラ親父でございという体の人間さえ避ければ結構どうにかなる。体感ではあるが、かなり綺麗にゾーニングされているので回避もしやすい。
だがどうも女→男のセクハラはそうではない。女としてはまことに遺憾だが、どの階層にも満遍なくゴミが散らばっている。そしてこれはたぶんミュージカルオタクや、対イケメンに限った話ではない。
増田たちも十分に気をつけられたし。
■最近明らかに「ただ女を罵倒したくてアンフェをやってる」って人が増えたなぁ
ってミラーリングしようかとおもったけど逆だな。単なるミソが女を大っぴらに叩ける理屈としてアンフェの殻を被っただけだから基本的にフェミニズム関係ないわ。発端が女が男より偉そうにするのが許せない、金を稼ぐのが許せないといった程度の幼稚で歪んだお気持ちの発露なので理屈とか無いんだわ。そもそも対等になろうという気持ちなんか無いんだからどうしようもない。ここまで書いて思ったけど、イスラム原理主義とかインドのカーストと根本的には同じだな。女は男より下なんだという絶対的な階層意識に支配されている人達。
タワマンの特徴というのは
より多くの入戸数が
見込めるという不動産屋にとっておいしい条件がふたつ揃ってる。
これまでのマンションより小さな土地で従来通りかそれより多い居室を作れるわけである。
一方で買う方のメリットは少ない。
いわゆる高層階に住む人々以外にタワマンが味合わせるラグジュアリー感は味わえない。
下の方の階層なんて買ってしまえばせっかくの我が家がなぜかみすぼらしく感じられてしまって悲しい気分になるばかりだ。
それなりに無理をして買った不動産が買った最初からなんだか負け犬めいているのでは冗談にしかならない。
いっそ郊外で一軒家を買っていたほうがよほど満足度が高かったかもしれない。
もちろんお金を持ってる人が住むなら低層階でもそれはありといえばありのはいうまでもないが。
ご提案いただいた深い考察ポイントに基づき、さらなる分析を進めてみます。
情報の最小単位を考える際、伝統的にはビット(0または1)という離散的な単位が基本となっています。しかし、情報をより細かく、あるいは連続的な量として扱う必要がある場合、シャノンの情報理論を拡張することが求められます。例えば、連続的な確率分布を扱うための**微分エントロピー**の概念を導入することで、情報の連続性をモデル化できます。
#### **情報の質**
情報の真偽、信頼性、関連性といった質的な側面をモデル化するためには、以下のような方法が考えられます:
これらにより、情報の質的側面を数理的に扱うことが可能となります。
観測者やエージェントによって情報の価値が異なる場合、情報を主観的な視点でモデル化する必要があります。具体的には:
#### **多様な実在**
抽象的な概念や仮想空間も実在として扱うために、実在の集合 \( R \) を以下のように拡張します:
この拡張により、情報が様々なタイプの実在に対応することをモデル化できます。
#### **実在の変化**
これにより、動的な実在や観測者依存の実在を扱うことが可能になります。
#### **量子的な実在**
量子力学的な現象を組み込むために、実在の状態をヒルベルト空間のベクトルや密度行列で表現します。情報は観測演算子に対応し、対応写像 \( \phi \) は量子測定の結果として確率的に定まります。
#### **単射性**
一般に、対応写像 \( \phi \) は単射ではありません。異なる情報が同じ実在の集合に対応する場合もあります。情報の冗長性や曖昧さを考慮すると、この性質は現実的といえます。
#### **全射性**
すべての実在の部分集合が情報に対応するとは限りません。特に、情報の集合 \( I \) が有限の場合、対応可能な実在の部分集合は限定されます。これを解決するために、情報の生成規則や言語を拡張することが考えられます。
#### **可逆性**
対応写像 \( \phi \) が可逆である、つまり情報から実在の集合を一意に復元できるとは限りません。情報損失や情報の不完全性により、逆写像が存在しない場合もあります。
#### **動的な情報**
情報が時間とともに変化する場合、情報集合を時間依存の集合 \( I_t \) とし、対応写像も \( \phi_t \) と時間に依存させます。また、情報の更新や伝播を記述するためのダイナミクス方程式や、情報の流れをモデル化するグラフ理論的手法を導入できます。
