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はてなキーワード: 風刺とは

2022-08-18

最近読んだ本。

『おたがいさま れんげ荘物語

 

あらすじ

 広告代理店早期退職したキョウコは、今にも倒れそうなボロアパート「れんげ荘」に住んでいる。生活費は月10万円と決めて倹しく暮らすキョウコの楽しみは、猫のぶっちゃんに逢う事くらいだったが、ぶっちゃんことアンディは飼い主の家から出して貰えなくなってしまう。

 キョウコはあまり変化のない日常を送っているが、れんげ荘の若者達は人生にもまれて忙しそうにしている。コナツさんは事実婚相手男性の連れ子の育児、チユキさんは田舎に住んでいる彼氏の所とれんげ荘を往復しつつ、他人に貸している分譲マンショントラブル解決に追われていた。

 そんな若者達に深入りし過ぎないよう愚痴の聞き役になっていたキョウコのもとに、実家から母の死が報じられ……。

増田感想

 若い人達のすることに上から目線アドバイス批判をしたい欲と内心で静かに闘うキョウコ。その心情が、今にもアウトな方へ傾きそうなギリギリラインに立っている感じで、ちょっとハラハラした。心の裡だって理想現実はかなり違うもんなあ。

 一時流行った丁寧な暮らし系統だが、そういうのは結局豊かさの産物であり、現実日本社会ではもはやリアリティーを喪っているように思う。だが、本作では相変わらずキョウコは節約を頑張れば働かなくても生きていけるという設定のままだ。

 ところが、彼女実家に戻れない最大の理由だった母親他人にとってはいい人だがキョウコにだけは害悪って感じの毒親)が死亡したので、キョウコにはれんげ荘を出て兄夫婦シェアハウスするように同居するという、新しい道が示される。だが、キョウコは全然乗り気ではない。そりゃ長年一人で暮らしてきた人が、いきなり独居の自由気ままさを手離すことはできないよね。

 クマガイさんの生き方や考え方がカッコいいのだが、先のことは知らないなんて、キョウコよりもずっと年長者(敢えて言えば老い先短いともいう)だから言えること。確かに人生を悩まなくてもいい事に悩んで浪費したら勿体無いとは思うけど。

 他人には後ろ指を差されるかもしれないが理想的なキョウコの暮らしは、ずっと手放しで幸せとだけ言えるものではなくて、いつも後悔と不安がついてまわる。

 作中の時間の流れがリアルタイムよりもだいぶ遅いのか、本作は2021年出版されたのにコロナのコの字もない。現実世界はこの数年は酷い事続きだから現在よりも少し昔を生きているらしいキョウコがいっそ羨ましいくらいだ。もし作中の時間2022年に追い付いたとしたら、キョウコの心境はどう変わるのだろう。「先のことは知らない」という言葉の受け止め方は、どう変わるだろうか。私は先のことが知れない事に恐怖しかないけど。

 ラストでぶっちゃんと再会して急に元気になり小躍りするキョウコ。やっぱあれだ……推し世界を救う的な……。何があっても推しが元気でいてくれさえすれば生きれるってことか。

『天官賜福(1)』(墨香銅臭)



 中国Web小説投稿サイト発のライトノベル的なBL小説

 前に今読んでるとこって書いたけど、やっと読み終わった。半月以上かかってしまった。(他に色々読んでたのがいけなかっただけだが)

