はてなキーワード: モンゴルとは
ちんちん。ちんぽ。ちんこ。男性の股間にぶらさがる棒にふさわしいニックネーム。
正に名はたいを表す。
さて?世界ではどう呼ばれているのだろうか?
【アメリカ】
【中国】
【インド】
シュリシ
【スペイン】
ポヤ
【フランス】
ズィズィ
※ちんちんと似ている。ズィンズィン。
【ロシア】
フイ
ポロヴォイ シュレン
【中東】
アズバーブ
【スペイン】
カラーリョ
【インドネシア】
ブウルン
※おちんちんブウルンブウルン
【ベトナム】
ドゥズゥンバッド
【イタリア】
ペェネ
【モンゴル】
ショドイ
【ポーランド】
プェニス
※草
【スウェーデン】
プゥウェニス
※アサヒィスゥパァドゥルァァァァイ味がある
【スワヒリ】
ウーーメ
【ドイツ】
ペイナス
【トルコ】
ペヌス
※山下清が言いそう
【ルクセンブルク】
レイウェン
【出典】
https://twitter.com/worldotinbot
大塚ニューコーポ
ウクライナで墓穴掘りまくってるロシアだけど、日本人的におもしろがいくつかあったのでメモ。
Згинуть наші воріженьки, як роса на сонці.
我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。
ウクライナ国歌に露(роса)とあって、ロシアを連想しておもしろい。
ロシアが人民元だよりになってきてるそうで、タタールのくびきを思い出した。
ロシアはモンゴル帝国やその末裔の属国になっていた「タタールのくびき」という時期がある。
タタールというのは現在ではタタールスタンやクリミア・タタール等、主にトルコ系を指すことが多いが、当時はモンゴル系も含めたそのあたりの遊牧民の事を指していた。
チンギス・ハンから始まるモンゴル帝国は、東では元寇で日本まで来たが、西ではヨーロッパまで行っている。
当時小国に分裂していたロシアは、この時にモンゴルに征服されて属国になった。
モンゴル帝国はチンギス・ハンの子孫が各地を支配していてそれぞれ独立していくが、帝国本家で中国を支配したのが元、ロシアを属国にしていたのはジョチ・ウルスであった。
なので「元がロシアを支配していた」と言うと、あまり正確ではないが、だいたいあってると言ってもいいだろう。
前編https://anond.hatelabo.jp/20220327224432
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友達「アメリカは今でもウランをロシアから買っている。ロシアの軍事力をある意味認めているのだ」
増田「それが軍事力を認めたってことになるの? ただウランが取れるってだけじゃない?」
友達「そうだね」
増田「(何を納得したんだろう)」
3/20
増田「(……)」
増田「(あーなるほど、モンゴル帝国は中東を版図に収めてたこともあるのね)」
友達「他にはあまり覚えていない。露土戦争や最近のシリアの内戦くらいだ」
友達「同じロシアでも文化が違うからなんともいえない。なにしろ広い。
シベリアはいつも東側だった。ずっとモンゴルや中国などアジアとは密接な関係にある」
友達「tribute to what?」
増田「(してないようだな)」
友達「シベリアの歴史の半分はSiberian khanateだ」
増田「そう(シビル・ハン国っていうんだ。へえ、地域名の由来もモンゴルなのね)」(注:増田は世界史あんまり知らない)
友達「その後シベリアはコサックでいっぱいになった。ただいつも中国とは関わりが深かった」
増田「そう」
友達「日本がシベリアを征服しようとしたこともある。シベリア出兵だ」
友達「ロシアで内戦が起こっている隙に日本がシベリアを奪って緩衝地帯にしようとした。
これでシベリアの経済は崩壊し、日本は孤立した。今のロシアのように」
友達「シベリアはそれでもロシアの一部だったし、赤軍が内戦に勝ったときはシベリアを多少は良くしようとしていた」
