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はてなキーワード: 有益とは

2024-11-21

anond:20241121122554

この意見はいくつかの妥当性がある一方で、議論対象や主張の文脈によっては問題点や誤解を招く可能性もあります。以下に分けて分析します。

 

1. 「投票は非合理的だ」という議論について

妥当性:

投票の非合理性議論すること自体は、民主主義選挙制度を深く考える上で有益です。例えば、「個々人の1票が選挙結果に与える影響は極めて小さい」という点を議論することは、制度改革や新しい民主主義の形を模索するきっかけになり得ます

問題点:

この議論を広める際に、「だから投票する意味がない」という結論に直結してしまうと、民主主義の基盤である選挙制度が軽視される可能性があります選挙は単に個々人の直接的な影響力だけでなく、社会的意思表示民主主義プロセスのものを支える役割果たしているため、非合理性議論投票離れを助長することには慎重であるべきです。

 

2. 「投票には行かない方が良い」という主張について

妥当性:

投票に行かないことを勧める意見も、思想表現の自由として保障されています特にその主張が「投票は現行の制度正当化するだけだ」「選挙以外の方法意思を示すべきだ」という考えに基づく場合、これ自体意見として認められるべきです。

問題点:

投票に行かない方が良い」という主張が広がることで、社会全体の政治参加意識が低下する可能性があります特に特定の層(若者低所得者など)の投票率が下がると、結果的にその層の意見政治に反映されにくくなり、さらなる政治的不平等を招くリスクがあります

 

3. 「選挙に行くな」と勧めることは権利侵害ではないか

妥当性:

他人に「選挙に行かない方が良い」と勧める行為自体は、基本的思想表現の自由範疇です。強制力が伴わない限り、個人選挙権そのもの直接侵害する行為には該当しません。

限界:

強制脅迫が伴う場合や、虚偽の情報を用いて特定の行動を促す場合には、選挙自由妨害する行為として公職選挙法違反となる可能性があります。また、倫理的には、民主主義社会における「投票権を行使する自由」を軽視するような発言批判対象となるでしょう。

 

4. 全体的なまとめ

この意見は、以下の点では妥当です:

投票の非合理性議論すること自体は、制度改革政治のあり方を考える上で重要である

• 「選挙に行かない方が良い」という主張や、「選挙に行くな」と勧める行為は、思想表現の自由範囲内で許容される。

一方、以下のリスク問題点があります

投票行動を軽視する主張が広まることで、政治参加が低下し、特定層の意見が反映されにくくなるリスクがある。

• 主張が他者選挙行使実質的妨害する形になる場合は、法的または倫理的問題を引き起こす可能性がある。

 

結論として、この意見議論として成立しますが、その影響や広まり方に対して慎重な姿勢必要です。

2024-11-20

anond:20241120213917

アホが荒れることを大きく捉えすぎってことはアホ寄りの人間だな

普通はアホが騒ぐとしても天才有益な手を打ってくれる公算のほうを大きく評価する

2024-11-18

民主主義を虚無に捧げないために――印象批評の試み

 これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。

 

 むしろ市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである

 それでも、虚言や流言罵詈雑言猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である

 

 以下に続く文章は、主語デカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。

 もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである

 この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である

 つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプ当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。

 しかし、メディアネットパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。

 

 尤も、自分最初認識そもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。

 このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。

 選挙結果が出てから兵庫県知事選立花某にハックされたということや、あるいはネット真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNS選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。

 もちろん、我々はアメリカ大統領選ロシアイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジアナティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。

 しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストラシーを実現するのか、リベラル思考をもった等質的市民たちによる思想ゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。

 

 各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通民主主義国家における市民と同じくらいの能力感覚を持ち、それなりに各候補者比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。

 ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道気持ちいから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。

 何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。

 少し前に国民民主党の玉木代表不倫問題が報じられた。不倫責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。

 その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。

 筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちから願い下げである議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。

 どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党政治資金収支報告書記載問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えからまれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベル不見識なのではないか。)。

 

 とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫家族当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取り台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見大勢を占めているのではないか

 そしてこれは、斎藤公益通報制度度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティ相通ずるものがあるのではないか

 もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉問題別にあるということにほかならない。

 このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証であるそもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義要諦なのかもしれない。

 この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。

 だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。

 

  「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」

 大人になってからのび太結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有人間であったと痛感せざるを得ない。

 立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。

 斎藤投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義レジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。

 日々の生活に汲々として自分人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。

 

 この文は、「あの時できなかった」筆者が「次こそは」という気持ちを奮い立たせるために書いたものである

anond:20241118034027

「転んでも泣かない」のほうが有益だろ

2024-11-17

anond:20241117125020

優しくない増田ばかりなので、なんで意味がないと言われるか説明するね

基本的に、学習前には集めたデータフィルタリングを行うので、ゴミそもそも除外されることが多いんだ

分類条件は、画像サイズだったり、画像説明文の一致度だったり、色々ある

そうして何度かろ過されたものが、学習に使われるデータセットになるんだよ

なので、せいぜい画像ダウンロードフィルタリング時間を一瞬伸ばせるくらいの効果しか見込めない

ただAI検索のような、生成時に検索を行うAIが、正しい回答を出力する邪魔はできる

これの難点は、人間にとってもノイズになるという事だね

AI画像や人力デマ検索上位に出てくると困るように、AI邪魔になるということは、人間邪魔にもなるんだ

ところで画像生成モデルは、色んな画像の色んな特徴を学習して、その学習結果を元に生成するんだよね

まりゴミゴミとして学習できていると、ゴミから適切に距離を取ることも可能になるんだ

からゴミ画像ばかり集めて、ゴミから距離を取るために使うモデルというものもあるよ

例えば僕達は、進行ルート上にウンコが落ちてたら、避けるでしょ?

