はてなキーワード: 旧約聖書とは
ムスリムはフランスのような世俗国家で暮らす穏健な信者でさえトランス含む性的少数者に対して差別的だから排除されるのは仕方がない
不寛容(差別主義者)に対して寛容であってはならないということ
キリスト教のように
「イエス様は愛と平等を説いたのだからキリスト教徒はLGBTの権利を認めるべき」
朝食: コーヒー
昼食: スパイシーモス, ポテト, はちみつレモン入りジンジャエール
文庫サイズの聖書がほしいと思ったが、文語訳しかなかったのでしかたなくそれを購入
私の設定したなんちゃって安息日の日には、デジタルは使いたくはなかったが、今まで読んでいたKindle版の無料聖書を土曜日に読んだほうがよさそうだ
なぜ聖書に惹かれるのか、それは私が「相対主義」というものに対する疑念を持っていることにも関係する
善悪の問題が「どの倫理観が好きであるか」という好みの問題だけに帰着されることに対する懸念である
多神教は「それにまつわるものとしてあの神がおり、あれにまつわるものとしてその神がおる」といった都合のいい価値観を代弁しているように見える
「何を信じるかは人それぞれ」といっていろいろなものを偶像崇拝するのが本当に人間社会にとって有益なのかと疑問なのだ
聖書ではノアの法という絶対的倫理基準を採用しているが、これ自体は狂信的なものではない
世界で最も読まれている本が聖書だというのだから、単に教養としても良いだろう
読んで何かしら行動として実践することが重要だと思っているので、「信じる者は救われる」といった態度は取りたくはない
ビックバンセオリーのシェルドンが言うには、有名な学者の数々がユダヤ教徒であるために、キリスト教よりも魅力がある、という側面もあるが、非ユダヤ人であるシェルドンや私はノアの法さえ守っていればよいはずだ
というのも、箴言にはSNS時代に通ずる考えがズバリ書かれており、その道徳性に驚愕したからだ
その感覚でトーラーを見るとちょっとズレているかもしれないが、ラジエルの本にも「真の知恵はトーラーにしか存在しない」と書かれていた気がするので、より興味を持ったのである
知識が生み出したのは残念ながらICBMである、それに対し、知恵が生み出したものはタルムードとトーラーであると言えるのではないだろうか
そのへんの民俗資料館で無造作に置かれてる資料を捨てる話について
どこの郷土資料館に行っても置いてあって、個人的にもあんまり見分けつかないので
農機具なんか自分の家で置いとくのが邪魔になって押し付けたんだろぐらいの気分になるのはわからないではないのだが
(自分は江戸や明治まではじっくり見ても昭和のコーナーは早歩きですっとばす)
それはだいぶ贅沢な話で、歴史資料に乏しい国は自国の存在証明のために必死で証拠をかき集めてるんだよな
なにか見つけては旧約聖書に書かれたのはこの遺跡だと主張するのに余念がないし
それにくらべると日本の自称保守は甘いというかユルいというか危機意識に欠けるというか
たとえば維新系みたいのが対馬で勢力を得て郷土資料を処分した日には
それこそ対馬は半島系の人たちの文化圏だったのだ、みたいな主張に反論するための証拠(日本文化圏の民俗が継続的に存在していた)を失うわけだが、
グローバルな人的移動が当り前の昨今、本州内陸だって今から100年もしたら「1000年前からここはXX民族の土地」みたいな話は出てくるだろうになあ
俺もだいぶ年齢を経て保守的な態度になったので、YASUKEはすごい侍大将だったのだ、みたいなのは
そこに文句を言えるのはYASUKE以外の同時代の日本人についての記述や資料がそこそこ残ってる
(信長配下の武将たちの名前や事績が直接間接の証拠を積み上げてきちんと記載されてきていて、それら数十名数百名の名前に比してYASUKEの資料はないので比較的な意味で可能性は極めて薄いと主張できる)から言えることで、
それすら、まだまだ調べきれてない資料はいくらでもあるのに、今、日本各地で中身も見ずにシュレッダーにかけられたら
”SAMURAI COMMANDER YASUKE"にも反論できなくなっていくのだなと思うと、残念
現在ある様々な資料の全部の保存ができるとは思わないし、今を生きてくのに過去だけ見ててもしかたない(歴クラみたいな態度で歴史でキャッキャするのは嫌)のだが、せめて自分たちが手慰みに弄ぶ日本スゴイなるものの拠って立つ根拠がどこにあるかぐらいは意識しておいて欲しいよな…
これとかhttps://www.wordproject.org/bibles/jp/05/7.htm
これみたいなやつのことかhttps://www.wordproject.org/bibles/jp/07/1.htm
というか逆に、子供に聞かせられないっていうのが現代的価値観で過去を裁く行為
わからん。まえがきざっと読んでもこれがそのどっちなのかはっきり読み取れない。
冒頭に『この本は「聖書」です。』ってだけ書いてある。
って思ってまえがきもっかいよくよく読んでたんだけど
キリスト生誕以降が新約でその前のことが書いてあるのが旧約らしいね?
