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はてなキーワード: 国語とは

2020-05-27

anond:20200527122711

この返信に限らずなんですが、議論煮詰まってくると、反論から一転して

「お前の言ってることは当たり前だからナンセンス」とか「そもそもそんな前提は存在しない」

というふうに話をすり替えるの、言葉は悪いですけど、義務教育レベル国語力のない人たちがよく思い付くよなぁと思います

2020-05-26

anond:20200526152341

カプセル化等の用語を覚えること」と「良い設計ができること」を対比して、前者を批判しているのだから、良い設計ができる能力は「技術者としてのスキル」に含まれるとしか読み取れない。

単純にお前の国語力が低いからそう思えるだけ。

anond:20200526151815

筆者のお気持ち忖度は「国語力」ではないだろ・・・って思うわなあ。

皮肉で言ってるならわからんでもないがそうは読めないわ。とか言うと「国語力がない」とか言われるのかな

anond:20200526150337

どの程度までの事柄を「技術者としてのスキル向上」とみなしてるのがよくわからいからなあ

まあそういった範囲の筆者の気持ち理解できてないような批判であるってのはわかるけど、日本語が読めてないってレベルなんだろうか。

せいぜい国語力が低めとかその程度なのでは。

anond:20200526002227

おれはお前の気持ちがよく分かるぞ。しかし午前問題いちゃもんつけるのはよくない。午前試験というのは面倒くさいけど、頑張ればその分救われるし、語彙力も上がる。

問題は午後問題だ。あれはクソだ。クソofクソだ。技術問題ではなく、国語問題になっていて、技術のことが嫌いになりそうなレベル吐き気がする。

自慢だが、一応ネスペデービー資格は持っている。しかし、合格したときの点数は61点とか、ギリギリの点数だった。正直、いまだにネットワークとかデービーのことは人に聞かれても何も答えられないレベル人間なんだが、なぜ合格したのか分からない。おれは不合格だと思っていたが、IPA合格にしてくれた(たまたま合格ラインに到達する人が少なくて、調整したんだと予想している)。IPAは本当にバカだと思う。おれはネットワークデービーも、何にも知らないよ!!

IPAは、試験問題の出し方を根本的に変えた方がいいと思う。今の問題の出し方はまじでクソ。

合格者を低く抑えたいのか知らんが、短時間問題を詰め込みすぎ。資格品位が地に落ちて消滅してほしいわ。

思い出したらムカついてきたので、クソな点を列挙しておく。

1、問題文が長い。技術力ではなく、読解力の試験になっている。

2、問題文が長い。ウォーリーを探せ状態になっている。

3、設問が多義的。何を問うているのか分からない。技術精通しているのではなく、試験流儀精通している必要がある。

4、問題文が長い。疲れる。

5、技術に長けている人ではなく、地頭の優れている人間試験勉強に膨大な時間を費やせる人間が受かるようになっている。

語彙力と言うか、表現力と言うか、言葉の幅を広げたいのだけど。

大人向けちょっとハイレベル国語講座みたいなやつないかな。

2020-05-25

anond:20200525142441

大多数の凡庸な読解力では、主人公気持ちになって考えてみましょうとか、ある意味洗脳ととれる解法を実践することによって回答にたどり着いているのが現状。

国語の授業でそんな事はやらん。

授業では主人公気持ち文章内のどこに書いてあるか解説して、

試験はそれを問うか、それを更に指定文字以内で要約させるとかそういうもんだろ。

んで教科書文章ならどう教えるかも決まってるんだからマニュアル無視して勝手な授業やる教師でもない限り普通はその通りにやるだけ。

模試入試なんかで初見文章解かせる場合も、答えは全部出題文の中に書いてある。

道徳の授業とごっちゃになってんのかね?

道徳増田の言う通りだが、別に試験があるわけでもないしそもそも国語とは別の教科だろ。

世の中には国語が読解できない人が多く存在する

そして、彼らの多くはそれを自覚していない。

anond:20200525101103

国語問題は題材が文学だろうが論理的に考えて文章内に書かれている正解を抜き出すだけの作業なんだが

読解力がなくて書かれている正解を読み取れないか忖度しないと解けないと思ってる人か…

ってか論理文じゃなくて論説文だろ

anond:20200524195050

現代国語論理性を鍛えるのが目的だったんだけど、教科書には論理文と文学の両方が混ざっていて、それらの時間配分教師裁量にまかされてた。

国語教師文学シンパの人が多いから、どうしても文学に肩入れしてしまい、主人公気持ちガーとかに皆が悩むことになった。

今般、論理国語文学国語選択制になるので、理系の人は論理国語選択すれば気持ちとか忖度しなくてよくなるようだ。

2020-05-24

anond:20200524195331

高校までのSTEMに絞れば少なくとも書き手気持ちを考える必要は全くないね

技術者文化もあるにはあるが、何かしらの形で合理性担保されてることが多いからそこまで気にはならないな

得意な現代文漢文(おおもとの思想が今の日本人とそこまで乖離してない)でセンター試験国語は間に合ってたが、文系卒の人間から聞く限りでは文系に行ったらやっぱ苦痛だったろうなと今でも思う

ウイスキー評論文章って、なんであんバカっぽいの?

レビュー:響21年 -生真面目な、日本人-

グラスを鼻に近づけると、ナストウモロコシ有機溶剤。雨をはじいたオーク材。

群生した夏草に感じる香りの奥行きと清涼感。土。

口に含めば、一瞬で溶ける飴。渋みを感じさせず、しかバランスの取れた重量感。余韻は長く続く。

柔らかいアプローチの中にすべてを徐々に明かしていく。

前へ前へとグイグイとこないが、静かに「いつでもここにおいで。待っているよ」という貫禄。

鉄、赤土、水、草。

日本的な静かな主張とバランスの中に、フローラルを感じるウィスキー

恥ずかしい

小学生国語からやり直せと言いたい

 明治時代昭和時代学校国語先生などは、日本人が超絶激臭膣であることを認めたうえでどうしようかを考えていたが

   安倍晋三低能ゴミから警察学校先生を使うことができず無能から日本人が何かであるかの検討もできないだけ

     要するに善良な先生がいないから、日本人本質を指摘されると、やれ逮捕逮捕と言っている。無能

  だからてめえには人気が出ないんだよバカ

anond:20200524095655

まず、先生になりたかった

国語勉強をはじめた。数学先生になりたい。

というのは間違ってはいないが先生になりたいということが主語のように聞こえてしまう。

プログラムのことを言いたいなら、もうちょっとプログラム比率を増やしたほうがよみやすいよ

2020-05-23

インターネットには説明しろおじさんが多い。ブコメTwitterでよく観られる。対象政治家とか企業、有名な人。いろんな人に説明しろ罵倒気味に命じる。発祥国会の質疑だと思われる。いつの間にか説明責任とかいう謎概念ができている。ただ、困ったことに説明をしても、説明しろと言った人は聞いちゃいない。説明理解する能力がないか、あえて無視している。個人的ダサいと思うのは、質問する側が問いを練り上げてない点だ。ただ漠然説明しろと言うのは知性に欠ける。何が問題であるのか練り上げて質問したほうが効率的だし楽しい。ただ、曖昧な問いしか投げられないのは、言語化能力問題かもしれない。研ぎ澄ました本質的な問い、質問された人が簡単には答えられないような問いを投げるのが、かっこいい在りかただと思うのだが、言語化できない人は質問をするだけで満足しているのだろう。権力を持っているのはわれわれ有権者なので質問はしていい。だが、薄っぺらい問いを投げて満足しているのは残念な姿だと思う。

近代社会言語化できない人に厳しい。国家的な教育を通して国語能力を磨かせているはずなのに、読み書きできる人は少ない。しかし、言語能力が高くないと困る社会にも問題がある。認知特性には人によって偏りがあり、言語より図やイラストによる表現が得意な人もいる。音楽だってそうだ。これだけ国語をやっても変わらないのだから、人によって得意分野が違うとして諦めるしかない。一部のエリートは何も苦労せず読み書きができている。彼らは制度を作る側なので、当たり前のように読み書きを重視する。残念ながら、この構造は変えられない。思考固定化するには文字効率的なのだ。新しいシリアライズ形式が出ない限りはこのままだろう。

平成15年東大文Ⅰ合格組はめっちゃやばい奴らだったから許されない

  当時の文Ⅰ採用試験では、人として本物じゃないと採用していなかった、答案に何を書いたかはどうでもいい

主に、数学英語世界史地理での勝負で、答案には、知恵のあることをいかに書き散らせるか

   採点は闇の中で行われ、国語の採点はどうでもよかった、主に数学英語で決まった、

    もちろん、早稲田慶応試験も同等で、とにかく当時の採用試験ではやばいしか採用していなかった

  その人らから見れば今の社会は最低最悪で許されないから、そろそろ、15年前に一流大に採用された猛者どもが暴れるべきだろう

     自分たちが当時、満天下に選ばれた存在だったということを忘れているのではないか

増田のいう「普通社会人」の定義

30歳くらいで女子高生彼女がいて一部上場企業ベンチャー企業技術職かフリーランス年収は最低でも800万~1200万

家賃10万くらいのタワーマンションに住んでて3か国語離せて武道の有段者か海外銃器の取り扱いを訓練受けて戦闘能力もある

女なら30くらいでも20代のイケイエリートスポーツ選手総合商社の若手社員社長令息と3人くらい同時に付き合ってて

一部上場企業ベンチャー企業技術職かフリーランス年収は最低でも800万~1200万

家賃10万くらいのタワーマンションに住んでて3か国語話せて友達かに警察幹部自衛官幹部がいてボディーガードしてくれるコネと美貌がある

これくらいじゃないと人生詰んでるようなもんだから努力しろというけどさ、一言言っていいか

いねーよそんな奴

仮にいたとしても普通に会社に雇われて既存仕事についてねーよ

2020-05-21

https://anond.hatelabo.jp/20200424123040

11

あの日、この国のリーダーは、世界が二度ともとに戻らないことを宣言した。緊急事態宣言の解除。それが新しい時代の合図だった。

彼は“新しい生活様式”という言葉を使った。今後も人との適切な距離を取ること、通勤や通学をなるべく控えることを人々に求めた。

サタはその“号令”を聞くまで、この国がまた元の不合理な世界に戻ることを懸念していた。そのせいか彼女はやたらと胸を踊らせてその言葉を聞いていた。私たちはこの国の盛衰を見てきた。サタの懸念も当然だった。

工業分野で一度成功を収めたこの国は、その後、情報通信分野で他国に後れをとっていた。その理由はいくつもある。成功体験を手放せなかったとか、政治家特定産業癒着のせいだとか。権力者たちが発想のバージョンアップを怠ったせいだとか。

しかし本当のところは、工業分野での成功をもとに社会システムが構築されたため、新しい分野を受け入れる余地がなかったためだ。

たとえば子どもたちが義務教育間中に学ぶのは、国語算数だけではない。集団として生きていく術の習得さえ、教室という閉じた空間に一任されていた。彼らはやがて満員電車通勤し、この国の経済に貢献することを期待される。これが古いシステムバックボーンだった。

集団を前提とした教育から労働までの一貫した流れ、それに特化したかたちで社会システムは構築されていた。これまでの経済的な成功には、集団での活動が不可欠だった。

そこにリモートワークやオンライン授業が介入すればどうなるか。このシステムの、“集団での生産活動”という基本理念崩壊することになる。つまり“それ”にとって、その手の技術障害しかなかった。通勤や通学ありきで敷かれた公共交通無駄になってしまう。

本当は、誰もがその集団を前提とした古いシステムに疲れていた。柔軟性のなさに飽き飽きしていた。もっと本質的なところで効果的なやり方があるはずだと、みんなうすうす気づいていた。

しかし(本当の意味で)より合理的システムに作り変えるには、既存のものを一度壊さなければならない。壊すということは、そこ(特定産業など)に深く携わっている人が犠牲になるということを意味する。

安定を好むこの国の人々にとって、その選択は難しかった。誰かに起こる悲劇自分にも起こりうる。明日は我が身。共感性の強い人々のそういった思考習慣が、それを阻んでいた。そしてそれは、最終的には、為政者政治判断に反映される。

政治家特定産業癒着や、国家予算といった表面的な問題のその底に、この国に住む人たちのそのような集合的意識がひっそりと流れてた。ほとんど気づかれることなく。

実は一度、この古いシステムを再構築する試みがあった。しかしそれは犠牲を生んだだけで、何の成果も得ることなく中断された。多くの求職者自殺者を生んだだけだった。

失敗の理由は明白だった。それぞれの人間の思惑が介入しすぎたためだ。古いシステムには当然のことながら、長年のしがらみが複雑に絡みついているが、新しいシステムの構想もまた、一瞬にして誰かの思惑に取り込まれる。

そして中途半端に壊れ、(一部の人意図に沿って)中途半端機能する、中途半端システムが完成した。完成したと言っていいのかすらわからないが。

ともかくこの国の人々は、その生殺しシステムの上で、前にも後ろにも行けずに30年、止まった時を彷徨うことになった。

それに終わりを告げたのがSARS-CoV-2だった。そこに人間の介入はない。ただ、自然の摂理、あるいは不可抗力共存するためのシステムモデル、そして本当の意味での合理性の追求があるだけだ。

それだけが、完全なる破壊遂行できた。特定意図の介入を阻むことができた。

破壊の後の自由の上で、それぞれの技術本来能力を発揮することを許された。呪縛は解かれ、初めてリミッターが外された。為政者たちは、もう古い理念、古い技術による古いシステムに場を提供し続ける必然性がなくなった。逆に言えば、それらを護るために新しい可能性は制約されていた。

場は、新しい技術に明け渡され、ウイルスやその他の脅威から人を護るため、都市全体の空気清浄化するシステムや、生体情報管理調整を担うウェアラブルデバイスの開発が加速した。

変化は、テクノロジーだけではなく、人々の精神においても加速した。今まで科学社会通念の“外”にあるとされていた物事が、“内”に組み込まれることになった。

平田オリザ氏の失敗を日本教育の失敗みたいに主語を広げていくのは

ご遠慮頂きたいなって思ったんですがタイトル長すぎて切れましたてへぺろ

平田オリザ炎上にみる、コミュニケーション教育は「他者相互理解する能力」を害しているという現実

https://note.com/hirayama_t/n/n9ee3544db3b0





これ見て「伝える力偏重コミュニケーションはパッと見だとうまくいってるように見えるけどちょっとしたきっかけで破綻する」ってのはその通りだよなーと思いつつ、どうしてもひっかかることがあったんですよ。

そもそも日本コミュニケーション教育は伝える力偏重」ってマジなの?ってとこです。

自分職業コミュ障のくせに他者との会話が必須なので教育で得たスキルでどうにか人並みの仕事をできるようにしてるんですけど、そのコミュニケーションのための教育で教わることって「相手の話をちゃんと聞こうね」なんですね。

相手の話には適切に相槌を打つことで相手安心感を与えよう、だとか、相手の言ったことを再確認することで齟齬が起きにくくなるだけでなくて相手からも信頼してもらいやすくなるから言われたことはちゃんと「○○ですね?」って聞き返そうね、とか。

もちろんこっちからしかける時の注意として分かりやすく簡潔に、とか、伝えるためのスキルってのも教わりましたよ。でも相手の言いたいことをちゃんと把握するための技術はきちんと教わりましたし偏ってるなんて思ったことないです。

そもそもこの平田オリザって人、コミュニケーション教育ナントカ座長第一人者って言うけど今回の炎上まで名前も知らなかったんですよね。もちろん自分アンテナが狭いってのはあると思いますが、それだけ重鎮のはずの人ならそれこそテレビ御意見番とかで出てきて名前くらい聞いててもよさそうなのになーとか思ったり。




そんでちょっとググってみたんですけど、この「コミュニケーション教育推進会議」って悪名高い民主党政権時代に発足してて、しか文科省WEBサイトを見る限りでは会議自民党政権に戻った後は開かれてないっぽい(議事録が4回目までしかないしその後の活動特に掲載がないし資料も見当たらないし)感じなんですよ。いや活動継続してるなら教えて欲しいのでリンク下さい。

もちろんその2・3年ほどのせいで日本教育に深い爪痕を残したっていうのであれば理解できなくはないですけど、そういう方向の話でもなさそうだし。

日本には昔から「話し上手は聞き上手」っていうことわざだってありますし、いわゆる陰キャと呼ばれるようなタイプの間でリア充の人のコミュスキルの高さの話が出る時って「真のリア充自分らみたいなコミュ障でもうまく会話を誘導して話を聞き出して広げてくれるからすごい」って話であって「リア充の話っていつまで聞いてても飽きない」みたいな方面の話はほぼ聞かないです。自分は。

時間の都合とかスキル不足で教育が足りてないという現実はあるにせよ、コミュニケーションには自分意見を正しく伝えることも重要だけど、相手意見を引き出す能力であったりその為の傾聴能力であったりもすごく重要だよね、と思ってる人の方が多いんじゃないかなあ。少なくとも自分観測範囲だとそうです。

ネット上のコミュニケーション発言重視のコミュニケーションになってしまうのは、どちらかと言えばどうしても対多人数への発信が主になりやすく、かつ相手の反応が返ってくる(相手の反応を確認できる)のがリアルタイムではなくてタイムラグがある(ブログなどだと記事投稿⇒読んだ誰かによるコメント⇒更にそれを書いた本人が確認するための時間差がある)という対話方式構造上の問題であって、教育がどうこうじゃないと思うんですよね。

いや、そういう1対多数のコミュとか発言からレスポンスまでにタイムラグがある場合対話術とかを教育できちんとやるべきではって話であるならやった方がいいでしょうねとは思うんですけど、それって傾聴能力を軽視したかコミュニケーション教育は失敗したんだ、っていう話とは別の話じゃないですか。別の話に平田オリザを混ぜ込まれると問題点が見えなくなるのでは?っていう。





十数年前の道徳教科書には既に「英語が得意な『私』と得意でない友達がそれぞれ海外ホームステイに行ったけど、『私』はステイ先の同年代の子供と話が合わずギクシャクして、友達の方が海外の友人と仲良くなっていた」っていう話がありましてね。喋るのが得意でもそれだけでは相互理解なんてできないというのはずっと前から教育者も理解してると思います。(まあこの話の本題は自分の国に目を向ける、自国に誇りを持つことにあるっぽいですが)(ちゃん最後には仲良くなれるのでごあんしん)

でもって傾聴能力のもの教育である程度まではどうにかなります。何せ自分仕事できているので。

もちろんそこには仕事からこそ相手の話をちゃんと聞こうという意識が働いているという部分があり、相手の話を聞こうとしなければ傾聴スキルいくら磨いてもコミュニケーションできないってのはその通りです。ですが「相手の話を聞こうと思えるようになるためには何をすればいいか」についてはこれもやっぱりある程度までの話になりますけど教育で賄える部分かと思います

という横の話はおいといて、やっぱり平田オリザ氏のコミュニケーション論を軸に日本全体、あるいは主軸のコミュニケーション論が伝える力偏重であるという論調で話を進めるのはちょっと乱暴でないかなーと思うのです。

昨今の英語教育だって技能、読む、聞く、書く、話す、と受け取る能力が盛り込まれます

日本コミュニケーション論が伝える力偏重になっているのでは、という話をするならそんなごく一部かつ負けた政権人間で今は開催されてないっぽい会議議長の話を出すんじゃなくて、もっと他に今話題の方とか継続して活動を続けておられる方とか現在全国で取り組まれている試みとかを例として提示しないといけないんじゃないでしょうか。





あとググって出て来たここのページ

http://web.iec.ehime-u.ac.jp/reinelt/2018JCAcsComp/2018JCAcs3WakiTadayuki.pdf

とかを見て当時の会議資料のありかを知ったんですが、確かに2000年代初頭の資料については伝える力について主題として扱っているんですが、これはそもそも国語力とコミュニケーション能力関係性について語られているのであって主題になってるのは国語力の方では?というあたりの問題もあって一概には言えない気もするなーとか。

国語力は円滑なコミュニケーションには重要です、という話とコミュニケーション能力とは高い国語力のことです、では話が違いますよねってことです)

それにこれって「意見を発信する時には相手への尊重必要不可欠だよね!だから敬語大事にしようね!」みたいな話なので(雑すぎる要約なので詳しく知りたい方はちゃん一次資料を読んでね)相手こちらの話を聞いて貰えるようにするための警戒心を解いてもらう話術の話だと思うんですよ。

そんでもって平田オリザ氏の例の発言炎上したのってその「相手への尊重」が欠片も感じられないんですけど、ってところが起点じゃないですか。

発信する側としてのコミュニケーションスキルである相手への尊重とそれを実際に示す態度、話法というのができてない時点で「平田氏のコミュニケーション論には問題があるかもしれないけれど、そもそもとして平田自身自分の主張するコミュニケーション技法を守れていないので、今回の炎上を元に平田氏のコミュニケーション論が間違っていたかを論ずることはできないのでは?」という。平田氏のコミュニケーション論が正しいかかには別のサンプルを持ってこないと駄目なんじゃねっていう。

なんかこう、平田氏の失敗を直接的には関係ない仮想敵への攻撃に便利に使っているように見えてしまって、伝える力偏重コミュニケーション教育はよくないって主張そのものについては同意できるだけになんかむずむずするなーと思いました。

anond:20200519212126

国語ゼロコメント書いて、あたまがわるい タグつけてるのもなかなか笑いとる才能あるな。失笑だけど

2020-05-20

anond:20200520222710

震災をだいそんさいっておま、日本語ができないにも程がある

さっきから社会教科書読んだことないんだろうとおもってたが国語もか

高等教育をうけていないニートはかくも生きづらそうなんだな

anond:20200520215359

そりゃ国語の授業で東北弁使われたら笑い物にするでしょう?

オーストラリア訛りで離される身にもなれクソジャップ

anond:20200520105936

右翼系の中にある1グループであるネトウヨインテリじゃない」って文章がどうやって「左翼自分インテリ」になるのか説明して。

出来ないなら小卒未満の国語力ですよ、愛する国の言葉なんで頑張って下さい。

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