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はてなキーワード: 芥川賞とは

2023-09-21

さっきまで聴いてた曲が今つけたカーラジオで流れ出す。懐かしいタイトル漫画を読んだら、翌日近くの席の奴らが示し合わせたようにその作品の話をしている。

ちょっとした偶然というか、シンクロニシティみたいなのって割とあると思う。

おれの中でそれの最大級がある。

高校の頃おれはほとんど本を読まなかったけど、何の気なしに図書室で本をいくつか借りた。小説を5〜6冊。それきりあまり借りてない。

1年か2年後に羽田圭介芥川性を受賞した。又吉とダブル受賞の時だ。

おれが借りた本の中にも羽田圭介作品があった。確か『黒冷水』だったと思う。

それだけならまあ、お〜偶然だな〜くらいだったけど、さらに1,2年後に荻原浩直木賞を受賞した。

こちらもおれが借りた中にあった。何冊か借りたと思う。『砂の王国』は超面白かった。

朝のニュースで受賞を知って、なんか非常にインパクトがあった。

高校図書室だから本も厳選されてて必然的に賞にも近いだとか、本を読まない奴にも興味を惹かせるようなタイトル装丁だったんじゃないかとか、偶然を必然にするつまらない理屈はいくらでもつけられるけど。

それでも気まぐれで借りた本の中から芥川賞と直木賞の二人が出て、非常に印象深かった。

どちらも別に図書室がプッシュしてたとかはなくて、開架をボーっと眺めてフィーリングで手に取ったから。

慧眼というのとは違う。それは数ある作品を読んで、その中から評価されるであろうものを的確に選び抜く事だろうから

そういうのとは別に、なんか持ってんじゃないかって思った。

それが人生トップの偶然で、次点大学生活中で入り用なのにマジで金がない時、あぶく銭が転がり込んできて事なきを得た時。

詳細は忘れたけど、口座にも財布にも誇張抜きで金がない時にそういう事が何度かあった。それがなくて痛い目見てたらもっとしっかり覚えていたかもしれない。

2023-09-04

今更になって「この世界の片隅に」と「風立ちぬ」を初めて観た

この二作品を比べるのはそもそもおかしいのだが、

同時に観てしまったので敢えて勝敗を決めるなら、

圧倒的に「この世界の片隅に」の勝ちであった。

この世界の片隅に」の圧倒的な戦争描写生活描写リアリティに震えた。

空襲や跳弾の音効に正直ビビった。

戦前から戦中、終戦への生活リアリティがそこにはあった。

一方、「風立ちぬ」の方は妄想だった。

妄想といっても、宮崎駿戦車や巨大な爆撃機妄想のことではない。

そちらはナウシカラピュタのようなものより遥かに現実寄りになり、

妄想になったのはストーリーの方だった。

堀越二郎堀辰雄宮崎駿という妄想であり、ラノベだった。

そう、「風立ちぬ」は宮崎駿ラノベしか思えなかった。

自分主人公見立てしかも「ラノベ主人公」だった。宮崎駿オナニーだった。

なんというか、観ていて恥ずかしかった。

中二病ノートを読み上げられているような、

他人中二病ノートを読み上げられても共感性羞恥心を感じるような、

正直、ごめん、観ていて「痛い」と思ってしまった。

これ、宮崎駿という巨匠というか、

素晴らしい作画や音声に魅せられているから裏打ちされているのであって、

そうでなかったら、自分以外でも「痛い」と思ってしまうのではないだろうか。

というか、ストーリーがずっと空回っている気がした。

この世界の片隅に」は少なくとも右手を失うという転機がある。

しかも絵を描くのが好きな主人公が描けなくなるという絶望がある。

実際、自分ちょっと似たような境遇になってしまっている。

私も事故で右腕を怪我してしまい、絵を描くのが好きであったが、

描けないことはないのだが、痛いこともあって描かなくなってしまった。

そんなこともあって、「この世界の片隅に」の浦野すずには余計に共感してしまった。

風立ちぬ」はなんというか、話の強弱がないように感じた。

しかも、ずっとエリート無双を見せられているような感じさえあった。