あらすじ

 舞台古代中国のような世界で、神の住む天界、人の住む下界、そして鬼の住む鬼界がある。

 主人公の謝憐(シェ・リェン)はかつて大国だった仙楽国の王太子。彼は類い希なる才能を持ち、17歳若さ天界に飛昇し神官現代日本で言うところの神)となった。

 だが、彼は自分やらかしによって天界を二度も追放されてしまい、下界でガラクタ集めなどをして糊口をしのぐ暮らしにみをやつすことになった。

 最初の飛昇から約八百年後、謝憐は三度目の飛昇を遂げ神官に返り咲くものの、飛昇した際の衝撃で他の神官達の住居などを壊してしまい、多額の負債を作ってしまった。

 そこで謝憐はまた下界に降りて、人助けをしたり自分を奉る廟を作り信者を増やしたりなどして功徳を積むことで弁済をする事にしたが……。

増田感想

 読み終えるまでに半月もかけてしまった私が言うのもなんだが、かなりページターナー作品

 ただの人間修行をしたり功績をたてたりする事によって神となり、信者を増やして功徳を稼ぐことによってより強い法力を得るという設定が、ゲームっぽくも俗っぽくもあって面白いけど、中国Web小説ではあるあるな設定だったりするのか、それくらい解ってるよね? と言わんばかりにストーリーサクサク進んでいく。でも文章平易なので設定に振り回されて訳がわからなくなるなんてことはない。

 同作者の『魔道祖師』もそうだったが、個々人の心情や集団心理描写が巧み。謝憐の、お人好しなんだけどいつの間にか味方が誰もいなくなるのもやむを得ないような性格……簡潔に言えば空気を読めない独善的でアイタタタな性格とか、権力者ワガママに振り回される下々の人々の様子とか。

 巨陽将軍(ジューヤン将軍日本語にすると巨根将軍)の名付けエピソードなんかかなり風刺が利いていて、えぇ……意外と中国表現の自由あるじゃん……(発禁になりませんように)……と思った。

 ストーリー面白いけどBL作品なので当たり前のようにボーイズがラブする。本作は『魔道祖師』のときみたいに男性同性愛の事を「ホモ」の意の古語で呼んで露骨差別することもない(1巻時点では)。

 メインカプの三郎(サンラン。攻め)と謝憐(受け)は前半くらいでもう出逢い、すぐに打ち解けて仲良く暮らしたり一緒に事件解決しに行ったりする。三郎はなぜか謝憐に対してとても親切で優しく、謝憐は訳もなく親切にされることに戸惑いながらも、根っからお人好しのため受け入れる。

 ところが、謝憐と普通人間達以外の誰もが三郎のヤバすぎる正体を知っていて、でも三郎を怒らせたら事なので、誰も口を挟まない。謝憐と三郎が人目も憚らずに二人の世界に浸っているのを、第三者ドン引きで見てみぬふりを貫く様が滑稽で面白い

 本作ではまだ謝憐や三郎の来歴に語られていない部分が多く、楽しそうに交流しているだけなので萌え萌えでいいけど、きっとそのうち超弩級の不幸展開ややり過ぎて引くエロ展開が来るんだろうな……。

 終盤の鬼市に潜入する話が好き。な、なんか鬼市の風景にデジャ・ビュが……『幽遊白書』と『ハリーポッターシリーズ』と『昭和元禄落語心中』と『千と千尋の神隠し』を足して4で割ったような雰囲気。厨二心に刺さる。

 丁半賭博であからさまに謝憐が贔屓されるシーンの糖度が高くてほっこりした。

 

2022-08-15

anond:20220815022400

セカイ系主人公とその周辺の出来事世界の命運が決まるような話

というのと

オタク自分とその周辺での流行りを世界での流行りのように騒ぐ

というのと、

そのオタク自身が「セカイ系」という言葉を論じたがる

という3点からオタク自身を指して「セカイ系」と揶揄する表現は僕にとっては全然筋道理解できる風刺表現だけど、

君にとってはエスパー必要なほど難しい話なんだね!

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A.Karr

2022-08-07

話題AI画像生成サービス「Midjourney」を

試す前に挫折した。

AIサービスの利用開始までを支援してくれるAIが欲しい。

まぁ利用開始できたところで、渡すべきお題を思いつけずにいるが・・・・。

なんか風刺いたことを言ってやりたいな。「平和ウクライナ」とか「プーチンのいないロシア」とか

誰か代わりにやっといて

2022-07-29

anond:20220729060220

面白おかし風刺っぽく書こうとしてるのかもしれないが、とにかく読みづらいし余計な誇張が多い。

なんで簡潔に書けないのか?