てことはこの本は旧約から新約まで両方入ってる。
ってなると、カナンの地の話はイエス生誕以前だから当然旧約部分じゃん?
あれっその質問ってどういうこと?
もし地球の極の磁気力が、反対の方向に作用する磁気力によって中和させられるならば、鋼鉄の大きな球でも空中を飛ぶ事が出来るであらう。
またもし地球の極磁気波が研究され、分析され、計量されるならば、早晩、同様な反対の力を生み出す方法も発見されるであらう。
そしてあらゆる固体を、重さが無くなる状態にする事も可能である。それを更に進めて行けば、地球の磁気引力を超えて、宇宙間に飛び出すことが出来るのである。
人間の身体の振動が、効果的にこのやうな結果を齎すことが出来るといふ説がある。
浮翔法の実験からすれば、確かに出来るといふ解答がなされさうである。
聖テレサやその他の聖者達が、熱烈な祈祷の後に必要な振動を生み出して地上から飛んだことがあった。
これも一種の例として見ることが出来よう。
反磁性体へ下方から非常に強い磁場をかけると、その反発力が重力に打ち勝ち、磁気浮上する。
例えば実験室などで15~20T程度の磁場を発生させ物質にかけると、水を多く含んだりんごや卵、生物などを浮かせることができる。
また、反磁性の強い熱分解カーボン(英: Pyrolytic carbon)やビスマスなどは、磁力の強いネオジム磁石を用いた室温実験でも十分浮上させることができる。
水も弱い反磁性体であるため、水を入れた容器の中心に強力な磁石を入れると水が左右へと分かれる現象が生じる。
この現象は1993年に発見され、旧約聖書『出エジプト記』のモーセにちなみモーゼ効果 (英: Moses Effects) とよばれている。
地磁気の強さは地球上の場所によって異なり、ほぼ 24000 nT - 66000 nT(ナノテスラ)の範囲である。
2015年において、44000 nT(沖縄本島)~ 51000 nT(北海道北端)であり、東京付近は46000 nTである。
磁石が最初に実用化された分野は、地磁気によって磁石が南北を指すことを利用した方位磁針である。
方位磁針は中国で宋の時代に発明されたのち、ヨーロッパへと移入されて改良され、航海術を大幅に進歩させて大航海時代を出現させることとなった。
磁石の磁気を用いて血流を促進させ、健康回復を促進すると謳う代替医療の商品(装身具)が多々存在するが、血中のヘモグロビンに含まれる鉄分は、磁気に反応しない性質を持つ。
直流磁気治療器は磁気ネックレスなど直流磁気を使用した治療器である。
ネックレス(磁気ネックレス)のほか、ブレスレット(磁気ブレスレット)、絆創膏や下着に粒状の強力永久磁石を内蔵して、その磁気の力で疾病の予防、改善、治療の役に立てることを意図している。
通常は装身具や下着類似の形状の保持部分に高強度の磁力線を発する永久磁石が通常複数個、埋め込まれており、使用者の体表面近くに常時接することになる。
磁力の強度はさまざまだが、たとえば大手の商品では一粒が80-180ミリテスラ(800-1,800ガウス)を内蔵する強力磁石が数個から数十個含まれている。
直流磁気治療器の仕組みと効果に関する説明例としては「磁力が血液中のイオンを増やし、イオンが神経に働きかけることでマッサージ効果が発生する」というものなどがある。
直流磁気治療器では一定の磁気の強さがなければ効果はないと考えられており、中川恭一による研究によれば、
70ミリテスラの磁気ネックレスと130ミリテスラの磁気ネックレスでは有効率にほとんど差は見られなかったが、20ミリテスラ(200ガウス)になると有効率が非常に低くなったと報告されている。
