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2018-11-13

人類大した事無い

世界一文明が進んでそうで、世界頭脳が集まっている筈のアメリカ山火事一つ消せない。google世界頭脳が集まっているのに山火事にはなす術が無いのか?山火事が出たのは今年が初めてじゃないし。

燃してしまった方が無理やり消火するより安上がりという判断AIから下ったのかも知れないが(昔のSFっぽい)

2018-11-09

anond:20181109140706

それまさにカマトトだろ。

物語を書こうって人間SFというジャンルを知らないわけがない。

2018-11-08

anond:20181108141622

SF記載現実だとおもいこむのは妄想病の人扱いされるからやめなさい。

あとNSAではなくNASAといいたかったのかね。

2018-10-18

anond:20181018123301

SFに登場する無重力エレベータは、箱がなくて竪穴の部分だけが無重力になっている。

適当に壁の取っ手を引っ張ったりして好きな方向に好きな速度行く。

時々ぶつかる。

事故無重力が解除されると少し問題がある。

2018-10-08

理系女子からみるキズナアイ論争

第一章 前提

1.キズナアイに限らず、理系男女はSF好きなんで、こういうサイボーグ的なやつは心の奥底では嫌いではない。

2.ただ表現をなりわいとしない理系男子しかけると、だいたい一般女性理系女性にひどい嫌悪感を抱かせて失敗する。

2-1.実例 ロボット学会掃除婦)、日本化学会理系を志す一般高校生女子に向けた記憶に残したくない惨状メッセージユーチューブアップロードして即日削除)

2-2.理由 ポリティカル・コレクトネス表現機微について普段から1秒も考えてない人が5分で考えたデザイン発注した。

2-3.結果 なんかほんときもい。無理。 

2-4.社会への波及効果 もちろん規定金額と期間で受注した絵師は何も悪くないため、絵師ファン潜在的好感者も巻き込み「うちの神絵師に何してくれる」「あの絵柄はいい絵柄だ」「エロくないからいいじゃん」と反論大炎上

3.なんで理系オタク女子としてはとても複雑。後輩に楽しく同じ道を選んでほしいのに、女性として幸せになりたいならこんな男女差別ひどいとこ来るなとも思うし、萌え絵がただで見られるのはちょっとうれしいけど、どうみても嘘くさい無理やりな男女平等表現みせられバレバレからもこないから嬉しくなくて、そもそも、あの絵師ならパイオツ/メカ/童画を塗らせてなんぼだろ、本来単行本を出す時間をこんなんに割いてくれて個人的にはうれしいけど同好の士には申し訳ない、みたいな。

 

第二章 今回の例について

1.メディアNHKだったか女性弁護士が驚いてたけどこんなもんしょっちゅうだよ。はなほじ。あっでも遠回りにいつもお世話になってるかもなので表立って反論は言いたくない。

2.ただし、いろんなタイプの人をいくつも無視して踏み越えてツギハギ表現しようとしたNHKはほんとに下手だねーと思う。どんな気持ちかっていうと

2-1.ノーベル学者らの定義を正しく、厳密に、省略せず報道してほしいという気持ち

2-2.一般女性の、いちいち脅迫的な萌え意識をおしつけられずに情報を得る目的が達成されるだけのテレビを見たいという気持ち

2-3.Vチューバー支持者の、うちの子は至高の癒やしアイドルだという気持ち。「○○ちゃんそのままで十分かわいい

3.結果 だれがみてもバカバカしい。ノーベル賞の解説は先クール放映されたばかりのはたらく細胞の7話で(萌え絵でなく)ちゃんとわかるってツイッターでもりあがってる最中にわざわざ萌え絵キャラだ。なら男性チューバーもアシスタントアシスタント役(立ってるだけ)で出せよ。クールジャパンつながりにしようとしたのか、ひどいジャンル違い。

4.さら旧帝大理系女子から一言いわせてもらうなら クール・ジャパンを唱えるより東京医科歯科大学とか氷山の一角女性差別を先にどうにかして国際競争力をあげろよ、男は本当単細胞的に頭わるいから、過去も将来も女という生き物を使いこなせず男の考えた性役割(=遠回しなお母さん)におしこめつづけるばっかり。(たとえばフッ素塩素は、素材として違うとはいえ互換性が相当あるようにそもそも神がつくってあるのに、素材の色が嫌いだからフッ素だけ使わないとかやってたら何も研究が進まない。それが人間の男女ではまず片方しか見ないのが普通バカ?)。

5.クールジャパンについて 原画さんアニメ監督さんばかりでなく下積みの動画さんにも給料もっとやってくれ。声優東京以外でもイベントやってくれ。

2018-10-07

anond:20181007125302

それ同一人物が言ってたのか?

複数個人が一個体に見えてんのSF感がある。

2018-09-15

モダンの町並みが舞台作品は何かあるのだろうか。

和風雰囲気作品はいくらでもある。

でも現代舞台にしていても、殆ど伝統的な建築に近い気がする(築何年の設定であっても)。

それは良いのだが。

モダンの町並みが舞台作品というものは無いのだろうか。小説でもドラマでも映画でも。

和風SFが近いのだろうか?

