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はてなキーワード: アンソロジーとは

2020-08-05

同人ROM専はなぜ図々しいのか

同人絵描きをしている。

先週、知り合いがアンソロジー参加者公募形式募集しているのに気づいた。

好奇心旺盛な自分は、このような企画モノも賑やかで大好きだ。主催が知り合いという事もあるし、内容も興味あるものだった。

「へえいいね面白そう、どうしようかな」という事を何気なく呟くと、知らない人からリプライが通知が届く。

『やろうかなと思ったことはやらないと人生経験が積めない、飛び込まないと人生しますよ!』

首を傾げた。この説教じみたクソリプを送ってくる人間は一体誰だろう。アンソロジーの他の参加者かな?とホームプロフィール確認する。

ROM専です!よろしくお願いします!』

ROM専

アンソロジー参加者どころか、もしかして絵描き、創る側の同人者ですらない!?

そんなまさかな、メディア欄に何か創ったものあるだろと見るがそんなものはなく、代わりにアニメスクショ著作権リテラシーが明らかに低い感じの光景が広がっていた。

えっ?もしかして自分創る側の世界に飛び込んですらいない人に、飛び込めとか言われたの?

いやリアル世界はいろいろ飛び込んでる人なのかもしれないけど。やろうと思わなかったから飛び込まなかっただけかもしれないけど。

でも何故この人に説教されなければいけないのかと。久々に「カッとなる」という感情を覚える。衝動的にブロックしそうになる手を抑えた。

少し深呼吸をして、何故この人がこんなクソリプを送ってきたのかを考えた。

それは「ROM専から」ではないかと。

インターネット世界は、すごい人ばかりが評価され、すごい人ばかりが皆に求められる、そんな所だと思う。

一方で人から見て価値がない人間フォローされない。相手にされない。そういう世界だ。

同人創作世界においては価値とは「すごいものを創る」「すごいものをいっぱい紹介する」が分かりやすく最たる例だと思う。

そうでないただのROM専価値市場において極めて少ない。実際その人のフォロワーも5人ぐらいだった。

絵師絵師しか繋がらないというが、絵師にとって絵師価値があるからフォローするというだけの話。

からその人は、あろうことか「人間性」で勝負しようなどと考えてしまったのではないだろうか。

さすが!いいことを言う!人間的に素敵な人!という方向性武器にしようとしてしまったのではないだろうか。失敗してるけど。

でも人間マウントなんて余程じゃないと通用しない。そんな事より創る側の世界に飛び込んでみたらいかがだろうか。

……とは流石に言えなかった。もうすぐ1週間が経つが、追撃は今のところない。アンソロジーには参加することにした。

2020-07-30

アンソロジスト伴名練と曽根卓、もしくは読書コミュニティ

伴名練編『日本SF臨界点』恋愛篇・怪奇篇に収録された全20篇のうち、91年~99年初出の作品

和田毅草上仁)「生まれくる者、死にゆく者」

高野史緒「G線上のアリア

山本弘怪奇フラクタル男」

田中哲弥大阪ヌル計画

岡崎弘明「ぎゅうぎゅう」

森岡浩之「A Boy Meets A Girl

の6篇。

ここで、伴名練から京大SF研の先輩(たぶん)にあたる曽根卓が出した『架空アンソロジー 年間日本SF傑作選91~99を編む』という同人誌がある。

タイトル通り、対応する書籍がない90年代の年間SFベストを選出する企画だが、上に挙げたうち「G線上のアリア」以外の5篇がこっちでも名前が挙がっている。(高野史緒は代わりに同年の「未来ニ愛ノ楽園」が選ばれている)

曽根卓は年十数篇ずつの名前を挙げているから、この年代の名作を選べばかぶるのは当然、という考え方もあるかもしれない。

しかし、ここに挙がっているのは先行アンソロジーとのかぶりを避けた、「定番」とはほど遠いセレクトばかりだ。

また各作家は当時のSF分野を支えていた存在で、どれも該当期間に相当数の作品を発表している。そこからセレクト共通するのはまったくの偶然だとは考えにくい。

ほかの年代については、2010年に京大SF研の会誌『WORKBOOK』に載ったという「年間日本SF傑作選を編む00~06」が入手できないので検証不可能

でも、曽根卓のブログ記事(https://sonesuguru.hatenablog.com/entry/2019/04/04/211833)で藤田雅矢奇跡の石」扇智史「アトラクタの奏でる音楽」が、

ツイート中島らも「DECO-CHIN」(https://twitter.com/sonesuguru/status/780075409459118081)、

中井紀夫「死んだ恋人から手紙」(https://twitter.com/sonesuguru/status/866997074612465670)、

中原涼「笑う宇宙」(https://twitter.com/sonesuguru/status/635871919695265792)が、

同じく曽根卓が編集した同人誌『新・旧ハヤカワSFコンテスト総解説』内の文章("城内首夫"なる書き手の詳細不明)で谷口裕貴「貂の女伯爵万年城を攻略す」が、言及されているのを見ても

しかも口ぶりからすると、SFファンならだれもが知っているというわけではなさそうだ)、伴名練とはかなり知識評価軸が共有されているのが予想できる。

そう、知識評価軸の共有だ。埋もれたSF作品に対する伴名練の知識量と熱意はもはや広く知られているが、それは孤独読書で培われたのではなく、導き、導かれ、ともに歩く仲間があってこそだったらしい。

ちょっと調べたら、当時の京大SF研が猛者揃いで、伴名練がそこで揉まれたのは周知の事実だったようだが、自分はこれまでいまいちピンと来てなかったのでここに書いておく。

2020-07-20

anond:20200720152302

通常の検索キーワードで調べる一般人の眼に入らないようにしてるだけで、制作者を避けているわけじゃなくね?

二次BLアンソロジーを別の本棚に並べるようなもんだろ

2020-07-10

anond:20200710143307

2次創作プロっていうのがよく分からないけど

アンソロジーだけ書いていてオリジナルを書いていない人

原作レイパー

ゲーム4コマパロディーを書いている人

こんな感じの人の事?

2020-07-03

anond:20200701175011

あの2冊の表紙と、2冊の編者(この記事にある「当該する編集者」ではなくアンソロを組んだ作家さん)の人の表題作の表紙のことを言っているのなら、正直に意見するとその作家とこの記事にある編集者個人のの趣味に走りすぎているきらいは感じられます。確かに日本SF地位を押し上げた若い作家たちと多く触れ合った編集者と、有名なラブコメ漫画かぐや様は告らせたい』の漫画家のイラストを表紙絵にした表題作が有名になったばかりの作家のお二人によるものではあるけど、今度出す新刊アンソロジーの題目は『日本SF臨界点』なんですよね。

編集者仕事に関する告知以外にも趣味ソシャゲシャニマスやメギド72、明日方舟・アークナイツ?他にもあるようですが確認できたのはこの3つ)にも言及する運用の仕方でTwitterを使っているから、そういうソシャゲが大好きな人たちにとっては親しみやすいんだろうけど。(それらゲームをある程度認識はしていますが)それらにSFルーツを感じたことがない者としては、そういう趣味に引っ張られてる部分がやっぱりあんのかなあ…嫌だなあ…と純粋に思っていました。後「イラストレーターが傷つく」という反論は少し失笑してしまいました。装丁を頼んだデザイナーイラストレーターから届いたもの含めて作品に誇りを持って売り出すべきで、もし装丁場違い批判されるならただ仕事を引き受けただけのイラストレーターよりも、意図を持って装丁を依頼した編集者などが批判されるだけではないのか??2冊のアンソロジーに起用されたイラストレーター自身はおそらく日本人ではあるんでしょうけど、その編集者さんも大好きなTwitterで調べてみる限り、アークナイツっていう中国近代都市ソシャゲの絵のようだと評価されている絵描きらしくて、尚のことよくわからなくなった。(さらに調べてみたら、この絵描きの人は実際に中国ソシャゲアークナイツに携わっていたという。では日本SFらしさとは…?)

まるで自分含めた現代日本人の若者たち想像する「SF」というものが全て中国ソシャゲアークナイツ的な、彩度が低くて機械的都市背景にカッコいいファッションの若くて可愛いキャラクターたちが活躍するもの、と思われているみたいですが、それこそ結局アークナイツ中国ソシャゲ中国SFに付随するイメージしかなく、もし本当にそんな考えで採用しているのだとしたら『日本SF臨界点』なんてタイトルアンソロジーに相応しいとまでは個人的には思えないです。SFは好きなので結局買って読むとは思いますが、「百合SF」を盾に市場を雑に切り拓こうとしている様子が見られた時期から怒りは感じているので、層を広げるにしてももう少し深く考慮した上で装丁を考えてほしいと強く思っています

個人的に自分も、『なめらかな世界と、その敵』も『日本SF臨界点』の表紙の2冊とも依頼時は性別指定なしとしていたとありますが「女の子ではない」は無理があると思う。

オタク絵にある程度慣れた目でも少女性が強く見えて化粧っ気のない童顔の女子しか見えないし、おそらく慣れてない目の人は少女しか見えないのではないか?そういえば中国オタク絵で「美少女といえば銀髪に赤目、それが一番売れる」という面白い話を聞いたことがありますがそれすら思い起こされました。総合的な要素を見れば中国若者ウケする表紙にはなったのでしょう、日本SF臨界点らしいけど。ディレクションが悪いと思います個人的に

2020-07-02

anond:20200702223430

まーでもアンソロジーだと

元々そういうの好きな人が読みそうなもんばかり集めたものでないなら嫌がる人多いだろうなとは思う

2020-07-01

SF小説の表紙はなぜキャラ絵ばかりなのか問題について

論争の概要

 ・あるSF編集者自分担当したアンソロジー本(『日本SF臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。

 ・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。


「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画アニメ絵女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」


それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。

・「女の子」に関して

 ・イラストレーターには『性別指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,

 ・キャラクターであることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。


・「恥ずかしい」に関して。

 ・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。

 ・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力喚起するもの


・表紙に対する意見について

 ・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険認識したうえでSNSを使え。

 ・意見自体勝手にどうぞ


・「アニメ絵女の子ばかり」ということに関して

 ・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。


・今回の表紙の意図について

 ・なるべく広い読者層へリーチしてほしかった。


論点の整理と意見

二者間で応答された論点は以下のように要約される。

 1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか

 2.キャラ絵表紙に対する「恥ずかしい」という個人的感情

 3.マーケティングとして、読者層を狭めてはいいか


1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。

たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。


ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品アニメ映画キャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。


シライユウコイラストレーションに対するファンダム記憶伊藤計劃百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。

シライユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーターキャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。

どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーター伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビューである少女禁区』の表紙を担当したことライトノベル作家短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSF代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。

もちろん、シライユウコ上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。

しかし、世間でのイメージを決めるのは結局バズった仕事だ。

そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。


日本SF臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的意識されているのだろう。

『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手バラバラアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。


とはいえアンソロジー編集するのはひとつ創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。

ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SF臨界点』は伴名練の作品批評ひとつとして見なすべきではないか

アンソロ編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位ひとつずつ売るしかない。


2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田普通に読んでればそう取ると思うが。

また、編集者立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断編集者として間違ってはいない。


ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚共感する人々が一定存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか

Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。


3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも2010年代傑作選』と『日本SF臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングプロではないにしろ編集者側に理があるように思える。

SFというものキャラクター文化親和的なのだから、そっち方面から開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ


ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしま可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近スニーカー文庫ハルヒ角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。

ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。


キャラ絵を用いた表紙と、写真を用いた表紙。

間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。

どちらを取るかは出版社戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。


だが、特定の層に訴えるマーケティングときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社自覚的であるべきだろう


より個人的感想

個人的感想をいえば、シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。

たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。

こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。

今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェティフィケーションにつながるとは思わない。

一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃百合SFSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合イメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚はいられない。

私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域マーケティングコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。

今はまだ問いの出ない問題だ。作家しろ編集者しろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。

だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。


余談。あるミステリ作家が「消費者意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートRT連発みたいな行為にも走っていないし。

個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。

意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争しかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。

この問題については意見を出してる作家業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判しろ擁護しろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。

その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか業界トピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。

2020-06-27

国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら

菅木志雄

宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館美術館ではなくて、美術館詐称する展示場なんだが。

川内倫子

いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。

棚田康司

円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。

鴻池朋子

皮緞帳は粗大ごみしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?

