はてなキーワード: 女子中学生とは
「月曜日のたわわ」を人々はどう見るか/田中辰雄 - SYNODOS
https://synodos.jp/opinion/society/27932/
一方、女子中学生、高校生を持つ親は、常日頃から子供が性被害にあわないように気をつけているはずで、痴漢のニュースには最も反応してしかるべき人たちである。
これは興味深い。
TVシリーズのエヴァへの感想として、大人の視聴者へのサービスとして女子中学生の性的な描写が多いのは異常だ、という意見を見たんだけど
エヴァって(少なくともTV放映時は)子供向けだったんじゃないの?
子供向け、というか大人の世界に憧れて背伸びしたい小中学生向けかな
だから最初のアニメの時点では女子中学生のセクシャルな描写がある事自体は同年代の子供に向けたものとしてそんなにおかしくなかったと思うんだよね
自分は普通に見ていたしレイやミサトに感情移入しながら見ていた
問題はそれが一旦は映画で完結した筈なのにまた復活してダラダラと続いてファンの大多数が中年になってまで続いた事の方であって
少なくとも子供を主人公にしたアニメはそうで、それを大人も見ていたからといって子供向けである事実は変わらないというか
id:chachateanilgiri 京都にただ旅行行っただけでもイケズに対して思い当たる節というか、モヤモヤする事が何度もあったので実際イケズだから仕方ないとしか思えない。京都に旅行は行きたいけど京都の人には会いたくない。
id:kanimaster ネットミームではなく、リアルで散々ひどい目にあった経験があるので、近寄らないようにしています。
京都人を「女」や「黒人」や「韓国人」にしてもこういう言い訳が通用すると思っているのだろうか?
それとも「私は差別と黒人が大嫌いです」みたいな冗談が理解できないクルクルパーなのだろうか?
たとえば女子中学生が「痴漢に散々あったからオッサンは全員チンコ切るべき」「私の周りのオッサンはみんな醜くて口が臭い」と憎み散らしていたらこの連中は「彼女の言い分は正しいからオッサンは死ぬべき」とか思うだろうか?
はてなーという括りじゃなくて、id:chachateanilgiri と id:kanimaster とこれにスター入れてる連中がとてもひどい。
R-18要素が強いのだったらふさわしくないと思うな
全年齢でロリが健全に描かれてるだけの作品なら何も思わん(新聞が推すほどか?とは思うかも)
でもクジラックス自体は女子中学生くらいの少女と成人男性を交えたインモラルな関係性を描く成人漫画作家だから健全な作品は出してなかったかも
そういう作品でも文芸面に焦点をあてた論評では賞賛されうる実績ある作家だから
Iカップのいかにも大人しそうな女子中学生がいたら、うわっデカいなって思うじゃん。
隣を歩いてた友人が思わず「でか!」と口にしてじろじろ胸を見たとして、それに気づいた女子中学生の顔が真っ赤になったとして、友人に対して確かにデカいから仕方ないと思いこそすれ本気で怒ったり引いたりはしないだろう。
口では「やめろよ」と笑いながら言ったとしても、男なら気持ちはわかる。たとえば通りすがりにその爆乳に肘が当たったことを自慢されても気持ちはわかる。楽しく遊んでいる最中に本気で咎めて空気を悪くはできない。
男なら仕方ない。爆乳なら仕方ない。女の子は別に嫌そうな顔はしてなかった、と思うだろう。
小学生の頃から通りがかりに卑猥な言葉を投げつけられたり偶然を装って胸を触られたり教師にニヤニヤしながら凝視されたり同級生の男子にふざけて羽交い絞めにされたり、そういうことがしょっちゅうあったけど中学生らしからぬ巨乳の女子中学生だから仕方ない。
「やめてほしい」と本気で言うと、誤魔化すように笑うか空気を読めよとキレられる。巨乳のくせに本気で怒る私のほうが間違っているかのような雰囲気。