2018-09-04

anond:20180829224019

映画とかドラマの項を見ると昔から趣味の延長で見る作品選んでそうだけど(そりゃ普通そうなんだけども)

違うジャンルのも積極的に観てみたら?

本当に全く興味湧かないのもあれだから日本漫画インスパイア受けた海外映画とか、SF要素入ったラブコメとか

2018-08-27

ペンギンハイウェイ観た

なんかふわっとした感じで、なんかSFっぽいけど、ストーリーあんまり面白くはなかった。

あと、お姉さんの声がなんかおばさんっぽくてあんまり好きにはなれなかった。

能登と釘宮が出てるんだからどっちかにやらせればよかった。

でもペンギンは可愛かったし、主人公とか主人公のお父さんとかのキャラクターはなんか良かった。

anond:20180827080716

感想大分違うが、ツッコミどころが多いのは分かる

中島 → 実体って何?研究分野は「人工知能研究」と呼べばいい。

西田 → メカって何?知能と心を並べるのも雑な感じ。

溝口 → ほとんど何も説明していない。「するものシステム)」って何?

長尾 → SF的。人間頭脳限定するのは、狭すぎる感ある。

堀 → 宗教感ある。世界じゃなくて体系とかそういう表現なら、アバウトだけど悪くはない。

浅田 → アスペ的回答だが、厳密さを求めるなら間違ってない。

松原 → SF的。昨今のAIなどは人間の知能(の一部)を実現したものではない。

2018-08-16

anond:20180816150600

これだけ人間がいて忠告も注意するヤツもいないって状態が終わっているだろ。「士農工商SF」みたいのは、まだ立場への共感とか色々言い訳可能だろうが。最悪な物としての喩えになると、全く弁護の余地が無い。

2018-08-01

anond:20180801144113

純文学ラノベは多くのジャンル内包するプラットフォームであって、

単一ジャンルを専門的に扱うSFミステリのようないわゆるジャンル小説は

そのプラットフォームを横断できるというだけだぞ。

定義論によってジャンルシュリンクするなんてSFファンダムいちばんやってきたことじゃん。

なにが「SFはこの過程が未だ生じておらず」だよ。

ジャンル形成

ジャンル形成される場合にまず必要なのが意志である

そのジャンル足らしめようとする意志である

ここではそれぞれのジャンル本質的意味においての差異を持っているかを論じることはしない

ジャンル形成過程とそれにおいて生まれる状況というのを語ってみたい

まず第一にある一定の傾向を持つと認識される作品群が意識されそれを求めるもの、好むもの達が生じる

ここに需要が生じ供給が生まれるこの時点でこのジャンル過去に対してのそのジャンル類型の再発見ではなく二次的にジャンルのものを扱ったを作品を創出するという過程に至る

またそのジャンルという認識確立が様々な媒体社会に間接的に直接的に影響を与え、様々な領域へと拡散、浸透していくこうしてそのジャンル一定数以上の知名度を得、また一定以上領域拡散するとそこに社会文脈が生まれ

そしてそのジャンルに対しての評価が下される

このジャンルに対しての評価に大きな役割を担うのは二次的にジャンルのものを扱い創出された作品であると考えられる

それらがそのジャンル体現した存在と見られるから

そしてこの時にくだされた評価によりそのジャンル肯定する意志否定する意志が生まれ

この辺りからそのジャンルに対しての本格的な定義付け議論が生まれ

容認される領域容認されない領域の間で少しずつそのジャンル存在可能範囲が確定するようになる

少しこの部分について実例を交えて説明してみよう


例えばラノベというジャンルがあるがこれは軽薄であまり稚拙であるという評価から様々な分野から攻撃を受けており

最も厳密と思える定義の仕方で言えばレーベルという出版社から出版されているもの極めて限定的範囲に押し込められる結果となっている

それどころかラノベ小説文学にさえ含まれないと言った論調すら生まれている

このラノベに対する定義付けは一定解決を見るには至っていないそれは私見ではあるがその共通項がラノベが持つ構造により見出されたものではなく読み手側の持つ感覚により見出されたものからだと思う


次に純文学を見てみよう

こちらに対してはあまり詳しく知らないため多くを語ることはできないが語ってみる

純文学拡散を自ずのうちにやめてしまったように思える

ジャンル差別化を図り自らを自らの内に神格化したように感じる

その結果、彼らは過去に縛られ新しい作品を作る術を失ったようだ


次に私の好きなSF

SFは当初、低俗大衆文学であるとされていたようだが現在地位が向上し特に否定されるような作品ではなくなった

最近ではSF作品自体の勢いは衰えているように感じるがこれは人類に対して未知の部分の多くが失われたからだろうか?

