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2017-11-18

森次慶子は「性格は悪いが "天才的に絵が上手"」なのか?

下手糞プロ絵師です。

以下を読んだので意見を述べたい

https://togetter.com/li/1172284

https://togetter.com/li/1172310

私はアニメーターではないが商業イラストレーターだ。

この記事を書く目的クリエイターに関する理解を深めて欲しいかである

件に関しては二つの意見に集約されると思う

①発議者は業界賃金問題の話なのに「お前は下手、私は上手い」とクソリプとばしている森次は論旨を理解してない

しかし森次の絵は実際上手い。ポケモンメインキャラクターデザインしているようだ。絵描きとしては天才だけど性格が壊滅的に悪い人なのだろう

①については特に異論はない。しかし②について、つまり森次氏の実力については意見を挟ませて欲しい。

私の結論として森次氏の表面的な作画能力天才的なレベルはいえず、業界基準でいうなら凡庸程度。過去仕事をいくつか検索させてもらったがカードイラストに関しては良くて「まあまあ」、絵画作品は「少し下手」という評価をしている。絵が上手いか、下手か、という話は抽象的な議論に聞こえるが、プロ作家編集からみると顕著に評価がわかれる。もちろん理由セットで。プログラミングが分からない人に “Hello World” を表示させるコードを見せたら、さも難解なことをしているのだと思われるのと同じことだと思う。要するに無理解から来る尊敬だ。

以下、発言プロフィールなどへの突っ込み

エビの絵は「模写」である

特に話題になってたのが高校生の時に描いたというエビの絵だ。10代でここまで描けるなんて天才だろうという意見が多く出ていた。これは本人も言っているが模写である。「模写だったとしてもすごい」という人もいるかもしれないが、美大受験レベル高校生であればざらにいるレベルである。上位20-30%には入っているかもしれない。ただ模写はやってみるとわかるが想像以上に上手にかけるので、あの絵を正しく評価するには現物をみるしかない。多摩美芸大油絵科の学生に、この絵を見せても「天才」と思う人はおろか「なんで学生時代課題を公の場に晒しちゃったのかな…^^;」という反応が来ると予想する。ただ素人目にみるとすごく見えちゃうので、そこを堂々と出してくるのが逆にすごいというか、まともな神経なら恥ずかしくてできないんだけど。

ポケモンのNは多人数でデザインされている

これはゲーフリの開発体制を知らないか想像しかないのだけど、恐らく一人のスタッフキャラクターデザインピンからキリまでやらされることはないし、何を持ってして「デザイン」と呼ぶかにもよる。大げさにいうなら「髪は緑」というコメントを出してそれが採用されるだけでも「デザインをした」という実績といえる。さすがにそのレベルの実績をプロフィールに書かないだろ!と思いもしたがエビの件をみるとあり得るのではと勘ぐってしまう。

美術予備校飛び級

気になった言葉なのでプロフィールから抜粋した。そもそも予備校飛び級意味がわからないが、言い方の問題で、浪人生クラスに混じって高校の頃から授業を受けていた、ということなのではないか。これは本人が希望して時間の折り合いがつけば普通にできる。私も美大浪人したがクラスに1〜2人は高校生がいた。

森次氏自身アニメ制作に携わってた

自分アニメーションに関わってるから適当発言しているんじゃないよ?」アピールが入っている。映像仕事アニメ3DCG技能ツールも全く異なる。自分仕事領域を明確にしてないので色々謎。発議者は「自分仕事動画」だと明言しているのでこの話はフェアじゃない。この件がどうだかわからないが、大して重要ポジションコミットしているわけでもないのに「私は〇〇の仕事をした!(実際にはデバッグをやっただけ)」というクリエイターは珍しくない。

細かく突っ込むと他もいくつかあるがとりあえずはこんな感じでしょうか。なにか質問あれば追記します。

普通美大ゲーム会社で育つとまわりに上手い人いっぱいいるので「いや〜私なんてまだまだですよ…」となるのだが。本当にものっっっそい上手な人でも謙遜するくらい化け物クリエイターばかりの世界なのだが。彼女場合、そういうのをみじんも感じないので素で自分の実力がわかってないのかもしれないし、そういうロールなのかもしれない。しかし周りもその自信に怖じ気づいて「天才なんだな」って同調しているのがわりとつらい。

twitterを見ていると美少女イラストに対してのリテラシー可愛いor可愛くない)はとても高くて私も嬉しいのだけど、少しジャンルはずれると(特にリアル描写系)「よくわからないけどすごい」のような評価になってしまうのが少し残念に感じる。あと森次氏の比較対象としてあきまん氏が挙げられてたけどあきまん氏の方が性格の悪さも技術力も万倍は上だろう。それくらい差がある。

2017-10-28

AIかぁ〜

茶碗とか絵画とか書とか、いわゆる芸術?の一流品てお高いじゃないですか。仙人みたいなおじいちゃんがコネて焼いた茶碗が100万円とか。人間国宝とか。

そのうちベテラン事務員田中さん人間国宝になるのでしょうか。打ち出された帳票では不払だったが、田中さんの複写式の請求書文字は他の追随を許さな文字精神性が高く評価され、素早い入金が確認されました、とか?

