「手紙」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 手紙とは

2024-11-19

一般的な盗聴、盗撮等の機械ネットで調べたり、どこかに取り付けたりコンクリートマイクで音を外から拾うやり方だ。確かに、そういう物も併用して使うだろうが、テクノロジーを使う場合集団ストーカー被害者場合ほとんどで、探偵等に頼んでも機器は見つからない。

また公安警察世間的に知らせているのは、通信記録で十分個人情報は把握できるということで、細かく盗聴までしていないことになっているが、違う。ターゲットが一番電話しそうな時間帯は調べているはずだから、その時間帯はリアルタイムで聞いているだろう。取り囲まれている場合は、隙間なく聞かれている。それが集スト被害テク被害というものだ。興味がある人は、この逃れることのできない盗聴、盗撮住居侵入にどう対抗してきたか、今後この被害に遭う人に無駄努力や出費をしないで済むように教えてあげよう。盗聴、盗撮通信傍受ネットメール等の通信だが、電話ファックスもそうだ。集スト加害時期や規模によって異なるだろうが、一般市民レベルでの防御は、加害者の仕掛け次第で、公衆電話すらダメというのが結論だ。テク犯が入ってくると、頭で考えたことまで盗聴されるので完全にお手上げだ。防御というより、開き直るターゲットにされたらプライバシーは皆無と言えるので、気にせず過ごす心の強さを養うのが先決だ。そう言ってしまうと元も子もないが、相手人間だ。機械的に録音しているが、一日の膨大な記録を全部聞き直すには時間を要するので、ポイントだけで大筋を知ろうとしているはずだ。そこも考えて無視するのがお勧めだ。極端な話、手紙開封される可能性があるので、手書きで手渡し、そしてすぐ燃やすのが思考盗聴なしの場合の防御だ。私も活動で多くの被害者と連絡するが、全く気にせず聞かれている前提で、しかも隠しても無駄から、全部本当のことを普通に話す。全ては嫌がらせの道具として使うだけだから、それを気にしなければ良い。集スト被害者は普通一般人ほとんどだからテロを企んだりしているわけではないので、どうのこうの言われる筋合いはない。スパイごっこに付き合う気はない。

2024-11-18

隣人がいなくなった話

隣に住んでいた人が引っ越した。50代くらいの男性で、無口で目立たない人だった。廊下ですれ違う時に軽く会釈を交わすくらいで、名前も知らない。お互い特に干渉せず、近すぎない距離感が心地よかった。

引っ越しの朝、たまたまゴミ出しのタイミングで顔を合わせた。「お世話になりました」とだけ言って、小さく頭を下げていく姿を見た。それが最後だった。

その後、管理会社から手紙が届いた。部屋に荷物が残っているか確認してほしいという内容だった。正直、自分には関係ないと思ったけど、なんとなく気になって覗いてみることにした。

ドアを開けた瞬間、思わず言葉を失った。家具家電もそのままだった。食器や衣類、本棚の本まで手つかず。まるで「この家で暮らしていた証拠」を全て放置して出て行ったようだった。

その中で、棚に置いてあったノートが目に留まった。開くべきじゃないと思いながらも、どうしても気になってしまった。

中には日記が書かれていた。短い文章ばかりだった。

仕事がうまくいかない。誰とも話さない一日だった」

「隣の部屋の物音が聞こえると少しホッとする」

引っ越しが決まった。ここを離れるのは少し寂しい」

最後のページにはこう書かれていた。

「誰にも迷惑をかけずに終わりたい。それが一番だと思う」

その一文を読んだ時、胸が詰まった。隣の人が何を考え、何に苦しんでいたのか、何も知らなかった。話しかけるべきだったのか、それともただ静かに見守るべきだったのか。答えは出ない。

ノートはそっと棚に戻し、部屋を後にした。それからしばらく経つけれど、隣人のことを考える時がある。静かだった隣の部屋から、あの人の足音が聞こえてきそうな気がする時がある。

