はてなキーワード: 翻訳者とは
『絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について』というnoteがバズっているのを見ました。
この文章の中の「・絵師は特権階級。という意識をまず捨てるべきだった。」という部分が炎上しているのでこちらについて見解をしていこうと思います。
https://note.com/magic_clover2991/n/n0ec2827346af
さて、文書についての私の見解ですが、インパクトを出すために工夫した表現が思いもよらずバズってしまったように感じました。
・本来主張したい内容に対して反AIを絡めるのが不適切でなかった
一部の絵師は
「絵師と絵師から生み出されるイラストは世界で一番素晴らしく、何よりも優先され、保護されなければいけない」
「絵師以外のクリエイターはすべて絵師の下位互換であり、絵師は創作者の頂点にいる」
そう思ってるフシがあります。
実際に思ってなくても、周りにそう考えてると取られてもしょうがないムーブをしています。
反反AIが指摘する「イラスト生成AIは否定するのに、翻訳AIは使っていいの?」に対して
「翻訳は創造性ないからwクリエイターとは認めない」みたいなのが代表格です。
実際に無から作品を生み出す絵師はとても素晴らしいし、私も絵が描けることを誇りに思っています。
https://note.com/magic_clover2991/n/n0ec2827346af
この「一部の絵師は他のクリエイターを見下している節があるが、それを辞めましょう」という主張と、反AIの人に向けた主張は本来分ける必要があったのだと思います。
この部分の主張だけ説得力があるので、長年あっためていたんじゃないかとも感じます。
実際この部分に共感している人多いですし、私も同感ですし。
ただ近年の生成AIに対する主張に混ぜてしてしまったがためにいらない反論が起こってしまったと考えます。
例として翻訳AIを上げていましたが、前払いで納期を過ぎて催促が来ているのにもかかわらずコミケに参加している絵師とかに変えても主張は成り立ちます。
私から見ても絵師がゲーム制作者、動画制作者などイラストレーターの描いた絵をもとに創作活動を行っている人に対して納期を平然と破るなど敬意のない態度を取っているのは事実だと思っていますし、実際シナリオライターをしていた時に絵師に無産オタクと言われるなど下に見られた事もありました。
この人もそのような絵師の態度に問題意識を持っていると推察できます。
そういう事かと思います。
以前「『ごんぎつね』の読めない小学生たち」というタイトルで物議を醸し出した記事がありました。
『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状
https://bunshun.jp/articles/-/55970
こちらの記事の中では「子供のボキャブラリーが貧しいことにより自分の感情を表現できない事により双方向のコミュニケーションがとれない」という事が主張されています。
しかし、主張とは関係のない以下の文章が取り上げられバズりました。
兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。
引用:『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状
https://bunshun.jp/articles/-/55970
実際にこちらの文章を全文読んでみると、ごんぎつねは一例にすぎず主張の内容は「国語力の低下により感情の細分化ができなくなってしまう。感情を適切に表現する国語力を身につける事でトラブルを回避できるようになる」という感じになるのかと思います。
しかし不適切なタイトル付とだれもが国語で習う「ごんぎつね」との組み合わせ、そしてごんぎつねの例が内容に即していない事によりいらないバズり方をしました。
奇しくも国語力の低下を問題提起する記事が、国語力がないために長文を読めない人たちの目にとまってしまいタイトルと一部の内容のみでバズってしまったという事になります。
この人も「一部の絵師は他のクリエイターを見下している節があるが、それを辞めましょう」という主張に対して、「絵師は特権階級。という意識をまず捨てるべきだった」と表現してしまった事、生成AIについての私見の中に先述の主張を混ぜてしまった事により、国語力がなく一部のみしか読めない人たちから「絵師は特権階級」の部分だけ読まれて炎上してしまったのだと考えています。
