はてなキーワード: 商人とは
最近さ、
ずっとお昼のランチタイムは本をもって喫茶店にずーっと時間までいたりキーボードの付いた電子端末を持ち込んでなにかを取り組んで文字を打ち込んでいるんだけど、
まったく同じお店に通っていると
それはそれで楽チンだけれど、
新しい情報がまったく入ってこないのよね!
つまり
あたらしい街のニュースを取り入れないと
ネタが無くなっちゃうことに出会うことの確立が低くなるような気がして、
なんだかそれに気付いたのよね。
だからたまにはいつものお店とは別のところに通り道向かいのそういうお店でもいいじゃない。
いつも同じところをループしていると気付いた時は
ふと隣の行く回数の頻度が少ないお店に行って見ると実現を現実的に取り戻せるのかしら?って思って今日はどうしようかなー?って思うのよね。
早速行動に移すべく私はお昼ちゃんと真っ当に空いている時間帯で混む前にお店に飛び込み前転でき入店できるかなぁーって思うのよね。
一応事務所の周りはそんなんでもないけれど、
とはいえ、
お昼のランチタイムのピーク時間のそんな時間帯にはお客さんが割といっぱいになるから、
ちょっとでも時間がずれちゃうと行きたいお店に行きにきにくい感じになるのよね。
そんで最近は海外からのお客さんも多くて地元のお店の何でもないようなことが幸せだったと思うってロードの第256章の歌詞で出てきそうな地元の何気ないうどん屋さんも行列が出来ていて、
長く通った地元のお客さんも足が遠のいちゃってる感じよ。
わざわざ行列できてまではーって思うの。
ここは観光客とは無縁ね。
ほっぽど日本の食通で中華やインド料理がどう日本向けにローカライズされているのか!ってテーマを研究にして来日している人なら別かも知れないけど、
女将さんに聞いたらわざわざ観光に来て中華を食べに来る人は居ないってことで、
へーなるほどねー!って思ったのよね。
だからそう言った
いわゆる穴場に私は今日は行こうかなぁーと目論んでいるのよ。
でも逆に参加したら参加したで
あの白いお皿が増えまくって意外と困るってこともあるのよね。
なにしろあの白いお皿は頑丈すぎてほぼ一生使える代物で
そう思ったら食器屋さんって食器いつ買うタイミングある?って思わない?
パン祭であんな割れないお皿タダでシール貼って集めるとは言え配っていたら、
そう考えたらお皿って買わないわよね。
私は今のところに越してきてそこでちょっとお皿は買ったけれど、
いやそれよりも食器よりもルービーをキメて飲むパイントグラス、
ハイボールをキメて飲む専用の私のお気に入りの銘柄のガラスのグラスがあって、
どちらかというとそっちの方が割れちゃって買い直すことが多いのよ。
あとお箸ね!
これは食洗機対応!と謳っているお箸でも洗うパワーの強さ故かいつか駄目になっていたんでしまうのよね。
さすがにスプーンとかにふとかフォークとかパン祭の白いお皿とかは平気だけど。
でもそうなると
お皿ってそんなに頻繁に買うものでも無いからお皿屋さんの経営が心配になるわよね。
お皿ってかう?
あ!お皿で思い出したんだけど、
瓦割り体験のアクティビティできるところつくったらよくね?って思っちゃったわ。
それだと瓦屋さんも大儲けじゃない!?
凄いこと思い付いちゃったこの瞬間を抱きしめて、
やっていけば良いんだけど、
瓦はある程度チョップで割るもの!って図式があって罪悪感が無いけれど、
お皿を割るってのは狂気じみているわよね。
だから瓦割り体験が出来る観光施設で忍者の格好させて嘘忍術瓦割りの術!っていってやったらある程度人気が出るかも知れないし、
さすがに忍法皿回しの術!って言われても
それをしっかり術を身に付けたとて
忍者生活には役に立たなさそうなサバイバルでは活かせない技じゃない?
その土地の方言をめちゃ勉強して地元民として振る舞えるような感じの商人を演じるスパイをするとするじゃない。
そう言う時に、
大道芸でお皿を回していれば、あ!あの人はこの街の名物お皿回し達人だ!って町や村のみんなに愛されて仲良くできてその諜報活動をしやすくなるんだけど、
きっとそのスパイで潜り込んでいる同士だったら
町で皿回しをやっている町人がいたら、
あいつは絶対忍術学園で皿回しの術を習って習得して町で怪しまれずに皿回しをして地元民と仲良くしてるやつだな!って同業者には絶対に即にすぐにバレると思うから
お皿回しすぎ!ってのも困りものよね。
同業者ならあいつ忍者!ってすぐ分かっちゃうわよねお皿回していたら
先輩後輩とかならいいんだけど
何の話しだっけ?
あれはもう1枚あれば充分よね。
そう松たか子さんばりに思ったわ。
うふふ。
朝は節約したいところを思い出した春先神戸に行きたいわけではないけれど、
旅には出たいわよね。
あーどっか遠くへ行きたい!
もうこれただの現実逃避だけどねー。
旅から戻ればまた、
いやもうこれ以上は言わないわ。
毎日の人をしっかり喰らいついて暮らすのよ。
お湯沸いてあると思ったら電源コードが抜けていて、
あちゃぱー!って自分のおでこをペシンと叩いちゃった失態だわ。
急いで別のケトルで沸かしたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
昨日夜もうばたんきゅーだったので、
そこそこにそれこそスプラトゥーン3の1日1勝のノルマもせずにガチャは回したけれど、
早々に寝ちゃったのよね。
疲れているというか、
それだと順番が逆の方がお風呂入ったあとにもよおすとなんか損なので
そんで、
もうさー
せっかく張り切ってお豆腐とか買ってきていざ!構えていたんだけど
その気力もなく!
そうよ!
