はてなキーワード: 飛行機とは
夜行バスは、大学一年生のとき東京からユニバまで乗ったけど、一睡もできず意図せず人生初の徹夜をしてしまい、体調が悪くてユニバの思い出がほとんどない。当時はハリポタができてすぐだったから乗ったけど、揺られながら吐くのを我慢と、サンダルがおちないように足の指をギュッとするのに注力してて、どんなアトラクションだったか全く覚えてない。その後は友達と別れて一人でベンチで夕方まで死んでた。
旅行が好きで飛行機に乗る機会が多いんだけど、夜の便で行くと一日ホテルで寝込むことになる。
マレーシアは東京22時位、クアラルンプール早朝に着く、普通の人にはとてもいい時間に飛行機が出てるんだけど、わたしには苦痛な時間帯(友達の時間有効活用のために乗るけど)
どうやったら寝れるの?
座った状態で上半身だけ横にしたらねれるんだけど、ちょっと背もたれが傾いたくらいじゃ角度が足りない。
みんなどうやって座って寝てるの?
別に個人が「飛行機事故は起こるので乗らないのが危機管理」とするのは自由です。
でも今違うでしょ、
「こいつをキチガイと扱って、訴訟リスクまで考えない奴は社会経験が無い奴!」って明らかに攻撃モード入ってるじゃん。
リスクを数値化して具体的に提示できないと「飛行機事故にのる事自体がリスク」ともいえるので…
自分が具体的な話が出来なくなった瞬間に「社会経験」とかのレッテル貼りで逃げるのは
流石にバレバレなので、やめた方が良いとおもうのれす。
真実を伝えたい。約70年前に結婚の約束を交わした日本人女性を探しています。
当時のペギー・ヤマグチさんの写真
アメリカのアイオワ州に住む91歳のデュエイン・マンさんは、海軍時代に駐屯していた日本で出会った女性、ペギー・ヤマグチさんを、約70年間探し続けている。
2人は愛し合い結婚まで約束していたが、ある出来事がきっかけで結ばれることはなかった。
マンさんはヤマグチさん、もしくはその家族を見つけ、真実を伝えたいという。
彼はその願いを込めて、Facebookに自身のストーリーを投稿した。
海軍に所属していたマンさんは、1953年から1954年にかけて日本に駐屯。1952年に日本政府に一部返還され「東京国際空港」(羽田空港)となった「ハネダ・エアベース」で海軍連絡係として働いていた(全面返還は1958年)。彼は空軍の下士官クラブの利用を認められており、ヤマグチさんはそのクラブでクローク係として勤務していた。
自由時間にはそこでスロットマシンの修理係としても働いていた22歳のマンさんは、ヤマグチさんとダンスを通じて仲を深め、恋に落ちていった。
約14カ月の交際を経て、式の準備が出来しだい結婚しようと計画していた2人だったが、当時、アメリカの軍人と日本人が結婚するのは容易なことではなかった。
そんな時、予定より数カ月早くマンさんに帰任命令が出た。結婚する間もなく、マンさんはアメリカに帰る飛行機に乗ることになった。
残されることとなったヤマグチさんはその時、妊娠していたーー。涙する彼女にマンさんは「心配しないで。貯金があるから、すぐに君をアメリカに呼び寄せるよ」と話した。
しかし、帰宅すると思いもよらぬ事態が起こっていた。すべての貯金が父親に使われていたのだ。彼はヤマグチさんに手紙でその旨を説明し、仕事を見つけて必ず早く呼び寄せると伝えた。
マンさんは高速道路の建設会社で仕事を見つけ、週6日必死に働いた。その間ヤマグチさんと手紙のやりとりをしていたが、約1カ月後には返信が来なくなった。
約3カ月後、妹が渡してくれたヤマグチさんからの手紙には、赤ちゃんを流産してしまったこと、そして日本で出会ったアメリカ軍人の男性と結婚したことが書かれていた。
実は、その間実家に送られてきていたヤマグチさんからの手紙は、日本人との結婚に反対だった母親によって燃やされていたのだ...。
会って真実を伝えたい
母親に手紙を焼かれて彼女の連絡先を失い、連絡の方法がなくなってしまったマンさん。それから約70年たった今も、未だにヤマグチさんを探している。
「彼女にもし会えたなら、見捨てたんじゃない、ということを1番伝えたい」とマンさんはハフポスト日本版の取材に答え、ぜひこのストーリーをシェアして欲しいと語った。
