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はてなキーワード: チングとは

2023-09-06

久しぶりに漏らした

まとめ

ヒヤリハットは本当

・終わったと思ったときはまだ終わってない確率が高い

敗戦処理の手札を握っておければなんとかなる

からウンピーがピーピーしてましてね。

それでも何とか昼には収まったわけですよ。

んで夕方になった頃にガスベント要請がありましてね。

それでまあスカしてみたわけです。

ムニュッ

となったわけですな。

慌てず騒がず身体を揺らさずトイレの個室へ行ってみると、大さじ2杯ぐらいのしおからっぽいものパンツの上になんとか留まっていたんですわ。

落ち着いて周りから包み込むようにペーパーで取り去って、落ち着いて残りを出し切ってからケツを丁寧に拭き、ロッカールームに向かいました。

帰り支度を始めるにはまだ早い時間だったのでロッカーは空いてて、パンツを脱いでるところを見つかる心配はなかったということになりますね。

実は私、夏場は外回りで汗グチョになったときのために替えの下着を常備しているのです。

それにささっと履き替えて、下着を入れていたビニールパンツを移してカバンにポイでこの件は終わりなのです。

いやはや用途は違いますが「いざという時に備えて常備しておく」というのがこれほど効くとは思いませんでしたよ。

仕事でも人生でも必要なのは、なにかあったとき咄嗟に切れるカードがあることですねえ。

持ち駒が沢山あれば王手をかけられてもなかなか詰まないということです。

そもそもの話は私の油断が原因ですね。

昼には出し切っていたと思っていたのが間違いだったわけですね。

サメ映画で言えば沖から泳いでビーチまで来た所で「ふー……助かったぜ」と座りこんでしまったばかりにビーチングかました鮫に食われたようなものです。

これはもう自分が悪い。

まあ10回中9回ぐらいは本当に終わってるのかも知れないのですが、1000回やって999回安全だったかと言われると全然そんなことはないわけです。

今回はプリッとですみましたが、一歩間違えればケツからナイアガラ吹き出して床に足跡を残していたリスクもあるわけですよ。

ゲリをしたあと12時間は透かしっ屁をしてはいけないという教訓を得ました。

今回の事象人生の全てが詰まっていると思いませんか?

ピンチを乗り越えたと思ったときこそ、まだピンチが続いてると思って油断しないことの重要性。

日頃から準備をしていれば想像とは別の形でそれが助けてくれる可能性。

人生においてサヴァイヴするための秘訣はまさにこの2つではないでしょうか?

安全確保は油断せず、準備をしっかりすること。

危険予測もせず命綱をつけないままではちょっとした崖からでも真っ逆さまに転げ落ちて大怪我をするかも知れないということ。

人生大切なことを学びましたよ。

2023-08-16

anond:20230815221357

グロリアセリフ共感出来なかったらティーチング的に聞こえるのか

コレは受動的なものではなくて

共感できるか出来ないかは、セリフを聞くまえにもうその人の中で形成されている事項なの

映画を見て、無からうんこれはカウンセリングだね、ありがたくご意見を頂戴しよう

なんてならん

グロリアセリフに「分かる分かる」、と首肯するのは、似たようなナニカがもう自分の中に形成されていて

それを元にした「正義」が存在しているのよ

マンスプだって言われてるやつだって、言ってる方の男には、自分が置かれた境遇があり、形成したナニカがある

男の方は、カウンセリングのつもりかもしれない

でも、そんなの知ったこっちゃないでしょ?

そんなふうに思えないでしょ?


から、あれが同質に見えるとしたらば、どっちからも遠いんだ

2023-08-15

anond:20230815001958

同質に感じる人と別物に感じる人は何が違うんだろう?

自分の中の「正義」にどれだけ近いか

同質に見える人はどっちからも遠く

フェミニズムのご意見は貴重なカウンセリング、男の方をウザイティーチングと思う人はそっち側

2023-07-13

anond:20230712112116

マネージャー職についたら、そういう面倒くさい状況でも変な圧は掛けずに動いてもらうように促すのが仕事だし、マネージャー職の技量ってもんだよ。

増田のやり方だとハラスメントと訴えられる可能性あるから気をつけなよ。

「やってみせ、言って聞かせて」と言うでしょ。

マネージャー職なら最低限ティーチングコーチング知識は持っておきなさい。

やってみせ、言って聞かせて、

させてみせ、ほめてやらねば、

人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、

任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、 信頼せねば、人は実らず。

山本五十六

2023-05-22

anond:20230522211548

ブックマチングなあ

嘘だろこの本好きな女の子実在するんだ!?からのごめんなさいの絶望感がやばすぎる

一時は本当にストーカーになりそうだった。今は反省している

2023-04-01

ゴリラ チンパンジー シマウマ イヌリンチング情報 シマウマ記事 野生チンパンジー記事があった。シマウマ記事には、「突然変異」が騒がれた時期に人間でこんな記事を書くとは考えにくい。(ここでも反応を見ていただけるとわかりやすい。)シマウマ記事自体人間で書いてるけど、記事を書いたのがチンパンジーっていう点が怪しい。人説によると、チンパンジー突然変異可能性が高いとのことだ。いや、むしろ可能性などないというほう