名前も知らない人のことを、こんなに思い出す日が来るなんて思わなかった。

2024-11-17

親友自殺未遂した

親友自殺未遂した。多分本気で死ぬつもりで、遺書も、自宅の整理もすべて揃っていた。消化しきれないので、フェイクを混ぜながら書いていく。

親友職場出会った後輩。歳は1つ下。元気で活発で、仕事も全力投球!みたいな女の子

シフト制の仕事なので毎日会える訳では無いが、休みが合えば必ず会っていたし、旅行にも頻繁に行った。休みでなくても仕事終わりに銭湯に行ったり、食事に行ったり、互いの家でゲームをしたり、ずっと一緒にいた。

出会って数年になるが、お互いが無くてはならない存在になっていた。

ボーナス後に奮発して、露天風呂付客室に泊まったことがあった。温泉好きなのでもちろん2人して大興奮。夜中、露天風呂にお湯を張って、小さな声でお互いがいかに大切か語り合った。以前、友達を好きすぎるあまり、その相手に避けられてしまたことがあるのだと涙声で明かされた。私も好きだから大丈夫、と言うと、親友は、じゃあおばちゃんになるまでこうやって遊んでようね、と。

親友自殺行為をしたつい1週間前にも旅行登山)に行っていた。2人とも計画性がないので、途中で道を誤って山頂にはたどり着けなかったが、その過程すら楽しくて2人でゲラゲラ笑って下山した。汗だくで銭湯に向かい、また行こうねと笑っていた顔を思い出す。今度はちゃんと調べて、次休みが合えばリベンジしようと約束した。

その1週間後。早く職場に着いた私は、癖で自分デスクの引き出しを開けると、見慣れた字のメモ書きが入っていた。

『○時までに来なかったら読んでね』

嫌な予感がした。時間になる前に読んでしまった。

自殺したこと場所警察家族に連絡を取って欲しいことなどが書かれていた。

時が止まったかと思った。あいつがそんなことするはずがないと。とにかく○時まで待たなくては。あいはいつも通り仕事に来るはずだ。

親友は来なかった。メモ書きに書かれていた通り、家族に連絡を取った。実家にも招待されたことがあって、家族とも面識はあった。

母親電話に出た。親友は昨夜実行前に、遠方の母親電話したらしい。様子がおかしかったので母親から通報、すでに搬送先の病院にいるとの事だった。

一命を取り留めたと聞いて、心底安堵した。でも後遺症が残ったら?体が動かなかったら?それでも私は親友さえ許すのであれば担いででもどこへでも連れていこうと思っていた。

一部の上司にのみ報告した。涙が堪えきれなくて早退を申し出たが、今日は人手が足りないから残ってくれと言われた。それでも耐えきれずに押し切ったら帰り際に上司に呼び止められて、ショックなのはみんな同じだよ、と笑われた。代わりにお前が死ねよと思った。

親友アパートに向かった。鍵を開けているから入って、とメモにあったからだ。遺書があった。私宛にもメッセージが残っていた。大好きだ、しかった、と……じゃあなんで、と言いたくなった。

親友はそのまま精神病院入院になった。携帯パソコンも使えない環境を案じて、塗り絵ブロック、その他遊べるものを買っていった。手紙も添えた。公衆電話から連絡できるように、現金も預けた。面会はできないので看護師に手渡した。

地獄はそこからだった。

まず、絶えず電話がかかってくるようになった。そして住所を聞かれ、手紙が送られてくるようになった。

私の差し入れ主治医判断没収されたこと、生活の不満、不安定感情、いろんなものをぶつけられた。

それでも親友不安にさせるまいと話を聞いていた。

それから、ほしい物を頼まれるようになった。あのおもちゃがほしい、あの漫画を持ってきて欲しい……私は律儀に答えていた。仕事終わりにでも買い物に行って届けていた。

親友母親もひどくショックを受けていて、私に依存するようになった。娘との会話で少しでも気になることがあると、私に連絡してくるようになり、私は都度泣いている母親をなぐさめた。

