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はてなキーワード: エッセンスとは

2021-05-07

anond:20210506204418

マッシュルはロボコドラえもんベースのパロ漫画なのと同じノリでハリポタパロギャグ漫画やりたいのかな……と思ってそこまでは気にしてなかったけど(もろクィディッチやんけとかは流石にもっと捻って欲しかったけど)、

最近わりとストーリー漫画っぽくなってきて、そうしたら世界観の土台がほぼ他の作品そのままってどうなん?ってモヤモヤしてる。

ストーリー漫画、とくにファンタジーものなら、世界観オマージュするにしてもエッセンス程度にしてオリジナリティ出して構築して欲しいんだと思う、個人的に。

独自の部分もあるしそこが面白いのも分かるんだけど

2021-04-27

たっぷり野菜スープ増田で出す間をプー粋さや海苔ぷった(回文

おはようございます

私すっかり忘れていたんだけど、

ニンテンドーDSドラゴンクエストVクリアするの今年の目標だったんだ!って

元旦に掲げて挑戦していたんだけど、

本当にすっかり忘れていたわ。

でも今さら再開してもどの場面だったかからいからしばらくは路頭に迷う日々が続きそうね。

長く間が空いたときロールプレイングゲームとか

どこまでやったっけ?って忘れちゃうので、

これはいけない!いけない!テヘペロ案件として、

要注意しておかなくちゃって思う反面、

やり込みはいいから本筋はちゃんとたどってクリアしたいものでもあるわねって思ったわ。

まあ今年の目標なので、

今年の汚れは今年のうちに!って家庭用洗剤のマイペットみたいなこと言っちゃうけど、

あーあやるゲーム多すぎるわって問題勃発よね。

私はとりあえずマリオカートグランプリ星3つを取るまで止められないので、

まらいかっぱえびせんのようでもあるわ。

それにさ、

もうすぐさ、

ゴールデンウィークにもブッ突入ちゃうじゃない。

例の緊急特例制限措置みたいなのが、

あるからあんまりあちらこちらにも遠くに行けないところもあるけど

私いいこと考えたのよ!

ゴールデンウィークオーブントースター

鶏用で買って、

それで鶏肉焼いて食べる研究に取り組むかってこと。

いいフィッシュロースター買う前に

オーブントースターの火力でも戦えることを証明したいし、

きっと理屈では両面焼きよろしく出来るはずだから

カリカリの外はカリっと中はふんわりの理想の焼きチキンを目指すのよ。

まあ気が向いたらなんだけど

3000円ぐらいならフィッシュロースター買う前に遊んで楽しめる値段じゃない?

あとさー

野菜買ってて使うの忘れたのがあって

それらいい加減何かして食べないといけないわね!って

とりあえずブイヨンで煮て食べてさって思って鍋に入れて煮込んだら、

最初小さい鍋で間に合うと思ったけど、

みちみちのぱんぱんのなみなみの量になって、

居酒屋女将さんが角打ちすり切り一杯でこぼれさす日本酒あるじゃない。

そこまでは溢れなかったけど

本当に鍋がぎりぎりでこの量に焦るわ。

ちょっと食べて減らしたらカレールーでも入れてカレーに華麗なるジョブチェンジでもさせようかしらって思うの。

あんまりカレールー使うの苦手というか

自分では馴染みがないので、

そこまでしなくても良いから、

カレースパイスだけでも入れてカレー風味のしゃばしゃばなおしゃれなスープカレー仕立てでも良いわねって思ったし、

なんだって

上手く作り替えたら簡単にできるわよ。

基本のブイヨンの力が強いから、

とりあえず

野菜が余ったら

ブイヨンで煮込んじゃえばなんとでもなるし、

じゃコンソメでもいいんじゃん?って

ブイヨンとコンソメの違いを私に尋ねられても

コンソメのように完成された回答はないし、

とどのつまりよく分からないまま私たち

ブイヨンかコンソメを使っているのよってことかもしれないわね。

違いがよく分からないわ。

知ってる人教えて頂戴って逆に聞きたいところね。

でね、

そのブイヨン仕立ての野菜スープ

タマネギトマトキャベツピーマンニンジン、あと

久保田利伸さんが大好きなシャウエッセンを入れて完成させたか

まあ今晩のおかずにでもするし、

スープとかで煮込むとき

シャウエッセン久保田利伸さんが喜びそうなプリってグッドサウンドは鳴らないかも知れないけど、

全部に切り込みを入れて煮込んじゃうと、

美味しいシャウエッセンエッセンスの汁が出汁で出ちゃうので、

何本か隠し包丁を入れたものと入れてないものとで

分けて入れると、

食感と味とを両立させる、

学生がよく言う勉学とクラブ活動を両立させるような上手い具合な味に仕上がるから

学生さんに振る舞っても

そこそこ美味しく食べて頂ける仕上がりだと思うのよ。

って塩入れるの忘れてたので、

帰ったら塩コショウで味を決めるわ。

晩にいただくわね。

うふふ。


今日朝ご飯

厚焼き玉子ベーコンサンドよ。

もうこれがあれば生きていけるほどの美味しさのお気に入り

もう世の中のサンドイッチこれだけでも制覇していいんじゃないって言ったら

サンドウィッチ伯爵が元祖本家キュウリサンドイッチに怒られそう。

まあきゅうりサンドイッチも食べたいときがあるからね。

デトックスウォーター

ピンクグレープフルーツを1玉とレモン

今回はちゃんと皮まで使って大丈夫レモン買ってきたので、

それを輪切りにして

グレープフルーツアンドレモンウォーラーにしてみました。

寒かったけど、

まあ冷たいのも目が覚めていいわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-04-18

anond:20210418165857

他人の臓器及び体レンタル自分たちエッセンス入りの新品人間購入(購入予約)」を否定できないの怖い

誰にも他人の臓器を使う権利なんてない

条件付きだろうがそこには必ず搾取があるのに

2021-04-06

[]3

材料

バナナ(完熟)中2本

薄力粉100g

黒糖沖縄産)60g

製菓マーガリン100g

卵2つ

ベーキングパウダー4g

手順

1.マーガリンレンジで柔らかくして練り混ぜる。

(柔らかくし過ぎてマヨネーズ状になってしまった)