2022-07-25

「茶化し」は大切

何か真面目な問題について冗談を言うときなどに「茶化すな」と言う人がいる。

でもさ、真面目な問題って疲れるよ。

茶化しも無ければやってられないし、それが禁止されるとその話題、疲れない人とか、怒りたい人だけになっちゃうから

特に怒りたい人が増えるのがヤバい

誰がそんなところに顔突っ込みたいのか考えると、同調して怒りたい人か、怒りたい人を怒りたい人だけだから

もうね、スパイラルよ。

 

そもそも茶化すのは悪くないんだよ。

間接的な批判である場合が多いから。

その問題について考えること自体への批判にならない限りは良いんだよ。

しろ茶化すのは大切なんだよ。

茶化すことで怒りたい人以外も集まってくれるから

結果としてその話題への関心が高まるから

 

茶化しは手軽な風刺一種とも言える。

新聞だって風刺漫画がある方が楽しいよね。

茶化しは真面目な議論オアシスなんだ。

嫌っちゃ駄目だ。

からみんな自信をもって大喜利しようぜ。

2022-07-17

風刺ってお互い様では

ムハンマドの顔の風刺画で銃撃されたシャルリーエブドだって、顔の部分を死んだ記者に変えた風刺画が出回ってたでしょ。

日本人には分別がついてないけど、フランス国民レベルで、言論の自由表現の自由もそのくらいの覚悟を持ってやってるんだよ。

[] そのさんびゃくろくじゅういち

ドミティヌーッス

 

日曜作業お疲れ様です。

本日イギリス風刺漫画週刊誌バンチが発刊されたこから漫画の日だと呼ばれております

手塚治虫誕生日と死亡した日にも漫画の日だと提唱する方々もおられます

まぁ漫画もいっぱいありますし、なんでもいいんじゃないですかね。

多様性って奴ですよ多様性、多分

 

ということで本日は【俯瞰的視点いか】でいきたいと思います

俯瞰的視点いか俯瞰的視点ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-07-10

5chは、楽しい

ここでは専門板以外のニュースカテゴリの板の話をする

5chの面白さはユーザーイデオロギー的入れ替わりが生じる所である

ネトウヨと呼ばれた存在は「東アジアニュース速報+板」(通称東ア+)から生じたとされている。いわゆる嫌韓の者共

2000年代前半の頃はこうしたレイシストは鼻つまみ者であり、板を越境してきたらボコボコにされていた

2010年代初頭には各板も右傾化が進むが、「ニュース速報板」(通称旧速)は体制風刺が根強く染まりきらなかった

この頃は2chまとめブログの最盛期で、上手いことまとめられるような書き込みが目立った。現代Twitterに通じる

2012年ステルスマーケティングまとめブログチェリーピッキング問題となり、反商業主義を中心に「ニュース速報(嫌儲)板」(通称嫌儲)へ移民が起こる

以降旧速も翼賛が進んだ

2010年代中頃には最大派閥たる「ニュース速報+板」(通称速+)は完全に右傾化する

2017年10月2ch運営との対立サイト名が5chに移行する

この頃の速+は板運営陣の思想統制が進み、反自民党的なニューススレを立てると権限が停止させられるようになる

同様の統制は「芸スポ+板」(通称芸+)でも行われ、一時スレ立て人が枯渇した

一方この世の春が嫌儲で、TwitterSNSキラキラと対を成すように言いたいことを言う場所として栄えた

安倍晋三おもちゃであり、どんなネタでも的確な安倍晋三画像が速やかに貼られていた。安倍晋三ファンクラブだった

後にiOS/Androidリリースされた安倍晋三エクスプローラーAndroidだと聖帝エクスプローラー)ではあらゆる語録が網羅されていて便利だった

ちなみに写真は↓こういうの。英ガーディアンも好きねえ

https://www.theguardian.com/world/gallery/2022/jul/08/shinzo-abe-a-life-in-pictures

