はてなキーワード: 世家とは
本国とWOWOWで放送された時に江澄のことでTwitterが荒れたから怖くて見られなかった3期最終話をやっと見た。ちなみに原作とドラマは完走済。
結論:なんでこれで荒れたのかわからん。むしろかなり江澄に優しいラストだったのでは?
一月祝いの銀鈴を拾って封棺式で金凌に贈ったのは江澄だよね?
だったら魏無羨との確執を乗り越えられるようになったのだな…と思うんだけど
原作だと江澄は今まで己の愚かさや性格の欠点に真正面から向き合ってこなかったせいで、宗主にはなったものの雲夢江氏の経営が上手くいっていない設定がある(大世家の中で孤立いしていて、近所の人から恐れられている)。プライベートでも人付き合いをしないため彼は常に孤立している。
アニメ3期末で閉関したのは、江澄が自分の性格を見つめ直して、より良い人生を歩むための準備期間として閉関が設けられたわけじゃん?閉関ってそもそも己をレベルアップさせるための修行期間だし。
原作の結末では江澄は魏無羨への執着から解放されただろうが、内省したとまでは描かれていない。観音廟で魏無羨と話し合ったことで江澄の心境にも変化したはず、だから閉関が必要ない…というのは原作には書かれていないから間違った解釈・ただのオタクの都合の良い勘繰りだ。
あの閉関はこの先の江澄の人生には間違いなく必要な期間だった。
アニメはかなり江澄ファーストな優しい結末だったのに、怒っている江澄オタクたちは江澄に幸せになってほしくないのか?
藍忘機が江澄を髠刑に処したのはもっともなことだ。目の前で恋人が罵倒されてるのに素知らぬ顔でいる藍忘機のほうが嫌だ。
そもそも祠堂は家族しか入れないプライベートエリアというわけではないから、藍忘機が雲夢江氏の祠堂に入ったのは失礼に値しない。
アニメの魔道祖師はどのキャラクターにとっても素晴らしい結末だったと拍手を送りたい。良いメディアミックスだった。ありがとう。
完全な悪役ではなく、善と悪ふたつの要素を持つグレーな性格のキャラクターには、なぜだか陰湿で思い込みの激しい粘着質な女性ファンが多くつく。
平成の時代はそのようなキャラクターの代表がハリー・ポッターのセブルス・スネイプだった。私のハリポタにおける推しである。
JKRは「スネイプはまったくのグレーな人間。聖人ではなく、復讐に燃えていじめをしたが、悪人でもなく、魔法界を救うために死んでいった」とたびたび説明しているが、それでも「スネイプは英雄で聖人だ。スネイプを悪だというやつはおかしい」とSNSで主張しまくり、原作者にすら説教をするほどの熱心なスネイプファンは跡をたたない。
原作ファンや、「グレーなスネイプ」をそのまんま愛しているスネイプファンは、このようなスネイプファンを煙たがり、原作者もこ過激なスネイプファンの行動をマンスプレイニングとかけて「スネイプ・スプレイニング」と呼んでネタにしてきた。
で、話は令和に移る。ここ数年、ao3を席巻するほど世界規模で流行っている中国発のBL小説「魔道祖師」にも、江澄というスネイプのようなキャラクターがいる。魔道祖師にハマって、案の定スネイプの時と同じように江澄にハマったのだけど、江澄はまさにスネイプのポジションであり、スネイプについていたような「厄介で粘着質で思い込みの激しい女性ファン」が多くついているのを見てパブサするたびにうんざりしている。
江澄は確かに不憫でかわいそうな経験が多い。若くして家族と門下生たちを惨殺され、師兄にも出奔された。が、それも自分の怒りと妬みにそまりやすい歪んだ性格と能力的な至らなさが招いた愚かな結果であるともいえる。そのもっともたる例が鬼道術者に対する拷問で、鬼道を行っていないと判明しても拷問して殺しており、江家管轄領の住人たちから恐れられている。