5月2日に投稿されたマンさんのFacebookポストはすでに700回以上シェアされており、400件以上のコメントが寄せられている。その中には、「見つけられますように」などの応援メッセージだけでなく、情報提供や捜索手段のアドバイスも多くある。しかし、未だに確実な情報は得られていないとマンさんは語った。
彼はすでに2度結婚を経験しており、6人の子どもと18人の孫、そして6人のひ孫がいる。彼らも今回の調査を手助けしている。
【ヤマグチさんの手がかり】
現在ペギー・ヤマグチさんの手がかりとしてわかっていることは、
・1953年~1954年に「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)の空軍の下士官クラブ(Air Force Non Commisioned Officers Club)でクローク係(Hat check girl)として勤務していた。
・当時の写真(↑)
・当時、「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)すぐ近くの寮に住んでいた。
残念ながら、マンさんは 彼女を「ペギー」と呼んでおり、正確な日本語名を覚えていない。Facebookで彼は「Iyackoだったと思ったが...」と述べており、コメント欄ではAyakoやIchikoではないかとの憶測がなされている。結婚後の姓もわかっていない。
現在、アメリカでもこの投稿は広くシェアされ、ニュースでも取り上げられ調査の輪が広がっている。
【ヤマグチさんは米軍の男性と結婚したとのこと。その後、渡米しアメリカにいる可能性も高いですが、もし何かご存知の情報があれば、件名に「ヤマグチさん情報」と記入し、news@huffpost.jpにぜひご提供ください。編集部からマンさんに連絡いたします】
https://news.yahoo.co.jp/articles/27578dd76d48b1fc7dfe50e37769b7f496f77c7c
滝沢ガレソ🐯 on Twitter: "ベトナム滞在中の日本人男性さん、コンビニに居合わせた現地女性にSEX交渉をして警察沙汰に 怒った女性に殴られ男性は出血するも、終始ヘラヘラ対応している様子がベトナム現地で報道され炎上中 https://t.co/6aUyGSDI4Q"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/takigare3/status/1522861049984143360
Manager2525 on Twitter: "【これからベトナムへ来る方へお願い】 ここベトナムでは最近、日本人の飛行機内での盗撮、BARでの痴漢、ベトナム人女性にコンビニ内で買春を持ちかける等の行為でニュースで連日報道される等、大大大大炎上してます。 国辱ものですので、本当にそういうバカな行為は止めて下さい"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/newjk225/status/1522515024085876736
性倫理もそうだけど、ベトナムを未だに「途上国」「情報技術が未発達」というバブル期のイメージのまま捉えている人がいそうなのが怖い。
増田はこれを見て
ベトナムを途上国扱いして、未だに街中で売春を持ちかける日本人男性がいるってtoggeterがはてブに上がってたけど
調べてみたら1人あたりのGDPはまだ日本の10分の1以下なんだな。
もちろん金に物を言わせて売春するような品のない日本を貶めるような行いは反対だけど、
と主張
最も駄目な点
書かれていないことを妄想することはコミュニケーションの欠陥です、気を付けましょう
「インターネットのニュースやTikTokなどのSNSで日本人旅行者の悪い行いが広まっている」という文脈を理解していないので、
「ベトナムを未だに「途上国」「情報技術が未発達」というバブル期のイメージのまま捉えている」というコメントを理解できていない
50点減点、やり直し
FIREは考えてない、たとえ5億貰ってもいつまでも現職にしがみついてやる。
友達いないし、親は飛行機の距離に住んでるし、休日も子供の相手と瞑想しかやってないから仕事しかやる事ない。
インデックスでやってみるよ!積み立てるよ!