まあ何にせよこのような全盛に比べれば少し停滞気味の状況とSFの持つ2つの特性から面白い状況が生まれ

1つ目の特性は極めてその定義けが難しいこと2つ目の特性は多くの作品に対してSF要素を見つけやすいということだ

こうしてSFを広めたいもの商業的にSFを盛り上がらさなければいけない者達は多くの他ジャンル作品群にSF的要素を見出しこれをSFだと吹聴して回るのだ例えばガルパンまどか☆マギカなどがそれに当たる私としてはアイロニーを感じてとても良いと思うが

ハードSFこそがSFだと標榜する輩にとっては不快のようだ


話を戻そうこういった様々な場所や形においてそのジャンル肯定しようとする意志とそのジャンル否定しようとする意志が衝突する

先ほどの例でも見たようにこの肯定否定には様々なレベルベクトル存在する

こうした中で生まれてくる本格的定義議論とその様々な結論によって更にこれらのジャンルは影響を受けそのジャンル本質とされる部分がクローズアップされその点が更に深められた作品群が生まれ

このような過程においてはレーベルから出版されたものラノベであるという解釈は単に便宜上そのように定めた事実を表すに過ぎず意味を持たない

この時にその作品群は本質的とされる意味の深化とともに無駄な要素が削ぎ落とされる、この過程を繰り返し最終的にそのジャンルは別の分野やジャンル侵犯する能力を失う

有り難いことにSFはこの過程が未だ生じておらず縦横無尽傍若無人にに他人の畑を荒らすことが出来るのだ

このような過程を経てジャンル一定の恒常状態に入る

この後は内的思索が主たる課題となりこの地点からの逸脱は亜型と処理される

そしてそのジャンルから失われた何にか、新しい何かを望むものはまた新しいジャンルを見出す旅に出なければならない

2018-07-10

anond:20180709121615

 主語の大きさと世代無関係として、その上で意外と共感した。

自分無関係だと思ったら一言も発せず即座にガチャ切りするヤツが怖い」だろ?

 おお。こえーな確かに

IT機器SNSと紐付けるとSF的なディスコミュニケーションって感じが確かにするし(釣り?)論として面白いけど、飛び込みセールスインターホンブッチだとか接客不手際があると無言で店を出たりだとかエレベータ乗ろうと声掛けたら一瞬不審顔して目も合わせずに閉じるボタン押すような手合いだと思ってもいいよな。w

 色々な経緯や事情があるのかしれんし、一方的自分対話終了の選択権を持ってる場合に切り捨てるメンタル問題かもしれんし、もしかすると気付かなかっただけとか話し掛けるって行為自体に対する考え方の違いとかかもしれんが、「え?」って見てて思うのは分かる気がする。あ、あと常にそういう人なのかどうかってのも疑問だけどな。

 ……こえーな、確かに


 でも目を閉じてディスプレイの向こうを想像してみろよ?

日記を数行読んで無言でブラウザバックする奴はきっと凄く沢山いるんだぜ? 一説に何かを感じたとしても返信やコメントをする奴は100人に1人、いや1000人に1人だったか…?

 こえーな、確かに

からって見た奴全てに反応されてもこえーし、誰一人反応がなくても怖い。

 ニンゲンってのは厄介な生き物だぜw

2018-06-11

[] 理想安楽死とは?

人間寿命が来たらどっちみち死ぬわけですが、同じ死ぬなら苦しまずに楽に死ねた方がいいですよね?

もしも、安楽死で好きな死に方を選べるなら、皆さんはどんな死に方が理想的だと思いますか?

最低条件は「他人迷惑をかけないこと」

 

ぼくのかんがえたさいきょうのあんらくし

  1. 睡眠薬を飲んで、知らない間にポックリ逝く。
  2. 火星行きのロケット宇宙に行く。(地球に帰って来れない)
  3. 体を冷凍保存して、技術が発達した100万年後あたりに復活することに賭けてみる。(SF

2018-05-30

朝日新聞真人 経済成長永遠なのか 「この200年、むしろ例外

2017年1月4日 [脱成長論][成熟社会][定常社会]

 いつしか経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。

 アベノミクス大黒柱である日本銀行異次元緩和はお札をどんどん刷って国債買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。

 思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。

 希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。

 政府国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度人生設計してきた。

 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府財政出動を繰り返してきた結果が世界一借金大国である

 そこで疑問が浮かぶゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。

 その間、日本ミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。

 若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。

 スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能機能となると、25年前ならSF映画世界の話だった。

 ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。

 そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクス思想である

 人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。

 実は、いまのような経済成長歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。

GDP、語られぬ限界

 昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁内閣府日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。

 きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。

 数字ひとつ財政金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。

 世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代英国米国大恐慌対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDPダイアン・コイル

 一般的には1760年代英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代世界の成長を人口歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。

 その理由投資理論家で歴史研究家のウィリアムバーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度資本市場が整い、迅速で効率的通信輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデア評価する文化制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。