江澄は原作者の墨香铜臭にも「性格が悪い」と言われている。窮地に陥った魏無羨を辛辣な言葉で追い詰め、宗主という権力者の立場でありながら魏無羨と協力し合わず彼を助けなかった。この物語のヴィランで(であり被害者でも)ある金光瑤に、「あのころの江宗主が魏無羨と連携をとれていたら魏無羨は死なずに済んだ」と指摘されているほどだ。ほかにも自身の性格の悪さが原因で、実の父親にはうとまれて愛されず、恋愛関係になった複数人の女性にも愛想を尽かされて破局しているというエピソードもある。(後者は原作完結後インタビューより)
アニメ3期の最終話にて、江澄は魏無羨をさらに辛辣に罵倒し、怒った藍忘機に髷を落とされた。それにより江澄は己を省みるための閉関修行に入る。
これらは原作にないアニメオリジナルの展開なのだが、アニメ制作陣により刑罰の意図をもって明確に描かれている。無論、江澄が愚かな性格を直してこなかったことに対する罰だ。
本国放送時に初めてこのシーンを見たとき、「ああ、これで江澄は反省するだろうし、自分の性格のせいで損ばかりする人生じゃなくなるな」と、江澄ファンとしてかなりほっとした。
他作品を読んで感じていたが、原作者の墨香銅臭は主人公カップルの結末以外にはとくに注力しないタイプの作家である。なので原作の江澄は何も自身の性格を省みることなく、魏無羨とも完全に断絶して終わった。
原作を読み終えた時、江澄はこのままで大丈夫なの?という漠然とした不安あった。
三大世家の中で雲夢江氏は孤立しているという設定なため、この先何者かに陥れられるか、間違って拷問した相手の関係者から恨まれて攻め込まれでもしたら、雲夢江氏は今度こそ本当に危ないだろうという心配もあった。
だからアニメ3期にて、江澄が己を省みる展開を入れてくれて猛烈に感謝しているのだ。江澄が自分の愚かな性格のせいでこれ以上不幸にならないようにしてくれてありがとう、と。
そう思っていたので、パブサしたときに、アニメ公式に対して烈火のごとく怒り狂っている江澄ファンたちの姿を目にして驚かされた。
「江澄が罰せられたことを自業自得だという人は人間性がおかしい。正直、引く」
「江澄を悪く言う人はブロック!」
「私のTLはアニメ3期への罵詈雑言が溢れている。私はTL構築に成行した!」
えっ、本気で言ってるの?と思った。
それから彼女たちの発する粘着質でじめっとした熱気を浴びているうちに気が付いた。「平成の間にさんざん見てきた厄介なスネイプのファンと一緒だ」と。
厄介な江澄オタクたちはひたすら「かわいそうな被害者」としての江澄のことしか語らず、原作ファンに江澄の至らなさを指摘されると烈火のごとく怒り出す。
彼女たちが話す江澄とは、「父親に愛されなかったせいで自分に自信が持てない性格で、日陰者の秀才、師兄に裏切られた被害者」であって、決して江澄の愚かで醜悪な部分を見つめようとはしない。
鬼道術者ではなかった人まで拷問していたことに対しては、「それは本人発信の情報ではないから嘘に決まってる。魔道祖師って噂が独り歩きすることの悪さを書いた作品だから」「拷問したあとは必ず医者を呼んで手当してるはずだから問題ない」という主張である。身内である甥の口からも拷問の話はでているため、この情報を嘘だと疑うのは正確な読み方だとは言えないだろう。
他にも彼女たちの中には「江澄は20歳ちょっとの若さで生まれたばかりの甥(金凌)を子育てをした。金凌には乳母はいない」という通説もある。金家ほどの大家が乳母を雇わず、宗主業務で忙しい江澄が自ら金凌を育て上げたというのはいささか考えにくい。
推しと自分を同一化する傾向もあるのだろうか。「乳母を雇わずに自ら金凌を子育てした」というのも、実際に小さいお子さんがいる女性によって主張されている。推しに自分と同じことをしてほしいという願望があるのだろうが、そのせいで推しの姿が歪んでしまっている。
オタク女の中でも特に腐女子には推しを「共有」する文化がある。
推しが自分たちが推すにたりうるほどの品性と人格を備えていないというのは、彼女たちにとって受け入れがたく、思わず目をそむけたくなる事象なのかもしれない。
だからといって、そのものの推しの姿を見つめようとはせず、自分たちが盛り上がるために都合よく推しを美化して愛でるやり方は、本当に良い推し方なのだろうか?