2017-10-24

化粧しない女ってどこにいるんだ?

生息地を教えて欲しい

毎日毎日おんなじような絵画作品ばっかりみせられてうんざり

化粧しない女はどこにいるんだ

2017-10-11

好きな絵を観るのが苦痛

私はイラスト制作や、美術館鑑賞が趣味である”はず"である

だが、その趣味が近年は苦痛である

他にやるべきことがあるのに趣味を楽しむべき時期でないとか、他鑑賞客のマナー辟易しているとかそういうものもあるが、むしろ内面的な問題の方が大きい。

絵は好きなのだが、観ていると遣る瀬なくなってきた。

私が絵画鑑賞をするきっかけは、両親の影響が強い。

私の中学時代美術部(とは名ばかりの、漫画ゲームの絵を描いていた部活だった)に所属し、毎日好きなゲームキャラクターイラストを描く、よくいるありふれた子だった。けしてうまくはないけど情熱はあったと思う。

高校受験時の進路として、美術の基礎をたくさんやれるところに行きたいとぼんやり考えていたが、親の猛反対を喰らった。

いわく、「おまえの絵にはセンスがない。基礎もなっていない。」という指摘である

基礎を学びたいからそういう学校に行きたいのだが、と伝えてみても「本当に絵を描きたいやつならば、そこらへんにあるものを題材にして描けばいいのにおまえは描かない。笑わせないでほしい。」といったことを言われた。

(確かに描くものなんぞそこらへんに溢れているし、その気になればそのへんのカゴでも満足いくまで描けばよかったとは思う。おまけに、我が家には石膏像もあるし環境としては揃っていた方ではあったかもしれない。)

家族さらに続けて「おまえは絵がわかっていない。もう少し他の画家の絵を見て、どんなもの評価されるかを勉強したらどうだ。」といったことを言ってきた。

かに漫画絵やゲーム絵ばかり見ていてもよくない。その指摘は一理あると思い、それ以来何かあるたびに美術資料を眺めたり美術館写真展示会に通うきっかけになっていった。

大学こそは美大に行きたいとは思った。しかしまたしても家族に「ああいうところは、もう既に基礎ができあがっている人間が鍛えられるところ。おまえが行くべき世界ではない。」と言われた。

他にも2~3ほど進路選択で揉めてしまい、とうとう情熱よりも面倒くささが勝って、紆余曲折があり今現在美術とは違う進路を選んだ。

(今でこそわかるが、当時我が家経済的に相当逼迫しており、お金がかかるかつ親の知識価値観からすれば将来性が不安定でありがちの美術系には猛反対したかったのだと思う。)

話は少し変わるが、私には母方に年下の三姉妹の従姉妹がいる。

その三姉妹は全員、美術系を専門にやる高校に進んだ。

加えて書くとその高校は、私の母と三姉妹の母(すなわち私から見ると叔母にあたる人なのだが)の、母校にもあたる。

三姉妹が通っていたときは母と叔母はその話でよく盛り上がっていて、従姉妹の誰々が陶芸でなんちゃらをやっているようだ、従姉妹の誰々が文化祭でこんなすごいものを創った、従姉妹の誰々が賞を獲ったらしい、などとよく聞かされた。

しかしその度に 「私も行きたかった世界なのだが。」という気持ちがどうしてもこみ上げてきてしまっていた。

三姉妹のそれぞれが高校卒業後に美術とは関係ない職業に就くことになっていると聞いたとき三姉妹には申し訳ないが「やはり美術では食えない程度の実力で、美大に進む金も度量もないのだな。」と思った。われながら性格が歪んでいるとは思う。

そうして、とりあえず美術館にいく趣味だけは残った。

おそらく私自身の絵画芸術における審美眼は、ある程度は肥えているとは思う。明らかにサブカルファッションのために行くのではなく、きちんとした芸術鑑賞であるあくまで、絵を描かない人間として、だ。

ただ、食うために絵を描くわけでも絵を観るわけでもないのに、シビアな物の見方ができているのがキツイである

アマチュアが描く絵を見て「頭蓋骨が陥没している」「手足のバランスおかしい」「内臓はどこに入っているのだ」「下手ですみませんと思うのならそもそも上げるな」「昔の絵を批判しておきながら、視点誘導もなっていない絵を平気で自画自賛するな、見苦しい」という疑問や批判が、頭の中から離れない。

もちろんお世辞で「わあ、可愛らしい絵ですね!」とコメントすることはできても、別にからその人の技量に関して賞賛しているわけではない。

その人がその絵を描くことに関する時間技能を捧げることができたことは幸福であり、それを賞賛しているに過ぎないのだ。

しかし仮に、私が美術の道に進んでいたとしても中途半端に終わっていた可能性もある。自分の絵のセンスの無さに絶望して、とりあえず美術教師にでもなっていたのではなかろうか。

(これは私の気質問題であり、断じて美術教師の職に就いている人を指して批判したいわけではない)

どうしようもない過去に想いを馳せ、ぼんやりとした暗い気持ちを抱えたままで美術イラスト鑑賞をすることが、ときにたまらなく辛くなる。中途半端に持ってしまった、虚しいプライド画力を抱えたのも相当厳しい。

なぜ自分は絵を観ているんだろう?たまに絵を描いてしまうのはなぜだろうか?