不確実な情報を扱うために、確率論的枠組みを採用します。具体的には、情報 \( i \) が実在 \( r \) に適用される確率 \( P(r|i) \) を定義し、対応写像 \( \phi \) を確率分布として表現します。
複数のエージェント間での情報共有や通信をモデル化するために、エージェント集合 \( A \) と、それぞれの情報集合 \( I_a \) を考えます。情報の伝播や共同推論を扱うために、マルチエージェントシステムやゲーム理論の枠組みを適用できます。
### 5. 定理の応用
情報エントロピー \( H(\phi(i)) \) を計算することで、情報 \( i \) がもたらす不確実性の減少量を定量化できます。また、相互情報量を用いて、異なる情報間の関連性を評価することも可能です。
#### **哲学**
情報と実在の関係を哲学的観点から考察することで、認識論や存在論の問題に新たな視点を提供します。例えば、情報が実在をどのように構成するか、または実在が情報に依存するかといった問いを深めることができます。
#### **人工知能**
機械学習において、情報と実在のモデルを用いてデータ表現や推論アルゴリズムを改良できます。知識表現では、オントロジーや知識グラフを用いて情報間の関係性を明示化し、自然言語処理では意味論的な情報を組み込むことで理解度を向上させます。
情報統合理論(IIT)などの枠組みを用いて、意識がどのように情報処理と関連するかを探求します。意識を持つシステムにおける情報の統合度や複雑性を測定し、意識の数理モデルを構築します。
情報の流れと因果関係をモデル化することで、因果推論の基礎を強化します。因果グラフや構造方程式モデルを用いて、情報がどのように因果効果を媒介するかを分析します。
量子情報理論を適用し、量子ビットや量子もつれをこのモデルに組み込みます。これにより、量子コンピューティングや量子通信の情報理論的基盤を深化させることができます。
情報の伝播モデル(例:SIRモデル)やネットワーク分析を用いて、情報が社会においてどのように拡散し、影響を与えるかを研究します。フェイクニュースの拡散防止や情報操作の検出など、実社会の課題に応用できます。
自己言及のパラドックス(例:「この文は偽である」)を扱うために、論理体系に階層構造を導入し、パラドックスを回避する方法があります。型理論やモーダル論理を適用することで、情報に関するパラドックスを形式的に解析できます。
すべての情報が計算可能であるわけではなく、計算不可能な問題(例:停止性問題)に対応する情報も存在します。アルゴリズム情報理論を用いて、情報の計算複雑性や計算可能性を評価することが重要です。
情報が物理法則によって制約される一方で、物理法則自体が情報によって記述されるという視点もあります。例えば、デジタル物理学では、宇宙を情報処理システムとしてモデル化します。このアプローチにより、情報と物理現象の双方向の関係を探求できます。
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何となくのイメージでホワイトだブラックだと決めつけても、いざ実態を見てみれば真逆の結果が待っていることだって多い。
それに対して外野があーだこーだと「アソコはきっとブラックに違いない」「前に知り合いがホワイトだったと言っている」なんて噂話程度の情報で踊らされることに意味なんてないよ。
数日前まで違ったのが、ちょっとした事で方針が変わってホワイト一色ブラック一色になることだってあるんだから。
ましてやパンティー業界全体を一括りにしてブラックだホワイトだと決めつけるのは無意味だ。
そもそも白だ黒だの二元論で語るにはあまりにも多種多様なんだから。
中には階層別に白と黒が入り混じっているものだってあるわけで、そういったパンティーに対して白か黒かの二択は無意味で灰色という表現さえ不適切だと思う。
低階層にスタジオ?とかジムとかあって子供の習い事とかもしてる都内のオフィスビル勤務なんだけど子供の習い事の送り迎えしてるのって祖母が多いんだな
この時間にそのビルで飯食ってるとその家族もいるんだが、おばあちゃんおばあちゃん言ってる子がほとんど
23時くらいになると小学低〜中のランドセル背負ってる子と父or母の家族が増える
超弦理論は、2次元の共形場理論を基礎としている。この理論は、以下の数学的要素で構成される:
