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2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-07-22

ミシェルウェルベックにハマった

なんやこいつ。面白すぎやろ。

服従」を読んだ。色々とスキャンダラスで、フランスでは結構有名な本らしい。

フランスイスラム教支配されるって話なんだけど、主人公40代孤独な冴えない大学教師ってのも妙にリアリティあるし、

エログロ絶妙な味付け加減も素晴らしい。フランス人性格の悪さをいい方向に発揮したなあと思える本。

それから地図領土」も読んだ。美術かじってる人間には結構クる内容だったが、成功した美術家の一生を描いていて、こんな人生送れたらいいなと思える内容だった。

劇中に登場する絵画作品映像作品もかなり詳細に描かれている。自分もこういう作品作ってみたい!と大いに創作意欲が湧いた。こんな小説は読んだことがない。

作中に作家自身が登場するんだけど、なんかいキャラしてるし。

この作家基本的主人公が似通っているという批判もある。だが、それって別に悪いことじゃないし、むしろ違う主人公を描いている作家のが少ないと思う。

今「素粒子」を読んでいる。出だしからやっぱり惹かれてしまものがある。

なんというかハマりすぎて、はけ口を求めているのだが日本だとやっぱりマイナーらしい。

孤独テーマの本ってやっぱりいいよね。

ウェルベックは明らかにナボコフに影響されているけど、自分ナボコフ好きなんでそれでまた好印象を持った。(あの嫌味な文体ね。最高だね)

フロイト嫌いな点とか。

彼は昔に精神おかしくなって精神病院入院したことがあるらしいが、やっぱり精神おかしくなるといい作品が書けるようになるのかな?

誰かこの作家に似た小説を書く人がいたら教えてください。

この作家に詳しい人いたら色々教えて欲しい。

2017-05-25

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

結論:場合による

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601

この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)

分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから

たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかい単語容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。

文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフ研究では、英語版ロシア語版を照らし合わせて登場人物名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。

それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。

現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは

という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。

しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかねふつうそういう研究なら、「○○新聞データベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリング情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……

pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。

一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイト自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。

しかし、ここで問題になってくるのは

ということだ。

それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。

※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します

たとえそれが個人的談話であっても、社会学文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。

だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学文化人類学研究なら普通は発言者をボカす社会運動指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。

仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会激おこだった)。

これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞投書欄分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。

ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。

インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿分析発言者特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象著名人であるとかなら別だけど(twitter右寄り発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。

それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。

=何が言いたいかというと、確かにあの論文研究倫理に反するけど、それは同人小説研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。

追記

何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表プロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答ボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会判断とかで弾こうぜ。

あとこれ多分M1の学生研究助教准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。

さらに追記

社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。

http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758

マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?

  • リンク先で言われている「社会調査」の例
  • 今回の調査は「ネット上に公開された小説分析
    • なので仮にあてはめるとするなら「図書館に行ってLGBT団体の機関誌を調べてどんな人がどんなことを書いているか分析する」に相当する
      • 普通、そういう調査をするに際して、当該団体の許可は要りません(その団体の会員にしか配られなかったので、その団体が所有する図書館でしか読めません、というなら別だけど)。当たり前だよ、侵襲性がないんだもん。今回のは、その文献調査で知り得た情報をどのように扱うべきだったかという話でしょ。何度も言うけど発表された二次創作を無断で分析するのは原理的にはやっていいんですよ
  • なのでこれは、医学や文化人類学社会学フィールドワークとは根本的には違う話です
    • それらの学問では、患者さんや調査対象の人たちに時間を割いてもらって、必要とあらば彼らの社会に住み込むことによって、個人情報も含めたデータ提供してもらいます。侵襲性が高いというのはそういうことです。それらの学問では調査すること自体が彼らに迷惑をかけてしまうことになるんです。だからちゃんと事前に許可を取ったりしないといけない。でも、インターネットで公開された文章を検索したり、図書館雑誌を探したりするだけなら、調査対象に迷惑はかかりません。だから調査対象にいちいち許可を取る必要なんてありません。ただ、それによってセンシティヴな情報が得られることもあるし、それは研究発表のときに注意しないといけない、という話

もいっちょ追記

いちおう言っておくと、

  • 法的に問題があるか
  • 研究倫理として問題があるか
  • 研究として優れているか
  • ムカつくか

ってこれ全部別の話だからね。

正直、腐女子研究者研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。

ぶこめに応答

id:p_papua

研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。

文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。

これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。

いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。

id:catsnail

こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。

ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。

医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。

こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。

でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館雑誌バックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。

id:nt46

医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん

カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。

id:drunkghost

会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?

少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!

(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)

研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。

id:ajtpyomkptm

二次創作研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。

前例はあります

今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究もっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。

まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。

あとこれ言うと揚げ足取りなっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします明治文学研究とかルール違反百貨店や~。

追記

これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。

2016-07-16

伊坂幸太郎のこと読まず嫌いだったけど最近読んでみてもいいかなと思い始めてる

でも何から読んだらいいのか分からない

日本作家ほとんど読まないので、(最後に読んだ日本作家小説が確か森博嗣のVシリーズで、もう十年以上前伊坂幸太郎村上春樹っぽい文体とか言われてもいまいちピンとこないし先に村上春樹から読んだほうがいいのかどうかも分からない

あと森博嗣のGシリーズがなにやらすごいらしいと最近増田で知ったので、そっちを追いかけてみるのと伊坂幸太郎読むのとどっちが見返りが大きそうかによっては結局森博嗣を先に読むかも

別に森博嗣ファンというわけではないのだが

ミステリ読みというわけでもない

好きな作家ナボコフとかブルーノ・シュルツとかフィリップ・ロスあたり

あとアリス・マンロー短編も好き

国内海外ともに、ミステリはだいたい十代の頃に読んで卒業した

伏線が秘かに散りばめられ最後に鮮やかに回収されるみたいなお話子供の頃は好きだったはずなのだ大人になるに従ってだんだん馬鹿らしく思えてきてナボコフやロスのような散文の達人へと興味の対象が移り、それすら三十過ぎてからは飽きがきて今ではマンローとかブコウスキー読んでるとき比較幸せ

自分でもなぜ今になって伊坂幸太郎なのかさっぱり分からないし、そもそもなぜ単に読まなかったのではなく読まず嫌いしてしたと感じるのかも分からない

いくつか映画化されているらしいけどまったく観たことないし観る気も起きない

ただ、最近増田とかで挙がってるおすすめミステリリストを眺めると、日本作家伊坂幸太郎以外だいたい読んでいたので、穴を埋めたいのかもしれない

今の自分が読んでも満足できるか分からないし、たぶん無理だろうという諦めはある

一回読んでおしまいでもう二度と読むことのない本をいくつも読むよりプルースト再読でもする方がたぶんずっと良い

しかしその一方でジャンク読書体験への渇望があるのかもしれない

2016-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20160615223727

なんでそんな夢を抱くようになったの?

子供の頃にナボコフの『ロリータ』でも読んだ?

2016-05-18

蓮實=ナボコフって感じ?

読んだこと無いけれど

2016-03-29

これからウェブ小説書くならどこがいいのだろうか

なろうは名称問題で悪いイメージだしカクヨム互助会活動しないといけなさそうなのがイヤ

でもほかにある程度トラフィックあって有名なサービス知らない

関係ないけどどうして小説ってプロ志望前提みたいな扱いされがちなのかね

詩作エッセイならプロ目指してなくてもどんどん作品発表していけるのに小説だとそういう趣味での発表が低く見られがちな傾向を感じる

個人的には今世紀の出版業の衰退に伴って小説から商業性が失われていくだろうとは思うのだけれど、俳句ソネットヒロイックカプレットを発表するくらいの気軽さで小説を発表したり読みに集まったりできる環境ができあがるには社会レベルでそれなりの意識変革が必要だとは思うから小説投稿サイト健全な発展はわりと小説未来にとって死活問題だと思ってる

まあ、なろうやカクヨムに期待せず英語で書くって手もあるけれど、日本人に生まれたからには言語で少しくらい楽させてもらってもいいじゃない?

誰もがナボコフになれるわけじゃないんだから

2015-06-07

自己啓発業界にとっての『夜と霧』はロリコンにとってのナボコフロリータ』と同じ位地にある本だから、『夜と霧』が自己啓発本扱いされてしまうのも、まあ多少はね?