田根剛

中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出お仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。

しりあがり寿

おもしろパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。

皆川明

印象うすい

横尾忠則

さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。

古典の方は見応えあるよ。念のため。

追記

古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。

仙厓×菅木志雄

仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性宇宙全体などと宗教的歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。

洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああい作品を見たなあと。

それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?

花鳥画×川内倫子

川内写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃん選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。

花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。

円空×棚田康司

棚田作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。

いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。

刀剣×鴻池朋子

mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが

刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの

今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。

ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。

会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。

そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典作品としっかり向き合おうよって思う。

仏像×田根剛

前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。

他の作家と違って、この人は作品制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。

立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日ロダン地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。

から今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。

正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだからしかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。

まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明スピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。

さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。

北斎×しりあがり寿

出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。

もう1つは、冨嶽三十六景のパロディちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品元ネタ北斎作と並べて展示していた。

北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしま現代っぽさの対比が興味深い。

それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。

でもね、「和紙インクジェットプリンタ」なんだよ。実物見意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。

乾山×皆川明

ツイッターで見かけた感想なんだけど

伝統×現代アートという切り口から伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました

ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。

このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。

もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分ターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。

乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入りモダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。

https://syuweb.kyohaku.go.jp/ibmuseum_public/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=267439&data_id=20219

蕭白×横尾忠則

この展覧会に行った理由蕭白蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。

新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的蕭白と言えばこうのって作品で大好き。

宣伝動画のなかで横尾は、人間本質・魂の表現蕭白作品の中にこめられた重要メッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。

そのほか

kei_ex 増田近代美術館のドイグ展とか行くとどう思うのか気になる(コンテンポラリーだけど、手法比較古典

行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。

yama_bousi 現代美術自分好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング藤城清治氏、あとドール世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。

おお、ありがとう積極的に見に行くことはしないだろうけど、いちおう名前は覚えとくわ。

2020-06-23

弱小同人女感想を貰って病んでしまった話

同人女と言っても私の活動期間は半年にも満たなかった。しかも、小説二次創作などが投稿できるサイトに投げるだけ。薄い本などは作ったことが無いし、勿論イベントにも買う目的での参加しか経験が無い。

そんな私の、感想にまつわる自分語りである

二次創作感想と私

人生のほぼ半分以上を腐女子として生きてきたが、自分から作品を発表するということはほぼなかった。高校時代に一瞬だけ、当時の推しカップリング小説投稿サイトに上げていた。その時はブックマークを多少して貰ってウフフ…とほくそ笑んで、自己承認欲求を満たして、ジャンルから足を洗うタイミングで全て消した。感想などのコメントは貰ったことがなかったが、当時の私はブックマークという反応だけで満たされていた。

あとのオタク人生はほぼ読み専門だった。私は割と高い頻度で長文の感想を送るタイプオタクだった。

感動した作品にはメッセージフォームから感想を送った。最近ではマシュマロなどから文字数ギリギリレベル感想を好きな同人作家さんに送っていた。自分はなかなか文字で伝えるという行為が好きで、感想を送ることは苦ではなかった。好きな作家さんの作品であれば、発表ごとに送ってもいいくらいの気持ちでいた。

■読み専、久々の二次創作

そんな読み専の私に、久々に創作をしようというきっかけが訪れる。例によって例の如く、最高の推しカプとの出会いである

絵は描けないオタクだったので、今回も小説を書いた。そして以前と同じように投稿型のサイトに投げた。意外にも沢山のブックマーク評価を貰った。嬉しかった。

だいたい毎回15000字前後文字数文章を、週一くらいで投稿した。高い頻度で投稿たからか、だんだんと私をフォローするユーザーさんの数が増えていった。嬉しかった。めちゃくちゃ嬉しかった。

この時点で感想ひとつも貰えていなかった。しかし、私は反応して貰えることがとにかく嬉しくて、創作することも楽しくて、特に気にはしていなかった。

■最高の5文字

投稿した作品が6つくらいになったあたりで、初めて感想を貰った。人生初の創作物に対する感想である

それは、コメント欄での「最高でした」というひとことだった。正直言って最高の気分になった。他人から貰う5文字でこんなに自分気持ちがブチ上がるなんて思ってもみなかった。私はその5文字の百倍くらいの文字数感想をくれた素敵な方に返信をした。とても暖かい気持ちになって、次の日も最高の目覚めだった。興奮して、その後の創作意欲が倍くらいになった。最高である。私は感想を貰うってなんて素敵なんだ!とショーシャンクの空の有名なシーンばりに空を仰ぎたい気持ちになったりした。

■とんでもねえ長文

本題はここからである

初めての感想を貰ってから少しして、また別の方から長文の感想を貰った。今まで書いた作品全てに関するもので、それはそれは凄まじい文字数のものであった。うわあ…とんでもねえもんもらっちまったぜ!と私は驚きつつも、ワクワクしながら感想を読んだ。全体的に褒め言葉ばかりで、とても嬉しくて、ちょっとロリと泣きそうになった。「次の作品も楽しみにしています」で締められたその感想を読み終わり、私のモチベーションはかなり飛び上がった。

かに、思われた。

が、

そこから私は文章が書けなくなってしまった。

いや、書けなくなったわけでは無い。文章を作ることはできるのだが、どうしても投稿する段階まで進めなくなってしまったのである投稿する段階で、長文感想の方の一言一言が頭に蘇ってくるようになったのだ。

「繊細な表現がとても素敵です」

まさかという伏線があってびっくりしました」

心理描写が本当にリアルで」

などなど

私はこの感想に出来るだけかなうように文章を何度も何度も推敲した。何度も何度も。スマートフォン入力していた文章コンビニコピー機で出力して赤ペン修正して、また入力し直して、何度も何度も推敲した。感想をくれた人がまた満足してくれるように、何度も。

これでいいだろう!と納得して、投稿しよう…そう思って投稿フォーム文字コピー&ペーストしても、素敵な感想が頭の中に再び過った。まだだ、まだ投稿の段階では無い。そう思い、また推敲した。

つのまにか、最後投稿してから3ヶ月が経過していた。それまでは週一くらいの投稿頻度だったにも関わらず、3ヶ月も期間を開けてしまったのである

まあ、こういうこともあるよな。

そんなに沢山短期間で書けるわけじゃ無いしな。

そう自分に言い聞かせて、私はまた文章推敲した。

幸運なことに、空白期間にもいくつかの感想を頂いた。私は、感想を読んだらモチベーションがまた上がるだろうと思ってニコニコしながら、感想を読んだ。嬉しかった。

でも、私はさらに書けなくなってしまった。

今度はそれこそ文章自体が書けなくなってしまったのである

自分で書こうとしている文章が、いただいた感想に押し流されていく。そんな感じだった。

こんな文章は、多分みんな望んで無い。

これは繊細な表現じゃ無い。

こんなんじゃだめだ。

こんなんじゃ喜んでもらえない。

こんなんじゃ。それしか私の頭には浮かんでこなくなった。

妄想が大好きなオタクだっだが、楽しく妄想をしていても、感想が急に邪魔してくるようになった。こんな妄想はいけない…もっとちゃんとした展開にしなくちゃ!繊細な伏線をはって、心理描写を入れて、どんでん返し的な展開を……

いつしか私は、お話を考えてアウトプットすることがとても辛くなっていた。

スーパーアンソロ大事

そんな時に、大事件が起こった。界隈でも有名な絵描きの方が、推しカプのアンソロジーの企画をし始めたのである。私にとってその方は、ストレートに包み隠さず言えばまさに 神 だった。推しカプにハマったきっかけが、その神の作品だったかである。仮に神で無いとするならば、私にとってその方は産みの親みたいなものだった。ママである。(パパかもしれない)そのくらいの気持ち悪い信仰心を抱いていた。

アンソロジーは募集型で、神と繋がっていなくても文か絵か漫画がかけて、興味があればOKという雰囲気だった。私は迷った。正直参加してみたいという気持ちがあった。でも今は書けない状態だし、応募しても迷惑をかけるだけだろう。どうしよう。私は悩んだ。

頭を抱えているうちに、寄稿募集の締切前日になった。その時点で私は、参加しないという方向に気持ちが傾いていた。

しかし、ここでスーパー大事件が起こることになる。

そう、

何を隠そう、神から直接メッセージが来たのだ。

アンソロジーの寄稿者を募っているのですが、参加していただけないでしょうか?」と

おったまげた。

えーっ神ーッ本当に??

嬉しすぎて私は持っていたiPadスマートキーボードをぶん投げてしまった。

神はお誘いばかりか、私の作品感想を携えてきていた。

「○○(私のHN)さんの▲▲▲(作品名)が好きで、今回お声がけさせていただきました」

「▲▲▲の〜〜が本当に素敵で〜〜で、私の主催するアンソロジーでも是非○○さんに書いていただきたく──」

丁寧で簡潔に言葉を選んで書いてくださったんだろうな、という感想だった。

しかし、私はこの感想を一文字文字読み進めるたびに、嬉しい気持ちと一緒にスーッと血の気が引いていった。一緒に吐き気もこみ上げてきていたし、なんだか目眩もしていた。地獄に叩き落とされたような気持ちになった。私は急に怖くなってしまって、返信もせずに画面を閉じた。

その晩、悪夢を見た。

私の人生の悲しいエピソードアンソロみたいな夢だった。

期待されていたのに、セリフを忘れてしまった劇。

期待されていたのに、私のせいで負けた中総体

期待されていたのに、ミスして迷惑をかけてしまった文化祭の準備。

期待されていたのに、第一志望に落ちた大学受験

期待されていたのに、面接でテンパって第一志望に落とされた就活

深夜にうなされて目が覚めて泣いた。

私の人生って成功体験が無い。

期待されたら、失敗する。これがいつもセットだった。

から感想はあまりにも最高だった。私が訴えたかった推しカプポイントをうまく汲み取ってくださってたし、それに対してお褒めの言葉もあった。しかし、それは私にとってあまりにもデカすぎるお言葉で、プレッシャーになってしまった。勿論、神は単に寄稿者が足りないから声をかけてくださったにすぎないとは思うが、自意識過剰になっていてそこまで頭が回らなかった。期待されているということは、失敗してしまうこととイコールだった。うまく書けずに失望されてしまう。そう思ってしまったら、怖くて返信ができなくなった。

そしてこのタイミングで別の方から作品への感想メッセージで届いた。

私は恐る恐る感想を読んだ。感想の中にこんな一文があった。「次の作品も期待しています

なんてことはない定型文だ。

しかし、私のボロボロだったメンタルは余計にボロボロになった。期待されることが怖い。期待されたら失敗してしまう。失望されてしまう。見放されてしまう。裏で悪口を言われてしまう。自意識過剰だとは思うが、当時はそこまで思考が飛躍してしまった。

私はしんどくなった。

アンソロジーの寄稿どうしよう。

メッセージをいただいたのが夕方くらいで、その後眠ってから悪夢を見て、深夜に起きて、感想が来ていて、読んでメンタルが余計に崩れて……どうしようと考えている間も過去の失敗体験フラッシュバックしてくる。

あ、これはだめなやつだ。

私はそう確信して、反射的にアカウント消してしまった。

勿論、神に返信もしないまま……

■憑物落とし

一旦アカウントを消すと、憑物が落ちたのかというくらい肩が軽くなった。私にとって、創作がいつのまにか重荷になっていたようだった。また、この時既に推しカプのことを考えること自体が辛くなってしまったので、私は推しカプから離れることにした。

削除した当初は、これでいいのだ…と思っていた。しか時間が経つにつれだんだんと冷静さが戻ってくると、一気にいろいろな罪悪感が押し寄せた。

まず第一に、お誘いのメッセージに何も返信せずにアカウントを消すという大変失礼な対応を神にしてしまたこと。

第二に、他意なく純粋感想を送ってくださった方々の感想を、歪んだ思考で捉えて重荷に感じてしまたこと。

すごく卑怯な形で逃げてしまったので、ここで謝ったところでどうしようも無いのだけれど、謝りたい。

期待されるということが怖くなって逃げてしまいました。

傷つけてしまっていたら、本当にごめんなさい。

それから現在

今、私はまた違うジャンルで読み専をしている。しかし、以前のようなレベルでの感想は怖くて送れなくなってしまった。自分感想を貰って逃げたことが、やはり頭の片隅に残っているから、不安になるのだ。だから私は「感想が欲しい!」と声を大にしている人にしか感想を送っていない。

今回の自分語りをしようと思ったきっかけがある。

ツイッターで「メンタルが弱いか感想が来なくて筆を折りそう」という呟きを見た時に、どうしようも無いくら嫉妬してしまった。私は感想を貰えたけれど、それをうまく受け止めるメンタルが私には無かった。そう思うとなんともやるせない気持ちになって、感想が欲しい!と言える人がとても羨ましいし妬ましくなった。こういう感情を抱くのはちょっと、というかかなり危険だなと思って、いったん文章にして自分気持ちを整理しようと思ったのだ。

活動期間半年投稿数7作品、合計文字数10万字、いただいた感想の数7つ。確実に環境にも感想にも恵まれていたのに、それに応えられなかった。そういうオタクもいるよ。という、話。

ちなみに、感想作品Evernoteに保存してあるけれど、あれから一回も読み返してはいない。いつか読み返せる日が来るといいなと思っている。たぶん一生無理だと思うけれど。

2020-06-18

anond:20200618180957

ご指摘ありがとう

さすがに「よく主催とかをやってる人間がいる/『この人は主催者側』というイメージがついてる人がいる」という程度のことだと思うんだけど、それに「お前の界隈おかしい」まで言うのは、ちょっとさすがに言葉がきつすぎない?

「取り仕切る」って、自分が中心になってものごとを采配するっていうニュアンスがない? 「学級委員として何かを回す」っていうのも、自分主体として場を切り盛りするっていう感じがあるよね?

たとえば俺がおたく主催するオンリー運営ノウハウを教えて、当日はスタッフとして汗を流したとして、それを「取り仕切る」って言うかな? 取り仕切ってるのはおたくで、俺はその手伝いだよね。おたくが「運営とかわかんないんで、全部増田さんにお任せします!」っていうなら俺が取り仕切ってることになるかもだけど、おたく主催するのを俺がノウハウ教えて手伝うというのは俺の言語感覚では「取り仕切る」とは言わない。せいぜい「おたくが取り仕切るのを手伝った」くらいか

イベントノウハウ特定人間集団)に集中するのはよくあることだから、このジャンルでなんかイベントやるときはいっつもあいつがスタッフやってるな、みたいなのは別におかしくないと思う。ただ、それは俺の言語感覚では「取り仕切る」とは言わないし、俺の言語感覚に基づくと「色々な企画を取り仕切るボス」って言われたら、それはそいつがたいていのイベント主催するなり何なりしてるっていう意味になると思う。

で、俺のジャンルでも、まあ「こいつしょっちゅうオンリー企画してるな」みたいな人はいるので、「しばしばオンリーなどの企画主催する特定個人がいる」ところまでは、別におかしくはないと思うんだよね。でもそれを元増田は「ボス」だの「学級委員」だのと言ってるんだよ。これおかしくない? もちろん界隈にいるすべてのひとがフラットなんていう人間関係はありえないので、コミットメントの濃淡なり売上の良し悪しなりで人望の差ってのは出てくる。だから「みんなに知られてる作家」「友達が多い作家」「多くのひとに慕われてる作家」ならわかるんだけど、「ボス」って何……? っていう。そこには単なる人望の差を超えた権力存在するみたいに聞こえない?

俺が引っかかったのはそこなんだよね。ボスが取り仕切ってるって言われたら、なにか企画そいつを通さなきゃならないとか、そいつとは無関係企画を立てたら睨まれるとか、そういう含みを感じられない? それって明らかに健全じゃん。それは「おかしい」と言われても仕方ない状況だと俺は思うんだけど、おたくはどう思う?

もちろん「そんなのは邪推だ」と元増田に言われたら、そっか邪推だったか、ごめんね、って言うかもしれないけど、元増田文章を素直に読む限りでは俺にはおかしく見えたけどなぁ。

あと、イベントはともかく、アンソロジーまで取り仕切るって言ってるんだよね元増田は。イベントはわかるよ。ハコを借りるとかで一般人にしてみればかなりの額のカネが動くし、チケット発送とかの事務作業もあるから特別ノウハウ特定のひとに集中しちゃうってのはわかるよ。でもアンソロって。そんなん誰でも自由に編めるし(イベント運営に比べたら)たいした手間でもないやつじゃん……! 予想外のサークルアンソロ出したりするじゃん……! って思っちゃう。その界隈で出てる大抵のアンソロを取り仕切るボスってどういうこと? そんなにその界隈の人口が少ないの? みんな別にアンソロには興味がないところをそのボスけが率先して主催やってんの? それともマジでそのボスが睨みを利かせててそいつの関知しないアンソロが編めないようになってんの? 仮に最後選択肢だとしたら十分におかしいと俺は思うんだけど、おたくはどう思う?

anond:20200618120744

この界隈には、いわゆる「ボス」的な立場にいる人間がいる。よくオンリーイベントアンソロジーなどの色々な企画を取り仕切ったり、学級委員として何かを回したりする立場人間と言えば、ほどほどの規模の界隈なら心当たりがあるのではないか

そんなやついねえよ。オンリーはやりたいやつが企画して参加したいやつが手を挙げてやるもんだろ。(中略)界隈で有名な人はいても界隈を取り仕切るやつなんていねえよ。お前の界隈おかしいよ。

同人女より、ちょこっと別界隈(笑)情報を追加させてほしい

私が通ったあるジャンルでは、オンリー主催経験ノウハウを共有しているある種のコミュニティというか、人間関係みたいなものがあったよ。「オンリーをやりたい」と思った人が別のオンリー主催ノウハウを教えてもらってたり、あるいは主催経験のある人たちが互いのオンリー相互スタッフ参加して手伝ってたり、そういう感じで「主催経験者」グループみたいなのがうっすらできてた。ジャンルも固定されてなくて、イベント運営積極的な人たちが知見やスキルマンパワーを交換しあってた感じ。

私が知っているもの全然閉鎖的なものではなくて、主催をやってみたい人は誰でも歓迎して親切にナビしてたし、誰も強権をふるってはいなかった。だからこそ、自分主催まではしてない私でも知ってるわけで。

ただ、「嫌な思いをしたからもう自分での主催は乗り気じゃない」みたいな発言は聞いたことがあるし、こういう発言があったからには、「あの主催オンリーは嫌だ」という逆側の感想もあっておかしくはなさそう。

さすがに「よく主催とかをやってる人間がいる/『この人は主催者側』というイメージがついてる人がいる」という程度のことだと思うんだけど、それに「お前の界隈おかしい」まで言うのは、ちょっとさすがに言葉がきつすぎない?

この段落に関しては、そういう人がいるジャンルもあれば、いないジャンルもあるというだけのことだと思う

anond:20200604204327

同人文字書き男だけど、お前の界隈おかしいよ。

しろ同人活動をしていると表明している人間が実際には「同人誌を描いてくれた方に感想を送る」という責務を果たしていないことにあるかもしれない。

そんな責務見たことも聞いたことも実感したこともねえよ。お前の界隈おかしいよ。

この界隈には、いわゆる「ボス」的な立場にいる人間がいる。よくオンリーイベントアンソロジーなどの色々な企画を取り仕切ったり、学級委員として何かを回したりする立場人間と言えば、ほどほどの規模の界隈なら心当たりがあるのではないか

そんなやついねえよ。オンリーはやりたいやつが企画して参加したいやつが手を挙げてやるもんだろ。10年以上関わってきた界隈でこないだ新しいオンリー開かれたけど聞いたこともないサークルさんが主催だったよ。それでも毎度コミケにいるような古参から初めて見るような連中まで一堂に会してオンリーやってたよ。界隈で有名な人はいても界隈を取り仕切るやつなんていねえよ。お前の界隈おかしいよ。

ボス程ではないが、同人活動ガチ勢」の中にはちょくちょくそのような人間がいる。Twitterでは自分原稿や界隈の中で行儀が悪い人への愚痴ほとんど。それなのに自分インターネット適当イラストを上げる時は「RTうれしいな」と言っている。もちろん他人イラスト小説ほとんどRTしない。

少なくとも俺のいる界隈では、自分原稿の話ばっかりする人はいるし、厄介さんへの愚痴をたまに呟く人もいるけど、「行儀が悪い人への愚痴」ばっかり呟いてる「ガチ勢」なんて見たことねえよ。普通作品の話とか自分萌えの話とか自分にとっての創作論とかを主に呟くもんでしょ。お前の界隈おかしいよ。

同人文化を支えていこう」などとお題目を唱えている割に自身の……率直に言って絵柄やストーリーが大して練られているわけでもない原稿時間を割いて、お友達以外の他者にはほぼ無関心なのは、彼らの言う「同人文化」もたかが知れているのではないか

同人文化は個々人が自分の好きなことをしてその集積として成り立つもんなんだから自分創作友達との交流を最優先するのは当たり前でしょ。個々人が自分の好きなことを追求できる自由な場があって、その場にお出しされたもの同人文化であって、同人文化を支えるってことはその場を(書き続けるとか読み続けるとかの形で)維持するってことなんだよ。他人ベタベタ干渉することが支えるってことなんじゃねえよ。お前の「同人文化」像おかしいよ。

自分同人誌を読み捨てるタイプオタクだったら、まあそんなもんだろうと納得が行ったのかもしれない。

だが、今まで感想は書くものだと思っていたオタクにとって、この状況はまあまあキツい。

半分答え出てるじゃん。お前が勝手義務だと思ってるだけでそれは義務でもなんでもないんだよ。そのくらいわかろう? 自分の中で縛りプレイするのは勝手だけどそれを他人押し付けたら駄目だよ?

あと、感想送る→活動止まるは見えるけど、感想送らない→活動止まるはすぐには見えないから気づいていないだけじゃないですか。何もしなければ責任を取る必要はないけど、真面目に考えるなら見殺しにしてきた同人作家の数でも数えた方がいいんじゃないですか。感想を送らないことを正当化する人間が一番腹立つんですよ。

俺は最近小説あんまり書いてないけど、それはショボい文字書き(&設定厨)なのでネタが尽きてきたのと、私生活の面で色々なものごとに追われて余裕がないからであって、感想の有無は関係ねえよ。かつての俺は感想がなくても書き続けていたし、ありがたいことに最近過去作への感想をもらってそれ自体はめちゃくちゃ嬉しかったんだけど、だからって書くのを再開する気にはなれない。創作徹頭徹尾自分のためにやることで、感想はそりゃないよりもあった方が嬉しいけどそれで自分創作意欲が左右されたりはしない。

お前が感想によって創作意欲を左右される人間であり、お前の周囲にそういう人間が多いことはわかったが、だから感想を送るべきとかいうクソマナーを作られても困るんだよ。そんなもん知ったこっちゃねえよ。お前のお気持ちを世の中の常識だと思うなよ。どうしても送ってほしけりゃ「私は感想によって創作意欲を左右されるメンタルよわよわ作家なのでなるべく感想ください」とでも本に書いとけよ。そう書いておけば送ってやろうかという気になるファンもいるんじゃねえの? してほしい配慮は口で言わねえと他人にはわかんねえんだからよ。

正確には、界隈の中で本当に仲がよい友人ふたり程、それに地方在住のおそらく主婦業をやられているフォロワーさんからは来た。この方々がいなかったらこんなもの書く前にさっさと同人誌のことは黒歴史にして畳んでいただろう。

は? 同人誌ってのは自分が書いた文章が形になる、それだけで嬉しいもんなんじゃねえの? これまでは自分の頭の中にしかなかった「ぼくが書いた一冊の本」を活字として手に取れるのが最上の喜びなんじゃねえの? 感想なんて来なくたっていいんだよ。お前は自分が生み出した初めての本のことをどう思ってるんだよ? 感想が来なかったか黒歴史なのか? 違うだろ? 感想が来ようが来まいが、自分萌え理想を詰め込んだ一冊の本がそこに存在している、そのこと自体幸せは感じねえの?

お前、自分の本に来た感想のことは気にしてるのに、自分の本それ自体を気にしてるようには(少なくともこの増田からは)見えないんだよな。はっきり言って異常だよ。子供学校に行きはじめたんですけどちっとも友達を家に連れてこなくて~って言ってるみたいに見える。いや子供毎日元気に学校でお勉強してるだけでめちゃくちゃ偉いだろ! 子供を褒めてやれよ!

お前の感覚おかしいよ。

2020-06-11

anond:20200611132250

自分も一度目は覚えてないくらスルーしてたんだけど二度目に読んだら好きになったな。

今は変わってるかもしれないけど自分の持ってる文庫解説北上次郎で、たった一人についてとにかく熱く語る文章が印象的で二度感動できる理想的構成だった。

いうても書評家はこの人くらいしか知らないけど。

龍は眠るはかなり好きな作品だけど、その文章は褒めつつも結構チクリと刺してるようなw

理由なんか、いつも通りに筆が乗りすぎてて全然ドキュメントタッチじゃなかったし。

薦めといてなんだけど、時が新しかたころはあんまり気負って読まれると逆に辛いかも。

アンソロジー自体ロマンチックSFってくくりだし、気軽に読んだほうが楽しめる作品だと思う。

anond:20200610132925

絶版ならごめん。

宮部みゆきが好きだったなら読んでるかもしれないが、とり残されて収録のたった一人。

宮部ファンの間では人気だけど、他の作品が目立つので埋もれがちかも知れないと思ったので。

この作品について語った北上次郎解説も名文。

メジャー作家無名作品という引き出しが少ないのでまたSFで恐縮だが、時の娘ミステリじゃなくてタイムトラベルアンソロジー)収録の時が新しかたころもおすすめ

ロバートヤングといえばたんぽぽ娘という作品が有名だけど、こちらの方が圧倒的にいいと思う。

SFだけど全然難しくないほうのSFで、とにかく楽しい冒険もの

なんとなくジュラシック・パークキャラクターにも影響を与えたのではないかと思っている。

2020-06-04

軽率感想書き女が同人活動をやってみたら地獄を見た

二次創作オタクの道に迷いこんでから人生の1/3くらいになる。インターネットでは小説らしきものを書き散らかしていたが、同人誌は買うものしかなかった。

同人作家には感想を送るといい」という言葉を素直に受け取って、ありがたく読んでは神々に感想を送っていた。全員ではなかったが、買う時点でセレクションをかけていたのもあって半分以上の本には少なくとも原稿用紙1枚相当以上の何かしらをお送りしていた。

それからしばらくして、はまり込んだとある界隈、ある推しカプの威力があまりにも凄まじかった。私はとうとう読み専を卒業し、同人誌印刷することでサークル参加デビューを果たした。それが、1年程前のことだった。

初めてではあったが、本自体はなんだかんだ出せた。だが、同人活動はそこから先こそが試練だったということを、知らなかった。


最初の本を刊行するのにかかった時間は4ヶ月程。平日は仕事の後、休日日中の半分程度、原稿時間をコツコツと割いてきた。そのおかげで、人生で初めて出した本は文庫だが200pを越えたし、まあまあ満足するものができた。そんな本が印刷され、世に出たことによって、自分の想定程度には売れた。だが、感想ほとんど来なかった。

正確には、界隈の中で本当に仲がよい友人ふたり程、それに地方在住のおそらく主婦業をやられているフォロワーさんからは来た。この方々がいなかったらこんなもの書く前にさっさと同人誌のことは黒歴史にして畳んでいただろう。しかし、それ以外の、いわゆる同人仲間やフォロワーからは来なかった。

自分同人誌を読み捨てるタイプオタクだったら、まあそんなもんだろうと納得が行ったのかもしれない。

だが、今まで感想は書くものだと思っていたオタクにとって、この状況はまあまあキツい。通話しながらあつ森やポケモンではわいわい楽しんでいたフォロワーは、本は買ってくれたものの「良かったですよ」の一言すら来ない。こっちは付き合いも兼ねて読んで感想を送っているのに……と、最初感想が来るまでは恩着せがましい感情まで抱く程、ダークサイドに落ちかけた。

私一人が書いていた量よりも、自分で本を出版してもらった感想の方が少ないなんてことがあるのか。自分が良かれと思ってしていた経験復讐されるなんて、そんなのひどくないか。その思いに苛まれつつ、今日イベント中止にも負けず本を出してくださった方に感想を書いている。


ただ、この増田で書きたかたことの主題は、むしろ同人活動をしていると表明している人間が実際には「同人誌を描いてくれた方に感想を送る」という責務を果たしていないことにあるかもしれない。

このジャンルを仕切るいわゆる同人ガチ勢いかにも「わたしら誇り高き同人サークル、インターネットの木っ端とは違うんですよ」みたいな面を下げていながら、同人誌に対する感想についてはサボりまくっていることを臆面もなく表明しているのが、ここ最近精神的苦痛拍車をかけている。

この界隈には、いわゆる「ボス」的な立場にいる人間がいる。よくオンリーイベントアンソロジーなどの色々な企画を取り仕切ったり、学級委員として何かを回したりする立場人間と言えば、ほどほどの規模の界隈なら心当たりがあるのではないかオフライン活動がメインだと公言しており、インターネットで描いてた頃は反応すらなかったのに、サークル参加を表明してからは急に「あなたの書くものいいですよね〜ファンでした〜〜」と接近してきた。

ネットで送るよりも生の感想即売会で本人に伝えるのが醍醐味から」を言い訳に、この人が感想を書いているのは見たことはない。そして結局当日打ち上げで伝えてくる感想も「こないだのあの本めちゃくちゃ良かったですよ! やっぱり〇〇はかわいいですよね〜」くらい。

ボス程ではないが、同人活動ガチ勢」の中にはちょくちょくそのような人間がいる。Twitterでは自分原稿や界隈の中で行儀が悪い人への愚痴ほとんど。それなのに自分インターネット適当イラストを上げる時は「RTうれしいな」と言っている。もちろん他人イラスト小説ほとんどRTしない。

「作者の解釈をきちんと言語化して感想として送れるの、本当すごいですよね」と言いながら、この間まではポケモン自作刊行直後、TLはこれ一色だった。わたしのような木っ端な作家よりも世界タイトル話題になるのは当たり前だが、それが辛くてミュートした)、最近はあつ森の進捗をTwitterにせっせと上げている。

同人文化を支えていこう」などとお題目を唱えている割に自身の……率直に言って絵柄やストーリーが大して練られているわけでもない原稿時間を割いて、お友達以外の他者にはほぼ無関心なのは、彼らの言う「同人文化」もたかが知れているのではないか

界隈にとある方がいる。フォロワーは私の30倍以上、ボス10倍以上いる、いわゆる神絵師だ。でも、物腰は柔らかだし、私がインターネット投稿していた頃からちょくちょくお褒めの言葉を頂いていた。上で述べた友人……と、本当に今でも言っていいのか分からないが、恐れ多くも自分が出した同人誌感想をくださった方のひとりでもある。

その方がかつて、原作について非常に深い考察を繰り広げたものをまとめた、商業単行本並の厚さ・クオリティ同人誌を出したことがあった。ジャンルバレが惜しくなければ所構わず宣伝したいくらい、本当にすごい本だった。当時読み専だった私は、どうしたらいいのか分からずとりあえず長文の感想を送りつけた。その方はいたく感激してくれた……のが、少しずつ仲良くなることができたきっかけだったような気がする。

それから私は初めてイベントサークル参加し、Twitterで繋がっていた人たち中心に打ち上げに参加した。ボス企画してくれたもので、カラオケの一室を貸し切って(何故ならオタク女は人目を憚る話を大声でする必要があるため)わいわいと推しについて語りあっていた。

中盤に入ったあたりだった。ボスが思い出したかのように言った。

「〇〇(神)さん、こないだの本読みましたよ! あんなに(原作)をきちんと捉えてこれが出せるの、本当すごいですよね〜私の本でもそういうの大事にしてて〜」

それで終わりだった。後は自分の本語り。その本が出たのは数ヶ月も前のことだったのに。数人が神の本に話を戻したことで、とりあえずしばらくの間はその本について盛り上がることができた。