だんだん眠れなくなってきた。家のことが手につかなくなってきた。食事もできなかった。

気力も体力も時間お金も奪われていて、自分のことを出来る余裕が持てず、自宅はゴミであふれかえった。

それでも親友は私に連絡してくるし、手紙も寄越した。中には〇〇さんに渡しておいて、というものや、〇〇さんとの約束キャンセルしておいて、というようなお願いもあった。

親友を傷つけまいと、電話口では気丈に振舞った。

プライベートでも職場でも、退院後に馴染みやすいように出来るだけ気を使って、親友の事を聞かれても明るく答えるようにしていた。家族にも、(私)ちゃんに頼っていて申し訳ないけれど、遠方だからね……と言われた。誰かに相談するということは、自殺未遂したことも明かすことになるので、誰にも相談できなかった。

私を安心させようとしているのか、もう元気だよ、と手紙に書かれていた。眠れているし、食事も摂れている、医師看護師にも相談できている。(私)ちゃんがくれた遊び道具も許可がおりて、楽しくすごしてるから、もう死にたいと思わないし心配しないでね、と。

そこで気持ちが切れてしまった。

私がこんなに気を張りつめて、食わず眠れずギリギリの体力でお前の要求に応えているのに。お前は黙っていても食事が出され、下げられ、身の回りの世話もしてもらえるのに。私は家族と疎遠で、お前には遠方でも心配して来てくれる家族がいるクセに。私は職場で1人減った分の穴埋めで休むなとプレッシャーを掛けられているのに。休職を申し出ても断られた。入院も休暇も困ると言われた。2人欠く訳にはいかないと。なんだ、先にやったもん勝ちじゃん、と思った。

そして、こんな短期間で、医師看護師相談できて、私や家族心配されて、もう元気になるようなら、もう自殺しようなんて思わないなら、それは初めからしたことではなかったのではないかと思った。構って欲しかっただけなのではないか。なら初めからこんなことを起こすな。分かっている。そういうことではないのだと、分かってはいるのだけど。

こんなに負担をかけられて、ただ仕事に行って病院にいって帰って布団に入って寝ずに朝を迎えるような日々にされるくらいなら、初めから自殺成功してくれていたほうがまだよかったのではないか。そしたらもう取り返しつかないことで、諦められたのに。

あんなに一緒だったのに、ずっと遊んでいようと誓い合ったのに、こんなことになってしまって。でも、親友は今も私を好きでいる。だからむちゃくちゃにされてもう会いたくない気持ちと、好きでいてくれることに対しての罪悪感の間で揺れている。押しつぶされそうになっている。

もはや私が限界であることは、親友と同じことを起こさないと誰も心配してくれないのでは、という域に達している。

そして、退院後に私の死(或いは自殺未遂)を知って、永遠に消えない傷を付けてやろうと思っている。

あんなに好きだったのに。バランスが崩れたらあっという間。もはや恨みしかありません。

さようなら

長々書いたけど読んでくれた人がいたならありがとう

追記

そうだ、なぜこれを書こうと今日思い立ったのか。それを書くのを忘れていた。

今日半年も前から楽しみにしていた、彼氏職場関係団体旅行だった。でもどうしても行く気になれなくて、ドタキャンしてしまって、いま1人で陰鬱と部屋にいるからだった。

私は何を楽しみに生きているのだろうか。

兵庫タイムトラベラーがいる

パワハラ疑惑などの告発文書を巡り兵庫県議会不信任決議を受けた斎藤元彦知事が26日、自動失職に伴う出直し選挙で再起をかけることを決断した。決断理由として高校生からの激励の手紙を挙げたことに、ネット上では批判殺到している。