一部の江澄ファンの異常に熱心な姿を見ていろいろ考え、疲れたとき、ふと脳内に晋江掲載時の魔道祖師初版の、墨香铜臭によるあとがきが思い出された。
「まさか江澄がコメント欄の人気者になるとは思いませんでした」というものだ。
墨香铜臭もJKRの発言を追っていると、スネイプと江澄のファンにはかなり困らされているのが伝わってくる。まさかこれほど厄介で熱心なファンがつくなんて、原作者として想定外だったのだろうな。
こちらとしても、何故このようなタイプのキャラクターには、粘着質で厄介で異常な熱気のある女性オタクがファンにつきやすいのか、いつもかなり不思議に思っている。
メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ、世界史の教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い。
東アジア史が中心。
価値観が現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。
旧約聖書を読み始める。
旧約聖書を読了。学生時代に新約聖書を通読したから一応全部読んだことになる。
生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白い。ネタが尽きない。
ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。
十三機兵防衛圏については友人に薦められたからクリア後のノリで買った。
今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。
「シン・ウルトラマン」★★
「プラットフォーム」★
「12モンキーズ」★★★
(長くなったのでブコメ)
出てる人の中にはコロナなった人もいる。
ちゃんとしてるのブラリ途中下車くらいしか見たことない。ぶらりでも口に含む時だけ一瞬マスクを下げてもぐもぐしてる時はマスクをはめる人と、美味しい!ってマスクしてないまま言っちゃう人と、人の意識によってバラバラだけど。
24hテレビでもマスク無しシーンめっちゃ多かったよね。しっかり見たのはラミレス家だけだけどこのご時世家に上がり込んで長時間話したり一緒に筋トレしたり同居家族以外と食事すんなってなってるのに、テレビなら大丈夫って考えてるのかな。
あとあんま話題になってないけど声優の配信番組もまじでひどいんだよ。声優といっても最近テレビで見るレベルより2-3レイヤー下のレベルの若手な。マスクしてないとかは普通なんだけどあのイベントに出てた人ばっかり感染してるな…ってのがめちゃくちゃ多いし、そのイベントに出ててあなたほぼ濃厚接触者ですよね?って人が生配信してたりする。事務所がダメなんだろうな。配信番組じゃないけど最近だとアイマスがやばい。
あとライブな。フジロックもそうだし個別のアイドルのライブなんかも普通にマスクせずにくっついたりしてる。卓球とピエール瀧もくっついてたな。配信ライブで全員初めから最後までマスクしてるやつあんまり見たことないな。バンドは距離取れるからいいけどそれでもカメラマンが危険だよな。メンバーとスタッフは家族だからいいのか?そんなバカな。
エンタメ系でよく聞くのは「事前にPCRを実施した上で〜」みたいなやつだけど(確かフジロックでも言われてたな)、一人暮らしで引きこもってない限りいつでも感染の可能性があるし、初期の感染力ある段階でもPCRで陰性になることもあるので、陽性を炙り出す目的としてはいいかもしれないけど何かをやっていいことの免罪符にはならないと思うんだよね。帰省前にはPCRを〜!とかもCMしてたような気がするけどあれも微妙だよな。
誰かがマスクしたら変って突っ込んだのかな。
今の時代むしろマスクなしの防御力0の人間が近距離で同じ空間に存在すること自体不自然だけど。
まじでなんで???
芸能人の人は顔を覚えてもらえるからそれでいいのかな?自分だったらすごく怖いし命を危険を晒してまでやらなきゃいけないんだろうかとか思ってしまいそう。
中国と日本や朝鮮と日本の関係において、中には明らかな捏造も混じった「歴史認識の相違」が見られることについて。
ふと思ったのだけれど、これは、孟子の「易姓革命」の発明以来、延々繰り返されてきた「歴史書の役割」ではないかと思ったり。中国と韓国は表面のイデオロギーこそ変化したものの、内実の心性としてはいまだに儒教を引きずっており、それがために戦前の日本の暴虐性を半ば自分たちでも一部がフィクションというところまで誇張していると頭で分かっていつつも、それを主張してやまないのでは。そして日本は早めに儒教から脱しているので、一体何を言っているのかピンと来ないだけではないか。
つまり易姓革命において、現主権の正当性を担保するには、前主権の最後の人が、暴虐の限りを尽くし、酒池肉林におぼれた天から見放された大逆者でないといけないということで、現代の中国と韓国においては、それがたまたま日本国だったと。
・商(殷)の最後の紂王 → 妲己(だっき)におぼれ酒池肉林に遊び商を滅ぼした王
・西周の最後の幽王 → 褒似(ほうじ)におぼれ彼女を笑わせたいために狼煙をあげまくり本当に攻められたときに誰も集まらなかったため国を滅ぼされた王
・日本の雄略天皇(武烈天皇) → 妊婦の腹を割いて赤子を取り出したり、とにかく無茶をする大悪天皇。
以上はその次の王朝の歴史書編纂時に、悪鬼羅刹のごとく描かれている例だが、実際の治世は割とちゃんとしていたことも多く、それらは無視される。前の王朝の治世家としての正当性を描いてしまうと現王朝の都合が悪いということで。(韓国は大統領が替わるたびにまだこれをやってる。)
古代より延々と繰り返すこの「易姓革命」の概念がいまだに通用しているということではないだろうか。
では日本との歴史認識の相違論争がいつ終わるのか。中国の現主権者(中国共産党と人民解放軍)が退場し、次の主権者から現主権者が悪鬼羅刹のごとく言われ始めたときかな。