その方は、それでも微笑みながら受け止めていた。ただ、それ以降あまりボスイラストRTすることはなくなった気がする。

最近、神が主催する推しCPコンビアンソロジーへの寄稿を打診されたので喜び勇んで引き受けた。執筆者にはグループDMで連絡が来たが、同じCPがメインのはずのボスは参加していなかった。それを確認した時、私は暗い喜びを内心に感じながらも素敵なメンバーの皆様に挨拶をお送りした。

……と、まとめてみたら「これ、感想を書いて得してるのでは?」と気づいた。どちらかというと、感想書きのシンデレラストーリーとして自慢できることの方が多いかもしれない。それでも界隈でのさばっている奴らへの心象は悪いままなので、記念として増田投稿しておこうと思う。

猿山ボスへの愚痴が大半を占めてしまったが、逆に言えば感想コンスタントに書いている人はどれだけ書き手から感謝されているのか、忘れないでほしい。

この間の新刊にも原稿用紙5.5枚の熱い感想をくれた人のおかげで、今も生きている。ご家庭の都合でイベントには来られなくても感想をくれるあなたのために、次の新刊も頑張ろうと思う。

(20200618追記

放置していたらはてぶに上がっていた。おかえりなさいという気分です。見てくれた人、ありがとう。色々言われているけど、反応してくれた時点で今日もあつ森をやってるフォロワー100倍マシです。

ちょっとだけ反論しておくと。

@pikopikopan 文字書きってなんでこういうタイプ多いんだろ。/私は描く側だけど壁打ち上等だし、読むけど身悶えするほど好きで何度も読み返した本ほど感想送れないし送らない。/感想送ったら活動止まった人が居てな後悔したわ

私は性格悪いとは思いますけど性格のいい文字書きの方も多いので、主語でかくするのやめた方がいいんじゃないですか。私もやりますが。

あと、感想送る→活動止まるは見えるけど、感想送らない→活動止まるはすぐには見えないから気づいていないだけじゃないですか。何もしなければ責任を取る必要はないけど、真面目に考えるなら見殺しにしてきた同人作家の数でも数えた方がいいんじゃないですか。感想を送らないことを正当化する人間が一番腹立つんですよ。

2020-05-26

舞台からハマった」と言う人が苦手

Twitterでは絶対に言えないので吐き出しに来た。

私は舞台化されている作品同人活動をしている。

数年前の公演で好きなCP舞台版に登場し、その公演をきっかけにCPを好きになった人が増えた。

もちろんSNS同人イベントでも人が増え、今まで顔見知りばかりで活動していた当CPも賑やかになった。

それ自体は嬉しかったのだが、舞台きっかけに好きになった人たちはキャラクターではなく『キャラクター解釈し、演じた俳優』を見ているのだ。

原作からそのCPにハマった人たちと舞台からハマった人たちとでは温度差があるように感じる。

舞台しか観ていない人、原作の他CP活動をしていたが舞台活動CPを変更した人、いろんな人がいる。

ただ、舞台から好きになったという人たちと話していて「おや?」と思うことも多々ある。

好きなシーンや好きになったきっかけの話になると、舞台の内容を話し出すのはどうかと思う。

このシーンが良かった。ではなく、役者の演技について話し出すのだ。

原作ではキャラクターの表情まで描かれていないのに、あのセリフであの表情をするのが彼らの心境に合っていて好き。といったかんじだ。

ちなみに、そのシーンでキャラクターがどんな心境だったか公式から発表されていない。

また、俳優を元に同人活動をしている。

俳優好きな物キャラに持たせたり、俳優の着ていた服を着せたり、キャラの特技が俳優の特技になっていたり、俳優発言を取り入れたり。

それが一度や二度ではない。俳優ありきでキャラクターを描かれるともやもやする。

しか俳優同士のCP創作しだす人までいた。中にはR18の作品も。

それはもうナマモノだ。演じているキャラクターなど関係ない。

べつに舞台の話をするなと言うわけではない。舞台きっかけでハマるのも悪いことではない。私も全力で彼らを演じてくれた俳優の事は好きだ。

ただ、私は原作の二人が好きで活動をしているため原作の二人を見てどう感じたのかを知りたいだけなんだ。俳優解釈を聞いているわけではないのに。

最初そそういった発言をここまで気にすることはなかったが、それが積み重なるとさすがにストレスになる。

俳優の話は俳優の話として、原作とは別物だと考えてほしい。

推しCPは前回の公演と今回の公演で演じている俳優が違うのだが、「別公演で見てたらハマらなかったと思う」と発言している人を見かけてしまった。

本当に俳優ありきなんだなと、俳優としてしか見ていないんだなと、なんとも言えない気持ちになった。

それから今日に至るまで、舞台からハマったことを公言している人たちが主催アンソロジーが発行された。

案の定各自あとがきのページには「舞台でハマりました!」「舞台のあのシーンが良かったです!」というコメントオンパレード。むしろ主催たちがそんな状態だ。

中には俳優さんの名前を出している人もいた。主催確認しなかったのか、それで良しと思ったのか分からないが、私の感覚だとアンソロでそれはあり得ない。

あとがきは一番最後のページに掲載されていた。せっかく良い話だったと余韻に浸っていても、あとがき舞台意識して描いたと言われたら冷めてしまう。

その二人じゃなくても成立するんじゃ?という内容の作品もあった。アンソロならもっとキャラクターに向き合ってほしいと思うのは贅沢なのだろうか。

読む人の中には舞台を観ていない人もいるかもしれない。実写化否定的な人もいるかもしれないのに。そこまで気にするのは神経質なのだろうか。

舞台とは関係ないが、その人たちがこのCPが一緒にグッズ化されなかった事を烈火のごとく怒っているのもはっきり言って怖い。

いつだったか販売されたグッズには、CPの内一人の姿しか無かった。

それを見た彼女たちは、なんでペアじゃないんだ!この会社商品は二度と買わない!と大騒ぎしていたのである

それから何度もその件を引っ張り出しては文句を言っている。

舞台のおかげでグッズになる頻度が上がっただけで、元々そのキャラクターのグッズが出ることの方が珍しいんだが。

まりに荒れているので、購入したなんて言える雰囲気ではない。グッズ化、素直に嬉しかったのになぁ…。

舞台化、実写化する作品が増えた今、私と同じような経験をした人もいるかもしれない。

逆に、愚痴対象となった相手気持ちが分かるという人もいるかもしれない。

これは私の考えだが、舞台原作に限りなく近い二次創作だと思っている。

俳優解釈が合うかどうかで好きか嫌いか別れるのではないだろうか。

2.5作品全体に言えることだが、同じキャラクターを演じていても解釈まで丸っきり同じとは限らない。それぞれの俳優に合った表現もあると思う。

長々と愚痴を綴ったが、舞台否定しているわけではない。このような発言をしている人たちを嫌っているだとか、憎んでいるというわけでもない。

素晴らしい作品を作られる方たちなのに何故…という気持ちからである

しか作品と作者は別物。要は好きなメディア解釈違いなのだ

同人趣味世界なので無理して仲良くしようとする必要もない。

少し距離感を考えながら付き合っていこうと思う。


読んでくれた人がいたらありがとう

念のためにフェイクが入っているので、分かりにくかったらすいません。

2020-02-03

アンソロジー寄稿した作品

アンソロジー寄稿した作品をしばらくたったあと作者が自らpixivなどで公開するパターンがあるが

私はアンソロジー寄稿した作品アンソロジーしか読めないことに美徳を感じる。

本当に、そのアンソロのためだけに描きました、アンソロじゃないと読めませんということでレア感があってなんだかいい。

アンソロの買い時を逃してしまったファンにとっては後だしの作品公開は嬉しいことだと思うが、アンソロ寄稿した作品はそこでしか読めないということに美しさを感じる。

2020-01-31

締切を守れない奴への対応

増田学生時代クラスで一人ポツーンとしていたようなド陰キャなのだが、何故か主催気質である。「運営が上手いから」という理由で押し上げられては、さらに上手くなってしまうのであった。

仕事イベント企画運営PTA役員同人アンソロジー主催等、お好きなものを選んで感情移入して頂ければ良いが……

気づいた事がある。それは締切を破る人間が必ず発生するということだ。(働きアリの理論か?)

という訳で今もちょうど手を焼いている人間がいる。

奴はまず「こ の 日 じ ゃ な い と 間に合わないから!」と念に念を押した提出物に対して平然と「あっ10日ほど遅れますのでよろしく~」しやがった。1日2日ならともかく10日って。

そして訂正の期間を受け付けていたのだが、それも期間が終わってからケチをつけて来やがった。

あの10日ほど遅れて出した提出物(※結局夜なべして処理した)を、事もあろうが修正可能時期を超過してから、訂正箇所があるからそちらで直しておけと言い放ったのである

どんな神経だ。

いやなに、例えば最近発達障害と言われてるように締切を守ることが苦手な人種がいることは理解しよう。

でもこれは違うような気がする。

ただ図々しいだけでは?

10日遅れた提出物は笑顔で許して頑張って処理したけど、許しちゃいけないんだろうな。

でも厳しくすると厳しくするで、険悪な空気になって最悪だ。なるべくなら楽しい雰囲気を作りたい。

学校の提出物や仕事の締切の超過は、成績という形である程度罰が反映される。

だがそうでないものは難しい。ましてやその罰を下さなければいけないのが自分であるならば……

「今からじゃ訂正は受け付けないよ」って言ってくるから、誰かちょいと背中を押してはくれないか

2020-01-07

推しが2度死んだ話

人間は2度死ぬ

1つ目は、身体が役目を終えるとき。これを「物理的な死」としよう。

2つ目は、その人のことを皆が忘れてしまときこちらは「認識的な死」だ。

どちらが先に来るかは人それぞれだが、ほとんどの人が「物理的」→「認識的」の順番で死ぬだろう。

みんながその人のことを覚えていてくれるから葬式ではその人を悼んで泣くのだ。

身体は死んでも、誰かが覚えているかぎり、その人は未だ完全に死んではいない。暴君独裁者すらも例外ではない。

昔々あるところに、人間の子供を食べる恐ろしい怪物がいた。

民衆は、その怪物に怯えて暮らしていた。

それをある青年が名乗り出て、迷宮踏み込み、殺した。そして、青年英雄となった。

という神話が残っている。私の推しーーアステリオスもまた、皆に存在を忘れられる前に、物理的に死ねた。

もし、彼が物理的に殺される前に、皆から存在を忘れられてしまったとしたら?

それが、私のもう1人の推しミノタウロスだ。

2018年4月4日、私のもう1人の推しが死んだ。というか私が殺した。

FGOの第2部1章、『永久凍土帝国 アナスタシア』の配信

ロシアというギリシャ神話とは全く関係のない地で、私は彼に出会った。

同じようにアステリオス好きな人達と同じく、私も衝撃を受けたことを覚えている。

一般的に語られている神話通りの「怪物」といえる恐ろしい相手だった。

最期に「向こう側=主人公たちの世界が羨ましい」と呟きながらも、笑顔を見せて、死んでいった。

FGOでは大抵、こういうセンセーショナルな出番を与えられたキャラクターが、主人公の味方として召喚できるようになる。

私は、彼にまた会える日を待っていた。

ずっと待った。

ずっと、ずっと待った。

結局、彼は世の中の人たちから忘れられてしまった。

誰も彼の話をしなかった。

誰も彼の絵を描かなかった。

絵を描いた人も、「ネタバレから」と自粛ムードで絵を削除してしまった。

そして、公式からすらも忘れられてしまった。

雑誌に載った、2部1章のキャラクター相関図には、彼は載っていなかった。

公式アンソロジーの表紙にも、彼はいなかった。

実際、ミノタウロスがいなくても、ちゃんと話は回るのだ。

ならば、どうして出した?