2.黒糖を入れて混ぜる。

黒糖結構ダマがあり小さな塊はそのままになった)

3.湯煎して温めた溶き卵を少しずつ入れながら混ぜる。

 (卵の温度が高くマーガリンが完全に溶けてしまった。全然分離しなくて混ぜるの超楽)

4.薄力粉ベーキングパウダーをふるいながら入れてゴムベラで混ぜる。

5. 荒く潰したバナナを入れてザッと混ぜる。

6.パウンド型に入れ180度に予熱したオーブンで45分焼く。

感想

95点。

甘さがちょうどよい。

マーガリンが溶けてしまったので心配だったがちゃんと膨らんだ。ベーキングパウダーを入れるので全然問題ないようだ。

簡単で美味しい。最高だ!

ただ黒糖感はやはり薄い。ダマはどこに行ったのか、全然存在を感じない。

次回の変更点

ラムエッセンスを足す。

図書館で予約したパウンドケーキのレシピ本を参考にナッツ等食感の良い物をプラスしてより高みを目指す。

2021-04-02

研修

数年前のある日、僕と後輩は上司に呼び出された。

研修に行くから明日●時、羽田空港に集合ね」

「行先は今は教えない」

その「研修」は以前にも一度開催され、僕達の後輩が行っていたのだが、彼等も行先を教えてはくれなかった。何となく嫌な予感を抱えつつ、翌日、僕達は羽田空港から鹿児島へと上司に連れて行かれた。空港近くでレンタカー手続きをしている間、免許のない僕は何気なく周辺マップを見て、「ここじゃないといいんだけど……」と思った。目的地は、まさにその場所だった。

知覧特攻平和会館

その名の通り、大日本帝国陸軍航空隊特攻に関する資料が展示されている、歴史博物館である

…え、何で?

当時の職場戦争歴史平和事業等とは一切関係のない企業だ。どうしてその場所に連れて来られたのか、意味が判らなかったし、行先を秘密にしていたのも謎だったし、到着した僕と後輩は戸惑いしかなかった。

一通り見学した後、帰りの車で上司から、「会社研修としてこの場所見学した意味を踏まえて、レポートを書いて提出すること」を僕と後輩は申しつけられた。飛行機の席がなく、上司は先に東京へ帰った。

空港内のレストランで夕飯を食べながら、僕と後輩は、「コレどういう意味ですかね?」「いや知らん!わからん会社のために働いて死ねってことか?」ふたりで頭を抱え、「もしかして他社でも研修で利用されているのだろうか……」と検索してみたところ、一応、いくつかのレポート記事発見した。そこに書かれた模範解答のようなレポートを、自分が書ける気はしなかった。

結局、僕はレポートを提出しないまま、その会社を辞めた。その理由はこの一件だけに限るものじゃなかったけど、僕があの会社で「もう無理」と思ったエッセンスが凝縮されていた。

平和会館自体は、膨大な資料で見ごたえがある、すごいところだった。戦争の愚かさ、若くして命を無駄にすることになった人々の無念さに、「ひとりの人間」として向き合うための場所だ、と感じた。僕は、この場所を、「会社研修」に利用されることが耐えがたいと思った。

そもそも僕は、政治思想的には、いわゆる「右寄り」の価値観をあまり受け容れられない人間だ(かといって左翼自称できるほどではないけど)。しかしそのあたりは、仕事をするうえでは関係のないことだし、持ち込む気もないし、そのことで議論を戦わせる気もない。ナイーブ話題から職場どころか、友人間でもあまり持ち出すことはない。行先を教えられないまま連れて行かれた「研修」は、そのナイーブ領域を、事前告知も無く荒らされたような不快感があった。

おそらく当時の上司たちが望んでいたレポートは、「日本のために勇気を持って散っていったひとたちの想いを無駄にしないよう、素晴らしい未来を築いていくために努力します」みたいな内容だったのかなと思っている。だが、第二次世界大戦や、特攻という作戦自体問題点や疑問点を持っている僕には、どうしてもそんな綺麗事美談めいた内容を書くことが出来なかった。

しかしあのとき検索したように、他社でも同じような研修はあるみたいだから、このインターネットにも同様の体験をしている人はいるんだろうし、この研修を素晴らしいと思う人もきっといるんだろうな。結局、会社部族みたいなもので、そこの掟や価値観に合うか合わないかだよな、と思う。