増田「そう」
増田「ロシアの人の下の名前って全部決まってて新しく作らないんだね」
友達「そうだ」
友達「ああ」
増田「日本だとこうじゃないからさ。歴史上の人物とか見ててもかぶる名前の人はあまりいない」
友達「そうか」
友達「ロシアの名前のうちいくつかは時代遅れになったり、古すぎて新しい言葉に馴染まなくなったりした」
友達「たとえばadolfなどだ」
増田「高貴なる狼。意味も音も字の見た目もカッコよくて好きだなあ。とはいえこういうカッコよさの感覚は私と別の言語圏に住む●●さんでは違うんだろうな」(注:言語圏以前に個人差もあるのは見逃してほしい)
増田「いつか復活する日はくるのかな」
友達「来ない」
増田「断言するのね」
友達「する」
友達「Adolf Freidbergというロシアの作家は戦後Arkadiy Davidovichに改名せざるを得なかった」
増田「ああ…」
増田「ВладимирとВолодимирは見たところ同じ名前だよね?」
友達「そうだ」
増田「プーチンとゼレンスキーの名前が同じなのはちょっと感じ入るところがある。今後どういう扱いになるのかなあ(聖と邪をあわせもつなんかすごい名前とか?)」
友達「これはごくありふれた名前だから特に何もならないだろう。adolfは多少珍しかった」
増田「そうか」
増田「(なるほど、なるほどね……。これをつまらないと思うのはローマで剣闘士を見て楽しんでいた市民と同じ心性なんだろう)」
増田「(そういえば民主主義と独裁とは理論上は相容れない物ではないというか…代議士が1人しかいなくて任期も長い民主主義というのはありうる。それは別に独裁じゃないけど。どうせ大衆心理が1人の英雄を追い求めてしまうものならば、最初から独裁に似せておけばむしろ本物の独裁になりにくかったりしないだろうか)」
増田「(……)」
友達「ウクライナ人の一部は馬鹿なロシア人と同じだ。日本人のことを『ジャップ野郎』『目が細い奴ら』と呼んでいた」
増田「ゼレンスキーは核兵器には触れたんだよ? 核兵器を知ってて広島長崎を知らない政治家がどこにいるっていうの? いや、いるだろうけど」
友達「惑わされないでくれ。ウクライナ人とロシア人に大した違いはない。彼らも人種差別者になりうる。今回は彼らが被害者だというだけだ」
(これのことかhttps://jp.reuters.com/article/ukraine-discrimination-students-idJPKBN2L40H8 )」
友達「それでも私はウクライナの人々の悲劇に心を痛めている。この無価値な戦争は誰も幸せにしていない」
増田「文化も血もすごく近い国の人たちの性格がそんなに違うわけない」
友達「ウクライナ人は彼ら自身をロシア人と区別しようとしている。『ウクライナはロシアじゃない、我々は兄弟じゃない、ロシア人はすべて切り刻まれるべきだ』と。
ウクライナにも西洋にももう幻想は抱いていない。小さい頃はアメリカは世界一素晴らしい国だと思っていたが幻滅するばかりだ。アジア人は正直者だ」
友達「全体的な傾向のことを言っている」
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増田「悪魔みたいなジャケット着てみたいけど多分似合わないだろうな」
友達「誰に?」
友達「そうみたいだ」
増田「(よう道徳最小人間。ところであれは『国土は最大なのに道徳は最小』だからなんか面白くなるけど仮に『国土も最小だし道徳も最小』だったら他の面積が小さい国々から嫌がられそうなの非対称だ)
うん。ていうか●●さん演説聞いてたんだ。あいつ原爆についても空襲についても何も言わなかったよね?」
友達「ゼレンスキーはNATOを戦争に引き入れたがっている。つまり第三次世界大戦だ」
増田「そうみたいだね」
友達「NATOも馬鹿ではないからそれはわかっている。 プーチンはNATOが参戦を決めたら核を撃つと言った」