1. 共形対称性: 2次元の世界面上で定義される場の理論で、局所的なスケール不変性を持つ。これは無限次元のビラソロ代数によって記述される。
[Lₘ, Lₙ] = (m - n)Lₘ₊ₙ + c/12 m(m² - 1)δₘ₊ₙ,₀
2. モジュライ空間: 弦の運動を記述する際、リーマン面のモジュライ空間が重要な役割を果たす。これは複素多様体の変形理論と密接に関連している。
3. カラビ・ヤウ多様体: 超対称性を保つためには、6次元の余剰次元がカラビ・ヤウ多様体の形をしている必要がある。これは複素3次元のケーラー多様体で、リッチ曲率テンソルが消えるという特徴を持つ。
Rᵢⱼ̄ = 0
M理論は11次元の超重力理論を基礎としており、以下の数学的要素が重要である:
1. 超多様体: 11次元の時空は超多様体として記述され、通常の座標に加えてグラスマン数値の座標を持つ。
2. E₈ × E₈ ゲージ群: ヘテロ型E₈理論との関連で、E₈ × E₈という例外型リー群が重要な役割を果たす。
3. G₂ホロノミー: M理論のコンパクト化において、7次元の内部空間がG₂ホロノミーを持つ多様体である必要がある。これは、7次元多様体上の3-形式ωが以下の条件を満たす場合である:
dω = d*ω = 0
数学的宇宙仮説の観点から、M理論と超弦理論は以下のように解釈できる:
1. 圏論的視点: これらの理論は、物理的実在を圏論的な言語で記述しようとする試みと見なせる。例えば、弦の世界面のカテゴリーと、それに対応する共形場理論のカテゴリーの間の対応関係が重要である。
2. 代数幾何学的構造: カラビ・ヤウ多様体や例外型リー群などの登場は、宇宙の根本的構造が代数幾何学的な性質を持つ可能性を示唆している。
3. 双対性: 様々な双対性(例:T双対性、S双対性、ミラー対称性)の存在は、異なる数学的記述が同じ物理的実在を表現可能であることを示唆し、プラトン的数学構造の多様性を示唆している。
4. 高次圏論: ブレーンの階層構造は、高次圏論的な記述と自然に対応する。n-カテゴリーの概念が、p-ブレーンの理論と密接に関連している。
5. 無限次元リー代数: 弦理論における無限次元対称性(例:カッツ・ムーディ代数)の出現は、宇宙の基本法則が無限次元の数学的構造に基づいている可能性を示唆している。
これらの理論が示唆する数学的構造の豊かさと複雑さは、数学的宇宙仮説が主張するような、宇宙の根本的な数学的性質を支持する証拠と解釈できる。
はてな界隈では大学進学、東京で正社員就職、が人生の既定路線として語られています。
しかし現実には大学進学率は60%、東京の昼間人口は日本全人口の13%に過ぎません。
社会の底辺を占める人々をはてな民が認識していないのは社会の階層化が進んだ結果でしょうか。
底辺層も日々普通に暮らし、納税し、選挙では一票を持っています。人生の夢や目標があります。家族がいて子供を育てています。
と、大上段で書きましたが、本音は奨学金をめぐる小泉進次郎氏や河野太郎氏の発言を聞いて底辺層が理解されていない現状・軽んじられている現状に苛立ち、一旦吐き出したい気持ちで書いておきます。
他の党首候補の皆さんも同じですが、奨学金を借りる層を最底辺と思われている節がありますが、その下には借りることを諦める層もいるという話です。
先祖は父方母方共に学がありません。
明治から大正にかけては博打打ち、物乞い、自転車修理などをしており、ホームレスもいたそうです。
昭和に入ると建設作業員、工場労働、トラックドライバーといった職業に就いていました。
戦災や仕事のために西日本を転々とする中で、1991年(平成3年)に中国地方の片田舎でわたしが生まれました。
通っていた公立小学校は治安が悪く、男子生徒が徒党を組んで女性教諭に暴行を働いていました。いじめも多く、暴行や、習字の墨を顔にかける、アルコールランプで服を燃やすといった事件が頻発しており、小3から小6は学級崩壊状態でした。
わたしはイジメが怖いのでなるべく不良に関わらないように逃げ回っていました。昼休みは校舎の裏の木陰に隠れていました。
小6の算数は教科書が半分くらいしか終わりませんでした。この傾向は中学まで続きました。
地域には公営団地が多く所得の低い世帯が多かったため、半袖半ズボンがトレードマークとなっている生徒はわたしの他にも数名いました。
学級崩壊が継続していました。不登校が学年の一割ほどにのぼっていました。