体力HPはそこそこ残っているけど、
そんな状態かしら。
お腹空いたまま寝てーって感じで翌朝を無事迎えたんだけど
宿代が無いときは実家に帰ってヒットポイントとかマジックポイントとか回復させるじゃない、
お母さん曰くお友だちの方も一緒にどうぞ!って優しく言ってくれるの。
よぼよぼで杖をついたおじいさん魔法使いとか、
分け隔て無く優しく迎えてくれるじゃない。
あれって今考えるとお母さん凄いなぁって思うの。
そんな感じで
どんな感じだよ!って思うかも知れないけれど
ふとそんなことをよぎって目覚めた朝は
もの凄く快調でよく寝れたの。
ひとつに
やっぱり寝る前に食べ物を食べて消化するエネルギーを睡眠時間の体力回復で使えなくなるから、
蛙は井戸の深さは知っているわ!って意味深で謎めいたことを言っちゃいそうなのよ。
だから、
何も食べずに寝ちゃった方が回復力がアップする感じがいつもながらにして、
途中いつもだいたい夜中に目覚めちゃうんだけど、
今日は時計を見たら5時で結構マジぐっすりしっかり寝れた感増し増しの
上の方のモヤシの方を攻めている間に
麺がのびちゃいそうな感じがして、
一旦グランド整備するためにモヤシをのける別皿が欲しいんだけど、
まずはグランド整備というか一旦もりもりで増し増しのモヤシをどう片付けるか問題ない?
それぐらいに増した寝心地の爽快感の今朝の朝の目覚めはインカなのよ!
新ジャガ美味しいわよね今!
みずみずしい新ジャガは薄くスライスしてサッと湯通ししてオリーブオイルだけでもかけて食べたらもうそれはそれは新ジャガなのよ!
そのぐらい新ジャガの目覚めがインカってところ。
くーお腹空いたなぁ何か食べたいなぁーって
我慢して寝る方がまだ得策というか、
どうしてもどうしてもどうしてもってことを10回言って仕舞いたいぐらい答えが
もうまともに答える気力の無いままでウサギさん!って応えちゃいそうだけどあまりの疲れでね。
なのでどうしてもそう言う時は
味の付いたものを医に流し込めばなんとか誤魔化される風味豊かな胡麻ドレッシングだとそれはダメよ濃すぎるの。
お味噌汁にしてタケヤみそ!
寝るに限る選択肢を三択の女王で言うところの竹下景子さんはそう答えると思うのよね。
っていつも思うんだけど
お腹が空いている誘惑にはわくわく!
負けてしまいそうなことがあるそれが一番大事かも知れないけれどその誘惑を振り切ってまでも寝るに限る!
それを実践して行けたらなぁーって確固たる意志を持ってそう思うけど。
大人しく。
体調の波か分かんないけど多分そうかも知れないけど、
今日も早く寝ようかしら、
その時の調子によるわね。
うふふ。
しっかり食べて元気に過ごすわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
水戸黄門ってね😆、長年にわたって愛され続けてる時代劇の金字塔だよね🏯。シリーズが多すぎて、どれが一番いいかって聞かれると、ちょっと困っちゃうんだけど😅、個人的には、第3部が特に心に残ってるんだよね😌。
第3部は、1970年代の真ん中くらいに放送されてたんだけど😉、この頃の水戸黄門は、ストーリーが特に充実していて、キャラクターたちの人間味がぐっと引き立っていたんだよ😊。悪代官や悪徳商人が権力やお金で人々を苦しめている様子と、それに立ち向かう黄門様と助さん・格さんの活躍が、毎回ドキドキさせてくれたんだ😃。
さらにね、この頃の黄門様役を演じていたのが、あの東野英治郎さんだから😲。東野さんの黄門様は、威厳があって、でもどこか人間味も感じさせる、そんなバランスが絶妙だったんだよね👏。そして、助さんには、中村敦夫さん、格さんには、西村晃さんが演じていて、このトリオの化学反応が最高だったんだ😍。
でもね、水戸黄門の魅力って、やっぱり「印籠を見せるシーン」に集約されてると思うんだよね🔍。「これが目に入らぬか!」っていうセリフとともに、印籠が出てくると、悪者たちが急にびびって😨、その変わりようが面白くてさ😂。その正義の勝利が、見ていてすっごく爽快なんだよね🌟。
他のシリーズもそれぞれに良さがあって、どれも捨てがたいんだけど😜、歴史の深さを感じさせる第3部は、やっぱり特別な位置を占めてるように思うんだよね🎖️。水戸黄門のシリーズを通じて、日本の美しい風景や、人情の温かさ、正義の勝利っていう普遍的なテーマが描かれていて、今見ても新鮮で、何回見ても楽しめる作品だと思うよ😄。
現世の天下の民が困窮しているようでは、この国は滅びてしまう。政治を担うには相応しい器ではない小人どもに国を治めさせておけば、災害が次々と生じてしまうと、昔の聖人は、後世の人々に強く言い残している。
徳川家康公も「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。
ところがどうか?
