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はてなキーワード: 悶々とは

2017-10-19

担当まだ?」と言えないって話

はてな匿名ダイアリー、私はアイマス系で知った口です。

越境とかライブコールとか色々皆考えているんだなぁと見てましたが、最近自分で少し悩んでいることがあるので吐露がてら書いてみようと思います独白に近いものですから読みやすさもクソもない、ただの思った事を書き綴ったものです。

そもそも悩んでるってほど重いものでもありませんが。

「うちの担当アイドルSSRはまだですか?」

担当のイベ早く」

公式アカウントなんかのリプで見かけたりするこれ。

アイマスはどのコンテンツアイドルが多いですから、順番の遅い子も早い子もいます。当然、自分担当アイドルが早いに越したことはない……のかもしれません。

ただ、私の悩みというのがこの「もっと出せ」みたいなのを思った事がないんです。

私はミリオンライブ篠宮可憐P、SideMで華村翔真Pをしています

ミリマスやエムマスをされてる方ならわかるかと思いますが、二人ともそう順番の早い方でも機会に恵まれている方でもない、と担当としては思っています。もちろん、異論はあると思いますが。

ミリシタのSSR追加や曲追加、エムステSSRにしてももう少し、或いは当分かかることでしょう。

ただ、私はそれに文句がないんです。文句どころか、意見も何も。

「お前の担当アイドルは恵まれてるから文句がないんだ」という意見もあるでしょうが、そうじゃない場合仮定して進みます。もしその意見の通りであれば、それだけの話です。

公式からの扱い、或いは私たちプロデューサーの中でも共通認識ってあるじゃないですか。

何か新しいことやものが始まるとき、まず信号機の三人からってことが多いと思います

で、その三人に続いて「まぁこアイドルだろうな」みたいな流れがあるわけで。もちろんそこは人によって差異があると思います

そうやって展開を考えていったとき、私は私の担当アイドル自然と後ろの方に考えていることに気付くんですよね。

「うちのは当分来ないだろう」「いつも通り最後の方だろう」「最後は言い過ぎにしても早くはないだろう」みたいな。

もちろんそこには今までの経験、悪く言えば公式からの扱いの差を考慮してるんでしょうが、私が悩んでいるのはそれを自分が「当然」と思っていることなんです。

の子に比べてグッズが少ない。出番が少ない。そう思っても「まぁ○○だしそんなもんか」と思っている自分がいて、最近それでいいのかと悩んでいるわけです。前提というか、最早諦念に近い物を自分に感じてしまって、プロデューサーとしてそれでいいのかと。

ミリシタの話になりますが。

確か百合子の「透明なプロローグ」のMVが公開されたとき、怒りの声を上げているプロデューサーを見かけました。

「うちの担当アイドルじゃあ力不足だって言いたいのか」と憤慨していたわけなんですが、私はその情熱に感心してしまったんです。

だって百合子ですよ? 透明なプロローグですよ?

当然そのプロデューサーさんの担当アイドル百合子に劣るとか言いたいわけではなくて、私が「百合子か、そうだろうな」と受け入れてしまったところに抗議の声(?)を上げていることに驚いてしまいました。私は可憐百合子、或いはそれぞれのLTP曲を比べたときに「MV公開なら百合子だろうな」としか思えませんでした。可憐じゃ力不足だって言いたいのか、なんて微塵も感じなかったんです。

先のミリシタMV然りタイトル然り、私がそうならないそう思わないのは単純に自分担当アイドルが恵まれいるからなのかもしれません。その場合はそこで話は終わりです。

ただ、もしそうじゃないとして、それなのに私が憤慨も異論もないのは担当プロデューサーとしてどうなんでしょうか。

声を上げたプロデューサーさんのように(もちろん過激発言は慎むべきだとは思いますが)、待遇改善を求めたりするべきなのではないでしょうか。

或いは現状から脱却すべく、広報なり布教なりなんらかの行動を起こすべきなのではないでしょうか。

担当プロデューサー」を名乗る手前、こういうった現状に不満を漏らす――漏らさないまでも、少しは考えとして抱くべきなのでしょうか。

色々考えていますが、まだわかりません。何せ私は現在担当アイドルが持つ「そういう位置」に全く不満はないんですから

それでも、それだからこそ自分プロデューサーとしてこれでいいのかとどこかで悶々としている次第です。

2017-10-18

議員に「転職」する候補者投票してはいけない

私の友人に市議会議員がいる。彼は日本某産党員としてかねがね活動していて、ある時、周囲から「某市の市議会議員になってくれ」と頼まれ立候補することになった。

彼には実家和菓子屋を継ぐという責任があった。このまま行けば二代目として間もなく家業を継ぐ、という頃であった。だけど、彼はそもそも「こんなレールに乗った人生でいいのか」とかねがね疑問に思っていたらしい。

立候補に際しての決起集会において彼は「『このままでいいのか、何か始めなければ』という悶々とした思いがあって、今回思い切って立候補した」と言っていた。約一年半前「レールに乗った人生は嫌だ」とたった数ヶ月で大学を辞めて起業企図した石田某を思い出す人もいるだろう。

 

彼が家業を継がずに選挙に出ると聞いて、例外なく誰もが驚いた。息子が跡取りになることを想定して事業計画を推進していた両親もいきなりの事に驚愕しただろう。彼は少し前に「一緒にやっていこう」と友人を会社入社させており、その友人も驚いたに違いない。彼を跡取りとして会社が存続するものだと思っていた数多くの社員も驚いた。ローンで家を買ってしまった社員もいた。

 

選挙に出ると決まってから彼はその政治思想喧伝するようになった。人が変わったようだった。例えば「選挙棄権するなんてもったいないですよ」とタクシー運転手説教をし、「是非とも次の選挙では日本某産党に投票してよね」と友人たちに触れ回り、与党たる自由民主党投票したという者に対しては「某産党にしか未来はないよ。それは誤った選択だよ」と諭した。

 

投票日が来た。若さもあって彼は2位で当選した。任期は4年である

 

議員になって1ヶ月後、彼は言った。「やー、本当にやりたかたことって、これじゃなかったみたいなんだよね。何で選挙になんて出たんだろう」

議員になって半年後、彼は言った。「議員なんてもうやりたくない。○○市にいるのが恥ずかしいよ」

議員になって1年後、彼は言った。「金は超貯まるよ。ボーナスも出るし。でもなぁ、議員になんてなるんじゃなかった。某産党になんてもう全然興味がない。隕石でも落ちて地球が滅べばいいのに」

 

彼には議員としてのウェブサイトがありフェイスブックも開設しているけれど、ウェブ上で熱心に情報を発信したのは議員になって初めの1ヶ月だけで、それ以降は殆ど更新していない。飽きてしまったようだ。従って、政治家としての彼の活動を知ろうにも有権者には何の手立てもない。

 

私たちがここから学ぶべきことはたくさんあるけれど、集約すれば「議員に『転職』する候補者投票してはいけない」ということである

 

要するに彼は「選挙に出てみたかった」のであり、「政治家になりたかった」のではないのである。にも関わらず、当該者が当選してしまったらその後数年間、何のプランイデオロギーもなく衝動立候補たまたま当選した暁に「議員になんてなるんじゃなかった」なんて宣う者のために税金から多額の給与が支払われる(法外な額のボーナス議員年金である)。「なんとなく」議員になった者が行き着く先は、某仁多議員のように「なんとなく」無責任に突然辞めるか、某今井議員のように「なんとなく」不倫に陥る(可能性が大いにしてある)。そういう者に私たち税金生活費として渡してはいけない。