増田「それがゼレンスキーが原爆についても空襲についても何も言わなかったことになんか関係あるの?」
友達「かもしれない。ゼレンスキーの発言はどれも同じような内容だから最近は聞いていない。いつもNATOに飛行禁止区域と武器供与を求めている」
増田「そういえば聞いてわかるの? 日本語にはそういう言語ないんだよね」
友達「ウクライナ語は聞けば8割か9割くらい理解できる。ロシア語話者はみんなウクライナ語がなんとなくわかるし、なんならポーランド語もちょっとはわかる」
増田「そう。日本語圏ネットはゼレンスキーの演説でもちきりだよ」
友達「正直なところゼレンスキーはどう見ても西洋の駒だからあまり興味がない。言動も運命も知ったことか。
それよりもウクライナとロシアの一般市民の身を心配している。ただ早く戦争が終わってほしい」
増田「●●さんがゼレンスキーに興味がないのはわかったけど喋らせてよ本当に腹が立ったんだ。
これはわかる。宣戦布告なしで攻撃を仕掛けるのは国際法違反だからその真珠湾の怒りを思い出してくれというのはよくわかるさ(日本軍はほかにもいろいろやらかしてるし)」
友達「ゼレンスキーはNATOを参戦させるためならなんでも言うだろう」
増田「でも民間人を襲った原爆や空襲だって国際法違反だ。どうして『原爆を思い出せ』『広島と長崎を思い出せ』がないんだよ。これじゃ不公平だ」
友達「ウクライナ人も、そして多分西洋人もそれのことを大して気にしていない。彼らがした他の戦争犯罪と同じように考えているのだろう。歴史は勝者によって書かれる」
増田「これがもし仮に日本の落ち度を批判してきたなら納得したんだよ。日本政府は北方領土を取り返そうと20年くらい無駄な援助を重ねてきた前科がある。
そこを糾弾して強く改心と協力を求めてきたなら空襲や原爆に触れなくてもきっと納得してた。なんでだろうね?
(そういえばドイツ人だって大量にソ連に移送される被害を受けたことがあるんだからこちらに言及することもできたのにあくまでドイツの加害のことを言ったんだった)
でもゼレンスキーは日本をおだてて持ち上げてずっと友好的な態度だったにもかかわらず触れなかったんだ。それがすごく侮辱的で軽んじてると思った。口先でお世辞は言って、日本人への赤い血がしたたるような感情は見せてくれなかった」
3/24
友達「制裁が終わらないと日本に行けないことに今気がついた。銀行に一定の残高がないとビザが作れないのに銀行が制裁にあっているからできない」
増田「ああ(制裁と銀行とカードは複雑すぎてなにがなんだかよくわからない)」
友達「どこもロシア人を求めていない。カザフすら国境を閉じてしまった」
増田「あれ? 私がどうやっても無理な感じ?」
友達「いくつかの企業は従業員を国外に脱出させる手助けをしている」
増田「じゃあ私がそっちに行くのは」
3/24
3/24
増田「ウクライナの人々はロシアがどういう扱いを受けることを望んでいるか気になっている。人々というか政府というか」
増田「疑問点は2つある。一つは国民同士の関わりが深いこと。●●さんにもウクライナ人の友達がいるだろう」
増田「ロシア人が全員死ぬボタンがあったとして●●さんの友達は押すだろうか」
増田「なんでそう言い切れる」
増田「(しまったこの人は命の価値は誰でも一緒とか言ってるんだった。私としては『ロシア人の家族や友人や恋人がいるウクライナ人はロシア人全体が嫌われるのを望まないだろう』……『友達は私を殺したくないからボタンは押さないだろう』の意味で言ったけど●●さんは多分『友達は人を殺したくないからボタンは押さないだろう』の意味で言ってて話が通じてない)
二つ目はロシア人とウクライナ人が似ていることだ。日本人と中国人と韓国人がよく海外でごっちゃにされてるようにロシア人とウクライナ人の区別もつかないだろう。ロシア人が嫌われるとウクライナ人がとばっちりを食らいかねない」
友達「だからそのボタンを押すウクライナ人はそこそこいるだろう」