ラノベ主人公はみんなエリートだと芥川賞市川沙央も述べていた気がするが、

本当に「風立ちぬ」は宮崎駿による堀越二郎堀辰雄宮崎駿主人公としたラノベであり、

余り調べないで書くが、堀越二郎堀辰雄史実にあまり基づいていない、

どちらかと言えば断片をヒントとして作り上げたパッチワークであり、

試写で泣いたと宮崎駿は言っていたらしいが、正直キモいとさえ思ってしまった。

申し訳ないが、「痛い」「キモい」というのが正直な感想だった。

例えば、何らかの苦難を乗り越えて零戦にたどり着く物語とかだったら、

もうちょっと違う感想になった気がする。

もしくは小説風立ちぬ」としてやった方が良かったのかもしれない。

よくわからないけど、堀越二郎堀辰雄宮崎駿が、

現実であるように見えるだけの異世界無双するような話に思えてならなかった。

物語最初から最後まで、ずっと宮崎駿の夢の中で、

主人公の俺、堀越二郎堀辰雄宮崎駿、強ぇえ!を見せられている気がした。

あと、庵野声優最後まで慣れなかった。

絵がなければ自然に聴こえる箇所もあったかもしれないが、

堀越二郎の顔のアップとか、絵と合わせて観てしまうと駄目だった。

あと、これも比べるのはおかしいが、

この世界の片隅に」と「風立ちぬ」で技術的に比べるなら、

風立ちぬ」の方がレベルが高いように思えるのだけど、

キャラクター共感できるかとか、没入感みたいなものは、

この世界の片隅に」の方が圧倒的に上であった。

あと、個人的には宇宙戦艦ヤマトのような取り上げ方も好ましくないと思っていて、

一発ボカチン食らっただけで撃沈したのに何で神格化されとるんだ?

と思ってしまうのだけど、尚更そう思うようになってしまった。

この世界の片隅に」で子供空母があまりないようなことを言っていたが、そのとおりだと思う。

日本は航続距離でどれだけ長距離飛行ができるか、

どれだけドッグファイトというかアクロバティックな戦闘機ができるか、

それは「風立ちぬ」の設計者の会議でも語られていたとおりであり、

機銃を載せなければ軽くなる、そうはいかないから徹底的に軽量化する、

その結果、敵の銃撃に簡単に貫通するような機体になり、敗因につながった。

米国欧州の敵国は航続距離は短く、装甲は厚く、

その分だけ空母を増やし、こまめに燃料補給をすることで補っていた。

視野狭窄して優れた飛行機を作ることに夢中になり、

もっと大きな戦略戦術視点を見誤っていたのが敗因のひとつに思う。

優れた飛行機を作ろうとすることが、逆にある意味では敗因にもなってしまったのは皮肉だ。

風立ちぬ」は戦争を美化したような作品でないことは明らかだ。

ただ、「風立ちぬ」で描かれる世界戦争前とは言え「軽い」と思わざるをえない。

エリート金持ちにとってはそうだったんだろうな、軽井沢の別荘とか、

みたいにどうしても思えてならない。

これが小説風立ちぬ」寄りだったら、そう思わなかったかもしれないが、

堀越二郎をそこにねじ込んでしまったのだからしょうがない。

宮崎駿自身戦争中は車で疎開したらしいし、

この世界の片隅に」でスイカを盗み食いしていた子供立場でなかったのは明らかだ。

から、どうしてもそれと重なってしまうように思えた。

考えてみれば、「生きねば。」というコピーも、どちらの作品に合っているかといえば、

これも圧倒的に「この世界の片隅に」の方であった。

右手を失い、孤児養子として、この世界の片隅で出会い、この世界の片隅で生きていく。

それは堀越二郎のようなエリートとは違う、

あの時代大衆寄りの世界を描いたのは「この世界の片隅に」の方であった。

風立ちぬ」は全部入りで欲張り過ぎ。

それもあってストーリーが薄くなっている気がした。

飛行機というモノへの情熱は感じられるのだが、人物に魂を感じなかった。

2023-08-26

障害者芥川賞の人

ベレー帽似合いすぎじゃね?

手塚神並にキマってる

2023-08-23

anond:20230823173715

絶対に誰かが優勝するトーナメントなど軟弱!芥川賞のように受賞者0もあり得るような真の強者のみが選ばれるべき!論?

