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はてなキーワード: 最期とは

2018-02-24

親の介護

彼氏は週末親の介護をしている。

介護が始まってから、週末に会えるのなんて年に数えるほどになった。

平日の夜に会ったり、たまーに仕事休んで昼から会ったり、週末の深夜に会えたりできるからいいんだけど。

それでも、かなり時間つくってもらって無理させているなと思い申し訳なくなる。

介護っていつか終わりがあるけど、そのいつかがいつなのかは分からなくて果てしないと思う。

私はまだ20代だし、周りの2040代の人たちも介護のど真ん中って人が少なくて理解してもらえることが少ないけど、最近会社の50代社員が続々と介護休職介護休暇を取っているのをみて、社会問題だなと改めて思った。

私は、彼氏の力になりたいし「介護を一緒にしてほしい」って言われたらするつもりでいて、それは本人にも伝えている。

だけど、彼氏は「大変だってわかっているところに引き摺り込めない」と言って断った。

介護はしなくとも、私にできることがもっとあるのかもしれない。

介護で人の生活が丸っ切り変わってしまうのを見る機会が増えていて、もっと楽にというのはおかしいかもしれないけど、生活を大幅に変えずに介護を行うことができれば良いのにと思う。

何かの形で支えられたらいいのに、そういう環境をつくれたらいいのにと思う。

思うだけで、なかなか行動できてないのだけど。

お金があれば、運が良ければ、施設に入れられるし色々なサービスも使えるけど、全ての人がそうではない。

もっと平和介護して、人の最期を看取れる世の中になればいいな。

彼氏のこと、なんらかの方法で支えられたらいいな。

2018-02-21

いまさらだけど、年末年始に観た映画

シン・ゴジラ ★★★★★

 超絶おもしろかった。内閣総辞職ビーム意味がわかった。エバンゲリオンを観たくなったんだけどプライムになくて諦めた。

君の名は ★☆☆☆☆

 どこがおもしろいのかわからなかった。おれも歳をとっちまったのかなぁ。

転校生 ★★★★★

 男女入れ替わりものならこっちのがおもしろかったので改めて観かえしたたけど、やっぱり面白かった。ふたり中学生の名演が光る。あのわざとらしい演技がなんかクセになる。

■グッド・ウィルハンティング ★★★★★

 高等教育無償化の是非を問う。

ライフ・イズ・ビューティフル★★★★★

 すごくいい!あんな陽気なお父さんになりたいなぁ。最期撃たれちゃっても構わない。

フォレスト・ガンプ ★★★★★

 20年ぶりくらいに観た。観おわってすぐ後楽園のババガンプにエビ喰いにいった。

ヒトラー ★★☆☆☆

 晩年よりも若いころの話のほうが気になる。

ショーシャンクの空に ☆☆☆☆☆

 5回くらい観ようと思ったのに、いつも最後までたどり着けずに寝ちゃう。たぶんつまんないんだと思う。

カーズ1〜3 、トイ・ストーリー1〜3 、モンスターズ・インク1・2 ★★★★★

 ピクサー基本的にぜんぶ好き。なんども観てる。飽きない。


こんな嗜好性なんだけど、オススメ映画とかある?

2018-02-18

明日月曜日という事実に完全に無力な愚民もの最期の嘆きが連投されています

anond:20180218123057

ニュートンの「巨人肩に乗る」って考え方が好き。

CPUOSプログラミング言語ネットワーク、みんな先人達が作ってくれた遺産。その恩恵を受けられる立場にいることは感謝している。

その道具で何を作りたいのか?自分が欲しいもの人類の役に立つもの、いろいろあるね。

 

功利主義 utilitarianism

翻って、フィギュアスケートは?少し辛口意見を言おう。

フィギュアスケートを極めて4回転ジャンプができても、それでは人類課題解決できない。無力なものさw

羽生結弦が癌患者を救うことができるか?全然役に立たないね。精々演技を見せて、一時的に楽しんでもらう程度の影響力しかない。

冷徹に見れば、価値基準の選定によって、物事価値は変わる。実利を求めるなら、娯楽は優先順位評価が下がるのは止むを得ないだろう。

 

