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はてなキーワード: 手紙とは

2022-05-26

大正時代華族の娘が50歳の男に売られた話

柳原白蓮(1885年10月15日 - 1967年2月22日)、本名は燁子。

大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。

 

13歳で華族女学校(現・学習院女子中等科)に入学

1910年11月上野精養軒で燁子と九州炭鉱王・伊藤伝右衛門との見合いが行われた。

燁子は当日、それを見合いだとは知らされていなかった。

伝右衛門は50歳、親子ほどの年齢差・身分教養ともあまりに不釣りいであり、

地方の一介の炭鉱主が「皇室の藩塀」たる伯爵から妻を娶るのは前代未聞のことで、「華族の令嬢が売物に出た」と話題になった。

異例の結婚新聞では、柳原家への多額の結納金媒介者への謝儀、宮内省への運動資金など莫大な金が動いたことが書き立てられた。

背景には貴族院議員である兄義光の選挙資金目的と、一代で成り上がった伝右衛門が後妻に名門華族の家柄を求めたことがあったと見られている。

1911年2月22日日比谷大神宮結婚式が行われ、帝国ホテルでは盛大な披露宴が行われた。

東京日日新聞』では結婚式までの3日間にわたり、2人の細かい経歴などを書いた「燁子と伝ねむ」というタイトル記事が連載され、“黄金結婚”と大いに祝福された。

燁子は遊廓に入り浸ることの多かった伝右衛門に病気うつされ大きな屈辱となり、夫婦の間の亀裂は深まった。

そんな歪んだ結婚生活の懊悩孤独を燁子はひたすら短歌に託し、雅号「白蓮」の名で、竹柏会の機関誌『心の花』に発表し続けた。

 

1917年暮れ、福岡鉱務署長・野田勇に炭鉱から贈収賄が行われた疑いで大規模な検察調査が入った「筑豊疑獄事件」が起こる。

1918年4月初頭、野田夫人の友人である燁子は贈賄側の証人として出廷した。

公の場に現れたことで話題となり、『大阪朝日新聞』は4月11日から筑紫女王燁子」というタイトル10回にわたる連載記事を載せ、大きな反響を呼ぶ。

この連載記事きっかけで「白蓮」が燁子であること、「筑紫女王」という呼び方全国的に知られるようになる。

 

1919年12月戯曲『指鬘外道』を雑誌解放』に発表する。

これが評判となって本にすることになり、打ち合わせのために1920年1月31日、『解放』の主筆編集を行っていた宮崎龍介別府の別荘を訪れる。

龍介は7歳年下の27歳、孫文支援した宮崎滔天長男で、東京帝国大学法科の3年に在籍しながら新人会を結成して労働運動に打ち込んでいた。

新人会の後ろ楯となったのが吉野作造学者による黎明会であり、『解放』はその機関誌であった。

親共に筋金入りの社会運動家の血を引き、時代の先端を走る社会変革の夢を語る龍介は、燁子がそれまで出会たことのない新鮮な思想の持ち主であった。

別府に2晩宿泊し、打ち合わせを終えて日豊本線に乗る龍介を、燁子は小倉まで見送った。

その後、事務的手紙の中に日常の報告と恋文が混じる文通が始まる。

 

燁子の上京の機会は伝右衛門に同行する春秋2回で、京都などで限られる逢瀬の中、2人は頻繁な手紙のやり取りで仲を深めた。

やがて龍介の周囲で燁子との関係の噂が広まり華族出身ブルジョワ夫人との恋愛遊戯など思想の敵として、

1921年1月に龍介は『解放』の編集から解任され、4月には新人会を除名された。このことは燁子の心を一層龍介に傾かせた。

 

1921年8月京都での逢瀬で燁子は龍介の子をみごもった。

燁子は秋の上京の際に家出を決行する準備のために、伝右衛門のお気に入り博多花柳界で名高い芸妓であった舟子を、

大金の4千円で身請けして、9月29日廃業届が出された。

自分の身代わりの人身御供として舟子を伝右衛門の妾にしたのである

龍介は新人時代の仲間である朝日新聞記者早川二郎赤松克麿らに相談して、燁子出奔計画を練り、決行した。

世に言う白蓮事件である。燁子36歳、龍介29歳であった。

 

1921年10月20日、伊藤伝右衛門夫婦滞在していた東京府日本橋旅館「島屋」から福岡へ帰るために車で東京駅へ向かい

妻・燁子は親族訪問する予定で東京に残り、伝右衛門を見送った。しかし、燁子はそのまま日本橋旅館に戻らず、行方くらませた。

22日、大阪朝日新聞朝刊社会面に「『筑紫女王伊藤燁子 愛人宮崎法学士と新生活?」と失踪第一報が伝えられる。大阪朝日単独スクープであった。

伝右衛門は福岡へ戻る途中で立ち寄った京都の宿「伊里」で、22日朝刊の報道を知って驚愕する。

その頃の燁子は東京府中野弁護士山本安夫の元に、伊藤から伴った女中と共に匿われていた。

山本は龍介の父・宮崎滔天の友人であり、子供の頃から親しい龍介に相談を受け、燁子の身柄を預かっていた。

22日夜、山本新聞各社に燁子の居所を連絡し、記者が押し寄せて取材が行われ、23日朝刊には記者対応する燁子の写真掲載される。

 

朝日スクープは、姦通罪を逃れるため、龍介が新人会の仲間で友人の赤松克麿朝日新聞記者の早坂・中川らに相談し、

マスコミを利用して世論に訴え、人権問題として出奔正当化するために仕掛けられたものだった。

から男に宛てて、新聞という公器を使って縁切りの宣言を行うという前代未聞の出来事に対し社会反響は大きく、

大阪朝日24日夕刊には、5百余通の投書が殺到した事が書かれ、世間を大いに揺るがす事件として受け止められた。

柳原家や燁子が身を寄せた山本家には多くの賛否手紙の他、脅迫まがいのものも届いた。

 

1024日に福岡に戻った伝右衛門は親族会議を開き、友人の炭鉱主らも同席する。そこで宮崎龍介赤松克麿らの思想的背景が問題となる。

伝右衛門ら炭鉱主は当時頻発していた米騒動ストライキに神経をとがらせており、彼らによって労働争議の標的にされる恐れがあった。

また姦通罪で訴える事は、今上天皇の従妹である燁子を投獄する事でもあり、宮崎側に関与する事は避け、問題柳原家と伊藤家の両家の間のみに絞られた。

 

11月1日夜、東京丸の内の日本工業倶楽部の一室に伊藤柳原両家関係者が招集される。

この席で燁子を伊藤から正式に離縁する事が決められ、伊藤家に残した燁子所有の調度品や衣類・宝石類を柳原家に託し、

燁子名義の土地家屋株券などは名義を変更して伊藤家に返還する事などが決められた。

 