■もとは冷戦期の産物

 社会思想家の佐伯啓思京都大名教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」

 冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。

 1970年代初頭、世界科学者経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書成長の限界』は、経済成長謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。

 いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。

 佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。

■低成長容認社会に変化の兆し

 紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国イングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正中央銀行進化した。

 つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。

 いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。

 サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。

 日米欧の中央銀行はまるで自分存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。

 「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。

 中央銀行政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事からだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。

 経済史の泰斗である猪木武徳大阪大名教授は、成長を謳歌たこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近政策に異を唱える。

 「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」

 成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのもの役割が変質してきたからだ。

 「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」

 主要国の成長戦略金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。

 19世紀の経済思想ジョン・スチュアート・ミルゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。

 むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。

 四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。

 博報堂生活総合研究所定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さら身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。

 同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。

 いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。

 成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人

元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

ブコメhttp://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

2018-05-17

我が母の与え給えし本(謎な奴)

https://srdk.rakuten.jp/entry/2018/05/16/110000

に触発されて。

幼少期の読書体験って、まあまあその後の人生に影響与えると思うんですよ。おかげさまでまあまあ本も読むし、公式趣味読書、と言っていい感じ(増田やら提督業やらとはいいにくいからね)です。SFもつまみ食い程度には読みます

あとはファミコンマンガ禁止ってのはでかかったと思うが、後者はなし崩しになりました。ジャンプ黄金期に追走できなかった嫌いはありますが。しかし、いまだにこの方針をぶち上げた我が母が、何だってこんなもん買い与えた謎な本がある。たぶんこれ以外もあるだろうけど、まあパッと思いつける範囲で3冊。

これで人生が変わったような、変わらなかったような。

エジプトミイラ(絵と文 アリキ)

初っ端からこれだよ。このタイトル絵本というのが意味が解らない。読み聞かせなんてぇ物があったかは覚えていないが、これはそういう絵本じゃないだろう。買ってもらった記憶は当然ないが、いつの間にかあった。ミイラ呪いか。

更に言えば、内容はリアルガチだ。古代エジプト人死生観宗教観に始まって、話はミイラづくりに至る。死んだファラオの鼻の穴にカギを突っ込んで脳みそを引きずり出す、なんてぇ描写ちゃんとある。絵のおかげでそうグロくはない。むしろ「墓をちょっと良くしたら死体が腐って困るようになった」という逸話ダメになった白骨さんが怖かった。あと脳みそ引きずり出し職人も怖いっちゃ怖い。もっとも、こいつらのせいで、長らく脳みそしわのところからほどけてうどん的なヒモ状になると信じていたのであるが、それはまた別の話だ。

エジプト旅行に行く時の入門書にぴったり。後年、本当にわが母とエジプト旅行(父は流石に第三世界に女一人で出すのは気が引けたらしく荷物持ち)に行くことになるのだが、それは10年近く後の話なのである。当時から行きたかったのかな・・・??

続々パイプの煙 團伊玖磨

正確には「与え給いし」ではなく、その辺に置いてあっただけなのだ・・・。家にあった子供読み物が終わった後に、その辺に転がってるからと言って読みだしたのがこれ。高学年とはい消防にゃ早すぎるんではあるが、止めもしなかった。いいエッセイですよええ。このほかにシリーズが何冊かあって、いずれも好きだったけど、なぜか巻が飛び飛びにしかなかった。これとこれもなぜか転がっていた「のらくろ少尉」「のらくろ決死隊長」のおかげで旧字体アレルギーが付かなかったのは幸運か。しかし、我が母、なぜ全巻頭から揃えようとしないのか謎。のらくろは何であったのかも謎で、カバーもないのでページをめくらない限り何の本かわからないという代物だった。どの版だったかも判然としない。今調べりゃいいんだけど。

まあとにかく、こっちの方から昭和戦後エッセイ方面マンボウ・狐狸庵等あだ名つけるシリーズ村上朝日堂あたりまでがその範疇にらんでいる)の攻略に乗り出すのである。ただしこれは血のなせる業か、マンボウ読んでも狐狸庵未読、みたいなずさんな揃え方をするのである

素晴らしく長く憂鬱な一日 椎名誠

ある年の誕生日プレゼントの一冊。中学生入ったかも。ちょっと記憶あいまいで、「わしらは怪しい探検隊」(外で焚火をするのも好きなんです、今もって)を読んでいたので、それで適当作者買いしたのかもしれないが、こっちが先だったのかもしれない。後者ならなんでこんなもんを、との思いが強くなるし、前者だとしてもあんまりだ。内容はというと、やや病的(当時椎名鬱病だったはずである)な男が新宿から帰宅する間に抱える妄想を含めてダダ流ししてある、という代物である文体は後の椎名SFを読むときの抵抗を減らしたような気もする。これとお約束星新一さら小学校にあった謎の子供用SFシリーズ零戦の亡霊が復活して子供教育を始めたり、ソ連!の科学者一家火星移住する話を憶えている)によって、SFつまみ食い癖が付いたようだ。

