はてなキーワード: 標榜とは
最近は自分がリベラルでもなんでもないかもしれないと自覚する機会が増えた。ネットでニュースに接した時のもやっとした感じ、おぼろげな不快感によってそのように思うのだ。
なにが不快か。自分が正しいと思って声を上げている人間が不快。そういう人間の主張をあたかも「多様性」を認めることが正しいかのように、予断をもって報道するメディアの姿勢が不快。
そういうことを他人の面前で表明することはないものの、不快だと感じていることには変わりない。この他者、いなくなってくれないかな、という感覚。
まず女性の権利に関する主張。この手の報道に接するたびに、いつもクソどうでもいいと思う。じゃあ男性の権利はどうなんだと思う。
だれが権利をより多く持つのがよいかという問題について争う綱引きはすればいいと思う。つまり概念としての男女(これをジェンダーと呼ぶのか、どうでもよいが)が社会の中でどのように関係していくかという問題、あるいはその関係そのものがつねに闘争であるということ。それはそれでよいと思っている。議論はしていい。争っていい。生き残りたければむしろそうしろと。
だが、女性の権利が拡張されていくこと、あるいは権利の主張をして男性を攻撃することが、あたかも初めから認められている、あるいは正しいと思い込まれている状況、空気が醸成されていくことには断固として反対する。
お前の真理はおれの真理ではない。勝手に押し付けるな。押し付けるのであれば、おれはお前を潰す用意があるということだ。無自覚に正しさを主張し、正しくないと勝手にみなす人間を敵と認定して悪罵する人間が大嫌いなだけだ。
次に性的少数者の権利に関する問題。これも上記女性の権利に関する問題とほぼ同じ反応を自分はしている。嫌なものは嫌だ。おれはお前の行動が不快ですということが原理だ。
ある人が自分はゲイだとカミングアウトした場に同席したことがある。そのときは彼の決断を心から尊敬し、親愛の情を持ち、これまでどおり付き合っていきたいと思った。
近くにいる人がゲイであろうとレズビアンであろうと、自分はどうでもよいと思っている。普通に友人、知人、同僚として付き合っている。だがその性的少数者であることを旗印にしてプライドだとか言い出したり、社会の不寛容さを批判したりするのはちょっと違うのではないかと思っている。嫌だなと思っている。どういう思想を持つかは本人の自由だが、その思想の表現を見て不快に思う自由もこちらにはあると言うことだ。
ダイバーシティなんてクソどうでもいい。
社会の構成員が多様であることには利益があると思う。それは自分自身にとっての利益だ。いろいろ違う人間、全員がなんとかうまくやっていく。貧困、病気や飢えで死なないように、社会全体で労働力を確保して、協力し合っていく。それが自分の生存にとって大事。他人はどうでもよい。あくまでも自分が死なないように他人を利用できることが大事。だからできるだけいろいろな人間が社会に参加して協力し合うこと、つまり多様性を実現することは大事。これはそう思う。
だが、ダイバーシティがあたかも普遍の真理であるかのようにふるまって、ダイバーシティを認めない人間を排除するような圧力には絶対反対だ。多様な考え方を持つ人間を認めないなら、それのどこがダイバーシティなのか。いいかげんにしろバカと思う。
ようするに「これまで虐げられてきた立場にあると思っている人間が自分の権利を主張すること」は好きにやってどうぞ、それは自由なのでと思う。
だがその主張にこっちが同意するかどうかはまた別の話だ。説得しようとするな。同意しないので。あたかも自分の主張が普遍的真理であるかのように振る舞って、違う見解を持つ他人を攻撃するな。そのようなことをする人間には絶対に従わないので。
権利を主張する「マイノリティ」と、それを支持して「不寛容な他人」を攻撃する人間はリベラルな人間などではない。違う考えを持つ人間を抑圧排除しようとする人間がリベラルを標榜する資格などない。
数ヶ月前のことだ。少し前から体を悪くして医者を探していた母が、面白い医者を見つけたがどう思うかとLINEでYouTubeのURLを送ってきた。動画を再生すると画面の中で吉野敏明と名乗る人物が、科学と愛、そして波動について講演を始めた。
波動と愛の話 吉野敏明先生8月1日講演会ダイジェスト - YouTube
…
- 「宇宙全体とは、実は波動です。色即是空、ブラフマンは全て振動だというインドの考え方。2000年以上から分かってた。薬で治るというのは洗脳」
- 「蛇口から流れる水に24Hzの周波数を聴かせると形が変わります。周波数をかけると水の形すら変えられるんです」