それは、僕達がウンコという物質学習していて、できれば踏みたくない、忌避すべきものだと思っているか

これは生成AI的に言うと、negative prompt: poop が与えられている状態と同じなんだ

でも、ウンコ研究家なら近寄って採取することもあるよね

なので、場合によっては有益データとして見ることも可能ですらあるの

というわけで、「全く効果がない」は単純化しすぎだけど、人間にも迷惑だし、基本的には無益行為と言える

「たとえ自分時間その他コストを支払ってでも、気に食わないアイツが損するならそれでいい!」という思考の人以外にはおすすめできないか

2024-11-16

バカバカ

言うてはイカンらしい。

ではバカに「あなたバカですよ」と教えてやるにはどうすりゃいいのだ。

婉曲に表現してやらねばならない。

あなたは知性と教養問題があり不合理な選択と行動をする人ですね」

 

わっかんねぇよ、たぶん伝わらない。相手バカだぞ?

ストレート「バカ」と罵ってやるほうがよほど親切ではないのか。

 

昨今は冷笑主義なんて言葉流行っている。

バカバカでほっとけ、失敗して七転八倒しているのを横目でニヤニヤ眺めてりゃいいじゃないか

みたいな、冷たいね

俺はバカバカなりにバカ自覚させ、分相応な慎ましい社会生活を営んでもらえるように誘導してあげたい。

気づかせてあげたい。

しかしこのような考えはお節介なんだそうだ。

冷たいね

 

てかさ、長げぇのよ、「あなたは知性と教養問題があり不合理な選択と行動をする人ですね」

コミュニケーションコストが高くなる。

 

「俺よぉ今のバイトまぢだりぃから辞めようと思うんだ」

バカだねぇ、キミみたいなバカを雇ってくれるバカ会社はあそこしかないよ、バカな事考えてないで真面目に頑張って働きなよ、バカ

 

これを展開すると

「キミは知性と教養問題があり不合理な選択と行動をする人だねぇ、キミみたいな知性と教養問題があり不合理な選択と行動をする人を雇ってくれる知性と教養問題があり不合理な選択と行動をする会社はあそこしかないよ、知性と教養問題があり不合理な選択と行動をせずに真面目に頑張って働きなよ、知性と教養問題があり不合理な選択と行動をしなさんな」

 

読みずれぇし、発話するとして途中で疲れるわ、早口言葉じゃねぇんだから

バカでいいんだよバカで。

 

で、結局、新語が作られ続ける事になる、新語であれば侮蔑語として認知社会合意形成されるまで猶予がありその間は使える。侮蔑語指定されたら次の新語を作る。

昨今はこういうサイクルになってる。

 

例えば「あたおか」だったり「チー牛」とか

法的な侮蔑語侮辱罪に該当する表現判例で線引されるので新語はセーフなのだ

社会的にその単語侮蔑語である認知されてから追加される。

実に愚かしい現象であるバカ

 

そもそも論バカバカと指摘されるのはバカに課せられた役務社会合意すればよかろう。

侮辱罪なんて廃止すればよい。

 

英米法の国に侮辱罪は無い、あっても限定的適用しかされない。

たりめぇだ、んなもん民事でやればいいのだ。

バカと罵られてもバカでないなら利口だと反論し立証すれば名誉は失われない、むしろバカと罵った側の失点となる。

リアルバカであれば、バカと気づくチャンスを貰えたのだからしろ有益ではないか

こっちは親切で教えてあげてるんだよ。

 

名誉毀損裁判流行っている

ネットバカと罵られたか裁判だと、民事刑事両方でやる。

無駄無駄無駄、ムダの極み。社会リソース無駄遣い

 

バカで無いと自負しているなら「バカではないですよ」と一言反論すれば話は終わる

なんでいちいち裁判なんだ?

警察が動くんだ?

 

実に愚かしい

 

ともかく、バカバカと言える健全社会に戻って欲しいと切に願う。

AI増田で埋め尽くされて、匿名でマジになるのが馬鹿らしいってキッズが気付くようになるのは逆に有益かもしれないな

ニート引きこもり不登校キッズがこんなところにいたら余計に認知が歪んで性格が捻じ曲がるだけだし

2024-11-14

anond:20241112223603

## 1. **公衆衛生観点**

HPVワクチンは、女性においては子宮頸がんの予防に非常に効果的であり、特に若年層の女性に対する接種が推奨されていますしかし、男性HPVによる健康リスク(陰茎癌、肛門癌、口腔咽頭癌など)を抱えているため、公衆衛生観点から男性への接種も重要です。したがって、男性を除外することは、公衆衛生上の利益を最大化するという観点から正当化されにくいと言えます

## 2. **科学的根拠**

現在研究では、HPVワクチン男性にも効果であることが示されています特に性的活動を行う若年層の男性においては、ワクチン接種による感染予防効果が期待されます。このため、科学的根拠に基づいて男性を除外する理由が薄いと考えられます

## 3. **倫理的考慮**

倫理的観点から見ると、特定性別や層を公費負担から除外することは公平性に欠けるとされる可能性があります男性HPVによるリスクを抱えているにもかかわらず、公費負担から除外されることは、不平等な扱いとみなされる恐れがあります。このため、倫理的には正当化が難しいと言えます