2021年10月ちょっとおかしくなる

以前から5chには政治スレッドを荒らすスクリプトがいて、何者かの特定も困難な状況にあった

それがDappiの訴訟菅政権解散以降、パタリと止んだ

そればかりか速+、旧速の右傾化まで消えて嫌儲のように反体制に傾倒する始末である

人間って簡単に踊らされるんだなあという小学生並の感想しかでなかったが、とりあえずこの18年間楽しかった

ちなみにスクリプトは年明けて復活して大暴れして、一昨日は統一協会スレ全部埋め立ててた

anond:20220710104348

ところでこのスクリプト荒らし運営対処しない

対処しないから止まるのは荒らし側要因で、止まると注目が集まる

ここ最近だとdappi訴訟安倍晋三銃撃のタイミングと同時なので自民党清和会への関連を疑われている

まあ何も証拠ないしIPも追跡できないけどね

そういえば2021年5月中山泰秀防衛副大臣(当時)が「私達の心はイスラエルと共にあります発言炎上した時、

5chでも結構擁護されてましたけど、新宗教キリストの幕屋」との関連を指摘したスレは⋯⋯

まあ匿名掲示板なんで誰が書き込んだかはわからないんですけどね

anond:20220710214728

共感バズ狙いの日常あるあるネタであって風刺ではまったくないね

対抗する貴方アナルあり/なしマンガとか?

https://twitter.com/tadakiseinfo/status/1539613292901322752?s=21&t=_h4BEJeZYlPzLbb4nAx_7w

こういう漫画は苦手。スルメロックとかと同じ嫌悪感感じる。でも、絵が上手いし漫画も俺よりずっと面白いプロだもん。

風刺漫画を漁ってる自分が一番悪いんだけどさ。こういう説教くさい漫画を見つける確率が上がる。

このモヤモヤを晴らすには、俺が考える最高の風刺漫画を描くしかない。そうだろ?

安倍晋三の死去に伴って英語圏Twitterで流布されるヘイトスピーチたち

安倍晋三という人は、右派ナショナリスト傾向のある政治家で、慰安婦問題などで歴史修正主義的な見解を述べることも多々あったというのは結構知られた事実ではある。

そのため、アメリカなどの社会正義の実現に邁進する人たちから安倍晋三トランプに次ぐ悪の政治家と見做されていたらしい。

そのため、今回の暗殺を受けて、この手の人々が英語で有る事無い事書いて暗殺を歓迎するかような発言たちが結構バズっていて、ダイバーシティとか気にして日頃うるさいGAFA社員とかも嬉々としてRTしたりfavしている。

たとえばこんな感じ。

他にも、『慰安婦問題に取り組んだ偉大な首相日本は失いました。身の回り女性を"慰めて"あげましょう』みたいな下劣tweetも多々あった。

まんまヘイトスピーチなんだよね。

アジアンヘイトへの批判とかどこに行ったのだろうか。

安倍晋三という政治家毀誉褒貶が激しいところではあるのは事実だし、その功績は公人として功罪ともに正当に評価されるべきだ。それは間違いない。

けれども、他国の、公正な選挙の末に選出された政治家暗殺を、死去の直後からオモチャにして揶揄するなんて一切モラルがなくてあんまりだ。

2022-07-02

芸人がつまらない理由わかった

自虐ネタじゃなくて風刺ネタをするから

もっとわかりやすくいうとイジれる女芸人がいない。

最初に思ったのが、キャラオーバー表現されてるけどキャッチー面白いというタイプの女芸人がいないこと。

一番しっくりくる例だとぺこぱの時を戻そうの人は明らかに馬鹿にしてくれ」的キャラ付けなのに何故か自信満々というスタンスギャップ面白い。で、ひな壇とかでもちゃんとそのキャラを一貫していて変にかっこよくみられたいという欲求がない。最近人気の粗品ダメ男感のあるイジられキャラ的親しみやすさで人気がある。