2021-03-28

[]2

材料

バナナ(完熟)中2本

薄力粉100g

黒糖70g

製菓マーガリン100g

卵2つ

ベーキングパウダー小さじ1

ラムエッセンス適量

手順

1.マーガリンレンジで柔らかくして練り混ぜる。

2.黒糖を3回に分けて入れながら練り混ぜる。

3.溶き卵を少しずつ入れながら混ぜる。

4.薄力粉ベーキングパウダーをふるいながら入れてゴムベラで混ぜる。

5. 荒く潰したバナナを入れてザッと混ぜる。

6.パウンド型に入れ180度に予熱したオーブンで45分焼く。

感想

90点。

前回のブコメを参考に、バナナは粗く潰して最後に混ぜ込むようにしたのが大成功

ちゃんと膨らんだしバナナの食感が残っていてより美味しい。

バナナは買ってから1週間置いて皮が真っ茶色になったものを使ったのでそれも功を奏したようだ。

ももう少し甘さ控えめでも良いかな。

ただまたもや黒糖感もラム感も弱い。

黒糖自体香りがあまり強くなかったのかもしれない。次は沖縄産の高いのを買ってみよう。

ラムエッセンスも量が足りなかったのかも。

(近所のスーパー製菓コーナーにラム酒が無くラムエッセンスしか置いてなかったためラムエッセンス使用

次回の変更点

砂糖を60gにする。

黒糖を高いのにする。

作業について

ベーキングパウダーを小さじで計るのが面倒。

小さじ1=4gらしいので次から重さで計る。

溶き卵を湯煎で少し温めてから入れたら全然分離せず簡単に混ざって良かった。

からも同じようにする。

2021-03-21

魔王を倒して50年。かつての仲間の弟子と旅に出ました。最強エルフスローライフ

「葬送のフリーレン」ってストーリー的にはなろう的な俺TUEEEエッセンスが満載なのに、案外それを言及してる人も少ないし、実際に読んでみるとなろうの印象は弱い。

ストーリー全く一緒した、なろう版フリーレンとか出てくれないかな。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-02-19

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

2021-02-16

anond:20210216223039

南北朝が人気無いのは戦前反動だろ

別に人が死ぬことはそこまで読者が忌避するエッセンスじゃないよ

2021-02-11

自分個人的体験を、主語目的語を大きくして語るから

たまたま親戚のおじさんに言われた言葉が「男性は」「女性に対し」みたいな話になってしまう。抽象化は様々な出来事から共通したエッセンスを選び抜き出すけど、そうではなく自分体験をそのまま一般化してしまう。

そうなると、その話に重みを持たせるためにだらだらとお気持ちを書いていくことが必要になるんだろう。それが共感を得られる行為だと思っているし、普段のおしゃべりグループでは実際にそれで共感されるんでしょうね。

anond:20210211074846

趣味なら良いけど、学問とか実益には古典は向かないよ

特に若い間は。もしその古典現代までの反駁に耐えうる素晴らしい内容を含んでいるのだったら、そのエッセンスもっと磨き上げられた上で現代の本にも取り込まれている。無いなら、それはファンが多いだけのただの古い本だ。若い人は古典ではなく、新しい本、その中でも評判の確立したちょっとだけ古めの本をまず読もう。読み漁ろう。インテリ仕草古典知識を貯めようとするなんて人生もったいないよ。

古典を読むのは年老いからで十分だ。そこまでに古典でない色々な本を読んでいれば、落ち穂拾い目的古典を読んで見ると、そこまで来て初めて気付くものを得られるかもしれない。もちろん、古典を読むこと自体楽しいという趣味の人、あるいはそもそも楽しむことが目的というジャンル古典、それとも訓詁学がしたいのだったら若いから大いに楽しむのが良いけど。

anond:20210210225201

2021-01-26

anond:20210125195655

十勝地方なんだけど、高倉安次郎っていう人物雑穀移出を起点に検査機関とか倉庫とか農事組合とか電力とかいろんな事業の中心人物になりその事業の一つが金融だった。帯広信用金庫前身

高倉はこの後政友会系の道議会議員になって、地元有志に応えてクソデカビート工場を誘致した。あと十勝だけでなく野付牛(北見)の雑穀流通にも睨みを利かせて色々やってる。

高倉がなんでこんなにできるのかさっぱりよくわからないんだが、彼は滋賀県出身で、多分近江商人的なエッセンスを大いに持っていたのではないかと考えています

2021-01-19

anond:20210119150737

ロボット魔法少女というのを、エッセンスとして「メカと変身」にスコープを当てたんだけど

コックピット魔法異能)」とかの方が近い?

2021-01-12

嘘つき

SNSアカウントを五つ持ってる。

ひとつ子供が成人した五十代の勤労主婦

ひとつハイキング好きの四十代無職独身男性

ひとつ地域ネタ中心を話題にするフリーランスの三十代女性

ひとつはオタ活する小梨の四十代専業主婦

ひとつSES三十代男性日常

本物の自分からエッセンス抽出してそれぞれを演じている。

社会DM文化や鍵学級会など興味深かった。

ぼちぼちフェイクがバレてきたのでコロナ禍に乗じて死んだことにしてアカウント自然停止した。

嘘をついてない自分アカウントひとつもない。

2021-01-11

anond:20210110191811

返答ありがとう

> なので、まず共感必要というのは理解してるよ。

理解していない人の理解の助けになればいいかと思って書いた

共感必要、という点では理解が一致しているようで何より。

ブコメid:lady_jokerブコメなんで、この人が奥さん?を念頭に置いているのか親とかを念頭に置いているのか俺にもわからん

推測だけど、奥さんでも親でも一緒だと思うよ。

要は、頑張ってご飯を作って「さあどうぞ」って持って行った時って、往々にして相手を喜ばせたい、相手サービスしたい、

という思いがあるから作っている、と容易に推定できるんだよ(もちろん、究極的には確認しないとわからないけど)。

ごはん提供することで、相手が喜ぶ顔を見る、ということがモチベーションになっている人は結構いる、ということ。

その人の、そういう世界観は、必ずしもあなた世界観とは合致しないかもしれない。

そうだとしても、まずはその人(コミュニケーションを開始した人)に合わせるところから始めるのが、大事

サッカーでのパスを例に考えよう。

パスを出す側も、受ける側も、ちゃんと「パスしよう」と考えないと、パスが成立しないじゃない?