これまでの240~50年もの間、戦乱はなかった。しかし、社会の上層部の者たちは、贅沢の限りを尽くすようになってしまった。
大事な政策を担う役人たちは、公然と賄賂を贈ったり、賄賂を受け取ったりしている。
そのくせ、自分たちが支配している民、百姓たちからは、重い税を取り立てている。
ただでさえ、重い年貢や賦役に苦しんできた多くの人々は、このような無体な強要に追いまくられ、出費がかさみ、貧困に苦しめられるようになってしまった。
民の恨みに呼応して、天も怒っている。
近年、地震、火災、山崩れ、洪水等々の自然災害が頻発するようになった。
そして、ついに、食糧危機までもが発生してしまった。 これぞ、天が下している深い戒めである。
ところが、上層部は、この天の戒めの意味に気付いていない。器が小さく奸計ばかりをめぐらす輩たちが政治を牛耳っている。
下々の民を彼らは悩ませ、米や金銭を取り立てることばかりに熱中している。
目の前で起こっている天災や天罰を見ても畏れ入ることもなく、餓死寸前の貧民や乞食を救おうともせず、山海の珍味を食し、妾宅に入り浸たり、揚屋や茶屋に高位の武家の家来たちを招待して、高価な酒を湯水のごとく飲んでいる。
多くの人々が難渋しているのに、絹の着物を着て、芝居の役者や芸子たちを引き連れて、世の中が平穏であるかのように、つまり、危機状態にあることを知らぬげに、歓楽にふけっている。
なんたることか。
これでは、昔、紂王が連夜、酒宴を催していたという故事そのものではないか。
いま、奉行や役人たちが緊急に取り組まなくてはならない事態は、自分たちならできる政治力でもって、これら不届きな輩を取締り、下々の庶民を救うべきではないのか。
彼らは、それができなくて、堂島での相場にのめり込み、録をかすめ取ることばかりしている。
このような役人や商人たちの所業は、天道や聖人の御心に叶うはずはなく、天は、許してくれないだろう。
いままで、じっと我慢していた私たちは、もはや我慢することに耐えられなくなった。
私たちには、湯王や武王の威勢はなく、孔孟の人徳もないが、天下のために、親類縁者に被害が及ぶことも厭わず、この度、有志で話し合って蜂起した。
そして、彼らが隠し持っている金銀銅貨、あちこちの蔵屋敷に保管されている扶持米を運び出して、人々に配る。
山上徹也,東瀛奈良縣人,外祖從商,父隨之,少時得富貴。五歲,父亡,隨母居奈良。母為淫祀惑,錢糧地契皆捐,家徒四壁,無資以學,兄疾亦無以治。徹也從行伍,以乞活。既卸甲,兄不堪病擾,自縊而盡。徹也泣曰:「兄自去,弟當何如?」
安倍晉三者,四度拜相,貴胄之後,然其縱淫祀行攬金之實,惑信眾得連任之資,徹也惡之,書友人曰:「吾當誅此賊!」遂購火藥、鐵管、鐵砂、制得雷與銃,又恐傷及無辜,捨雷而取銃。
時晉三巡於奈良,宣淫祀惑人之詞,聽著甚眾。徹也隨其後,衛士數十無一疑之。待得良機,銃出而發,不中。眾人皆惑,晉三亦顧之。煙未盡,又發一銃,霎時,聲出如雷,煙現如龍,晉三即伏。眾侍驚覺,圍而擒之,徹也面不改色,釋銃就執。後晉三送醫,不治。
時人曰:山上徹也,勇不及聶政,智不如專諸,所出不為國仇,但為家恨,惟其為民除害,替天行道者,義也。
【日本語訳】
山上徹也は、東洋の奈良県の出身で、母方の祖父は商人で、父もそれに従っていました。幼い頃に富と栄華を得ましたが、五歳のときに父を亡くし、母とともに奈良に住みました。母は淫祀(いんし)という邪教に惑わされ、金や土地の権利書をすべて寄付し、家は貧窮し、学ぶための資金もありませんでした。兄も病気で治療することができませんでした。徹也は兵士として働き、乞食のように生きていました。兵役を終えた後、兄は病に耐えられず、首を吊って死にました。徹也は泣いて言いました。「兄が去ってしまったら、弟はどうなるのだろう?」
安倍晋三は、四度も首相になった貴族の末裔でしたが、淫祀の教えに従って金を集めることに専念し、信者たちを騙して再選を得ることに執着していました。徹也は彼を憎み、友人に手紙を書いて言いました。「私はこの悪党を殺すつもりだ!」そして、火薬、鉄管、鉄砂を買って爆弾と銃を作りました。しかし、無関係な人々に傷を与えるのを恐れて、爆弾は捨てて銃だけを持ちました。
晋三は奈良を巡回して、淫祀の教えを人々に説いていました。聞く者は非常に多かったです。徹也は彼の後ろについていきましたが、護衛の兵士たちは何十人もいましたが、誰も彼を疑いませんでした。好機を待って、銃を出して発射しましたが、外れました。人々はみな戸惑い、晋三も振り返りました。煙が消えないうちに、もう一発銃を発射しました。その瞬間、音は雷のように響き、煙は龍のように現れました。晋三は倒れました。周りの侍たちは驚いて、徹也を取り囲んで捕まえました。徹也は顔色を変えず、銃を放して逮捕されました。後に晋三は病院に運ばれましたが、死んでしまいました。
当時の人々は言いました。山上徹也は、勇気は聶政に及ばず、知恵は専諸に劣るが、国の仇ではなく、家の恨みのために行動した。しかし、民のために害を除き、天の道を行った者は、義であると。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」
「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」
宮下遼『物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語 カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後の火星人」
成美堂出版編集部「いちばんわかりやすい 家事のきほん大事典」
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」☆
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。
前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221402
そこまで希少な体験をしたつもりはないが、この時はまだ20代後半である。感受性は高かったはずだ。
F君が福祉課3年目の頃だった。人事異動で職員が何人も代わって、施設グループ内でも経験年数が長くなっていた。彼より長いのは、最初の方で述べた性格がキツイ女性のみだった。やはり性格がねじ曲がっていた。例えばF君が職場にあるコードレス電話にかかってきたのを取って、♀宛てに子機を渡そうとすると、手先を拒否的に振って嫌がっていた。
そうなると、F君は「仕方がない」という顔をして、相手方に電話を折り返す約束をして♀に電話メモを渡したりしてた。日本人だから、『穢れ』というやつを気にしていたのだろう。
この頃になると、F君も♀とだいぶ口論できるようになっていた。1年目の頃は、反論できなくなると、のらりくらりと躱したり、ハラスメント発言が出ると「待ってました!!」とばかりに悪態をついたり、後は会話を普通にスルーしていた。
この頃は、例えば……♀がキレて、「もう私に聞いてくるのやめにしたら? 必要なことでも今後はお前には教えん」みたいなことを言ったとする。そしたら、F君は「いいえ。相談に行きますので、その都度断ってください」と返した。
するとまた「もう来るなって言ったのわからへん?」となって、さらにF君は「その都度行きます。私の相談に答えるのは職員としての義務ですが、その義務を果たさない自由もありますから」と言ってた。メモに取ってるから間違いない。
うまいというか、ズルいというか。職場の慣習やルールと、自分と相手の課題というか、そういうのを見極めていたと思う。それで、♀はまたキレてしまって、「来るな!!」「いや行きます」の水掛け論になった。
♀「嘘つくな」
F「やっています」
♀「マジメにやってるように見えない。仕事はマジメにやらないといけないよね?」
♀「なぜ?」
♀「じゃー答えろや」
F「答えません。それは私が決めます」
♀「……お前をフォローする側にもなれや。お前の後輩が働かんかったらどうする?」
※♀側の意見。F君は仕事そのものはちゃんとやっていた。はず。
F「その状態でも一応は認めます。市民の利益に関することはフォローします」
♀「認めるなや、そんな屑」
F「ところで、仕事というのはマジメにやらないといけないんですか?」
♀「どういうこと?」
F「仕事ができなくても、別に死ぬわけでもないでしょう。北朝鮮やロシアだったら死ぬかもしれませんが。あと、その人が仕事をしなくても世の中は普通に回りますよね。仕事のクオリティが低かったら文句を言われるでしょうが、時間が経てば、世の中の評価基準がクオリティが低い方にスライドしていきます……それで仕舞いです。恐縮ですけど、労働者は仕事をマジメにこなさなくてはならない……まず、そういう基本的な思考から疑わないといけないのでは?」
♀「職務専念義務って知ってるよね。さすがのあなたでも。公務員って、身を粉にして働かないといけないって地方自治法に書いてあるよね。民間とは違うの」
F「そんなの壮大な建て前でしょ。第一、それって特別権力関係の理論(※)ですよね。すでに否定されています。公務員はサラリーマンの一種であり、自治体と雇用契約を結んでいる。その雇用契約の上に公法契約が乗っかってる。それが答えです」
※特別権力関係・・・昔は、一般職の公務員は会社員とは法的に異なる存在だったらしい(法治主義の原理の適用が排除されるべき存在)。今だと、行政法的には公務員は民間の会社員の仲間という扱いになってる。
「いいえ、仕事はちゃんとします。ただ、この世界には……仕事よりも大事なことだってたくさんあると思うんです」
♀「この、あっほっがあああぁっ!!!!」
F「ありがとうございます。自分の存在が肯定されている気分です」
空気感としては、F君は別にここまでひどいことを思ってるわけじゃない。けど、♀の叱責のやり方があまりに侮辱的で、彼は頭にきてるみたいな、そんな空気だった。
そして、またあの時みたいに、グループリーダーが「お前ら、うるさい!」と♀に怒鳴ったのだ……。その時だった、♀が急に過呼吸を起こしたみたいになって、その場に倒れ込んだ。苦しそうにもがいていて、F君も俺も、ほかの職員も駆け寄った。立ち上がることも難しい様子だった。
その場で救急車を呼ぼうと思ったが、「落ち着くまで待とう」というのが福祉課長やグループリーダーの判断だった。
一応はF君をフォローしておくが、彼は上のやり取りのような考え方は採用してない。断固として言える。普段の仕事振りを見てたらわかる。あくまで、経済社会におけるひとつの考え方(ひろゆきが番組で喋ってるみたいな……)に過ぎない。それが、彼も頭にきてたんだろうな……つい、ポロっと口に出てしまったのだ。
♀による日頃からの口撃に腹を据えかねていたのではないか。だから、悪態をつくみたいにして、相手の大事にしてそうな考えを、スズメハチの針でプチッと刺すみたいなことをしたんじゃないか。俺はそう思ってる。
こんなことを考えて彼に同意してる時点で、俺も公務員には向いてなかったのかもしれない。
それから約一年後になるが、その先輩女性は左遷された。2010年代が終わる頃で、世の中の動きはハラスメント撲滅に傾いていた。はてなブログとかでも、そういう方向性の記事がランキングに上がることがあった。
結局、勤務中に差別的な発言すらしていた♀は、上下水道局に異動になった。あそこは基本的に男しかいない。男性職員ばかり40人だったっけ? とにかく女性がいない部署だった。
こういうのは、人事からのメッセージのひとつだ。「あなたは間違ったことをした」というのと「嫌だったら辞めていい。むしろ辞めていただきたい」という二種類の。
ほかにも、辞めてほしい職員にはそういう人事異動を行う。1年単位での部署異動とか、逆に掃きだめみたいなキツイ部署に10年単位で張り付けなど、とにかくいろいろだ。介護家族がいる職員への遠隔地出向などもある。査定の低い職員は、60才になる年に再任用の届け出を出しても当局側から拒否される。
ただ、あの♀については可哀そうだった面もあるよ。体質的に感覚過敏とか、神経過敏みたいな症状があったのかもしれない。病気とかやってたのかもな。ストレスが溜まってたんだろう。
俺だって30代半ばだ。気持ちはわかる。けど、俺は勤務中にああいう発言をする職員はやはり許せない。青臭い考えかもしれないが。
この頃になると、F君はそこまで悪質な人間ではないのでは? という考えが生まれていた。職員に対して態度が悪いところはあるが、企業や団体を含めた市民の方を向いて仕事をしていたし、結果も出ていた。
《エピソード①》
まず例としては……この頃、大きな会議があって都内まで行ったことがあって、その帰りにF君と一緒に電車に乗っていた。で、都内ってやっぱりさ、半グレみたいのが多いじゃん。どこの市区かは地域差別につながるから伏せるけど。
その車両では、3人ほどの半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていた。酒を飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車だ。
あまりにうるさいから、ほかに乗っていた主に高校生らもビビっていた。それで、半グレどもの1人が、「やってやるからな!」と大声を出したあたりで、F君が立ち上がって――別の車両の方に歩いて行った。
その途中で、目配せをしたんだよな。高校生らに。「この車両、離れろ」って感じで。で、女の子の方から前の車両に移っていった。いやあ、あれには参ったね。たまにはいいことするんだなって思った。俺には思いつかなかった。
半グレ風の男の1人は、気が付いたみたいだった。席を立つと、F君に近づいていって睨みつけた(さっき叫んでいた奴だ)。F君に視線を向けて、何十秒かバチバチとやりあった後で、元の席に帰って行った。途中、俺達が座っていた座席に痰唾を吐き出した。それも2回。
その後は俺達も前の車両に移った。それから何もなかった。無事に庁舎に帰ることができてよかった。
《エピソード②》
あとは、高齢者に優しい。公務中に、道端とかで爺さん婆さんに話しかけられることがあったんだが、F君はきちんと対応していたよ。ちょっと話して去るとかじゃなく、じっくり話を聞いてた。五分以上になることもあったかな。親切丁寧だった。ほかの職員にもあれくらい丁寧に接してほしい。
年配とまではいかないが、俺が休日出勤で警備員詰め所の前まで来た時、副市長とF君が一緒にいるのを見た。あの知性の鬼で知られる副市長が、F君と和やかな感じで雑談してたんだ。副市長がカードキー探してるところに、サッと自分のを差し入れて扉を開けてた。それで、「副市長、今日も休日出勤なんすねwwwwww」みたいにふざけてた。
《エピソード③》
あとは、なんだったかな。福祉事務所の仕事で、虐待を受けてる可能性がある市民を保護施設に連れていく仕事があった。暴力沙汰になっても大丈夫なように、若い職員が中心になって家にお邪魔する――虐待者がいない時間帯を見計らって。今回は午前中だった。
古風な家屋だった。半分空き家レベルの。職員数人でお宅の呼び鈴を鳴らすと、ちょっと事情ありげな(詳細は書かぬ...)お爺さんが出てきて、ああ、この人だなと思った。女性職員がお爺さんに説明を始めて、それではさあ保護施設へ……となったところで、虐待者と思しき人が乗った乗用車がこの住宅に帰って来るのが遠目に見えた。この丘陵地帯には家が数件しかなかった。
「まずい」と思った。こういうのは本来、うちの総務グループの仕事ではないから、自分は虐待者と直接対応した経験はない。どうしようかと焦っていたら、F君がその乗用車の方に向かって行った。俺達の視界から消える時に「行け!」とジェスチャーした。
お爺さんを公用車に乗せて、無事に門扉を出た後、F君の姿が見えてくると……虐待者を呼び止めて、どこかに行ってた。おそらく何かコミュニケーションを取って、それとない理由でどこかに案内を求めたのだと思う。グッジョブだった。
これはあれだよ、クソ度胸というやつだ。見つかってたら大変だった。前任者によると、運が悪いと連れ去り事案で警察に通報されるらしい。お巡りさんも事情を話せばわかってくれるが、当然ながら福祉課に対して「もっとうまくやりなよ……」という警察からの指導がある。
昼休みが終わって、F君が福祉課に帰ってきた。徒歩だった。「大丈夫だったか?」とグループリーダーが聞くと、「問題なしです」と言ってた。F君が席に座ろうとする時、胸襟のところを見るとネクタイや胸ボタンがダメージを受けていた。
ここまで書いてて気が付いたが、おそらく俺は憧れの感情を抱いていたのだ。F君に対して。
F君は自由だった。俺はといえば、上司や先輩の顔色をうかがってばかりで、いつもへコヘコして、自分の仕事を肯定するために法律文や引継書類を探してた。承認欲求も満たされてなくて、週に一度は後輩(特に女性)や臨時職員にマウントを取ったりして、そんなのばかりだった。
今思えば情けないが、これが普通の20代の男なのかもしれない。商人欲求に飢えている。今思えば、俺も弱者男性のひとりだったよ。だって、弱いじゃん。当時の俺は。今もそうかもしれないけど。ここまで読んだあなたも、そう思っただろ。
でもF君は、いつも堂々としてたし、良くも悪くも人の顔色をうかがわないし、法律や引継資料よりも自分のロジックが主体で勝負してたし、後輩の女の子や臨時職員にマウント取ってるのを見たことがない。
俺は自由じゃなかった。それは、俺にとって一番ほしいものだった。でもF君は、全部じゃないけど、そういうのを持ってた。俺と同い年なのに。そういうのが歯がゆかった。
いや、勇者でなくともきっと高尚な何者かにはなれるだろうと思っていた。
地方の小さな田舎の村で生まれ育ち、幼い頃から力が強かった私を周りの人間は「これは将来きっと勇者になる」と持て囃した。
ある有名な勇者養成所の指導者が「こんな田舎で碌にトレーニングもしていないのなら将来化ける可能性がある」と声をかけてくれた。
そうして村を出て地方都市にある勇者養成所に入ったが、もちろん周りは勇者を目指して集まってきた強者ばかりだ。
そこで自分がド田舎のカワズだったということに気づいてしまった。
「そうか、勇者の才はなかった。だがもしかしたら魔法使いの才があるのかもしれない」と。
勇者を目指す者達はそれぞれの道へ進んでいくが、夢を諦め一般警備兵に志願する者も多かった。
しかし私は違う。
大魔法使いになるのだ。
異業種へのジョブチェンジは大変だったが、有名勇者養成所の経験をかってもらい全くの未経験から中堅魔法学校への奇跡的な入学を果たした。
自分の得意魔法を極める周りの魔法使い見習いを横目に、たくさんの魔法を覚えることに執着した。
しかし所詮全てレベル1、魔法に見識がある者であれば魔法学校に入る前に覚えている程度のものだ。
気づけば4年の月日が過ぎ去り私は悟った。
「こんな地方都市では駄目だ。もっと都会に行けば自分の輝ける場所があるかもしれない」と。
首都に向かった。
初めて見る大き過ぎる建物や人間の多さに驚愕しながらも、何か特別なことが起こりそうでとても興奮した。
先ずは魔法を活かせる仕事を探したが、レベル1では出来ることもたかが知れているし報酬も安い。
私は落胆した。
魔法使いの才はなかったようだ。
やはり刀鍛冶の才があるかもしれない。
いや実は商人としての才があるのかもしれない。
その経験を面白がって雇ってくれる方もいたが、年齢を重ねるにつれ信念のない人間と見做し門前払いも増えていった。
田舎を出て30余年。
今は一般警備兵の鎧を作る鍛冶場で使う工具を整備するための布を作る職人へ素材を運ぶ仕事をしている。
布はすぐ破れるのであまり評判は良くないが、安いので売れる。
なぜ安いのかと言えば素材が安いから。
体力を活かせる私にぴったりのお仕事。
身の程を知り己の身の丈にあった慎ましい人生を送る、早々にあの田舎に帰って井の中のカワズに戻ればどれほど幸せだったか。
結婚し、今は亡き両親に孫の顔でも見せられていたのではないか。
だが私は選べなかった。
もっと輝くストーリーがあると信じていたし、勇者にはなれずとも高尚な何者かにはなれるだろうと本気で思っていた。
努力もせずに、見切りだけは早く、されど自分の才を信じて疑わない。
なろう系の主人公のようにある日突然最強になっている、未だにそんな日を夢見ている。
00年代・10年代のMMORPGなら、NPC商店のラインナップが日によって価格変動・在庫変動する作品はかなり多く見られた。
ポイント付与のような制度があるものは思い出せないが、無駄に複雑にするだけなので有意義ではないだろう。
またNPCやその属する陣営への好感度などによって、変動とは別に割引(セール)状態になる仕組みも広く見られた。
もちろんプレイヤーキャラの商人系スキルによる割引などもあったが。
そうしたNPC商店から安く仕入れるノウハウを駆使して入荷し、それを露店やオークションシステムへ流して店売りアイテムの転売で稼ぐ、あるいは店売り品を別の地域で店売りして稼ぐというプレイスタイルが可能だったMMORPGもかなりあった。
ただ……MMORPGが廃れた今でも、その3条件を満たすゲームは巷に溢れている。
気づかないだろうか?
モバイルやブラウザゲームの大半に採用されている、ガチャシステムがそれに該当する。
この手のゲームでは、オフラインゲーム同様ゲーム内貨幣とそれを使うNPC商店が存在する。
その一方で、石を使うアイテム商店ないしガチャシステム自体も、本質的にNPC商店と大差ない形で共存している。
石の入手手段が課金のみというゲームは減っており、ゲーム内で攻略を進めることでいわゆる無償石を入手可能だ。
入手手段が有償(課金)と無償(ゲーム攻略の対価)に分かれているだけで、ゲーム内通貨を拡張したものだということが分かるはずだ。
NPC商店がゲーム内のマップ特定地点にあるのに対し、石を使う商店とガチャはUI上からユビキタスにアクセス可能という違いはありがちだが、その程度の差だ。
石商店では日替わりのもの、月替りのものがあるのが一般的だ。ガチャという名の商店ラインナップは2週間前後で入れ替わる。
同一商品について日次の価格変動があるのは比較的マイナーだが、ガチャの場合、商品であるキャラや装備の実用上の「価値」はその時々のゲーム内環境によって変動する。
また、キャンペーンによって割引されたパックアイテムや、ガチャコストの減額あるいは確率上昇というのも、セールの範疇に入るだろう。
石の入手先に関しても、初回購入で増量される権利が年1くらいで再付与されたり、現実社会の決済サービス側のキャンペーンによるセールもある。
ガチャシステムには、引く度にポイントが溜まってアイテムやキャラと引き換えできる制度が組み込まれていることも珍しくない。
ゲームの経済的リアリティを追求する諸システムは、最終的にゲーム内という枠を越えて、境界を曖昧にしていき、現実と結合して、ビジネスモデルも変化させているのだ。
嘘をつくんじゃねぇよ。盗品の所有権と即時取得なんて学部の1年生で習う話だろうがよ。
(即時取得)
第百九十二条 取引行為によって、平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた者は、善意であり、かつ、過失がないときは、即時にその動産について行使する権利を取得する。
(盗品又は遺失物の回復)
第百九十三条 前条の場合において、占有物が盗品又は遺失物であるときは、被害者又は遺失者は、盗難又は遺失の時から二年間、占有者に対してその物の回復を請求することができる。
第百九十四条 占有者が、盗品又は遺失物を、競売若しくは公の市場において、又はその物と同種の物を販売する商人から、善意で買い受けたときは、被害者又は遺失者は、占有者が支払った代価を弁償しなければ、その物を回復することができない。
要するに、今回買ったものが盗品なら被害者は2年間は取り戻しを請求できる。
ただしヤフオク=「公の市場」だから、被害者は元増田に、元増田が落としたときの価格相当額を支払わなければならない。(それによる被害者の損害は、被害者が出品者に損害賠償請求することになるだろう。)
こういう言説を見ると毎回ちょっと気持ちがわかるような気もしつつ、結局物事のとらえ方の問題なんじゃないかと思うんだよな
まず第一に、絵を描くこと自体は禁止されたわけでもなんでもないわけじゃん?絵を描くという行為そのものが目的であれば人工知能が出てこようが出てこまいがやればいいわけでしょ 下手の横好きみたいなものなんてどんな分野にもいるじゃん
次に、絵を描くということそのものが目的であるならば人工知能によって煩雑な処理などから解放されるわけで、むしろ喜ばしいことだと思うんだよな 微修正するだけで作業をめちゃくちゃ効率できるわけで、今まで自分が使えなかった技法とかも取り入れられるだろうしね
もし本当に何かが作りたいというのでクリエイティブな道を志したのであれば大変称賛すべき状況なのでは?
今の状況で人工知能に感情的に反発してしまいたくなるのは、人工知能の出現によって誰もが自分と同じようなことをできるようになってしまって、これまでの努力が水泡に帰してしまうことと、
(これまでと同じやり方で同じ成果物を出すだけなら)みんなできるよねということで周囲からの承認欲求が満たされなくなってしまうあたりが主な原因なんだとは思うんだが
なんというか強いクリエイティビティみたいなものは持っていない、特に何かが作りたいわけでもなく、仲間内でダラダラ惰性でやって商人欲求を満たしていた人には大変つらい時代になっちゃったね
万物に神が宿り、万物が神になる世界なので、神が人や世界を支配しない
『西洋宗教において神と運は別のオブジェクトだが、日本の古典な宗教観においては神や大いなる力は同一のオブジェクト』、これを生成させるまではうまくいったんだけどね
bingちゃん:
西洋宗教では、神と運は、プログラムでたとえると、別々のオブジェクトとして存在すると考えられます。神は、人間や自然に対して意志や計画を持つ創造者や支配者として表現されます。運は、人間や自然に対して予測や制御ができない偶発的な要因として表現されます。
# 神と運のオブジェクトを定義する class God: def __init__(self, name, power, plan): self.name = name # 神の名前 self.power = power # 神の力 self.plan = plan # 神の計画 def create(self, thing): # 神が何かを創造するメソッド print(f"{self.name} created {thing}.") def control(self, thing, action): # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド print(f"{self.name} {action} {thing}.") class Luck: def __init__(self, name, factor): self.name = name # 運の名前 self.factor = factor # 運の要因 def affect(self, thing, outcome): # 運が何かに対して影響を与えるメソッド print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")このコードでは、神と運は、それぞれ異なる属性や機能を持つオブジェクトとして定義されています。神は、名前、力、計画という属性と、創造、支配という機能を持ちます。運は、名前、要因という属性と、影響という機能を持ちます。神と運は、それぞれの機能を使って、人間や自然に対して作用することができます。例えば、以下のようなコードが考えられます。
# 神と運のオブジェクトを作成する god = God("Zeus", "lightning", "maintain order") luck = Luck("Tyche", "chance") # 神と運が人間に対して作用する god.create("human") luck.affect("human", "good") god.control("human", "bless") luck.affect("human", "bad") god.control("human", "punish")しかし、日本の古典的宗教観では運と神や大いなる力は同じオブジェクトです。神が運を司っています。
# 神と運は同一のオブジェクトとして定義する class GodLuck: def __init__(self, name, power, plan, factor): self.name = name # 神の名前 self.power = power # 神の力 self.plan = plan # 神の計画 self.factor = factor # 運の要因 def create(self, thing): # 神が何かを創造するメソッド print(f"{self.name} created {thing}.") def control(self, thing, action): # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド print(f"{self.name} {action} {thing}.") def affect(self, thing, outcome): # 運が何かに対して影響を与えるメソッド print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")このように、神と運は同一のオブジェクトとして扱われます。例えば、恵比寿さまは商売繁盛や五穀豊穣の神であり、同時にそのような運をもたらす要因でもあります。以下がその例です。
# 恵比寿さまのオブジェクトを作る ebisu = GodLuck("恵比寿さま", "商売繁盛や五穀豊穣の力", "人々に幸せを与える計画", "商売繁盛や五穀豊穣の要因") # 恵比寿さまが何かを創造する ebisu.create("鯛") # 恵比寿さまが何かに対して支配や介入をする ebisu.control("農作物", "守る") # 恵比寿さまが何かに対して影響を与える ebisu.affect("商人", "成功")恵比寿さま created 鯛. 恵比寿さま 守る 農作物. 恵比寿さま affected 商人 and the outcome was 成功.
日本語で聞いてるのになんでその回答になるんだよ、面倒くせぇ
ぜんぜん中立じゃないじゃんな
具体的にはBingちゃんが神の計画・神の支配の文言含んだ回答を生成しちゃったら
日本は八百万の神がいる世界。万物に神が宿り、万物が神になる世界なので、神が人や世界を支配しない
『西洋宗教において神と運は別のオブジェクトだが、日本の古典な宗教観においては神や大いなる力は同一のオブジェクト』、これをBingちゃんに生成させるまではうまくいったんだけどね
bingちゃん:
西洋宗教では、神と運は、プログラムでたとえると、別々のオブジェクトとして存在すると考えられます。神は、人間や自然に対して意志や計画を持つ創造者や支配者として表現されます。運は、人間や自然に対して予測や制御ができない偶発的な要因として表現されます。
# 神と運のオブジェクトを定義する class God: def __init__(self, name, power, plan): self.name = name # 神の名前 self.power = power # 神の力 self.plan = plan # 神の計画 def create(self, thing): # 神が何かを創造するメソッド print(f"{self.name} created {thing}.") def control(self, thing, action): # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド print(f"{self.name} {action} {thing}.") class Luck: def __init__(self, name, factor): self.name = name # 運の名前 self.factor = factor # 運の要因 def affect(self, thing, outcome): # 運が何かに対して影響を与えるメソッド print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")このコードでは、神と運は、それぞれ異なる属性や機能を持つオブジェクトとして定義されています。神は、名前、力、計画という属性と、創造、支配という機能を持ちます。運は、名前、要因という属性と、影響という機能を持ちます。神と運は、それぞれの機能を使って、人間や自然に対して作用することができます。例えば、以下のようなコードが考えられます。
# 神と運のオブジェクトを作成する god = God("Zeus", "lightning", "maintain order") luck = Luck("Tyche", "chance") # 神と運が人間に対して作用する god.create("human") luck.affect("human", "good") god.control("human", "bless") luck.affect("human", "bad") god.control("human", "punish")しかし、日本の古典的宗教観では運と神や大いなる力は同じオブジェクトです。神が運を司っています。
# 神と運は同一のオブジェクトとして定義する class GodLuck: def __init__(self, name, power, plan, factor): self.name = name # 神の名前 self.power = power # 神の力 self.plan = plan # 神の計画 self.factor = factor # 運の要因 def create(self, thing): # 神が何かを創造するメソッド print(f"{self.name} created {thing}.") def control(self, thing, action): # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド print(f"{self.name} {action} {thing}.") def affect(self, thing, outcome): # 運が何かに対して影響を与えるメソッド print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")このように、神と運は同一のオブジェクトとして扱われます。例えば、恵比寿さまは商売繁盛や五穀豊穣の神であり、同時にそのような運をもたらす要因でもあります。以下がその例です。
# 恵比寿さまのオブジェクトを作る ebisu = GodLuck("恵比寿さま", "商売繁盛や五穀豊穣の力", "人々に幸せを与える計画", "商売繁盛や五穀豊穣の要因") # 恵比寿さまが何かを創造する ebisu.create("鯛") # 恵比寿さまが何かに対して支配や介入をする ebisu.control("農作物", "守る") # 恵比寿さまが何かに対して影響を与える ebisu.affect("商人", "成功")恵比寿さま created 鯛. 恵比寿さま 守る 農作物. 恵比寿さま affected 商人 and the outcome was 成功.