たぶんお笑い本質の中に、観客から演者への見下しっていうのはあると思うんだよな。

常識範疇理解できないことを可笑しいと思うわけで、それをやりすぎて不快にならないラインをうまく模索している芸人露出増えてるなと感じる。

逆に銀シャリみたいな漫才タイプは完全に理論で詰めてるから自虐的に売る必要はない。ただキャッチーさがなくなるから芸人としてのキャラは薄くなる。

同じく漫才コントを詰めてて、でも自虐的キャッチーさもあるサンドウィッチマンの方が伊達と富澤という人間記憶が残りやすい。

表題の話に戻ってきて、女芸人ぺこぱっぽいキャラで思いつくのがアンゴラ村長だけど、あれは「笑いとして」自分を下げることがない。

美人がなんか変なことをしている」というキャラで売っていて、自分が女芸人の中ではそれなりに美人であることを捨てていない。ひな壇とかバラエティを見てても笑いとして自分を下げる器用さがなかったのかなと感じる。

他にも女芸人でよくあるのが「男女ネタ」だと思う。女同士のいがみあいネタにしたり、彼氏彼女のすれ違いを表現したり。こ

これっていうのは結局あるあるネタを脚色しているだけであって、それを演じてる芸人本体キャラがない。ちょっとお高いところから世の中をこういう風にみてるんですよーという評論家感が嫌味。

長くひな壇とかバラエティに出て来れた女芸人ってやっぱり安心してイジれるキャラがある気がする。

大久保さんは一時期エロいおばさんというキャラをブラさなかったのでどこでも使いやすかったし、今は病んじゃったけどハリセンボンは真っ当に男の漫才をしていて露出機会が多かったし、芸人として好感を持てた。

2022-06-23

はてブレッテル貼るのはセーフだけど、「症状」送るのはアウトってどこでライン引いたの?

1 リアルでやってないからセーフ

2 事実を並べたからって本当に事実陳列罪にはならないだろ

3 皆でちょっとずつ馬鹿にするのと一人が一気に馬鹿にするのは違う

4 本人に聞こえない所で言ってるだけ

5 わざわざ見に来なければ行けないのと直接送りつける違い

6 相手に対して権力があるわけじゃないのでスルーすればいい

7 下品な言い方じゃなくてエスプリ効かせた風刺から許される

8 真摯な態度での冷静な分析による批判悪口とは違う

9 社会悪によって実際に迷惑を被っていることへの正当な反撃

投 便所の落書きな時点でモラルなんて最初から誰も求めてないんだけど?

2022-06-22

コメンテーターエンドウさんが無理

Yahoo!ニュースエンドウさんが取り上げられててびっくりした。俺が思ってるより評価してる人多いの?

あのインターネットスカッジャパンを読んで気持ちよくなってる人やばない?

歯に衣着せず本質を突く設定の作者のアバターキャラが、詭弁を弄する愚者(ということになっている人)を言い負かして黙らせるだけの4コマ読んで頷いてる奴ら普段どんなこと考えて生きてんの?

洋介犬先生ブログ普通ショートホラー描いてた頃は好きだったんだけどなあ。当時はまだ中学生だったから、ヂューッが怖くてトイレに座る時警戒しちゃったりさ、真面目にファンだったんだよ。

はずネジにもイヌギキ的なホラーを期待してたんだけど、回を追うごとに話の結の部分でキャラの1人が急にイキリり出すのがテンプレになってガッカリキャラAが不可解な現象に遭遇して「これってどういうことだろう?」と疑問を呈すと、作者任意キャラBが「決まってるだろ」「まだ気付かないのか」「そりゃそうだろ」と答え合わせを始める“理解りイキリキャラ”に変身するのよ。