2018-05-05

anond:20180504153054

書くのも描くのも撮るのも大変だから

 昔、うるさ方が言ってたけどファンタジーは怠け者の逃げ場じゃダメなんだってさ。SFもだけど、現実とは違う世界って下手すれば何も調べなくても書けるじゃん。

矛盾とか出ても「これはそういう世界です」って言いきればいいんだから。それが見てられないくらい増える前に話を終わらせれば一応の目新しさは出せるし、恋愛でもイジメ復讐でもありきたりなつまらない願望の書きたい部分だけを書けるでしょ? 俺強えー、だっけ? とかでもいいし。何を言われても「魔法です」とか「超能力です」とか「気です」でいいんだから

 本当は現実とは違うからそそういう部分まで考えないといけなくて、完璧にやるのはゲームみたいに別の世界を一から作る大変さがあるけど、歴史モノとか海外モノに似てると思う。

調べても調べてもきりがなくて、仮にその世界で本当に生活してる人間でも分からない事ってあるし、現代現実と違う部分を混ざらないようにきちんと把握しなくちゃいけないから二つの世界なら二つ分の世界を把握してなきゃいけないじゃん。それが三つなら三つだし、四つなら――、って事だよね?

 魔力があるなら食事なんか必要いかもしれないし、そうなると目も歯も舌も耳も鼻も人間と同じである必要はないかもしれない。もっと言うと腕も指も消化器も呼吸器も同じ進化をする方が不自然で、空を飛べるなら足も同じになるかどうか疑問。脳もだし、それなら睡眠必要いかもしれないし、夢も見るかどうか分からないし、夢も見ない世界の生き物の夢を描く人の話はそれこそ夢みたいだよね。

 そういう生き物がどう恋をしてどう争ってどう死んでいく(かどうかも分からないけど)のかを書かなきゃいけなくて、けっきょくはごまかすしかないんだけど、下手するとごまかすのが上手い人だけが他の人の考えた部分を盗んで有名になっていくのが――、


 [例外0xc0000005が発生しました。アプリケーション強制終了します]

2018-05-04

1+1+1は2だと思う

Vtuberの登場で、やっぱり顔はいいに越したことはない、って証明されたよね」

 わたしたちコメダ珈琲新宿御苑前店で一服していた。いとうは爪で髪を掻きつつ続けた。

ドゥルーズは『千のプラトー』で顔は記号だけど同時に身体でもあるから政治的ものだ、って言ったわけじゃない? で、顔の美醜を問うのはポリティカルインコレクトだってことになった。けどこれは、まさに悪しき民主主義だよね。アリストテレスは『二コマコス倫理学』で、少なくとも顔の醜くないことを幸福の条件に挙げてるけど、古代ギリシャから現代までに民主主義記号化してるんだよね」

 他人がきけば白眼視するようなことを言う。そうした話ができるだけの知性を見積もられていることは心地いいが、いつもわたしがきき役だ。

 いとうは神経質そうな険のある顔をしているが、ひとによっては美人とみるだろう。わたし彼女の顔をみるたび、坂口安吾の『白痴』に書かれている、狂人の「風采堂々たる好男子で……常に万巻の読書疲れたような憂わしげな顔をしている」という描写を思い出す。

「ひとの顔をじっとみないでよ。たいぼくちゃん、繊細そうにみえて、そういうところ図太いよね」

 いとうは愁眉を寄せた。

「――お待たせ」

 倫理わたしたちに声をかける。黒のカットソーで、シースルーレースが首周りから両腕を覆う洒落た服だ。それを着こなすだけの顔立ちをしていた。アップにした髪型が、服と調和している。彼女ほど顔立ちが整っていると、髪はまとめた方が素の魅力を出せていいのだろう。

 倫理をみると、ときどき冷たくて薄い靄のような感情かられる。

「遅い」

「ごめん。バルトで『ラブレス』みてた」

セックスするとネコミミのとれるマンガ? 女子ゼロいいよね」

 わたしがいうと、倫理は苦笑した。

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の新作。失踪した息子を探す離婚協定中の両親のはなし。郊外舞台なんだけど、途中から延々と廃墟の場面になって、それがいいんだ」

証券って忙しい?」

 いとうが尋ねる。遅刻への当てこすりではなく、ただ気になっただけだろう。

営業そうかもしれないけど、ディーリングは定休が決まってるからそうでもないよ。うちは外資リテール部門がないしね」

 待っているあいだ、何をはなしていたか尋ねられる。いとうが説明すると、倫理は笑った。

「たしかにダナ・ハラウェイのサイボーグフェミニズムはそういう論旨だね。ただそこまでいくと、むしろチャンの『顔の美醜について』みたいに、みる側の感情操作する方が自然な気もするな。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の〈情調オルガン〉みたいにね」