そのうち、毎月増えていく可愛らしい☆5サーヴァントたちがプレイヤーたちから可愛い!」「好き!」と言われてチヤホヤされている様子を見るのに嫌気が差した。

ギリシャ舞台の2部5章「神代巨神海洋 アトランティス」に微かな望みを懸けていたが、新規実装サーヴァントはどれも私の心を惹きつけなかった。

エウロペがアステリオスから見て義理祖母にあたるのは知っていたけれど、そんなことはどうでも良かった。

アステリオスはモーション改修されなかったし、ミノタウロスも(いつも通りだが)いないことがショックだった。

読むのに十数時間かかる重厚シナリオにはもう興味がなくなってしまった。

でも、ギリシャ舞台だ。もしかしたら、万が一でもミノタウロスに関する情報が得られるかもしれない。だから私は、ネタバレだけ検索した。

宮本武蔵カルデアの者といった人気者や、実装されま新キャラに比べたら圧倒的に情報が少なかったが、なんとか事の全貌が見えてきた。

ミノタウロスは、誰かによって召喚されたサーヴァントではなく、ギリシャ異聞帯から「輸出」された、「まだ生きている怪物」だったこと。

現地住民は、とうの昔に怪物と関わるのをやめて、名前すら忘れていたこと。

そして、ある一つのスクショを見て、私はFGOを見限ることにした。

迷宮主人公とともに踏み入ったと思しきシャルロット・コルデーが、

「汎人類史ミノタ……アステリオスはどんなお方だったのですか?」

主人公に聞いた。

その台詞に対する主人公の返しの選択肢が私の精神を抉ったのだ。

「大きかった……と思う」/「優しかったよ」

簡単一言。自信のない一言

私はアステリオスのことを人一倍知っているつもりだったが、FGO主人公は違ったらしい。

そんな一言で、私の幸せだった時間を片付けないでほしかった。

私はアステリオスのことを忘れてなんかいない。勝手に殺さないでくれ。

主人公プレイヤーなのは重々承知だが、私はこんな主人公感情移入できない。

そして、サーヴァントの強さは、知名度で決まる。

まり公式から主人公からも現地住民からプレイヤーから存在を忘れられたミノタウロスは、サーヴァントとしては未来永劫召喚できないということだ。

それだけ知れて、私は満足した。

私が物理的に殺す前に、彼はすでにギリシャの人々から忘れられて「死んで」いた。

でも少なくとも、私が彼のことを認識し、覚えている。

それだけで、彼は生きている。

2019-12-28

雪かきやれとかあったなー

これはオタクに限らず、にわか表現規制問題に少しでも関わった事がある人間ならば誰しも感じていると思う。

特に現在30以上の人間マスコミのこの手の報道のせいで偏見も強く、オタクは幾ら叩いても構わない程度の人種と本当に思っていたからね。

その辺がやっと少し改善され出した感じなのは判る。

今でもその差別自体普通に存在するけどね。

当時の宮崎事件以降、ロリコンだのフィギュア萌え族だのマスコミとタッグを組んで、あの人達規制煽りまくっていたからね。

普通にオタク犯罪者予備軍だのの扱いをされていたからな。

(ただ実際はその差別をして規制を押し進めてきたキリスト教国連が後に実在児童に対して性的虐待売春等と言うトンでも無いニュースが出てくるわけだが(苦笑))

今は朝日新聞がその先兵になっているけど、当時は変態新聞と呼ばれた毎日読売とかが規制ばかり煽っていて本当に酷かったからね。

個人的新聞定期購読を止めたのもこの辺から

それと弾圧と言う意味では宮崎事件からだけど、規制と言う意味合いでは10年前が一番危険且つ、最も規制側が勢いがあって、本当の意味で危うかった時期だったと思う。

あの時は児童ポルノ規制だの都条例だのあらゆる方向で潰しにかかってきたからね。

今のヘイトスピーチ禁止条例みたいに地方条例を奴等は利用して、規制押し付ける手口もこの当時されていたのは事実としてあるからね。

どっかのゲーム規制はその残り香による代物。

後、石原都知事もだけど、個人的には猪瀬元副知事の方がより印象が悪いね

しかしこれも山田太郎議員国連の一件で奔走して、票に繋がった事から流れが良くなっていったのは事実だと思うよ。

国連の件なんて山田太郎議員以外動いてくれる議員なんていなかったからね。

もし山田太郎議員が動かなかったら、今はないと思っても良い位当時良い仕事をしたのは事実

ブキッキオ氏の件なんてまさに彼等がいつも行っていたマッチポンプの結果そのものの行動だし、こう言う国連等の権威外圧に利用した手法はそれこそこの手のフェミ団体の得意技だったからね。

山田太郎議員がいなければ、本当にここで終わっていた可能性は高かったよ。

更に言えば、当時オタクは票にならないとか散々煽られたり貶されたりしたしね。

しかし思い出してみると当時と言い、今と言い、票田と言う意味に関して言えば、逆にフェミこそサゲマンなんじゃないかとこの件については思ったりもする(苦笑)

自民の時は民主政権交代される羽目になったし、今じゃリベラル消費税選挙ですら勝てないしな。

大真面目にそれ以外の票をドン引きさせて、その党に投票させなくなる効果がある事が実証されている様に思うのだけどね。

ただ当時は自民、今は野党左派政党で暗躍していた片割れの一つであるキリスト団体のあの方々やフェミ団体人達は今も宇崎ちゃんだのグラビアだのセックスドールだのでまだ児童ポルノ規制を盾に子供権利悪用しようとしているのも事実としてある。

彼等昨今増長して、先鋭化しすぎて、国連条約違反を指摘されておきながら、ガイドライン変更を強行する等の行為を行っていたりしているからね。

今の方が当時よりも形振り構わずな行動に出ているのも事実としてあるし、この様な先鋭化しだして、暴走している組織や団体は本当に危険なので、警戒はしておいた方が良いのは事実だよ。

それこそ米国だと先鋭化しすぎて、ニンフ絵画ゴーギャンまで狩り始めると言うまさにフェミナチと言う名に相応しい退廃芸術と言っても良い事までし始めているからね。

しかし当時は自民党がしていた規制を今や何を思ったのかしばき隊以降に野党議員や支持者がそれを喚き散らした結果、更に先鋭化して、今ではそのせいで一般人からリベラル政党フェミのものが毛嫌いされているのも皮肉以外何者でもないよね。

何も日本に限らず、ポリコレ棒や子供女性の権利人権LGBT等を振り回して規制しすぎて、昨今ではどこもリベラルが嫌われ勝てなくなり、更に当人ら同士で内輪揉めまでし始めたのは皮肉

2019-12-18

これはやりがい搾取なのか

愚痴らせて欲しい。

私はオタクだ。

日々推しCP小説を細々と書き、時折イベントに出て細々と本を頒布しているどこにでもいるオタクだ。

文字書きということでお察しの通り、オフ本の表紙やお品書きやポスターは全てPhotoshop自分デザインして作っている。単純に素材をあれやこれやと配置して、写真を加工したりフリーフォントを使ったり、これまたどこにでもいるオフ本の作品だ。

私には、リアルでAちゃんという友達がいる。

彼女オタクとは全く無関係世界にいて、なんならここ数年ハンドメイドアクセサリーを作ってminneやメルカリ販売したり、フリーマーケット?的な、なんたらマルシェなどのイベントに出て販売している。同じようなことをしているが、私とは天と地、陰と陽の趣味だ。

Aちゃんは私がオタクということは知っていても、まさか現実存在しない二次元少年たちの妄想号泣しながら小説を書き、それを本にして東京で売っていることなど知る由もない。それでも私たちは仲が良い。親友だ。

ある時、Aちゃん地元ハンドメイドマルシェなるもの主催することになった。彼女学生の頃からそういった企画が大得意だった。張り切ってAちゃんは準備をしていて、そして気付いた。

フライヤーがクソダサかった。

びっくりした。

インスタのストーリーズで見たアクセサリー写真ゴシック体を重ねた読みにくいものまさか配るために作られたものとは思わなかった。しかもAちゃんはそれを印刷所に入稿すると言っていた。え、待ってAちゃん、それ何枚刷るの?え、それインスタのストーリーズで作ったんだよね?そのまま入稿するの?解像度は?Aちゃん

私はそのまま、自分が作ると言ってしまった。

このマルシェは、Aちゃんの夢の始まりだった。

彼女は将来、雑貨屋を開くことを夢見ている。地元におしゃれなハンドメイド雑貨店を作り、沢山マルシェを開いて辺鄙田舎におしゃれなママさんを増やすことが夢だった。

そんな夢の始まりフライヤーゴシック体で描かれていい筈が無い。

私に出来ることと言っても手持ちの素材集から切り貼りして少し文章を整える程度だが、それでもある程度はマシなものが出来た。私が何故そんなスキルがあるのかとAちゃんは聞いてきたが、こういう仕事に興味があって、とだけ伝えた。

そして出来たものは、マルシェ会場になる施設写真(使用許可済)(ド曇りの天気を晴天に変えて緑色を明るくしてピクニック感を出した)に、マルシェ名のロゴを入れたシンプルものだった。

裏面には出店者情報も載せて、いざ入稿……と思ったが。

入稿すると言っていた日の夕方、Aちゃんから急に連絡がきた。

『出店者さんの一人が、内容修正して欲しいって連絡が来た』

私は入稿日の三日前にはデータを渡していた。その時点で一度確認して貰った筈なのに、何故入稿日に言うのか。

だが、修正くらいなら秒で出来るのでとりあえずすぐに直して再データを送った。入稿締め切りは23時だと言っていたが、その時点で18時。余裕だと思った。

しかし、待てど暮らせど入稿したという連絡が来ない。

Aちゃんにどうなったのか確認すると

『返事がない』

この時点で22時前だった。

小さいお子さんがいる人だから寝てしまたかも。

でもAちゃん、私がデータ送ったの18時じゃなかった?