その証拠に、他のクリエイターを見下すのは辞めましょうをいう主張の部分が伝わらず、特権階級だというなら練習して絵を描けるようになればいいだろという反論がきてしまっているのです。
「生成AIについて」の主張と、「一部の絵師は他のクリエイターを見下している節があるが、それを辞めましょう」という主張を同時に語るべきではなかったと思います。
普段からモヤモヤしていた事を流行の話題にからめてnotoを執筆してしまったがために主張したい内容が混在してしまった。
できる事なら「絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について」の執筆者には「一部の絵師は他のクリエイターを見下している節があるが、それを辞めましょう」という内容のnoteを再度投稿してほしい。
ただし、このような主張を最初にしたところで読んでもらえる可能性は低いと思うのでこのような過激な表現を使ってしまうというのは理解はできます。
しかしそうしてしまうと本来の主張とは別の捉え方をされてしまうというのは注意する必要があると思いました。
今後同じような内容で出したとしてもAI推進派がまた何か言ってるとして捉えてもらえなくなるでしょうし。
村上春樹が海外で売れるまでの経緯は彼の職業観や執筆スタイルについて書かれたエッセイ「職業としての小説家」についてよく書かれている。
ちなみにこのエッセイはビジネス書としての評価が高く、文学や村上作品に全く興味のない人でもまあまあ面白く読めると思う。
それによると、バブル期の日本(「金が余ってるので予算無制限で適当に旅行エッセイでも書いてくれませんか?」と出版社から言われたり、どこへ行っても「いくら稼いだか」と金の話しかされない)に嫌気がさし、一時期アイルランドやスコットランドなど当時の日本人があまり訪れていないスポットに逃げて執筆活動をしていたらしい。その中で講談社のアメリカオフィスに訪れるようになり、アメリカの作家と同様自ら翻訳者やエージェントを探して出版するようになったらしい。
最初はイマイチだった反応が何かの権威ある文学雑誌で評価されて以来注目されるようになり、一気に人気になったというよりは徐々に火がついていったとのこと。
https://anond.hatelabo.jp/20231013133845
「赤表紙本」は
「赤表紙本」はその後失われたが写本が現在に伝えられている。
そしてトールキンが「赤表紙本」を英語に翻訳し、我々が知る指輪物語が誕生した。
そして、我々日本人が読む指輪物語では「馳夫さん」「ゴクリ」「つらぬき丸」等の翻訳があるが、翻訳の翻訳をしているのだがら当然であろう。
悪評高い映画版「指輪物語」もきっと戸田恵子が「赤表紙本」の写本をどこかで手に入れて参考にして自分で翻訳したのかもしれない。
自然科学や工学の危険性というのは失敗例が重大かつ大規模(公害、非人道兵器、医療事故etc)になるので
翻って日本社会って人文学・社会学がもつ危険性に鈍感すぎるんじゃね?ってのがここ十年近く思う事。
直近だと以下で
https://note.com/000gwen/n/n1f395563e1b7
「こういうことがこれからどんどん起きるんだろうな」と想定していた感じのことがまさにそのまま起きたようなケース。
上のnoteは少し経緯が不足してるので補足しつつ経緯を書くと
・王谷晶っていうレズビアンでLGBTQ+寄りの本書いたり帯文寄せたりしてる作家がいた
・過去にトランス差別で批判されたが謝罪し反省、SNS上でトランス女性を女性と認めないフェミニスト(TERF)を批判したりしていた
・王谷晶が「LGBTQ+にはペドファイル(小児性愛者)は含まれない」的な発言
・LGBTQ+界隈でジェンダー学を専門に学んでる連中から「ペドファイル差別だ、ペドファイルとチャイルドマレスター(児童性虐待者)は違う」とSNS上で詰められる
・王谷晶が帯文書いたLGBTQ+本の日本語版翻訳者が出版社に公開抗議文、謝罪か帯文撤回を求める
・出版社は全面謝罪、王谷晶も「ペドファイル差別はしません」と公開謝罪し鍵垢、小児性犯罪被害者だった過去などを告白するなどかなり混乱した内容
・ジェンダー学を専門に学んでいない一般左派が「ペドファイルはLGBTQ+には含まれない、チャイルドマレスターと似たようなもん、犯罪者予備軍なのでパージせよ」とSNS上で抗議