両方が相手に合わせようとすることが大事になる。

今回のケースでは、明らかに受け手側」が「出し手側」を意識していない事が明らかだったので、

それを指摘した次第。

恋愛工学ならぬ、付き合い工学みたいなのが欲しいわ

実際には、それに類するものは、すでに存在している。

恋愛工学」のルーツをたどるのがポイント

ニールシュトラウスの「ザ・ゲーム」という本で説明されているPUA(ピック・アップ・アーティスト)という考え方だ。

恋愛工学は、これを日本版アレンジしたものと考えると良い。

PUAについては、「ザ・ゲーム」を読めばわかるのだけど、

さらに、このベースになっている心理学モデルが、神経言語プログラミング通称NLPだ。

NLPをざっくり言うと、催眠術で使う言語アプローチベースとした心理モデルで、今一つエビデンスが取れていない脇の甘さでも有名だ。

ただ、実務上、非常に使えるモデルであるため、話し方教室コーチングスクール営業向けセミナー自己啓発セミナーあたりでよく(NLPと呼ばずに)引用されている。

(メンタリストDaiGoが使っているメンタリズムも、NLPをかなり参照している)

ここでは別にNLPを学んで欲しくてこの話をしているわけではないため、一部のエッセンスを伝えるにとどめる。

催眠術師は、催眠術をかけるときに、被験者ラポールをとる。

ラポールとは「かけ橋」、相手との心が通じ合った関係を築くことができている状態を指す。

ラブラブカップルが、ペアルックにしたり、言葉遣い雰囲気が似てきたりすることがあるじゃない?

この状態をある程度意識して作っていくということ。

ラポールを取るためには、被験者言語的、非言語的に発している情報シンクロすることが重要だ。

NLPでは、その技術最初トレーニングする(ペーシング、リーディング)。

また、NLPは、当初心理療法として開発されていたため、

その成立過程で、カールロジャーズ提唱した「傾聴」という概念を参照している。

そのため、NLPでは相手の話を積極的聴くことで、相手ラポールを築くことを学ぶ。

さて、

> これ自体はやったことがある。ただうまくはいかなかった。

> 「お前が何考えてるか全然わかんねえよ」とはしょっちゅう言われていたので、その度に

> 「なるほど、俺が何考えてるかわからないんだね」と返してはみたんだけど

とあるけど、「お前が何考えてるか全然わかんねえよ」と相手に思わせてしまった状態からは、

ラポールの構築は、可能ではあるものの、手間がかかるもの、と思った方が良い。

相手に「何考えているかからない奴」という評価が出来上がっているので、

そこを緩めるほど多くのコミュニケーションを取る必要があるからだ。

可能であれば、早い段階からラポールを築いておくことが望ましい。

相手評価が固まる前の早い段階から相手マッチするようにしていくことで、

「お前の考えている事、よくわかるわ」にしていくことが、より容易になる。

NLPに限らず、この手のスキルは、実際に使えるようになるまでの訓練が必要だ。

コーチングスクールや話し方教室など、「実際に対人練習ができる」場所に行って、

トレーニングし、「型」を身につけることが有効だと思う。

そして型を身につけたら、日常コミュニケーション実践していく。

日常の膨大なコミュニケーション試行錯誤することで、「型」が実際に使えるものに変わるからだ。

結構大変かもしれないけど(自分はそうだったので)、

コミュニケーションができるようになりたい」という渇望があれば、どうにかなると思うよ。

2021-01-04

紅白雑感/後半

前半

https://anond.hatelabo.jp/20210104090522

NiziU

グループ自体ジブラの娘がラップしてることしか知らなかった。流行ってるらしい。

驚くほど歌詞が単純なんだよな。「聴き手を笑顔にしたい」ってことしか言ってない。でもその直球の励ましが却って洗練された仕事に感じる。あどけない女子が直向きに踊って歌って「元気出して」って言ってる、アイドルって結局それで十分なんじゃないか

こういう応援ソングが受けるのも不安な世相を反映しているのかなとも思ったり。

なんか全体的に見てNizi Projectってラブライブ!ぽい。ラブライブもそんなちゃんと見たことないから大それたこと言えないけど。パフォーマンスバックストーリーとして青春群像ストーリーを展開してるとことか、わりとパフォーマンス方向性がべたな「カワイイ系」の日本アイドル像ぽかったりとかなんとなく雰囲気が似てる。単純に9人組だからそう錯覚すんのかな。

出で立ちとかパフォーマンス日本人好みにチューニングされてる感じだけど、曲自体J-popであまり見られない作りだったのがヒットした一要因かもしれない。あん一定リズムテンションでサビまで流れ込む曲は「サビで爆発する」J-popにはなかなかなくて、それを幼さが残る可愛らしいアイドルが歌う新鮮さがあった。

まあなんだかんだいってもNiziUが売れた最大の要因はJ.Y.パークのマネジメントセオリーが注目されたことだと思ってる。

瑛人

ドルチェアンドガバーナはNHK的にセーフか否かで一部盛り上がりましたね。

オーソドックスフォークソングスタイル下地に、R&Bとかレゲエエッセンスをなんの疑問もなく混ぜ込む、このバランス感覚は今どきの若者からこそだろうなと思う。どこまで意図たかはわからないけど結果として長渕とか井上陽水を聴いて青春を過ごした中高年からSpotifyTikTokに浸る今の学生世代にもしっかり刺さる名曲ができてしまった。