突然辞職したり不倫に走ったりしなくとも、「なんとなく」議員になった者が突然に政治に目覚める、なんてことは決してない。「なんとなく」代議士になった者は、その衝動の度合いが凄まじかったとしてもそれは単なる衝動であり、結局は「なんとなく」議員としての期間をやる気のないサラリーマンさながらにやり過ごすことになる。それでもサラリーマンはやる気がない・生産性が低いとみなされれば常時監視している上司に叱責されるが、代議士不祥事でも起こさない限り叱責されることはない。「なんとなく」で金が貰える職業代議士以外にない。

 

比較すれば、特にフリーランスという働き方は自らの人的資本を全力で金融資本に変換する作業を日々行っている。だけど、代議士には生産性はないのであり、税金という金が空から毎月降ってくる。私はフリーランス対義語サラリーマンではなく、代議士であると考えている。

結論私たち議員に「転職」する候補者投票してはいけない。私たちが真面目にひいひい言いながら働いているのが馬鹿みたいだ。あなた過去投票した候補者も、もしかしたら議員に「転職」した者のうちの一人かもしれない。今頃、「議員になんてなるんじゃなかった」なんて愚痴をこぼしながら何の仕事もせず、空から降ってくる税金を懐に収め、あまつさえ不倫でもしているかもしれないのだ。

2017-10-16

駅で知らないおばさんに死ねって言われた

通勤で利用する駅は、ビジネス街の近くで、かなり混雑する駅。

いつも乗り換えの狭い通路を通るんだけど、複数路線の到着のタイミングが重なるとその狭い通路に人が殺到する。

その通路には駅の壁に「左側通行」って書いてあったから、左側の壁にそって歩いていたんだけど、向かいからものすごいスピードで突っ込んでくるおばさんが。

私の反射神経のなさのせいか、避けられず正面衝突。思わず、ウッって声が出るくらいの衝撃。

ぶつかった後も、おばさんはそのまま突っ込んできて数十センチ後ろに押された。

よろけて体制を崩し、すぐ横にどくことができなかったんだけど、どかない私に苛立ったのか「早くどきなさいよ!ばか、死ね!」って言われた。

大きな声で罵倒されたわけではなかったけど、痛みと驚きとで、ちょっと泣きそうになった。

今でも思い出すと悶々とする。

私が悪かったんでしょうか。

悪かったとしても、死ねとまで言われなきゃいけなかったんでしょうか。

2017-10-15

透視図法に一点も二点も三点もない

平行線は同じ無限遠点に消失する」

透視図法の基本はこれだけ。

昔、美術の授業で二点透視図法を習ったとき、斜め向いてる複数の箱を描けるようになって満足していたが、そのすぐ後には

「あれ?これだと、違う角度で斜め向いてる箱はうまく描けないじゃん」

悶々としたものだった。

みなさんは、幼い私のこの疑問に答えられますか?

相当後になってわかった答えは、

「その場合、別の二つの消失点に向けて線を引けばよい」

だった。

なんじゃそれ、ぜんぜん二点透視じゃないじゃん。

これは四点透視とでも呼ぶのか?もちろん呼ばない。これは相変わらず二点透視だ。

思うに授業での教え方と、二点透視図法という名前が悪い。

平行線は何本あろうとも、無限に彼方の同じ点に向かって消失していく。これを消失点と呼ぶ。

それはすべての線が平行である場合に限るのであって、別の角度の線は、別の消失点に向かう。

ただし、観察者の目線に対して垂直な線(つまりキャンパス面に対して平行な線)は、消失点を持たない。

なぜならどこまで伸ばしてもキャンパスから離れられないからだ。

上段を踏まえ、1個の立方体について考えてみる。

立方体には辺が12個ある。これらは4つずつが平行になっている。つまり平行線のセットは3組ある。

3組の平行線があるということは、消失点が3個できるということだ。

これが、三点透視図法、ということになる。

また、平行線の組のうち、キャンパス面に平行なものがあれば、そのぶんだけ消失点は減る。

たとえば観察者の目線が水平であり、かつ立方体が水平な状態(床に置いてあるなど)であれば、12本の辺のうち鉛直な4本はキャンパス面に平行なので、消失しない。

よって消失点は2つとなり、二点透視図法。

さらに一つの面がちょうど観察者を向いている状態なら、横向きの4本の辺が消失しなくなり、消失点は1つ。一点透視図法。

要するにこれだけの話だったことを、誰も教えてくれなかった。

描きたい物体が、全て同じ向きの直方体のみで構成されていれば、上の議論により最大三点までの透視図法で対応できる。

でも、ちょっとでも違う角度の線、たとえば立方体の上に45度回転した立方体が乗っている、みたいな図を描こうとすれば、三点では足りない。

今の例だと最大5つの消失点が現れる。

五点透視図法?そんなのはない。

そんなのはないなら、初めから一点透視も二点透視もないんじゃないか

あるのはただ透視図法だけ。

そう教えてくれたほうが遙かにわかりやすいのに、なぜ美術の授業はあんな風になっているんだろう。

2017-10-14

最近よく眠れなくて、昨日も金曜日で翌日仕事もないのに全然寝付けなかった。

過去の嫌な思い出が次々と蘇ってきて、

ついでに自己嫌悪まで始まってイライラ悶々

運良く雨が降っていて、時々目の前の通りを走る車の音が聞こえてきていたので、

寒いけれど窓を開けて外の空気を吸ってみた。

雨とかすかな風の音がよりはっきり聞こえた。街灯が明るく、深夜だけど向かいマンションにもちらほら明かりがついていて安心した。

頭の向きを変え、窓の外が見える姿勢で枕に頭を乗せてぼーっと街の音を聞き、景色を眺めていた。

ほろほろと涙が出てきた。

窓は開けっ放しで、冷たい空気が喉をついてくる。喉が弱いので朝には痛くなってるかもな…とか考えていた。

資源ゴミ収集車の音で起こされた。

久しぶりに夜中に起きずにぐっすり眠ることができた。喉も痛くない。

今週はずっと雨らしい。

2017-10-09

幸せについて考えている

 最近幸せについて考えている。

 自己啓発書を読み漁ってみたり、幸福学の本を読んでみたり、瞑想をしてみたり。

 客観的幸せ指標については知ることができたが、しかし、私が知りたいのは「どうしたら私自身が幸せになれるのか」ということだ。大学生とき「私は幸せにはなれない人間だ」と直感した。悲観的で自己肯定感が低い私は、どんなに恵まれた状況でも「幸せ」を感じることが出来ないだろうと考えたのだ。こんな私が幸せになれるには、性格から改善するしかないのではないかとある新書によると、楽観的な性格は、幸せ人生には重要らしい。

 そこで私はまた考えてしまう。満足な豚と不満足なソクラテスのたとえ話を。

 楽観的な性格になること、あるいは趣味に没頭したり、スポーツで体を動かすことは、満足な豚になることではないのか。気の持ちようは大事だ。体と感情思考はつながっているだろう。となると満足な豚は決して不幸とは言えないのではないか。ここまでくると「どう生きるべきか」という問題につながってしまう。そりゃあ倫理学的に考えると、「いい人生」とは「不満足なソクラテス」になることだろう。でもそれが決して幸せの実感とはつながらないとしたら。

 私がほしいのは「べき論」ではない。じゃあ豚で満足しろよという話なのだが、しかし、そう簡単に割り切れないか悶々としているのだ。私は満足な豚にも不満足なソクラテスにもなれない、中途半端人間だ。

 そもそもどうして私は幸せについて悩んでいるのか。

 前に書いたように、私は自分自身を「幸せになれない人間である認識している。不幸せなりに生きていくしかない、と思い、割り切って生きてきた。結婚相手を決めた理由も「この人となら一緒に不幸になっても構わない」と思ったかである。が、実際に結婚してみたところ、自分の不幸に配偶者をつきあわせるのは申し訳ないという気持ちが今さらながらに湧いてきた。私は配偶者私たちの子供に不幸になってほしいわけでは決してない。

 そして、そのうちに「もしかしたら私も幸せになれるのではないか?」といった希望までもが芽生えてきたのだ。

 私も幸せになってもいいのだとしたら? 幸せになれるもんならなってみたい。

 ところで、そもそも私は不幸なのか?