どうやれば、純粋に絵の世界を楽しめるのだろうか。なにかいっそ別の趣味を見つけた方がいいのだろうか。他にもこういう人がいないか、ついつい考えてしまう。

2017-09-28

https://anond.hatelabo.jp/20170927233355

小さい頃から日本習字の塾に行ってたやつは学校書道科目で矯正させる。間違ってるので。


あと、武田なんちゃらを持ち上げるのは日本書道教育楷書を軽視してるから

文学絵画過去踏襲する必要性はわかるくせに、書道はそうではないらしい。

小中の書道授業では欧陽詢や王義之どころか空海の書もみることがない。

大人になってもいるだろ、楷書書道の入門編だと思ってるやつ。

書道あいかわらず中国が中心地になっていくんだろうな。

2017-09-25

絵を描くこと

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絵を描いている。

絵画だったりイラストだったり、好きに描いている。

描き始めたきっかけは嫉妬だ。
小学生の頃クラスに一人は居る、漫画の模写がすごくうまい子のノートを見せてもらった時に
本当に後頭部を殴られたような衝撃があった。 驚いた。雑誌のままの絵がそこにある。

自分も描きたいと思った。美しいあの絵を描きたかった。

嫉妬エネルギーになった。だけど描いても描いても追いつけない。 悔しくてちょっと泣いた。
引越しをするまでその子目標だった。

その街から車で5時間ぐらいのところへ引っ越し
全く違う言語の子達に囲まれて違う意味でまた泣いた。

そんな自分外国語のように方言を話す子達は優しかった。
うまいんだねって褒めてくれた。その言葉でここにいていいんだ、と思った。

そしてほいほいと舞い上がったちょろい私は 高校大学と絵を描き続けた。
そして当たり前だけどもっとうまい子がいて、またしばらく泣いた。

それでもいくつか賞をもらったりして 社会人になって仕事して、絵を描いている。

だけど今描けなくなっちゃった

なんでかなぁ。
あんなにきれいなものが描きたかったのに。
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2017-09-21

夏休みの困苦売る

夏休みの宿題でも、答えのはっきりしているドリルなんかは大した手間ではなかった。

あんもの所詮普段の延長線上にあるものしかない。

何がめんどくさかったかというと、交通安全標語とか美化絵画コンクールとかああいうのだ。

今のようにネットがある時代でもない。何をどうすれば高評価が得られるのかまるで不明だ。

どうすればいいかからないので、適当にこなしようもない。

そうやって俺らが夏の間必死こいて作らされたブツを、大人たちが集まって、

これは銀賞にしときましょうかとか適当に決めてんだろうなと思うと、なおさらムカついた。

人生目標なんてもの特にないが、あん立場になってみたいという願望はあった。

2017-09-20

anond:20170920144312

たった一文字の違いでは御座います絵画映画区別くらいはして頂けると幸甚に存じます

年を取ると色んな物を忘れちゃって嫌だな。

絵画タイトル映画だったか、「蝶々のため息」みたいな題の作品無かったっけ?

2017-09-08

anond:20170908065220

映画や本でみた(知った)場所へ旅する。

主人公追体験みたいなのも楽しいです。(私だけかな💦)

海外でも、国内でも。

旅は、目的によると思う。

グルメや買い物をするのもありだろうけれど、たくさんお金を使うのもそりゃいいのだろうけど。

綺麗な風景や、遺跡や、美術品(日本に来ない)などの目当ても

個人的には良いかなぁって思う。

好きな絵画の「ここで描かれました」的な場所

絶景とか有名な場所じゃなくても、高山植物みたさに山に登ったりもありかなーと。

睡蓮のために、早起きして名所の池や公園に行ってみたり。

自分の魅力を上げる、ステータスになる物にお金を使うも、もちろんありだと思います

絵画コンクールなんてやめちまえ

小学校の時、図工の時間に花のある景色の絵のコンクール出展する用の絵を描くことがあった。学校の外に出て好きに描くのだ。

学校の周りは畑や、田んぼがあり畔道によく花が咲いてた。

美しい花の絵がある景色...それならばこのコスモスとその背景の山々の絵を描こうと思った。

自信満々の絵の下絵を先生に見せた時、衝撃的な言葉を言われた。

「茎が細い、あと葉を大きく描きなおしなさい」

私は絵が得意なので、コスモスをやや写実的に描いてた(当時小学生だったので、絵にそれなりの幼さはあったと思う)。

なので可憐で華奢なコスモスをそんな風に書きたくなかった。

茎がアスパラみたいで、葉が家の裏手に生い茂ってるような雑に扱われる類の葉っぱの絵。組み合わせたら、ドラえもん映画に出てくる人を丸のみにしそうな植物お化けになった。