明治大学科学コミュニケーション研究所の調査によると、磁気治療は未科学から発展途上の科学の範疇と総評されている。
国内の研究では肯定的な研究結果と否定的な研究結果のどちらも存在しているものの、海外の研究では有効性が認められていない。
いわゆる「コリ」解消の有効性を測定した国内の研究と、「痛み」の解消を測定した海外の研究とは異なる構成概念を測定している可能性があり、
https://www.tokyo-np.co.jp/article/269116
>世界各国で少子化が進む中、中東イスラエルの合計特殊出生率は3.04(2020年)で、主に先進国が加盟する経済協力開発機構(OECD)では最も高い。子だくさんで知られるユダヤ教超正統派の人口増加が一因だ。超正統派に限れば出生率は6.64に達し、イスラエル全体の数字を押し上げている。
>旧約聖書には「産めよ、増えよ、地に満ちよ」との記述があり、イスラエルでは「子どもは多いほどよい」という考えが一般的だ。超正統派を除いた人口の出生率も2.47と高い。
出生率がその3倍近い超正統派はユダヤ教の聖典である旧約聖書の教えを厳格に守って生活する。避妊や中絶も禁止されているとされ、小さな家に大家族で暮らす世帯が多い。
https://anond.hatelabo.jp/20240505030127
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、この区別もできないガチのバカがいるのに驚愕したのでいちおう書いておく
この程度は分かっているよ馬鹿ッ、と言いたげな増田の多数派の智者には申し訳ない。 一番最初に書いておくが、この区別がつかない奴はさすがにバカすぎるので反省したほうがいいぞ。 まず最初に出てきたのがユダヤ教で、これは旧約聖書を聖典としています。 主役はノアの箱舟で有名なノア。 ノアが神様から十戒の石板として戒律を与えられ、それを元にユダヤ人を導き、約束の地エルサレムに到達するお話。 これは民族主教としての色合いが濃く、ユダヤ人以外はだいたいクズとして扱っています。 神様が愛したのは敬虔なノアとそれに繋がるユダヤ人だけ。 それ以外は異教徒なんで適当に地獄ぶち込みコースです。 基本的には、ノアが授かった戒律を重視する宗教なんですね。 アダムとイブから始まる「原罪」を人間は背負っているから、その罪の意識と共に戒律を守って生きましょう、という宗教。 当然、いろいろ制限が多い。 それに対するカウンターと
ユダヤ教: イエスはすごい預言者だけどメシアじゃないよ、モーセによる神との契約が教典だよ
キリスト教: イエスこそメシアだよ、モーセに加えてイエスによる神との契約も教典だよ
イスラム教: イエスはすごい預言者だけどムハンマドはもっとすごいよ、ムハンマドが得た啓示が教典だよ(もともとは旧約聖書、新約聖書も尊重していたらしいが、いまでは神の言葉と人間の言葉の区別ができなくなるぐらい改竄されてしまったとしてほぼ禁書に近い扱い)
「いずれメシアがやってくる」と預言されながらもその具体的なことが示されなかったことにより、預言者イエスをどう扱うかをめぐってユダヤ教とキリスト教は分裂した。一方、仏教では次の仏陀は弥勒菩薩と決まっていて、その弥勒菩薩が悟りを開いて人々を救済するのが56億7000万年後と明示されてるので、そういう分裂とは無縁だった。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、いずれもアブラハムを共通の祖とする一神教であり、それぞれが独自の歴史的経緯と教義を持っています。
