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はてなキーワード: テクストとは

2018-07-13

anond:20180713224332

あそこらへんの研究室とか学会音楽学は、西洋音楽がすべての基盤にあるけどそれを意識していないから、西洋音楽系の研究なら良いけどそれ以外は中途半端な手の出し方になって言ってはなんだけど価値のない研究しかまれない。

からさ、ちょっと乱暴すぎない?東洋音楽学系列アプローチ音楽社会学アプローチそもそも違うのにその切り口は雑でしょ。今のそっち系スタンダード定量的研究って無理じゃんという所から出発していて、音楽を通して社会社会通念を記述することが目的では?テクスト至上の時代レヴィ=ストロースを機に終わったけど、あえて今テクスト論を扱う事を音楽記述と言ってしまっていいものかどうか?

追記

音楽記述に関してはダールハウス回帰せよというなら分からんでもない。

2018-06-25

バカバカって言っちゃいけないし、キチガイキチガイって言っちゃいけない。何でかというと、殺される危険性があるから。危ない人をわざわざ煽る必要はない。

なんかどうもはてなの連中は弱い者いじめ集団リンチが好きなようで、絶対安全なところから「叩いていい認定」された弱い人間を徹底的に叩き潰す傾向がある。

それを彼らは正義だと思っているようだし、それが集団リンチだという認識もない。

「個々人がそれぞれ当該テクストを読んで思った感想を書いただけだ。たまたま似た感想になっただけ」みたいなことを平気で言ってる。

今後も似た事件は起こりそう。いつも偉そうに好き勝手書いてるはてなの連中は自分が思ってるよりも他人に恨まれてるって自覚したほうがいいよ。

2018-05-14

anond:20180514180133

低能先生擁護するわけではないが「作者の意図を越えてテクスト解釈する」というのは評論ではありうる話だぞ。

2018-04-09

反差別を掲げる C.R.A.C. が黙認した「差別

3月C.R.A.C (旧しばき隊)はFact Check 福島を「ファクトチェック」し、そのほとんどは言いがかりだと糾弾した。

指摘した中には双方の主張に揚げ足取り(誇張表現)も見られ、シノドス側にも事実確認ではない部分も存在したが、普段反差別」を掲げる彼らが見落とすべきでない部分が見落とされていた。

以下はC.R.A.C.の「ファクトチェック記事」の一部である

(6) 被曝者差別テクスト正反対解釈を導く明白な文意の捻じ曲げ)

辛淑玉自分の親戚や身内が、福島の人だ、というだけで、「あの地域はがんになるかもしてない」とか、だからまずは結婚差別が来ますそれから次に来るのは就職差別です。その差別を前にして、「自分被曝していることを言わない」という風に決めた人たちが、沢山います放射能というのは遺伝子を直撃します。ですから、壊れた遺伝子が、自分の代に出るのか、子どもの代に出るのか、その後に出るのかがわからないんです


シノドス:この妊娠出産に関する発言は、住民自身の恐怖や不安を強く煽り、県外での偏見差別を生むものです。この発言のなかで辛淑玉氏は、「福島原発事故由来の放射線により、福島の人々の遺伝子には突然変異が起きた」と断定していますしかし、福島第一原発事故後に福島住民遺伝子突然変異が起きたという科学的根拠はありません。まして、福島次世代へのなんらかの影響が出ることはまったくありえません。


FACT辛淑玉は「福島の人」に言及しているのではなく、放射線被曝した人について言及しており、それが「福島」という地域で括られて差別の原因となるおそれがある、と言っている。明白な文意の捻じ曲げ。「次世代への影響が全くない」ということは、不安を抱える人々に向けて広く啓蒙すべきことであり、デマ糾弾すべきことではない。しかもこの次世代云々については、2015年辛淑玉の講演に対して2017年日本学術会議研究結果をもって「ファクト・チェック」しており、それを理由差別偏見助長すると辛淑玉非難するのは論争の手続きとして極めてアンフェアである

http://kdxn.tumblr.com/post/172539341255

上記引用文には続きがある。

たとえば、自分の親戚や身内が、福島の人だ、というだけで、「あの地域はがんになるかもしてない」とか、だからまずは結婚差別が来ますそれから次に来るのは就職差別です。その差別を前にして、「自分被曝していることを言わない」という風に決めた人たちが、沢山います放射能というのは遺伝子を直撃します。ですから、壊れた遺伝子が、自分の代に出るのか、子どもの代に出るのか、その後に出るのかがわからないんです。そしてそれを、因果関係というものを立証することは、じつは私たちにはできないんです。だから差別に耐えなければいけない。〔強調部分は引用者によるもの

https://web.archive.org/web/20180402092350/http://fukushima.factcheck.site/life/1497

指摘すべき点は2つある。

ひとつは、「結婚差別」「就職差別」が来るおそれがあるとして、その差別を「耐えなければいけない」という点。これは差別されても仕方がない、結婚就職が出来なくても仕方がない、といっているに等しい。彼らは水俣市広島長崎の住人にもそういうのだろうか?

もうひとつは、子孫に影響が出るほど被曝していないという点。これは広島長崎調査でもあきらかになっている。「因果関係を立証することは出来ない」という点においては正しく、統計的にも疫学的にも先天性異常の増加は見られないだろう。

というか、百歩譲って「結婚差別」がおきるかもしれない、という理由かるとして、「就職差別」とはなんぞや。子供障害者になるからという意味なのか、ただ単に被曝を「ケガレ」としてみているのか。いずれにせよ、これが反差別から出た発言で、それを誰もとがめないことには驚愕する。

2018-03-13

高校時代の半分を独学で勉強して京大法学部に現役合格した話(字数限界につき以後追記なし)

https://anond.hatelabo.jp/20180307150402

諦めるのが早すぎる。高い目標下方修正はいつでもできるが、京大をまた目指しはじめても低い目標上方修正するのはきついぞ。

年間1-2人だけ京大に行く公立高校に通い、高校1年の4-12月個別指導英語だけを週2時間高校3年の9月-本番まで河合塾京大数学京大英語コースを受講、最後冬休み河合塾京大演習コースも受けた。それ以外は独学。結果京大法学部に現役合格した。学校に特進コースはなかったし、クラス文系理系の二分のみ。部活には休まず通い(運動系だったが大会存在していなかった)、高校3年の夏休みとか1日2時間くらいしか勉強してなかった(結果死んだので河合塾行き)。その際のノウハウを共有するから参考にしろ

基本方針

学校定期試験無視しろ。残り2年間で京大学力に到達することだけを考えろ。定期試験で点数がとれようととれまいと京大受験には関係ないし、学校はお前の受験結果に責任を持たない。また、センターはともかく二次試験完璧を目指すな。京大に入りたいなら合格ラインに達してさえいればいい、たしかせいぜい6割くらいだ。

今の段階で京大受験必要センター科目・二次試験科目を絞れ。そして今後2年間の勉強計画を立てろ。ただし総合的な勉強量は考えておこう。センター日本史二次試験世界史受験する方針高校2年で立てた結果2年以降の世界史を完全独学でやり(2-3年は日本史の授業だった)、地獄を見た。普通な世界史地理日本史地理を選ぶ。このあたりは独学の悪い所で、適宜誰かに相談して方針が変じゃないかどうかを確かめるのは大事

京大に受かるためには数学に限らずそれ以外の勉強が不可欠。京大を目指していたなら過去問くらいは開いたことがあるだろうが、京大二次試験は異質だ。ほぼほぼ全ての回答が記述式。これで面食らう人間が多いが、実際のところあれはセンター試験選択肢なしで解くだけな問題も多い。センター試験数学がたまに突飛な回答をするのを思い出せ。センター試験レベル知識習得できれば、京大問題は実のところ解けてしまう(勿論一定以上の応用力は必要だが)。とにかく基礎を固めろ。突飛な英単語やドマイナー歴史知識不要

基礎的な勉強学校で買わされた教科書文法書・参考書を利用すればいいが、京大レベルだと不足する。今すぐ2ちゃんねる(今では5ちゃんねる)の大学受験板に飛び、各科目の総合スレを開け。そこには10年以上前から構築された知のノウハウがつめこまれている。具体的には各スレテンプレにある参考書一覧のことだ。俺が受験生だった10年前と比べると今のインターネットはクソまとめアフィリエイトサイトで溢れてしまってるが、あそこに書かれている参考書一覧は今でも変わらず良書だけを選んでいる。各科目、高校3年の夏くらいまでにそこに書かれた京大レベル参考書を数冊、2周~3周解いている状態を考えろ。それを目指して、どの参考書をいつまでに解いていればいいかを逆算してみてくれ。ギチギチに詰め込む必要はない、むしろゆったり考えろ。あくまで、手持ちの範囲・出来る範囲スケジュールを組め。