こんなものコスモスではない。断固反対した。

「絵に生命力を感じられない、植物は地面にどっしりと生えないといけない」

「でないとコンクールでは受けない」

・・・確かに、その絵画コンクールでの絵は人を丸のみにしそうな植物お化けと、そのお化けの隣で何故か笑顔でいられる人間の絵ばっかだった。

植物生命力を感じるのは大事かもしれないが、それが茎の太さではない。細い茎なのに、風にあおられてもしゃんとしてるコスモスのほうがいい。

こんな化け物の絵ばっか描かされて個性も何もないじゃないか

コスモスに華奢さを求めて何が悪いのか。

そんな絵ばっか求めてる審査員審査員だ。同じようなの求めてないで、節穴を目に整形してからこい。

当時はそんなことは思わなかったが(後々考えてムカついた)、茎が太いのは嫌なので先生と私でお互い妥協できる茎の太さを求めて何度も描き直した。

葉っぱは、数を増やしたらあっさりオッケーをくれた。コンクール出展してもらったけど、見事参加賞の佳作であった。

2017-09-05

天然培養デブ処女アラウンドサーティ

 物心いたころにはデブスだった。

 おおよそ30年間の内、痩せていた時期がない。

 自分自身、太っているのはよく分かっているし、それが美しくない、などという曖昧表現に納まらず、ストレートに申し上げれば醜いことも理解している。風呂上りに鏡で見る裸体は掛け値なしに本当に醜いと感じる。美醜という点でも、健康という点でも、「出来るなら痩せていた方が良い」ということは重々承知している。この「出来るならば」が曲者なのだ。私が思う痩せたい/痩せた方がいいという理解判断気持ちは、分かりやす表現すると、宝くじを買っていないのに「あ~3億円の宝くじ当たらないかな~」と夢見るようなものしかない。解決する気、つまりやる気がないのである。ちなみに私は宝くじを買っていないのによく宝くじ当たらないかな~と口にする。

 このやる気がないことはありとあらゆることに繋がっている。デブという体系以外の服飾や美容や化粧というものにもやる気がない。服飾や化粧や手入れでドブスがブス、ブスがまぁちょいブスくらいには変わるものなのかもしれないが、いたずらに耳目を集めるような汚さ/臭さ/奇抜さがなく、最低限の清潔感さえあればいいやと、仕事でもプライベートでも家でも全てユニクロを着ている。

 デブであることも運動食事療法生活習慣などを見直せば当然痩せるだろうが、努力してまで現状を変えようというガッツがない。美味いものを食って美味い酒を呑み、ろくに運動せずだらりと過ごすのが好きだ。

 幼少期から今に至るまで、テロメアに異常でもあるのだろうかと思うほどに運動が苦手であるが、克服しようという気がない。苦手なものは苦手なままでいいや、積極的に関わろうとしなければいいや精神だ。

 学生時代学業はそこまで悪くはなかった、ストレートで中の下といったそこそこの大学へ進学し、ストレート卒業した。努力をすればよりレベルの高い大学に進めたろうし、今だって勉強すれば知識は増えるだろう。でもそこまでやる気がない。

 料理掃除スキルもない。部屋は乱雑でごちゃごちゃしているし、未だに実家暮らしている上、母が料理が得意なので全てまかせている。家事スキルというのは人間として高いに越したことはない。どちらも経験を積めばある程度はレベルがあがるし、努力すれば身につくものだ。でもやらないで過ごしている現状が楽だ。

 人とコミュニケーションを取り交友関係を広げていくことは、トラブルに巻き込まれることもあろうけれども、悪いことではない。でも一人が気楽だ。

 当然、若いころは周囲も若かったのでデブであることを積極的からかわれ、なぜ自分はこうなのかと考えたこともあるが、デブであることは純然なる事実であったし、特に顔を真っ赤にして怒るようなことでもなかった。なによりそのころにそういったストレート事象で人を罵倒するタイプの子供というのは、悲しいことに得てして馬鹿だった。本当にごく一般的で、大した事のない自分よりも学校勉強すら出来ない馬鹿言葉を気にして反応する必要はない。そうしてなぜか無駄なほど高飛車形成されていた心の強さにより、そういった罵倒を全て無視した所、まぁ当然嫌がる反応を見たいからこそ投げられる暴言だ、頻度が酷く減っていき、気付けば自分も周りも大人になって、そういった言葉は投げかけられなくなった。

 本を読むこと、音楽聴くこと、歌うこと、映画を見るもの絵画を見に行くこと、そういったことは昔から今に至るまで好きだ。好きだからこそ努力していない。努力必要ない。それぞれでプロを目指している訳でもなく、自分楽しいと思える範囲しかやっていない。学生時代はかなり厳しい部活動所属して自分を追い込んでいたし、結局やめることなくきちんと務めきったが、その経験から精神を病んだり苦しんだりしながら努力を重ねるほどやりたいことではないなと思った。当然アマチュアレベルだしプロを目指すほど上手くはない。

 人と深く交流することも面倒で、必要最低限で済ませた。一人でも楽しめる趣味世界は溢れていたし、十分楽しいのだ。

 こうやってぐだぐだと思考を重ねていくことも好きで、SNStwitterだけやっている。趣味の話をする友人…と私が思っている対象もそこそこいる。

 そんなやる気もガッツも一切ないデブスなので、当然交際経験もない。処女というと性行為をしたことがない意味になるが、そもそも交際経験がないのだ。異性の友人もいるが、友人として成り立てるということは、価値観が近いということで、そりゃデブスに興味はないのである。見目麗しくなく、得意なスキルもなく、努力を重ねる高い精神性もない人間と、一体誰が好き好んで深い関係になりたがるというのか。自覚があるし理解もある。

