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2018-04-18

「絵が描ける呪縛」を書いたその後

https://anond.hatelabo.jp/20171017221010 を書いた者です。様々なアドバイス意見ありがとうございました。

その後、精神身体を壊し退職することになりました。今も心療内科に通い、メンタル身体を治す日々を過ごしています

ようやくペンを握られる程度には回復ができ、絵を描くことが生活の中心になっているような、ベッドで寝ていることが多いような日々です。

体調が元に戻ってきたら絵画教室に通い、基礎を習うところから始めようかと思いつつ(ずっと今まで自己流だったので)、絵を描いてます

オンライン活動ではイラスト絵がRTが1000を超えたり、ファボが7000を超えたりすることが多くなり、成長を感じています

オフライン活動では(二次創作ですが)50部、70部、100部と買ってくださる方が増えていっている状況です。漫画技術PDCAサイクルを回しながらやっているおかげか、徐々に上がっているように思えます。ですので、そろそろ二次創作だけでなくオリジナル漫画を書き始めツイッターで反応を見ながら、どのような作品がウケて自分作風と合わせることができるのか考えつつオリジナル漫画を描いていこうという段階です。頑張ります

しばらくはお金があるので健康第一に。その後はフリーターをしながら。3年以内に芽が出なかったら諦める。そんな感じで死なないように頑張っていきます

2018-04-14

anond:20180414171241

ちょっと簡単に書きすぎだけど、そういうこと。

実際に曲やダンス絵画を用意するより言葉説明する方が自由度高いよね、ってことね。

言葉での説明だって拙い説明じゃ説得力欠けるってのはわかるけど、自由度は明らかに実写より高いわけで。

実写映画にもCGがわかりづらい形でかなり浸食してるのをみると、純粋実写なコンテンツってやっぱ辛いんすねぇ、と思うわけ。

2018-04-01

anond:20180401223048

新たな出会いが欲しい人は、自分から世間に対して情報発信する立場になれば良い。

集まったお客さんが、自分ファンになる。

 