・そこだけ読んだ非左派の議論オタク連中が「ペドファイルだろうが手を出さなければ内心の自由の範囲内、自由を守れよ、つーかいつもの反差別はどうした?」とSNS上で絡む
・一般左派が「ペドファイルをLGBTQ+に含めようとするのは反左派オタクのデマ工作」と騒ぐ
・TERFが「いやペドファイルをLGBTQ+に含めようとしたのはジェンダー学の連中だろ、そもそもLGBTQ+運動自体が狂ってる」と騒ぐ
・ジェンダー学連中は凍結されたり、残った連中も旗色が悪いからだんまり、議論オタクは飽きてどっか行く、TERFと一般左派が喧嘩し続ける
・結果としては、本当に正しいかよくわからない理由で出版社と作家が公開謝罪させられたが、たぶん検証とかはされない
ここで考えてほしいのは、上の連中のどれに賛同するかって話以前に
・ジェンダー学の結果を社会に直接反映しているのに結果責任を取らない、とる能力がない学者・専門家サイド(出版社、ジェンダー学界隈、作家)
・ジェンダー学の内容(主張、学問的根拠、歴史的経緯)を把握せずにジェンダー学の議論だけ使おうとして失敗している非専門家(一般左派、TERF、議論オタク)
の対立状況って、科学コミュニケーションとかで言われてた「学者・専門家・市民のコミュニケーションの失敗」のまさに典型例なんだけど
全くそう捉えて扱おうとする社会学者やらが全然出てこないことなんだよね。
これって異常じゃね?
すくなくとも
「学者や学徒の知見が専門家に影響を与えて専門家が社会に影響与えるので、直接法的な責任はなくても道義的責任はあるよね」とか
「知識の差があるので知識のある側は無い側を責めないこと」とか
「専門家が事後的に検証や批判をすることで市民社会に責任を果たしましょう、市民はそうするように専門家に要求するのも責任です」みたいな
自然科学・工学の危険性的な話では当たり前のように出てきた初歩の初歩の話が全然出てこないんですよ。
なんでだろう。
なんでだと思う?
色々仮説はあるんだけど正直よくわからないというのが第一なんだが
そもそも論として「人文学・社会学の危険性」自体が学者や専門家にすら認識されてないというのが理由だとしたら
「それって自然科学とか工学の話ですよね?今関係あります?」と本気で思われていたら
中々恐ろしい話ではないだろうか。
この度、岩波文庫からアリエル・ドルフマン(昔は、英語風にドーフマン表記だった)の戯曲作品『死と乙女』が刊行された。90年代に一度、英語版から日本語に翻訳されたものが劇書房から刊行されたが、その後は長く絶版品切状態だった作品である。
「過去に読んだが岩波文庫から復刊したことは知らなかった」という人は、書店に急いで欲しい。
読んだことの無い人も、やはり書店に急いで欲しい。
もしかしたら、作品を読んだことは無くても、朴璐美や真木よう子などが主演した舞台を、日本国内で観たという人もいるかも知れない。または、ポランスキーによる映画作品を観た人もいるかもしれない。
ちなみに、これを書いている増田は、ど田舎生活の低所得者なので、演劇文化とは縁が無いことから、舞台を観たことはない。
今回の岩波文庫版は、著者の母語であるスペイン語で書かれたバージョンからの翻訳となる。翻訳者による詳細な解説があるので、作品執筆の背景となった70〜90年代のチリ内外の政治事情を知ることも出来ることから、一読者として有り難い。
これを目にしている貴方が、書店に赴いて『死と乙女』を入手して読んでくれるならば、もう以下の駄文を読む必要は無い。
この増田が読むことを勧めている『死と乙女』とは、どのような作品なのか、読んだことは無いが少しだけ興味が有るという人に向けて、以下を記す。
ただし『死と乙女』の結末に触れる部分があるので、未読で結末は自分で知りたいという人は、ここで一旦、この駄文を読むのをストップしてもらいたい。
また、直接的ではないものの、性暴力に言及する箇所もあるので、精神的な苦痛を喚び起こされる虞がある人は、ここで読むことを止めてもらいたい。
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1970年、南米チリで、サルバドール・アジェンデを大統領とする政権が誕生した。俗に、史上初の民主主義選挙により誕生した社会主義政権とされる。
しかし、アジェンデ政権を皮切りに中南米地域で社会主義国がドミノ倒し的に増加することを怖れた米国ニクソン政権は、チリへの介入を決定する。かくして、米国の後ろ楯を得たピノチェトが起こした軍事クーデターによって、チリは独裁国家となる。