- 「これは周波数を測定するメタトロンという機械で、みなさんが出してる周波数が測定できるんです。これで体をスキャンすると、正常なところは黄色で、悪いところが赤や黒で出てきます。これは遺伝子のところの周波数ですが、これがつながって人間になる、つまり波動の集合体がみなさんなんです」
- 「波形を調べると、統合失調症の周波数とか、腎臓がんの周波とかが出ている、でもまだ病気になっていないというのが出てきます」
- 「波形で感情もわかります。忍耐・愛・悲しみ・安らぎetc。癌の人は皮肉とか嫉妬。この波形は愛の周波数です。嫉妬や親切心も波動でわかるんです」
- 「ある人、私じゃないですががね、吉○敏○さんという人は、以前は不平不満や嫉妬、復讐心といった感情でいっぱいでした。メタトロンで心臓の血管の波動の色を見ると真っ黒!心筋梗塞の周波数が出ていました。でも心筋梗塞と同じ周波数の漢方を飲みまくったらきれいに!感情の周波数も羞恥・洞察・冷静沈着・勇気に変わったんです」
- 「ペットは死んだ時、死ぬまでは苦しみや痛みが出るが、死ぬと大体友情が出る。最後は愛になって波動検知できなくなる」
- 「知り合いの保育園で園児を測らせてもらったが、生まれた瞬間は愛しか出てこない。神様がそう言う周波数を出すプログラムを作ってあるんです」
- 「私は毎朝4時半に起きて、『今日も、創造主である神様おはようございます』と瞑想します。そうすると感情の波動が知的洞察冷静沈着勇気に。これやると体の病気の周波数も消えるんです。だから、毎日毎日こういうことをやるってことが、医学的にも正しいんです。科学と宗教はおんなじもの。創造主を崇拝する。種の掟という因果を研究する量子物理学なんです」
- 「食べ物で猛烈に感情は変わります。食品添加物とかトランス脂肪酸とかの人工物、石油から作ってるオーガニックじゃないものを食べてる人はガンが多くて、心も汚染してるんです」
…
……頭を抱えてしまった。
吉野の講演の巧みさは、個々の事実が全て嘘というわけではないところだ。提示される断片的な事実には正しいものも少なくない。だが事実と事実をつなぎ合わせる論理が支離滅裂で、スピリチュアルな「波動」「メタトロン」「創造主」に繋がっていく。食品に関する危機感を煽るのも忘れない。
いっぽうで吉野は講演中「ホースから流れる水に24Hzの周波数を聴かせると形が変わる」という動画を引用している。以前ネットでバズって、私もどこかで見たことがある動画だ。「周波数の不思議な力」をアピールする狙いだろう。しかし残念ながらこれはストロボ効果を利用したトリック映像だ。トリックの原理は ここ で読めるが、 こっちの動画の方がわかりやすいかもしれない。つまり、原理的には車のCMでホイールの回転が止まって見えるのと同じで、ホースの振動とカメラのフレームレートが同期していれば周波数自体は何ヘルツでも良いし、肉眼では単に震えるホースから水がビチャビチャ放たれているようにしか見えないのだ。
調べるとこの吉野なる人物、波動療法を標榜する「誠敬会クリニック銀座」の院長であることは確からしいが、同HP掲載のプロフィールによれば医大も出ておらず、歯科医師の免許しかないようだ。講演内で自分の専門は再生医療で年間200症例のオペと紹介していたが、それは嘘らしい。
さらに、どうやら吉野敏明は「参政党」なる政治団体の共同代表を務めているという。初めて聞く団体名だ。参政党は「神谷宗幣」「吉野敏明」「赤尾由美」「武田邦彦」「松田学」ら”ゴレンジャー”と呼ばれる中核メンバーからなる政治団体らしい。ホームページやその他周辺の主張を見ると、若者向けを装ってはいるが「日本人のための」「天皇を中心とした」「歴史認識」を訴えており、思想的には極右に近い。
赤尾由美は大日本愛国党の党首の姪で、先程のセミナーの動画を配信していた「株式会社Amour」のYouTubeチャンネルに頻繁に出演している。この会社は『日本の文化「和」の心の継承をめざす』と銘打ち、Webデザインや映像制作とともに和の心系スピイベントの開催や祈祷済みの塩などグッズの販売のビジネスを展開しているようだ。他にも放射能デマ、ワクチンデマで有名な武田邦彦が参画している。なるほど、どうやら参政党はスピリチュアルと愛国、陰謀論を基盤に国政政党を目指す政治団体らしい。吉野敏明は支持者から「よしりん」と呼ばれ親しまれているらしい。よしりん…。
吉野敏明周辺をもう少し掘ったところ、吉野は「メタトロン」の他にも新型コロナに効くという「シオンテクノロジー」という水を、「新型コロナウイルス対策はこれだ! シオンテクノロジーで不活性化」と題して「世界日報」web誌上およびYouTubeのViewpoint公式チャンネル「国益ネット放送局パトリオットTV」上で宣伝していた。こちらも内容はめちゃくちゃで、ノイズキャンセリングで使われる逆位相の原理を医学に応用して、コロナウイルスに量子力学的に「シグナル」を与えて不活性化するのだそうだ。
この動画の中でも、司会者から「今日も手術をされたんですか?」と問われた吉野は「さっきまでしてました」などと答えている。お前ただの歯医者だろ。ちなみにこの司会者は元・自由民主党政務調査会調査役の田村重信氏である。
ところで世界日報の発行母体は統一教会で、Viewpointも世界日報社が運営している。とすれば吉野は統一教会と繋がっているのだろうか?それはわからない。出演も一度きりのようだ。しかし「メタトロン」とはユダヤ教・キリスト教・イスラム教における天使の名である。シオンテクノロジーのシオンとは、いうまでもなくキリスト教における神の御国という意味だ。朝鮮のキリスト教を起源とする統一教会との関連性が強く想起される。
では、その吉野が共同代表を務める参政党は統一教会のフロントなのだろうか?その点もはっきりはしない。参政党事務局長である神谷宗幣は彼自身についての統一教会、森友学園、ネットワークビジネスへの関与の疑惑についていずれも否定するブログ記事を公表している。ちなみにその記事ので神谷は「参政党の党員の中には信仰を持った者がいるかもしれないが、個人の自由だから特に問題はないと考えている」と、党員と教団の繋がりについては事実上認めている。これらについての判断は読者に委ねたい。
ともかく、母には他にもっと信頼できる医師を探した方がよいと忠告した。
それから数ヶ月経ち、参議院選挙が始まった。気掛かりなことがある。実家に帰ると、母がスマホで熱心に「神谷さん(神谷宗幣)」の動画を見ているのだ。一度目と二度目のコロナワクチンはなんとか厚労省のデータで説得して受けさせたが、三度目のワクチンはなんだかんだと理由をつけて拒否している。やたらと食品添加物を気にし始めた。今回の参院選では、参政党は全国全ての選挙区に候補者を配置して国政政党を狙っているようだ。アンケートではNHK党に迫る支持を集めている。彼女も参政党に票を投じるのではないか。もちろんそれは自由だし結構なのだが…スピリチュアルと愛国が融合した国政政党が登場し、私の周囲でじわり浸透してきているという事実に、私は暗澹たる気持ちになった。
そもそも母が吉野を知ったのは他の女性の親族からLINEで勧められたことがきっかけだ。恥ずかしながら二人とも以前から、いわゆる「スマホのYouTubeでネトウヨになってしまった親」というやつだ。似たような中高年はここ数年急増していると聞く。さらに母はお察しの通り頭も悪いが、むかしからストレス耐性が低い。ここ数年は不景気の煽りで父の稼ぎも芳しくなく、経済的な不安で感情をコントロールできなくなることもしばしばだ。
おそらく、そのような中高年はありふれているだろう。私が心配しているのはそこだ。失われた30年でこの国は緩やかに、しかし確実に没落に向かってきた。一億総中流社会はとっくに崩壊し、自己責任の名の下に社会保障は切り崩され、蓄えのない親世代の不安はかつてなく高まっている。
そんな彼らの目に、YouTubeで供給される、ありのままの自分の存在を肯定してくれる「愛国」と「スピリチュアル」という癒しや、心地よい陰謀論はどう映るだろうか。魅了され、その幻想に取り込まれてしまうのではないか。「愛国」の暴走はすでに相次ぐヘイトクライムという形で現実のものとなりつつある。人口でも投票率でも優位に立つ中高年がその幻想に取り憑かれたら…。そのときこの国はどうなってしまうのだろうか。
…それでは聞いてください。『参政党マーチ』(作詞作曲:吉田敏明)
https://www.youtube.com/watch?v=8Cj_9tTnipY
イチ、ニ、参政党!
イチ、ニ、参政党!
イチ、ニ、参政党!
ぼーくらは うまれてきた
みーんな何かをするために
この世にいらない人なんていない
みーんな 必要な 人なんだ
生きるって すばらしい
心って すばらしい
しーあわせを しらないまま 終わるなんていやだよ
ゆーたかさを しらないまま 終わるなんていやだー
なかったら 諦めずにつくるんだー
さあ、Do it yourself!サーンセイトー♪
Yahoo!ニュースでエンドウさんが取り上げられててびっくりした。俺が思ってるより評価してる人多いの?
あのインターネットスカッとジャパンを読んで気持ちよくなってる人やばない?
歯に衣着せず本質を突く設定の作者のアバターキャラが、詭弁を弄する愚者(ということになっている人)を言い負かして黙らせるだけの4コマ読んで頷いてる奴ら普段どんなこと考えて生きてんの?
洋介犬先生、ブログで普通のショートホラー描いてた頃は好きだったんだけどなあ。当時はまだ中学生だったから、ヂューッが怖くてトイレに座る時警戒しちゃったりさ、真面目にファンだったんだよ。
はずネジにもイヌギキ的なホラーを期待してたんだけど、回を追うごとに話の結の部分でキャラの1人が急にイキリり出すのがテンプレになってガッカリ。キャラAが不可解な現象に遭遇して「これってどういうことだろう?」と疑問を呈すと、作者任意のキャラBが「決まってるだろ」「まだ気付かないのか」「そりゃそうだろ」と答え合わせを始める“理解りイキリキャラ”に変身するのよ。
もう先生の頭からエンドウさんが抜けなくなっちゃったんだろうな。いち漫画家の承認欲求正義論にも簡単に靡いてくれる頭よわよわなファンの賞賛はさぞ気持ちいいんだろう。
そういう人達を論破して読者をスカッとさせるのがエンドウさんなんじゃないの。出番ですよ。
あと京アニの事件当日に放火魔が罰される自作漫画をツイートしてたのもドン引いた。
ジゴサタも他の新作もエンドウさんクオリティの量産型論破ものばかりだし、もうイヌギキに載せていたようなホラーは読めないんだな。
そんだけ。
またぞろTwitterでサイゼリヤを貶めしてる人が出てきて炎上してるけど
元凶となった人は以前からフェミニズムを標榜してフェミニストを擁護してる人だった。
以前に"金をもって女性を喜ばせること自体がフェミニズム的なオーラをまとってる"と増田に書いたが、図らずもそれを証明してしまっている。
口にするのも恐ろしいような陳腐な発言だが結局フェミニズム(特にTwitterにおけるフェミニズム)が
"金持ち"や"イケメン"を賞賛して男あさりをするような女性やそれに乗っかる男性に完全に乗っ取られている。
最早女性の社会進出に関してほとんど役に立ってないどころか妨害すらしている。
一体どうなっているんだ。
インターネットにおけるゲーム攻略ページは個人の攻略サイトから始まり、2000年代中盤では2chの攻略スレ上の有志などが運営する攻略wikiが盛んに作られた。
しかし、このようなサイトで広告収入が得られる事がわかってからは攻略wiki同士の潰し合いが始まり結果攻略wikiそのものが衰退していく。
そして2010年代、インターネット上のゲーム攻略業界を支配したのはGameWithをはじめとする企業運営による攻略wikiであった。
これは攻略wikiを標榜しつつも他のwikiから情報を盗んでくるなど様々な問題・トラブルが起こったが、現在のゲーム攻略wikiの最大勢力となっている。
近頃では有志のwikiも昔ほどの勢力を持っていないが、それとはまったく別の系統の攻略wikiが存在することがわかったため報告する。
ふたばちゃんねるの二次裏の住民によって作成されたと思われるwikiをこの記事では「ふたば系攻略wiki」と呼ぶことにする。このwikiにはいくつか大きな特徴があるため以下に説明する。
ふたば系の攻略wikiは伝統的にwiki作成が提起されたスレッド上でレスNoのゾロ目を最初に取ったレスの内容をwikiの名前とすることが慣例となっており、基本wiki名を知らなければたどり着くことができない。
例えば「ウマ娘 wiki」のように検索しても検索結果には表示されない。これは外部の閲覧者の流入を防ぐ検索避けの意味合いもある。
ただしマイナーなゲームの場合検索避けの役目を果たせず、後述する問題が発生することとなる。
wikiwiki.jpは比較的管理機能が充実しており、利用者も多いため記事作成のノウハウを知っている利用者が多いためよく利用されるという。
トップページはワードアートやmarquee(すでに非推奨になっている動く文字のためのHTMLタグ)で彩られ、
内容も「Sorry! This site is Japanese Only!」やアクセスカウンターとキリ番報告、「時間ねぇ~」バナーなどの
90年代末期から2000年代初頭の日本のインターネット文化を意識した内容であることが多い。
これは二次裏住民の主要年齢層が30代後半から50代でありその時期のインターネット文化に親しみがあるためであるそうだが、
単に他のふたば系wikiがこの体裁であるためそれを真似しているだけというパターンもあるという。
ABAB
CCB
+)―――――
CBADB
これはギンガ算と呼ばれる特殊な覆面算であるが詳細は割愛する。
ギンガ算を表現する方法はwikiによって様々だが、概ね対象ゲームのキャラ画像などを使って表現されている。
例として「攻略対象ゲームとは無関係のゲームの攻略記事」「元ネタ一覧」「実装されていないキャラクターの攻略記事」「対象ゲーム筐体が置いてあるゲームセンター周辺のグルメ情報」がある。
ゲームとあまり関係無いものも多いが読み物として面白いものが多い。
二次裏は画像掲示板であるため、スレッドを立てる際原則画像が必要となる。
二次裏、特にimgでは怪文書と称する二次創作SS作品が投稿されることがある。
それらを保管するページが設置されていることも多い。
上記の通り検索性の低いwiki名であるためこれまではあまり外部に見つかることがなかったが、マイナーなゲームの場合では状況が変わってきている。
企業系攻略サイトはアクセス数(≒広告収入)の少ないマイナーなスマホゲーの攻略を放棄してしまうことが多い。
完全に更新を放棄するパターンと最低限の情報のみを更新し続けるパターンの2通りがあるが、
どちらにおいても情報精度が低いにもかかわらずGoogleの検索結果には残り続けてしまう。(ページごと削除されるケースも少ないがあるらしい)
さらにそのようなゲームであると2ch発の有志wikiにもユーザが集まらず、更新も頻繁には行われない事が多い。
そこでふたば系攻略wikiが注目されてしまう。そのような場合は「ゲーム名 wiki」で検索した結果でもふたば系攻略wikiが上位に表示されるようになる。
上述した異様なwiki名とトップページ、謎の内輪臭、不可解なジャーゴンで埋め尽くされているにもかかわらず攻略情報としては貴重であり
外部のユーザーも参照せざるを得なくなるため必然的にwikiに外部のユーザが流入することになる。
このような場合従来はwikiを放棄(爆破と呼ばれている)して新しいwikiを作るパターンが多かったが、
まともな最新攻略情報が載っているwikiがふたば系攻略wikiにしか存在せず安易に爆破できなくなってしまったwikiもすでに確認されている。
これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592
この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。
この言説のキーマンは小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。
日教組が昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。
右翼による日教組批判が特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである。
街宣車で大音量で日教組!日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組の知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校の先生の組合なんて知らんもんである。但し右翼の一般受けは悪かったので日教組の評価は下がらなかった。
また日教組が集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量で軍歌を流し音圧を競うようになった。
すると近所の会社は仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。
でも日教組の知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。
こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。
その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である。
右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼も統一教会も皆同じだ。
だが1985年にゴルバチョフが書記長に就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連の改革政策、ペレストロイカを推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。
それによって西側ではゴルバチョフの歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである。
更にソ連共産党は活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。
これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男はソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。
また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。
まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。
またソ連大使館前の道路は街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路が遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバスが20分以上立往生なんて事はザラだった。
こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。
という事でこの時期に日教組の悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである。
まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売やテキ屋も同じだった。
戦後の右翼は、例えば児玉誉士夫など体制と癒着しそれは米国に従順という事でもあった。
1960年代末に左翼の学生運動が盛んになるとこれに対する体育会と右翼学生が組織されていった。新右翼と呼ばれる。
新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制、反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。
ここを境に右翼系の政治結社が誕生して行く。そしてそれらは「街宣車で軍歌を流し辻説法をする」というスタイルを確立していく。
この街宣車は最初は旧軍や自衛隊の国防色(カーキと灰色:バトルシップグレイ)だったのが後述の事情で威圧感の強い黒塗りになっていく。
よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年頃から右翼政治結社は街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。
因みに日本会議の中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである。
80年代になると校内暴力で学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族の右翼感染が進んだ。特攻服や旭日旗が暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである。
こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。
思想右翼の主な資金源というのは機関紙の販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。
が、もう一つのパターンは不正や思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。
ヤクザが参入する主目的は後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである。民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業の商業活動に暴力団が威圧をもって参入する事だ。
企業恐喝に街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。
暴力的手段を行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。
因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり、学生運動で就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会の不正を糾弾する記事を書きまくり、総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正で総会屋が潰されると大方廃刊。
だが技能を身に付けた者は大手メディアでフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身が結構居たのである。
こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組の集会や8月9日の反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音で軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエースにスピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。
ハイデッキ観光型バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ、自動車電話、冷蔵庫とバーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党や共産党のようなプロの街宣用スピーカー、アンプを搭載して、北方領土の日にはフェリーと陸路で釧路とかの空港に回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである。
しかも一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室は渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。
ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザが描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察に問題視されていた。
そこで暴対法が施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。
伊丹十三のミンボーの女には暴力団が右翼の街宣車で企業恐喝に来るシーンがある。この映画は暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹はヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。
余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社は道路に面しておらず、また同社は本社付近の建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。
ちょっと長くなったが、「えせ右翼は在日朝鮮人が右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。
えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的でヤクザが運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。
こうして
となってソ連に勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。
そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞のコラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。
そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力の日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである。
当時は欧州もみな社民政権でリベラル人気で冷戦後の世界情勢にも楽観的だった時代だった。
https://anond.hatelabo.jp/20220613095621
性的自己決定権は「貞淑であるべし」ではなく「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」だし結婚についてはそれに伴う法的社会的諸権利の希求なのだが、物事に昏いとこう見えるのだな。アレな人の思考が垣間見えたよ。
これ、翻訳すると「我々は「貞淑であるべし」ではなく「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」と言っており、それは性的自己決定権の重視なのだ」と言う意味だと取れるのだけど、
「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」は兎も角、性的自己決定権に関しては「日本の」リベラルはむしろ余り重視してないものじゃない?
なので違和感が有った。
「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」は男性→女性の構造を前提にしている訳だけど、これは行為者が女性自身である場合に当然破綻する。「強いる」主体が居ない訳だからね。
これは性的自己決定権も同様で、日本のリベラルがやって欲しくない事も、行為者が女性である限り「性的自己決定権を重視するなら」止められない。
セクシーな衣装を着て広告に出たり、或いはそのような表現をしたり、AVへの出演もそうだよね、それが女性自身の意志である限りは当人の性的自己決定権を尊重せざるを得ない。(つまりある種の愚行権をも認めざるを得なくなる訳だね)
特に典型的なケースとしては、日本のリベラルがやりがちな「この表現は悪影響を与える」といった批判対象の表現主体が女性であった場合、
その悪影響(尤も、多くの場合証明されてすら居ない訳だが)と表現者の性的自己決定権の衝突を、どっち側に付いて解決するつもりなの?当然性的自己決定権を尊重するんだよね?
それとも、気に入らない物は全て「それは本当は女性自身の意志ではなく、社会や男性に強いられた行為なのだ」と避けるつもりなのかな?でもそんなどうとでも言えるやり方で否定してしまえるなら、「性的自己決定権」なんて最初から無いに等しいよね?
人は様々なものの影響を自身の中に取り込み、常に自己を更新していく、その「影響」の末に出来上がった「自己」を自己だと認めないならば、一体あなた方にとっての自己とは何なのだろう?赤ちゃんの頃のその人?それだけが「自己」?
そういう「性的自己決定権」を無意味化、形骸化する思想は明らかに「性的自己決定権を尊重」はしていないよね?つまり、そうはならないんだよね?
また、AV出演関連でも女性自身の性的自己決定権を軽視する発言は日本のリベラルから良く出ている気がするんだけど、これも性的自己決定権を尊重するなら言えなくなるよね?
ただ主体が女性であるだけで、今まで言っていたつべこべが言えなくなるのだけど、本当に良いの?
勿論本来のリベラルならそれで困らない筈なんだけど、正直な所、日本のリベラルは「自由」や「自己決定権」が大嫌いな保守的な風紀委員に見える事が多いので、本当にそれでいいの?と心配になってしまった。
自分の言っている事を理解せずに、雰囲気だけで意に反する事を言ってしまっては居ないかな?大丈夫?
よくよく考えた方が良いよ、自己決定権とはつまり自由の基礎なんだから、それは自由の肯定に「なってしまう」んだよ。
あなた達は「女性の性的自己決定権を守りたい人」ではなく「女性の性的自己決定権に何らかの制限をかけたい人」では無かった?(気のせいだったら良いのだけど)そんな人がそんな事を何の留保も無しに言ってしまって、本当に良いの?
別にそれでいいならいいんだよ、これから日本のリベラルが女性の性的自己決定権を尊重してくれるなら、それは本当に本当に喜ばしい事だし、ただ単に私が日本のリベラルの事を誤解していたのかもしれない。
それにもしリベラルが女性の性的自己決定権を軽視するような言動を取った時には「話が違うよね?」と指摘出来る様になる。それは非常に有益だから、歓迎したい。
余りに上手い話だからこそ改めて、念の為確認しておきたい、女性の性的自己決定権は尊重するべき、という事で良いんだね?
まーたーリバタリアニズムとリベラリズムの区別の付かない増田ですか。増田が言ってる自己決定権マンセーな立場はリバタリアニズムでっせ。リベラリズムは自由も大事だがそれ以上に平等を重視するの。
気になったのは2点。
まず1点目は、リバタリアニズムとリベラリズムの区別について、この人が言ってるのはあくまで「アメリカでのリバタリアニズムとリベラリズムの区別」じゃない?
アメリカでは確かに歴史的な経緯から他国での自由主義(リベラリズム)がリベラリズムとは呼ばれずリバタリアニズムと呼ばれ、リベラリズムは社会主義に近い思想の呼び名になっているけど、
何故アメリカでのこの特殊な歴史的経緯に基づいた呼び名を日本で(しかも「まーたーリバタリアニズムとリベラリズムの区別の付かない」と正しさを自明視して)採用しなければならないの?
何故日本でもアメリカ以外の(というかヨーロッパで行われている様な)自由主義=リベラリズムの呼び方で呼んではいけないの?
というより、そこがややこしいからわざわざ「日本の」リベラルと書いてるのに、読み取れない?
というか、前々から気になっていたんだけど、日本のリベラルって反米の人は多い気はするのだけど、その割に垣間見えるこのアメリカ中心主義というかアメリカ覇権主義は一体何なんだろうか・・・・?何でアメリカでの特殊な呼称が普遍的なルールだと思い込んでいるんだ・・・。アメリカ=世界じゃないですよ・・・・?
2点目は、仮にアメリカ的なリベラルの呼称を採用したとしても、この人文脈を一切理解してなくない?
「あなた達日本のリベラルは自由や自己決定権が嫌いな「リベラル」であって、自己決定権を重視するリバタリアンじゃないでしょう?なのに「女性の性的自己決定権は尊重するべき」として本当に大丈夫?」
という内容だよね?
つまり最初から私は「あなた達は「自己決定権マンセーなリバタリアニズム」とは違う立場の筈だよね?」と言ってるので、あなたは私と同じ事しか書いて無いんだけど、文章読めてますか?
主語過大定期 // 増田みたいな主張はフェミニストに求めるべきだけど、リベラル=フェミニストではないと知ってるはずなのにカマトトぶる辺りが生理的にマジ無理、って思いました。
これ、逆じゃない?
そもそもフェミニストにもいろいろな派閥があって、中には家父長制的フェミニストなんてのも有り得る訳で、自分から「自由主義(リベラル)」を自称しない限りはフェミニスト全体に求められる内容では無いでしょう。(勿論私個人の意見としては、この内容はフェミニスト全体に求めたい所ではあるけど)
反対に、少なくともアメリカ的ではなくヨーロッパ的な「リベラル」呼称を採用するなら、自由主義を標榜する限り、自己決定権の重視は全体に求めても(フェミニスト全体に求めるよりは)おかしくないと思うけど、どう?
簡単に言うと、「自己決定権・自由を重視しよう」と求めておかしくない相手は、自由主義者か、フェミニストか、どっちだと思う?
あとそもそも、冒頭にあるように「我々は自己決定権を重視する」と言ってきたのは私ではなく、あちら側なので(そして元の増田がリベラルに対するものだったので、「我々」はリベラルだと読んだので)そのあたりの文脈もちゃんと踏まえてくださいね?
この会話、おかしいと思わない?
C(私)「いや、あなた達自己決定権を重視する立場では無くない?」
D「そういうことはリベラルではなくフェミニストに求めるべき」
書いてみて改めて思ったけど、どういう会話なんだよ・・・まるで通じてない・・・・
(追記)しかも、もしかしてと思って確認してみたらこの人元のブコメにスター押してるよ・・・・。「いや、我々(リベラル)は女性の自己決定権を重視する」というブコメにスター押しておいて、「そういうことはリベラルではなくフェミニストに求めるべき」って、一体どういう風にこの人の中で辻褄が合ってるんだ・・・?訳が分からない・・・・。
コロナで死んだ20代以下は2年で10人ちょい
(先進国の富裕層ほど医療アクセスしやすく発症が補足されやすいじゃん、
乳幼児期を過度な清潔環境で育てるのがどうもよろしくないってのがわかってきた
潔癖環境が癌以外にもアトピー、アレルギー、アルツハイマーを誘発していることがわかってきた
推測されるメカニズムは
乳幼児期に適度に病原体に曝露し免疫学習することで正常な免疫力が育つが、
T細胞B細胞が適切に学習できていないため、その後癌化細胞が発生しても攻撃できない
母親の母乳から免疫、IgAを受け継ぎ一年程度病原体から守られる
その後適宜体内に侵入する異物、病原体と接触し自力での免疫学習を始める。
異物の中には攻撃してはいけないものもある、常在菌の多くは有益で共生している
免疫細胞は一歩ずつ学習する、発熱下痢嘔吐があるときに体内にたくさんいる異物を「ヤバイ奴」と
判定できる仕組みがある。
免疫細胞は鎖で縛られており38.5度の体温で解けて活性する。
せっかく巡り会えた学びのチャンス。
熱でうなされている子供が医者の薬でみるみる快方すれば、そりゃね。
ともかく、そうやって成人するまで数百の異物と出会い敵味方を振り分ける
この二年間多くの親は子供を清潔に保った、公園での砂場遊びを禁じた。
発熱があれば、医者の「39度くらいまでは我慢させてね」を無視して
グリッととケツ穴に座薬をぶっこむ
子供を愛してのことだろう。
子供同士の遊びを避けコミュニケーション能力を奪い
幼い子供に、世界は見えない汚物にまみれていると刷り込み怯えさせた
精神的影響は10年20年、一生続くぜ、覚悟してる?してないよね。
皆が同じ行動を取ったおかげで消費低迷し経済がシュリンクしせっかくの貯蓄はインフレで消えた
なんのこっちゃ
自分さえ良ければの大失敗
悪いものを一つづつつまんで捨てる
そうすればいずれパラダイスが訪れるだろう。
経済や社会、人体は複雑でそんな単純ではないよね、人類が何度も繰り返してきた失敗
その後のことは今後考えりゃいい
免疫学習?
