はてなキーワード: 一族とは
・・・とかではない限り、無いよりはマシ程度よ
家の修繕費は10年毎くらいに掛かるし、ずっと住んでりゃ大規模修繕も必要になる
農家とか一族経営の事業をやっていて親族皆で暮らしているならみんなでリフォーム費用を出し合えばいいし、
それ以外はどうにもならん
どう考えても、建築関係の仕事していて、修繕に掛かる相場感持っていて、DIY超得意(と言うか本職)みたいな人が
日本なんか特権階級の政治家一族が、死ぬほどアホでも政治家になり、日本の衰退という栄養で生きているんやで。なんで民主主義でこんなクソバカでかいバグがあるんやろうなあ。。。
元彼一家は母親離婚済(後に早逝)の父子家庭で、元彼、元彼父、元彼伯父兄弟二人(元彼父は末っ子)が、皆灘の出身。
話を聞いていた時は濃い家系だな~って軽く考えてたし元彼自身はそこまで灘出身だという事に拘りは無さそうだったんだけど
結婚の挨拶に行ったりして色々話をする内に、「子供も絶対に灘」である事を頑なに主張された。
産まれても無いどころかまだ結婚する前から子供の進学先まで口を出される事に閉口したんだけど、何故か元彼伯父兄弟まで
出てきて灘にしろ、○○(元彼)の子孫なら当然灘だな、灘以外あり得ない、と色々言われて更にドン引き……
「今からそんな事考えられないんですけど?馬鹿じゃないんですか?」と言うと、
灘の男である○○(元彼)と付き合っている自覚は無いのか!?と愚弄されて私まで怒って口論になる事まであった。
元彼も怒って伯父達、特に下の伯父(三男兄弟の次男)と激しく殴り合いまでしてたんだけど、喧嘩が終わった後に元彼に
「まさか今から子供を灘に行かせようとか思ってないよね?」ってふと確認すると、元彼は元彼で
「いや、出来れば俺も灘には行かせてやりたいとは思っとるよ」と澄ましたさも当たり前みたいな顔で言われて本当に驚いた。
何でも、伯父らや父親に上から色々言われて灘出身にさせたくは無いけど、『俺達』(私達夫妻)が考えた結果、
子供が生まれたら灘人にさせるのは問題無いし寧ろ出来ればそうさせてあげたいらしかった。
元彼自身も、よくよく今までの話などを思い返せば、灘出身である自分に結構なプライドがある人だった。
実際に灘出身であるから自信も実力もあって、タフでそれなりに稼いでる人で、そこが魅力的で好きになった人だったし。
その後、灘出身で身なりもきちっとしてる元彼父とは違い、反社紛いの怪しい職業で大金を稼いでいる元彼伯父次兄、
定職にも就かずにフラフラと何年も放浪しちゃったりする(の割には灘には異常に拘り口も出してくる)元彼伯父長兄、
そもそも元彼父と元彼とは血縁関係が怪しく、元彼母と元彼父兄弟は汚い話だけど穴兄弟で誰の子供かハッキリとは分からず(DNA検査もしてないとか)
とりあえず一番真面目だった末っ子の元彼父が元彼の父となったという昼ドラみたいな歪な家庭環境や、父親かも知れない元彼伯父次兄には
本人にも良く分かってないぐらい複数の血縁者(この場合、異母兄弟になるのだろうか?)がいて、灘にしたいという将来を考えると
結婚する前から遺産争いだの何だのと大いに揉める事が予想出来た状況など(元彼伯父次兄は何やかんやで元彼に自身の財産などを引き継がせたいらしい)
もう色々複雑だし灘コンプレックスも強烈だしで、一般人な私には元彼一族の一員になるの無理!!