この独裁政権時代のチリでは、多くのチリ国民が政治犯として弾圧され、不当な身柄拘束、拷問、虐殺の対象となっている。
チリ国外に亡命した人間もいる(亡命はしたもののチリ国外で暗殺されたという人間もいる)。映画『イル・ポスティーノ』の主人公の詩人も、そのような逃亡者であったことを、記憶している人もいるかもしれない。或いはまた、ヨーロッパに亡命していたチリの映画監督ミゲル・リティンが、ピノチェト支配下のチリへ潜入して取材する姿を、コロンビア出身ノーベル文学賞受賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスがルポルタージュ『戒厳令下チリ潜入記』(邦訳は岩波新書)として著したので、それを読んだ人もいるかもしれない。
本作『死と乙女』の著者アリエル・ドルフマンも、チリ国外に亡命した人間の一人である。
そして『死と乙女』の主人公パウリナ・サラスもまた、ピノチェト政権下で筆舌に尽くし難い苦痛を味わい、生還したチリ国民の一人である。
パウリナの夫ヘラルド・エスコバルは、ピノチェト政権下で、弾圧されている人々をチリ国外に亡命させる手助けをしていた。そのためにヘラルドは、ピノチェト政権当局から弾圧の対象とされた。
しかし、ヘラルドが当局の手を脱して逃亡したので、彼の居場所を吐かせるために秘密警察は、彼の妻であるパウリナの身柄を拘束し、彼女を拷問した。その時、拷問者は、目隠しされたパウリナをレイプしながら、シューベルト作品『死と乙女』をBGMに流したのである。
時が流れて90年代に入ると、チリは民主主義国家へと移行する。ヘラルドが逃亡する必要も、パウリナが夫の隠れ場所を吐かずに耐える必要も無くなり、二人は夫婦として、堂々と暮らせるようになった。しかし、パウリナの心には、拷問による拭いきれない大きな傷が残り、それが二人の暮らしに暗い影を落とし続けていた。
民主主義政権となったチリ政府は、ピノチェト独裁時代に行われた弾圧について、調査究明を行なうと国民に約束し、そのための調査委員会を任命する。今やパウリナの夫ヘラルドは、その調査委員会のメンバーの一人である。これが、物語の開始の時点で、主人公の置かれた状況である。
物語の冒頭、或る晩、ヘラルドは、パウリナの待つ自宅へと自動車で帰る途中、タイヤのパンクにより立往生していたところを、通りがかった医師ロベルト・ミランダに助けられる。ロベルト・ミランダの車で自宅に送り届けられたヘラルドは、夜も遅いし助けてくれたお礼にと言って、ロベルトに自宅へ泊まっていくことを勧める。
結局ロベルト・ミランダはヘラルドの申し出に甘えることにし、ヘラルドが寝室に居るパウリナに声を掛けて、彼女にも客人を泊まらせることを了承させる。
翌朝。
ロベルト・ミランダは、椅子に縛られている。パウリナが、彼にリボルバー拳銃を突き付けている。
それを見て驚く夫ヘラルドと、狼狽する医師ロベルト・ミランダに対して、主人公パウリナは告げる。
「昨夜、この男の声を聴いて気づいた。この男、ロベルト・ミランダこそが『死と乙女』をBGMとして流しながら、あたしを拷問し、レイプした人間だ」と。
ロベルト・ミランダに拳銃を突き付けて「洗い浚い罪を吐かせる」と主張する主人公パウリナに対して、夫ヘラルドは思い止まるように説得する。
チリがピノチェト独裁体制を脱して民主主義国家となったとはいえ、いまだピノチェトを支持するチリ国民も決して少ないとは言えない(現実世界の2023年現在でも、ピノチェト支持者が残っているのだから、民主政権に移行したばかりの90年代前半を時代設定としている物語の中では、尚更である)。独裁政権時代の弾圧活動に関与した人間たちの全てを、罪に問うて処罰しようとしたならば、親ピノチェト派の有権者からの反発を招き、まだ体制も盤石とは言い難い民主主義政権が倒れることになりかねない。最悪の場合、内戦が勃発して、更に血で血を洗う国民同士の殺し合いともなりかねない。
そのため、現実世界のチリで行われた調査も、調査対象事件を「被害者が殺害されたという重大なケース」に限定し、尚且つ、真実を綿密に明らかにした調査報告書を作成する代わりに、弾圧関与者の氏名公表や厳しい処罰を免除するという、謂わば折衷案の形をとらざるを得なかった。
処罰を免除するという条件を餌にした、一種の司法取引によって、ピノチェト独裁政権時代の弾圧に関与した人間に、己の罪を自発的に告白するように促したとも言える。