 倫理はいとうのはなしをすぐ理解して、気の利いた返しをした。そのことに体内が熱くなるような感覚をおぼえた。

 店を出て、新宿御苑沿いに新宿駅に向けて歩く。二人が話しているため、わたしはその後ろをついていく形になった。他意はないとわかっていても疎外感をおぼえる。

「でも、Vtuberアンドロイドでもただのキャラクターでもないでしょ。だからナマモノと同じようにあつかわなきゃいけないわけだし」

 そう口を挟む。いとうは歩きつつふり向いた。

カントは『純粋理性批判』で対象物自体として存在していて、人間はそれを超越論的主観性において認識するのみだといった。で、ハイデガーは『存在と時間』で、そうした直観主観性にすぎないと批判して、現象学でもって実存存在者を存在させると定義しなおした。存在論的にいえば、ヴァーチャルYouTuberという架空人格存在する、あるいは存在しないというどちらの立場も幼稚すぎる。他人人格ですら、無条件に存在するとはいえないんだから。まあ、未成熟なひとは自分理想像を押しつけることで、他人人格所与のものとしてあつかうけどね。そういうひとが勝手に本人を代弁して、ナマモノダメだとか言いだすわけ」

常識範疇なら、そういう代弁もいいと思うけどね。二次エロとか。ただ本人がナマモノを解禁してるのに頑なにナマモノ禁止するひととかは、そういう主観論に陥ってるんだろうね」

「だからVtuberについていえば、Vtuberとしてした百合営業に〈中の人〉が触発されて、それがまたVtuberとしての百合営業につながるというような、循環的な重層性があるわけじゃない。実在非実在二元論じゃないでしょ。ウンベルト・エーコの『ヌメロ・ゼロ』もそういうことを主題にしてるわけでしょ? 『存在と時間』では記号をただ指示するものでなく、それ自体がもろもろの記号構造を暗示するものとしているけどね。でも、常識範疇ってなに?」

 いとうは苛立たしげに髪を掻いた。

Vtuber自然人としてあつかうとして、どうして身体属人性を与える方向にいくかなぁ……、それなら自然人の身体人格とは別個のものとする方向にいくべきでしょ。天与のものである身体人格と同一視して自然権を認めるのは、明らかに不合理じゃん。だからグレゴリーマンキューも皮肉で〈身長税〉を提唱したりするわけでしょ。……、え? マンキューくらい専門外でも知っておきなよ」

 議論めいてきて、倫理の口調も熱をおびてきた。自然わたしは無言になる。

そもそもVtuber著作物と見なした方が簡単じゃない? 〈中の人〉はVtuber演者としての著作隣接権もつわけ。二次エロには著作隣接権著作人格権に準用して対応すればいい」

「ちがうね。マッピングで体をリアルタイムに同期させてるVtuberはVRよりARの方が近い。もちろんARみたいに空間認知人格投射するわけじゃないけど、運動感覚でも同じことがいえるでしょ」

身体人格から分離するのが進歩的なのはわかったけど、テクノオプティミズムすぎるよ。こんなことをいうと、イーガンSFに出てくる保守主義者みたいかな。けど一般論として、エロが一部のひとに不快感を与えるのは事実でしょ? 前から思ってたけど、自分に関わることだとすぐ感情的になるくせに、他人には正論を押しつけるよね」

自分に関わることな感情的になるのは当りまえじゃない? 正論を曲げる理由はないよ。倫理こそ、他人配慮してるようだけど、等しく他人を見下してるだけでしょ? あと、テクノオプティミストでけっこう。わたし原発推進派だし」

 感情露出して落ちついたのか、いとうは息を吐いた。

倫理のいうこともわかるよ。でも、制作者の意見もないのに他人規制しようとするのはただの自治厨だと思うな。そういうファンは決まって創作をしない側だよね。創作ができないから、その代わりに自分ルールを考えて、それをコミュニティ強制しようとすることで存在を主張しようとするんだ。まあ、そういうファンはどこのコミュニティにもいるから、無視する以上のことはできないんだけどね」

 いいながら、いとうは自分言葉でふたたびイライラしてきたようだった。いとうは神経過敏だ。紙やすりのようだと思う。

 いとうが自家中毒めいて、自分言葉で気分を荒立てているのを察したらしく、倫理は優しくいった。

自分他人のあつかいに差があるのは当然だけど、いとうの場合、それが甚だしいってことをいったつもりだったんだけどな。あんたみたいなディスコミュニケーション女にもわかるようにいってあげると、誰もがあんたみたいにコテハン擬人化されて喜ぶ人間ばかりじゃないってことだよ」

「なるほど…」

「あ。いまのでわかるんだ」

「いとうの見方個人主義的すぎるよ。後期ヴィトゲンシュタイン言語ゲームも、そういう分析哲学に対する批判としてあるわけでしょ?」

 それから、しばらく誰も話さなかった。黙々と歩く。倫理雰囲気を変えるようにいった。

「そういえば、たいぼくってウケるんだよ。前に泊まりにいったとき料理をつくったんだけどね。カレーにするつもりで牛筋を煮込んでおいておいたら、朝にたいぼくがコンソメスープだと思って飲んでたんだよ」