二年遅れで再開すりゃいいじゃない。
ま、ね。
でもそうはならんのだわ。
先進国で小児がん謎の急増、なんて新聞記事が出るのが2,3年後だろう。
原因は清潔にし過ぎだけではないのが厄介で、解明は不可能。
正確な答え合わせは数十年後
でもでも、なにもしないよりもなにかをして後悔したほうがいい
俺は5人を見殺しにするね、
世界的ベストセラーのスポック博士の育児書が出版以来どれほどちゃぶ台ひっくり返されてきたか
先日俺はPMBOK第7版を読んで腰を抜かした。
我々が信じていたものはなんだったのか。
だが、脆弱な我々庶民はそれでもなにかを信じ基準を設けて生きていかなきゃならない。
それを批判するつもりは無い。
タバコが健康に影響があるなら女性より男性の寿命伸び率が高くないと計算が合わない。
だけどここ半世紀の男女の寿命差はまったく変化がない。まったくだ、ゼロ
あれ?
答えあわせできてるのに、ヒステリックなタバコ排除が改まる気配は無い。
むしろ加速
タバコは肺気腫の原因になる、そりゃなるだろう、こんなもの体に良いはずがない。
そうやって悪いものをつまんで捨てて、良い結果が出るか?
アメリカは自由の国つぅけどね、ありゃ自由がないから自由を標榜するんやで
実際のアメリカ社会は自由がないねん。がんじがらめや。ストレス社会
ニューヨーク、ロサンゼルスは歯科医よりも精神科医の方が多い。
だが、俺はオマエが無害で他人に迷惑をかけていないと信じているオマエの趣味を
俺にとっては不要なものだから難癖つけて取り上げてやるぜ、が連鎖する。
誰がそんな社会を作った?
おめぇだぜ
機能性表示食品が生まれた背景イメージ
機能性表示食品は、アメリカの同様の制度にならい、2015年(平成27年)4月から導入されました。
元々、日本では健康食品の機能性や効果効能表現に強い規制がかけられていました。 医薬品ではないため、医薬品的な効能効果を標榜すると「無承認の医薬品の販売」として、薬機法違反とみなされていたのです。
一方で「朝からスッキリ」「新聞の細かい字が気にならない」といった抽象的で暗示的な表現では、正しい判断をするのは難しいですよね。
そこで消費者が、商品の特徴を誤認することなく自主的かつ合理的に商品を選択できるよう、一定の要件を満たせば、適正な表示による情報提供を認めたのがこの制度なのです。
機能性を表示するための必要事項
└ RCT(Randomized Controlled Trial ):最終製品を用いたヒトの臨床試験
└ SR(Systematic Review):最終製品または機能性関与成分に関する研究レビュー※
※研究レビューとは
機能性の「科学的根拠」を示す手法の一つとして認められているものに研究レビュー(システマティックレビュー)があります。肯定的な結果だけでなく、否定的な結果もすべてあわせて、「機能性がある」と認められるかどうかを総合的に判断するものです。 研究レビューを行う人は、研究論文が登録されているデータベースを用いて、論文を抽出します。 抽出に当たっては、検索に用いるキーワードなどあらかじめ条件を設定します。 抽出された論文を絞り込み、最終製品又は機能性関与成分に「機能性がある」と認められているのか、もしくは認められていないのかを分類します。 事業者の都合で機能性があることを示す論文だけを意図的に抽出することはできません。
言論や表現の自由も「右派のもの」になってしまった。30年前には左派が標榜していたようなものがどんどん右派のものになっていく。
渡邊先生も時々ダメなことを言う。左派は現在でも表現の自由の断固たる味方で全く変わりはない。
性的表現が表現の自由を意味していた(正確にはそのように錯覚させていた)のは、「貞節」の規範がそれなりに強く、そうした表現が露出する場所がごく限られていた30年前までの話。男性側も、そうした性的表現を素直に喜ぶより「けしからん」と言っていた人間が多かった時代。「島耕作」「ゴルゴ」などのマッチョな漫画ですら、セックスについては女性から積極的・主体的にアプローチするという描写になっていた。
現在は「貞節」規範は消滅し、ネット上で性的なコンテンツは膨大に溢れており、性的表現が自由を意味する時代はすでに終わっている。逆に、男性の女性に対する性的な視線が、女性の主体的な発言を表現を抑制するような時代になっている。「たわわ」は男性の性的欲望そのものの漫画で、女性の主体性は表現されていない。表現の自由がこれまで通りだったら、男性マジョリティの表現の自由でしかない。だから、真の表現の自由を実現しようとすれば、公共的な場面における性的な表現には一定の規制が必要になる。これが現在の左派の立場だ。
憲法に拠って「たわわ」を擁護する学者や弁護士も、形式的な表現の自由に居直るばかりで、その限りでは正論も含まれているが、実質的な表現の自由についてはほとんど無関心である。たとえば男性が多数の会議で、その中心にいる男性が下ネタ混じりで爆笑を誘いながら持論を展開している時に、そこに女性が割って入って主張することは事実上困難であり、言論の自由は奪われている。表現の自由戦士たちは、下ネタ混じりの発言も「言論の自由」であり、女性も発言の機会は十分に与えられている、と開き直るのだろうが。