 斎藤知事は26日の記者会見で、高校生から「辞めないで欲しい」「未来のために頑張ってほしい」などと記された手紙を受け取ったと明らかにした。その上で「まだまだこんな自分でも期待してくれている人がいるんだと」と語った。

 県議会解散せず、30日付で知事自動失職し、出直し選挙出馬する。「辞職」ではなく「失職」を選んだため、再選されれば新たに4年の任期となる。

 この説明にX(旧ツイッター)は大荒れに。「高校生の1枚の手紙出馬決めてしま斎藤」「ほんと自分に都合の良い声しか聞かないって印象」「その激励を圧倒的に上回る量の”やめろ”が来てると思うんですが」「県庁で多くの職員が代わりに対応してるクレーム電話自分でとりなよ」などと叩かれている。

 一方、斎藤知事は同日、自身のXに「改めて、心からお詫びします。でも、やはり改革を止めたくない。組織もなく、自分一人からの挑戦になります。厳しい道のりですが、しっかり歩んでいきたいです」などと投稿

 

2024年9月26日の時点で、斎藤知事出馬すれば圧勝することを予見していた高校生って一体なんなんだ。

時空警察さん。兵庫時間旅行者法違反者がいます。はやく捕まえて!

メルペイの退職エントリー

https://note.com/nu2_jp/n/nac8c7e2f20ab

これ

書かずにはおれない。

メルペイの退職エントリー

https://note.com/nu2_jp/n/nac8c7e2f20ab

これ

書かずにはおれない。

メルペイの退職エントリー

https://note.com/nu2_jp/n/nac8c7e2f20ab

これ

書かずにはおれない。

メルペイの退職エントリー

https://note.com/nu2_jp/n/nac8c7e2f20ab

これ

書かずにはおれない。

メルペイの退職エントリー

https://note.com/nu2_jp/n/nac8c7e2f20ab

これ

書かずにはおれない。

メルペイの退職エントリー

https://note.com/nu2_jp/n/nac8c7e2f20ab

これ

書かずにはおれない。

メルペイの退職エントリー

https://note.com/nu2_jp/n/nac8c7e2f20ab

これ

書かずにはおれない。

嫁の畑が悪いから。

「嫁の畑が悪いから。」

初めて言われた時の衝撃が忘れられない。

私が結婚した年

義妹が妊娠した。(結婚は1年前程)

家族初孫に大層喜んでいた。

義母「次は私さんね!」

義父「楽しみだなぁ。」

元夫「子ども早く欲しいなぁ。」

私「ですね〜。」

私(は?元夫との行為今まで1度も成功してないのに何を言ってるんだろ…)

私はこの時点で子どもは既に諦めていた。

だって行為が成立しないんだもの

お見合い結婚の私達。

勿論行為結婚後。元夫経験ナシ。

とは言えどできるでしょって思ってた。

できなかった。まじか…

とりあえず持続できない。

最後までできない。

もどかしさで不機嫌になり、私にあたる。

私がしたいと思わない。負のループである

週1で義務のように言われ、

その時間地獄のようだった。

だって終わったら叱られるから

そして、勿論できない繰り返しである

生理は叱られるけど誘われないか

身体キツイけど安らぎの1週間だった。

まず、射●した事あるのか疑問だった。

(ここまでできないと。)