ってなって別れる事になった。
まあ決意から別れるまでも色々あって、元彼自身も最後の方には「灘を出る事が(私や子供も含めて)尊い、絆が深まる」
みたいな訳分からない事を言い出す始末だし、でもそんな私自身も元彼本人には好きで未練が凄いあってグズグズしちゃったりで数年かかったけど
ここ最近でやっとケリがついた……筈なんだけど、やっぱりどっかに未練があって連休で一人寂しく家で過ごしてると涙が出てくる。
お互い結婚の意思があるため、少しずつお互いの両親と会っていこうということで、手探りながら交流を開始した。
彼氏は東京のお上品な街で生まれ、医療従事者の父と音楽家の母から生まれたとてもお育ちのいい人である。
反対に私はどうか。
父は半グレ(ほぼグレ)、母は水商売しか経験のないホステス。今だにバブルを忘れられない派手な見た目でずっと足立区にいる。
親族では私が大学進学そして卒業、さらには大手に正社員として採用されたことがビッグニュースになるくらい低学歴な一族だった。
というか、平成なのに同世代の親族ほとんどが小卒ってどういうことなんだよ。
ろくにグレることもできずに、中途半端に暴走族やヤンキーやってその世界で大成することもない人たちばかり。
東京リベンジャーズやクローズZEROの世界線のがよっぽどマシだ。あの世界のモブにすらなれないのに、繁殖力だけはあるしょうもない人間を量産している一族である。
と、自分の一族からは色々な迷惑を被っていたし、世間様にも色々ご迷惑をおかけしていたので、出来れば縁を切りたいと思っていた。
ひょんなことから出会って交際して、まあ結婚するかわからないし、なんて交際を続けていたらいよいよその話が出てしまった。
そして彼氏の実家に行って、圧倒的な育ちの違いを感じた。全てが違う。何もかもが。私が知ってる「家」とは一切合切違った。
平和なドラマのセットみたいだった。揃えられた家具、アンティークの食器、皮張りのソファ、犬ですらうちの従兄弟の誰より聡明な顔つきをしていた。
終わった。こんな小綺麗な世界で生きてる彼氏に私の実家や親族を見せたらなんて思うだろう。
小指がなかったり、和彫が完成してたり、博打酒女、文化のかけらもない会話、ああ今考えるだけでお腹が痛くなる。
彼氏にはあらかた、「私の家は君が見たことないような終わった一族です。」というのは伝えてある。
彼的には問題ないよ、僕が好きで一緒になりたいのは増田ちゃんだし、いろんなお家があるのも普通のことだよ。と言ってくれてる。
大丈夫だろうか。
夏頃に私の両親と顔合わせをする予定です。
それまでにはなんとかその品のない状態を何とかしてくれ、頼むからと昨日電話したら「あいよー」なんて言ってたけどなんもわかってねえなこれ。
胃が痛い。彼は多分このまま結婚をするだろうし、彼の両親もお育ちが良すぎる故に、「増田ちゃんが息子のこと大事にしてくれてるならいいのよ」なスタンス。
でも辛い。内心では絶対呆れられるだろうし、当日私はたくさん恥をかくと思う。
両親のことは愛してる。でも、恥をかきたくない。
「天候や海のせいじゃない。これは“人災”だ」──知床の観光関係者たちは、怒気交じりにつぶやいた。ゴールデンウイークを前に日本全国から集まった観光客たちを襲った惨劇。オーナーにとって「夢」だった遊覧船事業は、なぜ最悪の事態を引き起こしたのか。
4月23日朝、北海道・知床半島の斜里町には「波浪注意報」が出ていた。ほかの観光船はもちろん、漁船も出航を見合わせるなか、「知床遊覧船」が運航する観光船「KAZU I」だけが午前10時頃、オホーツク海へと出航した。
「波がけっこう高いけど、冒険だと思って楽しんでくださいねー!」
乗客の不安をかき消すかのように、船長は陽気な船内アナウンスをしたという。“冒険”が悲劇に転じたのは約3時間後、すでに波の高さは約3mに達していた──。乗員乗客26人を乗せた観光船が知床の海で消息を絶ち、11人の死亡が確認され、15人の行方がわかっていない(4月26日19時現在)。地元の漁業関係者が言う。
「あの日、朝の段階では波はそこまで高くなかったけど、次第に荒れることは容易にわかった。だから船長に“波がだんだん高くなるからやめた方がいい”って言ったんだ。彼は“はい”って答えたけど、そのまま出航した。港で船から“冒険”という言葉が聞こえたとき、海の怖さを理解していないなって思った。あの会社の船長は知床に来て2年の、経験の浅い彼しかいなかった。判断ミスでは済まされない事態だよ……」
船長の豊田徳幸さん(54才)は、埼玉県に家族を残して単身赴任中のいわゆる“出稼ぎ船長”だった。埼玉の自宅の近隣住民が言う。
「もともと観光バスの運転手でした。2000年頃に一戸建てを買ったはいいけれど、観光客を乗せて地方に行くことが多いから、ほとんど家にはいなかったと思います。