もう先生の頭からエンドウさんが抜けなくなっちゃったんだろうな。いち漫画家承認欲求正義論にも簡単に靡いてくれる頭よわよわなファン賞賛はさぞ気持ちいいんだろう。

そういう人達論破して読者をスカッとさせるのがエンドウさんなんじゃないの。出番ですよ。

作者自ら「風刺」を標榜してるのもクソダサい

あと京アニ事件当日放火魔が罰される自作漫画ツイートしてたのもドン引いた。

ジゴサタも他の新作もエンドウさんクオリティ量産型論破ものばかりだし、もうイヌギキに載せていたようなホラーは読めないんだな。

そんだけ。

2022-06-21

anond:20220621180753

日本に対するスタンス

ビゴーの身長は160cmと欧米人としては低く、当時の日本人成人男性の平均とほぼ同じであった。清水勲は、このことで威圧感を与えずに日本人の中に入り込むことができたこと、また日本人の目線と変わらない絵の構図を獲得できたことを推定している[48]。

ビゴーの描いた風刺画のうち、鹿鳴館日清戦争を扱ったもの小学校中学校高校などの社会科歴史教科書にしばしば教材として掲載されてなじみが深い。これらの絵では日本に対して辛辣な描き方がされている。これについて清水勲は、ビゴーは条約改正を尚早と考える点では居留地外国人と同じスタンスに立っており、日本人の非近代的な側面を強調することでそれをアピールしようとした際に、貧相な容姿と非近代性をこじつけることが読者の理解を得やすいと考えたからだとしている[49][注釈 7]。

ただし、ビゴーが批判したのは日本国家の皮相的な欧化主義であり、日本の伝統的な文化庶民の営みには敬意と共感を抱いていた。子守の少女鉢巻きを巻いた姿で遊ぶのを目にして「鉢巻きは赤ん坊の顔に髪が触れないための工夫で、少女が遊ぶことで赤ん坊も楽しめるという点で日本の子守は悧巧である」と感服したという日本人の証言が残されている[注釈 8]。女性については『トバエ』の中で「日本で一番いいもの、それは女性だ。(中略)日本女性に生まれたのだから、どうぞ日本女性のままでいてもらいたい」と記し[52]、絵においても上流階級の人々は別として、風刺の少ない絵を描いた。後には日本女性結婚している。この背景として、日本女性がビゴーの求める日本的なもの江戸情緒を伝える存在だったからだと清水勲は記している[53]。

1898年頃と推定される詩画集『横浜バラード』には、日本への幻滅(糞尿を運ぶ荷車の悪臭や、外国人には高額をふっかける日本商売人)が歌われ[54]、離日直前に刊行した画集1899年5月』では条約改正後の日本に対する外国人不安ストレート表現されていた。しかし、フランス帰国後も亡くなるまで日本に対して愛着を抱き続けた。また、日本軍をよく知っていたビゴーは、日露戦争当時のフランスで「ロシア圧勝」という世論同調しない数少ないフランス人でもあった[55]。

欧米における日本描写ステレオタイプとなった「つり目で出っ歯」という姿はビゴーの風刺画にも登場するが、その点について清水勲は「当時の日本人は現在に比べて国民全体の栄養状態が悪く、小柄で出っ歯の人が多かった。そうした日本人の姿が1867年パリ万博で直に欧米人の目に触れたことと、ワーグマン、ビゴーなどの来日外国人の絵や当時の写真などの影響とによって広まり欧米人日本人観の一要因となったのではないか」といった意見を述べている[56]。

一方、同じくステレオタイプとしてよく登場する眼鏡については、ビゴーは「一般的に言って、日本人の視力はたいへん悪い。日本では様々な形をした、また様々な色をした眼鏡をかけている人に出会う」と記している[57]。清水勲は当時の日本人が「栄養状態が悪かったせいか、また家屋の作りから来る照明状態の悪さから視力がよくなかった」ことと明治以降印刷物を読む機会が増えたことで、眼鏡を多くの人が使うようになったのではないか推定している[57]。ただし、ビゴーの絵に眼鏡をかけた人物は必ずしも多くない。清水も、昭和期以降の欧米での日本人像に眼鏡が多く出る理由には昭和天皇や東条英機といった眼鏡をかけた要人がいた影響を指摘している[58]。ビゴーが庶民スケッチした絵では男女を問わず様々な人相・年齢・職業人物を描き分けている。