11月2日、仲介役の奥平伯爵築地精養軒で新聞通信社に燁子と伝右衛門の離縁を発表し、3日付の新聞掲載される。

事件からわず10日後、伊藤家側は極めて寛大な処置で迅速に身を引いた。

伝右衛門は一族に「末代まで一言の弁明も無用」と言い渡し、「上京して姦夫姦婦を二つに重ねて四つに叩き斬る」と息巻く地元血気盛んな男達にも「手出しは許さん」と一喝した。

福岡天神町の銅御殿落成の翌日、11月27日に伝右衛門と燁子の離婚が成立する。

 

駆け落ち騒動最中に生まれ長男・香織と共に宮崎家の人となった燁子は、それまで経験したことのない経済的困窮に直面する。

弁護士となっていた龍介は結核が再発して病床に伏し、宮崎家には父滔天が残した莫大な借金があった。

裁縫は得意であったが炊事洗濯は出来ない燁子に代わり、姑の槌子が家事育児を引き受けた。

燁子は小説執筆し、歌集出版、色紙や講演の依頼も引き受け、龍介が動けなかった3年間は燁子の筆一本で家計を支えた。

1925年9月、長女の蕗苳が誕生する。

 

この頃、吉原遊廓から脱出した花魁森光子宮崎家に駆け込んで助けを求めている。

苦界にあった女性たちに白蓮は憧れの存在であった。

労働総同盟の協力を得て、光子自由廃業を手助けした。

その後も娼婦の救済活動は続けられ、1928年にも吉原から子持ちの娼妓宮崎家に駆け込んでいる。

この活動暴力団に狙われる危険ものであったが、燁子にはかつて伊藤家で舟子ら同性を

身代わりの人身御供にした罪の意識があり、娼婦の救済はその罪滅ぼしもあったと見られる。

 

1944年12月1日、早稲田大学政経学部在学中の長男学徒出陣し、

1945年8月11日、所属していた陸軍鹿児島県串木野市基地が爆撃を受けて戦死した。

享年23終戦わずか4日前であった。

1961年、燁子は緑内障で徐々に両眼の視力を失う。

龍介の手厚い介護のもと、娘夫婦に見守られ歌を詠みつつ暮らした穏やかな晩年であった。

1967年2月22日心臓衰弱のため西池袋の自宅で死去した。81歳没。戒名は妙光院心華白蓮大姉。

遺骨は長男と共に神奈川県相模原市石老山の顕鏡寺に納められた。

 

明治期だと上級国民が意外と40代とかで死んでいる

https://anond.hatelabo.jp/20220526175809

2022-05-22

anond:20220522172136

まずその内容を

増田に書かないで

固定電話100人に伝えてほしい

手紙も100枚書いてほしい

話はそれから

2022-05-21

HとSの手記

15年くらい前

私とHは創作仲間

一緒に旅行したり本を作るくらいには仲良し

未来の夢を語り合う仲間だった

10年ほど前 

HがSさんと仲良くなる

Sさん嫉妬するからと誘っても会ってもらえなくなる

Sさんが別ジャンルで起こした騒動を信用してるRさんから聞き警戒する

5年ほど前 

Hが会いに来てSさんとの関係説明してくれる、SさんとHは同居しはじめた。

また会うようになる、Sさんを交えて出かけたり、ネーム感想を言い合ったり。

Sさんが私のネームを直したものを送ってくる。

Sさんから発表前のネームを見せ合うのは盗作問題で揉めるからやめたほうがいいと言われる。

HはSさんに心酔してるように見えた

HはSさんと組んで創作活動し始めた。

私はSさんフォロワー同士ではない

私はSさんを警戒しつつ見定めていた

から見てSさん特に才能ある人格者には見えなかった。

3〜4年前

SさんがHのアカウントから私の鍵アカを見てもいいかといわれOKする。

SさんはHのアシスタントをしているがHは育てるのに苦労していると聞く

私がアシスタントを探しているとHが条件にあいそうだとSさんを紹介してくる

Sさんアシスタント仕事をお願いする

HにSさんとのSkypeのやりとりを見ていていいかと言われ過保護だな…と思いつつOKする。

Sさんの予想以上のスキル社会性の無さにガッカリする。

『(顔の)デッサンを直したらいいですか?』と言われる。

SさんがHのところでその作業をしていたのは知っていたが、親しい仲ならいざ知らず初めての職場作家にそんな事を言うなんて…とショックを受ける。

私が10年勤めたアシスタント業を馬鹿にされたように感じてしまった。

モヤモヤしてきつい態度をとってしまう。

後日、Hが鍵アカツイートしてるのを見る

明らかなエアリプで私の態度に憤慨していた

私もエアリプに腹を立てたので無視した

私はこの件とは別の理由で鍵アカを消す

理由アシスタントへの愚痴が止まらなくなってしまい、鍵アカにいる元アシスタント業の友人達を傷つけるのが怖くなったからだ

私はこの時期仕事限界で友人への不義理が多く、返事をしてないものもあった。

1〜2年前

Hが新しい仕事用のアカウントを作る

Hがそこでアピールしたい趣味が偶然私のペンネームと同じだった

新しいアカウントフォローしたがバックしてもらえなかった。

Hの仕事ツイートなどはRTしていて交流は続けているつもりだった

ある日、HからRTがまったく無くなっている事に気づき私もRTをやめた。

モヤモヤと悩んでしま

Sさんを傷つけたのは申し訳なかったが、Sさんとは今後関わりたくない。でもHとは友達でいたい』

という内容の手紙を出す。返事はもらえず

現在

ふとHからフォローがはずれていることに気づく、私もフォローをはずした。

Sさんブロックした。

anond:20220521003037

あなたはどうして、上から目線なのでしょうか。

「こうしなかったのはネコチャンが~」って。

何言ってるの?

自分絵文字キャラつくりなさいよ。



ネコチャンってキャラ自分がわりと長期間で育てたものなので

誰かが使うのは、なりすまし嫌がらせとも判断できます


ネコチャン🐈って表札をあなたがだせば

ネコチャンあてのお手紙が届く。

本当のネコチャンには届かないことだってあるし


たとえばあなたがネコチャン🐈として

かいたことでなにかもめたら

そのLogを読まず

いつものようにログインして

普通に書き込んだ時

嫌がらせいちゃもんを付けられる可能だって出てきますよ。

責任とれるんですか?