顔色を変えず上手く躱すようになることが大人の女性の本当の賢さだと社会は言っていた。ほんの十年前まで、たわわな女子中学生・高校生は性的な存在として扱われるのは当然だと社会のさまざまな場所で広告されていた。
建前上はやってはいけないことだが、実際にそれが行われたのを見た大人の男は「気持ちはわかる」「男の本能だから仕方ない」と言う。この苦しさは、ずっと欲情させる身体に生まれてきた自分が招いたことだと信じていた。
この巨乳はあまりにも人目を引き、これまで接した男性たちに「この女は性的な存在として嘲笑していい」というメッセージを送り続けた。
私に大小の性的な接触をしてきた人々は決して低能でも粗暴でもなく、普段は人のいい友人たちだ。ごく普通の善良な男性に性的な欲情を起こさせ、ラインを超える言動をさせるのは、私の身体だ。
私自身は重度のオタクだし、自由主義者であり性的表現規制には慎重な考え方だ。
だが同時に、私が子供の頃から好んで読んだり見たりしてきたメディアで示された性的表現に自分が影響されてきたことも知っている。
周囲に溢れるバラエティやドラマ、漫画やアニメによる刷り込みで、コミュニティの中で性的なアイコンとして振舞うように求められるのは当然だと学習してきた。
辛いと感じるのは私が弱く、大人のスキルをもっていないからだと思っていた。
大学でジェンダー論に触れ、あるいはいくつかのフェミニズム論に触れて初めて私は怒ってよいのだと言ってもらえたとき、目からうろこが落ちたようだった。
それまでずっと私が受けた性被害は性被害ではなく、それは私自身が招いたもので、受け流せない自分が悪いと思っていた。
私の身体は私のものだと言ってはいけないと思い込んでいた。私の身体のせいではない、社会が間違っている。この社会を変えられると言ってもらって、涙が出た。
漫画やアニメが実際の性犯罪を惹起する確率は低い、というのは理解している。
だが私は漫画やアニメから「性的な存在として振舞うのが正しいあり方です」というメッセージを受けとって成長してきた。
データを示せと言われたら困る。私は持っていないのでこれはn=1のただのお気持ち表明だ。
これから性被害を受けるかもしれない子供たちに、それを肯定するような表現を見せたくない。あなたの身体はあなた自身のもので、踏みにじられそうになったら本気で怒っていい。あなた以上にあなたの周囲の大人たちも怒ってあげると言ってあげたい。
私が公的な場所での性的な表現をやめてほしい理由はこういうことです。性犯罪を誘発しかねないという理由で性的表現を批判していることについては否定的に見ています。
出来ちゃう。
『それでもボクはやってない』の様になります。
朝の通勤通学ラッシュに大混雑する電車で就職面接に向かう際、女子中学生に痴漢と間違えられて、有無を言わさず駅員室に連行されてしまう。無実の罪を被って示談で済ませるという妥協案を拒み、あくまで濡れ衣を晴らそうとした徹平は、まもなくやってきた警官に逮捕・連行され、更には起訴されてしまう。
「被害者」の少女に事実確認することもできず、刑事たちは彼の無実の弁明を信じようとはしない。心が折れかけた徹平だが、彼の無実を信じる家族や親友、元彼女らの運動で、元判事の荒川弁護士や市民団体の助力を得て、徹平は証拠を固めて裁判で真実を明らかにしようとする。
しかし、検察の立証が不十分との心証を形成していた若手の担当裁判官、大森判事が突如異動となり、当初から検察よりの心証を形成している室山判事が担当裁判官となったことで、裁判の行方には暗雲が立ちこめ始める。さらに、自身の部屋から痴漢もののアダルトビデオが発見されるなどの裁判に不利な証拠が見つかり、ますます状況は不利な立場になっていく。目撃者の女性を探し出し証人尋問を行う、再現ビデオを製作するなどの努力もむなしく、徹平は懲役3月(執行猶予3年)の有罪判決を受け、控訴を叫ぶのであった。