はてなキーワード: 絵画とは
https://anond.hatelabo.jp/20171017221010 を書いた者です。様々なアドバイス・意見ありがとうございました。
その後、精神と身体を壊し退職することになりました。今も心療内科に通い、メンタルと身体を治す日々を過ごしています。
ようやくペンを握られる程度には回復ができ、絵を描くことが生活の中心になっているような、ベッドで寝ていることが多いような日々です。
体調が元に戻ってきたら絵画教室に通い、基礎を習うところから始めようかと思いつつ(ずっと今まで自己流だったので)、絵を描いてます。
オンライン活動ではイラスト絵がRTが1000を超えたり、ファボが7000を超えたりすることが多くなり、成長を感じています。
オフライン活動では(二次創作ですが)50部、70部、100部と買ってくださる方が増えていっている状況です。漫画の技術もPDCAサイクルを回しながらやっているおかげか、徐々に上がっているように思えます。ですので、そろそろ二次創作だけでなくオリジナルの漫画を書き始めツイッターで反応を見ながら、どのような作品がウケて自分の作風と合わせることができるのか考えつつオリジナル漫画を描いていこうという段階です。頑張ります。
しばらくはお金があるので健康第一に。その後はフリーターをしながら。3年以内に芽が出なかったら諦める。そんな感じで死なないように頑張っていきます。
まず職業がしょうもない。定義的には職にはついておらず、ただ日がな一日パチンコをして、なにかあったら“事務所”に寄って、夜には負けて怒って家に帰ってくる。
それで30万円もらっていたらしい。ヤ○ザってすげえな。
次に子育てがしょうもない。基本的になんでも放置するくせに殴る蹴るだけはしっかりやる。
それで骨折して医者に行けば、後ろで「階段で転んだんだよな?」と俺に言ってくる。首肯した。
なにをしても褒めない。絵画コンクールで1番になっても褒めない。
その後入賞常連になったけれど「1番じゃないからなあ」とか言ってついぞ褒められたことがなかった。
でも罰だけは与える。サディズムがすげえな。
性格がしょうもない。あれをしてやった、これをしてやったばかりで「してやれなかった」「してしまった」ことを一度も口にしたことがない。
謝罪をしない。小さい頃電気屋で店頭デモのパソコンを夢中になって遊んでいると、父親が切れてしまい店員を殴って怒鳴り散らしていた。
お兄さんは鼻血を出しながら怯えきっていた。屑。すげえな。
考え方がしょうもない。俺が精神の病気になってもそれを認めようとしなかった。
父から見るとただの怠け者らしいので、これで治るはずだと整体だの電気治療だの行かされた。
俺は今も障害者手帳を持っている。顧みなさすげえな。
抗争になって“指定”になって、家にいると俺達兄妹も殺されかねないから1週間に一度しか帰ってこなくなった。
1週間に一度、いつ殺されるかわからないのにきっちり家に帰ってきて、お金と1週間分の食べ物を置いていく。
ワケは何も言わない。俺はそれをいいことに学校はサボり夜更かしして笑っていた。すげえな。
俺達が県外へ出ることを望んでいた。自分の評判が悪すぎるからということらしい。
“自分の子どもだと知られない方がこの子たちのため”だと思っていたようだ。すげえな。
子育てが本当にしょうもない。欲しいと口に出して言えば、どんなに家計が苦しくてもきちんと買ってくれた。
なにかしても謝りさえすれば一応許してくれた。
風呂場で、妹とふざけて溺れたふりをして「助けてー」と叫んでいたら血相を変えて駆けてきた。
母親は俺達を育児放棄していて、保育園の先生から見ても「お父さんに育てられなかったらあなたたちは死んでいた」らしい。
ヤ○ザになったくらいだから自分だって碌な育てられ方をしていなかったくせに、知りもしない無理した男手一つの育て方で今俺は27歳になっている。
「この子たちには母親がいないから、その分、物くらいは」と無理をして色んなものを買ってくれた。美味いものをたくさん食べさせてくれた。
それもあってか、今では自身が惨めな暮らしをしている。すげえな。
今は自分だってお金なんてないのに、何も言わず家出して関東に行った馬鹿息子が「生活が苦しい」と言えばお金を送ってくれた。