2023-08-11

朝日新聞平野みたいな芥川賞以降くだらん私小説しか書いてない国際政治のど素人ウクライナ語らせたりするのって、なんでも深く語れる夏目三島みたいな知の巨人幻想があるんかね。

夏目三島も今の世に出てきたら小泉悠に勝てないと思うけどね

2023-07-31

「文藝春秋」2016年9月号の芥川賞選評。受賞作「コンビニ人間」を、普段辛口村上龍が絶賛し、島田雅彦が"不本意な結果"として多少の疑問を呈しつつ、候補作「ジニのパズル」を評価しているのが、何だか対照的で興味深く、逆に「ジニのパズル」を読みたくなる。受賞作はこれから読む所。

2023-07-28

anond:20230728225205

素人からわからんけど

表現力や語彙力を上げるのって文体模写とかどうなん

好きな作家とか芥川賞作家文体を真似てみるとか。

キャラについては愛着というか具体的な作り込みじゃないの

何が好きか何が嫌いかなぜ好きなのかなぜ嫌いなのか普段何をしてたら楽しいのかどんなこと考えながら生きてるのか

どこで収入を得てるのか収入はどれくらいか人生設計は1日のスケジュール休日スケジュール友達は多い方か貯金するタイプ

お金があったら何に使う人か小さい頃の夢は今の夢は綺麗好きか過去トラウマはあるかどんな人と付き合ってきたかどんな経験をしてきたか親との関係

そういう作り込みができてない薄っぺらキャラってどこかで矛盾した行動してたり設定が定まってなかったりしてなんとなくわかってしま

2023-07-25

芥川賞作家2023年にもなって重度障碍者の受賞がなぜ"初"なのかをみんなにも考えてほしい」

Twitter民能力が低いからやろボケカス忖度求めんな!」

 

全文読めばわかるんだけど、重度障碍者読書をできる環境が整っておらず、文化教育も遅れていることによって作家になれるような人材自体が育つような環境にないですよ、という提言なのね。「読書バリアフリー化」を求めている。

学術界隈とかは特に遅れとるからとりあえず電子書籍化頼むわって言ってる。

電子書籍だと音声読み上げ機能が付いてるアプリも多いし、

強い麻痺があったりするとページをめくることすら大作業なっちゃう。

ワイの妹も運動能力障害があったんやけど本持ってるだけで疲れるつってほとんど読めなかったし

ずっとアニメばっかりぼーっと見てたな。もう死んだけど。

なので彼女の言いたいことは割と理解できる。

 

でもSNSだとタイトルになってる発言ばかりがピックアップされて、作者が一番伝えたかった「読書バリアフリー」の部分はすっぱりカットされてて、そこだけ見た連中がなぜか吹き上がってる。

健常者っていう生まれつきの強者って俺もそうだけど「自分が恵まれている」ってことに気づけねーんだよな。

本を読むことすら簡単じゃない人間がいるんだぞっていう。

それをわかってるからこそ、みんなにも考えてほしいって言ったんだろうし。

 

しかしまぁ、「障碍者からって特別扱いしてもらえると思うな!」ならまだしも、

中には容姿否定までしてる奴がいて、こいつらホンマに永久にコリないんだなと暗澹とした気持ちになったわ。

2023-07-20

anond:20230720225119

この人受賞コメントで、なぜ今まで芥川賞受賞者に障害者がいなかったか考えてほしい

というようなこと言ってたけど、審査員直木賞受賞者も特にそこに触れずスルーなんだよね

いやー、日本文壇ってこの程度なの?

市川沙央さん芥川賞受賞を聞いて

通信制大学通いたいなーと思い始めた。慶應通信とか。市川さん、キリッとしてたよね。

2023-07-08

テッドチャンが芥川賞獲れないのはおかしいと思う

あれはSFというより文学だろ!!

面白いけどさあ。

SFってのはもっと、ぐぎゃっ!!!としてないとさあ、SFっぽさがないと思うんだよね。

テッドチャンにはなんと言うかそう言うものあんまりないような気がするかもしれないと常々思うんだ。

面白いけどね。

から芥川賞とかが最適だと思う。

ノーベル文学賞でもいいけどね。

2023-06-03

anond:20230602135602

上に文藝ってつけるんや!スクープ連発っぽいし芥川賞作家が出てきそう

2023-06-01

松本人志氏への提言審査員という権力中田敦彦 書き起こし 1/2

https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A

動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。

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今日はですね、「THE SECOND漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。

いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングオリラジ

アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組生放送してた。生放送という

プレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。

なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。

僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう

知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか三四郎とか同期だしね。

うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。

あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで

オンエアしましたね。

その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。

でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかし

よねと思って、見たわけですよね。

ギャロップさんですとか三四郎漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。

中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。

これでさネタ面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会のもの

どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。

本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1自体そもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれ大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。

そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。

というのもお笑いで言うと東京ってああいお笑いの賞レースって。

ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東あんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西文化大阪ABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。

でもその吉本の中でも大阪東京って全然文化が違うから、その東京人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪芸人のものだっていうのが、大阪テレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。

から東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。

から僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー

がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。

でもそれはそれで、テレビ局全国ネット東京にあるんだから東京芸人は売れやすくて有利じゃないか大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから

必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。

そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから

2004年NHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから

その「M-1」の大会存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず

これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ

というですね。

そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。

ところが1回終わるんだよね。「M-1自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。

そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ

よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。

これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初デビューした時に武勇伝っていう

もの自体そもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ

なかったんですよ。

そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。

そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。

芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。

ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。

で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。

この「M-1至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん

だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。

もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか

いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。

売れるために「M-1しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1しか

ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり

特にM-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって

漫才だけじゃないんですよ。まず。

漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉

いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からお笑いの流れしか知ら

ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。

実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代

ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロ演芸になりかけてたところがあったんですよね。

それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸コントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。

みなさんの中で落語漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。

落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸格式が高いっていう認識って全然違って。

ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的ものなんですよ。すごく相対的もの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。

エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。

もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コント漫才を直してやるぐらい、お茶の間センターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。

から言ったら「エンタ芸人と「M-1芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。

そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリア10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。

そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。

減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。

特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員ものすごい力があって、審査員ものすごい光を当てられる。

あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。

他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。

でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。

これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事めっちゃ多いんですよ。それは第一人者からカリスマからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。

たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。

松本さんはあらゆる大会主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。

芥川賞審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。

から太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。

それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンル審査委員長松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。

たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人キャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。

求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。

その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。

もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。

まり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。

ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。

それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。

ブランドアンバサダーかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。

今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たち書き込み自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。

それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。

価値観への介入に値するわけですね。

M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。

それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。

「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?

2023-05-10

純文学ラノベやなろう系の次に読むもの

中学生の時にラノベやなろう系が好きになった。有名な

やつはあらかた読んだ。高校生になって普通小説も読

みたいな〜と思って、ネット小説 おすすめ って検索

るとSFやらミステリーやらファンタジーばっか出てく

る。オタク的にはそれらに惹かれるけど、それが罠だっ

た。まず、長いかサクサク読めない。面白いけど、体

力使うんだよな。でも、なんかそれらのジャンル小説

しか娯楽小説じゃないと思ってた。自分小説が好きだ

からと何度もチャレンジしたけどハマれなかった。そん

で、大学生になって俺も教養とやらを身につけますか〜

と思って、村田沙也加の『コンビニ人間』読んで馬鹿

マり。難しい言葉とか全然使ってないし、サクサク読め

るし、新しい人間を書いてるから脳が刺激されるしでク

ソおもろい。村田沙也加だけかなと思って、芥川賞

推し、燃ゆ』も読んだけどコレもおもろい。堅苦しい

イメージあったけど、全然そんなことなかったわ。ラノ

ベとかと違って大体図書館に置いてあるしな。芥川賞

小説10作品ぐらい読み終えた時に、ラノベやなろう系

の次にオタクが読むべきもの純文学だって気づいた

ね。純文学に手を出してないオタクがいたら、読んでみ

てくれ。俺のオススメ村田沙也加の『地球星人』だ。

2023-05-03

たとえば明日突然腹が痛くなって病院行ったら膵臓がんだったとする

俺は今までの人生を後悔するだろう。

じゃあ10年もあればそれが無いように出来るのか?