Anond AI作成

2023-03-18

ツイッター炎上させた人などに謝罪したい


若かりし頃の話だ。ちょっと語らせてほしい。気持ちの整理がついたのだ。チャンスは今しかない。

当時、大学四年生だった俺は、いわゆるネトウヨに堕ちた。就職活動に失敗し、大学受験にも失敗し、にっちもさっちもいかなくなり、卒業後はフリーターとして生きる未来がほぼ確定していた。

悲しいかな、自惚れが強い性格だった。ネット上で言うのは最初最後になるけど、十数年前に慶応義塾大学法律経済のことを学んでいた。専攻は不動産登記とか、土地建物取引関係がメインだった。成績はまずまずで、サッカー部(※厳密には違うがサッカー部という名称を使う)では補欠だったけど全国大会に出た経験があったし、就職活動が失敗することはないと思っていた。、結果はこのザマだ。

日系企業を主に受けていた。第一志望だった総合商社はもちろんのこと、メーカー系もマスコミ系も金融系も20〜30社受けたけど、ぜんぶダメだった。大手も中堅もすべて。中小企業内定は取れたが、プライドの高い俺はすべて辞退した。

面接まではとんとん拍子なのだ大学名がよかったからだろうか、エントリーシート適当に書いても、SPI勉強をしなくても、とにかく面接までは辿り着ける。しかし、内定を取ることはできなかった。

今思えば、あの時の自分程度の実力では、まともな会社から内定を取ることはできなかった。30代半ばになった今の率直な感想だ。確かにサッカーはできたけど、精神はぜんぜんなってなかった。今やっている『ブルーロック』のアニメでいうと、実力のない馬狼照英みたいなものだった。

で、結果がネトウヨだった。大学四年の秋〜25才頃までなので、約三年ほどネトウヨに堕ちていたことになる。

今では黒歴史だ。『国民の知らない反日実態』とか、圧倒的眉唾感のサイトがあるだろ。ああいうのを見て、中央省庁テンプレメール送ったり、韓国人中国人応援をしてると思われる国会議員をディスったり、mixiGREE反日活動認定されたアカウント突撃をかけて垢停止になったり、とにかくクソみたいな人間だった。

今思えば、いろいろと失ってしまって自暴自棄というか、自分他人大事にしない状態だったんだろうなぁ。当時の俺は。

ここで、大学時代に読んだ本を引用したい。約二千年前の、ローマネロ帝の家庭教師ポジだったセネカの書いた『生の短さについて』だ。

長いけどすまんな。先に要約しておくと、苦しい立場に陥った人間は何かにつけて逃避行動に出る、みたいなことが書いてある。なにげに現代異世界転生ブームを予見している感がある。特にオーバーロード』なんかの異世界転生+光属性人間が死にまくるようなコンテンツ流行理由がわかった気がする。

すごく長いけど、可能な限り要約してここまでだった。

さらに、さほど移り気ではないが、その一貫性が恒心のゆえではなく、懶惰のせいであり、自分の意欲するとおりの生を送るのではなく、始めたとおりの生を送る者も、この範疇に加えるとよい。症例を次々に数え上げればきりがないが、この病態の結果は一つである自己に対する不満がそれだ。その由って来る因は、心の平衡の欠如と臆病な欲望、あるいは完全には満たされない欲望である。望むだけのことを思い切ってできなかったり、望むだけのことを達成できなかったりして、すべてを希望に託す場合がそれに当たる。そのような人間は常に不安定で流動的であるが、何事においても中途半端な者の必然的な結果である。彼らは自分の願い事を手立てを尽くして達成しようとして、不名誉なことや困難なことまでみずからに唆し、強いるが、苦労が報われなければ、願いが叶わなかった恥辱感に苛まれしかも、歪んだものを望んだことを嘆くのではなく、望みが徒労に終わったことを嘆くのである。そのとき、彼らは挫折した目論見への後悔の念にも、また、新たな目論見に着手することへの恐れの念にも捉えられ、その精神には、欲望制御することもできず、かといって欲望を満足させることもできないために、出口を見出せない心の動揺や、思いどおりに展開しない生への躊躇、断念したさまざまな念願の中で無気力になっていく心の沈滞が忍び込むのである。苦労の挙句蹉跌に嫌気がさして、閑暇の生や孤独学問研究に逃げ場を求めたとしても、こうした心的状態はどれもますます耐えがたいものになる。公人としての務めを果たそうと意気込み、行動を望む、生来落ち着きのない精神は、当然、みずからの内に見出せる慰めがわずかなために、そうした閑暇な生や孤独学問研究には耐えられないからだ。世間的な仕事に奔走しているときにまさにその仕事から得ていた喜びが取り去られると、みずからの家に、孤独に、取り囲む壁に耐えかね、一人取り残された己の姿を嫌々眺めるのは、それゆえである。落ち着き場所をどこにも見出せない精神の揺れ、そのような精神への倦怠や不満、そしてまた無為の生に耐える悲しくも病める忍耐は、ここに起因する。そうした状態の真の原因を認めることを恥じて、羞恥心が責め苦を内に向け、心の片隅に閉じ込められたさまざまな欲望が捌け口もなく互いを窒息させ合う場合がとりわけそれに当たる。そこから生じるのは、悲哀や憂鬱であり、また、希望を抱いた当初はどちらともつかない不安状態に置かれ、やがては挫折を嘆く悲哀を味わわされる、千々に乱れる不安定精神の揺れである無為の生を厭い、自分にはすることが何もないといって嘆く人々に特有の例の感情他人の栄達を蛇蠍のごとく憎む嫉妬心は、そこから生じる。不幸な無為の生は嫉みを育むからであり、自分が進展できなかったために、誰もが滅びればよいと望むからである。この他人前進への嫌悪感自分前進への絶望からは、次には運命に怒り、時代をかこち、片隅に退嬰し、みずから招いた責めにくよくよと拘泥し、そうする己の姿に辟易して嫌気がさすまで考え込む精神生まれる。実際、人の精神生来動きやすものであり、動きへと向かう性向もつものである。そのような精神にとっては、みずからを刺激し、どこか(別世界)に連れ去ってくれるものなら、どんなものでもありがたいと思う。その才知を世間的な仕事にすり減らして嬉々としている最悪の人間(の精神)にとっては、なおさらそのようなものはありがたいのである。ある種の腫れ物は潰してくれる手を求め、触れられることを喜ぶし、身体に出来た汚い疥癬は引っ掻いてくれるものなら何であれ歓迎するが、それと何ら異ならず、さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。