中2の頃に母が体を壊して働けなくなり、経済状況が一気に悪化しました。
1日3食食べられなくなったので、給食のパンを持ち帰り夕食にしていました。土日やパンがない日は近所のミスタードーナツのゴミ箱から廃棄のドーナツを拾って食べていました。
栄養不足のためか、朝礼や体育の授業で倒れることが頻繁でした。
父が電気部品組み立ての内職を持って帰ってくるので、毎晩手伝っていました。ノルマは1日500個で、2時間ほどかけて作ります。家電メーカーに納入されていたとのことなので、皆さんのご自宅のエアコン、冷蔵庫などにわたしが組み立てた部品が入っていたかもしれません。
同級生のあいだではワンピースやハンターハンターといった少年漫画、マリオカートやポケットモンスターといったテレビゲームが人気でしたが、わたしは33歳の現在に至るまで一度も触れたことがありません。
給食がなくなったためミスタードーナツのゴミ箱あさりが毎日のルーティンになりました。なぜミスタードーナツなのかというと、家が近いことと、完成状態で捨てられていたためすぐに食べられたからです。たまに廃棄を入手できなかった日は別の飲食店をあたるか夕食抜きです。
「大学」という施設があることを高校1年生のときに知りました。当時知っていた大学は東京大学、慶應大学の2校です。なぜ慶應かというと当時「学校へ行こう!」というテレビ番組でco-慶應という学生ラッパーが活躍していたためです。
わたし自身が大学に行くかは分かりませんでしたが、文系・理系の選択で文系コースを選びました。
高校2年に上がると学校で全国模試を受けることになりました。毎回全国で2500番〜3000番くらいにランクインし、成績優秀者の冊子に名前が載りました。
模試を受ける際には志望校を記載することになっています。そのときに初めて知ったのですが、大学というものは全国各地に数百校あるらしいと分かってきました。
担任の先生は大学進学を熱心に勧めてくれました。「もしかしたら東京大学や京都大学にさえ進めるかもしれない」…と。大学進学すべきかわたしは迷いました。
担任や、数学の先生、英語の先生が私を放課後に呼び出して、食べ物や飲み物をくれながら、大学進学するように勧めてくれました。
しかしわたしは大学進学しないことに決めました。理由は一点です。
ましてや、実はわたしは既に借金を背負っていました。貧乏で公立高校の学費を支払えないことから、親が銀行から毎月1万円借りており、計36万円を私が将来返済することになっていました。
加えて、担任が試算してくれたプランでは学費(減免の可能性あり)、実家を離れて暮らす生活費が合計毎月10万円ちかくにのぼり、本当にわたしが想像できない金額でした。
学費は減免の可能性がある、最低でも半額は狙えるだろうとか、大学進学により生涯所得がうんと大きくなるといったことを教えてくれました。しかし中学生の頃からミスタードーナツのゴミ箱をあさったり電気部品の内職をしているわたしにとっては現実感のない話です。
想像できないほどの金額を返済できるのか。大学進学したとして就職でつまづいたらどうなるのか。この展望を全く持てないために大学進学しないと決めたのでした。
大学進学しないことを決めると、担任の先生が表計算ソフトの教本を無料で与えてくれました。放課後に情報室のパソコンで練習しました。
高卒の就職活動はなぜか一社しか志望できないというルールが当時あり(現在も「一人一社制」という名前でルールが残っているようです)、わたしは地元の和菓子屋に接客・兼・事務として就職しました。1学年440名中就職は2名で、他438名は大学等への進学という比率の高さに驚いたことを覚えています。
その後父母が鬼籍に入ると、わたしは実家を離れていくつもの会社を転々としています。今では全く別の職業で生活しています。
身軽になった今、あのとき大学進学していれば違う人生があったのだろうかと想像することがあります。
わたしに借金を背負う覚悟がなかったといえばそれまでですが、やはり当時のわたしには覚悟は不可能だったと思います。未成年ができる決断ではない。
河野太郎氏は大学教育費を親負担ではなく本人負担に変えよと述べましたが、貧しい世帯は既に生活費も含めて全額本人負担です。むしろ本人が負担しきれないことが問題なのです。
小泉進次郎氏は必ずしも大学進学の必要はなく手に職を付けよと述べました。しかし転職の多いわたしが言うことでないかもしれませんが、手に職系の仕事も簡単ではありません。
