はてなキーワード: 絵画とは
これ
反差別側もまんまと二次元のせいに決まってる!と思ってる人もいるし
オタクはむしろそれに対して開き直ってるまであるけど、クラシック好きにも絵画好きにもキモい奴はいるんだから
なんでオタクだけ言われるって、オタクが二次元に責任転嫁してるからなんだよな
絵画好きもクラシック好きも自分のキモさの理由をクラシックや絵画に責任転嫁せず、この国で普通に育ったからと言わんばかりの証言をしてるから
キモオタがキモオタなのは言動のキモさというか萌え絵批判された程度で殺害予告出しちゃったり、差別活動繰り返したりしてるからキモオタらしい
つまりキモオタがオタクをやめてもただのキモい人には変わりないのは事実
しかしキモい奴を差別や殺害予告しちゃう人って定義すると絵画好きやクラシック好きにもキモい奴がいるという事を棚上げにはしてると思う
萌え絵の消費者層がキモオタだから萌え絵が嫌われるは事実すぎるから笑ったけど(確認したけどこの人もオタクではある、その上でこういうツイートをしているのでリベラル系オタクって奴だ)
ただ、こういう論法の裏で、オタクだけが差別的で、普通の日本人はそうではありませんよっていうムーブしてる奴がいるのもキモくはある
前に「オタクが何故ネトウヨになってしまうのか?」って言ってた増田の時も思ったんだけど
現実的には非オタクというか、絵画好きにも、クラシック好きにもキモい奴というか、ノンポリという名の保守、差別的な野郎共ってわんさかいるはずというか、いるんだよな
絵画にトマトスープぶっかけて壁に手を貼り付けた活動家を罵った絵画好きっていっぱいいたし
消費者層が上品なインテリ集団だったら萌え絵はキモがられないってのも、その上品なインテリ集団って何を想定してるのかがちょっとわからなくはある
昨今では差別する奴は頭の良し悪しの問題にすることは反差別内で咎められる行為だし
上品だろうがインテリだろうが、差別してたら台無しだし(差別するのが下品、インテリではないとして結局頭の良し悪しの問題にする事の問題に収束する)
あとは自分は他のオタクとは違うんですよ~って感じでこの論法を利用しているであろうリベラル系オタクが、ばりばりトランス差別してるとかもあるある(引用ツイートの人は違うだろうけど)
https://twitter.com/otaota_1215_m/status/1660820623072051201
オタギリ💙💛
@otaota_1215_m
萌え絵から感じるキモさって、絵自体ではなく、萌え絵を好む人間に起因するのだと思う。もし仮に、萌え絵を支持する層が上品なインテリ連中だったなら、世間のイメージは全く違っていただろう
オタギリ💙💛
@otaota_1215_m
当たり前のことを呟いただけなのに、マヌケなキモオタが湧いてチーチー鳴いててキショい🥺
コンテンツのイメージってのは、それを支持する連中の質で変わる。例えば絵画やクラシック音楽も、もし仮に萌え絵愛好家みたいなキモオタ連中がメイン支持層だったら世間から気持ち悪がられるよ🤓
西洋絵画とか宗教画って裸体描いたらダメって社会の共通認識があった中で神話や聖書モチーフなんでセーフです!ってゴリゴリの建前やってたからあんまり擁護になってない気がする
私は風リリィは明らかに西洋絵画や宗教画モチーフだなと思ったからべつに違和感なかったんだよね
その文脈を汲み取れなかった人はただのエロに見えたんだろうけど(それを責める気はない)
架空のキャラの年齢持ち出して批判しようとするのはショタ関連でめちゃくちゃブーメランだしやめてほしいなと思う
人が楽しんでるものに文句を言わないってエンタメの鉄則だと思っていて、あれが嫌これが嫌と言いはじめたらグラブルみたいな男女で楽しめるコンテンツの表現はどんどん当たり障りのないものになってしまう
まず私のプロフィールを明かしておく。
大学院生。社会学と文学のあいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。
映画は学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません。
匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SMの実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。
「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミックや評論の場で散見される。
これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用は特に必要でない限りはしない。
「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオの映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。
メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。
ゲームをアニメとしたら、キャラクターの解像度や物語の運び方だけでなく、どのようにゲームの快感が写し取られているかが重要ポイントに思う。
マリオのゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。
「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアのタスク消化に似た快感。
「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感。
マリオシリーズだけでなくゲームの快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか。
私はといえば、ゲームが苦手だった。
クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。
我ながらヘタクソなプレイである。しかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム的快感がある。
翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。
アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム的快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。
文学研究者の藤田直哉は上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662
ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。
周回前提のゲーム「ドキドキ文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。
また、勉強不足と笑われそうだが、3Dの映像で2Dのフィールドを表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。
「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。
しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ」作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さらに男性性との関わりについて分析する。
https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq
こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113
クッパは名誉と所有、暴力を原理においたキャラクターであり、婚姻と幸せを直結させる家父長制を背負った男である。
ピーチ姫に対し無茶な論理で婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人を婚姻の犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。
この「有害な男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。
それは物語のラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫とマリオとの恋愛の成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。
マリオはゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。
葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。
しかしマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。
イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。
そしてマリオは映画の終わりに藤田のいうところの「有害な男性性」の発露であるクッパを倒し、父親からの承認を得ることとなる。
婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力のねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。
その是非について何か言いたいわけではない。
現実では家父長制や異性愛規範や同性愛差別やトランス差別や人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである。
その是非についても何か言いたいわけではない。
ここまでが建前。
「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。
本気で惹かれると言っていい。
そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。
槇原敬之の「軒下のモンスター」から「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。
三島由紀夫の「仮面の告白」から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。
ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。
「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソングは哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。
私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。
今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダーやクィアの批評は規範を可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ。
本当は、弱者はクッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまりに感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。
お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。
このまとめに
mujisoshina 遅刻はある程度不可抗力もあるとしても、"無断"欠勤は正当化出来ないだろう。同列に扱うな。
2023/05/13
Andrion 学校で遅刻・無断欠勤する人が多くいたか思い出してみてほしい。稀少スキルではない
2023/05/13
これ読めないならもう何なら意味を取れるんだよ。
trtmfile @trtmfile
そこを求める時点で最賃の倍以上は払えよという気持ちがある。
2023-05-11 21:41:19
trtmfile @trtmfile
最低賃金レベルの労働者にこの2つを当然のように要求してくる(そして大多数の労働者がそれに生真面目に従ってる)の、
日本以外にあるんかな
2023-05-11 21:43:02
はい、
1ツイ目で「希少スキル」の内容について述べていて
2ツイ目で「それがどこで希少か」を述べてるからです。
もう一回2ツイ目を貼りますね。
trtmfile
最低賃金レベルの労働者にこの2つを当然のように要求してくる(そして大多数の労働者がそれに生真面目に従ってる)の、
日本以外にあるんかな
2023-05-11 21:43:02
はい。
ツイート主本人が、「日本では大多数の労働者がそれに従っている」と述べています。
つまりツイート主本人が、「『無断欠勤しない』と『遅刻しない』は日本では大多数の労働者が保有するスキルである」述べています。
つまりツイート主本人が、「その2スキルは”日本では”希少スキルではない」と述べています。
じゃあどこで希少スキルなのでしょうか?
日本以外にあるんかな
「日本以外」ですね!