やんわり聞いてみると1人でした事ないと。

そんなの嘘だと思ってた。

でも本当らしくて衝撃だった。

そういう病気かと思って病院勧めたら

「俺は病気じゃない!」と

キッチンタオル(筒)が飛んできた。

放っておこう。

週末、テーブル精神病院パンフレット

メモが置いてあった。

旦那様を病気扱いにする前に、早く妊娠できるように努力すべし。精神的に追い詰められてるなら入院検討。」

放っておこう。

約1年が過ぎた頃、

元夫「養子を取るか。」

私「そんな簡単じゃないよ?」

元夫「施設可愛い赤ちゃん貰ってこい」

私「いやだから色々審査受けたり手続き云々」

元夫「両親には施設は伏せとけ」

私「お腹ぺたんこのままいきなり赤ちゃん来ないから」

元夫「風船かボール入れとけば」

放っておこう。

いよいよおかしくなっているんだろうなと思っていた。

相変わらず行為は成立しない。

養子発言の原因がわかった。

元夫、義家族大好きで2週間に1度実家に泊まり帰る。

私は実家半年に1回帰るくらいだったかな。

当時車で高速2時間半の距離だった

義妹第二子ご懐妊。

その時に元夫と祖母の会話が

祖母「元夫のひ孫はいつぐらい?」

元夫「俺は考えてるんだけどね」

祖母「嫁がなっとらんのか」

元夫「嫁がね。俺は頑張ってる」

祖母「嫁は健康なんか」

元夫「嫁の畑が悪いからかもしれない。」

祖母離婚視野に入れとけ」

って話を元夫から聞かされた。←!?

元夫「祖母と盛り上がったんだよ〜。嫁の畑が悪いからって笑」

笑顔で私に言いやがった。

その日のうちにひとり暮らし物件見始め、

会社パートからフルタイム打診。

Xデーに備え始めた。

祖母から離婚視野を言われ

一家家長である元夫は急に横柄になり

何かと突っかかり喧嘩が増えた。

まり文句がある「これは離婚しかいね。」

Xデーにはまだ準備不足の為、

私は黙るしかなかった。

元夫は決まり文句で私を押さえつけて

離婚届をひらひらと私にちらつかせた。

私は静かに耐えた。

Xデー2週間前くらいに

随分態度もでかくなり王様みたいに

ふんぞり返っていた元夫と喧嘩になった。

しょうもない喧嘩である

菓子パン大好き元夫。菓子パン食べすぎて

夕食いらないという。

私「なら明日に回していい?」元夫「いいよ。」

翌日夜、元夫「旦那様に前日の残り物出すなんて!」私「昨日いいって…」元夫「言ってない!」

(数カ月前から敷地内同居の実家に逃げその日帰ってこず。)

翌日朝、元夫のメモ【別居しまーす!家賃○万払ってください!半年以内に出産しないと離婚です!】

勿論妊娠などしていない。

Xデーはもうすぐ。

その日の夜ニヤニヤしながら帰ってきた。

元夫「読んだ?」

私「家賃とか出産がよくわかんない。」

元夫「そのままだよ!!相変わらず頭悪いな。半年経ったら離婚からな。俺は半年待ってやる優しい旦那様だからな。」

半年もいらないよ、Xデーは2日後。

2日後、離婚の意を伝え

元夫の答えはNO。

ロミオ化し泣き顔を晒し

凄く長文の手紙メールやら貰いましたが

元夫の望み叶えたんだよ?

元夫から手紙

【君が作った温かい食事が食べたい。君が待つ家に帰りたい。もう一度心を入れ替えるからやり直すチャンスをくれないか。2週間で君の理想旦那様になるよ。】

菓子パン温かくないしなぁ

あとなんで上から目線なんだろう。

放っておこう。

拝啓 元夫様へ

離婚して数年後、とても優しい方との間に

とても可愛い赤ちゃん誕生しました。

元嫁の畑悪くなかったみたいです。 敬具

2024-11-16

クリスマスサンタさんへ高額なプレゼント要求してる息子へ

当日は写真が届きます

予算超えてるから買えませんでした

ごめんねごめんねー」

サンタからの心無い手紙

ひどいなー

2024-11-15

anond:20241115102151

お前以外は既に通り過ぎた道なんだよ。

お前は量産品の食器ではなく、一品一品手作りした漆塗りの食器を使っているのか?

伝統的な工法作成した手漉きの紙を使っているのか?