 利益があるから好きになるんじゃない、というのが恋とか愛の定説だろう。きっとそうなんだろうなと音には聞く。他人事なのは特別好きになった相手もいないからだ。齢30を手前にして、恋とはどんなものかしら~なんて考えているなんて大笑いである。しかもそれが美しい娘が窓際で歌う小鳥ハーモニーを重ねるのではなく、ユニクロを着たデブスが乱雑な部屋で光る画面を見つめながらだ。

 承認欲求は人と同じほどあるし、彼氏/彼女は正直欲しい。女なのだろう?彼氏じゃないのか?という部分に関しては、正直どちらでもいい、両刀/バイやⅩジェンダーなのか?と聞かれても困る。なにせ交際経験がないからだ。より正直に言えば、男/女/LGBTに関わらず、別に動物でもいい。哺乳類以外も好きだ、爬虫類などね。虫は苦手だが蜘蛛は好きだ。でもまぁ彼氏/彼女と並べるなら変温動物よりは恒温動物がいいな。じゃあペットを飼えと思われるだろう。ペットに憧れはあるが中途半端に繊細なハートの持ち主なので、いわゆるペットロスペットに先立たれることに耐え切れないのが目に見えているし、やる気がないのだ。

 寂しいときに甘えられ、向こうが甘えたいときに甘やかしたい。そんな欲求ゆえに彼氏/彼女/恒温動物が恋しくなる。でもそれはつまり都合の良い相手が欲しいというだけで、苦労し努力してほど捜し求めたくない。ここでもやっぱり結局、やる気がないのだ。

 死にたい訳ではない、楽しいことは沢山ある。まぁ嫌なことも多いけれど。あと、まだ30歳前であるが、今後死に際も一人かと思うと猛烈に怖くなる。私は末っ子だ、不摂生が祟って早死にしなければ、身内と呼べるコミュニティの中では最も遅く死ぬことになる。じゃあ早死にしたいか?というと、絶対嫌だ。出来る限り楽しく生きたいとさえ思っている。じゃあ不安解消の為に努力をするか?といえば、やる気がないのである

 自分別に特別人間じゃない、ということはよくよく分かっている。つまりはこういうやる気のないが人寂しい人間というのは一定数確実にいるのだ。そういう人同士が寂しさを埋めるように体温を分け合えばwin-winじゃないかと思う。需要供給が成り立っている。でも実際そういう人間を探そうというやる気が私にはない。多分まだ見ぬ同じような存在もやる気がないのだ。

 出会えば幸せになれるかもしれないが、出会おうとするやる気がない同士なので出会えない。無気力ジレンマとでも名付けたい。

 私は生まれながらの天然培養デブ処女、年齢はアラウンドサーティン。寂しい、評価されたい、愛されたい、愛したい、頼られたい、良く思われたい、楽に行きたい、尊敬されたい、etcetc…欲望はつきない。でもその欲望をかなえるべく努力はしない。やる気がないからね。

2017-09-04

https://anond.hatelabo.jp/20170904153001

確かに、これが、ラッセ○の絵画とかだったり、壺だったり、書籍だったり、宗教だったり、するのかな。

  

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-08-22

エロの疑問等

広告や表紙規制は見たくない人達も絡むのでわかる

何故子供が見てはいけないのか

絵画 教科書 赤ちゃん 民族 アフリカの子供達はセーフ?

モザイク黒線は必要ない

2017-08-18

働けなくなって半年

ゴミ出しと買い物くらいしか外のでない生活に流石に危機感を抱いて、

生活費削って前々から習いたかった絵画教室にかよってみたんだが、

2時間の集中ができなくなっていることの気付いて愕然とした。

A型作業所でも4.5時間作業があるのに、その半分も集中できない。

帰ってから俺は泣いた。

2017-08-14

実家大掃除した

諸用あり帰省した。

祖父母の元気がいよいよなくなってきているという母親の脅しもあり、高い飛行機チケットを買った。

実家で羽を伸ばしてきてね」

という同僚たちの声かけがありがたかったが、帰省には内心うんざりしていた。落ち着けないなと思った。自分がこの世で心底落ち着け場所は、もはや東京都北区6畳ワンルーム寝床のなかだけな気がしていた。

家族はあまりれい好きではなくて、というか掃除が大嫌いだから実家は埃まみれで汚い。もともと自分は不潔な子供だったと思う。お風呂も2日に1回だったが、それが当たり前だと思っていた。

けれども実家ゴミ屋敷めいて汚くなり始めたのは、大学進学に伴って家を出てからだ。自分関東大学に進学し、学費のため母親が働くようになり、家の隅々まで気がまわらなくなり汚くなった。つまり自分のせいだ。