大抵のひとは5年〜10年も同じ仕事を続ければ成長が止まります。しかも年齢を重ねると体に無理が出てきます。かといって独立して料理人が自分の店を経営するとか、建設作業員がひとり親方として営業していくには「手に職」と別種のスキルが必要となり、現場の人間のうちそれができる者は一握りです。
残された道は若手・外国人材・機械化との低賃金チキンレースです。
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各都道府県の「大学数(国立・私立・公立の合算)」で「各都道府県の10~14歳人口(2022年人口統計)」を割った値。
※調査の次の年齢階層が15~19歳で進路等でばらつくことから10~14歳の値を使用。あくまでも各地域の子どもの人口の目安。
人/校、この数字が小さいほど子どもは地元を離れずに大学に通うことができる。
逆に大きい場合は子どもの数に対して地元に大学数が少なく、大学に通うには他の都道府県に出ていく必要がある。
結果を見ると近隣の都道府県に吸収されている印象。
01 京都 3059 (34)
02 石川 3500 (14)
03 東京 3625 (144)
04 新潟 4045 (22)
05 岡山 4556 (18)
07 山梨 4714 (7)
08 秋田 4857 (7)
09 北海道 5378 (37)
14 福井 5667 (6)
15 広島 6000 (21)
16 山形 6143 (7)
18 愛知 6615 (52)
19 福岡 6686 (35)
21 兵庫 6800 (35)
22 宮城 6857 (14)
25 長崎 7250 (8)
26 滋賀 7556 (9)
27 和歌山 7600 (5)
32 熊本 9000 (9)
35 千葉 9704 (27)
36 大分 9800 (5)
46 島根 14500 (2)
47 佐賀 19500 (2)
1位と最下位で子どもの数に対して6倍ほど大学数に差があるので、
匿名サイト上のコミュニケーションシステムを、抽象的な非可換力学系として捉えます。この系を記述するため、von Neumann 代数 M 上の量子力学的フレームワークを採用します。
M を II_1 型因子とし、その上のトレース状態を τ とします。系の時間発展は、M 上の自己同型写像 α_t: M → M (t ∈ R) によって与えられるとします。この α_t は強連続な一径数自己同型群を成すと仮定します。
系のエントロピーを、Connes-Størmer エントロピーとして定義します:
h(α) = sup{h_τ(α,N) | N ⊂ M は有限次元von Neumann部分代数}
ここで、h_τ(α,N) は N に関する相対エントロピーレートです。
エントロピー最小化問題を、以下の変分問題として定式化します:
この問題に対するアプローチとして、非可換 Lp 空間の理論を用います。p ∈ [1,∞] に対し、Lp(M,τ) を M の非可換 Lp 空間とし、||x||_p = (τ(|x|^p))^(1/p) をそのノルムとします。
エントロピー汎関数の連続性を保証するため、超弱位相よりも強い位相を導入します。具体的には、L1(M,τ) と M の積位相を考えます。この位相に関して、エントロピー汎関数 h の下半連続性が成り立ちます。
次に、Tomita-Takesaki モジュラー理論を適用します。τ に付随するモジュラー自己同型群を σ_t とし、KMS 条件を満たす平衡状態を考察します。これにより、系の熱力学的性質とエントロピーの関係を明らかにします。
エントロピー最小化のための具体的な戦略として、非可換 Lp 空間上の勾配流を考えます。エントロピー汎関数 h の L2-勾配を ∇h とし、以下の発展方程式を導入します:
dα_t/dt = -∇h(α_t)
この方程式の解の存在と一意性を、非線形半群理論を用いて証明します。さらに、解の長時間挙動を分析し、エントロピー最小の状態への収束を示します。
系の構造をより詳細に理解するため、M の部分因子 N ⊂ M を考え、Jones の基本構成 M_1 = ⟨M,e_N⟩ を行います。ここで e_N は N 上への条件付き期待値の拡張です。この構成を繰り返すことで、Jones タワー
N ⊂ M ⊂ M_1 ⊂ M_2 ⊂ ...