 第三者から見れば、私は十分に幸せだろう。衣食住については満たされているし、スキルはないがいちおう働いている。家族自分健康だ。特別欲しいものはない。

 これ以上、何を求める?

 だけど、どうしても、人生に対する漠然とした不安が拭えない。

 私はよく宝くじが当たればいいのに、と妄想しているのだが、もしも億単位(生涯賃金相当)の高額当選たらこ不安はなくなるのかもしれないとは思う。結局、私が求めているのは、「何があっても大丈夫」と思える人生担保なのではないか。と考えると、結局幸せになるのに必要なのは、「私は何があっても大丈夫」と思える自己肯定感なのかもしれない。

2017-10-08

いきなりステーキで納得いっていない話

突然だが、私はいきなりステーキが好きだ。

ランチやディナーの選択肢として真っ先に候補が上がり、

今いる地点から一番近いいきなりステーキに入る。大抵の店舗位置は把握している。

少食なので300gのワイルドステーキを頼む。

最初レア気味の肉を何もつけずに肉本来の味に、それを引き立てる塩・コショウとのバランスを楽しむ。

一口噛むとその弾力と肉の旨味に思わずため息がでる。

フェーズ2はステーキソースをつける。程よく鉄板で温められた肉がまた別の顔を見せる。

フェーズ3及びラストフェーズは少し多めの塩・コショウを用いて心地よい刺激と残った甘みのある脂身を味わう。

このように食べ方にもこだわり、そしてプライドを持っていつもいきなりステーキを食べているのだ。

今日も近くのいきなりステーキに入った。

18時台ともあってあまり混んでおらずコンディションも良い。

いつものように300gのワイルドステーキを頼む。

待っている間も当然シミュレーションを行う。

そして到着したステーキ驚愕した。

塩・コショウが明らかに「かかりすぎている」のである

まずはそれを嗅覚で感じる。

ツンとつくコショウに顔をしかめる。

「なるほど、この店ではこの量が標準なのか」

と思いながらステーキを改めて見る。

すると新雪のごとくコショウが層になっているのだ。

これはもはやステーキという料理ではない。

ただ、味も見ずにクレームを出すのもおかしいと思い、恐る恐る口にする。

初めて海水を飲んだ時を思い出させるような味だ。

これはもう食べれない。そう思って、店員さんに

すみません、これって標準的な塩・コショウの量でしょうか?少し濃いような気がして。。。」

と訪ねた。

少し間をおいて「はい、標準です。」と答える。

その表情から確信を得た。調理ミスだと。

「標準なのですね、ではこのまま食べます。」

と、納得は行かなかったが、このまま食べることに。

すると、

「あの、、、お口に合わないようでしたら取り替えましょうか。。。?」

店員は言った。

「いやいや、お口に合わないとかじゃなくて、明らかにコショウかけすぎているものを出してますよね?」

「いえ、標準なんです。。」

「標準ならいいですよ、このまま食べますから。」

「いえ、お取り替えさせていただきます、、、」

いやいやいや、じゃあ調理ミスを認めろや!

そもそも標準じゃないですよね?食べて見てください。」

「いえ、店内では食べれなくて、、」

「これ標準じゃないですよね?これ標準だとしたら人の腎臓リソースなんだと思ってるんですか!?

「標準なんですが、お口に合わないようなのでお取り替えさせていただきます、、、」

「、、、じゃあお願いします」

というやりとりがあり、結局取り替えてもらった。

その後出てきたステーキの塩・コショウの薄さにまたイラっとしたが、

薄いぶんにはカスタマイズできるので何も問題ない。

しかし、持ってきた店員も一様に

「標準の塩加減なんですよ」

という。

なんなのか。

もしよ、もし仮にすぐに調理ミスだと認めてくれるなら、

すみません、これって標準の塩加減ですか?」

「あ、、すみませんこれはかけすぎですね、、すぐにお作り直します」

はい〜」

で終わるからね!

それを無駄に、問答させるかね。

そもそも明らかに塩加減を間違えているものを客に出すんじゃないよ、

っていう話もあるけど、ミスは仕方ない。誰にでもある。

ただ、それを認めず、

こちら側を「いきなりステーキの味にフィットしてない客」みたいに

やれやれ仕方ねぇな変えてやるか」じゃないんだよ!