10年ぐらい前には水陸両用車の会社に転職。その後、外国人観光客向けのバスの運転手になったけど、運悪くコロナ禍で仕事が激減したって嘆いていました。昔から“お金がない”“税金が高すぎる”と言っていて、実際に自宅が市に差し押さえられたこともあったみたい。仕事をコロコロと変えていた印象でしたが、まさか船長になっていたとは思いませんでした」
知床の海は暗礁が多く、地形や運航ルートを熟知していないと座礁リスクが付きまとう。経験の浅い船長が、荒れた海に飛び出すのは非常に危険だった。
「知床遊覧船」は、地元では知られる有名一族が経営しているという。
「実質のオーナーは町議会議員を4期ほど務めた地元の名士で、不動産業やホテル経営、飲食業など手広くやっていました。『知床遊覧船』の社長はオーナーの息子さん。いまは58才ぐらいかな。若い頃は本州に出て神主を目指していたと聞いていましたが、どういうわけか陶芸家になって帰ってきました。2014年に父の後を継ぎ、地元でホテル経営などを任されるようになったのです」(商工会関係者)
「知床遊覧船」の経営に乗り出したのは、いまから6年ほど前のことだった。
「観光船を持つのはオーナーの夢でした。オーナーは経営していたホテル、飲食、そして観光船を合わせた『知床レジャーランド』の構想を持っていました。社長はその夢を実現させる形で、観光船の経営に乗り出したのです。有名コンサルタントからの助言を得て、言い値で買ったと話題になっていましたよ」(前出・商工会関係者)
当初はベテランの船長らを複数人抱え、運営に問題はなかったという。だが、次第に従業員たちから不満が漏れ始めた。
「社長は利益を重視するタイプで、ベテラン船長が天候を理由に出航を取りやめようとすると、“返金したくないから”と無理にでも出航させようとして、船長と言い争いになったことも。衝突が多かったこともあり、2年ほど前にベテラン船長を相次いで解雇。代わりに来たのが豊田さんだった。給料もかなり下げて募集したようで、社長はコストカットできて喜んでいたけど、安全面はおろそかになっていましたね。
最近では、コロナ禍で知床の観光業全体が下火でした。船首部分に入った亀裂のような傷を修理しなかったのも“倹約”ぶりのせいではないかといわれています」(前出・商工会関係者)
その経営姿勢が、経験不足の“ひとり船長”という事態を生んだのだろう。豊田さんも、社長の経営方針に疑問を抱いていたのか、自身のフェイスブックで勤務先を「ブラック企業」と表現していた。
懸命の捜索は続くが……
あの日、船には「特別な思い」を持つ男性の姿があった。交際中の女性に船上プロポーズをするため、人知れず指輪をバッグに忍ばせていた。事故後、男性の家族は報道陣の前で「もうダメなのは覚悟しているけど、2人一緒に見つかってほしい、それだけです」と言葉を絞り出した。
両親と弟の3人が船に乗っていたという男性もいる。知床旅行は、男性から3人へのプレゼントだった。旅行中の両親から届いた北海道の名産品に、お礼のメッセージを送っても返事は返ってこない。
3℃前後しかなかったという冷たい海水。そこに船が沈むとどうなるのか──海難事故に詳しい東海大学海洋学部教授の山田吉彦さんが言う。
「あの観光船は窓で覆われていたので、沈み始めたとき乗客は船内にいたはずです。波風も強いので外に出られません。できるだけ、水につからないようにしながら待つしかなかったと思われます。相当な恐怖です。船が沈んでいくなかで、出口に近い人だけが外に出られたのでしょう」
沈みゆく船内から脱出しても、冷たい海の恐怖から逃れられるわけではない。医療ガバナンス研究所理事長で内科医の上昌広さんは、低体温症の恐ろしさをこう語る。
「低体温症とは長時間、寒い屋外や冷たい水の中にいることで、体の深部体温が下がり、内臓や脳の機能が低下することを指します。早い人は3分くらいで症状が出ます。体温が35℃を下回ると、循環機能や生理機能が働かなくなり、おしっこが勝手に出てしまいます。すると、脱水状態になり、熱を逃がさないようにと血管が収縮し、血流量が下がり、意識がもうろうとする。そして、睡魔が襲ってきたり、幻覚を見ます」
遺族、そして行方不明者の発見を待つ家族は、張り裂けそうな思いで事態の打開を待っている。前出の山田さんが言う。
「私が今回の事故の問題だと思う点は管理体制です。本来13時に港に戻っているはずなのに、13時13分に海上保安庁へ通報するのはおかしい。もっと早い段階から船長は事務所に連絡していたはずです。本来出航したら常に連絡を取れる体制でなければいけませんが、担当者が不在だったか音信不通になっていたのでしょう」
実際「KAZU I」は事務所と連絡が取れていなかった。数ヶ月前から「知床遊覧船」の無線機のアンテナは壊れていて、事故当日、豊田さんは別の運航会社と無線で連絡を取り合うしかなかったという。海上保安庁は、不明者の捜索を続ける一方、業務上過失致死などの疑いを視野に捜査を進めている。