を得ます。各段階でのエントロピーの変化を追跡することで、系の階層構造とエントロピー最小化の関係を明らかにします。
最後に、自由確率論の観点から系を分析します。M 内の自由独立な部分代数の族 {A_i} を考え、それらの自由積 *_i A_i を構成します。自由エントロピーを
χ(X_1,...,X_n) = lim_m→∞ (1/m) S(tr_m ⊗ τ)(p_m(X_1),...,p_m(X_n))
と定義し、ここで X_1,...,X_n ∈ M、p_m は m 次の行列代数への埋め込み、S は古典的エントロピーです。
この自由エントロピーを用いて、系の非可換性とエントロピー最小化の関係を探ります。特に、自由次元 δ(M) = n - χ(X_1,...,X_n) を計算し、これが系のエントロピー最小化能力の指標となることを示します。
以上のフレームワークにより、匿名サイト上のエントロピー最小化問題を、非可換確率論と作用素代数の言語で記述し、解析することが可能となります。
情報と存在の関係を数理化するために、高次圏論、ホモトピー型理論、および量子場の理論を統合した形式化を提案する。
まず、(∞,∞)-圏 C を考える。この圏の n-射は n 次元の情報構造を表現し、これらの間の高次の関係性を捉える。存在を表現するために、この (∞,∞)-圏上の (∞,∞)-シーフを考える。
(∞,∞)-シーフ F: C^op → (∞,∞)-Cat を定義し、これを「存在の超シーフ」と呼ぶ。ここで、(∞,∞)-Cat は (∞,∞)-圏の (∞,∞)-圏である。F(X) は対象 X に関連付けられた存在の可能性の (∞,∞)-圏を表す。
このシーフ F は以下の超層条件を満たす:
任意の対象 X と X 上の ∞-被覆 {U_i → X}_i に対して、以下の ∞-極限図式が (∞,∞)-圏の同値となる:
F(X) ≃ lim[∏_i F(U_i) ⇉ ∏_{i,j} F(U_i ×_X U_j) ⇛ ... ]
次に、ホモトピー型理論 (HoTT) の拡張として、∞-累積階層理論 (∞-CUT) を導入する。これにより、以下の型構成子を定義する:
さらに、高次 univalence 公理を採用し、以下を仮定する:
(A ≃^n B) ≃^(n+1) (A =^n B)
ここで、≃^n は n 次の同値関係を、=^n は n 次の同一性型を表す。
量子場理論の概念を取り入れるために、圏値場の理論を拡張し、(∞,∞)-圏値場 Φ: Bord^(∞,∞) → (∞,∞)-Cat を導入する。ここで、Bord^(∞,∞) は無限次元ボルディズム圏である。この場は以下の公理的場論の条件を満たす:
Φ(M ∐ N) ≃ Φ(M) ⊗ Φ(N)
Φ(∅) ≃ 1
Φ(M^op) ≃ Φ(M)^*
ここで、⊗ は (∞,∞)-圏の対称モノイダル構造を、* は双対を表す。
情報と存在の動的な相互作用を捉えるために、導来高次代数の概念を用いる。C の導来 (∞,∞)-圏 D(C) を考え、F の導来関手 LF: D(C)^op → D((∞,∞)-Cat) を定義する。情報の流れに沿った存在の進化は、以下の超越的余極限として表現される:
hocolim^∞_i LF(X_i)
最後に、情報と存在の根源的な関係を捉えるために、トポス理論を無限次元に拡張した ∞-トポスの概念を導入する。∞-トポス E = Sh^∞(C) 内で、存在を表す対象 Ω^∞ を定義し、これを無限次元部分対象分類子とする。
気づいたら伸びてた、ありがたい。
