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はてなキーワード: 商人とは

2020-05-26

大阪人ビジネス力はぜんたいてきに東京人より高い事実

あくま可能

こんなことをいうと批判されそうだが・・

全体的にコミュ力(=発話・ヒアリング力)が高く、

バーバルコミュニケーションを得意としている

芸能界の9割を関西出身者や芸人が牛耳っているのもうなづける

東京人はノンバーバルコミュニケーションを得意とするため(=江戸しぐさ検索)、

IT時代テレワーク時代にはあまり向かないといえる

ただし東京人のそうした「行間を読む」「周囲にあわせる」民度の高さが、

感染を防止したのも事実であり、優劣議論ではない

いまさらだ大阪商人の町の歴史と強さを知った

2020-05-20

anond:20200520212124

百姓一揆を抑え込むための方便から嘘だよ。

大昔から商人より官職のほうがエラくなるようにできてる。

豪商いくら出てこようが役人権力で押さえつける。

これは経済問題ではなく人間社会政治力学がそうなってる。

翻訳サービス比較

原文

The Tokugawa Shogunate was established by Tokugawa Ieyasu after victory at the Battle of Sekigahara, ending the civil wars of the Sengoku period following the collapse of the Ashikaga Shogunate. Ieyasu became the Shōgun and the Tokugawa clan governed Japan from Edo Castle in the eastern city of Edo (Tokyo) along with the daimyō lords of the samurai class. The Tokugawa Shogunate organized Japanese society under the strict Tokugawa class system and banned most foreigners under the isolationist policies of Sakoku to promote political stability. The Tokugawa and daimyō de facto administered Japan through their system of han (feudal domains) alongside the de jure Imperial provinces. The Tokugawa Shogunate saw rapid economic growth and urbanization in Japan which led to the rise of the merchant class and Ukiyo culture. The Tokugawa Shogunate declined during the Bakumatsu ("Opening of Japan") period from 1853 and was overthrown by supporters of the Imperial Court in the Meiji Restoration in 1868. The Empire of Japan was established under the Meiji government and Tokugawa loyalists continued to fight in the Boshin War until the defeat of the Republic of Ezo at the Battle of Hakodate in June 1869.

Google翻訳

徳川幕府は、関ヶ原の戦いでの勝利後に徳川家康によって設立され、足利幕府崩壊に続く戦国時代内戦を終わらせました。家康将軍になり、徳川藩は江戸の東の都市東京)にある江戸から武士大名領主とともに日本統治しました。徳川幕府は厳格な徳川階級制度の下で日本社会組織し、政治的安定を促進するために、サコクの孤立主義政策の下でほとんどの外国人禁止しました。徳川と大明の事実上日本は、ジュール帝国領土とともに、藩(藩)のシステムを通じて管理されました。徳川幕府は、日本の急速な経済成長都市化を見て、商人階級と浮世文化の台頭をもたらしました。幕末には幕末に幕を下ろし、明治維新により皇室の支持者たちにより打倒されました。明治政府のもと日本帝国樹立され、徳川忠誠は1869年6月函館の戦いでのエゾ共和国の敗北までのぼしん戦争

Excite翻訳

徳川幕府関ヶ原の戦い勝利の後に徳川家康により設立されて、足利幕府崩壊に続いている戦国時代内戦を終えた。家康は、サムライクラスのdaimyō君主とともに江戸東京)の東の都市江戸からShōgun徳川一族管理日本になった。徳川幕府は、厳密な徳川クラスシステムの下の日本社会組織し、政治的な安定性を促進するために、Sakokuの孤立主義方針の下のほとんどの外国人禁止した。徳川とdaimyō事実上は、正当な帝国地方そばのhan(封建制度ドメイン)のそれらのシステムを通して日本管理した。徳川幕府は、マーチャントのクラスとUkiyo文化の上昇に通じていた日本の急速な経済成長都市化を見た。徳川幕府は、Bakumatsu(「日本の冒頭」)期間の間に1853から傾き、1868年明治維新宮中サポーターにより倒された。大日本帝国は、1869年6月に忠臣が函館戦争でエゾウの共和国の失敗までボシン戦争において戦い続けた明治政府徳川の下で設立された。

DeepL翻訳

徳川幕府は、足利幕府崩壊に伴う戦国時代内乱終結させ、関ヶ原の戦い勝利した徳川家康によって成立しました。家康将軍となり、徳川家は江戸城を拠点武家大名とともに日本統治しました。徳川幕府は、厳格な徳川階級制度の下で日本社会組織し、佐国の鎖国政策の下で外国人入国禁止して政治の安定を図りました。徳川大名は、事実上日本行政を、事実上皇国と並んで藩制度で行っていた。徳川幕府は急速な経済成長都市化を遂げ、商人階級や浮世文化の台頭をもたらしました。徳川幕府1853年から幕末開国時代に衰退し、1868年明治維新朝廷の支持者によって倒されました。明治政府の下で大日本帝国樹立され、戊辰戦争では、1869年6月函館の戦いで蝦夷共和国が敗北するまで徳川家臣たちが戦い続けました。

みらい翻訳

関ヶ原の戦い勝利した徳川家康によって徳川幕府が成立し、足利幕府崩壊に伴う戦国時代内乱終結した。家康将軍となり、徳川氏は武家大名とともに江戸 (東京) 東部江戸から日本を治めた。徳川幕府は、政治の安定を図るため、厳格な徳川階級の下で日本社会組織し、鎖国政策の下ではほとんどの外国人禁止しました。徳川事実上大名は、日本を藩制(藩)で実質的支配した。日本徳川幕府による高度経済成長都市化が進み、町人階級や浮世文化が興った。1853年から幕末(「日本開国」)の間に徳川幕府は衰退し、1868年明治維新で勤皇志士たちによって倒され、明治政府のもとに大日本帝国が成立し、1869年6月箱館戦争蝦夷共和国が敗れるまで戊辰戦争を戦った。

2020-05-18

本好きの下剋上Q & A

ルッツの両親が胸糞なんだが、なんでいい話風になってるの?

アニメ20話のルッツの家族

家族総出で勤め先に迷惑を掛けたくせに、商人見習いになることは許していたと後から言い出す」

という支離滅裂な行動をしているように見えますが、原作ではもう少しわかりやすくなっています

今回の揉め事には2つポイントがありました。

商人見習いになることについては、父親は認めていました。

ただ「勝手しろ」という言葉足らずの言い方のせいで、ルッツには伝わっていませんでした。

神殿での話し合いで両親から説明されて初めて、ルッツは真意を知ることになりました。

街の外に出ることについては、父親は認めていませんでした。

街の外は中に比べて危険なのに、見習いになったばかりのルッツが連れて行かれる理由がわからず、不信感を持っていました。

神殿での話し合いで以下の説明を受けました。

  • 街の外といっても、馬車でいく半日程度の旅程であり、危険は少ないこと
  • ルッツとベンノは、ルッツが見習いになる前から関わりがあり、ベンノはルッツの能力を高く評価していること
  • 商人の家の生まれではないルッツのために、ベンノとしてはなるべく早くから教育に力を入れたいこと

これらの説明父親は納得し、街の外に出ることについても許可を出すことになりました。

2020-05-12

軍人時代→賢人の時代商人時代

軍人時代へ戻り 以下ループ

by ラビ・バトラ

江戸時代が終わって武士が消えた

covid-19で商人も消える

次が軍人時代だとすると、今の時代軍人って何だろう

まだ地方自治くらいしか姿が見えていない

anond:20200512144419

その記事にある「埼玉県ホテル旅館生活衛生同業組合」のHP見ると分かるけど、埼玉県はいわゆる商人宿(昔のビジネスホテルで畳敷きで自分で布団上げ下げするような)や商人宿をルーツとするホテル料理屋メインで宿泊もできますみたいな宿が多く、ホテル組合に加盟しているのもそういう宿が多い あとラブホテル

あなた認識しているより実態悲惨なのですよ

正直、県も県民もそういうホテルにはあまり期待していない

実際、県が最初に新型コロナで確保したホテルも「アパホテルさいたま新都心駅北〉」だった

2020-05-06

中国って何千年なの?

"中国50年の歴史"約 1,070 件 (0.31 秒)
"中国100年の歴史"約 3,190 件 (0.35 秒)
"中国200年の歴史"約 4 件 (0.24 秒)
"中国300年の歴史"約 341 件 (0.28 秒)
"中国400年の歴史"約 677 件 (0.33 秒)
"中国500年の歴史"約 3 件 (0.35 秒)
"中国600年の歴史"約 435 件 (0.41 秒)
"中国700年の歴史"約 6 件 (0.35 秒)
"中国800年歴史"約 9 件 (0.36 秒)
"中国900年の歴史"との一致はありません。
"中国1000年の歴史"約 1,010 件 (0.43 秒)

北宋(960年 - 1127年)

南宋(1127年 - 1279年)

西晋(265年 - 316年)

東晋317年 - 420年)

五胡十六国時代(304年 - 439年)

"中国2000年歴史"約 2,660 件 (0.31 秒)

前漢西漢紀元前206年 - 8年)

—新(8年 - 23年)

後漢東漢、25年 - 220年)

"中国3000年の歴史"約 30,200 件 (0.49 秒)
"中国4000年の歴史"約 161,000 件 (0.42 秒)
"中国5000年の歴史" 約 90,400 件 (0.53 秒)
"中国6000年の歴史" 約 1,410 件 (0.42 秒)
"中国7000年の歴史" 約 501 件 (0.43 秒)
"中国8000年の歴史"約 480 件 (0.43 秒)
"中国9000年の歴史" 約 157 件 (0.57 秒)
"中国10000年の歴史"約 131 件 (0.34 秒)
"中国20000年の歴史" 3 件 (0.37 秒)
"中国30000年の歴史"約 9 件 (0.25 秒)
"中国40000年の歴史"約 589 件 (0.53 秒)
"中国50000年の歴史"10 件 (0.31 秒)
"中国60000年の歴史"1 件 (0.21 秒)
"中国70000年の歴史"6 件 (0.30 秒)
"中国80000年の歴史"3 件 (0.30 秒)
"中国90000年の歴史"との一致はありません。
"中国100000年の歴史"との一致はありません。
"中国10万年歴史"約 5 件 (0.66 秒)
"中国20万年歴史" 1 件 (0.39 秒)
"中国30万年歴史"約 1 件 (0.33 秒)
"中国40万年歴史"約 6 件 (0.39 秒)
"中国50万年歴史" 8 件 (0.43 秒)
"中国60万年歴史" 1 件 (0.36 秒)
"中国70万年歴史"との一致はありません。
"中国80万年歴史" 1 件 (0.34 秒)
"中国90万年歴史"との一致はありません。
"中国100万年歴史"約 545 件 (0.62 秒)
"中国200万年歴史"との一致はありません。
"中国300万年歴史"との一致はありません。
"中国400万年歴史"1 件 (0.32 秒)
"中国500万年歴史"2 件 (0.35 秒)
"中国600万年歴史"との一致はありません。
"中国700万年歴史"との一致はありません。
"中国800万年歴史"との一致はありません。
"中国900万年歴史"との一致はありません。
"中国1000万年歴史"1 件 (0.35 秒)
"中国2000万年歴史"との一致はありません。
"中国3000万年歴史"5 件 (0.39 秒)
"中国4000万年歴史"9 件 (0.36 秒)
"中国5000万年歴史"3 件 (0.23 秒)
"中国6000万年歴史"2 件 (0.35 秒)
"中国7000万年歴史"との一致はありません。
"中国8000万年歴史"との一致はありません。
"中国9000万年歴史"との一致はありません。
"中国1億年の歴史"約 9 件 (0.57 秒)
"中国10億年の歴史"との一致はありません。
"中国40億年の歴史"1 件 (0.28 秒)
"中国100億年の歴史"約 3 件 (0.43 秒)
"中国1000億年の歴史"2 件 (0.32 秒)
"中国1兆年の歴史"1 件 (0.39 秒)
"中国10兆年の歴史"との一致はありません。
"中国100兆年の歴史"との一致はありません。
"中国1000兆年の歴史"との一致はありません。



"中国X年の歴史" 2 件 (0.23 秒)

"中国n年の歴史"との一致はありません。




  • 参考

https://ja.wikipedia.org/wiki/中国歴史

https://ja.wikipedia.org/wiki/世界歴史

https://ja.wikipedia.org/wiki/地球史年表

2020-05-04

[]読み返すかもしれないなろう

暇なんで読み返すかもしれないやつ

辺境の老騎士

完結済。カクヨムでも本でも最後まで読める。ハードボイルド

予言経済学 ~巫女姫と転生商人異世界災害対策

なろうは完結済。緩急ありつつの加速感がよかった。

冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた

完結済。ファザコン×親バカ。情景描写が好きだった。

・俺のメガネはたぶん世界征服できると思う。

完結した。メガネ君は詳細を語らない。

・フシノカミ

とにかく突っ走って完結してる

・塔の諸島の糸織り乙女 ~転生チートはないけど刺繍魔法スローライフします!~

なろうじゃなくカクヨムで連載中。乙女成分の少ない本好きの下剋上っぽい感じ。

世界樹の上に村を作ってみませんか

空想世界空想の町作り。冒険は少ない。

化学捗る魔術開発

最近再開したので読み返し始めたのがきっかけ。

2020-04-26

anond:20200426135127

もう読んでるだろうか?

・夫のちんぽが入らない

年収90万円で東京ハッピーライフ

乙嫁語り

都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌

2020-04-16

エホバ商人って輸血を拒否するらしいけど

人工呼吸器も拒否すんの?

2020-03-31

やってること変わらんなあ

人の死を食い物にして注目浴びようとしてるツイカスやクズYouTuberっていうのは、命を食い物にしてる武器商人となんら変わらんな。

貴族など武力政治力を持つ。「王族」、「戦士」とも翻訳される。釈迦がこの階層に生まれた ヴァイシャ 商業農業牧畜工業及び製造業などの職業につくことができる。のちには主として「商人」を指すようになった。

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2020-03-21

[]死を商売にするって

なんか武器商人みたいだな

2020-03-09

タイムトラベルもの小説おすすめ教えて

基本、タイムトラベルものはあまりきじゃないです。

読んでてやきもきするし、そのわりにワンパターンなので好きじゃない。

現在or未来を変えるために過去であれこれする→うまくいかない→もっかいあれこれする→今度はうまく行った、みたいな。

以下、私のタイムトラベル小説遍歴(しょぼい)。

夏への扉』どこがどう名作なのか説明してほしい

『ふりだしに戻る』情景描写は好き

時をかける少女1967年だって!初出は『中学三年コース』。なるほどそれはいいか

ドゥームズデイ・ブックパンデミックいね

映画だけど『エターナル・サンシャインジム・キャリー普通にモテそう

商人錬金術師の門』(『息吹』所収) これ好き。私の嫌いなタイムトラベルっぽさ(前述)がすっきり解決されてて、しかも余韻が長い。

こういうのでいいんだよ、こういうので。

2020-03-01

戦争国家への準備でしょ、外出自粛令

「皆さんの為」ではなく、国会危機コロナ菌への「勝利」?

私的権利唐突制限し公に従わせる訓練をし、菌の収束国民を戦勝感覚に酔わせて軍事容認社会へ、そして米軍下請け

世界中マスコミが致死率以上に騒ぎたてているところから世界武器商人選民思想裕福層が世界大戦仕掛けているのかもよ。菌への恐怖を喚起することで異人種や異国籍人にヘイト感覚湧くし。

2020-02-26

情報商材界隈、使ったことのない武器を売りつけようとする商人で溢れている

anond:20200226123052

そもそもお前に向けられているのは憎しみと暴力なんだから、一番の解決策は親や教師SNS大衆に守ってもらう事やろ

ちゃうちゃう

これが結局「より上位の憎しみと暴力召喚して、そいつに代わりに殴ってもらう」ってプロセスしかねえの

悪代官悪徳商人が好き放題してるとこに上様や黄門様がやってきて、これまた好き放題にチャンバラ繰り広げるのと、図式としては全く変わってねえわけ

そしてそこにカタルシスを求めるからこそ、みんないじめハラスメント加害者正義面して寄ってたかってリンチするのがだ~い好きなわけでしょう?

お前の方こそ社会が見えてねえんだって

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-02-24

転売ヤー問題

今の転売問題は、コンサートチケット(要するにダフ屋問題)ではなくて、衛生用マスク問題になってるけど、高橋洋一みたいに「テンバイヤー経済学的には全く正しい商行為」って言っていた奴は「マスク市場価値新型肺炎流行(の危惧)で急激に上昇したのであるから、依然として安いメーカー販売価との差益を求めるテンバイヤーの行動は経済的に全く正しく、批判するのはおかしい」ってコメントを出すんだよね?