## 4. **経済的要因**

経済的視点では、公費負担を行うことで得られる社会全体の健康利益考慮する必要があります男性への接種を含めることで、将来的な医療費削減や健康問題の予防につながる可能性があります。このため、経済的観点から男性を除外することは必ずしも合理的ではないと言えます

## 結論

以上の観点から考えると、HPVワクチン接種の公費負担から男性を除外することは正当化される理由が乏しいと評価されます公衆衛生科学的根拠倫理的配慮、および経済的要因を総合的に考慮すると、男性にも接種機会を提供する方が社会全体にとって有益である可能性が高いです。したがって、今後の政策見直しや啓発活動によって男性への接種機会が増えることが期待されます

リマインド」をやめろ

私はリマインドを好かない。

私は、誰にもリマインドをしたくないし、誰かにリマインドされるのも極力避けたい。

ひと足先に社会人になった友人たちが、軽い飲みの約束ときですら進んで前日のリマインドをしたがり、またリマインドされたがっているが、その気持ちを全く理解できない。

本当に大事だと思っている約束ならば、リマインドなどしなくとも、その約束通りに身体は動くはずだ。忘れてしまったならば、その程度の約束だったというだけの話だ。

それでも、リマインドをすれば確かに約束を忘れるリスクは減るし、有益なところもあるかもしれない。しかし、それ以上に私は、私の人生SNSカレンダーアプリ機械的な通知による横槍が入るのが心底嫌で仕方がない。例えば、音楽や本に夢中になっている休日夕方に、旅行の最終日に感傷に浸っているときに、あるいはいものように何気なく散歩でもしているときには、その時々の心の動きに身を任せることが最も幸せで贅沢なのではないかと思う。

リマインドはその幸福をことごとく破壊する。おまえ如きが、私の心の自由横槍を入れていいはずがない。そして同様に、私自身も、誰かの心の自由横槍を入れる権利など持つはずがない。

リマインドされれば、いついかなるときもその用事通りに身体を動かせてしまえるというのは、恐ろしいことではないのか。そのときおまえの心は、実のところ全く動いてはいないのではないか

「忘れてしまえばその程度の約束」と書いたが、リマインドに慣れきってしまったときリマインドされたすべての約束はもはや、「その程度の約束未満」に成り下がっているのではないか

忘れることのできる約束けが幸福の種でありうる。

わかったら今すぐリマインドをやめろ。

2024-11-12

anond:20241112223443

そういう男が増えたか治安が悪いし、不景気なんですよね

腐った組織から粛清しましょう

女性は男のように犯罪は犯さないので社会有益人材です

チー牛や弱者男性のような腐った遺伝子を末端から屠殺しましょう

2024-11-11

クリックボット陰謀論と分断から社会を救う救世主

世界は分断されているという話をよく聞くようになった。


実際、知り合いが反ワクチンだったり、好きな漫画家財務省陰謀論に染まってたり、といったことが増えてきたように感じる。

地球平面説から田布施システム在日特権まで、人々に分断することを訴えるあらゆる陰謀論が現れては過ぎ去り、もはや陰謀論を信じていない人などどこにもいないように思えることすらある。また陰謀論の中には地球温暖化懐疑説のように、政治社会に甚大な影響を与え、巨大な分断をもたらし続けるものもある。

このように、過激バカバカしく、まともな神経をしていたら信じないような話を多くの人が信じ、吹聴し、社会に影響を及ぼす時代が到来してしまった。その原因は、実のところみんなが理解している。


YouTube代表されるアテンションエコノミーだ。


インターネット広告ビジネスから発展したアテンションエコノミーは、インプレッション数に応じて広告主が広告代をプラットフォーマーだけでなく、コンテンツアップロード者(コンテンツ作成者とは限らない)にも共有するという手法運用されている。

具体的には、広告主がインプレッション数に基づいて広告掲載代金をプラットフォーマーに支払い、プラットフォーマーアップロード者にその金額のうち数%を支払う、というインプレッション数に基づいた成果報酬の図式だ。

したがって資本主義原理に基づき、よりインプレッションを稼ぐためにアップロード者は人の目を惹きつけ、注視させるコンテンツを量産することとなる。

その結果、プラットフォーム動物動画英雄的な物語、そして「悪党」を告発し敗北させる物語で溢れるようになった。


後者2つ、資本主義原理に基づき流布される英雄物語と成敗物語陰謀論の流布と伝播をもたらしたものの正体だ。

これらの形式に則った物語は、YouTubeTikTokなどの動画文化コミュニティ上において実質的反論不可能形式で、なんら検証されることな責任者不在のまま転載を繰り返すことで流布されており、その影響力は旧ツイッターブログなどの文字文化コミュニティはるかに凌ぐ。

もしあなた動画コミュニティの影響力を疑う日本語文字文化コミュニティの住人なら、「ポリコレ」が原因で炎上した海外コンテンツへの旧ツイッター上での反応を時系列で調べると良い。

「火元」に近い時間帯に海外の反「woke 」レビュー匿名掲示板への書き込み翻訳転載した動画とその視聴者が高い確率で見つかるはずた。

少なくとも陰謀論や分断をもたらす過激物語の流布において、文字文化コミュニティはもはや動画文化コミュニティから一方的な影響を受ける立場にすぎない。

あなたが旧ツイッター上で目にする陰謀論や分断を招く言説は、実のところあなたが思っているよりもはるかに多くがYouTubeから二次的な拡散・余波にすぎない。

そして動画文化において「反論」は極めて難しい行為だ。

コメントは表示されなくなり専門家による解説動画は多くの場合見向きもされない。

また、社会合意を得たうえでなんらかの規制を行う方法抵抗の大きさのために不可能である

プラットフォームを通して提供される物語は、プラットフォーマーアップロード者に経済的利益をもたらしているだけでなく、その視聴者であるユーザーにとってもストレスの解消であったり世間の多くが知らない情報提供元として有益とみなされうるためだ。


ではどうすれば良いのか?