増田「なるほど(中途半端に殺すと民族対立になるが全員殺してしまえば丸く収まるのはアメリカの黒人とネイティブアメリカン――全員は殺されてないが――を見ればすぐにわかることだ)」
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増田「そう」
例をあげるならば、ロシアの政治指導部は、きわめて当然のことながら、外国の勢力、さらには具体的にどのような組織、個人がロシアの弱体化を狙って行動しているかに、関心を持った。この問題に関する正しい答えを出すことはきわめて重要である。EISは、この問題について詳細な調査と分析を行ない、「現在のところ、米国及びその他の先進西側諸国の国家政策にはそのような方針を示すデータはない」と政治指導部に報告した。(「クレムリンの5000日」エヴゲニー・プリマコフ著 鈴木康雄訳)
西側諸国のロシアへの方針について恐らく世界で最も詳しかった人のひとりでしょう。ただ本当のことを書いているかどうかは私には判断できかねます。
この時代の他の国家の状況についての情報も知るべきでしょうが、さきほども書いた通りこの回顧録すら読み終えられていません。
増田「国葬もやってたみたいだけどなんで今まで死んでたこと知らなかったの?」
友達「そうでもない。普通のロシア人は政府なんかに興味がない。
テレビで最後に見た国葬はエリツィンので、最後に見た普通の葬式はマイケル・ジャクソンのだ」
増田「(うちの学校では今のマイケル・ジャクソンは96代目とかいう噂が流れてたなあ)
そうなんだ。なんでエリツィンのは報道されたのにプリマコフのはされなかったんだろう」
友達「エリツィンは大統領だったがプリマコフは首相だった。それにプーチンはプリマコフを好きではなかった」
増田「なんで嫌いだったと思うの?」
友達「プーチンはパラノイアだ。あの長いテーブルは知っているか?」
増田「知ってる知ってる。なら国葬したり銅像建てたりしてるのは見せかけのポーズなのかな?」
増田「そうなんだ」
とはいえ友達はほとんどテレビを見ないらしいのでテレビに関する情報は怪しいと思っています。
BBCでもロイターでもついでにNHKでも、ロシア国外のニュースをいくらでも読んでいる人なので恐らくたまたまでしょう。
メディア規制については確実に私より詳しいので安心してください。
(1)友達の話を聞くに相当小さい頃からずっと英語でロシア国外のニュースを見ていたらしいので多分プーチン万歳と思ったことがほぼなさそうです。
(2)もし友達がその方法を知っていたら、聞かなくても教えてくれているでしょう。
1)答えではありませんが、エロや同性愛のイラストが普通に載っているのを不思議に思っています。あれ匿名ですらないのに。
前編にも書いた通り、彼はロシア人はウォッカもビールも飲むものだと思っているようです。
友達「いい」
増田「『英語など外国文化を知らないようなロシア人はあまり謝らない傾向がある』と聞いたんだけど本当にそんなことがあるの?答えたくなければ答えなくてもいいよ」
友達「まともに教育を受けていなかったりしつけられていなかったりするロシア人は謝らない。外国文化とは無関係だ」
増田「ふーん 他の国と大して変わらないだろうということでいい?」
友達「変わらない。russians are the same as everyone else」
増田「そう」
友達は英語話せるやつではないやつたちとも接点が多いようです。
ただし在露邦人のあなたのほうが信頼性が高いかもしれませんね。私にはわかりません。
スラブ民族がどうこうとか正教会がどうこうとかについては友達からは何も言われていません。
「オルブライト? へー初めて聞いた」と思っていたら亡くなりました。
いいですか?
いいですか? 季刊誌「Yaponesian」第3巻ふゆ号がですね!発行されました!
http://www.yaponesian.jp/topic00251.html
素晴らしい!素晴らしいことです!