最悪明日入稿でも良いし。

Aちゃん、私はね、締め切りを守るために予定をキャンセルした日があったよ。

予定では一ヶ月後だったのに、君が突然週明けには入稿したいって言い出したから、慌てて作ったよ。

それから二日後に、入稿したという連絡が来た。

Aちゃんからはお礼に、ハンドメイドアクセサリーを一つ貰った。

そして、そのイベント大成功したAちゃんはまた私にフライヤーを作って欲しいとお願いしてきた。

前回のフライヤーが大好評だったから是非またお願いと言われた。前回は初めてということもあり、私もなぁなぁにしていた部分があったから締め切りのことはかなりしっかり決めた。

今度のイベントクリスマスの夜をテーマにしたいけど、同じ施設でやるから同じようなデザインでやって欲しいと言われた。

前回は秋のピクニックイメージしたので、ならば今回は青っぽい色味でロゴも少し変えようと思って、簡単に作ったデータを送った。

返ってきたのは、前回と同じようにしてという言葉だった。

写真は同じものを使った。色味を変えてクリスマスの夜っぽくしたがダメなのか。

前回のフライヤーが好きだから前回のやつが良い。

でも前回のは明るすぎてクリスマスの夜感は0だよ。

それでも前回のやつが可愛かったからそっちが良

い。

そうだ、この子センスが無いんだった。

とりあえず、他の人に聞いてみてと返事をした翌日に、やっぱり青い方でお願いと返ってきた。そりゃそうだ。

私はこの辺りから少しAちゃんフライヤーを作ることに嫌気が差していた。

この後も三回ほど作ったが、ネットで見た『デザイナーあるある』が本当にあるあるだったと頷いてしまうようなことが山ほど起こってちょっと笑った。

はいよいよ決心してLINEを送った。

仕事が忙しくなるから、次のフライヤー最後にしたい』

これがついこの間のことだ。

私がAちゃんフライヤーを作って一年、作ったデザインは五つ。その全てが打ち合わせ通りに進んだことは無かった(割愛します)

次のフライヤーは、最初マルシェをした施設とまた同じものだ。だが、今回は別のイベントも同時開催でもっと大きなものになるというのは前から聞いていた。

そして一昨日、連絡が来た。

縁のある方にDMを送るから、今週末までにデータが欲しい。

まだ一度も打ち合わせをしていない。

イベント3月で、成人式あたりにフライヤーを配布したいという話だったからだ。

そして今日、また連絡がきた。

私が作ったフライヤーが、新聞の折り込み広告になる。

入れて欲しい文章が増えた。

サイズも変えて欲しい。

何もかも変わっても、締め切りは変わらない。

誤解なきように言うと、私はAちゃんのことは今でも大好きで親友だと思っている。今回の件で距離を置こうなどとは微塵も思っていない。

これが、一般人の認識なんだと勉強になった。

今の時代スマホがあればフライヤーデザインを作ることなんて簡単だ。スマホ写真を撮って、アプリ切り貼りして文字を入れれば完成する。

誰にでも出来るそれを、自らやりたいと申し出た私はきっと『それをやることが好きな人なんだ』。

見易さやターゲット層の視点なんて関係ない、パパパッと作れるものだ。

だって自分からやりたいと言ったのだから

最初に言った通り、私はオタクだ。

アンソロジー個人主催プチオンリーに参加した経験がある。

オタク殆どは、書き手に対して物凄い敬意を示す。それは自分もまた同じように苦戦した戦士からだ。絵描きが字書きを、字書きがグッズサークルを、グッズサークルデザイナー否定するなんてことは、私がいるジャンルではあり得ない。

だが、一般人の認識はそうではない。

自分は作れない。でも、あの人は作れる。じゃあお願いしよう。きっと作ることが上手なんだから、パパッと簡単にやってくれるわと、その程度だ。

今回、はてなダイアリーに書こうと思ったのは、職場でこの話をしたところ『でも貴方は好きでやったんでしょう?』と全会一致の意見を貰ったからだ。なんなら、これだけ愚痴って『ウチの年賀状もお願い(笑)』と言われて、この世界ダメだと絶望した。Twitter日常愚痴はあまり言いたくないため、ここに吐き出させてもらった。

もしもいつか、貴方仕事ではないプライベートの場面で似たような経験をすることになった場合、その時は辞めた方が良い。

私は『これ以上続けたらAちゃんとの友情ダメになる』と思ったから自ら辞めると言った。

やりたい、という気持ちを踏みにじられてしまう前に。

2019-11-19

オーフェンブギーポップ、どうして差がついたのか慢心環境の違い1

今年と来年の冬アニメ。共に前世スタートの長期シリーズであるライトノベル二作が再アニメ化される。

魔術士オーフェン(はぐれ旅)」と「ブギーポップ」だ。

原作開始と初アニメ化にそれぞれ数年の開きがあるし、ジャンル異世界ファンタジー現代SF風味異能オーフェン出版社レーベル)を富士見ファンタジアKADOKAWAからTOブックスに移籍した一方、ブギーポップは一貫して電撃(KADOKAWAから刊行し続けている……

といった細々した違いは存在するものの、テン年代および令和の視点から言えば、大雑把に「かつてアニメ化された昔の人気ラノベ」と括ってしまってもいいだろう。ブギーポップの新作アニメは今年の1月から3月まで1クール18話が放送され、ちょうど一年をおいて来年1月オーフェン放送開始予定となっている。

さて、上に掲げたタイトルについて。ここでの「差」というのは作品自体評価ではなく、あくまで今のアニメおよびその関連企画成功度合いについての話だが、果たしてどちらが格上なのか。

はっきり言ってしまうと、オーフェンが上、ブギーポップが下だ。現時点で既にオーフェンの新アニメ企画は、原作読者の盛り上がりの点でブギーポップを大きくリードしているように見える。

オーフェンは肝心のアニメがまだ始まってすらいないというのに、なぜそんなことが言えるのか。アニメとその周辺における、両作品の「差」を見ていこう。

コミカライズ

今回のアニメに合わせたブギーポップコミカライズは、アニメ化発表のほぼ直後から開始。アニメ化の範囲である「VSイマジネーター」「夜明けのブギーポップ」の2エピソードが、それぞれ異なる作家により漫画化された。「イマジネーター」の方は、上下構成である原作の、上巻にあたる部分までをベースにした内容になっている(打ち切りなのか当初の予定通りなのかは不明

作品としての出来自体は、いずれも適度に省略・再構成しつつ原作をなぞり、ビジュアル面ではアニメとも異なる独自解釈が随所に見られるという、手堅い造りになってはいる。のだが、どうせならアニメ化しない人気エピソード特にパンドラ」「ペパーミント魔術師」あたりをやって補完しても良かったのに、という気持ちもある。アニメ2期にでも回すつもりだったのかなあ……取らぬ狸の……

片やオーフェン新規コミカライズは3本。本編と言える長編シリーズの「はぐれ旅」、短編コメディの「無謀編」、そして旧版では無謀編の一部だった「プレ編」が、やはりそれぞれ別の作家の手で描かれた。

作品数がブギーポップを上回っていること自体は、それほど大きなアドバンテージでもないだろう。特筆すべきは、「無謀編」の担当作家が、あのファンタジーコメディエルフを狩るモノたち」の矢上裕だということだ。

いや、実のところ自分ちゃんと読んだことはないけれど、それでも名前は知っているぐらいには有名な作品であり作家であるアニメ化もされたし。

もちろん、何でもかんでも有名ベテラン作家を連れてくればいいというものではないが、これに関しては、代表作の連載時期が富士見時代オーフェンと重なっている同時代性や、コメディである無謀編との相性の良さからか、原作読者の反応も上々な人選だったようだ。

ベストマッチビッグネームの起用でオーフェンがやや有利といったところだが、ここはまだ比較的、両作の差が小さい分野と言える。

出版

新規コミカライズ以外の出版物の話。

ブギーポップアニメ化に合わせる形で、アニメ範囲原作5巻を新装版(単行本)で刊行している。表紙を含むイラストオリジナルイラストレーターによる新規描きおろし。また、分量はごく短いあとがき程度のものだが、本文にも書き下ろしがある。

アニメと同時期に原作イラストレーター自ら手がけた、原作1巻「笑わない」のコミカライズもやはり新装版で再刊。最初の予定ではアニメ放送中に合わせるはずだった?のが、たび重なる延期で結局放送終了後になったものの、原作本編の新刊も一応出ている。

アニメ作品出版社側の動きとして、ノルマは十分以上に果たしているとは言えるだろう。が、優等生的な物足りなさを少々覚えてしまうのは自分だけだろうか。

それに対しオーフェンは、旧シリーズ新装版は数年前すでに刊行済み。TOブックス移籍後の新シリーズも本編はほぼ文庫化完了していたが、新シリーズの「番外編」と旧作「プレ編」が、それぞれ2巻ずつアニメ化発表後に文庫化されている。

また、アニメ開始目前の来月末には新作長編が出る予定も……と、この辺まではブギーポップとそんなに変わらない順当なラインナップとなっている。だがオーフェンにはもう一つ、目玉と言える一冊がある。

今月末発売の『魔術士オーフェンアンソロジー』だ。

その名の通り、オーフェンに縁のある有名作家たちによる、公式二次創作短編集。歴史のあるシリーズだけあって執筆陣もそうそうたるメンバーがそろっている。

スレイヤーズ」の神坂一!(旧シリーズ時代には富士見の二枚看板オーフェン作者と合作経験もあり )

アニメ絶賛放送中!「本好きの下剋上」の香月美夜!(TOブックス仲間)

サクラダリセット」の河野裕(作者のファンらしい)!

デート・ア・ライブ」の橘公司!(ドラゴンマガジンオーフェン短編掲載したことも)

僕は友達が少ない」「妹さえいればいい。」 の平坂読!(よく知らないがオーフェン好きなの?)

そして解説は「ロードス島戦記」の水野良

と、いっそ胸焼けを起こしそうなほどの豪華さだ。参った参った。

実のところ、ラノベアニメ化する際などに他の有名作家を集めてこのような公式アンソロジーを出すことは、そこまで珍しいわけでもない。刊行期間の長い古参シリーズ場合はなおさらだ。それこそオーフェンの作者自身スレイヤーズ 25周年あんそろじー』に寄稿しているし、最近の例では他に『されど罪人は竜と踊る: オルケストラ 』などもあった。

からこそ、アンソロジーはもはや、出せる時にはとりあえず出しておくべき記念品みたいなものだと思うのだが……何でブギーポップは出さなかったんだろうか?あれだけ業界への大きな影響が(「〜以前・〜以降」だのと実態よりも過剰なほどに)強調して語られ、読者だったことを公言している現役人作家もそれなりの数が存在しているシリーズだというのに。もったいないしか言いようがない。

一応ブギーポップ側には、原作出版社であるKADOKAWA以外なので厳密に言えばアニメ連動の出版ではないが(敢えて言うなら便乗)、批評誌「ユリイカ」での作者特集というものもあった。これも最初企画を知った時には、公式アンソロジーと同じぐらいのインパクトを感じたし、実際インタビューや対談、書き下ろしの「竹泡対談」(読者にはお馴染みの会話形式SS)など、ファンにとって素直に価値のある部分も存在した。

ただ正直、作者本人以外の執筆陣がちょっと……それぞれの知名度や実績自体問題があるわけではないんだけど、ブギーポップやその作者を語ってもらう時になぜ敢えてこれ?と疑問が残る人選で……言葉を選ばずに言うと、なんで西尾維新呼ばねぇの?ってこと。他のメフィスト賞作家は3人もいるのに!