清水勲は「ビゴーは反日家なのか親日家かと聞かれることがあるが、答えはもちろん親日である」と述べている[59]。

及川茂は、帰国後のビゴーは、当時フランスで見られたインドシナなど他の風俗と混交したようなでたらめな日本描写を快くは思わなかったが、それに立ち上がって抗議するような形での感情日本に抱いていなかったとしている[39]。及川はビゴーが「日本をエキゾチストではなく、生活の一部として生きてきた人間」であり、「日本と対決したり競い合ったり摩擦を感じたりするのではなく、あればあるがままに、なければなしでもやっていけた」という[39]。滞日当時の日本は「そこで生活していれば批判対象であり、揶揄の種であった」が、それはビゴーが初めて知った日本とは別物であったとする[39]。帰国後のビゴーにとって日本は「いつも優しくそこにある国」で、素朴で自然暖かい日本自分の心の中にしまっておきたいという感情故に、ジャーナリズム挿絵画家という職を捨てざるを得なかったと指摘している[39]。

2022-06-17

anond:20220617171431

デートとは人生においてほとんど無縁、今はもっと無縁のはてサおばさん。

 

別に風刺書いてもいいけど、オバサ人格透けて見えるとキモいからはてサ部分隠していけ。

1981年 エリアス・カネッティブルガリア

着想と芸術性に富み、幅広い視野によって書かれた著作に対して

眩暈

1982年 ガブリエル・ガルシア=マルケスコロンビア

現実的もの幻想的なものとを融合させて、一つの大陸の生と葛藤実相を反映する豊かな想像力世界を構築した

1983年 ウィリアム・ゴールディング(英)

現実的物語芸術の明快さと多様性神話普遍性に満ちた小説によって、現代世界人間が置かれた状況を照らし出したこと

蠅の王

1984年 ヤロスラフ・サイフェルトチェコスロバキア

新鮮さ、官能性、豊かな創意性に富んだ詩によって、不屈の精神人間多様性解放的イメージを与えたこ

この世の美しきものすべて

1985年 クロード・シモン(仏)

その小説において、詩人創造性と画家創造性を深められた時間意識に結びつけ、人間の状況を描出した

アカシア

1986年 ウォーレ・ショインカ(ナイジェリア

幅広い文化的視点と、詩的な響きによって、存在ドラマを創り上げたこ

1987年 ヨシフ・ブロツキーソ連

思考の明快さと詩的な力強さが一体化した、包括的作品群にたいして

1988年 ナギーブ・マフフーズ(エジプト

時には克明な現実主義によって、時には想像力を書きたてる手法を駆使するといった、ニュアンスに富んだ作品群を通して、全人類普遍性を持つアラビア語創作芸術形成したこと

張り出し窓の街

1989年 カミーロ・ホセセラスペイン

人間脆弱性の挑戦的なビジョン形成する、自制的な憐憫を含んだ、豊穣で徹底した散文に対して


1990年代

1990年 オクタビオ・パスメキシコ

広い視野を持ち、先鋭的知性と人文主義高潔さを特徴とした、情熱的な作品に対して

弓と竪琴

1991年 ナディン・ゴーディマー(南アフリカ

彼女の壮大な叙事詩が、"アルフレッド・ノーベル言葉"に即した、人文主義にとっての重要利益であったこ

いつか月曜日に、きっと

1992年 デレック・ウォルコットセントルシア

偉大なる明るさ、歴史的視野に支えられた、多文化融合の産物たる詩的創作に対して

1993年 トニ・モリソン(米)

先見的な力と詩的な重要性によって特徴付けられた小説で、アメリカ現実重要な側面に生気を与えたこ

他者」の起源 ノーベル賞作家ハーバード連続講演録 (集英社新書)