自分価値観がないロボット

でも、羽生結弦生活困窮者ではなく、スケートを選びやるだけの条件が揃っていた。その恵まれ環境に対して、嫉妬はしないし、彼のポリシーに従って努力したことは称賛しても良いだろう。

しかし、他人価値観押し付けて、自分価値観として崇め奉りなさいというのは、奴隷ロボットではない限り、ナンセンスな話だw

フィギュアスケートなんて、何の役にも立たない下らないもの」という価値観を、「フィギュアスケートこそ最高であり、人生の全てである」という価値観に交換してくれと言われても無理な話だ。(仮にそんなことを言う奴がいた場合

 

満足=所有/願望

人間としてとても基本的なことであり、言うまでもないことだろうけど、もしかしたら気が付いていない人もいるかもしれないので、念のため申し添えておくことにしてみたよw

2018-02-17

無題

対人関係疲れた

最期に一発とびきりのネタでシコって

そんで死ぬ

2018-02-14

anond:20180212220528

元増田は本当にお疲れ様

前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。

その頃のことを思い出したのは、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かにまれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。


今回の猫は心臓悪化から機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。

そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。

細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。

前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。

選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。

バックヤードに入って声をかけてから就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそば椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後から酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。

しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫から最後要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。

その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ

死も病も生きとし生けるもの代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。

安楽死想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚ストン理解できた。通夜をするのだと決めた。

猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。

この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクト姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。

やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。

寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。

翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来香りは一切しなかった。発症してから口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。

その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。

私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。

最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。



ペットロスという単語検索してみたら気が滅入った。

例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものからだ。

だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。

その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる

時間解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。

猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。

猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。




一匹目の猫は乳癌で死んだ。

腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。

最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。

最後の日、私が居間インターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。

学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。

風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。

あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。

供養もなにもかも、飼い主の勝手で、寄り添ってくれたあの瞬間だけが本物だった。

2018-02-13

女子高生に殺されたい

死にたいが、自殺は面倒だし迷惑をかける場合も多いので、通りすがり女子高生にサクッと殺されたい。俺が最期に見る景色ナイフを持った制服姿の女の子。悪くないね

愛猫最期は考えない

だってそれ以上に今が大切で愛おしくて大好きだから

anond:20180212234747

戦争に負けたジャップ世界中の笑い者にされている。

屈辱に耐えられない日本人は、日本スゲー=愛国ポルノ自分達を騙している。

 

戦国だったアメリカ日本領土占領

日ソ中立条約を破って最期に参戦してきたソ連北方領土を略奪。

さらに食べカスを狙ってきた朝鮮は、在日特権を獲得。

日本の切り売りは、とっくに終わっている。

 

今の日本人税金搾取される奴隷にされている原因は、過去歴史を見れば自明

歴史勉強してないアホだけが安倍文句を言ってるが、焼け石に水。傀儡政権操り人形に何を言っても無駄

その点、沖縄県知事は分かっている。日本トップに言っても埒が明かない問題は、宗主国アメリカ様に直接陳情しに行くのが正解w

 

2018-02-12

anond:20180212230045

敗戦責任を取って、昭和天皇切腹自殺すべきだった?

天皇家の連中って、自分たちだけぬくぬくと生き延びてて恥ずかしくないのかね?

神風特攻隊で散っていった若者最期を想うと、特攻を止めなかった天皇には責任がある。(当時の天皇権限なら止めることもできたので)

…とはいえ、今さら昭和天皇以外は責めるつもりもないけど。(特攻隊員が生き返るわけでもないので)

我々日本人神風特攻隊の護国精神を決して忘れてはいけない。

靖国神社に向かって敬礼!!!