しかし、もしも調査委員の一人であるヘラルドの妻パウリナが、ロベルト・ミランダを殺害してしまったとしたら、いや、殺害せずとも、拳銃を突き付けてロベルト・ミランダに自白を強要したことが世間に知られたならば。
民主化した政権も、真相究明も、全てが水泡に帰すことになりかねない。
パウリナは、ロベルト・ミランダの命までは取らないことを条件にして、今ここにいるパウリナ、ヘラルド、ロベルト・ミランダの三人で"裁判"を行なうことを強引に承諾させる。かくして、現実のチリで行われた真相究明の動きを追体験するような、緊迫の一夜が、舞台上で演じられることとなる。
以下では、物語の結末に触れているので、未読の人は一旦ここで増田の駄文を読むのを切り上げて、まず『死と乙女』を読んでもらいたい。
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ロベルト・ミランダに罪を告白させること(供述をテープレコーダーに録音した上で、ロベルト自身の手で文字起こしの原稿を書かせ、さらに「自発的に真実を語った」と宣誓する署名までさせること)が出来たミランダは、ロベルトを監禁する前に家から離れた場所へ移動させておいた彼の車を、返すために取りに行くようにと夫ヘラルドに頼む。
そして夫ヘラルドが家を出て二人きりになると、パウリナはロベルト・ミランダに銃口を向け直す。
「真実を告白すれば命を助けると言ったのに、約束が違う!」と抗議するロベルト・ミランダに、銃口を向けるパウリナ。
パウリナは、ロベルト・ミランダの語りを聞いて、心の底からの反省や悔悛が彼には見られないと判断したのだ。
ここで演出として、舞台には幕が降り始め、パウリナとロベルト・ミランダの姿を隠すとともに、その幕は鏡となっており、演劇『死と乙女』を観ている観客たち自身を映し出す手筈になっている。
再び幕が上がると、物語のラスト場面であり、パウリナとヘラルドは、二人で連れ立って、音楽演奏会に出掛けている。演奏の休憩時間では、他の観客と、調査委員会による調査の成果について、夫ヘラルドは語り合っている。
休憩が終わり、演奏が再開される。
すると、その演奏会の会場にロベルト・ミランダが入って来て、主人公夫婦から離れた、ずっと後方の客席に彼は座る。
夫ヘラルドは気づいていないが、パウリナはロベルト・ミランダの存在に気づいて、しばし後ろを振り返り、ロベルト・ミランダを見る。ロベルト・ミランダは、何も言葉を発すること無く、ただ、主人公パウリナに視線を向け続ける。やがてパウリナも、ロベルト・ミランダからは視線を外し、前方(演奏会の舞台があると設定されている方向)を向いて、物語は終わる。
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この増田は、殺したと考えている。(続く)
対照用にdeepLの画面で対訳見ながら編集した翻訳用和文原稿も吊っておく (deepLが誤解する場所とか主語を補ったりしないとちゃんとした訳にならんのよ)
ここは原文からニュアンス変えすぎでは等の突っ込みも甘んじて受ける。
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「例の件」に関して、彼らは当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもないのに語るべきだろうか、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。俺は長崎の生まれで被爆三世で当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者はほとんど残っていないから俺が言う。
長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーも扇風機もない真夏の小学校の体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺にはそれが辛い時間だった。話をする年寄りはもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。もうひとつ辛いことがある。毎年この時期になると、廊下にはずらりと、他所の地域ならPTAが発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出される。最近は、原爆資料館ももうずいぶん漂白され、観覧者がトラウマを抱くような過激で恐ろしい展示は多くが撤去されたと聞く。なので、今も続いているかは知らないが、俺の頃はそこに展示されていた。