香水」みたいな同じリフを繰り返すタイプアコギ弾き語りってエドシーランとかがやってるのと同じアプローチで、エドシーランはヒップホップとかとのミクスチャーのつもりで意図的にやってるんだよね。

ヒップホップ感覚で聴けるポップスがヒットしたこと時代の変化を感じる。

ヒップホップは歌えない」って曲も出してるけど意外と瑛人はフリースタイルとか出来ちゃいそう。

当たり障りないけど誰にも一度は経験ありそうな普遍的シチュエーションLINEドルガバなどの固有名詞を放り込む詩世界も素敵だ。

シンプル演出ほど映える人って得だな。

Perfume

Perfumeもとうとうメドレーを求められるような境地に入ったのか。来年紅白で見たい。

せっかくの別スタジオからライゾマティクスに期待しすぎてしまった。

BABYMETAL

Perfumeに続けてベビメタが出るのは紅白出演者世代交代のつもりだったりとか…じゃないよな流石に。

テレビ出演してないとまだまだ認知度も比較的低いのかともに見ていた母は認知していなかった。母はあまりにも情報量が多すぎてぽかんとしていたが曲タイトルだけは「そのまんまじゃんw」と笑っていた。

今回の紅白は無観客だったり別撮りだったりでカメラワーク制限が少ないから寄りのショットボーカルでないメンバーを抜いたショットが多いかもしれない。

サポートメンバー博多華丸の娘さんらしい。個人的には鞘師里保に出てほしかったけど、かっこよかったね。

郷ひろみ

筒美京平追悼メドレー。

なんかちょっと背中が丸まってて流石に郷ひろみも歳とったなーなんて思ったり。ベテランはそれが味だよな。

ヘアスタリングはあれでよかったのか?スネ夫みたいになってた。

JUJU

冒頭の司会とのやりとりからして癖が強い。立ち姿からして唯一無二。こんな奴見たことない。

こんな声が裏返ってたっけ?

声が震えてても音程さないのはすごい。

セットに囲まれ360度カメラがぐるっと回り込むのは無観客ならではで感心した。

この人高橋真梨子みたいにこれからちょくちょく出演するんだろうな〜

おそらくミラクルひかるものまね紅白で真似してくるぜ。

Greeeen

朝ドラエール」の特別企画込みでの歌唱

窪田正孝は18歳にも見えるし43歳にも見える、不思議

山崎育三郎安倍なつみの前でもあんなキザな顔をしているのだろうか。

視聴者がこの件で一番期待していたのはおそらくGreeeenの顔出しじゃなくて"岩城さん"が歌う「イヨマンテの夜」だった。

3曲メドレーそしてうち1曲はフル尺という破格の待遇だが、国内トップクラスの人気を持つグループなのは間違いないし、歴代紅白司会者かつ東京オリンピックテーマソングを歌う歌手という功労者であることは拭い去りようがないので、これもまあ妥当な扱いだろう。

カイト

昨年と同じく新国立競技場からの中継。「カイト」の合唱は広いグラウンドの真ん中で5人だけで歌っていた昨年からここまで歌が世間に浸透したんだという感慨があってよかった。でもバック映像ちょっとくどかったかなー。テロップポエム流すのとかちょっと寒かった。

Cメロ部分をまるまる口上にしていた。普段はこういうのファン以外は喜ばないからやってほしくないと思う達だけど、今回はこの瞬間だからこそわざわざいう必要があったしいい演出だったと思う。

君のうた

ういういかにアイドルっぽい曲調の応援歌を投入してくるところにサービス精神を感じる。

NiziUでもそうだけど今ニーズがあるポップスってやっぱ応援歌なのかもな。

オリンピック関係で求められる「カイト」、自分たち世間へのエールとして歌いたい「君のうた」、自分たち代表曲の一つで大衆に求められている「Happiness」で、3曲披露する意義をそれなりに示してた。

LiSA

さまざまな記録を提げ鳴り物入りで登場。

舞台セットが累との戦いのイメージだったり背景映像が日頃見かける紹介VTRでは見ない映像だったり。スタッフちゃんリサーチして作ってるのか、そこまで「鬼滅の刃」が世の中に浸透しているということなのか。なんかわからないけどディテールが凝った演出

ヒゲダン

去年もそうだったけど紅白だとすごく歌いづらそう。PAに嫌われてんのか?

管楽のサポートメンバーイントロしか出番ないじゃんと思ってたら合いの手とかハンドクラップもやってた。

ギターも出番少ないなこの曲。

去年までは音像とか音色とかの上物は洋楽に寄せてその代わり大枠はJ-popセオリーに従った構成大衆性も獲得するヒゲダンとかKing Gnuみたいなのが売れるタイプだったけど、

それとは真逆で、音やフレーズは従来からあるJ-popフォークなのに、曲のアプローチのもの現代的な洋楽のそれに肉薄してる「夜に駆ける」や「香水」が大ヒットしたのはパラダイムシフトかもしれないな。