まらなかった

面白くなかった

嫌い

などのマイナス文言はネコチャン🐈では

なにかひどいことを言われたり冗談とわかっているときには

反論するかもしれないですが

きほん「これは良くなかった」的なエントリはしていない。

それになんでわざわざ、人がコテハンみたいに使ってる

ネコチャン🐈をつかうのでしょう。

なりすまし的に思えてしまう。

2022-05-20

拾った子猫10日で手離した。

 先週の月曜日の早朝、カラスに食われそうになっていた子猫をつい拾ってしまった。

 子猫獣医さんの見立てでは、拾った日時点で生後1ヶ月くらい。しっかり牙が生え揃っていたので、最低限の自分身の回りの世話はできるはずと獣医さんは言ったのだが、実は全く何も出来ない赤ちゃん猫だった。

 そんな子猫を育てるのは、まるで新生児育児しているようだったが、人間赤ちゃんの世話と要領が似ているところがあったので、ヒトの子二人を育てている私には何とかなった。もしも子供を産む前にこんな子猫を拾ったらどうにもならなかった。

 なんだかんだ、大変で忙しかったが、子猫の成長は想像はるか上をゆく爆速ぶりで、何にも出来ない赤ちゃんだったのが、6日目には普通にから餌を食べ、決められた場所で排泄できるようになってしまった。

 それはよかったのだが、10日目の朝には物凄いスピードで室内を縦横無尽に駆け回り、人の手で容易に捕まえられないほど機敏になってしまったのには焦った。もう我が家子猫にとって手狭で、これ以上ここに閉じ込めておくのは子猫可哀想だとおもった。

 元から我が家では猫を飼うことができないのは分かりきっていたので、子猫を拾ったその日からいか円満子猫を手離すかを考えて動いていた。

 子供友達の家や私の仕事仲間などに猫を飼わないかと聞き回ったが、ほとんど断られた。これではらちがあかないので、動物愛護団体に頼ることにした。

 動物愛護団体に問い合わせたところ、団体主催譲渡会に参加できるのは生後2ヶ月以降の犬猫に限るという。また、寄生虫検査結果と生後2ヶ月の健康診断証明書の提出、初回ワクチン接種を済ませることも、譲渡会参加の条件だった。

 そんな訳で、少なくとも来月の上旬までは我が家子猫の面倒を見るつもりだった。だが、子猫運動能力の発達があまりにも目覚まし過ぎたので、10日目の朝には心が折れそうになっていた。

 ところが、猫を引き取りたいと手をあげた人がいた。それはうちの下の子友達だった。先週の木曜日学校まで下の子を迎えに行くと、

「Aちゃんが猫飼うっていうからAちゃんを車に乗せてうちまで猫を取りに来てもらってもいい?」

 という。唐突なことに、勿論本気とは思えなかった。Aちゃん保護者の方にOKをもらわず勝手に車に乗せてうちに連れて来ることはできないし、子猫を連れて帰らせる事もできない。本当に子猫を飼えるのか、Aちゃん保護者の方達とよく話し合うべきだ。そう下の子説明して、Aちゃんにはご家族の方が迎えに来るまで学校で待つように言った。

 その翌日、下の子はまた帰宅後に「Aちゃんは猫を飼えると言った。いつ猫をAちゃんにあげるのか」と問い詰めて来たが、Aちゃん保護者から何も言ってこない限りはそんな話を本気に出来るはずもない。今すぐにでも猫を取りに来れるなんて言われたって……。

 週末は子猫の世話に追われながらも成長ぶりを喜んでいるうちに過ぎた。

 そして月曜日子猫はたった一週間で赤ちゃんからやんちゃ坊主に急成長をした。動物病院に健診に連れて行った。どこにも具合の悪いところはなく、健康で順調に育っていると獣医さんは太鼓判を押した。次の受診譲渡会に出す直前でいいとのことだった。

 その日の夕方、下の子がAちゃん母親から手紙を持って帰ってきた。子猫の件で話をしたいので、電車をして欲しいとの事で、電話番号が書かれていた。

 早速電話をしてみると、もうすでに猫をAちゃんの家に譲ることが決まっているかのような話になっていた。猫がまだ手のかかる子猫だという事すら先方にはちゃんと伝わっていなかったにも関わらず、翌日には引き取りに来ると言うので、その日はこちらの都合が悪いので、来るのは水曜日にして欲しいことと、それと子猫はまだ世話が焼けるので、もっと家族で話し合ってから決めて欲しいことを伝えた。

 その頃、子猫はいともあっさりとトイレトレーニングを済ませようとしていた所だったが、まだ自分で上手く排泄の後始末をすることができず、しっぽや後ろ足をおしっこでびしょびしょに濡らしたり、うんちを踏んづけた足で歩き回るなど、危ういところがあった。しかし、先週の何にも出来ない赤ちゃんぶりよりはだいぶましだった。たった1日の間にも、子猫は見違えるほどに成長していく。水曜日にはよそにやっても大丈夫なほどに仕上がっているかもしれない。

 とはいっても、子猫を飼うという事に全く迷い躊躇いがないというのもどうなのか。身体が小さいだけで成猫のように完璧な子を貰えると期待しているのではないか

 これまで、何人もの人達に断られ続けてしょげていたのに、いざ引き取ると言われるとマジかよと思ってしまう。子猫に情は湧いているが、だからといって手離したくないなんて無理を言うつもりはない。Aちゃん一家子猫にとって良い飼い主となるのが心配なだけで。

 そうやって悶々としている姿を子供達に見られると、期待させてしまうので、良くないと思い、子供達が寝静まってから夫と話し合った。やはり、あまりにも性急に事を進めようとする人を信用するのは難しい。だが、子猫可愛い盛りが日に日に過ぎて行くというのも事実だし、本当に猫好きな人ならばどんなに手を煩わされたとしても、子猫の今を見て触れ合いたいと思うことだろう。譲渡会に参加できるまで、あと3週間以上あるので、なんなら数日試しに子猫を預けてみて、手のかかり様にどうしても我慢できなければ、返してもらって予定通りに譲渡会に出すことにしよう、と話した。

 水曜日まで、いきなり活発度の上がった子猫の遊び相手をしつつ、後悔しきりで過ごした。自分達で猫の貰い手を探すんじゃなかった。譲渡会参加一本に絞ればよかった。譲渡会でなら、里親希望者にはスタッフから飼育環境飼育覚悟を厳しく問われる。日常人間関係の中で譲渡先を探せば、人間関係を盾に良いように押しきられてしまい、必ずしも猫にとって良い結果になるわけではないかもしれない。

 猫をやると言ったのに嘘だった。やると言ってた癖に直前になって気を変えた。そんな風にあちこちで吹聴されたら、私やうちの子供達はどんな風に見られるのか。

 水曜日。午後にAちゃん一家がうちに来るので、私は子猫の遊び相手返上して家の掃除に勤しんだ。子猫はちょうど平日休だった夫に面倒を見られていた。物がゴタゴタとあるから完璧にとはいかないが、こざっぱりとした。茶菓も用意した方がいいだろうか? と私が言うと、

「そうだなあ。猫を貰うというのに、まさか玄関先で済ませようとは思わんだろうし」

 と夫は言った。

 が、そのまさかだったのだ。放課後にAちゃん一家が揃って家までやって来たのだが、Aちゃん母親玄関先で猫を受け取ってさっさと帰るつもりでいた。猫の実物も見ずに連れて帰って、Aちゃんらお子さん達が「思っていたのと違う」とがっかりするのは避けたいから、実物を見てから飼うかどうか決めてくださいと私は言ったはずなのだが。