小学生の頃の俺にはどうしても直視できない写真が一枚あった。谷口稜曄さんの写真だ。検索すれば出てくる。閲覧注意のショッキングな写真だが、それでもどうか見てほしい。どうしてもその写真の掲示された廊下を通れなくて、その時期はいつだって校舎の別の階を遠回りして、写真が目に入らないよう逃げ出していた。
今は、妹を探すために焼け跡に向かった俺の祖父は、目を背けることも別の道を通ることもできなかったんだなと思う。写真どころか、まだ生きて呻きを上げる人間が山ほどいただろうし、苦しみの果てに事切れた人間はもっと山ほどいただろう。彼は瓦礫だらけの長崎の狭い道を、handcartを曳いて何キロも何キロも歩いて、妹を捜し歩いた。当時の祖父は子供じゃなかったが、当然それと似たような事をしたこどもたちも居た。居ただろうじゃない。居た。俺はその話を本人から聞いたし今も覚えている。幼い兄弟が焼け跡から自分の親父の死体を見つけて、兄弟がそれを焼いた話。薪が足りなくて親父の遺体が十分に焼けず、零れ出た生焼けの脳ミソを見て逃げ出して、それが今生の別れになってしまった話。
俺はガキの頃に聞いたその話をいつまで経っても忘れることが出来ないし、今だって辛くて苦しくて、手が震えて涙を出している。どうしてあの親父の脳ミソから逃げた爺さんは、想像もできないほど恐ろしいトラウマを、一生治らない傷痕をほじくり返して人目に晒すことが出来たのだろうかとずっと思っている。
今は少しだけわかる気がする。
俺が自分のトラウマをほじくり返してでも祖父やあの爺さんの話をせずにいられないのは、彼らの言葉が忘れ去られることに比べれば、この程度の苦しみなど何でもないからだ。俺の手が震えて動悸や眩暈と共に涙や鼻水に塗れることなど、かつて確かにあった途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないからだ。
だからひょっとしたら同じなのかもしれないとも思う。
俺には想像もできないほどの地獄を味わった祖父は、孫が産まれるまで生き、焼け跡で妹の死に目にも会えた。つまり祖父はあの焼け跡で、誰よりも幸福な人間のひとりだった。祖父やあの爺さんは結局のところ、地獄の淵をさまよっていた人間に過ぎないのだ。俺には想像もできないほどの苦痛を味わった人間でさえ想像もできないほどの苦しみが、78年前の長崎には石ころのように転がっていて、誰にも顧みられなかったのだと思う。俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば、何でもないことなのだ。
記憶は人に語られる度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶も、もうほとんど忘れ去られている。78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが今や墓の下にいる。
老人たちの言葉と比べて、自分の言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。自分のような存在がこれを語ることが許されるだろうかと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、我々が口を閉ざした結果があれなのだ。
想像もできない苦しみを想像することを止め、他者の苦しみを面白おかしく消費して生きていくことを、俺は時々選んでしまいそうになる。俺がもう声も顔も、言葉さえろくに思い出せない老人たちの、せめて苦しみの想像が残っているうちに、ここに書き残しておく。
翻訳者注記: このポストは、日本のある投稿者が「自分は広島・長崎の出身でもないのに原爆に関する言論について発言する資格があるだろうか」と悩みながら、それでもバービーと原爆の件について発言した投稿に対する返答である。世界に読まれる価値があると考えここに翻訳した。
以下のエントリにぶら下がったはてな民によるブコメを読んでいて、「ああやっぱりいつのもはてな民達だ…」などとぼんやり考えていたらふと、芥川龍之介の蜘蛛の糸を思い出した。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-509289.html