勉強量だが、俺の場合高校2年の段階から大体1日2-3時間毎日やっていた。朝起きて1時間部活が終わって帰宅し、風呂に入って寝る前に1-2時間試験前はもう少し勉強量を増やした記憶がある。これを基本毎日やること。どこまでやるかじゃなく何分やるかを意識しろ。だが飽きたときはやらなくていい。俺は何度か小説にはまって(ラノベだと戯言とか禁書とかイリヤ文学方面だと村上春樹夏目漱石)、後で書いてる散歩だけしかやらない時期が何度もあった。毎日2時間くらいネットサーフィンしていた気もする。ただ高校3年の秋以降は4-5時間に跳ね上がったかもしれない。流石に焦った。

忘れずにやってほしいのが、毎日の各科目ごとの勉強量をメモしておくこと。今すぐ新しいノートを開き、1行目に京大受験必要な科目を全て列挙しろ現代文古文数学1、数学A、数学2、数学C、日本史世界史生物英語英単語etc...そして2行目から毎日どの科目を自主的に何分勉強たか書いていけ。これをやっておくだけでもモチベーション維持が随分違う。「あの科目しばらくやってないな」というのも一目でわかるから万遍なく勉強ができる。

個人的おすすめなのが、朝か夜に必ず1時間散歩して単語帳or一問一答を声に出して解くことだ。運動しながら勉強をすることで脳が活性化して記憶に定着するとかい理屈があるらしいが真偽は不明。ただ、散歩することで運動にもなるし、つまらない暗記ものをやるときに家で寝てしまわないという利点がある。勉強気分転換にもなる。ただ夜にやるとき安全と、女性場合治安等に気をつけてくれ、責任は持てない。俺は一度だけ国道沿いの深さ1.5mの側溝に落ちた。

勉強の基本は繰り返しだ。 ただし、漫然と繰り返すな。問題文の頭に○や×、△などで解けたかどうかをチェックしておけ。2周目以降、一度でも正解した問題は飛ばせ。でも解いてからしばらく時間(1ヶ月~半年)が経ったら念のためもう一度解け。たとえば1周目に間違えて2周目に正解したら「×○」、1周目に正解して2周目・3周目は解かなかったが4周目にケアレスミスで間違えたら「○ - - △」みたいな感じに書いていけ。

とにかく「その問題で何回間違えたのか」が視覚にわかるようにしろ。そうやってチェックをつけていると、「参考書を開いたら、どの問題ミスやすく、どの問題が得意なのか」、要は復習時の要チェックポイントが一発でわかる。こうしておくと、最終的には数学1A全ての復習が1時間で終わるようになる。

個別具体的な勉強法について

数学

おそらく学校チャート式を買わされてるだろう。買ってないなら買え。一年間でとにかくそれで勉強を繰り返せ。

勉強方法の基本は写経だ。例文に書いてるやり方でひたすら問題を解く。まずは例題の回答方法を一字一句写経しろ。そして同じ解法で一字一句同じ書き方で解け。数学が苦手なやつによくありがちだが、解答で途中の解法をすっ飛ばすのはNGだ。理由は以下の3つだ。①理屈を何度も書いて覚える必要があること②採点者にとって「すっ飛ばしている部分を回答者理解しているかどうか」がわからないので×にせざるを得ないこと③京大数学記述問題は「計算を間違えていても、理屈があっていれば部分点をくれる」ということがままあること。

京大数学を解いたことがあるなら2完とか3完とかいった言葉を聞いたことがあるだろう。あれは全5問のうち3問は全部解答できたという意味であり、つまりは多くの受験者が5問のうち2-3問しか完答できていない(完答できなくても点数は獲得している)ということだ。数学論理でできている。故に京大数学重要視しているのは解法の論理理解しているかどうかという点だ。

から、とりあえずわからない問題は悩む前に解答例を見てやはり写経しろ。お前の頭で考えるな、答え(=解法の論理)は先達が既に考えてくれる。言っちゃ悪いが高校数学レベル問題なんてチャートに書いてることがすべてだ、俺は黄色チャートで乗り切った。

もしどうしてもわからない単元がある場合は、このサイトのpdfに載ってる当該単元に関わる章を全部読め。当該サイトは、「1+1がどうして2になるのか」という説明からはじまった高校数学に関する説明を全部やりきる『高校数学+α』というすごい本の全文をpdfとして配布している。最初から通読しようとするのはきついので無理しなくていいが、わからないことがあればこの本を読めば絶対にわかる。

英語

英語は現段階であれば文法書を何周もしておくこと。細かいことは言わん。何周もしろ。あと、英単語帳は今から3ヶ月で一旦全部暗記しろ高校3年にもなって英単語帳を一からやるのは馬鹿らしすぎるしリソース無駄遣いだ。1日1時間やれば3ヶ月でどうにかなる。

英単語をはじめて覚えるとき絶対忘れちゃいけないのは「1日でも時間を空けるな」ってことだ。毎日やれ。英単語帳はどれでもいい、どうせ全部覚えるんだから変わらん。覚え方だが、とにかく音読しろ。「accept」という単語があるなら「アクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取るアクセプト受け取る……」と5回〜10音読して次の単語に行け。黙読は絶対にやるな、音読して単語意味を音としてインプットアウトプットすることに意味がある。ページ単位で考えずに時間で考えろ、10分で一度音読できる範囲まで音読しろ。次の10分で同じ範囲をもう一度最初からやりなおせ。次の20分では新しい範囲で同じことをやれ。最後20分で全部おさらしろ。1セット1時間を目処にするといいだろう。これで1日100単語インプットできるはずだ。勿論翌日には半分以上忘れるしすぐに思い出せない。それが当たり前なので気にするな。大事なのは復習だ。翌日は一度読んだところを20分かけて再度音読しろ絶対だ。1日後というのが重要で、詳細は忘却曲線でググれ。残りの40分は新しい範囲時間を費やせ。これを毎日やれば3ヶ月で1冊丸暗記できる。忘れたら忘れたで構わん、再度読み直せ。1週間スパンくらいで全体を再度復習するといいとは思うが、その日に覚えたことを翌日復習するというのを徹底するなら復習頻度は気分でよしなにやれ。

京大英語の恐ろしいところは、主要な問題英文和訳日本語英訳だけというところだ。文法の基礎(センターで満点を狙える程度)をがっつり固めるのは当たり前として、それ以外に和訳英訳練習必要だ。和訳絶対におさえておくべきなのが伊藤和夫英文解釈教室』。今からでいいので買って少しずつ、それこそ3日に1問・1問解くのに1時間かけてもいいから触れておくのがいい。解けなくても、やるときは1時間やれ。解説は精読しろ

それ以外では、学校での課題夏休みでの宿題で長文演習問題が出てきたら、全文を和訳するといい。「受験関係ない宿題をこなす」が「京大英語の演習をおこなう」に変化する。

英訳は逐語訳ではなく意訳の力が求められるのでかなり難しい。そこでサンプルとしておすすめしたいのが『英文対照 天声人語』。天声人語自体の良し悪しは知らん。俺も普段読んでるわけじゃない。ただ、日本語の意を汲み取って逐語訳ではない英訳を集めてるサンプルケース集としては有用だ。

しかしながら、英訳和訳も独学には限界がある。なのでここは他人を利用しろ赤本過去問でもなんでもいいから、演習を解いたもの大人にチェックしてもらえ。一番いいのは京大英語講座に行くことだが地域的な問題で行けない場合もあろう。英語教師にチェック依頼するとかがベターだ。

その他

現代文は知らん、息抜き小説たくさん読むとかするといい気がする……とぶん投げるのもよくないのだが、いかんせんこの分野は扱いが難しい。なので俺が楽しかった参考書だけ紹介する。

石原千秋の『大学受験のための小説講義』『教養としての大学受験国語』はすごい。大学に入ってから知ったが、石原千秋文学理論日本文学に当てはめることほぼほぼ初めて行った研究者で(大学時代の知り合いに教えてもらった知識なので間違ってたらすまん)、現代における漱石研究第一人者。この人のテクスト読解はすごく楽しい趣味になるが『謎とき 村上春樹』も最高。

評論系だと『MD現代文小論文』が主要なトピックスを抑えててよい。大澤真幸が「自由牢獄」について言及していたので俺はミヒャエル・エンデを知った。ただ(内容ではなく出版年月が)少し古いので一度書店立ち読みしてみるのがいいかも。

古文漢文は、基本文法・基本単語マスターするのが前提として、あとは慣れの部分が大きい。漢文には正直そんなに力入れなかったので割愛するが、古文小学館の古典文学全集シリーズのうち、平安時代あたりのものを1冊でいいので(たとえば源氏物語の1巻だけとか、当該シリーズ26巻の『和泉式部日記紫式部日記更級日記讃岐典侍日記』とか)読み切る。当該全集は各ページ三段組み=原文・訳文・注釈が同時にチェックできるので、原文を読む上で圧倒的に優れている。文法を暗記しようとか、知識をあまさず覚えようとかしなくていい。でも注釈は全部読め。どの原文がどの訳文と対応しているのかを常に確認しろ。そうすることで時代的な知識を知る事ができるし、何より「古典作品を読んだ」という自信がつく。