電話メールを使わずちゃん手紙を書いているか

当然手紙配送には郵便局とか使わず飛脚を使うんだぞ?

おいショウゴ、ドラクエ3買ったか

5年生のとき九州引っ越していったショウゴへ

よくショウゴの家、豆腐屋の道を入ったとこにあったよな、でGBCドラクエやったよな。

何回かモンスターメダル交換した記憶もあるよ。

あのときまだ自分の家にはPS2がなかったから、トルネコ3をやってたお前が羨ましかったよ。

スポーツもできて頭もよくてゲームもしてて、クラスで人気だったミナミちゃんと両想いしてたのもうらやましかったわ。

ショウゴが転校するって聞いて驚いたよ。

どんな言葉を交わしたか覚えてないけど、確か転校したあともクラス手紙くれたことあったよな。

当時の俺は飛行機はおろか新幹線にも乗ったことなかったから、九州ってどんなところなんだろうってよく考えてたよ。

もう20年以上経ったな。

俺はずっと地元に住んでるよ。ショウゴの家の近くにあった豆腐屋はとっくに店を閉めちまった。

ミナミちゃんとは高校まで一緒で、最後に会ったのはコロナ前だったかな。

俺もだけど、ミナミちゃんもなんか不器用生き方してたよ。

昨日、地元家電量販店ドラクエ3買ったよ。

そんでショウゴの事、久しぶりに思い出したわ。

今回はモンスターメダル、ないみたい。

もしもショウゴもドラクエ3買ってたらさ、懐かしいなーなんてミナミちゃんや俺のことも思い出してよ。

じゃあな。

2024-11-14

地方選挙にこそ行ってほしい

衆院選が終わった。

選挙に行ってとか、投票率がーとか、国政選挙のたびに話題が上がる。

国政選挙は行くけど地方選挙は行かないという人を見かけるが、地方選挙にこそ行ってほしい。

特に市区町村首長選挙議員選挙

ピンと来ないかもしれないが、実は私たち生活に大きな影響がある。

もし、あなた

役所の窓口で何度も同じことを書かせないでほしい」

介護子育て支援する事業を充実してほしい」

手続きオンライン化してほしい」

町おこしもっと頑張ってほしい」

このような要望を持っているのなら、それは役所=地方自治体に対して声を届ける必要がある。

どのようにして届ければいいのか?

もちろん、手紙電話オンライン受付フォームなど、様々な手段があるが、それだけじゃない。

議員」を使うのだ。

地方議会議員は、あらゆる機会で行政運営に対して意見を述べることができる。

そして、行政はそれに応えなければならない。

地方議会は、民間企業でいう株主総会みたいなものだ。

もちろん首長も大切だ。

役所で働いているのは地方公務員であり、そのトップに立つの首長である

首長地方自治体方針を決めている。

民間企業でいう社長のようなものだ。

議員首長も、行政運営に大きな影響を及ぼす。

ぜひ公約を見て「自分がやってほしいことを実現してくれる人」に票を託してほしい。

もし、しばらく選挙がない!という人は、ぜひ今のうちに「議会だより」を見てほしい。

議会だよりには、どの議員がどんな質問をして、自治体側は何を答えたのか、ということが記されている。

また、余裕があれば「議会中継(国会中継地方議会版)」もやっているはずなので、それも見てみてほしい。

ちゃんと答弁が実施されているはずだ。

地方議会は、成果を確認やすい。

上記に加えて、最近SNSで発信する首長地方議員も多いだろう。

ぜひ、応援したいと思える政治家を見つけて、自分要望を叶えてもらってほしい。

2024-11-13

anond:20241113221105

改まった感じでLINEでお手紙的に送ってもいいかもしらん

2024-11-12

毒親から誕生日プレゼントが送られてきた

今日、絶縁を保っている毒親義母から誕生日からお菓子と書留が送られてきた。

書留には手紙が入っていて、連絡するようにと書かれていた。

当然連絡などする気はない。

あの家で、どれだけ虐げられ、利用され、保証人にまでされそうになったか、今でも忘れていない。(親戚には過去二回勝手保証人にされた)