ユダヤ教は紀元前13世紀頃、預言者モーセによって確立されたとされ、旧約聖書に記された神との契約に基づく宗教です。
キリスト教は1世紀にイエス・キリストの教えに基づいて生まれ、新約聖書に記されたイエスの生涯と教えが中心です。
イスラム教は7世紀に預言者ムハンマドによって創始され、コーランに記されたアッラーの啓示が中心となっています。
カトリック教会は、初期キリスト教会から発展し、ローマ帝国の公認宗教となった後、西ヨーロッパで中心的な役割を果たしてきました。
しかし、16世紀になると、教会の腐敗や聖書解釈に対する異議が高まり、マルティン・ルターによって宗教改革が起こされます。
ルターは「信仰のみ」「聖書のみ」「万人の司祭職」という原則を掲げ、これに賛同した人々がプロテスタントと呼ばれるようになりました。
ルターの宗教改革は、カトリック教会からの独立と新しい教義の確立をもたらし、プロテスタントの多くの派が生まれるきっかけとなりました。
プロテスタントの中でも、ジャン・カルヴァンの教えは特に影響力があり、彼の予定説や職業倫理は商工業者に受け入れられ、西ヨーロッパの経済発展にも寄与しました。
アブラハムが、息子イサクを犠牲として捧げよるよう神から命じられる。アブラハムは苦悩するも、神への信仰(息子を死なせたとしても、神は生き返らせる事が出来るという信仰)を貫き、実際にその通りにしようとする。イサクを殺す寸前で神はアブラハムを止めて、代わりの犠牲(羊)を捧げるよう指示する。この、アブラハムの信仰を神は高く評価し、彼の子孫から人類を「原罪」から救う者=救世主=メシアが登場するという約束=契約をする。これが、アブラハム契約と呼ばれる物で、アブラハムの宗教と言われているのは、アブラハムが契約した神様の教えを守っているから。
※余談
メシアの本来の意味は油を注がれた者。救世主という意味は後から付いてきた。
■ユダヤ教
アブラハム以降、イサク、ヤコブ、ヤコブの12人の息子と子孫が増えていく。このヤコブの12人の息子の一人、ベニヤミンの子孫であるモーセが書いたモーセ五書(トーラー)を含む旧約聖書を聖典としている。アダムから受け継いだ「原罪」をメシアが取り除くという希望を抱いている。そのメシアはまだ来ていないというスタンス。
※余談
ノアの時は十戒はまだない。十戒はモーセ。ノアの時は肉食が許可された事と、契約の虹(=洪水で人類を滅ぼさない)が有名。メシアは、ヤコブの12人の息子の一人ユダ族から生まれるという預言がある。
「原罪」を取り除くメシアがイエスだという教え。ただし、現状「原罪」からはまだ開放されていないとする派閥もいれば、「原罪」から開放されたという派閥もおり、この辺の教えは様々。聖典は旧約聖書と新約聖書。教派によって外典を聖典扱いしたり、しなかったりするが、基本外典も聖典扱いしている。
※余談
基本、内ゲバが多い。カトリックのイエズス会は宣教ガチ勢。狂気に近い信念で行動しているヤベー集団。聖書ガチ勢だったルターは別に宗教改革とか考えていなかった。カトリックが良くなればいーなーぐらいのスタンスで、95ヶ条の論題を書いたけれど、思いの外バズって宗教改革につながった。時代の流れって怖いね。元増田にはプロテスタントが自由でカトリックが厳しいというが、どっちもどっち。
ムハンマドが最後の預言者という扱い。モーセ五書(トーラー)を含むクルアーンを聖典としている。イエスについての記述もあるが、キリスト教ほど重要視はしていない。ユダヤ教、キリスト教と比べ、メシア=救世主の重要度は低い。
※余談
イスラム教には詳しくないので、識者求む。