転売ヤーって、基本的には店舗を構えてある程度決まったお客さんと取引する商人にはできないやり方なんだよね。この商売は「弱い客の足元を見てギリギリまで高くふっかけて自分けが儲ける」商売から、客の強い恨みを必然的に買うことになり、暴動が起これば真っ先に放火される店になるし、客の立場がある程度強くて店を選べる状況(つまり普通の状況)では「絶対にあの店だけでは買いたくない」って心理が多数の客に刻み込まれてるから店舗が維持できない。

から、あれは無店舗事実上匿名人間が、不特定多数の客に対して継続性を無視して行う商売しかならないんだけど、そういうのって昔はダフ屋くらいしか成り立たなかったのが、今はネットの普及で容易にアルバイト感覚でできる様になったから、ああ言う商売が生み出す害悪である取引客の恨み」が野放図に増大していって社会問題化してる。

あくまで娯楽のチケットであればふっかけられた恨みもそう大きくないけれど、健康生命に関わるものとなるとそうは行かないわけだが、商売本質はどちらも一緒で、高橋洋一はどちらも「経済学的に全く正しい」と言わざるを得ないはずなんだよな。

まぁ、転売ヤーを「ただの裁定取引でしょ」って言って全く問題視しない経済学者は高橋だけじゃないと言うか、もしかするとほとんどがそうなのかも知れないんだけどね。

2020-02-23

anond:20181004202308

恒常的に連れ回すことができないのは、神父の儲けが足りなすぎるからじゃないかな。

そこは必要ときだけ神父サービスが利用できる「おおごえ」を使うために、商人を連れ歩こう。

ドラクエリメイクドラクエ6で商人が覚える特技だが、ゾーマ城の目前でも宿屋神父を呼んで完全回復可能なので、便利だぞ。

[]anond:20200223185852

ある時、森之助の伯父で、先年村上家を出奔して武田家に仕えていた、相木市兵衛という者が塩尻峠を通りかかった。

市兵衛はその山奥で、鹿の背に乗せられ、猿たちに取り囲まれ赤ん坊を見つける。

不思議に思った市兵衛は赤ん坊を拾って帰り、山の中で鹿に乗っていた子供ということで「山中鹿之介」と名付けた。

その赤ん坊こそ、長坂跡部の追手と戦ううちに更科姫とはぐれてしまった、彼女の息子であった。

その更科姫は、はぐれた息子を探すうちに山賊の砦に迷いこんでしまい、彼らを打ち倒して親分の座に収まっていた。

しかも、その山賊の一味だった烏勘左衛門という者が、実は武田家と対立する上杉謙信の家臣・蓑田五郎であった。

二人は協力して馬場美濃守を討たんと、手下を商人変装させて甲府へと送り込んだ。

ところが手下は早々に馬場美濃守に捕まり、一部始終を白状させられてしまった。

馬場美濃守は思案して、私の心底はこの中身を見れば分かると言って、その手下に「長持」を持たせて帰した。

手下から長持を受け取った更科姫がそれを開けてみると、その中から現れたのは死んだはずの森之助であった。

更科姫は、森之助との再会に驚くやら喜ぶやら。

実は、密かに馬場美濃守に助けられていた森之助は、それから馬場美濃守の影武者として活躍していたのだった。

すでに村上家は滅び、村上義清は越後へ逃れて、上杉謙信の家臣となっていた。

このまま武田に与して上杉と戦うつもりもなし、世を捨てて閑居しようと語り合い、

簑田五郎山賊たちを任せて、二人は武田家へ向かった。

馬場美濃守に暇乞いをしたところ、

上杉と戦う必要はないので、北条今川の押さえとなる諏訪原城を守ってくれないか

と頼まれしまい、恩人の言うことでもあるので、やむなくそれを引き受けた。

最後ということで伯父の市兵衛とも面会すると、そこにいた赤ん坊ははぐれた更科姫の息子であった。

夫婦は喜び、息子・鹿之助を引き取ると、諏訪ヶ原の城へと向かった。

2020-02-12

編集者10年やってるけどもうそろそろ限界かもしれない

すっごいありふれている話なんだが書かせてくれ。


おれは編集者10年やっている。

っていっても、これから書くことは

編集者ならではネタでもないんだけど、

とりあえず本を10年間作っている。


編集者としてのおれは、書いてて吐きそうだけど、めちゃくちゃ無能だ。

無能にもいろいろ種類はあるけど、

おれがもっと無能さを発揮するのは

商才がないという意味での能力だ。


いま編集者は、商人でなければいけない。

商売の芽をいち早く見つけ、育て、ブランディングを行い、

著者の「株価」がもっとも高まったところで、打つ。

おれはとにかくそれができない。

見よう見まねでやってみようとするが

おれが心から素晴らしいと思う書き手は、

言葉を選ばなければ、「売れない」人ばかりだ。

複雑で、わかりにくく、答えのない、この世の過酷さを照射する言葉

いま、それに金を払うほどみんな余裕がないのは、頭ではわかっている。


から、正直「良さがわからない」が

「良いと言われている」コンテンツを、

あるいは他人が良いと言っているコンテンツ

上記のやりかたで世に出してみるんだけど

やっぱり、おれみたいに商才がない奴が

よくわかっていないままやると、だめだな。

爆死はしないが、爆発もしない。


ここで不幸なのは書き手だよ。

おれに、おれと仕事しなければ、おれ以外と仕事をしていたら

もっと高い場所を飛べたかもしれないのに。

おれが、会社員として組織に留まりたいばかりに

おれが、編集者として爪痕を残したいばかりに

けがけのないリソースを、いちばん良い形で発揮できなかったとしたら。


書き手だけじゃない。

営業も、デザイナーも、印刷会社も、

本が売れなかったらもうみんな徒労になってしまうんだよ。



数えてみて、おれは10年間で80冊の本をつくっていた。

80冊、重版かかったのも流石にあるけれど、でも

このなかに確実に、うまいことやれていたら、

20〜30万部はいけていた書き手はいただろう。




もう降りさせてくれないか

もう本をつくらない部署に異動させてほしいと部長に伝えたもの

まだまだ大丈夫、これまでどおり誠実にやんなさいと係留される。

ありがたい。実にありがたい。いっそ死ぬといいのかな。いっそ死ねばもう本つくらなくていいかなって最近新宿駅に降りて思うんだよ。みんなゴシップに飢えてるし、そういうの、いいじゃん。なんかさ、アガるじゃん。出版社なんざ、そのくらいのストーリー持ってたほうがさ。でもおれみたいなのって、結局そんなの出来なくて、また明日もさ、企画会議に出るんだよ。これは目標部数5万部ですなんていってさ。それで通過しちゃうんだよな。止めてくれよ。わかるだろ。そしてさ、報告するんだよ著者に。おめでとうございますあなたにとってこの本が、作家としての、門出になると思っています。いい本にしましょう。救われる人がいる本にしましょう。微力ながら全力を尽くします。



うそじゃない、心からそう思うよ。

おれみたいのと仕事したいって言ってくれた書き手のために、なんだってするよ。

でも、おれが教育担当やってた新卒がさ、初めてつくった本がさ、15万部いったって聞いてさ。

天才かもなって上司、うれしそうで、

本当にごめんなさい。

もう限界かもしんない。

2020-02-03

anond:20200203095636

公務員じゃないんだから、儲けがなかったら給料下がるしリストラもされるよ

そう考えると、プロジェクト成功しても失敗しても金が入る人売り専門の商人が一番手堅いんだよなあ

2020-01-23

年2000万円以上稼ぐ方法まとめ

Googleに入った上でちょこっと出世する

シリコンバレーに行って就職する

医者になった上で開業医になるか、勤務医出世する

弁護士になった上で稼ぎ頭になる

商社に入って部長以上になる

・有名企業に入って部長以上になる()

起業開業した上で人を10前後雇い、かつ成功する

・歩合制の営業職について成功する

ネットで規模を生かしたり広告で儲ける(アフィリエイトYoutuberなど)

投資家として成功する(雇われ/個人

商人として成功する

有名人になって本などを出版する

・M&A系企業に行って成功する

 

こんなもんかな

 

補足(調べた)

Googleに入っても一番下のランクだとそれほどいかない

医者になっても若手勤務医だとそれほどいかない

商社ベースがとても高いけど1500くらいに壁がある

開業・歩合性、ネット投資家商人あたりはミスるマイナスもあり得るので、こうなると2000万でも大して喜べない

 

考察

頭の善し悪しで足切り存在する

凡人が選べる可能性は少ないが、それだけに競争が激しい印象

 

よくわからないもの

銀行マン

投資家(雇われの方)

パイロット

 

その他所

アラフィフでならそこそこの職業であり得なくはないが、30代以下でとなるとかなり絞られる

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