というわけで、未だに納得いかずに悶々として記事を書いた次第である

2017-09-30

https://anond.hatelabo.jp/20170930162822

2話まで書いてペン置いて一年悶々として諦めきれずに戻ってきたのでもう止まれないっす。

動きながら習ってきます

2017-09-28

悪酔い

昨日飲み会から帰ってきた夫が珍しく泥酔していた。

ほどなくしてトイレに駆け込んだと思うと、ゲーゲーと…。

水飲んで早く寝なさいと言っても、なぜか全裸になってベッドに飛び込む。

流石に腹が立って、もうしらんぞ!といっても、迷惑掛けてごめんよぉ〜と叫びながら足をバタバタさせる。

吐き気がすごいらしく、それをやり過ごすためなのか、ゴロンゴロンとベッドを転がったり。

もしかしてこれ急性アルコール中毒かいうやつちゃうか…。と一瞬不安になったので、とりあえずググる

急性アル中ではなさそう。まあ、意識あるしな。

でもまたトイレに吐きに行ったし不安になってきた。

しかインターネットでいろいろ調べても書いてることがバラバラ

吐いてるときは水分はとらせるなとか水分とれ、とか。

酔ってるときスポドリ有効とか、スポドリは飲むなとか。

最初から信用はしちゃいないけど、ひどいもんだなこりゃ。

と、いっそ救急外来につれていくかと悶々としていたら、隣からいびきが。

そのあと、私もすぐ寝た。

2017-09-27

anond:20170926230150

「こういう時期は中高で乗り越えたわーw」とか言ってる連中は全員法螺吹きだからな。

一言言いたくてしょうがない連中もまだ悶々として残ってる。

コメの一つ一つからイキリオタクに似た悪臭がすごい。

2017-09-17

彼女に教えられはてなを始めるようになったが疑問がある

カテゴリー毎に纏められた記事は良質なものが多く、

明らかにツッコミどころがあるような記事に対して付くはてなユーザーコメントは正に一刀両断の如く痛快。

そこにはSNSによく見られる馴れ合い空気は無く、はてな雰囲気は正に私にピッタリのサービスだった。

しかし…時折全く解せない記事ホットエントリに上がるのを目にする。

解せない記事の内容は、殊更に取り上げることの必要のない当たり前の事をまどろっこしく書いていたり、単純に面白くなかったりと色々ではあるが、

共通するのは「すごーい!」「今度私も試してみますー」「面白そう!」といった鼻に付くぐらいの馴れ合い臭さを漂わすコメントだ。

そんなコメントを目にする度にこんなのはてならしくない、明らかに異質だと悶々とした感情を抱えるはめになるのだ。

この事を彼女に話しても、悲しそうな顔をして「見なかった事にしてスルーしよ?あまり深くは考えない方がいいよ」と濁すだけだ。

私は、はてなと言うものを誤解しているのだろうか

私が感じる異質さの原因は記事ではなく私にあるのだろうか

異質な記事ホットエントリに上がる度に自問自答をしている

息子に興奮してしま

息子に興奮してしま


私…40歳主婦

息子…17高校生


最近、息子に興奮してしまう。

もっと正確に言うと、抱かれたいし抱きたい。そういう行為を息子としたい。


小さい頃からそう思っていたわけではなく、

最近息子が男っぽくなってきてから意識するようになった。

こういう感情おかしいというのはわかっているので、

文章にすれば冷静になれると思って書いている。


例えば、風呂上がりの全裸の息子を見るとゾクゾクする。

サッカー部の息子は腹筋が割れていて逞しく、無駄な肉が一切ない。

最近息子は下着(パンツ)を自分で買うようになったのだけど、

洗濯をする時に私の知らないパンツを見るとまたゾクゾクする。

自分の部屋で自慰行為をしていると思うのだが、手伝ってあげたい。

そんな妄想が日々募り、悶々としてしまう。


本当におかしいと思う。

こんな気持ちになってしま理由をいくつか考えてみた。


1.単なる欲求不満

もう旦那とも10年以上レスなので欲求不満なのかもしれない。

そんな中、旦那以外で一番身近な男性意識してしまったのだろうか。

不倫をする勇気若さもないので、息子なら…という気持ちになるのかもしれない。


2.昔の美しかった自分に対してのナルシズム的感情

息子を見ていると、若く美しかった頃の自分を思い出す。

日焼けしてもシミのできないハリのある肌、

コシのある髪、脂肪のつきにくい体。

そんな美しかった私の遺伝子に対して興奮するのかもしれない。


3.息子への独占欲

もう少ししたら息子には彼女ができるだろうし、

いつか結婚もする。それが嫌で、繋ぎ止めておきたい気持ち

性的気持ちになっていくのかもしれない。


全部当てはまる気もするし、どれも当てはまらない気もする。

こんな気持ちになる母親は他のもいるのだろうか。

また、どうしたらこ気持ちは鎮まるのだろうか。

2017-09-09

恋に似たもの

簡潔にはなしを進めていくのは物事を整理する上で大事だ。

けれど、日本人らしさ。思いを伝えるには、誤解を恐れずに表現する必要があるんだろう。

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ある女性に恋を抱いていた。と思っていた。

仕事ができる。社交性がある。器用で、あたまが良く回る。責任感も強い。

理想上司だ。それでいて年下の女の子だ。年下に見えないところも魅力的だった。

けれど欠点があった。

陰口を言う。罵倒する癖がある。モラハラ無頓着で後輩にあたっている。

特に自分は、陰口や悪口を言わないことをモットーに生きている。(批判はする)

もし本当にそぐわないのであれば本人に直接言うか、黙って去る。

彼女には良さがある。だが、欠点が許せなかった。

尊敬していただけに落差があった。

それでもやはりいい面を持っているので、「変わったらいいのに」と思いながら悶々仕事を共にしていた。指摘もしていた。

なんども気持ちが揺れた。告白には踏みとどまった。

いやどう考えても、もっとよい女性はいるだろうと。

その後アルバイトを辞めた。「別のアルバイトを.....」と転々とした。結局、ニート大学生をしている。

今振り返って思う。

仕事を一緒にする人との相性が大事:「嫌いな部分」が許容できる範囲内なのか

生理的許容範囲内、好きな部分と嫌いな部分がある、接触距離が近いと「ちがう恋心」を産む

・指摘する回数を増やしてみる(気持ち)

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彼女は今、高卒認定を取ろうと勉強をしている。

前に本人から聞いた。彼女専門学校中退している。

シフトが一緒に入ったあるとき「あたしバカから」と言っていた。勉強が嫌いそうだった。

バカって(言葉)使うなよ。そんなに器用で頭も回るのに、もったいない」と言ったら笑ってた。

どうか受かりますようにと願っている。

残りの人生も上手くいきますようにと願っている。

2017-09-06

anond:20170905202824

そうか、別に断ってもいいのか。

デートっていうか食事自体は随分前から約束してるので、ドタキャンはしないけど、セックスパスすることも考えるわ。

一人で悶々としてたから反応あって嬉しかった。ありがとう

2017-09-01

結婚を決めた理由

出会い系大好きで、少し派手でセックスに興味津々な女の子達と、軽いセックスしまくってた自分があっさりと昔からの知り合いで大人しいタイプ女の子結婚した。

はいい人だけど自分タイプではなかったけど、結婚相手としては最高だった。

だが、嫁に決めたのは別に好きだからというわけではない。結婚がしたかった、幸せ結婚がしたかった。だからだ。

嫁と付き合う直前、自分は3人の女性関係を持っていた。

1人は同い年の人妻10年以上関係のあるセフレだった。だが、その人妻から旦那と別れておれに乗り換えたいオーラが出始めていた。しかし、こいつには金が無かった。おれの全おごりなのに、それを当たり前とし感謝もしてくれなかった。抱かせてやってるんだよ?といわんばかりだった。

1人は新卒ナースだった。この娘も結婚願望が強かった。看護学校の頃から関係があって、おれが結婚したいことをぽろっと言ったら、仕事も辛いし早く結婚したい的なことを言いはじめた。そして若いいかワガママでよく約束時間に遅れた。かつ、とても部屋が汚い。片づけがダメで、毎回、セックスが終わると彼女の部屋を片付けるてから帰ることを繰り返した。おれが片付けるところをヘラヘラ笑っていやがった。

1人は少しメンヘラ美女社長社長といっても1人でしてるのでそこまでの金持ちではないけど金には困ってなかった。

この娘におれは1番まってた。本命だった。

性格も本の趣味もあったし、一緒にいて1番楽しかった。

人妻よりはエロくないけどセックスもまあまあ積極的だった。

ちたみに人妻エッチだった。野外も後ろもなんでもありで、キスするだけであえぎ声を出す女だった。

ナースエロくはないが、ちょいぽちゃでおれが2人目ということもあり、初々しかった。不慣れなフェラが愛おしかった。

しかし、おれの本命は女社長だったし、女社長も俺が女社長と一緒にいたがってるのはわかってたみたいだ。

ただ、女社長特に関係ダメだった。外人の男が大好きですぐやってしまい、そして外人の男がストーカーするというのが何回も続いた。

ストーカーに怯え、ダメンズホイホイな自分に苦しみ、それをおれが慰めるというのを何回も繰り返した。

だが、ついに自分限界がきた。一緒にいて楽しい、ずーっと一緒にいたい、けど、いたら辛い。

そして何より相手結婚願望がない。

それに気づいた時、初めておれは自分人生をどう過ごしたらいいのか考えた。

人妻再婚相手になる?そしたら子連れ再婚?子作り能力に疑問があるにはいいのでは??