店の名前言った方がいい→これは何人か推測されてる通りKOZO、ありがとうKOZO。
金に糸目をつけない美食か→決してそこまで敷居は高くない。食べログに値段出てたけどソシャゲのガチャ20連と同じ程度なので庶民にも十分手が出る。何に価値を感じるかってあると思うけどこれは本気でいい体験だった。
ステマとかではない。よっしゃ再訪のチャンス!とか思っていたらお店が閉店になっていてショックを受けた。
なんなら親の還暦祝いを絶対そこでしたかったぐらいの勢いだし親が死ぬまでには、いや自分が死ぬまでにもう一度あの店(シェフ)の料理を食べておきたいと思った。
辞めた理由ってのもあるだろうけど正直有名店の半額以下だしコスパ良すぎて儲からないなら倍払っていいまであるからもう一度店出してという、中毒患者の呻きみたいなものだと思ってほしい。
京都にあるガストロノミーのお店。分類がこれであってるかはわからんけど一見これ食べるの……みたいな騙し絵的な料理が出てきたらだいたいこう言ってる。
同僚とランチをしに行った。値段は安くはなかったのだが、この食事、いや、体験に比べると絶対に安い。繰り返すようだが別の店で倍払ってもなかなかこうはならない。ならなかった。ガチでオモコロの「味でめちゃくちゃになりたい」ができる店だった。
まず前菜ではなく、いきなりフィンガーフードとよばれる小さなおつまみみたいなものがやってきた。この時点では我々はシェフの力量を知らず、一気に不安になってざわついた。だってあんまりにも小さいんだもん。小さい、ホタテとトマトソースがのったタルト。こんなの一瞬でなくなっちゃうよ……そう思いながらとりあえず食べる。
──凄まじいとしか言えなかった。最初は普通にホタテの旨み溢れる味わいだったのが、次の瞬間ドライポモドーロの奥行きのあるソースが支配的になる。最後はタルトをかたちづくる良質な小麦粉の素朴でいて贅沢な味わい。こんなに小さいのに、こんなに激変する。これはボヘミアンラプソディと同じぐらいの変わりっぷりでいて、そして同じぐらいのまとまりだ。
「なんか、ディズニーランドに行った記憶とか、パレードみたいな味がする。すごくないですか?」同僚はそう表現した。語彙を失って壊れたように「おいしい、これおいしいよ!」と繰り返す自分とは大違い。たしかにこれは極小のディズニーランドであり、エレクトリカルパレードであると首を縦に振った。ふたりして若干何かを吸った後の人みたいになっているが何も吸わずにこれはひたすらすごいことである、経済的なうえに健康的だ。
次に来たのは本日のお目当て、「盆栽」である。といっても全てが食材で作られたミニ盆栽である。フォアグラの入ったなめらかなマッシュポテトの土に、青のりの苔がむしている。ディルなどのハーブを飾ると大自然の植生があらわれ、そこに黒白の米で枯山水が設えられている。
はっきり言ってこれは普通に盆栽の見た目である。レストランよりホームセンター、いや、オシャレ花屋さんあたりにお還りとでも言いたくなるぐらいだ。ただし、さっきのディズニーパレードのおかげでこのシェフに絶対的な信頼感が生まれていたわれわれは臆することなく土や石にスコップを入れて、自分の口に放り込んだ。
「石!おいしい石!すごい!」人生で石が美味いなんてなかなか出る言葉ではないだろうが、だって石がおいしいのだから仕方がない。フォアグラポテトの土はひたすらなめらかで濃厚で、そこに海苔とハーブで味の奥行きが作り出されている。さらに、枯山水の米がパリパリプチプチと舌触りのアクセントを生み出している。こんな佇まいなのになにも難しいことはない、「無限に食えるやつ」なのだ。こんなことならミニではなくノーマルサイズの盆栽で良かったのに……あっという間に盆栽は消えてなくなってしまった。