 取り敢えず上がって、子猫を見てくださいと引き留め、夫にじゃらされて走り回っている子猫を見てもらう。Aちゃんの反応は今一つよくわからない。知らない家に来てはにかんでいるだけにも見えるが、無理やり「この猫でいい」と言わされているようにも見えた。

 Aちゃん母親に、試しに猫を抱っこしてみてくださいと言って、抱っこしてもらった。子猫全然人見知りをせず、うちの家族に抱っこされた時のようにAちゃん母親の手の甲を引っ掻いたり服の袖に噛みついたりした。しかし、Aちゃん母親可愛い可愛いを連発していた。私が子猫の排泄の世話のやり方を説明しても、嫌な顔をしないどころかなるほどと熱心に聴いていた。

 Aちゃんが猫を欲しがったという話だったのに、Aちゃんの反応はいまいちで、だがAをの母親は一度抱っこした子猫を離そうとしない。どうやら本当に猫が好きで猫を飼いたくて仕方がなかったのはこの人のようだった。

 この僅か数日の間に、Aちゃん一家は必ず猫を貰えると信じて疑わなかったらしく、子猫を迎えるための一式を揃えたらしい。猫ならなんでもいいです! と言い切ったのはどうかと思うけれど、この人ならちゃん子猫を一生面倒見てくれそうな気がした。私の直感があてになるかはわからないが。

 結局、私達に出来ることは限られているし、ここで外れクジを引いたとしたら、これは私の運というよりは子猫自身の運なのかなと思い、Aちゃん一家子猫を引き取って貰った。

 子猫と一緒に、子猫寝床にしているキャリーケースとボロ布を持って行って貰った。それだけは譲れなかったのだ。何故なら、子猫はそのキャリーケース自体とボロ布をママだと思い込んでいるようだったからだ。子猫はモノを母親だと思って執着していたおかげで、うちの家族の誰かを母親と思って執着することはなかった。

 キャリーケースとボロ布があればいつもママと一緒という気分でいるので、新しい家に行ってもちょっと見える景色が変わっただけで、何ともないと子猫は思うはずだ。

 

2022-05-17

https://anond.hatelabo.jp/20211106194801

朝ドラアンチタグ出演者スタッフ誹謗中傷されているので、NHKが何らかの対策をしてほしい。具体的には朝ドラの前にTwitterなどでの誹謗中傷をやめるようにメッセージ放送してほしい」とNHKに投書してきました。同じように思っている方はNHK意見を送ってほしいと思っています。このままNHKが何もせず放置すればテラスハウス木村花さんみたいな事件が起きかねません。手紙でもメールでも電話でも構いません(ないとは思いますが念のため。カスタマーハラスメントはやめて下さい)。

宛先:NHKや番組についてのご意見・お問い合わせ | NHK みなさまの声にお応えします

本当は署名を集めた方がいいのかもしれませんが色々あってできません。

出演者スタッフだけでなく楽しんで観ている視聴者アンチタグ誹謗中傷されています作品にもよるかもしれませんが)。NHKにとってはアンチお客様なのかもしれないけどファンお客様です。自局のドラマを楽しみに観てくれているお客様誹謗中傷されているのを黙って見ていて欲しくありません。

アンチタグ棲み分けのため」って言うけどタグ付けすれば何言ってもいいわけじゃない。

anond:20201030103202

この人は結局「幼女ハイエース」と同じだと思い込んだままなのかな

どっちかって言うと『推理小説』と同じだと思うよ

推理小説パロディ見て嫌な気分にならないなら、勝手に『誘拐被害者女児』と決め付けてるだけだと思う

正解は『被害者は居ない』

手紙だけに被害者は居ない

2022-05-16

真実を伝えたい。約70年前に結婚約束を交わした日本人女性を探しています

ハフポスト日本版

当時のペギー・ヤマグチさんの写真

アメリカアイオワ州に住む91歳のデュエイン・マンさんは、海軍時代駐屯していた日本出会った女性、ペギー・ヤマグチさんを、約70年間探し続けている。

マンさんのFacebook投稿

2人は愛し合い結婚まで約束していたが、ある出来事きっかけで結ばれることはなかった。

マンさんはヤマグチさん、もしくはその家族を見つけ、真実を伝えたいという。

彼はその願いを込めて、Facebook自身ストーリー投稿した。

時代1950年代に遡る

ヤマグチさんを約70年探し続けているデュエイン・マンさん

海軍所属していたマンさんは、1953年から1954年にかけて日本駐屯1952年日本政府に一部返還され「東京国際空港」(羽田空港)となった「ハネダ・エアベース」で海軍連絡係として働いていた(全面返還1958年)。彼は空軍下士官クラブの利用を認められており、ヤマグチさんはそのクラブクローク係として勤務していた。

自由時間にはそこでスロットマシンの修理係としても働いていた22歳のマンさんは、ヤマグチさんとダンスを通じて仲を深め、恋に落ちていった。

約14カ月の交際を経て、式の準備が出来しだい結婚しようと計画していた2人だったが、当時、アメリカ軍人日本人が結婚するのは容易なことではなかった。

そんな時、予定より数カ月早くマンさんに帰任命令が出た。結婚する間もなく、マンさんはアメリカに帰る飛行機に乗ることになった。

残されることとなったヤマグチさんはその時、妊娠していたーー。涙する彼女マンさんは「心配しないで。貯金があるから、すぐに君をアメリカに呼び寄せるよ」と話した。

しかし、帰宅すると思いもよらぬ事態が起こっていた。すべての貯金父親に使われていたのだ。彼はヤマグチさんに手紙でその旨を説明し、仕事を見つけて必ず早く呼び寄せると伝えた。

マンさんは高速道路建設会社仕事を見つけ、週6日必死に働いた。その間ヤマグチさんと手紙のやりとりをしていたが、約1カ月後には返信が来なくなった。

約3カ月後、妹が渡してくれたヤマグチさんから手紙には、赤ちゃん流産してしまたこと、そして日本出会ったアメリカ軍人男性結婚したことが書かれていた。

実は、その間実家に送られてきていたヤマグチさんから手紙は、日本人との結婚に反対だった母親によって燃やされていたのだ...。

会って真実を伝えたい

母親手紙を焼かれて彼女の連絡先を失い、連絡の方法がなくなってしまったマンさん。それから約70年たった今も、未だにヤマグチさんを探している。

彼女にもし会えたなら、見捨てたんじゃない、ということを1番伝えたい」とマンさんはハフポスト日本版取材に答え、ぜひこのストーリーシェアして欲しいと語った。

5月2日投稿されたマンさんのFacebookポストはすでに700回以上シェアされており、400件以上のコメントが寄せられている。その中には、「見つけられますように」などの応援メッセージだけでなく、情報提供や捜索手段アドバイスも多くある。しかし、未だに確実な情報は得られていないとマンさんは語った。