学生となり帰省したある夏、自分の部屋に、お菓子を食べたあとのごみがうず高く積まれていて閉口した記憶がある。

妹の部屋に入りきらないごみが、自分の部屋にまで侵食していたのだった。そのままでは眠れないと思い処分したが、いざ寝ようと思った時、すえたチョコレート匂いや埃臭さが壁紙に染み込んでいることに気づき屈辱を感じた。

その日はなかなか眠りにつくことができなかった。

それから実家に帰るたびに物が散乱し、形容し難く汚くなっていくのを見て、罪悪感に苛まれた。

帰るのが毎回億劫だった。罪悪感とともに、家族のことを恥ずかしく思う気持ちも芽生えていた。

大袈裟かもしれないが、実家が年々ゴミ屋敷めいていくのが、自分能力限界を示しているような気がしていた。

家が汚い人間がどれだけ教養を身につけようと思ったところで、限界があるのではないか

の子は蛙。下流人間下流

幼少の頃、家にある本は「課長島耕作」と父親の買うパチンコ雑誌のみ。

家族集中力がないかテレビチャンネルをすぐ変える。認めたくないことだったが、自分家族は、あまり頭がよくなかった。

今は恥じる気持ちも薄れた。お金がないのに関東大学に通わせてくれて、感謝してもしきれない。だが実家は未だに汚いままだ。このままではゴミ屋敷のものになってしまいそうである

から実家掃除することにした。面倒だったので墓参り以外に予定もいれておらず、お金を使うのも億劫だったのもある。それに、帰省の前に北区6畳一間のアパート大掃除したらそれが思いの外楽しかったので、楽しみながら掃除ができるのではと思っていた。

掃除をする旨を家族に伝えると、テレビが壊れて買い替えたので業者が来る、だからリビングから掃除をしてほしいと母親に頼まれた。

隅々まで掃除機をかけた。掃除機では取りきれない埃をモップでとった。絨毯にコロコロをかけた。こびりついた汚れに電解水を噴射し、こすった。面白いほどきれいになった。

楽しくなってきたことを伝えると、うずうずとしていたのか母親も参戦し、ともに台所の油汚れも落とすことになった。換気扇は全面が赤茶色コーティングされており、パネルジャクソンポロック絵画のように汚れが飛び散っていた。

母親がどこからか出してきた業務用の洗剤を噴射してラップを貼り、しばらく置いた。そうして剥がすと、力をいれずとも汚れがスルスルとれた。そうしてあっという間にキッチンは、新築同然の姿になった。

こんな簡単なことだったなんて!自分が悩んだ、実家が汚いという事実や伴う罪悪感は、洗剤とほんの少しの労力で解決できるものだった。

こんなことなら、もっとから掃除しておけばよかった。楽勝だった。御託を並べている場合などではなかった。さっさと行動すればよかったのだ。

キッチンは電源タップ炊飯器などあらゆる部分に埃がついて、油にまみれてしつこい汚れとなっていたが、少し力をいれたら完全に取れ、新品同様の姿となった。

ソファの合皮もてっきり経年劣化だと思っていたが、洗剤をつけてこすったらピカピカ光り出した。母親が歓声をあげた。

まりに楽しかったので、掃除モチーフにしたテーマパークを作ってみてはどうだろうかと想像したほどだ。

大人たちがピザを食べたりなどして見守るなか、子どもキャストの指示のもと、換気扇の油汚れを落とすのだ。

テーマパークから帰った子供たちは、親の手伝いをするに決まっている。

今回大掃除成功したわけだが、次に帰る頃にはまた実家は汚くなっていると思う。

見つけてしまったが、パンについてきたシール適当にとっておくようでは駄目だ。人からの貰い物も躊躇なく捨てるようにならない限り、家はきれいにならない。

でもそうなれば、また自分がきれいにすればいいだけの話だ。

できる人間がしなければいけないのだ。この場合のできる人間とは、せずにはいられない人間という意味だ。

できる人間には、それができてしまうという限りにおいてしなくてはならないという義務が生じる。

母親は疲れ果ててできなかったのだ。父親も妹もまたそうだった。自分が恩返しをしなくて何になろう。

できる人が黙々とすればいい。これは掃除に限らず全てにおいてそうだと思う。人への気遣いとか、オリンピック競技選手とかもそうなのかもしれない。

できてしま人間はできない人間に対し、それができてしまうという限りにおいて、その行為をしなくてはならないのかもしれない。

なぜならできるということだけで、その人は恵まれいるからだ。そして自分は完全に恵まれしまっていた。全て家族のおかげだった。

帰省の折にたったの一度、大掃除をしただけで何を偉そうなことを、と思う。

盆は大掃除以外には何も素晴らしいことはなかった。祖父母や両親の老い、そして死の予感をひしひしと感じた。

自分はと言えばしたいことも欲しいものもなく、友人と会いたいとも遊びたいとも思えず、貯金への欲望があるのみだ。

自分もまたこうしているうちに死んでいくのだろう。ゆっくりと。その場所ごみに溢れているかもしれない。

だが自分は抗いたい。祖父母や両親の死は避けられない。しかしその最後の時まで恩返しをしたい。だからよい洗剤を探す。収納方法を極める。できることはなんだってしてやる。