いや、他人の種で産まれ小学生にもなる子供を愛せるわけがない。そして人妻金コマでおれと結婚しようとしてるのはわかってる。そんなの嫌だ。

新卒ナースと?単に若い肌が良いだけであって、話も合わないし疲れるだけだし、こいつも単に仕事から逃げたいだけだろ?

そんな悶々としてる時に、今の嫁と残業後に深夜にご飯に行くことになった。

けど、口説こうとかエッチしたいとは思わなかった。エロスのかけらもなかった。

5年前なら何にも楽しくないと思っていたはずだ。やりたくならない女なんか興味すらもてない。

なのにこの時はこの女でいいんじゃないかと考えた。

思ったわけじゃない。考えた。理性的に考えた。

何も刺激はないし、話も合わないところは多いけど、それでも一緒にいても苦痛ではない。

苦痛じゃなかったら、それでいいんじゃないか?

そこからはとても普通にデートを重ねた。今までの経験のおかげで、嫁を楽しませる技術はあった。

そのまま自然結婚することになった。

友達達は何よりおれが結婚することに驚き、そして相手がおれのタイプとかけ離れていることに驚いていた。

なんとなくよくある小説じみている話だと自分でも思う。けど現実だ。

恋愛結婚は違うってよく言われる。それは本当だった。今は幸せだ。そして、今では嫁もエロくなってせっせと子作りにはげんでる。

だが嫁には言えない。他に3人女がいて、その女達と比べて1番タイプじゃないけど、結婚相手としてふさわしいから君を狙い落としたんだと。ある意味だましたようなもんなんだと。

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-08-16

牛乳石鹸CM普通に心動かされて牛乳石鹸買いたくなったけど?

30代前半、妻と2児を持つサラリーマンです。このブログもあのブログもそのブコメも結局のところこのCMダメだという烙印を押してるんだけど、自分には普通に刺さったしあまりに温度差を感じたので少し書きます

http://b.hatena.ne.jp/entry/pokonan.hatenablog.com/entry/2017/08/15/194731

http://b.hatena.ne.jp/entry/zuisho.hatenadiary.jp/entry/2017/08/16/015649

自分父親と、そうなれていない自分比較して、葛藤というか悶々として、小さな一念発起(家より後輩を優先する)が見事に裏目に出て、あーあって色々嫌になって風呂入ってさっぱりしてまあいっかってなって、妻にごめんねして息子とも仲直りする。翌朝少しすっきりして(たぶん葛藤に対して大した結論は出てないけど風呂入ってさっぱりしてまあいっかって一時的になってる)また日常

いいじゃん。こんなこともあるよね。自分にも身に覚えがあるような気がするし、感情移入して見れたのが大きいことは認める。

id:wacok いや、そもそも映像作法おかしいのでテーマが読み取れない作りになってるのがまずい。笑いながら怒っている人を見ているような居心地の悪さがある。読み取れる人はかなり主観補正を入れてるはず

>「読み取れる人はかなり主観補正を入れてるはず」という点は上に書いたように同意。でもそういう主観補正を入れられる人って一定数いるんじゃないかと思うし、製作者サイドもそう思ったんじゃないかな。

id:iiiloveuuu07 しかも朝の場面で妻がスーツ着てるから共働きの設定なんだと思うんだけど、なんであの夫はゴミ出しするのとか子ども誕生日ケーキ買ってきてって言われたくらいであんなに恨みがましい目をしてるの…??

>「・・・って言われたくらいであんなに恨みがましい目をしてるの…??」恨みがましいんじゃなくて冒頭の葛藤とか悶々としている様子を表しているだけだと思う。ゴミ出しとか誕生日ケーキとかはそのことと何の因果関係もない。

id:ryun_ryun 「結局何も洗い流せていない」これに尽きるから大失敗でいいと思う。

>(多少は)洗い流せたから(多少は)晴れやかな顔になってるよね。

id:akirafukuoka 企業の主張は自由でも、旧来の家父長制的価値観肯定する、しか石鹸メーカーがというのはかなり信じがたい。どうせこのお父さん自分石鹸買わないでしょ?その人におもねって意味あります???

>「家父長制的価値観肯定別に肯定してないでしょ。その価値観現代の家庭を大事にする父親という価値観の間で揺れ動いていることを表現しているだけ。

「どうせこのお父さん自分石鹸買わないでしょ?」妻と買い物行ったりネット通販するときに「石鹸切れたけど次何にする?」って聞かれるんだよ妻に。その時にこのCMを見てたら心のどこかに引っかかってて「牛乳石鹸」て言うよ。俺にはそういう形で刺さったよ。

うじうじした男のうじうじした物語だってのはそうなんだろうけど、そういううじうじって結構あるんじゃないの?推奨されるもんじゃないけど。

2017-08-06

まり良い思い出がない精神科医

私に薬を飲むことを強制してきて、それを拒否ったら露骨に不機嫌さを出してきたのであまり良い思い出がない某聖マリ精神科医

でも、「あなたの状況なら、そりゃうつになっても仕方がないよ……」って言ってくれてたことを急に思い出した。

自分うつは甘えじゃないかと考えて悶々として暗くなっていたので、その言葉を思い出してほんの少し救われた。

良い意味でも悪い意味でも、感情を表に出す精神科医だった。

2017-07-30

明日

10年間くらい好きだった人に告白する。

友達には十分すぎるくらい励まされたし、明日に備えて早く寝ようと思っていたのに、悶々として眠れないので増田に来てしまった。

頑張れ明日の私。

追記

振られると思って早く寝ろって言葉で逆に変な期待する気持ちが減ってすんなり眠れた。

そして告白成功しました、ありがとう

2017-07-29

ローマタクシーボラれた話

ローマにいる。たった2時間ほど前までに起きていたことを書こうと思う。読んで楽しい話ではないと思うが、やりきれないので吐き出したい。

イタリアには一週間ほど前に到着し、あちこち見て回って明日の便で東京に帰る。出発前の前泊をするために、夜中8時にローマ空港に到着した。私、妻、10歳の息子の3人であるローマ空港は市内から30分ほどのところにあり、時間も遅いため、タクシーホテルまで向かうことにした。ローマ空港から街までのタクシー料金が固定であり、48ユーロである(とゆるい知識としては知っていた)

タクシー乗り場の列に並んで、私たちの番になった時、後ろの方から一人の運転手が我々に声をかけ、荷物を運び始めた。タクシー乗り場では、黄色ベストを着た係員が客をクルマに振り分ける。この運転手は係員の振り分けを受けていないので怪しい(あとから思えば)。とはいえ、まあよかろういう感じて男に連れられて車に向かう。確かこの時、息子がパパ大丈夫?と、私に聞いて、大丈夫だよ、と私が答えた(この下りを思い出すと悔しさが増す)。男は荷物をひったくるようにしてトランクに放り込む。強引である(後から思えば)。

助手席に乗り込むと同時に、私はいくらだ?と聞く。メーター制でない事前交渉式のタクシー旅行する中で何度となく経験していた(ので、ちょっといい気になっていた。今から思えば)。すると今は夜間料金が60ユーロで追加で荷物料金がかかる、ということを早口でまくしたてる。早口のところがよく聞き取れないが、あぁ、みたいなぬるい返事をした。怪しいならば車が走り出すのを待たずに降りるという手もあった(後から思えば)。おい、ホントにそんな値段なのか、と聞くと、ほらそこの看板に書いてあるだろう、と男が指差す(が、どこを見ればいいかからない。ここで無理に止めて確認する方法もあった)。車が走り出した。この時点で勝負あった(今から思えば)。