単純に、現在陰謀論•分断ナラティブの氾濫をもたらしている広告を基盤としたアテンションエコノミー破壊すれば良い。

最も確実な方法アテンションエコノミーにおける侵略寄生であるボット」を利用する方法だ。

種々のボットは視聴数に基づき広告代が分配されるシステムをハックし、プラットフォーマー及びユーザーにとってなんら有益と見なされない方法広告代を掠めとっている。

なかでも重要な種類のボットは「クリックボット」と呼ばれるボットで、文字通り人間ユーザーのように振る舞いながら手当たり次第にあらゆるコンテンツクリックすることで、虚偽のインプレッションを稼がせている。

この行為により、ボットによるコンテンツ(大抵はAI生成された意味不明な数秒程度の動画文字列)のような、実際にはユーザーに人気が出るわけもないコンテンツ広告業にとって重要であるかのように誤認させる事ができる。

現在のところ、このボットは、インプレッション数に基づく広告効果という性善説を基盤として成り立つアテンションエコノミーをハックし、広告主たちから広告代金を詐取するために運用されている。

気づいただろうが、この行為インプレッション数と実際の広告効果に大きな差異を作り出し、プラットフォーマーアップロード者、広告主間の暗黙の信頼関係破壊し、アテンションエコノミー破壊する可能性を秘めている。


したがって、もしあなたアテンションエコノミー下で拡散される陰謀論とその結果もたらされる社会の分断にうんざりしているのなら、取るべき手段は一つだけだ。

動画サイト対象クリックボット運用せよ。

くだらない動画コンテンツインプレッション数を稼げる有用存在であるかのように装い、プラットフォームアルゴリズムを騙せ。

広告効果を生まないようにコンテンツ評価操作しろ

広告主に代金を払うのが無駄だと理解させよ。

インプレッションに基づく成果報酬システム破壊、それがプラットフォーマーとそれを支える広告主たちへの最も簡単効果的な反逆の方法だ。


作成運用についてはGoogle検索すれば簡単にわかるはずだ。

クリックボット個人運用可能な、アテンションエコノミー破壊社会の分断と陰謀論蔓延を止める事ができる、数少ない手段であり、まさに救世主だ。

2024-11-09

anond:20241109110114

婚活云々より年収750万でどうやって資産9000万築いたのかの方が有益から書いてくれや

2024-11-06

anond:20241105145047

女が仕事の中で劣勢になったら「だからモテないんだよ」とか脈絡無く言ってくるのも「好悪と善悪混同」に該当するな。

これ結構有益だと思うわ。

女はこれ見て自省しろよ。

2024-10-31

anond:20241030165700

Gemini君の回答

国家はなぜ衰退するのか」は、教養本や自己啓発本のような、軽い読み物として分類されるべきではありません。

この本は、経済学政治学歴史学を融合させた、学術的な研究に基づいた 社会科学書籍です。

具体的には、 政治経済学開発経済学 の分野に属します。

内容は、国家の盛衰を決定づける要因を、政治制度経済制度相互作用という観点から分析したもので、歴史的な事例を豊富に用いながら、説得力のある議論を展開しています

そのため、教養を深めたい、社会の仕組みを理解したいという人には非常に有益な本ですが、気軽に読める自己啓発本のような軽い内容ではありません。

しろ経済学入門書社会科学の専門書 に近いと言えるでしょう。

2024-10-30

anond:20241030183510

この意見はいくつかの問題点矛盾が含まれています。また、いじめ正当化するのは、職場健全環境づくりや倫理的責任観点からも大きな問題です。

 

問題点矛盾

 

1. いじめ正当化組織リスクを高める

いじめを「庶民武器」と称し、特定の人を排除する手段として認めることは、職場安全平等を損ないます。これは法的なリスクを高め、組織の評判や雇用者としての義務にも悪影響を及ぼします。厚生労働省ガイドラインに基づくと、職場いじめハラスメントは法的に禁止されており、組織にはこれを防止する責任があります

 

2. 「いじめ」と「追い出し部屋」の混同

いじめ追い出し部屋使用は、組織としての対応を誤る要因となります追い出し部屋は非効率的で、人材の適切な管理とは言えません。代わりに、職場問題がある従業員に対しては明確な評価基準に基づき、必要に応じたサポート提供するなど、建設的な対応が求められます

 

3. 「ハッタショ」への偏見

発達障害を抱える人を「ハッタショ」と表現し、いじめ対象にすることは偏見に基づいた不適切対応です。現代職場では、個々の違いを理解し、多様なニーズ対応するインクルーシブなアプローチが求められます障害者に対する差別偏見助長する行動は、職場倫理基準や法的要件に反するものです 。

 

4. 暴力的対処代替としての「いじめ」という矛盾

庶民武器」としてのいじめ暴力行為代替としていますが、これは建設的な解決策ではありません。対話や適切なフィードバック提供可能であり、いじめという手段正当化することは論理的矛盾しています職場トラブルは、正当なフィードバックを通じて解決することが求められます