猫を看取った話

昨日。

晩ご飯の買い物から買って帰ってきたら、ベッドの下から「にゃあ」って声がした。

昨日まではちゃんと玄関まで迎えに来れてたのに。

ベッドの下を見ると横たわってて顔だけこっちにむけて「にゃあ〜…」って、力無い声が。抱きかかえると力無くぐったりしてる。

餌場に連れて行ってもその場でへたり込んでしまって、立ち上がる力がないらしい。確か16時頃。

仕事中の奥さんに「そろそろだよ」とLINEしたら、「撫でてあげてて。晩ごはんは買って帰るね」と返信があった。

それからはずっとソファに座って抱えて撫でてて。名前を呼ぶと顔は動かせないけど、尻尾けがタンと動いてしっかりお返事していた。

しばらくこのままだったので、今夜がヤマかなーって何となく思ってた。

18時過ぎ。

奥さんから「そろそろ帰るね」とLINEが来た頃、呼吸が荒くなって舌根が震えるイビキみたいな息遣いになってきて。胸元に手をやって鼓動を確かめると、まだしっかり、人間よりも早い猫のペースで動いていた。

奥さん帰宅

コートを脱いで猫を撫でてた。「どうかな?」って聞かれた時、鼓動が人間くらいのペースになってて「まだ動いてるけど、あかんわ」と答えたと思う。この時は瞼に手をかざしたら反応があったからまだ意識があったのかな?

その後、ふいに猫がぐぐーっと手足を伸ばしてあくびっぽい動きがあった。同じ体勢が疲れたのかなって思って、体の向きを変えてやると、もう全身に力が入っていなかった。

瞼に手をかざしても無反応。腕を持ち上げても無反応。呼びかけても当然無反応。

が、胸元に手をやるとまだ微かな鼓動があった。奥さんに「もう最期だよ」って話しかけたら、その時は鼓動が止まってた。

奥さんが帰ってから15分くらい。

奥さんの顔を見て安心したのかな、あっと言う間。

自分の腕の中で最期を看取れて良かった。

伸びをした時、その後の脱力最期の鼓動の感触は鮮明に覚えてるし、忘れる事はないと思う。

朝方に顔ペロして起こしてくる奴も居なくなったし、トイレへのドアも閉じて平気になるし、床に服を置いても毛まみれにする奴も居なくなる。

生活が変わるね」って奥さんの言葉

猫を気にした生活スタイルが、これからは気にしなくても良くなる。ただ、これから生活でそのギャップにふと気づいた時、奴の存在を思い出して悲しくなるんだろうな。

まぁとりあえず、癌の辛い闘病生活を闘い抜いた奴にお疲れさまと言いたい。

anond:20180117204956

2018-02-09

最期は苦しんでいただろうか

2月8日に、わたしと血の繋がっているクソマザコン野郎ママが亡くなったらしい。

もっと嬉しいと思っていた。清々しい気分になると思っていた。なんだかもやもやする。

わたしは、確かにあの女とその息子が大嫌いだった。ときどき血の繋がりがあるのかと思うと、どうしようもなく、死んでしまいたくなる。

まぁ、こうして生きているのだけど。

あのクソババアは、母がわたしを授かった時もわたしが生まれたことにも喜ばなかったらしい。わたしが、女だったことと出産予定日ミカンの収穫の時期だったからだ。迷惑だったらしい。

いとこが生まれときは喜んでいた。男の子だったから。

弟が生まれときも喜んでいた。男の子だったから。

わたし暴力を振るわれたけど、いとこと弟は振るわれなかった。お菓子お小遣いもいとこと弟は貰えたけどわたしはもらえなかった。わたしも孫のはずだったけど、女だから

母も暴力を振るわれてた。風邪ときでも肺炎でも畑仕事をさせられてた。

仕事で得た収入は、全部ババアの金だった。てめぇは何もしないくせに、母にだけやらせておいて、びた一文も母には渡さなかった。

マザコン野郎マザコン野郎で、給料が出てもうちには一切入れなかった。(マザコン野郎農業は手伝わず工場で働いていた)

生活費ももらえないから、母は農業の他に外で働くしかなかった。

母は、完全にあのクソ親子の奴隷だった。

思い出すだけで腹が立つし、頭痛くなってきた。

あのババアを好きになる要素も許す気持ちにも欠片もならないのになんでこんなにもやもやするんだろう。言葉にしたらわかるかと思ったけど腹が立つだけだった。

2018-02-07

anond:20180206131300

老人z要介護老人介護ロボットでえらいことになる映画

つみきのいえ(家に潜り過去を振り返る短編映画

カールじいさんの空飛ぶ家(爺が家を飛ばして大冒険映画

しわ認知症テーマ映画

特に老いをメインテーマに据えてるしわはいいかhttps://youtu.be/8fIDtcTXOG0

アリスと蔵六かいぬやしきとか爺主人公なにげに多いよね

脇役でもこの老いぼれ最期仕事じゃって感じに格好良く死にがちなイメージ

タイトルを思い出せないけど老人を書いたアニメヨーロッパ方面結構見かけた気がする

anond:20180206121454

最期の1行だけ書けば良いのに、アホだな。

2018-02-06

anond:20180205223425

なんとなく、最期まで着地を試みるために脱出しなかったんじゃないかと思った。腹切り的な・・・。

ご冥福をお祈りします

2018-02-01

誤字指摘

誤字指摘ワロウタ。

昨今栄華極めりゃインターネッツ

昔は議論を主とし、それは最もナンセンスレスの一つであった。

時は移ろい現代。変わったのは人。

今では意味のあるレスであろうか、否。

興ざめたレスに用はなく、その者に自覚もなし。

いよいよ枯れるのか、さあ花よ。

最期にかの華を見せておくれ。

2018-01-26

電車自殺してもいいでしょ

かに電車に飛び込んだら迷惑だよな

電車運行に遅れが出たり

経済的な損失があったり

鉄道会社の人に迷惑かけたり

まあわかるよ

でも死んだ俺には知り得ないもん

死んだ俺には関係ないもん

最期くらい勝手にさせてくれ

2018-01-24

[]ハティ最期舞台

ティ最期舞台を読んだ。解説犯人当のミステリとしては簡単な部類かもしれないって書いてあってびびった。結構わかんなかったよ。思い返せばずばり犯人その人を描き表している部分があったけども。

大概のミステリがそうなんだけど、作中で犯人名前が確定するまで作者の手の内で踊らされる糞雑魚読者です。

さておき、本作の内容について。最近の実社会の諸問題にも結構当てはまるけど、意図しない邪悪さが大概の悲劇根底にはあるんだなあって思い知らされた。

殺されるハティは顕著だけれど、他の登場人物もそれぞれ罪深い我欲を持っている。とんでもない高校教師ピーターは言うまでもないけど、その妻のメアリにしたってもうちょっと夫婦間の接し方ってのがあるんだろうって思った。まあ介護やら仕事やらで大変なのはわかるんだけど。

この小説に登場する人物がみんな有してる罪深さって、ある種どうしようもないところに根差しているところがあるからしんみり来る。不倫問題もそうだけど、他社への無理解とか、周りを無自覚馬鹿にしているところとか、一本芯が通り過ぎている性格をしていたりとか、読んでいるとそうならざるを得ないよなあとか、そうなってしまうのもわかるわあって思わされてしまうから、一概にみんなを批判できないんだよね。

よく言えば主要人物はみんな肉付けがしっかりしているってことで、そういったどうしようもないところが人物人間らしさな人間臭さを与えているんだけど、それ故に軋轢が生じて問題に至ってしまうってのはさみしいなって思う。仕方がないことなのかもしれないし、そもそも軋轢の一切ない社会ななんてどんなデストピアだよって話なんだけど。

ただこの作品は、犯人殺人さえ犯さなければ悲劇の度合いが幾分か軽くなっていたのかもしれない。人殺しはやっぱり駄目だからね。でもなあ、ハティがとんでもない怪物から、こんな最期になるのも必然だったのかもしれない。

田舎町では異彩を放つとても賢い高校生で、他人が求めている反応をコミュニケーション最中に読み取り活用できる天性の女優なんだけど、ものすごく邪悪なんだよね。愚かだといってもいい。

自分が被っている仮面がどれだけ罪深いか最後までわかってなかったんじゃないかと思う。自覚はしていたけど、認識ちょっと甘かったんちゃうんかな。

そういったところを学べなかったこともまた悲劇なんですよねえ。デル保安官最期にいい切れ味を演出してくれました。

総じて登場人物が誰も幸せにならないミステリだった。なんて世知辛い物語なんだ。

2018-01-20

シュガーレイの14:59

ロッキンオンおやつ時間1分前とか言ってが実際のところよくわから

そもそも調べたら「お八つ」の時間に食べるから3時のおやつとのことで、アメリカバンドシュガーレイにそんな発想あるわけもなく

ウォーホルの誰でも15分だけ有名人になれるってやつで14分59秒、有名でいられる最期の一瞬みたいな意味ってネットで言われててそっちのがしっくりくるなーと

でも邦題14時59分じゃなかったっけ?と思ったら14分59秒だった

ジャケが飛び込み台だけど下のプール女性(オバサンっぽい?)が泳ぎまくってるし、足は獣(羊?悪魔?)だしよくわからん

2018-01-18

遺書を書いたら生きたくなった。

思うままに書くので文体が崩れたりしても見逃してほしい。

なんかもう、ハチャメチャに「死にたい!」と思い続ける毎日であります

仕事ウソついて休んで怒濤の5連休をゲット。

好きな人には「明日休みです!」とメールしたものの、酒を呑んでダルいので「インフルにかかりましたすみません」とその"明日"の昼間にこれまたウソをつく始末。

そして酒を飲む。

それでも心が休まらない。

お笑い動画を見ていたのに、いつのまにか"最期ツイート"というまとめを読んで、ますます死にたさに磨きがかかる。

なんという悪循環

鬱々しい気分の時に暗い記事を読みたくなるあの現象、ほんとなに?

下を見て安心したいのか、同調安心したいのか、分かんないね

どっちもだろうね。

ウダウダ書いてもアレなんで。

そんなこんなで鬱々とした気分のまま更にネットの真っ暗い記事自分を追い込んだ結果、遺書を書いてみようかなと思いついたのです。

パッと浮かびました。ほんと、言いたい事はこれだけでした。

出会ってくれた人、ありがとう。みんなのおかげで私ができました。

ありがとう。』

そんな私は悲しいことに今から自殺します!ってめっちゃ皮肉やんけ。おいおい……。

と、書いた数時間後に気が付いた。

でもって、遺書をしたためたら一回死んだ気になった。生まれ変わった気分!ときらきらした気分にはなっていないけど、まぁもう少し生きるか……という気になれた。

一回、自分を殺すことも生きるためには必要なのかもしれないね

2018-01-17

帰りたい

ただただ帰りたい 仕事したくない

特に嫌な仕事があったり面倒ごとを抱えてるわけじゃないけど単純に帰りたい 家に帰って布団に入ってごろごろしたい

今は遅めの休憩で仕事が終わるまであと5時間ぐらいある 長い 帰りたい

正直最期の2時間ぐらい惰性で残ってる でも何かあるかもしれないから帰るわけにもいかない 帰りたい

2018-01-15

山椒魚世界の神であるか?

 現代文の授業で山椒魚を初めて読んだとき、この捻くれ者は、私によく似ていると思った。だが決定的に違うところがある。それは山椒魚世界の神であったが、私は神にはなれなかったという点においてだ。その違いとは些細なようであって、とても重大なことであると私は思う。それは、私が誰かの神に、世界になりたいのに、なれない不完全な出来の人間であるからだ。

まず前提として、この文章はすべて、井伏鱒二氏の短編小説である山椒魚」を借り、私が私について語るだけの、極めて主観的でくだらないものであるということを示しておく。恐らく十八の人間が書く文章なんてたかが知れていると思うが、それでも私は山椒魚にとてつもない親近感を抱いているのである。それについて少しばかり、私が今まで思ってきたことを書けたらいいと思う。

まず「山椒魚」とは一体何かということを明確にしておく必要がある。山椒魚とは前述したように、井伏鱒二氏による短編小説である山椒魚自身身体が成長しすぎてしまたことによって、住処である岩屋から出られなくなってしまう。外に出ようと幾度となく繰り返す山椒魚だが、それが叶うことはついになかった。外の世界自由に生きる生物たちに嫉妬を抑えきれない山椒魚は、ついに悪党となり、山椒魚は岩屋に入ってきた蛙を閉じ込め、自身と同じ状況に追いやることで、自身精神の安定を保とうとしたのである。蛙は屈することなく二匹は岩屋の中で激しい口論を二年にも及んで繰り広げるが、空腹で動けなくなり、死しか望めない蛙に対して、ようやく山椒魚友情を感じるのだ。山椒魚は聞く。「お前は今、何を考えているようなのだろうか?」と。それに対し蛙は、「別に今でも、お前のことを怒ってはいないんだ」と答えるのだった。

この山椒魚を初めて読んだ時の感想は、「二年も口論を繰り返していたのか」とそれに尽きる。だが数回これを読み深めていくうち、山椒魚とは、ただ友達が欲しかっただけの、普通人間なのではないかと思うに至ったのだ。山椒魚には寓意が込められており、簡単に例えを出すならば「うさぎかめ」のように、ほかの生物もの真意本質を遠回しに伝えるというものだ。私の中で山椒魚普通人間であるし、出られなくなった岩屋は肥大した自意識であり、蛙はそれらをすべてわかっていた人間なのだ。これらも前提に、本題へ入ろうと思う。

何故この文章題名を「山椒魚世界の神であるか?」にしたかは至極単純である。私にとって山椒魚は、世界の神であるからだ。もっと突き詰めて言えば、岩屋の中に閉じ込められた蛙の世界であり神であるということだ。まず先程書いたように、岩屋は肥大した自意識であると私は思っている。山椒魚はその自意識に閉じ込められた、或いはそこから出ることを拒んだ所謂可哀想人間に過ぎない。蛙はその山椒魚自意識を満たすため利用された、こちらも可哀想人間であるという認識をしている。山椒魚は蛙を利用し監禁することによって、死の間際に、世界となり神となることに成功したである

人間人間の神になるために必要なことは、その標的からすべてを奪うこと以外に存在しない。山椒魚は蛙を自分の住処に閉じ込め取り入れることによって、蛙からありとあらゆる自由を奪うことに成功している。それがなければ山椒魚は神になれなかったし、もしかしたら山椒魚は図らずも神になっただけかもしれない。だがそれだけ、人間人間の神になるということは難しいことなのだ。それが善悪のどちらに所属するかはまず置いておくとして、私はそれをやってのけた山椒魚を素直に尊敬する。山椒魚悪党となることで蛙を閉じ込めたが、この時の山椒魚の心境を鑑みるに、標的が蛙であった必要はなかったのだと思う。よくニュースで聞くような、無差別殺人犯の言う「誰でもよかった」と同じように。ただこの「山椒魚」にとって、この蛙が蛙でなかった場合、二年間口論が繰り広げられることも、最後にようやく友情が芽生えることもあり得なかったのではないだろうか。

 しかし、だからといって山椒魚が神であるということに相違はない。閉じ込められた蛙にとっては、憎むべき対象も、愛すべき対象も、結局は山椒魚しかいなかったのである。蛙は最後に「今でも別に、お前のことを怒ってはないんだ」と言った。それはおそらく、蛙自身も、山椒魚を神とすることで救われた一人の人間だったからだと思う。山椒魚が蛙を閉じ込めたとき、蛙は、閉じ込められた岩屋の中で堂々と「俺は平気だ」と宣言する。それは山椒魚を見くびってのことだったのか、それとも逆に、山椒魚ならば…という、敬愛の証だったのかもしれない。ただ私が思うのは、おそらく蛙も、もしかしたら山椒魚と同じような立場になっていた可能性があるということだ。メタフィクションのような話になってしまうが、蛙は山椒魚よりも体が小さいので、少なくとも岩屋から出られなくなってしまうということは考えにくい。なので、自由に飛び回ることのできる外の世界―要するに「山椒魚」の世界観で「社会」で、同じ立場になっていたかもわからないのだ。山椒魚肥大した自意識から出られなったが、それはあくまでも人間の内側で起こっている出来事に過ぎない。自身の激しいナルシズムが引き起こす極端な自己評価他者評価ギャップに悩み、それを見栄で隠そうとしたために発生した、ある種一時的反抗期のような、よくよく考えてみれば、我々も通ったことのあるような道でしかないのだ。だが蛙は人間の内側でそれを発生させてはいない。人間人間が大量に入り混じる、失敗の許されない、いわば監獄のような世界でそういった問題に悩まされていたとしたら、それはきっと山椒魚よりも可哀想で哀れな姿になっていたに違いない。山椒魚は蛙を閉じ込めることで、自身と同じ状況の人間作成し、その結果精神の安定を保とうとしたが、それは蛙も同じだったかもしれないということだ。蛙は山椒魚に「わざと閉じ込められる」ことによって、可哀想人間に捕らえられ逃げられない自分を作り出し、自分社会に対する折り合いのつかない問題から逃げ出そうとしたと考えれば、最後の「今でも別に、お前のことを怒ってはいないんだ」というセリフにも納得がいく。

この文章を書くにあたって、自分の「山椒魚」に対して抱いた如何ともし難い薄気味悪さというのは、蛙によってもたらされた山椒魚への許しが生み出したものだと気付いた。小説である一言言ってしまえば確かに終わりなのだけれども、例えば自分が身勝手理由他人監禁され、しかもそこで死を迎えなければならないとなった場合最期相手を許すことが出来るものだろうか。それが愛する人家族ならいざ知らず、どこの誰ともわからない人間にいきなり監禁された時点で、普通に考えて怒りなんて言葉では済まない。それこそ二年間によって繰り広げられた喧嘩でさえ、この最期によればおつりがくるほどだと思う。最初こそ「二年間も口論していたのか」なんて暢気な感想を抱いたけれど、少し考えてみたら、最期の蛙の言葉は、私にとっては最早呪いだ。もしも私が山椒魚だったとして、自分が閉じ込めた相手が死の間際に自分を許す旨の発言をしたら、嬉しさも喜びも何も感じることは出来ない。むしろ、「この人は今まで何を考えて自分の思い通りになってくれたのだろう」という不信感すら残ってしまうだろう。自分という一人の人間を殺したという事実から逃げるなよという、怨念のようなものさえ感じさせる。それを考えると、山椒魚が蛙を閉じ込めたというよりも、蛙のほうが、山椒魚を好きに操っていたようにしか考えられないのだ。蛙は山椒魚のことを、自分と似た人間だと思い、自身社会に出たことで削られてしまった自尊心自意識回復するために、「わざと山椒魚と一緒にいた」ようにしか思えない。物理的にそこから出られなかったとしても、こころだけでも自由になることは出来たはずなのだ山椒魚と違って自由に泳ぎ回ることが出来ていた人間ならば。だがそうではなかった。ということは、蛙は自由に泳ぎ回っているように見えて、その実、社会という檻から逃げられず、自分肯定するために必死だった、ただの哀れな、普通人間しかなかったのだ。

最後にもう一度、これは私が井伏鱒二氏によって描かれた短編小説山椒魚」を借りて書き殴っただけの、主観的陳腐文章であることを明記しておきたい。ここに書かれていることはすべて、私が勝手に作り上げた妄想であって、おそらく山椒魚には、これよりももっとポジティブメッセージ寓意)が込められていることだろうと思う。しかし私にとって「山椒魚」は、どうにもポジティブものとは受け取れなかった。可哀想人間が寄り添って、互いの削れた部分を埋めるために、互いの世界になろうとする。そんな常人には理解出来ない、孤独で閉鎖的でどこまでも自分本位人間本質を描いているように見えたのだ。

私は山椒魚に似ている。けれど私は誰かの世界にはなれなかった。私にとっての「蛙」がこれから現れることはあるのだろうか。山椒魚が蛙を操っていたのか、蛙が山椒魚を操っていたのか。本当のことは、誰も知らない

              

                                                                                                    了

2018-01-11

anond:20180111121626

閉塞感を打ち破りたかった五輪が、日本最期祭りになるんでしょうね

2018-01-06

星野仙一

死んだからって急に態度変える人多すぎ

自分星野仙一が嫌いだった、だけど彼はとても素晴らしい人だった みたいな

嫌いなら最後まで嫌いを突き通せよ

周りの目気にしてるのか知らんけど、何で急に讃えてんの

自分は初めから最期まで嫌いだったから正直言って嬉しすぎる

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