日本史世界史だけは例外的で、高校の授業を一字一句もらさず板書すること。どの事件にどんな背景があって、それがどういった結果につながっていったのか、そういった歴史の流れを理解するのは、教科書参考書で独学するよりも先生の話を聞いた方が圧倒的に楽。豆知識記憶の定着に役立つ(先生によるかもしれないが)。複雑な範囲日本史近代とか)は自作フローチャートを作れ。骨子の流れを覚えたら参考書で補強。本気で独学すると山川出版『詳説 世界史研究』で死ぬ。575ページあった。

それでもなお世界史を独学すると言うなら、世界史参考書として『タテから見る世界史』『ヨコから見る世界史』を押さえておくとベター物事俯瞰して押さえるのが大事。あと論述対策しておくこと。

生物は正直センターレベルだと独学することがない気がするので、やっぱりセンターで80-90を狙って勉強するのがいい。

政治経済は、申し訳ないが大学時代知識アップデートされすぎたのでどう勉強したのか覚えていない。すまん。

地理物理地学勉強してないのでわからん

最後

後半飽きてしまった部分があるので雑な投げ方していたところもあって申し訳ないが、最後に1つだけ。

俺が挫折を味わったのは京大に入ってからだった。六法講義が何一つわからないのに周りの人間はすらすらと解いていく。60点で可をとるのが関の山だったのに、その横では「80点に届かないか問題解かなかった(ロースクール受験には学部成績が影響するのでそういうことが往々にしてある)」という会話がなされている。俺は2回生とき法曹を目指すのを諦めた。

でも、それと同時にもっと楽しい事・面白いことを沢山知る事ができた。政治学から価値判断と切り離した広い視点を持つことを学んだし、小野教授政治思想から人類史通底する観念とその変遷の奥深さを知った。プログラミングにはできないことも多いがそれ以上にできることが多いという、応用力の幅広さに助けられた。京都では、自転車を走らせればすぐ史跡寺社仏閣に行ける生活が待ってるし『四畳半神話大系』が最高に楽しめるようになる。そんな環境で、自分と同じ興味を持った人間と同じ話ができるというのが何よりすばらしかった。大学時代に比べたら、高校時代記憶なんてほとんどないし、社会人になってから大学以上に楽しい環境いたこともない(今の環境がだめという話ではないが)。

京大に限ったことではないと思うが、大学は、色んな学問研究する色んな人間がひしめきあった結果、知的興奮の機会に満ち溢れている場になっている。もし京大に行けなかったとしても、早稲田慶応等のある程度一流と言われている大学であれば、絶対にそんな魅力を味わうことができるはずだ。

そしてなにより、今度どうやっていくかに関わらず、勉強を楽しんでほしい。英語の長文演習問題はするする読めるようになるとめっちゃくちゃ面白いし、小説海外ニュースも読めるようになる。源氏物語は第1帖「桐壺」を全部読むだけでもうるっとくる。高校数学一種論理パズルと考えたとき京大数学演習問題が異常に楽しいというのはやったことがあるならわかってもらえるはずだ。

健闘を祈る。世界は広い。

2018-01-28

センター試験ムーミン事件、現段階でのまとめ(+個人的感想

発端

センター試験地理Bで「ムーミン」「小さなバイキングビッケ」を題材にした出題→怒り狂った受験生ムーミン公式垢に突撃

https://twitter.com/kyodaiochitaaaa/status/952017609196621824

その後の展開

暫定的結論

地雷踏み抜きすぎワロタ

個人的に考えてること

思考力を問う問題を作りたい」という問題意識理解できるし、共感もする。

でも、その「思考」というのが、断片的な前提条件をもとにステレオタイプ再生産してしまう方向に向かうなら、かえって有害なのでは? とも思える。

別教科の新テストでも事故が起きてる(http://harutaseiro.blog89.fc2.com/blog-entry-1667.html)のを考えあわせると、やっぱこの方向性危ういよ。

下手の考え休むに似たり、思いて学ばざれば則ち殆し、っていうけどまさにその通りで、前提となる知識を欠いた思索って往々にして間違った結論に着地しちゃったりする。

素人の柔軟な思いつきがトンデモを生むのなんてあちこちでさんざん言われてるのに、「思考力重視」はそれと逆行しているように見える。

下手に考えさせた結果ステレオタイプを強化したり事実とは違う思い込みを閃いちゃったりするくらいなら、まだ正しい事実をたくさん暗記させた方がマシなんじゃね? そっちの方が、大学以降で「考える」ための基礎体力がつくんじゃね? 高校時代は基礎トレーニングに専念した方がいいんじゃね?

ただ、まだ過渡期だからこれから洗練されていくだろうという擁護論もあって、誰しも最初の頃は躓くものだしトライエラーで成長していくものだということを考えるならなるほど理屈は通っているし、学びて思わざれば則ち罔しというのだから思考することが必要なことは間違いない。

でもそのトライエラーには受験生の1年か下手すると人生がかかってるんだよね。そこでトライエラーを続けて何か得られる見込みがあるならいいけど、本当にそんな見込みなんてあるの? って思っちゃう。だったら従来のやり方を踏襲した方がマシだってことにもなるんじゃないのかなぁ(や、従来のやり方でもたくさんミスは出てるわけですけど)

2018-01-14

anond:20180113114634

カトリーヌ・ドヌーヴ署名した記事翻訳の件】お返事を拝見しましたが、いろいろ問題点が残っているようです。目下時間的余裕を欠くためにぶっきら棒な指摘の仕方をすること、ご寛恕ください。テクストを読む際に、まして翻訳する際に当て推量はマズイですので、以下の諸点を改めてじっくり検討されるますように。(元記事: http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html

la galanterieに関して:

 参照サイトhttps://fr.wikipedia.org/wiki/Galanterie は、la galanterieというきわめてフランス的なものを適切に説明しています。けれども、その内容の一面だけ取り上げて、「恋愛のお作法に乗っ取った男性からの誘惑の手順」というふうに「恋愛」や「誘惑」に直結させてしまうのは行き過ぎです。なぜなら、①そもそもフランス語圏日常社会生活で言われるla seductionの意味するところは、日本語の「誘惑」よりずっと広く、一般的である。②男性別に何らまったく誘惑の下心なく女性にドアを開けて差し上げる、席を譲る等のレディ・ファーストも、そこにごく淡い艶(つや)が伴っていれば立派なla galanterieである。③la galanterieをめぐって、それは男女同権原則を何ら妨げることなく男女関係文明的にする作法なのか、男性優位のパターナリズム表現なのか、という議論が頻繁に行われているという文脈フランスには存在する。

■agression machisteについて:

 前項の(3)からも分かるように、agression machisteは、(外見に反して男尊女卑を含意している)パターナリズム押し付けを指しており、問題テクスト賛同者たちによれば、la galantrieは agresssion machisteではない。ある種の「痴漢行為」はagression machisteの一つと言えますが、agression machisteすなわち「痴漢行為」ではありません。

■s'autonomiserに関して:

 「自立」と「自律」は区別する必要。autonomieは「自律」です。また、現状の日本語では、「自立する」とは言いますが、「自律する」とは言いません。

■une conception substantielle du bienについて:

 これの改訳例として私が「実体論的な善概念」としておいたのを「善の本質的概念」に直しておられますが、それでは意味を成しません。この言葉は、哲学的で少し難しいのですが、まず間違いなく、道徳律をたとえば「他者自由を妨げない」ことというように「否定的」な形式で考えるのでなく、「これがが善だ」というように実体論的に(あるいは、本質主義的にと言ってもいいでしょう)考える、そういう善概念を指しています。あとに出てくる哲学者のRuwen Ogienが世間道徳批判するときによく使う言葉でもあるようです。ですから、「実体論的概念」「本質主義概念」と、「本質的概念」はまったく異なります。ゆえにここは、せめて「本質主義的な善概念」とでも訳しておかないといけません。

■misogynieについて:

 これは「女性嫌い」「女性蔑視」であり、「女性差別」の元になり易い性向ですが、「女性差別」と混同するわけにいきません。

la liberte d'offencerについて:

 「この概念攻撃しようとするのは(神や国家指導者のような)『権力』『権威』とそれをアンタッチャブルものにする空気」と断定(推量?)するのは早合点です。テクストに、Le philosophe Rugen Ogien defendait une liberte d'offenser... と書いてあるのですから固定観念に囚われず、Ruwen Ogienの哲学思想念頭に置いて理解しないといけません。そうすると、「人の気分を害する自由」あたりがやはり適切なのです(「中指を立てる自由」は論外)。

la liberte de dire non a une proposition sexuelle ne va pas sans la liberte d'importuner :

 「『ウザがられる自由』が男たちの側にあると解釈するのは…」無理ではないですよ。それどころか、その自由相手(←ここでは男性)に認めるからこそ、女性の側がそれを「ノン!」と突き返す自由が生きるわけです。「ノン!」と拒否することがimportunerすること、ウザがられることではありません。なお、こういう間主観関係が成立するのが男女間に限らないことは言うまでもありません。

■Pour celles d'entre nous qui ont choisi d'avoir des enfants, nous estimons...:

 これを「子供を持つことを選んだ人々のために」とか、「私たちの中で子供を生むことを選んだ人達のために」と訳すのは、当該テクスト文脈の中では明らかに誤訳です。"Pour"はここでは、En ce qui concerne や quant aの意味なのです。著者(たち)は、私達のうちで子供を持つことを選んだ者についていえば、私達の考えはこれこれだ…、と述べているのです。