精神がおかしくなった俺が「死ぬから探すな」と書き置きすれば、あらゆる方面に連絡して探してくれた。
昔から家出をしたら絶対に探して、見つけて家に帰した。すげえな。
いつも俺に彼女ができないか聞いてくる。お前は痩せればモテるぞと笑う。
妹が癌になって死ぬかもしれないときには、どんなに金がかかっても治せる先生を見つけて付きっきりで看病していた。
俺が難聴になってしまったときも、県で唯一治せる病院に入れてくれた。
精神病も知識なんてないくせに方々に相談して一番定評のある病院に入れた。すげえな。
ヤ○ザである自分が長生きしていることに罪悪感と疑問を感じている。
「あそこの○○さんはきちんと働いて真面目だったのに亡くなって、俺がまだ生きていて……」と最近よくこぼす。
抗争で仲間内は皆死んでしまって、自分だけが生きていることが虚しいらしい。すげえな。
考え方が本当にしょうもない。生活費だけは絶対に取っておいた。
今でも浪費癖が激しい俺に貯蓄の重要性と効果的な資金の分け方を毎回教えてくれる。
どら息子は何度聞いても実行しない。すげえな。
今頃になって“自分が何をしてもらっていたか”にようやく考えが至った阿呆息子が仕送りやらを持って行くとお礼を言ってくれる。
俺はしてくれるのが当たり前だとありがとうなんて言ったことがないのに。すげえな。
いつ死んでもおかしくないと思っているらしい。もう72歳になる。
身体も弱って思考も鈍って、それでようやく自分の胸の内やなぜ昔そうしたのかを話してくれるようになった。
これを書いていて、そういえば、という風にしてもらったことが湯水のように湧いてきた。涙がとまらない。すげえな。
自分のことしか考えておらず、いつまでも親から何をされただのしてもらえなかっただの不満に思っていた。
何をしてあげられるかを考えていない。
世間で言う毒親に自分の父親もピッタリ当てはまると、一致する部分だけをことさらあげつらっていた。
一体どれだけのことをしてもらったのか考えていない。あとどれだけ話ができるのかわかっていない。
俺にできる復讐は、父の残る余生をしょうもなく平和に静かに、奴の領分であるしょうもない争いとは無縁の生活にさせてしょうもない退屈のまま過ごさせることだと思う。
なんだかんだ実家を訪れたら2時間ぐらい話して帰る。しょうもない。
未だに俺を心配している。しょうもない。笑って話してるがそいつは裏ではあんたの悪口を山ほど言いまくっていた人間の屑なんだぞ。
しょうもない。騙されやがって。
騙されたまま笑って余生を送れ。震えて眠れ。しょうもない。
俺も同じように疑問だったんだけど数年前やっと気づいたので、
もし君も同じ疑問を持ってたら助けようと思う。
人間の基本的な性質、この場合脳の仕組みとか心の仕組みとかは変わらない。
人間には集合的無意識が存在することを証明した有名な実験として、
ブーバ/キキ効果、Bouba/kiki実験というものがある。
これは色んな社会、年齢性別、ときには他と交流のない未開の地域にて
「どちらがブーバで、どちらがキキか」と問うたところ、
98%で「曲線図形がブーバで、ギザギザ図形がキキだ」と答えが返ってきた。
これはいかなる言語体系でもブーバが丸い曲線図形で、キキがギザギザ曲線をイメージした解答が得られた。
つまり人間の持つ、ハードウェアとしての性能は人種や文化問わず、実は一様にして同じなのだ。
そうすると当たり前の話だが歴史の中で同じような状況に同じ性質を持つハードウェアが置かれた場合、
本人が意図せずとも歴史において過去あったことと同じことをなぞろうとしてしまうのだ。
だからこその「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」のだ。
歴史は人間のハードウェアが引き起こす問題や失敗を既に体験している。
自分が歩いた道が誰のものでもないと思うのは幻想であり、実際は似たような、まるで同じ体験を歴史は既に繰り返している。
だからこそ多くの歴史を学ばない者たちは、過去の歴史と同じ失敗を繰り返す。
心の未解明問題について脳という器官の特性についてのハードウェア問題、物理的現象が確認できない意識についてのソフトウェア問題と分けられるが、