特に特技がなければ、期間限定ボランティア活動お勧めだ。

ボランティアには、質の良い人が集まっているだろう。釣りスポットと同じで、自分の良いと思う人たちがどこにいるのか?考えてみよう。

2018-03-30

俺の父親しょうもない人間の屑。

俺の父親しょうもない人間の屑。

まず職業しょうもない定義的には職にはついておらず、ただ日がな一日パチンコをして、なにかあったら“事務所”に寄って、夜には負けて怒って家に帰ってくる。

それで30万円もらっていたらしい。ヤ○ザってすげえな。


次に子育てしょうもない基本的になんでも放置するくせに殴る蹴るだけはしっかりやる。

それで骨折して医者に行けば、後ろで「階段で転んだんだよな?」と俺に言ってくる。首肯した。

なにをしても褒めない。絵画コンクールで1番になっても褒めない。

その後入賞常連になったけれど「1番じゃないからなあ」とか言ってついぞ褒められたことがなかった。

でも罰だけは与える。サディズムがすげえな。


性格しょうもない。あれをしてやった、これをしてやったばかりで「してやれなかった」「してしまった」ことを一度も口にしたことがない。

謝罪をしない。小さい頃電気屋で店頭デモパソコンを夢中になって遊んでいると、父親が切れてしま店員を殴って怒鳴り散らしていた。

お兄さんは鼻血を出しながら怯えきっていた。屑。すげえな。


考え方がしょうもない。俺が精神病気になってもそれを認めようとしなかった。

から見るとただの怠け者らしいので、これで治るはずだと整体だの電気治療だの行かされた。

俺は今も障害者手帳を持っている。顧みなさすげえな。




俺の父親は本当にしょうもない職業が本当にしょうもない

抗争になって“指定”になって、家にいると俺達兄妹も殺されかねないから1週間に一度しか帰ってこなくなった。

1週間に一度、いつ殺されるかわからないのにきっちり家に帰ってきて、お金と1週間分の食べ物を置いていく。

ワケは何も言わない。俺はそれをいいことに学校サボり夜更かしして笑っていた。すげえな。

俺達が県外へ出ることを望んでいた。自分の評判が悪すぎるからということらしい。

自分の子どもだと知られない方がこの子たちのため”だと思っていたようだ。すげえな。


子育てが本当にしょうもない。欲しいと口に出して言えば、どんなに家計が苦しくてもきちんと買ってくれた。

なにかしても謝りさえすれば一応許してくれた。

風呂場で、妹とふざけて溺れたふりをして「助けてー」と叫んでいたら血相を変えて駆けてきた。

なんでも自由やらせてくれた。すげえな。

裁判親権は父に移った。

母親は俺達を育児放棄していて、保育園先生から見ても「お父さんに育てられなかったらあなたたちは死んでいた」らしい。

ヤ○ザになったくらいだから自分だって碌な育てられ方をしていなかったくせに、知りもしない無理した男手一つの育て方で今俺は27歳になっている。

「この子たちには母親がいないから、その分、物くらいは」と無理をして色んなものを買ってくれた。美味いものをたくさん食べさせてくれた。

それもあってか、今では自身が惨めな暮らしをしている。すげえな。


性格が本当にしょうもない

今は自分だってお金なんてないのに、何も言わず家出して関東に行った馬鹿息子が「生活が苦しい」と言えばお金を送ってくれた。

精神おかしくなった俺が「死ぬから探すな」と書き置きすれば、あらゆる方面に連絡して探してくれた。

から家出をしたら絶対に探して、見つけて家に帰した。すげえな。

いつも俺に彼女ができないか聞いてくる。お前は痩せればモテるぞと笑う。

妹が結婚したとき、式場で泣いていた。家でも泣いていた。

妹が癌になって死ぬかもしれないときには、どんなに金がかかっても治せる先生を見つけて付きっきりで看病していた。

俺が難聴になってしまったときも、県で唯一治せる病院に入れてくれた。

精神病も知識なんてないくせに方々に相談して一番定評のある病院に入れた。すげえな。

ヤ○ザである自分長生きしていることに罪悪感と疑問を感じている。

「あそこの○○さんはきちんと働いて真面目だったのに亡くなって、俺がまだ生きていて……」と最近よくこぼす。

抗争で仲間内は皆死んでしまって、自分けが生きていることが虚しいらしい。すげえな。


考え方が本当にしょうもない生活費だけは絶対に取っておいた。

今でも浪費癖が激しい俺に貯蓄の重要性と効果的な資金の分け方を毎回教えてくれる。

どら息子は何度聞いても実行しない。すげえな。

今頃になって“自分が何をしてもらっていたか”にようやく考えが至った阿呆息子が仕送りやらを持って行くとお礼を言ってくれる。

俺はしてくれるのが当たり前だとありがとうなんて言ったことがないのに。すげえな。

いつ死んでもおかしくないと思っているらしい。もう72歳になる。

身体も弱って思考も鈍って、それでようやく自分の胸の内やなぜ昔そうしたのかを話してくれるようになった。

これを書いていて、そういえば、という風にしてもらったことが湯水のように湧いてきた。涙がとまらない。すげえな。


息子がしょうもない。本当にしょうもない

自分のことしか考えておらず、いつまでもから何をされただのしてもらえなかっただの不満に思っていた。

何をしてあげられるかを考えていない。

世間で言う毒親自分父親もピッタリ当てはまると、一致する部分だけをことさらあげつらっていた。

一体どれだけのことをしてもらったのか考えていない。あとどれだけ話ができるのかわかっていない。

息子は掛け値なししょうもない


俺の父親しょうもない。実にしょうもない

俺にできる復讐は、父の残る余生をしょうもなく平和に静かに、奴の領分であるしょうもない争いとは無縁の生活にさせてしょうもない退屈のまま過ごさせることだと思う。

なんだかんだ実家を訪れたら2時間ぐらい話して帰る。しょうもない

未だに俺を心配している。しょうもない。笑って話してるがそいつは裏ではあんたの悪口を山ほど言いまくっていた人間の屑なんだぞ。

しょうもない。騙されやがって。

騙されたまま笑って余生を送れ。震えて眠れ。しょうもない

2018-03-23

歴史はなぜ繰り返すのか」疑問な君へ

俺も同じように疑問だったんだけど数年前やっと気づいたので、

もし君も同じ疑問を持ってたら助けようと思う。

 

結論から言うと、人間死ぬから

 

人間基本的性質、この場合脳の仕組みとか心の仕組みとかは変わらない。

人間には集合的無意識存在することを証明した有名な実験として、

ブーバ/キキ効果、Bouba/kiki実験というものがある。

これは色んな社会、年齢性別ときには他と交流のない未開の地域にて

丸い曲線とギザギザの直線とからなる2つの図形を見せた後に

「どちらがブーバで、どちらがキキか」と問うたところ、

98%で「曲線図形がブーバで、ギザギザ図形がキキだ」と答えが返ってきた。

これはいかなる言語体系でもブーバが丸い曲線図形で、キキがギザギザ曲線をイメージした解答が得られた。

 

まり人間の持つ、ハードウェアとしての性能は人種文化わず、実は一様にして同じなのだ

この状態有史以来、いや有史以前からずっと続いている。

そうすると当たり前の話だが歴史の中で同じような状況に同じ性質を持つハードウェアが置かれた場合

本人が意図せずとも歴史において過去あったことと同じことをなぞろうとしてしまうのだ。

何故なら、それが人間にとって最も自然な反応だからだ。

 

からこその「愚者経験から学び、賢者歴史から学ぶ」のだ。

歴史人間ハードウェアが引き起こす問題や失敗を既に体験している。

自分が歩いた道が誰のものでもないと思うのは幻想であり、実際は似たような、まるで同じ体験歴史は既に繰り返している。

からこそ多くの歴史を学ばない者たちは、過去歴史と同じ失敗を繰り返す。

心の未解明問題について脳という器官の特性についてのハードウェア問題物理現象確認できない意識についてのソフトウェア問題と分けられるが、

俺は人間寿命による経験という蓄積の消失人間ハードウェア問題と呼んでいる。

でも人間進歩してきてるのではないか、と君は反論したくなるだろう。

進歩しているのは人間ではない。

先ほど述べたように、人間ハードウェアとして経験性質を引き継ぐことができない。

いくらDNAに多くの情報記載することができたとしても経験を産まれ子ども転移させることはできない。

ところがソフトウェアである学問、つまりテクノロジー人間ハードウェア問題を超えて引き継ぐことができる。

そう。

人間文字発明したときから他の生物と全く別の道を歩み出す。

ソフトウェアとしてのテクノロジーは後世に伝え続けることができ、寿命がなく、永遠に進化し続けることができる。

文字として理論技術は残され、誰もがそれを参照・学習することができる。

誤りがあれば訂正され、さら合理的効率的革新的理論により進化を進める。

人間は既に生物的な進化を終えていて、進化テクノロジーに引き継がれた。

人間にとっての子孫とは、テクノロジー進化させるための、ただの薪に過ぎない。

 