 

穏当な対応

 

1. オープン対話

問題のある被雇用者面談を通じ、問題の原因や改善可能性について話し合うことは効果的です。問題特定し、改善目標を設定して、明確な指導を行うことで相互理解が深まります

 

2. メンターシップコーチング

繊細でコミュニケーション課題がある被雇用者には、メンターコーチサポート提供することも有益です。業務上の悩みやスキル向上のための支援を行い、安心して成長できる環境提供することが、職場全体の向上につながります

 

3. 適材適所の配置と役割明確化

適正に基づく配置転換や、個人に合った役割を明確にすることで、負担や不満を軽減できます人事部門管理職が適切な支援提供することで、従業員の強みを生かし、職場調和を維持することができます

 

職場では、お互いの個性尊重し、建設的なコミュニケーションを図ることが不可欠です。いじめは長期的に見ても悪影響を及ぼし、代替手段としては不適切です。

画像生成AIのみを規制する合理的法的根拠

我々は生成AIについて海外の事例や言論も参考にする必要があるため、著作物二次的著作物を無断学習した成果であるところのGoogle翻訳やDeepLなどの自動翻訳ツール容認されなければならない。

また生成AI活用した事例は多数あるが、これらの利益社会にとって有益なため、勿論受容されるべきである

https://mirai-works.co.jp/business-pro/business-column/generative-ai-case-study

https://metaversesouken.com/ai/generative_ai/japanese-companies/

https://liginc.co.jp/635513

ただし画像生成AIはそうもいかない。

データセットがクリーンなら問題ないという意見も見られるが、基盤モデルから再構築されたクリーンな生成AI使用しても炎上している現状があるので、許可されるべきではない。

https://x.com/GEMVOX183838/status/1849636540877766955

また投稿された画像が生成AIによるものかを判定するために無断学習成果物であるHive使用することも必要になるだろう。

30万以上のユーザー画像生成ユーザー絶滅して欲しいという現実を踏まえ、画像生成AIのみを規制するための法整備直ちに必要だと考えられる。

https://x.com/innocence_SAC/status/1850747057490800900

一度画像生成AI使用した者は、その信用は二度と戻らない。

人々の権利を守るために、画像生成AIは根絶せねばならない。

そのために画像生成AIのみを規制する合理的法的根拠を用意する必要があるが、残念ながら私一人の力では思いつかない。

有識者諸君見解をお聞きしたい。

2024-10-29

AIが考える、はてなブックマークあるある

仕事の役に立つ」「自分を成長させる」「人生観が変わる」タグがついた記事必死ブックマークするが、一度も見返さな

「この世のすべての知識を手に入れよう!」と張り切ってブックマークを増やしすぎた結果、カテゴリ整理が手に負えず、結局全部「あとで読む」にまとめられる。

あとで読む記事を1000個ブックマークしたけど、やったことは0個。

「こんな有益記事があったのか!」と自分発見し感動するが、よく見たら数年前に自分が保存してたやつだった。

はてブコメント書けば、友達と会話した気分になるからもう孤独じゃない」って言ったら、友達に「もっと孤独になるやつ」と突っ込まれる。

「またブックマークが増えたけど、読まないといけないプレッシャーがすごい」とつぶやきながら、そのプレッシャーを乗り越えるために新しい記事ブックマークする。

ブックマーク数1000の有益そうな記事を見つけたのに、内容が「意識高い系朝ごはんは何がいいか?」というどうでもいいものだった。

他人はてなブックマークコメントを見て、「この人と価値観合うな〜」と思いきや、全然違うジャンルばかりブックマークされているのを見つけてびっくりする。

いざ「整理するぞ!」と思った瞬間、急に気分が重くなり「来世の自分に任せるか…」とタブを閉じる。

「みんなが保存してるし、これは読むべきだ!」と思って保存したけど、一度も開かず「人気記事に流されてるだけじゃん」と冷静になる。

はてなブックマークに50件保存しただけで「情報強者になった!」と感じるが、知識としてはまったく吸収されていない。

2024-10-28

anond:20241028185949

この意見はいくつかの問題点があります

1. 誤解を招く可能

ChatGPTは多くの人々にとって有益ツールであり、知識の共有や問題解決に役立ちます。これを「バカに送りつける」と表現することで、ChatGPTの価値を誤解させる可能性があります

2. ネガティブな印象の助長:

このような表現は、AI技術やその利用者に対するネガティブな印象を助長する恐れがありますAIは多くの分野でポジティブな影響を与えており、その利用を軽視することは適切ではありません。

3. 煽り行為正当化

煽りが定着してきた」という表現は、他人挑発する行為正当化するように聞こえます煽り行為コミュニケーションの質を低下させ、建設的な対話を妨げるため、避けるべきです。

4. 倫理的問題

他人「バカ」と呼ぶこと自体倫理的問題があります尊重共感を持ったコミュニケーション重要です。

このような意見を持つことは自由ですが、他者への影響や社会的な影響を考慮することが重要です。どのような意見でも、建設的で前向きな対話を心がけることが大切です。

anond:20241028072953

この意見は、深い無力感や疎外感、また社会政治に対する不信感を強く表現しています。以下のように、感情配慮しつつも、意見の中に潜む問題点矛盾点について考えてみます

 