英語版での名前はRoge Fastfinger(GB版のみLagos)。「Fastfinger」=素早い指捌き、という意味なのでこれは名字というより二つ名のようなものだろうか。
水門のカギは【満月の塔】に行くのに必須、さらに言えば敵地【ロンダルキア】へ乗り込むために必要なアイテムの中の一つであるため、このラゴスを探すことが【5つの紋章】探しと並ぶ中盤の大きな目的となる。
捕まって【ペルポイ】の町の【牢屋】にブチこまれた、という所まではあちこちの人の話で足取りを掴むことができる。
やたらと強い【バピラス】や、やたらと弱い【サマルトリアの王子】との格闘の末、ようやくペルポイに辿りついた【ローレシアの王子】に向かって看守が言い放つのは、
という絶望的な一言。町の中でいくら聞きこみをしても、その後の足取りはさっぱり掴めない。
FC版ではここで詰んでしまった人や、ここの謎解きだけに数週間を要した人も少なくないという。
ラゴスを追って【ザハン】へ来た男がいることからザハン内を探し回ったプレイヤーもいるだろう。しかもこの町の隅にいる男、わかりにくいところにいるうえ「オレはラゴス…」の出だしで話し始めるため、一瞬喜んだプレーヤーもいるかもしれない。
【ベラヌール】の看守も、特定の囚人を厳重に匿っていながら意味深な台詞を吐くので、【ろうやのカギ】入手後はこちらを探したプレイヤーもいるかもしれない。
本当のラゴスの居場所、それは「ペルポイの牢屋の壁の中」である。
右側の牢屋の中に入り、上から2マス目の黒い壁に向かって右に進むと突如画面が【屋根】の外に切り替わり、そこにラゴスがいる。また、その上のマスで右を向いて【はなす】を実行することでも話しかけられる。
ラゴスの脱走したマスだけなにか壁に目印があるなどの配慮は一切なく、まるでノーヒント。真っ黒な壁のうち1マスだけ壁の中へ進入できるなどと、誰が思っただろうか?
同じ仕掛けはダンジョンなら山ほどあるが、通路の構造がまったく違う町中で同じようにこの仕掛けに気付くのは、ほとんどの人にとって意外に、そして相当難しい。場所にとらわれることなく分け隔てせず判断する視野の広さと、疑り深さが問われる。
前作では攻略必須の【ガライの町】で同じ仕掛けがあったが、DQ2が初プレイの場合かなり難解な謎解きとなる。見張りの【兵士】の台詞を鵜呑みにして牢屋の中を自分で調べず、ここにラゴスはもういないと頭から信じ込んでしまえば詰みである。逆に、「脱走?一体どこから…」と疑問を抱ければ解決は目前。
一応、間接的なヒントとしては各地のほこらの構造がある。【旅の扉】でワープした先の扉を開けてみたら、外からは見えない黒い壁の中だった、という例がある。また、牢屋のカギ自体も同じペルポイで購入できるというのも配慮された結果かもしれない。
しかし厄介なことに、牢屋は屋根の下にあって、近付くとマップ切り替えが起こるのだが、このときラゴスのいる部屋の一部がぎりぎり見えていて、そこは何もない壁。つまり無意識に、ラゴスの部屋の向こうは押しても何もないと誤認してしまうのである。実際にはもう少しだけ上のほうにラゴスが隠れているわけだが。
上述の通り発見が非常に難しいためか、ラゴスの居場所については当時様々なファミコン雑誌や少年誌にヒントが掲載されていた。
あるラジオでもラゴスに関わる話をしているが、攻略をヒントにしたラジオドラマではダンジョンのBGMを流すことでダンジョンにいるものだと引っ掛けている。
【完全攻略本】には手描きによる町のマップが掲載されたものの、恐らくネタバレ配慮のためかラゴスがいるはずの場所は普通に壁として描かれているため、このマップを見ても仕掛けはわからない。
当のラゴスという人物についてだが、なんでも壁をブチ抜いて脱走を試みたものの、壁の中で引っかかって動けなくなってしまったらしい。
看守に逃げられたと思われている状態で食事やトイレはどうしていたのだろうか?
また、話しかけると潔く観念して水門のカギをくれるが、看守に没収されずに済んでいた理由も不明のままである。
投獄される直前に飲み込むなどして体内に隠したか、他人の目からは価値があるように見えないカギだったせいで看守にも見逃されたのだろうか。
というのも、水門のカギはテパの村民から見れば非常に重要な品だが、ラゴスが持っていても何の役にも立たない代物。
それは他の商人たちにとっても同様で、売却しようとしてもFC版の頃から値段はつかない。
鍵を盾にとって村を恐喝するという手法も考えられるが、ラゴスが村を脅した様子は特になく、犯行動機が全く見えてこないのである。
本人は見つけられたときに子供じみた軽い台詞を吐くので、ただの悪戯や愉快犯的に盗んだのだろうか。
あるいは、「本来のお目当てである金品をごっそり盗んだら結果的に水門のカギも一緒に盗んでしまった」など、ラゴスにとってもある種の事故だったのかもしれない。
返してもらった後の台詞もまるで無垢な少年そのものの口調で話す。
アイテム欄が満タンで持てない場合でも、そのスキに逃げようともせずその場で待ってくれている。余談だがその時の台詞が、よりにもよってそれに似つかわしくない人物に使い回されており、ちょっとしたネタになっている。
SFC版Ⅰ・Ⅱの公式ガイドブックには「人々の耳目を驚かすためだけに盗みを働く」と紹介されている。ただ単純にテパの人々を困らせたかっただけの愉快犯であろう。
さすがに意地悪すぎると思われたのか、リメイク版ではラゴスがハマっている壁の前の床にヒビが入っており、ノーヒントでも割とわかるようになっている。
ただし居場所が牢屋の右上から右奥に変わっているため、画面を切り替えずに「はなす」だけで見つけることはできなくなった。
ガラケー版以降では優遇され、SFC版【公式ガイドブック】のイラストに準じた専用グラフィックになっている。
そしてスマホ版は縦長画面のため、なんと彼の居場所が建物の外から丸見え。そもそも謎解きですらなくなった。FC版と比べると異常なまでのヌルゲー仕様である…。