三山ひろし

けん玉のやりやすさでいうと無観客でよかったんじゃないの。

真ん中のアリーナステージも上手いこと使ってたね。

歌い終わりにけん玉リレーが追いついてないの一番残念なパターンかもな。

YOASOBI

CDを出さない。ネットでは普通に露出してるしバラエティ番組にも頻繁に出るけど音楽番組は避ける。曲もそうだけど活動自体に斬新さがまだまだあると思う。

この曲って一聴するとaccessとかfripSideとかの昔からあるザJ-popって感じのシンセポップぽいんだけど、基本的ベース部分はA♭→GmCmの繰り返しで、そこにB♭やE♭のコードを場繋ぎとして差し込んだり細かい細工をして展開を作ってるんだよね。それでドラムパターン一定クラブとかで流しても違和感なく踊れるような作りになってる。

最後のサビで半音さがるっていう転調を行ってるんだけど、コード進行がシンプルなおかげでそこがすごく目立つ。やっぱ転調は肝心なときしかやっちゃいけない技だよ。

関ジャニ∞

やっぱメインボーカル2人ともいなくなるのは痛い。

審査員ダンスの振りわかってなくて戸惑ってた。

東京事変

二階堂ふみ椎名林檎好きってなんか想像通りだわ。

東京事変デジタルクワイアやるのか。

いろんな曲のフレーズが散りばめられていたけど世代的になんとなくわかっちゃう伊達に16年前からやってるバンドじゃねえわな。

この時期に阿波踊りしてるの見せられてもなんとも変に思わない歌手椎名林檎だけだな。

最後のウィスパーボイスセクシーだな。「母親か」ってすげえツッコミだなおい。

ゆず

ゆずリーダーとか嵐の相葉雰囲気って人を選ぶ気がする。

ゆずの曲をフルオーケストラで聴く機会なんてないからこれは面白いものを見た。

篠笛の人が妙に目立ってた。刺客みたいになってた。

あいみょん

おじさんのあいみょん好きは本当に謎。いやいい曲だけど。

あいみょんのさっぱりしたファッション個人的には好きだな。

吉沢亮が出ててあいみょん主題歌映画なんてあったっけ?と思って調べたら、吉沢亮って「空の青さを知る人よ」の生霊の役やってたんだ!観てたのに全然気が付かなかった。流石だわ。

マリーゴールド」のイントロギターフィードバック音とか「裸の心」のぽんぽん鳴ってる音とか、これよく聞くと歌が始まってもずっとループで鳴り続けてる。普通ポップスって顔しながらこういうブレイクビーツぽいのを密かに延々と鳴らし続けてるのラナデルレイみたいでかっこいい。

YOSHIKI

We Are The World的なドリームチームをさくっと作っちゃったYOSHIKIパフォーマンス

オフの時のサラブライトマンめっちゃ優しそう。

映画の印象もあるからロジャーテイラーのお爺ぷりに驚いた。

ロサンゼルスと中継だとタイムラグがあるだろうによくオケに合わせてピアノ弾けたな。

凄いスケール感だったけどやっぱりこの曲はまだ歌われる時期ではないような気がする。

Superfly

バロック調でのオーケストラアレンジは何回も聴いた「愛をこめて花束を」に新しい解釈ができて楽しかった。

普段のでっかい花束を抱えてくる様なパワフルなパフォーマンスもいいけど、ボッティチェッリプリマヴェーラの様な軽やかを携えたこバージョンも好き。

ミスチル

自分が歌いたいマイナーな歌を歌って見ている側にも響くものがあるのが凄いな。ミスチルというブランド力だな。

モノトーンで無機質なんだけどどこか暖かみがあるセットがちょっと丹下紘希ぽい。「IT'S A WONDERFUL WORLDから「I ❤️U」の頃が僕にとってミスチルが一番身近だったのでなんだか懐かしい気持ちになった。

ギターアンプ直刺しでドラムセットも簡素サポートメンバーストリングスピアノにかぎっていて(コーラスは被せ?)、機材がなるたけシンプルなのが潔い感じでかっこいい。

1番の終わりのコードマイナー調で暗いのが大サビの後で暖かい響きのものに変わってるのがベタだけど良いな。

石川さゆり

いつもの天城越え」だけど冒頭のピアノアルペジオが繊細な印象。

当然のように上手い。

星野源

浮雲はいそがしい。

思うことは色々あるけど、「期せずしてYOSHIKIの「Endless Rain」へのアンサーになった。」ということだけに留めたい。書ききれない気がする。

氷川きよし

メイク濃くなってから観月ありさと見分けがつかなくなってきてる。

視聴者が期待する派手な演出ってこういうのなんじゃないの。

「どうなっちゃうんでしょうね」

松田聖子

この曲カバーしてる人何人かいるけどかわいくみせてやろうって衒いがあるんだよね。本人は流石にすっきりしてる。

なんか歌詞セカイ系ぽい。

松任谷由実

合唱やる人多すぎてここにきてなんか見飽きだしてたから、冒頭の演出で「またか」とはやとちりした、すまん。

「守ってあげたい」は名曲カバーだと鬼束ちひろバージョンが好き。

シャツの柄の主張えぐいな。

正隆さん、JAF会報誌のコラム読んでます

棚ぼたとはいえ出川紅白で歌う未来とか誰も想像しなかった。

玉置浩二

20分くらいまえから時たま怒号が聞こえてた気がするけど、玉置浩二スタンバイでなんかトラブルあったのかな?