以上。

2017-11-19

はてなー持ち芸一部覧

思いつく範囲だけ。追加してほしい項目があれば教えてください。

b:id:anotokinosobaya

死ね解決検索ヒット1件)

b:id:AQM

ノーパンしゃぶしゃぶ http://b.hatena.ne.jp/entry/346526905/comment/AQM

b:id:aukusoe

ゲーム日記?誰それ?(すっとぼけ)

俺だ俺だ俺だった

助六

b:id:baikoku_sensei

クンニ象徴である硬質のチン http://b.hatena.ne.jp/entry/350616983/comment/baikoku_sensei

b:id:blueboy

詳しくは(自サイト誘導

b:id:c_shiika

警察

艦これ関係

b:id:cloq

言及増田執拗ブクマ

ライフル協会

オ、オレはワルだから

b:id:cider_kondo

コンビニの)業界研究してるけど

b:id:cj3029412

船橋来てくれたら飯食わしたる

にゃーん

b:id:comzoo

はてなスターウォーズ

b:id:daybeforeyesterday

うーむ

b:id:death6coin

セルクマ

b:id:furutanikaede

6さいです。

b:id:goldhead

いいおじいさんタグ

ラーメンが獣臭いタグ

b:id:hungchang

せやな

b:id:jt_noSke

こんなアイコンなので気になる話です

私の言いたいことはすでに言われていた

ふーむ(封印中)

寒波は)私のダジャレのせいではありません

b:id:kash06

キリスト教関連。聖書引用(他にも引用するIDあり)

b:id:kibarashi9 

セルフスター

b:id:kidspong

また落選・・・

b:id:konekonekoneko

それ店動説 http://b.hatena.ne.jp/entry/352934128/comment/konekonekoneko

b:id:kouchi203

男たちのバラードタグ

b:id:masudamaster

騎乗

b:id:metroq

おじいさんをひっくり返せば http://b.hatena.ne.jp/entry/277451556/comment/metroq

ファックファックさん(放置したのに更新が続く)

b:id:miruna

死ねばいいのにタグ

b:id:mur2

電気敷き毛布の伝道師

b:id:narwhal

獣は檻に入れとけタグ

b:id:Nettouochi

 

b:id:nekora

ブクマ強制プライペートモード

b:id:nevar-evol

オススメID?)この人かな http://profile.hatena.ne.jp/my/

b:id:ninosan

ウエダテレビNHK代表者上田良一)のこと}

テクストテキストのこと)

イヲン(イオンのこと。系列コンビニ含む)

b:id:oooooo4150

いつかtaiheさんに鉄拳タグ

b:id:pulusha

引用スター通り魔(本人ブクマ非公開)

b:id:Rag-Rush

腹筋1000回以上約束で死亡 http://b.hatena.ne.jp/entry/351774027/comment/Rag-Rush

b:id:Re-KAm

自信作の増田

もしかして……」 「僕たちのアナル」 「「「「「「入れ替わってる~~~~~!!!?」」」」」 anond:20161005134918


b:id:sabacurry

よしこ http://b.hatena.ne.jp/entry/287841927/comment/sabacurry

亜種ID存在 本人が否認

b:id:sugimurasaburo

一年上前増田タグ

b:id:ToTheEndOfTime

聖書引用

b:id:vlxst1224

おああーーーっ(闇属性) http://b.hatena.ne.jp/entry/338552466/comment/vlxst1224

アイコン七変化

謎の告白タグ

b:id:watto

こんなアイコンなので

b:id:whkr

よく知らない人。気持ち悪い http://topisyu.hatenablog.com/entry/amature_hatena_user

b:id:xevra

恐ろしい恐ろしい

大脳が壊れたメンヘル

運動瞑想睡眠野菜350g

オキシトシン点鼻薬

これが日本人だよ。

人間っていいな

今すぐ走り出せ!

b:id:xKxAxKx

大麻栽培

頭を割って中を見たいタグ

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更新履歴

2017/11/19

6歳追加

通り魔追加

ダジャレ追加

牛追加

上目艮鏡追加

回るK追記

船橋おっさん追加

ア○メ追加

Nの人追加

ゼロの物追加

読めないボイロ追加

星人追加

2017/11/20

5人位追加。一部の持ち芸追加。

3人追加。

2017/11/21

1名持ち芸追加。

2017/11/24

1名追加

1名追加

metroqの持ち芸一つ追加(ファックファックさん)

2017/11/29

今すぐ走り出せ!追加

2017/12/01

nevar-evol氏追加

2017/12/06

普通の日本人民最悪の敵追加

2017/12/11

私のダジャレのせいではありません追加

2017/12/15

腹筋伝説追加

2017/12/30

はてなの逆コペルニクス追加

2018/01/14

電気敷き毛布好きのオニオオハシ追加

2018/03/05

いいおじいさんコレクター追加

2018/05/19

本人要望に応えラーメンが獣臭いタグ追加

2017-09-28

anond:20170928153931

でも、もっといろんなところに行ってみると、そんなやついるはずないじゃんってやつが実際にいて衝撃受けることもあるよね

事実小説より奇なりっていうか

結局のところ、 文字の向こうに真実があるか嘘があるかはわからないけど、書いている以上書き手意図があるのは間違いない

向き合うべきは真偽ではなく書き手意図テクストのものだと思うんだ

そこで真偽のみに注目しちゃう嘘松どうこうって指摘がそもそもずれていると私は思うんだな

2017-09-20

anond:20170920144742

それはたぶん、先入観とか個人的思想が入ってるからじゃない?

予備知識ないとどっちととる人もいるだろうなあ、って普通に読めるぞ

読解力どうこうで煽っても、テクストとしては事実からなあ

2017-08-07

教養のない人だなあ

それがたとえ大衆音楽歌詞であったとしても、文芸作品解釈には、広く共有されている価値観時代性といったコンテクストを利用する必要があるでしょうよ

それを妄想だの勝手解釈だのと断言できるほどの無教養ぶりには呆れるわ

そこにあるテクストだけですべてが判然とするのは、物語ではなくて説明文ですよ

2017-05-27

人工知能学会論文炎上文系の方が勘違いされていること

人工知能研究者人工知能学会から帰ってきた。

件の論文の著者のうち1名とは知り合いではあり、今回もご挨拶ぐらいはした関係である

件の論文の話が大きくなり、文系研究者の方の記事も何件か出てきた。

https://srad.jp/~yasuoka/journal/612256/

http://mistclast.hatenablog.com/entry/2017/05/26/203043

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20170526/1495783027

前置きするが、件の論文正当化する意図は毛頭ない。とにかく、件の論文不適切であった事は確かだと思う。

私は、家族文系研究者がいるので、ある程度文系領域についても分かっているつもりである

文系研究者の皆さんが、大きく勘違いしていると思われる点がひとつだけあるので、指摘しておきたい。

文系では、テクストのもの研究対象とすることが通例であるので、今回挙げられた小説を「分析対象」や「研究対象」と思ってしまう傾向があるようだ。

しかし、工学観点からは、今回挙げられた小説は、分析対象でも研究対象でもない。

工学手法を論じる方法であるので、分析研究、そして評価対象となるのは、あくまで、手法である

小説の内容自体は、研究分析評価対象ではない。小説の内容については評価しない。

極端に言えば、小説を単なるデータとしてみて、データの中にある文字列が含まれている場合に、手法がどのような振る舞いをするのかを観察しているだけである

研究対象分析対象評価対象手法である小説は単なるデータだ。小説の内容については評価しない。

ただし、世の中には色々なテキストがあるので、そのような小説に書かれている表現入力として与えられる可能性はある。

そういう場合に、「手法が」どのような振る舞いをするのかを観察し、「手法を」評価するのが、工学研究だ。

このように言うと、おそらく、「しかし、有害、という言葉を使っている時点で、小説に対して評価を下しているではないか」という反論が返って来そうだ。

私が、今回の件で、非常に不適切であると思っているのは、まさに、このポイントだ。「有害」というような、内容を評価しているかのような表現は用いるべきではない。

例えば、「性的」といったような、内容に対する評価を含まない表現に置き換えるべきであったろう。

あるいは、有害図書基準などの参考文献を引っ張ってきて、「その基準に照らせば有害に分類されるデータ」という体で小説を扱い、評価しているのは論文著者たちではないという事を明確にするべきであった。

繰り返しになるが、工学研究では、通常、研究対象手法であり、今回の論文も、明らかにこのタイプ研究であると思う。

この論文は、「この小説がなぜ書かれたのか」「この小説社会の中でどう位置づけられるか」といったような、小説自体対象とする研究ではない。

追記:

「「わいせつ」といったような、内容に対する評価を含まない表現」に引っかかってる人が多いみたい。「わいせつ自体が「有害」同様に、評価を含んだ言葉だという点は、確かにそうかもしれない。上記の論旨とズレていて申し訳なかった。

まぁ、件の表現が「わいせつではない」と判断するのは、社会通念上難しいと思うが…?