賃貸アパート保証人に義父が何が何でもなろうとするから義母を問い詰めた。

実の両親からお金が送金されていた。

私は人質だった。

アパートから今のマンションに引っ越す時、保証会社契約できた。

新しい住所は教えていないのに、なぜか知られていた。

日本怖い。個人情報駄々洩れ。

2024-11-10

anond:20241110223030

弁護士先生質問なんやが、

  • ワイはひぼうで訴えられてる

− なんか、脅迫手紙が大量に来てるので反訴したい

って場合って、弁護士にお願いしたらやってくれるかな?自分弁護士がやる気ないので、しまったなと思ってる。

2024-11-09

anond:20241108152506

お前が女の書いた文章に触れてこなかった人生なだけだろ。

世の中の女はこんなもんだぞ。

お前のお母ちゃんの励ましの手紙は短いから気づかなかったんだな。

セクハラババアどもが言葉を選ばずバカスカ手紙書く一方で真面目な自分時間かかりすぎて手紙あんまり出せないの本当腹立つ

2024-11-07

バイトで見てきた子供たち

都内小学生の塾バイトしてた。結構前の話。全員が全員そうじゃない。一個人体感で思ったこと。

前提としてはクラスが分かれている塾であり、テスト結果でクラス移動をする。

下の方のクラスの子供たちはい意味子供らしい。「新作カップラーメンうまい」など「休みの日にオンライン対戦しよう」など、勉強の話はほぼしない。授業前にカードゲームしていたりする。恐らく存分に遊んだのか土まみれの子も多い。

基本的に元気な子が多く賑やかであり、先生に可愛らしいいたずらをするくらいの小学生らしさがあった。授業はつまらなそ~にする子は多く、勉強に興味がない。しかし、どこかのタイミングでハマって授業に積極的になって楽しかった。(「たかしって奴、なんで池の周り歩いたり走ったりしてるんすか!まずそこが問題です!」的な話から盛り上がる)

月のクレーターという名を思い出せなかった子に対してクラス大喜利が始まった時は涙が出るくらい笑った。トンチキ回答も子供らしく面白い。それに、教えると純粋に「へ~」と言ってくれる。鉛筆で遊ぶ子や隣の子手紙を回す子、寝る子やプリントを折ってる子など自由奔放だが小学生しかった。

親が迎えにくる子は少ないが、迎えがあると「今日晩御飯何?」「あれ録画した?」と親に駆け寄っていく子ばかりだった。迎えが無い子は帰りが一緒の子同士で賑やかにやっていたし、みんな帰るのが待ち遠しい様子だった。帰りの準備で競い合っていたりと子供らしさが良かった。親は「いつもご迷惑を…」と腰の低い人が多かった。

テスト中に鉛筆を拾ってあげると「あざっす!」と元気よく言ってくれる。

上の方のクラスの子供たちは本当に小学生かと疑うほど賢い。政治の話はするし、「ニュース見た?」や「先生はどう思いますか?」といい意味子供らしくない。みんな先生にはですます調であり、でなくとも丁寧な言葉使いだった。

授業は基本静かだが、質問から仲良く議論し始めることが多く、授業できる楽しさがあった。昨今の政治について、政治議論外交評価が始まった時は感心して聞き入ってしまった。こういう子が国を支えたり、トップに立つのかなぁと思っていた。

言うことはちゃんと聞く。返事も大きな声でしてくれる。テスト前もみんなピシッと座っている。授業もみんな怖いくら先生を見ている。

親は迎えに来ることが多く、子がいないところで「あの子、楽しそうにしていますか?」と様子を聞いてくる。下のクラスと一緒で晩御飯の話や他愛もない日常会話をしながら親子で帰っていく。下のクラスもそうだが、子供の鞄を持ってあげる人が多かった。仕事帰りっぽい父親が迎えに来ることが多かった。