血の池地獄で他の罪人と共に浮き沈みを繰り返していたカンダタは、生前にたった一度、蜘蛛を殺さなかった。たったそれだけの「良いこと」をその血の池地獄の様子をたまたま眺めていた天上界のお釈迦様が思い出し、天界から蜘蛛の糸を垂らしてカンダタを地獄から救ってあげようとしたが、その蜘蛛の糸を上っていたカンダタは、自分の後から続々と上ってきた他の罪人に気づき、「こらっ!落ちてまうやろ!上ってくんな!」と叫んだら、その瞬間、糸はプチッと切れて血の池地獄に真っ逆さま、というあの話だ。
ていうか、田野氏の2年前のツイート炎上の時もそう思ってた。芥川龍之介が始めた書いた童話だそうだが、芥川が伝えたかったことは曖昧で何か教訓めいたものがあるのかないのかよくわからない、と聞いたことがある。ただしかし、私は単純に、「ナチスは良いこともしていたのでは?」なるよくある言い分は、この蜘蛛の糸にそっくりな気がずっとしていたものだ。
蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸を絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである。
もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。
id:NOV1975 対戦相手を全否定するのって中々の悪手で、観客にその否定の一部でも「いやそれは正しくね?」と思わせてしまえば全否定という主張の根幹が崩れる、という最大級の弱点を無視する人多すぎ問題。
このブコメなどはまさにお釈迦さま視点である。このブコメの裏を取れば、全否定しなくとも、ナチスは否定できると言っているようなものであり、どんなにナチスに良いことがあろうとも、ブチっと蜘蛛の糸を切って血の池地獄に落としてしまえさえすればいいだけじゃないか、となるのである。
話は少し変わるけど、私自身がしょっちゅうはてな民は、お釈迦様みたいなものかもしれん、と思ってたりする。とにかく「偉そう」な物言いを常にするからだ(笑)。いや、ネット民なんてはてなに限らず、ほとんどそんなもんなのだけれど、はてな民は若干だか平均して知性が高いように思わせる「何か」があるので、その分だけお釈迦様度は高いように思われるのだ。
さて、話を戻すと、一つ言いたいのは、これらブコメを書いたはてな民たちの何人が一体、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んだのか?って話だ。この本は共著であり、およそその半分を小野寺拓也氏が著述しているのである。小野寺氏はウルリッヒ・ヘルベルトの『第三帝国』の翻訳者でもある(それがどうしたとか言わないでね。知る人ぞ知る名著です)。流石に二人とも現役のドイツ現代史研究者であり、『「良いこと」もしたのか?』は、極めて実証的に著述されている。もちろん、現代の学術的見解にも精通しているお二人だ。その観点で、記述内容自体は必要十分には詳細であり且つ正確だと考えられる。ナチスの経済政策や、労働政策、環境政策や健康政策などなど、それらが具体的にどんなものであったかを知るための入門書として非常に良書であると思われる。実際、このようにナチスの具体的な政策について概括的に知ることのできる本はこれまであまりなかったからである。『ナチスの発明』?あんなもんただのクソ本だ。ハーケンクロイツをデカデカと表紙にするセンスがそもそも信じ難い。
したがって、まずはちゃんと読んでほしいと言いたいところではある(たかだか100ページ程度の本だ)のだが、実は、同著は別に全否定しているわけでもない。確かに、田野氏は「ひとっつも良いとこなんてないですよ」とツイートでしたからこそ炎上したのだけれど、同著の記述方法は、まずは一般に言われるような「良いこと」を具体的に一つずつ、項目としてあげて丁寧にそれを「良いこと」として詳述するところから始めている。つまり、そこだけ読んで、その後の説明さえ読まなければ、ナチスは良いことばかりしていたかのように読むことさえ可能な本なのである(笑)。その辺が、小野寺・田野氏両名の学者として誠実なところではないかとさえ言い得る。つまり最初からナチスの政策を腐しているわけではないのだ。