俺は人間の寿命による経験という蓄積の消失を人間のハードウェア問題と呼んでいる。
でも人間は進歩してきてるのではないか、と君は反論したくなるだろう。
先ほど述べたように、人間はハードウェアとして経験と性質を引き継ぐことができない。
いくらDNAに多くの情報を記載することができたとしても経験を産まれた子どもに転移させることはできない。
ところがソフトウェアである学問、つまりはテクノロジーは人間のハードウェア問題を超えて引き継ぐことができる。
そう。
人間は文字を発明したときから他の生物と全く別の道を歩み出す。
ソフトウェアとしてのテクノロジーは後世に伝え続けることができ、寿命がなく、永遠に進化し続けることができる。
文字として理論や技術は残され、誰もがそれを参照・学習することができる。
誤りがあれば訂正され、さらに合理的・効率的・革新的理論により進化を進める。
人間は既に生物的な進化を終えていて、進化はテクノロジーに引き継がれた。
人間にとっての子孫とは、テクノロジーを進化させるための、ただの薪に過ぎない。
芸術もまた学問ではあるが人間の集合的無意識において働きかけるものであるため、
時代を変えて同じような音楽や絵画が溢れてしまうのは当然のことと言える。
テクノロジーによる補助なしでは達成されないものとなってきた。
これも人間の心というハードウェア自体が進化していない証左である。
結論に戻るが、
人間は死を持ってして、経験という名のハードウェアとしての蓄積を終了させる。
歴史を学ばないものは人間の集合的無意識に沿ったいつかの時代の誰かの失敗を繰り返す。
そのため歴史を学ばないものが大多数の社会は、また同じ過ちを繰り返す。
唯一、人間の進化を代行してきたテクノロジーのみ、過ちを繰り返さず前に進むことが許された。
人間が文字を発明し、進化を委託した瞬間から、人間は生物的進化をしておらず、
故に歴史は必然的に繰り返されるものとして記録され続けている。
しかし成長・進化しない人類という種によってテクノロジー自体も妨害なしに進化し続けてきたとは言い難い。
またどれだけ優秀な頭脳を持つものが現れても死ねばそこでおしまいだ。
だからこそ、AIがシンギュラリティを引き起こすと信じられている。
池永、野口を買わないのは何故か? に対する俺の美人画云々~への言及だとして、だ。(そう考えないと話が噛み合わない)
その上で、
>高尚とか低俗なんて言ってない、単純に永く続くものをリスペクトしなくて、すぐに廃れるものをオタクは消費するのに違和感がある、その理由を教えて欲しい。
でいいんだな?
他の言及と、それに納得している意見もあるが俺の意見は違う。少し長いけどじっくり読んでくれ。
まず一言でいえば「そういう風に報道されてるのを信じてる奴が多いから」だ。
反論ではなく、違和感の説明の為に必要なんだが、どうして骨董品収集家は骨董品オタクと言わないんだ? そう言っちゃいけない決まりがあるのか?
報道されてないだけで昭和30年、40年代のアニメや特撮を好きな人はたくさんいるし、そういうのが好きだからって美術品をDisるオタクは非常に少ない。
寧ろ、絵師に至っては尊敬する画家や好きな絵画が少ない人間の方が少ないかもしれない。
ゲーム制作では今は関わる人間がとても多くなったせいもあるだろうけど、オペラや美術、古典音楽や芸能に通じてる人も大勢いて、よく見ればそういう影響は至る所にある。
あまり語らないし、語られないのは単純に言うと反発が大きくて面倒だからだ。
って言う人が多いからね。
にも関わらず、どうして豚のように与えられた消費コンテンツだけを食い漁って古い物を尊敬しないように感じるか、ってのは"感じ方が間違ってる"んだよ。
だって、オタクが古い物を馬鹿にしてるの見た事ないだろう? 尊敬してないんじゃなくて、馬鹿にされるから語る奴が少ないだけなんだ。
それに加えてネットでは流行の新しいものを話題にした方が人気が出るから、新しいコンテンツを語る若い人の方が多いし、目立つんだ。ステマもあるかもしれないけどね。
そして更に、テレビや新聞では権威を保つためにそう新しいものには触れ辛い。
ここでは省くけどオタクを軽蔑した書き方にならざるを得ない理由があって、「馬鹿がバカなものばっかり追ってる」*ように報道するんだ。
そうするとどうなるか?