彼はすでに2度結婚経験しており、6人の子どもと18人の孫、そして6人のひ孫がいる。彼らも今回の調査を手助けしている。

【ヤマグチさんの手がかり】

現在ペギー・ヤマグチさんの手がかりとしてわかっていることは、

1953年1954年に「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)の空軍下士官クラブAir Force Non Commisioned Officers Club)でクローク係(Hat check girl)として勤務していた。

・当時の写真(↑)

・当時、「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)すぐ近くの寮に住んでいた。

ウィスコンシン出身アメリカ軍人男性結婚した。

現在の年齢は90歳前後

残念ながら、マンさんは 彼女を「ペギー」と呼んでおり、正確な日本語名を覚えていない。Facebookで彼は「Iyackoだったと思ったが...」と述べており、コメント欄ではAyakoやIchikoではないかとの憶測がなされている。結婚後の姓もわかっていない。

現在アメリカでもこの投稿は広くシェアされ、ニュースでも取り上げられ調査の輪が広がっている。

【ヤマグチさんは米軍男性結婚したとのこと。その後、渡米しアメリカにいる可能性も高いですが、もし何かご存知の情報があれば、件名に「ヤマグチさん情報」と記入し、news@huffpost.jpにぜひご提供ください。編集部からマンさんに連絡いたします】

https://news.yahoo.co.jp/articles/27578dd76d48b1fc7dfe50e37769b7f496f77c7c

anond:20220516084552

そこで「セメント樽の中の手紙」みたいに『へべれけになりてぇなぁ!!』ってストロングゼロをあおって叫ぶオチにしなきゃダメ

2022-05-14

仕事辞めたいけどもし異世界に転生したら何のジョブになるんだろう

光の輪に吸い込まれたりネコに噛まれたりして異世界転生したら、自分はどんな生き方をするんだろうと考えたことない?

実は今、考えてる。

頭はそこそこ。少なくとも悪くはない。わりと楽に中堅大には受かった。資格をいくつか取った。簿記2級、宅建英語は5年前だがTOEIC860点くらい。試験勉強ではあまり苦労した記憶はない。努力した記憶もない代わりに。

顔もそこそこ。少なくとも悪くはない。外面もそれなりにいいから、新入社員のころは社内でファンクラブができたらしい。広報紙的なやつや、就活生用の企業紹介的なやつに先輩社員として出させられたこともある。

コミュ力は壊滅的。人間と腹を割って話すのが苦手だ。休日通勤時に同僚を見かけたら気付かれないように避け、迂回する。友達ほとんどいない。知り合いができても、環境が変わるたびに自然消滅させてきた。

動物にはそこそこ懐かれる。ただし哺乳類に限る。トリはつついてくる。

強さ、すばやさも壊滅的。筋力は低くスタミナもなく鈍くさい。走れば遅く、ボールを投げれば思ったようには飛ばない。

器用さは少しある。絵を描いたら、何を描いてるか程度は分かるものになる。根気はないのでマンガは完成しない。

何のジョブなら務まるだろう。野垂れ死にしなくて済むのはテイマーかな。テイムした魔獣を敵の攻撃から庇って死にかけて死ぬやつ。手紙の代書屋や翻訳屋もいけるか?大量にこなすのは無理だが。体力もやる気もないから。

異世界でもやっていける気がしないが、この世界でもそうだ。

何やって食ってけばいいかからない。

会社辞めたいのに。辞めるしかないのに。

2022-05-13

連絡がとれない相手との裁判ってどうやってるん?

不在の住所に手紙とか送りつけて進めるん?

2022-05-12

anond:20220512151531

いやだから、先に誰かが買ってるのを知ってたら最後、同じ物を後から欲しいと思っても買うのは許さないんだろ?

同じの買っていい?なんて聞こうもんなら「空虚読めないよね」ってヒソヒソするんだろ?

裏で手紙回しあって「アイツムカつくよね」とかやるんだろ?

それってイジメと変わらんのに、被害者が反抗したら「アイツ1人が我慢すればクラス平和が守られたのに」って騒ぐわけだ

そんなのは小学校でみんな卒業するんだよ

2022-05-11

競走馬手紙書く人の気持ちがわからない

競馬ファン→わかる

競走馬かわいい→まあわかる(俺通信してくんな

競走馬手紙書く→は?

ヴァイオレットエヴァーガーデン競走馬に書く手紙の代筆頼んだら、さすがに困惑されんで。たぶん、社長のところで依頼が弾かれる。

まあ、マキバオー世界なら通用するかもね。(話せるけど、文字読めるかどうか描写あったか

2022-05-09

anond:20220509121811

増田おすすめするコミュニケーション方法手紙かな。

あえてアナログだけど、口頭では伝えにくいことを文語で、それを対面で渡せるという強さがある。

2022-05-06

anond:20220506134259

マッマが葬式系一切顔出さず実家にも戻らんかったら遺産相続がどうので何回も手紙電話来てたやで

結局もらった遺産が百万もないんやで

あてにできるわけがないんや

2022-05-04

あーあ

絵描くのやめてぇな

なんでいじめられて絵描かなきゃいけねーんだろうな

なんで頭ちぎれそうになるまで嫌がらせしてきた性犯罪者手紙かかねーと絵見てもらえないの?

この世界狂ってるだろ

ぜってーかかねーわ

2022-05-03

毒親に「愛想も尽きた」と言われた話

当時私は小学校6年生で、英語ピアノ水泳珠算と週5で習い事に通わされていた。

その多忙を極める日々の中でも学校で友人が出来、皆で動物園に行こうという事になった。

県外に5人で外出するというのは初めての経験だった。

から門限は厳しく設定されており、5時を過ぎると鍵をかけて入れなくなってしまう。

自分用の鍵は渡されておらず門限を破れば夕飯も自動的に抜きとなっていた。

で、動物園へ行く日。口が酸っぱくなる程門限を破るなと言われたが

同行した友人達我が家の家庭事情を知っていたので「そんなの気にするな」と口々に言った。

正直言って、頭の良い集団では無かった。授業中もお絵描きをし手紙を回し続ける。私は休み時間図書室で借りて来た本を読んで読書に耽るタイプだったが何故かその時は「仲間」として誘われる運びとなった。

キドキしながら駅に着き、電車に乗る。渡されたお小遣いで食べる物を買い、色々な動物を見た。夕刻が過ぎ、その内に戻るべき駅から段々離れている事に気付いた。そして閉園の時間が迫っていた。

学校遠足ではタイムスケジュールが定められていたが、計画性もない小学生だった我々はただただ進みたいように歩き回ってしまった。

閉園の時間。園内放送が流れ、私達はとにかく園の外に出なければと駅とは真反対のゲートへ向かう。

子供の頭と足では、駅までどうやっても遠かった。

そうして園の外に出てから駅へ向かう事を決めた。園をぐるっと取り囲む柵に沿うようにひたすら歩いた。

その時点で既に6時。携帯も無い時代だ。

グループの中で最も貧乏で頭の悪い子供が私達を励ます。「何とかなるって!」

駅に着いた時点で6時なら、そこから自宅まで1時間かかる事になり、最終的に7時前後。塾の時間であればもっと遅くなる事もあったがこれは単なる遊び。

こっぴどく怒られる事は想像に難くなかったが矢張り、その通りになった。

勘当だ」と締め出され叱られる。恐らく他の子供達は温かい食事に有り付けただろうに、自分けが空腹のまま。父が怒れば必ず母が従う形になった。

そして遂には「お前には愛想も尽きた」と吐きつけるように言われた。

元々、父が家に帰ってくる事すら稀だった。やれ海外出張だ、やれ残業だと顔を合わせる機会は無く会ったとしても二、三小言を言われるのみ。その日の楽しかった気分は既に疲労で滅茶苦茶になっていたがそれに加えてこの言葉身体から力が抜けていく思いだった。親の言う通りにしなければ、敷かれたレールの上を少しでも外れれば否定され貶される。助けてやろうという気持ち心配に思う気持ち微塵も無い。

自分には皆との楽しい思い出がある、なんて全く思えなかった。どこまで行っても何をしても叱られる。

親としての愛情など受けたつもりは無かった。自らの塾通いのお陰か、親より高い偏差値高校入学したが今でもあの時の事を思い出す。そしてたまにその激重感情自分を苦しめる。私は頑張ってたじゃないか。何故何一つ褒めてくれなかったのか、と。

聞けば親はその時既に別の女性関係を持っていたらしい。

たまに会えば携帯を弄り始め仕事の話ばかりしてくる親。愛想を尽かしたのはどちらが先だったのだろう。

あー・・・ 「嫁」って言葉を使っちゃう人だったんだ・・・

「嫁になってくれますか」船上プロポーズ予定だった男性手紙

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220502/k10013609081000.html

北海道知床半島の沖合で観光船が沈没した事故で亡くなった北見市会社員鈴木智也さん(22)の乗用車の中に、一緒に乗船しプロポーズをする予定だった交際中の女性に宛てた手紙が残されていたことを親族が明らかにしました。

「産まれてきてありがとう。愛しています

手紙事故が起きた先月23日付けで、交際していた女性誕生日を祝うメッセージとともに「今日出会って308日が経ちました。本当に運命感じたし、こんなに気が合う彼女って他に居ないよ。ここまで支えてくれて、好きで居てくれてありがとう。そして、ずっとずっと大好きです。俺が大切にするって誓ったから、これからも一生一緒についてきてください。産まれてきてありがとう。愛しています。嫁になってくれますか?」とつづられています

手紙は「7月7日に返事待ってます。」ということばで締めくくられていて、7月7日鈴木さんの誕生日でした。

親族などによりますと、手紙鈴木さんの車の後部座席に残されていたということです。

また車内から手紙とともに交際していた女性プレゼントするため用意したとみられるアメリカの宝飾品ブランドティファニー」のネックレスも見つかったということです。

うーん・・・

2022-05-02

若い遭難者の手紙勝手に読むマスコミ

ひどすぎる。

なんでそっとしておいてあげないんだ。

女性の瞳を見ることができない

この日記の書き始めは、2022年3月23日。私の増田歴は2年ほどになる。基本はROM専だ。

週末にはてなブログランキングを見る派なのだが、その一番下に増田部門があるだろう。

ある日そこで、弱者男性話題で盛り上がっているのを見た。

弱者男性』というのは要するに、男としての権利義務や果たすとか、オスとしての欲求を満たせずに苦しんでいる男性のことらしい。特にお金モテ問題が多いようだ。

私に言わせれば、どんな人間だって自由はないと思う。

どれだけお金がある人でも、どれだけモテる人でも悩みはある。自分の思いを果たせずに苦しむことには変わりない。自由は、苦しいのだ。

私は、30代後半になる男だ。これまでずっと、道路や、公園や、箸などの大型建築物を創る仕事に打ち込んできた。あなた都内暮らしであれば、私が設計した橋梁を使ったことがあるかもしれない。

年に数えるほどしか増田には投稿しないが、退屈にならないように綴ってみる。

以下、当時の日記を加筆修正したものになる。逆時系列にしている。



2022/3/18

職場の窓口にお客さんが来た。女の人だ。見た目は25,6才ほどか。

建築関係で、測量業務相談をしたいという。アポなし。

カウンターに座るように案内をして、その子説明を聞いていた。

五分も経つと、向こうの説明が粗方終わった。話の最後で、こちらの資料サービスで何点か手渡した。

別れ際、その子が割と遠方から来ているのを知った。職務経験が浅い印象があったので、「質問はありますか?また来ることがあっても困るでしょう」と話を振った。

の子が顔を上げた。すると、次の瞬間だった。コロナウイルス対策プラ製の衝立越しに、その子と目が合った。瞼の上の、ふわりとした茶色パーマが特徴的だった。

しまった」と感じた。

話の最中、その子の姿を見ないようにしていた。私はずっと、カウンターにある資料目線をやっていたのだ。

・・・私と目が合った途端に、その子の瞳が大きくなった。茶色い瞳孔をふわっと見開いて、両手の掌をテーブルの端にちょこんと乗せて、こちらに身を乗り出してくる。目を逸らすのも失礼なので、ちょっとの間だけその子の瞳を見ていた。

その後、私は少しばかり視線を落としたはずだ。

確認ですが、このフェンスのところには町内会倉庫が置かれるんでしたっけ」

はい、そうです!」

マスク越しでもわかる、その子の綻んだ顔に目を背けるようにして私は、カウンターの端にあるスタンプ台に視線を移した。

帰り際、その子名刺を置いていった。会社名と、その子の氏名と、会社電話番号と、メールアドレスと、上から鉛筆書きで携帯電話の番号が書いてあった。「会社にいない時はこちらに」とのことだ。

接客が終わって私は、名刺ホルダーの一番目立たないところにそれを突っ込んだ。

2021/12/21

休みチャイムが鳴った。

給湯室までコーヒーのお湯を汲みに行こうと席を立ち、廊下に出たところで、細身で背が高い子が正面から歩いてきた。いつも髪をお団子みたいにまとめている。

今年入ってきた新人の子で、私と同じ高専の出だった。片手に厚生地ハンカチのようなもの(あれはなんて言うんだろう。ハンカチタオル中間みたいなやつだ)を持っていた。

の子は、私とすれ違おうとする時に、「ばぁっ!」と言いながら両手を広げ、私の方に躍り出てきた。私がのけ反るのと同じタイミングで、小走りで後ろ壁まで下がって、にやにやしながらその子職場の方へと早歩きしていった。

しまった、対応を間違えた」と思ったのは、その年の6月頃だ。

の子は私の部署で余った事務用品をもらいに来ていた。あの時私は、縦横5000×5000ほどの段ボール(中に大量の事務用品あり)を抱えて、その子に渡そうとしていた。

ダンボール箱を渡し終えた時、私には見えてしまった。

「○○さん。開いてるよ」

小さい声で、その子スカートのファスナーが開いて、横から灰色下着が見えているのを指摘した。

の子は、「あ……」とだけ呟いて、カチンコチンコチンに固まった。私がそそくさと自席の方に戻って座りかけたところで、その子段ボールを床にガタンと落としたのを聞いた。

どうやら、片方の手だけでファスナーを元に戻すことには成功していた。その子のところまで行って、段ボールを持ち上げて、「ゆっくり運ぼうね」と声をかけた。

今思えば失敗だった。その子は、あれから廊下で私とすれ違う時、たまに凄く嫌そうな表情になる。廊下の端の方に寄って、小走りで駆け抜けるのだ。その度に、申し訳ない、ごめんなさいという気持ちになる。

2021/9/30

三日月だったかもしれない。

よく行く近所のコンビニに、高校生大学生ほどの女子店員がいる。ハキハキした明るい接客をするし、どんなお客にも物怖じしないし、チャッチャとした勢いで在庫ケースを開けてアイス冷凍食品を突っ込んでいく。将来有望な子だと感じていた。

ある夜だった。コンビニによっては、お客さんがレジの画面で決済手段を選んだり、現金をキャッシャーに入れたりするだろう。

私の目の前に並んでいたお爺さんだったが、どうやら初めてのようで画面操作に苦戦していた。その子カウンター越しに指で指示をするのだが、なかなか難しい様子だった。その子身長は低い。レジから身を乗り出すも、うまくお爺さんに指示ができていない。

でもなんとか、最後の画面までは行っている。私は近づいて、「ここを押すんですよ」とお爺さんにジェスチャーで示した。無事に決済処理が終わった。

私の番がくると、「ありがとうございました」とその子が言った。「○△さんは優しいんだね」と声をかけた。「そんなことないです!」と全力で謙遜をする。

その際、彼女の変化に気が付いたのと、心の中で「やめておけ!」という声がしたのは同時だった。喉の方が早かった。

今日は、なにか顔が違う?」

実際、そうだった。あの子雰囲気は違っていた。

家に帰って、ようやくコトバが浮かんできた。あれはチークだ。女性の瞳の下がうっすらと赤くなっているやつだ。

いつだったか、直属の上司女性社員に対して、「その赤いのは何だ?」と声をかけると、その人が、「これチークです」と返して、さら上司が「チンコ?」と問い返し、微妙雰囲気になったのを思い出した。

の子は、私の問いかけにレジの前で飛び上がって、「えー、どこが違いますかっ?」と元気いっぱいに質問を返してきた。物凄い勢いで身を乗り出している。「わからないけど、なにか違う気がする」と答えたはずだ。

以後、その子レジを受けてもらう時、話しかけてくるようになった。二週間に一度くらいか

「昨日の朝、自転車で走ってましたね」

「すっかり寒くなりましたね」

「私、来月から薬学部研修に行くんです。しばらく会えません」

去年のクリスマスを過ぎた頃だったか。その子と話をしなくなったのは。

急に暗い表情になって、私と世間話をすることはなくなった。

できるだけそのレジを避けるようにしたのだが、たまにどうしようもない時があって、その度にまた暗い面持ちを見ることになる。



2021/6/初旬(特定危険があるので初旬としている)

こういうことがある度に、「間違えた」と感じる。

上に述べた内容は、人によっては嫌味に聞こえると思う。もし、あなたが異性にモテたい人間で、かつモテないのだとしたら、イライラとする内容であるに違いない。

私と目が合った異性愛者の女性は、私に異性としてのアプローチを求めるようになる。目が合わない場合ですらそうだ。

昨年の6月。他組織から依頼があって、コロナワクチンの接種協力の仕事をした時だった。文化ホールの2階席が待機場所だったのだが、覇権会社から来ている女の人は、周りが空いている状態でも私の隣付近に座ろうとした。

○ 私

派遣会社女性

△ それ以外の主に男性

△ ●●● △

 ● ○●△ 

△ ● ● △

オセロだったらと思うと恐ろしくなる。黒が集まっているし、左右には正体不明の駒がある。△がみんなルークで、かつ私の味方であることを祈りたい。

派遣会社の女の人は、昼食を食べている時、チラチラと私の胸板を見ていた。上着を着替える時は特にそうだ。

「お前、さっき俺が着替えてる時チラチラ見てただろ」と言いたくなった。

それで、相手の方に視線を向けると、メジロのようにサッと首を回して向こうを見る。これに限らず、何もしておらずとも人から視線を感じることが頻繁にある。



2017/9/上旬(〃)

この時までは、「できれば女性の目を見ない方がいい」が方針だった。この体験の後は、「絶対に見ない」と自らに誓った。

あれはまだ、前の会社にいた時だ。地元密着型の企業で、年に一度、会社敷地お祭りをやるところだった。一般の人を100人ほど招いてワイワイと楽しんでもらうのだが、私は輪投げゲーム担当になった。

昼下がり、1階の広い室内のひと区画で長机に座って店番をしていると、6才くらいの女の子が前を通った。同じ部署の女上司の子どもだった。

の子は輪投げスペースを通り抜けて、私のいる机の前まで来た。それで、微笑みながらその子の顔を見たところ、きょとんとした顔になって、トコトコと母親のところに歩いて行った……数分後、その子母親の手を引いて、またこっちに来た。輪投げゲームをやりたいという。