2014-12-23

はてなーの血肉となった本でAmazonレビューが5つ星の本のリスト

http://anond.hatelabo.jp/20141207214956

個人のブログに書いてもアクセスなんてないので増田に放流。

はてなーの血肉となった3冊を教えて欲しい」

http://anond.hatelabo.jp/20141207214956

ブックマークで挙げられていた本の中からAmazonレビューで5つ星のものだけをピックアップしてジャンル別に並べ替えもの

正月暇になりそうだから読む本を探している人の参考になれば幸いでございます

絵本児童書

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kerodonだれも知らない小さなだれも知らない小さな国23
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yorunosuke発明発見のひみつ発明発見のひみつ3
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yorunosukeからだのひみつからだのひみつ6
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文芸(海外)

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2014-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20141003100544

モリスンとイシグロと志賀直哉大衆文学じゃなくね

というかキングとか東野圭吾とかあとなんだ、セルバンテスとか? ああい大御所スルーする意味がわかんね

10コ揃えたかたからって無理矢理引っ張ってこなくてもいいんだよ

だいたいフォークナーだのナボコフだのはともかく、カントヴェーバーアドルノは「文学」の範疇に入るか怪しいし何でそこで話に出てくるねんって感じ

そして残念なことに、ラノベには概して「見るべきもの」なんて無い。

基本的ラノベって自意識過剰中二病患者向けポルノでしょ。お色気と俺TUEEEとざっくりした「世界は如何にして回ってるか」の開示の混交物。

慰安のための本。

少なくともモリスン・イシグロ・志賀直哉級に「見るべきもの」があるラノベってのは絶対無い。これが現実

ウソだってーんなら具体的に「これはモリスン(/イシグロ/志賀)は超えてる」っていう作品を是非挙げてみてほしいねえ。

ラノベ以下のしょうもない人気小説10作品

なんか前書いたやつがブクマ300超えちゃったみたい。コメント読んでないんだけど、調子に乗って、ぼくがこれはラノベよりひどいなと思った有名な人気小説を紹介したいと思う。

どれも超人作品なのでぼくの感覚おかしいだけなのは十分わかってはいるのだけど、こう思うひともいるってことで。本気でラノベのほうがマシだと思っている。こういう小説を好んで読んでるくせにラノベ批判してるやつらって頭おかしいんじゃないのって思う。

というか、そもそもフォークナーナボコフ原書で読むような日本に1万人いるかもわからないガチ文学オタクのひとたちがわざわざラノベだけを指定して批判するなんてことがありうるのかってことなんだけど。世界レベルの傑作を読んでしまうと、ラノベも一般層向けの大衆文学も大差ないよねって話になるわけで、ラノベはだめで一般層向けの大衆文学はすばらしいなんて話には絶対にならないと思うんだが。

ラノベはたしかにくだらないが、一般層向けの大衆文学だって同じようにくだらない。一般向けの大衆文学擁護するくせに同じ大衆文学カテゴリーラノベ批判するのは意味がわからない。どっちも同じだよ?

でははじめます

1 湊かなえ告白

ひどすぎて絶句する。プロ小説とは思えない。こんなものが大量に売れる日本は終わってるなと思わせてくれる。ぺらっぺらで何もない。ラノベ1冊読むのに40分かかるぼくが20-30分で読み終わる程度のうすーくかるーいゆるふわ小説

>http://www.amazon.co.jp/dp/457551344X/>

愛美は死にました。しか事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」我が子を校内で亡くした中学校女性教師によるホームルームでの告白から、この物語は始まる。語り手が「級友」「犯人」「犯人家族」と次々と変わり、次第に事件全体像が浮き彫りにされていく。

<<

2 重松清流星ワゴン

重松清って有名だからどんなもんじゃいと思って読んでみたが、ほんとにしょうもない。こういうくだらないの読んでなにかいもの読んだ気になっちゃうのはどうなんだろうな。まあ小中学生までかな。ラノベのほうがまし。

>http://www.amazon.co.jp/dp/406274998X/>

死んじゃってもいいかなあ、もう…。38歳・秋。その夜、僕は、5年前に交通事故死した父子の乗る不思議ワゴンに拾われた。そして―自分と同い歳の父親に出逢った。時空を超えてワゴンがめぐる、人生の岐路になった場所への旅。やり直しは、叶えられるのか―?「本の雑誌」年間ベスト1に輝いた傑作。

<<

3 村山由佳天使の卵

アホか! と叫んでしまう。「みずみずしい感性」ってこんなものかよ。エンタメのだめさが如実に表れている。こういうのを読んでいい話だと思っちゃうひとはあぶないのでは。『半分の月がのぼる空』でも読んだほうがまし。

>http://www.amazon.co.jp/dp/4087484920/>

そのひとの横顔はあまりにも清洌で、凛としたたたずまいに満ちていた。19歳の予備校生の“僕”は、8歳年上の精神科医にひと目惚れ。高校時代ガールフレンド夏姫に後ろめたい気持はあったが、“僕”の心はもう誰にも止められない―。第6回「小説すばる新人賞受賞作品。みずみずしい感性で描かれた純愛小説として選考委員も絶賛した大型新人デビュー作。

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4 薬丸岳天使ナイフ

評価が高かったから読んでみたが、ほんとにしょうもない少年漫画か! と言いたくなる、糞みたいな人間関係ストーリー展開。主人公はさっさと死ねと思った。例外中の例外神様のメモ帳』のほうがまし。

>http://www.amazon.co.jp/dp/4062761386/>

生後五ヵ月の娘の目の前で妻は殺された。だが、犯行に及んだ三人は、十三歳の少年だったため、罪に問われることはなかった。四年後、犯人の一人が殺され、檜山貴志疑惑の人となる。「殺してやりたかった。でも俺は殺していない」。裁かれなかった真実必死に向き合う男を描いた、第51回江戸川乱歩賞受賞作。

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5 J.K.ローリングハリー・ポッターと賢者の石

日本語訳がひどすぎるという話は知ってる。それにしてもひどすぎる。ファンタジー大好きなぼくでも全然内容が頭に入ってこなかった。かといって原書読もうとも思えない内容だった。要するに俺TUEEE小説。これだったら「さすおに」こと『魔法科高校の劣等生』読んだほうがよい。

>http://www.amazon.co.jp/dp/4915512371/>

ハリー・ポッター孤児。意地悪な従兄にいじめられながら11歳の誕生日を迎えようとしたときホグワーツ魔法学校から入学許可証が届き、自分魔法使いだと知る。キングズクロス駅、9と3/4番線から紅色汽車に乗り、ハリーは未知の世界へ。親友のロン、ハーマイオニーに助けられ、ハリーの両親を殺した邪悪魔法使いヴォルデモートとの運命の対決までの、息を飲む展開。9歳から108歳までのファンタジー

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6 カーレド・ホッセイニ君のためなら千回でも

ハヤカワepi文庫積極的に集めているのだけど、そのなかでもしょうもなかった作品がこれ。まずタイトルがアホ。原題はこんなんじゃないのだが、日本人向けあほタイトルにしたらしい。もうね、日本人はなめられてるよ。内容はほんとにくだらない。アホかって千回叫んでしまう。

>http://www.amazon.co.jp/dp/4151200436/>

君のためなら千回でも!」召使いの息子ハッサンはわたしにこう叫び、落ちてゆく凧を追った。同じ乳母の乳を飲み、一緒に育ったハッサン。知恵と勇気にあふれ、頼りになる最良の友。しかし十二歳の冬の凧合戦の日、臆病者のわたしはハッサン裏切り、友の人生破壊した。取り返しのつかない仕打ちだった。だが二十六年を経て、一本の電話がわたしを償いの旅へと導く―全世界八〇〇万人が涙した、衝撃のデビュー長篇。

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7 ジャック・ケッチャム『隣の家の少女

やたらとネットで絶賛されてるので読んでみたが、ほんとにしょうもなかった。構成は下手だし、描写もなんだかなあ。もっとヘビーでまともな文学はいくらでもあるよ。ケッチャムは有名になりすぎちゃったね。一部のカルト的人気でおさまっていればよかったのに。萌えラノベのほうがましなのは言うまでもない。

>http://www.amazon.co.jp/dp/459402534X/>

1958年の夏。当時、12歳のわたし(デイヴィッド)は、隣の家に引っ越して来た美しい少女メグと出会い、一瞬にして、心を奪われる。メグと妹のスーザンは両親を交通事故で亡くし、隣のルースチャンドラーに引き取られて来たのだった。隣家の少女に心躍らせるわたしはある日、ルース姉妹折檻している場面に出会いショックを受けるが、ただ傍観しているだけだった。ルース虐待は日に日にひどくなり、やがてメグは地下室に監禁されさら残酷暴行を―。キングが絶賛する伝説の名作。

<<

8 トニ・モリスン『ビラヴド』

言わずと知れたノーベル賞作家なのだが、まあつまらないものはつまらない。でも海外サイトおすすめ文学みたいなリストにはよく入ってる。ちょっとよくわからない。これだったらフォークナー読んでたほうがずっといい。モリスンは調子に乗りすぎ。ラノベのほうが読みやすいしおもしろい。