からこそ、福沢諭吉勉強しろ、と言ったのだ。

人類の英知はまさに、テクノロジーのものを言う。

芸術もまた学問ではあるが人間集合的無意識において働きかけるものであるため、

時代を変えて同じような音楽絵画が溢れてしまうのは当然のことと言える。

コンテンツの発展は既に新しい感性の発達よりも

テクノロジーによる補助なしでは達成されないものとなってきた。

これも人間の心というハードウェア自体進化していない証左である

 

結論に戻るが、

人間は死を持ってして、経験という名のハードウェアとしての蓄積を終了させる。

歴史を学ばないもの人間集合的無意識に沿ったいつかの時代の誰かの失敗を繰り返す。

そのため歴史を学ばないものが大多数の社会は、また同じ過ちを繰り返す。

唯一、人間進化を代行してきたテクノロジーのみ、過ちを繰り返さず前に進むことが許された。

人間文字発明し、進化委託した瞬間から人間生物進化をしておらず、

故に歴史必然的に繰り返されるものとして記録され続けている。

 

しかし成長・進化しない人類という種によってテクノロジー自体妨害なしに進化し続けてきたとは言い難い。

またどれだけ優秀な頭脳を持つものが現れても死ねばそこでおしまいだ。

からこそ、AIシンギュラリティを引き起こすと信じられている。

人間ハードウェアとしての進化が終了し、テクノロジーは新しい依り代を求めている。

死なず、忘れず、疲れず、天才を超える頭脳を持つ。

テクノロジーは新たな考案者として、考えるAIを求めているのである

anond:20180323013003

一応、仮定の下での言及になると但し書きする。

池永、野口を買わないのは何故か? に対する俺の美人画云々~への言及だとして、だ。(そう考えないと話が噛み合わない)


その上で、

>高尚とか低俗なんて言ってない、単純に永く続くものリスペクトしなくて、すぐに廃れるものオタクは消費するのに違和感がある、その理由を教えて欲しい。

 でいいんだな?

他の言及と、それに納得している意見もあるが俺の意見は違う。少し長いけどじっくり読んでくれ。

まず一言でいえば「そういう風に報道されてるのを信じてる奴が多いから」だ。

 反論ではなく、違和感説明の為に必要なんだが、どうして骨董品収集家骨董品オタクと言わないんだ? そう言っちゃいけない決まりがあるのか?

報道されてないだけで昭和30年、40年代アニメ特撮好きな人はたくさんいるし、そういうのが好きだからって美術品をDisるオタクは非常に少ない。

 寧ろ、絵師に至っては尊敬する画家や好きな絵画が少ない人間の方が少ないかもしれない。

ゲーム制作では今は関わる人間がとても多くなったせいもあるだろうけど、オペラ美術古典音楽芸能に通じてる人も大勢いて、よく見ればそういう影響は至る所にある。

 あまり語らないし、語られないのは単純に言うと反発が大きくて面倒だからだ。

「そんなゲーム古典を比べるな」

 って言う人が多いからね。

にも関わらず、どうして豚のように与えられた消費コンテンツだけを食い漁って古い物を尊敬しないように感じるか、ってのは"感じ方が間違ってる"んだよ。

 だってオタクが古い物を馬鹿にしてるの見た事ないだろう? 尊敬してないんじゃなくて、馬鹿にされるから語る奴が少ないだけなんだ。

それに加えてネットでは流行の新しいもの話題にした方が人気が出るから、新しいコンテンツを語る若い人の方が多いし、目立つんだ。ステマもあるかもしれないけどね。

 そして更に、テレビ新聞では権威を保つためにそう新しいものには触れ辛い。

ここでは省くけどオタク軽蔑した書き方にならざるを得ない理由があって、「馬鹿バカものばっかり追ってる」*ように報道するんだ。

 そうするとどうなるか?

今のところ、過半数かそれに近い人の目にしている新聞テレビでは古典リスペクトされているのが目につき、そういう場所Disられてるオタクネット発言する事が増え、更に話題になって欲しいから新しいものは語るけど、バカにされるから古典には触れない、って事になるだろう? すごく分かりやすいじゃないか


 まだまだ他の要因はあるし語りたい部分もあるけどやめとくよ。

音楽で例えるとこんな感じだな。

HipHopのMCってなんでクソ左翼反体制のヤク中ばっかなの?」

みてーなw

流行りのlyricばっか消費してんのにballadeとかvillanelleやらねーし、John DonneもAndrew Marvellも語らないとか違和感あんだけど?」

ってな。

 俺が書いてる時点でのもう一つの言及も、真理ではあるんだぜ?

要は「オタク以外の奴の承認欲求オタクがうるせぇから満たされない」*って言ってるっぽいけどな。

 もし仮に詩をやるんだったら、自分の感じ方もたまには疑ってみるのも大切だぜ? …よけいなお世話かもしれないけどな。


 * *

2018-03-21

anond:20180321104808

学校における教科の分類は、学問芸術の分類に従って作成されている。

芸術的科目を統合すると……

総合芸術になる。音楽絵画建築舞踊など複数の分野の芸術の混交によって創造される一つの統一的な芸術

系統だって教授するには、分野別に分けておくのが合理的である

総合学習総合的な学習時間で失敗した前例がある。

2018-03-18

プログラミング歴とプログラミング能力ほとんど関係無い件について

ほとんどの人はもう既に気付いていると思うけど、あえてこの表題言及している人はあまり多くないんじゃないかと思ったので書く。炎上したら💩なのでここに書く。

結論から言うと、プログラミングを何年やったかプログラミング能力はこのぐらいと言うことは絶対にできない!

これは何もIT業界だけでなく他の分野でもそうだ。たとえば野球とか絵画かにも言えることで、ただ年数を重ねればいいってわけではない。勘違いしてほしくないのは、他の業種ではただ年数を重ねればいいといっているわけではない。

コンビニだったら始めはレジ打ちから入るだろうが、だんだん品出し、他者とうまく調整できv、何が売れるか・何が利益率を叩き出すかを把握し、接客態度は絶えず磨き……というように、能動的にスキルを身につけるなければあっという間に「経験した年数」などというものは何の武器にもならないであろう。(「やっても給料変わんない」とかそういうのは抜きにしても)

IT業界でもこれが言えるのだ。

その証

個人的経験によるサンプルしか無いが、ぼくの経験上では年数が高ければ高いほどいいと思ったことは全くない。もちろん2ヶ月の新人と5年目の人での比較はなかなか難しいが、情熱ある新人プログラマ半年で5年目を追い越すなどということはありふれた話だ。あたか大人小学生中学生さらっと数学英語能力で負けるように負ける。

残念ながらしっかりした実証などはないので、周りの環境がそうではない場合は納得できないかもしれないが、以下は明らかであろう。

経験年数とは時間であり、重要なのは時間を代入すると成長度合を求められる関数(ここではFとする)の違いである。(F: time -> ability)

Fの方が大事理由も明らかだ。timeケチをつけようとする例外を除けば誰にとっても同じであり、おもしろくもなんともない。

Fの次元が違う場合は、能力次元文字通り違う。そのため、かなり重要だ。

プログラミング歴が増えることは恥だと思いたい

プログラミング歴2年だからこんなことを知っている」と周りから評価されるというのは、要は「プログラミング2年生」だということだ。これははっきり言って侮辱である。2年プログラミングをやったから知っているんじゃなくて、2年の間で勉強したことたまたま別の箇所で出現したということだ。決して2年やったからではない。2年の間に獲得したスキルがいっぱいあるからだ。2年は重要じゃない。どれだけやったかだ。2年という期間それ自体は全く重要ではない!

プログラミング歴2年なのにそんなことまでできるのか」というのが真の評価なのだ

これはまあまあ高い評価である。「プログラミングを始めてまだ半年なのにそんなことできるのか」という評価はより容易く得られる。年数を重ねれば重ねるほどこの評価に達するのは難しくなる。したがって「プログラミング10年なのにそんなことまでできるのか」という評価ほとんど得られない。ほとんどの場合、「10年やってるからできるんだな」とか、ひどい場合10年やってるのにこんなこともできない」という評価になる。

これもある種、年数というもの全然重要じゃないとみなされている証左であろう。みんな知らず知らずのうちに周囲の人々の経験年数と能力とでおのおの相関図を作り上げて、標準偏差をなんとなく作り出して、「45歳……クソコード……チーン!こいつは偏差値37!落第!死刑!」みたいなことをやってるんだろう。

プログラミングも慣れてくると、特に新しいことを勉強しなくてもなんとなくできるようになってきはじめる。これが危険シグナルだm

謙虚でありたい

自分プログラミング歴が長いのに、HTTPSの仕組みもTCPの仕組みも詳しく知らず、JavaScriptもまともに書けず、WebAssemblyは全く知らないし、RDBのことは知らないし、もちろんRDB以外のDBちんぷんかんぷんで、デスクトップアプリは作ったことがない、サーバサイドはRailsしか知らない。Railsがどう作られているかも知らない、gitの触りぐらいしか知らない、AWSGCP全然使いこなせない、公開鍵暗号方式もよく知らないし、アルゴリズム簡単ものしかからない。デザインパターン勉強してないし、関数型言語もわからないし、C言語全然読めない、アセンブリはやろうと思ったことすらない、正規表現も複雑なものはいまいちわからないし、機械学習はわからないし、そもそも数学不安で、AndroidアプリiOSアプリもまともなものリリースしたことがなく、エディタは人が作ってくれたプラグインをただインストールするだけで、英語ほとんどできず、セキュリティに関してはザルもいいとこ」

のように自分を見直すべきである。もちろんほとんどの人はそうしているとは思う。そもそも自分プログラミング歴が長いのに」という部分はもはや要らないだろう。

あとはただ穿つだけである能力は、どれだけ、何を、どうやったかとの方と強い相関を持つ。能力とは現在状態であるのだから、強い相関を持つのは最最もである

結論

少年老い易く学成り難しである

一刻も早く「プログラミング歴」でなんとなくの判定するのをやめて、プログラミング歴1秒の人に対しても、プログラミング1000年の人に対しても、そのFを見るようにし、自分はとっとと次元を越えて昇華したいものである