車が高速道路を走り出した後に、私と妻とで、やはりこれはおかしい、ということになる。強い語調で、で、いくらだ、と聞くと男が75ユーロだという。無線LANネットタクシー料金制度確認し、やはりおかしいので、おいお前いい加減にしろ、48ユーロだろう、というが、一向に話を聞かない。今すぐ空港に戻れ、といってももちろん戻らない。そんな感じで、街中までの道すがら、30分あまり、押し問答を続ける。子供もそれを聞いている。ヤバいところに連れて行かれると怖いので、GPS地図を見ると高速を降りた後にホテルの方向には向かってはいる。警戒のために、嫁との日本語の会話でGPSという単語をわざとらしく混ぜる。

そうこうしてる間にホテルに到着する。あっさりおろしてくれるのだが、金を払わなければトランクを開けない、という。運転手とは私が会話を続け、48ユーロか、運転手の主張する75ユーロかの押し問答を続ける。妻は子供を連れて、ホテルフロントに助けを求めに行く。

ホテル人間運転手に声をかけるのだが、運転手ゆずらない。ホテル人間もある程度話を続けると、勝手しろよ、という感じで肩をすくめてホテルに戻ってしまった。これぐらいのことでは警察も呼べない、という。

結局ホテルの前で30分近く押し問答をしたが、こちらが根負けして70ユーロを払って終了した。当初の向こうの言い値よりは5ユーロだけ安くなっていたが、完敗であるホテルの前のオープンテラスレストラン人間たちは店員も客も含めて、一部始終見ており、時折口を挟んで来たり、終わった後に私たちに声をかけて来たりしたが、結局は他人事なのでホテル人間同様に役には立たない。車のナンバー写真で撮ったが、運転手もどうぞご勝手に、という感じであった。

たかだか正規料金より余分に払ったのは22ユーロであるが、おそらく自分にとってはこれが最後かもしれないイタリア旅行の思い出が最終日前日に台無しにされたことが悲しい。金を払ってホテルチェックインしたのは夜の十時過ぎで、気分転換食事に行くこともできない。悶々として、これを書いている。妻と息子は眠ったようだ。

ホテル人間レストランで見ていた人間はなぜもっと助けてくれないのか、空港からの固定料金制が機能していないではないか、という思いもあるにはあるが、一方で私もわかってはいる。ほかの誰か、ほかの何かが悪いのではない。いや、運転手、一番悪いのは勿論お前だが、それ以外ではダメだったのは、他ならぬ私だ。油断して家族を守れなかった私だ。息子よ、ごめん。海外よりディズニーランドがいいと、出発する前に言っていたよね。もう遅いかもしれないけど、海外のことを嫌いになるな。妻よ、頼りなくて申し訳ない。これを書き終わって眠ったら、私も気持ちを切り替えて、明日の残り半日を少しでも楽しめるように努力する。

2017-07-18

バイト先の上司ケンカした

何がたちが悪いかって、自分がその上司に対して何かムカついているわけではないこと。むしろ恩師だとも思っている。

なまじ怒っているわけではないから余計に悶々とする。誰か解消する方法ない?

2017-07-13

https://anond.hatelabo.jp/20170713153406

うれしい

 

昨日「主産業が無い地方は何で経済死んでないんだ?」って悶々となってあれこれ悩んだ結果がこれ

通勤途中に泣き喚く小学生に声をかけた

方向性ないちょっとした愚痴

今日も爽やかな夏晴れ、ジョギングも終わったし出勤準備もオッケー。

さて今日会社に行くかと家を出たすぐの道路で、見たことのないかなり太めの小学生男児が泣いていた。

(私は毎朝8時半というやや遅めの時間に家を出るためか、近所の小学生とあまりすれ違わない。)

最初はなんかまあ家で叱られたのかなと思ってスルーしようとしたけど、一度泣き止んではまたウッウッウッ、ウァーーーーと泣き出す。

とにかく尋常でない泣き方だったので「家庭内虐待か、それとも学校いじめか?」と思って、声をかけることにした。

大丈夫?」

大丈夫じゃない!(ヒステリック気味) 学校行きたくない!!」

「なんで?」

「ぃなんぐんれん!!!ウァーーーー!!!!」

なんのこっちゃ。

よくよく話を聞くと、今日学校避難訓練があるらしく、そのサイレンの音が嫌いで朝から学校行きたくないということだった。

正直拍子抜けした。

避難訓練行きたくない要因の一つに過ぎないのかもしれないけど、小6男児がウァウァ泣くほどのことなのかーとか、避難訓練必要性認識&周りと協調しないで自分の主張を通そうとするのかーとか悶々としてきた。おまえ、ハンターハンターゴンなんて12歳でハンターライセンス取ってるし、13歳に至ってはゴンさんになってんだぞ?おまえ来年ゴンさんになれるのか?

「いぎだぐないいぎだぐないいぎだくない!!!

しかし小6男児ヒス泣き声は続く。なんでこんな爽やかな朝から見知らぬ男児八つ当たりをされないといけないのだろうか。

仕方なく小学校電話しようと思ったけど会社遅刻しそうだったから、集会所にいる母のところに連れて行き、事情を話してバトンタッチした。

母や周囲のおばさんたちも多少驚いていたようだけど、「ああ了解しました。小学校に連絡しておきます。」、少年には「きみ、とりあえず集会所で休んで行きなさい」に続いて私には「もしかしたら特殊学級のお子さんかもね。」と小声で言ってくれた。

ここまでの流れで、正直モヤモヤとしていた。

母の小6の子への優遇に「私が小6時代に仮に"避難訓練サイレンがうるさいか学校行きたくない"とワァワァヒステリックに喚いていたら叱ってたのでは?」なんて思ったのである。(もちろん私の場合避難訓練の日は授業が潰れる嬉しさに泣かずに喜ぶだろうけど)

もちろん時代も違うし、母も私も年を重ねた。母に関してはよそのお子様という視点もあるけど、私の子時代・親を含めた周囲の大人たちの私に対する扱いと、今のお子様の扱いってこんなに違うんだなあなんて、羨ましいとか嫉妬とかそういう次元ではない別の感情で考えてしまった。

帰宅してことの成り行きを尋ねたところ、やはり軽度の特殊学級の子だったので、学校先生が迎えに来たとのことで安堵した。

ただそれでも、自分にとても厳しかった母が他人の子には丁寧に接する姿と、私や母の対応をさも当たり前かのように受け取る小6男児に対して、どうしようもないそこはかとない苛立ちを感じた。

特殊学級の子差別する気はないけど、事実として自分はいわゆる健常児・普通学級で育ち、そこの扱いに対して文句を言うのもお門違いだと思っている。ただ、自分に厳しかった人が他人に優しく接し、自分が気に入らないことに対して泣き喚いて感情を爆発させる小6男児を目の当たりにして、疲れたのかもしれない。