1994年 大江健三郎日本

詩趣に富む表現力を持ち 、現実虚構が一体となった世界創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

万延元年のフットボール

1995年 シェイマス・ヒーニーアイルランド

日々の奇跡と生き生きとした過去を称える、詩的な美しさと民族的な深みを持つ作品に対して

1996年 ヴィスワヴァ・シンボルスカ(波)

皮肉はらんだ緻密な詩によって、人間リアリティフラグメントに光を当て、その歴史的生物学文脈を浮き彫りにした

シンボルスカ詩集

1997年 ダリオ・フォ(伊)

中世的な道化権威風刺し、弱者尊厳庇護したこと

1998年 ジョゼ・サラマーゴポルトガル

想像、哀れみ、アイロニーを盛り込んだ寓話によって我々がとらえにくい現実を描いた

白の闇

1999年 ギュンター・グラス(独)

遊戯風刺に満ちた寓話的な作品によって、歴史の忘れられた側面を描き出した

2000年代

2002年 ケルテス・イムレ(ハンガリー

人間社会的圧力ますます服従している時代にあって、個人として生き、考え続ける可能性を追求した

運命ではなく

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2003年 J.M.クッツェー南アフリカ

アウトサイダーが巻き込まれていくさまを、無数の手法を用いながら意表をついた物語によって描いたこ

2004年 エルフリーデ・イェリネクオーストリア

その小説劇作における音楽的な声と対声によって、社会不条理と抑圧を並はずれた言葉への情熱を持って描き出した

ピアニスト

2005年 ハロルド・ピンター(英)

劇作によって、日常対話の中に潜在する危機晒し出し、抑圧された密室突破口を開いたこ

2006年 オルハン・パムクトルコ

故郷の街のメランコリックな魂を探求する中で、文明の衝突と混交との新たな象徴見出し

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤

2007年 ドレスレッシング(英)

女性経験を描く叙事詩人であり、懐疑と激情、予見力をもって、対立する文明吟味した

破壊者ベンの誕生

2008年 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(仏)

新たな旅立ち、詩的な冒険官能的悦楽の書き手となって、支配的な文明を超越した人間性とその裏側を探究した

来るべきロートレアモン

2009年 ヘルタ・ミュラー(独)

凝縮した詩と率直な散文によって、収奪された人々の風景を描いた

2010年代

2010年 マリオ・バルガス・リョサ(ペルー

権力構造地図と、個人抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた

楽園への道

2011年 トーマス・トランストロンメルスウェーデン

稠密で透光性のあるイメージを通じて、読者に現実への斬新な道筋を与えたこ

悲しみのゴンドラ

2012年 莫言(中)

幻覚的なリアリズムによって民話歴史現代を融合させた

白檀の刑

2013年 アリス・マンローカナダ

現代短篇小説の名手として

ピアノ・レッスン

2014年 パトリック・モディアノ(仏)

最も捉え難い人々の運命召喚し、占領下の生活世界を明らかにした記憶芸術に対して

1941年パリの尋ね人

2015年 スヴェトラーナアレクシエーヴィッチ(露)

我々の時代における苦難と勇気記念碑と言える多声的な叙述に対して

戦争は女の顔をしていない

2016年 ボブ・ディラン(米)

米国歌謡伝統の中に新しい詩の表現創造したこと

2017年 カズオ・イシグロ(英)

壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想感覚に隠された深淵を暴いた

2018年 オルガ・トカルチュク(ポーランド

博学的な情熱によって、生き方としての越境象徴する物語想像力に対して

逃亡派

2019年 ペーターハントケオーストリア

言語的な技巧を交えて、人間経験の外縁と特異性を探究した、影響力のある諸作品に対して

2020年代

2020年 ルイーズ・グリュックアメリカ

厳粛な美によって個人存在普遍的ものとした、その紛う方無き詩的な声に対して。

anond:20220617140024

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