それについて考えているウチに気づけば40歳になった。

大学在学中に同じことで悩みまくってメンタルが死んで引きこもり、2年休学して大学卒業するも就活は難航。

こりゃもう筆記の点数で全部解決するしかねえなと勉強しまくって公務員試験勝負し、今は係長、部下に仕事押し付けつつ上司の頼みは断りまくる技術を磨いたので残業はあまりせず年収は550万だ。

仕事空虚さや職場でのイメージの悪さを考慮しなければ人生はそこそこ上手く行っているはずだと思う。

趣味はない。

特技はない。

伴侶はない。

両親はまだ健在だがそろそろ怪しい。

正直、人生でやりたいことが思いつかないのだが、何も成し遂げていないということに対しての無力さだけは凄い。

せめて消費活動ぐらいは精を出そうと、35ぐらいの頃にベストセラーを読み切ろうとしていたが、毎年の売上1位と直木賞芥川賞辺りを読み切った所で飽きてしまった。

そういえば30歳の時には映画オールタイム・ベストを見漁っていたが、アレで何かが得られたという気もしない。

ゲームも完全に飽きている。

こういう輩がAI絵師だのなろう作家だのをやるべきなのだインターネットじゃよく聞くが、ちょっと試してみて合わなすぎたので辞めた。

表現したいことがないわけじゃないんだが、表現しきれたと思えるレベルに行くまでにかかる時間や手間が割に合わないと感じてしまう。

たとえば脳みそから直接イメージを吸い出せる装置が20年後に開発されたりして、それから全部やればいいんじゃないかという気持ちさえある。

でもそれを待ってる間にがんで死んだりするんじゃないかという不安があるわけだ。

どうしたものか。

多分みんな同じことで悩んだことがあり、そのあとに「考えても仕方がない」で終わらせたんだろうな。

自分も一度はそれで乗り切ったが、再び見つめ合ってみると、どうもコイツについてちゃんと片付けずに終わらせないとあとで本当に後悔するんじゃないか不安になってきた。

そういえば大学とき就活に失敗してやりたくない仕事毎日やって過ごすことをどう思い過ごすかが悩みの中心だったように思う。

あれから15年公務員をやっているが、自分人生において実に無駄価値のないゴミのような時間だった。

本当にただただ給料最低賃金よりは多く貰えることにしか価値がない。

公文書偽造スレスレを常に自己責任で歩まされ、いつ犯罪者としてさらし者になるのかと怯えながら暮らしてきたことを考えると給料に見合わなすぎる。

まあ、工場最低賃金を下回って働いている人達労災もまともに降りないまま指や視力を実際に失っているのに比べれば、まだ起きてもない公訴リスクなんて軽々しいのかも知れんが。

虚しいな。

こんなレベル人生電卓をはじいていることが虚しい。

どうすればよかったんだろう。

これからどうすればいいのだろうか

2023-04-02

ある時、増田に奇妙な増田文学が投稿された

その増田文学支離滅裂で、内容に乏しく、寧ろ何も書いていないに等しかった。

その他の有象無象増田との違いは乏しく、下手な文章デタラメ構造三文小説以下だった。

他の有象無象増田文章と唯一異なっていたのは大量のブクマを得ていることのみだった。

誰にもその理由は分からず、内容のない内容の増田理解しているようにも思えなかった。

ブクマは千を越えた。

何故だろうか。誰にもわからない。

ブクマは二千を越えた。

三千を越え、四千、五千にまで到達すると他のプラットホーム増田を大々的に取り上げ、ネットニュース増田記事にする。

ブクマは六千を越え、七千に近づいたところでKindleから声がかかり、書籍化の話が持ち上がる。

発売されると売上は乏しく、しかしじわりじわりと売上を伸ばしていく。

発売二ヶ月後にベストセラーとなりランキング上位に名を並べると増刷が決まり書店に山積みとなって並ぶ。

人々はそれを手に取りさらに売上を伸ばし、内容のない内容の増田は誰に理解されることもなく理解される内容もないままに内容が評価されていく。

増田芥川賞を受賞し、中身のない増田は空洞の内容の構造が素晴らしいと評価を受け、さらに売上を伸ばしていく。

後年、内容のない増田増田は内容がないことが内容となって大衆に受け入れられ、内容のない増田研究する人々は一応に内容がない増田の中身を評価した。

そんな増田も、最初ブクマひとつがなければこうはならなかったであろうと内容にそう加えたそうである

2023-03-22

綿矢りさ20年も作家やるとは思わんかった

在宅勤務しながら「嫌いなら呼ぶなよ」読んでたけどフツーに面白くて参った。

芥川賞同時受賞した金原ひとみもずっとコンスタント作品を発表し続けてるんだよな。

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