「『無断欠勤しない』と『遅刻しない』は世界的には希少スキルである」
です。
「日本の最低賃金ラインの労働者は世界比較で非常にレベルが高い」
「日本で最低賃金帯で人を雇ってる経営者や企業はとても甘やかされている」
ってことを言っている。
この主張内容が世界的に事実なのかどうかは知りません。ここではどうでもいいことです。
問題はこの短くシンプルな主張すら適切に意味を取れないヤベー集団の能力です。
人気1位。
mujisoshina 遅刻はある程度不可抗力もあるとしても、"無断"欠勤は正当化出来ないだろう。同列に扱うな。
2023/05/13
ツイ主どう見てもそんな話してねえよ。
そういう話じゃねえよ。
お前の中のなにかの相場の話も誰もしてねえし、
そもそも日本の・日本人の常識の話じゃねえだろツイ主が言ってるのは。
ここまで読む能力が壊れてるのに当人なりの正義の怒りっぽいものにじませて
「同列に扱うな。」とか鼻息フンスフンスしてるのはくすって笑えるけど
この人の普段のブコメしらんし、個人がたまーになんかの加減で誤読するのはまあいいよ。
でもなんでそれが一位になるの?そっちが怖い。
「たまに誰かが誤読する」じゃなくて「集団の最大与党意見がただの誤読」ってその集団なんなの?
人気2位。
上で見たように
「日本では希少スキルではない」ということはツイ主本人が述べています。
すごくね?
あんなにはっきり書いてあるのにそれが読み取れてなくて、気付かなくて、誤読が修正されない。
これもこんなぶっこわれてるのに
「思い出してみてほしい。」とか気取った書き方してるのがフフッて笑える(すごいキメてるのにチャック開いてる人みたいで)んだけど
stk132 遅刻はともかく、無断欠勤はアカンよ。連絡つかないと、事故にでもあったのかと思って上役が家庭訪問することになるぞ?
同上。
お前の感覚の話とか日本の常識や相場観の話なんて誰もしてないので0点です。
(しかし日本の労働者の感覚で言えば遅刻も「ともかく」ではないやろ)
ikebukuro3 休む時に休むと言うだけで無断欠勤ではなくなるのになんで連絡したくないのか。
一方で遅刻はだいたい電車止まったり仕方ない場合が多いから本当の本当に遅刻しないのはかなり希少ではある
2023/05/13
「そーいう『なんでだよ』レベルの勤務態度や能力の労働者が世界基準ではたくさんおるし最賃で来るのはそういうのだよ」
がツイ主の主張だろ。
前はこういうのなんだかんだでブコメに数人ぐらいは
「え?人気コメおかしくね?」って言ってる正気の人がいたもんだけど
今ブコメ欄チェックしたら誤読に突っ込んでる人間がマジでゼロ。
変わってないどころか悪化している。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2145452
なんでこんな一目瞭然の事も読み取れずに誤読するのかもう全然わからないけど
たぶん1ツイート目
だけ読んで「無断欠勤が当然とは何事だー!」って頭ロックされて、続く
最低賃金レベルの労働者にこの2つを当然のように要求してくる(そして大多数の労働者がそれに生真面目に従ってる)の、日本以外にあるんかな
毎日遅刻して週3無断欠勤するやべー労働者ぐらいのわかりあえなさというか
「ゆうて俺達同じホモサピだよな!」ぐらいのギリギリの共感しか持てない。
それはしらんし調べる気力もない。
意味なくない?
たった2ツイートでも言ってる内容わかんなくなってまるで頓珍漢な話を始めて
大勢いるのに誰も「おかしいな」って気付けない集団が文字読む意味ってなに?
そういう能力の人達は端末の電源切って草野球とかハイキングとかに時間使ってた方が良くない?