今のところ、過半数かそれに近い人の目にしている新聞やテレビでは古典がリスペクトされているのが目につき、そういう場所でDisられてるオタクはネットで発言する事が増え、更に話題になって欲しいから新しいものは語るけど、バカにされるから古典には触れない、って事になるだろう? すごく分かりやすいじゃないか。
まだまだ他の要因はあるし語りたい部分もあるけどやめとくよ。
音楽で例えるとこんな感じだな。
「HipHopのMCってなんでクソ左翼で反体制のヤク中ばっかなの?」
みてーなw
「流行りのlyricばっか消費してんのにballadeとかvillanelleやらねーし、John DonneもAndrew Marvellも語らないとか違和感あんだけど?」
ってな。
要は「オタク以外の奴の承認欲求がオタクがうるせぇから満たされない」*って言ってるっぽいけどな。
もし仮に詩をやるんだったら、自分の感じ方もたまには疑ってみるのも大切だぜ? …よけいなお世話かもしれないけどな。
* *
ほとんどの人はもう既に気付いていると思うけど、あえてこの表題に言及している人はあまり多くないんじゃないかと思ったので書く。炎上したら💩なのでここに書く。
結論から言うと、プログラミングを何年やったからプログラミングの能力はこのぐらいと言うことは絶対にできない!
これは何もIT業界だけでなく他の分野でもそうだ。たとえば野球とか絵画とかにも言えることで、ただ年数を重ねればいいってわけではない。勘違いしてほしくないのは、他の業種ではただ年数を重ねればいいといっているわけではない。
コンビニだったら始めはレジ打ちから入るだろうが、だんだん品出し、他者とうまく調整できv、何が売れるか・何が利益率を叩き出すかを把握し、接客態度は絶えず磨き……というように、能動的にスキルを身につけるなければあっという間に「経験した年数」などというものは何の武器にもならないであろう。(「やっても給料変わんない」とかそういうのは抜きにしても)
個人的な経験によるサンプルしか無いが、ぼくの経験上では年数が高ければ高いほどいいと思ったことは全くない。もちろん2ヶ月の新人と5年目の人での比較はなかなか難しいが、情熱ある新人プログラマが半年で5年目を追い越すなどということはありふれた話だ。あたかも大人が小学生や中学生にさらっと数学や英語の能力で負けるように負ける。
残念ながらしっかりした実証などはないので、周りの環境がそうではない場合は納得できないかもしれないが、以下は明らかであろう。
経験年数とは時間であり、重要なのは、時間を代入すると成長度合を求められる関数(ここではFとする)の違いである。(F: time -> ability)
Fの方が大事な理由も明らかだ。timeはケチをつけようとする例外を除けば誰にとっても同じであり、おもしろくもなんともない。
Fの次元が違う場合は、能力の次元も文字通り違う。そのため、かなり重要だ。
「プログラミング歴2年だからこんなことを知っている」と周りから評価されるというのは、要は「プログラミング2年生」だということだ。これははっきり言って侮辱である。2年プログラミングをやったから知っているんじゃなくて、2年の間で勉強したことがたまたま別の箇所で出現したということだ。決して2年やったからではない。2年の間に獲得したスキルがいっぱいあるからだ。2年は重要じゃない。どれだけやったかだ。2年という期間それ自体は全く重要ではない!
「プログラミング歴2年なのにそんなことまでできるのか」というのが真の評価なのだi
これはまあまあ高い評価である。「プログラミングを始めてまだ半年なのにそんなことできるのか」という評価はより容易く得られる。年数を重ねれば重ねるほどこの評価に達するのは難しくなる。したがって「プログラミング歴10年なのにそんなことまでできるのか」という評価はほとんど得られない。ほとんどの場合、「10年やってるからできるんだな」とか、ひどい場合「10年やってるのにこんなこともできない」という評価になる。
これもある種、年数というものが全然重要じゃないとみなされている証左であろう。みんな知らず知らずのうちに周囲の人々の経験年数と能力とでおのおの相関図を作り上げて、標準偏差をなんとなく作り出して、「45歳……クソコード……チーン!こいつは偏差値37!落第!死刑!」みたいなことをやってるんだろう。
プログラミングも慣れてくると、特に新しいことを勉強しなくてもなんとなくできるようになってきはじめる。これが危険なシグナルだm
「自分はプログラミング歴が長いのに、HTTPSの仕組みもTCPの仕組みも詳しく知らず、JavaScriptもまともに書けず、WebAssemblyは全く知らないし、RDBのことは知らないし、もちろんRDB以外のDBはちんぷんかんぷんで、デスクトップアプリは作ったことがない、サーバサイドはRailsしか知らない。Railsがどう作られているかも知らない、gitの触りぐらいしか知らない、AWSやGCPは全然使いこなせない、公開鍵暗号方式もよく知らないし、アルゴリズムも簡単なものしかわからない。デザインパターンも勉強してないし、関数型言語もわからないし、C言語も全然読めない、アセンブリはやろうと思ったことすらない、正規表現も複雑なものはいまいちわからないし、機械学習はわからないし、そもそも数学が不安で、AndroidアプリやiOSアプリもまともなものはリリースしたことがなく、エディタは人が作ってくれたプラグインをただインストールするだけで、英語はほとんどできず、セキュリティに関してはザルもいいとこ」
のように自分を見直すべきである。もちろんほとんどの人はそうしているとは思う。そもそも「自分はプログラミング歴が長いのに」という部分はもはや要らないだろう。
あとはただ穿つだけである。能力は、どれだけ、何を、どうやったかとの方と強い相関を持つ。能力とは現在の状態であるのだから、強い相関を持つのは最最もである。
一刻も早く「プログラミング歴」でなんとなくの判定するのをやめて、プログラミング歴1秒の人に対しても、プログラミング歴1000年の人に対しても、そのFを見るようにし、自分はとっとと次元を越えて昇華したいものである。
親から「バイトはどう?」とラインが来た。「どうしても合わなくてやめた」と返したら「どう合わなかったの?」と質問が帰って来た。
3日後くらいに「こんなのがあるから一応覚えておくといいよ」と地元で開催される来年度の卒業予定者向けの就職説明会の広告の画像が送られてきた。私の卒業は最速でも再来年度なんだけどな。
その2日後くらいに「今N○Kでやってる番組見てみたら」とまたラインが来たのでテレビを点けた。就活生向けの番組だった。中途半端なタイミングで点けたせいで内容がよく分からなかったのですぐに消した。
私が兄弟の中で1番頭が悪くて不真面目で、バイトもすぐ辞めてしまうような根性無しで、大学の学部も専門性がなくてこのままだと就活に困りそうだから心配してくれているのだろうけど正直追い立てられている気分にしかなれない。というか今更心配・サポートしてます感出すのはやめて欲しい。私が高3の時にデザイン系の専門学校に行きたいと言った時に鼻で笑ったこと、一生忘れません。
とはいえ本当はもう動かないといけないのかもしれないけど、人によって言ってることが様々でよく分からない。就活っていつから本格的に動くものなのか。コミュ障でブスで要領の悪い人間でも就職先が見つかるのか。ちなみに文系学部の2年。
来週帰省する予定だけど、資格が、就職が、と色々言われると思う。ああ帰りたくない。大学やめて専門学校入り直したいって言ったらどんな顔するかな。
追記
独り言のつもりだったからやりたい事に関してはだいぶアバウトに書いたけど、少なくとも絵(イラスト、絵画)ではないです。とりあえず経験と作品が必要なんだろうと思うのでほぼ知識皆無だけど頑張ってみる。言及ありがとうございます。なんかスッキリしたしやる気が出ました。
ダリフラ、いいよね。
テレビアニメに求めるものは人それぞれ、色々あってしかるべきだと思うよね。おれは絵画が好きだし、絵が(写真でなく)動いてるだけでアーンイイネーと思っちゃう人間で、ダリフラは完全にいいね。画面は美しいし、002はかわいいよね。
6話はよかったよね。016は326とかに「乗せられてただけ」「002は独りで戦える」とかって意地悪言われてて、真に受けてたんだよね。016は326の実力を認めてたし、その326が002に使い捨てにされて、やっぱり002は独りで戦えるんだ、どうせオレも使い捨てかと捨てバチになってたと思うのよね。でもホントの死に直面してみて、002にもパートナーが必要だってわかったんだよね。だから死ねない、死たくないと思ったんだよね。落ちこぼれと言われ続けてた016が、久々に?自分を認められたんだよね。ちょっと016の心が強すぎる気もするけど、あんまりクヨクヨしてると碇君になっちゃうからね・・・。
SFとしてもいいなあと思うんだよね。最初はスタニスワフ・レムの砂漠の惑星のことだと思ったね。自律進化したロボットが滅ぼした惑星で、生命の力強さを見いだすという話ね。叫竜は人工物っぽいデザインだし、マグマエネルギーを採取するためのロボットなのかなあとか妄想できるね。ターミネーターかよ!そういう世界だとしたら、新開発のフランクス搭乗員がカスみたいな存在で泣けてくるね。今後の展開が楽しみだね。単に生命が散っていくだけじゃないといいなあ。
要するに、眼鏡が大好きです!
現代アートはともかく芸術ってすべからくエロが原動力だよな〜と最近思う。
フェチズムといったらいいのかな。色っぽさというのかな。
ここが好き!!!!というのを追求した技術力とセンスのある変態が突き詰めたものが絵画というか絵になってる感じ。
なんかうまく言えないんだけどさ〜「人間の欲求を綺麗なものにしてくれてまじでサンキューな」という感想を最近抱いてる。
彫刻のベルニーニとか絶対女体と薄布に対して圧倒的執着心を感じるもん。
あとは世紀末芸術好きで見るんだけど、女性の曲線と布の優美さに心奪われた変態たち(褒め言葉)がたくさん作品残してくれてるから見るの楽しい。
性的欲求なんてそのまま描いたらきれいなものじゃないけど、こうやって美しいものに昇華できる人間は捨てたもんじゃないよね。好き。
お付き合いをしている人がいる。
私はおそらく世間一般で言うオタクというやつで、創作物、創造物の類が好きだ。
ゲーム、アニメ、映画、演劇、絵画、模型、音楽。私にいろいろな感情を教えてくれたそれらのなかでも、ことさらに本が好きだと思う。
飽きっぽく節操の無い性格のためか、活字なら小説から詩集新書専門書、漫画なら少年少女青年成年、雑誌に写真集、攻略本に設定集、映画や舞台のパンフレット等、およそ統一性の無い本たちが、広くはないワンルームの隅に鎮座している。縦に横に雑多に、しかし私のなかでは理路整然と。
最近遊びに来た友人に、積みすぎると床が抜けると脅された。賃貸でそれはまずかろうと、恐る恐る電子書籍に手を伸ばしている最中だ。
さて、冒頭に出てきた彼の話だが、おそらく少なくとも、漫画やアニメのオタクではない。ハリウッド版攻殻機動隊を視聴するにあたって概要を説明した折、第一声が「それはガンダムとは違うの?」だった男だ。
興味の無い人間にとって、電脳化・義体化とモビルスーツによる宇宙戦争は同じに思えてしまうらしい。お前話聞いてなかっただろ。
「ガンダムとはちょっと違うかなー」「あれ、前見たガンダムと同じ監督って言ってなかった?」「ガンダムと同じ監督?何見たっけ?」「見たじゃんあのアニメの、警察のやつ」
ある日のこと、きっと遊馬とカイの区別もつかないであろう彼奴から突然「3月のライオンって知ってる?」とラインが来た。
ーーーーーーー
『3月のライオン』(さんがつのライオン)は、羽海野チカによる日本の漫画作品。将棋を題材としており、棋士の先崎学が監修を務める。(Wikipediaより)
ーーーーーーー
知っている。
漫画は単行本を既巻全巻持っている。アニメも見た。実写映画も見た。
好きな物語だ。
正直すごく嬉しかった。自分の好きなものに興味を持ってもらえると一気に親近感が沸くオタクの生態よろしく、結構、いやかなりテンションがあがってしまった。チョロいもんである。
とはいえ相手は小泉花陽ちゃんと三村かな子ちゃんの区別もつかない甲斐性なし野郎だ。ここは慎重にフラットに対応すべしと自分に言い聞かせつつ話を聞いてみると、どうやら彼の友人がアニメを見てハマったらしく、自分も気になった、ということらしい。
漫画を所有していることを伝えると、貸してほしいとの返信。もちろん了承の旨を伝え、既巻13冊をすべて手渡した。重くなるが、スピンオフの灼熱の時代も紙袋に詰めた。
3ヶ月ほど経った頃だったか、デートをした日、そういえば漫画全部読んだよ、と彼が言った。晩ごはんを食べようと入った居酒屋でメニューを見ていたときだった。
もちろん私はすぐさま感想を聞いた。そうなんだ、どうだった?と、期待を込めて聞いた。
彼は笑ってそう言った。
びっくりした。ショックだった。
面白くなかったのだろうか。そう聞けば、面白かったという。続きも読みたいという。実写映画も漫画も見てみたいという。
けれど、一番に口をついて出た感想が「現実にはあり得ない」だった。
そこで初めて思い知った。
世の中には、現実というフィルターを通して物語を読んでいる人が、あるいはそう読むことしかできない人がいる。少なからず今、目の前にいるのだと。
私自身は、幼い頃から随分本に触れてきたと思う。特にフィクションの物語を好んで読んできた。読むたび私は空想にふけてきた。
こんな魔法が使えたら、こんなドキドキするような恋愛が出来たら、こんな力を持って世界を救うヒーローになれたら。
そりゃそうだ。私は本を読むとき、その物語という未知の世界の扉を開けて、体ひとつで飛び込んでいるようなものだ。
本を読んでいるとき、現実は扉の向こう側にある。現実は戻ってくる場所なのだ。
みんなそうなのだと思っていた。それが当たり前なのだと思っていた。
でも、そうではなかった。
私は何にショックを受けたのだろう
彼に自分が好きな世界を否定されたように感じたからか。自分の好きな物語にケチをつけられたように感じたからか。あるいは、単に同調してもらえないことに傷ついたのか。
おそらく全部あてはまる。けれど核心ではない気がする。
いまだによく整理できていないが、私はあのとき直感的に、嫌だと感じたのだと思う。
きっとこの人と私では、心の奥底のほうで、物語を共有することができないと、そう感じたのだと思う。
立ち位置が違う。視点が違う。同じものを見ているはずなのに、見えているものが違っている。
考えれば考えるほど当然だ。彼と私は他人で、好みも違えば趣味も違う。育ってきた環境も、考え方も違うだろうし、感じ方も違うだろう。
けれど私は、「物語」に関しては、その差異が許せなかった。直感的に、嫌だと感じるほどに。
これがいわゆる価値観の違いってやつなのか、とも思った。
これを理由に離れてしまうペアは多いと聞く。価値観が違うのは当然だと以前は不思議に思っていたのだが、今はなんとなくその気持ちがわかるような気がする。
自分のなかの大切な、染み付いてしまってどうしようもない根っこの部分を、きっとこのひとには理解してもらえない。それがわかってしまった。
ただそれだけなのに、その瞬間、彼が異質なものに思えてしまった。
ガンダムと攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼と私は、何かが決定的に違っている。
以来私の心は、彼の前では、私の大切なものをそっと奥に、彼の手が絶対に届かないところにしまいこむことにしたらしい。
一緒に映画を見たいと思わなくなった。見ても感想を言いたいと思わなくなった。本を貸したいと思わなくなった。本屋には着いてこないでほしいとすら思うようになった。
理性のコントロールが効かない部分の、なんとまあ厄介なことか。辟易する。
追記
1990年生まれ現在27歳のグラフィックデザイナーです。
絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、
せっかく戻ってきたのであれば、今までのことを記録してみようと思い立ち記事を書いてみます。
ネット上で絵を描いていた人にはとても懐かしいかもしれません。
物心ついたころから既に絵を描いていて、幼稚園児のころには既に
「学年一絵が上手いキャラ」として周囲から認知されていました。
それは高校に上がる直前までの11年間、自らのアイデンティティとして確立し、
自分=絵を描く人間だという自己イメージは自身の中で確実なものとして定着していました。
幼稚園児のころから漫画が大好きで、地獄先生ぬ〜ベ〜やドラゴンボール、
赤ずきんチャチャ、折原みと先生の漫画、くりた陸先生の漫画をこよなく愛し、
よく真似て絵を描いていた小学校低学年。
高学年になるとテニスの王子様にめちゃくちゃにハマり、
その頃に同人という言葉を知るなど、順調にオタクとして育ちました。
ちょうど6年生になったあたりのころから、
自分でイラストサイトを作ったり、CGで絵を描き始めたのもこの頃です。
あの頃入り浸っていたのは、「ふみコミュニティ」というポータルサイトの絵板。
そこにはたくさんの同世代のイラストを趣味とする子たちが集まっていて、
同い年の子たちもたくさんいました。(「マウス書き。ペンタブほしい〜!」はもはや合言葉みたいだった…)
ふみコミュの中にも絵がすごく上手い子、そうでもない子がいて、
本当に小学校6年生なの!?てくらい当時上手い人もたくさんいました。
私もそこに混じって絵を投稿したり、交流が楽しくてずっと描いてました。
そのころはまだ上手い人に対する、明確な劣等感は感じませんでした。
ドラゴンボールのファンサイトの管理人同士(年齢層高め)で意気投合し、
毎晩のように絵チャットに明け暮れていました。
そこに設置された絵チャットに、暇な人が入っていてそこにどんどんあとから人が集まっていく。
絵チャットは描いている過程が丸見えなので、下手だと思われたくなくて大人に混じって必死で絵を練習し、
一方で「9091P」という1990年生まれの絵描きを集めた同盟が立ち上がり、
同い年同士で交流したりお互いのサイトを見あったりと、創作活動も活発な時期でした。
その頃あたりから、ふつふつと、「世の中には自分より何倍も絵が上手い人がいる」と
中学校三年生あたりで、絵を描いて交流するような友達はいなくなりました。
いるのは、ネット上でも話したことのない、上手い絵描きさんだけ。
同い年なのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう?