結果的には評価として、ナチスの政策は良いところなんて一つもなかったと、結果論として評せざるを得ないことは確かである。その象徴が、現在もバルト海沿岸に残されている『プローラの巨人』と呼ばれる、ナチスドイツの歓喜力公団(Kraft durch Freude)が建設していた巨大リゾート施設である。同著では詳しい記述はないが、同施設は労働者が無料で使用できるリゾート施設になるはずだった。が、戦争が始まると、建設は中途で中止されてしまい、使用されることはなかった。現在は歴史的建造物として、廃墟のまま放置されている(以下追記)。しかし、ナチは確かに労働者に喜びや活力を与えようと、余暇を十分楽しめるように政策を実行しようとしていた証拠ではあるのだ。詐欺集団が実際には存在しない投資物件への投資を求めるのとは訳が違う。ただしそれもこれも、戦争の波の前に全て頓挫してしまったので、「夢」としては良いことかもしれないが、「現実」には良いことがあったとは言えないことになる。しかしその全てを台無しにした戦争を始めたのもヒトラーなのである。
個人的には、お釈迦さま視点など要らないと思う。個々人が個々人自身によって、ナチスにも良いところがあったのでは?と思うのであるならば、批判的視点を忘れずに、それを可能な範囲で自ら学ぶべきだと思う。否定・肯定を抜きにして、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、知性高いはてな民にとってすらも良書だと思うのだが。1000円未満で買えるんだぞ(笑)。
追記:プローラの巨人については私自身の記憶が曖昧且つ古かったようで、再利用化が進んでいるようだ。以下、英語版ウィキペディアから機械翻訳そのまま(修正なし)でコピペする。
売却と再開発
2004年、10年以上にわたって敷地全体の売却が試みられたが失敗に終わった後、建物の各ブロックは様々な用途のために個別に売却され始めた[1]。 2004年9月23日、ブロック6は入札者不明で62万5,000ユーロで落札された[1]。 2005年2月23日、旧ミュージアム・マイルのブロック3はInselbogen GmbHに売却され、同社は建物をホテルとして使用すると発表した。2006年10月、ブロック1とブロック2はProra Projektentwicklungs GmbHに売却された。しかし、ブロック1は2012年3月31日に競売にかけられ、ベルリンの投資家が275万ユーロで購入した。
2006年11月、連邦不動産庁がブロック5を購入した。連邦政府とメクレンブルク=フォアポンメルン州からの財政支援を受けて、この建物にユースホステルを設立する計画だった。複合施設の最北端に位置するこの建物は、5つの連続した部分に分割された。
2008年末、プロラが本来の目的を果たし、近代的な観光リゾートに生まれ変わる計画が承認された。同協議会は、3,000人が住めるだけの居住スペースとユースホステル、観光客向けのアメニティを建設する計画を打ち出した。地元議員のケルスティン・カスナー氏は、プロラの海岸を「カリブ海のビーチ」に例えた。しかし、この決定は、すでにこの地域には観光客が多すぎると感じていたビンツの地元住民や、プロラの歴史家であるハイケ・タゴルド氏からは懐疑的な意見もあり、また、町の過去の歴史から観光客には不適切な場所だとも言われた。とはいえ、2011年には、かねてから計画されていた96室402ベッドの大型ユースホステルがオープンし、ドイツ最大のユースホステルとして人気を博している。低予算志向の観光客に向けた施設の拡張の可能性も提案されている[8]。
2010年9月、ドイツとオーストリアの投資家グループにより、1号棟と2号棟を高齢者向け住宅として改修し、テニスコートとスイミングプール、小規模なショッピングセンターを備えた300ベッドのホテルを建設する計画が発表された。投資額は1億ユーロと見積もられている。
2013年、ドイツのメトロポール・マーケティング社がプロラを改装し、サマーハウスとして販売する権利を購入した[9]。その年までに、いわゆるコロッサスの改装済みアパートメントが1戸70万ユーロ(90万米ドル)で販売された[4]。2016年、ブロック1に新しいアパートの第一号がオープンした[10] ブロック2のホテル「プロラ・ソリテア」は2016年夏に合わせてオープンし、2017年半ばには同ブロックで再建されたアパートの一部が売りに出された。当時、建物のうち4棟は再開発の過程にあり、5棟目はユースホステルとして使用され、残りの3棟は廃墟のままであった[4][11][12]。
2017年11月の更新によれば、ブロック1のユニット(フラット)のほとんどは、ハンブルクやベルリンに住む人々のための夏の家として販売され、売却されていた[7]。多くの所有者は、Airbnb[13]やHomeAway[14]などのサイトに短期賃貸として掲載していた。