「田園」だからベートーベンの「田園」をモチーフにしてるのか。Superflyときも思ったけどオーケストラアレンジもいつになく拘ってたよな。

福山雅治

良くも悪くも星野源対照的パフォーマンス星野源が月なら福山雅治太陽みたいな人。僕みたいな日影者はなんか感覚が合わないな。嫌いじゃないけど。

まだ13回しか出てないのなんか意外だわ。

今剛は一瞬しか映らなくてもすぐわかるな。今剛とJマスシスぐらいだろそんなの。

MISIA

MISIAは鼻腔共鳴が半端なさすぎてたまに何言ってるのかわからないときがある。でもそんなこと気にならないほど歌が上手いからなんとかなってる、圧巻。

投票集計・蛍の光

後半はボリュームがすごくて疲れた面白かったけど。

サブちゃんの「今の若者世界を歌ってる」っつうのは的確なコメントだったと思う。ただコメント全体的に長かった。

ジャニーズ多かった。2枠をJO1とDISH//に譲るべきだ。

優勝旗ってどこに保管されてるんだろうね。

2020-12-31

パプリカ」と嵐の「カイト」と米津玄師

アイドルグループ「嵐」2020年いっぱいで活動を休止する。最後テレビ歌唱12月31日の「紅白歌合戦」だろう。

おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソングキャンペーンタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。

本来ならば7月24日東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間一喜一憂しているはずであった。

嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。

また嵐自身活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。

そして国家総力を挙げた一大イベントアンセム日本トップアイドル記念碑を兼ねたこ楽曲トータルプロデュース制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である

まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。

合唱曲としての親しみやす

米津は前年にもNHKタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしプロデュースを行っている。

結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。

バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンス披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴出来事であった。

おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。

ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。

(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)

また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井ラップ二宮が上ハモ松潤が下ハモ相葉ファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。

カイトというモチーフ

なぜ米津玄師カイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体モチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。

同じくNHKテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。

これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである

地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナー冒険心を鼓舞する内容なのだ

対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である

さら面白いのはこのカイト最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。

まりカイトとは未来に向かって邁進する人間のもの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。

カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先から視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。

人は絶えず不安孤独に苛まれ瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイト手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分カイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以垣間見た気がする。

パプリカ」との関係

パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワード散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。

これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。

そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。

パプリカピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較甘味があること等で区別されている。ピーマン実像象徴とすれば、パプリカ子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカ花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れないである。僕の解釈では”パプリカ”もまた子ども次世代を見守りかつて子どもだった自分郷愁を寄せる歌である

よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。

カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。

パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。

これに加えて5人組の子集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。

 

カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカから託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。

そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます

様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂アイドルが抱えるドラマテック感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。

この物語徳島実家から独立ニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。

そして「カイト」はファンにとって嵐からの餞別でもある。

ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーコンサートテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズ存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。

オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的人間感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンス米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。

2020-12-28

自分より詳しい奴がいる」ことへの恐怖

ネット意見を発信するときに怖いのは何だろうか。クソリプ炎上個人情報特定、色々懸念すべき点はあるだろう。

でも一番怖いのは「自分より詳しい奴がいる」ことではないかと思う。

自分より詳しい奴から反論に、自信を持って自説を貫ける人は少ない。

例えるなら、ゼミ教授ゼミ生の論文研究発表に立ち会っているようなものだ。自分より知識経験も上の人間が、「私はこんなこと発見しましたよ!」という青二才プレゼンに常に目を光らせている。プレゼンが終われば詳しい奴による質疑応答時間であり、考えもしなかった多角的視点からロジックの穴を突いてくる。

もちろん、自身経験談を語る程度であれば何も問題ない。身に起こった出来事当事者感性から描いたエッセイは、第三者には得難い貴重なエッセンスが含まれており、自分世界で一番詳しい情報になるからだ。

しかし、経験談以外の「主張」に対してはそうはいかない。主張には多かれ少なかれ反論が来る。その主張が中道ではなく擁護批判の側に寄っていればいるほど、反論の数は多くなり論説も激しいものになる。

誰かを批判するとき批判される覚悟を持て」というが、こっちは一人で相手無限

どう考えてもフェアな殴り合いではないだろう。

そんなこんなで、自分より詳しい奴は数人から数万人までたくさん存在している。

こんな世界自分意見を表明するというのは、実はとても勇気のいる行為ではないだろうか。

常に「自分が言っていることは正しく、反論に耐えうるものなのか?」という疑念に苛まれ事実関係に間違いはないか自分の論拠と相対するデータが出てこないか、細心の注意を払って文を書いていくことになる。そうして苦心しながら書き上げた主張を詳しい奴らが一刀両断するのだ。

「君の言ってることは一面的見方にすぎないよね?」と。

そしてタチが悪いことに、ネット上では自分意見簡単に見られ、識者も気軽に集まれしまう。

ゼミ内発表」という閉じた空間での出来事ならまだ優しい。教授ゼミ生の発表にも、「よく調べてあるね」という寛大な言葉を投げかける(もちろん教授によるが)。その言葉の前には「学生にしては」という枕詞が隠れているが、決しておくびに出すことはない。

ところがネットはそうは行かない。発信者が青臭い学生かいい年したおっさんだかなんて関係なしで、間違えば容赦ないツッコみが来るし、内容次第では炎上する。しかゼミのような内輪の場ではなく完全なるオープンの場である

自分卒論一億人に見られると言われたらどう感じるだろうか。私は最悪の気分になる。主張は的を得ておらず、構成はちぐはぐで論拠はずさん。内容は知識の薄い素人データを継ぎはぎした妄想の延長線上であり、はっきり言って人目に耐えられるものではない。

ネットには語る人間がたくさんいる。twitternote増田といった匿名SNSがある。

匿名者だけではなく、落合陽一、オリラジ中田会社看板を背負ってnewspicksコメントする人間など、専門外が顔出し名出しして、これから世界」について自信満々に語っている。