2023/05/13
同じ誤読したうえで「労働者に厳しいヘルジャパン!」的なこと言ってるだけなのかな。
いつ見ても地獄。
最近人生で経験値を得ている感じがない。Togetter、増田、Twitter、ゲーム(2周目)etcに時間を使っていて、新しく知識を得るとか世界が広がったとかを感じない。刺激がなくてつまらない。何かが欲しい。最近の作品である必要は全くない。陳腐な作品かもしれないものでも、一部の界隈では大人気なのかもしれないものでもいい。どう衝撃を受けたかをネタバレなしで書いてくれたら嬉しい。ほしいものの例を以下に挙げます。
〇この発想はすごい、この描写は真に迫っている、などと思った漫画・小説・ドラマ・映画・ゲームほかフィクション作品
〇こういう世界もあるのか、よくそこに気づいたな、などと思ったエッセイ・詩歌・ルポ・ドキュメンタリーほかノンフィクション作品
2022年9月以前に描かれたイラストならば、AI で製作された可能性はない。
Webarchive や Pixiv など過去のイラストを改竄できないサイトに画像のログが残っていて、
ただし、作者がオプトアウト(学習されるのを許諾)してる必要がある。
ホワイト画像のみを学習して作られた生成AIをホワイトAIと呼ぶ。
ホワイトAIによって生成されたイラストをホワイトAIイラストと定義する。
ホワイトAIイラストは誰の気持ちも踏みにじってないと保証されているので、
Pixiv などプラットホームは、それを通常の絵画と同じ扱いにできる。
問題は、あるイラストがホワイト AI イラストだと判断する方法がないということだ。
電子透かしは改竄されてるのを証明する手段としては使えるが、されてないのを示すためには使えない。
新たに透かしを埋め込めばいいだけだからだ。
たとえ Pixiv が充分にリソースを持っていてサーバー内で生成 AI を実行できるイラスト作成サービスを提供したとしても、ユーザー操作がネットを横断して行われる以上、マウスの移動をエミュレートして任意のブラック画像を流し込める。
だから新しく描かれたイラストのホワイト性は原理的に保証できない。
権威ある Adobe なり Google なりが我が社の AI はホワイトです! と主張してユーザーがそれを信用するか、信用しないかという話になってくる。
すべてのイラストがグレーになってしまった世の中では、疑念を持つことはただの難癖に過ぎないものとみられるだろう。
長くなったので最初に要約する。現状のAIイラストの恩恵を被る絵描きは、次のタイプであると思う。
「長年絵画表現に慣れ親しんできており、基本的なデッサン技術は習得しており一通り何でも描けるが、表現したい内容の個性が強すぎて多くの人に敬遠されがちなタイプのアーティスト。デジタル絵画表現において個性が強すぎて、多くの人にとって見慣れないバランスであるために技術力の割には敬遠されがちだが、どこを標準的なテイストに近づければ「自分の理想とする表現の核を見失わずに人に受け入れられる作風に近づけられるか」という判断が自力ではつかない人」
自分はどちらかというと反AIだと思われている。学習データに児童ポルノを含むことやディープフェイク等、現行の生成AIについて問題はあると考えている側である。
絵と漫画を描く。技術的には資料さえあれば何でも描け、絵を寄せることも可能だが、人物キャラクターにおいて、あまり流行とされるイラストに魅力を感じないので基本的に金銭の絡む場合以外においては資料として流行のイラストを見ながら流行のイラストに寄せて描くことはない。
テストのために自分の絵をi2iに通してみたところ、いくつか発見があった。PCは面倒だったのでモバイルアプリでテストをした。おそらくNovelAIリークだろう。
まず初めに「(表現で)勝った」という感情があった。データセットの関係か、生成AIの画像は自分の絵の方で表現している内容を全く拾えなかった。
自分の絵の方が個性的で、強い感情を表しており、ぐっと人目を引く絵だった。おそらく生成AIが苦手とする類の微妙な感情表現だからだと思った。そもそもデータセットになるべき絵の枚数自体があまりないタイプの絵なので、今後もそういった表現でAIが卓越してくることはないだろう。
そして、生成AIに食われたデータセットについて、無許可で使用された挙句、絵柄の作成者のあずかり知らぬところで、他の絵描きから「勝った/負けた」と比較される土台にされるのは不甲斐ないことだと思った。歌い手と比較されるミクのように、データセット提供者の許諾とそれなりの対価は得るべきだと思う。
さて、自分は表現において「勝った」ことによって、主観的なレベルでのイラスト生成AIへの本質的な畏怖が無くなった。
しかし、ここで疑問が残った。AIに追いつけない表現をしたからAIが追い付けなかっただけであり、それらが得意とするタイプのモチーフならまた変わってくるのではないだろうか?