結局、「いっぱいやればいっぱい成長する」という自明結論自体は変わらないんだが(高)

2018-03-17

もし自分子どもがいたら、してあげたかった話や、読んであげたかった絵本、一緒に行きたかった場所や見せたかった景色、一緒に食べたかったもの、一緒に聴きたかった音楽絵画小説漫画映画芝居アニメゲーム

学生の頃から折に触れて書き留めたものが日々増えていく一方だったが、肝心の子どもには、ついに会えなかった。

しかし同時に、きっとこれは親のエゴというやつで、子ども視点から見るとうっとうしい押し付け以外の何ものでもなかったのだろうとも思う。

「ごっこ」ばかりの人生だった。

2018-03-16

障害者が作った絵画などの作品」をアウトサイダー・アートと称して展示するのは、社会に入れてあげるつもりのない自治体の強い意志を感じる

2018-03-10

文系学生愚痴

からバイトはどう?」とラインが来た。「どうしても合わなくてやめた」と返したら「どう合わなかったの?」と質問が帰って来た。

3日後くらいに「こんなのがあるから一応覚えておくといいよ」と地元で開催される来年度の卒業予定者向けの就職説明会広告画像が送られてきた。私の卒業は最速でも再来年度なんだけどな。

その2日後くらいに「今N○Kでやってる番組見てみたら」とまたラインが来たのでテレビを点けた。就活生向けの番組だった。中途半端タイミングで点けたせいで内容がよく分からなかったのですぐに消した。

私が兄弟の中で1番頭が悪くて不真面目で、バイトもすぐ辞めてしまうような根性無しで、大学学部専門性がなくてこのままだと就活に困りそうだから心配してくれているのだろうけど正直追い立てられている気分にしかなれない。というか今更心配サポートしてます感出すのはやめて欲しい。私が高3の時にデザイン系の専門学校に行きたいと言った時に鼻で笑ったこと、一生忘れません。

はいえ本当はもう動かないといけないのかもしれないけど、人によって言ってることが様々でよく分からない。就活っていつから本格的に動くものなのか。コミュ障でブスで要領の悪い人間でも就職先が見つかるのか。ちなみに文系学部の2年。

来週帰省する予定だけど、資格が、就職が、と色々言われると思う。ああ帰りたくない。大学やめて専門学校入り直したいって言ったらどんな顔するかな。

追記

独り言のつもりだったからやりたい事に関してはだいぶアバウトに書いたけど、少なくとも絵(イラスト絵画)ではないです。とりあえず経験作品必要なんだろうと思うのでほぼ知識皆無だけど頑張ってみる。言及ありがとうございます。なんかスッキリしたしやる気が出ました。

2018-03-09

anond:20180309162041

洋楽だと、歌詞がわかんないままきいてて、

歌詞の内容がびっくりだったとき、ショック受けるので

一応調べたいなーとは思います。というか慎重になっちゃう。

増田さんは英語などの外国語、ご堪能なのですか?

日本語だと、ただ情景をうかべてふわっとした曖昧気持ちで、

絵画などを鑑賞するようなイメージで聴いていても、

歌詞ダイレクトに入るので、

集中したい考えごとの時や、読書などの時はBGMに向かないこともあります

2018-02-28

小説ではエグい描写はできない

文章からできるグロ表現って何も無いと思うんだ。映像絵画にある見た目のインパクト訴求力小説には無い。ましてやVRには絶対に敵わない。読み飛ばせば、それでおしまい小説がかき立てられる想像力にはおのずと限界がある。

2018-02-26

anond:20180225230748

ダリフラ、いいよね。

テレビアニメに求めるものは人それぞれ、色々あってしかるべきだと思うよね。おれは絵画が好きだし、絵が(写真でなく)動いてるだけでアーンイイネーと思っちゃう人間で、ダリフラは完全にいいね。画面は美しいし、002はかわいいよね。

6話はよかったよね。016は326かに「乗せられてただけ」「002は独りで戦える」とかって意地悪言われてて、真に受けてたんだよね。016は326の実力を認めてたし、その326が002に使い捨てにされて、やっぱり002は独りで戦えるんだ、どうせオレも使い捨てかと捨てバチになってたと思うのよね。でもホントの死に直面してみて、002にもパートナー必要だってわかったんだよね。だから死ねない、死たくないと思ったんだよね。落ちこぼれと言われ続けてた016が、久々に?自分を認められたんだよね。ちょっと016の心が強すぎる気もするけど、あんまりクヨクヨしてると碇君になっちゃうからね・・・。

SFとしてもいいなあと思うんだよね。最初スタニスワフ・レム砂漠惑星のことだと思ったね。自律進化したロボットが滅ぼした惑星で、生命の力強さを見いだすという話ね。叫竜は人工物っぽいデザインだし、マグマエネルギー採取するためのロボットなのかなあとか妄想できるね。ターミネーターかよ!そういう世界だとしたら、新開発のフランク搭乗員カスみたいな存在で泣けてくるね。今後の展開が楽しみだね。単に生命が散っていくだけじゃないといいなあ。

要するに、眼鏡が大好きです!