自分より詳しい奴がいる」という事実に対して、ふと怖く感じるときはないのだろうか。

2020-12-01

anond:20201201232326

今(ここ10年くらい?)、実はボードゲームブームなんですよ

子どもというより大学生とか大人に向けたもの流行っていて、ボードゲームカフェなんていうボードゲームが沢山置いてあって借りられるプレイ場所も増えてきたりしていますカラオケでもパセラとかなら借りられますね)

ルール簡単ものから難しいものまで沢山ありますが、大体のエッセンスすごろくトランプモノポリーだったりの有名ゲームと似たようなものなので、一度プレイすれば分かるようなものが多いです

個人的おすすめモダンアートというゲームで、3~5人で遊ぶのですが、カードしか使わないのでコンパクトゲームです

ゲームの流れは、最初お金と絵(のカード)が配られて、絵をオークション形式で出品し、他の人が出品した絵を落札し、オークションが終わったら買った絵を換金する、という流れを繰り返すゲームなんですが、

このゲーム面白さは出品や落札した絵の換金価値が、他の人が出品した絵によって変わる(同じ画家が書いた絵が多く出品されれば、価値が上がる)、ということなんですね

そこで、相手に得をさせずに自分の絵の価値をどう上げるかみたいな戦略性が出てくるというゲームです

2020-11-10

オルビスアンチサインエッセンスなんでおわってしまうん?

常用しはじめると終わる悲劇

2020-11-08

"推し"のために生きられるオタクが羨ましい

自分には生きがいが特に無いし、いつ死んでもいいと思っている。

仕事においては無能だし、精神不安定からこの先家族を持つ予定もない。ペットにも特に興味がない。

趣味はいくつかあるが、今夜死んだところで惜しく思えるほどのものでもない。

それでも(自殺病死かはわからんが)いつか死ぬまでは生きているのだから、何か生きがいが欲しいと思っている。

時折、"推し"が生きがいだというオタクを見かける。

自分にも好きな作品キャラクターなら山程ある。しかし、好きなキャラを"推し"にするほどの熱量はない。

かつてよく言われた"俺の嫁"みたいに「お前の推し3ヶ月で変わってんじゃねえか」ということもあるのかもしれないが、それにしたってその時の熱量は多分本物なのだろう。

その対象を"推す"ことがどういう回路で生きがいに繋がっているのか理解できたわけではないが、「自分応援がその対象利益になっている」と思い込めることが重要なのだと思う。

直接その対象に金を落としたり、同人活動を行って布教したり、まあ何でも良いのだが、受動的な"好き"とは異なるエッセンスが恐らくそこにある。

家族が生きがいだという人は自分存在家族利益になっていると感じているだろうし、仕事だってそうで、要は自己効力感が(得られる人には)得られるのだろう。

自分には好きなVtuberがおり、その人について呟くと本人からいいねされることがある。

HNに好きなVtuberマークを付けているオタク最初ちょっと馬鹿にしていたが、確かにこれはもの凄い快感だと思った。

多分、スーパーチャットを投げてグッズを買って推しマークをつけて四六時中その人について呟いていればもっと認知されるのだろう。

でも自分はそこまでする気になれなかった。

単純に金がないし、別に自分応援しようがしまいがその人の活動になんら影響はない。

100人応援が101人の応援になったところでほぼ誤差レベルだ。

登録者数の多い企業勢や、それこそジャニーズのように巨大なファンがいる集団ではなおさらだろう。

シビア人生を送っている彼女には幸せになって欲しいと切実に思うが、それは自分よりも熱量経済的余裕がある人の領分だ。

最初に言ったように自分には普通の生きがいを手に入れられるアテが今の所ない社会不適合者なので、なんとかそういう真っ当な道以外で生きがいを見つけたいと思っている。

しかし、自分には"俺の嫁"であるキャラクターを愛でる能力も"推し"であるアイドルVtuber応援する能力もなかったし、今後もないだろう。

"推し"のいる人、「推しが生きがい」の人、どうやってその境地に至ったのか教えて下さい。

2020-10-22

観光っていうか旅全般

https://anond.hatelabo.jp/20201020160713

観光は何をするものなのか分からないという増田を読んだ。

観光というか旅行定義って人によって本当に違うから一概にどうこう言うのは難しいと思う。

俺はバックパッカーをやってたので海外旅行=気ままに1人で放浪という認識だったんだけど、世間的にはハワイグアムのようなリゾート地家族と贅沢に過ごす的な認識の人が多数派らしく、ギャップに驚いたことがある。

そんな中でも、万人に共通する旅行エッセンスがあるとするならば、それは「五感で味わう非日常感」なのかなと思う。

地方在住の人が東京にきて体験する「通勤ラッシュ」。

青森県津軽地方外国語のような方言

沖縄の町で見られるおおらかさにあふれたローカル広告

イスラム教信仰する国の街中に響く礼拝の声。

中華圏の国の屋台調味料匂い

どれもこれもオンラインでは体験できない、現地に行かなければわからない非日常感覚だ。

結局のところ、こういう何かしらの違う文化にふれられれば、特別なことを何もしなくても、価値ある旅の経験になっていると思うのだ。

2020-09-18

anond:20200918234800

増田ですが

v豚はオタクの中でも特にハイコンテキスト集団なので、わかる人が少なすぎると思います

もうちょっとこうかわいいエッセンスを持ちつつ、それさえ理解できれば楽しめる曲くらいにしてもらいたいものです。

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