徳島文理からスタンフォード行った子が結局親金じゃないかと言われてることに関してツイッターを眺めていた。そしたらこういうツイート(メモ画像なので検索しても出ない)を見つけた。
『人口1000人の村の子の「四国からスタンフォード行った人テレビで見て僕も交換留学行ってみようと思って!」という言葉を聞いたことがある身としては、彼女を持ち上げていた社会はきっと間違いじゃなかったと思っています。』
これを見てうっかり過去の記憶が開いてしまったので、思い出し自分語りをする。先に言っておくがオチはない。
小学生の時に、私は親の都合で地方都市から学年人数1桁の小さな集落の小学校に転入して、1年で元の街に戻った。計画的な滞在であり、長いキャンプのような経験だった。私は自閉傾向があり対人関係に失敗していることにも気づかない有様だったが、勉強で苦労したことはなかった。1桁人数の同級生の中で、私は「街から来た頭のいい変な子」であったのだろう。
記憶にはないが、私は当時既に進学のイメージを持っていたはずだ。街の家から自転車通学範囲に父の通っていた中学、高校があり、大学も近くにあった。
一方で転入した集落は中学校がある村の中心部から遠く、村には高校がないため隣の市にある高校に通うことになる。そこの大学進学率は高くない。県庁所在地の進学校は遠い。長時間通学か下宿になるだろう。
このような条件のため、村の多くの親にとって進学先は隣市の高校で、そのまま就職するか、専門学校に行くか、頭が良ければそこから地元国立に進学する、場合によってはより上位国立を狙い県外に行く子もいるだろう、というイメージだった。
さて私の同級生には集落育ちで頭のいい子がいた。Aくんとしよう。Aくんは街から来た子と話しているうちに、中学から受験をして勉強する人たちの存在を知ってしまった。受験をする気がなかった私がなぜそんな話をしたかは記憶にない。
ここからは私が親から聞いた話で、聞いたのは街に帰る季節だった。そのできごとがいつ発生したのかは不明だ。
Aくんは街にしかない中高一貫校に行きたいと言い出した。Aくんの親は困ってしまった。この希望にかかる経費はA家の計画より大きすぎたのだ。私の親は進学の難しさは勉強の問題だけでないことを私に説明した。責めるニュアンスがあったかどうかは記憶にないが、私の情報が原因であったことは指摘された。少なくとも、街に住める私と生活基盤が集落にしかないAくんの間には格差があること、私のもたらした情報がAくんと家族を苦しめたことは理解できた。私の家とAくんの家の経済状況はあまり変わらなかっただろうと思う。住むところが違うだけで選択肢が狭まるのだ。
知らない方が幸せだったとは思わないが、しかしこの挫折はAくんにどう影響しただろうか。わからずじまいだった。
街に戻った私はそれなりの治安の公立中から、今話題の徳島文理のようないわゆる地方内名門私立の一貫校に高校編入した。私立優位の地域であり、かつてAくんが希望した学校とは別だ。
校則では原付の運転が禁止されていたが、私が滞在した村を含む、公共交通の貧弱な地域に住んでいる生徒は駅までの利用が許可されていた。仮にあの集落からなら、20kmほどの道のりを原付で通い、JRで1時間、さらに乗り換えて学校に着く。私は自転車で30分だ。同級生の中にはさらに遠い地域出身で中学の頃から親と一緒に部屋を借りている子もいた。Aくんが選べず、私には選ぶ必要がなかったルートだ。
高校まではそのように地理条件に恵まれていた私だが、大学進学という全国での比較では、一転恵まれていない方になった。
ここから大阪までは高速バスで5時間強かかる。東京は夜行か飛行機だ。隣県や都市に出てから乗り継がないと行けない地域も多い。地元国立大学はあまり偏差値が高くないので、高校ではもう少し上を目指す子がほとんどだった。メジャー分野なのに県内にない、あっても国公立ではない学部志望者も多かった。
しかし県外進学には多額の費用がかかる。私は幸いにも県外進学ができたが、優秀でも地元国立に進学するケースも多かった。
そういう地域格差はまあ、ネット上でよく語られるとおりである。
私は中学生あたりから持病を発症し、勉強も含め様々なことを人並みにこなすことが難しくなったが、身体が許す範囲で学び、大学に入り就職氷河期の終わりに正社員の職に滑り込むことができた。薬でQOLが改善したのは就職してだいぶ後、ここ数年の話だ。もし就活、大学生、高校生の頃にこの薬があればと思うことがやはりある。