2020年以降、東アジアにおける古代ゲノム研究が次々に発表され、この地域における集団の形成に関する大まかなシナリオが描かれるようになっている。
縄文人のゲノムからは、彼らがアンダマンの先住民などと類縁関係を持ち、東アジアに展開した集団から早い時期に分岐したことが示唆されているが、報告によっては異なるルーツを示唆しているものもあり、確実な結果を得ることはできていない。
しかし、縄文人の起源を、二重構造モデルが想定する東南アジアとすることは、集団形成のプロセスを単純化しすぎていることも分かってきた。
一方、渡来系弥生人の起源に関しては、最近の研究では、稲作農耕民と雑穀農耕民が朝鮮半島に流入し、そこで在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合することによってあらたな地域集団が形成され、その中から生まれた渡来系弥生人が三千年前以降に日本列島に到達したというストーリーが提唱されている。
現状では稲作の起源地である揚子江中流域の古代ゲノムデータがないので検証はできていないが、渡来系弥生人の主体を、北東アジアの西遼河を中心とした地域の集団と考えており、二重構造モデルと概ね一致している。
また、二重構造モデルが予想する渡来系弥生人の寒冷地適応は、EDAR遺伝子の大陸北東部での時代的な変化によって説明できる可能性が示されている。
先史時代において、考古学的に渡来人がやって来た可能性が高いと考えられているのは、弥生早期前半、前期末の2時期、そして古墳時代中期です。
ここでは年代が変わらない古墳中期を除く弥生時代について、年代順ではなく渡海の可能性が高い順に説明します。
もっとも可能性が高いのは前期末の前4世紀前葉で、中国東北部に起源をもつ燕の鉄器や韓半島の円形粘土帯土器が出土するようになることをあげられます。
弥生最初の鉄器は炭素量の高い鋳造鉄器で、鋳型に融けた鉄を流し込んで作る斧を代表とします。
鋳型の構造からみて、韓半島ではなく中国東北部の燕系のものである可能性があります。
また、円形粘土帯土器もやはり中国東北部に出自があることが指摘されていますので、韓半島南部だけではなく中国東北部から人がやって来ている可能性を指摘できます。
クマネズミやハツカネズミは有史以前の人類のユーラシアの移動に随伴することで現在の地球レベルの広範な分布域を手に入れた。
これらのネズミ類の歴史を辿ることは文字に記されていない人類の移動の歴史を知ることでもある。
このことを今から50年前に想起した国立遺伝学研究所の森脇和郎(もりわきかずお)は世界各地から野生ハツカネズミを収集し、米川博通氏とともに遺伝子の解析を行った。、北方系亜種のMUSはイラン北部の起源地より、1)中国西部の砂漠地帯(15000年前)、2)黄土高原(10000年前)、3)中国東北部(7000年前)、4)朝鮮半島(5300年前)、そして、5)日本列島(3000年前)へと順次東方移動したことが示唆された
本講演では、大陸から稲作を携えてやってきた渡来系弥生人が、1)どこからやってきたのか、2)どのくらいやってきたのか、という問いに対する知見を、最新のゲノム解析の結果を踏まえて一般向けに紹介しました。
渡来系弥生人の遺伝的構成についてはOsada and Kawai(2021)や機関誌Yaponesian3巻はる号で詳しく解説しているのでご一読いただけたらと思います。
Hanihara(1991)では渡来集団が東シベリア、中国東北地方およびモンゴルの集団と形態学的には似ていたと述べられています。
これまでのいくつかの東アジア現代・古代人のゲノム解析から、渡来系集団は現在の北方系東アジア人集団に近かったという結果が出ており、この予想と概ね一致します。
本講演ではさらに、考古学や言語学的証拠も考慮に入れ、3500年前ごろに遼東半島近辺に居住していたが紅山文化の中心地からは外れたひとびとが、稲作とともに朝鮮半島を南下してきたのではないかという仮説をあげさせていただきました。
次にふたつ目の疑問、どのくらいやってきたのか、という問題について、Hanihara(1991)で用いられた手法を使い、より新しい歴史人口の推定値を用いた結果を発表いたしました。
Hanihara(1991)では、日本列島の人口が弥生開始期に約7.6万人、古墳時代の終わりに約540万人という推定値が用いられています。