1. 共感と受容

まず、この意見を表明する背景には、投票社会参加を通じて得られる成果や意味に対する深い失望があることが感じ取れます。多くの人が投票重要視する中で、それを「無意味」と感じる彼の気持ちには孤立感や疎外感が含まれているため、理解しがたいと感じてもまずは共感し、理解しようとする姿勢が大切です。

 

2. 選挙制度に対する不満と疑問

この意見には、選挙が「完璧制度だと信じられている」と感じていることへの違和感が表れています。確かに選挙制度は不完全で、現行の民主主義においてもさまざまな課題があります若い世代意見が反映されにくいことや、一票の格差投票率の低さが問題視されていることは彼の意見裏付ける部分でもあります。この点については、現状を認めつつも、選挙制度の改良が続いていることや、多様な意見必要であることを伝えることで、共感理解が生まれるかもしれません。

 

3. 「無関心」という選択肢限界

一方で、社会政治に対して「どうでもいい」という姿勢は、彼が無力感を抱いている理由とも矛盾します。「どうでもいい」という考えが続けば続くほど、社会が変わる可能性はさらに低くなり、結局は自らの意見が反映されない現状に逆戻りします。この点で、「無関心」ではなく「異なる形での関わり」や「発言の場を変える」ことが一つの解決策となる可能性を示唆することも有効です。

 

4. 投票の意義と役割再考

投票に行くことが「自己満足」や「人に褒められるため」と捉えている彼に対しては、投票行為根本的な意義を再考してもらうよう促すのも有益かもしれません。投票は、完璧制度ではなくても、少しずつ社会に影響を与える手段の一つです。また、多数の人々が参加することで、他者に流されない個々の意見社会に届けることが可能になります。これが必ずしも全ての不満を解決するわけではないものの、投票を通じて意見を発信する価値を伝えることも有効です。

 

まとめ

この意見に対しては、彼の感情理解しつつも、現状の不満が他の参加者にとっても共有されていることを伝え、対話の中で自分意見を発信する方法を見出せるよう促す姿勢が大切です。

2024-10-23

コミュニティノートルールには何が書いてあるのか

前置き

Xでは、コミュニティノートという、投稿に背景情報を付加できる仕組みが運用されています特にデマ陰謀論に対してコミュニティノート付与されているのはよく見かけられます

ノートは、コミュニティノート参加者として登録した人が匿名で(正確にはコードネーム制で)ノートを書いたり、他の人が書いたノート評価する仕組みがあります

コミュニティノートに参加してノートを書くための敷居はそんなに高くないので、的外れノートやイタズラが書かれることもあります

そのようなノート評価から評価を受けるため一般ユーザーに表示されることは滅多にありません。ノートが適切に評価されるように、コミュニティノートは「追加の背景情報必要ない理由説明するノート」を書く機能があります。これは、要するにノートに対する反論です。不適切ノートに対しては誰かが反論を書いておくことで、通りすがり評価者がノートを正しく評価するのを手助けします。

ノートは、根拠となるURLを示すことが推奨されています反論においてはよくあるのは、

「~~のような指摘はコミュニティノート目的ではありません。コミュニティノートではなく返信や引用で指摘してください。コミュニティノートルール再確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/about/introduction 」

のようなものです。定番なのはパクツイ無断転載)に対して「無断転載です」というコミュニティノートが付くと、「無断転載の指摘はコミュニティノート目的ではありません」という反論が付きます

この記事で言いたいのは「いや、コミュニティノートルールにそんなこと明記されていないよ」ということです。

コミュニティノート反論も含めて文字数制限が厳しいので、主張をこの記事にまとめました。これを書いた人はこの記事を適宜引用して利用しますが、もちろん、他の人も自由引用したりリンクしたりできます

主張

コミュニティノートの根幹は「さまざまな視点を持つ十分な数の評価者が“役に立った”と評価したら、そのノートは表示される」ということだけです。

コミュニティノートドキュメントは、どのような観点評価すべきかということに重きを置いており、評価者によって意見が分かれることが大前提となっています

評価者の意見によらず、「こんなノートを表示すべき」「こんなノートは表示しないべき」という具体的なことは、コミュニティノート公式ドキュメントにはほとんど書かれていません。

ですからコミュニティノートドキュメントURLを出しながら、「コミュニティノートルール」を根拠ノート反論するのはごく一部の例外を除けば間違っています。書いていないことを書いてあるかのように見せかけて引用するのは悪質な印象操作であり、適切な評価を妨げてしまます

ノートへの反論は、あくま自分言葉で、コミュニティノートドキュメントに頼らずに行うべきです。ノートが表示されるかどうかを決めるのは、ルールではなく、評価者の意見です。

公式ドキュメントに何が書いてあるのか

ここからは、上記の主張を補強するために、コミュニティノートをどう評価すべきかについて、コミュニティノート公式ドキュメントに実際には何が書いてあるのか説明します。

意外なほど、どんなノート評価すべきかについては明記が避けられています。書かれているのはあくまコミュニティノートの「目的」であって、その目的をもとに個々のノート評価するのは評価者の仕事です。

ただし、ドキュメントを全部読むと分かりますが、一部例外的に、不適切ノートについても言及があります。そのようなノートに対する反論を書く時だけは、ルールURL根拠としてもよいでしょう。(この記事最後のまとめを参照してください。)

Xのコミュニティノートについて https://help.x.com/ja/using-x/community-notes

目的が書かれています

コミュニティノートは、Xでより正確な情報を入手できるようにすることを目的に作られた機能です。


コミュニティノートガイド 概要 https://communitynotes.x.com/guide/ja/about/introduction

こちらにも目的が書かれています

コミュニティノートは、誤解を招く可能性があるポストに、Xユーザーが協力して役に立つノートを追加できるようにすることで、より正確な情報を入手できるようにすることを目指しています