親御さんは子のことをわざわざ教えてくれる。「理科が好きで、家では図鑑をよく読んでいて~…」と家でどうなっているのか教えてくれる。子供との会話に役立つのですごくありがたかった。

テスト中に鉛筆を拾ってあげると「ありがとうございます」と丁寧に言ってくれる。

中流クラスは居心地が悪すぎる。一言地獄

子供たちは点数でマウントを取り合い、下からクラスが上がってきた子を馬鹿にし、上から落ちてきた子も馬鹿にする。しかもコソコソと笑いものにしている。これが1つや2つではなく、ほとんどの中流クラスで起きていた。先生の誤字に揚げ足を取り、教えたことに対して嵌めようとする質問をしてくる。見事ハマってしまった時は親の仇をとったのか如く笑いものにしてくる。ぶん殴るぞと何度も思った。そしてイライラしているのか物音を立てるやつが多すぎる。貧乏ゆすりをする子が多い。上と下のクラスの子に比べて空気が重い。だいたいクラスの中にボスがいて、そいつが仕切っている。周りは冷めた目でそれを見ているか、お膳立てしていやつか。

親はほぼ迎えに来る。そしてよく聞く第一声が「(テストや授業)どうだった」。そして親がずっと質問をしている。子は適当に返事をしている。他愛のない日常会話をする人はほとんどいない。子供が親の顔を見ない。そして子の前で「先生、うちの子大丈夫ですか?」「授業態度どうですか?」と塾での様子を聞いてくる。「この子勉強しなくて」と子の前で、子に責任押し付けるやつばかりだった。子供のいないところで「寄り添った方がいいですよ」と伝えても「寄り添ってるんですけど(なのでこれ以上ありません)」と言われた。

また例えば、うるさかった子の親にその旨を伝えると「普段はうるさくないんですけど(だから何もしない)」とちょっと的外れな返答が多かった。父親の影を見ない、または母親の影を見ない。迎えのない子は一人で帰ることが多い。子の鞄を持ってあげる親は上下クラスに対して少ない。

テスト中に鉛筆を拾ってあげると「ありがとうございます」と言わない。「うっす…」「どうも…」と暗い。首が少し動くだけで何も言わない子もいた。

2024-11-06

anond:20241106152957

ほならワイも便乗して昔語りしたろ♪

…89年の晩冬~初春にかけて、ピースボートという団体事務局?が当時最高で最後流行を示そうとしていた「反原発」を掲げて、日本列島原子力発電所の立地場所を海から視察するという名目で「日本一周反原発ピースボートツアーを敢行した

大学入学直前の高校卒業旅行としてワイくん厚顔の美少年(18)は乗り込んだ

ところでこのツアー乗客は船内のイベント下働き積極的に参加してこなすことが奨励されており、そこでワイちゃん(18)はまだ『カイジ』を描く以前の作者と出逢ったんや

船内では随時いろんな所でいろんな勉強会というイベントが行われており、彼は美術スタッフとしてそれらの会場に貼り出されるポスターを白の模造紙に「チェルノブイリには行きたくねェ~♪」と忌野清志郎(だよな)を口ずさみながらポスターカラーで描きまくってた

ワイちゃん(18)も何をおもったか彼といっしょの美術スタッフだったので数回ほど世間話することがあった

ツアーが終わって下船したあと、彼から自作といって手紙と『ワニの初恋』っていう人情話のマンガ単行本が届いた

追記ランキン・タクシーも乗ってた

船内での著名人うしの対談イベントレゲエ爆音BGMに流すというMC?みたいなことやってたが、対談の途中でいきなり席を立ってレゲエの音量を調整してまた戻るっていうことしてたのが印象的だった

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん