「国語」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 国語とは

2018-10-16

anond:20181016180938

横だが3行しかないもの斜め読みでも読めてないって国語出来なさ過ぎだろ…

2018-10-14

日本語ってなくすべきじゃね?

公用語英語にしたらGDPが2倍くらいになりそう

とにかく日本語文字を打つのに不便だし形が醜いしガラパゴス化の原因になっている

国語英語とし日本語古典として教育すべき

2018-10-13

anond:20181013125559

男性理系に進み女性理系に進む理由は、女性理系が苦手だからではなく、男女とも得意なほうを選んだ結果である、ということらしい。

まず,いわゆる男女平等パラドックスを考えてみよう.男女平等パラドックスとは,男女平等の水準がもっとも高い国が STEM 教育の男女比で女性が少なくなるパラドックスのことだ.

 

(略)

 

調査対象になったどの国でも,読解は男子より女子の方が上回っている.また,一部の国では,科学数学でも女子の方がスコアが高くなっている.

次に,右側のデータを考えよう.こちらについては,Stoet & Geary は,相対的に見てどの科目がいちばん得意かを生徒ひとりひとりに訊ねて,回答を国別に平均している.男女のちがいは,今度はさらに顕著になっている.たんに女子の方が読解に秀でているだけでなく,平均で見て数学科学でも女子の方がすぐれている国ですら,女子は読解の方に長けているのだ.

 

(略)

 

さて,これで生徒たちにこう告げたらどうなるだろう――「得意なことをやってごらん!」 大雑把に言えば,状況はこんな具合になるだろう:女子はこう言う――「歴史国語は A で科学数学は B だから長所もっと伸ばして歴史国語と同じ技能を活かすことにしよっと!」 一方,男子はこう言う――「科学数学は B で歴史国語は C だから長所もっと伸ばして科学数学からんでることをやろっと!」

アレックス・タバロック「男子の方が数学・科学に比較優位がある?」 — 経済学101

anond:20181013145313

隅っこ突っついたらいくらでも例外はあるでしょ。

国語の授業うけたことある

anond:20181013124925

ほら一部しか読めてないだろ?

他にも長く書いていい場合があったでしょ。国語問題だぞ?

2018-10-11

anond:20181011040543

人文学社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。

なんとなく「人文学」と書いたけど,「人文科学」と呼ぶこともある.私個人としては別にどっちでもいいかと思うけど.人文系社会科学系と呼んだりもする(総称は「人文社会系」とか「人文社会科学」とか).「社会科学」は略せないんだよな,「社会学」とかぶちゃうから.このへんは前増田で参考文献として挙げた隠岐さんの著作面白かったから読んでほしい.オススメ

理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿排除には有効なんだよ(捏造動機にもなるけど)。

論文数で無能認定文系でもよくあることです(ただ,論文をあまり書いていないだけで該博な知識を有してる人なんかは尊敬される.周りは「もっと論文書いて! 読みたい!」って思ってるけどw そういう人がポストを得られていなかったりして業績少ないから仕方ないと思う反面すごいもったいないなと思ったり).ただこれも分野によっては1年に1本書いてりゃまあ標準的,というところもあれば1年に2・3本書くのが当然だろ? という分野もありで,その上分野によっては査読の有無での格付けとかもあまりしないので(そりゃ学振申請書では査読つきとなしを分けて書くけどね),安易に異分野の人が自分野の基準無能判定するのは本当に良くないからやらない方がいいと思う.今年は著書1冊書いてるけど論文は書きませんでした,を理系基準で業績ゼロって判定されたら暴動起きますよ.

あと歴史学文学だと,いちばん大事仕事論文執筆じゃなくて史料校訂だ,という感覚もあったりして,そのへんがきちんと評価されるのが望ましいよなぁと.ある平安貴族について論文書いても分析視角ニッチならあまり引用されないかもしれないけど,どこぞのお寺なり旧家なりにしまわれてたその貴族日記活字に起こして誤字脱字を訂正して単語意味解説して背景情報を補足して(日記って本人にとって当たり前のことは書かれないけど,1,000年経ったらそんなことわからないので),っていう作業をしたらその後平安時代歴史文学をやる人に参照されまくる基礎文献になったりする.こういう地道なレファレンス作りや史料校訂がきちんと評価される仕組みであってほしい……

で,引用数については問題点が2つあって,

1.どうやって数えるのか

これは技術問題.色んな言語で発表される紙の本での引用数,どうやって数えたらいいの……? ってやつ.異国の本屋さんで面白そうな学術書があったから手に取ってみたら私の論文引用されてたとか,異国で買った本をパラパラ読んでたら知り合いの英語論文引用されてたけどその知り合いはその異国語を読めないから多分存在を知らないだろうなとか,そういうの割とあるあるなので,人文系じゃ誰も被引用数なんて気にしてない.ぶっちゃけ無理ゲーだと思う.

あと,英語の本で引用されて,そのあとその英書が10国語翻訳出版されました,という場合は,何回引用されたと数えるべきだと思う? 1回? 11回?

2.それ数えて意味があるのか

そもそも優れた先行研究を褒めるのにもダメな先行研究をけなすのにも引用をするわけで,ある論文の中でむっちゃ参考にされた文献とけちょんけちょんにされた文献の2つがどちらも引用1回ってことにされちゃう不公平すぎない? って思うんだけど.それに,自分の専門分野についてあまりにひどい俗説が広く出回ってるとき学術文献じゃなくても引用して批判することがあるので,たとえば日本近代史の人が小林よしのりの『戦争論』を名指しで批判するとかよくある.純粋引用された数で勝負したら小林よしのり惨敗するマトモな研究者って大勢いると思うんだよね.

というか,文系だと「他人の書いた文章研究対象にする」というのがあるので,村上春樹研究なら当然村上春樹引用するわけで.さら学問分野によっては,「文献リストに先行研究研究対象を一緒くたに並べる」慣行を持つところもあり(これはその分野なら英語圏の査読誌でもそうなってる),たとえば樋口直人『日本排外主義』という日本極右研究した本の文献リストには,日本欧米社会学者が書いた真面目な研究文献と桜井誠櫻井よしこ西尾幹二の本がABC順でごちゃ混ぜに配列されていて,両者は引用形式からはまったく判別できない.本文を読めば前者を参考にして後者分析したり批判したりしてるのがわかるんだけど,機械的区別することは不可能.なので在特会に関する研究が進めば「桜井誠引用数で負ける研究者」がたくさん出てくると思うけど(というか現時点での私が負けてる疑惑),この基準どう考えてもおかしいでしょ.文系の業績を考える上で被引用数はマジで無意味だと思う.

追記

id:q-Anomaly 面白かった。一般文芸と一緒になっているから大変なのかな?理系だとわざわざトンデモさんに言及したりしないしね。間違いを指摘するとき論文ではなくて直接メール、もしくは研究会で議論かな。

もちろん文系でも別に公な場で晒し上げるほどじゃない間違いだったら直接本人に言うとかあるのでそのへんは批判する人の性格とか人間関係にも拠るところはあり,一方で理系でもSTAP細胞ときはさんざん批判論文出てたように思うので公開の場で批判する文化は当然あると思うのだけれど,間違いの指摘を必ず公開の場でやるわけじゃないとか言われるとじゃあこれまで理系には透明性のある評価基準があるけど文系にはそれがないかダメとか言ってたのはいったい何だったんだよ……って思うわ.あなたが言ってきたわけじゃないかあなたに言うのは不当なのかもしれないけれど.

id:hogefugapiyox 増田 理系(理論)でも独創的な論文で高く評価されるけど問題自体が超ニッチ引用は増えないことはありうる。そこで論文誌や国際学会のランクが役立つことはある。正しくてもレベルがそぐわないもの査読で落とされるので

これは文系でもあるあるメジャーテーマ研究していてもつまら論文しか書いてなければ意味はないしマイナーテーマでも面白論文が書ければ就職が決まる.

id:death6coin 参考にしたのと批判したのは別にリストアップする形式がいまからまれ得るかというと・・・難しそうですね。批判にも論外から一部の点で疑問があるまで程度があるだろうし。

「この論文はこんな資料を発掘してくれたので重要だ.でも発掘した資料解釈に疑問がある」とか,どっちにリストアップすればいいんだよという話で.

でもって,リストアップの形式については出典をどう示すかという形式が大きく絡んでくるんですわ.たとえば,歴史学なんかだと先行研究研究対象は別々にリストアップするけど(それでも流石に優れた先行研究ダメダメな先行研究は分けないよな),それは社会学とは違うやり方で出典を表記しているからそういうことが可能なんだという事情もあって,まあこのへんは自分学術書やら論文やらを読んで出典チェックしたことがないとわかりづらいかもねえ.社会学とか一部の分野で全部ごちゃ混ぜにした文献リストを作るのにも合理的理由があるんですわ.

id:hisawooo 増田に言うんじゃないんだけども、トンデモ論文への直接的な批判するなら一番マトモで普通な手段編集者宛のレター(つまりは読者からのお便り欄)じゃないかね(理系の話をしてます

なるほど,そういう慣習があるのね.言われてみれば文系でletter欄って見ないな.

で,文系論文だと本論に入る前に「先行研究の整理」ってやるんですわ.「先行研究Aは基本的妥当だがこの部分の解釈問題があり,先行研究Bは古いため近年発見された資料を使っておらず,先行研究Cは優れた研究だがちょっと私のやりたいことについてあまり触れられてなくて,先行研究Dは論外」みたいに整理した上で,じゃあ先行研究A~Cの成果を踏まえて先行研究Cが見落としている角度から先行研究Bが使ってない新資料を使って先行研究Aとは違う解釈します,みたいに自分論文の意義や新規性アピールするわけ.なので純粋な参考文献だけの抽出とか無理ゲー

id:enemyoffreedom 引用数の正しいカウントがやりづらいのは、さすがにその分野の引用慣習に問題ありな気も。他分野や門外漢から見た透明性の確保も今後は必要になっていきそう。まぁそれだけが業績評価を左右するようだと不健全だが

たくさん引用されたか価値がある研究! とかいローカル基準に基づいてヨソの分野の引用慣習をまるごとdisるならこっちもお前らのそれってPV数狙いのSEO対策でクソ記事垂れ流す互助会みたいなクソ慣習だなって言っていい? つーか文系査読なしで論文のチェックをしない! 不健全! と文系批判対象も引用に含めている! 不健全! ってマジどうやれば同じ口で言えるんだよって感じ.クソ論文をきっちり論文中で批判してるから正しいカウントが難しいって話に正しいカウントがやりづらいか問題とか言われるのマジ批判のための批判じゃん.全部ごちゃ混ぜで引用するのにも合理性はあるんですよ.そんなのはその分野の論文なり著書なりを読んで出典チェックしてみればわかりますよ.何度も言うけど英語圏でもこういうやり方なの.本当にこの慣習を是正たかったら理系の皆さんが大好きな英語で全世界普遍的問題提起をなさってくださいよろしくお願いしますクソが.

すごい大事追記

id:rci このシリーズはとても面白い。

面白いと言ってくれるのはありがたいんだけど,あなた一連の増田ちゃんと読んでる? このトラバリーの中で,私は何度も自分オタクだって言ってるよね? だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/372509722/comment/rciみたいな雑括りされても本当に困るんだけど.まあ記事の隅っこで書いてるから気付かなくても仕方ないところはあるけど,そうやって文系オタク対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.

正直私はキズナアイについては興味ないし,どうせならシロちゃんやらせればよかったんじゃ,とか思うけど,同時にあのくらいの服装が叩かれるとかおかしいよな,とも思うよ.なぜか服装に関してはゴリゴリ保守派になる連中が多くて目眩がしてるよ.色んな変わった服装を好む人への抑圧だろ.ぜんぜんNHKに出ていいよ.それが多様な社会であり自由社会だよ.

とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.ただもう本当にこれ以上関わり合いになりたくないのでここ数日の荒みきった心を『ヤマノススメ』の録画を見ることで癒やしてきます.一連のレイニーブルー展開を鑑みる絶対ここなちゃんはひなたをあおいから寝取ろうとしてるしかすみさんはあおいをひなたから寝取ろうとしてると思うんだよね.

2018-10-09

anond:20181009225503

国語はこのときの作者の気持ちを考えるもの数学は1+1=2を延々と証明するものだと思ってそう

anond:20181008215814

metamix 英語論文なぞいらん日本語で事足りるって話はまあいいけど、理系なら学部生ですらやらされることを文系だと教授クラスでもやらなくていいんだーフーンみたいな感想

お互いの分野で必須タスクが違うだけだろ……英語以外の外国語を読まなくていい理系はずいぶん楽ですね,って言われたらどう思うよ? 私は修論書くにあたって複数ヨーロッパ言語読んだし,東洋史だと修士でも複数の現地語+複数ヨーロッパ言語を読むのが当然みたいな分野もあるけど,理系英語だけ読んでりゃいいんだっけ? ふーん.

kyuuzyuu9yen じゃあ文系論文妥当性はどうやって担保しているのかと。仲間内でも議論はしているのか?

dot 学術言語は一理あるとも思うけど、査読有りが理系ローカルルールという言説には面食らう。記述言語査読有り無しも最終的には学術論文としての品質をどう担保するのかというところに帰結すると思うんだ。

slimebeth この問題英語査読不要理系絶対と思うなみたいな捨て台詞をいろんな人が吐いてくのに「では代わりにどういう制度方法論で研究の質を担保してるのか」を未だに誰も一言も言わないの底知れぬ闇感すごい…

本当に疑問なんだけど,こういう主張するひとたちって「まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される」っていう箇所が読めてないの? 査読つき雑誌はある,査読つきの業績は重要であるしか査読がないからといってダメであることを意味しない,ってそんなに難しい話かね.

ていうかこういうひとたち,普段査読通った論文なら無批判に盲信してるんですか? 論文批判的・懐疑的に読まれ瑕疵があれば後発の研究によって批判されたり乗り越えられたり無視されたりするものだ……というのは文理を問わぬ学問常識だと思っていたのだが,「査読がないとどうやって研究の質を担保するの?」などと吐かす一部の理系はどうやら査読を通ってさえいればアッサリと先行研究を信じてしまうらしい.どっちが権威主義なんだか.

reuteri ペレルマン査読されてないが多くの人から批判的にチェックされるでしょ?そのチェックの有無が科学にとって重要で、「学界の権威が言っているから正しい」という世界科学ではないのですよ。日本語については同意

藁人形叩かれても困るんですよねぇ.

theta 日本には日本のXX学、米国には米国のXX学、印度には印度ののXX学があって相互互換性が無いのなら、それは普遍性のある学問なのかなという疑問がある。

こういうレベル説明から始めなきゃいけないの本当に馬鹿げてると思うんだけど,日本西欧研究なら西欧諸言語の先行研究は当然追いかけているし,英語圏の日本研究者は日本語の先行研究読んでますよ.ドイツ人ドイツ研究者と日本人のドイツ史学者は同じ学問従事していて,同じ問題意識を共有している.ただ,日本西洋史研究日本歴史学という別の文脈の中にも置かれていて,そちらから影響を受けて「日本西洋史研究独自の色を出すこともあるし,アメリカでは日本研究者と東南アジア研究者が共同プロジェクト独自問題意識を深めているかもしれない.そういう意味で各国の研究には多かれ少なかれその国の事情に根ざした独自性があるわけ.そして,時には「本国」以外での研究潮流が「本国」での研究に影響を及ぼすことだってある(たとえば前世紀末から今世紀初頭にかけてのアメリカソ連研究典型的かな).日本中国学はフランス台湾中国学と微妙に違っているかもしれないけれど,それでも同じ中国学なんだ.

kingate だとして。最先端は何処よ?学術研究論文最先端批評貰う必要があるんじゃねぇの?ローカル内容でも批評貰わんと正否は出ないでしょ、総論として。で、あの学者モドキはその総論に後ろ足で砂掛けたの。

分野によるとしか言いようがないし,別に最先端複数あってもいいんじゃないかと思わなくもないが.たとえば私が研究対象にしている地域については間違いなく英語でのショボい研究蓄積なんかよりも現地語での研究最先端だけど,私は現地での最先端研究フォローしているし,現地人の使っていない資料とかも使って彼らと勝負しているつもりでいるよ(現地人だからこそ盲点になってる資料みたいなのがあるんだよなぁ).

iyochoo 国内アカデミアを重視するか、世界アカデミアを重視するか。両方の言語で書いてくれると助かる人が多いです。

世界アカデミア」なんて幻想で,各国別のアカデミアが併存してるんだよなぁ.もちろんそれらの間に橋を架ける必要はあるけれど.

(……)恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行研究をしている事で他の研究者が参照しやす環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄調査時間必要とするのだろうなという事を想像しますね。(……)

anond:20181009154937

ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.

そもそも査読はあるし重要だが,査読がなくても良い論文であれば評価対象たりうる,という話を少なくとも私はしていたわけで,それを「査読文化がない」と要約されても困惑するわけですが,まあ全ての論文査読を受けているわけではないという状況を「査読文化がない」と書いているのだろうと好意的解釈するとして.

当たり前ですが文系でも「レベルの高い査読誌」「査読はないがレベルの高い雑誌」「レベルの低い査読誌」「無査読紀要」ではチェックの優先順位論文の重みは違います.当たり前ですね? 査読はしていないけれど,その分野では定評がありよく読まれ雑誌,というもの存在し,たとえばそのへんの査読をつけた院生向け紀要とかよりも圧倒的に読まれる,というような状況がある中で,査読がないからといって無価値扱いするのは不当だ,という話を私はしていたわけです.

なので,ニッチだけど優れた研究をしている人は,よく読まれ媒体論文投稿すればよろしい.というか人文系研究対象って,研究水準の深化に伴ってどんどんニッチになっていく傾向があったりしますしー.

そもそも文系の多くでは被引用数を重視する文化はあまりありませーん.理由ひとつとして「正確な被引用数を測定するのが困難」というのが挙げられます.著書も業績になり得る上に各国が自国語で研究する世界において,外国語も含めた紙の本での被引用数なんて管理しきれないのでー.私も自分論文の被引用数なんて知りません.外国語で書いたやつは3ヶ国語くらいで引用されて,日本語のやつも紙の本に1回引用されたかな? でも他にも引用されてるかもしれないので,これは最低限の数字っすね.周りで被引用数なんて気にしてる人見たことないなぁ(私に指摘されて初めて自分論文他人の著書に引用されてることに気づいた先輩とかいたっけ).そもそも引用されてむっちゃdisられてても1回引用カウントするわけですよね? それ本当に論文の質の指標になるんですか?

(……)一方で世界社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。(……)

それはアメリカ社会学者自国語で論文を書いているだけでは……?

というか,日本語圏の社会学者でも英文学術誌に投稿してる人はいますし,英文学術誌に投稿してる非英語圏の学者でも,それとは別に母国語論文書いてたりしますし.英語以外の言語での論文が載ってる社会学学術誌,探すとあちこちにありましたよー.

韓国語http://www.ksa21.or.kr/kjs/

中国語(簡体字)> http://sociology.cssn.cn/xskw/shxyj/

中国語(繁体字)> http://tsa.sinica.edu.tw/publish_01-1.php

ロシア語http://www.isras.ru/Sociologicalmagazine.html

フランス語> https://journals.openedition.org/sociologie/index.html

ポーランド語https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=240

リトアニア語> https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=1027

カタルーニャ語https://www.raco.cat/index.php/RevistaSociologia/index

ところで日本社会学会は和文雑誌の『社会学評論』以外にもちゃん英文学術誌持ってるんですよねー> https://onlinelibrary.wiley.com/journal/14756781

いやほんと,テキトー知識でよその学問分野に軽々しく口を出して,正しいこと言ってるならともかくめっちゃ的外れとか,生きてて恥ずかしくないんですかね?

death6coin “ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.”攻撃的ですねぇ

理系研究事情査読制度を知りもせず「理系研究権威主義だ! 定説にとらわれて思考が硬直している!」とかわめく連中に,これまで理系のひとはどんな目線を向けてきたっけ? 冷ややかな目線を向けて嘲笑ってきたよね.もちろんそれはまったくもって正しいよ.理系事情を知りもしないのに思い込み的外れ批判をするのは愚かな行為であり嘲笑に値する.文系に向けて似たようなことをわめく連中にも同様の態度を取らせてもらうというだけ.

zu2 琉球歴史琉球語でかける日はいつか。文化侵略ってこういうものだよな

これは本当にそう.最近だと三元社なんかが琉球諸語・日本語対訳出版物を出していたりするけど,言語復興運動家の著書とか学術誌のコラムまりで,琉球諸語で書かれた学術論文は残念ながら見たことがない.琉球諸語は最近書記法の整備とか色々進んでいるから,今後はそういう方向に期待したいよね.もちろん琉球諸語で書かれた論文査読できるひとはそう多くないと思うけれど,査読なしで論文を発表することも許されているという文系事情積極的活用して中身のしっかりした琉球諸語論文を発表していくひとが出てきたらいいなと思う.

quick_past だったら方言で書いてもいいし、絶滅言語で書いても良いのでは。

それに対しては2つの論点から応答したい.1点目に,「日本語過去の豊かな蓄積を持ち,現在も多くの学術論文生産し続けている言語である」という前提条件を忘れてもらっては困るということ.日本について研究している学者日本語論文を書くわけで,この点が方言とは違う(大阪弁研究する者のほぼ全てが標準語論文を書いているし,山形弁で書かれたヨーロッパ史の高度な研究は現段階では存在しない).

第2に.もちろん書いていいです.少数民族独自民族として生き残っていこうとするには何らかの形で文章語を持つことが(必要ではないが)望ましく,実際にヨーロッパでは人口数万人の少数民族でも自分たちの言語で書かれた学術誌を持っている場合もある(もちろんその場合,当該言語や当該言語で書かれた文学,当該民族歴史といった限られたテーマについての論文を書くので精一杯だったりするのだが.ちなみにそういう少数民族学術誌に少数言語論文を載せてる日本研究者もいる).それに,言語方言とのあいだに本質的な違いはなく,たまたま政治権力を持ち規範が整備された言語変種が「言語」とされ,「言語」と見做されなかった地域的変種が「方言」と見做されているだけ,というのが社会言語学常識であり,実際に気仙沼方言方言ではなく独自の「ケセン語」だと主張して聖書翻訳したお医者さんなんかもいる.上で書いたように,宮古語日本語バイリンガルコラムを載せている学術誌もある(コラムまりで,論文ではないけど).なのでたとえば,鹿児島大学薩摩弁を公用語にした紀要出版されてもよいと思うし,もしその紀要に優れた論文が次々に掲載されたとしたら先行研究を読むために薩摩弁を学ぶひとも出てくるかもしれない.そしてそれは,悪いことでは決してない.

abll 「過小評価しすぎ」は重言。「過小評価している」か「軽く評価しすぎ」が正しい。

きゃーお恥ずかしい.ご指摘ありがとうございます.訂正しました.

anond:20181009204221

国語の成績が悪い系男子だと思ってた

動機問題とされている文だと分かってて無視しているのか、

素で分かってないのか微妙なところ

anond:20181009165307

国語の答案にそんなの書いたら0点だぞクソ文系

2018-10-08

私は障害者なのか、ただのバカなのか

私は自分学習障害、いわゆる算数障害(ディスカリキュリア)の可能性があるのではないかと考えている。

ただ、その反面ただのバカなだけなのでは。と悩んでいる。

理由としては、私は同級生から虐めを受けたり担任からやってもいない事で責められたりと色々とあって、小学3年生から殆ど学校に行ってない。

それは中学も続いてて、通学してた日よりも行ってない日の方があまりにも多い。

高校に関してはお金出せば卒業できるような通信制に通ってただけ。高校に関しては勉強というよりかは、「高卒」という肩書きが欲しくて行ってたという方が強い。

実際、学ぶことは高校レベルどころか中学レベルが多かった訳で。

元々勉強は嫌いだったので、私がどちらかと言えばバカ寄りな方なのは自覚している。

ただそれでも、他の教科は分からない部分は多くともある程度出来るのに、数学に関しては数学どころか小学レベル算数すら出来なかった。

学校行ってた当時は、勉強してないんだし分からなくて当然だと思っていた。

だが、ここ最近「分からないのは恥だけど、このまま一生分からないのは恥だよね」と思い、恥を忍びつつも小学生の算数から学び直すことにした。

しかし、やってみて驚いた。割り算からやっぱり分からない。

足し算引き算、これは流石に分かる。掛け算は正直、恥ずかしい話未だに九九が覚えられないが、少ない桁なら時間かければ計算は出来る。(勉強ならともかく、普段生活なら電卓使って楽をしまうが)

問題は割り算だ。別に10÷2」とか「9÷3」等。物凄く初歩中の初歩なら分かる。だが割り算の筆算を使うような数字、最低でも「二桁÷二桁」からからなくなってしまう。

割り算の筆算説明をググったりして調べても意味があまり理解が出来ない。

割り算に限らず、算数数学の授業になると、その習っている部分に付いて先生個人的説明してくれるが、全く理解出来ない。だが何回も説明させるのも気が引けるので分かった振りを毎回してた。

小学レベル、それも割り算で分からないんだから、そこから先の部分なんて尚更わからない。何となく因数分解説明とか見たが計算のやり方どころか、まず単語から理解が出来なかった。