そう思っていわゆる自分が描いたアニメ系の美少女の一枚絵をいくつかi2iに通した。といっても、特定の絵柄に寄せたものではなく、自分の独自の絵柄で描いた女の子の顔の絵である。
ここでかなり気付きがあった。自分が標準的だと思っていたアニメ系の典型的な美少女の顔は、標準的な美少女の顔から縦横比や骨格のバランスがかなり異なっていたということである。AIによって生成された、骨格が異なる美少女絵は同一人物だと思えなかった。
i2iに女の子の絵をかけるまえの当初は、絵柄を変えた自分のキャラクターが出てくるものだと予想していたが、出てきたのは同じ服飾とポーズのコスプレをした他人だった。そのとき自分が思っていたより自分の絵柄の美少女キャラはオリジナリティがあったこと、だからあまりウケなかったこと、自分の描いたキャラクターの唯一無二性を理解した。
ー自分が思っていたより自分の美少女キャラの絵柄は個性的だった。
ーそして、その強すぎる個性が多くの人を敬遠させる原因となっていたようだ。技術力の問題ではなさそうだ。
ー自分の脳内の人物像を知っているのは自分だけであり、やはり自分にしかその特徴を捉えて表現することは出来なそうだ。
ー左右のパーツのバランスの狂い。パーツの一部だけではあるが、「上手い絵」の生成AIの顔画像と並べて比べることで、絵の狂いに気づくことができた。外連味のある狂いなのか、ただ左右対称に描けずに狂っただけのバランスの狂いなのかが、i2iを通して他人の絵柄に変換されるようになったことで客観的な判断ができるようになった。これは絵描きにとっては非常に有益である。
ー塗りや色見本のサンプル、仕上がりのサンプルとして非常に有用。これは自分だけかもしれないが、絵柄を寄せられるということは、先に仕上がった先の具体的なイメージがより見えるほうが上のクオリティを目指しやすいということがある。最初に完成図(仮)が見えることで、どちらの方向で内容を詰めていけばいいかの案出しのイメージが初期段階でいろいろ検討できるのはとても有用だと思った。先述した通り、もともとの絵においての表現の強度自体はAI生成物は超えられるので、より高みを目指して行けるというか。
ーもともと流行に乗るということがもともと苦手で、10年残る画風を想定に違和感のないバランスを模索しているタイプだった。自分の絵のベースを守りつつ
この場合は絵柄の骨格やパーツの描き方等を維持したまま、より多くの人に受け入れられやすい見栄えの良さとフレッシュさを追求したいと思っていた。そこに、自分の描いた構図と色合いのまま、完全に他人の絵柄に絵を入れ替えるというこのAIは革命を起こしたと思う。自分の絵柄の標準から異なる部分が非常に明瞭化され、自分の確固たる独自的な表現、そして表現されたキャラクターの人物性を如実に表すオリジナリティの部分はどこか、失ってはいけない角の部分がどこかということがより明確に自覚することができた。
守るべき部分、重要な部分がはっきりと可視化されるので、そうでない部分、フレッシュな塗りやディテールの線画の太さ等の表現は標準的な絵に寄せることで今まで敬遠されていた層にも好かれやすい表現を開拓できそうだと思った。
イメージでいえば目指しているのは、ソシャゲのグラブルのイベントの名探偵コナンのようなイメージである。どうみても名探偵コナンだが、塗と雰囲気がグランブルーファンタジーに準拠していたものであり、グラブル世界観やグラブルユーザーにもなじむという絶妙な表現になっていてすごいと思った。
今まであまりリファレンスの画像を見てこなかったのは、端的に言えば、自分と異なる表現テーマを持った魅力的な絵を横に見ながら描くと、自分の意識の方を絵の内容の方に引きずられて自己の表現したい内容の温度感を鮮明に感じられなくなるからというのがあった。