その時は普通にプレイしてもらった。帰り際に何かの景品、水鉄砲だったかを渡してあげた記憶がある。

その一ヵ月後だった。私と同僚が、女上司母親)の会社忘れ物を家に届けた時のことだ。

呼び鈴を鳴らして玄関口に入ると、女上司が出てきた。忘れ物を渡して、「ありがとうね」と言われたところで、例のあの子が奥の方から玄関に出てきて、私の方を見た。

すると、口をちょっと開けて、後ずさったかと思うと、一目散に後ろに駆けて行った。柱の後ろに隠れると、「いやだ、わたし、あの人に会いたくない!」と叫んだ。

一言一句、誤ってはいない。確かにの子は、慌てた声で、亀のような姿勢になって、そう叫んだのだ。「あんた!この子になにしたの!」と言われた私は、何もできなかった。

次の日から職場に居ることが苦痛になった。とにかく仕事がやりづらい。女上司との仲が悪循環的に悪くなっていった。

この日から半年後、私は転職を決意した。それから約三ヶ月間、耐えに耐え、今の会社に入ってからは、ずっと今の職場技術関係仕事をしている。



上のような諸々の現象出会うことは正直よくある。年に十回以上は固いだろう。

その度に、過去にあった嫌なことを思い出して、「馬鹿なことをしてはいけない」「自分他人も傷つけてはいけない」と自らを律する。

過去にあった非常に嫌だったこと。思い出したくはないが、この機会だから思い出してみよう。

集団によるシカト地元高専にいた時、アルバイト先のマクドナルドで、ある女の子彼氏彼女的な雰囲気になったことがあった。が、今の私も、当時の私も奥手で、仲が進展することはなかった。雪が降る中、飲み会の帰りにその子を家まで送って行って、アパートのドアが開いたところで「今日ありがとう。じゃあね」と言うと、その子は私の顔を見上げて、多分十秒くらい経ったろうか。視線を部屋の中へと送ってその子は、またしばらく黙っていた。すると、突然早歩きで部屋に入って、ガチャンと扉と鍵を閉めた。しばらく立ち竦んでいると、その子の部屋の中で、また何か音がした気がした。私は振り返って、自宅に帰った。その後、皆の目が冷たくなった。特に女性の。労働時間中も、それ以外でも、私が声をかけてもロクに反応はなかった。店に居づらくなった私は、店長一言だけ「辞める」と告げて、逃げるように事務所を出た。マクドナルドでも、ローソンでも、サイゼリヤでも同じだった。実家の近くにある中華料理店は、店主とそのお母さんが2人で切り盛りしていた。私以外に若い人間はいなかったので、編入先の大学を出るまでそこで働いていた。

・近所の小売店を出入り禁止になったこと。これまでの人生で3回ある。いずれも身に覚えがない。気が付いたら、その店の人間関係が悪くなっていて、店舗責任者と思しき人が私のところに説明に来て、いわれのない罪状を告げる。あれは、今年の2月だった。ローソン立ち読みをしていると、警察官に声をかけられた。店舗責任者が私を通報したようだ。私は、パトカーの中で10分以上にわたって職務質問を受け、最後に「コンビニ若い女の子に声をかけない方がいいよ」と諭された。私がコンビニで誰かに声をかけたことはない。大学生と思しき女子店員に声をかけられたことは何度かある。

電車で移動する時。愛車(自転車)の修理が必要な時や、会社に遅れるリスクがある時は山手線通勤する。席を確保してゆっくりしていると、いわゆるトナラーというのか、見知らぬ女の人が隣席に腰をかけることがある。40もつれの女性であることが多い。やがて、その女性ウトウトたかと思うと、私の肩に顔を傾けてくる。逃げるのも申し訳ないので、大抵は我慢している。

・後ひとつだけ加える。電車通勤時に会社近くの駅で降りるとき、「すいません……」と斜め後ろからオドオドとした、だが妙に勇気を振り絞った声がすることが稀にある。そこには大抵、中学生高校生がいて、顔を伏せがちにして私の方に歩いてくる。それで、カバンから可愛らしい封筒を取り出して、「読んでください」と手紙差し出す。『ごめんね。申し訳ない』。そう思いながら、「勇気がいったよね。ありがとう。読ませてもらう」と返す。手紙を受け取ると、手提げかばんに仕舞って、会社が終わって家に帰ると衣装ケースの奥に入れる。時間がある時に恐る恐る読んでいる。



時間現在に戻す。

私は幸せではない。普通の人が望む恋愛幸せを感じられないからだ。

先日の、ある洋風居酒屋を貸し切っての飲み会の席だった。何十人もの社員が参加する、それなりの規模の酒席だ。幹事集団が、開催前の挨拶で「ソーシャルディスタンス」を連呼していたのを覚えている。

若い子が多かった。30代は私と男の後輩の2人だけだった。飲み会の開始直後を除いては、ずっと1人でメシを食べていた。二十分が経ったところで、後輩の男が、「増田さん。今いいですか」と満面の笑みで声をかけてきた。かつては同じ部署で、手取り足取り何年も仕事を教えてきた後輩だ。

要約すると、「あっちに先輩の席用意してますよ」とのこと。

彼の身長は170あるかないかで、体格は太い。着古した作業着居酒屋に来ていたが、ちょっと汚れのある様がパリピ向けの店の雰囲気にそぐうと感じた。

笑顔はきれいだった。店内の薄暗いLEDに照らされて。少年的な感じのするスマイル。顔は色黒いのだけど、爽やかな感じが伝わってくる。

はいいやつだ。数年後には、いいお嫁さんをもらっているのだろう。

女の子が2人待ってますよ。増田さんのために揃えたんです、褒めてください! △△さん(4階の職場で一番綺麗とされる女性社員)が来てますよ」

後輩はそんなことを言った。私は特別席へと案内を受けるようだ。

後輩は、うす暗い居酒屋とある区画の前まで来ると、「俺は男同士で飲みますわ。先輩は楽しんでください」と向こうのスペースに行った。目の前には後輩が説明したとおり、女性が2人、灰色調のソファに並んで座っていた。それともう1人(「ばぁっ!」の子)が2つ隣のソファまごまごしている。私は対面に座せばいいようだ。

それで、女の子達(同じ階の後輩3人だった)を見た。一人はショートカットで、一人はセミロング?をポニーテールみたいにしていた。もう1人は、肩甲骨の下までの長い髪だった気がする。

雑談小一時間した。私目線だとそれなりに盛り上がった。みんな大体同じだけ会話ができていたはずだ。退屈そうな素振りしたこともあったが、気付かれていないと信じる。

この時も、やはり後悔がある。トイレで席を立った時、あの男の後輩を見つけた。少し酔っていたのもあり、声をかけみてた。

女の子はいいや。後輩君と2人で話したいんだけど。どうかな」

と彼に告げたのだが、鎧袖一触とばかり、「ふざけないでくださいよ~!」と、私の背中を押して、あの子たちのいる席へと連れて行かれた……。

それからずっと、あの子達とお喋りをしていた。やがて、飲み会の締めの挨拶が始まったのに合わせて、私は特別席を立って遠くのスペースに移動した。挨拶が終わる頃、幹事達に1万円を渡して、誰にも声をかけずに帰った。

色々と勉強になる飲み会だった。またいつか、機会があれば行ってみたい、かもしれない。



自分という存在が嫌になる。私にも心があり、胸にときめきを感じる瞬間があり、その存在がほしい、手にしたい、一緒になりたいと願うことがある。

でも、手に入ることはない。手に入れようとする行為自体が罪になる。挑むこと、それ自体が罪なのだ。私にできるはずがない。できない。できないよ。私には。

増田につらつらと想いを書き綴ってはみたけれど、どうやら少しだけ気分が楽になった。つまらない日記になっていたら申し訳ないけど、できればそうでないことを祈っている。

この記事を読まれあなたが、今年も幸せでありますように。

anond:20220502201102

テレビニュース手紙公開ってどうなん

本人の許可を取るべきだろああいうの

手紙公開

何も悪いことをしてないのに何で手紙を公開されなければならないんだろう

故人が可哀そうだ

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