生の短さについて 他2篇 セネカ(著)大西 英文 (翻訳)  P.77-P.80



そんなわけで今回、若かった頃の俺がやってしまったネトウヨ行動を取り上げて、自分断罪したい。ネトウヨ活動では多くの人に迷惑をかけてしまった。ふたつだけ取り上げるが、どちらも個別案件だ。まずは、この一件から

それは、2011年だった。当時、ツイッターを始めたばかりの俺は、タイムラインとか、検索のやり方とか、連携の仕方とか、いろいろと勉強していた。そんな折、『炎上』というキーワードが眼に入った。炎上自体は何年も前からネット上で起こっていたのだが、自分が直接関心をもったことはなかった。

なお、この頃の俺は、都内サイゼリヤで働く一介のフリーターだ。毎日レンジオーブンIHヒーターで厨房仕事をするのが仕事だった。ムカつく年下の女社員から、「増田さん慶應卒なのwwwマジすかwww」みたいな感じでディスられていた。

それで、ある時ツイッターで見たんだよ。炎上の場面を。有名ホテル芸能人が来ていた時、そこのアルバイト従業員が「芸能人の○○が二人で泊まるみたい」とかなんとかをツイートして、「客の個人情報暴露すんな!!」みたいな恰好炎上したのだ。俺は、それを間近で見ていた。

当時は、炎上騒ぎに参加する人間が実は少数である、という科学的知見はまだ得られていなかった。本当に多くの人間炎上騒ぎに参加しているのだと思っていた。それで、当時はストレスが溜まりまくって、シロクマ先生でいうと承認欲求に飢えた若者だった俺は、誰かを炎上させたいと心に決めた。

自分でいうのもなんだが、知能が高い自信があった。中味はクズだったが。それから毎日、俺は炎上の種を探し、それらしいものを見つけてはツイートしていったけど、ぜんぜん炎上に至らなかった。ダメだった。

何週間か経って、もうダメかなと思いかけた時、あるツイートが目に留まった。プロフアディダス社員であることを明記している人物が、あるツイートをしていた。要約すると、都内アディダス店舗アディダススポンサーになっているサッカー選手が訪れたのだが、その人の容姿侮辱するツイートをしていた。

「これだ!!」

と思った。俺だって小学生の頃からサッカーをしていた。サッカー選手を馬鹿にするのは許せない。

サッカー試合で、「いまだ!!」と思う場面がやってきたとするだろう。この時、「いまだ!!」の「い」の場面で行動を起こす必要がある。「いまだ」と心の中で叫んだ時にはもう遅い――

そんな、大学時代サッカー部コーチからメッセージを思い出した。実際、俺のルーレットスピンは大変狭い界隈ではあるが知られていた。三人抜きをしたこともある。その指導を正しいものだと信じて努力した結果だった。

そして俺は、そのアディダス社員の行動を咎めツイートをした。

……その次の日、俺は大好きなハムスター速報を観ていた。ツイートのことは忘れていた。そしてある瞬間に、マウスクリックする手が震えたのを覚えている。

それはもう、見事な炎上だった。アディダス社員ボコボコに叩かれまくっていた。コメントの数をカウントしてみると、軽く数百はいっていた。

ツイッター確認した。俺と同じ時刻にツイートをした人間の数は、確か二人だったと思う。1人は準アルファツイッタラーと思しき人で、フォロワー数がけっこういた。でも、確認できた中では俺のツイートが一番早かった(その二人、もしかして俺のツイート参考にしたんじゃね!?)。いや、絶対とは言い切れないが。そのはずだ。※俺のツイートは削除済み。

あの時、俺は世界で一番賢くって、一番運がよくて、一番強い人間なんだ!! と心の底から思った。全くそんなことはなく、ただそういう運に当たっただけだった。

その日から数日、ハムスター速報に夢中になっていた。その記事ばっかり見て、コメントが貯まっていくのを観ていた。今では思う、俺がやったのはクソみたいな行為だ。具体的には、畑の隅に捨てられた白菜の欠片だ。茶色いカビが生えてしまって、もはやハエすら寄ってこないほどに腐りきったカス野菜だ。そんなレベルに堕ちていた。

から俺は今日、ここで謝罪したいのだ。俺の行動が原因のひとつで、炎上を招いたかもしれなかった。俺だけが原因ではないけど、でも、あの時ツイートをしなければ運よく炎上回避できていたか、あの子若気の至りで済んだのかもしれない。



あともう一つで謝罪は終わりだ。気が付いたらけっこう書いてるな。ここまで筆が進むとは思ってなかった。

同じく20代の頃、ニコニコ動画にハマっていた。ようつべよりニコニコ派だった。で、その中のサービスひとつニコニコ大百科というのがある。端的にいうと、wikipediaもっとバーリトゥ―ドになった感じだ。なんでもあり感が満載のネット百科事典ということになる。

ここに電通記事があった。やはり『国民の知らない反日実態』などのネトウヨサイト巡回していた当時、なにかやってやりたいという情動に突き動かされることになった。例えば、一集団内の駒として、都内某所で花王不買運動とかのネトウヨデモに参加するんじゃなくて、もっと大きいことがしてみたかった。

それで、ニコニコ大百科にある電通記事編集することにした。当時は、スパッとした端的な記事内容だったのだが、俺が編集を終える頃には、圧倒的ネトウヨ臭の漂う記事へと変貌していた。

こんなことをしていいのか、という認識はなかった。ただ、電通反日企業として認定されていたから、鉄槌を下すべきだと信じていた。俺を役員面接で落とした逆恨みもあった。

さて、編集後はとんでもないことになった。コメントの数が増えたのだ。それまでは10件くらいしかコメントが付いていなかったのが、その後1年間で百件以上のコメントが付いた。

内容はお察しのとおりだ。俺と同じネトウヨ連中か、または『国民の知らない~(略)』が引用元だから信じなくていい、みたいな二極的なことになっていた。

残念ながら、要編集記事指定されてしまった。その解除には約五年を要した。俺は、編集してから一年も経つ頃にはネトウヨ活動に興味を無くしていた。もうどうでもいいと思っていた。

というのも、内定を得たからだ。しがないファミレス店員だったが、数年間フリーターとして努力し続けた俺には、わずかずつではあるが、社会人としての力が身についていた。準社員マネージャーみたいな役職があったのだが、アルバイトでも正社員仕事やらせてもらえる。それで、組織の下部階層における事務管理とか、オペレーションの指揮とか、コーチングやティーチングを学んだ。それが活きて、就職成功したのだ。

あの時、俺を馬鹿にして、「あんた、それで慶應卒すかwww」とほざいていた女子社員も、俺のことを見直していた。あの時からはいろいろあって、なんやかんやで一緒にご飯に行くようになっていた。内定を得た時には交際していた。公園デートの帰り道、俺の方から「ねえ、付き合おうよ」と言ったのだが……おっと、けれどもこれは別の物語だ。いつかまた、別の時に話すことにしよう。

それで、ネトウヨの道から遠ざかった。ネトウヨ卒業したのだ。



今は、都内のどこかでカタい仕事に就いている。この物語舞台はずっと都内だ。思えば、勉強自体はできるのだから、これが一番効率のいい道だったのだ。この道は、父親に教えてもらった。マジで感謝している。やっぱり、こういうところだけ要領がいいのが俺だ。2023年3月になった今も、人として生きるにあたっての知性というか、そういうのが足りない人間なんだと感じる。成長していない。ネトウヨ脱出できたのと同じく、いつか成長を遂げることで、こういう気質ゼロにしたい。



終わりに、この日記を書くにあたっては、大学時代に書いたサッカー部私生活日記とか、フリーター時代サイゼの卒店式でもらったみんなの寄せ書きとか、mixitwitterマイページとか、公務員試験学習記録とか、とにかくいろんなものに触れて自分を振り返ってみたつもりだ。

ネトウヨにならない方法簡単だ。毎日食事と、朝に日光を浴びて仕事に向かう、ただこれだけで解決するものと信じている。

まらなかったのなら申し訳ない。ほんの少しでも、あなた暇つぶしになれたのなら嬉しいと思う。読んでくれてありがとう

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2023/3/18

明らかに問題のあった箇所を修正して再度投稿

お気に入りに入れてた人がいたらごめん。

2023-02-19

退職D進で必要だったこ

退職して地方国立大学博士課程に進み、今春博士課程取得予定の者です。

巷を見ていると社会人博士は多いですが、退職して(企業後ろ盾なく)D進する人はあまり見なかったので情報共有しようと思います

追記サンプル数=1の標本なので、過度に一般化しないでください。他の退職D進事例を並べて読むことをお勧めします。

お金

お金はどうしても必要です。あなたが親に支援してもらえるならここは読まなくていいです。

私の場合、頭金約100万円必要でした(入学費+前期学費で60万円程度+引っ越し+半年分の生活費)。東京or大阪だと税金住民税+国民健康保険費)や家賃が高いため、200万円は見たほうがいいと思います私立大なら更にこの倍は見たほうがいいかと(あなた家族持ちの場合は、さらにその数倍は必要に思えます)。授業料免除積極的活用すべきですが、入学費と前期学費免除は難しいです。これは、所得課税証明書源泉徴収票)に前年度の社会人としての収入が記されているためです。

入学後もバイトしないと生活は維持できません。私は授業料免除+日本学生支援機構奨学金+TAティーチングアシスタント)をフルに使い、かつ週3(15時間)バイトしてトントンでした。確定申告して気付くと思いますが、収入が非課税ギリギリで同世代の1/5くらいになります比較して心を病まないように。

学振(DC,PD)は期待できません。社会人から研究持ち込みのパターンでは、ツテもコネもありません。博士に入る前に受け入れ先の先生とよく相談して、研究計画を立てて狙うのが良いと思います

そもそも地方国立大学学振はとれないと思った方がよく、採択されなくても落ち込むことはないです。とれたあなた、相当優秀です。)

研究

おそらく、博士取得のためには論文誌(ジャーナル)X本、国際会議Y回発表というノルマが課されていると思います。それを入学前に確認した方が良いでしょう。なぜなら、論文査読から採択・掲載まで半年持っていかれることはザラにあるため(分野によります)、それを見越しておかないとノルマを達成できないということが起こりえます

旧帝大クラスではX=3が多く(分野によります)、課程博士(3年)の場合は年1本のペースで論文を書かねばなりません。博士スタート場合修士からエスカレーターと比べハードルが高いです。博士に入る前に論文ネタを1本準備しておくなどの対策必須でしょう。

研究室に入った段階で自分研究デザインが出来上がっていたほうがよいです。学振を書く際に必須になりますし、博士審査でもその点は何度も聞かれます

就活

研究所に入る場合先生就職事務相談して空いてる研究ポストがないか探すことになります研究採用一般オープンではないです)。年度末ぎりぎりまで採用が開かれているので(今でも面接しています)、諦めずに頑張りましょう。面接では研究内容を発表する機会が多くありました。自分研究内容をまとめたスライドを作っておくと良いでしょう。

民間企業就職する場合あなたの扱いはおそらく第二新卒になります就業年数にもよる)。新卒というくくりですが、面接では中途とほぼ同様の問答が起きます。たとえば「どうして前の企業をやめたのか」、「なぜ博士に入ったのか」、「あなたのできるスキルは何か」、「前の企業で公にできる成果物はあるか」、「あなた研究は弊社の何に役立つのか」はほぼ確実に聞かれます。このあたりの回答ははっきりさせておくと良いでしょう。職務経歴書の準備も必要です。

中小企業にとってはあなた存在は重く、採用を渋られることが多々あると思います。めげずに頑張りましょう。また、インターンシップの参加は絶望的と思った方がよいです。私は1つも受かりませんでした(私の能力がないだけかもしれません)。企業立場になって考えると、一度社会に出た者にインターンさせてどうするの?というのはあると思います

体調管理

課程は一般的に3年の長期戦になります。体調管理に気をつけましょう。

リタイアした人は、ほとんど精神を病んで大学に来なくなる(連絡も取れなくなる)パターンを踏んでます対策としては、よく先生友達)と連絡をとる、研究以外の趣味を持つ、散歩でもいいので運動する…くらいしか思いつきません。

論文査読審査ではあらゆる点からときには理不尽な)攻撃を受けるので、そのディフェンス能力が試されます博士課程はそういった精神・体調面でも試されていると思います

最後

博士課程は逃げ場や遊び場ではありません。モラトリアムの延長と思って入ると審査で弾かれます

一度博士課程に入ると、あとは自己責任になります先生はある程度の所まで(課程取得のために)サポートしてくれますが、限界があります

退職D進を検討している方。本当に退職して問題いか研究分野が好きか、博士を取れる見込みがあるか、よく考えてみてください。

2023-02-09

anond:20230209212916

そんなマナーが出来てんねんや

最近新人全然入ってきてないから知らんかった

他社さんとのミーチングの時言われたらびっくりすると思うから構えとこ

2023-01-27

anond:20230127223502

そのアプリがありかなしかはさておき、シンママが集まるマチングアプリにわざわざ登録しに来る男性像がどんな人かって考えたら、そりゃ小児性愛者の確率が段違いで高いでしょう

一般的男性は子持ち女性をわざわざ好き好んで恋愛結婚しようとなんてしないよ

女性に恋したらその人が実はシンママでしたとか、自然仕事とかで知り合ったシンママに惚れましたはあるとしても、シンママを選ぶぞ!とはならんて

2023-01-04

2022年に読んだ本

1月

琉球から歴史の原文へ。太平記史記を並行して読み始める。

現代語訳とはいえ長くてしんどい

2月

メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ世界史教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い

3月

ウェブ小説を読む。

4月

東アジア史が中心。

5月

詩集芥川賞に手を出す。

シン・ウルトラマンを見たせいか特撮関係の本が後半に増える。

6月

後半には自分学生時代ベストセラーだった本を手に取った。

価値観現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。

7月

暴力団言語学、法学テーマの月だった。

8月

旧約聖書を読み始める。

9月

ちょくちょくSFを挟んで旧約聖書を読み進める。

10

旧約聖書読了学生時代新約聖書通読たから一応全部読んだことになる。

カズオ・イシグロ邦訳が出ているのはたぶん読み終えた。

11月

生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白いネタが尽きない。

12月

土偶埴輪についても読む。

漫画

ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。

十三機兵防衛圏については友人に薦められたかクリア後のノリで買った。

美術展など

今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。

映画

「シン・ウルトラマン」★★

プラットフォーム」★

エクストリームジョブ

12モンキーズ」★★★

雑感

(長くなったのでブコメ

2021年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2022-12-09

婚活アプリ地獄のような荒野を見ている。

結婚を考えて婚活アプリ登録してみた。

自分アラフィフおっさんと伝えておく。

結論を書くと、見ている相手から事故物件と思われているのだと思うけど、そんな相手も言わせて貰えば自分よりひどい事故物件しかない。

しかマッチングが成立しないし、オーバーフィフティな人からしか来ない。

もう婚活というより互いの死の間際を見届けようと言う感じだ。

アラフォー女子の人々も大概なレベルだぞ。

でもそれらの人からすると、こんなオッサンダメだろ笑と思われていると思う。

すでに女子じゃないぞ。

婚活のものは前から始めていてほぼ諦めているけど、この薄暗い荒野を延々と見続けて朽ちて行くのかなと空を仰ぐ。

お互いにノーマチングフィニッシュだろう。

まあそれもいいだろう。

仕方がない。

婚活アプリ地獄のような荒野を見ている。

結婚を考えて婚活アプリ登録してみた。

自分アラフィフおっさんと伝えておく。

結論を書くと、見ている相手から事故物件と思われているのだと思うけど、そんな相手も言わせて貰えば自分よりひどい事故物件しかない。

しかマッチングが成立しないし、オーバーフィフティな人からしか来ない。

もう婚活というより互いの死の間際を見届けようと言う感じだ。

アラフォー女子の人々も大概なレベルだぞ。

でもそれらの人からすると、こんなオッサンダメだろ笑と思われていると思う。

すでに女子じゃないぞ。

婚活のものは前から始めていてほぼ諦めているけど、この薄暗い荒野を延々と見続けて朽ちて行くのかなと空を仰ぐ。

お互いにノーマチングフィニッシュだろう。

まあそれもいいだろう。

仕方がない。

2022-10-18

anond:20221018142335

過保護干渉ではなく、無条件に愛すること。

親の自己実現の道具にするのではなく、親は親自身自己実現に取り組んで、その背中子供に見せること。

幼少期に大量の読み聞かせOSである母語をしっかりインストール

ティーチングよりは可能な限りコーチング

コーチングよりも、身を置いた環境で発生する問題を解く過程で自ら学んでもらう。

他愛ない会話と、カジュアル議論の励行。

2022-07-22

統一教会じゃないけど親が新興宗教にはまっていた話

宗教二世と言う単語が俄に話題になっており、そう言えば私もそうだったなと思い、なんとなく当時の思い出を振り返りがてら

父親がはまっていた崇教真光について記そうと思う。今までROM専だったので、至らない所があったら申し訳ない。


崇教真光との出会い、並びにどういった宗教であったか

かい時期は覚えていないが、確か小学校にあがったあたりで父親が入信。

ある日いきなり家族を車に乗せて連れて行かれたのが西千葉にあった真光の道場(真光は支部道場と呼ぶ)であった。


崇教真光と言うのは、神道系の流れを汲み、基本は教祖のもと真光大御神と言う神様を祀る新興宗教で、

一番の売りは、御神霊(おみたま)を言うものを装備して手を3回たたくと、手から目に見えない光が出て、

その光を当てると病気は治り食事は美味しくなり機械は治り悪霊は退治できると言う物であった。


この御神霊は初級中級上級などのランクがあり、初級はたしか5万円だか7万円だかを払い、

3日間泊まり込みの研修を受けたら誰でももらえるヒノキの棒のような物であった。

私も小学校2年か3年の時に受講させられてゲットした覚えがある。普段ネックレスのようにして首からさげ、

胸元に御神霊を入れるポケットがある専用のシャツを作ってそこにしまっていた。

から外す時は、水に濡らすなとか心臓より低い位置においては行けないとかなんか細かいルールがあったけど忘れちゃった。


とにかくこれで御神霊をゲットした者同士でお互い手かざしをして、病気煩悩などの悪いところを祓う修行をする場

と言うことで道場と呼ばれているようだった。


手かざしをする時の流れは、暇そうな人が集まる待機所に行き「すみません、○○をお願いしてもいいですか(なんて言ってたか忘れった)?」

と聞いて了承を得ると、二人で道場に行き、まずはお互い正座をして向き合って座り、

祝詞をパクったような呪文を唱えてから額に10分間照射するのが始まりだった。


その後は後ろをむいて肩首、うつ伏せに寝て背中腎臓のあたり、足裏の順で指圧をして硬い所を見つけたらしばらく手かざしをすると言う流れで、

体が軽くなったと喜ぶ人も居たが、たぶん指圧効果だったと思う。

たまに父親がなんだかんだ理由をつけて若い主婦の鼠径部あたりを執拗施術?してたのは今思うと普通に痴漢セクハラの類だったんだなとは思う。




■真光との付き合いや家族の事

宗教との出会い上記の通り。典型的モラハラDV親父だったため、母親を始めとして兄2人と妹を含めた4人兄弟は誰も逆らえずに入信。

定期的に道場に行っていたが、おそらく父親含めて誰1人信仰心から行っている者は居なかった。

逆らったり不満を漏らしたりすると、分厚いガラスの灰皿やゴルフクラブが飛んできたり、良いと言うまで正座もしくは町内をランニングなどさせられた。

母親は朝から晩まで会社で無給の事務員をやらされ、空いた時間道場いかされ、家事をやるものは居なく家の中は荒れ放題であった。

やっていた時期は自分小学校1年から6年生ぐらいまで


おそらくは父親自身さびしさの穴埋めと承認欲求のために家族全員入信と信仰を強いられたのだと思う。

「○○さんのお家はご家族ですごいのね」

今思うと全てがこの一言をもらうためにやっていたように思える。


例えば真光では、体調を崩して熱が出るのは体の自然状態なので、なるべく解熱剤などを使わないようにし、

手かざし自然治癒で治そう。ただし本当にやばい時はちゃんと使わなきゃダメだよみたいな教えがあった。


これを先の一言をもらうために、熱が41度出ようが右足に古釘がささって切断寸前までいこうが家族病院と薬の使用禁止し、

無理やり病院に連れて行ってくれた先生を呼びつけ罵詈雑言を浴びせ殴るけるをし、自身経営する会社の金を横領

道場に高級車や多額の献金をし、子供学校を休ませて道場にかよわせ、真光一の子供が集まるキャンプに参加させ、

岐阜総本山での大集会に参加させてってここまで書いて思ったのですが、宗教と言うか父親の話ですねこれ。



これだけでは何なので、普段道場での過ごし方について少々


大体土日ともに朝6時ぐらいに起こされて父親の車に乗せられて道場に連れて行かれる。

この時献金用(なんかお金を紙につつんで2礼2拍手かなんかしながらうやうやしく神前に置いていた記憶が)の100円と

昼飯代などを渡され、妹と二人でおいて行かれる。

母親会社につれていかれて無給で仕事の残務処理を、父親ゴルフなどをしにいっていた。

父親目的は「○○さんのお子さんは熱心ですごいわね」と言われる事で、

信仰心を満たすためでは無かったためこれはすごく理にかなった行動だと思う。


そして私と妹は、道場内にある託児所のような場所で、布教用の新聞を折る内職をしたり、信者同士で手かざしをしたり、

マイッチングまちこ先生の絵の人が書いた布教用?の漫画を読んだり、道場長(支部長)が幹部候補生(無給で道場雑務を処理する青年奴隷)に

パワハラしてるのに怯えたりしながら、ゴルフ帰りの父親が迎えに来るまで時間を潰していました。


当時の数少ない娯楽で楽しみにしていた事が2つあり、1つ目は手かざし中にたまに憑依した霊が手かざしの光を嫌がると言う設定で、

普通のおばさんが「ワシは武士だ!」とかいい始めたりする突発イベントだった。私は2回しかたことが無かったが、

最初は「まぶしい!やめろ!」とか言って目をつぶったまま光を避けようと抵抗してたが、

最後は「あたたかい…」とか言いはじめて最終的にはなんかお礼とか言ってた。

もう1回はなんか頭揺れてうーうー言ってただけ。今思うと後者寝不足な人が眠気に抗ってただけなのかもしれない。


もう1つは布教(?)に連れて行かれる事であった。これ自体面白くもなんとも無かったが、外に出られるってだけで嬉しかった。

主婦が5人1組ぐらいのPTをいくつか組んで、ワゴン車で移動して死亡事故があったところを皆で手かざしをしたりしたのだが、

たまーに「手がピリピリする!」とか言う人が出てくると、そこにどうやら成仏できない霊がいるみたいな設定で皆で集中砲火をするのが面白かった。

その浄化作業の後は阿佐ヶ谷姉妹玄関開けると居る人たちってネタそのままの行動をしてた。


これのために子供会の野球もやめさせられたし、友達全然遊べなかったのが辛かった。