埴原先生は、この値をもとに計算された自然人口増加率が年あたり0.43%である、という値がありえないほど高いと考えていたようです。
この前提に基づき、Hanihara(1991)では、どれくらいの渡来人が来ればおよそ1:9である縄文:弥生の遺伝成分を説明できるかというシミュレーションを行っています。
驚くべきことは、埴原先生が当時の形態データから推定した1:9の混合率という推定値が、現在の全ゲノムを用いた推定値とほとんど変わらないことです。
渡来人和推定の方法も比較的単純でありますがエレガントなものとなっています。
年あたりの大陸からの移入数を一定と仮定したモデルでは、毎年約1500人、およそ1000年の間に約150万人が渡来し、自然人口増加率が0.2%であれば日本列島における人口増加量の説明がつくという結論に達しています。
本講演では、Hanihara(1991)の方法に基づき、歴博による新しい年代観やより新しい人口推定値を用いてその評価を行いました。
たとえば、弥生の開始期を更に600年古くすると、1500年の間に人口が59倍に増加したことになります。
その場合、年あたりの移入数の推定値は約1000人と減りますが、1500年の間には約146万人と、埴原先生による推定値とほとんど一緒になります。
論文紹介2
論文タイトル:Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages
掲載誌:Nature (2021年, 599巻, 616-621頁)
著者:Robbeets M., Bouckaert R., Conte M., Savelyev A., Li T., An D., Shinoda K., Cui Y., Kawashima T., Kim G., Uchiyama J., Dolińska J., Oskolskaya S., Yamano K, Seguchi N., Tomita H., Takamiya H., KanzawaKiriyama H., Oota H., Ishida H., Kimura R., Sato T., Kim J., Deng B., Bjørn R., Rhee S., Ahn K.-D., Gruntov I., Mazo O., Bentley J., Fernandes R., Roberts P., Bausch I., Gilaizeau L., Yoneda M., Kugai M., Bianco R., Zhang F., Himmel M., Hudson M., Ning C.
ユーラシア集団において、日琉語族、朝鮮語族、ツングース語族、モンゴル語族、およびチュルク語族などのトランスユーラシア語族の起源と初期の拡散については、もっとも議論されている問題のひとつです。
重要な問題は、言語拡散、農業拡大、人口移動の関係です。Robbeetsらは、遺伝学、考古学、言語学の広範なデータセットから統一的な視点で解析することにより、この問題に取り組みました。
それにより、トランスユーラシア語族の共通祖先と最初の拡散は、初期新石器時代以降に東北アジアを横断した最初の農耕集団に遡ることができ、それらは青銅器時代以降の広範な文化交流によって覆い隠されてきたことが示されました。
これら3つの分野が大きな進展し、その証拠の組み合わせることによって、トランスユーラシア語族の初期の拡散が農耕によって推進されたことが明らかになりました。
最近の古代DNA研究のブレークスルーによって、ユーラシアにおけるヒトと言語と文化の拡散の関連が見直されていますが、依然として西ユーラシアと比べて東ユーラシアのついての理解は乏しいのが現状です。
本研究で着目する内モンゴル、黄河、遼河、アムール川流域、ロシア極東、朝鮮半島、そして日本列島を含む北東アジアについても、遺伝学に重点を置いたものや、既存のデータセットのレビューに限定したものなどのいくつかの例外を除いて、北東アジアを対象とした学際的なアプローチはほとんどありません。
トランスユーラシア語族(「アルタイ語族」として知られる)の言語的関連性は、有史以前の言語において最も論争が多い問題の一つです。
トランスユーラシア語族とは、ヨーロッパと北アジアに広がる地理的に隣接した言語の大きなグループを指し、5つの言語族(日琉語族、朝鮮語族、ツングース語族、モンゴル語族、チュルク語族)を含んでいます。