2018-02-19

巨乳選手権

19世紀以前の絵画彫刻などで、それなりに写実的もの巨乳ものっていうとどういのがあるかな

ザベル二世あたりはけっこうでかい気がする。

https://goo.gl/eqrwLn

2018-02-14

眠ってる顔

絵画だったり、友人だったり、女の子の眠っている顔がすごく好きでじっと眺めてしまう。

なんだろ、穏やかで幸せそうだからだろうか。毛布かけたくなる。

2018-02-12

落書きするためだけの偉人写真集ほしい

偉人じゃなくても有名絵画とかそういうのが入った落書きするためだけの本がほしい。

子どもかに受けそう。

2018-02-07

芸術原動力エロ

現代アートはともかく芸術ってすべからくエロ原動力だよな〜と最近思う。

フェチズムといったらいいのかな。色っぽさというのかな。

ここが好き!!!!というのを追求した技術力とセンスのある変態が突き詰めたもの絵画というか絵になってる感じ。

なんかうまく言えないんだけどさ〜「人間欲求を綺麗なものにしてくれてまじでサンキューな」という感想最近抱いてる。

彫刻ベルニーニとか絶対女体と薄布に対して圧倒的執着心を感じるもん。

あとは世紀末芸術好きで見るんだけど、女性の曲線と布の優美さに心奪われた変態たち(褒め言葉)がたくさん作品残してくれてるから見るの楽しい

性的欲求なんてそのまま描いたらきれいなものじゃないけど、こうやって美しいもの昇華できる人間は捨てたもんじゃないよね。好き。

2018-02-03

ガンダム攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼氏の話

お付き合いをしている人がいる。

相手は5つ年上の男性。ちなみに私の性別は女だ。

私はおそらく世間一般で言うオタクというやつで、創作物創造物の類が好きだ。

ゲームアニメ映画演劇絵画模型音楽。私にいろいろな感情を教えてくれたそれらのなかでも、ことさら本が好きだと思う。

飽きっぽく節操の無い性格のためか、活字なら小説から詩集新書専門書、漫画なら少年少女青年成年、雑誌写真集攻略本に設定集、映画舞台パンフレット等、およそ統一性の無い本たちが、広くはないワンルームの隅に鎮座している。縦に横に雑多に、しかし私のなかでは理路整然と。

最近遊びに来た友人に、積みすぎると床が抜けると脅された。賃貸でそれはまずかろうと、恐る恐る電子書籍に手を伸ばしている最中だ。


さて、冒頭に出てきた彼の話だが、おそらく少なくとも、漫画アニメオタクではない。ハリウッド攻殻機動隊を視聴するにあたって概要説明した折、第一声が「それはガンダムとは違うの?」だった男だ。

興味の無い人間にとって、電脳化・義体化とモビルスーツによる宇宙戦争は同じに思えてしまうらしい。お前話聞いてなかっただろ。

ガンダムとはちょっと違うかなー」「あれ、前見たガンダムと同じ監督って言ってなかった?」「ガンダムと同じ監督?何見たっけ?」「見たじゃんあのアニメの、警察のやつ」

それはイングラムだ。ガンダムじゃない。



ある日のこと、きっと遊馬とカイの区別もつかないであろう彼奴から突然「3月のライオンって知ってる?」とラインが来た。

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3月のライオン』(さんがつのライオン)は、羽海野チカによる日本漫画作品将棋を題材としており、棋士先崎学が監修を務める。(Wikipediaより)

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知っている。

漫画単行本を既巻全巻持っている。アニメも見た。実写映画も見た。

好きな物語だ。

正直すごく嬉しかった。自分の好きなものに興味を持ってもらえると一気に親近感が沸くオタクの生態よろしく、結構、いやかなりテンションがあがってしまった。チョロいもんである

はい相手小泉花陽ちゃんと三村かな子ちゃんの区別もつかない甲斐性なし野郎だ。ここは慎重にフラット対応すべしと自分に言い聞かせつつ話を聞いてみると、どうやら彼の友人がアニメを見てハマったらしく、自分も気になった、ということらしい。