私が下層からの成り上がりをブランディングしたければネタに使えそうな人生を送った中学の同級生もいるが、そんなことに他人の苦労を使うものではない。ただそういう公立中から高校に進学して感じた格差は大きかったし、大学に入ってからの友人は様々な出身地から来ていて、親との関係も健康状態も経済状況も様々だった。観察さえすれば、多様性はいつでも目の前にある。
間違いなく居住地条件でAくんより恵まれていた。これは格差問題を考える時の私のスタート地点だ。一方で都市に住む同い年の子と比べたら、この県にいることは逆境だった。予備校に行く資力はなかったが、私学には通えた。家に借金取りは来なかった。病は珍しい逆境だろう。しかしごまかしながらやっていける知能を持てたことは間違いなく運がよかった。実力も運のうち、全くその通りだ。こんな絡みまくった要素から実力や努力を拾い出すなんて不可能だ。
私の卒業した高校は、経済的な事情で寄付金を原資とした学費減免措置を受ける生徒が多い。私のところにも時々寄付催促の振込用紙が来る。出せるのは雀の涙だ。
後輩達はその高校に入れるだけで十分恵まれていて、彼らへの支援はメリトクラシーに基づいているとも言える。しかし多くの卒業生が何らかの形で都会で得たものを還流する行動は間違いなく県域の底上げに役立っている。いや私は個人主義者なので彼らが共同体を離れ外に行くこと自体を歓迎すべきだ。いや普段の寄付対象であるフードバンクの方がもっと意義がある支援だ、とか、まあいろんなことを考える。
みんなそれぞれの逆境を生きている、と言ってしまうのは安易な相対主義だ。しかしどの逆境にも支援が必要だ。
1つの回答として、私はここ数年、ある種の逆境にある人に対する金銭と時間の集中的な支援をしている。
ノブレスオブリージュは階層社会を気持ちよく生きるためのごまかしにすぎないとも思う。自主的にやらせていては十分な再分配はできない。それでも自分には他人の逆境に対してできることがある。どのような経過を辿ったにせよ、今動く身体があり、さらに職まであることは、今この瞬間そうでない人より恵まれている部分だ。
私がAくんに希望を持たせて傷つけてしまったことに関する身勝手な自己保身の欲求があり、1000人の村の子が希望を持ったという話に勝手に重ねている。
あれからもうずっと少子化傾向を続けた結果、彼らには私達の頃より多くの社会的リソースが割かれるようになっているだろうと信じたい。
ニューラルネットワークが目的の関数を近似出来るようになるって事自体は数学で証明出来るからいい
でもなぜわざわざ中間層の多いディープラーニングを用いるかとなると理論的な根拠が薄くなる。
中間層が無いよりは一層ある方がいい、二層あると更にいいという所までは証明出来てるけど
それをもって中間層がなるべく多いほうがいいって結論まで持ってくのは厳しすぎる。
この調子でディープラーニングの構成や学習に用いる方法なども万事が薄い根拠と単なる経験とカンで選ばれたものばかり。
いちおうネタバレ注意で。
幼少の頃より本が好きだったが、自分でも二次創作とかラノベとか書き散らすようになると、改めてレベルの高さを思い知らされるのが児童文学である。
もちろんピンキリなのだろうが、特に記憶に残っている作品を書いとく。
『どうぞのいす』
100%の善意で作られた物語であり、読むと安心できたので大好きだった。
『チリンの鈴』
アニメ映画から入ったのだが、原作はちょっと展開(というかチリンの心の動き)が違う。
孤独を知ると、ウォーがどれだけチリンに救われたのかも想像できる。
子供の頃、押入れという空間が好きだった。布団に埋もれる事も出来たし、暗くて狭い空間に無理矢理入るのも好きだった。
が、この本は怖かった。押し入れのシミがだんだん人の横顔に見えてくる展開が完全にホラー。
なんか汽車が出てきたような記憶があるが、物語にどう絡んでたのかよく覚えてない。
『がまくんとカエルくん』
ガマくんが出不精。春がきたんでカエルくんが頑張ってガマくんを布団から出そうと奮闘する話と、ガマくんがアイスクリームをカエルくんに持って帰ろうとして途中で溶け出してえらいことになる話だけ覚えてる。
『ピーターラビットのおはなし』
あとマクレガーさん。
キャラは覚えているのだが、お話自体はいまいちよく覚えてない。
『まよなかのだいどころ』
なんか幼心にも不潔なことやってんなという気分になった絵本。
最後がなぜか主人公に感謝して終わったような記憶がある。「おかげでわかったよ毎朝パンが食べられるわけが」みたい締めだったけど、そんな話だったっけ?