単語意味検索意味説明に出てくる用語が分からないので検索→その意味説明も分からなくて検索する……これでは数学をやっているのか、国語をやっているのか混乱してきた。

物事には順番があるんだ。割り算すら分からないんだから因数分解なんて上位すぎる数学理解出来ないのは当然なんだから見ない方が良かった。

そういう経緯もあって自分なりに調べたら、算数障害があるのではないかと疑問に思った。

算数障害にも色々種類があるのだが、挙げていくと長文になってしまうのでここは割愛する。

その手の診断がある病院に行けば、一発で分かるんだろうけど、正直怖い。

何が怖いって、診断した結果、障害があると分かれば自分算数出来なかった理由が判明した訳だし、腑に落ちるし諦めもつく。

だが、障害じゃないと診断されれば、それは「貴方バカです」と医者お墨付きで言われてしまうわけだ。

自分自分の事をバカな方だといくら自覚していても、医者からバカですと言われるのは、あまりにもショックがデカすぎる。

下手にガンとか病気宣言をされるよりも覚悟が決まらない。

現状のままではモヤモヤを抱えてしまい、病院に行けば障害者なのかバカなのか、二者択一宣言をされる。

どっちの選択を選んで生きるべきか悩む。

2018-10-07

anond:20181007181049

いや定義とか証明とかじゃなくまず原文に対する国語問題から

自分の言いたいことのために他人のいったことをねじ曲げて罵倒すんのは議論じゃないよ

anond:20181007180324

いやだからその反証というかそこから女性を誇り高く描いた作品として

男性価値観からまれても女性に受け入れられたセーラームーンの話わざわざしてんでしょ

国語できない子かお前

高校とき国語教師

教科書羅生門のってたやんか

んであごに手そえてる芥川龍之介写真もあったやん

あれがめっちゃかっこいい~ってマジで言ってた

2018-10-04

国語英語定期試験教科書文章そのまま使う教師

テストになってねぇ。

親の顔より見慣れた文章を読解しろって言われても。

もはや歴史の授業。

小学校とかで、読書感想文宿題は出すけど文章の書き方は教えない、みたいな話があるじゃない。

国語じゃなくて体育とか絵とかでも似た話はあるけど。

で、こういう話が出るたびに「なるほど、確かにそうだよな」とは思うんだけど、

それに対する現役教師の声って聞いたことがないんだよね。

教えてるけど忘れたんだろ、でも、こうこういう理由で教えられないんだ、でもいいんだけど、

実際現場に立ってる先生がどう思ってるのかは気になるんだけど、実際どうなのかなあ。

2018-10-01

anond:20181001022514

古典どころか現代文もやってないの?

読解力0でやっぱお前国語大人しくやっとけって感想しか出ないんだけど

いい大学で学びたい意思がある場合高校でやる事は受験勉強だよな?

はいセンター受験の科目見て?共通なんちゃらだっけ?どっちにしろ国語あるよね?

じゃあ古文漢文やらなきゃダメでしょ

次に高校受験予備校ではなくてある程度の一般教養を学ぶ場所として考えた場合

そんなんどの科目も一律重要でしょ

受験進学関係ないんだから

お前は高校数学高校物理受験進学せずにどんなシーンで使えると思うんだ?

それは高校国語古典より頻度多い?

anond:20181001014553

一応理系でもセンター国語漢文受けなきゃだし、漢文の配点まあまああるから難関大学目指すならある程度はやっておいた方が浪人しなくて済むよ…と言いたいところだけど、センター方式変わるんだっけ?(情弱)

anond:20181001014553

理数科って事は進学校でしょ?

それなのに馬鹿だな

高校なんか全部入試目的なんだから

いらないのは保健体育やら美術やら体育祭文化祭部活動

センター科目である国語古典大事だよ

お前は高校で何を成し遂げようと思ってるんだ…

2018-09-30

「」内の最後に『。』をつけるか付けないか

TLで『漫画フキダシに読点が付いていて、句点が付いていないものがあって違和感がある。』という話題が勢いが良かったのだが、

その流れの中で『小説を書く時、かぎかっこには句点を付けないから、読点があってに句点がない方が違和感がない』と趣旨のものを見かけた。

それ自体否定するつもりはないし、別に悪いとも思わないのだが

何年も前から『鍵括弧の最後句点を付けないのが文章ルール。』と言う指摘を見かけるようになって、そのことが不思議だった

 

もし手元に小学校国語教科書があるなら(別に小学校教科書でなくてもそうであろうが)、開いて読んでみれば良い。

セリフを示す鍵括弧の最後には句点と括弧閉じが並んでいるのを見つけられるだろう。

また小学校国語で、マス目のあるノート原稿用紙の使い方を学ぶとき、『句点と括弧閉じは同じマスにまとめる。』と習ったのではないだろうか。

鍵括弧の最後句点を付けないのは文章ルールではない。

 

出版の中で恒常的に鍵括弧の最後句点が省かれているのは知っている。

しかし、それは慣習的なもので、全てに通用する『文章ルール』ではない。

小学校で授業を受けていれば、そのことの間違いに気が付き、他人に『これが文章ルールでござい。』などとは言えないはずなのだが、

どうして『鍵括弧の最後句点を付けないのが文章ルール。』と真面目な顔で指摘できるのか、そのことが不思議だ。

休日を充実させる趣味教えて

条件は

天気に左右されないこと

予算は月1万5000円〜2万程度(ランニングコストであり初期投資は別)

ある程度素養がある人間しかできない趣味ではないこと(国語音楽芸術数学素養

模型とか良さげかな……とは思ってる

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん