はてなキーワード: イエローとは
イエローが3枚も出る荒れたゲームだったけどボーナスポイント入りの勝利で良かった。初回のにもリプをつけたのでせっかくだから雑感。
○チリは勝てるとしたら日本またはサモアと言うことで全力だった。はじめから飛ばしていた。
○日本も勝ち点5を取れるとしたら相手はチリと言うことで、はじめからトライ狙いのゲーム運びを選択していた。少なくともイングランドとアルゼンチンはチリに勝ち点5を取ってくるだろうという予測だろうが、日本が目先の1勝ではなくグループリーグ突破を目指したゲームプランをしていることに感慨を覚えた。
○日本は再三再四ブラインドサイドを突かれ、突破されている。日本の弱点がそこにあると見たのか偶然なのかは分からないが、他の3チーム相手ならそのままスルスルと行かれたろうシーンが多数あったので修正が必要。
○チリは展開はそこまで驚異ではないが個の強さ、特にタックルをずらすスキルは高く見えた。アメリカカナダを差し置いてワールドカップの切符を手にしたのは決してフロックではない。今後も強みを活かしたゲームを期待したい。
○はじめのイエローはかなり悪質。一発レッドでもと思ったくらい。後の2枚は明らかに故意ではなく可哀想な面も。
○日本は数的優位に立っても決めきれずヤキモキした。が最終的にトライを取りきったところは地力の強さ、成長を感じた。
○数的劣位になった日本が時間をしっかり使いつつトライを取ったことは見事。ゲームキャプテンの流選手のゲームメイクだろうか。
○最初から飛ばしていたせいもあったろうがチリは足のつる選手が何名か見られた。ラグビーは終盤、地力に劣る方のスタミナが削られて一方的になるケースがある。その典型となった。
○気になるミスもあったがそれはどのチームも同じ。これからどのように修正するか。
○結果としては日本が順当に勝ち、ボーナスポイントも得、得失点差もまずまず満足できるものとなった。まさかラグビーワールドカップで日本が順当に勝つ、とか、勝つだけではなくグループリーグ突破を目指したゲームメイクをすると言えるようになる日が来ようとは。
映画「オッペンハイマー」と福島と 核の被害語ることは「悪」なのか
笠井哲也
7月下旬から米国で公開されたある映画が話題を呼んでいる。「オッペンハイマー」――。「原爆の父」とも呼ばれる物理学者ロバート・オッペンハイマーの伝記映画だ。米国では好評を博すが、米デュポール大学(シカゴ)の宮本ゆき教授(倫理学)は強い憤りと違和感を抱いているという。米国でも、そして福島でも、核(原子力)を語るときに「置き去りにされているもの」を考える。
また違和感か。知性の欠片もない。
「女性の皮膚がめくれるシーンがありますが、きれいなんです。皮膚がめくれて赤みが出るとかではなくて、うっすらはがれるんです。これが、米国の多数が不愉快にならない、ギリギリの線なのかなという感じを受けました」
クラスター爆弾がそうだ。化学兵器もそう。アメリカは全て肯定している。
映画は米国内では好評価を得ており、原作もベストセラーになっている。同日公開の映画「バービー」と2本立てで見ようという動きが起き、「バーベンハイマー」なる造語もできた。「本当に核がエンタメなんです。スパイダーマンやハルクなどスーパーヒーローも、放射能を取り込むことで強くなりますよね」
そこには1940年代後半から続く、「核(原子力)は偉大だが、手なずけられる力」という考え方がにじんでいると、宮本さんはみる。核は人の手でコントロールができるが、扱う人間によって善にも悪にもなる、ということだ。
「核を取り合うというシーンはハリウッド映画でもよく登場します。自分たちが持つのはいいけど、悪いやつの手に渡るのはいけないから取り返そうっていう、それなんです」
こうした核への見方が広がる社会の中、見過ごされてきたのが被曝被害だと、宮本さんは強調する。
そこには政治的な意図も絡む。米国をはじめとする核保有国にとって、核兵器や原発の技術を掌握することは、国の覇権を強固にするための手段でもあった。このため、保有国が被曝影響を隠すのは必然であったと、宮本さんは考える。
「例えば、アフリカなどで産出されるウラン鉱石を精製してできる物質は、英語で『イエローケーキ』と呼ばれます。原子力の原材料であるにもかかわらず、放射性物質とは認識されていません。放射性物質だと呼んでしまえば、(原産国が)力を持ってしまうことになりかねない。言葉によっても、支配下に置くわけです」
それで処理水とか言っているのはなんのぎゃぐなの?
「科学」も動員されてきた。文化人類学者のガブリエル・ヘクトは、国際原子力機関(IAEA)はこうした核による支配の構造を定着させるためにできたと批判する。つまり、IAEAは、核兵器をつくらない確約と引き換えに、原子力技術を提供し、核保有国の資源に頼らざるを得ない構造を作るのに重要な役割も買ってきた――、と。
マスコミが抜け落ちている。
米国には、核実験の影響で被曝し、がんなどを患った住民らを対象とした「放射線被曝補償法」がある。
でも、と宮本さん。「補償は、核で国の防衛に貢献したことと引き換えの『感謝』の意味もあり、結局は核抑止論の上に成り立っている。だから、『核兵器をなくそう』にはつながりにくいんです」
核施設に対して「恩義」を感じる住民も多いという。「核兵器で私たちは国を守ってきた。これが善なんだから、となれば、それにもの申す人はとんでもない『非国民』となってしまいます。被曝の話は、被曝地でこそ、できなくなっています」
東京電力福島第一原発事故後、福島の「復興」はハンフォードをモデルに形作られてきた。2021年4月に発足した一般社団法人「福島浜通りトライデック」は、ハンフォードの周辺地域を基盤とする商工会議所的な存在である「トライデック」から名を取った。22年9月には連携協力協定も締結している。
だが、そこで米国と似た現象は起きていないだろうか。「政府や県が掲げる『復興』が『善』とされる一方で、それを妨げるような、被害にまつわる言説は『悪』となり、風評被害をまき散らす、というふうになっていないでしょうか」
第一原発から出る処理水の海洋放出をめぐる議論でも同様だ。放出は復興のための「善」として、政府の言う「科学的」な説明をそのまま受け入れてしまってはいないか――。
思いっきりそれやっている。
https://www.asahi.com/articles/ASR896726R84UGTB004.html
【Q&A】ALPS処理汚染水、押さえておきたい14のポイント
福岡の久留米で起きた土砂災害で避難せず巻き込まれた方が多くいました。
ネットニュースのコメント欄では「なぜ避難しなかったのか」とありました。
私も今回のことがあるまでは、災害のニュースを聞く度そう思っていました。
私の実家は土砂災害の現場に近く、当日は私も実家に帰っていました。
もしかしたら私が「なぜ避難しなかったのか」と言われる状況になっていたかもしれません。
今まで避難はしなくて大丈夫と思っていましたが、今回のことで不安になってきました。
以下の状況で、どう行動するのが正解なのでしょうか。
一番近い避難先はハザードマップ上、スレスレにレッドゾーンが通っています。
ちなみに今回の土砂災害はレッドゾーンを中心にイエローゾーン、イエローゾーンじゃない家も被害にあっています。
・かまぱん「食パン」
少し補足を…
ただ、皮の硬さはそんなにないのでトーストで!
皮は薄いけど、焼いて食べると油分の多さからクリスピーな感じになるのと(かなり焦げやすいので注意)、とにかくバター感が強いのでおすすめさせてもらった。
中身がふわふわで甘みがある食パンなので、結構デニッシュとかブリオッシュに近いかもしれない…
これは、パン自体にバター感があるとか皮が硬めとかではない、ずっちりもっちり系の食パンなので、全然好みと違うかも。
ただ、生地が甘くないぶんバターの塩味が超生きるのと、小麦の風味もすごくて焼くとカリッと感が出やすいので、
バタートーストにした時に「バター感、皮の旨味、カリッと感」が相まって塩パンを噛み締めたときのようなガシュっとジュワッと感があるのて、求めてる味になるんじゃないかなあと思って書いてみた!
どれもぴったりした回答ではなかったらごめんなさい!
一番近いのはグリーンサムかなあ。でももうちょっと硬さや重さのあるものが好きそう。
あと解決策ではないんだけど
秋葉原にある「ヴェルデレガーロ」がハード系から食パン、惣菜、甘い系までかなりこだわって多種作っているので、店長さんに聞いたら好みにピッタリのものがあるかも?
(神戸増田を受けて追記) あえてケーキ屋のパンということなら、京都のアッサンブラージュカキモトで売っているパンも端正でバランスが取れており良いと思っている (下に主にケーキについての詳細有り、パンについても感想は割と被る)。回想に書いた店はもうパンは出さないだろう……
ここやここやここにパンに詳しい増田たちが集まっていると見込んで質問がある。
色々なところに必死に顔を出して済まない。
マニアックで申し訳ないのだが、こういう食パンはどこで食べられる?
東西どちらにも行けるんで、教えて欲しい。ずっと探している。
外側(みみ部分)も内側(白い部分)も、しっかりとバターの味がすると嬉しい。
出回っている食パンは、高級食パンを含めても、バターの香りが立ってこないものが大多数だと思う。
外側が分厚くてハードだと嬉しい。
ただしフランスパンの外側のようなパリパリ感ではなく、しっかりバターを効かせているためにガリガリの重めの食感の外側が作られているような感じ。
最近の流行りと逆行しているのはわかっているが、こういうのが好みなんだ!
そう、なので自分が求めているのはマニアックな食パンなんだよな。発酵バターの香りが立ち、綺麗な四角に整形されたクラストが硬い食パン。クラスト部分はバターを使っている影響で少しデニッシュ感を感じさせるもののデニッシュよりバター量が少ないため硬くしっかりとしているような。一方であくまで食パンのフォーマットに留まっており、内側の白い部分はきめ細かく滑らかで、典型的なデニッシュのように生地を織り込んだ形跡がない。そういう食パン。
たま木亭
ありがとう、京都ではあそこも美味しい。生地にもフィリングにも相当量の油分を使っている上で小麦粉をしっかり焼き上げている。しかもボリュームに比して安い!日本の惣菜パンの最上位クラスではないかと目している。
ル・ペール、寡聞にして存じ上げなかった。人生の中からあの味が消えてしまったという哀しさ、よくわかる。
この辺は行ってぶらつく楽しみが多くて嬉しい。
それで大丈夫です!
上では綺麗に四角と書いたような気がしたが、金型に蓋を載せず山型に膨らませているようなタイプでも、こういう食パンがあるなら大歓迎です!!
塩パン
すみません、バターを使った塩パンは好きだが、求めているものとは違う。ハード系の店であっても、多くの場合、外側が薄いかふわっとして硬くない(パン外側の皮自体にバターの美味しさを効かせているというより、中の生地に閉じ込めたバターを強調している)ケースが多いように思う。
ただ、複数の方が連想して下さっているようなので敢えて塩パンと関連させて言うならば、よく焼かれて皮が厚いタイプの塩パンの、オーブン天板と接触する面(下側)の、バターが効いてかつガリっと硬い感じを想像して欲しい。そこからさらに食パン向けに洗練された感じの外側(みみ)を持つ、そういった感じの食パンを知っていれば教えてくれると嬉しい。
グリーンサムの「イエローブレッド」か、パンとエスプレッソの「ムー」とか?いずれも皮ガリガリではないので、家でトーストして食べたら希望と近い食感になるかも。かまぱんの食パンもバターのせたら近いかも。
食べに行くか取り寄せる!!!
聞いてみて本当に良かったよ。
https://www.bread-espresso.jp/
皆に紹介されているパン屋の中では、JR京都駅構内のル・プチメックが非常に行きやすいし美味いよ。是非寄って食べ歩いてみて欲しい。
あとは京都のアルチザナルも良かった記憶がある。アルチザナルを紹介した増田はデニッシュ系が好きなようだが、自分はハード系の惣菜パンが好みだった。特にソーセージを使ったパンとチーズのパン。おそらくソーセージとチーズにかなり拘っている。ソーセージは汁と油が溢れて香味が立ち、チーズは惣菜パンにありがちな悪い癖がない味で香ばしい。あれは美味かった。
(追記) 東京のおすすめありがとう。s.igarashiとブーランジェリー セイジアサクラは是非行ってみたい。期待大。
京都繋がりだと、京都のケーキ屋では、パティスリータンドレスとアッサンブラージュカキモトが本当に美味い。皆美味いと思うらしく食べログでも日本で上位。
パティスリータンドレスは上品で優美な味で、特に複数の味を重ねて束ねる系のケーキが非常に美味いと思う。スパイス使いも上手い。寄りづらい立地だが、Twitterでその日のケーキと現在店頭に並んでいる数をアナウンスしている。
アッサンブラージュカキモトはとにかく磨き抜かれた味がする。見た目も格調高く美しい現代のケーキ。シェフがショコラティエでもあるのでチョコレート系が美味いが、それ以外も相当に洗練されている。こちらは比較的寄りやすい立地。
なお、上記の自分の食パンの好みを形作った店は、フランス系の味のケーキ屋で、パンも一時期作っていた。そのパンの一つがこの食パン。その店ではフランス風にパンドゥミと呼んでいた。ただ、この店、おそらく人手不足でパンを出さなくなって久しかったところに、現在、店主のご都合で一時閉店中なので、店名は出さない。もう今後パンを出してくれることは無いだろう。
そこは、生菓子も焼き菓子もバターやクリームをどっしり効かせた硬派な味が特徴で、長く続く人気店だった。いや菓子に硬派も何もあるかよと思うかもしれないが、行った人もネット上のレビューもそう評する。バターをしっかり効かせると菓子の味が重くなるんだけどそういう感じのイメージ。さらに生地の密度がふわふわ柔らかくなくずっしりしている。それでいて"バタ臭い""油っぽい"には陥らず、果物の酸味や、香辛料やお酒や焦がしのフレーバーで、強いバランスを取っていた。
そんな感じだったもので、最近流行りの繊細な菓子という訳ではなかったが。デコレーションも凝っていなかったし。
ああ美味かったなあ……
先日、不惑(forty years old)を迎えた。今では草臥れたおじさんだけれども、昔はサッカーが大好きで、自他ともに認めるサッカー馬鹿だった。
小学校から始めた。当時は、とにかくドリブルが大好きで、どんな形でもゴールを決めたら嬉しくて、勝っても負けても楽しかった。何も考えずにサッカーやってた。そんないい思い出もあるが、人生トータルでは辛い思い出の方が多い。
この日記は当時の個人情報でいっぱいだけど、俺はもういいよ。十分に生きたと思ってる。どうなってもいい。特定されても大したキズじゃない。クビになるのを恐れるような会社勤めでもない。
小学校も中学も高校も、部活一筋だった。中学時代にユースに誘われたことが一度だけあるが、自分は超一流にはなれないと何となくわかっていた。本当に才能がある奴は輝きが違う。自分はサッカーを楽しめればそれでよかった。全国優勝とかには興味なかった。
高校は、京都府内にある名門校だった。懐かしい。思い出すにつれ、いい思い出と悪い思い出とが交錯するみたいになって、感傷的な気分になってくる。今はトニックウォーターを飲みながら書いてるけど、気分がいい。
それでさ、高校で補欠or正レギュラーに選ばれるようになったのは高二の秋以降だったんだが、最後の年になると1回戦から最後の試合までフルで出場できた。国立競技場で戦えなかったのは残念だが、あの時の自分は輝いていたと思う。輝いていたのだ……。
大学は、とその前に、当日記は、いわゆる人生の落後者の振り返り日記になる。たまに、増田とかはてなブログでもそういうの投稿してる人いるだろ。自分もやってみようと思ったのだ。
俺という人間が落っこちたきっかけは、大学だった。これから書く文章を要約すると、高校卒業後はスポーツ推薦(セレクション)で同志社大学に入った。そこでも、運や努力の甲斐があって人並以上に活躍ができて、チアリーダーの彼女ができて、学業も順調で、アルバイトも楽しくて、四回生になって、さあ就職活動だ、、、というところで人生の敗北を味わった。そこから転落していった。
俺より凄い奴なんて、世の中にはいくらでもいた。その一人が、当時の大阪大学のサッカー部でキャプテンをやってる奴だった。以下アイツとしよう。
これがまた凄かった。価値観が大人びていて、熱血漢で、スポーツは当然できて、面白い小話ができて、総合商社に内定して、それで最後に、俺の彼女はそいつに取られてしまった。あの時は、そりゃあキツかったよ。
俺がいい会社に内定できていればもしや、という思いは当時あったがその線は薄いだろう。俺がアイツより優れていたのはサッカーだけだった。俺とアイツは、サッカーで対戦したことが一度だけある。高校時代に府大会でやり合った時、圧倒的な差で点をもぎ取って勝利を収めた。
ピッチ上で1on1にもなったが、俺の勝利は歴然だった。見え見えの目線トラップに引っかかって、アイツは筋違いの方向に足を蹴り出した。それで、スルッと抜いてやった。高二の春季大会だったと思う。
大学以降は、リーグが違ったので対戦することはなかった(うちは一部で、阪大は二部)。しかし会場で見ることは稀にあった。
まあ、これから昔の日記を読みながら、ちょっとずつ書いていく。辛い思い出にはなるけど、他者から見たら参考になることがあるかもしれない。そう願っている。
今回、この日記を書こうと思った最初の切欠は、先日まで放送されていたアニメ『ブルーロック』の影響だったりする。あれだけ見事なサッカーアニメを見せられて、つい昔を思い出してしまった。
今の自分は、アニメの後半で出てきた、サッカーを諦めた馬狼照英が自宅テレビでサッカーの試合を見ながら発泡酒を開けるシーンがあっただろ。まさに、あれだ。あれが今の自分なのだ。契約社員で、ワンルームマンション暮らしで、あんまりお金がなくて、実家も太くないから帰るわけにもいかない。
それでも、人生一度くらいは筆を取ってみたい。思い立ったが吉日ということで、ちょっと書かせてもらう(4/27時点)。どれくらいかかるかな。三週間くらいか。みんな五千字は書いてるイメージがあるから、それ以上の文量でいくことにする。ほとんど大学生になってからの体験記になる。
運のいい人間だった。サッカーというのは、誰でも想像はつくだろうが足を酷使する。高校時代は全国大会で活躍するような選手でも、ある時から怪我に悩まされてしまい、まともに練習ができなくなり、実力が落ちて試合に出してもらえなくなり、ハードな練習をしてまた怪我を……といった悪循環に陥る選手が少なからずいる。実際、俺の同期の一人はそれでサッカーを辞めた。
高校と違って、大学の場合はセレクションで入って部活を辞めても大学生をしていいのだが、律儀だったそいつは、出身高校に詫びを入れたうえで潔く退学していった。
幸いにも、そういう怪我とは無縁だった。かといって、そこまで実力があるわけでもない。府のトレセンに選ばれた経験もない。選ばれかけたことは何度もあるらしいのだが。ポジションは……すまないが内緒でお願いしたい。フォワードみたいに目立つポジションじゃない。
大学二回生までは順調だったかな。部活は毎日キツイけど成長している感覚があったし、トレーニングメニューとか選びやすかったし、アルバイトも始めた(木屋町の居酒屋だった。どんがまと、さざんか亭と、あとはジャンカラでも働いたっけ)。
本当に順調だった。学生生活は楽しかった。サッカーの腕前も上がって、二回生の秋季にはベンチ入りして、三回生になる頃にはスタメンが基本だった。関西サッカーの一部リーグで活躍してる大学生、といえば聞こえはいいけど、実際、精神的にはそんじょそこらの学生と一緒のレベルだった。
練習中に調子に乗ることはあったし、アルバイト先で後輩にマウント取ることもあったし、体育会の悪い連中に至っては、女遊びに夢中になって、今だと警察沙汰で逮捕されてニュースになるようなこともやっていた(俺は無縁とは言わないが、断じて犯罪は冒していない。むしろ、やりかけた先輩も後輩も止めていた)。
勉強も部活もマジメにやったつもりだ。普通の大学生だった。でも、三回生の夏前だったかな、幸せな大学生になったのだ。
関西地区での試合だと、応援団のチアリーダー部がやって来ることが稀にあった。本当に稀だったけど。それで、ある交流試合だったんだが、その日は調子がよくて活躍できた。敵味方の動きを読んだポジショニングは完璧だったし、要所要所で相手のドリブルをカットして、俺が蹴り上げたボールはセンターラインを飛び越えて味方のところにドンピシャで飛んで行った。ただ、ゴールを決めることは叶わなかった。ゴールを決めるポジションじゃないので、どうしようもないのだが。
試合が終わった後で、帰りのバスを待つ最中にチアの子達とちょっとした話になったんだが、その時にメアド(※TwitterやLINEは当時ない。GREEやmixiの黎明期だった)を交換した女の子がいた。
その子(千亜子とする)の見た目は、そりゃあ可愛かったけど、英語が話せるところとか、知的なところとか、お酒に酔ったら暴れがちなところとか、某飲食チェーン店で花形店員だったのとか、品のあるところがよかった。性格は明るかったりドライだったり、区別が難しかったな。演技するタイプだった。
体型は普通だった。ふくよかとか、細いとかは何ともいえない。胸はそれなり。好みのタイプではあった。オムライスとか作るのうまいし、たまに唐突に泣き出したりする。
千亜子は、恋愛に積極的な方だった。デートではよく手を繋いだ。セックスの相性はよかったと思う。最中はよく緊張してたけど、段々と気分が乗ってきて、いろんなことを言ったり、やったりしてくれた。
交際期間は、三回生の秋から一年と少しだった。まあ、平凡なカップルだったと思う。喧嘩とかもなくて。終わりはあっけなかった(最後のあたりに後述)。単位をほぼ取り終えて、学生生活の最後を満喫してる一月頃に遠回しな言葉でフラれてしまった。
三回生の秋頃だった。ある男子学生と知り合った。阪大のサッカー部でキャプテンをしていた。上で説明した『アイツ』のことだが、さすがに失礼なので以後はキャプテン君とする。彼とはリーグこそ違えど、顔を合わせる機会はたまにあった。といっても、こちらから話しかけることはなく、せいぜいすれ違ったり、試合を遠目で見たりする程度だった。
それで、ある時に知ったのだが、そのキャプテン君は、千亜子と同じアルバイト先だった。二回生の時に同時にその飲食店に入って、それから一緒に働いていたらしい。
俺がそのキャプテン君と千亜子が一緒にしゃべっているのを見たのは、ある試合場での一度きりだった。まあ、普通のアルバイト友達みたいな感じだったな。千亜子のマイミク繋がりで、俺のアカウントにもキャプテン君の情報が表示されていた。
ところで、キャプテン君の試合風景だが、圧倒的闘志でもってプレーするスタイルだった。反則スレスレのチャージは当たり前であり、プッシング(相手を押す)やトリッピング(相手を蹴る)も恐れなかった。本人がどんなつもりなのかはわからないが、とにかく闘志が凄かった。
ただ、残念ながら……実力が足りなかった。キャプテン君は反則っぽいプレーをするにしても、審判からするとモロバレの位置取りで、かつ見えるようにやっていた。相手の身体に触れることで反則を取られていた。あれではダメだ。
(注)
サッカーでどこまで相手と接触してよいかだが、概ね次の三点に要約できる。サッカーの試合を見ることがあれば意識するのも面白い。
・自分から接触するのは、肩だけで押す行為に限って可。腕や手や足はダメ。
・自分から触れない不可抗力とみなされた場合は、相手と接触しても反則にならない。。
・ボールを狙った行為でも、真後ろからのスライディングなどは危険行為とされる。
そのうえキャプテン君は、まともなプレーについても大学レベルに達してなかった。いや、そこらの高校生に比べると遥かにうまいが、大学サッカーで活躍できるレベルにはないという意味だ。
当時の阪大は、関西二部リーグと三部リーグを行ったりきたりだったと思う。大学の練習設備もおそらく不十分であり、練習時間だって他の部活と融通を効かせてやっているようだった。そんな環境だし、受験勉強もサッカーも一流の選手なんて、そうそういるはずもない。
キャプテン君の試合を最後に見たのは大学四年の時だった(リーグが違うと試合を観る機会がほぼない)。相手選手と1対1になってる時に、ボールを取るために肩をぶつけに行っていた。右足でボールを手繰り寄せようとしたらしいが、相手のふくらはぎを蹴ったうえ、身体をぶつけて吹き飛ばしていた。わざとか……? と思ったが、それにしては迷いがなかった。
レッドカードと思いきや、イエローで済んでいた。が、その十分後にはまた相手の足を狙ったスライディングをかましてしまい、さらにイエローを食らって……しょっぱい試合になった。
当時、俺はある意味でキャプテン君を尊敬していた。これまで俺がいたサッカー部で、あそこまで勝利にこだわる人間を見たことがないからだ。下手ではあったが、精一杯にボールを取りに行って、仲間に檄を飛ばして、試合を終始いいムードにしようとする。
ある時などは、試合が終わった直後の屋外ミーティングだったと思うのだが、別の選手を試合場の壁に押し付けて怒号を発していた。「俺らは本気になる力が足りとらん。もっと自分を主張せんと!!」みたいな要旨だった。
人に対して、ここまで熱くなれるヤツを見たことがなかった。中学でも高校でも大学でも、ここまで自分の言葉で自己主張できるヤツはいなかった。キャプテン君は、俺の心に爪痕を残していた。
続き