ごみなんていくらでも捨ててやる。

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170812222454

起源明治時代日本国内の写壇にあるんじゃないかな。そこではボケフレア有効に使うことで詩情を出すことが流行したらしい。絵画技法から来ているらしい。極端なのが「ベス単フード外し」をありがたがるというやつ。

後にはそれに反発する人も出たが、現代まで踏襲して受け継いでいる人もいる。

ネットではボケボケ言うけれど、プロ写真家作品見るとボケに頼っている人はあまりいないよね。

2017-08-05

[] #32-3「数奇なる英雄 リダイア」

期限当日。

俺たちの成果を、他のグループの前で発表する日ということだ。

他のグループの発表はというと、自分たちの住む町の歴史だとか……まあ何も言うことはない。

みんな課題をこなすことに必死だったし、他人成果物に目を向ける心の余裕はなかったんだ。

そして、長いような短かったような時を彷徨い、いよいよ俺たちグループの番がきたのだった。

英雄リダイアはこの町で生まれ育ったことは周知の通りです。リダイアは当時としては画期的建築技術発明し、この町の発展を大いに助けたとされます。ですが、これはあくまで彼の英雄たる理由の一つでしかありません」

まずはリダイアに関する大まかな説明から始める。

このあたりはエビデンスがとれていることもあり、滞りなく進んだ。

問題はここからだ。

「次に彼はアマゾンとある集落にて、住人たちと槍を取り、侵略者から守ったという記録が残されています

アマゾンといえば、アマゾネスしかし、そこでリダイアはこれといった人間関係トラブルがなかったことが、記述内容から判断できます。つまりリダイアは実は女性だったのではと推測できます

聞いていた他のグループがざわつきだす。

一応の辻褄は合うものの、はっきり言ってとんでもない説だからだ。

念のため言っておくが、これは俺ではなくメンバーの一人であるタイナイが提唱したものだ。

それっぽくこじつけはいものの、タイナイが最近読んでいた漫画の影響をモロに受けていることは俺からみれば明らかであった。

さて、これが一つ目の策だ。

タイナイ、カジマ、ウサクでそれぞれ持ちよった説を全て統合して、後は無理やり辻褄を合わせてやろうというものだった。

当然そんなことをすれば、いずれ綻びが生じる。

そこで俺はとある説を用意しておくのだが……まあ直に分かる。


「戦乱の世が平定。落ち着きを取り戻し始めたころ、リダイアは医者を志します。今度は人を救う存在になりたい、と考えたのかもしれません。それから彼は西の島にて、医者として多くの命を助けました。汎用性の高い薬を発明したのも、この当時であると考えられます

医学進歩しだしたころ、リダイアは芸術の分野で多彩な活躍します。我らの町では建築技術、別の地方では絵画といった具合に」

その後も俺たちは、纏めた内容を淡々説明していく。

周りのざわついた音は徐々に大きくなっていたが、意に介さなかった。

「そのように八面六臂の活躍をしていく内、またも世は戦乱の気配を漂わせていました。そこでリダイアは、再びその身を戦火の中へと投じていくのです」

説明も終盤にさしかかったとき、とうとう俺たちが予想していた言葉を一人のクラスメートが発した。

ちょっと待ってくれ、さっきから色々と語っているが滅茶苦茶じゃないか現実的じゃない」

当然の疑問だ。

そこで、俺たちは二つ目の策……いや、説を提唱することにした。

「仰るとおり。いくらリダイアが人並み外れた力の持ち主と定義したとしても、このとき既に64歳。現役を退いている上、当時の平均寿命を越えている。仮に生きていたとしても、物理的に有り得ない」

「我々はリダイアの活躍が書かれた文献をしらみつぶしに調べました。長生きの一言で済ますには、些か無理がある活躍の記録があることが分かりました」

「文献のいくつかは彼を英雄視する人々が作り上げた、偶像物語だと考えることもできます。ですが、それを踏まえてなお整合性のとれない話も多々あったのです」

「そこで、ある説が浮上します。リダイアというのは個人ではなく、各時代、あらゆる場所複数いた、名もなき英雄俗称ではないかと」

ざわついていた空間が、今度は静寂に包まれていた。

これこそが、俺の考えた方法……いや、説だ。

「あらゆる時代、あらゆる場所活躍する英雄が多くいました。リダイアが様々な方面で才能を発揮したとされるのも、そもそも別人だと考えれば自然です」

「なぜ、それらがリダイアとされたかは、彼らに関する詳しい文献が個別存在しない、つまり名もなき英雄だったことに他なりません。そこで当時の人々は、ある種の英雄理想像としてリダイアを作り上げ、そこに実在する英雄投影させました」

「時には自称し、時には伝聞によって。事実真実伝承入り混じり、『リダイア』という英雄集合体が形作られたわけです」

はっきり言って、この説はあまり自信のあるものではなかった。

一応の整合性こそ取れるものの、その実は文献の真偽を分別することを放棄した、苦肉の策だったからだ。

些か理屈に無理があることは承知の上だった。

それでも課題未完成にして出すよりは、それを完成品にするために帳尻を合わせるほうがマシだと考えたのだ。

(#32-4へ続く)

2017-07-28

デッサンてね

気持ちこめちゃダメなの、ひたすら冷静にここは何センチで、ここはこういう風に書くって決まってるの。ワイはセンスいから2浪目にデッサンは製図やとわりきったら大学受かった。だからってそれが面白い絵とは限らないんだよね。まあ、誰かに聞いて欲しかった。デッサンってこんな感じなんすよ。眠たい時間絵画ジャンルの話してごめんね。美大に興味あったらトラバよろしく。

2017-07-22

ミシェルウェルベックにハマった

なんやこいつ。面白すぎやろ。

服従」を読んだ。色々とスキャンダラスで、フランスでは結構有名な本らしい。

フランスイスラム教支配されるって話なんだけど、主人公40代孤独な冴えない大学教師ってのも妙にリアリティあるし、

エログロ絶妙な味付け加減も素晴らしい。フランス人性格の悪さをいい方向に発揮したなあと思える本。

それから地図領土」も読んだ。美術かじってる人間には結構クる内容だったが、成功した美術家の一生を描いていて、こんな人生送れたらいいなと思える内容だった。

劇中に登場する絵画作品映像作品もかなり詳細に描かれている。自分もこういう作品作ってみたい!と大いに創作意欲が湧いた。こんな小説は読んだことがない。

作中に作家自身が登場するんだけど、なんかいキャラしてるし。

この作家基本的主人公が似通っているという批判もある。だが、それって別に悪いことじゃないし、むしろ違う主人公を描いている作家のが少ないと思う。

今「素粒子」を読んでいる。出だしからやっぱり惹かれてしまものがある。

なんというかハマりすぎて、はけ口を求めているのだが日本だとやっぱりマイナーらしい。

孤独テーマの本ってやっぱりいいよね。

ウェルベックは明らかにナボコフに影響されているけど、自分ナボコフ好きなんでそれでまた好印象を持った。(あの嫌味な文体ね。最高だね)

フロイト嫌いな点とか。

彼は昔に精神おかしくなって精神病院入院したことがあるらしいが、やっぱり精神おかしくなるといい作品が書けるようになるのかな?

誰かこの作家に似た小説を書く人がいたら教えてください。

この作家に詳しい人いたら色々教えて欲しい。

2017-07-20

インスタグラムがいま一番会えちゃう出会い系だとわかってきておばちゃんは心配

今、インスタグラムってすごく出会いやすいと思う。私も加齢で体型がゆるんできたので、憧れの人を見つけたくてインスタグラムでボディメイク系のアカウントを探してしばらく使ってたんだけど、すごく無防備世界でびっくりしている。

出会いたい人にはすごいツールだし、そういうのちょっと…という人は気をつけて。その判断は任せる。

何が起きてるか観測範囲を見る限りでのできごとを伝える。

で、ここからの流れは推測だけど、

  • 男性が好みの女性を見つけて「いつもトレがんばってるね!かわいいね♡」みたいなDMを送る。
  • 女性はその文面に一瞬で「キモ!」判定にならなければ、送り主を見に行くかもしれない。
  • 行った先がちゃんとトレしてる人だったら、「かっこいい!抱いて!」ってなってもおかしくない。自分筋トレ女子から筋トレっていう共通点があればすごく近づきやすいし、体のよさもわかる。性格や真面目さもある程度わかる。
  • 女性が「いいかも♡」って思ったら、きっとしばらく筋肉褒め合い大会をして、そのまま「会おっか!」ってなるハードルが低い。

私はそういうの興味ないので出会い系サイトとか使ったことないんだけど、無料で使えるめちゃくちゃ普及しているアプリで、ここまで性的に好みな相手へのリーチができるのって、今までのSNSになかったと思う。で、びっくりしている。

私のような既婚子持ちって明記してあるアカウントにもいっぱい出会い系メッセージが来たので、そっ閉じして、今は鍵付きで女性同士でひっそりやってる。

ジムとかサーフィン行ってたりする、いわゆるパリピな人たちには当たり前の出来事なのかもしれないけど、ずっとネット民を静かにやってきたインドア系おばちゃんはとても驚いたよ。

私はネットでの出会いには特にいいとも悪いとも思ってなく、今の旦那Twitterで知り合って「このひとの言葉感性好きだなー」って見てて、数年後に実際会って、さらに数年経って結婚たから誰のことも何も言えないんだけど、やっぱりTwitterで知り合うには強烈なクラスタ属性(というか共通趣味というか)か、文章力がないと、なかなかそこまで至らないんじゃないか毎日自撮りアップしてる子とかを除けばね。

それに比べてインスタは視覚で「おお、好み!」って思う人が、先方のアルゴリズムサジェストされてくるのよね。インスタはどうしたいんだ?出会わせたいのか?これはおばちゃんだからスルーできたけど、若い女の子たちが一番使う情報収集ツールがインスタらしいし、ちょっと心配だ。大人はさ、好きにやってくれたらいいんだけどさ。不倫修羅場化したって自分のしたことだし…

で、オチ特にないんだけど。ひとまず思ったこととしては、自分の子供に対しては表現ツール制限をかけるんじゃなくて、こういうことがあるよ、で、嫌な人はこう対処しよう、っていうのを教えようと思った。

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