まぁ、「わいせつ」という言葉問題なのだとしても、論旨は同じ。私の言いたいことは、件の表現クラス分けする工学手法が主たる関心なのだから別に、「表現001」でも何でも、クラスにテキトー名前をつけて、クラス分けすることが主たる関心であると分かるように書くべきであったということ。

どういう名前クラス分けしようと、自動的クラス分けしたい場合がある事そのもの否定できないと思いますよ。

自動的クラス分けしたい場合があると著者たちが思っていること」そのもの意見である、という見方もできるとは思いますが、今回のケースについては、類似研究がたくさんあるので、自動的クラス分けしたいニーズ存在否定することが難しいのでは。

とりあえず、当該表現は「わいせつ」ではなく、ブコメにあった「性的」としておきますね。小説に出てきたような表現性的であることは明らかだと思いますので(そうではないという反論もあると思いますけど)。

あと、これ。 id:aoi-sora 「人工知能研究者は、事実意見区別すらできないのか。」まぁ、当該小説表現が「わいせつ」には該当するだろうと思ってしまったのは私の落ち度だったけど、それ1つを持って、人工知能研究者全体を語られるのは困るなぁ。あなたこそ、そんな過度な一般化をして、事実意見峻別が出来ないのか…と思います木下是雄の当該本も読んでいますよ。

id:type-100 環境の話とは話が違うんじゃないですかね。そもそも、今回の論文は、pixivという環境については何も直接の介入は行っていないわけですし。これが、研究のために、例えば、「意図的pixiv作品批判するようなコメントを書いて作者の様子を見た」みたいな話だったら、おっしゃるような問題類似するケースになると思いますけど。

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228123141

借金玉は占い師的な能力があって、きわめて属人的体験を、知能や能力に大きなばらつきのあるADHD者のライフハックとして一般化して読ませることに長けているのだけど、そもそもおまえ何者なのよ?ってところで引っかかってノンフィクション文学以上のテクストとしては読めない。

2017-02-27

文系永遠に作者の気持ちでも考えてろよ〜作者のフレンズと作者の意

文系は作者の気持ちでも考えてろよwwwという文系に対する典型的煽りがある。

元々がネタスレ気味な2chネタなので、「マジレス」するのもどうかと思うが、「本当に文系は作者の気持ちを考えているのか?」について書いてみたい。


これについて書こうと思ったのは、以下の記事を読んだのがきっかである


けものフレンズ考察班VS哲学的ゾンビ

http://honeshabri.hatenablog.com/entry/philosophical-friends


いずれにおいても、根底にあるのは、作者・製作者の意図気持ち考察することこそが重要という発想ではないだろうか。

しかし、少なくとも現在文学において、作者の意図気持ちを推測・考察することはそこまで重要視されていない。

現在では、神としての作者の意図を探るのではなく、主として、作者から離れた作品のものテクストから何が解釈できるかが論じられるのである

(いわゆる「作者の死」。ここら辺の議論ロラン・バルト以降、色々と展開しているけれど面倒なので省略する。)

この考えのもとでは、文系は作者の気持ちを考えているのではなく、「制作者はそこまで考えてないと思うよ」というツッコミはあまり意味がない。

制作者がそこまで考えてなかろうが、作品自体からその解釈が成り立つなら、その解釈は「アリ」なのだ


では、その解釈が成り立つかはどう判断するか?

作者の意図に沿うかで判断することはできない。

判断方法としては、ざっくり言えば、作品の内容と整合するかを基準として、その解釈が支持を得られるか、という多数決的な方法しか取り得ない。

乱暴方法だが、これしか方法がないのである

文学における解釈とは、このようなルールのもとでのゲームとも言えるだろう。

もちろん、作者の意図を探る、というルールゲーム可能ではある。

しかし、個人的には、それよりも作者の意図を離れた解釈を論じるゲームの方が面白いと思うし、そちらが主流なのだ


では、作者の意図解釈と全く関係いか、というとそうでもない。

作者は、あえて明確には表現しないことにより、解釈余地(穴埋めの余地)を持たせることがある。

受け手がそのような作品解釈をすると、作者がこっそり埋めた宝物を見つけることができるのである

はっきり表現しすぎては解釈余地がない。

分かりにくすぎては解釈しようがない。

優れた文学とされるものは、この宝物の隠し方が上手いものが多い。

現代日本において、これを最もうまくやってのける作家の一人が村上春樹だろう。


もっとも、作者が整合的な解釈を想定せずに作品を作ることがある。

新世紀エヴァンゲリオンがこれだと言われており、上述の村上春樹も、ねじまき鳥クロニクルについて似たような批判がされたことがある。

作者の意図する整合的な解釈を求める立場からすれば、このような行為は、作者の裏切りにも思えるかもしれない。

しかし、作者の意図無関係解釈をする考えであれば、そんなに目くじらをたてることではないのではないかと思う。

もっとも、そのような作品に(作者の意図しない)面白い解釈が成り立ち得るかは別論である


以上に述べたことから分かるように、たくさんの人がけものフレンズについて考察をし、その考察がある程度の人に受け入れられているのであれば、制作者がどこまで考えているかはともかく、その解釈は(文学的に)アリなのである

から変な雑音に対する惑わされずに、考察班においては、思う存分考察をしてほしい。

けものフレンズは見たことがないが、切にそう願っている。

2016-11-27

本が、文章が読めなくなった

長い文章が読めなくなった。識字障害ではなく、テクストに集中できなくなった。読みたい小説漫画も買っているけど、冒頭の数行以上読み進めることができない。こんなに読みたいものもあって読んで考えたいこともたくさんあるのに何一つできない、本当につらい。どうしていいかからない。医者はとりあえず睡眠をよくする薬を処方してくれたが、本は読めるようにはならない。睡眠は少し長くなった。

twitter漫画はだいぶマシに感じるけど語を鳥羽市飛ばししか見ていないから。漫画も絵だけ見ようとしても話を追おうとすると2ページも読み続けるのは無理みたいだ。

仕事で短いけど文章らしきものを書くことがあるけど、書いたテキストをちゃんと読み返せないから誤字とか説明矛盾みたいのが頻発している。

本の世界楽しい面白い社会には向いていないか社会ではうまく生きられないけど、本があるから新しい本が出るから生きようと思えるのになんでどうしたらいいんだ、本を手に取ってめくって閉じて置いてまた取って見て置いてと繰り返していたら涙が止まらくなった。頭の中で何が起こってるのか誰か助けて

2016-10-12

ぺるん氏とddrdaisuki氏の喧嘩

ぺるん氏 以下、ぺ氏

http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2016/09/12/210000

ddrdaisuki氏 以下、D氏

http://possession.hatenablog.com/search?q=%E7%8C%AB%E7%AE%B1

二人の喧嘩を見た。

他人喧嘩コメントするほど不毛ものもないが第三者目線必要かもしれないとD氏が書いているので

第三者として書かせていただくと…どちらにも相当に非があるとしか言いようがない。

どうもこのお二人は過去にも因縁があるようで積り積った鬱憤が爆発したようである

あくまでも私の目から見た今回の顛末である

ぺ氏がランス03の感想を書く

D氏がツイッターで叩く

ぺ氏がぶち切れる

という流れである

感想なんて好き勝手に書けば良いのであるからいくらまらない感想だったとはいえ、D氏が叩けばぺ氏が気分を害するのは当然であろう。

もちろんつまらない感想をつまらないと書くのはD氏の自由ではあるものの、発端はD氏が悪いと思うしぺ氏の方の肩を持ちたい気分である

これで終わりにできればこれほど簡単な事はないのだが、喧嘩が進めば進むほど私にはぺ氏の株が下がっていく一方なのである

まずは書き方。非常に攻撃的な書き方である

内容自体はD氏もぺ氏も共に相手喧嘩を売っているのだが、D氏が慇懃無礼な書き方でちくちくと攻撃しながらもランス03の感想の書き方を問題にしているのに対し

ぺ氏はD氏をお前と呼び、人格攻撃積極的に織り交ぜている。これは非常に印象が良くない。

たとえD氏がクズだったとしても、ぺ氏がD氏よりもまともだという事にはならない。そもそも人格問題はあまり関係がなく、感想問題のはずである

少なくとも

[私の感情感性が未熟なことを説明せずに滑稽だと語られてもどこにも妥当性がないんだが?]