なんかしらんけど『きのいいサンタ』という別の絵本と勘違いして読んだ。
さむがりやというより、偏屈でブツブツ文句言ってるサンタだったような。肝心の『きのいいサンタ』の方は全く話を覚えてないが、さむがりやの方は煙突から入って煤だらけになったとブツブツ言ってたのを覚えている。
※番外
『ぼくいたくない』
大人になってからチリンの鈴を探していたときに本屋でなんとなく手に取ったのだが、余りにハードな内容にギャアという感じになった。
もしかして、子供に買ってあげる絵本を探してる親達に、これでも読めやという意図でわざと絵本にしたのだろうか。そうだとしたらなかなかの策士だと言える。
最近の海外のゲーム業界だと造形として男が望む形の美女のキャラクターを登場させること自体が政治的に正しくないとされる風潮があるようで、
例えば人気シリーズのヒロインの胸が新作になってからあからさまに小さくなったり、実在の美人モデルが存在するキャラでも3Dモデルは実物よりもずっと見た目が悪くされてたり、
日本人ゲーマーとしてはあまり好きな風潮ではないのだが、ただこれを回避する唯一の方法があって、それは「キャラクリエイト機能」をつけること
おっぱいの大きい童顔美少女を使いたいならそうすればいいし、筋骨隆々の大男を使いたいならそうすればいいし、アジア人が自分の分身として小さく細身のイケメンアジア人が巨大な剣を振るうようにしたいならそれも自由。
「政治的に正しいから」という理由でプレイヤーも作り手も属性を強制されることもないし、よくある主人公像が苦手ならそうしたい人はそうすればいい、「なんでもできる」はポリコレ回避策として有効なんだと思う。
じゃあ今後技術が進歩してGTAよりももっと何でもできるゲームが発展したらどうなるんだろうか。
ソートアートオンラインみたいな仮想現実で、NPCは精巧な疑似人格を持ってて、もしもボックスのように世界設定すら自由にインプットできるようなゲーム。
探偵事務所を開いて闇の組織の陰謀を暴くのも、美女と幸せな家庭を築くのも、相手が誰でも殺人だろうと強盗だろうと性犯罪だろうとなんでもできる。勿論しないのも自由。
所詮は仮想現実の中の物語だからNPCがどんなに精巧な悲鳴を上げても現実の被害者は誰もいない。
こういうゲームの存在って、道徳的にはどうなんだろうか。俺は別に何やってもいいじゃんって思うのだが、
結局はGTAや映画なんかと同じく殺人は良いけどレイプはダメ、銀行強盗は良いけど飲酒運転はダメ、ハーレムを作り上げてアブノーマルなセックスするのはいいけど17歳少女との愛のあるセックスはダメ、街中で銃乱射はいいけど飛行機特攻はでNG。
現在のゲーム業界でも自由に殺人できるゲームは許されて自由にレイプするゲームは正義のもとに許されない理由って何?って言われてもよくわからんなって思う。