>http://www.amazon.co.jp/dp/4151200576/>

奴隷のセサとその娘は幽霊屋敷暮らしていた。長年怒れる霊に蹂躙されてきたが、セサはそれが彼女の死んだ赤ん坊復讐と信じ耐え続けた。やがて、旧知の仲間が幽霊を追い払い、屋敷平穏が訪れるかに思えた。しかし、謎の若い女「ビラヴド」の到来が、再び母娘を狂気の日々に追い込む。死んだ赤ん坊の墓碑銘と同じ名のこの女は、一体何者なのか?ノーベル賞受賞の契機となった著者の代表作。ピュリッツァー賞受賞。

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9 カズオ・イシグロわたしを離さないで

しょうもなさすぎる。イシグロはブッカー賞作家なのだが、ブッカー賞作家でいえばクッツェーの足元にも及ばないと思う。ぼくは世界的な作家ではモリスンとイシグロが大嫌い。ラノベ読んでたほうがまし。

>http://www.amazon.co.jp/dp/4151200517/>

優秀な介護キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャム親友トミールース提供者だった。キャシー施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度…。彼女の回想はヘールシャム残酷真実を明かしていく―全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。

<<

10 志賀直哉暗夜行路

純文学だが、とにかくつまらない。これ以上つまらない小説存在しないのではないかというくらいにつまらない。文体うつくしいというが、個人的にはそこまでいうほどかなと思う。なんか置きにいってキレイに整えているだけで、文章おもしろさを感じないんだよな。純文学にもラノベ以下のがあったんですねえ。

>http://www.amazon.co.jp/dp/4101030073/>

祖父と母との過失の結果、この世に生を享けた謙作は、母の死後、突然目の前にあらわれた祖父に引きとられて成長する。鬱々とした心をもてあまして日を過す謙作は、京都の娘直子を恋し、やがて結婚するが、直子は謙作の留守中にいとこと過ちを犯す。苛酷な運命に直面し、時には自暴自棄に押し流されそうになりながらも、強い意志力で幸福をとらえようとする謙作の姿を描く。

<<

 

 

と、いろいろ中身のない愚痴を言ってみたけど、これらはどれも超人小説なのであり、世間評価されてるわけで、グダグダ言ってるぼくがおかしいのは間違いない。つまり、逆に言えば、自分が平均的な人間だと思うなら、ここで挙げた小説を読んでみたら楽しめるかもしれないってことだ(『ビラヴド』『暗夜行路』以外は)。ただ、ぼくみたいな人間も一部にはいるというのはたしかなことで、そういう人間にとっては、これらの人気小説よりもラノベのほうが価値がある。ちなみにぼくはべつにラノベばっかり読んでる人間というわけではない。

ラノベ擁護したいのは、一般層向けのくだらない大衆文学しか読まないような人間ラノベ馬鹿にしていたからだ(前も書いたのだけど、かれらはカントヴェーバーアドルノなど文学部で絶対に読むような本すら読んでない。そんな無教養人間が多い)。きみの読んでる小説ラノベと大差ないのだがねといいたいのだけど、いちいち突っ込みいれてたらなんかけんかになるしいえない。というわけでここで書いたわけ。

いや、ほんとにラノベとその辺の大衆文学に差はないよ。基本的にどっちもくだらないのが多い。そしてラノベにも見るべきものはあるってこと。そんなシンプルな話なんだが、なんで議論になるのか。ひとによってはぼくみたいに、ラノベノーベル賞作家作品ですらあるわけ。ラノベからくだらないってのはおかしな話だわな。

ラノベを見下したいやつらってなんなんだろうね。上でも書いたけど、文学オタクラノベを見下すってほとんどありえないことだよ。だってまず最初から相手にしてないんだからラノベを見下しているのは大衆文学のファンなんだよね。ラノベ大衆文学の一部なのに。読み捨てのエンタメ同士仲良くしろよって思う。

 

 

言っておくけど、べつに釣りではないよ。いつも思ってることを書いてみただけ。

2014-07-06

教養って何だろう - 自由になれる?

教養って何だろう
http://anond.hatelabo.jp/20140704205502

インターネット暇人ものおかげで教養の様々な側面を覗けた。大変参考になった一方で、当然いくつか疑問が湧いてくる。以下はその疑問について。(なお、私は小説思想書も哲学書もまったく読まない)

教養があると自由になれる】

gingger4 教養とは、運命として与えられた生まれ育ちから自身解放すること (参考)家庭環境読書の習慣のこと/図書館となら、できること http://bit.ly/KWHFw2

showgotch 皆俺流教養論を語るんだけれど微妙にずれててワロタ。歴史的教養は自由になるための学問なんだけど同時に貴族学問でもあったためオペラ歌舞伎を楽しむ素地として連帯の道具でもあったわけだ。ハイパーメリト

seachikin 狭い世界に生きてると視野が狭くなるからせめていろんな情報を集めて他にもいろんな世界があるということを知るってことが教養だと思ってる。んで私は本は読むけど教養はあんまりない。

tyshu 全然読書をしなかった自分が、思い立って1年に100冊読書するってのをやってみたことがあったけど、知識と知識がリンクする様な、世界の広がりを感じたのが印象深かったなと。読書はその時だけで今は…

sardine11 ナボコフ流に言うなら良き読者とは芸術気質科学気質が結合した人。つまり客観的世界に対する主観的認識多様化させ心を打ち震わせる経験をする、それが読書そして教養意味。娯楽と知識の境目に教養がある

a22222111544 この世界で起きていることの大部分を「ひとまずは」愛と理性で把握するために必要古典的知識の体系と、あとはそこにアクセスするための言語能力だと思います本来的な意味での教養を持っている人はごく少数。

kybernetes この世界の様々な側面の見取り図を作れ。その目でこの世界を見よ。

bell_chime_ring238 教養は世の中で起きることを解釈する下地かな。本当にすごい人は、何気ない話題でも全然違う次元で考えてるし、こちらも自分の知らない世界に行けてしまう。体感できれば、教養人格を作るって理解できるよ

p_shirokuma 己の世界観娑婆観の構成素子のなかで、事後的に確認できるもの総体が、しばしば教養と言われているような気がする。

magurohonsha 世界を見るための偏光器だよ。

kirakking つまらない世界自死しないための保険じゃないの。冗談です。

exterminator 必ずしも読書量ではない。世界を体系化して見るため/自分を少しでも自由にするためのもの環境とか文化資産()どうこうより上より下を見て人の足引っ張るような人が多いとこにいると身に付けるのが難しくなる。


なるほど、教養があると自由を獲得できるのか。通時的にも(リベラルアーツ云々)共時的にももっともらしい主張だ。私もそのような側面があるとは思う。ただし、これにも疑問が残る。

疑問を述べる前に、自由とは何だろう。ここでは、他のものから拘束・支配を受けずに自分自身意志に従って行為できる状態、としておく。そして、自由には経済的自由精神的自由の2つがある、ということにしておく。

経済的自由については、いくつかの専門分野について十分に学習すれば達成できそうではある。逆に、小説/思想書/哲学書を読んだり芸術を鑑賞したりを自分なりに咀嚼しながらいくら深く広くたくさん行ったところで達成できそうになさそうである(それだけ文学/思想/哲学/芸術精通していれば少なくとも批評家などにはなれそうではあるが、彼らの年収の最頻値を知らないので、それが経済的自由を獲得できる程度のものなのかについては保留する)。

精神的自由については、小説/思想書/哲学書を読んだり芸術を鑑賞したりを自分なりに咀嚼しながら深く広くたくさん行っていれば獲得できるのであろうか。いくつかの専門分野について学習をしていくだけでは達成できないものなのだろうか。学習する専門分野を十分に増やしていっても、あるいは専門分野ごとの理解を十分に深めていっても達成できないものなのだろうか?

また、経済的自由なくして精神的自由はありうるのだろうか?フレデリックダグラスは生涯奴隷のままで精神的自由を獲得できたであろうか?

フレデリックダグラスについて
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-377.html

【締め】

まぁ、お前らの思うところを書いてけや。

なお、他の疑問については分割する。インターネット暇人どもは長いエントリーを読むのに苦痛を覚えるからな。開発をやる人間の口を借りれば、きっと、このエントリーに限らずそもそも増田なんかにはユーザーが何分も滞在する価値なんてねー、と宣うに違いない。まったくである

2014-04-21

円城塔もっと楽しむためのノンフィクションはこれだ!

SFもっと楽しむための科学ノンフィクションはこれだ! http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20140417/1397744529 を受けて10冊選んでみました。

「『現実とはなにか』という認識が変わっていく」ような本はありません。

言語

ヨーロッパにおける完全言語を求める歴史を扱った『完全言語の探求』と多くのプログラミング言語設計者へのインタビューをまとめた『言語設計者たちが考えること』は、あまり読者が重なっていない気がしますが、円城塔きっかけにして両方読んでみるのもいいのではないでしょうか。

つぎの著者につづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)の冒頭で語られるエピソードが『完全言語の探求』から引いたものであることは単行本収録時に追加された注で明示されていますし、「道化師の蝶」に出てくる無活用ラテン語についても『探求』で触れられています

一方『言語設計者たちが考えること』については、読書メーターで「小説を書く人も読むと良い」(2010年12月10日)とコメントしていて、『本の雑誌』の連載でも取り上げています(2011年11月言葉を作る人たち」)。また『本の雑誌』の連載では『言語設計者たち』以外にも時々プログラミング言語言語処理についての本が取り上げられています

最近連載のはじまった「プロローグ」(『文學界掲載)も今のところ、より望ましい文字の扱いや処理についての話をしているので、いささか強引な解釈ですが『完全言語の探求』『言語設計者たちが考えること』と繋がっている小説です。

翻訳

ロシア語作家として出発しアメリカ亡命後に英語作家に転身したナボコフは、自分自身の書いた文章を別の言語翻訳する「自己翻訳」を相当数おこなっていますが、それを主題とした評論書です。

円城塔本人も語っていますが、「道化師の蝶」ではナボコフモチーフとして使われています。友幸友幸が「希代の多言語作家であることもナボコフへの参照のひとつでしょう(若島正は『乱視読者の新冒険』のなかでナボコフを「稀代の多言語作家」と形容しています)。その希代の多言語作家の「わたし」とそれを翻訳する「わたし」が重なるようで重ならない「道化師の蝶」の筋立てにも、同じ作品について作者と翻訳者の両方の役割を演じたナボコフの影が見出せます。また「道化師の蝶」の姉妹編といえる「松ノ枝の記」での、相互翻訳相互創作する2人の作家という設定も「自己翻訳」の変奏と見ることができるでしょう。こうした創作翻訳交錯する2編を再読する上でも、この評論書が良い補助線になるのでは。

読書メーターコメントは「素晴らしい」(2011年4月28日)。

数学 全般

最初期に書かれた『Self-Reference ENGINE』や「オブ・ザ・ベースボール」「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」(『虚構機関』収録)などに顕著ですが、円城塔小説には、掌編の積み重ね(積み重ならず?)によって全体の物語が作られるという構造がよく現れます。これは辞典を順番に読んでいく感覚ちょっと似ているかもしれません。『数学入門辞典』を読んでいると、たとえあまり数学に詳しくなくても、円城塔小説に対してしばしば言われる「よく分からないけど面白い」という感覚を味わえると思います。ただし、円城塔小説に出てくる数学用語がこの辞書に出てくるなどと期待してはいけません。

一家に一冊」だそうです。 https://twitter.com/rikoushonotana/status/402707462370758656/photo/1

数学 数学者

円城塔小説には数学者やそれに準ずる人が多く登場しますが、『史談』は数学者を語った本として真っ先に名前のあがる定番の名著です。著者は類体論確立したことあるいは解析概論の著者として知られる高木貞治。かの谷山豊はこの本を読んで数学者を志したそうです。

数学部分については河田敬義『ガウスの楕円関数高木貞治先生著"近世数学史談"より』という講義録があるくらいには難しいので適当飛ばしましょう。

考える人2009年夏号 特集日本科学者100人100冊」で円城塔が選んでいたのが高木貞治とこの本でした。

数学 モンスタームーンシャイン

ムーンシャイン現象は、『超弦領域』収録の「ムーンシャイン」の題材で、他に「ガーベジコレクション」(『後藤さんのこと』収録)にも単語だけですがモンスター群とコンウェイが出てきます(コンウェイは「烏有此譚」の注にも言及あり)。作品内に数学的ホラ話といった雰囲気がしばしばあらわれる円城塔にとって「怪物的戯言(モンスタラスムーンシャイン)」はいかにもな題材かもしれません。

ムーンシャインを扱った一般向けの本というとたぶん最初に『シンメトリーモンスター』が挙がるのですが翻訳が読みにくいし『シンメトリー地図帳』にはあまり説明がなかった気がするので、この『群論』を挙げます

数学の専門書ですが、第4章「有限単純群の分類/Monsterとmoonshine」は読み物風の書き方になっています。ただし詳しい説明なしでどんどん話が進んでいくところも多く、きちんと理解するのは無理です(無理でした)。

第4章を書いている原田耕一郎はモンスター群の誕生にも関わりが深い人で、多くの文章モンスタームーンシャインについて触れているので、雑誌などを探せば難度的にもっと易しい文章が見つかるかもしれません。

数学 確率

円城塔小説には「オブ・ザ・ベースボール」のように確率についての言及もよく見られます。『数学セミナー』『数学のたのしみ』『科学』等で高橋陽一郎が書いた確率論についての諸入門解説記事、は探すのが面倒だと思われるので、もっと入手しやすいこの本を。

確率微分方程式で有名な伊藤清エッセイ集です。「確率」より「数学者」の項に置くのがふさわしい本ですが確率の本として挙げます

読書メーターコメントは「素晴らしい」(2010年10月24日)。

数学 力学系

やはり専門が力学系ということもあり、力学系関連もしばしば登場します。

本のタイトルを見て「力学系力学は違う」と指摘されそうですが、副題は「カオスと安定性をめぐる人物史」。力学系歴史に関する本です。実のところどんな内容だったか覚えていないのですが、「いわゆるこの方程式に関するそれらの性質について」(単行本未収録)で引用文献に挙がっているか大丈夫でしょう。

数学 ロジック

Nova 1』収録の「Beaver Weaver」をはじめ、ロジック(数学基礎論)関連も円城塔小説に頻出する素材です。

とりわけ計算可能性、ランダム性、busy beaver、コルモゴロフ複雑性……とあげてみると、まずはチャイティンの諸作が思い浮かびますが、あれはむやみに勧めていいタイプの本なのかちょっと疑問なので避けます読書メーターでは、最近出た『ダーウィン数学証明する』に対して「 チャイティンチャイティンによるチャイティンのためのいつものチャイティン」(2014年3月20日)とコメントしています

これという本が思い浮かばなかったので、いくらかためらいながらもこの本を挙げました。『メタマジックゲーム』か、あるいはヒネリも何もなく『ゲーデルエッシャーバッハ』でよかったのかもしれません。ただ『ゲーデルエッシャーバッハ』だけを読んでもほぼまちがいなく不完全性定理理解できないということはもっと周知されるべきじゃないかと思います

円城塔はこの本について「すごかった。(但し、かなりハード。)」(2011年3月27日)とコメントし、『本の雑誌』でも取り上げています(2012年10月ゲーデルさんごめんなさい」)。

初心者向きの本ではありませんが、不完全性定理について一席ぶつ前に読んでおくといいでしょう。


天体力学パイオニアたち』が上下巻なので、以上で10冊になります

別にノンフィクションを読まなくてもフィクションを楽しむことはできますが、ノンフィクションを読むことによって得られるフィクションの楽しみというのもまた楽しいんじゃないでしょうか。

追記: 小谷元子編『数学者が読んでいる本ってどんな本』に寄稿している13人のうちのひとりが円城塔なので、そちらも参照してみるとよいと思いますリストに挙げられている約50冊の本のうち半分くらいがノンフィクションです。上に挙げた本とかぶっていたのは『数学入門辞典』『天体力学パイオニアたち』『ゲーデル定理 利用と誤用の不完全ガイド』でした。また、はてブコメント言及のあったイエイツ『記憶術』もリストに入ってました。

2014-01-28

フェルミ推定面接についてそろそろ一言いっておく 1/29 23:29追記

黙っていようと思っていたが、フェルミ推定面接がまたもや話題になっているので、言及してみようと思う。

私の知る限り、この面接手法最初に広く世の中に紹介したのはウィリアムパウンドストーン書籍

ビル・ゲイツ面接試験』(2003)においてであり、マイクロソフト社の所在地になぞらえて

レドモンド面接と呼ばれていた。富士山をどうやって動かしますか、というやつだ。

当時既に、この手法に対して神経学者や教育学から懐疑の声があがっていたことにパウンドストーン

触れており、著者自身、手法のものにたいして中立の立場に立って紹介していたと記憶している。

この試験はその目新しさから多くの企業マイクロソフト躍進の秘密解釈され模倣されたのだが、

たまたまShallice & Evans の論文"The Involvement of the Frontal Lobes in Cognitive Estimation"(1978)を

読んでいた私が(ちなみに、論文存在アントニオ・ダマシオの書籍内での引用で知った)この面接を知って最初に考えたのは、

「なぜマイクロソフト面接者の前頭葉機能障害なんかを調べているのだろう」

というものだった。

上記論文で行われている実験は、被験者が知らないであろう数値を推測させる単純なものだ。

例えば、「男性の脊椎の長さは平均どれくらいですか」「オランダラクダは何頭いますか」等。

そして、前頭葉機能障害を持つ被験者は、異常な推測値を挙げる傾向にあることが示された。

前頭葉機能障害と聞いて、ピンとくる人もいるかもしれない。

アスペルガー症候群高機能自閉症、PDD)は、まさに先天的前頭葉機能障害により発症するものと考えられており、

また、優れたプログラマにはこの症候群者が多くみられることから俗にシリコンバレー症候群とも呼ばれている。

そこで、問題だ。どうやってアスペルガー症候群プログラマを見つけ出せばよいのだろうか?

面接者に精神科受診と診断書提出を求めるわけにはいかないだろうし、面接中に2時間近くかかる検査

行うわけにもいくまい(ちなみに、私自精神科アスペルガー検査を受けたことがあり、「PDDが強く

疑われる」という検査結果が出た。さら鬱病で、目下生活保護受給中の身である)。

しかし、逆に考えてみたらどうだろう。そもそもマイクロソフト面接にまで進める資質を持っているほど

優れたプログラマならば、すでにアスペルガー症候群である可能性が高い、と。

それならば、行う検査は最小限のものでよい。実際、フェルミ推定だけで面接合格者を決めるわけではないのだ。

さまざまな(より専門的な)質問のなかにさりげなく、「ニューヨークピアノ調律師は何人いますか」という

ような質問を挟む。上記論文内で紹介されている質問の多変数版だ。注意すべきは、フェルミ推定においては

正解が存在しないことだ。推測で変数を適当に選び計算するだけなので、実際の調律師の数に近いほど優秀な

推測だということにはならない。それは単なるまぐれ当たりだ。ちなみに、大勢人間フェルミ推定をさせて、

その平均値を取ると実際の数に近くなる。これを集合知という。フェルミ推定積極的な使い方を探すなら、

このような方向性になるだろう。選んだ変数の妥当性をみて思考力を測るのだという意見もあるが、残念ながら

その主張を支える実験結果は出ていない。それゆえ神経学者や教育学から懐疑の声が挙るのである

だが、実際には全く逆の発想でフェルミ推定クイズが課されていたとしたら、どうだろう。

まり、異常値検出のための質問だ。

おそらくこの面接を考えだした人はプログラマなので、プログラミング用語で例えてみよう。

フェルミ推定試験という関数は、戻り値としてブール値を要求し、Falseの場合のみテストを通過する。

それだけだ。筋道たった思考、適切な変数の選択、素早い計算、そんなものをこのテスト面接官は見ていない。

面接者はどんな質問にも答えてやろうと意気盛んな、高学歴で専門知識豊富な人物である

そんな人物が、より複雑なホワイトボード上でのコーディング試験で困難なスケーリングの問題を解決する

アルゴリズムを制限時間内に書き上げられるような人物が、よりによって簡単ないくつかの変数の推測問題において

すました顔で異常値を出したら。

これは、医学的な診断を下すには不十分であっても、マイクロソフト社の面接官にとっては十分な

アスペルガー症候群サイン」なのではないか。

こう考えると、なぜマイクロソフト社がフェルミ推定面接を行う理由に関して口を濁すのかも理解できる。

障碍者逆差別プログラマという職業への偏見助長、さまざまな倫理的問題が噴出しかねない地雷原が

広がっているのだ。勝手に世間想像させておくに越したことはない。そうだろ?

いや、それが違うのだ。

レドモンド面接就職面接での流行となり、多数の模倣者を生み出した。Google社はその筆頭だ。

昨年、Google社はこの手のクイズ面接(原文では"brainteasers")には効果がないことがビッグデータでの

検証により判明したので今後は行わないと発表して話題になった。

うん、実に面白いビッグデータ検証したって? 統計的検証を行うためにはまず仮説が必要なわけだが、

どんな仮説をもとに「Google社員面接応答とその後の実績」という「ビッグ」データ分析したのだろう。

つのケースを考えてみよう。その一、フェルミ推定面接で人物の思考力の優秀さが測れるという仮説が

ビッグデータにより棄却された。まあ、妥当な結論だ。そもそもフェルミ推定をさせてもそんなものは測れない

のだから、なんの相関もないという結論にたどり着くに決まっている。

その二、Google社はマイクロソフト社が同種のテストをする真意について、上記のような理由によると推測した。

この場合、仮説も検証もない。いかに地雷から撤退するかが問題だ。Evilだと思われるよりバカだと思われる方が

マシだろうし、適当にビッグデータとか言っておけば他の模倣者連中も納得するだろう。

どちらにしても、フェルミ推定面接の正しい運用は出来ていなかったわけで、無駄だったことには変わりがない。

しかし、この面接手法が大流行してしまったことは問題だ。

日本では、たしか2007年から地頭力」という言葉とともに流行ったと記憶しているが、異常値検出に

使わないのであれば、フェルミ推定面接は多少お上品な圧迫面接としてしか機能しない。

それだけならば問題は小さいが、この手法の「仕様」を理解せずに行われる面接ではアスペルガー症候群者が

常識の無い人」として切り捨てられる可能性が高い。知らず知らずのうちに障碍者排除に加担することに

なるのだ。

そろそろまとめに入る。

フェルミ推定面接は、異常値検出のための手法として用い、アスペルガー症候群の可能性が高い候補者を選びだす

という目的で使わない限り、その効果理論的根拠はない。

そして、この目的で使う場合アスペルガー症候群であることが有利であると報告されている類の職種でなければ

意味がなく、また、この手法を使う以前にある程度の候補者スクリーニングができていなければ、圧迫面接

亜種としてしか機能しない。さらに、たとえアスペルガー症候群者が高いパフォーマンスを示す傾向のある職種

だとしても、アスペルガー症候群者の方がそうでない候補者より優れているとは限らないし、単に常識に欠ける人を

誤検知してしまう可能性も残る。

また、この手法の濫用が無自覚アスペルガー症候群者を就職市場から排除する圧力として働きかねないという

問題がある(いや、別に私が現在無職なのは世の中が悪いと言っているわけではない。そもそもフェルミ推定面接

を課されたことがないので)。

というわけで、現在就活中の皆さんにアドバイスしよう。もしも面接中にフェルミ推定クイズを出されたら、

上記の内容を簡潔に説明したうえで、逆に質問してみよう。

御社では高機能自閉症を職務上重要な資質だとお考えですか」

障碍者枠での雇用を広げた方が御社にとってメリットが大きいのでは?」

などなど。

なお、このような質問をして不採用通知を受け取っても、当方では責任を取りかねますので、あしからず


P.S. 推敲大事。いや、残しておくけどさ<戻り値


追記

一日で400ブクマ超えてて驚いた。

なんかいろいろと申し訳ないので、少し反応してみる。

はてな記法がちゃんと反映されてるか心配

id:fb001870

>>市井にも知識人はいると感じさせられる例 大学教授とかかもしれんけど<<

いえいえ、ただの30過ぎの高卒ニートです。一応短大には行ったんですけど、中退しました。

失業してからそろそろ二年、早くなんとかしたいところです。

id:houyhnhm

>>陰謀論楽しいです。<<

すてきなお名前ですね。楽しんでいただけて嬉しいです。

他の人が思いつかなさそうな突飛なアイデアが湧いてくる瞬間が気持ちよく、

今回はそれを多くの人と共有してみたくてエントリを書き上げました。

はてなブックマークはほぼ毎日見ていますが、ログインするのは数年ぶり、

増田利用は初めてです。去年のGoogle社の発表の頃は、鬱が酷くて文章を

書ける精神状態ではありませんでしたが、今回また話題にのぼったので書いてみました。

id:sippo_des

>>おもしろーい。はやく病が消えますよう。<<

ありがとうございます鬱病で怖いのは、自殺願望自体は持っていないにも関わらず、

論理的に考えると自分死ぬべきという思考の袋小路に突き当たってしまい、自分の理性を

信頼できなくなることです。

去年から飲み始めた薬のおかげで、いまは快方に向かっているようです。

id:Dy66

>>面白かった。採用担当に対する攻撃方法まで書いてあって素晴らしい。<<


いやいや、採用担当も大変な業務なので、どうか労ってあげてください。

人間、出会ってしまった相手とは結婚から殺人まで、何でも起こりますから、物腰は柔らかに。

仮に、アスペルガー症候群プログラマ能力相関性が囁かれた頃にマイクロソフト社が

実験的に本エントリのような意図テストを行っていたとしても、有名になりすぎてしまったので

すぐにアイスブレイカーとしてしか機能しなくなったでしょうね。ですから面接でも

それくらいのつもりで望めばよいのではないでしょうか。

id:ooblog

>>実際にはフェルミ推定そっちのけで・・・<<

日本ではフェルミ推定問題ばかりにスポットライトが当たっていますが、

アメリカでのいわゆる"brainteasers"面接では厳密な思考が要求される

論理パズルの類が出題されることのほうが一般的なようです。

論理パズル専門のクラスが開講されている大学もあるようです。

オーム社から出ている「プログラマのための論理パズル」で実例が見られます

私はプログラマではありませんが、趣味読書ですので本なら何でも読みます

SICPCTMCPから始まって、今は横内寛文さんの「プログラム意味論」を読んでいます

ところで、なぜ「趣味読書」というと、文学ばかり想起されてしまうのでしょうね。

私はナボコフジョイス海外文学も好みますが、セシルやハリソンも同じくらい

興味深く読みますし、OEDや円周率百万桁表(暗黒通信団通読にも挑戦したいです。

id:kanan5100

>>元論文見たけど・・・<<

論文の内容にちゃんと言及する人が現れるまでに400ブクマもかかるとは、

はてな村英語力ならびにメディアリテラシー心配です(村人ほとんど来てないけど)。

ちなみに、さらに言うと元論文では被験者後天的な外傷による前頭葉機能不全の

ケースですので、これと先天的であるアスペルガー症候群を結びつけるのは、

なおさら暴論です(無関係だという立証は、別途必要でしょうけれど)。逆に言えば、

フェルミ推定面接有効性に理論的根拠を与えるのはそれだけ困難だということで、

オカルトに付き合わされる就活中の皆さんに同情します。

現場フェルミ推定を使う」派の人には、フェルミ推定専門家としての推定の区別

きちんとついているのかどうか、胸に手を当ててよく考えてみてほしいものです。

ついでに言うと、ダマシオの書籍とは"Descartes' Error"です。なかなか面白いですよ。

西尾泰和さん

id:nishiohirokazu

http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20140129/1390932575:titile=フェルミ推定アスペルガー症候群の関連を主張する人がいるがかなり酷い]

つい先日、ご著書を拝読したところです。

もし第二版を出す機会がありましたら、メモリ管理手法の変遷についても一章を割いていただけると、

ハードウェア方面への橋渡しにもなり、新人プログラマにとってより興味深くなるのではと思いました。

>>まず、ここが嘘<<

はい、おっしゃる通り、確かに現在でも因子は確定されていません。

ものが"The most complex structure in the universe"なだけに、

どの部位がどのように発症のメカニズム寄与しているのか、解明されるのは

しばらく先のことでしょう。

エントリの文章は、10年前にレドモンド面接を知ったときに二分ほどで

こしらえた仮説とGoogleの去年の発表に対する感想をそのまま書いただけですので、

前頭葉(あるいは前頭前野)の機能不全がすべて」と主張する意図はありませんでした。

「まさに」という部分を「一説によると」くらいにトーンダウンさせるべきでしたね。

「異常な推測値」に関して言えば、被験者が知らないと予想される数値ということなので、

論文内の「後天的機能障害を負ったグループ」はともかく、アスペルガー症候群場合

専門分野での推測能力にまで欠陥が及んでいるとは、自分の経験から照らしても考えがたいところです。

そもそも、推測能力一般について欠陥を抱えているという状態はアスペルガー症候群どころではない

重篤状態かと思います。そのように読み取られてしまう余地を作った自分文章力不足を改善して

いきたいところですが、つい断定的な言葉遣いを使ってしまう過ちは誰にも少なからずあるものかと思います

例えば、西尾さんのブログの追記の段落で、突然人称代名詞として「彼」と使われていますが、

エントリには私の性別を明示するような言辞は含まれていません。アスペルガー症候群

男女比において男性の方が症例が多い傾向が報告されていますが、それだけで私が男性だと

断定してしまうのは、アスペルガー症候群に関わる脳の部位について、前頭葉コインを全部

賭けるようなものではないでしょうか。人間には他の性別もありますよ。例えば、ええと、ほら、女性とか。

もっとも、Forensic Linguisticsの専門家ならば、文章から人種、性別、年齢、学歴

体格、病歴、居住エリア等を正しく推測できるのでしょうが西尾さんは違いますよね?


その他・・・

セルクマしたら一発でMidasさん辺りにアカウントばれしそうだったので、あえてしませんでした。

今後もはてなログアウト状態のROM専で楽しんでいこうと思います

デジタルアナログわず住所氏名年齢生年月日IDパスワード以外の文字列アウトプットするのは

何年かぶりですが、これも鬱が快方に向かっているサインと思って、また何か書ければいいなとは思います

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130901102804

http://anond.hatelabo.jp/20130830202223最初トラバ先)

http://anond.hatelabo.jp/20130831142238自分の記事)

元増田の人が2nd Seasonを書いてくれたので、こういった若い人たちに役立ちそうな知識をさらに追記してみたい。

(実は若くなかったら申し訳ない)

念のために書いておくけれど、僕は最近ラノベ専門学校の実態は知らないし、体験入学に行ってみて入らないというのは、優れた判断だと思う。

実際に教師の質をどう担保しているのか不透明だし、やはり意識の低い学生も多い。(自分の時は、おおよそ2割=10人は中退した)

教師は別に仕事を持つ社会人が多く、どちらかというと偏った業界の偏った人格人達で、しかも扱う分野が本来主観的ものであって、生徒への評価も心情的になりやすい。

それに、最近ラノベブームで、雨後のタケノコのように学校が開かれているのかもしれない。

そういったところはやはりノウハウも無いだろうし、授業の質も低いだろう。

(余談だが、僕が通学していた当時は、まさかこれほどラノベ流行するとは正直誰も思っていなかった。ただ、先生は「これからミステリー小説のように定番ジャンル化するだろう」と予言していた。涼宮ハルヒも出ていない頃だ)

から専門学校に通わないというのは、比較的低リスク・低コスト賢明な判断だと言える。

しかしながら、元増田が挙げてくれた問題について、それを断定のまま終わらせてしまうのはもったいない

特に3番目の問題、

でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?

もっと柔らかくて、鵺のように捉えどころがない。そんなものを『教える』ことなんてできるんですか?



は、創作を志す人間が当然抱いて然るべき疑問だ。

元増田が残念なのは、この深い疑問を、専門学校体験入学ときで解決してしまった気分になっていることだ。

僕自身、先生に教わったり罵倒を受けたりしながらも、この疑問に突き当たった。

そして、学校の内側と外側の両方で、この問題について世の中の頭の良い人達がどのように携わってきたか、それなりに気にしてきた。

これから、僕の認識できた範囲での参考資料を挙げようと思う。

おそらく、以下の参考資料を全部精読し、実習を行い、誰か信頼できる人から客観的添削を受け、頭だけではなく全身に技術をしみ込ませることができれば、決して取り戻せない数百万円と数年を賭して専門学校に行く必要など、皆無だろう。

また、下記ばかりでなく、もっと体系的でしっかりした知識が学べる大学なり海外大学なりケンブリッジオックスフォードもあるかもしれない。

そういったものがあると分かったら、単純にそこへ行くべきだ。

「文章作法」について



文芸的な文章を除く基本的なライティングについては、古典的な書籍がたくさんある。

下記2冊は、ここで紹介するのが恥ずかしいくらい基本的な書籍だ。

日本語の作文技術
理科系の作文技術


「文章作法」について、上記以外



さて、上記のような確立した情報伝達技術ではなく、独自の表現をしてみたり、人を感動させる文章を書きたい場合、そういった技術は教える・教わることができるのか?

それを体系的に扱うことは確かに難しい。そもそも人の感情であったり、表現から受け取る印象が非体系的だからだ。

からといって、先人がそれを教育世界で取り扱おうと努力してこなかったわけではない。

どうしても総論ではなく各論になってしまうが、それでも個人的に見て良書は多い。

「文章作法学校教育のように教えられない」結論に至るのは自由だが、下記書籍を全部読んでから至っても決して遅くない。

読みやすものから順に挙げる。

文章表現400字からのレッスン
新作文宣言


「作文」の価値を捉え直した、文章表現入門書。作品でも製品でもなく、純粋な「作文」そのもの価値を再発見している。

文章表現法講義


大学講義をまとめた本。固いタイトルに反して、極めて柔らかい語り口で柔らかい内容を講義してくれている。

だけど、書くことの意味について、「美」について、とても鋭い視点であふれている。

レトリック感覚
レトリック認識
レトリックの記号論


前の文章でちょっとだけ出した。レトリック、つまり、文章で人の心を動かすための体系的知識(!)を取り扱っている名著。

レトリックは長らく馬鹿にされていたらしい(結局、ただの言葉のあやではないか?)が、それを感覚論・認識論記号論観点から再評価した名著。

なぜ直喩隠喩より優れた修辞技法になり得るのか? といったことが詳しく書いてある。

新しい文学のために


大江健三郎による文学論。そもそも小説文芸作品とは何を目指すものなのか? といったことを明確に書いてくれている。

それは同時に、読者としての私たちが誠実な文芸作品の中に何を求めるべきなのか? ということでもある。

文章読本


文章読本は色々あるが、その中でももっと実践的と言われる丸谷才一の本だ。

歴史的仮名遣いで読みにくく感じるかもしれないが、内容そのものは平明だったと思う。

しかし、いまなぜか手許に無いので詳しいことは書けない。「ちょっと気取って書け」くらいしか思い出せない)

小説の諸相


E.M.フォースターによる文学理論Amazonで8000円くらい。僕はカチグミなので古書店1000円で入手できた。

ストーリーはあまり美しい要素ではありません」という衝撃的な宣言が印象に残っている。

ナボコフの文学講義 上
ナボコフの文学講義 下


最近文庫本で読んだ。

小説というものを本来どう味わうべきか? どう書かれるべきか? という熱のこもった講義録だ。

ロリータ」を読む視点が変わる。

まだ見ぬ書き手へ


新装版が出るんだ……。

芥川賞を最年少(23歳)で受賞しながら、文壇に属せず、独りストイック小説を書き続けている作家文学指南書。

テクニックの本ではないが、ここで明らかにされている執筆姿勢には衝撃を受ける。

アウトサイダー(上)
アウトサイダー(下)


ホームレスをしていた25歳のコリン・ウィルソン大英博物館一気呵成に書き上げた文芸評論書。

アウトサイダー」というキーワードのもと、文学美術舞踏哲学などなどを横断的に眺め渡した名著。

本気で読むと人生が狂う。

日本文学史序説〈上〉
日本文学史序説〈下〉


先の記事で書いた。全日本人が読むべき。

なんだかこういう本のことを書けるのが嬉しくて、ついかっとなってリストアップしてしまった。今は反省している

偉そうに書いたけれど、結局は僕も文学界新人賞名前が小さく載ったくらいの実績しかない人間で、そんなには当てにはならないだろう。

しかし、僕自身が当てにならなくても、何が当てになりそうかの感性結構あるつもりだ。

教育における教師とはそういうもので、自分ができなくても人の作品を見て添削できたりはする。

オリンピック選手だってコーチはいるのだ。

失敗している人からだって、むしろ失敗している人だからこそ学べることもある。

そういった人達の行く末をよく見て、やはりラノベなんかやめて、楽しくOSエディタコンパイラでも作ろうと思って欲しいのだ。

2012-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20120612113345

エロマンガを買う男性に恋をした


私は今中学生に通っていて、職場体験の一環で本屋さんではたらいていました。

ほんの5日間だけの体験でしたが、そこで出会った男性に恋をしました。

その人は、私くらいの年齢のキャラクターの登場する、えっち漫画を買っていく人でした。

31歳、32歳ぐらいで、優しそうな人でした。純粋な感じです。あんまり服には関心がなさそうで、

毎日同じ服を着ていました。

同級生男の子のように、大人の女の人には興味なくて、子供派なのかな。あるいは別腹扱いなのかな。

店員が客に関心を持つのはまぁいいことじゃないんですが、やっぱり印象に残りました。

えっち漫画って、やっぱり男の店員さんのレジで買うことが断然多かったのですが、その人はいつも私のレジで買っていきました。

わたしもちょっとはずかしくて困りましたが、授業なので頑張りました。


でも、やっぱ来るとどきどきしました。どうやら好きになったみたいで。もう当たって砕けろってことで、

先日クラス男の子に「おっぱいが小さい」と言われてフラれてしまったこともあって。

メモ紙にメルアド電話番号を書いて、デートしたいです、と一言添えてコミックス入れた袋の中に投げ込んでおきました。

渡した後は、すごくどきどきしました。これ、店長さんとかに叱られるのかな、先生に怒られちゃうのかな。っていうか、

周りからどんなこと言われちゃうのかな。そんな葛藤をしつつ連絡を待ったのだけれど、携帯は鳴りませんでした。

1日が過ぎて。

2日が過ぎて。

泣きそうになっていた3日目に、見慣れないアドレスからメールが来ました。「いいよ。〇時に〇〇のマックで」と、簡易な文。

すごくうれしかったです。でも、絵文字もなかったのでちょっぴり不安になりました。

そして、待ち合わせのマック約束の5分ぐらい前に行ったら、すでに来て本を読んでました。いつもと同じ格好。

本の形状からえっち漫画かなと思ったのだが、まさかエロマンガじゃないよね…と、複雑な気持ちで、話しかけて何読んでるのか

確認したら、ナボコフという人の書いた文学作品でした。うん、さすがにえっち漫画だったら、わたしもリアクションに困ったと思います

そのあと、普通にその辺のゲーム屋さんとかブラブラして昼飯をごちそうしていただいて食べて解散(2時間ぐらい)。

どうやら、がっこうの制服が好きらしく、えっちな本+同じ服+文学作品制服がわたしの中でインプットされました。

そんなわけで、(向こうが用事があるとのことでしたので帰るっていうことで)早々にデートが終わり、わたしは楽しかったんだけれど相手は楽しくなかったのかな…と

軽く凹んでいたら、「またデートしようよ」って電話がありました。メールじゃなくて電話だったから、ちょっと驚いたけど、すごく嬉しかったです。

しかも、「またデートしようよ」「あ、はい」(ガチャ

大雑把というか、淡泊というか、そういう人なのかなとようやく気付く。

しかしたら照れていただけなのかも?

そういえば、あんまり笑顔も見せてくれないです。学校制服の話をしていたときは、こっちがキュンってなるぐらい素敵な笑顔でしたけど。

そんな感じで、デートを重ねてそのまま付き合うことになりました。

付き合う前から分かったのだけれど、向こうは年上でした。30歳。お仕事は、コンサルタント?でした。

えっち漫画は、私みたいな子が好きで読んでいたそうです。

わたしが大きくなったらどうなるのかな、という不安をぶつけましたが「プリンセスメーカーもいいよね」と優しい笑顔を浮かべて抱きしめてくれました。

優しくて、素敵な人です。

そんな感じで、付き合って半年が経ちました。

2012-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20120604222138

場数踏むしかないと思う。小説のが気づきやすいかも。

なんだっけ。『ロリータロリータロリータ』だっけ? 『ロリータ』の読み方解説した本があって、その本の中に『アンナ・カレーニナ』のナボコフによる講義のことが出てくるんだけど。

四時に、リョーヴィンは胸をどきどきさせながら、動物園の前で辻馬車をおり、小道づたいに、手橇すべりの山とスケート場のあるほうへ向かって歩いて行った。彼は車寄せにシチェルバツキー家の馬車を見かけたので、今すぐてっきり彼女に会えるものと思っていた。

それはからりと晴れあがった、凍てのきびしい日だった。車寄せに馬車や、 橇や、辻馬車や、憲兵たちが列をなして並んでいた。 こざっぱりした身なりの人びとが、明るい日の光に帽子きらきらさせながら、入口のところや、棟木に木彫りの飾りをつけたロシア式の小屋あいだの、きれいに掃き清められた小道に群がっていた。雪の重みで、巻毛のような枝をすべてたらしている、庭園白樺の老樹は、まるで新しい荘重な袈裟で飾りたてられたみたいであった。

(中略)

あなたにほめていただくなんて、光栄ですわ。 だって、こちらでは今でも、あなたがすばらしいスケーターでいらしたという評判ですもの」 黒い手袋をはめた、 かわいい手で、マフにおちた霜の針を払いおとしながら、 キチイはいった。

という場面に対して、

この場面についてナボコフは、「トルストイ文体実用的な比喩がふんだんに出てくる一方で、主に読者の芸術感覚に訴える直喩隠喩が奇妙なほどに見当たらないが、この白樺は例外である。 この老樹はやがてキチイのマフの毛皮の上に祝福するような霜の針を落とすことになるだろう」と言っています。ただし、引用で中略とした部分は実際には文庫版で三、四ページほどの、かなり長い間隔があいています。ここを読む読者は、「黒い手袋をはめた、かわいい手で、マフにおちた霜の針を払いおとしながら、キチイはいった」 という箇所にやってきても、そういえば白樺に雪が積もっていたな、なんてことはたぶん忘れているのではないでしょうか。少なくともわたしは忘れていました。ところがナボコフは、じつにいとおしそうな手つきで、その霜の針を拾い上げているのです。