というぺ氏の文章に関しては、この喧嘩を見る限りぺ氏の感情が未熟な事は一目瞭然である感性は知らない。

ぺ氏はD氏に主張の論拠を求めているが、これもよくわからない。

第三者から見て、D氏のこれは主張ではない。単につまんねー…という文字どおり便所の落書きレベル悪口である

それがウザいというのはよくわかるが、便所の落書きに対して論拠を事細かく求めるのはあまり意味がないように思う。

D氏はぺ氏の感想をつまらないと言い、ぺ氏はなぜつまらないのか理由を挙げろと怒る。

それに対してD氏は一応つまらない理由を挙げている。しかしぺ氏は納得せずに怒り続けている、というのが私から見た今回の流れである

D氏の挙げた理由はぺ氏の感想方向性とは明らかに異なるものであり、ぺ氏がそれを受け入れないのは客観的に見て当然だと思う。

さらにぺ氏のランス03の感想は、少なくとも万人が読んでつまらないと判断するような酷いものではない。

誰か1人でも面白いと思う人を連れてこいとD氏は仰っていたが、私は面白いと思ったし、他にも面白いと感じた人はいるだろうと思う。

D氏の発言は「俺にはつまらなかった」以上の意味はない。

はいえ、D氏はD氏の価値観に従ってきちんとつまらない理由を挙げている。

それに対して、まともな根拠反論もできずたじたじになっているというぺ氏の反論は、的を外しているように私には映る。

気に入らない人間から悪口を言われて怒りにまかせて逆襲したものの、予想以上に手ごわくてたじたじとなる、だが負けず嫌い性格で後には引けないぺ氏…という方が私の印象に近い。

喧嘩の発端は明らかにD氏が悪いのだが、議論の筋を読めば読むほど、ぺ氏の論のおかしさの方が目立つ。

自分以外のランス03のダメ感想を数え上げて、なぜ自分に対してだけ批判をするのかといった逆ギレなどは書いていておかしいと思わなかったのか。

ネット存在する全てのダメ感想を叩いてからでないと、ぺるん氏の感想を叩けないというのはムチャクチャな話だ。

便所に悪口を書いた相手に対して、立証責任が云々というのも非常にバカげた話である

元々喧嘩を売りに行ったのはD氏なので、D氏の肩を持つ気もあまりないのだが…。

余談

ぺ氏の過去記事を読むと

http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2016/08/17/070000

http://sessions.hatenablog.com/

http://bern-kastel.hatenablog.com/

ぺ氏自体積極的他者感想へと攻撃を行っているという驚愕事実が判明する。

俺は好き勝手感想を書くが皆の感想尊重する、だからお前らも文句を言うな、ならばわかるのだが

俺は好き勝手感想を書くし、気に入らない感想は存分に叩く、だけどお前らは文句を言うな、という態度なのである

自分他人感想にどんどん攻撃を仕掛けていくのに、自分他人から攻撃されると頭に血を上らせてしまう。

これは少なくとも私から見れば、大いなる矛盾である

あまつさえ他人への悪口を裏ブログに堂々と書いて、悪びれもしない。

更に言えばD氏は問題にしていないようだが、

ぺ氏が普段語っている外部文脈を排して作品を虚心に見つめるという内在的読解とは、作家時代性、商業主義声優俳優、などなどを外部情報として切り離し、作品のもの…たとえばランス03という作品のみを

先入観なく捉えて語る行為を指すのではなかったか

http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2014/11/22/120000_1

http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2014/04/26/222449

ひょっとしたらぺ氏の主張を私が読み違えているのかもしれない。

しれないが、もし私が読み違えていないのならば、氏のランス03の感想は「戦国ランス」といった別作品存在や「ランスらしさ」といった外部情報スキーマ積極的に取り入れた感想になっている時点で

氏の普段の主張とは異なったものに仕上がっているように思う。

なお、氏の普段の主張と異なっているからと言って悪いレビューかといえば私はそうは思わず、なかなか楽しく読んだことを白状するが

少なくとも氏の普段の主張と異なっているのだから普段の主張自体問題といえば問題になるのだろう。

更に言わせてもらえば、過去因縁云々に関してもそうだ。

人間なのだから、気に入らない相手に対して厳しく当たってしまうのは仕方のない事である

しかしぺ氏の普段の主張は前述した通りだ。ならば、作者=テクスト主=D氏という外部文脈、もしくはスキーマを排して文章を虚心に読み込んで対応するのが筋というものではなかろうか。

D氏がクズであることやD氏との過去因縁という外部情報を、今回のD氏のテクストと切り離す。

特に争点にはなっていないはずのD氏の悪行=外部情報積極的攻撃している現状を見るに、

ぺ氏が普段声高に唱えている内在的読解の質についても疑問が生まれしまう。

他ならぬぺ氏自身が、[製作者の人間性と絡めた作品批評は最も唾棄すべきもの]だと言っているではないか

ならば[ツイート主の人間性と絡めてツイートを読み、判断すること]は唾棄すべきことではないのか。

[物語解釈障害であるスキーマに対抗するには]、と書いた本人が、[テクスト解釈障害であるスキーマ]に嬉々として身を委ねているのはどうしたことだろう。

気に入らない人間テクストだというだけでこれほど否定的に反応する人間は、気に入らない作家作品に対しても、先入観を持って読んでしまうのは自明の理

外部情報に踊らされないというのは非常に難しい事で、ほとんどの人間には出来ないと思うが、

ましてぺ氏にそれができるようには全く思えないのである

その辺りのところを、ぺ氏が説明してくれると有難いなと思うし

その辺りのことが説明できないようでは、残念ながら氏のお題目は見かけ倒しと判断されてしまうだろう。

D氏はD氏で、つまらない感想につまらないと述べるのは自由だとは思うけれど、それが相手の目に触れれば怒りを買う事もあるだろう。

ぺ氏ほどの理不尽さは感じないものの、D氏が他人に対して厳しい物言いを何度もしているのは再三目にしており、それ自体

第三者としてはなるほどと思わされる事もあるし面白いとは感じるものの、自分がその標的になったらと考えると辛い。

もし私が同様の絡まれ方をすれば、ぺ氏のようにまくしたてたりはしないだろうが、煙たがってブロックぐらいはするかもしれない。

厳しい読者、というのは欲しい人にとっては得がたいものではあるが、のん気にてきとーな事を書きたい者には歓迎されないだろう。

ぺ氏の感想の行き詰まり危惧するならば、もう少し別のアプローチがあったはずである

結論 どちらも怖いです

2016-07-19

フランス語の知識は知識人常識

バゲットとバケットの区別などどうでもよいという反知性主義的な言説が散見されるサービスはてなであるが、この区別重要ものであることは論をまたない。以下にその理由混同の原因を示す。

混同が起こる理由


これはひとえに、フランス語発音英語発音混同することによる。

バゲットはフランス語のbaguette(発音記号:bagɛt)

バケットは英語のbucket(「バケツ」の意 発音記号:bʌ́kət)

両者はまったく意味の異なる単語である

混同が起こるのは、当然のことながら、話者がフランス語を知らないためである


区別必要である理由


たんに恥ずかしいというだけでなく、英語フランス語区別ができない人が発する言説の信ぴょう性に、深刻な疑義を生じる結果となってしまためである

以下に例を示す。

〔……〕4月に入ってからの、《Nuit debout》(ヌイ・デブ:起きている夜)という運動と関連のデモには特に関心をもっていた。

〔……〕《debout》の言葉からすぐに連想されるのは、「デブー!」が耳に残る《L'Internationale》(インターナショナル)の歌である

〔……〕

Debout ! les damnés de la terre !

〔……〕

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2016/05/nuit-debout-132.html 《Nuit debout》(ヌイ・デブー)のような運動日本にもあってよいんじゃないかと思った. 強調は引用者による。)



Nuit debout(nɥi dəbu)の正しい発音をあえてカタカナ表記すると、「ニュイ・ドゥブー」となる。

フランス語の"u"(ɥ)は日本語にない母音で、ウの口の形をして、イといおうとしたときの音に近い。「ウ」ではない。

"e"(ə)については、

音節母音で終わる音節のこと)の場合、「」に近い。これをけっして「」と読んではいけないことは、フランス語の初級クラスアルファベットを教える回(つまり初回)に、かならず教える。

deboutを、英語のdebut(dibjúː)から連想して「デブー」と読んでしま気持ちはわかるが、まちがいはまちがいである。


次の例。



戦後レジューム」ではなく「戦後レジームである

レジーム」は「和製英語」ではない。その語源フランス語のrégime(制度体制の意 発音記号:reʒimである

これを「レジューム」と発音してしまうのは、英語のresume(rizjúːm)が念頭にあるためと思われるが、当然のことながら、まったく意味の異なる単語である



結論


どれほど博学を披露し、先鋭的な知的営為を行おうとも、フランス語の初歩的な知識がないだけで、それは一瞬にして瓦解してしまう。

バゲットとバケットの区別ができない人間がなにか立派なことをいおうとしても、それはできないことは明白である

中等教育段階においてのみならず、大学進学後もフランス語を必修科目とし、正確な発音習得につとめることが必要理由がここにある。




追記 質問への回答



b:id:c_shiika

Comment allez-vous? から Comment を抜いた場合は「アレブ」って読めばいいのだろうか

正しい。

用例:

Allez-vous-en. Vous n'avez pas d'aptitude pour passer un temps agréable sur Hatena.

アレヴザン ヴナヴェパ ダプチチュード プール パッセ アン タン アグレアブル シュル ハテナフランス人的には「アテナ」))

和訳出ていきなさい。あなたはてなに向いていない。



b:id:theatrical

フランス語辞書何使ってる?


普段使いは以下のものでこと足りると思う。

https://itunes.apple.com/fr/app/dictionnaire-littre/id301211332?mt=8

http://www.lerobert.com/espace-numerique/telechargement/le-petit-robert-2016-pc.html

より精密に読む場合は、読むものの書かれた時代、調べたい分野にあった辞典を使う。

例:中世ルネサンス場合はAncien françaisやMoyen françaisの辞典がたくさんあるのでそれを使えばよい。

17世紀以降は、テクストが書かれた時代に発行された辞書を引いて、その時代認識されていた単語意味特定する。

2016-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20160526202857

昔はどうだったか知らないけど今まともなとこで心理学学ぼうとすると分野の古典テクストとして紹介されるのがダーウィンの『種の起源』だったりするので思ってたのと違うってなるかも

2015-11-28

ポール・グレアムを再読して涙ぐむオッサン

オッサンになると涙もろくなる。

ワイ氏の場合、「人の真摯さ」に弱い。

(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。

ネット世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。

少なくとも、四六時中ネットリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。

ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、

自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。

要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて

足下がお留守になってしまうと本末転倒だと思った。

能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。

それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。

ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。

答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。

から能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。

単に守りの姿勢ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化

するだけの話であって。

とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、

はてブホットエントリを見れば一目瞭然だ。

例えば、はてブで上がってくる書籍関係記事ほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。

いつだかの村上春樹ネット相談で、「小説バカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、

実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが

本当のところではないのか。

しかも下らないライフハック系の記事ホットエントリになったりして、Kindleセールで買えよと思う訳だが、

そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。

それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。

今日、ようやく仕事区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章

落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。

リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。

ハッカーと画家」のポール・グレアム抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。

転載元

http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html

<版権表示>

和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。

(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。

Copyright 2005 by Paul Graham

原文: http://www.paulgraham.com/hs.html

日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)

<版権表示終り>

(「知っておきたかったこと」より)

から卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。

そして自分の能力過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど

多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を

かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、

これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?

風上



この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、

より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。

卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。

ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより

増えるものを選ぶってことだ。

時間無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢

増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。

たとえば、君が大学の1年生で、数学経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、

数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、

経済学大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学大学院へ進むのは難しい。

グライダーを考えてみるといい。グライダーエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると

高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく

限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。

「風上をめざせ」。

でも、どうすればいい? 数学経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。

もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを

いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。

そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。

ごまかしがたくさんあるからだ。

大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな

手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが

いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように

見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に

聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャルテクスト事件だ。

ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないもの

しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、

人文科学学術誌に投稿したら、その論文が採択されたんだ。

一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。

小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているもの

上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安

感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。

ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。

でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダル

勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい安心たからさ。

幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、

そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。

野望



「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、

君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。

たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、

この要求はとても強い力なんだ。 しか高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。

やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の

仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、

学校でいい成績をあげることだと思ってた。

その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために

稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は

自分自身責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。

もっと大事なのは自分自身に対して知的責任を取ることだ。

もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。

学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、

それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。

たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。

同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。

高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに

無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、

きっと後悔することになるよ。

これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。

高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに

「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど

無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。

今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。

子供であることに飽きてきたんだ。

友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな

ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。

毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。

高校で感じる不安感はまさにそれ、精神的な吐き気なんだ。

良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。

でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティ

寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと

じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、

コンピュータプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会生活が実際どんなものだったかを知るとか、

モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で

書けるようなものにはなかなかならない。

堕落



大学に入ることを人生目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない

相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて

入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて

彼らに分かりはしない。 私立の進学校存在することが、その証明になっている。

入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試

かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、

ただ地域公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、

私立の進学校入試プロセスをハックできるってことだ。

君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。

でもそれは、自分の人生空っぽプロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界存在しているほどの

プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、

リアリティTVプロデューサータバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合給料

もらっているわけでもないのにね。

じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。

ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。

から全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。

教師の一人が試験対策アンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。

そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。

今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、

おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって

起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。

きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、

授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試茶番だ。 でも、

反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。

反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。

一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、

言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと

考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。

好奇心



じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを

探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。

そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。

から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する

どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。

この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。

最近、ウェイター募集広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。

本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。

むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。

子供好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心子供のとはちょっと違う。

子供好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。

多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。

だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、

好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。

好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論試験のために

勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘

見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で

それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。

学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ

ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから自律心が無いと全部に

出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタイン言葉を読んで

びっくりした。彼は自律心が無くて、たか一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが

できなかったというんだ。

今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると

いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと

しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙

出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。

自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、

走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が

悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、

仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、

自律心は必要なくなるんだ。

シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい

そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。

いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタイン

とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェル方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと

自問したところにあった。

生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで

何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。

でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。

偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より

高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学面白いということに気づいた。

質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。

ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」

っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界面白くする問いを見つけ出すんだ。

素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、

ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。

これは学問だけの話じゃない。

「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」

これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。

「どうしてみんな自分のポジションに留まってなくちゃならないんだ? ディフェンダーシュートしたっていいじゃないか。」

2015-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20151026181038

お前はなんでもかんでも自分が正しいと思い過ぎなんだよ単純に

つのテクストがあればその読み方なんていくらでもあるし正しい読み方も正しい学び方もお前の中にしか無いんだよ、あるつもりでもな

2015-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20151024023259

 にもかかわらず、エピローグでは、全人類意識ハーモニクスされたように書かれている。

 書かれていない。

 この作者は、自分が書いた設定を忘れている!

 忘れていないと思う。

 以下、簡単に異論を述べておこう。

 まず最初に、すでにはてなブックマークコメントなどでかるく指摘している人もいるようだが、実はこの小説エンディング近くの箇所(以下、「エピローグ」と記す)では「全人類意識ハーモニクスされた」とははっきり記されていない。

 そう読むことも可能だが、べつの読み方をすることもできるのだ。

 おそらく、上記の文章書き手が「全人類意識ハーモニクスされたように書かれている」と考えたのは、結末間近の以下の箇所から推測したからだろう。

 これが人類意識最後の日。

 これが全世界数十億人の「わたし」が消滅した日。

 本テクストは 、それについて当事者であった人間主観で綴られた物語だ。

 「人類意識最後の日」ということは、この日を境に全人類意識喪失したはずだ。おかしいじゃないか、矛盾しているじゃないか、破綻しているじゃないか、こんなものを崇めるSFファンなんてろくなものじゃねえ、と考えることはわからなくはない。

 しかし、ここでは「人類」とは書かれていても「全人類」とは書かれていない。したがって、この「人類」という表現には解釈余地がある。ここで書かれている「人類」は「一部の人類」のことなのでは?

 いや、何も言葉遊びをしようというわけではない。ほんとうにそう読む余地が残されていると思うのだ。というのも、このエピローグでは、かなり慎重な書き分けがされていると考えるからだ。たとえば、この箇所。

 あのコーカサス風景の後の話をしよう。

 トァンが下山して間もなく、老人たちは意識の消滅、社会構成員の完全な一致を決断した。権限を持つ老人たちそれぞれの部屋で、端末にコ ードと生体認証入力される。瞬間、その調和せよという歌を天使たちは携えて、WatchMeをインストールしている人々の許へ、あまねく世界へ、その羽を広げていった。天使の羽が人々の脳をひと触れすると、もうそこに意識意志はなかった 。

 ここでははっきり「WatchMeをインストールしている人々」と書かれている。また、以下の箇所。

 だから暴動はすぐに収まった。

 皆それぞれが思い出したかのように社会システムに戻っていった。WatchMeをインストールしていた世界数十億人の人間は、動物であることを完全にやめた。

 ここでも「WatchMeをインストールされた世界数十億の人々」と限定的表現が使われている。これらを読む限り、作者は「ハーモニープログラム」の効果がWatchMe使用者限定的であることを自覚しているように思われる。

 そう考えることのほうが、作者が突然健忘症にかかって自分の書いた設定を忘れてしまったと考えるよりも常識的ではないだろうか。

 しかし、このエピローグでは再度「人類」という表現が出て来るところがある。

 医療産業社会との完全なハーモニーを見た人類

 今からは推測することも難しいが、かつて「わたし」や「意識」「意思」が選択において重要役割を果たすと信じられていた時代は決して短くなかったのだ。システムに完全に準拠した現在人類にとって、旧人類がヒーローや神と呼んでいたようなアイコンはまったく不必要だが、それを知っておくことも無駄ではない。

 天国なるものがこの世のどこかにあるとしたら。

 完全な何かに人類が触れることができるとしたら。

 おそらく、「進化」というその場しのぎの集積から出発した継ぎ接ぎの脊椎動物としては、これこそが望みうる最高に天国に近い状態なのだろう。社会事故完全に一致した存在への階梯を登ることが。

 といった箇所、そして、ラストの、

 いま人類は、とても幸福だ。

 とても、

 とても。

 という結びのことである。これらの「人類」をも、「一部の人類」のことだと強弁することができるだろうか。

 実はできると思う。というのも、二番目に引用した個所でさりげなく現在人類」と「旧人類」が分けられているからだ。

 ここから、これら一連の引用個所で書かれている「人類」とは「現在人類」だけを指し、「旧人類」とその子孫を廃した言葉であると推測できる。

 「現在人類」とは、当然、ハーモニープログラムによって変容した人類のことを指しているから、つまりエピローグで書かれている「人類」はすべてハーモニープログラムを受けて変わった人類「のみ」を指していると考えることができるだろう。

 ようするに、そのプログラムによって一段階「存在への階梯を昇」った人物にとって、もはやそうでない存在人類として認識されていないと考えられるということなのだ。

 これは、エピローグ書き手プログラムを受けて「進化」した人類のひとりであるらしいことを考えればさほど無茶な想像ではないと思う。

 つまりエピローグにおいてもなお、広い意味での人類すべてがハーモニー化したわけではないかもしれないということである

 そう考えれば、この結末に特に大きな矛盾はないし、破綻しているわけでもないということができる。

 この話には、根拠がある。エピローグ中の以下の箇所だ。

 老人たちがそれぞれのコード入力し、ハーモニープログラムが歌い出した瞬間、人類社会から自殺は消滅した。ほぼすべての争いが消滅した。個はもはや単位ではなかった。社会システムこそが単位だった。システムが即ち人間であること、それに苦しみ続けてきた社会は、真の意味自我自意識自己を消し去ることによって、はじめて幸福な完全一致に達した。

 「ほぼ」すべての争い、と記されていることに注目してほしい。

 これを読みかえると、「(人類社会から)完全に争いがなくなったわけではない」というふうに読める。

 それでは、いったいなぜ争いが残っているのだろう? ハーモニー化して「たましい」を失った人類に争いの種があるわけがない。考えられる結論は、ひとつだ。

 少なくともこの時点では「人類の外部」との戦いがまだ残っていたのだ。その「外部」とは何か? それはまだWatchMeをインストールされていない子供たちかもしれないし、WatchMeが普及していない地方の住人かもしれない。真実はわからない。

 いずれにしろハーモニープログラムエピローグの時点で完全無欠でないこと、そしてどうやら作者がそのことを意識していたことはこの箇所を読めばはっきりしていると思う。

 あるいは作者は、さらなる続編を意識していたのかもしれないが、いまとなってはすべての可能性は失われてしまった。しかし、

 この作者は、自分が書いた設定を忘れている!

 以上のような根拠をもって、この主張は間違いであると考える。

 この作品日本SFオールタイム・ベストに挙げることが正しいかどうか、その成否はぼくが決めることではないが、少なくとも作者が自分作品の設定を忘れているに違いないというのは、端的に正しくないと考える。

 ぼくとしては最低でも上記に引用した箇所はみな作者の計算範疇であると読むほうがよほど常識的だと信じる。

 裸の王様なんていなかったのだ。

 そう思いませんか。

2015-10-12

orangestar 教授愛称アジ子ちゃん)による増田学(II)講義ノート

忘れてる学生も多いと思うけど、村立増田大学北海道)は祝日も授業日ぞな。

ところが、それを知らずに休むやつ、知ってたけど忘れて休むやつ、わかってて休むやつがわんさかいるので、講堂は毎回すっからかんぞなもし。

普通大学でまともな神経を持っている教授なら、こういう日の講義をおまけみたいな扱いにして出席すらとらないことも多いぞなよね。

が、増大はまともな大学でなく、教授陣もまともではない。慈悲を期待するほうがバカぞな。

史学科の orangestar 教授にいたっては「この日にむしろ重要な事をやります」といったスタンス

可愛い顔したぼっちゃんのくせに、心は筋金入りの村ウォッチャーぞな。こわいぞなもし〜。

しかしわしら増田助け合い精神ぞな。

ここに講義に出席してなかったやつらのためのアンチョコを用意したぞな。試験にでるらしい。

録音書き起こしなんで、誤字脱字あるかも。

 ……増田テクストに取り組む基本的規則は、読者が暗黙のうちに元増田と「虚構約束」を結ぶことですが、kanose はこれを「不信の停止」と呼んでいました。

 読者は自分に向かって語られていることが架空の話であると知りながら、それでもなお元増田が嘘をついているとは考えないことが必要なのです。単純には、シロクマが言ったように、元増田真実を述べている「ふりをしている」のです。わたしたちは虚構約束を受け入れ、元増田は本当に脱糞したのだというふりをします。

 自分の書いた二本の記事が数百のブクマカの手元に届くという経験をしたおかげで、わたしは、異例ともいえる現象精通することになりました。一般に数十ユーザーズ(この数は内容によって異なるでしょうが)までは、虚構約束をきちんと理解している村民に巡りあうものです。それ以降、とくに百ユーザーズを超えてしまえば炎上危険地帯、つまり読者が虚構約束に通じている保証のない領域に確実に突入するのです。……



残りは寝ぼけてるあいだにレコーダースイッチ切っちゃったらしく、覚えてないぞな〜

あとでアオニサイくんにノート貸してもらうぞな〜

http://anond.hatelabo.jp/20151011221528

2015-10-06

松永寛和「ライトノベルの著者近影論」

本発表ではライトノベルの著者近影を一〇〇〇枚以上取集した調査の結果を報告すると共に、その変遷の意味を論じる。

著者近影は読者に対し著者をいかに提示するのか、という点において大きな役割果たしている。

我々は漱石や太宰といった作家達の顔を簡単に思い浮かべることが出来る。

その知識、記憶テクストを統括する人格存在を暗示する。

著者近影は近代文学においては作家主義を補強する機能果たしてきた。

しかし、ライトノベルの著者近影は現在近代文学のそれとはかけ離れたものとなっている。

その変遷には作品作家、読者との関係がいかに変化していったのかが表れている。

収集したサンプルは以下の通りに分類した。

1、顔が鮮明に映っている。

2、サングラスや手、帽子などにより風貌を隠している。

3、自分身の回りのモノの写真

4、イラストを使用している。

これらを年代順に並べることによりライトノベルの著者近影がどのような変遷を辿ってきたかが明らかになる。

一九九二年以前は、ライトノベルの著者近影も近代文学と同じように著者の顔をはっきりと映していた。

けれど、一九九三年、神坂一が著者近影にイラストを使用したのを一つの契機として、同様の例が増え始める。

その後、二〇〇〇年に時雨沢恵一がモノの写真を使用したことから、身近なモノの写真が著者近影に使用されるようになる。

現在ではライトノベルの著者近影はイラストかモノの写真にほぼ大別される。

メディア論重要批評家であるヴァルター・ベンヤミン肖像写真と接する時、人々は唯一性、一回性ばかりに注目してしまうと論じている。

近代文学はそのような写真の力に依拠し、著者近影によって作家性を強調していた。

しかし、ライトノベルの著者近影はイラスト、あるいは身近なモノの写真へと移り変わった。

ライトノベルは著者を特別主体としてではなく、どこにでもいる、大衆に埋没するような存在として提示している。

http://amjls.web.fc2.com/PDF2015/P06-25_123.pdf

2015-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20150824154356

増田ハディース学を知らないのかな?

イスラーム聖典の一つであるハディースには「イスナード伝承経路)」と呼ばれるセンテンスがあって、各パラグラフは次のような構成になっていることが多いんだ。

「「「「「~」と、ムハンマドが言った」と、アル・ナントカが言った」と、アブドゥルナントカが言った」と、イブン・アル・ナントカが言った」

本文だけ読みたい非イスラーム教徒が見るとうんざりするような引用の入れ子だけど、当時においてはこのイスナード存在が「出典の担保」という重要な役目を果たしていたんだ。ムハンマド死後の神学者重要仕事は、イスナードに現れる学者名前をすべてクロスチェックし、信用できる引用とそうでない引用を分けることだった。だからイスラーム神学実証主義歴史学の走りだと言う人もいる。

 

さて我々が倫理価値観などについて議論を戦わせる時は、引用を重ねるよりも意味を確かめることを重視するよね。「つまりこういうことかい?」と言い換えて理解のすり合わせを行うこともあるだろう。論理妥当性をめぐって話し合っているのだから論理が正しく伝わるかぎり表現には変化の余地がある。間違って伝わっていたなら改めて別の表現で伝え直してもいい。

しかし究極に高まった存在である高能様のお言葉を読むときには、「こういう意味かな?」などと自分なりの解釈を試みてはいけない。それはお言葉論理の枷をあてはめようとする冒涜行為となる。そうではなくお言葉テクストと捉えて歴史学アプローチ採用し、他分野の人にとっては冗長とも見えるような引用を用いてでも、「一言一句誤りなく伝わっているか?」を重視する必要があるんだ。伝承真正性さえ確かならば意味や角度について思い悩む必要はないんだよ。それらは人生の中でおのずと明らかになるはずだから

 

※括弧の数を直すついでにちょっと編集しました

2015-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20150813215352

ユーフォエロすぎて我が家では全員ドン引きだった

ヴィクトリア朝じゃあるまいし今時ああいエロ表現に振り切った作品を作る意味がどこにあるのか全然からない

下ネタとかモン娘とかは表層のみエロ要素が散りばめられているけどサブテクスト的には一切エロがないので真面目といえばむしろこちら

学歴とか文学素養なんかでエロ意味合いも変わってくるんですかねえ

BPO通報してるのも人口の大多数を占める低学歴家庭だろうし

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