どうも全体的に、ユリイカに呼びやす人材の中で、ブギーポップというかラノベについてまあ知っていないこともないぐらいの人々(&新アニメ関係者)をなんとな〜く集めたような、芯の定まらない生ぬるい印象を受ける特集になっていた。これではとても、夢の公式アンソロジー代替にはなり得ない。

(ちなみに本拠地である電撃文庫ライトノベル誌「電撃文庫MAGAZINE」でもアニメ放送中にブギーポップ特集掲載されたが、これはユリイカなど及びもつかない完全にスッカスカで虚夢of虚夢な内容だったらしい(自分他人の評判を聞いて回避した))

その他

オーフェンアニメに先駆けて、今年の8月11月に「舞台版」の公演を二度行っている。いわゆる2.5次元だ。

異世界ファンタジーというジャンル、そしてラノベの中でもセリフや行動には直接表れない微妙感情や設定が特に多い原作という、2.5次元素人感覚からするとかなり難しそうな題材ながら、ツイッター等での反応を見るに原作ファンには大好評だったようだ。客の入りなどの数字的なことは不明だが、生身の人間ラノベキャラを演じ、実際に観た読者をあれだけ満足させられたのなら、それだけで大成功と言っていいだろう。

また、スレイヤーズフルメタルパニックと共に「富士見ファンタジア文庫レジェンド」の一つという扱いではあるものの、オーフェンはあの「パズル&ドラゴンズ」でのコラボ参戦も果たしている。今や、オタクカルチャーにおいてアニメ匹敵するほどの存在感を持つスマホゲーム。その中でもいまだトップクラスの人気&売上を誇るパズドラとのコラボなのだから、これはもう勝ち組と言わざるを得ない。

さて、そういったイベントめいた展開がブギーポップの方にも何かあっただろうか。

スマホゲーコラボ……無し。

KADOKAWAラノベ原作アニメは、放送中のコラボ率がわりと高いので期待していたのだが……。後述するキャラデザイン変更の問題により、原作版とアニメ版どちらでの参戦になっても角が立つからという理由でどこも二の足を踏んだ、のかもしれない(あくま憶測

それ以外では……そう、「“不気味な色”グミの配布会があった!

TVアニメブギーポップは笑わない」で、「夜明けのブギーポップ」編全4話を一挙放送する2時間特番が決定!それを記念して、アニメイト秋葉原店頭にて「“不気味な色”グミ」&「特製ポストカード」セットの配布会を開催致しま

いや〜行きたかったな〜、「“不気味な色”グミ」配布会!首都圏に住んでたらな〜!どんな味がしたんだろう「“不気味な色”グミ」!

ところで……「“不気味な色”グミ」って、何?(不気味=ブギーというキーワード以外特に原作とは関係がない)

それから「“不気味な色”入浴剤の配布会も忘れてはいけない。

アニメイト秋葉原本館でTVアニメブギーポップは笑わない」のオンリーショップが開催決定!それを記念して、アニメイト秋葉原本館店頭にて「“不気味な色”入浴剤」&「特製ミニキャラカード」セットの配布会を開催致しま

いや〜行きたかったな〜、「“不気味な色”入浴剤」配布会!首都圏に住んでたらな〜!どんな効能があったんだろう「“不気味な色”入浴剤」!

…………「“不気味な色”入浴剤」って、何???原作無関係だが合成促進剤の風呂だと思って入ると楽しそう)

別に、「“不気味な色”グミ」や「“不気味な色”入浴剤」が必ずしも悪いということではない。いっそ「“不気味な色”まんじゅう通称「ぶきまん」も作り、調子に乗って事業を拡大させ経営破綻に陥ったっていい。

ただ、そういう飛び道具的なネタは、「ファン普通に喜ぶこと」を一通りやった上で、ダメ押しとして追加するのが筋ではないだろうか。

2.5次元スマホゲーコラボけがファンへのサービスとして正解ではないのはもちろんだ(ブギーポップは意外に2.5次元素材としては向いてるんじゃないかとは思うが)。それでも、グミ入浴剤の前にはやれること、やるべきことが他にいくらでもあったのでは、とつい思ってしまう。

キャラクターデザイン

公開済みのPVキービジュアルなどを見る限り、今回のオーフェンアニメ化においては、単に基本的デザイン踏襲するのみならず、原作イラストテイストをかなり強く意識した画作りがされているようだ。これは周辺のメディア展開も同様で、前述のパズドラコラボにおいても原作イラストレーター自身オーフェンキャラ絵を一枚描きおろしている。

一方ブギーポップアニメ化にあたって、「ブギーポップ」のコスチューム以外のほとんどのキャラクターデザインを、原作イラストとは別に本編での描写から新規に設定し直している。分かりやすいところでは、原作ではセーラー服だったメインキャラの制服がブレザーになったりしている。

このデザイン変更をめぐって、原作イラストレーターとアニメ制作会社との間でトラブルがあったことは周知の事実だろうから、今さらここで改めて説明はしない。

自分はこのデザイン変更自体は、他の多くの人々が考えるほどには、作品の致命的な傷だとは思っていない。たしか原作ラノベの魅力にあのイラストが大きく関わっているのは事実だが、一つのアニメ作品として考えた時に、絶対に何があろうと譲れないポイントである、とまでは言い切れない。ラノベといえども小説であり本体あくま文章なので、ストーリー等の変更の方が重大な問題だ。

ただ、オリジナルストーリーだった前アニメに対し今回は原作をなぞるという基本方針アニメ化において、わざわざ「原作通り」から外れる要素を持ち込むのであれば、それなりの根拠必要にはなるだろう。変えるなら変えるで、原作イラストよりも明確に“カッコイイ”とか“カワイイ”といった、意図や売りが伝わるデザインであってほしい。

殘念ながら実際のアニメデザインからは、「なぜコレなのか」が感じ取れることは少なかった。敢えて言うなら、ややリアルに寄せたということにはなるのだろうが……「歪曲王」の耳が異常にデカ母子とか何がしたかったんだろう……

アニメ本編

今回のブギーポップアニメ原作エピソード単位で見た時に、世間一般での評価が最も厳しかったのは、やはり最初の「ブギーポップは笑わない」編だろう。

ただでさえ原作小説1巻を3話で消化する尺に余裕のない状況なのに、よりによって「間」を大事にする演出選択してしまったせいで原作セリフが大幅にカット。また、一つの出来事がそれぞれ別の人物視点から語られる各章からなる原作を、なぜか更に視点が細かく移動し時系列前後する構成に変更してしまったため、複雑さが無駄に加速することに。

これらはむしろ原作読者よりも初見視聴者の方に影響が大きく、キャラクターの感情について行けないとか、今のシーンがいつの出来事なのか分からなくて混乱するといった声が多く見られた。

そして何より、クライマックスのシーンでブギーポップトレードマークである「口笛」を吹かないという、信じがたい改変。これには原作読者が大いに驚愕することになった。悪い意味で。

出合い頭で深い不信感を植え付けられたせいか、あるいは単にそのまま視聴者が大量に離れたのか。後半に、特番枠で4話一挙放送された「夜明けのブギーポップ」のような名エピソード存在しても、作品全体の低評化は結局最後まで覆すことができないまま終わってしまった。

繰り返しになるが、オーフェンの方はまだアニメ放送開始していない上に、どういった構成になるのかも正式には判明していない。だがもしも大方の予想通り、順当に原作長編の一作目『我が呼び声に応えよ獣』を最初に持ってくるのであれば、やはりこのファーストエピソードの出来がアニメ化の成否を大きく左右することになるだろう。

原作ファンは、普通にやれば普通によく出来てるはずのこの話に、「口笛を吹かない」に匹敵するレベルの大大大チョンボ改変が混入しないことを祈っておくといい。でも、『獣』でそのぐらいクリティカルポイントって何があるかな。「ブラックタイガー」のカットとか?

(続き)

https://anond.hatelabo.jp/20191119205330

2019-11-18

わたモテアンソロ感想

谷川ニコ

よっ原作者原作者以外が書いたらぶん殴られるけど、原作者が書く分には仕方ないね

ここ最近の群集劇らしさは無いものの、もこっちのもこっちらしさと、こみなんとかさんの関係ちゃんと丁寧に掘り下げられてて、掘り下げられてるだけに、この二人の関係を本編で見抜いてるきーちゃんの恐ろしさにはねるの良い。

関係ないですが、アンソロ2があるなら、ラヂヲヘッドさんをゲストにお呼びしませんか?

辻真先

ベテランから何しても良いと思うなよ、と若干イラっとしてしまったが。(特に表紙のうっちー枠ここ? と悟ったあたりで)

良い意味でも悪い意味でも同人誌って感じで、嫌いじゃないよ、嫌いじゃ無いけど、うーむ。

青崎有吾

一番ミステリを書くのがうまい奴が一番わたモテを上手に書けるわけじゃ無いの、当たり前なんだけど、当たり前だからこそ、なんでこの企画通ったのか不思議になるわ。

原作ネタを丁寧に拾って、かつそこからぐぐんと膨らませる、裏染くんの推理みたいなできでとても面白かった。

ただちょっと普通かなあ。円居挽作品みたいに、もう一度本編を読み直さなくちゃ! という焦燥感かられるほどではなく、普通にただ「ありそー! こういう掘り下げありそー!」で終わってるというか。

ある漫画がもってる当たり前の側面を当たり前に見せてくれただけで、もちろんこれはこれで面白くてよいのだけど、円居挽がなあ、円居挽がああだったからなあ。

相沢沙呼

オチから逆算してこの配役にしたんだろうけど、オチすき。

ただのそのオチに向かうまでの道中は本編ではまだほとんど掘り下げられてないキャラを、かなりガッツリ掘ってるけど、ちょっと質感が湿っぽい感じがしなくもない。

(湿っぽいの相沢沙呼らしさな気がしてるけど、これは単にデビュー作のラストの謎解き中ずっと登場人物が泣いてたからだと思うんだよ)

もこっちが良い意味でも悪い意味でも空回りしてこそで、もこっちと同じ目線に立つキャラってのはなかなか難しそう。

良い意味でも悪い意味でも夏帆相沢沙呼してて、谷川ニコちゃんインストールした前後の二人と比較するとそこが残念かも。

(わかんないけどね、夏帆が本編でもああだと逆輸入されれば違和感なくなると思うし)

円居挽

で、で、でたー、ツイッター面白さと作品面白さのバランスが最も悪いミステリ作家ただし2次創作は除く! の本領発揮だあああああ!!!

わたモテ読書ほぼ全員が抱いてるあの疑問をミステリ仕立ての奇妙な謎とともに解き明かす見事な展開。

修学旅行からのいわゆる「わたモテ第二部」をもう一度読み返したくなる、わたモテを新たな切り口で見せてくれた、とんでもなく良い作品だった。

もちろん、物語としても、ミステリ仕立てで、そのミステリの謎解きにわたモテらしい実在アニメ漫画が関わってくるのも良いし、わりかしアンソロジーとしてのオチ感もちゃんと出てて面白いんだけど。

それ以上に、わたモテという作品解釈をこうするというのが、とにかくすごい。なんていうか、こう、「おめえらの知ってるわたモテってこっちの面だけなのか?」という挑発じみた展開でもあって、こりゃまじですごい、面白い。

あと、全方位的なカップリングの面もちゃんと抑えてるのもにくくて、うっちーすこの僕も量は少ないものの良いうっちーうっちーいい。

わたモテという作品本質情報が乗ってるよ、いいのこれ、最終回であかすやつじゃないの? 大丈夫? と心配になるわ。

そりゃまあ、こいつの作品面白く無いなら、そもそもこんな企画を立ち上げるなよって話なんだから、これだけのクオリティもそりゃそうなんかもだけど

それでも、さすがのさすがで、こりゃすごいわ。

カイジキングレオの回想も一緒に買ってきたんだけど、こりゃカイジの方はわくわくすっぞ!

総評

円居挽に読むものも食べるものも抜くもの支配される人生も悪く無いのかもしれませんね。

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