っていう解説がついている。

こういう緻密な想像をするというテがあることを常に意識の片隅に留めとくと、なんぼか違うかもよ。

2011-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20110706180146

生理さえあれば性的に熟している。女は若ければ若いほど生殖に適している」は完全に誤り。

若い頃は無排卵状態(生理はあるけど排卵していないので妊娠できない)が数年続くのがザラ。

中高生のころは生理が安定しない人が多いのはひとえにこのせい。

こういう事実をもとにちゃんと諭してもロリ趣味の男は「紫の上はー」「ナボコフロリータはー」つって非を認めようとしない。

だいたい女だって高校いくし大学もいきたいし就職もしたいのが現代じゃ普通なのに

そこをまるっと無視して「16歳から結婚できるんだから異常ではない」とか言われてもな。

実際16歳で結婚しちゃう女なんて高校も行かずにまともに人生歩んでないDQNばかりでしょ。

2010-12-23

ひとりごとから出来ればトラバとかせずに放っておいてください。

ちょっと嫌なことがあった人間がクダまいてるなと思って放置してください。実際相手にする価値のないバカ発言ですし。

大人が空気読まなくてもいいけど(アウェイ側への適応努力をしない)子供にだけ空気嫁っていうのはバカだとおもう。

あとね、子供の頃の自分は貧しかった、今の子どもは贅沢だって言いたいなら文句は自分の親にいいなよ。

なんで自分子どもに言えないのかって?それは自分が親に頭上がらないだけなんだよね。

その不甲斐なさから目を逸らすために子供相手に偉そうな態度とって満足得てる人間こそロリコンと呼ぶべきだと思うのよ。

コンプレックスロリに対して発散してるわけだから

普通ロリコンは、欲情してるけど空想内で消費するとか言って現実には発動してないだろ。発動したやつだけをロリコンと呼ぶべしよ。

あ、ナボコフ読めとか言ってる人いるけど読んでるから余計なお世話ね。

ただ、逆に子供だってバブル時代にゆとりのある生活できたくせに、大人だけがバブル恩恵受けて好き勝手やってたみたいにいうのも気持ち悪い。

子どもから見た大人批判って大人の真似だから新鮮味がなくて、あんまり広がっていかない。「これだからかいもんは」の溝を越えられない。

結局のところこういうこといってるやつって過去にこだわり過ぎだよね。

しか自分に都合の悪いところは無視して都合の良いところだけ見る。

歴史はそこから学ぶものであって、利用しようと思って利用出来るものじゃねーだろと。

自分ひとりの脳内理論を完結させるだけなら歴史恣意的な理解ってとっても便利だと思うけれど

それなら他人に向かってそのとんでも理論を披露するのはやめておきなよと思うのよ。

2010-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20101211164927

クソワロタ。

アポリネールが、ジッドが、ナボコフが、ロブ・グリエが、バタイユ

健全」で「ためになる」んだ。あんなの有害図書以外のなにものでもないと思うんだけど。今も尚説得力あるんだ。

なるほどなるほど、スタンダール恋愛論を真顔で読んじゃうんだ。

歴史的選別を経てないもの芸術じゃないんだ、つまり現代「芸術」は存在しない、と。

ピンチョンデリーロダメか。っていうか、その理屈だと「太宰」は「健全でためになる芸術家」か。

教養なさすぎじゃない?「健全でためになる芸術」ってほとんどないと思うけど。

武者小路実篤の熱烈なファンとかそういう珍しい人なの?芸術なんてほとんどがクソの役にもたたない

健全健康道徳なものですよ。ドストエフスキーが「健全でためになる」んだ。

あんなの「ロシアダメ人間全書」って名前つけた方がいいくらい、エンターテイメントだと思うんだけど。

ドストエフスキーを読むこととゲームやることに根本的な違いなんかねーよ。

2010-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20100812183203

おっと、ドストエフスキー先生の悪口はそこまでだ。

ナボコフだけ読んで生きるわけにもいかないし、それは気づかなかったことにするのが

エロゲに限らずマナーだと思う。マジで。それ言ったらホントに何も楽しめない。

2009-12-09

もはやサブカル予定調和にまみれた中年文化

サブカル」と聞くと若者向けのちょっと尖った商品、作品と思う人が多いと思う。

たしかに、その認識に間違いはないだろう。ただし、十年以上前の話しならば、だ。

サブカルと聞いて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。

みうらじゅん吉田豪、または伊集院光……だいたいこの辺の人間は必ず挙がってくる。

しかし、ちょっと考えてみてほしい。同様の質問を五年前、十年前にしてみた場合、やはり同じ名前が出てくるのではないだろうか。

もちろん、彼らの実力は本物で、ゆえに需要が高く、キャリアも長くなっている。

だが、本当にそれだけが起因と言っていいのだろうか。

はっきりと言おう。サブカル世代交代がなされていない。雑誌を開くと何年も同じメンバーが似たような切り口でコラムを書き、書店サブカルコーナーに行けばいつも通りのスターディングメンバーの新刊が出迎えてくれる。

その原因はめぼしい新人が現れないだとかいったことが理由ではない。もっと内部に醜く捻れた構造が眠っているのだと、私は思う。

そもそもサブカルは主流文化に馴染めないエッヂな(悪く言えばひねくれた)人間が集まって形成されたものである。既存文化ではカテゴライズできない魅力を求めた人々が消費していたのだ。

しかし、いつしか本来既存からはみ出していたはずのそれらを、「サブカル」とパッケージングし、売り始めることになる。

そして、そのパッケージングされた商品を、個性尊重教育で「他人と変わっていなければいけない」という強迫観念にかられた人々が、「個性」を買うために手にし始めるのだ。

カルチャー誌もそれを後押しする。ロリータの作者、ナボコフは「広告はその商品を買えば、あたかも購入者が高貴な存在になれるかのように錯覚させる」と言い放ったが、彼らも「サブカル」のカタログに載っている商品のどれかを買えば、自らも個性的になれると錯覚していると思われる。

彼らの目的自分趣味を追求することでも、なにか新しいものを創造したりすることでも、見つけ出したりすることでもない。「自分個性的」と安心したいだけなのである。孤立を覚悟してでも自らの感性を信じきっていた先人とは大違いだ。

さらに最悪なことにこのような人間は「クリエイター病」を併発している可能性が高い。「クリエイター病」とは、なにかモノづくりの現場に関わり、有名人と交流することこそが人生最良の道であり、クリエイター系の仕事についてない人間はすべて挫折し夢敗れた落ち武者で、毎日布団のホゾを噛みながら恨み言を呟くような悲惨で陰湿な生活を送っているに違いないと思い込むことである。

個性を金で買うようなクリエイター病羅患者制作側に回るとどうなるか。それがいま現状起こっているような世代交代がまったく進まない世界、というわけである。

彼らのやりたいことは新しいものを見つけ出すことではないため、既存の「個性的」と烙印の押された人物に、自らのプライドを満たすために仕事を依頼することになる。その結果がどこを見ても「みうらじゅん」状態を作る。そして、サブカル予定調和で満たされる。

みうらじゅんを使えばOK。ボンクラっぽいことを書けばOK。童貞って言えばOK。すべて約束事で構成されているくせに、あたかもエッジであるかのように気取る。

もちろん、そんなことをやっていると感性の鋭い人間は当然そっぽを向く。雑誌を買わなくなり、ネットなどを使って自分の足で本物を追い求めるようになる。それがスタジオボイス廃刊カラクリである。

同じ人間を使って同じようなことを繰り返した結果、サブカルは特定の世代にしか相手にされていない中年文化へと成り下がった。まずはそれを認めるところから始めよう。このままじゃゲートボール盆栽と同じになってしまう。

「私、サブカル好きなんです」と宣言し、オーケンと絡んだりしているアイドルのなんとどん臭いことか。サブカル好きと見られたいがためにサブカルパッケージングされているオーケンの商品を買ったでしょう?

ソラニン実写映画主題歌を、アジアンカンフージェネレーション担当すると聞いて「えっ!?」って思った人がいたかい? みんな「ああ、やっぱり」って思ったはずだ。本当のサブカルは、そんな予定調和から遠く離れたところにあるはずなんだよ。

2009-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20090726194243

おぅ、私が求めているロリータはこういうものではないのです。

こう、ね、趣味嗜好じゃなくってファッションのほうのロリータっていうか。

ふわふわだったり、パンキッシュだったりとか、こう、それってロリータ関係なくね?

と、問いかけてしまったりするほうのロリータなのです。

そしていもうとロリータとは違うと思うんですよ。

ナボコフさんが書いたものもきっとそういうロリータではないと思うんですよ。

何が言いたいのかといえば、これはこれでまあ、知らない世界でしたっていうかなんていうか

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