ノートの中身に言及されました。評価者は「役に立つノート」かどうかを評価することが求められています

また、「誤解を招く」という用語が登場しました。この用語はXのインターフェース上などでも使われており、コミュニティノート対象として「誤解を招く可能性があるポスト」が想定されていることが分かります

ただし、注意しなければならないのは、「誤解を招く」かどうかの判断もまたノート評価者に委ねられるということです。どのようなポストが誤解を招くとみなされるべきか、コミュニティノートドキュメントには明記されていません。

陰謀論は誤解を招く」、「無断転載は誤解を招かない」のような区分けコミュニティノートドキュメントに一切書かれていません。個々のケースに応じてそれを判断するのも評価者の仕事のうちです。

まり、「この投稿は誤解を招いていないのでコミュニティノート不要です。コミュニティノートルール再確認してください」のような反論は不十分です。反論は、他の評価者が「これは誤解を招いていない」と納得してもらうのが目的であり、コミュニティノートドキュメントはその根拠になりません。

Xがノート作成評価を行ったり、ノートに介入したりすることはありません(Xルール違反している場合を除きます)。Xでは、表示されるノートユーザー意見によって決めることは、正確な情報を入手するのに役立つ背景情報を追加するための公平で効果的な方法であると考えています

Xがノート評価を行うことはないと書かれています。もちろん、評価という実作業ルール整備とは別のものですが、ここでも「表示されるノートユーザー意見によって決める」ことが強調されています

よくある質問 https://communitynotes.x.com/guide/ja/about/faq

コミュニティノートによる注釈対象となるのは、どのようなポストですか?

どのようなポストにも、コミュニティノートが表示される可能性はあります

「○○のようなポストに対してはノート不要」といった基準をXの側で用意していないことを示す記述です。どんな内容の投稿であっても、評価者がノート必要判断したのであれば、ノートが表示される可能性があります

Xでは現在、人々がさまざまな視点から役に立ち、参考になると考える背景情報を、コミュニティノートが確実に提供できるようになることに焦点を合わせています

コミュニティノートは、さまざまな視点からユーザー有益で役に立つ背景情報提供するために作られており、Xのその他のポリシールールを補完することを目的としています

コミュニティノート目的はさまざまな箇所で繰り返し説明されています

理念 https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/values

コミュニティノート理念説明するページであり、特にノート評価にあたって参考になるページです。

コミュニティノートは、ポストの背景情報を、多様な視点を持つ広範な人々に役立つ方法提供することを目的としています

コミュニティノートは、ポストを読んだユーザーが、常により優れた情報を把握できるように、有益な背景情報提供することを目指していますノートは、取るに足らない内容を気軽に投稿したり、個人的意見侮蔑的な内容を投稿したりする場所ではありません。ポストについてや、それが誤解を招くかもしれない理由について、自分とは反対の意見を持つ人々も含め、誰もがより深く理解できるように、明確で根拠に基づいたノート作成しましょう。

この箇所は、珍しく不適切ノート内容に言及されています。「取るに足らない内容」は結局評価者に委ねられるのでさて置いて、「個人的意見侮蔑的な内容」についてはノートとして適切ではありません。このようなノートに対する反論としてなら、コミュニティノート理念引用することができます

個人的意見」の逆は、「客観的事実」です。そのため、客観的事実をもとに指摘しているのであれば、そんな指摘はコミュニティノートでしなくていいと思ったとしても、コミュニティノート理念引用できません。自分言葉反論すべきです。

コミュニティノートは、異なる視点を持つ可能性のある人々も含め、あらゆる人々がポスト議論されている問題について、より深く理解できるようにすることを目的としていますあなた意見同意しない可能性のある人々にも、有益性と敬意を感じ取ってもらえそうな投稿を心がけてください。ヘイト表現中傷表現扇動的表現は避けてください。

ここでも、「ヘイト表現中傷表現扇動的表現」がノートにふさわしくない内容として言及されています。このようなノートに対する反論としても理念引用することができます(ただし、ヘイト表現などはXルールそもそも違反するため、ノート反論するよりもノートを報告してしまうほうが適切かもしれません)。

ノート作成 https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/writing-notes

対象ポストが誤解を招く可能性があり、追加された背景情報事実理解に役立つとノートで主張する場合、そのノートが十分な数の協力者により「役に立った」と評価されると、対象ポストに表示されます

ここでもコミュニティノートの仕組みが繰り返されています

Xで公開されるノート https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/notes-on-twitter

コミュニティノートは、Xで誤解を招く可能性のある情報に遭遇したユーザーに、役に立つ背景情報提示することを目指しています

コミュティノート目的です。

例とノート作成のヒント https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/examples

役に立つノートと役に立たないノートの特徴が列挙されています。また、例も掲載されています

役に立つノートの特徴は「品質の高い資料引用している」などで、役に立たないノートの特徴は「出典が含まれていないか、信頼できない」「情報が正しくない」などです。

一見すると、どのようなノート必要不要なのか明確に書かれているようですが、注意すべきことがあります

これらの特徴は、評価UIチェックボックスの内容そのままです。つまり、これらはノート評価基準であり、逆に言えば評価基準しかないということです。実際にノートの表示・非表示に繋がるのは、これらの基準に従った個々の評価者の評価です。

ですから、やはりノート反論根拠として使えるページではありません。例えば、こんな反論反論になっていません。

「このノートには誤った情報が含まれています情報が正しくないノートを書かないでください。コミュニティノートガイドをご確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/examples

ここでコミュニティノートガイドURL根拠にされても、意味がありません。その評価基準はもうUIに書いてあるので分かっています。それよりも、なぜ情報が正しくないのか、そちらを反論に載せるべきです。

これは極端な例でしたが、このようにコミュニティノートガイドURLを使って反論しても、評価基準説明しただけで中身のない反論となってしまます

反論ノートに求められているのはさらにその先で、「評価基準に照らして、なぜそのノートを低評価すべきなのか」をきちんと説明することです。

まとめ

コミュニティノートガイドの全てのページを見ても、どのようなノートが適切か、適切でないかの具体的な説明は限られています理念のページで以下の内容が不適切とされている以外は、すべて目的説明評価制度説明です。

よって、コミュニティノートに対して、以上の内容に当てはまらない反論を行いたい場合は、「コミュニティノートガイドをご確認ください」のようにコミュニティノートガイド根拠とした反論はできません(したとしても、中身のない反論になってしま意味がありません)。

そうではなく、なぜそのノートが役に立たないのか、ルールに頼らずに説明する必要があります

反論

この記事に対する反論がされることもあるようなので、コメントします。

はてな匿名ダイアリーに書かれた誰が書いたかも分からない記事根拠にならない」

当たらない反論です。この記事は「誰が書いたか関係なく、内容を読めば分かる記事」です。

この記事を使う人は、「この記事があるという事実」を根拠に使うのではなく「この記事に書かれている内容」を根拠に使います

そのため、誰が書いたかからないことは反論になりません。この記事に対して反論するのであれば、この記事の中身に反論する必要があります

生産性ミリオンアーサー

ネットクルド人排斥を訴える連中の何人が、クルド人以上に川口市に貢献してんだろうな。

生産性のない排外主義者より、生産性のあるクルド人のほうが有益なのは新自由主義を持ち出すまでもなく、資本主義の基本原理なわけよ。

もし本当にクルド人排斥たかったら、川口市移住してクルド人の職奪えばいいんだけど、たぶんそれも無理だろうね。だって排外主義者には生産性いから。

しかったらクルド人よりも社会の役に立ってみろよ。

2024-10-22

SNSに居場所がない

SNSってほんとクソだよなぁって思うんだよね。ゴミ情報下水道しかねぇ。

お前のことなんて知らねーよ

対面で会ったこともねぇ連中の私生活開陳を見せられて何が面白いんだ?

お前がいくらネット上で俺と親しいようなフリをしようと、すげぇ浅ぇの。

あらゆるコンテンツ政治

画像とか動画のようなコンテンツだとしても、イラッとするようなのが多いんだよな。

誰かを非難するためだけに書かれた漫画とか、選挙動画とか、俺は興味ねぇの。

イライラさせるミーム

猫とかミームとか見てるとキレそうになるんだよね。

なんでこのゴミを俺に見せるんだろうなって。

有益情報RSSで十分だろ

numpyのアップデートを追う?githubRSSフィードで追うとか、そういうのでいいわけで、Xのnumpyアカウントフォローする必要はねぇよな?

最新の数学研究について知りたい?arxivRSS購読すればいいよな?

検索Googleで十分だろ

情報を調べるためにSNSを使う奴って頭悪いのかな?

有名人という名のウゼェ連中

あのな、俺は世間が「有名」とする人間に一切の興味はねぇの。

第一、連中の目的は売名だろ?乗せられてどうする。

発信?お前や俺のことなんて誰も興味ねぇよ

なんで発信してるの?そんなゴミ情報を。男女論?弱者男性論?フェミニスト?ウゼェだけだろ。

フォロワーイイネインプを稼ぐ?なにが面白いの?

ゴミゴミを煽ってるだけだろ。イライラするだけ。

SNS機能がクソ

Xの最もクソな点は、おすすめトレンドリツイート。俺の興味のないことを表示するからイライラが勝る。

では有益な使い方は存在するのか

SNS有益な使い方は、

1. 実際に対面で会ったことのある人間との交流

2. ゲームの最新情報を追う。

3. 政治とは無関係アート作品を鑑賞する。

ぐらいのもんだな。

まとめ

俺は対面で会ったことのある人間SNSをやってねぇし、ゲームもやらねぇし、アート作品にも興味がねぇから場所がねぇの。

2024-10-19

anond:20241019150156

あの人たちは何故かジャイアニズム信仰してるから自分有益なら不平等でも良いよって考え持つからなあ 指示されねえと思う

2024-10-18

anond:20241016203813

自分男性育休(1年、夫婦同時取得)の当事者です。

ヨッピー育児本に批判がつく本質って、「ヨッピーなら男性育児界隈を変えてくれるかも」的な期待を「たまに育児に参加してきて横からアドバイスかましてくる夫の進化版」でしかなかった裏切りを感じたからじゃないかな。

育児中、夫に読ませて改心させようと思ったら、n=1で実証しただけの、ウザめのライフハックしか載ってなかった悲しみだよね。

今後育児をするような心に余裕がある層は読めばいいし、実際に有益情報も載ってると思う。

でも母親目線からしたら、期待してたヨッピーですら、「そんなもんでしかなかった」んだろうね。

父親目線からしたら、「手伝ってる」の域を超えるにはどうしたらいいか、考えるきっかけになれば良い気がする。

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