i2iの場合は、同じ構図であるうえに、「i2i先の絵には表現したいもの」が存在していないことがわかるため、端的に言えば作者の存在がないため、欲しい部分、つまり塗りや線の太さだけに着目することができる。これはいつも他の人の作品を見るときに裏に作者の存在を読み取ろうとし、そして作者の存在に配慮しようとしてしまう癖がある自分にとっては「裏に作者の意図と意思のない画風見本」というのはリファレンスとして革命だった。
長々と書いてみたが、要するに「自分の構図で出力される他人の画風の生成物を自分の絵と比べることで、自分の絵の客観視が行いやすくなった」ということである。「自分の絵を客観的に自分で分析、そしてその分析をもとに自己の絵画表現をより深化させるためのたたき台にするためのツールを得られた」という感覚だ。逆に、この一点以外のイラスト生成AIの有用性はないと考えている。
なお、AIの生成画像や一部をそのまま切り抜いて使うという使い方については何がいいのか感覚的には全く理解できない。それはただの手抜きツールであって短期的な利益にはなるかもしれないが、便利なものに頼るとその部分の潜在的な能力は退化するので、そういった手抜きツールを使用したアーティスト個人においての長期的なメリットはなさそうに思う。
技術革新で自分の立場が危うくなるなんて話は昔からよくある話でさ
ピカソやルオーって写実的な絵を描かせたら若い頃から天才的なわけよ
接待絶命:私の最悪の日
こんにちは、皆さん。今日は私の最悪の日についてお話ししたいと思います。それは、私が接待に行った日でした。私は新入社員で、上司に接待に連れて行かれました。その日は、とても大切な取引先の社長が来ていたのです。私は緊張しながらも、笑顔で挨拶をしました。しかし、そのときに起こったことは、私にとって忘れられない恥ずかしい出来事でした。
私は、社長に名刺を渡そうとしたときに、手が滑って名刺を床に落としてしまいました。それだけならまだしも、名刺を拾おうとしたときに、頭を机にぶつけてしまいました。机の上に置いてあったグラスが倒れて、社長のスーツに水をかけてしまいました。社長は驚いて立ち上がりましたが、そのときに椅子が転がって足にぶつかりました。社長はバランスを崩して、後ろに倒れました。そして、壁にかけられていた絵画が落ちてきて、社長の頭に直撃しました。
私は、信じられない光景を目の当たりにして、凍りつきました。上司は慌てて謝罪しましたが、社長は気絶してしまっていました。救急車が来るまでの間、私は泣きそうになりながらも、何度も謝りました。しかし、社長は目を覚まさず、私の言葉にも反応しませんでした。
その日以来、私は接待に行くことができません。上司も私を見るたびに怒っています。取引先の会社からも訴えられそうです。私はどうすればいいのでしょうか?これが私の接待絶命です。
行ってみて驚いたのだが最近の美術館は写真撮影可能な作品が幾つかあって、それらの作品の脇にはカメラのマークがついてた
それから絵画ってここまで近付いて鑑賞しても大丈夫ですよっていうラインが引かれてるんだけど、そこを乗り越えて絵画を指さしながら隣の彼女に何やら説明してるアカン奴もいた
あとこれはマナーっていうか面白い現象だったんだけど、入口に入ったらお客さんが一列に並んでベルトコンベア式に絵画を観て回ってたんだよね
だから俺もその列に加わったんだけど、警備員の人から「お好きな様にご観覧ください」って声かけられたんだよね
つまり美術館側としては整列して順々に鑑賞していく方式を想定してないんだけど、何故かみんな列を成してしまうという現象が起きてたみたいで、それが面白かった
俺自身思わず列に加わってしまった様に、日本人ってなんか整列したがる癖でもあるんかね
ちなみにブルターニュ展の絵画の中では黒田清輝の「ブレハの少女」っていう作品が1番印象に残った
少女というより老女に見えた