 いとうは爆笑した。

「たいぼくって本当に生活力ないよねー」

 倫理に囃す。「それにしても、あんマメだよね。よっ、家父長制」

 倫理は本気で不快そうな顔をしたが、いとうは気づかなかった。

都庁って変なデザインだよね。すくなくとも都の庁舎じゃないでしょ」

 遠景に都庁みえて、なんとなくいう。

「いや、あれは自生する秩序の象徴から都市役所としてふさわしい建築だよ。エッフェル塔と同じ」

 わたしが疑問に思っていると、倫理解説した。

ロラン・バルトの『エッフェル塔』だよ。『あらゆる時代、あらゆる映像、あらゆる意味に通じる純粋表徴であり、拘束のない隠喩』ってね。具体的にどういうことかは、ルイ・マルの『地下鉄のザジ』をみればいいよ。『地下鉄のザジ』ではエッフェル塔の内外から鉄塔の無機質な幾何学模様が無限に顔をもつところが撮影されているから。『地下鉄のザジ』の原作者が『文体練習』のレーモン・クノーっていえば、わかりやすいかな」

 なんとなくおもしろくなく黙っていると、いとうがいった。

「でも、そういう意味をもたないことを意図した無機質なデザインなのに、結果として都市ランドマークになってるのは皮肉だよね。そうそう、ケヴィン・リンチは『都市イメージ』で都市認知地図における主体を〈パス〉、〈エッジ〉、〈ディストリクト〉、〈ノード〉、〈ランドマーク〉の五つに分類したけど、これはプロファイリングのGCT犯罪地理探索モデル)に利用されているんだよ。〈犯人の標的捜索行動は居住地から離れるにつれて犯行に及ぶ確率が単調減少する〉、〈居住地の近隣に犯行の行われない地域存在する〉、という二つの仮説のもとで距離独立変数とする距離減衰関数を導出するんだ。もちろん、それだとただ犯行地点の二次元的な分布の平均を求めるだけだから、ここに認知地図を当てはめるわけ。たとえばエッジに近づくと距離が縮小するとかね。平山夢明の『独白するユニバーサル横メルカトル』は、これを種本にしているんだよ」

 往来でプロファイリング平山夢明について語るいとうは完全に異常者だった。

「そういう自生する秩序の象徴をもそのうちに組みこむのが、自生する秩序なんじゃないの?」

 倫理皮肉げにいった。

そもそも新宿のもの意味をもたない記号都市なんだよ。大政奉還前は飯盛女のいる宿場戦前遊郭戦後闇市復興期は赤線地帯。七一年京王プラザ建設を皮切りに七〇年代高層ビル建設されて、九一年都庁移転するまで、ここは周縁だったんだよ。都庁にふさわしい場所でしょ? ちなみに、いわゆる〈新宿二丁目〉は二丁目の北側だけで、二丁目と三丁目は御苑大通りで隔てられてて、歩行者天国地下道もそこで途切れている。で、ご存じのとおり二丁目は都市から外れて住宅街モザイクになってる。つまり、二丁目は周縁の周縁ってわけ」

 そこまでいって、倫理は表情に翳を落とした。

「まあ、これは殊能将之が『キマイラの新しい城』で六本木についていったことを、新宿転用しただけなんだけどね。〈キマイラの新しい城〉っていうのは復元された古城と同時に、六本木ヒルズのことも指してるんだ」

「いいじゃん。ロラン・バルトによれば日本のものが『記号帝国』らしいし」

殊能将之って『波よ聞いてくれ』に引用されてたよね」

 倫理は頷いた。

「『黒い仏』だね。柔むげさんがさ、いつか『殊能将之読書日記』に感動してたじゃん。わたしはそれがわかるんだよね」

 歩きながら、倫理Kindleの端末を開いた。

「『殊能将之読書日記』ではフリッツ・ライバー長編への見方が顕著かな。殊能将之は〈ほとんどエロゲーの世界〉とか腐しながら読んでいるんだけどね……。その皮肉さがわかりやすいのが『A Spectre Is Haunting Texas』だよ。殊能将之は『幽霊テキサスに取り憑く』と訳しているけどね。月周回軌道ステーションまれ主人公が、第三次世界大戦後のアメリカにきたら〈テキサス国〉になってたってはなし。日本でいうと〈「第3次世界戦後大阪日本支配するようになった時代大阪人は全員きんきらきんの漫才師ルックで、『なんでやねん』『そんなアホな』などとしゃべっている」みたいな設定〉ってこと。テキサス国の首都テキサステキサスダラスで、街にはケネディ暗殺を記念した黄金モニュメントが建ってるの。教科書倉庫の窓から突きだす銃身とオープンカーのシャーシのやつ。で、テキサス国の政権交代大統領暗殺でおこなうのが慣例なの。爆笑じゃない? で、まあギャグ小説なんだけど〈A nation nurtured on cowboy tales and the illusion of eternal righteousness perpetual victory. カウボーイ神話永遠に正しくつねに勝利しつづけるという幻想に養われた国。〉とか書いてあって、痛烈にアメリカ批判しているわけ。だからアメリカでは出版できなくて、タイトルだけイギリス英語の〈spectre〉の綴りになってるんだけどね。ちなみに日記には追記があって、このタイトルは『共産党宣言』の〈ヨーロッパ共産主義という亡霊が徘徊している〉のパロディだと教えられたからってタイトルの仮訳を訂正してるんだけどね。教えたのは中村融なんだけど」