そんなことばかり考えるようになったと、今振り返ると思います。
絵を描かなくなる人生なんて想像もつかない私は、高校は美術を専門とした学校へ進学。
デッサンや油絵、水彩、彫刻、プロダクト、デザインといろいろなことを学べ、最高の環境で学び始めました。
課題で描く絵は本当に得意で、いつも良い点を取れるし、先生からの評価も高いのだけど、
その一方で「自分のために描く絵」というのを、この頃にはもう全くと言っていいほど描かなくなってしまいました。
それはおそらく…わざわざ点にもならない、要は目に見えた利益にならない絵を描くことに意味を見出せなくなり…
わざわざ描くのに、上手い人たちよりも下手な自分を目の当たりにするだけで、
なんのメリットも感じられなかったから。下手な自分を見るのが怖かったから。
課題ではいい点をとらないのに、コンクールでは金賞を取り続ける人。
同人活動で売れ始めた人。
絵画部で大きくて素敵な絵をたくさん描き続ける人。
成績や点数には現れない、素晴らしい魅力を持った人がたくさん身の周りにいました。
でもなぜだろう、仲良くなれなかった。劣等感で一緒にいられなかった。
絵の話だけするのはつまらなかった。
恋愛もしていたしバンドもしていた、いわゆるリア充タイプに属していた自分だからか?
そのために、どこかで「自分は彼らとは違う」と思っていやしなかったか。
一線を画すことでどうにか自分を保っていたのではないかろうか。
仲良くなりたかったんだろうか?それも甚だ疑問で、確かに話は合わなかった、
でも、絵を描いててなおかつ絵以外のことも話が合うひとなんて、この世に存在するのだろうか?
気張ることなく絵や萌えに没頭できた側面もあったのかもしれない。
相変わらず絵を描く親しい友達はできないまま、大学に進学する時期になり、
「せっかく高いお金を同じくらい払うなら、地方じゃなくて上京して東京の美大でデザインを学ぼう。」と思い、
絵を描く情熱が割と無くなっていたにも関わらず、真面目な性分ではあることと
点数を取る絵は得意ということもあったといえども今思い返すと本当によく入れたな…と思います。
絵ではなくデザインを選んだ理由は、少なくとも物を作りながら生きていきたいと思ったからです。
デザインであれば、就職率もよく、絵を生業にするよりはお金になると判断してのことでした。
ただ進学しても業種を変えても問題は変わらなかった。
デザインだって自主制作がとても大事なのに、大学生になっても自主制作ができない病が治らない。
でも課題はいい点を取れる…………と思いきや、さすがに大学はそうはいかなかったのです。
付け焼き刃では、太刀打ちできないほど周りが上手すぎるし、
そもそも大学は研究のために来る場所なので、自分で物が作れない人間は評価すらされない。当たり前のことですが。
そして最終的には就活で完全につまづき、希望の企業には就職できず、
かといって物作りも諦めきれずに、作家性のないグラフィックデザイナーとして現在働いています。
書きたい絵なんてのはもともとなかった。
誰かと描きあって、見あって、評価しあってというコミュニケーションの一つとして私はずっと絵を描いていた。
誰も居なくなって、誰とも話せないのに、一人で描き続ける意味はもはやなく、
コミュニケーションはできないのに上手い人を指をくわえて見ているだけで、
私にとっての絵は、物作りは、もう役目を終えたのではないか。
新しい、今までとは違う方法で、コミュニケーションを取る方法を探すのが賢明かもしれない。
なんのために絵を描くのだろう?なぜこんなにも絵を、作ることを、諦めることができないのだろう?
物作りから離れることは、自分の人生を否定すること、アイデンティティが崩壊することという思い込みが、
未だに私に絵を描かせる。物を作らせる。本当はもう、とっくの昔にうんざりしているのに。
やっぱり諦められなかったけど、30歳を目前にして、
これからの人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。
どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。