漫画を所有していることを伝えると、貸してほしいとの返信。もちろん了承の旨を伝え、既巻13冊をすべて手渡した。重くなるが、スピンオフの灼熱の時代紙袋に詰めた。


3ヶ月ほど経った頃だったかデートをした日、そういえば漫画全部読んだよ、と彼が言った。晩ごはんを食べようと入った居酒屋メニューを見ていたときだった。

もちろん私はすぐさま感想を聞いた。そうなんだ、どうだった?と、期待を込めて聞いた。

「うーん、まあ現実にはあんなのあり得ないよね」

彼は笑ってそう言った。


びっくりした。ショックだった。

面白くなかったのだろうか。そう聞けば、面白かったという。続きも読みたいという。実写映画漫画も見てみたいという。

けれど、一番に口をついて出た感想が「現実にはあり得ない」だった。

そこで初めて思い知った。

世の中には、現実というフィルターを通して物語を読んでいる人が、あるいはそう読むことしかできない人がいる。少なからず今、目の前にいるのだと。

私自身は、幼い頃から随分本に触れてきたと思う。特にフィクション物語を好んで読んできた。読むたび私は空想にふけてきた。

こんな魔法が使えたら、こんなドキドキするような恋愛が出来たら、こんな力を持って世界を救うヒーローになれたら。

それらは、現実との比較であって混同ではない。

そりゃそうだ。私は本を読むとき、その物語という未知の世界の扉を開けて、体ひとつで飛び込んでいるようなものだ。

本を読んでいるとき現実は扉の向こう側にある。現実は戻ってくる場所なのだ

みんなそうなのだと思っていた。それが当たり前なのだと思っていた。

でも、そうではなかった。


私は何にショックを受けたのだろう

彼に自分が好きな世界否定されたように感じたからか。自分好きな物語にケチをつけられたように感じたからか。あるいは、単に同調してもらえないことに傷ついたのか。

おそらく全部あてはまる。けれど核心ではない気がする。

いまだによく整理できていないが、私はあのとき直感的に、嫌だと感じたのだと思う。

きっとこの人と私では、心の奥底のほうで、物語を共有することができないと、そう感じたのだと思う。

立ち位置が違う。視点が違う。同じものを見ているはずなのに、見えているものが違っている。

考えれば考えるほど当然だ。彼と私は他人で、好みも違えば趣味も違う。育ってきた環境も、考え方も違うだろうし、感じ方も違うだろう。

けれど私は、「物語」に関しては、その差異が許せなかった。直感的に、嫌だと感じるほどに。

これがいわゆる価値観の違いってやつなのか、とも思った。

これを理由に離れてしまペアは多いと聞く。価値観が違うのは当然だと以前は不思議に思っていたのだが、今はなんとなくそ気持ちがわかるような気がする。

自分のなかの大切な、染み付いてしまってどうしようもない根っこの部分を、きっとこのひとには理解してもらえない。それがわかってしまった。

ただそれだけなのに、その瞬間、彼が異質なものに思えてしまった。

ガンダム攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼と私は、何かが決定的に違っている。

以来私の心は、彼の前では、私の大切なものをそっと奥に、彼の手が絶対に届かないところにしまいこむことにしたらしい。

一緒に映画を見たいと思わなくなった。見ても感想を言いたいと思わなくなった。本を貸したいと思わなくなった。本屋には着いてこないでほしいとすら思うようになった。

文字にするとただのメンヘラじゃねーかとも思う。

けれどそう感じてしまったので、しょうがいかとも思う。

理性のコントロールが効かない部分の、なんとまあ厄介なことか。辟易する。

追記

https://anond.hatelabo.jp/20180204055414

2018-01-30

絵を描くのを諦めきれず出戻ってきた話

1990年生まれ現在27歳のグラフィックデザイナーです。

絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、

最近になってまた戻ってきた話をします。

せっかく戻ってきたのであれば、今までのことを記録してみようと思い立ち記事を書いてみます

しかすると1990年生まれで2002年あたりから

ネット上で絵を描いていた人にはとても懐かしいかもしれません。

しかすると、知り合いだったかもしれません。

アイデンティティが「絵を描くこと」になった幼少期

物心いたこから既に絵を描いていて、幼稚園児のころには既に

「学年一絵が上手いキャラ」として周囲から認知されていました。

それは高校に上がる直前までの11年間、自らのアイデンティティとして確立し、

自分=絵を描く人間だという自己イメージ自身の中で確実なものとして定着していました。

幼稚園児のころから漫画が大好きで、地獄先生ぬ〜ベ〜やドラゴンボール

赤ずきんチャチャ折原みと先生漫画くりた陸先生漫画をこよなく愛し、

よく真似て絵を描いていた小学校低学年。

高学年になるとテニスの王子様にめちゃくちゃにハマり、

その頃に同人という言葉を知るなど、順調にオタクとして育ちました。

ちょうど6年生になったあたりのころから

インターネットが家庭に手軽なものとして普及してきて、

自分イラストサイトを作ったり、CGで絵を描き始めたのもこの頃です。

あの頃入り浸っていたのは、「ふみコミュニティ」というポータルサイトの絵板。

そこにはたくさんの同世代イラスト趣味とする子たちが集まっていて、

同い年の子たちもたくさんいました。(「マウス書き。ペンタブほしい〜!」はもはや合言葉みたいだった…)

ネット上の友達ができたのもふみコミュのおかげ。

ふみコミュの中にも絵がすごく上手い子、そうでもない子がいて、

本当に小学校6年生なの!?てくらい当時上手い人もたくさんいました。

上手い人が降臨するともう大人気でコメント欄は大賑わい。

私もそこに混じって絵を投稿したり、交流が楽しくてずっと描いてました。

そのころはまだ上手い人に対する、明確な劣等感は感じませんでした。

劣等感が現れ始める中学校時代

中学校に上がるとドラゴンボールに大ハマりして、

ドラゴンボールファンサイト管理人同士(年齢層高め)で意気投合し、

毎晩のように絵チャットに明け暮れていました。

ファンサイトの中でも特に人気だったサイトがあり、

そこに設置された絵チャットに、暇な人が入っていてそこにどんどんあとから人が集まっていく。

チャットは描いている過程が丸見えなので、下手だと思われたくなくて大人に混じって必死で絵を練習し、

その時に人生で一番画力が上がったように思います

二次創作ドラゴンボールにどっぷりでしたが、

一方で「9091P」という1990年生まれ絵描きを集めた同盟が立ち上がり、

同い年同士で交流したりお互いのサイトを見あったりと、創作活動も活発な時期でした。

その頃あたりから、ふつふつと、「世の中には自分より何倍も絵が上手い人がいる」と

劣等感が湧き上がるようになってきたと思います

しかったコミュニティもいつか衰退し、

中学校三年生あたりで、絵を描いて交流するような友達はいなくなりました。

いるのは、ネット上でも話したことのない、上手い絵描きさんだけ。

同い年なのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう?