この5つのグループが単一の共通祖先から派生したかが問題となるのですが、長年に渡って、言語が継承されたのか、それとも借用によるものなのかが議論されてきました。
最近では、これらの言語間の共通性の多くは確かに借用によるものだとしても、トランスユーラシア語族は信頼できる確かな系統グループだとする証拠も示されています。
この系統グループを受け入れた場合、これらの時間的深度や場所、文化的アイデンティティ、拡散ルートなどの新たな疑問が生じます。
そこで彼女らは、トランスユーラシア語族の初期の拡散が紀元前4000年紀に東部ステップで始まった遊牧民の拡散だとする従来の「牧畜民仮説」に対して、これらの拡散が「農耕/言語拡散仮説」の範囲内である「農耕仮説」を提唱することで、課題の解決を試みました。
これらの課題は言語学の枠を超えているので、考古学と遺伝学を統合した「トライアングレーション」と呼ばれるアプローチで取り組んでいます。
言語学からは、98のトランスユーラシア語族について、方言や歴史的変化を含んだ254の基礎語彙を示すデータセットを用いて、ベイズ法による系統解析を行っています。原トランスユーラシア語族は9181 BP(5595–12793BP, 95%信頼区間)、原アルタイ語は6811 BP(4404-10166 BP)、モンゴル・ツングース語は4491 BP(2599-6373 BP)、日本と韓国語は5458 BP(3335-8024 BP)を示しました。
また、トランスユーラシア語族の空間的な拡大をモデル化した結果、これまでのホームランドとされていたアルタイ、黄河、内モンゴルの大興安嶺山脈、アムール盆地などではなく、初期新石器時代の西遼河流域がトランスユーラシア語族の起源地であることを支持する結果を得ています。
さらに、再構築した農耕牧畜の原語を用いた定性分析によって、たとえば新石器時代に分離した共通祖語では耕作や雑穀に関する語彙を継承するなど、特定の地域・時期の祖先原語集団の文化的項目が特定されました。
一方で、コメ・麦の栽培、牛・馬などの家畜などは青銅器時代の人々の言語的交流による借用とされました。
よって、言語学からは牧畜民仮説ではなく、農耕仮説を支持しています。
考古学からは、255の遺跡の文化的類似性によってクラスタリングしたベイズ解析の結果を示しています。
北東アジアの新石器時代の植物栽培はいくつかの中心地から拡大しており、そのうち9000年前に西遼河流域で始まったキビがトランスユーラシア語族にとって重要となります。
解析の結果、新石器時代の西遼流域に文化的クラスターがあり、そこから雑穀栽培に関連した2つの分岐(韓国のチュルムン分岐とアムール、沿海、遼東にわたる新石器時代の分岐)があることがわかりました。
このことは、雑穀農耕が 5500 BPには韓国に、5000 BPにはアムール川を経由して沿海州に伝播したことを示すこれまでの知見を裏付けています。
さらに、西遼河地域の青銅器時代の遺跡は、韓国の無文遺跡や日本の弥生遺跡とクラスターを形成しており、4000年前の遼東-山東地域の農業パッケージが、米や小麦で補完されていたことを反映しています。
これらの作物は、初期青銅器時代(3300~2800 BP)には朝鮮半島に、3000 BP以降には日本に伝わりました。
遺伝学では、アムール、韓国、日本の九州と琉球列島の23体の古代人ゲノムを取得し、先行研究の古代東アジア人および現代ユーラシア大陸集団のゲノムデータと統合して解析しています。
西遼河地域では初期新石器時代のゲノムは欠くものの、西遼新石器時代の雑穀農民はアムール的遺伝要素をかなり含んでおり、時代とともに徐々に黄河流域のゲノムに移行しています。
解析の結果から、このアムール的遺伝要素は、バイカル、アムール、沿海州、南東ステップ、西遼河を覆う新石器時代以前(あるいは後期旧石器時代)の狩猟採集民の本来の遺伝子プロファイルであり、それがこの地域の初期農民に引き継がれていると考えられます。
アムール的遺伝要素は日本語や韓国語の話者にまで遡ることができることから、トランスユーラシア諸語の話者に共通する本来の遺伝的要素と考えられます。
韓国の古代ゲノム解析では、朝鮮半島南岸の新石器時代人で縄文的遺伝要素がみられました。
一方で、同じく南岸の新石器時代のAndoでは縄文的遺伝要素は見られませんでした。
このことは新石器時代の朝鮮半島南部では縄文人の祖先が不均一に存在したことを示しています。
時代が下って、青銅器時代の韓国西岸部の瑞山市にあるTaejungniには、縄文的遺伝要素は見られませんでした。