 倫理はひと息ついた。

世界にこういう視座をもっているひとは生きるのが辛いよね。そういうひとを理解してしまうひともね。ナボコフの『ロリータ』もそういうはなしだよね。嫌味で文学趣味スイス人が、延々とアメリカ呪いながら一人の少女を愛するはなし。柔むげさんは、そういうところに感じたんじゃないかな。で、わたしもそういうひとたちに片足を踏みこんでいるからそれがわかるんだよね。だからわたしは『程』では灯が好き」

「あ。そこにつながるんだ」

 まったく予期しない展開だったためにおどろいた。が、いとうは思うところがあったらしく、無言で前を見つめていた。

 新宿駅みえてくる。

「そういえばたいぼくちゃんお酒買った?」

キリンをまとめ買いしておいたけど。あ、あとポテチカップラーメンも買っておいた」

 そういうと、いとうは爆笑した。

大学生じゃん」

 倫理も苦笑しながら言う。

「ここの成城石井ワインチーズを買っていこう。あ、でも、それならクラッカースモークサーモンハムを買っていって、ムースをつくった方がいいな。素材の味が出るから、いいものじゃないとおいしくないんだよね」

 買物をしてからJRのコンコース階に移動する。倫理カードで決済して、わたしお金を使うことはなかった。

「ごめんね。一応、ホストなのに」

 いとうは笑って「出世払いにしなよ」といった。

 倫理は微笑していった。

「それにたいぼくちゃんからモラトリアムの気配をもらってるところがあるからね。わたしも……、わたしたちもこうして社会人鋳型にはまってるけど、それが仮初めのものだってことを思い出させてくれる」

 コンコースでは大勢のひとが行き来していた。天井からは各路線を案内する表示板が大量に下がっている。これらの記号が指示するものなかにわたしたちのいく先もあるのだな、と思った。

2018-04-17

2018年春アニメ第1話視聴感想

重神機パンドーラ

ボアニメ。しかし漂う『ノブナガ・ザ・フール』臭、総監督ってことは河森さんは直接は関わってないってことだろうし…これはダメそうだ

具体的にはデザイン全般微妙、服のデザインとか、市長さん?のもってた丸いの、あれ扇子のつもりなんですかね?(って調べたら丸扇子ってのがあるとは知らなかった)

物語は悪くなさそうで観れないこともないからこそ、ズルズルと悪い所ばかり目立ってしまうような気がして、嫌なパターンになりそう

LOST SONG

キャラデザがなぜかモブっぽいというか…灰汁の無い、わざとらしいくらいに普通っぽいデザインというか。あえてなんでしょうけど

普通面白そうですが、劇的な幕開けとのギャップがあるのが何とも

銀河英雄伝説 Die Neue These

有名SF小説アニメ化原作は長いので読む気が出ないけど知ってはいた程度

ラインハルトの声を宮野さんがやると確かに青二才感があるというか、幼さが出てます

もっと自信満々なキャラクターだと思っていたのですがコレはコレで悪くない

逆に鈴村さんの演じるヤン・ウェンリーのほうが、確かな戦略に裏打ちされた自信からくる言動に感じられました

ウマ娘 プリティーダービー

ウマ娘の馬そのままな扱いに思わず吹き出しそうになり、ウイニングライブで笑っちゃいました(笑)今時の在りがちな要素をこれでもかと全部入れてくるとは…製作陣は売る気満々ですよ!

レース描写面白みは無いですが、やる気が感じられる分、普通面白くなると思います

魔法少女俺

面白くない。冒頭のメタ発言とか寒い

主人公のド根性アイドルは、恋が報われなさげでもめげなさそうで好感が持てる

寒いギャグよりも彼女の魅力が上回れば化けそう

宇宙戦艦ティラミス

原作既読スバル君のお尻が見れたよ!ヤホ~イ♡

しかテンポが悪いな。いっそ「てーきゅー」並みの勢いでやって欲しかった

お前はまだグンマを知らない

群馬に興味ないです

蒼天の拳 REGENESIS

ベルセルク悪夢再び。しかCGでもキャラの見映えは悪くない

けど、背景の作りこみとの差があるのが微妙

原作と違って主要キャラを同時に登場させ再構築する感じでしょうか?

「かくりよの宿飯」

神様はじめました』っぽい雰囲気だけど、アレよりも乙女向けの内容になるのかしら?

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