そんなことばかり考えるようになったと、今振り返ると思います

課題のための絵しか描かなくなった高校時代

絵を描かなくなる人生なんて想像もつかない私は、高校美術を専門とした学校へ進学。

デッサン油絵、水彩、彫刻プロダクト、デザインといろいろなことを学べ、最高の環境で学び始めました。

課題で描く絵は本当に得意で、いつも良い点を取れるし、先生から評価も高いのだけど、

その一方で「自分のために描く絵」というのを、この頃にはもう全くと言っていいほど描かなくなってしまいました。

それはおそらく…わざわざ点にもならない、要は目に見えた利益にならない絵を描くことに意味を見出せなくなり…

わざわざ描くのに、上手い人たちよりも下手な自分を目の当たりにするだけで、

なんのメリットも感じられなかったから。下手な自分を見るのが怖かったから。

課題はいい点をとらないのに、コンクールでは金賞を取り続ける人。

同人活動で売れ始めた人。

絵画部で大きくて素敵な絵をたくさん描き続ける人。

成績や点数には現れない、素晴らしい魅力を持った人がたくさん身の周りにいました。

でもなぜだろう、仲良くなれなかった。劣等感で一緒にいられなかった。

絵の話だけするのはつまらなかった。

恋愛もしていたしバンドもしていた、いわゆるリア充タイプに属していた自分からか?

そのために、どこかで「自分は彼らとは違う」と思っていやしなかったか

一線を画すことでどうにか自分を保っていたのではないかろうか。

自分は違う」。「自分は比べられる土俵そもそもいない」。

仲良くなりたかったんだろうか?それも甚だ疑問で、確かに話は合わなかった、

でも、絵を描いててなおかつ絵以外のことも話が合うひとなんて、この世に存在するのだろうか?

ネット上では自分リア充的な側面は一切見えないために、

気張ることなく絵や萌えに没頭できた側面もあったのかもしれない。

物作りを職業にするため、グラフィックデザインの道へ

相変わらず絵を描く親しい友達はできないまま、大学に進学する時期になり、

「せっかく高いお金を同じくらい払うなら、地方じゃなくて上京して東京美大デザインを学ぼう。」と思い、

頑張って受験し、一浪の末美大進学を果たします。

絵を描く情熱が割と無くなっていたにも関わらず、真面目な性分ではあることと

点数を取る絵は得意ということもあったといえども今思い返すと本当によく入れたな…と思います

自主制作はもはや高校時代にはほぼしなくなっていたため、

絵ではなくデザインを選んだ理由は、少なくとも物を作りながら生きていきたいと思ったからです。

デザインであれば、就職率もよく、絵を生業にするよりはお金になると判断してのことでした。

ただ進学しても業種を変えても問題は変わらなかった。

デザインだって自主制作がとても大事なのに、大学生になっても自主制作ができない病が治らない。

でも課題はいい点を取れる…………と思いきや、さすがに大学はそうはいかなかったのです。

付け焼き刃では、太刀打ちできないほど周りが上手すぎるし、

そもそも大学研究のために来る場所なので、自分で物が作れない人間評価すらされない。当たり前のことですが。

そして最終的には就活で完全につまづき、希望企業には就職できず、

かといって物作りも諦めきれずに、作家性のないグラフィックデザイナーとして現在働いています

もうコミュニケーション手段として、絵はいらないのかもしれない

書きたい絵なんてのはもともとなかった。

誰かと描きあって、見あって、評価しあってというコミュニケーションの一つとして私はずっと絵を描いていた。

誰も居なくなって、誰とも話せないのに、一人で描き続ける意味はもはやなく、

コミュニケーションはできないのに上手い人を指をくわえて見ているだけで、

劣等感けが募る毎日になってしまった。

私にとっての絵は、物作りは、もう役目を終えたのではないか

新しい、今までとは違う方法で、コミュニケーションを取る方法を探すのが賢明かもしれない。

なんのために絵を描くのだろう?なぜこんなにも絵を、作ることを、諦めることができないのだろう?

物作りから離れることは、自分人生否定すること、アイデンティティ崩壊することという思い込みが、

未だに私に絵を描かせる。物を作らせる。本当はもう、とっくの昔にうんざりしているのに。

やっぱり諦められなかったけど、30歳を目前にして、

これから人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。

どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。

から、一旦最後区切りとして、ちゃんと絵を描いてみよう。その取り組みを、今年は頑張りたいと思っています

2018-01-28

anond:20180128210523

娯楽は圧倒的に少ないです。

日曜の昼間から漫画喫茶パンパンになっています

ほとんどない、と思ってもらって良いと思います

自分の周りの事例で恐縮ですが。

などが多いでしょうか。

海外旅行について

基本的こちらの労働環境残業がないので、金曜の夜に出発して月曜の朝までに帰る、という海外旅行形態が多いです。

ざっくりですがLCCの値段は下記です。

バンコク 往復1万円

プノンペン 往復1万円

クアラルンプール 往復1万円

シンガポール 往復2万円

台湾 往復2万円

香港 往復3万円

好きかどうかによりますが、月に1回、海外旅行に出かけるなどザラです。

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