また、現代韓国人への縄文人的遺伝要素の寄与は限定的であることから、新石器時代から現代にかけて減少していることが見て取れます。
Taejungniに縄文的遺伝要素が見られないことは、縄文的遺伝要素を持たない初期の集団が稲作を伴って朝鮮半島に移動し、縄文的遺伝要素を持つ新石器時代の集団に取って代わったことを示唆しています。
ただし、サンプルサイズと対象範囲が限られていることから、この仮説の検証にはもう少し多くの人骨のゲノム解析が必要です。
私の意見を述べるならば、私たちが分析した韓国南部の大邱市の南東部にある三国時代の完山洞古墳群の出土人骨のDNAも、現代韓国人と同程度に縄文的遺伝要素を受け継いでいることから、完全に入れ替わったとする考えには賛同しかねます。
以上よりRobbeetsらは、朝鮮半島への農耕の伝播は、新石器時代の雑穀栽培の導入は紅山文化、青銅器時代の稲作の導入は夏家店上層文化というように、アムール川流域と黄河流域からの異なる遺伝子流動の波と関連づけることができると述べています
以上の言語学的、考古学的、遺伝学的証拠から、これらの分野の間に明確なつながりがあることがわかります。
これらの統合により、トランスユーラシア語族の起源は、新石器時代の東北アジアにおける雑穀栽培の開始と初期のアムール的祖先集団にまでさかのぼることが示されました。
これらの言語の伝播には、農耕や遺伝子の拡散と同様に、大きく分けて2つの段階を含みます。
第一段階は、トランスユーラシア語族における主要な分裂に対応し、新石器時代前期から中期にかけて、アムール的遺伝要素を持つ雑穀農耕集団が西遼河から隣接する地域へ拡散した時期に該当します。
第二段階は、5つの言語族間の言語接触に対応し、後期新石器から青銅器、鉄器時代にかけて、アムール的遺伝要素を持つ雑穀農耕集団が黄河や西ユーラシア、縄文人と混血したときに、稲作や牧畜などを農耕パッケージに加えました。
本研究では、東北アジアにおける雑穀栽培の二つの中心地が、黄河流域のシナ・チベット語族と西遼河流域のトランスユーラシア語族の起源と関連していると示唆しています。
朝鮮半島に関しては、紀元前6000年頃に黄河流域および西遼河地域の各農耕集団が沿海州に拡大して混血し、それが朝鮮半島に持ち込まれたと考えられます。
その後、3300 BPに遼東−山東地域の農耕集団が朝鮮半島に移住して米や麦をもたらしました。
この農業パッケージが3000年前に九州に伝わり、本格的な農耕への移行と縄文系と渡来系の混血、および日琉語族への言語的転換が起きました。
モンゴルが怒涛の侵略してたときも陸続きの東欧まで壊滅して中東も壊滅して中国も滅ぼされて朝鮮半島まで完全に支配されたけど、日本は海に守られてモンゴルを追い返せたし。
国力対決だとモンゴルに圧倒的に負けてたから海が味方した。モンゴルに蹂躙された国と比べて日本が軍事的に進んでいたわけじゃなくて、ただ海に守られてた。
イギリスもそう。ヨーロッパの陸続きの国々が相互に侵略しあって国境線変更されまくりなのに対して、イギリスは本土がメチャクチャにされたことが少ない。海に守られてるおかげ。
あとは日本には山もある。台湾もそうだけど。海と山は、陸続きの平原に比べたら抵抗しやすい・防衛しやすい。
ウクライナは平原が続いていて山も少ない。耕作には向いていて、だからこそのあの小麦生産量なのだろうけど、すげえ守りにくい。
元731部隊員の複数の証言によれば、人体実験の被験者は主に捕虜やスパイ容疑者として拘束された朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人等で、「マルタ(丸太)」の隠語で呼称され、その中には、一般市民、女性や子供が含まれていた[31]。
マルタの人数は、終戦後にソ連が行ったハバロフスク裁判での川島清軍医少将(731部隊第4部長)の証言によると3,000人以上とされる[32]。731部隊の「ロ号棟」で衛生伍長をしていた大川福松は2007年に、一日に2〜3体、多い時は1日5体を生体解剖したと証言している[33]。犠牲者の人数についてはもっと少ないとする者もあり、解剖班に関わったとする胡桃沢正邦技手は多くても700 - 800人とし、別に年に100人程度で総数1000人未満という推定もある[34]。終戦時には、生存していた40-50人の「マルタ」が証拠隠滅のために殺害されたという[10]。