ここまででじゅうぶん楽しかったのに、ようやく前菜がお出ましになる。蛤と椎茸に出汁ジュレが乗って菊の花びらが散らされている。今までとは違ってハッキリと高くて美味い見た目である。そして──この一皿は見た目に違わぬ高いパフォーマンスを見せてきた。
まず一口食べてみる。ぷりぷりで柔らかな蛤が爽やかなジュレで包まれてもう大好き。そのままのテンションで奥に進む。スモーキーな椎茸としゃっきりと野菜が口の中で主張する。
次、次と進むとどこかからぷちぷちとした食感が弾けて、柑橘のシャキッとした引き締めに行き当たる。計算されつくした絶えず移り変わるその味わいは、ただの層のある料理とは違う。不思議のダンジョンの階層ぐらい全然違う。もうダンジョン飯だし私のためのパーティー開かれてる。最高。未知の階層への好奇心のままに食べ進めると、あっという間になくなってしまった。かなしい。
そしてメインの肉料理。皿に配置された料理とソースがまるで絵画に見えてしまう。赤蕪のほろ苦さや素揚げされた蓮根の歯触り、そしてもう一度出会えた無限マッシュポテト。今度はチーズ風味でさらに止まらない度がアップして帰って来てくれた。かなり嬉しい再会だ。同僚とうわごとのように「無限に食える〜」と繰り返してしまった。
しかし肉料理の話だから肉の話をせねばなるまい。肉は鴨肉のローストで、みるからに食欲をそそる茶褐色のきのこのソースがかかっている。
肉を食べると、鴨の味と並走するかのようにはっきりと存在するはずのないクレームブリュレの味がした。何を言ってるのかわからねーと思うが、何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……。
存在しないその味の記憶にたじろぎながら控えめに同僚に「これ、クレームブリュレの味しません……?」と言ってみるとすかさず「思いました!」と返事があり安堵した。いや、集団でスタンド攻撃や呪術をうけていたなら安心して良くはない。ただしっかり破綻せずに美味いので幸せならオッケーである。
出てきたものの半分も紹介できていないが、しっかりとボリュームがあり、はっきり全てが美味しかったし、それ以上に驚きと楽しさがあった。正直なところガストロノミーに半信半疑だったものの、こんだけパレードで不思議のダンジョンでスタンドの気配まで感じられて、十分に味でめちゃくちゃになれてほんとうに行って良かった店だった。
叶うならもう一度再訪したい。叶わなければそれでも一生に1番レベルで美味しかったとシェフに伝えたい。こんなところに書いて伝わるかは知らんけど……。
社会的底辺、経済的底辺、どちらと表現しても良いが、俺は田舎の貧乏な農村に生まれた。決して恵まれた生い立ちではなかった。
しかしとある才能が開花し(たかどうかは怪しいが日本人の平均よりかなり上の年収である)、中間層と呼ばれるグループに入ることができた。
ここで問題なのが、もはや俺は自分の経験を気軽に話せないという点だ。なぜなら攻撃されたり嫉妬されたりするからだ。
付き合う人間や活動する場所を選べというサインなのか。こんなことは底辺にいるうちは考えないでも良かった。誰とでも何でも話して良いと思っていたし実際に許された。
でももう許されない。俺の状況を話せばそれだけで貧者の尊厳を傷つけるし、考え方も生き方も全く理解されない。
社会的な階層がピラミッド状に図式されるとしたら、世界が狭まった感覚だ。
俺は金や地位を手に入れてもまだどこかで精神的に底辺だ。だからもう関わってはいけない人に関わって余計な軋轢を生んでいる。