当時一番嫌だったのが、金曜日から日曜日にかけて行っていた総本山での大集会(なんか名前がついてた気がするが忘れた)。

金曜日の夜に背もたれを倒せない古いバス10台ほどに分乗して千葉道場を出発し、皆で寅さん映画などを見ながら金曜日の夜を過ごし

土曜日の早朝に岐阜総本山へ到着。全国、というか外人さんのために通訳とかもあったからおそらく世界中から数ヶ月に一度ここへ集まり

手かざしのおかげで病気が治った、事故にあわずにすんだ、なんかしらの災いから逃れられたなどの今で言う嘘松体験のような物を

泣きながらやる発表会や、ありがたいお話を聞いたり、青年会かなんかの歌や踊りを見たり、みんなでお祈りをささげたりしながら、

集会1番の売りである教祖様手ずから信者に向けての一斉手かざし(※通常は1on1でやるものだが、教祖様は凄いので大ホールに集まっている

全員に一斉に、しかも両手で光を浴びせることができた)を受けて良かったねと言ってまたバスで1晩かけて帰る。

2夜連続で狭く揺れるバスでの宿泊は車に乗ると確実に酔う私には拷問に等しかった。マジで2晩中吐いてた。


たこ集会にはアントニオ猪木をはじめとした国会議員が数名来ていた。その他芸能人も何人か来ていたが、覚えているのは丹波哲郎のみ。

大霊界とか言う映画撮影総本山を使ったらしい。

小学校低学年だったため、子供でも知ってる猪木と、映画を見させられた丹波哲郎以外は名前を知らなかったし覚えていない。

全国から岐阜に集まっちゃうぐらい言う事聞いちゃう信者に顔を売ると言うのは、政治家や人気商売有名人にとって計り知れないメリットがあるんだろうね。

教団側も内外への広告塔として利用価値あるし、統一教会政治家がずぶずぶなのも何を今更としか思えなかったし、

参加している芸能人はともかくとして、政治家がどこまで本気で信仰しているのかは怪しい所だと思う。



■その後というか話の締めくくり的な物

父親はその後、思春期を迎えた兄2人を暴力支配できなくなり、母親には小学生だった私と妹を連れられて離婚され、

会社銀行没収され、すっかり存在を忘れられていたが、数年前に膵臓がんにかかり長男に会いに来た所、玄関の扉も開けずに追い返されたとの事。


とっぴんぱらりのぷう



追記

読んでくれてありがとう自分の中ではとっくに整理がついてたつもりだったけど、改めて文章にしてみると無視してただけで

100%飲み込んだわけじゃなかった感情とかが見つかって良かったと思う。

全部じゃなくて申し訳ないけど、いくつか適当に返信を


最後ググったけど秋田の話?

上には書いてなかったけど、私が小学2年生の時に母親に連れられて秋田に逃げた事があった。

その時は確か3ヶ月ほどで見つかり連れ戻されたんだけど、そこの児童館かなんかで聞いたフレーズでやけに記憶に残っていた。

当時は個人情報にそれほどうるさくなかったから、学校への問い合わせで見つかったっぽい。

その失敗を踏まえて数年後にまずは母親が単身で家出して、生活基盤を整えてから私達を迎えると言う計画に出たが

場所計画などがバレないように私達には内緒にして行った物だから、妹と2人でお母さんに捨てられたと絶望したのはまた別の話。

(※兄2人は知らされていた)


崇教真光勧誘には会ったことないけど、勧誘に連れてく子供他人の子供だった(そういうケースもあった)というのは新鮮な驚きだったわ

勧誘基本的主婦積極的に狙ってた。主婦を釣ればほぼ確実に子供がついてくるし、財布を握っているケースも今より多かったからだと思う。

結果として託児所みたいなところがあって、そこに子供を預けて行くシステム千葉道場にはあった。他の道場宗教はわからないけど

どんな宗教でも主婦を狙うのは基本っぽいから、似たようなケースはあると思う。


経営者の親父は親父で経営者同士の会合とか政治家もいる会合とかで出会った人間に言いくるめられて入ったんだろうな

これはわからないけど、私個人見立てとしては、めちゃくちゃお金を稼いで社会的には成功したのに人に好かれない寂しさからはまったんだと思っている。

でもさ、反対意見を言った社員を角材でぶん殴ったり、泣き止まないからって理由子供を3階のマドから吊り下げたり、雪の降る夜に裸で追い出したり

高速道路に捨てていったり、今だったら即懲役になるような事をやるような人が自分を変えないまま新たな居場所を見つけようとしても、嫌われたり避けられる体験が増えるだけなんだよね。

離婚以降は真光をやめて新興宗教転々としてたって噂に聞いた。


>結局、信仰宗教って最強の弱者ビジネスに思える。経済的身体的、精神的な弱みに漬け込みお金と人を集め、それを目当てに寄ってくる人間を利用する。

これはめちゃめちゃ居た。ガンなどの医師からさじを投げられた人たち、今思うと自閉症だったんだなって人のご両親が熱心にお祈りしてた。あと家庭内不和あたりは本当に

石を投げたらあたるぐらい居た。上得意だったと思う。日常解決できない問題の救いを求める場所って言う意味では良いと思うんだけど、

割りと強引な勧誘がね…。


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