要するに余裕がないなあ、なんてしみじみ思い知らされたんだけど、こういう心持ちはどうすればいいんだろうか。

2017-07-11

助けてくれ、はてな恋愛

会社があるビル受付嬢が可愛すぎて、悶々と寝られない日々が続いています

はてな恋愛マスターの皆様、受付嬢といい感じになる方法をご教授ください。

2017-07-10

僕は人間じゃないんです。

僕は人間じゃないんです。

本当にごめんなさい。

そっくりにできてるもんで、

よく間違われるのです。

今は某広告サラリーマンをしています

まわりは普通にみんないいひとばかりです。

でも、僕がそもそも人間じゃないので、

もうちょっと限界なんです。

小さい頃から、何をやってもダメでした。

スポーツ勉強ダメでした。

絵を描くことと工作だけは大好きで、

発明クラブに入りました。

いっぱい賞をとりました。

本当に本当に楽しかったです。

けれどいつもひとりぼっちでした。

だいたいいつもトラブルを起こして、孤立しました。

中学でも高校でもそんな感じでした。

友達ができてもいつのまにかひとりぼっち

挨拶、返事、愛想笑い、そんな当たり前のことができませんでした。

うわべだけの付き合いがどうしても無理でした。

おもしろい返しができませんでした。

どうやって自分は生きていけばよいのだろうか。

なんのために生まれてきたのだろうか。

何になるのだろうか。

そんなことを考えながら本を読んでいるうちに、気がつくと高校を卒業していました。

高校を出て予備校に通いました。

いっさい勉強に身が入らず、集中できず、予備校に行かずに本屋に通っていました。

そのうち家に引きこもって勉強するようになりました。

でも、全然勉強はできませんでした。

気がつくと二度目の受験がやってきて、全く勉強してない僕はもちろんどこにも受かりませんでした。

そうして、僕はニートになりました。

本当に、本当に、孤独になりました。



求人情報誌を買っては電話をかけ、ことごとく面接で落ちました。

なんとか決まったネットカフェでのアルバイトは1ヶ月半で退職しました。

そうして、またニートになって、いてもたってもいられなくなって家を出ました。

北海道の片田舎から東京に出て、本当に、本当に、本当に孤独になりました。

ネットカフェ転々としながら暮らしました。

ネットカフェ難民なんて甘ったれた奴ら。山谷にいけば仕事も寝床もあるのに。甘えるな。」

都知事がこんなことを言っている張り紙を見つけました。


甘ったれた僕は家に戻りました。

甘ったれた僕は東京学生寮に住みました。ニートなのに。

甘ったれた僕は一回2万円の家庭教師についてもらいました。親の金で。

甘ったれた僕はその家庭教師に2ヶ月でやめてもらいました。金がもったいなくなって。

甘ったれた僕は親にそのことは言わずに参考書を買いあさりました。けど全然勉強してない。

甘ったれた僕は必死に勉強しているフリを続けました。

甘ったれた僕はセンター試験で昨年と変わらない点数をとりました。

甘ったれた僕は国立なんか鼻から行く気もないのに国立に向けて数学とか勉強してて私立対策は一切してませんでした。私立目指すのは家の経済事情的にはありえない選択

甘ったれた僕は親に全ての金を払ってもらい私立を受けまくり早稲田大学に30万円お布施しました。

甘ったれた僕はたまたまなんとなく運が良くて慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に受かりました。お布施はしてないのに。


甘ったれた僕は甘ったれ大学に入りました。すべて親の金で。母がコンビニパートして働いて稼いでくれた金で。




僕は2年間の孤独を取り戻そうと、必死に必死に友達を作ろうとしました。

でも、僕の顔はやつれていました。

20歳なのに30歳くらいの顔になってました。

ああ、人は人と関わらないと人を遠ざけるような顔になるのです。

友達はできたけど、すぐ離れていきました。

好きな人はできたけど、すごく嫌われました。

音楽がやりたかったけど、楽器全然身につきませんでした。

バイトははじめても、すぐに辞めることになりました。

自分では普通に挨拶してるつもりなのに、感じ悪いとか無視してるとか言われるようになりました。

そうやって言ってくれる友人も、次第にいなくなりました。

すべてを悪いほう、悪いほうに考えるようになりました。


僕は実家に帰りました。

精神科をぐるぐるぐるぐる回りました。

そのころ、僕ははてな投稿しました。

変人のはなし」というタイトルでした。

反響を呼び、年間35位くらいになりました。

ひとは、ひとの不幸が好きです。

自分を切り売りしてやっと私は誰かの価値になりました。

でも私は自分人間じゃないことを認めたくなかった。

普通の人」より「変な人」のほうが価値はあると思っていました。



から私は行動しました。

いろんなバイトをやりいろんな研究室に入りいろんなことを学ぼうとしました

けれども全く集中できない、続かない。

あーやっぱり俺はそういう「タイプ」の「人間」なのかな。信じたくないけど、そうなのかな。

そんなことを考えてときどき鬱になりました。

1日に3回はかならず「死にたい」と口にしました。

頭の中での口癖でした。

けれども、行動しなきゃ始まらない。

けれども、行動しようと思って1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、4年が過ぎました。



RADWIMPS野田洋次郎に憧れて

慶應義塾大学に進学しました。

けれども僕は、彼との共通点ひとつもありませんでした。

ギタードラムもDTMもひとつ習得できませんでした。

想像を絶する音痴でした。

ホリエモンに憧れて

東京大学に進学しました。

起業したいと思ってプログラミング起業家インターンをしても

全然起業できませんでした。

金も人も僕には集まりませんでした。

つのサービスを作る能力を身につける集中力すら、ありませんでした。

北野武太田光に憧れて

芸人養成所に入りました。

バイトも長く続かなくて金のない僕は、

親が退職したことを理由にもらった奨学金を入学金につっこみ、

お笑い芸人を目指しました。

けれども僕はネタをつくる集中力

周囲と徒党を組むコミュ力

事務所の人に気に入られる政治力

その他もろもろの器用さが一つもありませんでした。

相方はいつのまにか別の人とコンビを組んでました。



大学で過ごした4年と半年で僕は何も身につきませんでした。

お金能力知識研究も実績も人脈も

なにもありませんでした。

から就職活動では嘘をつきました。

プログラミングをさもバリバリしていたように(本当はprocessing講義で出た課題適当にいじるぐらいしかできません。)

アルバイトをたくさんやったのは人生経験を積むためのように(本当は続かなかったりクビになったり)

芸人養成所では確固たる実績を残して卒業したように(解散した後、年明けから行かなくなりました。)

ESでは適当に嘘を並べました。

大学4年間で頑張ったことなんか何一つないので「考えること」を頑張りました、とか書きました。

コミュ力なんて一切ないのに芸人をやってたとうそぶいてコミュ力アピールしました。

するとどの企業もいい感じのとこまで行きました。

ゲームなんて一切やらないのに任天堂スクエニは最終面接まで行きました。

本なんてほとんど読めないのに文芸春秋社や3大出版社も3次面接くらいまでは行きました。

一切興味もないのにドコモも最終面接まで行きました。

でも結局落ちました。

当たり前です。

僕はサラリーマンになりたくなかったし、なれるような人ではなかったし、なるべきじゃなかったから。

ゲームを作りたいんじゃなくて、ゲーム会社社長になりたかった。

小学校卒業文集にそう書いてた。それをESに書いたら任天堂の人が会社員になることは社長になることと真逆だとか言ってって僕は萎えた。)

編集者になりたいんじゃなくて小説家になりたかった。漫画家になりたかった。

ドコモなんてただ名前を知ってただけ。

そもそも就活なんてするつもりもなかったし、したくなかった。

してはいけないと思っていた。

でも起業も芸人も自分で稼ぐことができず、金もなかった僕はするしかなかった。

から適当にした。なめてた。OB訪問もしなかった。そもそも僕は人間じゃないか人間の話を聞いても参考にならないと思っていた。

から、たくさん落ちた。

そして、いくつか受かった。


それは「偽りの自分」を評価した企業だった。

偽りの自分は「カメラ」に触れたことすらないのに、

大手新聞社カメラマンに採用された。

誰にも負けないことはなんですか、と聞かれ、

「体力」と「コミュ力」です、と答えた。

自分にない正反対「嘘」を言ったら、採用された。

偽りの自分評価してくれた企業はすべて辞退して、

一番「無難」そうな会社を選んだ。

やりたいことはなんですかと聞かれて、

「人の心を動かすものをつくりたいです」と言った。

本心だった。

「それはちがう。そもそも根本から間違っている、我々は人の心じゃなくてクライアント要望を叶えるためにやってるんだ。・・・・」と言われた。

5分くらい説教をされた。

受かった。

そうして内定を抱えて僕は大学生活を終えた。

ちなみに卒業論文は書いていない。

白紙で出した。

中退するつもりで出した。

ただ少し皮肉として「大学は意味がなかった(僕にとって)」と書いた。

なぜか認められた。

認められたくなかったので、大学ともめた。

卒業式当日、会場の前で事務員に呼び止められた。

このことを内密にするなら、卒業式に出てもいい。

僕は卒業した。

何も修了していないのに「学士」になった。


それから少しの間夜の世界で働いた。

当然のごとくトラブった。

全てをぶち壊し、いろんな人を不幸にし、迷惑をかけ、去った。

また僕は引きこもりになった。

そうして僕は、また、また、孤独になった。

会社入社した。

研修でまたトラブった。

でも、まあいいや、そう思った。

僕は5年前、死のうと思った。

周りに迷惑をかけ続けるぐらいなら、そうしたほうがいいと思った。

でも、自分は悪くないと思った。

から死ぬのは辞めた。

自分の伝え方は誤解をうむ。それは間違いないだろう。

けれど、本当の本当は自分は悪くないと思っている。

から、僕はこうして今まで生きてる。

どこかに自分フィットする、なにかがある気がして。

ジョブズホリエモンも一サラリーマンならすごく、迷惑な奴だと思う。

でも、彼らは能力がある。

僕はたぶん、ない。(客観的に見て)

けど、あると信じている。なぜなら、それが希望から

希望がないと人は死んでしまうから

僕は人間から。(僕は人間じゃないんですということにしている、人間から。)

明日には、1ヶ月後には、1年後には

すべてが報われるような気がして、生きている。

でも、もうそろそろ会社辞めたい。

貯金が0だから会社辞めたら死ぬかな。

でも会社辞めずに死んだら、もっとブラックって叩かれるよね。

迷惑かけずに生きたいか会社辞めたい。

でも会社辞めたら死んじゃう。どうしよ、詰んだ藤井4段もびっくりの詰将棋だ。

友達金もなにもない。

あった期間が1度もない。

せめていま500万あれば。だれか援助してくれないかな。

ま、たぶんどう頑張ったって変わらない(と言われるだろう。)

だってあなた人間じゃないんですから。(と思われるだろう。)

でも、どうせ死ぬならやりたいことやって死にたい

一度しかない人生なんだから

こんな人間に生まれても、他の人間にはなれないのだから

人間じゃないことを、アドバンテージに生きるしかないじゃない。

ちなみにやりたいことはたくさんあるし、なりたいものもたくさんある。

もう年齢も能力関係ないと思ってる。

俺はもうやりたいことしかやらない。

金があったらね。

金の呪縛に縛られてるだけ。

ただそんだけ。

からホリエモンみたいな人、俺に投資して。

大学で受けた授業で一番感動したのは、ホリエモンだよ、本当に。

この匿名ダイアリー反響をよんだら、誰か連絡してくれないかな。

それで何かが変わらないかな。

結局人まかせだな、俺は。

でもまだ人間を信じてるから

だれかの何かに残れば、それでいいと思う。

逆にこのダイアリー会社にばれて問題にでもなって、

そうして誰かに迷惑をかけて、会社をクビになって。

そんなことでもいいと思ってしまう。

やっぱり俺は人間の道からは外れてるな。




僕は人間じゃないんです。

本当にごめんなさい。

そっくりにできてるもんで

バッタもんのわりにですが

何度も諦めたつもりでも

人間でありたいのです

追記

はてブって返信できないのね。

これこそdisコミュニケーションな気がするのだが。

ご指摘いろいろあるので誤解ないように書くと、

現在私は特に人間関係で悩んではいない。

悩んではいないっていうと100%ではないけれど、

思考の中心にそれはない。

友人が欲しいとかそういう悩みはプライオリティ的には低い。

そもそもいわゆるマスコミ業界に就職している時点でうわっつらのコミュ力はある。

今悩んでいるのはずばり、金だ。

やりたいことをやらず、いままでと同じような人生を歩むのであれば、

一体何の価値があるのか。

そのためにちょっくらの金が必要なのだけれど、

金というのは信用の対価なわけで、

信用は人間に付随する。

人間でない(とされている)僕は、金がない。

姓名判断でも一生金に縁がないとされている。

福沢諭吉大学出たのにね、まあそのせいで金がないとも言える。

そしてやりたいことについてだけど、

コメントにもあった通り、

「やりたいこと」が本当にやりたいこととは限らない。

実のところやりたいことが絞りきれてない時点で、その通りだと思う。

今まで金を言い訳に、やりたいことをやる前に考え、何もしてこなかった。

実に無駄に過ごした時間だった。

それでいて、やりきっていないと一生やりたいことに対する執着は消えないのだと思う。

から、僕は全部やるしかないと思った。

この呪縛から断ち切るためには全部やる必要がある。

でも、それは年老いからやるのではただの趣味だ。

金をある程度得たあとにやりたいことは、それこそやりたいことではない。

やりたいことを全部やってみて、違うと言い切れるまでは、この呪縛堂々巡りから逃れられない。

それを金のせいで諦めるのは、非常に辛い。死んだほうがましだ。

から、金の呪縛から解放される必要がある。

けれど、サラリーマンをしていたところで、手取り17万の現状、

日々金と引き換えに若き人生の時間を消費している。

この悶々とした日々が、あまりにも苦しく、つらい。

ふつうのひとはある程度割り切るのかもしれないが、

それができない僕はやはりふつうではないのかもしれない。

かといって、起業する最低限の資金スキルも人脈もない。

プログラミングができないし、ウォズニアックはいない。

600万の起業資金彼女の親に出してもらうような麻雀プロ並みの東大生ではない。

どうすればいいのか、それをこの5年ずっと悩み続けていた。

けれど、答えは出ないまま、卒業した。

から今僕は刑務所にいるような気分で、これを塀の中から書いている。

今すぐ脱走したい。

脱走する気力がなくなれば、結末はいわずもがな。

僕は人間じゃないんです。これは特別人間という意味ではない。

人間本来備わっている人間力が欠けている。

から、諦めて並み以下の生活を送りましょうって言われましても、

僕はそれを望んでいません。

海軍に入るなら海賊になったほうがいい。

タイタニック号に乗るより、海賊船に僕は乗りたい。

参考URL

http://gengenpa.hatenablog.com/

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